国宝「投入堂」の魅力と巡り方。過酷な山道の先にある、自然と一体化した美しさ
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こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。
今回は、国宝でもある、三佛寺奥院投入堂 (さんぶつじおくのいんなげいれどう) をご紹介します。
この連載は‥‥
インテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけるABOUTの佛願さんが、『アノニマスな建築探訪』と題して、「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」という5つのキーワードから構成されている建築を紹介していきます。
いざ、三徳山三佛寺 奥院投入堂へ
所在地は、鳥取県東伯郡三朝町三徳 (とうはくぐんみささちょうみとく) 1010。建立 慶雲3年 (706年) 、作者は不明である。
三佛寺奥院投入堂は、鳥取県のほぼ中央に位置する。鳥取県の旧国名は伯耆 (ほうき) の国と因幡 (いなば) の国であり、三佛寺のある三徳山 (みとくさん) はこの国境にある山が西へと伸びた尾根の1つであり、1000~1200メートル級の山々が連なっている。
初めてこの地を訪れたのは約20年前、中学生の頃。家族で三朝温泉 (みささおんせん) に泊まり、父、母、姉とレジャーで登った。2回目は大学1年生の時、これも全く同じシチュエーションで家族と。3回目は大学4年、これも家族と。
そして4度目の今回は‥‥。残念ながら家族ではなく同僚と。前日、米子で仕事があり、しかも金曜日。これは久々のチャンス到来とばかりに、三朝温泉に泊まり、初めてスナックという場に足を踏み入れた。大人になったなぁとしみじみ思いつつ、温泉につかりながらハーと大きな吐息を漏らす。
10年前より錆びれて見えた三朝温泉。それもそのはず、昨年の鳥取中部地震の影響で客足が遠のいてしまったようだ。それから約1年が経ち、ようやく人が戻ってきたとスナックのママが教えてくれた。
三徳山の入山は午前8時から。就寝したのは3時前にもかかわらず、朝6時に起床。朝風呂につかって少し残っていた酒を抜き、朝食をいただいてから旅館を後にする。
この日の天気予報は曇りのち雨。実は雨が降り出すと入山できなくなるため、少しでも早く登る必要があった。投入堂の登山口は三朝温泉からは車で約10分ほど。石の鳥居を超えたところが入山口である。
駐車場に車を止めていざ投入堂を目指すわけだが、一瞬足が止まる。あれ?こんな急な階段だったっけ‥‥。しかも石の階段はすり減り、波打っている。
普段、全くと言っていいほど体を動かしていないことを早くもこの段階で後悔する。
階段を登ると境内に到着する。社(やしろ)が点々と配置され奥に進むと三徳山入峰修行受付所が現れる。受付ではまず健康状態を聞かれ、その後に靴のチェック。
なぜかというと、凹凸のないツルツルのソールでは入山できないからだ。その場合は受付で販売されているわらじを購入し履き替える必要があるのでご注意を。入山時間をノートに記入し六根清浄(ろっこんしょうじょう)の印が押された輪袈裟をいただき、いざ入山。
少し歩いた場所に2本の大木に挟まれた赤い門が見える。普段目にすることのない大木のスケールに圧倒されつつ、門をくぐり湿っぽい石段を降りる。深い谷間に架かる宿入橋を渡り、薄暗い先に見えるのが木の根っこの登山道。
写真では分かり辛いが、なんと木の根を掴みぐんぐん登っていくのだ。1300年という歳月をかけてできあがった登山道は、木の根がなめらかに、岩肌は人の足型に変形してしまっている。先人の足跡をたどりながら、ただひたすらに登る。
地面は登るにつれて腐葉土のような土から粘土質、そして砂岩系の岩になる。明るい尾根に出たあとで見えてくるのが崖の上に建つ文殊堂(もんじゅどう)。
細い材で架構され、屋根は単層入母屋杮葺 (たんそういりもやこけらぶき)。周囲は手摺りのない縁(ふち)がぐるっと4周まわっており、しかも水はけが良いように傾斜が付いている。
靴を脱ぎ壁伝いに恐る恐る縁を歩くのだが、清水の舞台が比べものにならないと感じるほど、死と隣り合わせな感覚を覚える。ただ眼下に広がる風景は色づき始めた木々、そして伯耆、因幡の山々の連なり。千丈の谷へと落ち込んでいく風景は何とも美しい。
さらには鎖(!)を掴んでよじ登ったところに見えてきたのは地蔵堂。作りは文殊堂と全く同じ。桁行4間 (約7.2メートル)、梁間3間(約5.4メートル) 、屋根は単層入母屋杮葺。文殊堂も地蔵堂も室町時代に建てられたものだそう。
ここからさらに進むとシンプルな切妻の釣鐘堂。そしてこの先の道は急に狭くなり、小石混じりの凝灰岩の上を綱渡りのように登る。風景ははるか下方に広がり、このころになると、自然と一体化したような感覚になり、自身は透明化しかつトランス状態に近い。
やがて道は平坦となり、凝灰岩の風化した窪みに祠堂 (しどう) があり、その先には洞窟のような空間に納経堂がすっぽりと収まっている。しかも納経堂と洞窟の隙間が経路になっている。であり、光から闇へ、そして光に戻る‥‥という演出は本当に憎い。
そしてその先の屏風のような岩を廻ると岩を背に突如として投入堂が姿を現わす。
上部を巨巌で覆われ、足元は急斜面の岩盤にしっかり脚を伸ばして建つこの建築。一見シンプルに見えるが、実は全くそうではない。屋根は重層し、雁行 (鍵型にギザギザと連続している様子) している。
まさに鳳凰が羽を広げ、舞い上がらんばかりの華麗極まりない姿。眼下に広がる風景を呑み尽くして、大自然と響き合っているかのようである。まさに自然と一体化している。
こんな複雑な建築が706年に建立されたという事実に感動しつつも、これを目指して過酷な山道を登って来た人々がいること。そして、入山し、感動するという体験は、今も昔もずっと変わらない気がする。初めて家族で登ってた時にも、建築のケの字も知らなかったが、投入堂ってとにかくめちゃくちゃすごいなと思った記憶は鮮明に残っている。
今回の気分はというと、まさに六根清浄、心が浄化された気分である。大都会東京で気を張らないといけない日常から解放され、大自然の中に身を置いて何も考えることなく、ただひたすら木の根っこを掴み、足元に注意して一歩一歩着実に前へ進む。
帰りは一度足を滑らせ大ゴケしたが、根っこのおかげで大事には至らず。入山受付所まで戻り、袈裟を返し、下山時間を記入する。
往復時間は約1時間半ほど。本当に清々しい気持ちを手に入れる。境内を抜け、階段を降りようとすると、前からビールケースを担いで登ってくるただならぬ雰囲気の男性。もしや、この人‥‥。
住職さんのような気がして、思い切って話しかけてみた。やっぱりビンゴ。住職さんから歴史のことや檀家さんが全くいないこと、そして1年前の鳥取中部地震で登山道はルートを少し変更しないといけなくなったが、建物には全く被害がなかったことなど、いろんなお話をさせていただいた。
途中、茶屋できな粉餅を食べ、駐車場に着いた途端に雨がザーッと降ってきた。約10年ぶりの投入堂。天候にも恵まれ、心も浄化され、いい記事も書けた‥‥?。三徳山というだけあって徳がありそうである。
佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。
文・写真:佛願忠洋
こちらは、2017年11月26日の記事を再編集して掲載しました。登山に危険が伴いながら、人々を魅了する投入堂。参拝後は心も体も清められそうですね。
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