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波佐見焼とは
その特徴と歴史。近年注目の理由はここにある
波佐見焼の基本情報
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工芸のジャンル
陶器・磁器
「HASAMI」のマグカップなどで人気の波佐見焼。
近年注目を集めるようになったのはなぜ?焼き物づくりのきっかけは、豊臣秀吉?
今日は意外と知らない波佐見焼の今と歴史をご紹介します。
<目次>
・地理から見る波佐見焼
・波佐見焼の特徴 代表作「くらわんか椀」に見る庶民文化
・波佐見焼の歴史
・現在の波佐見焼 HASAMIの登場、ますます人気の陶器市
地理から見る波佐見焼
波佐見焼とは、長崎県の中央北部に位置する波佐見町付近でつくられる陶磁器のこと。
400年以上の歴史を持ち、現在でも日用食器のおよそ16%のシェアを誇るが、長らく「有田焼」として売られてきた歴史を持ち、近年までその名前が表に出ることは少なかった。
というのも波佐見町は、有田焼が生産される佐賀県有田町と隣り合う県境の町。中央は平野部、周囲は小高い山々に囲まれた盆地地形をなし、とくに南東部の山々からは磁器の元となる陶石が産出される。
総面積約56㎢、人口は約1万5000人。実にその2割から3割の人が焼き物に関係する仕事に携わっているという。
波佐見焼の特徴 代表作「くらわんか椀」に見る庶民文化
波佐見焼の特徴は、白磁の美しさと、呉須(藍色)で絵付けされた繊細な染付の技術。時代に合わせて改良を続けながら、庶民の器としてさまざまな日用食器が誕生した。いまも長崎県最大の窯業地であり、日用和食器の出荷額は全国3位を誇る。
日用食器の一つ、唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」は丈夫で壊れにくく、波佐見焼の代表作となった。波佐見焼の食器を通して庶民の食文化は大きく変わり、焼き物が暮らしに身近なものになっていったともいわれる。
人口約1万5000人の小さな町で高品質、大量生産を可能にしたのが、「分業制」。
陶磁器の石膏型を作る「型屋」、その型から生地を作る「生地屋」、生地屋に土を収める「陶土屋」、その生地を焼いて商品に仕上げる「窯元」、陶磁器に貼る絵柄のシールを作る「上絵屋」、注文をまとめ、配送などを手配する産地問屋などを経てひとつの製品が世に出される。
分業制によって各工房がその仕事に特化した技術を高め、相乗効果で波佐見焼全体のレベルも向上してきた。
<関連の読みもの>
マルヒロ2代目が案内する「波佐見焼のすべて」
https://story.nakagawa-masashichi.jp/51062
波佐見焼の歴史
波佐見町の前身である波佐見村は、1570年代頃に日本最初のキリシタン大名として著名な大村純忠の領地となり、その後江戸期を通じて大村藩に属した。
◯きっかけは豊臣秀吉?波佐見が焼き物産地になるまで
転機となったのは、1592年から1598年にかけて行われた、豊臣秀吉による朝鮮出兵、「文禄・慶長の役」。この戦いは別名「焼き物戦争」とも呼ばれ、各地の大名たちが、焼き物の高い技術を得るために朝鮮からたくさんの陶工たちを連れ帰った。
大村藩も例外ではなく、朝鮮から連れ帰った陶工たちと波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所に連房式階段状登窯を築き、1599(慶長4)年、焼き物づくりを始めた。これが波佐見焼の始まりである。
その後、波佐見町東南部にある三股 (みつのまた) で陶石が発見され、1630年代になると本格的に陶器生産から磁器生産へと移り変わる。
1665年には皿山役所という、焼き物を管理する役所が三股に設置され、藩をあげての殖産政策が推し進められて波佐見焼は地場産業としての地位を確固たるものにしていった。
◯世界最大級の登り窯は波佐見にあった
17世紀半ばには、中国で起きた内乱の影響で、中国産の焼き物の輸出が中断。その代わりとして波佐見焼を含む肥前の焼き物に白羽の矢が立ち、東南アジアを中心に輸出され、波佐見焼の窯の数も職人の数も一気に増えていく。
1690年ごろに中国の内乱が収まると、海外輸出量は減少。そこから、国内向けの日用食器を量産していくようになる。
江戸時代の中ごろには、巨大な登り窯がいくつも築かれ、波佐見焼は庶民のための磁器として日本中に普及。現在も波佐見町には、かつて波佐見焼を大量に生み出した世界最大級の登り窯跡が存在している。
<関連の読みもの>
「波佐見の観光で探したい、道端に隠された波佐見焼。世界最大級の登り窯跡や、焼き物の神様も注目です」
https://story.nakagawa-masashichi.jp/52326
はじめは施釉陶器の生産が中心だったが村内で磁器の原料である陶石が採掘されるようになり、しだいに染付と青磁を中心とする磁器へ移行。ついには大村藩の特産品となり、江戸後期には染付の生産量が日本一に。こうして波佐見焼は、染付・青 磁ともに大生産地に発展していった。
◯有田焼と波佐見焼、それぞれの道
明治以降は鉄道の発達により、出荷駅がある有田から全国に流通していたため、波佐見と有田、2つの産地の磁器は合わせて「有田焼」としてその名を全国に広めていく。
こうして2つの産地は売上を増やし続け、1980年後半のバブル期に最盛を迎えることになるが、2000年頃に問題となった産地偽装問題をきっかけに、「波佐見焼」と厳密な生産地表記が必要となった。
<関連の読みもの>
有田焼と波佐見焼の歴史と違い。1500文字でめぐる日本磁器誕生の歴史
https://story.nakagawa-masashichi.jp/4508
西海陶器とマルヒロが語る、波佐見焼の誕生とこれから
https://story.nakagawa-masashichi.jp/4894
現在の波佐見焼 HASAMIの登場、ますます人気の陶器市
2010年、産地問屋として3代続いていたマルヒロが新ブランド「HASAMI」を発表。
当時の主流だった「薄くて繊細」とは真逆の、「厚くて無骨」な「HASAMI」ブランドのマグカップは、展示会等への出品を経て全国的なヒット商品に。アパレルショップや雑貨屋にも並び、波佐見焼の売上と知名度向上に大きく貢献した。
【購入できるところ】
・マルヒロ直営店
・マルヒロオンラインストア
・中川政七商店通販サイト「HASAMI」
毎年春に開かれる陶器市「波佐見陶器まつり」も活況。
かつては、出品する9割が有田焼だったが、全国から波佐見焼を目当てに訪れる人も増え、着実に存在感を強めている。2019年の陶器まつりには約320,000人が来場した。
新しいブランドの誕生をきっかけに産地全体が盛り上がり、知名度と売上が向上。右肩下がりが続いていた出荷額も、2014年には前年を上回り、再びの成長曲線を描きはじめた。
<参考>
・佐々木達夫 編『陶磁器の考古学 第二巻』雄山閣(2016年)
・波佐見陶磁器工業協同組合
http://www.hasamiyaki.or.jp/index.shtml
・マルヒロ
https://www.hasamiyaki.jp/
(以上サイトアクセス日:2020年3月5日)
*こちらは、2019年11月5日の記事を再編集して公開しました。