京扇子と江戸扇子の特徴や違いは?扇子のデザインに込められた意味を探る

初めは、風を起こす道具ではなかった扇子

こんにちは。THEの米津雄介と申します。

 

連載企画「デザインのゼロ地点」、7回目のお題は、日本で独自に生まれた折り畳み団扇 (うちわ) 。そう「扇子」です。

僕はなぜか昔から折り畳みとか軽量とか小さくなるといった持ち運べるための設計に心を打たれることが多いのですが、扇子はまさにそれ。

第2回でお題となったはさみと同じように、扇子も古くから大きな形状の変化のないプロダクトですが、やはりその理由は携帯用の団扇として完成度の高い設計だからではないでしょうか。実は替えの効かない道具のように思います。

とはいえ種類も豊富でどこで買って良いかもわからず、なんだか敷居が高そう。その上、正しい使い方やもしかしたら作法なんかもあるのかも‥‥なんてことを考えてしまってなかなか手が出ません。

今回改めて扇子の諸々を調べていて最初に驚いたのはその出自。実は扇子は、涼を取るために風を起こす道具として生まれたわけではなかったそうです。

扇子のはじまりは、約1200年前の平安時代、京都。世界で最初に生まれた扇子は、木の板を重ねて束ねて作られた「檜扇 (ひおうぎ) 」と呼ばれるものだったそうです。

平安時代から少し時代を遡った5世紀頃、文字の伝来とともにその文字の記録媒体として「木簡」という薄い木の板が輸入されます。

平安時代に入り、宮中などで文字や木簡が広く使われはじめると、記録する文字が増え、一枚では足りず紐で綴って使うようになったそうです。そしてこれが檜扇の原型ではないかと言われています。

「彩絵檜扇 (さいえひおうぎ) 」平安時代後期 装飾としても使われていた

つまり、今と違って「扇 (あお) ぐ 」ことが主目的ではなく、贈答やコミュニケーションの道具として和歌や花が添えられたり、公式行事の式次第などを忘れないようにメモする道具として使われていました。

無地の檜扇は男性の持ち物でしたが、色や絵が施されるようになると女性が装飾のために用いるようになったそうです。「源氏物語」など、多くの文学作品や歴史書にもその記録が残っています。

ちなみに「団扇」は紀元前の中国や古代エジプトで既に使われていて、扇ぐ道具でもあったそうですが、権威の象徴や祭祀に関わる道具としても用いられていたそうです。

そして、檜扇に続き、紙製の扇子もあらわれました。片貼りという骨にそのまま紙を貼っただけのもので、扇面の片側は骨が露出している状態でした。

この扇子は「蝙蝠扇 (かわほりせん) 」と呼ばれていたのですが、広げた時の様が蝙蝠 (コウモリ) の羽のように見えることからという説があります。

また、蝙蝠扇は現在の扇子と同じように涼をとるのにも用いられ、「夏扇」とも呼ばれていました。対して檜扇は「冬扇」といい、季節や場面によって使い分けられていたようです。

蝙蝠扇 (かわほりせん) 写真提供:伊場仙

その後、日本で生まれた檜扇や蝙蝠扇は鎌倉時代に宋 (中国) への献上品として海を渡り、室町時代に「唐扇 (とうせん) 」という呼び名で日本へ逆輸入されることになります。

唐扇は、骨数が多く紙を両面に貼ったもので、ここで現在の扇子にかなり近いものが出来上がったそうです。またこの頃から様々な扇子の形が生み出され、茶の湯や芸能にも用いられるようになります。

さらに、江戸時代に入ると国の保護を受ける指定産業となり、京都から久阿弥 (きゅうあみ) の寶扇堂 (ほうせんどう) 初代金兵衛が呼ばれ、江戸でも生産が始まることで、扇子は庶民の必需品となっていきます。

送風を主として、茶道や能・狂言・香道・舞踊・冠婚葬祭や神社仏閣の儀礼用など、実に様々な用途で広まった扇子ですが、ここではやはり涼を取るための道具としてのデザインのゼロ地点を考えてみようと思います。

京扇子と江戸扇子

国の指定伝統工芸品にもなっている「京扇子」。前述の通り、起源は平安時代。歴史的にも古く、国内でも最も多く流通しているのが京扇子です。京都らしく雅な絵柄が特徴。

筆記用具として使われていた木簡をルーツとし、当時は主に貴族向けで、一般庶民が使用することはありませんでした。扇面はその装飾や材質で身分を表し、貴族にとってステータスシンボルとなるものでした。

詩歌をしたためるのでどんどん骨数も多くなり、コミュニケーションのため装飾も華やかになったそうで、女性的な佇まいを感じます。

先月の細萱久美さんの記事にも掲載された宮脇賣扇庵 (みやわきばいせんあん) 。鳥獣戯画扇子/名入り別注扇子

一方で、都が江戸に移ってから庶民の道具としても普及した「江戸扇子」。
はじめは武士社会の中で発展し、茶室で刀の代わりに使い、敵意がないことを表す道具でもあったそう。そしてほどなくして、江戸の町人にも扇子が普及します。

人に見せるためのデザインではなく、見えないところに細工を施したり、素材にこだわることが「粋」とされ、武士=男社会の中で発展していったこともあり、骨数が少なく、持ち運びがしやすく、装飾も隠喩したものが主流になりました。

また、琳派の祖と言われる俵屋宗達や、かの有名な葛飾北斎などの絵師達が多くの扇面画を手掛けたそうです。

もともと、浮世絵や日本画の版元だった日本橋・小舟の伊場仙。「江戸扇子」 (柿渋)

京都の「雅」と、江戸の「粋」。
2つの対照的な扇子は生まれた時代は大きく違えど、扇子のオリジンと呼べるのかもしれません。

そしてもう一つ、「扇子」と聞いた時にパッと思い浮かんだのは落語でした。
名前も知らなかったのですが、扇子といえばあの噺家の扇子。正式名称は「高座扇」や「高座扇子」というそうで、「落語扇」とも呼ばれます。

浅草・文扇堂の「高座扇」 (THE SHOPでも取り扱いがあります)

少し大きめの7寸5分 (約23センチメートル) でがっしり作られ、扇ぐだけでなく、落語の見立て道具として使われるアレです。箸、筆、タバコ、徳利や杯、しゃもじ、刀、釣り竿‥‥等々、様々なものへの見立てとして使うため、主張の少ない白無地が多く、骨の数も数本少ない。

実は落語だけでなく歌舞伎役者や棋士にも愛され、白無地であることも相まって、京扇子や江戸扇子にはない匿名性が際立ちます。扇子素人の僕でもパッと思いついてしまう「誰もが知る扇子」として、最も扇子らしい扇子なのかもしれません。

写真の高座扇は、浅草の文扇堂さんのもの。歌舞伎や噺家の名門から長く愛される創業120年の老舗扇子店です。THE SHOPでもお取り扱いがありますので是非 (笑)

デザインのゼロ地点・「扇子」編、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。

<写真提供>
伊場仙
荒井文扇堂
(掲載順)

米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。


文:米津雄介

※こちらは、2017年8月10日の記事を再編集して公開しました。

五輪選手の好成績を助ける、日本の職人たちの「道具作り」秘話

東京五輪開幕まで1年と少し。日々スポーツの話題に熱が帯びていますね。選手を支える大きな存在のひとつが、数々の道具たち。競技に使用するものから、身に着けるものまで、今日はそんな道具たちを手掛ける職人のストーリーを紹介します。

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平昌五輪、フィギュアスケートのブレード

羽生結弦は“ギザギザ”のブレードで高く飛ぶ。演技の鍵を握るスケート靴の秘密

スケーターたちは誰も、わずか幅4ミリのブレードの刃に、こだわりを持っているそうです。1シーズンをともにするブレード選びの瞬間から、戦いは始まっています。

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産地:神奈川

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「自転車の歴史」に挑む稀代のフレームビルダー

「世界最高峰のフレームを作るんだ!」苦労して建て直した事業も顧みず、時代に逆行しながら愚直にフレーム作りに向き合った職人が、世界中で評価されるまでの物語。

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産地:東京

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小平奈緒の金メダルを支え、谷口浩美は「この靴のおかげ」と言った。

今年71歳。生ける伝説とも称される靴職人がいる。三村仁司さん。数々のアスリートが彼の靴を履いて歴史をつくった。なにが、違うのか。ドラマ「陸王」の敏腕シューフィッターのモデルにもなった、三村さん本人に会ってきた。

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産地:播磨

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株式会社キタイ

雨でも最高のプレーを!プロサッカー選手も愛する、奈良産スポーツ靴下の技術

試合をするコンディションから製品の設計が始まる。奈良にあるキタイは、世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるスペシャリスト。その製造現場へ伺いました。

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産地:奈良・大和郡山・生駒

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アシックス

サッカー日本代表 大迫、乾の共通点はスパイクにあり。ASICSが表現した究極の「素足感覚」とは

多くのサッカー選手を足元から支えているのが、アシックスのスパイク。今回は、知られざる「スパイクづくり」の舞台裏をたずねました。今後は選手の足元にも注目です!

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産地:東京

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スニーカーでもパンプスでも「脱げない」フットカバー。プロサッカー選手も認める靴下メーカーの挑戦

スポーツソックスメーカー「キタイ」が目指して開発したのは、脱げない靴下。この夏の時期に大活躍の一足には「3つのヒミツ」が込められています。

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産地:奈良・大和郡山・生駒

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

簡単にできる浴衣のお手入れと洗い方。保管のポイントを知れば浴衣を長く楽める

浴衣のお手入れ、保管方法を知って長く楽しむ

今年の夏、みなさんは浴衣を着る予定はありますか?

花火大会や夏祭り、ビアガーデン、はたまたちょっとしたお出かけに纏っても夏をより一層楽しめるように思います。今回は浴衣で出かけた後のお手入れや、翌年また楽しめるように保管しておく方法をご紹介します。

和服というと、お手入れや保管が難しいというイメージがつきまといますが、ポイントさえ押さえればとてもシンプルです。基本的には、1シーズン着て、季節の終わりに洗濯して片付けるだけ。汚れや汗、シワのケアをしておくとより長く美しく着られるので、脱いだらすぐにやっておくと良いこともありますが、ほとんどワンピースなどの洋服と同じです。

それでは、順を追ってご紹介していきましょう。

まずはハンガーにかけて陰干し

浴衣を脱いだら、まずはハンガーにかけて陰干しをします。ハンガーは洋服用のものでも問題ありません。

陰干しとは、直射日光の当たらない場所に干すこと。風通しの良い場所に干すことで、湿気を飛ばしシワを伸ばします。

浴衣は丈が長いので、ハンガーをかける位置によっては裾が床についてしまうこともありますが、気になるようでしたら下に敷物やタオルなどを敷いておくと良いかもしれません。または、お部屋の扉の上部分にハンガーを引っ掛けるようにして干すと裾がつかないちょうど良い高さになることもあります。

同様に帯や腰紐、伊達締めやウエストベルトなどもハンガーに干して湿気取りやシワ伸ばしを行います。肌着は、下着同様に毎回洗濯しましょう。

汚れのチェック

ハンガーにかけたら、全体に汚れやシミがないかをチェックし、見つけた場合はできるだけ早く処置します。水溶性の汚れは部分的に水洗い、ファンデーションなど油性の汚れの場合は少量の洗濯洗剤などを使って部分的に優しくもみ洗いします。真っ白なブラウスの襟などを汚してしまった時の部分ケアをイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。

裾の泥やほこりによる汚れがある場合、泥は乾いてからタオルでつまみとり水拭きすれば問題ありません。ほこりは洋服ブラシなどで払えば取れます。そのままにしておくと生地に沁みてしまうので早めのケアが安心です。

汗をたくさんかいてしまった場合は、汗をかいた箇所を中心に霧吹きか、濡れタオルで挟むようにして湿らせます。一晩干しておくと水と一緒に汗も飛ばされています。

木綿や麻でなく、絹紅梅(きぬこうばい=木綿にシルクの織り込まれた生地)などの高級な浴衣の場合は、固く絞った濡れタオルを使ってお手入れします。

その他、下駄などの履物は、使った後に固く絞った濡れタオルなどで拭いておくと次も気持ちよく綺麗に履けて長持ちするのでおすすめです。

浴衣の洗い方

夏の終わり、浴衣を着終えたら、洗ってから片付けます。木綿の浴衣は洗濯ネットに入れて洗濯機で洗える(5分程度で十分)とも言われますが、心配な場合は手洗いかクリーニングが安心です。特に、縮みが心配な場合はクリーニングをお勧めします。

絹紅梅の場合は扱いが難しいのでプロへ。悉皆屋(しっかいや=着物専門のクリーニング)さんへ出しましょう。

自宅で丸洗いする場合は、袖を合わせてパタパタと折るだけの簡単な袖畳みにして洗濯ネットに入れて行います。大きなたらいなどに水を張り、洗剤(おしゃれ着用洗剤など)を適量入れて混ぜます。その中に浴衣を入れて全体を押し洗いします。この時、ぬるま湯だと色が移ることがあるので必ず水で行います。

最低2回すすいだら優しく水気を絞ります。力強く絞るとシワになるので要注意。すぐさまネットから取り出し、大きなタオルの上に浴衣を広げます。干す前に、水気を切りながら手アイロンで伸ばしておくと乾いてからのアイロンがけが楽になります。

全体を伸ばしたら、袖を伸ばせる状態で和装ハンガーにかけて風通しの良い場所で陰干し、乾いたら畳んで片付けます。アイロンをかけるのは翌年着る直前のほうが良いでしょう。

ちなみに、絞りの浴衣などは、アイロンをかけるとシボ(シワ模様)が伸びてしまうので、手アイロンのみで仕上げ、どうしてもきれいに伸びなかった箇所のみ当て布をしてふんわりとアイロンがけします。

有松絞りのシボ。糸でくくって染め上げることで立体的な仕上がりとなります

浴衣の保管方法

本畳みと呼ばれる、縫い目に沿った畳み方で浴衣を畳んだら、着物専用の包み紙「たとう紙(たとうし)」などに包んでから収納すると安心です。クリーニングから返ってきた際も、通気性を良くするため、ビニール袋から出してたとう紙に包みます。

たとう紙は、和紙でできているので通気性がよく、和服を湿気から守ってくれます。浴衣購入時に付いてきたり、通販でも手頃な価格で販売されているので、簡単に手に入ります。

防虫剤を利用する際は、洋服でも同じですが、直接浴衣の上には乗せず、たんすや衣装ケースの隅に置いて使用してくださいね。

オフシーズンの間の保管スペースの確保が難しいという場合もあるかと思います。そんな時には、トランクサービスなどを利用するのも便利です。

例えば、スマホアプリで簡単に利用できるトランクルームアプリ『サマリーポケット』から『着物ボックス』というサービスがリリースされました。きもの専門店「きものやまと」との提携で生まれたきもの専用ボックスです。ほかにも、着物や和服の預かりサービスは色々なところが提供しているので、一度調べてみてください。

夏の思い出となる時間を共に過ごした浴衣。ちょっとしたお手入れと管理に気をつけて、来年もまた愉しみたいものですね。和服といえど、浴衣は気軽なもの。身構えすぎず、ポイントを抑えればシンプルに扱えます。

夏のワードローブの1着として、思いっきり楽しんでまいりましょう!

<参考文献>

『大人のおでかけゆかた コーディネート帖』 (株) 小学館 著者・秋月陽子 (2008年)

『着物でおでかけ安心帖』 (株) 池田書店 監修・大久保信子 (2013年)

『京都で磨く ゆかた美人』 NHK出版 編者・日本放送協会 NHK出版 (2014年)

文・写真:小俣荘子

※こちらは、2017年8月14日の記事を再編集して公開しました。

日本唯一の木工技術!職人ワザを間近で見学できる「BUNACO(ブナコ)西目屋工場」

青森県の南西部にある西目屋村 (にしめやむら) 。

人口1400人ほどという県内最小人口の村に、JR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」がわざわざコースの一部に採用している場所があります。

木工品の工場見学や製作体験で人気の、BUNACO (ブナコ) の西目屋工場です。

BUNACOとは、青森から秋田にかけて世界最大級の原生林がある、ブナの木を用いて作る木工品。お皿やトレーなど、一見すると普通の木工品のようにも見えますが、その作り方がとってもユニークなのです。

BUNACO
BUNACO
BUNACO

その独自の木工技術から食器やトレーに限らずランプシェードや椅子などのインテリアも手がけ、青森県立美術館や世界的な外資系ホテルの照明にも採用されています。

青森県立美術館
先日取材した青森県立美術館のオフィス棟の廊下には、BUNACOのランプが並んでいました
青森県立美術館 割れや歪みが少なく、従来の木工品と比較して造形の自由度が高いのも特長。ランプシェードも様々な形があります
県立美術館の企画展でも、青森らしい工芸としてBUNACOが紹介されていました

百聞は一見にしかず。とにかく、BUNACOの木工工場へと向かってみましょう!

小学校が木工職人の仕事場に。BUNACOの西目屋工場へ

JR弘前駅から車を走らせること約30分。住所どおりの場所に向かうと、そこにはどこか懐かしい雰囲気の小学校の校舎がありました。

ブナコ西目屋工場

BUNACOの西目屋工場は、小学校だった建物を再活用して2017年4月にオープン。当初から開かれた工場を目指すべく、工場見学や木工品の製作体験も受け付けています (※製作体験のみ有料) 。

校舎をそのまま活かした空間。探検気分で見学を楽しめそうです
校舎をそのまま活かした空間。探検気分で見学を楽しめそうです

工場見学は10名以上の団体でなければ事前予約は不要。工場や職人さんのお休みを除き、受付時間内であれば、ふらりと立ち寄って誰でも見学可能です。気軽に行けるのも人気の理由の一つかもしれません。

ブナコ西目屋工場
建物の入口近くでは鉄琴に跳び箱がお出迎え。小学校の名残りがあちらこちらにあるのも親しみが感じられます

BUNACOの工場見学は、ガイドさんが引率して工場内を巡るようなツアーではなく、見学者が自分のペースで順路通りにまわれるセルフ式。

ブナコ西目屋工場

今回は特別にブナコ株式会社の広報担当、秋田谷恵 (あきたや・めぐみ) さんに案内していただきました。

ブナコ・秋田谷恵さん
秋田谷恵さん

工場見学のスタートは2階から。

まずは、秋田谷さんの案内で、元音楽室という「スピーカー試聴室」へ。

そこにはBUNACOのスピーカーや照明が展示されており、音と光が体感できるようになっています。

ブナコ西目屋工場
デザインオフィスnendoとのコラボスピーカーも
ランプシェードは今やBUNACOを代表するプロダクト。赤い透過光はブナならではなのだとか
ランプシェードは今やBUNACOを代表するプロダクト。赤い透過光はブナならではなのだとか

「こういう大きなランプを作るようになって、広い場所が必要になったんですよね。そんな時にちょうど西目屋村の村長さんから、小学校の校舎の再活用のお話をいただいたんです」

ブナコ株式会社は1963年に弘前市で設立。もともとはテーブルウェアなどのサイズの小さい木工品を中心に作っていたので、市内の工場でも広さは十分だったといいます。

BUNACO

それが、2003年からランプシェードを販売するようになり、直径90センチほどのものを取り扱うようになると弘前の工場がやや手狭に。現地採用などで職人さんやスタッフを確保しながら生産体制を整え、西目屋に新たな工場を構えました。

BUNACO

今では、BUNACO作りの基本工程は全て、ここ西目屋工場で行っています。

日本一の蓄積量。ブナを有効利用した木工技術

いよいよその製造現場へ。

元教室が並ぶ廊下を進んでいくと、各教室で工程ごとに分かれて職人さんたちが手を動かしていました。

まずは、BUNACO作りの基本、巻き上げ工程を見学。職人さんが、グルグルと何かを巻きつけています。

BUNACO西目屋工場

近づいて、職人さんの手元をのぞいてみると‥‥

巻いていたのは、なにやらテープのようなもの。

「これは、ブナの木をテープ状にしたものなんですよ」

え⁉︎木ってこんなに薄くできるものなんですか。

ブナの木をテープ状にしたものを土台に巻きつけて造形していく。日本で唯一というこの木工技術が、BUNACOの最大の特長です。

ブナコ
製品の形状に合わせて、いろいろな形の土台に巻きつけていきます

なんでも、ここでしっかりと巻かれていないと後々の工程で作業が大変になるのだとか。

ブナコ西目屋工場
力加減もペース配分も「一定」を保つことが大切なのだそう

それにしても、なぜわざわざ木をテープ状にして使うのでしょう?

「ブナの木には水分が多く含まれていて、伸縮が激しいんです。建材には向かないので、この辺りではりんご箱や薪としてしか使われてきませんでした。

でも、実は青森県はブナの蓄積量日本一。この自然の恵みを何とか有効利用するために開発されたのがBUNACOの木工技術なんです」

ブナ
ブナの木
ブナコ
ブナの原木をかつらむきのように厚さ約1ミリの板にスライスしてテープ状に。表面の点々は水脈なのだそう

テープ状からインテリアに⁉︎繊細な職人ワザ

巻き上げ工程を終えると、次は型上げ工程です。テープを巻いた状態から、一体どうやってうつわやランプになっていくのでしょうか?

ブナコ西目屋工場
テープが巻かれた円盤が
ブナコ西目屋工場
重なり合ったテープを押し出していくと‥‥
ブナコ西目屋工場
徐々に立体的になっていきました

さらに面白いのが、その道具。

すでにお気づきかもしれませんが、湯呑み茶碗なんです。

ブナコ西目屋工場

力加減は感覚で、完成形へと近づけていきます。まさに職人の勘がないと難しい作業です。

今でこそ、既製品を使っているとのことですが、かつての職人は骨董市などで自分の手にフィットする湯呑みを探したといいます。

テープのずらし方によって、立ち上がる面の角度が変わり、変幻自在に姿を変えていく様は見ていて飽きません。

ブナコ西目屋工場
最終的には型にはめて高さや直径などをチェックし、微調整していきます
ブナコ西目屋工場
トレーなど立ち上げる面が少ないものは、湯呑み茶碗ではなく、へらなどで細かくテープをずらしていきます

テープをずらしすぎてしまうと重なり合う部分がなくなってしまい、巻きがバラバラになってしまいますが、心配ご無用。

ブナコ西目屋工場

テープを巻き直せば、やり直しができます。材料を無駄にせずに済むだけでなく、失敗を恐れずにものづくりに挑戦できるというのは職人さんにとってもありがたいことなのかもしれません。

型上げ作業を経て形ができあがると、塗装前の仕上げへ。木工用ボンドを薄めたものをムラなく全体に塗って、形を固定させます。

ブナコ西目屋工場
ブナコ西目屋工場
隙間がある場合は、ボンドに木の粉を混ぜて作ったパテで隙間を埋めます

乾燥したら、やすりがけをして仕上げへ。

ランプやスツールなど組み立てが必要なものはパーツを組み、製品としての完成形に近づけます。

ランプの組み立て作業中

西目屋に人を呼ぶ。木工工場だけに終わらない戦略

ひととおりの工程を見終えると、1階へ移動。

廊下を抜けると、机と椅子が並ぶ開放的なスペースが広がっていました。奥にはBUNACOの木工製品の数々が購入できるミニショップがあります。

ブナコ西目屋工場
元食堂という広々としたスペースは、製作体験や工場見学に訪れた人たちのくつろぎの場になっています
ブナコ西目屋工場
ミニショップではBUNACOの主な製品を購入することが可能。アウトレットコーナーもあります

さらにその奥には、元給食室だったところを改装したカフェがあるとのこと。

そこにはBUNACOのランプシェードやスピーカーがあちこちにある、なんともオシャレな空間が広がっていました。

ブナコ西目屋工場
カラフルな椅子やテーブルがポップでかわいらしいカフェ。手前のテーブルは、よく見ると青森県の形をしています

「西目屋村には、これまでこうしたカフェも喫茶店もなかったんだそうです。

小学校再活用のお話を受けて、私たちは西目屋に工場をただつくるのではなく、西目屋を人が呼べる場所にしたいと思うようになりました。

カフェも工場見学もその一環なんですよね」と秋田谷さん。

ものづくりだけじゃない。案内もこなす木工職人たち

「西目屋にたくさんの人を呼びたい」「来た人を喜ばせたい」という思いは、工場にいた職人さん一人一人からも感じられました。

「職人」というと、どこか頑固一徹、寡黙で淡々と作業をしている姿をイメージしがちですが、製造現場にいたBUNACOの職人さんたちはとてもフレンドリー。

ブナコ西目屋工場で働く職人さん

作業中にもかかわらず、わからないことや気になることを聞くと、笑顔で丁寧に答えてくれます。

聞けば、工場見学だけでなく、製作体験も全て職人さんたちだけで応対しているとのこと。

そんなおもてなしの素晴らしさもあって、JR東日本の豪華列車「TRAIN SUITE 四季島」のツアーコースの一部にも観光スポットとして採用されています。

でも、細かい作業が多いだけに、作業の邪魔にはならないのでしょうか?

弘前の工場でも働いていた職人さんは、人に見られることによって良い変化があったと言います。

「作業を見られるのは相変わらずめちゃくちゃ緊張しますけど、以前とは気持ちの持ちようが変わりました」

ブナコ西目屋工場で働く職人さん

「目の前の人はいずれ自分たちが作ったものを買うかもしれない人。その人たちが手にするものを作っているんだと思うと、よりいっそう気持ちが引き締まるんです」

使い手の姿が見えることでモノに込められる思いがある。訪ねた人も、作り手の姿が見えるとモノに興味や愛着が湧く。

人はやはり、人の姿に心動かされるようです。

BUNACOの素敵な「ものづくり」と「おもてなし」、ぜひ現地で体感してみてください。

<取材協力>

BUNACO

http://www.bunaco.co.jp/

BUNACO 西目屋工場

青森県西目屋村大字田代字稲元196

TEL:0172-88-6730

文:岩本恵美

写真:船橋陽馬

【わたしの好きなもの】THE 洗濯洗剤

 

洗濯物の洗い分けが不要になる究極の「洗濯洗剤」

デイリー用、ウール・シルク用、おしゃれ着用、柔軟剤、漂白剤。

目的によって4~5種類を使い分ける必要があった洗濯洗剤。その使い分け、洗い分けの手間をグッと減らしてくれたのが「THE 洗濯洗剤」です。

選ぶ決め手になったのが、これだけで普段着からウール、シルク、ダウンやレインウェアまで洗えること。一度にすべて洗えるなら、これまで洗い分けにかかっていた手間をなくせるのではと期待したのですが、結果、期待通り!

タオルもシャツもウールのセーターも内側がシルクの靴下やレギンスも、本当にこの洗剤だけできれいに、風合いよく洗えています。

洗い分けの必要がなくなることで、以前はウールやシルクの別洗い衣料用に置いていたかごを撤去。いろんなパッケージが並んでごちゃっとしていた洗剤置き場もあわせて、かなりすっきりしました。



「THE 洗濯洗剤」の価格は500mlで2700円と洗剤としてはかなり高価。でも、洗濯ものの量にもよりますが、1回に使う量がたった5mlと本当にわずかなため、かなり長持ちします。

以前は頻繁に洗剤を詰め替えていた気がするのですが、これに変えてからはまだ詰め替えなくていいのかな?と思うようになりました。


1回5mlしか使わないということは、1本で100回洗えるわけで、1日1回しか洗濯しなければ3ヶ月以上もつんですよね。洗い分けの手間がなくなったことや、クリーニングに出していたようなものも自宅で洗えるようになったこと、他の洗剤を買わなくて済むことを考えれば、意外と割高感はないように思います。

理想の洗い上がりを実感

また、洗い上がりのよさも実感していて、特に違いがわかりやすかったのがタオルです。

以前、吸水性が下がり、毛羽が落ちやすくなるからタオルには柔軟剤を使わないほうがいいとタオルメーカーさんから聞いていたので、これを機に柔軟剤を辞めてみようと試したところ、柔軟剤を使ったときの膜が一枚かかったような感じがなく、さっぱりとしているのに触り心地はふんわり、といった個人的に理想的な洗い上がりでした。

シルクやカシミアのストールも何度か手洗いしましたが、こちらも満足のいく洗い上がり。ドライクリーニングの香りが苦手だったので、顔に近い巻きものを自宅で洗えるのはすごくうれしいです。

試しに一度、と思い使い始めましたが、洗濯にかかる手間と時間の短縮と洗い上がりのよさは予想以上。なかなかいいものに出会えずにいた洗濯洗剤ですが、マイ定番を探し続けた長い旅にようやく終止符が打てそうです。


EC課 辻村

入学まで3年待ちも。「世界で一番小さな学校」が倉敷にある

柳が揺れ、川舟が進む倉敷川のほとり、倉敷美観地区の一角にその研究所はあります。

川舟が進む倉敷川の風景

研究所といっても白壁に囲まれた町家の建物は街並みに溶け込み、前を通っても素通りしてしまうほど。

倉敷本染手織研究所
倉敷本染手織研究所
控えめに看板がありました

引き戸から中へ入ると広い土間。居室へ進むと中庭を臨む板の間には、形が異なる椅子たちが並び、座面をさまざまな模様の敷物が彩っています。

「倉敷ノッティング」と呼ばれる手織りの敷物
これは「倉敷ノッティング」と呼ばれる手織りの敷物。倉敷本染手織り研究所の研究生たちが入所して最初に手掛ける織物です

ここは倉敷本染手織研究所。

研究生は1年間、他の研究生と生活を共にしながら、染織の基礎を学んでいきます。

食事の支度や掃除は自分たちで。作品もまず糸づくりからというストイックな方針ながら、毎年全国から応募者が絶えず、学べるまで3年待ちということも。

人を惹きつける魅力は何なのか、研究生を1年間指導する石上梨影子さんにお話を伺いました。

倉敷本染手織研究所の石上梨影子さん
倉敷本染手織研究所の石上梨影子さん

半世紀を超えてなお、申込者が絶えない「世界一小さい学校」

1953年(昭和28年)、倉敷民芸館の館長であった故外村吉之介が「倉敷民芸館 付属工芸研究所」として開設したのが倉敷本染手織研究所です。

倉敷本染手織研究所

天然染料で糸を染め、手織りで布を織る技術を弟子に伝えるために個人で始めた取り組みで、吉之介はそれを「世界一小さい学校」と称しました。

実はこの建物、元々は吉之介夫妻の自宅。全国から集まった入所希望者は、1年間、吉之介夫妻と生活を共にしながら技術を習得したのです。

倉敷本染手織研究所

卒業後はそれぞれの郷里で、その土地に根付く染めと織りの伝承と広がりを目指しました。

「吉之介は自宅を開放し、弟子たちに自らの生活をさらし、三食を共にすることで織物の技術だけでなく、生活の仕方のありようを伝えようとしたのです」と石上さんは語ります。

倉敷本染手織研究所

研究所の卒業生は、昭和28年の1期生から現在まで66回生。

吉之介に直接、教えを受けたのは40回生までで、吉之介亡きあとは四男で梨影子さんのご主人である信房さんが引き継ぎ、40回生以降を夫婦2人で育成してきました。

倉敷ノッティングから始まる研究所のものづくり修行

4月に入所(今年は4月16日にスタート)した研究生たちは、手始めに単純なノッティング(経(たて)に木綿糸を張り、木綿やウールの糸束を結びつけていく織り方) を学び、6月あたりから機織りの実技が始まります。

1枚のノッティングを作るのに、織るだけなら早くて2~3日で完成しますが、手間がかかるのは、その前の工程。織るための用意に時間がかかるのです。

綿を紡いで緯糸(よこいと)にすることから始まり、細い管(くだ)に緯糸を巻き、生地幅に合わせて160本に糸を揃え、筬(おさ。経糸を機に取付けるために使う櫛のような道具)に糸を張るといった幾つもの工程があります。

倉敷本染手織研究所
整経台を使い、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えていく
整経台を使い、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えていく

一つひとつの工程は全部つながっているので、1工程ずつ何度も練習して、全工程を一人でできるようにならなければ織物は完成しません。

一連の作業がすべて自分でできるようになっても、糸を束ねたり、織物に必要な本数や長さの経糸を揃えたりといった下準備だけでも毎日取り組んで10日以上かかるそう。1枚の布を織りあげるだけでも大変な労力がかかります。

倉敷本染手織研究所

カリキュラムは、易しい平織りから始まり、難度の高い複雑な織りへと進んでいき、最終的にきもの一反分の生地を織るのが卒業制作です。

糸も岡山産の綿を主体に、絹やウールなど、あらゆる素材を扱います。

素材作りに興味を持つ研究生が多く、自身の郷土の織物の特徴を探求したり、興味の幅がどんどん広がるうちに、1年という研究期間はあっという間に過ぎていくそう。

こうして日々手作業を続け、本物の素材や生地に触れていくうちに、研究生たちは身をもって、織物の良さと違いが分かるようになっていくのです。

暮らしながら学び、体にしみこませる

研究生は講義や実習で手仕事の技術を学ぶだけでなく、毎日の食事の準備、掃除、風呂焚き、季節ごとの障子の張り替えなど、生活の仕方も体に染み込ませます。

「食器などは私物の持ち込みはせず、研究所に備え付けの物を使うのが昔からの決まりです」と石上さん。

壁に掛けられた掃除道具
食器や椅子、掃除用具など、生活道具はすべて民藝品で、日常で使いながらその良さを体で覚えていく

研究所内で使う食器は各地の民藝の器やかご、漆器。プラスチック製品はごくわずか。使いながら、漆器などの扱い方も学びます。

こうした生活の仕方まるごと覚えていく学びの環境には、「日々、本物に触れ、目を肥やすことで、生活に本当に適したものを選びとる力を身につけよ」という吉之介の思いがこめられています。

長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
長年、研究生たちが大切にいつくしんで使ってきた食器たち
戸棚に並べられた器
戸棚に並べられた器はどれも存在感があり、まるで展示物のよう。何十年も大切に扱い、毎日使われてきたものばかり

開設時から変わらない入所条件とは

研究所の入所条件は、開設時から変わりません。満18歳以上の健康な女子。

「もともと、女性が家庭に入ってからも着物や帯などの日常着、敷物や布団といった身の回り品を自給できるように、染めと織りの基礎技術を身につけることが研究所設立の目的だったからです。

設立当初は入所希望者の多くが高校卒業後の18歳から20歳という、嫁入り前の女性たちでした。

良家のお嬢さんも少なくなく、卒業時に一人が4台の機(はた)を倉敷で誂え、郷里に持ち帰っていたこともあります」と石上さん。

それほど織物は女性の日常の仕事であり、身近な手仕事だったことがうかがえます。

倉敷本染手織研究所

卒業した研究生が各地に根付く織物を作り、生業(なりわい)にする方法を伝えるために吉之介は徹底した教育を行いました。

こうした研究所の理念の根底には、柳宗悦の民藝運動に対する、吉之介の深い共感があります。

人の暮らしに寄り添うものを作る民藝の精神を、より多くの人に知ってほしい。

家族のために愛情を込めて布を織り、自分の身近なところからものづくりを広めていくことが家庭を良くする──。

吉之介はそうした信念のもと、研究生の育成に力を注いだのです。

講義に使用されている岩波文庫の「工芸文化」(柳宗悦)
現在も講義には岩波文庫の「工芸文化」(柳宗悦)を使用。民藝品の現物を見せながら具体的に教える

時代とともに、手仕事が忘れられていく危機感

しかし、時代とともに人々の衣食住は変化していきます。

日本が高度経済成長期を迎えるとともに生活様式も和から洋へ。

大量生産品の普及、それに伴う物流の発達により、自ら生産するより、消費することに人々の関心が移っていくと、手仕事の必要性やそれを楽しむ心のゆとりは次第に薄れていきました。

住宅事情が変わり、都市部ほど家で機を織ることもままならなくなった今、研究所での学びを生かしたいと、卒業生の中には機織りができる環境を求めて、田舎へ移住する人もいます。

吉之介の自宅風景
吉之介は自宅を開放し、弟子と衣食住を共にしながら教育した
吉之介の自宅風景

それでも学びたい、という研究生をつなぐのは‥‥

かつては、自ら織った着物や帯は、生活着として家族が使うだけでなく、近所の人や知人の依頼を受け、生活必需品として買ってもらことで生活の糧になっていましたが、今はかけた時間や労力に見合う代金で売ることが難しくなっているそうです。

それでも、研究所には毎年定員を超える応募があります。

「以前は高校を卒業後に入所する方が多かったのですが、最近は、大学で染色を専攻した方や留学経験者、仕事をある程度してきた方、定年後の入所が増え、入所者の年齢の幅も広がっています」

研究所には9台の機があります。1人が1台使うので、毎年、採用される研究生も9名。

倉敷本染手織研究所

採用は申し込み順で、来年以降の入所者は1、2年待ち。

「今まで宣伝したことはないのですが、昔は口コミで、今はインターネットで探して申し込む人が増えました」と石上さん。

「岡山のタウン誌で知って、作品展を見に来たのがきっかけです」という研究生は元教員だったそう。通える距離なので自宅から毎日通っているそうです。

「販売の仕事をしていましたが、作り手になりたくて」と神奈川から応募し、研究所に住み込みで学ぶ研究生も。

研究所では、機で織る工程より、それまでの準備に時間と労力がかり、作業自体も重労働。それでも、毎年、一人の脱落者もなく、全員が卒業してきました。

「今は布が好きで自分で作りたいという人が『チャレンジする面白さ』に目覚めるのでしょう」と石上さん。

倉敷本染手織研究所

手仕事を学び、自分で一から作ることが面白いのと同じくらい、仲間ができる喜びも大きいとも。

「1年間寝食を共にした同期生のきずなは強いです。毎年、同窓会には全国から卒業生が集うんですよ」

年に一度開催される展示会には、研究所の生徒と卒業生400名が出展。展示会を目標に各自が制作に励みます。

「同窓会でも先輩から後輩に、ものづくりの知恵や工夫を隠すことなく何でも教え合っています。卒業生たちはものづくりを通じて、世代を超えてつながっているんですね」と石上さん。

研究所での1年に、研究生生徒たちはものづくりの技術を習得するとともに、ものに対する愛着が生まれ、見る目が肥えていくといいます。

「ずっと使い続けることで 良さや美しさがわかるようになった」と口をそろえ、研究所で培った価値観は生涯、ぶれることはない、とも。

吉之介がつくった「世界一小さい学校」は、時代の環境が変わった今も、一人ひとりの卒業生に目に見えない大きな財産を残し続けているようです。

外村吉之介の写真
在りし日の外村吉之介。キリスト教の牧師だった彼は、人々の尊敬を集める人格者だった

<取材協力>
倉敷本染手織研究所
岡山県倉敷市本町4-20
086-422-1541
http://kurashikinote.jp/

文:神垣あゆみ
写真:尾島可奈子