日本でただ二人、鹿児島の「うまい焼酎」の鍵を握る職人親子「岩崎蛇管」

鹿児島の焼酎造りにしか使われないという「錫蛇管(すずじゃかん)」。

錫には不純物を吸着させる性質があり、錫蛇管で作った焼酎は、雑味の少ない、まろやかな風味に仕上がると言われています。

錫蛇管
使用済みの錫蛇管

かつては鹿児島の酒造会社では一般的に使われてきた錫蛇管ですが、今は少なくなってしまったそうです。

前回は、現在も錫蛇管を使っている酒造のひとつ、本坊酒造の知覧蒸溜所を訪ね、錫蛇管がどのように使われているか見せていただきました。

本坊酒造錫蛇管
錫蛇管が使われているのは、もろみを熱して発生した蒸気を冷やし液体にする部分。蒸留機の冷却水を入れるタンクの中に入っている

では、その錫蛇管はどのように作られているのでしょう。

使用済みの錫蛇管を固定する木枠に作り手の名前が。

岩崎蛇管

日本で唯一、錫蛇管を作っているという工房に伺ってきました。

「ブーム」が焼酎の造り方を変えた

かつて鹿児島には錫鉱山がありました。

鉱山から錫を運んだ旧「錫街道」沿いに、今回訪ねる「岩崎錫管」さんがあります。

住宅街の一角。

一見すると普通の住宅に、親子二人で錫蛇管を作る工房がありました。

岩崎蛇管
岩崎さん親子。昔は子供部屋だったという作業場にて

仕事を始めて10年目という息子の岩崎隆之さんにお話を伺いました。

「昔は、鹿児島のほとんどの酒造会社さんが錫蛇管を使われていましたが、何年か前の焼酎ブームで需要が増えて、どこもステンレスの蛇管を使った大型の蒸留器に変わっていきました」

錫蛇管は大型の蒸留機には使えないことや寿命が短いことがネックになったようです。

岩崎蛇管
壁には過去の制作事例の写真がいっぱい

「ステンレスは、半永久的ですからね。でも、酒造会社さんによっては“これじゃないと駄目だ”というところもあるので、本坊酒造さんのほか数社に納めています」

錫蛇管の製造元も何社かあったそうですが、後継者不足や需要の減少などから、今では岩崎蛇管さん1社になってしまったそうです。

全国で鹿児島の焼酎を楽しめるのは嬉しい一方、そのために継ぎ手が減る伝統もあるのだと思うと複雑な気持ちがします。

流す量によって、薄くしたり厚くしたり

今では貴重となった錫蛇管の制作を見せていただくことにしました。

「まず、錫を溶かします」

岩崎蛇管
元となる錫のインゴット。今は鹿児島では採れず、こちらはインドネシア産のもの。これで15キロほど
岩崎蛇管
錫を溶かす鍋
岩崎蛇管
冷えて固まった錫。緑色になる

溶かした錫を和紙を敷いた台の上に流し、石の重しを乗せて固め、錫の板を作っていきます。

岩崎蛇管
下の台に錫を流す
岩崎蛇管
重たい石を持ち上げるので腰が大変です。

「錫は高温になりすぎるともうダメです。固まらずに全部流れちゃいます、ダーッと」

厚みを調整するのは、流す錫の量。

「流す量によって、薄くしたり厚くしたり、加減ですね」

経験とはいえ、加減で調整するとは驚きです。

「厚みは重要ですね。蛇管の上の部分はけっこう圧力が結構かかるので、ちょっと厚めにしたり。でも、あまり厚くなると硬くなって曲げるのが大変なので、そのあたりの加減を見ながら作っています」

岩崎蛇管
固まった板を見ると、左に向かって厚みが増している。これもすべて加減で調整

続いて、型取り。

型は全部で13種類あります。

岩崎蛇管
管部分の型。管の径をだんだん細くしていくため、両端の幅が違う。
岩崎蛇管

型に沿って線を引き

岩崎蛇管

型が取れたらカットしていきます。

岩崎蛇管

え⁉︎ハサミで!

金属なのにハサミで切れるなんて、やっぱり錫って柔らかいんですね。

「これは比較的薄いので簡単に切ってますが、厚みがあるところはなかなか大変です。切っているときに厚すぎるなと思ったら失敗、使えませんね」

岩崎蛇管
カットするのは力仕事なので息子さんが担当
一番大きいものと小さいもの。これだけ幅が違う
岩崎蛇管

1つの錫蛇管を作るのに100枚以上のパーツを切り出し、カットした後は切り口にヤスリをかけて滑らかにしていきます。

岩崎蛇管
切り取った端材。再び溶かされて板になる

名前のない道具

岩崎蛇管

これはいったいなんでしょう?

岩崎蛇管

錫の板を当てて

岩崎蛇管

叩いて!

岩崎蛇管

叩いて!

丸く曲げて、筒の形状(半分)にしていきます。

岩崎蛇管

この道具の名前を聞くと「名前?知らない。道具も自分で考えてつくってもらったりしよんのや」とお父さん。

鍛冶屋さんで特注して作ってもらったそうで、板の幅や作りたい形状に合わせて使うため様々なものが揃っています。

「トントンすっと、音がうるさいでしょう。近所にさ。気使いますよね。だから昼間は叩くんだけど」

作業場が住宅地にあるため、叩く工程は朝の10時過ぎから始めて、夕方4時前には終わらせているそうです。

波打つような模様が美しい溶接部分

続いて、鏝が登場。

岩崎蛇管
岩崎蛇管

鏝を熱して端材の錫を溶かしながら、2枚の板をつなぎ合わせて筒にしていきます。

ようやく一部分が完成!

岩崎蛇管
溶接部分は波打つような模様になり美しい

ひとつの蛇管を作るのにこのパーツだけで40数本必要になります。

岩崎蛇管
岩崎蛇管
筒の大きさで使う鏝の大きさを変える

全てが手作業

完成すると、錫蛇管の重さは1台100キロほど。

今は酒造会社さんに取りに来ていただいているそうですが、かつては輸送手段がなかったため、輪にしたものを酒造に運び、泊まり込みで作り上げていたといいます。

それにしても、全てが手作業で行われていることに驚きました。

もしかしたら機械を使える工程もあるのかもしれませんが、微妙な加減は手作業でしか出せないもの。

ふたりで1台作るのに、2ヶ月ほどかかるといいますが、想像以上に大変なお仕事でした。

錫蛇管
完成形(使用済みのもの)

「毎年、10月ぐらいから醸造がはじまるので、それまでにメンテナンスを済ませて、新しいのを入れ替えるような感じですね」

「昔は酒造会社さんによって錫蛇管の形も違ったみたいなんですけど、それだとちょっと大変なので、今はだいたい型を統一してもらっています。出口の方向だけは、酒造会社さんによって違いますね」

思いの詰まった焼印

錫蛇管を作る方が少なくなっていく中、なぜ岩崎さんは続けてこられたのでしょうか。

「師匠に、これ覚えといたら必ずいいことがあるからって言われて、続けてきました。ほんと、誰も今つくる人いないもんなあ。面倒くさいし。好きでないとな。根気がいるから。ねえ」というお父さん。

10年前、そんな父親の仕事を継ごうと、息子さんは会社勤めを辞めたそうです。

きっかけは雑誌の取材でした。

「本坊酒造さんがメインの取材だったんですが、うちにも来られて。それを見たときに、やっぱり残しておいたほうがいいかなと思って」

その時、すでに錫蛇管を作っているのは岩崎さんだけになっていました。

「最近、やっと作れるようになりました。曲げるのが難しいんです。理屈ではわかっているんだけど、なかなか上手くいかない。体で覚えていくしかないっていう感じですね」

岩崎蛇管

本坊酒造さんで見かけた焼印がありました。

「これは私がうちの仕事を始めた時に、何かしたいなと思って作りました」

錫蛇管は冷却タンクの中に入ってしまって、外からは全く見えないものですが、自分たちが作ったものに誇りをもっている、そんな力強さを感じます。

たったふたりで、昔ながらの鹿児島の美味しい芋焼酎の味を支える岩崎蛇管。

錫蛇管は今日も住宅街の中で粛々と作られています。

岩崎蛇管

<取材協力>
岩崎蛇管

文 : 坂田未希子
写真 : 尾島可奈子

“カラコロ”と幸せ運ぶ、佐賀の「のごみ人形」

みなさん、「郷土玩具」と聞いてどんなものを思い浮かべますか?もしかすると、おばあちゃん家にあるような、ちょっぴり渋い人形を思い浮かべてしまうかもしれません。でも、そんな先入観で郷土玩具を一括りにしてしまうのは、もったいない!

日本各地には、実に個性的で愛らしい郷土玩具があります。郷土玩具は、読んで字のごとく、“郷土”に根ざした“玩具”。一つひとつ手作りされ、土地の人々の手で伝えられてきた玩具です。どれも似ているようで、似ていない。それは、その土地ならではの文化や歴史、風習を映し出す鏡のようなものです。

郷土玩具を手にすれば、その土地をもっと深く理解できるはず。

そんな思いから各地の魅力的な郷土玩具を紹介する「さんちの郷土玩具」。

今回は、佐賀県鹿島市の「のごみ人形」に会いに行ってきました。

実は、認知度は全国区?

「のごみ人形」は、干支や動物、七福神、佐賀にちなんだ祭りや行事などをモチーフに、約50種がそろうバラエティー豊かな郷土玩具。「能古見 (のごみ)」という昔からの地域の名前をとって、「のごみ人形」と名付けられました。

この通り、ぽってりとした形とカラフルな色使いが特徴です。竹皮とい草でできた紐がついているものは、「カラコロ」という素朴な音が鳴る土鈴になっています。

のごみ人形

写真を見て、「この人形、どこかで見たことあるぞ」と思った方。

その既視感は正解です。

実は、のごみ人形は、昭和38年、平成3年、平成26年と、これまでに3回も年賀切手のデザインに採用されています。佐賀県を飛び出し、全国津々浦々の人の前にお目見えしているのです。どこかで見かけていても、おかしくありません。

のごみ人形
昭和38年に兎鈴、平成3年に未鈴が年賀切手に採用されました
のごみ人形
平成26年の稲荷駒の年賀切手は、記憶に新しいはず

人々の心に潤いと楽しみを

のごみ人形は、染色家の鈴田照次 (すずた てるじ) さんが生み出した郷土玩具。1945 (昭和20) 年の終戦後、物資が少なく、生活苦が続く中で、人々の心を少しでも明るくしたいという思いから作り始めたといいます。

当初は資材も少ない中での制作だったため、木製の人形だったそう。その後、干支をモチーフにした土鈴を作るようになり、現在のような土製の人形へと移り変わっていきました。

木製だった当初から、佐賀に生息するカチガラスや民俗芸能「面浮立 (めんぶりゅう) 」など、郷土に縁があるものを題材に製作

1947年ごろからは、日本三大稲荷の一つ、祐徳稲荷神社の境内でも参詣みやげとして売られるように。十二支の土鈴だけでなく、神社にちなんだ稲荷の神の使いである命婦 (みょうぶ) や稲荷駒も作られるようになり、魔除けや縁起物の人形として、この土地に根付いていきました。

現在では、工房や祐徳稲荷神社のほか、JR肥前鹿島駅の土産物店でも販売され、まさにこの地域を代表する郷土玩具となっています。

変わらぬ手づくりの工程

のごみ人形は、2種類の土をブレンドした粘土を石膏型に入れ、形を作っていきます。

のごみ人形の石膏型
こちらは、新デザインの十二支鈴「唐犬」の石膏型。中国原産のペキニーズをモデルにしたそう

土鈴の場合、土を固めた玉を入れて、音が出るように。乾燥後につなぎ目をなじませ、底部分に切り込みを入れることで、鈴の音を響かせます。この切り込みの匙加減ひとつで響きが変わってくるのだとか。

のごみ人形製作工程
切り込みをまっすぐ、均一な幅で入れていきます
のごみ人形製作工程
乾燥後、土鈴の音色を必ずチェック。いい音でないものは土に戻して作り直します

土鈴にしたのは、「音が鳴る」と「良くなる」という言葉を掛け合わせた縁起物という意味合いがあったのではないかとのこと。「カラコロ」という響きは、福を呼び込む音でもあったようです。

一つひとつの線に意味を込めて

窯で焼き上げたら、次は絵付けです。一筆ずつ、丁寧に色をのせていきます。色づきをよくするために顔料に水で溶いた膠を加え、固まらないようにIHヒーターで温度調節をしながら、色を塗り重ねます。季節や天候で状態が変わるので、職人の勘が頼り。

のごみ人形製作工程
まだまっさらな状態の亥の土鈴
のごみ人形製作工程
単純化しすぎないよう、動物らしさを意識して絵付けしていきます

筆入れは、一本一本の線の意味を考えながら行っていくとのこと。例えば、狆 (ちん) をモデルにした戌の土鈴では、首横の縦線で長い毛並みを表現。変わらぬ絵柄を受け継いでいけるよう、線の太さにも細心の注意を払っています。

のごみ人形
狆 がモデルの戌の土鈴

親子三代で受け継いできたもの

鈴田照次さんが始めた「のごみ人形工房」を現在任されているのが、孫にあたる鈴田清人さん。昨年の春から工房管理を担当しています。昨夏に型取りを担当していたベテランの職人さんが引退し、新体制となって半年ほど。

「とにかく今は丁寧に作ることを重視しています。祖父や父が守ってきた『のごみ人形』の品質をしっかり保ちたい。その上で、ゆくゆくは新しい種類のものも増やしていきたいですね。有明海の干潟に住むワラスボなども作ってみたいです」と清人さん。

守るべきところは守り、進化できる部分は進化を続けていく。

これからも、のごみ人形はさまざまな形で人々の心を明るく照らしていきます。

<取材協力>
のごみ人形工房
佐賀県鹿島市大字山浦甲1524
0954-63-4085
https://www.nogominingyo.com/

文・写真:岩本恵美

栃木「きびがら工房」きびがら細工のへびを訪ねて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。

連載6回目は巳年にちなんで「きびがら細工のへび」を求め、栃木県鹿沼市にあるきびがら工房を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。

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栃木の水田の景色

東京を出て列車で北へ。個性的な技法に興味を抱いた、きびがら細工の蛇に会いに行く。線路沿いに見える水田は、住宅に接し、見渡す限りあちこちに広がっている。水が土に入れ替わった光景は、西洋人の私には驚くべきものだ。

緑豊かな自家農園

目的地、鹿沼の駅のホームで若い女性が待っていた。彼女が職人だ。田舎にある自宅兼アトリエまで車で連れて行ってくれる。
到着するやいなや、前置きなしに庭に案内された。

畑の土から芽が出ている

というのも、ここで、必要な箒きびを栽培しているからだという。成長すると1.5メートルほどの高さになる。「この植物が絶えないように自分で栽培しないといけない」と彼女は言う。

束ねられた箒きびの茎

切った後、茎は乾かされ、束ねられる。小さな干支の動物や箒になるのを待っている。

工房の様子

そして工房へ。伝統的な日本間で、家具はない。部屋の奥の畳の上に、木でできた素朴でシンプルな作業道具と座布団が置かれている。
どうやったら長い時間、あぐらをかいていられるのだろう?私には想像もつかない。

赤い壁と天井の電球

壁に掛けられた時計のチクタクという音だけが聞こえ、静けさと穏やかさが漂っている。彼女のことをうらやましく思う。私は、どこへ行くでもないのに、あちこち走り回りすぎるのだ。

青い首輪をつけた黒猫

猫も静かで穏やかだ。疲れを知らずに繰り返される彼女の手作業を飽きずに眺めているようだ。

しめらせたタオルと箒きび

箒きびを濡らして柔らかくして扱いやすくしてから、蛇の制作にとりかかる。

箒きびを編んでいく手元

何千回も繰り返す、きびきびとした動作。そして、茎から小さな蛇が生まれてくる。

きびがら細工の3匹の蛇

素早い手さばきで、あっという間に3匹できた。取材する私たち3人にひとつずつ。ぽかんとしてしまった!

かごに入ったたくさんのきびがら細工

3匹のへびは仲間に合流し、かごの中へ。形を保てるように太陽のもとで乾かすのだ。

きびがら細工の十二支

全員集合の時がきた。十二支の中に、私の小さな蛇がいる。

駅のホーム

15時。東京へ戻る時間だ。列車を待ちながら、彼女のことを思う。たったひとりできびがら細工の全ての工程を行っている。原材料の栽培から完成まで。彼女がいなかったら、きびがらの蛇は消えてしまうのだ。それは悲しすぎる。

電信柱に巻きついた布とツタ植物

列車に乗り込む前、ホームの反対側の写真を撮った。柱にタイヤが巻きついていて、まるで蛇を思わせる。鹿沼で生まれた小さな蛇は、ポケットに入って私と一緒に旅を続ける。

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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

フィリップ・ワイズベッカーさん

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

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日本で唯一のきびがら細工職人

ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、鹿沼市で箒づくりの一端からきびがら細工が生まれた理由や、きびがら工房を訪ねて教えてもらったきびがら細工の詳細な製造工程(材料の栽培まで!)をご紹介します。

栃木県の鹿沼地方は、江戸時代の古文書に鹿沼の箒職人の記録が見られるほど、昔から農家の副業として座敷箒づくりが盛んなところ。かつては全国一の生産量を誇っていました。

水はけの良い鹿沼の土が、箒の材料となるほうき草の栽培に適していたため、ほうき草の産地となり、また良質な材料が採れることから、自分たちでも箒を作り始めたそうです。

「鹿沼箒」は、大型かつ丈夫で長持ちなのが特徴。目減りしてきたら、編み糸を下から外していき、座敷掃き、土間掃き、そして外掃きへと使い続けられる。しかし、その技術がなくなりつつあるといいます。

根本に膨らみのあるハマグリ型が特徴の鹿沼箒

箒の材料は、ホウキモロコシ(ほうき草)というイネ科の一年草です。中国から日本へ渡ってきたことから、「唐黍(とうきび)」ともいいます。「きびがら細工」とは、この黍(きび)のガラ、つまり箒づくりの廃材でつくる人形のことです。

そのきびがら細工をつくる「きびがら工房」の創業は大正7年。代々鹿沼で箒屋を営んでいた家系の初代が、分家して工房を立ち上げました。

当時は、座敷箒をつくっていた工房が市内に1000軒もあったといいます。しかし、昭和30年に掃除機が誕生したことで、鹿沼箒の需要は激減し、昭和42年には箒屋が18軒にまで減ったそうです。

そんな時代の真っ只中、二代目の青木行雄さんが、箒づくりの技と材料を違う形で残そうと、鹿沼の白鹿伝説にちなんで、鹿の郷土玩具を作ったのがきびがら細工の始まり。昭和37年のことだといいます。

またその2年後、東京オリンピックが開かれた昭和39年の干支「辰」のきびがら細工を創案して販売したところ大人気に。これをきっかけに、毎年買い揃えてもらえるようにと、十二支のきびがら細工が誕生しました。

きびがら細工十二支
きびがら細工十二支

現在、きびがら細工を作るのは祖父の跡を継ぐ三代目の丸山早苗さん。日本で唯一のきびがら細工職人であり、年間にすると2500個ほど作っておられるそうです。

きびがら工房三代目 丸山早苗さん

「両親がお店をやっていたため忙しく、子供の頃から祖父の工房で過ごして育ったので、祖父が大好きでした。11年前に祖母が亡くなってから、箒作りのお手伝いを始めたのがきっかけです」

当然、跡を継ぐのは簡単ではなかったそうで、「箒づくりは力仕事のため女性職人が少なく、周りに反対もされました。」と、丸山さんの言葉には前途多難を乗り越えた強い意志がにじみ出ていました。

必要な素材は、育てるところから

丸山さんのきびがら細工作りは、箒の材料となるほうき草を育てる工程と、人形を作る工程の大きく二つに分かれます。

まずは、ほうき草を育てる工程。

1)5月「種まき」
収穫が手刈りで一気に刈り取れないので、2週間おきに植えます

工房横の畑で発芽したばかりのほうき草

2)8月~9月半ば「刈り取り」
  この頃には150cmくらいまでに成長

3)「種の採取、湯通し」
  タネを採った後、殺虫と成長止めのため、5~30分お湯に浸けます

4)「天日干し」
  3日~1週間ほど外で日光に晒します

天日干しされたほうき草

以前に、ほうき草の栽培者がいなくなり材料が手に入らないことがあったことから、ほうき草の栽培は近くの農家さん2軒に依頼した上で、さらにもしもの時に備えて、自身の畑でも栽培して種を保存する徹底ぶり。

「栽培技術が一度途絶えているので、肥料の具合や水のタイミング・量など、箒が作れるように育つのかまだうまくつかめていないんです」

収穫したほうき草のうち、箒をつくれる材料に育っているのは2割に満たないといいます。そして、その残りがきびがら細工の材料となるわけです。ほうき草の供給としては不足していますが、小さい箒にするなどして地場産材だけで作ることにこだわっているそうです。

また、職人さんなのに指先がきれいなのが気になり伺うと、
「材料に農薬や薬を一切使っていないので、手が荒れないんです。修行時代はよく手を切って傷だらけにしていましたが(笑)」

と、ほうき草の栽培は、農家さんが自身で作っている米ぬか、おから、ビール粕などの有機肥料のみを使用した無農薬栽培と、こちらも徹底しています。

続いて、人形を作る工程。

1)ほうき草を水で濡らす
2)ほうき草数本を束ねて糸で編む

力を入れて糸が切れないギリギリのテンションで編む(ナイロンの漁網を使用)
きびがら細工を編んでいる丸山さんにじゃれる黒猫
ときおり、猫のちょっかいを受けながら‥‥

3)針金とゴムで留めて完成形をつくる

へびの形をつくって固定する

4)天日干し

ザルに入れられて工房の前で日光浴

ほうき草は育った環境によって表皮の硬さや筋の入り方が1本ずつ異なり、柔らかい・曲げにくいなど、素材の「タチ」といわれる個性があり、慣れるまではそれを見極めるのが難しいとのこと。

丸山さんは小さい頃からほうき草で遊んでいたので、草の目を読むのが得意なのだそうです。余裕がある時は、手元にある材料を見て何を作るか決めることもあるとか。

きびがらを編んでいく手元では、へびが淡々と同じ方向にとぐろを巻きながら成長していきます。デザインは、先代のものから微妙に替えてつくっているといいます。

「自分が最高だと思うきびがら細工を作ればいい」という先代の言葉を胸に、「作り方は以前とまったく同じですが、リアルに作ろうとしていた先代に比べて、絵的な感じで子どもがぱっとみても何かわかるものを目指している」

と、三代目らしいものづくりを目指されているようです。

古来より箒は「安産祈願」、「災いを掃き出す」などと言い伝えられてきました。その廃材で作られるきびがら細工も同じように、丸山さんが使い手の幸せと健康を祈り、一個一個心を込めて作られています。

その功績が認められ、昨年12月には「鹿沼きびがら細工」が栃木県の伝統工芸品に認定されました。

さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第6回は栃木・きびがら細工のへびの作り手を訪ねました。それではまた来月。

第7回「大分・北山田のきじ車」に続く。

<取材協力>
ぎびがら工房

罫線以下、文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」3月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

焼酎大国・鹿児島の秘伝。「錫蛇管」の酒造りとは?

全国でも鹿児島の芋焼酎造りにしか使われない部品があります。

その名も錫蛇管。すずじゃかん、と読みます。

すず?ヘビ?

一体どんなものなのか?なぜ鹿児島にしかないのか?明治創業の老舗酒造、本坊酒造さんにおじゃましてきました。

芋焼酎が生まれる現場へ

本坊酒造

訪れたのは鹿児島市内から車で50分ほど。本坊酒造さんの知覧蒸溜所です。
本坊酒造さんは鹿児島で焼酎造りに錫蛇管を使っている酒造メーカーのひとつです。

車を降りるとふわっとお酒の香りが。

「知覧は芋焼酎の原料となるさつま芋の産地で、水量豊かな天然水にも恵まれています」

迎えてくれたのは蒸溜所所長の瀬崎俊広 (せざき・としひろ) さん。

本坊酒造の中でも最大規模を誇る知覧蒸溜所は、昭和48年の創立当初から「錫蛇管」を使っているそうです。

錫蛇管との対面

さっそく瀬崎さんのご案内で錫蛇管のある蒸溜所の中へ。ワクワクします。

本坊酒造貯蔵タンク
原酒の貯蔵タンク

大きなタンクが整然と並ぶ蒸溜所内。なんだかとってもかっこいいです。

そして‥‥

「これが、役目を終えた錫蛇管です」

本坊酒造
所長の瀬崎さん

おぉー!これが錫蛇管!

錫蛇管
錫蛇管

確かに蛇のように、とぐろを巻いています!

想像していたものより蛇感があって、でもちょっと可愛らしさもあります。なぜ錫を使い、こんな形をしているのでしょうか。

錫蛇管で造ったものは、ふくよかな味になる

瀬崎さんによると、錫には不純物を吸着させる性質があり、錫蛇管を使った原酒は、雑味の少ない、まろやかな風味に仕上がるのだとか。

「錫蛇管が使われているのは、焼酎の元となるもろみを熱して発生した蒸気を、冷やして液体にする部分です。同じもろみでも、錫蛇管で造ったものは味がふくよかな感じになるんですよ。

ただ形状から大きさに限度がありまして、10機ある蒸留機のうち大型4機はステンレス、小型の6機に錫蛇管を使っています」

ステンレスの蛇管が使われている大型の蒸留機。子供の背丈ほどの錫蛇管とは規模感が違います
ステンレスの蛇管が使われている大型の蒸留機。子供の背丈ほどの錫蛇管とは規模感が違います

本坊酒造さんでは、錫蛇管の特性を活かしたいと、錫蛇管だけで仕込んだ焼酎「錫釜」という銘柄もあります。

錫を使うことで味に変化を与えるというのは、酒造りに携わる方の中では常識だそうですが、なぜ錫蛇管は鹿児島にしかないのでしょうか。

薩摩錫器にルーツをもつ、鹿児島ならではの錫文化

かつて、鹿児島には錫鉱山がありました。

明治期には錫器の生産が盛んになり、贈答品をはじめ、一般家庭でも錫製の酒瓶、盃、チロリ(酒の燗をするもの)、茶壺、仏具などが愛用されてきました。

現在、錫山は閉山されましたが、薩摩錫器は県の伝統工芸品として、その技法が受け継がれています。

美しい薩摩錫器
美しい薩摩錫器 (岩切美巧堂)

錫は加工がしやすいことなどから、鹿児島では古くから焼酎造りにも使われてきたそうです。

「では、焼酎の造り方をご案内しながら、実際に錫蛇管が使われているところをお見せしましょう」

おいしい焼酎ができるまで

「ここは、もろみをつくるタンクです」

本坊酒造蒸留所
足元にあるのがもろみタンク

焼酎も日本酒と同じように米麹造りから始めます。お米を洗って水に浸漬(水に浸ける)させ、蒸して冷ました後、種麹(黒麹・白麹など)を種付けし、発酵させると米麹ができます。

「もろみにも一次と二次があって、まずタンクに米麹と水と酵母を入れて、一次もろみをつくります」

続いて二次もろみに必要なさつま芋の加工場へ。

本坊酒造蒸溜所
さつま芋の処理場

大きな保管庫からさつま芋がコンベアを伝って運ばれてきます。

コンベアの両脇に30人ぐらいが座って、大きな傷のあるものなどを選り分け、芋の傷んだところを手作業で削っていくそうです。

本坊酒造蒸溜所
さつま芋を蒸す機械
本坊酒造蒸溜所
蒸した芋を粉砕する機械

「その後、芋を蒸して冷やし、砕いて、水と一緒に第2タンクに入れて、二次もろみをつくります。二次もろみができると、蒸留機に入れて、いよいよ蒸留していきます」

蒸気から液体に変わる道

「こちらが錫蛇管を使った蒸留機です。6基で大きな蒸留機1個分を蒸留します」

本坊酒造錫蛇管

この中に錫蛇管が!

本坊酒造蒸溜所
蒸留機の裏側

蒸留機の中で熱されたもろみから、蒸気が発生します。これを冷やして液体にするのが、錫蛇管の役割です。右側の冷却水を入れるタンクの中に入っています。

タンクの中を見させていただくと…

本坊酒造錫蛇管

いました!いました!錫蛇管!

この管を蒸気が通って原酒になっていくんですね。

本坊酒造錫蛇管
釜から蒸気を横に流す“わたり”部分にも錫が使われている
本坊酒造錫蛇管
水温管理の機械。錫蛇管を使った蒸留機の方が温度管理もしやすいそう

ゆっくり冷やすことでより美味しいお酒になる

「蛇のような管の形になったのは、熱効率がとてもいいからです。上は湯気が出る80度ぐらいの温度で、一番下は20度。急に冷やされるのではなく、じわーっと冷えていく感じですね」

本坊酒造錫蛇管

「管の太さが下にいくにつれて、細くなってるでしょう?

上の部分は蒸気がいっぱいなので太くしてあるんです。気体が冷えてだんだん液体に変わり、体積が小さくなっていくにつれ細くしてあります。こうすることで冷気がじわじわと全体に、効率よく伝わります」

本坊酒造錫蛇管
溶接部分は美しい模様のようです

「作る時は溶かした錫を板にして、曲げて管にしたものを溶接し、蛇管の形にしていくようです。錫は柔らかいので、こうした凝った加工もできますね」

味がより美味しくなるのであれば、全ての蒸留機が錫蛇管であればいいと思うのですが、人の手で作るため大型化には向いてないとのこと。

「これが錫で作れる最大サイズじゃないかな」

また、熱が伝わりやすいがゆえ、熱の収縮で曲がってしまい、5~6年で引退。しかし使ったものは溶かされ、再び錫蛇管となって生まれ変わります。

本坊酒造錫蛇管
熱の収縮により管が潰れている
本坊酒造錫蛇管
”わたり”部分。こちらも一緒に取り替えられる

土地の豊かな資源から生まれた機能的で味もまろやかになる錫蛇管。

産地ならではの酒造りの様子を知ることができました。

では、この錫蛇管は一体どんな風に作られているのでしょうか。

蛇管を固定している木枠に、造り主の名前が!

岩崎蛇管

鹿児島の焼酎探訪、錫蛇管を作り続けている「岩崎蛇管」の話に続きます!

<取材協力>
本坊酒造株式会社 知覧蒸溜所
https://www.hombo.co.jp/


文:坂田未希子
写真:尾島可奈子、画像提供:岩切美巧堂

沖縄 まさひろ工房の窯出しへ

冬の沖縄はけっこう寒い。体や脳が勝手に”暖かいだろう沖縄”を想像しているからなんだと思う。実際の気温は関東に比べたらずいぶん高いのに、体は寒いと感じている。不思議なもんですね。みんげい おくむらの奥村です。

今月は我が家を飛び出して、旅先のこと。1月末の沖縄、「まさひろ工房」仲村まさひろさんのところの窯出しにでかけました。仲村さんは沖縄読谷村の北窯に学び、20年ほど前に独立し、自らの窯を自らの手で築きました。

生まれも育ちも沖縄。沖縄で初めて人間国宝になった陶工金城次郎さんにあこがれ、次郎さんの焼き物のような焼き物を目指している。土、釉薬、薪、すべて沖縄の素材から。

窯出しの日も寒かった。くもりときどき雨。さとうきび畑も海もちょっと寒々しいが、年に一度か二度しか焼かれない窯の窯出しに気持ちはぽかぽか興奮している。

曇り空の沖縄の海

40時間にも及ぶ登り窯の窯焚きは5日ほど前に終わっていて、そのまま自然に冷まされているものの、窯の内部は場所によってはまだうつわを素手で触れないほど熱気がこもっている。

沖縄にあるまさひろ工房の工房内

1300度近くまで温度が上がった窯のエネルギーがまだそこにあるよう。窯の口を開け、少しずつうつわが取り出され、およそ半日で窯出しは完了。1000点を超えるうつわが工房に並ぶその姿は壮観。

沖縄にあるまさひろ工房の工房内

仲村さんのうつわは沖縄らしいどっしりさ、そして懐かしさや温かみを感じられる。沖縄の現代のうつわとしては地味な方だと思うが、それがかえって他の産地のうつわとも組み合わせやすいと思う。

沖縄の焼き物に詳しい人が古い焼き物と勘違いすることがあるのは、昔からの素材を使ってていねいに、昔の人たちのような気持ちで作っているからなんだろう。

多くのうつわ好きな人にぜひこの工房の、こんな姿を見てもらいたいと思うけど、ここは1人工房。残念ながら売店もなければ、作業場への一般の方の立ち入りはできません。

沖縄にあるまさひろ工房の釜出しの様子

ならば手にとって、そのうつわを使って食事ができるところをご紹介したい。

那覇市の中心部、泉崎。ここに「味噌めしや まるたま」というお店があります。同じ那覇の首里にある老舗「玉那覇味噌」の味噌を使った味噌料理を出すお店。こちらでまさひろ工房のうつわが使われています。

味噌めしや まるたまの店内

この日は味噌を使ったハヤシライスがある、ということでそれをいただくことに。実は結構この店は通っていてほぼほぼのメニューを食べているので今日はちょっと変化球。

ハヤシライスはまさひろ工房の八寸皿にドンと盛られて出て来ました。おー。きれい。

味噌めしや まるたまのカレー

家で使うなら七寸皿でもよいけれど、八寸だと見映えがしてお店っぽい。味噌のコクがあって濃厚なハヤシライス。たまにはいい。

こういった見栄えのする染付けの皿は意外と何にでも使えるし、地味な色の料理もこうして明るく見せてくれるもので、一枚でもずいぶんと存在感がある。仲村さんのうつわの一つの特徴である重さを感じてもらいたい。このお皿、ズシッときますよ。

ところでこちらのお店。初めての方にはぜひ味噌汁の定食を頼んでもらいたい。沖縄で味噌汁というと大きな丼に具沢山の味噌汁がドンと。そしてご飯や小鉢がつく、味噌汁がメインの定食です。

こちらの店ではこだわりの豚肉がたっぷり入った、ご飯がすすむ味噌汁がまさひろ工房のマカイ(碗)に入ってでてきます。今も日常に当たり前にある沖縄の普通の食事。いいんですよ、味噌汁。ここでは朝から食べられるのも旅人には嬉しいところ。

うつわが産まれる場所と、その土地で産まれたうつわが使われる場所。その2つをうつわの選び手(いや、食いしん坊)がつなぐ。こんなのも「さんち」らしくてまたよかろうかな。

<取材協力>
味噌めしや まるたま
沖縄県那覇市泉崎2-4-3 1F
営業時間 7:30-22:00 (木曜7:30-14:00)
定休日 日曜 (終日)・木曜 (14時まで営業)
電話 098-831-7656

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

鹿児島でうわさの小学4年生。郷土玩具に魅了された、はなちゃんの自由研究

小さい頃、夢中になっていたものはありますか?

私は小学生の頃、化石が大好きで考古学者を目指していたことがありました。今は文章を書く仕事をしていますが、純粋に好きなものを追い求めるこどもの姿を見るといいなぁと思います。

「さんち」では全国各地のさまざまな工芸の産地を訪ね歩いていますが、今回、郷土玩具が大好きな10歳の女の子がいる、という噂を耳にしました。

“郷土玩具”とは、昔から日本各地で作られてきた”郷土”の文化に根ざした”玩具”。だるま、木彫りの熊、こけし等も郷土玩具のひとつ。その土地の風土・文化に密接が反映されています。

小学生で郷土玩具好きなんて、めずらしいなぁと思いつつも、なぜ好きなのか?その理由を聞いてみたくなり、鹿児島まで会いに行ってきました。

きっかけは、おばあちゃんの家にあった「雉子車」

「こんにちは〜」と待ち合わせの場所にあらわれたのは、小学四年生の中岳花乃(なかだけ・はなの)ちゃん。
みんなからは「はなちゃん」と呼ばれています。

白いニット帽が似合うはなちゃん。小学校4年生の10歳です

はなちゃんがはじめて出会った郷土玩具は、古くから熊本県に伝わる「雉子車(きじぐるま)」。おばあちゃんの家にあった雉子車や手毬で遊んでいるうちに、全国各地にこのような郷土玩具があることを知ります。

雉子車を前に 「かわいいですよね〜」と嬉しそうなはなちゃん

さらに、はなちゃんが郷土玩具愛に目覚めるきっかけとなったのが、カプセルトイの「日本全国まめ郷土玩具蒐集(しゅうしゅう)」。
ミニチュアになった全国各地の郷土玩具が出てくるカプセルトイ自販機で、より多くの人に郷土玩具の魅力を知ってもらいたいという願いを込めて、中川政七商店が企画したものです。

造形物において世界屈指の水準を誇る「海洋堂」がフィギュアを手がけています

もともと小さな消しゴムやミニチュアのものを集めるのが好きだったはなちゃん。何気なく見つけたカプセルトイでしたが、いろんな郷土玩具と出会ううちに、その玩具に隠された背景が気になりはじめます。

ちなみに最初にでたのは、北海道の郷土玩具「木彫りの熊」でした
「鳩笛を吹いたら鳩が寄ってくるかな〜と思ったけど、来なかったなぁ」と、おちゃめなはなちゃん。ちなみに「鳩笛」は青森県の郷土玩具

「一つひとつの郷土玩具にはどんな意味があるんだろうと知りたくなって、学校の図書館で本を借りて読みました。そうしたら、郷土玩具には縁起物として、健康や安全の“祈り”が込められているものが多いということがわかりました」

「これは“おばけの金太”という郷土玩具で……」「この郷土玩具はこの本に載ってて……」と詳しく教えてくれるはなちゃん。「話し出したら止まらない」とお母さんもおっしゃっていました

全国さまざまな郷土玩具に詳しいはなちゃんですが、なかでも一番好きな郷土玩具は静岡県の「祝い鯛」だそう。
「二つの鯛がこう重なっているのが、“めでたい”感じがしてとても好き!めでたいのにかわいいから郷土玩具っていいなぁ」と嬉しそうに話してくれます。

静岡の郷土玩具「祝い鯛」。ミニチュア版も並べてみました

郷土玩具愛溢れる図鑑

調べるだけでは飽き足りないはなちゃんは、夏休みの自由研究も「全国の郷土玩具」を題材にすることに。研究をまとめた冊子は、なんと県の社会科作品コンクールで優良賞を受賞しました。

はなちゃんが手がけた「郷土玩具図鑑」

早速、はなちゃんがつくった図鑑を見せてもらいました。

まずは、全国各地にある郷土玩具の分布図から。北海道、東北、関東、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄と各地方に分けて、47都道府県の郷土玩具を紹介しています。

次のページからは郷土玩具を一つずつ取り上げ、その背景にあるいわれや各地の方言なども一つずつ詳しく調べてありました。

絵も細かいところまできちんと描かれていて、とても美しいです。何色も使いながら細部まで表現するのは時間がかかりそう。実際のところ、夏休みはひたすら机に向かい絵を描く毎日でしたが、小さい頃から絵を描くことが大好きだったはなちゃんにとっては「楽しくてまったく苦にならなかった」そうです。

学校の色鉛筆だと色が足りないから、と大きな色鉛筆セットも購入。使いすぎてすっかり短くなってしまった色もありますね

夏休み中には地元で鹿児島の伝統工芸「薩摩糸びな」をつくる体験があると聞き、一人でワークショップにも参加したこともありました。講師の先生にマンツーマンで指導してもらいながら、「薩摩糸びな」に使う素材や歴史についてもインタビューし、図鑑にまとめています。その行動力たるや、驚きです!

文章も写真もレイアウトもすべてはなちゃんが手がけました。編集者顔負けですね
大学や博物館でリサーチした時の様子もしっかり記録しました

そんなはなちゃんの将来の夢は?

こんなにも郷土玩具愛を表現してくれた小学生が今までにいたでしょうか。イキイキとした表情で郷土玩具について語るはなちゃんの姿に、元気をもらえそうです。

最後に、はなちゃんの将来の夢を聞いたところ「美大で絵の勉強した後、雑貨の企画プロデュースをしたい!」と答えてくれました。なんと、すでに新商品のアイデアも書き溜めているとのこと。将来が楽しみな逸材です。

10年後も郷土玩具への想いを持ち続けてくれるといいなぁ。
はなちゃんが手がけた商品が誕生する日を、今から楽しみにしています!

 

< 取材場所 >
可否館
鹿児島県鹿児島市永吉2-30-10
TEL:099-286-0678
http://coffee-kan.com/
営業時間:10:00〜20:00
定休日:第1・第3・第5水曜日
駐車場:あり

文:石原藍
写真:平井孝子、西木戸弓佳