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赤膚焼とは

万葉の歴史から現在の使われ方、お手入れの方法まで

赤膚焼

万葉集の中でも有名な「青丹よし」のフレーズは、奈良にかかる枕詞。実は「ここには焼き物に適した良い土がある」という意味なのだそうです。

今日はそんな古都・奈良の焼き物「赤膚焼 (あかはだやき) 」の歴史と今を紐解きます。

赤膚焼の豆皿
近年の赤膚焼の定番、奈良の風物をあしらった奈良絵の豆皿

赤膚焼とは?

赤膚焼とは奈良市五条山一帯の丘陵で作られてきた焼き物。その名前の由来は五条山の別名、赤膚山から来ているとも、赤色に焼ける土の色から来ているとも言われるが、史料に乏しく、諸説ある。遠州七窯(江戸初頭を代表する大名茶人であった小堀遠州が指導したと伝える七つの窯)の一つ。

赤膚焼の器

赤膚焼とは一帯で作られてきた焼き物の総称であり、これといった定義はない。近年では、社寺や鹿など奈良の風物をあしらった「奈良絵」の豆皿が人気だが、豆皿だけでなく日用の器、茶器や酒器、祭器など窯元によってさまざまな色合いや形の作品が生産されている。

赤膚焼の歴史

赤膚焼の抹茶碗
奥田木白が取り入れた赤膚焼を代表する釉薬、赤膚釉のかかった抹茶碗。釉薬のかかっていないところだけ赤く染まる。これも赤膚焼の名前の由来の有力説だ

古窯
古窯は古代、その良質な土を使って埴輪の製作などを司った土師氏(はじうじ。ハニ(土器や瓦などの製作に適した粘土)に由来する)の焼き物まで遡る。万葉集で有名な「青丹よし」の枕詞も、奈良山に良質のハニの存在することを示しているそうだ。

そこから、中世には春日大社や興福寺など神仏への供御器製作を任され、「春日赤白土器座」や「西京土器座」のようないわば同業組合がこの地で結成された。一帯はかつて都のあった土地らしく、その歴史は神事と深く関わっているようだ。

旧窯
幕末以降に作成された赤膚焼の代表的な書物『陶器考(田内梅軒著)』や『本朝陶器巧証(金森得水著)』、『工芸志料(黒川真頼著)』などによると、赤膚焼は豊富秀吉(のちに徳川家康)に仕えた茶人の小堀遠州が指導した七つの窯元「遠州七窯」に数えられるとか。

そして、天正年間(1573-1592年)に豊臣秀吉の弟、秀長が当時の郡山城主として土地を治めた際に常滑(現在の愛知県)から陶工・与九郎を呼んで開かせたものとされる。あるいは、正保年間(1644-1648年)に色絵京焼(京都発祥の陶磁器)の陶工・野々村仁清が窯を始めたとも記されてあり、開窯の時期や人物などはいまだに定かではない。その後、赤膚焼は一旦廃れるものの、一般にこの旧窯の時代から産業として確立したとされている。

新窯
新窯は寛政年間(1789-1801年)に郡山藩主の柳澤尭山(やなぎさわぎょうざん)が起こしたもので、当時衰退していた窯業の復興を目的とした。京都から陶工の伊之助や治兵衛、その他にも信楽(滋賀県)からも招いて窯を開かせ、中でも治兵衛の窯には赤膚焼の窯号や「赤ハタ」の銅印を与えるなど、郡山藩御用窯として重用した。なお、当時から「五条山には東の窯、中の窯、西の窯があった」との伝承が残っており、これらは信ぴょう性の高い説とされている。

奥田木白の登場

奥田木白作「靭猿」
奥田木白作「靭猿」

こうした歴史を経て、江戸末期には「赤膚焼」の名を一躍有名にした名工が登場する。それは奥田木白(おくだもくはく)(1800-1871年)だ。

家が郡山藩の御用小間物商で「柏屋」といい、木白の名前はここから来ている。商いを通じて藩の上級藩士や寺院、豪商とも深い付き合いがあり、美術品の鑑定などの文化的交流も経て、木白は自ずとその美術的感性を磨いていったとされる。

35歳の時に趣味で始めた楽焼が長じて、1850年にはついに陶器師を本業とするようになり、各地の焼きものを精巧に写した器を多く作ったことで「諸国模物處(しょこくうつしものどころ)」と評された。また、木白は釉薬の開発にも力を入れた人物として伝えられており、中でもアク・晒灰・礫(せき)を基本とする萩釉は、現在の赤膚焼に多大な影響を与えている。

現在の赤膚焼

赤膚焼のギャラリー
窯元「香柏窯」ギャラリー。庭を挟んで奥に工房がある

現在、赤膚焼は奈良市、大和郡山市に7軒の窯元が点在している。そのうちの一軒である窯元「正人窯」の八代目当主・大塩正義(おおしおまさよし)氏は数々の陶芸展や工芸美術展で受賞。窯元「香柏窯」の陶工・尾西楽斎(おにしらくさい)氏は春日大社や薬師寺、東大寺などに作品を納めるなど赤膚焼を代表する陶工である。

<関連の読みもの>
特徴が無いのが特徴? 神さまから武将まで魅了した焼きもの・赤膚焼の秘密
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日本市 奈良三条店
https://sunchi.jp/sunchilist/narayamatokooriyamaikoma/5661

赤膚焼の特徴と使われ方

赤膚焼の壺

奈良市の五条山一帯はもともと土の層が薄く、採取する場所によって土の色が変わるという。そのため、これといった定義はなく、土の色合いや釉薬、焼き方にこだわらず、あらゆる焼き物を自在に作ってきたのが、赤膚焼の特徴と言える。

奥田木白に代表される地がうっすらとグレー色に仕上がる萩釉はあくまで基本で、窯元によってその色合いや形はさまざま。祭器や茶道具、花器、正倉院御物 (ぎょぶつ) 写しのような歴史を感じさせる作品だけでなく、近年では奈良の風景、鹿や猿など描いたかわいらしくポップな「奈良絵」の豆皿、その他にも普段使いしやすい器が数多くある。

赤膚焼のお手入れ方法

赤膚焼の制作過程

洗い方
基本的には家庭用のスポンジに少量の洗剤をつけて洗っても大丈夫。なお、表面がザラザラとしている器の場合には、たわしを用いると汚れが落ちやすいだけでなく、表面が滑らかになり次の汚れがつきにくくもなるのでいい。

ただし、あまり強くこすりすぎると強度が弱くなったり、ひびや割れてしまう原因にもなるのであくまで適度な範囲で。

保管
水気が残っているとカビやシミ、ひび割れの原因になる。完全に乾かした状態で通気性の良いところで保管する。

また、長期間使わないのであれば、器同士の間に布巾をしくと負担がかかりにくく、割れにくい。赤膚焼は一つひとつが個性的な形をしているため、保管するなら似た形のものをまとめておくと、さらに負担を分散できるのでなおよい。

修理
カビや汚れが発生した場合には、煮沸したり、漂白剤につけおきするとおおむね綺麗になる。漂白剤を使用したあとは、薬剤が残らないようしっかりと洗い流す。

また、赤膚焼は土でできているため、強い力がかかるとヒビや割れることがあるが、少しのヒビや割れであれば金継(きんつぎ)などで修復できる場合もある。

さらに「赤膚焼」を知る

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<参考資料>
・会田雄次・大石慎・三郎 監 石川松太郎・稲垣史生・加藤秀俊 編『江戸時代人づくり風土記29 奈良』社団法人 農山漁村文化協会(1998年)
・岡本彰夫 著『大和のたからもの』淡交社(2016年)
・田中 将博 著 『日本古陶銘款集』陶器全集刊行会(1940年)
・奈良国立博物館編『特別陳列 やまとの匠 近世から現代まで』奈良国立博物館(1996年)
・みわ明『全国伝統やきもの 窯元辞典』(2005年)
・『日本大百科全書』小学館(1993年)

<協力>
「香柏窯」尾西楽斎氏
http://akahadayaki.jp/

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