日本全国
「金工品」とは。食器から日本刀まで、金属加工の歴史と現在
金工品とは
金属を加工してつくられる「金工品」。 金沢の金箔、新潟燕の燕鎚起銅器、沖縄の婚礼文化と結びつきのある銀細工など、日本各地で独特な金工品が発展してきました。 見渡してみると、鍋や包丁、針など普段からお世話になっているあれも、これも。私たちの周りのいたるところに金工品はあります。
金工品の工芸品
金工品とは。金属を加工してつくられる工芸品
金工品とは金属を加工してできる工芸品の総称である。主な素材には金・銀・銅・鉄・錫・玉鋼(たまはがね)・アルミニウム・ステンレス・プラチナ・チタンなどがある。
また、鋳型(いがた)に溶けた金属を流してかたちをつくる鋳金(ちゅうきん)、金属板を金槌で叩いてかたちをつくる鎚金(ついきん)、熱した金属を木槌で叩いてかたちをつくる鍛金(たんきん)、タガネなどで金属の表面を彫って模様をつける彫金(ちょうきん)、と大きく4種類の技法が存在している。
日本では古くからこれら様々な素材、技法を用いて金工品がつくられてきた。鍋や釜、アクセサリーなどの日用品から、茶道具や日本刀、梵鐘など。中には、1975年(昭和50年)に国から伝統的工芸品に指定された南部鉄器や高岡銅器のように、海外にも輸出され、国内外で高い評価を得ているものも多い。
<目次>
モノで見る日本の金工品。一生ものの道具から日常でお世話になっているアイテムまで
素材で見る日本の金工品。金・銀・銅・鉄・錫・玉鋼
金・銀・銅・鉄・錫・玉鋼など、金属にはそれぞれに独特の質感や性質があり、日本各地で様々な金工品がつくられてきた。
○「金」代表産地はシェア99%・金沢の金箔
2017年時点で地球上には約19万トン(オリンピックプール4杯分)しか流通していないという「金」。かつて日本には新潟県の佐渡、福島県の高玉など各地に金山があり、世界的な産出国であった。現在では鹿児島県の菱刈金山で産出されるのみ。
金は延展性(圧力を加えたときの変形のしやすさ)が高く、日本では「金箔」(金に微量の銀や銅を混ぜて、1万分の1ミリの薄さにまで伸ばしたもの)にして器や食べ物の装飾に活用する文化が発達してきた。国内で生産される金箔のうち、およそ99%は石川県金沢で作られている。これは加賀藩(現在の石川県)の初代藩主・前田利家のころから藩をあげて金箔の製造を推進してきたこと、そしてこの地で能や茶の湯が盛んであったことが背景にある。
また、金はその美しさから、金属の表面にみぞを彫り、そこに溶かした金を埋めこむ「象嵌(ぞうがん)」のように、他の作品の装飾に用いられることも多い。
<関連の読みもの>
見て、触れて、食べられる工芸品。金沢・ひがし茶屋街で金箔尽くしの旅
○「銀」 かつて日本は世界有数の産出国であった
金と同様に、貴金属の一種として高値で取引される「銀」。かつて日本は世界有数の産出国として知られ、1500年ごろから島根県の石見、兵庫県の生野、秋田県の院内など各地の銀山で産出していた。1600年代前半には日本が銀の産出量で世界の3分の1を占めていた、との記録も残っている。
銀はその美しさから宝飾品として、サビにくい特性から食器として、電気伝導率や熱伝導率の高さから工業製品として、様々な用途に使われてきた。
工芸品としては、江戸中期ごろに東京で生まれ、1979年(昭和54年)に国の伝統工芸品に指定された「東京銀器」や、世界で唯一「金細工またよし」でつくられる沖縄伝統の純銀のエンゲージリング「房指輪」が知られる。
<関連の読みもの>
沖縄「金細工またよし」のジーファー、房指輪はどうやって作られているのか
○「銅」新潟・燕鎚起銅器は芸術的な美しさ
日本では弥生時代(紀元前300年ごろ)から使われていたとされる「銅」。かつての日本では栃木県の足尾、愛媛県の別子など各地で銅山が盛んに開発されていた。1697年(元禄10年)には年間6,000トンの銅が産出しており、当時は日本が世界一の産出国であったそう。現在は100%を輸入に頼っている。
銅は融点が1,084度と金属のなかでは低く、加工しやすい。また、耐食性、電気伝導性、熱伝導性に優れることもあり、古くから鍋や釜、やかんなど、銅を用いた様々な日用の工芸品が各地でつくられてきた。
中でも、新潟県の燕市でつくらる「燕鎚起銅器」は、1枚の銅板を鎚(つち)で打ち延ばしたり、絞ったりしてやかんなどの製品を作るというもので、その芸術的な美しさと高い技術力から、1981年に国の伝統工芸品の指定を受けている。
<関連の読みもの>
○「鉄」南部鉄瓶は鉄分も摂れると人気
地球上の金属でもっとも多く存在している「鉄」。現在では100%を輸入に頼っているが、かつては岩手県の釜石を始め、各地で良質な鉄鉱石が産出していた。また、日本には砂鉄(磁鉄鉱)が広く分布しており、古くから砂鉄から鉄を生成する「たたら製鉄」という独自の技術が確立されてきた。
鉄は鍋や釜などの日用品を中心に、テレビやスマートフォンなど身の回りのあらゆる製品に使われており、私たちの生活にもっとも馴染みの深い金属である。
中でも、岩手県の盛岡市と奥州市でつくられる「南部鉄器」は、お湯を沸かすことで湯のなかに鉄分が溶け出すため、鉄分補給ができると人気。1975年(昭和50年)には国の伝統的工芸品に指定され、その高い技術力とデザイン性の高さから日本のみならず海外からも高い評価を得ている。
<関連の読みもの>
○「ステンレス」調理道具などでおなじみ
鉄に10.5%以上のクロムを添加し錆びにくくした「ステンレス(正式名称:ステンレス鋼)」。日本では「不銹鋼(ふしゅうこう)」とも呼ばれ、その配合はJIS規格(耐熱鋼規格を含む)だけで100種類以上が存在している。
「Stainless Steel(サビにくい鋼)」という意味で、高い耐食性をもつ。さらに、耐熱性や丈夫さなどにも優れることから、スプーンやフォークなどの食器、包丁やザルなどの調理器具、と台所ではおなじみの金属である。
また、自動車や医療機器、浄水場や発電所、各製造プラントなどにも使われている。まさに、私たちの暮らしを支えている素材なわけだが、実は、世界に登場してからわずか100年、と他の金属に比べてまだ新しい。
<関連の読みもの>
○「錫」鹿児島では焼酎づくりにも活躍
金や銀についで、高価とされる「錫(すず)」。日本には1200年から1300年ごろに中国からその加工技術が伝わったとされる。なお、鹿児島県の谷山、兵庫県の明延、富山県の亀谷など、かつては各地に大規模な錫鉱山があった。
錫はおよそ230度で溶けだすほど融点が低く、冷めても比較的に柔らかいため、加工に他の金属ほどの大規模な設備を必要としない。イオンの効果が高く、水を浄化してくれることから、錫の器に入れた水は腐らない、と言われている。
これらの特性を生かし、富山県高岡市にある鋳物メーカー「能作」では錫を使った酒器、曲がる「KAGO」シリーズなどを開発し、国内外から注目を集めている。また、鹿児島県では芋焼酎づくりに錫製の管「錫蛇管(すずじゃかん)」が使われている。できた原酒は雑味が少なく、まろやかな風味に仕上がるという。
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お祝いや贈答品に選ばれる能作の「酒器」は、こんな風に作られていました
○「玉鋼」日本刀はこの原料がなければ作れない
鉄に1から1.5%の炭素を含ませてできる「玉鋼」。日本古来の製鉄法「たたら製鉄」で、砂鉄を原料に、木炭を燃料としてつくられる。この技術は古墳時代以降、1000年以上の年月をかけて江戸時代に「近世たたら」として完成された。
明治期以降、近代工業化が進むなかで大量生産の技術に押されて一時は途絶えたものの、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 (日刀保)、日立金属株式会社、鉄師の安部由蔵 (あべ・よしぞう)や久村歓治(くむら・かんじ)らによって復活。現在は、日本で唯一たたら操業を行う奥出雲町の「日刀保たたら」で生産される。
なお、かつては人斬りを極限まで突き詰めた道具であり、今日では美術品としてつくり続けられる「日本刀」にはこの玉鋼が欠かせない。他の元素の含有量がとても低く、合金として極めて純粋な玉鋼の成分バランスは、『折れず、曲がらず、よく切れる』ことが求められる日本刀にとって最適な素材なのだ。
<関連の読みもの>
日本刀の原料は人にしか作れない。超高純度の鋼「玉鋼」の製法とは
産地で見る日本の金工品。
新潟県の燕鎚起銅器、岩手県の南部鉄器、富山県の高岡銅器、東京都の東京銀器、大阪府の堺打刃物、と各地に金工品の産地があり、独自に発展を遂げてきた。
○オープンファクトリーの先駆け、燕三条
新潟県のほぼ中心に位置する燕市と三条市を合わせた地域「燕三条」は、刃物・金物や洋食器の生産が盛んなエリア。中でも、燕市はナイフやフォーク、スプーンなどの金属洋食器で、国内シェアの90%を占める一大産地として知られる。
2013年からは燕市と三条市が合同で工場見学イベント「燕三条 工場の祭典」を開催し、2016年には約35,000人もの来場者数を記録。普段は閉ざされている町工場のものづくりの技術を、楽しみながら身近に感じられる取り組みとして、新しい地域活性のモデルケースとなっている。
また、燕三条発の金工品のブランドも数々立ち上がっている。燕市にある製作所「大泉物産」と、プロダクトブランド「THE」がタッグを組み、カトラリーの個々の機能を特化させた「THE カトラリー」や、燕三条の問屋「和平フレイズ株式会社」が「made in 燕三条」を掲げ、複数の製作所とコラボして誕生したキッチンウェアブランド「enzo」など。これらは個々のメーカーの強みや個性を生かした燕三条ならではの新しいプロダクトだ。
<関連の読みもの>
世界に誇る伝統の鍛冶産業 時代と共に進化を続けるものづくりのまち
「無理だ」から始まった工業と工芸の融合。常識を覆す「THE」カトラリー
職人のありえないコラボから生まれた、燕三条のキッチンウェア「enzo」
○日本の銅器づくりの90%を支える町、高岡
富山県高岡市は銅器づくりにおいて国内シェアの90%以上を占める、鋳物の町。小学校によくある二宮金次郎像も、大晦日に響く除夜の鐘も、その多くが実は高岡で作られている。最近では奈良が誇る世界遺産「薬師寺」の一大修理プロジェクトに高岡の15社以上の製作所が参加。地域では職人たちの案内で工場や関連施設をめぐるツアー「高岡クラフツーリズモ」が毎年開催されるなど、鋳物の町・高岡の伝統は進化を遂げながら受け継がれている。
<関連の読みもの>
「高岡銅器」とは。日本の銅器づくりの90%を支える町の歴史と今
薬師寺東塔 大修理に挑んだ匠たちの現場レポート。「凍れる音楽」は今、どうよみがえったのか?
モノで見る日本の金工品。一生ものの道具から日常でお世話になっているアイテムまで
いつかは手に入れたい「一生もの」や毎日使いたい気の利いた日用道具まで、さんちで取り上げてきた全国の金工品を紹介する。
○南部鉄瓶
岩手県の伝統的工芸品。鉄瓶で水を沸かすと塩素が抜けて味がまろやかに、そのお湯で茶やコーヒーを淹れるとより一層美味しく感じさせてくれる。
○目細八郎商店の針
手のひらサイズの箱に入ったお裁縫セット。小さいながらも針は江戸時代に加賀藩主に認められた品で、糸が通しやすく、針運びがスムーズで扱いやすい。
この縫い針には簡単に糸が通る。「目細八郎兵衛商店」の針が使いやすい理由
○能作の酒器
高岡市の鋳物メーカー「能作」がつくる錫(すず)製の酒器。錫はイオンの効果が高く、水を浄化するため、お酒の雑味が抜けてまろやかな味になると言われる。そのデザイン性の高さから、贈答品としても喜ばれている。
お祝いや贈答品に選ばれる能作の「酒器」は、こんな風に作られていました
○うぶけやの毛抜き
1783年創業、東京の刃物屋「うぶけや」。その毛抜きは「うぶ毛でも剃れる・切れる・抜ける」と評判で、時には欠品してしまうこともあるほどの人気ぶり。
○SUWADAの爪切り
新潟県三条市にある鋳造メーカー「諏訪田製作所」が作る爪切りは使いやすさ、切れ味の良さが自慢で、ネイルアーティストや医療関係者にも愛用者が多い。
○冨士源刃物製作所のくじらナイフ
子どもの鉛筆削り用として生まれたナイフ。試作品のデザインが、高知のシンボルのひとつであるクジラに似ていたことからクジラ型になった。高知県の土佐打刃物の職人ワザが詰め込まれており、使っていて心地のいい切れ味が続く。
「くじらナイフ」を子どもの贈りものに。ただ一人の職人が叶えた切れ味と使い心地
○龍泉刃物のステーキナイフ
福井県越前市の刃物メーカー「龍泉刃物」が手がけるステーキナイフ。最高の切れ味をもつそのナイフは世界のシェフが絶賛し、現在は注文してから約4年待ちという。
世界で愛される越前発のものづくり〜各国のシェフたちが絶賛した越前打刃物のステーキナイフ〜
○開花堂の茶筒
蓋を茶筒の口にそっと合わせれば、すーっと落ちて蓋がぴったり閉まる。使い込むほどに色合いが変化していく開化堂の茶筒は、長く一生ものとして使える。
○金網つじの焼き網
手で編みこんで作る京金網の工房「金網つじ」の焼き網。パン焼きにも人気で、コンロに乗せ、パンをほんの1、2分炙ると、表面はカリッ、中はふわふわに焼きあがる。
○明珍火箸の風鈴
平安時代から甲冑師として名を刻む「明珍家」の次期53代目・明珍敬三。彼の風鈴からはリーン、キーン、チリーンと3種類の音が混じりあったような音が響く。
スティービーワンダーが絶賛した風鈴は、武田信玄の甲冑から生まれた。平安時代から続く明珍家のものづくり
○MESHザル
京都の「金網つじ」の代表が目利きした金ザル「MESHザル」。丈夫で使いやすいく、脚の部分がないため洗いやすい。現代らしい「用の美」を兼ね備えた逸品である。
○スノーピークのペグ
スノーピークのペグ「ソリッドステーク」は、創業の地、新潟県三条伝統の、和釘作りと同じ技術で鋳造されたもの。硬い地面、柔らかい砂地でもしっかりとテントを固定できる。
金工品の豆知識
○工芸の「工」の字は鍛治が由来?
工芸品には陶磁器や漆、木工、織物、染色などさまざまな分野のものがあるが、実は、工芸の「工」という文字は、象形文字で握りのついた「のみ」、あるいは鍛冶に用いられる「台座(金床 かなとこ)」を表したものが由来とされる。そこから手先や道具を使ってものをつくるという意味になり、さらに、ものをつくることそのものが上手であることを指すようになったと考えられている。
<関連の読みもの>
工芸とは。ことばの意味と、歴史・現在・未来
「工芸」の起源は鍛冶にあり?
○「鉄は熱いうちに打て」は鍛金から生まれたことわざ
「鉄は熱いうちに打て」ということわざは、「鉄は熱いうちに打つからこそ、いろいろなかたちになる」ことから、「人間もまた考え方が柔軟な若いうちに鍛えておくべき」という意味で使われる。また、「相槌(あいずち。相手の話に合わせてうなづいたり、言葉をはさむこと)」という言葉は、鍛治で二人の職人が息を合わせて交互に鎚(つち)を打ち合わす様子からできたと考えられる。
○日本有数の金物の町、燕三条の「社長」と「ラーメン」文化
金工品の産地として知られる新潟県の燕三条。数多くの工場が軒をつらねるこのエリアは、日本有数の「社長の町」であり「ラーメンの町」でもある。中でも燕市は「背脂ラーメン」で有名。高度経済成長時代の昭和30年代、燕三条の金属工場はどこも忙しかったため、出前の夜食を取ることが多く、そのなかで人気があったのがラーメンであった。工場の仕事では汗をかくことが多いため塩味は強めに、麺はのびにくいように太め、背脂のせることで冷めにくく、と独自の「ラーメン文化」が発展していったわけだ。
<関連の読みもの>
燕背脂ラーメンの元祖、金属工場の町で育まれた杭州飯店の中華そば
金工品にまつわるすごい人・すごい技
「さんち」でこれまで出会ってきた、金工品にまつわるすごい人・すごい技を一挙紹介。
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知る人ぞ知るプロ用はさみ。全国の美容師が指名買いする「菊井鋏製作所」異色の“京大卒”三代目が目指すはアメリカ進出
金工品の使い方、洗い方、保管方法
金工品は適切な使い方、手入れをすることで長く使えるものが多い。中には、親から子へ、孫へと何代にもわたって受け継いでいけるものもある。
ここでは、代表的ないくつかの金工品の使い方や保管方法について紹介する。
○爪やすりの使い方
○包丁の手入れ
○トーストを美味しく焼く、焼き網の使い方
京都の鍛金工房WESTSIDE33で「行平鍋」をメンテナンス。10年使った愛用品がプロの手で蘇る
○鋼の包丁の選び方・お手入れ方法
「鋼の包丁」の魅力とは。料理好きおすすめの1本からお手入れ方法まで
金工品の歴史
○弥生時代
日本における鉄器・青銅器といった金属器の始まりは紀元前4世紀から紀元前3世紀ごろ。稲作の開始とともに、大陸から鉄や青銅の製法が伝わったとされる。鉄製の工具がつくられるようになると、住まいは複雑なつくりが可能となり、農具の性能も向上した。また、銅剣、銅鏡、銅鉾(どうほこ)、銅鐸(どうたく)などが、主に祭事用の道具として作られた。
○奈良時代
6世紀の中ごろになると、朝鮮半島から仏教が伝わる。同時に、仏像や寺をつくる中国や朝鮮の技術者も多く渡来してきた。このときに日本に伝わった技術が、その後の木工や金工、製紙など様々な工芸の発展に繋がっていく。なお、鋳物(いもの)や鍛造(たんぞう。金属のかたまりや板を叩いてかたちをつくる)、彫りや飾り、メッキといった金属加工の技術は、この頃に始められていたとされる。
○平安/鎌倉時代
平安時代、894年に遣唐使(現在の中国に派遣されていた使節)が廃止される。その後、中国から伝わった文化に日本独自の美意識が加わった国風文化ができあがる。京都の平等院鳳凰堂に安置されている、柔らかな表情が印象的な阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)はこの国風文化の代表作と言える
鎌倉時代に入ると、政治の表舞台で武士たちが存在感を発揮してくる。刀を専門につくる刀鍛治が登場し、鍛治や鋳物などの職人が地位を得ていく。この頃の中国との貿易では、刀剣も輸出品目のひとつであった。また、これまで宗教色が強かった銅鏡に代わり、日用向けの和鏡がつくられるようになる。
○安土桃山時代
1543年、種子島(現在の鹿児島県)にポルトガル人が漂着したのをきっかけに、ポルトガルやスペインとの貿易、いわゆる「南蛮貿易」が始まる。これによりヨーロッパの文化、技術が伝えられ、日本の工芸品に様々な影響を与えた。
この頃の刀は実用的なものから、次第に装飾的なものが重視されるようになり、彫物やメッキなどが施されていく。対して、鏡はより実用性を強めていき、手に持ったまま姿を写せる柄鏡(持ち手のある鏡)がつくられるようになる。
○江戸
江戸時代には一転して鎖国(外国との貿易、人の行き来を制限してく政策)が行われ、日本の工芸品は独自の発展を遂げていく。各藩では手工業の技術者たちを城下町の特定の区域に招致し、保護や育成をしていた。現在まで続く特色ある手工芸の産地は、この頃に形成されたものも多い。
富山県高岡市の「高岡銅器」は1611年に加賀藩主が、鋳物師(いもじ)と刀装彫金師(刀のかざりの職人)を招いたのがきっかけ。岩手県の盛岡市と奥州市でつくられる「南部鉄器」は1659年に南部藩主が京都から御釜師・小泉五郎七清行を招いて、茶の湯釜をつくらせたのが始まりとされる。
また、新潟県燕三条で起こった「越後三条打刃物」や「燕鎚起銅器」は、明暦年間(1655年から1658年)のころに一帯を支配していた村上藩主の命で鍛治師が移転してきたこと、この地の農民が農閑期に内職として和釘をつくっていたこと。そして、1764年以降に開発が始まった間瀬銅山(まぜどうざん)の影響もあって誕生したと考えられる。
○明治
明治期に入ると、政府の産業保護育成政策(産業の育成・発展をはかるための政策)により、鍛治は鍛治工、鋳物師は鋳物工のように多くの工芸品の職人たちが工場労働者に転身していく。また、刀の需要がなくなった金彫師が装剣具の彫刻をやめて煙草入れの金具の彫刻をしたり、甲冑鍛治が鋳物師となったりと、これまで特定の分野で活躍していた職人もまた転業を余儀なくされていった。
この後、政府は工芸品の輸出を重視した政策に方向転換をしていく。1873年(明治6年)に開催されたウィーン万博博覧会に、日本から銅器や陶磁器などの工芸品を出品し、ヨーロッパを中心に高い評価を得たことで、日本は「美術工芸の国」として認知されるようになっていった。
○大正昭和
大正時代になると、海外からモダンなデザインの工芸品が輸入されるようになり、当時の工芸品にも多大な影響を与えた。また、1928年(昭和3年)に政府によって仙台に工芸指導所(現在の産業技術総合研究所東北センター)が設立され、各都道府県にも同様に指導所や試験場ができ、工芸品の技術開発と工業化が進められていく。
昭和時代、第二次世界大戦の開戦にともない軍需品の生産が重視されるようになり、多くの工芸品が衰退してしまう。この影響は戦後の復興とともに解消されていくものの、高度経済成長からの大量生産、大量消費の流れ、さらに人々の生活様式の変化の中で、工芸品の需要は減退していく。今日では技術者の高齢化、継承者不足で悩みを抱える工芸産地も多いが、新潟県の燕三条エリアでの大規模工場見学イベントが人気を博すなど、各地域で産業活性に向けた取り組みが行われている。
関連する工芸品
・洋食器
・高岡銅器
金工品の基本データ
○素材
・金
・銀
・銅
・鉄
・錫
・玉鋼
・ステンレス
・アルミニウム
・プラチナ
・チタン
○主な産地
・新潟県長岡市:越後与板打刃物
・山形県山形市:山形鋳物
・長野県長野市/千曲市/上水内郡信濃町/飯綱町:信州打刃物
・東京都特別区(港区を除く)/武蔵野市/町田市/小平市/西東京市:東京銀器
・福井県越前市:越前打刃物
・大阪府大阪市/松原市/羽曳野市/東大阪市:大阪浪華錫器
・大阪府堺市/大阪市:堺打刃物
・兵庫県三木市:播州三木打刃物
・高知県高知市/安芸市/南国市/須崎市/土佐清水市/香美市他:土佐打刃物
・熊本県熊本市:肥後象がん
○代表的な技法
・鋳金:砂や粘土などでつくられる型に、溶けた金属を流しこむ
・鍛金:金属のかたまりや板を熱し、木槌で打ってかたちをつくる
・鎚金:1枚の金属板を金槌で叩いて曲げて、立体的なかたちをつくる
・彫金:タガネなどを用いて、金属の表面を彫って模様を描く
○数字で見る金工品
・誕生:日本では紀元前4世紀から紀元前3世紀ごろ
・生産額:68億9千2百万円(2002年時点)
・従事者(社)数:全体で1,056社、3,910人(2002年時点)
・伝統的工芸品指定:南部鉄器(1975年)、山形鋳物(1975年)、高岡銅器(1975年)、東京銀器(1979年)、越前打刃物(1979年)、燕鎚起銅器(1981年)、信州打刃物(1982年)、堺打刃物(1982年)、大阪浪華錫器(1983年)、越後与板打刃物(1986年)、播州三木打刃物(1996年)、土佐打刃物(1998年)、肥後象がん(2003年)、三条打刃物(2009年) 他
<参考>
・遠藤元男 著/竹内淳子 著『日本史小百科 11 工芸』株式会社 近藤出版社(1980年)
・小桜浩子 編『ポプラディア情報館 伝統工芸』株式会社ポプラ社(2006年)
・萌樹舎 編『シリーズ「日本の伝統工芸」第3巻 金工品<南部鉄器>』株式会社リブリオ出版(1988年)
・一般社団法人 JCBA 「日本伸銅協会 銅の歴史」
http://copper-brass.gr.jp/copper-and-brass/copper/history
・K.G.B 「銀の特徴とその用途とは?
https://www.kgb.co.jp/knowledge/190215/
・薩摩錫器工芸館 「薩摩錫器の世界」
https://www.satsumasuzuki.co.jp/?mode=f2
・新日鉄住金 「鉄鉱石って、なに?その生い立ちに迫る」
https://www.nipponsteel.com/company/publications/quarterly-nssmc/pdf/2017_18_10_13.pdf
・「錫の歴史」
https://www.takumi-suzukou.com/hpgen/HPB/entries/2.html
・ステンレス協会 「ステンレスとは」
http://www.jssa.gr.jp/contents/about_stainless/key_properties/
・住友金属鉱山株式会社 「菱刈鉱山のココがすごい!」
https://www.smm.co.jp/special/hishikari/
・第一商品 「金の魅力と特徴」
https://www.dai-ichi.co.jp/gold/charm.asp
・伝統的工芸品産業振興協会 「伝統工芸産業概要統計」
https://www.japanfs.org/ja/files/s-4data.html
・東京都伝統工藝士舎 「東京銀器」
https://www.dentoukougei.jp/tokyo/05.htm
・日鉄鉱業株式会社 「釜石鉱山の歴史」
https://www.nittetsukou.co.jp/karematuzawa/2.html
・日立金属 「たたらとは」
https://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0108.htm
(以上サイトアクセス日:2020年6月4日)
<協力>
高岡市デザイン・工芸センター
https://suncenter.co.jp/takaoka/
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