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絹とは

「繊維の女王」を生み出す技術と歴史

結城紬

絹の基本情報

  • 工芸のジャンル

    織物・染物

「繊維の女王」と評される絹。

美しい光沢、すぐれた染色性で古くから人々に愛用されてきました。現代でも、着物をはじめ、洋服、ハンカチ、ネクタイ、スカーフ、風呂敷など様々な分野で使われています。

人々を魅了し続ける絹について、紹介します。

<目次>
・絹とは。軽くて丈夫、美しさと機能性を併せ持つ繊維
・全国の絹素材の工芸品
・繭から糸へ
・養蚕大国・群馬の「絹」と「だるま」の意外な関係
・絹の歴史
・現在の絹にまつわるものづくり
・関連する工芸品
・絹のおさらい

丹後ちりめん

絹とは。軽くて丈夫、美しさと機能性を併せ持つ繊維

絹は、麻、綿と並ぶ三大天然素材の一つである。

絹糸の原料となるのは、蚕 (かいこ) の作る繭 (まゆ) 。蚕がサナギになる時に、自分の体を外界から守るためのものだ。その繊維には、適度な吸湿性と放湿性があり、強さ、しなやかさが備わっている。

絹糸作りは、蚕を育てることから始まる。そんな手間をかけて作られた糸で織られた絹は、先に触れた機能性に加え、優雅で美しい光沢があり軽い。

独特な光沢を放ち、美しさと機能性を併せ持つ絹は、同じく活用の歴史の古い麻が日用品から神事まで幅広く用いられていた一方、長らく高級品として扱われてきた。大島紬や結城紬などのように献上品として用いられたり、各地の特産品とされる絹織物も多かった。

全国の絹素材の工芸品

日本各地で生産される絹素材。その代表的なものを見てみよう。

◯作家たちも愛した「結城紬」

結城紬

結城紬とは、茨城県結城市を中心として、主に茨城県、栃木県の鬼怒川流域で作られている絹織物。精緻な亀甲模様や複雑な絣柄で構成された柄が美しい。真綿から手で紡ぎ出した「紬糸 (つむぎいと) 」と呼ばれる糸を使って織られる。丈夫で柔らかく、あたたかな風合いが特徴。

より詳しくはこちら:
結城紬とは。世界が認めた独自の技法と歴史
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997

◯世界三大織物「大島紬」

大島紬

大島紬は、鹿児島県南方にある奄美群島の織物。絹100%、織る前に糸を染める先染めを行い、手織りの平織りで、絣合わせをして織上げたものは「本場大島紬」の名で伝統工芸品に指定されている。深い黒に加え、緻密な染めと織りの技術で知られる、日本の絹織物の最高峰のひとつ。優雅な光沢を持ち、しなやかで軽く、シワになりにくいという特徴がある。

より詳しくはこちら:
「大島紬」とは。世界三大織物に数えられる理由と歴史
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/115675

◯織物の横綱的存在「西陣織」

西陣織

西陣織は、京都の西陣で生産される織物の総称。1976年に国の伝統的工芸品に指定された。豪華絢爛で立体感のある織物は、日本を代表する絹織物として、世界に広く知られている。金糸、銀糸を織り込んだ「金襴 (きんらん) 」、爪を使って丹念に織り上げる「綴 (つづれ) 」など、多彩で華麗な唐織など様々な種類の技術・技法が存在する。

より詳しくはこちら:
西陣織とは。織物界のトップランナー、全国の産地を育てた技
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/117508

◯日本の着物づくりを支える「丹後ちりめん」

丹後ちりめん

丹後ちりめんは京都府丹後地域を中心に生産される、表面にシボと呼ばれる細かい凹凸があることが特徴の織物。シボがあることにより、シワになりにくく、しなやかで柔軟性があり、凹凸の乱反射によって染め上がりの色合いが豊かで深みのある色を醸し出すことができ、絹の風合いを発揮する織物として知られている。

より詳しくはこちら:
丹後ちりめんとは。日本の着物の7割は丹後の生地からできている
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119896

繭から糸へ

数々の工芸品の元となっている絹の糸は、どのように生まれているのだろう。大変な手間のかかる糸づくりの工程を見ていこう。

繭

糸づくりの主な工程は、蚕の飼育、乾燥、製糸に分かれる。

○孵化、「蚕座 (さんざ) 」での飼育
蚕の卵が孵化した後、羽箒を用いて、幼虫を「蚕座」と呼ばれる場へ移す。このことを「掃き立て」と呼ぶ。

蚕は「蚕座」で、1日に何度も桑の葉を食べて成長する。養蚕家は、葉の質や病菌の有無を確かめるなど細心の注意を払いながら健康な蚕を育てている。

○「上蔟 (じょうぞく) 」、そして繭がつくられる
蚕の幼虫は数回の脱皮を繰り返し、十分に成長すると体が透き通ってくる。こうなると、蚕の体内には液状の絹が詰まっており、桑の葉を食べることはなくなり繭づくりを行う段階となる。

このタイミングで養蚕家は蚕が繭を作る場所を用意する。蔟 (まぶし) という器具で、ここに入れることを「上蔟」という。蚕は放っておいても自ら繭を作る場所を探すが、できるだけ形がよく、品質の優れた繭を得るために、蔟に入れるのだ。

この中で蚕は体内の液状絹を糸にして吐き出し、頭部を振りながら動かしながら繭の層を作っていく。

○「乾繭 (かんけん) 」
こうして繭を作り、蚕はサナギとなる。完全に出来上がった繭をそのまま放置しておくと、12〜13日ほどでサナギから蛾となり繭に穴を開けて外へ出てしまう。繭から糸を取るためには、一般的に養蚕農家は生繭 (人の手を加えていない蚕がつくったままの繭) の状態で製糸業者へ渡すことが多い。受け取った製糸業者は、羽化前に外から熱気を当てて繭を乾燥させる (乾繭処理) 。

○貯蔵、「煮繭」
繭は年間に3〜4回収穫されるが、製糸業者で乾繭処理を行ったのち貯蔵して、年間の操業計画にしたがって原料としていく。

繭糸のほぐれをスムーズにするために、お湯に入れて煮る (煮繭) か蒸気にあてて膠着状態を緩めていく。

○糸をたぐる「繰糸 (そうし) 」
繭が煮上がったら、ブラシのような道具を用いて繭の糸口を探し、糸を引いていく。1本の糸では弱いので数個の繭の糸口を集めてまとめてたぐり、糸枠に巻きつけていく。こうして生糸が生まれる。

繭の中には、生糸の原料にはできない劣質なものもあり、また生糸を作る製糸工程で屑ものが出る場合などもある。そうしたものを「副蚕糸」と呼び、異なる処理で真綿や紬糸などとして生かされる。紬の生地は、こうした副蚕糸の活用から生まれた。

養蚕大国・群馬の「絹」と「だるま」の意外な関係

高崎だるま

世界遺産である富岡製糸場も残る群馬県は、昔から養蚕が盛んに行われている地域であった。そんな群馬のもう一つの名産が「高崎だるま」である。

倒れてもすぐ起き上がることから「起き上がり」と呼ばれていただるま。偶然にも、蚕が古い殻を割って脱皮することも「起きる」と呼ばれる。

養蚕農家の人々は、良質な繭が数多く採れるようにという願いを、何度転んでも「起きる」だるまに込めて願掛けが行われた。その後養蚕の守り神として祀られた高崎だるまは縁起物として一般家庭へも広まり、人気を呼んだのだ。絹糸づくり無くして、現在のだるまの普及はなかったかもしれない。

<関連の読みもの>

高崎だるまとは。全国シェア一位の理由と歴史
https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/118156

絹の歴史

◯シルクロードを通じて伝播

養蚕の歴史は諸説ある。一説には、紀元前5000年に中国で始まり世界に広まったと考えられている。中国からヨーロッパにつながる内陸交易路は、その交易の中心が絹であったことから「シルクロード」と命名された。

当初、中国は養蚕技術を秘密にしており、蚕や養蚕技術の国外持ち出しを厳しく禁じていた。しかし長い年月のうちに、蚕の卵や養蚕技術が漏れ伝わり、シルクロードに沿って世界に広まった。

日本においては、195年に朝鮮から蚕の卵が伝わったという記録が残されている。またその2000年以上前の弥生時代の遺跡から絹の布が発見され、中国の歴史書にも邪馬台国での養蚕の記録があることから、遅くとも弥生時代の中頃には日本に養蚕技術が入ってきていたと考えられている。

◯江戸までの日本と養蚕

戦火が絶えない江戸時代初期までの日本では、養蚕産業は発展させられず、絹や高級織物用の生糸は中国 (清) からの輸入に頼っていた。

その後、平和が続いた江戸時代中期に諸藩が財政の立て直しを目的に養蚕を奨励。各地で養蚕業が盛り上がり、江戸時代末期にはかなりの生産力に達した。

しかし、その多くは生糸ではなく、くず繭など生糸にならないものを綿や羊毛のように紡いだ糸 (紬糸) であった。日本各地に紬があるのは、それが主な絹製品であったことの裏付けのようだ。

◯養蚕大国・ニッポンへ

19世紀、世界中でシルク製品がもてはやされるようになった。しかし最大の養蚕大国であったイタリア、フランスで蚕の病気が流行し、壊滅的な状態に陥る。メスから卵を通じて感染する病気であったため、両国では飼育する蚕卵が極度に不足。そこで、開国間もない横浜港から、大量の蚕種が両国へと輸出されるようになった。

明治時代になり、日本にも西洋の養蚕技術が導入され、富国強兵の掛け声のもと、国をあげて外貨獲得の手段として養蚕が盛り上がりを見せる。初期の帝国海軍の戦艦は絹で手に入れた外貨によって入手できたという。最盛期には日本の輸出総額の半分を養蚕関連産業がしめた。

◯第二次世界大戦後の養蚕産業

第二次世界大戦中、養蚕関連産業の輸出は中断されることに。また、贅沢品の絹の生産をやめて農家は食糧の生産をしなければならなくなった。

終戦後、1950年代から絹の国内消費が伸び、日本の養蚕業は息を吹き返す。繭生産量は、和服のブームにより1970年代に戦後のピークに達したものの、ブーム後は急激に減少。現在の養蚕産業の中心は中国、インドとなっている。

現在の絹にまつわるものづくり

伝統の西陣織や大島紬をはじめ、これまでさんちで取り上げた絹にまつわる「ものづくりの今」を紹介する。

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絹のおさらい

◯素材:蚕

◯特徴的な技法:
・掃き立て
・上蔟
・乾繭
・煮繭
・繰糸

<参考資料・協力>
齋藤裕・佐原健 編『糸の博物誌−ムシたちが糸で織りなす多様な世界−』海游舎 (2012年)
伝統的工芸品産業振興協会 監『ポプラディア情報館 伝統工芸』ポプラ社 (2006年)
中江克己 編『日本の染織15 縮緬 立体的な美しい白生地』泰流社 (1977年)
農文協 編『地域素材活用 生活工芸大百科』農山漁村文化協会 (2016年)
農業生物資源研究所 遺伝子組換え研究推進室 発行『カイコってすごい虫!』 (2008年)
シルク博物館
http://www.silkcenter-kbkk.jp/museum/

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