初めは、風を起こす道具ではなかった扇子
こんにちは。THEの米津雄介と申します。
連載企画「デザインのゼロ地点」、7回目のお題は、日本で独自に生まれた折り畳み団扇 (うちわ) 。そう「扇子」です。
僕はなぜか昔から折り畳みとか軽量とか小さくなるといった持ち運べるための設計に心を打たれることが多いのですが、扇子はまさにそれ。
第2回でお題となったはさみと同じように、扇子も古くから大きな形状の変化のないプロダクトですが、やはりその理由は携帯用の団扇として完成度の高い設計だからではないでしょうか。実は替えの効かない道具のように思います。
とはいえ種類も豊富でどこで買って良いかもわからず、なんだか敷居が高そう。その上、正しい使い方やもしかしたら作法なんかもあるのかも‥‥なんてことを考えてしまってなかなか手が出ません。
今回改めて扇子の諸々を調べていて最初に驚いたのはその出自。実は扇子は、涼を取るために風を起こす道具として生まれたわけではなかったそうです。
扇子のはじまりは、約1200年前の平安時代、京都。世界で最初に生まれた扇子は、木の板を重ねて束ねて作られた「檜扇 (ひおうぎ) 」と呼ばれるものだったそうです。
平安時代から少し時代を遡った5世紀頃、文字の伝来とともにその文字の記録媒体として「木簡」という薄い木の板が輸入されます。
平安時代に入り、宮中などで文字や木簡が広く使われはじめると、記録する文字が増え、一枚では足りず紐で綴って使うようになったそうです。そしてこれが檜扇の原型ではないかと言われています。
つまり、今と違って「扇 (あお) ぐ 」ことが主目的ではなく、贈答やコミュニケーションの道具として和歌や花が添えられたり、公式行事の式次第などを忘れないようにメモする道具として使われていました。
無地の檜扇は男性の持ち物でしたが、色や絵が施されるようになると女性が装飾のために用いるようになったそうです。「源氏物語」など、多くの文学作品や歴史書にもその記録が残っています。
ちなみに「団扇」は紀元前の中国や古代エジプトで既に使われていて、扇ぐ道具でもあったそうですが、権威の象徴や祭祀に関わる道具としても用いられていたそうです。
そして、檜扇に続き、紙製の扇子もあらわれました。片貼りという骨にそのまま紙を貼っただけのもので、扇面の片側は骨が露出している状態でした。
この扇子は「蝙蝠扇 (かわほりせん) 」と呼ばれていたのですが、広げた時の様が蝙蝠 (コウモリ) の羽のように見えることからという説があります。
また、蝙蝠扇は現在の扇子と同じように涼をとるのにも用いられ、「夏扇」とも呼ばれていました。対して檜扇は「冬扇」といい、季節や場面によって使い分けられていたようです。
その後、日本で生まれた檜扇や蝙蝠扇は鎌倉時代に宋 (中国) への献上品として海を渡り、室町時代に「唐扇 (とうせん) 」という呼び名で日本へ逆輸入されることになります。
唐扇は、骨数が多く紙を両面に貼ったもので、ここで現在の扇子にかなり近いものが出来上がったそうです。またこの頃から様々な扇子の形が生み出され、茶の湯や芸能にも用いられるようになります。
さらに、江戸時代に入ると国の保護を受ける指定産業となり、京都から久阿弥 (きゅうあみ) の寶扇堂 (ほうせんどう) 初代金兵衛が呼ばれ、江戸でも生産が始まることで、扇子は庶民の必需品となっていきます。
送風を主として、茶道や能・狂言・香道・舞踊・冠婚葬祭や神社仏閣の儀礼用など、実に様々な用途で広まった扇子ですが、ここではやはり涼を取るための道具としてのデザインのゼロ地点を考えてみようと思います。
京扇子と江戸扇子
国の指定伝統工芸品にもなっている「京扇子」。前述の通り、起源は平安時代。歴史的にも古く、国内でも最も多く流通しているのが京扇子です。京都らしく雅な絵柄が特徴。
筆記用具として使われていた木簡をルーツとし、当時は主に貴族向けで、一般庶民が使用することはありませんでした。扇面はその装飾や材質で身分を表し、貴族にとってステータスシンボルとなるものでした。
詩歌をしたためるのでどんどん骨数も多くなり、コミュニケーションのため装飾も華やかになったそうで、女性的な佇まいを感じます。
一方で、都が江戸に移ってから庶民の道具としても普及した「江戸扇子」。
はじめは武士社会の中で発展し、茶室で刀の代わりに使い、敵意がないことを表す道具でもあったそう。そしてほどなくして、江戸の町人にも扇子が普及します。
人に見せるためのデザインではなく、見えないところに細工を施したり、素材にこだわることが「粋」とされ、武士=男社会の中で発展していったこともあり、骨数が少なく、持ち運びがしやすく、装飾も隠喩したものが主流になりました。
また、琳派の祖と言われる俵屋宗達や、かの有名な葛飾北斎などの絵師達が多くの扇面画を手掛けたそうです。
京都の「雅」と、江戸の「粋」。
2つの対照的な扇子は生まれた時代は大きく違えど、扇子のオリジンと呼べるのかもしれません。
そしてもう一つ、「扇子」と聞いた時にパッと思い浮かんだのは落語でした。
名前も知らなかったのですが、扇子といえばあの噺家の扇子。正式名称は「高座扇」や「高座扇子」というそうで、「落語扇」とも呼ばれます。
少し大きめの7寸5分 (約23センチメートル) でがっしり作られ、扇ぐだけでなく、落語の見立て道具として使われるアレです。箸、筆、タバコ、徳利や杯、しゃもじ、刀、釣り竿‥‥等々、様々なものへの見立てとして使うため、主張の少ない白無地が多く、骨の数も数本少ない。
実は落語だけでなく歌舞伎役者や棋士にも愛され、白無地であることも相まって、京扇子や江戸扇子にはない匿名性が際立ちます。扇子素人の僕でもパッと思いついてしまう「誰もが知る扇子」として、最も扇子らしい扇子なのかもしれません。
写真の高座扇は、浅草の文扇堂さんのもの。歌舞伎や噺家の名門から長く愛される創業120年の老舗扇子店です。THE SHOPでもお取り扱いがありますので是非 (笑)
デザインのゼロ地点・「扇子」編、如何でしたでしょうか?
次回もまた身近な製品を題材にゼロ地点を探ってみたいと思います。
それではまた来月、よろしくお願い致します。
<写真提供>
伊場仙
荒井文扇堂
(掲載順)
米津雄介
プロダクトマネージャー / 経営者
THE株式会社 代表取締役
http://the-web.co.jp
大学卒業後、プラス株式会社にて文房具の商品開発とマーケティングに従事。
2012年にプロダクトマネージャーとしてTHEに参画し、全国のメーカーを回りながら、商品開発・流通施策・生産管理・品質管理などプロダクトマネジメント全般と事業計画を担当。
2015年3月に代表取締役社長に就任。共著に「デザインの誤解」(祥伝社)。
文:米津雄介
※こちらは、2017年8月10日の記事を再編集して公開しました。