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美濃焼とは
丼もタイルも茶道具も。「実はスゴい」焼き物界の革命児
美濃焼の基本情報
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工芸のジャンル
陶器・磁器
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主な産地
岐阜県東濃地方
実は、国内で生産される陶磁器のおよそ半数が美濃焼。
和食に欠かせない「あの道具」も、銭湯や水回りでよく見かける「あれ」も、多くが美濃で焼かれています。
今日は焼き物界に革命を起こしたと言われる、美濃焼の歴史、特徴や豆知識についてご紹介します。
<目次>
・美濃焼とは。焼きもの界の革命児は、日本の食卓を支える存在へ
・ここに注目 桃山時代の革命児的存在だった美濃焼
・美濃焼の基本データ
・美濃焼といえばこの人・この工房。古田織部と荒川豊蔵
・美濃焼の豆知識 こんなアイテムでも、お世話になっています
・美濃焼の歴史
・現在の美濃焼
・ここで買えます、見学できます
美濃焼とは。焼きもの界の革命児は、日本の食卓を支える存在へ
美濃焼とは美濃国(現在の岐阜県)の東部地域で生産されてきた陶磁器の総称。多治見を始め、土岐、可児、瑞浪、笠原が含まれる。その起源は、奈良時代の須恵器窯からとされるのが一般的。(室町時代末期に瀬戸の陶工が美濃へ移住したことで生産が始まったという説もある)
美濃焼の特徴はその時代に、人々の好みに合わせて新しく釉薬を開発し、技術を築いて様々な姿形、色彩の焼物を誕生させてきたこと。そのため、美濃焼とは「このような焼物」とひとつを示さず、様々な技法を持つ。
また、明治時代以降は技術革新により安価かつ大量生産できる技術を構築してきた。これにより、現代において岐阜県は陶磁器のシェアの約5割を占め、全国一の産地にまで発展。もはや日本の食卓には欠かせない存在となっている。
ここに注目 桃山時代の革命児的存在だった美濃焼
美濃焼の黄金期は安土桃山時代(1573年〜1603年)とされる。茶の湯の流行、千利休や古田織部のような当時の茶人らの活躍もあり、今日の美濃焼の基本の様式である黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部が誕生したのだ。ゆがみをあえて良しとする斬新な姿形、豊かな色彩の美濃焼は当時の人々にとって革命的であったことだろう。
美濃焼の基本データ
○まずはこの四様式を押さえよう
美濃焼ではこれまでに様々な様式が誕生しており、中でも基本とされるのが黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部の四様式である。
・黄瀬戸 (きせと)
美しい淡黄色の肌が特徴。薄づくりのうつわに様々な草花の文様を描き、胆礬(緑の斑点)や褐色の焦げを楽しむ「あやめ手」のほか、厚みがあり、ほとんど文様や焦げのない「ぐいのみ手」がある。
・瀬戸黒 (せとぐろ)
鉄釉をかけて1200度前後の窯で焼成し、引き出したあとに急冷させると表面に深い黒が現れる。それまでの黒い茶碗はどれも赤みを帯びたもので、「引出黒 (ひきだしぐろ) 」とも呼ばれる瀬戸黒の「漆黒」の茶碗は、茶人たちを喜ばせた。
形も、従来の丸みを帯びた茶碗とは異なり、高台が低く、裾の部分が角ばった半筒形。既存の概念にとらわれない自由な造形も人々を魅了した。
・志野 (しの)
細やかな貫入 (かんにゅう) と、ほんのりと赤みをおびた白い肌が美しい志野。長年日本人が憧れてきた念願の「白い焼き物」の誕生であり、同時に、従来の型押しや彫りでなく、素地の上に直接絵を描くことを可能にした、画期的なうつわであった。
「もぐさ土」と呼ばれる土に白い長石釉 (志野釉) をかけて焼成する。茶碗を中心に、水指や香合など茶道具に多く用いられ、無地志野、絵志野、鼠志野、紅志野、練込志野などいくつか種類がある。
・織部 (おりべ)
安土桃山時代を生きた武人にして茶人であった古田織部が、自身の好みに合わせて造らせたと言われる。ゆがみも良しとする大胆な造形、鉄絵(鉄を含む顔料で描かれた絵)による意匠や鮮やかな緑色は、まさに焼きもの界の革命児・美濃焼を象徴するものである。神官が履く靴をイメージさせる「沓茶碗 (くつちゃわん)」は、縁の部分がぐにゃりと曲がり、当時の茶会で「へうげ (ひょうきん) 」と評されたという逸話も残る。
織部黒、黒織部、総織部、鳴海織部、志野織部、弥七田織部、青織部、赤織部、唐津織部など色も多彩で、形や模様も様々なものが生み出された。
○代表的な工芸品
・卯花墻(うのはながき)
和物陶器で国宝指定のものはあまりないが、そのひとつが美濃焼にある。絵志野茶碗の「卯花墻(うのはながき)」。白濁半透明の志野釉が厚くかけられた肌は百草土(卵の殻のような色)をしており、口辺や釉薬の薄いところは赤みをおびている。
もとは豪商の冬木家が所有していたが、1890年には大阪の山田家に移った。当時の価値にして1000円(現在の価値にしておよそ2000万円)の値がついた、と書物『大正名器鑑』に記されており、そのことからも卯花墻の評価の高さが伺える。
○代表的な人・工房
・古田織部(千利休の弟子で織部をつくらせた人物)
・荒川豊蔵(志野・瀬戸黒の人間国宝)
・塚本快示(白磁・青磁の人間国宝)
・鈴木蔵(志野の人間国宝)
○数字で見る美濃焼 国内シェアの約5割を占める
・誕生:奈良時代の須恵器が起源とされる
・出荷額:和食器は約145億円、洋食器は約108億円(2018年時点)
・従事社数:和食器は180軒、洋食器は62軒(2018年時点)
・シェア率:岐阜県が全国の陶磁器の約5割を占める
・伝統的工芸品指定:美濃焼には様々な様式があり、黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部、灰釉(はいゆう)、天目(てんもく)、染付(そめつけ)、赤絵(あかえ)、青磁(せいじ)、鉄釉(てつゆう)、粉引(こびき)、御深井(おふけ)、飴釉(あめゆう)、美濃伊賀、美濃唐津の15種類が指定を受けている。
美濃焼といえばこの人・この工房。古田織部と荒川豊蔵
○古田織部 「織部」を生んだ天下の茶人
戦国後期から江戸前期を生きた武人で茶人。1582年ごろの千利休の書簡に名前が記されていたことから、その頃には弟子であったと考えられる。「利休七晢(利休の高弟を表す)」のひとりで、利休の死後には「天下の茶人」とまで称された。
利休と同様に焼き物にも造詣が深く、美濃焼の「織部」は古田織部の好みを反映してつくられた。また、この時代に生まれた黄瀬戸・瀬戸黒・志野の他の様式についても古田織部が関わっていたと考えらていれる。
古田織部は、自由かつ大胆な美を好んだ茶人で、陶芸にも創造的で個性的、バラエティの豊かさを求めた。同じ「織部」にも全体を鉄釉で塗りつぶした「織部黒」、全面に青釉薬のかけられた「青織部」、志野に見えるが白く薄い施釉で光沢がある「志野織部」などいくつも種類がある。
○荒川豊蔵 「志野」の再興に尽力した人物
昭和を代表する美濃焼の陶芸家で、志野と瀬戸黒の人間国宝。1930年(昭和5年)に可児市大萱(おおがや)の牟田洞古窯跡で桃山時代の「筍絵筒川向付」の陶片を発見する。今まで志野は瀬戸産だと考えられていたが、この発見により紛れもなく美濃産であることが証明された。
志野は江戸時代になってから製陶の中心が肥前(現在の佐賀県)に移ったこともあり、技術が失われていたものの、荒川が牟田洞古窯跡の近くに当時の半地上式の登窯を築き、技術の再現に成功した。今日にまで志野が受け継がれているのは、荒川豊蔵の功績であるところが大きい。
美濃焼の豆知識 こんなアイテムでも、お世話になっています
○どんぶりも美濃産が生産量日本一
日本の食卓には欠かせないうつわ、どんぶり。親子丼やカツ丼など丼ものに使ったり、うどんの器に使ったり。家族1人に1つのマイどんぶりがある、という家庭も多いのでは。
実は、そんな日本で作られているどんぶりの多くが、美濃産である。中でも、美濃地方の土岐市駄知町は、どんぶりの生産量では日本一。また、美濃は国内の食器のおよそ半数が生産される一大産地なだけに、普段からお世話になっているうつわたちのなかには、どんぶりの他にも美濃産のものは多いことだろう。
○受け継がれる美濃のタイル
美濃焼の産地の多治見市、中でも笠原町はモザイクモルタルタイルの発祥の地と言われ、今日では生産量は日本一。そんな笠原町には全国的にも珍しいミュージアムがある。モザイクタイルのみを集めた「多治見市モザイクタイルミュージアム」だ。
モザイクタイルとは面積50平方センチメートル以下のタイルのこと。館内に一歩足を踏み入れると、まるで巨大な銭湯のような空間に、大小様々な大きさ、デザインのタイルを用いたアート作品が展示されている。
実は作品に用いられているタイルの多くは、もともとどこかで使われていたもの。例えば銭湯が廃業される際にはタイル画も一緒に取り壊してしまう。無くなってしまうのはもったいないからと、有志の保存活動で集められたものなのだ。東京の銭湯などで実際に使われていたタイル画もみることができる。
昔は耐水性や丈夫さから台所や風呂場など水回りに用いられてきた美濃焼のタイル。今ではその美しさとデザイン性の高さからアート作品に、と時代をへてもなお受け継がれ、現代での活かされ方が見直されてきている。
<関連の読みもの>
銭湯でアート鑑賞?強くて美しいタイルの世
https://story.nakagawa-masashichi.jp/11178
美濃焼の歴史
○奈良時代〜室町時代
美濃焼の起源は奈良時代の須恵器づくりが始まりとされる。平安時代になると植物灰を用いた灰釉陶器、鎌倉から室町時代には釉薬を用いない無釉陶器がつくられ、その後瀬戸からもたらされた施釉陶器 (素焼き後に釉薬をかけて焼成する) づくりと、時代に合わせて技術を発展させてきた。
○美濃焼の黄金期、安土桃山時代 「茶陶」として栄華を極める
美濃焼の黄金期は桃山時代(1573年〜1603年)にあるとされる。このわずか30年の間に黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部など美濃焼の様式は飛躍的に発展し、優品がいくつも生み出されたのだ。
この頃の日本では、中国の唐物茶碗や朝鮮の高麗茶碗など海外の華美で高価な茶碗が注目され、美濃焼のような和物茶碗は影に隠れていた。その風潮を変えたのが、千利休や弟子の古田織部など歴史に名を残した偉大な茶匠たちである。
利休はわびさびに通じる枯淡(こたん。あっさりとして味わい深い)を重んじ、「侘び茶」の世界観を求めて茶室から道具、すべての刷新を試みていた。対して、利休の弟子にあたる古田織部であるが、利休の枯淡の美とは異なり、大胆かつ自由な美を確立していく。そんな織部が自身の好みにあわせてつくらせたのが、今日にも残る美濃焼の「織部」である。鉄絵による意匠と鮮やかな緑色、大胆かつ変化に姿形は、当時の前衛であった。また、黄瀬戸、瀬戸黒、志野についても織部は影響を与えたとされる。
さらに、この時代の為政者といえば織田信長や豊臣秀吉、徳川家康。信長と秀吉は織部が仕えていた人物であり、秀吉は侘び茶の精神に共感し、利休を庇護していた。こうした武将たちの好みもこの時代の焼き物に影響を与えたと考えられる。
利休、織部など茶匠たち、時の為政者たちの活躍もあり、和物茶碗をつくる美濃の窯場は活性化していく。それと同時に、商人たちは岐阜県から京都、大阪方面を始めて、遠くは江戸にも販路を広げていくのであった。
○江戸時代〜明治時代
江戸時代に入ると茶陶の中心は京焼に移り、美濃では日常雑器の生産が多くなる。すると、青磁をめざした御深井(おふけ。鉄絵具で摺絵を施した美濃焼)がつくられ、江戸後期には染付、青磁や白磁などの陶器が生産された。
また、江戸以前にあった窯株制度(窯株の所有者のみが生産できる)が1872年(明治5年)に廃止され、技術改革による品質、生産力の向上もあわさり美濃焼の生産量は増加していった。
○大正時代〜昭和時代
大正時代に入ると、美濃焼はさらに加飾面での技術開発が活発になる。それにともない、美術価値の高い工芸品をつくる名陶工も現れるように。また、荒川豊蔵ら伝統的な茶陶を踏まえつつ、自己を表現する陶芸家が登場したのもこの頃である。
現在の美濃焼
○「きほんの一式」美濃焼の中鉢
今日の美濃焼は陶磁器の国内シェアで約5割を誇るように、食卓のうつわを支える存在となった。一方で、釉薬の流れやいびつな形を表情として楽しむ、茶人好みの美濃焼らしさは今もなお親しまれ、今の時代にあったかたちの模索が続けられている。
そのひとつが中川政七商店が美濃の窯元、作山窯と手がけた「きほんの一式」の美濃焼シリーズ。全国の産地で平皿や中鉢を揃えるシリーズの中でも、一番「お茶道具としての美濃焼」らしい形をしているのが中鉢だという。
抹茶碗に近い大きさで、程よい重さと厚みが手に馴染み、料理にも扱いやすい形状になっている。
色は古田織部の指導でつくられた、美濃焼独特の「青織部」の緑色、茶人たちも愛したという、釉薬が縮れて粒状になった「かいらぎ」、古くからの釉薬で、土の質感と色味が特徴の「土灰」の3色。
道具として使いやすい形でありながら、茶陶としての美濃焼らしさを感じさせる。
ここで買えます、見学できます
○多治見モザイクタイルミュージアム
岐阜県多治見市笠原町にあるモザイクタイルを専門に集めたミュージアム。設計は世界的な建築家の藤森照信氏が手がけ、採土場(焼き物の土をとる場所)をイメージした外観となっている。館内では集められた膨大な数のアート作品、タイルの製造工程や歴史などの資料を見学でき、さらに様々なタイル商品を購入できる。
○SAKUZAN VILLAGE
「きほんの一式」美濃焼シリーズを手がける窯元「作山窯」の直営店。14種類の土、100以上の釉薬、3通りの焼き方を組み合わせて、様々なうつわを生み出している。店内では、こうした作山窯オリジナルの小皿やボウル、カップなどを購入できる。
<参考>
・下中直人 編『増補 やきもの辞典』株式会社 平凡社(1984年)
・田村正隆 著『よくわかる やきもの大事典』株式会社ナツメ社(2008年)
・仁木正格 著『わかりやすく、くわしい やきもの入門』株式会社 主婦の友社(2018年)
・増田義和 著『「陶芸」の教科書 この一冊で、つくり方から歴史まで全部がわかる』実業之日本社(2008年)
・公益財団法人 岐阜県産業経済振興センター「陶磁器産業」
・多治見陶磁器卸商業協同組合「第十三回多治見商人物語」
http://www.tatosho.com/article/15196759.html
・文藝・学術出版 鳥影社「千利休の弟子 天下の茶人「古田織部」の生涯」
https://www.choeisha.com/column/column02.html
(以上サイトアクセス日:2020年3月24日)
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