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ガラスとは。「液体の造形美」進化の歴史と今
硝子・ガラスとは
変幻自在な美しさを見せるガラス。実は「個体ではなく液体」とされる、ものづくりの中でも不思議な存在です。 日本ではどのように進化を遂げてきたのでしょう。ガラスとは?から日本のガラス史、さんちで取材した現在の姿まで、ご紹介します。
硝子・ガラスの工芸品
ガラスは何でできている?
ガラスの定義は、「結晶でない」「溶融物の冷却によって作られている」「無機物質である」こととされている。結晶でない、とは、分子が規則正しく並んだ「個体」ではないということ。ガラスは分子がランダムに詰まった、実は「液体」なのだ。
日本物理学会の会誌から引用すると、例えるなら「満員電車で1人が動こうとすると,周囲の人たちもいっしょに動かなければならないのと同じである。この動きが遅くなった極限がガラスである」(*)という。とても不思議な素材だ。(*日本物理学会誌第71巻第5号「ガラスは固体?液体?」より)
主な原料は、珪砂 (けいしゃ) 、ソーダ灰、石灰であり、この原料に、用途に適した他の材料を加えることで、様々な形に変化していく。
用途は住宅や自動車の窓ガラスから、パソコンやスマートフォンといった電化製品、食器やメガネなど幅広いが、この記事では、主に身近な生活道具に使われるガラスに着目していく。
まずは基本の技法を押さえよう
職人の技が光る、ガラスの代表的な技法が「宙吹き」と「型吹き」である。
「宙吹き」は、吹き棹 (ふきざお) と呼ばれる筒状の棒の先端に、高温で液状化したガラスを巻き付け、吹き棹を回しながら息を吹き込み、巨大なピンセットのような洋バシと呼ばれる道具や鋏 (はさみ) などを使って成形する技法。
「型吹き」は宙吹きと対照的で、吹き棹に巻き付けたガラスをあらかじめ作られた型にあてがって形を作る。
また、装飾をほどこす技法として、出来上がったガラスの表面に様々な道具によって切り込みを入れて格子や矢来などの文様をつける「切子」があり、江戸切子や薩摩切子が有名。
「るつぼ」はガラスづくりの必須アイテム
ガラス作りは、原料の砂である珪砂などを液状にすることから始まる。何十時間もかけて高温の熱を加え、溶かしていく装置がるつぼだ。
「興奮のるつぼと化した」など慣用句として使われる「るつぼ」だが、実はガラス作りに欠かせない存在なのだ。
<関連の読みもの>
ガラスは液体?シークレット工場見学で知った真実
さんち2周年記念ツアーは「富士山グラス」の菅原工芸硝子 (Sghr) へ 前編
https://sunchi.jp/sunchilist/kujyukuri/80485
日用の器から芸術的な贈答品まで。進化を続ける日本のガラスの今
時代の流れに合わせて多様な進化を遂げて来た様々なガラス製品が各地にある。
岡山県・倉敷で生産される「倉敷ガラス」は、作り手の小谷真三さん・栄次さん親子さんの名をとった「小谷ブルー」と呼ばれる、独特の色合いが特徴的だ。誕生の背景には大正〜昭和初期にかけて起こった民藝運動も大きく影響している。
また、明治期をはじまりとする沖縄県の「琉球ガラス」は、戦後、少ない原料を廃ガラスの活用で補い復活した、再生ガラスのものづくりが有名だ。
色ガラスの開発中に、散歩から誕生したガラスもある。1977年頃に誕生した「津軽びいどろ」は、美しい砂浜として有名な七里長浜を職人が散歩中に、浜の砂でガラスを作ることを思いつき、美しい薄緑のガラスが誕生した。現在は青森県の伝統工芸品に指定されている。
幕末で途絶えた「薩摩切子」は、製作が行われなくなってから100年以上が過ぎた1982年、百貨店で行われた展示会で復刻品が発表され注目を集めた。また東京の「江戸切子」は、1985年 (昭和60年) に都の伝統工芸品、2002年(平成14年)に国の伝統的工芸品に選ばれている。
<関連の読みもの>
世界の倉敷ガラス。その始まりはクリスマスツリーのオーナメントだった(岡山県倉敷市 小谷真三さん、栄次さんの口吹きガラス工房を訪ねて)
https://sunchi.jp/sunchilist/okayama/4915
琉球ガラスの魅力をさぐる旅。沖縄最古の工房で知った美しい色の秘密
https://sunchi.jp/sunchilist/okinawa/60931
「津軽びいどろ」とは。100通りの色彩が魅せる青森のガラス工芸
https://sunchi.jp/sunchilist/aomori/115987
幕末の「下町ロケット」 島津家が世界に誇った薩摩切子の紅色 幻の薩摩切子を現代の鹿児島に蘇らせた島津興業
https://sunchi.jp/sunchilist/satsuma/47807
江戸切子とは。和と洋のハイブリッド工芸、その歴史と現在
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/116337
注目のガラス製品
様々な産地のガラスがある中から、今注目したいガラス製品をピックアップしてご紹介。
◯醤油差しの新定番。「THE 醤油差し」
コンセプトは「世界一美しい、液だれしない醤油差し」。注ぎ口がないガラス製の蓋、現代の醤油の消費量を考慮した小さめのサイズなど、デザインと機能面に一切の妥協を許さずに作られた。シンプルなデザインなので、醤油以外にオリーブオイルなどを入れるのもおすすめだ。
醤油差しの新定番。「液だれしない」秘密は青森のガラス工房にあり
https://sunchi.jp/sunchilist/aomori/101550
◯みんなの基準になる器ってなんだろう?から生まれた「THE GLASS」
「THE GLASS」はTHE 醤油差しと同じブランド「THE」のアイテムの一つ。人はその時々の飲みたい量によって、適したサイズのグラスを選んでいるのではないか?という視点から作られた商品。
デザインのゼロ地点 第6回:グラス
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/24068
◯これからのガラスを考える新ブランド「TOUMEI」
「TOUMEI」は、ガラス作家の高橋漠さんと和田朋子さんが2016年 (平成28年) に設立したブランド。洋服のように器やガラス製品も若者に気軽に手に取ってもらえるようにしたい、と考えて作られた個性的な作品が並ぶ。
シンプル、だけど無個性じゃないもの ──ガラスブランド「TOUMEI」が目指すものづくり
https://sunchi.jp/sunchilist/fukuoka/11404
◯ガラス作家 安土草多さんのランプ
安土草多さんが作るランプには、どこか暖かみがある。窯作りから自身で行い、全ての工程を一人でこなすこだわりの作品は、ひとつひとつ表情が異なり、人気を集めている。
ガラス作家 安土草多さんの「魔法のランプ」で、暮らしの景色が変わる
https://sunchi.jp/sunchilist/hida/46329
◯めでたくて美しい、菅原工芸硝子の「富士山グラス」
2008年 (平成20年) のTokyo Midtown Award デザインコンペで審査員特別賞を受賞したグラス。飲み物を注ぐと、縁起が良いとされる富士山が現れるという洒落たデザインになっている。
新成人のお祝いに。めでたくて美しいガラスの贈り物(熟練の職人がつくる「富士山グラス」)
◯金魚が泳ぐ江戸切子
通常の江戸切子は幾何学的な模様が多く、硬いガラスを彫って模様を作る切子に曲線は難しいとされた。
しかし伝統工芸士の但野英芳さんは、曲線を描くための道具から見直し、やわらかな曲線で金魚や植物などのデザインを見事に描き、江戸切子の常識を覆した。
金魚が泳ぐ江戸切子。但野硝子加工所の進化する職人技術
https://sunchi.jp/sunchilist/koto/70297
◯耐熱ガラスメーカーの挑戦。HARIOのアクセサリー
耐熱ガラスは様々なガラスの中でも軽いのが特徴で、アクセサリーとして身に付けやすい。HARIOは唯一日本国内に工場を持つ国産の耐熱ガラスを生産するメーカーで、アクセサリーは一つ一つ手作りで作られる。欠けたり割れてしまった場合でも、修理に出して使い続けられるのが嬉しい。
ハリオのアクセサリーは使い手にも職人にも優しい。ランプワークファクトリーで知る誕生秘話 HARIO Lampwork Factory
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/101908
ガラスの歴史
◯はじまりは弥生時代?正倉院にも残る記録
日本でのガラスの歴史のはじまりは、弥生時代後期 (2〜3世紀) とされている。
発掘調査でこの頃のガラス工房かと推測される跡が岡山県岡山市にある鹿田遺跡より見つかっているが、この時代のガラスがどのように製造されていたのかは不明のままである。
ガラス製造に関する記述は正倉院の『造仏所作物帳』に記されており、734年 (天保6年) 頃のガラスの原料や製造方法が明らかになっている。
古墳時代は主に勾玉、角型きりこ玉、とんぼ玉、腕輪などが作られ、その後の飛鳥時代や奈良時代では、仏教に関わる道具にもガラスが使われるようになった。
◯平安から室町にかけて途絶えた日本のガラス作り
発展していたガラス作りであったが、室町時代の末期には廃れてしまう。
これは平安時代に入り、新たに磁器製品が加わったことや戦や情勢などの影響があったことなどから徐々に衰退していったのではないかと推測されている。この時期のガラスは、「玻璃 (はり) 」または「瑠璃 (るり)」という名で呼ばれた。
◯安土桃山時代の長崎で復活
安土桃山時代、1570年に肥前国の大村藩主であった大村理博が、長崎の地で海外と貿易を開始したことがガラス製造の復活への足掛かりとなった。
貿易が始まった年に、ポルトガル人がガラス工場を建設。1573年にオランダ人から、江戸時代に入ってからは中国からもガラスの製法を教わった。
ガラスの呼び名も変わり、この頃のガラスはポルトガル語が由来の「ビードロ」やオランダ語由来の「ギャマン」と呼ばれた。
◯大阪、江戸への広まり
ガラスづくりが長崎から大阪、江戸へと広まったのには播磨屋清兵衛 (はりまや・せいべい)と長島屋半兵衛という二人の人物が大きく関わる。長崎の商人であった播磨屋清兵衛が1751年に大阪、1711〜1715年頃には長島屋半兵衛が江戸でガラスの製造を行ったことで、それぞれの地域へ広まった。
さらにその後、江戸でガラス製品を広めた人物として、加賀屋の皆川久兵衛、上総屋の在原留三郎の名があげられる。
皆川久兵衛は江戸で金属丸鏡や紐付眼鏡を作り、在原留三郎はかんざしや風鈴の製造に力を注ぎ、江戸切子誕生のきっかけを作った。また皆川久兵衛の弟子の四本亀次郎が、薩摩でのガラス工場開設に呼ばれたことで、切子の技術が薩摩に伝わり「薩摩切子」が生まれたといわれている。
◯明治の殖産興業政策で盛り上がりを見せる
1873年 (明治6年) に日本初の西洋式ガラス工場「興業社」ができたが、1876年 (明治9年) に 政府に買収され、「品川硝子製作所」へと生まれ変わった。
政府の運営によって幅広い製造に取り組んだ品川硝子製作所であったが、業績は苦しく、1885年 (明治18年) に西村勝三へ払い下げられ民営と戻る。
1888年 (明治21年) 、西村勝三が「有限会社品川硝子会社」を立ち上げた。ビール瓶の製造が軌道に乗り好調な時期もあったが長くは続かず、1892年 (明治25年) に解散。
1890年頃、職人の数は東京で約50名、大阪で約100名、名古屋では34名だったという。
この時期のガラス製造に携わった職人たちが独立し、工場の増加とともに明治末〜大正期にかけてガラス工業の大きな成長が見られ、後に現在の産地形成へと繋がっていった。
<関連の読みもの>
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https://sunchi.jp/sunchilist/nagasaki_/50696
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https://sunchi.jp/sunchilist/satsuma/116284
300年続く、風鈴の透明
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めがね列伝
なぜ鯖江は世界的なめがねの産地になったのか
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ガラスの使い方、洗い方、保管方法
◯使い方
一般的な食器のガラスは耐熱ガラスでない限り、急激な温度変化に注意する。
◯洗い方
中性洗剤を使用。明治以前の器は、お湯をさけ水洗いがよい。
◯保管方法
積み重ねたり、硬いものと当たらないようにした保管がよい。
関連する工芸品
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鯖江のめがね
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ガラスのおさらい
◯素材
・珪砂
・ソーダ灰
・石灰◯主な産地
・津軽びいどろ : 青森県・江戸切子 : 東京都
・倉敷ガラス : 岡山県
・薩摩切子 : 鹿児島県
・琉球ガラス : 沖縄県
◯代表的な技法
・宙吹き : 吹棹を回しながら息を吹き込み、洋バシなどの道具で成形・型吹き : 型にあてがって成形
・プレス : 雌型と雄型と呼ばれる二つの型を押し合わせて成形
・スピン : 金型を回転させた遠心力を利用した技法
・延ばし : ヘラを使ってガラスを延ばしていく装飾技法
<参考>
・戸澤道夫 編『日本のガラス その見方、楽しみ方』里文出版 (2001年)
・NHK「美の壺」制作班 編『美の壺』NHK出版 (2007年)
・山口勝旦 著『江戸切子』里文出版 (2009年)
・財団法人 伝統的工芸品産業振興協会 監修『ポプラディア情報館 伝統工芸』ポプラ社 (2006年)
・MD事業部 編『ニッポンを解剖する!沖縄図鑑』JTBパブリッシング (2016年)
・高良松一 著「琉球ガラス工芸の文化」『沖縄県立博物館紀要』第15号、pp. 37〜50 (1989年)
・高良松一 著「琉球ガラス工芸の文化 2」『沖縄県立博物館紀要』第16号、pp. 21〜36 (1990年)
・一般社団法人 東部硝子工業会
http://www.tobu-glass.or.jp/
・経済産業省 伝統工芸品
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/nichiyo-densan/index.html
・一般社団法人 日本物理学会『ガラスは固体? 液体?』
https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2016/05/71-05_70fushigi09.pdf
(以上アクセス日 : 2020年4月19日)
<協力>
日本ガラス工芸協会
http://www.jgaa.net/
<トップ画像提供>
江戸切子協同組合
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