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琉球ガラスとは

「不足」が花開かせた沖縄のものづくり

模様のように入った細かな気泡がキラキラと反射して涼を誘います

沖縄で100年以上の歴史を持つ工芸品「琉球ガラス」。

大戦後の物資不足のさなかでは「廃瓶」を原料としてたくましく再生し、今では沖縄の人々の日用のうつわとしてだけでなく、沖縄土産の定番としても親しまれています。

今回は沖縄のガラス職人たちが知恵を絞り、技術を高めて発展させてきた琉球ガラスの歴史、特徴や豆知識についてご紹介します。

琉球ガラスとは。100年の歴史を持つ沖縄の伝統的なものづくり

琉球ガラスとは沖縄の工芸品のひとつ。溶けたガラスに吹き棹(さお)で空気を送り込み形をつくる「吹きガラス工法」を主な技法とする。ガラスをとかしておく窯、製品を仕上げる窯、冷ます窯の3つの窯を用いるため、2〜3人の職人が連携しながら1つの作品を手作業で製作していく。

溶かしたガラスを吹き棹で巻き取っているところ
溶かしたガラスを吹き棹で巻き取っているところ

本来、ガラス製品は透明感のあるものがよしとされるものの、琉球ガラスに含まれる気泡は、味わいとして評価されている。

これには、現在の琉球ガラスの3割を占める「再生ガラス」製造の歴史も関係している。

ここに注目 琉球ガラスは廃瓶から始まった

沖縄でのガラスづくりは明治時代中期ごろにすでに始まっていたが、第二次世界大戦中に起こった10・10空襲(沖縄本島・奄美大島・宮古島・石垣島・周辺離島を襲った無差別空爆)により、ガラス工房は壊滅的な被害を受ける。

戦後、駐在兵やその家族らから日用のうつわ、土産物の注文が集まるようになるも、物資不足ではつくりようがない。そこで職人たちは、米軍の施設から大量に破棄されていたビールやコーラなどの廃瓶を原料として、ガラス製品を生産していくように。

これが、戦後の「琉球ガラス」の新しい顔となった、「再生ガラス」の誕生である。

プラスチックの登場により廃瓶を集めるのが難しくなった今も、再生ガラスならではの独特な色合いを求めて、今もなお廃瓶などで製作をしている工房は多い。

一升瓶と窓ガラスでつくられたグラス
一升瓶と窓ガラスでつくられたグラス

もうひとつ、味として見出されたが「気泡」だ。

再生ガラスは原料となる廃瓶などを洗浄してから溶解窯で溶かすのだが、ラベルの剥がし残りのような不純物がどうしても残ってしまうため、気泡ができやすい。

これが味として受け入れられ、今ではたくさんの気泡を含ませるために溶けたガラスを攪拌(かくはん)したり、上からさらにガラスを巻きつけることもある。

最初こそ必要に迫られてつくられたものだが、沖縄の人々はそこに独特の美しさを見出し、ものづくりを進化させてきたのだ。

琉球ガラスといえばこの人・この工房。奥原硝子製造所

その独特な色や気泡のもつ魅力から、琉球ガラスは県外にもファンが多い。しかし再生ガラスは廃瓶の減少や製造時の扱いの難しさから、作り手は年々減っている。

そんな中、今もなお昔ながらの原料で琉球ガラスをつくり続ける琉球最古の工房がある。1952年(昭和27年)創業の「奥原硝子製造所」だ。那覇市の国際通り、琉球伝統文化を伝える施設「てんぶす那覇」に工房を構える。

戦後の米軍統治時代には、駐在兵からたくさんの注文が寄せられたという。西洋のライフスタイルに合わせた様々なガラス製品をつくる過程で、プロダクトの色や形のバリエーションが増え、技術も洗練されていった。

琉球ガラスを職人が2人がかりで製作している
琉球ガラスを職人が2人がかりで製作している

奥原硝子製造所の上里さんによると「見本と同じ形、サイズで均質に作ることを大切にしている」とのこと。そんな均質なうつわは壊れにくく、扱いやすいことで飲食店からも信頼を寄せられている。

<関連の読みもの>

琉球ガラスの魅力をさぐる旅。沖縄最古の工房で知った美しい色の秘密
https://sunchi.jp/sunchilist/okinawa/60931

ライトラムネ色の原料は「窓ガラス」

琉球ガラスでは工房ごとに特徴ある色が生みだされてきた。「奥原硝子製造所」の代表的な色は「ライトラムネ色」と呼ばれる淡いブルーグリーン。窓ガラスを原料にして生まれた色だ。一見透明に思える窓ガラスだが、実はうすく色がついている。

溶かす前のガラス片
溶かす前のガラス片

奥原硝子製造所では窓ガラスを製作しており、その際にでるガラスの切れ端が主な原料となる。また、窓ガラスをベースに、廃瓶などと重ね合わせてグラデーションをかけることも。稀にコバルトを使ってブルーを出すこともあるが、基本的に着色はせず、再生ガラスの霞みがかっているような淡い透明感を生かしてつくられる。

<関連の読みもの>

琉球ガラスの魅力をさぐる旅。沖縄最古の工房で知った美しい色の秘密
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琉球ガラス 作り手おすすめの使い方、洗い方、保管方法

古くから日用のうつわ、土産物など様々なプロダクトがつくられてきた琉球ガラス。奥原硝子製造所の上里さんによると、「しっかりした器なのでアウトドアにもおすすめ」とのことだ。

琉球ガラスはぽってりとした安定感と程よい厚みがあるため、壊れにくく扱いやすい。アウトドアに持っていっても安心して使えるだろう。また、光に照らされることで色が映えるため、太陽の光が降りそそぐ野外との相性もいい。

アウトドアでサラダやフルーツを盛りつけたり、冷たい飲み物を注いだり。しっかりとしていて壊れにくく、華やかさもあるからこそ開放的な場所で使ってみたくなる。

琉球ガラスでつくられた涼しげなうつわたち
琉球ガラスでつくられた涼しげなうつわたち

琉球ガラスの歴史

○ガラスづくりの始まりは明治から

沖縄にガラス製品が伝わったのは1600年代と考えられる。那覇市にある円覚寺において、1690年に「開山和尚像」が彫られた際に義眼焼玉(ガラス玉)が用いられた、との記録が残っていたためだ。

明治に入るまでは、沖縄にあったガラス製品のほとんどが本土から輸入されていた。しかし、海上輸送では途中でガラスが破損してしまうことも多かったという。

そこで、明治時代(1868年〜1912年)の中期ごろ、長崎や大阪からガラス職人を招致し、沖縄での生産が始まる。その頃の主な原料は一升瓶や醤油瓶などの廃ガラスで、火屋(ほや。ランプの火をおおう筒)や蝿取り瓶などが製作された。

○原料の枯渇と戦争の影響

第二次世界大戦のさなか、1944年10月、米軍の10・10空襲により那覇市街は焦土と化し、ガラス工房もまた壊滅的な被害を受ける。そのため、今日では大戦前に生産されたガラス製品はほとんど存在していない。

大戦後まもない頃は人々はコーラ瓶を切断してコップの代わりとしたという。戦後の物資不足、またプラスチックの登場で原料は入手困難となり、生産しづらい時期がつづく。

○再生ガラスの誕生

1950年代の終わりごろになると、駐在兵やその家族らからガラス製品の注文が舞い込むように。原料不足のなかで注文に対応しようとし、米軍の施設から廃棄されていた廃瓶を原料に生産が始まる。これが「再生ガラス」の誕生である。

原料に使われるバヤリースの瓶
原料に使われるバヤリースの瓶

当時、琉球ガラスは駐在兵やその家族らに合わせ、アメリカ的な形、装飾のものが主であった。この頃に誕生したデザインで今日まで受け継がれているものも多い。

1960年代、ベトナム戦争が開戦されると、米国と日本を行き来する駐在兵らから土産物としてガラス製品の注文が大量に集まるようになり、琉球ガラスに戦時特需(戦争による需要の拡大)が訪れる。これに伴い、県内では新しく多くのガラス工房が設立された。

○琉球ガラスの発展

1972年5月15日に沖縄が本土に返還されると、1975年に沖縄の復帰を祝って「沖縄海洋博覧会」が開催される。

これが契機となり、本土からの観光客が増加し、土産物のひとつとして琉球ガラスの需要が高まっていく。この頃になると着色剤の開発が活発になり、廃瓶などの再生ガラスの代わりに「原料ガラス」も用いられるようになる。

○県から伝統工芸品として認定

1970年代以降、土産物としての印象が強くあった琉球ガラスだが、1998年に沖縄県から「伝統工芸品」として認定された。今日では県内の17箇所にガラス工房があり、303名の職人が琉球ガラスの生産を手がけている。(工房、職人の数字は2014年時点のもの)

現在の琉球ガラス 「現代の名工」に宙吹き職人が選出

2019年11月8日、厚生労働省は伝統工芸で卓越した技術を保有しているとして、琉球ガラスの宙吹き職人である上原徳三が「現代の名工(卓越した技能者表彰制度)」に選ばれた。1967年に制度が創設されて以来、1994年の稲嶺盛吉、2001年の桃原正男についで琉球ガラスの職人としては3人目の選出となる。

関連する工芸品

奥原硝子製造所 琉球ガラスの蕎麦猪口 (中川政七商店)

津軽びいどろ

琉球ガラスのおさらい

○琉球ガラスの原料

琉球ガラスは珪砂(けいしゃ)を主原料に、石灰、ソーダ灰、泡切剤(ガラスから泡をなくすための薬剤)、着色剤などと調合。およそ1,400度の窯のなかで一晩かけて溶かされたガラスの素地は、その後、目的の形へと成形される。また再生ガラスでは廃瓶などが用いられる。

○琉球ガラスの作り方

琉球ガラスには、主に「宙吹き」と「型吹き」の2つの技法がある。宙吹きとは溶けたガラスに吹き棹で空気を送り込み、空中で形をつくる技法。型吹きとは溶けたガラスを型の中に入れてから、吹き棹で空気を送り込むという技法。宙吹きではガラスは丸くなるのが基本で、型吹きでは様々な形の製品がつくられる。

琉球ガラスの職人による宙吹きの様子
琉球ガラスの職人による宙吹きの様子

また、装飾の技法もいくつか存在している。ガラスが1,000~1,200度のときに水に浸すことで表面に細かいひびを加える「アイスラック(ひび模様)」。圧縮空気を利用してガラスの表面に金剛砂(研磨用の砂)を吹き付けて削る「サンドブラスト」。あえて細かな気泡を生みだすために、窯の中で溶けているガラスに重曹(炭酸水素ナトリウム)を加えて攪拌させることもある。

○琉球ガラスの「色」

原料の調合によって橙、青、水色、紫、ピンク、黄色、黒など様々だ。また再生ガラスの場合は独特な色を帯びる。ビール瓶や泡盛の一升瓶などからは茶系。セブンアップの瓶やシークワーサー果汁の瓶などからは緑系。バヤリース、ジャムやバターの瓶などからは透明。

○代表的な人・工房

・奥原硝子製造所(沖縄最古の琉球ガラスの工房)

○数字で見る琉球ガラス

・誕生:明治時代の中ごろ

・出荷額:約10億円(2014年時点)

・従事者数:沖縄県内に303名の職人(2014年時点)

・工房数:沖縄県内に17箇所のガラス工房(2014年時点)

・伝統的工芸品指定:「琉球ガラス」として1998年に認定

・現在の名工:7名(故人を含む。2020年4月時点)

<参考>

・秋田守 著『日本を解剖する!沖縄図鑑』JTBパブリッシング(2016年)

・第8次沖縄県伝統工芸産業振興計画(素案)

https://www.pref.okinawa.jp/site/shoko/shoko/kogei/documents/dai8jiokinawakendentoukougeisangyousinkoukeikaku.pdf
・沖縄県公文書館 過去の展示会を見る

https://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/934
・琉球ガラス村

https://www.ryukyu-glass.co.jp/
(以上サイトアクセス日:2020年06月18日)

硝子・ガラス