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大島紬とは
世界三大織物に数えられる理由と歴史
「いつかは大島紬を」
そんな憧れの存在となる着物があります。鹿児島県の奄美大島を中心に作られている織物「大島紬」。
世界三大織物にも数えられる、「泥」で染める不思議な織物を紹介します。
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<目次>
・大島紬とは。泥と絹糸から生まれる美しい織物
・ここに注目 世界三大織物にも数えられる理由
・美しい文様は奄美の風景から
・泥染は「禁止」から生まれた?
・大島紬の歴史
・現在の大島紬
・ここで買えます、見学できます 「大島紬村」
・大島紬のお手入れ方法
・大島紬の基本データ
・関連する工芸品
大島紬とは。泥と絹糸から生まれる美しい織物
大島紬は、鹿児島県南方にある奄美群島の織物。絹100%、織る前に糸を染める先染めを行い、手織りの平織りで、絣合わせをして織上げたものは「本場大島紬」の名で伝統工芸品に指定されている。
深い黒に加え、緻密な染めと織りの技術で知られる、日本が誇る絹織物の最高峰のひとつである。
優雅な光沢を持ち、しなやかで軽く、シワになりにくいという特徴がある。手紡ぎの糸を、「テーチ木」(シャリンバイ)という奄美エリアに生息する植物の煎汁液と、鉄分を含む泥土でこげ茶色に発色させ、手織りする伝統的技法がとられている。
はじめはくず繭や真綿などを紡いだ糸で作られていたが、生産拡大の中で大正年間にはほぼ全ての製品が絹糸で作られるようになった。
ここに注目 世界三大織物にも数えられる理由
フランスの「ゴブラン織」、イランの「ペルシャ絨毯」と並び世界三大織物に数えられる大島紬。
30以上もの工程を経て生み出されるこの生地は、1つ作り上げるのに半年から1年もの時間を要する。美しい図柄、カラスの濡羽色にも例えられる深い艶、しなやかな肌触り、軽やかな着心地が魅力だ。
さらには、150年から200年着られる丈夫な織物と言われ、親子3代に渡って受け継がれるなど世代を超えて愛用されることも多い。
美しい文様は奄美の風景から
大島紬の文様は、時代性や技術革新によって多様に移り変わってきたが、描かれるモチーフは自然の草花が常に主体となっている。男性向け、女性向けの2手に別れてバリエーションが広がっているのも特徴だ。
龍郷 (たつごう) 柄:
奄美を代表する古典柄。女性用として奄美に自生するソテツがデザインされたもの。ソテツの葉と実を幾何学模様で表現した大島紬の代名詞的存在。
亀甲柄:
男物の小付け模様の代表格。縁起の良い亀甲を象っている。男性の風格を引立てるとされてきた。
そのほか男性用の代表的なものは、西郷柄、有馬柄、伝優柄、白雲柄など。女性用柄模様としては古典模様、幾何学模様、草花模様、更紗模様、モダンアートなど。
泥染は「禁止」から生まれた?
初期の大島紬は自家用として織られ、島民たちが愛用していた。しかし、江戸幕府の支配下になった際に、見事な大島紬は貴重品として注目され薩摩藩への上納品となった。
それに伴い、庶民が身に付けることを禁止する「着用禁止令」が下された。所持することも禁じられ、見つかると投獄や打ち首に処される場合もあったという。
そのような状況にあっても自分で織った紬を手元に残してきたいという思いが庶民の中にあり、ある時、役人の取り調べにあった農家の主婦が自分の着物をそっと泥田の中に隠したという。
隠した紬を取り出して洗ってみると、なんとも美しい、光沢のある黒に染まっていた。一説には、これが泥染の始まりと言われている。
大島紬の歴史
◯正倉院宝物にも記された「南方の赤褐色の着物」
大島紬の起源は定かではないが、養蚕の適地である奄美大島では、古くから絹織物が作られていたようだ。
染色は、本土で行われていた古代染色と同じ技法で、奄美に自生するテーチ木やその他の草木を使って行われてた。これが現在の大島紬の染色技法の源流と考えられている。
重要な工程である「泥染め」の歴史は古く、正倉院の書物の中に“南方から赤褐色の着物が献上された”という記述があるほど。1300年前にはすでに奄美では文化として根付いていたと言われている。
◯薩摩藩の上納品となった、江戸時代
初期の大島紬は、手紬糸を用いて地機で織られ、自家用として島民が着用していた。徐々に技術が洗練されていき、1720年頃には薩摩藩を治める島津氏がその価値に着目。島民に『紬着用禁止令』が出され、高級織物として上納品に定められた。
◯広く知れ渡りブランドが確立する、明治時代
西南戦争が終わった1877年頃から、市場での大島紬の取引が開始されるようになった。1890年4月の第3回内国勧業博覧会への出品で好評を得たのち、各地の品評会・物産会への出品を続け、知名度が上がっていく。1903年には、第五回内国勧業博覧会にて宮内省買い上げとなった。
需要の定着にともない、明治末期には多数の工場組織が出現する。素材の変化、生産技術の向上により生産は急増したが、粗製品が出回る結果となり、市場の信用を失って価格暴落を招いた。
1901年に業者の統一、進歩発展、製品検査による粗製品の防止と品質の向上を図ることを目的として、奄美大島の名瀬 (奄美市) に鹿児島県大島紬同業組合が設立された。現在の本場奄美大島紬協同組合の前身である。
当初は検査規定の厳しさと組合の組織率の低さから検査は徹底されなかったが、1904年に織物消費税が新設されたことにより状況が一変する。組合による製品検査の後、税務署が税額査定を求めたため、みな組合に加入せざるをえなくなったのだ。
結果的に、製品の品質が向上。また、時期を同じくして、締め機による精巧な絣加工が確立され技術的にも進化を遂げた。また、1916年には県本土側の組織として鹿児島織物同業組合 (現在の本場大島紬織物協同組合) が発足した。
組合によって製品検査された生地には、日の丸と旭日旗の旗印、鹿角と蜻蛉がデザインされた商標がつけられ、その品質が保証された。
また、新たに登場した百貨店流通が大島紬のブランド化を後押しする。1904年、三越呉服店による「デパートメントストア宣言」よって、流通構造は劇的に変化した。百貨店ではさまざまな工芸品が扱われ、消費者と職人との間で円滑な売買が実現できるようになった。
30を超える分業工程からなる大島紬の製作には、多くの職人や工房が携わっている。そうした作り手に対して、買継商や仲買人が意匠や技術の指導、市況の伝達などの幅広い役割を担い、呉服店や百貨店への流通網が整備されていった。
博覧会や品評会を通して製品イメージを高めていた大島紬は、産地問屋を流通の担い手として、物産展や百貨店などの商店へのと広く展開されていったのだ。
◯新たな技術が次々と生まれる、大正時代以降
1921年、ほぼ全ての大島紬が本絹糸で作られるようになる。昭和に入り、新たに多様な染色技法が研究される。
1955年には、白地大島紬と色大島紬が、1958年頃には絣の摺り込み染色法と抜染加工法が、1973年には白泥で軽やかな染め上がりを実現する白地泥染大島紬が開発された。
1975年には、国の伝統的工芸品に指定。1976年には、生産高のピークを迎え、70万3000反もの製品が作られた。
品質を保証する旗印は、第二次世界大戦終戦後に奄美大島が日本の施政権を離れたため使えなくなった。1953年に奄美大島が本土復帰を果たし、その翌年に本場奄美大島紬協同組合が発足する。
そのころ旗印を使う別の業者がいたこともあり、商標を新たにデザインすることとなった。公募の結果、地球印が新たなマークとなった。
現在の大島紬は、鹿児島市の本場大島紬織物協同組合のものが旗印、奄美市の本場奄美大島紬協同組合ものが地球印を商標として、その品質を保証し生産されている。
現在の大島紬
着物生地としての生産のみならず、大島紬の泥染の技法や織り技法を活用した洋服生地やネクタイ、ブックカバー、バッグなどの小物に用いるテキスタイルも作られている。
ここで買えます、見学できます 「大島紬村」
本場奄美大島紬の生産工程の見学や、ハンカチ、Tシャツ、ストールなどを使った泥染め体験、織り体験などが行える施設。
1万5千坪の南国亜熱帯植物庭園の中にあり、大島紬の図柄のモチーフとなっている奄美大島ならではの様々な動植物の鑑賞もできる。また、大島紬や紬小物商品、お土産品も揃っている。
大島紬村のページへ:
http://www.tumugi.co.jp/index.html
○金井工芸
古来から奄美に伝わる伝統技法泥染めをはじめとした天然染色を現在も行い続けている工房。大島紬には欠かせない天然の染め場「泥田」を有している。
工房のある敷地内にはギャラリーショップが併設されており、様々なクリエイターとの協働で制作されたプロダクトが並ぶ。新旧の泥染を見つけることができる場所となっている。
金井工芸のページへ:
http://www.kanaikougei.com/
<関連記事>
奄美「大島紬」を支える伝統技法「泥染め」とは。泥にまみれて美しくなる不思議
https://story.nakagawa-masashichi.jp/95090
世界で唯一、奄美大島だけで体験できる「泥染め」。1300年つづく工芸を訪ねて
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大島紬のお手入れ方法
○仕立て、着用前の準備
・天然染めの大島紬は若干の色落ちがあるため、仕立てる前に必ず専門業者で「湯通し」をして、糊や泥汚れを落とす。
・生地に、ヨゴレ防止加工を施しておくと安心して着用できる。
○汚してしまった時の対応
・襟アカや汗をおとす時は湯の中にアンモニア水を少量混ぜて、汚れた部分につけてこすらず手のひらで叩いて洗う。 (ひどい汚れの場合は専門クリーニングへ。)
・絣や地色を損ねる恐れがあるため、揮発油やベンジンなどは使わない。
・泥などが跳ねた場合は、完全に乾燥させてから乾いたスポンジなどで拭いて落とす。
・醤油、ソース、紅茶、コーヒーなどがついた場合は、すぐに軽くつまみ洗いをして汚れた面の下に綿布を当てがって、水を絞ったタオルなどで叩くようにして綿布に汚れを吸い込ませる応急処置を行い、専門クリーニングへ。
・カビが発生した場合は、日光にあてて乾燥させてから専門家に相談する。
・酸類、特に有機酸に弱い。酢や果汁がついた場合はすぐにぬるま湯で軽く洗って専門クリーニングへ。
・口紅、ボールペン、墨、インク、油などがついた場合やひどい汚れはむやみに処置をおこなわず、すぐに専門家へ相談する。
○着用後のお手入れ、しまい方
・まずは乾燥させることが重要。着用後は、陰干しをして十分風を通す。
・年に一度は爽やかな空気にあてる。 (秋の乾燥した晴天美が最適)
・しまう際は、密封されると傷むため、ビニール袋などは使わず必ず和紙製のたとう紙に包む。
・タンスに保管する場合は、綿布の下に新聞紙を敷き、湿気を吸収させると良い。
・湿気の多いところや風通しの悪い場所は避ける。
大島紬の基本データ
◯基本の工程
・図案化:原図を方眼紙にうつす
↓
・整経:絹糸の本数と長さを揃える
↓
・糊張り:絹糸を糊付けして屋外で乾燥させる
↓
・絣締め:締め機で図案通りに織る
↓
・印入れ:染料をすり込むための印を入れる
↓
・染色:染めるべき部分を染色していく
↓
・間解き:くくった木綿糸だけ取り除く
↓
・全解:木綿糸を全部取り除き絹糸だけにする
↓
・仕上げ:染色した糸で手織りに入る準備をする
↓
・手織り:染めた絹糸を織り上げる
◯数字で見る大島紬
・伝統的工芸品指定:1975年
・世界三大織物、日本三大紬のひとつ
・製作工程は30以上にのぼる
・生産高のピークは70万3000反 (昭和51年 / 1976年)
関連する工芸品
<参考>
・小笠原小枝 著『染と織の鑑賞基礎知識』至文堂(1998年)
・鹿児島大学法文学部 編『大学的鹿児島ガイド -こだわりの歩き方』昭和堂(2018年)
・立松和平『伝統工芸、女性の匠たち』祥伝社 (2007年)
・中江克己『日本の伝統染織辞典』東京堂出版(2013年)
・工芸クロニクル
http://kogei-chronicle.jp
・本場奄美大島紬協同組合 公式サイト
https://sites.google.com/site/honbaamamioshimatsumugi/
・本場大島紬織物協同組合 公式サイト
http://oshimatsumugi.com/
<協力>
・大島紬村
http://www.tumugi.co.jp/
・本場奄美大島紬協同組合
http://www.oshimatsumugi.or.jp