TSUGI・新山直広さんに聞く、いま地方でデザイナーが求められる理由

「場所」にとらわれず、都心以外のさまざまな地域に拠点を置き、ひと・もの・ことをつなぐ「地方デザイナー」が、今注目されています。

仕事の内容やクライアントとの関わり方など、都市部と地方ではどのような違いがあるのでしょうか。さんちでは各地域で活躍するデザイナーにインタビューし、それぞれの取り組みや働き方についてうかがっていくことにしました。

今回、登場いただくのはTSUGIの新山直広さん。2009年に大阪から人口約4,200人の町、福井県鯖江市河和田(かわだ)地区に移住しました。

現在は、企業のブランディングや全国でのPOPUPショップの出店、体験型マーケット「RENEW」の開催、オリジナルアクセサリーブランド「Sur」の制作・販売など、“産地直結型”のクリエイティブカンパニーとしてさまざまな活動を行っています。

TSUGIが展開するアクセサリーブランド「sur・サー」
TSUGIが展開するアクセサリーブランド「Sur」
全国の商業施設で地元の産品を販売する「SAVA!STORE」

地方に可能性を見出した、自称“意識高い系”

新山さんと河和田の最初の接点は、「河和田アートキャンプ」。関西の大学生が毎年1ヶ月ほど河和田に滞在し、地元の人たちと関わりながらアート作品の制作やワークショップを行うプロジェクトです。

その運営団体である「応用芸術研究所」への就職をきっかけに、24歳で河和田に移住。「これからは地方が熱い」と、意気込んでいたそうです。

河和田地区は三方山に囲まれた中山間地域

「恥ずかしながら当時の僕は、めっちゃ“意識高い系”でした。大学で建築を学んでいたくせに、建築に対して斜に構える部分もあって。『建築よりもこれからは地方が熱い』と尖っていましたね。

2008年が日本の人口のピークで、これからは建築の着工数も下がっていくのが統計的に予想されていたんです。そこにリーマンショックも重なり、もう新しく建てる時代じゃないなと。

それよりも今あるものをどう生かすかが重要だと思い始めていました。また、大学で学んだ『コミュニティデザイン』に影響を受けたこともあり、地方に興味が移っていきました」

地域で足りないものはデザイナーだった

移住当初は慣れない地方暮らしや地域との板挟みから、大きな挫折を味わったという新山さん。しかし、河和田地区の伝統的工芸品「越前漆器」の調査をきっかけに、デザイナーになろうと決心します。

「越前漆器は商品としては素晴らしいのにパッケージや見せ方がはっきり言って“ダサい”。このままじゃほかの産地に勝ち目はないと思いました。河和田で頑張っている職人さんのことを考えると悔しかったですね。結局のところ、河和田は漆器産業を中心に経済が回らないと成り立たない。まちづくりはおろか、産地としての存続も難しいと感じました。

自分にできることは何かと考えたときに、河和田で必要とされている職業はデザイナーだと思ったんです」

tsugi新山直広さん。鯖江の工芸である漆器

地域に根ざす「町のデザイナー」に

その後、鯖江市役所の臨時職員としてデザイン業務に携わっていた新山さんは、河和田に移住した同世代の仲間たちと2013年にTSUGIを結成。

当初は「河和田暮らしを面白くしたい」という目的でつくられたグループでしたが、2015年に法人化し、本格的にデザイナーの道を歩み始めます。

TSUGIはめがね職人や木工職人、NPO職員のメンバーも活躍

TSUGIの事業は主にデザイン、イベント、プロダクトの3つ。仕事のフィールドは福井県内がほとんどで、河和田エリアだけでも約15社の仕事に携わっています。

鯖江・tsugiのデザインワーク
グラフィック、パッケージ、ロゴ制作、ブランディングと、TSUGIは幅広くメーカーと関わる
tsugiが展開する、越前漆器の産地である福井県・鯖江で生まれた、ランチタイムを楽しむブランド・Bento_to(ベントウト)
TSUGIが展開する、越前漆器の産地である福井県・鯖江で生まれた、ランチタイムを楽しむブランド・Bento_to(ベントウト)
鯖江・tsugi、ろくろ舎
ろくろ舎によるブランド「TIMBER POT」のパッケージデザイン
鯖江市tsugiのデザイン。絵ならべろうそく
福井市の小大黒屋商店が展開する「絵ならべろうそく」の商品・パッケージをデザイン

「福井は個人事業主や家族経営の会社が多いので、社長と直接打ち合わせみたいなことも日常茶飯事です。だからこそ、顔が見える距離はとても大事な気がしています。

自分たちに言い聞かせているのは、『いくらいいものをつくってもそれがちゃんと売れなければ意味はない』ということ。売るところまで責任を持つぐらいの覚悟で、お客さんのブランディングをワンストップで手がけています。

……ほかの地域から依頼が来たらどうするか、ですか?悩みますね(笑)。河和田でやっていることを別の産地に生かせないわけではありませんが、やはり地元を大事にしたいという思いは強いです」

インターネットや交通が発達し、今や全国どこにいても仕事を受けられる時代ですが、気兼ねなくデザインのことを相談できる新山さんのような存在は、関係性を大切にする地域にはなくてはならないのかもしれません。

これまでデザインのことを後回しにしがちだった地元の企業やメーカーも、身近に相談できる相手ができたことで、情報発信や展示の仕方など「見せ方」に意識を向けるように。TSUGIは町のお医者さん、ならぬ「町のデザイナー」として、産地全体のアウトプットの質を底上げしています。

人口4,200人の町に3万人の来場者が集まったイベント「RENEW」

新山さんたちを中心に、河和田の人たちを巻き込み開催された体験型マーケット「RENEW」は2015年にスタート。初年度は2,000人足らずの規模で行われたイベントが、2017年にはなんと約3万人の来場者を記録し、県内外から多くの人たちが河和田に訪れました。

福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
福井県鯖江市で行われたrenew×大日本市博覧会
RENEW当日、地域の嬉しい変化に思わず涙する新山さん

「僕らだけでやってることではなく、一緒に戦ってくれる仲間がいたのはとても心強かったです。当初は『よそものが何かやり始めたぞ』と嫌がる方もいましたが、売りに行くことだけではなく、産地に来てもらうことの両輪が必要なんだということを、とにかく誠意を持って伝えていきました。

1年目に参加した企業やメーカーは約20社でしたが、2017年はその4倍以上の85社に参加していただきました。地元企業やまちの方も、一緒になって協力してくださったのが本当にありがたいです。みなさん、腹をくくってくださったんだと思います」

これからの10年を見据えて

新山さんが河和田にやってきて8年。その間に移住者が増え、大きなイベントも開催されるようになり、河和田の景色は大きく変わりました。新山さんが目指す「これからの産地の姿」について、語っていただきました。

「現在、伝統工芸に関わる職人の約7割が60歳以上です。10年後には職人の数は半分以下になり、売り上げも1/3くらいにまで落ち込むのではないかと言われています。

職人の数が減ると、ものづくりの全行程を担えなくなる産地も出てくると思うんですね。そうなると、外部の人たちと技術を共有しないと産地の存続自体が危ぶまれます。今、越前漆器と言っていますが、今後いつ『北陸漆器』とかになってもおかしくないと思うんですよ。もう産地というくくりが変わるかもしれません」

だからこそ、「若者の力」はこれからの産地にとって大事な布石だと新山さんは言います。実は新山さんが移住して以降、ものづくりを志す若者を中心に、のべ60人以上が移住している河和田。若者の熱意で産地のベテラン職人たちも積極的になり、ともに地域の未来を考えていけるような姿を目指しています。

「RENEW」を通して生まれた新しい夢

ところで、今回の「RENEW」を通して、新山さんには新しい夢ができたそうです。それは「河和田に新しい宿をつくる」こと。

「河和田くらいコンパクトなまちだと滞在時間はせいぜい2時間くらいなんです。このまちの良さを見てもらい、地域にちゃんとお金が落ちるような状況をつくりたいですね。

ものづくりができる場所、食べる場所、住む場所は「PARK」ができたことで叶えられましたが、あとはこの町に滞在するための宿泊施設があればと思って。実現するのは先の話になるかもしれませんが、まだまだ僕たちにできることはたくさんあるはずです」

鯖江のコミュニティスペースPARK
2017年10月にコミュニティスペース「PARK」がオープン。人が集まる場所になっている

新山さんが目指すのは、半径10キロ圏内の人たちが楽しく暮らせる持続可能なコミュニティ。しかし、自分ごととして地域と向き合ってきた取り組みは、今や県を飛び超え、全国から注目が集まっています。

デザインを通して地域に寄り添う新山さんの働き方を知ると、地方であってもアイデアや関わり方次第でさらに面白くなりそうな予感がします。河和田には都市部とは違う大きな可能性に満ち溢れていました。

新山直広(にいやま・なおひろ)
1985年大阪府生まれ。京都精華大学デザイン学科建築分野卒業。2009年福井県鯖江市に移住。鯖江市役所在職中に移住者たちとTSUGIを結成し2015年に法人化。グラフィックデザインをベースに、地域のブランディングを手掛ける。“支える・作る・売る” を軸に、アクセサリーブランド「Sur」の企画製造、福井の物産ショップ「SAVA!STORE」、体験型マーケット「RENEW」の運営など、領域を横断しながら創造的な産地づくりを行っている。

RENEW2019 開催決定!

新山さんたちが河和田で始めた体験型マーケット「RENEW」が今年も開催されます!

RENEW 2019
普段出入りできないものづくりの工房を開放し、実際のものづくりの現場を見学・体験できる参加型マーケット
開催:2019年10月12日(土)~14(月)
会場:福井県鯖江市・越前市・越前町全域
https://renew-fukui.com/


聞き手:西木戸弓佳
文:石原藍
写真:上田順子、RENEW×大日本市博覧会、TSUGI

*こちらは2017年10月19日の記事を再編集して公開しました。

「かっこいいだけ」では国の豊かさが無くなる。梅原真、ローカルデザインの流儀

土地に根差す人々に目を向け、その土地の物語に耳を傾ける。

そうして土地の風景が浮かび上がるようなデザインを作ることで、一次産業に新風を吹き込んできたデザイナーがいる。

高知県で生まれ育ち、今も高知市に拠点を置く梅原真さんだ。

一本釣りの風景を消したらいかんぜよ

1980年に事務所を設立してから38年。「一次産業×デザイン=風景」をテーマに掲げ、地域で埋もれていた産品にデザインの力で光を当てて、数々のヒット商品を生み出してきた。

今や日本を代表するデザイナーのひとりとして知られる梅原さん。その原点は、1988年の仕事にある。代表作のひとつ「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザインだ。

梅原真デザイン「土佐一本釣り・藁焼きたたき」
「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のパッケージ。(写真提供:梅原デザイン事務所)

ある日、かつおの一本釣りの漁師が梅原さんを訪ねてきた。その漁師は、梅原さんに率直に窮状を訴えた。

かつおを一網打尽にする巻き網漁船が主流になって、効率が悪い一本釣りのかつおは価格を高く設定せざるを得ない。そのうえ原油が高くなって、漁に出るだけでお金がかかるのに、巻き網漁で魚が減っていてかつおが釣れない。

魚を食べる人が減って、かつおの魚価も下がっている。このままではかつおの一本釣りはできなくなる。

かつおの一本釣りといえば、高知の風物詩。漁師の話を聞いているうちに、梅原さんの脳裏にはふたつの光景が思い浮かんだ。漁船に乗り込んだ17人の漁師が、次々とかつおを釣り上げる勇壮な姿と、その家族の姿だ。

漁師たちは日本全国の海を回ってかつおを釣るため、一年の大半は海の上。だから2月に高知から出港する時には、漁師の家族が港に集まり、「いってらっしゃい!」と見送る。手を振り、無事を祈る家族の横顔―。

「あの風景がね、消えるんやと思って。それはいかんぜよと思ったね」

大企業と仕事をしない理由

すぐに、漁師からの依頼を受けることに決めた梅原さん。2時間を超える打ち合わせの間に、ある思い出が蘇った。

子ども頃、梅原さんの祖母は藁でかつおのたたきを焼いてくれた。香ばしい匂いが漂い、口に含むとかつおのうま味がじゅわっと染み出してきた。梅原さんは、漁師にその場で伝えた。

「藁で焼きましょうや」

すると、漁師は一瞬の戸惑いも見せずに、「よっしゃ、やろう!」と答えた。

このやり取りから「一年の半分、港に入り浸り」という濃密な交流が始まり、「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザインが生まれた。この商品は、8年をかけて売り上げ20億円を超える大ヒット商品に成長し、かつおの一本釣りの漁師を守ることにもつながった。

梅原真氏
「漁師と打ち合わせた時もこのテーブルだったな」と振り返る梅原真さん

この仕事は梅原さんのその後にも大きく影響した。著名なデザイナーでありながら、梅原さんは基本的に大企業の仕事を受けない。そのきっかけとなったのである。

「僕がこうしましょうやって言うと、彼は即座に対応する。それくらいパワフルな人でしたからね。その副作用で(笑)、企業の部長さんが来て、帰って相談してきますっていうのが許せなくなったんです。決定権がない人とは仕事をしたくない。だから、必然的に小さな会社の社長が来られるようなことになる。かっこつけて大きいところと仕事しないって言ってるんじゃないですよ」

「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザイン以来、梅原さんが仕事をする上で「土地の風景を守ること」が大きなキーワードになった。そこには、危機感がある。

「大きく言えば日本がフラットになってしまって、青森も鹿児島も岐阜もみんな一緒になっちゃった。バイパスができて、ラーメン屋とハンバーガー屋なんかがいっぱいできて、そんなんどこでも一緒やないか。土地の個性を知らせてくれるのが自然現象だけですよ」

梅原さんにとって、その土地ならではの風景を失わせるフラット化は、阻止すべきもの。土地の風景を守るためには、クライアントとケンカすることもいとわなかった。

村長とケンカ

日本屈指の清流、四万十川に面した十和村(2006年に窪川町、大正町と合併し四万十町に)の総合振興計画書の作成に携わった37歳の時のこと。

梅原真デザイン「十和村の総合振興計画書」
十和村の総合振興計画書(写真提供:梅原デザイン事務所)

四万十川には増水すると水の下に沈む沈下橋(ちんかばし)が47本かかっているのだが、十和村では町をあげて、もっと大きくて便利な橋に変えようと動いていた。

しかし梅原さんはひとり反対し、沈下橋の近くに引っ越した。

「利便性を求めて大きな橋をかけたら、大阪の郊外にある橋と一緒になるわけですよ。フラット化への反対ですよね。でも、高知市内に住んでいながら、沈下橋を残しませんかと言っても、村の人からしたら、何言うてんかってなるのは当然だと思う。

村長とケンカもしました。だから、よそ者がじゃなくて“うちら者”になって楽しく反対したらええんやと思って、十和村に引っ越して、5年住みました」

総合振興計画書の作成に携わりながら、村民が願う新しい橋をかけることに反対して、村長とケンカする。デザイナーの仕事の領域を明らかに超えているが、当時からそれほどまでにフラット化の危険性を感じていたのだろう。

ちなみに、バブルの崩壊などもあって残された沈下橋は、今では旅行者が大型バスで乗り付ける観光名所になっている。

“暮らしはさておきのデザイン”

梅原さんは、日本のフラット化がデザインの世界にも及んでいると指摘する。

「地方のデザイナーも東京的なものに憧れて、東京並みのデザインをしたいと思っているし、行政は東京で認められるデザインをしたくて、東京のデザイナーに依頼する。デザイナーも行政も爪先立ちで東京の方ばかり見ているから、地に足がついていない。

そういうデザインには、一番大切な暮らしの匂いを感じないんだよ。デザイナーが作ったスプーンって、かっこええけど使いにくいのがたくさんあるじゃないですか。僕はあれを、“暮らしはさておきのデザイン”と呼んでいるんだ」

デザイナーがデザインを通じてフラット化に抗うためのヒントは、「暮らし」にある。「暮らし」という生活に密着したデザインがヒットすれば、経済的な恩恵をもたらすだけでなく、その土地の風景を守ることにもつながるからだ。

例えば、梅原さんがプロデュースした「しまんと地栗 渋皮煮」。これは、旧十和村で長らく放置されていた山の栗を使った商品である。

梅原真デザイン「しまんと地栗 渋皮煮」
大ヒットしてさまの再生にもつながった「しまんと地栗 渋皮煮」(写真提供:梅原デザイン事務所)

「農協のにいちゃんに山に連れていかれてね。この栗はどうにかならないかと言われたんだけど、栗を見た瞬間にやった!と思ったね。だって、無農薬無化学肥料やんか。

農協には暮らしの発想がないから、中国産に値段で負けると言っていたけど、僕らは、安全なものであれば高くても買うという暮らしがあることを知っていますからね。

この貴重な栗に『四万十地栗』と名付けて、地元でもともと作られていた渋皮煮にして一瓶3000円で東京のデパートで売り出したら、1週間で500万円を売り上げました」

「しまんと地栗 渋皮煮」のヒットは、四万十地栗を使った様々な商品の誕生のきっかけとなった。そのため栗の需要が急増し、栗の植樹が始まって、荒れた山の再生にもつながった。

現在、多くの移住者を集めて全国的に注目されている島根県海士町(あまちょう)のキャッチフレーズ「ないものはない」。

これも、地方創生ブームにさきがけて2011年に梅原さんが考案したものだ。

梅原真デザイン海士町のポスター
2011年に制定された際に大きな話題を呼んだ海士町のキャッチフレーズ(写真提供:梅原デザイン事務所)

「もともと、海士町のキャッチフレーズは『LOVE ISLAND AMA』だったんですよ。Mのところにハートがあってね。

ええかげんにしなさい、と言いました。やっぱり、きちんと本当のことを言う方が好感度があって、ないものはないと言ったほうが海士町らしい。それが海士町の暮らしだし、風景なんだから」

この潔いキャッチフレーズと、「ない」という割にどこか楽し気なデザインが海士町のブランディングに大きく貢献したのは確実だろう。

土地の力を引き出すデザイン

これまで一貫して地方の仕事を受けてきた梅原さんは「地方が豊かでないと、その国は豊かでない」と語る。

「東京とかパリとかニューヨークとか、大都市を比較する時は指標が経済になるじゃないですか。でも、ローカルで大切なのは経済じゃなくて、いかにその人たちがここに住みたいと思って住んでいるか。

フランスの地方は、豊かですよ。個性的な風景があって、みんなでワインやら何やら自分で作って楽しんでいるじゃないですか。

日本だって、もともとは豊かな地方がありました。だから、僕は日本の風景を作り直したいんですよ」

梅原真氏
郷土愛が強く「生まれ変わっても高知に生まれたい」という梅原さん

雑誌に取り上げられるようなおしゃれなデザインを得意とするデザイナーは、たくさんいるだろう。

しかし、「土地の風景を守る」「日本の風景を作り直す」という幕末の志士のような志を持ち、実践するデザイナーは、梅原さんぐらいではないか。

だからこそ、今も梅原さんのもとには地方の小さな企業や団体からの依頼が絶えない。

「僕の仕事を総括すると、土地の力を引き出すデザインだと思う。その土地の人とよそから来た人が素敵だねと思うような価値観をどうやって見つけ出すか。

“暮らしはさておきデザイン”じゃなく、暮らしを中心にしたデザインを、ローカルでやっていく必要がある。そのためには、その土地での暮らしを知ることが大事なんですよ」

最近、梅原さんは「竜馬がいく」という名のお菓子のデザインを手掛けた。その包装紙には、梅原さんの熱い想いが隠されている。

梅原真デザイン「竜馬がゆく」
包装紙を触ると坂本龍馬の言葉が浮かび上がっているのがわかる。(写真提供:梅原真デザイン事務所)

このお菓子を目にしたら、ぜひ手に取って見てほしい。ぱっと見ではわからないが、包装紙にはエンボス加工で坂本龍馬の言葉が記されている。

「日本を今一度 洗濯いたし申し候」

<取材協力>
梅原真デザイン事務所

文・写真: 川内イオ