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藍染とは

江戸っ子に親しまれたジャパン・ブルーの歴史と現在

藍染

日本人の生活に深く根付いてきた「藍染(あいぞめ)」。

武士の時代には「縁起の良い色」として好まれ、明治には海外から「ジャパン・ブルー」と称えられた、日本を象徴する色でした。

今日は、そんな藍染の歴史と魅力を追ってみます。

藍染とは。「ジャパン・ブルー」は日本の染色文化の象徴であった

藍染とは植物染料「藍」を用いた染色技法。また、染められた布地そのものを藍染と呼ぶこともある。用いる植物は日本で主流のタデアイのほか、沖縄の琉球藍、インドではマメ科の木藍など、地域によっても異なる。これらから抽出される「インジゴチン」という色素を持つ染料を総称して「藍」と呼ぶ。

藍の葉
藍の葉

藍の色素は不溶性(液体に溶けない、または溶けずらい)のため、他の染料植物と同じように煮ても色素は取り出せない。そこで、藍を甕(かめ)に入れて発酵させたり、還元剤(酸化物から酸素を取りだす薬剤)を用いたりして藍液をつくる。この作業を「建てる」という。こうしてできた藍液に糸や生地を浸し、その後、空気にさらすと直後は黄土色となり、徐々に酸化して青に発色していく。

水洗いと空気に触れる工程を繰り返すと美しい藍色が現れる
染めた糸に水洗いと空気に触れる工程を繰り返していくと美しい藍色が現れる

この作業を繰り返すと青に濃淡が生まれる。1回染めは甕をちょっと覗いた程度という意味で「甕覗(かめのぞき)」、3〜4回は「浅葱(あさぎ)」、7〜8回は「納戸」、9〜10回は「縹(はなだ)」、16〜18回は「紺」、19〜23回染めはもっとも濃い「褐色(かっしょく、かちいろ)」のように濃くなっていく。

また、藍は染色の基本とされ、そこに他の染料を合わせることで様々な色を表現できる。たとえば、藍で下染めしたものを、さらに黄蘗(きはだ)で染めると緑に、紅花で染めると薄紫に。明治時代以降、海外から化学染料が輸入されるまで、染色は藍が頼りだったのだ。

今でこそ「藍染」と聞くと高級品なイメージだが、江戸時代ごろには庶民的な染物であった。藍染はどのような布地でもよく染まり、綿、絹、麻それぞれに特徴ある青を表現できる。中でも木綿との相性はよく、当時、木綿が庶民の衣類として定着していった中で、幅広く普及したようだ。

ここに注目 藍染の「青」は日本そのものだった

藍染

藍染の「青」は「ジャパン・ブルー」と呼ばれることがある。明治初頭、来日した英国人科学者のアトキンソンが、町が藍色に彩られている様子を「ジャパン・ブルー」と表現したのが由来だ。彼の著書『藍の説』にその時の様子が綴られている。当時、海外を渡ってきた人々にとって、藍色は日本を象徴する色であったのだろう。

藍染のきほん

○藍染の素材・道具

日本で用ちいられる藍染の素材は主に「阿波藍(あわあい)」で知られる四国産の「蓼藍(たであい)」で、その他には北海道の蝦夷大青、沖縄の琉球藍、インド藍などもある。

なお、阿波藍では生葉を乾燥、発酵させた「蒅(すくも)」という染料の原料をつくる。現在はそのほとんどが蒅の状態で取引されるものの、運搬や長期保存のために蒅を臼でつき固めた「藍玉」もつくられてきた。また、沖縄には琉球藍を用いて、阿波藍とは異なる方法でつくられる染料「泥藍」がある。

○代表的な「藍」

・阿波藍

藍染に主に用いられている藍の一種。もともとは日本各地で栽培されてきたが、なかでも阿波(現在の徳島県)産のものが質と量ともに優れていることから、「阿波藍」と呼ばれるようになった。

・泥藍

植物の「琉球藍」から作る染料を「泥藍」と呼ぶ。阿波藍が葉を発酵させた「蒅 (すくも) 」に加工され染色に用いられるのに対して、泥藍はその名の通り、泥状の染料。沖縄の自然や動植物を表した文様が美しい伝統工芸「琉球絣(りゅうきゅうかすり)」も、この泥藍で染色されている。

藍の葉を乾燥・発酵させた「蒅(すくも)」
藍の葉を乾燥・発酵させた「蒅(すくも)」
藍甕。ここにすくもを入れ、染料液を作っていく
藍甕。ここにすくもを入れ、染料液を作っていく
「藍の華」が立ったら染められる合図
「藍の華」が立ったら染められる合図

○数字で見る藍染 藍の約60%は徳島県産

・起源:現代に通じる技法は7世紀ごろに中国から日本に伝わったとされる

・シェア率:藍の生産量は徳島県が全国の約60%を占めている

・従事者:藍師(藍の染料を加工する職人)は徳島県で5軒(そのうち2軒は兼業)

藍染の使い方、洗い方、保管方法

○藍染の使い方

主に衣類として加工される藍染は、糸に藍の染料が浸透しており、そのまま触れると色移りしやすい。そのため、初めて使う前には、たっぷりの水またはぬるま湯で一度洗う、「色落とし」が必要となる。

○藍染の洗い方

藍染の製品は水またはぬるま湯で、手洗いか手押し洗いをおすすめする。洗濯機で洗うのもいいが、色移りがしやすいので他の衣類とは別にしよう。

○藍染の保管方法

直射日光の当たらない場所で保管。また、強く擦れると他の衣類に色が移るので、できれば藍染だけで、少なくとも色の薄いものとは一緒にしない。

藍染といえばこの人。独自の絞り染を確立した片野元彦さん

片野元彦と片野かほり
編集作業をする元彦とかほり 1971年(藤本巧撮影、写真提供:工房草土社)

合成染料や海外産の安価な藍の台頭により、国産の藍は激減してきた。そのため、伝統的な藍染は「本藍染」や「正藍染」、「天然藍」などと区別して呼ばれるが、中でも天然藍を生かして独自の絞り染を確立したのが、染色家の片野元彦だ。

もとは洋画家を目指していた片野氏であったが、師事していた画家の岸田劉生が30歳の頃に急死すると、染物に専念しだす。その後、57歳から藍染を始めると、染色家の芹沢銈介のもとで技術を学び、亡くなる76歳まで染色家として活動した。

藍染 絞り染 片野元彦
木綿地藍染竜巻絞広巾 1950-60年代前半

そんな片野氏が生み出したのが「片野絞」。折り畳んだ白生地の上下にさらに当て布をして、防染のために縫い絞っていく。縫い重ねられた布のかたまりが染色されると、片野絞ならではの独特なぼかし、立体的な文様が浮かび上がる。

<関連の読みもの>

藍染絞りに生きた職人。片野元彦のものづくりから「仕事」のあり方を考える
https://sunchi.jp/sunchilist/nagoya/94521

藍染の豆知識

○ラフガディオ・ハーンが記した藍染の風景

江戸時代から明治時代にかけて、日本の染めにはこぞって藍が使われてきた。そんな日本特有の風景は海外からとても興味深く映ったことだろう。1890年(明治23年)に来日した英国人作家のラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)も当時の日本について、著書『知らぬ本の面影』のなかで「青い屋根の下の家も小さく、青い暖簾をした店も小さく、青い着物を着て笑っている人も小さいのだった」と記している。

○ことわざや慣用句にも

藍染が古くから人々の生活に根づいていたことを示すように、ことわざや慣用句にも藍染に関するものがいくつかある。

・「青は藍より出でて藍より青し」

中国の古いことわざで、青い色は藍という植物で染められるものだが、染めてみると藍の葉っぱよりも美しい青になる。この関係を「師弟」に例えて、先生から学んだはずの教え子が、先生よりも学問を極める、という意味になる。

・「紺屋の白袴」

紺屋とは藍染を生業としていた者の事。人々の衣服を染めるのが仕事であるが、忙しすぎて自分の袴は白いまま。つまり、他人のためにばかり働いていて、自分のことにまで手が回っていない状態を表したもの。「医者の不養生」と同じような意味である。

○武士に好まれた褐色(かちいろ)の話

飛鳥時代や平安時代、人々は鮮やかな色合いの着物を好んでいた。それが鎌倉時代や室町時代、いわゆる戦国の世になると武士の好みが反映されるようになる。とくに「褐色(黒に近い藍色)」は「勝色」を連想させるとして人気が高かった。なお、藍には布地の強度を高めたり、虫がつきにくかったり、殺菌効果があったり、としたことから鎧の下着としてもよく着用されたようだ。

藍染の歴史

○染物の起源

日本における染物の起源はさだかではない。しかし、縄文晩期から弥生前期にかけて、各地の遺跡からは糸を紡ぐための錘(つむ)が出土している。それに、佐賀県の吉野ヶ里遺跡からは日本茜や貝紫で染色された絹織物が出土しており、染色が行われていたのは確かだろう。当時の染物は「染色」というよりも、布地を花や葉に直接擦り付ける「摺り込み」で、今日ほど多彩な色、文様はなかった。

○藍染の伝来

では、藍染がいつ頃から行われたのかだが、世界では紀元前6000年ごろには西アジアを中心に藍が使われていたとされ、紀元前3000年ごろにはトルコのアナトリア遺跡で染織品が発掘されている。日本においては、7世紀(601年から700年)ごろに中国から蓼藍の栽培方法、染色方法が伝えられた。藍を甕に入れて発酵させる「蒅(スクモ)法」と呼ばれる技法で、今もなお藍染のベースとなっている。

なお、奈良の東大寺にある正倉院には藍染の染織品も多い。中でも有名なのが絹糸を撚り合せた直径5ミリ程度、長さは198メートルの紐。「縹縷(はなだのる)」と呼ばれるこの紐は、インドの渡来僧侶の菩提僊那(ぼだいせんな)が「開眼供養会(東大寺の盧舎那大仏の完成を記念する法要)」で大仏の眼晴(黒目)を描いた際に筆に結んだもので、紐に触れると開眼の功徳にあやかれると言われた。

○庶民への普及

同時期に普及してきた木綿布との相性がよかったことから、江戸時代になると藍染は庶民向けの衣類や雑貨にも浸透していった。それこそ着物から帯、仕事着、のれん、浴衣、とあらゆるものに藍染は使われていた。

京都や大阪、愛知や岐阜、兵庫など古くから日本各地で藍は栽培されてきたが、中でも有名なのが「阿波藍」である。

阿波藍が広く知られるようになったのは、安土桃山時代(1568年〜1600年)に徳島藩(阿波藩主)の蜂須賀家政公が殖産事業として推奨し、品質のいい藍が大量生産されたのがきっかけ。1740年(元文5年)の調査では、吉野川流域(高知県と徳島県を流れる一級河川)の広範囲において藍が栽培、藍玉が生産されていた記録が残っている。

○藍染の衰退

明治後期になると、合成染料やインド藍などの安価な染料が用いられるようになり、伝統的な藍染は衰退していく。現在、昔ながらの技法で生産される藍染は「本藍染」や「正藍染」、「天然藍」などと区別して呼ばれている。

現在の藍染

片野元彦の娘、片野かほりさん
木綿糸で括る作業を行う片野元彦の娘・かほりさん 自邸にて 1976年(藤本巧撮影、写真提供:工房草土社)

2019年、藍染を後世に伝えよう、とするプロジェクトが行われた。天然藍の絞り染めの第一人者で、「片野絞」を開発した染色家の片野元彦の特別展「藍染の絞り 片野元彦の仕事」が日本民藝館で開催されたのだ。片野氏がその手で制作した着物や飾布、暖簾など貴重な品々。そして、片野氏の長女であり染色家の片野かほりの作品も展示され、藍染の魅力を伝える機会となった。

<関連の読みもの>

藍染絞りの第一人者、片野元彦の作品が一挙公開!日本民藝館『藍染の絞り 片野元彦の仕事』

関連する工芸品

讃岐のり染

<参考>

中江克己 著『日本の伝統染織辞典』株式会社東京堂出版(2013年)

萩原健太郎 著『民藝の教科書② 染めと織り』株式会社グラフィック社(2012年)

山崎和樹 編『つくってあそぼう26 藍染の絵本』社団法人 農山漁村文化協会(2008年)

木村光雄 監『藍染めの歴史と科学』三木産業株式会社 技術室(1992年)

大橋晴夫 著『NHK 美の壺 藍染め』日本放送出版協会(2007年)

経済産業省 四国経済産業局委託事業 平成28年「一次産業を核とした成長産業モデル化調査」

(以上サイトアクセス日:2020年3月16日)

<協力>

本藍染 紺九

染物・織物