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伊勢型紙とは

日本の「染め」を支える精密な技と歴史

伊勢型紙

友禅や江戸小紋の着物、注染の手ぬぐいなど、様々な柄が楽しめる「型染め」のぬの。その柄は、「型紙」と呼ばれる染色用の台紙によって染められています。

中でも「伊勢型紙」は、日本の染色に無くてはならない道具です。

伊勢型紙の技や歴史を見ていきましょう。

伊勢型紙とは。繊細な柄を写す技

錐彫り (古代菊)

伊勢型紙とは、三重県鈴鹿市の白子・寺家・江島地区で作られる染色用の型紙。現在も、国内で流通する型紙の99パーセントが鈴鹿市白子地区で作られている。

1619年頃から紀州藩の手厚い保護を受け、飛躍的に発展を遂げた。繊細な柄を彫り出す技術が磨かれ、染物の重要な道具として現代まで受け継がれている。

伊勢型紙は、強靭で保存性の高い美濃和紙に柿渋を塗り、繊維が縦方向のものと横方向のものが交互重なり強度が上がるように3〜4枚貼り合わせ、再度柿渋を塗って乾燥させ、まず型地紙を作る。そこに着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いていったものが、布地を染める際に用いる型紙になる。1983年には、「伊勢形紙」の名前で国の伝統的工芸品 (用具) に指定された。

ここに注目。伊勢型紙は日本の染物を支える必須道具

微細な柄や精巧な技を競い合う風潮とともに技術が発展した伊勢型紙は、現在も日本の染物を支える道具となっている。

伊勢型紙
注染の技法で手ぬぐいが染められている様子
伊勢型紙
何枚もの型紙を用いて、多色染がされる型友禅
伊勢型紙
江戸小紋のような精緻な柄も、型紙に彫られた絵柄から生まれる

伊勢型紙 技法と模様

修行を積んだ職人の手によって作り出される伊勢型紙。地紙に彫刻刀で図柄を彫りぬいていく。彫刻技法は大きく4種類あり、技法ごとに彫刻刀も使い分ける。それぞれの特徴を見ていこう。

○縞彫り

引彫り (縞)

縞を彫刻するための技法。引き彫りとも呼ばれる。定規と彫刻刃を使って均等に縞柄を彫っていく。一見単純作業のようだが、1本の縞を彫るのに同じ場所を三度続けて小刃でなぞる必要があるため、正確な技術無くして彫り出すことができない。最も細かいものは、1センチメートル幅に、最大で11本もの縞を彫ることもあり (「極微塵」と呼ばれる) 、熟練の技術が必要とされる。

○突彫り (つきぼり)

突彫り (縞と流水に花)

5〜8枚重ねた型地紙の4辺をこよりで留め、刃先を手前から向こうへ垂直に突くようにして彫刻する技法。特に絵画的な文様に向くとされる。彫り口が微妙に揺れるので独特のあたたかな風合いが出るのが特徴。

○道具彫り

道具彫り (菊菱)

刃先が花、扇、菱などの形にかたどられている彫刻刃を使って文様を彫り抜く技法。この技法は道具造りから始まり、道具の出来栄えが作品を大きく左右する。文様が均一になること、形を組み合わせた多様な表現できることが特徴。江戸小紋では、よく用いられる技法で、俗に「ごっとり」とも呼ばれる。

○錐彫り (きりぼり)

錐彫り (古代菊)

半円形の刃先の彫刻刀を型地紙に当てて回転させることで、小さな孔を数多く彫り抜いて文様を描き出す技法。主に小紋を彫る際に用いられ、鮫小紋、行儀、通し、アラレなどの種類がある。1平方センチメートル内に100個ほどの穴が彫られた作品もあり、単調な柄であるがゆえに穴の大きさや間隔が揃っていないと成立しない、難しい技法とされる。

4つの彫刻技法に加え、型紙づくりを支える重要な工程がある。

○糸入れ

縞彫りの細く長い筋や、突彫りで彫り落とされた部分が多い柄では、そのままだと染める時に型紙がよれて、文様がずれる恐れがある。そのため、2枚に割った型紙の間に糸を柿渋で貼り、型紙を元の通りに張り合わせて筋を固定する。これを「糸入れ」という。糸入れに失敗すると、模様がずれてせっかくの型紙が使い物にならなくなるため、熟練した技術が必要な上、集中力が求められる作業といわれる。

伊勢型紙といえばこの人

1955年、初めての重要無形文化財保持者 (いわゆる人間国宝) 30名が認定された際、伊勢型紙においては、その技術と発展を支えた6名が認定を受けた。

○南部芳松 (なんぶ よしまつ) / 突彫り

1894年 (明治27年) 、三重県の寺家町生まれ (1976年没)。

若い頃に日本各地で様々な型を研究し、のちに講師として後進の養成にも貢献した。包容力のある人柄を買われて、戦後はいち早く型紙彫刻組合の組合長にも押されるなど指導的技術者であった。

現在鈴鹿市教育委員会に保管されている型紙に関する文書や資料などは同氏が生前苦心して収集したもので、この点でも氏の功績は大きい。

○六谷紀久男 (ろくたに きくお) / 錐彫り

1907年 (明治40年) 、三重県の寺家町生まれ (1973年没)。小学校を卒業後、父について型紙作りの世界に入る。根気のいる錐彫りの高い技術を有し、江戸小紋における人間国宝として知られる染色家・小宮康助からも注文を受け、その妙技をふるい続けた。

○中島秀吉 (なかじま ひできち) / 道具彫り

1883年 (明治16年) 、三重県の寺家町生まれ (1968年没) 。18歳から型彫りの修行を始めた。道具彫りを主軸とし、一部錐彫りも併用していた。

職人気質で、仕事に厳しいことで有名であった。刃先が桜の花弁などの形に作られた独自の彫刻刀を用いる道具彫りでは、刃物製作も重要だが、同氏は道具づくりにおいてもその見事さで知られた。同氏の使用した道具類は、現在鈴鹿市に保管されている。

○中村勇二郎 (なかむら ゆうじろう) / 道具彫り

1902年 (明治35年) 、三重県の寺家町生まれ (1985年没) 。中村家は代々型紙業を営んでおり、同氏はその四代目であった。小学生の頃から父を手伝っていたが、高等科卒業後から本格的な修行に入り研鑽を積んだ。

文様の基本形となる彫刻刀を多数揃える必要がある道具彫りにおいて、道具づくり10年と言われるが同氏が自ら作り使う道具は3000本にも及ぶ。この本数の多さからも経験の豊かさと技術の確かさが伺える。

○児玉博 (こだま ひろし) / 縞彫り

1909年 (明治42年) 、三重県の寺家町生まれ (1992年没)。縞彫りの第一人者。

幼少時から伊勢型紙の技術指導を父に受けて育つ。父の死去後上京し、浅草の伊藤宗三郎に入門して同家の職人となり、縞彫りを中心に修行を重ねた。1929年に独立して日本橋に開業。小宮康助の型紙を彫り、以後、康助、康孝父子の江戸小紋染に欠かせぬ存在となった。

1937年、戦火を避けて帰郷し、戦後は銀行員として勤務しつつ型紙の製作を続け、日本伝統工芸展にも出品した。曲一寸 (約3センチメートル) 幅に33本もの縞筋を引く精致な技で知られる。

○城之口みゑ (じょうのぐち みえ) / 糸入れ

1917年 (大正6年) 、三重県の白子町生まれ (2003年没)。子供の頃から祖母、母を通じて型紙補強技術である「糸入れ」を習得し、家政女学校を卒業した頃から、家族とともにこれに従事した。

以後、さまざまな技術革新や型紙業界の変化に伴って後継者が減少する中でも変わらず高い水準の技術を保持し続けた。1988年、鈴鹿市が「伊勢型紙伝承者養成事業」を開始すると、講師に就任し後継者の育成に尽力した。

伊勢「型」紙? 伊勢「形」紙?

伊勢型紙には、「形紙」と「型紙」2種類の表記方法が存在する。

古くは、江戸時代から明治時代にかけて「形」が用いられてきた。しかし、大正から昭和にかけて「形」と「型」の2つの字が併用されるようになった。

1955年に重要無形文化財「伊勢『型』紙」の技術保持者として6名が認定を受けたが、1983年の国の伝統的工芸品の指定に際しては「伊勢『形』紙」の表記で登録が行われた。このようにして、今も「形」と「型」の字が混在する状況が続いている。

しかし現在では「型」に統一しようという動きが出てきている。現代の認知においては、姿形を表す「形」よりも、基準となる絵図や枠を表す「型」が文字の意味合いとしてふさわしいと考えられるためだ。

2009年には、業界の統一を図るべく「伊勢型紙産地協議会」が設立され、「伊勢型紙」として地域ブランドを構築している。伝統的工芸品の指定に際しては「形」を用いるため、引き続き併用される部分はあるが、できるだけ「型」を用いていく方向にある。

伊勢型紙の歴史

◯1000年の歴史を持つ伊勢型紙の起源

その歴史は古く、三重県鈴鹿市ではすでに1000年前の平安〜室町時代には型紙業が進んでいたといわれている。

起源については、奈良時代に孫七という人がはじめたという伝説、子安観音の和尚が虫食いの葉を見て型紙を思いついたという伝説、平安時代には型売り業者がいたといわれていたり、応仁の乱の時に京都から逃れてきた型彫り職人が型彫りの技術を伝えたという説など、様々な伝説や言い伝えがあるが、特定できる説はなく解明されていない。

もともと白子には、和紙も型染もなかったため、京都との結びつきや紀州からの伝搬など、他の地域との関連を考える説が多い。

◯江戸時代、伊勢型紙の隆盛

白子の型紙作りは1619年より紀州徳川藩の傘下となったことで、藩の保護を受け、産地として全国にその名が知れ渡るようになった。当時の武士の裃に型染めが用いられ、細かい小紋柄が求められていったことが型紙作りの技術、人気を後押ししたようだ。

型を彫る職人と様々な地方の染め職人が協働することで産業として発展した。また型売り業者は株仲間を組織して、紀州藩の保護を背景に全国各地に型紙を売り歩き、全国的に伊勢型紙が広まった。

◯浮き沈みを繰り返しながら

明治維新後、江戸時代に組織されていた株仲間は解散。その後は、近代化の流れを受けて、衣服のスタイルが変化する中で繁栄と衰退と繰り返す時代が始まった。

昭和40年をピークに需要は減り、衰退の一途をたどることに。1955年に重要無形文化財「伊勢型紙」の技術保持者として6名が認定。1983年には、国の伝統的工芸品 (用具) に指定された。一時は300人近くいた職人は現在約20人ほどとなっている。

現在の伊勢型紙

洋装が主流となり着物離れが進む中で既存の需要が減少する中、技術を後世に伝えるため技術保存会が設立された。

新しい活用方法として、照明器具や建築建具、ジュエリーなど、普段は一般の人の目に触れることのない伊勢型紙そのものをプロダクトにする取り組みが生まれている。

ここで買えます、見学できます

◯鈴鹿市伝統産業会館

鈴鹿市の伝統産業を紹介する施設。型地紙、各技法の型紙、彫刻刀などの道具、江戸時代の型紙や資料、パネルによる製作技法の解説などを展示している。また、型紙の彫刻体験も可能。館内のショップでは、伝統工芸士が彫刻した額縁入りの伊勢型紙や、制作体験キットなども購入できる。

鈴鹿市伝統産業会館
三重県鈴鹿市寺家3丁目10-1
http://www.densansuzukacity.com/index.html

◯伊勢型紙資料館

白子屈指の型紙問屋であった寺尾斎兵衛家の住宅を修復した資料館。寺尾家の建物は型紙関係の商家として、また町家建築の代表例として、市史跡に指定されている。館内では、型紙資料などが展示されている。

伊勢型紙資料館
三重県鈴鹿市白子本町21-30
http://suzuka-bunka.jp/isekatagami/guide/

関連する工芸品

・織物・染物:織物・染物とは。多様な種類と日本の布文化の歴史
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/115475

・美濃和紙:「美濃和紙」とは。1300年の歴史をもつ日本三大和紙の実力
https://sunchi.jp/sunchilist/gifu/117548

伊勢型紙 基本データ

◯素材
美濃和紙

◯主な産地
三重県鈴鹿市

◯代表的な技法
・縞彫り
・突彫り
・道具彫り
・錐彫り
・糸入れ

◯代表的な作り手:

6名の人間国宝
・南部芳松 (突彫り)
・六谷紀久男 (錐彫り)
・中島秀吉 (道具彫り)
・中村勇二郎 (道具彫り)
・児玉博 (縞彫り)
・城之口みゑ (糸止め)

<参考>
田村善次郎・宮本千晴 監『宮本常一とあるいた昭和の日本21』農山漁村文化協会 (2011年)
第一出版社 編『人間国宝シリーズ 19』講談社 (1979年)
久野恵一 著『民藝の教科書② 染めと織り』もやい工藝 (2012年)
中江克己 著『日本の伝統染織辞典』東京堂出版 (2013年)
日本工芸会『日本伝統工芸 鑑賞の手引き』芸艸堂 (2006年)
伊勢形紙協同組合 公式サイト
http://isekatagami.or.jp/
東京文化財研究所 公式サイト
https://www.tobunken.go.jp/index_j.html
(以上サイトアクセス日: 2020年7月20日)

<協力>
伊勢形紙協同組合
http://isekatagami.or.jp/

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