こどもじゃなくても欲しい。美濃和紙の「のぼり鯉」

こんにちは。細萱久美です。現在フリーで、メーカーさんのモノづくりや販路開拓などのお手伝いをしています。

仕事で地方に行くこともありますが、プライベートであちこち出歩くことも多く、インプットと自分に言い訳を。密やかにInstagramで、モノや美味しいモノをアップしています。

職業柄か、店情報に詳しいと思われることが多いのですが、実際は新しい店を開拓するより、気に入った店をリピートするタイプなので、最新スポットなどはそんなに詳しくありません。

飲食関係で、たまに行きたくなる店が集中しているのは、住んでる奈良でもなく、出身の東京でもなく、意外な場所で岐阜市が頭に浮かびます。

岐阜市にはそれこそ一年に一度は行っている気がしますが、そのきっかけになったのは、先月のさんち記事でもご紹介したまっちんと、まっちんの仕事パートナーの山本慎一郎さんの拠点で、いつも案内してもらえるおかげ。

山本さんは、山本佐太郎商店四代目として岐阜市出身なこともあり、またいつでも明るく誰しもに頼られる存在で、私もなにかと頼りにしている岐阜の兄貴(年下!)なのです。街を歩くと必ず何人もの知り合いに会うという岐阜の有名人。

山本さんは代々続く食品問屋を受け継ぎ、また「大地のおやつ」の製造販売者です。美味しい店にも詳しく、忙しいのを知りつつも、いつも岐阜案内を強請っています。

岐阜市にはオーナーの個性やこだわりが突き抜けた名店が多く、私のリピート率が高い「ティールーム」「たい焼き&かき氷屋」「和菓子屋」「うどん屋」「BAR」・・と挙げたら結構なことに。なので毎度食い倒れの旅です。

山本兄貴と共に、岐阜の名店と個性派オーナーを紹介する本を作りたい!と本気で思ったりします。

つい岐阜愛が強くて前置きが長くなりましたが、今回取り上げるのは、その岐阜市にある「のぼり鯉」の工房です。岐阜を代表する伝統工芸品の一つで、美濃和紙で作られた、いわゆる鯉のぼりです。

岐阜市東材木町「小原屋商店」の「のぼり鯉」

その歴史は古く、徳川吉宗の享保の改革の時代。布は贅沢ゆえ、紙で作るようにお触れが出たそうな。

「のぼり鯉」とは、子供の健やかな成長を願って付けられた名称で、現在製造しているのは、岐阜市東材木町の「小原屋商店」わずか1軒のみ。

十三代続く小原屋の創業はさらに古く、織田信長が岐阜に入城して少し後だと言うから驚きです。

のぼり鯉をつくる和紙
先代の制作風景写真
先代の制作風景写真が飾られている

のぼり鯉は、完全なる手作業で作られ、部屋の中に飾れる小さなサイズもあります。

手漉き和紙を手で揉んで、手描きで彩色します。揉むことで柔らかくなり、立体に形作れるのと、シワによるぼかしが活かされ躍動感のある色彩に。

紙は「油紙」と言う、油を塗った防水紙なので丈夫で長持ち、経年変化で深みが増しそうです。色使いはくっきり、はっきり黒・赤・青・白・黄の五行説の5色。「こどもの日」の元気の象徴としてもぴったりな力強さを感じます。

岐阜市東材木町「小原屋商店」の「のぼり鯉」

十三代目の河合俊和さんは元々建築家と言う異色の職人さんで、今でも兼業にてお忙しくされています。それもあって、百貨店催事などのお話も全て断り、小上がり座敷のある小原屋商店のみでの販売だとか。

私もここに来て初めて知った工芸品です。奥さまがいらっしゃればお茶を出して頂けるかも。

岐阜のことや工芸のことなど、ゆっくりお話しながら鯉を選ぶ時間も贅沢です。
店頭から作業場が拝見出来るので、製作途中の鯉が見れる場合も。

岐阜市東材木町「小原屋商店」の「のぼり鯉」
岐阜市東材木町「小原屋商店」の「のぼり鯉」

サイズはどこでも飾りやすい35センチメートル程度のコンパクトな鯉から、70センチメートルくらいのダイナミックに飾れる鯉、稚児の乗ったタイプもあります。

もはやこどもの日とは関係なく、モノの魅力に参ってオーダーしました。

今日の時代に、ここまでの手仕事は本当に貴重ですし、立派な伝統工芸品ではありますが、当時は今でいう「民藝」だったのでは。

柳宗悦の言う民藝は「実用品」と言う定義もあり、厳密を言い出すと難しいですが、「民衆的工藝」とか「民俗性・郷土色を反映し、素朴な味を持つ」モノと言えば、民藝でもしっくりきます。男子のいる庶民の家に、当たり前に飾られていたのではないかと想像します。

五月の室礼ではありますが、この魅力に、我が家の趣味部屋の定番仲間入りをするであろうと、届くのを待ちわびています。

もし端午の節句までに欲しい方は、お早めに相談することをお勧めします。

<取材協力>
小原屋商店
岐阜県岐阜市東材木町32

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

わたしの一皿 桜を長く楽しむ北海道のうつわ

北海道 高野繁廣さんの木のうつわ

また今年も桜のシーズンがやってきた。うきうきしますね。3月末から4月の初旬が桜の見頃、と思っている方も多いと思いますが、いやいや日本は広いんだ。長いんだ。実は地域によってけっこう桜の時期が違います。今日はそんな話。みんげい おくむらの奥村です。

12月、毎年沖縄へ。窯元の年内最後の窯出しがあったり。その頃になるとオリオンビールの「いちばん桜」が売られていて、プシュッとやるたびにそろそろ桜か、とそんな風に思います。沖縄の桜は1月中下旬に開花。一方、5月初旬GWの頃は北海道が桜の盛り。一昨年は札幌でずいぶん美しい桜を見たっけな。

ね、南北の開花をくらべてみただけで、ずいぶん長い桜のシーズンだとわかる。同じ地域でも平野と山じゃ開花時期が違うだろうし、いろんなタイミングにいろんな楽しみ方があるんですよ、桜ったら。

桜の時期を長く楽しみたい。それはみんな同じでしょう。今日はそんなことを願って北海道の木工のうつわに桜をかたどった最中を乗せてみました。さすがに和菓子までは自作できないのでこれは買ってきたもの。

北海道の木工は家具やうつわで全国的にも知られているかもしれませんが、アイヌの木工と言われたらどれだけの人がピンとくるでしょうか。

はいはい、木彫りの熊ね。と思った方。それも正解。しかし寒い北海道。かつては焼き物ではなく木のうつわで生活をしていたのです。木彫りの熊以前から、長くすばらしい歴史があるのです。そして今もアイヌの伝統の木工を作り続けている人たちがいます。

今日はその1人である、北海道沙流郡平取町二風谷(にぶたに)の高野繁廣(たかのしげひろ)さんのうつわです。集落の横を流れる沙流川と山の景色がうつくしい場所で作られた「ニマ」(アイヌ語でうつわのことを意味する)。地元のくるみの木で作られたもので、無塗装です。木、そのままの仕上げ。

木そのものの仕上げというのは、本来的なものではあるけれど現代の生活にはなかなか馴染まない。無塗装は油ものや液体がかんたんに染みてしまう。そのため一般的にはこうした木工はウレタンで仕上げるもの。ウレタンの膜をつくることで染み込みから守ります。が、ウレタン塗装をすると木の触り心地はない。

アイヌの古いものを見ていくと、いろいろなものが染みたその時間の経過や経年がとても良い風合いを見せることがわかります。汚れとみるか、味とみるか。

ちなみこの両極端だけではなく、無塗装とウレタンの中間ぐらいというか、オイル仕上げもあります。これだと染み込みが少しマシになり、木そのものの風合いが残ります。うちでは高野さんの仕事からは無塗装とオイル仕上げを選んでいます。木工を選ぶときはぜひこの仕上げの違いをくらべてみてほしい。

北海道 高野繁廣さんの木のうつわ

我が家で使っているものがこちら。右の「イタ」(盆)は5年目になったかな。まだまだ若いですが、お茶を淹れる時に使っているので少しずつシミができてきています。これからもどんどん面白い表情なっていくでしょう。

左の、今回使っているニマはまだ1年目。ピカピカです、まだまだ。こちらはあんまり油のものや液体のものなどを乗せて使わない。どちらかというと乾き物専門です。そんな風にしてゆっくり使ってみようと思っているもの。

ちなみにニマに描かれているのはシマフクロウ。よく見ると、なんだかかわいらしいでしょう。トゲトゲしたような模様は二風谷特有の「ラムラムノカ」(ウロコ文様)。イタの丸々した模様は「モレウノカ」(うずまき)。手にとって触れるとその凹凸や線から彫りの感覚が伝わってきてうれしい。

北海道 高野繁廣さんの木のうつわでお茶の時間

さてさて、説明が長引きました。お茶が入りましたよ。お茶は春に飲みたい台湾のお茶を。中国茶、台湾茶はいいですよ。お茶飲みながらのんびり話でもしてね。和菓子とも相性良いですし。桜、果たして今年はあとどこでどれだけ楽しめるかな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

*こちらは、2019年4月5日の記事を再編集して公開いたしました。

土屋鞄の職人、竹田和也さんの“仕事の理由”── 想像の10倍難しくても、僕はこのランドセルを作る

ものづくりの世界に飛び込んだ若きつくり手たちがいる。

何がきっかけで、何のために、何を求めてその道を選んだのか。そして今、何を思うのか。さまざまな分野で活躍する若手職人を訪ねる新連載、はじめます。

竹田和也さん。27歳。

上質でシンプルな革製品を生み出す「土屋鞄製造所」に入社して1年と6カ月。現在はランドセルづくりの最終工程を担うまとめ斑に所属している。

それまでも地元・島根の革工房で修業をしていた。ある程度、経験はあるし、自分なりに革製品もつくってきた。だから入社後も「なんとかなるだろう」と気楽に考えていたという。これまで学んだことがあるのだから自分にはできるはずだ、と。

けれど。

土屋鞄製造所

「そんなの、一瞬で打ち砕かれましたね(笑)」──。

まずは竹田さんがどうして鞄職人をこころざしたのか、そのあたりから話を進めてみよう。

出会いは、自転車旅の途中で

大学生の頃、自転車旅が好きだった。

「福岡に住む友達のクロスバイクに乗らせてもらったとき、なんだこれ、ものすごく乗りやすい、気持ちが良いなと思って。その足ですぐに自転車屋に行きました」

自転車を購入した福岡から、実家のある島根へと向かった。およそ450㎞。4日間かけて旅をした。

土屋鞄製造所 竹田和也さん
島根県出身。「目の前は海、家の後ろにはすぐに山があるような田舎でした」

「それが面白くて。自転車旅にはまったんです」

時間を見つけては旅に出た。島根から広島、四国をぐるり。鳥取から兵庫を巡るなど西日本を中心に、あてもなく、気持ちがおもむくままに走り続けた。

そんな旅の途中で目に映ったのは、たくさんのものづくりだったという。

「木工職人がつくった木のスプーンだったり、ゲストハウスに置いてある椅子やソファが地元の職人の手づくりだったり。なかには、ものづくりを通して町おこしをしようとしている人もいて。そういうことに刺激を受けました」

もともと、ものづくりは身近だった。

「父が何でも手づくりする人で。一番近いコンビニが13㎞先にあるような、ものすごい田舎だったこともあり、買うよりつくるほうが早かったからなんですけど(笑)

テーブルや棚、僕たちの玩具も。欲しいものがあったらまず自分でつくるという環境にありましたね」

ものをつくる。その感覚はすでに体に染み込んでいた。でも、何をしたいか、何をつくるのかは定まっていなかった、そのときまでは。

「何度目の旅だったか。たまたま立ち寄ったのが革製品の工房でした。そこではじめて職人の仕事ぶりを見たんです。鞄をミシンで縫っていたり、木槌で金具を打ちつけていたり。その姿がものすごく格好良くて、憧れた」

そこから2年半。地元にある革製品の工房で修業をした。ひととおりの技術を覚え、自分なりに革製品もつくってみた。

けれど、つくるほどに自分の未熟さが見えてきて、「技術的にも知識的にも、もっといろんなことを学ばないといけない、もっと知りたいと思ったんです」

とりあえず、いろいろな革製品を手にとってみようと向かったのは東京だった。あちこちの工房をめぐり、たくさんの製品を見てまわった。

そのとき。衝撃を受けたのが土屋鞄だった。

1965年創業。上質な革素材を使いつつ、ランドセルはもとより、大人向けの鞄や財布などの革製品をつくり続ける人気ブランドである。

「手にとったのは大人向けの鞄なんですけど〝コバ〟がすごくきれいで。ぴっかぴかしていたのが、すごく印象的だったんです」

鞄の革の断面部分が“コバ”
鞄の革の断面部分が“コバ”。綺麗に仕立てられているのが見てとれる

コバとは革をカットしたときの断面のこと。この部分の表面には微妙な凹凸や段差があり、はじめにそれを丁寧に磨いて滑らかに整え、さらにコバ液という特殊な液を塗り重ねるという作業が必要になるという。

いわば職人ならではの仕事であり、コバを見ればその職人の力量が分かるポイントでもあるという。

「コバをきれいにするのってすごく時間がかかるし、手間暇もかかる。たくさんの鞄をつくらなきゃいけないなかでも、そうした部分に一切手を抜かず、しっかりとこだわってつくっているというところに心惹かれて」

土屋鞄の職人技が、竹田さんに入社を決心させることになったのだ。

「菊寄せ、きたー!」

かくして、土屋鞄に入社した竹田さん。数ヶ月の研修後に配属されたのはランドセルづくりのまとめ斑だった。

作業中の竹田さん

土屋鞄のランドセルづくりは150以上のパーツを用い、300を超える工程がある(前記事「土屋鞄のランドセル、300工程を超える手仕事を間近で見学」をご覧ください)。

まとめ班とはいくつものパーツが組み合わされてきたものを、最終的に完成させる工程のことである。

クリップで留めてある部分に革を張り、縫い付けるのもまとめ班の仕事
クリップで留めてある部分に革を張り、縫い付けるのもまとめ班の仕事

「はじめは外周部分に、ノリを塗って革を貼り、へり返しという作業をひたすらこなしました。

ランドセルを持って説明する竹田さん
「ここがへり返し部分です」と竹田さん
へり革をつける“へり返し”という作業
へり革をつける“へり返し”という作業

本体側に革がのってもいけないし、逆にすき間が空いてもだめで。ピシッと美しく仕上げることが、はじめは難しかったですね」

その後、ようやく任されたのが菊寄せだ。

菊寄せとは鞄や財布などのコーナー部分の処理の仕方で、放射状にひだを寄せながら細かく折りたたむ技術のこと。職人技が試される大事な部分であり、ここを任されるということは職人として一歩前進したといえる。

「菊寄せきたー!と思いましたね。ついにこの部分を任せてもらえるのかと嬉しかった。

ランドセルの菊寄せ部分
菊寄せをすることで強度を増し、美しく仕上げる

でも、それと同時に、菊寄せなんてできる気がまったくしませんでした(笑)

どこから寄せ始めれば均等なひだになるのか、返す幅はどのくらいにすればいいのか。

線が引いてあってその通りにすればいいっていうわけではないので、とにかく何回も、何回も繰り返すことによってその感覚を身につけるしかありませんでした」

菊寄せに取り組む竹田さん
菊寄せに取り組む竹田さん

正直なところ、ゆっくり丁寧にやればできる。

「でも、それではやっぱりだめで。ある程度のペースを維持しながら、精度は絶対に落とさない。それができてはじめて職人として認められるのではないかと」

菊寄せの作業風景

菊寄せを担当しておよそ6カ月。ようやく自信をもって「菊寄せができる」と言えるまでになったという。

竹田さんの菊寄せ。美しい仕立てである
竹田さんの菊寄せ。美しい仕立てである

さらなる試練。「でも、これが楽しい」

そして今、新たな挑戦を始めているという。

「まとめミシンという作業です」

ランドセルの外周をぐるりとミシンがけしていく作業のことで、300工程のなかの、最後のミシンがけにあたる。

「ランドセルにおいて一番目立つミシン目だと思うので、プレッシャーを感じますし、想像より10倍くらいは難しい」

ランドセルを持って説明する竹田さん

たとえば、つまみの部分は革の厚みの分ズレが生じるため定規押さえを使えない。手の感覚を使いフリーハンドでまっすぐに縫わなければならないし、

蓋とのつなぎ目にある段差
蓋とのつなぎ目にはこんな段差が。分厚い革をまとめて縫うのは至難の業だ

蓋とのつなぎ目には段差があるため、同じ目幅に揃えるためには微妙な力加減が必要になる。さらには針を入れる角度やカーブの進め方、スピードに至るまで、一つの工程ながらも覚えることは山ほどある。

「とにかく最初は緊張してしまって。でも、ミシンがけは力んだらだめなんです。絶対にうまくは縫えない。先輩からよく言われるのが『力を抜きながら、ミシンの力を信用して縫え』ということ。

最近、ようやく力を抜くということが分かって来たような気がしますけど‥‥難しいですね。でも今、すごく楽しいです」

土屋鞄製造所 竹田さん

鞄職人としての使命感が生まれた瞬間

300という途方もない工程が必要とされるランドセルづくり。

「でも、だからこそ鞄職人としては一つ一つハードルを超えていく楽しさがあるし、一つずつクリアしていくことで次のステージに進めるような面白さがあります」

繰り返しこなすことで基礎を叩き込むことができるし、できることが増えるたびに職人としての腕が上がっていくような充実感を覚える。

そしてもう一つ。土屋鞄でランドセルづくりに携わることによって得たことがあるという。

作業中の竹田さん

「責任感というのでしょうか。地元で自分なりに鞄をつくっていたころは、自分のペースで、自分の思う通りにつくればよかった。もちろん、それはそれでいいんですけど、あの頃の僕にとってそれは甘えでしかなかった。今、思えばですけど。

土屋鞄製造所 竹田さん

この工房は、誰でも見学できるようになっているんです。時折、小さなお子さんが僕らの仕事をみながら『僕の鞄はここでつくられているんだね』という声が聞こえてくるんです。

土屋鞄製造所

そういう声を聞くと、この子たちが6年間、安全に楽しく過ごせるようにつくらないといけないなと思うし、少しのズレや歪みもあってはいけない、しっかりとつくって届けたいという、使命感みたいなものが沸くようになったんです。

工房の廊下にはお客様から届いたメッセージが貼られている
工房の廊下にはお客様から届いたメッセージが貼られている

きっと人間が生まれてはじめて持つ、きちんとした鞄がランドセルですよね。人生で一番長く使う鞄になるかもしれない。そういうものづくりに携わることができていることが、自分としてはなんかいいなと思っています」

そんな竹田さんの目標は?

「そうですね‥‥サンプル職人ですかね‥‥。

サンプル職人とはデザイナーと一緒に製品の企画を立てる人であり、ランドセルのことを熟知した職人だけができること。つくり手にとっては神みたいな存在です」

でも、とりあえずは。

「目の前のランドセルづくりを確実に覚えて、精度良く仕上げることに専念しようかと」

竹田さんの鞄職人としての道はまだまだ続く。

自転車旅がきっかけで鞄職人になった竹田さん
自転車旅がきっかけで鞄職人になった竹田さん。「工房に通うのももちろん自転車です」

<取材協力>
土屋鞄製造所
東京都足立区西新井7-15-5
03-5647-5124 (西新井本店)
https://tsuchiya-kaban.jp
https://www.tsuchiya-randoseru.jp

文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、土屋鞄製造所

春にあると楽しい5つの「食べる」ための道具

環境が変わる人も多いこの季節。お弁当を持って外でお昼を取ったり、食べるシーンも変化がありますよね。
今回は、新しい暮らしや春のピクニックにもあると楽しい「食」の道具を選んでみました。

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中川政七商店とたつみやが作ったお弁当箱

中川政七商店が作った「究極のお弁当箱」が、毎日ストレスなく使える理由

これまでの短所を解決する、新しいお弁当箱ができました!山中漆器の産地、石川県加賀市にあるお弁当箱メーカー「たつみや」さんと中川政七商店がつくった「ごはん粒のつきにくい弁当箱」です。

→記事を見る

産地:加賀

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中川政七商店の箸

いただきますの道具 政七「箸」考

作ったサンプルは200本以上。大量のお箸と向き合いながら、お箸について考え抜いたデザイナーが、お箸の選び方について教えてくれました。

→記事を見る

産地:福井

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お弁当や贈りものを包んだり、大活躍の「ハンカチ」

“肩ひじはらないハンカチ”がテーマのハンカチブランド「motta」は、麻や綿などの天然素材で、アイロンがけなしでも気軽に使えるのが魅力。色柄も多く、包みやすいので、お気に入りの一枚でお弁当を包んでみては。

→記事を見る

産地:奈良・大和郡山・生駒

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映画「めがね」にも登場した松屋漆器店の重箱(お重)

使いやすさ最高峰。ふだんも使えるおせちのお重を見つけました

松屋漆器店のナチュラルな木の重箱(ハシュケ別注)

漆器の産地である福井県鯖江市の「松屋漆器店」さん。100年以上の歴史を持つ、越前漆器の老舗メーカーがつくる「お重」が、ふだん使いもできる良い工芸でした。

→記事を見る

産地:鯖江

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7色の花ふきんを重ねた様子

何枚あっても困らない、ふきん

食器を拭いたり、台拭きにしたりと、いわゆる普通の「ふきん」として使っていただけるほかにも、出汁漉しや野菜の水気取りといった料理の下ごしらえやお弁当を包む風呂敷代わりにも活躍します。

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産地:奈良・大和郡山・生駒

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

郡上おどりに魅せられた職人がつくる、徹夜で踊るための「下駄」

郡上おどりのために生まれた「踊り下駄」

夜の街に揺れる提灯の光と浴衣の影、 手拍子、そして下駄の音‥‥

岐阜県郡上(ぐじょう)市で行われる「郡上おどり」は、日本三大盆踊りの一つ。毎年25万人以上の来場者数を誇る一大夏祭りだ。(2020年は残念ながら中止が決定している)

400年以上にわたる歴史を持つ郡上おどり
400年以上にわたる歴史を持つ郡上おどり

その魅力の一つにもなっているのが、「踊り下駄」。
名前のとおり、「踊るため」に作られた下駄で、ひと晩じゅう踊っても耐えうる強さに加えて、蹴り鳴らされるときの音が他の下駄とひと味ちがう。

踊りに合わせて“カランッ!コロンッ!”と蹴り鳴らされるかん高い下駄の音色が祭りの高揚感をより一層高めてくれるのだ。

その強さと音の違いは、どうやってできるのだろう。郡上おどりの会場内に工房を構える、作り手さんを訪ねた。

全部で10種類ある踊りの中でも、特に「春駒」は下駄を打ち鳴らす動作が多い曲目だ。

踊り下駄の専門店・「郡上木履」

2016年にオープンした、踊り下駄の専門店・「郡上木履(ぐじょうもくり)」。

踊り下駄の専門店・「郡上木履(ぐじょうもくり)」
店は郡上八幡の街中に。徹夜おどりの日は、店の前も踊りの会場になる

職人の諸橋有斗(もろはし ゆうと)さんは郡上おどりに魅了され、若くして下駄職人になった。

郡上木履の諸橋有斗さん
郡上木履の諸橋有斗さん

「愛知県出身で、郡上おどりにはいちファンとして訪れていました。地元の人だけでなく、どんな人でも気軽に踊りに参加し、一緒になって楽しめるのが郡上おどりの魅力です」

店内に並ぶ色とりどりの鼻緒

店内には色とりどりの鼻緒(はなお)が並べられ、まるで雑貨店のよう。シンプルなものから色とりどりの柄まで100種類以上そろう中から、好きなものをセレクトするスタイル。

鼻緒と下駄のサイズを選んだら、その場で仕立ててもらえるのが嬉しい。

カラフルな鼻緒の下駄
カラフルな品々に思わず目を奪われる
ポップなデザインの下駄
浴衣はもちろん、洋服でも合わせやすいポップなデザインが特徴
下駄の試着風景
下駄のサイズは試着して確認。「かかとが少し出るくらいが踊りやすいサイズです」とのこと

踊りやすさと耐久性を追求した独自の製法

踊り下駄と通常の下駄との違いは、下駄の台から地面にかけて“歯”と呼ばれる部分の高さにある。

郡上踊りでは、下駄を豪快に蹴り鳴らすようにして踊る。そのため歯の部分を高くしておかないと、どんどん削れていってしまうのだ。

郡上木履では、すべての下駄の高さを5センチに設定。さらに、歯の部分をあとから接着するのではなく、台とともに1枚のブロック板から削り出す製法をとっている。

製造工程の簡略図。歯と台の部分が一体になっていることで、歯が折れてしまうのを防ぐ
製造工程の簡略図。歯と台の部分が一体になっていることで、歯が折れてしまうのを防ぐ

「手間も材料費もかかってしまいますが、こうすることで耐久性が生まれます。何度も履物屋に足を運んだり踊り好きの人々に話を聞いたりするうちに、音色の美しさだけでなく、耐久性も重要だと実感してこの製法にたどり着きました」

諸橋有斗さんが下駄を製作する風景

こだわりは素材にも。木材は寒い地域で時間をかけて育った地元のヒノキを使用。丈夫で強いだけでなく、密度が濃い分重さがある。その重みによって、蹴った時の音がより美しくなるのだ。

製材所から仕入れた2、3メートルのブロック板
製材所から仕入れた2、3メートルのブロック板を、1足の長さにカット
下駄の製作風景
片足ずつに切り、歯の部分を削り出す
下駄の製作風景
最後にのみで細かな調整を加える

1足ずつ手で加工していくため、一度にたくさんは作れない。1日作業しても、できあがるのは20足ほどだ。

「1足1足、木目の美しさを確認しながらつくっていきます。見た目はもちろんのこと、木の節があると欠けやすくなってしまうんです」

特にヒノキは節が多く、扱いが難しい。それでも、ヒノキを使い続ける姿勢に、職人のこだわりと郡上踊りへの愛を感じる。

下駄の製作風景

踊り下駄を通して街を元気に

諸橋さんが下駄づくりをはじめたのは、地元への想いからだ。

「郡上おどりに参加するうちに、踊り下駄は地元でつくられていないということを知りました。山々に囲まれ、木材に恵まれた土地なのにもったいない、と。

ならば自分で、地元の素材や工芸を取り入れた下駄のブランドを立ち上げたいと思いました」

そのため、郡上木履の下駄には地元の伝統工芸である「シルクスクリーン印刷」や、「郡上本染め」が使われている。

店内に並ぶ色とりどりの鼻緒

郡上の良さを全面的に活かして製品をつくることによって、下駄を通して街の魅力を発信しているのだ。

オープン3年目だが若い人を中心に郡上木履の下駄が浸透し、今では1シーズンに約3000足が売れるほどの人気に。

「郡上おどりの31夜のうち、半分以上に参加するぐらい踊り好きの人を“踊り助平(おどりすけべえ)”っていうんです。

中には連日踊り倒し、歯の部分がほとんど削れてなくなってしまう人も。1シーズンで履きつぶすほど愛用してもらえるのは、職人冥利につきますね」

踊りに参加する時だけでなく、ファッションとしても楽しみたくなるカラフルな踊り下駄。郡上を訪れた際には、ぜひ店に立ち寄ってみたい。

<取材協力>
郡上木履
http://gujomokuri.com

文:関谷知加
写真:ふるさとあやの

*こちらは、2019年6月26日の記事を再編集して公開しました

「鉄フライパン」で料理が楽しくなる。仕上がりに差が出る理由とお手入れ方法

こんにちは。細萱久美です。中川政七商店のバイヤーを経て、現在はフリーにてメーカーの商品開発や仕入れなどの仕事をしております。

その前は、食に関わる仕事を志して、お茶の商社に勤めていました。大学生の頃、それまで全く興味がなかった料理に目覚め、レシピの研究に夢中になっていました。

フードコーディネーターを目指すも、未経験ではなかなか門戸も開いておらず、現実的なところで食品メーカーに入ってみた訳です。その会社では中国茶のティーサロンを自営していたこともあり、一流料理人の監修を間近で勉強するなど良い経験をさせていただきました。

現在はと言うと、料理は普通に好きというレベルです。年齢を重ねると、凝った料理よりも良い素材を活かしたシンプルな料理が美味しいことに気付きます。そして味もさることながら、健康や美容も重視したレシピが多くなってきました。

そういった意味でも、なるべく自炊を心がけています。たまに外食もしますが、家で食べる日はお惣菜はほぼ買いません。本当に簡単な料理ばかりなので苦にはなりません。

初心者にも使いやすい料理初めの調理道具

毎日のことなので、調理道具にはこだわっています。使いやすさ、美しさ、使い込んでも味になる素材が選ぶポイントです。タッパーなども使うのでプラスチックを排除は出来ませんが、なるべく木や陶器、金属製品を選びます。

雪平鍋や蒸し器など昔からの道具も多いですが、圧力鍋やオーブンなど時短で美味しくしてくれる現代の道具も積極的に使います。

今回は、料理初心者にも使いやすくて、料理が楽しく感じられる「料理初めの調理道具」をご紹介したいと思います。

よその台所を見るのは楽しいですよね。そんな感覚で、ベテランの方にも参考になれば嬉しいです。

「焼く・炒める」に適した鉄のフライパン

今日紹介するのは「焼く・炒める」道具。私は鉄のフライパンをおすすめします。ステンレスやアルミのフライパンもありますが、鉄のフライパンが、焼く・炒めるに適した特徴として、

・熱伝導が良い
・熱源を選ばず高温料理が可能
・油馴染みが良い
・丈夫
・おまけに鉄分が補給できる

ことがあります。特に熱伝導の良さが、美味しさに直結しています。

逆に手に取りにくい点があるとしたら、重いことや手入れが大変そうというイメージでしょうか。

私が使っていておすすめのフライパンは、錦見鋳造の「魔法のフライパン」。商品名にやや大袈裟感がありますが、いたって現実的に真面目に作られたフライパンです。

三重県にある錦見鋳造は、社名にも付いているように鋳物のメーカー。魔法たる所以は、従来の1/3の厚みの鉄鋳物を独自開発したことによります。

これは確かに画期的で、厚みがない分軽いので、女性も難なく扱えます。そして通常の鉄フライパンよりも更に熱効率が良く、すぐ高温に。

焼く・炒めるには高温キープが美味しく作るポイントなので、仕上がりに差が出ますよ。炒飯やオムレツなどはその差が分かりやすいのでは。

料理を楽しく続けるには、やはり美味しく作れることが一番の張り合いになります。テクニックも必要ですが、働きものの道具には積極的に頼りましょう。

錦見鋳造「魔法のフライパン」で焼いたオムレツ
焼き加減は良いが、形がいまひとつでした

もう一つ気になるお手入れの点ですが、使い始めに多めの油を熱して馴染ませる「油返し」をするだけ。使用後は洗剤はなるべく使わずにお湯だけで洗います。むしろ楽ですし、すぐに油が表面に馴染みます。

フッ素加工のフライパンは油無しでも素材がくっつかないので、特にダイエット中や初心者には人気ですが、油の馴染んだ鉄のフライパンも案外くっつきにくいものです。

フッ素加工は長期間使うことでどうしても剥がれてくるので、ある意味消耗品。その点、鉄のフライパンは使えば使うほど良い艶になり、自分だけのフライパンに育つのも楽しみです。

錦見鋳造「魔法のフライパン」での調理風景

一人暮らしだと24cmか、野菜炒めなどには少し大きめの26cmも使いやすいです。油を馴染ませるので、「茹でる・煮る」には向きませんが、「焼く・炒める」には最高の働きをする『鉄のフライパン』を是非おひとつ。

<紹介した商品>
魔法のフライパン
https://www.nisikimi.co.jp/product/
※人気商品のため、納期はHPでご確認ください。

錦見鋳造株式会社
三重県桑名郡木曽岬町大字栄262番地
https://www.nisikimi.co.jp/

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

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文・写真:細萱久美*こちらは、2019年5月16日の記事を再編集して公開しました