青森生まれの「りんごかご」は業務用なのに愛らしい。唯一の作り手、三上幸男さんを訪ねて

「りんご王国」青森は、「かご王国」でもあった。

先日は代表的なかごの一つ、あけびかごをご紹介しました。

そして青森のかごと言えばやはり、こちらを抜きには語れません。

りんご王国が生んだ「りんごかご」。

三上幸男竹製品販売センター

その名の通り、りんご農家さんが収穫のために使ってきたかごです。

しかし現在では農家さんに代わって、全国の一般のお客さんから「使ってみたい」と注文が舞い込みます。オーダーしてから3、4ヶ月待ちは当たり前という人気ぶり。

一体、人気の秘密はどこにあるのでしょう。現在、唯一りんごかごを作り続ける、三上さんを訪ねました。

あけびかごの工房を訪ねた記事はこちら:「あけびかごを探しに青森の宮本工芸へ。選び方やお手入れ方法を聞きました」

一軒だけのりんごかご工房、三上幸男竹製品販売センターへ

弘前駅から車で20分すこし。「三上幸男竹製品販売センター」に到着です。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

かごを作る工房と販売所が一緒になっており、一般のお客さんでも立ち寄って直接かごを購入することができます。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

「昔はこのあたりに100軒近くかごを編む家があってね。そういうところを車で回って集めてたの」

かごを編みながらそう答えるのは、センターの名前にもある三上幸男さんです。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
作業は奥さんと二人で
作業は奥さんと二人で

センターがあるのは、市街地から弘前のシンボル 岩木山に向かう道の中ほどに位置する、愛宕という地区。向かう道の両脇には、りんご畑が広がっていました。

農地のそばで収穫を支える道具作りが盛んになったのは、ごく自然なことと言えそうです。

三上さんもかご作りを生業とする家に生まれ、自身は出来上がったかごを集めてりんご農家さんへ卸す仕事を思いつき、専門に行なってきました。

最盛期には年間10万個も運んだとか。遠く長野のりんご農家さんまで届けたこともあるそう
最盛期には年間10万個も運んだとか。遠く長野のりんご農家さんまで届けたこともあるそう

りんごかごの素材は竹。中でも近くの山々に多く生えている、根曲がり竹という種類を使います。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
三上幸男竹製品販売センター
三上幸男竹製品販売センター

軽くて丈夫、さらに抗菌作用があると言われる竹は、ずっしり実ったりんごを入れるのにぴったり。竹特有のしなりで、商品である大切な果実に傷をつけません。

底の部分を編んでいるところ
底の部分を編んでいるところ

サイズはちょうど、りんご箱に入る大きさ。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

持ち手はりんごをゴロゴロ入れても持ちやすいよう長めに作られています。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

本体の縁の部分は特に、りんごに傷がつかないよう、やわらかい1年目の竹が使われているそうです。

やわらかい内側は傷んでしまうため、全て取り除き、皮だけを使います
やわらかい内側は傷んでしまうため、全て取り除き、皮だけを使います
当日制作中だった小さめサイズのかご。肌あたりが痛くないよう、節や余分なヒゲはバーナーで燃やして取り除いていました
当日制作中だった小さめサイズのかご。肌あたりが痛くないよう、節や余分なヒゲはバーナーで燃やして取り除いていました

どこを取っても、仕事の道具として考え抜かれた機能的な作り。

「だけど今は、りんご農家の99%は竹のりんごかごは使っていないからね」

幻のかごになる前に

りんご王国の発展とともに青森で育まれたりんごかごは、新たに登場したプラスチックかごに次第に取って代わられることに。

需要が減れば供給側も減ってしまうもので、みるみる作り手が減っていくのを前に、三上さんは配送の仕事をやめ、それでも竹製のかごを使ってくれる農家さん分は確保できるよう、30歳ごろから自分も作る側に回るようになったそうです。

ついにほとんどの農家さんが竹製を使わなくなった頃には、りんごかごの作り手も三上さんの一軒のみに。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

あわや幻のかごに‥‥と思いきや、

「注文こなければ、ぱっとやめるんだけど。ずっと来るから、かご作るの、やめられないんだ」

三上さんは今年で90歳。今も全国からやって来る注文をこなすために、土日も休みなくかごを作り続けています。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

業務用だったりんごかごを、全国から人が買いに来る理由

今では3、4ヶ月待ちという人気ぶりを支えるのは、その企画力。

業務用としてのりんごかごの需要が減っていく中、三上さんは周囲からの「こんなかご、作れる?」「もうちょっと小さいサイズはない?」といった声を聞き逃さず、りんごかごを応用した様々なかごを創作。

農家さんからの注文に代わり、少しずつ一般のお客さんからの注文が増えていったそうです。

同じ形でも、網目の大きさを変えるだけで雰囲気がガラッと変わります
同じ形でも、網目の大きさを変えるだけで雰囲気がガラッと変わります。サイズも大きな1サイズのみだったのを、現在では大中小と用意
当日作っていたのは、りんごかごより小ぶりな「椀かご」。一番人気だそうです
当日作っていたのは、りんごかごより小ぶりな「椀かご」。一番人気だそうです

「数えたことないけど、40種類くらいかな。色々あるので見てみてください」

促されて向かった工房の奥の販売所は、さながら「かご天国」でした。

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
いざ、工房の奥の「かご天国」へ!

どれにしようか、迷う時間も楽しいかご天国へ

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
自分だったら何に使おうか、とじっくり考えてしまいます
りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
こちらはもともと、漁師さん向けに売っていたというかご。右はイワシなど小さな魚も入るように、網の目が小さくなっています。50歳ごろまでは、北海道まで売りに出かけていたそう
こちらはもともと、漁師さん向けに売っていたというかご。右はイワシなど小さな魚も入るように、網の目が小さくなっています。50歳ごろまでは、北海道まで売りに出かけていたそう
りんごかご_三上幸男竹製品販売センター
長年使っていくと、こんな色合いに
長年使っていくと、こんな色合いに

「他にも色々なかごを作ろうとする職人はいたけれど、みんな途中でやめてしまった。

今も土日関係なく作っているけれど、全然苦じゃない。結局、面白いんだよ。気晴らしになるでしょ。休みなしさ」

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

三上さんの柔軟な発想力で仕事の道具から暮らしの道具へと変身し、消滅の危機を乗り越えたりんごかご。

技術は今、娘さんが引き継がれていると聞いて嬉しくなりました。

「こないだは大阪からわざわざ飛行機とレンタカーを使って買いに来た人がいたよ。交通費の方がずっと高くついちゃうのに、面白いよね」

りんごかご_三上幸男竹製品販売センター

そうまでしてでも買いに来たくなる気持ちはよくわかる、と思いながら、私も早くお買い物がしたくてたまりません。

<取材協力>
三上幸男竹製品販売センター
青森県弘前市愛宕山下71-1
TEL:0172-82-2847


文:尾島可奈子
写真:船橋陽馬

*こちらは、2019年7月19日の記事を再編集して公開しました。

オススメの「鍋つかみ」はミトン型?グローブ型?調理道具との相性で考える選び方

こんにちは。細萱久美です。

基本の調理道具をさんち連載で紹介していますが、次は何を取り上げようと台所を眺めていたところ、毎日必ず手に取るものがありました。鍋つかみです。

厳密には調理道具ではないかもしれませんが、調理をサポートする名脇役の一つです。鍋つかみが必要な調理道具が無いご家庭では、もしかしたら不要なアイテムかもしれませんが、我が家では欠かせない道具です。

私が鍋つかみを使うのは、鉄瓶、土鍋、琺瑯鍋、オーブンなど。鉄瓶は1日に何度か沸かすので、都度鍋つかみが必要になります。

仮に鍋つかみが無ければふきんで代用すると思いますが、火傷をしないためにもしっかり厚みがあって頼もしい鍋つかみが安心です。

鍋つかみには色々な形状があり、一般的にはミトン型・グローブ型・ホルダー型などがあります。素材もコットン以外に、シリコンやアルミ製など多くの種類が見られます。

私も複数の鍋つかみを持っていて、ミトン・グローブ・フラットホルダーと立体ホルダーの4タイプです。調理道具との相性で使い分けをしていて、断トツに使うのが立体ホルダー型。

使う調理道具やシチュエーションによって鍋つかみに求める機能が少し違うので、形状にもバリエーションがあるだろうと簡単に整理してみました。

素早く、パーツを掴みたい時はホルダー型(特に立体をおすすめ)

立体ホルダー型の鍋つかみ

愛用の立体型は、三角錐の形状をしています。掴む時の手の形に自然とフィットするので、素早く使いたい時に便利。鉄瓶や、土鍋、鍋蓋にはこれがベストです。

長年使っているのは黒田雪子さん作の「Tetra」という製品。藍染の生地を使って丁寧に作られています。

鍋つかみは焦げたりすることがあるのでどちらかと言うと消耗品かもしれませんが、このTetraは大事に10年くらい使い続けています。

使い込んだものの手馴染みが良く、全く手放せません。素早く掴む機能性と見た目の良さでは、今のところこれ以上の鍋つかみは見つかっておらず、無くなると困るので実は何個か在庫しています。

汎用性を求めるならばフラットのホルダー型

フラットホルダー型の鍋つかみ

市場のホルダー型は圧倒的にフラットが多いと思いますが、私はあまり使っていません。個人的には三角錐を推奨していきたい気持ちです。

ただ汎用性で言えばフラットは鍋敷きにもなるので、多機能を求めるならばフラットを一つ選ぶのが良いかもしれません。

鍋敷きとして使う例

素早く、高温の調理道具を掴みたい時はミトン型

ミトン型の鍋つかみ

私が次によく使うミトン型は、オーブン料理の時に使います。

オーブンはかなり高温になるので鉄板が素肌に触るとすぐに火傷してしまいます。素肌を出さず、しっかりホールドするにはミトン型が安心。着脱もしやすいので次の作業にもすぐに移れます。

オーブン料理で使用する例

しっかりホールドし、やや細かい作業をする時はグローブ型

グローブ型の使用例

グローブ型は、ミトンよりもさらにしっかりホールドしたい時に使います。鉄板は素早くミトンで掴みますが、ホールド力がやや弱いので、熱々のオーブン皿や土鍋を移動する際はグローブでしっかり掴みます。

比較的長時間、細かい作業をするにもグローブが圧倒的に使いやすいので、私にはあまり縁がありませんが、アウトドアにも便利そうです。

グローブ型の鍋つかみ

このブローブ型の鍋つかみは、中川政七商店のオリジナルで、最近うちにも仲間入りしました。

軍手を特殊な編み方で二重編みにし、熱が伝わりにくい構造になっているので、200度位のオーブンから出した鉄板を持っても問題なしとのこと。最近お菓子作りを再開したので、出番が増えそうです。

調理道具と吊るしてある鍋つかみ

すぐに使えるように、台所の壁に吊るしておきたい道具。なので、機能と同時に見た目にもこだわりたいものです。

一緒に吊るす道具は恐らく金属製が多いでしょうか。その中に、お気に入りの鍋つかみがあればきっと良いアクセントになると思います。

<紹介した商品>
Tetra

中川政七商店
二重軍手の鍋つかみ

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

【わたしの好きなもの】The Magic Water

コンロの掃除を劇的に楽にしてくれたクリーナー


原材料は水だけ。なのに汚れ落ちがよく、除菌もできる。本当に?と半信半疑ではあったものの、以前デモンストレーションで見せてもらった、油性ペンの書き跡がみるみる剥がれ落ちていく様子が忘れられず、ものは試しと使ってみたのが1年ほど前。




もともと掃除や除菌にスプレータイプの消毒用アルコ-ルを使っていたので、そんなに使用頻度は高くないだろうと思っていたのですが、いざ使ってみると「これじゃなくちゃ」というシーンが意外と多く、ストックを切らすことなく今も使い続けています。

使ってみて実感しているのが、本当に油汚れがよく落ちること。原料は水だけなのになぜ?と不思議に思いますが、一生懸命説明を読んだ結果わかったのは、水を電気分解するとアルカリ性と酸性の2種類の水に分かれ、The Magic waterはその分かれたアルカリ性の水だけを抽出しているから、ということ。

キッチンの油汚れや手垢など身近な汚れの多くは酸性のため、アルカリ性の水と触れると中和作用が起きて汚れが落ちるようです。ただ、あくまで原材料は水だけなので空気にふれると徐々にアルカリが中和されて普通の水に戻るため、まな板の除菌や子どもが口に入れるおもちゃ、ペット用品にも使えるくらい安心、というわけです。

それを踏まえ、私が主に使っているのはキッチン周りです。



中でもこれは手放せない!となった1番の理由がコンロの掃除を劇的に楽にしてくれたこと。コンロを使った調理の後、五徳を外して全体にざっとスプレーしてそのまま食事。食べ終わる頃には汚れが浮いているのでそれを拭き取ると、嘘みたいにさっぱりときれいになります。アルコールのようにすぐに揮発してしまわないので、油汚れだけでなく乾いて硬くなった汚れもゆるみ、軽く拭くだけでつるつるに。洗剤のように泡が残ることもなく、拭き残ったとしてもやがて水に戻るので2度拭きもいらず、本当に楽ちん。ついでに、という感じでコンロ周りの壁や操作パネルも掃除できるのでキッチンがきれいな状態が続いています。

また、電子レンジや炊飯器、冷蔵庫の扉など洗剤が残ると嫌なものの掃除にもよく使っています。吹きつけて30秒~1分ほどそのままにしておくと除菌されるとのことなので、それも安心材料になっています。以前はアルコールを吹きつけたふきんで拭いていたのですが、アルコールはプラスチックやアクリルを白く濁らせてしまうことがあって、他に何か…と探していたのがThe Magic Waterにより解決しました。

他には犬のクッションの除菌・消臭や、アクリル製のトイレトレーの拭き掃除、夏には蚊取り線香入れの蓋についたヤニを落とすのにも重宝しましたし、ホコリがまいてベタついたペンダントライト、リモコンやドアの把手にも…。と、使っているシーンを思い出せばキリがないくらい、あちこちで活躍しています。

ひとつ失敗だったのが、最初に説明をあまりよく読まずに無垢のアルミを使ったトースターの内部に使ってしまったこと。幸いこのときは見た目に特に変化はなかったのですが、無垢のアルミはアルカリ性に弱く、変色や腐食の原因になるようです。アルミ鍋に酸素系漂白剤を入れて見事に変色させてしまったことをきっかけに「あれもまずかったのでは?」と気がついたのですが、それからは初めて使う素材は使っていいかどうか確認しながら使うようにしています。



原材料は水だけ、と言ってもアルカリ性のものなので何でもこれでOK!というわけではないのですが、とにかく今のところコンロ掃除に使うクリーナーでこれに変わるものがありません。ボトルのデザインもよく、掃除しているのに何となく気分が上がるところも大好きです。これからもストックを欠かすことなく、使い続けようと思っています。

編集担当 辻村

空気のように軽い「000」のアクセサリーを生み出す刺繍工房の内部を見学

「刺繍糸で作られたアクセサリー」がある。

人の手で丁寧に巻かれたような玉状のネックレスや、かぎ針編みのように複雑に編み込まれたブローチなど、「一体、どうやって作っているんだろう‥‥」と思うものばかり。

スフィア・プラス80
スフィア・プラス80。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

レース ホイールネックレス
レース ホイールネックレス。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

引き寄せられるように手に持ってみると「これは糸でできている」と実感するほどに軽い。着けているのを忘れてしまう軽さは、身軽に、しかしおしゃれを楽しみたい多くの人たちの心を掴んでいる。

ショップ店内

手作り感のある繊細な商品の数々に、作っているのは器用なハンドメイド作家さんだろうかと想像していた。しかし、作り手を知ってびっくり。これらを作っているのは140年の歴史を持つ刺繍屋なのだ。大きなミシンが絶え間なく動く老舗工場だった。

「ミシンで、どうやって立体の刺繍を? 」

洋服などに施される平面の刺繍のイメージから、立体のアクセサリーがどうやって作られているのか、ますます不思議に思えてくる。

美しい糸のアクセサリーが生まれる場所を訪ねて、群馬県桐生市に向かった。

ブランド誕生秘話を伺ったインタビューはこちら:「素材は糸だけ。常識破りのアクセサリー『000 (トリプル・オゥ) 』を老舗の刺繍屋が作れた理由」

刺繍工房の心臓部へ

1877年 (明治10年) 、機屋として創業した株式会社 笠盛。時代の変化に合わせて刺繍業を始め、靴下のワンポイント刺繍や和服、アパレルブランドの生地まで多くの刺繍を手掛けてきた。

アクセサリーブランド「000 (トリプル・オゥ) 」を立ち上げたのは、2010年のこと。「笠盛レース」と名付けた装飾品を作るなかで、アクセサリーに活路を見出した。

早速、製造工程を見せてもらうため、工場の中へ。最初に通されたのはパソコン作業をしている事務所だ。ここが、トリプル・オゥの心臓部に当たるという。

「パソコンで、ミシンの針がどのように動くのかを指示したデータを作ります。同じプログラムでも素材によってできあがりが変わってくるので、いくつも試作をしながら最適なデータを作り、それを元にミシンで量産するんです」

素材とデザインができあがったものを、最終的に数値化し、図面にする。洋服でいうところの、パタンナーに近い業務だ。

デザインを勉強する前は工学的なバックグラウンドを持つ片倉さんが描くデザインは建築的な物が多く、エンジニアの側面が強い刺繍の商品と相性が良い。

PC-98
1980年代中盤から90年代序盤が全盛期だったPC-98は、今も生地刺繍で大活躍

「カーブする部分は気をつけなきゃいけないとか、どちらの方向にミシンが進むかによっても条件が変わったりします。刺繍ならではの縮みや、個々のミシンや糸の調子まで考えてプログラムしなければならない。忍耐力がいる仕事です」

この仕事を、25年以上担当してきた岡田さん。トリプル・オゥが立ち上がってからは、片倉さんと二人三脚で試作を続けてきた。

岡田さん
アナログの製図台の頃から仕事を始め、世代の違うさまざまなパソコンを使いこなしてきた岡田さん

「試作してイメージと違ったり崩れたりするたびに『こうしたらできるんじゃないか』ってふたりで話して。プログラムを改良して、また縫ってみて、の繰り返しです」

ブランド立ち上げから10年が経とうとしている今でも、片倉さんが新しいデザインや素材を持ってくるたびに「縫ってみたら全部切れちゃったよ」「どうすればいいんだろう」というやりとりをしているという。

「片倉の発想がなければ、今まではできないと思っていたものばかり。『これ、やってください!』って持ってくるから、少しずつできることが増えていきました。今はできない形も、作れるようになりたいですね」

機械、だけど手仕事

トリプル・オゥの商品は、「多頭機」と呼ばれるミシン3台を用いて製造されている。1台につき10の刺繍機がついた機械で、同じ刺繍を10個同時に量産できる。

多頭機ミシン
この10の頭すべてでミシン「一台」と数える

ミシンの様子
先程のデータで見たとおり、指定されたところに針が落ちていくのは、見ていて心地良い

アクセサリーを縫い付けている布を見せてもらった。レースなどにも使われる「水溶性の不織布」という特殊な布は、その名のとおり水に溶ける。

これが、刺繍で作られたアクセサリーの秘密だ。

「薬品なども使わず、お湯だけできれいに溶かすことができます。最終的にすべて溶けてしまうので、玉の中にも何も残りません」

土台となっている水溶性の不織布を、半分まで溶かしたもの
土台となっている水溶性の不織布を、半分まで溶かしたもの

同時に、これがミシン担当者の苦労するところでもある。

「この水溶性、とにかく水分に弱いんです。空気中の湿気にまで影響されて、伸びてしまいます。たるんでしまうと、きれいに縫えないので、全部貼り直すこともありますね。雨の日や梅雨の時期など、周りの条件によって変わるのが大変なところです」

広報の野村さん
工場内の説明をしてくれた広報の野村さん。トリプル・オゥがきっかけで笠盛を知り、Uターンを機に入社したそう

3台のミシンには、それぞれオペレーション担当がつく。同じデータを使っても、ミシンの癖によってズレが生じたり、できあがりが変わってくるため、ミシンの担当者からデータを作る岡田さんに提案に行くこともあるそうだ。

一番新しいミシンを担当する大井さんに話を聞いた。

ミシン担当
大井さんも、同じくUターンで就職したそうだ

「素材や糸の太さによっても、縫い上がりが全然違うのでミシンを調整します。針の太さも重要で、頭によって変えることもあるんです。『こっちの頭は10番の針で縫えたけど、こっちは11番の針じゃないと縫えない』ということもあります」

見た目ではほとんど差がわからない、太さの違う針
見た目ではほとんど差がわからない、太さの違う針を使い分ける

その日の天気、ミシンの個性、糸の素材や太さ、作るアクセサリーの種類。考えなければならないことが、本当にたくさんある。

機械、だけど手仕事なのだ。

地道な手作業で、アクセサリーを送り出す

水溶性の不織布に縫われた刺繍は、いよいよ溶かしの工程へ。洗浄の機械があるのかと思いきや、ひとつひとつが手洗い。社外秘の洗いレシピに基づいて時間や温度が厳密に管理されているという。

「お湯に入れた瞬間に、不織布は溶け始めます。でも、それだけでは糊っぽさが残ってしまうので、しっかりと手で洗います」

お湯につけたとき
お湯につけると

一瞬で消えてしまった
一瞬で消えてしまった。作る工程でこんなふうに洗っているのなら、使う人が手洗いできるのも納得だ

洗うところを見せてくれた須藤さんの手は、真っ赤だった。手袋をしてはいけないのか聞くと「糊のヌルヌルがなくなっているか確認しなければいけないから」とのこと。

しっかりと洗ったら、脱水、乾燥、そして仕上げへ。

検品も兼ねた最後の仕上げは、ひとつずつ丁寧に手作業で行われる。糸が何らかの要因ではみ出していたり、形が崩れてしまっていたりするものを全部、手作業で直していくのだ。

仕上げの工程
ここで仕上げ作業をしているのはすべてトリプル・オゥの商品。6人ほどで多いときは1日100個もの商品を確認する

トリプル・オゥが始まった10年前から仕上げ作業をしている大川さんの手元を見せてもらうと、あまりに細かい作業に驚いた。最後に少しだけ飛び出た糸先を針に通し、1本ずつ玉の中に入れ込んでいくのだ。

「切ると解けてしまうので、しっかり中に入れます。せっかく縫ったのに商品として出せないのはもったいないですからね」

大川さんの手元

糸だからできた「優しいアクセサリー」

どうやって作られているのか不思議だった刺繍のアクセサリー。その工程はシンプルでありながら、そのひとつひとつが奥深く職人技だ。

「自分たちが持っている技術と、お客様に喜んでもらえるものの結びつきの部分がアクセサリーなのかもしれない。そのような思いから、ブランドを立ち上げました」

トリプル・オゥを立ち上げ、デザインを担当する片倉 洋一さんは語る。

トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん
トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

片倉さんの考えは正しかった。刺繍技術を駆使した糸で作られたアクセサリーには、多くのお客様から喜びの声が届いたのだ。

誰もが驚く、その軽さ。今まで手に取ったアクセサリーの中で、一番軽いのではないかと思う。ここまで軽ければ、肩こりの心配もない。

また糸で作られているため、金属アレルギーの人でも問題なく着けることができる。実際にお客様からも「私でも着けられた!」と嬉しい報告があったそうだ。

マイクロ・スフィア 260
マイクロ・スフィア 260。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

「立ち上げ当初から、糸の強みを活かした『使い手に優しい商品』が作りたいと考えていました。これまでのアクセサリーにはなかった部分で、喜んでもらえるのは嬉しいですね」

使い手に優しいと言えば、トリプル・オゥのアクセサリーは水に濡れても大丈夫。着けているのを忘れて、そのまま顔を洗ってしまったお客様もいるそう。

どのくらい濡れても大丈夫かと言えば、自分で水洗いができるほどだ。以前は「洗えます」と口頭で伝えるだけだったが、1年ほど前から簡単な手洗い手順を書いた紙を商品に同封し始めた。

手洗いの説明書
「アクセサリーを自分で手洗いする」という発想がある人がどのくらいいるだろう

「濡れてもいいということが、作り手の私たちにとっては当たり前すぎて、伝えられていなかったですね」

この他にも、作り手すらも気が付いていない良さが、トリプル・オゥのアクセサリーにはまだ隠されていそうだ。

糸からつくる素材へのこだわり

トリプル・オゥが大切にしている要素のひとつが「“らしさ”があること」。

笠盛で働く今のメンバーだからこそ作れる「笠盛らしさ」。そして笠盛が拠点とする群馬県桐生市でしか作ることができない「桐生らしさ」だ。

「特に素材はこだわっていますね。もしかしたらお客様にとっては一番重要なところかもしれないなと思っていて」

素材で“らしさ”を表現するために、トリプル・オゥが取り組んだのは「糸から作る」という挑戦だった。刺繍メーカーが自分たちで糸から作ることは、これまでほとんどなかったという。

「クライアントさんの刺繍の仕事は、メーカーの糸を選んで仕入れるのが基本です。でもアクセサリーを作り始めたら、イメージしている糸がないこともあって」

例えば、アクセサリーとして輝きを求めるお客様のために、純銀を混ぜ込んだ金属のような糸を作った。キラキラとして光沢はありつつも、糸ならではの良さはそのままだ。

ディ・エヌ・エイ
ブランド第一号アイテム「ディ・エヌ・エイ」。光沢がありながら、軽く、折りたたむこともできる

また、片倉さんが見せてくれたのは「シルクリネン」と呼ばれる糸。シルク6割、リネン4割を撚 (よ) り合わせたオリジナルだ。

シルクリネン
動物性繊維のシルクと植物性繊維リネンを、染料でわざと染め分けをしているこだわり様

糸は、素材や染め方、撚りの強さによって、その印象が大きく変わる。

「撚糸の職人さんと『撚りを入れすぎると、固くて着け心地が悪くなっちゃうね』とか『輝きが減っちゃったから今度はこうしてみよう』とか、相談しながら。

撚りがたくさん入っているほうが製造の現場としては刺繍しやすい糸になるんですが、見え方や着け心地などを考えて試行錯誤しています」

糸

糸作りで意識しているのは、「織物の町」として栄えてきた桐生だからできること。染めや撚糸など桐生の職人さんたちと一緒に素材を作ることで、新たな「桐生らしさ」を生み出そうとしている。

桐生で、トリプル・オゥの世界観に触れられる場所を作りたい

素材を作る桐生の人々、各工程に携わる笠盛の社員。多くの人の手を渡ってこのアクセサリーは作られている。話を聞きながら工場を回ることで、そのことを実感した。

「来年で、トリプル・オゥはちょうど10周年。お客様が工場を見学できたり、作り手と交流できるイベントを企画したいですね」

ひとつずつ丁寧に作られたアクセサリーは、全国の取扱店やオンラインだけでなく、笠盛の本社に併設された唯一の直営ショップでも購入することができる。お客様のなかには、ショップに来るためだけに桐生にやってくる人もいるそうだ。

ショップの店内

「せっかくここに来てくれる方には、桐生という地域も紹介できたらいいなと考えています」

10周年に向けて、ショップのリニューアルを企画するなどさまざまな仕掛けを計画しているという。

片倉さんを始め、笠盛のみなさん自身がそれを楽しみにしている姿が印象的だった。刺繍屋の作るアクセサリーと笠盛を取り巻く環境が、これからどのように進化していくのか楽しみだ。

<関連商品>
00(トリプル・オゥ)

<取材協力>

株式会社 笠盛

群馬県桐生市三吉町1丁目3番3号

0277-44-3358
https://www.000-triple.com/ja/

文:ウィルソン麻菜


写真:田村靜絵

あけびかごの聖地・青森の宮本工芸で選び方やお手入れ方法を聞きました

りんご生産量日本一であることから、「りんご王国」と呼ばれる青森県。

でも実は、様々なかごが作られている「かご王国」でもあるんです。

りんごかご、あけびかご、山ぶどうかご。

かご好きにはたまらない、自然素材を使ったかごが今でも作られています。

中でも、弘前を代表するかごの一つが、あけびかご。自生するあけびの蔓を手で編んで作ったかごです。

職人による手作りのあけびかごバッグ
職人による手作りのあけびかごバッグ
あけび蔓
あけび蔓

弘前のあけびかごは、自然素材を使っていながらも丈夫で長持ち。

そんな「一生モノ」のあけびかごと出会いに、作り手で販売もされている宮本工芸さんを訪ねました。

宮本工芸
今年創業70周年を迎えた宮本工芸さん。JR弘前駅から車で5分ほどのところにあります

のれんをくぐると、あけびかごのほか、山ぶどうや根曲竹のかごがずらり。工房の1階奥と2階が職人さんたちの作業場になっています。

何十種類ものあけび・山ぶどうのかごバッグ
何十種類ものあけび・山ぶどうのかごバッグ

工房では一般の人も直接ものを手に取って買い物ができるのがうれしいところ。

あけび蔓細工とこぎん刺しのコラボ商品
あけび蔓細工とこぎん刺しがコラボしたアイテムもありました

あけびかごは弘前のシンボル、岩木山の恵み

そもそも、なぜ弘前であけびかごが作られているのでしょう?

「良質なあけび蔓が岩木山でよく採れるんです。かつては『あけび山』って呼ばれていたくらい」

そう教えてくれたのは、宮本工芸の武田太志さん。

宮本工芸の武田太志さん
宮本工芸の武田太志さん

青森のあけび蔓細工のはじまりは定かではないものの、弥生時代には既に簡単な編み方で背負い袋などが作られていたといいます。

身近にある素材で生活の道具を作るのは、自然な流れだったのでしょう。

岩木山
弘前のシンボル的存在、岩木山。青森県内最高峰の山です

明治に入り、りんご産業が盛んになる中で、あけび蔓細工はりんご農家の冬仕事でもあったそうです。

当時は各種かごをはじめ、茶碗入れや鍋敷き、皿など、身のまわりの様々な日用品をあけび蔓で作っていたといいます。なんと、団扇や幼児が使うおもちゃのガラガラまであけび蔓で作られていたんだとか。

「ちょっと前までのこのあたりの家庭では、家の中にあけびかごが必ずありましたね」

あけびかごは、まさに弘前の風土に根ざしたかごなのでした。

親子3代で使える秘密は、あけびかごの材料と作り方にあり

弘前のあけび蔓は、5、6mくらいと長く、色も揃っているものが多いとのこと。しなやかで、まっすぐなので、編みやすいといいます。質が良くないと曲げにくく、折れやすいのだそう。

あけび蔓
乾燥中のあけび蔓。毎年、9月ごろから雪が積もるころまでに、その年に生えた若い蔓を採取し、十分に乾燥させてから使います

こうした良質な素材も弘前のあけびかごが丈夫な理由の一つといえますが、職人さんの手仕事にもその秘密がありました。

宮本工芸の工房2階にある作業場へ。そこには黙々とそれぞれの仕事に打ち込む職人さんたちの姿がありました。

宮本工芸のあけびかご職人
宮本工芸のあけびかご職人

現在、宮本工芸さんで抱えている職人さんは10人ほど。最盛期には、数百人もの職人さんがいたのだとか。1916年 (大正5年) には520人もの職人が弘前にいたという記録も残っているそうです。

あけびかご作りは、材料の準備から編み上げるまで、すべての工程を職人さんが一人でこなします。

あけび蔓の節を取り、出来上がりをイメージしながら、かごのどのパーツにどの材料を使うのかを仕分けていくのは、職人の目利きによるもの。

宮本工芸
節取り作業をする様子
あけび蔓の節取り
オリジナルの節取り器で余計な節をカット

1本、1本、あけび蔓の太さも色も異なるだけに、適材適所で振り分けていくには経験がものをいうそうです。

ある職人さんいわく、

「自然の材料なので、一筋縄ではいかないところがまた楽しいんです」とのこと。

また、かご作りで大切にしていることをこの日作業をされていた3人の職人さんに尋ねると、みなさんが口を揃えて同じことを言っていたのが印象的でした。

それは、「壊れないように作る」ということ。

かごは実用性があってこそ。「いいかご」とは「壊れないかご」なのです。

「親子2代、3代で使えますし、たとえ壊れても修理ができます。蔓が折れたり切れたりしても、そこからほつれてしまうこともありません。それもあけびかごの魅力の一つですね」と武田さん。

材料と作り手によって出てくるオリジナリティー

自生するあけび蔓を使っているので、材料からして一つとして同じものはありません。

採取する年によって、長さや色、ツヤも変わってきます。

「作り手によっても違いがありますよ。個性だらけです。ほとんどのあけびかごは木型を使って編んでいくんですが、同じ木型でも職人さんが違えば全体的な雰囲気が変わってきます。性格が出ますね」

あけびかご作り
あけびかごの木型
大小さまざまな木型がずらり
あけびかごの木型
形によっては、面白い工夫がなされている木型も。上部がすぼまって丸みを帯びた型は金槌で叩くと‥‥
あけびかごの木型
こんな風にバラバラに。編み終えた時に型が簡単に取れるよう、バラシ型になっています

一生モノだからこその育てる楽しみ

「一番の魅力は、使えば使うほど味わいが出てくるところ。ツヤも出てきますし、風合いが変わってきます」

山ぶどうほどに色の変化はないといいますが、あけびかごも年々ツヤが増してくるとのこと。

あけびかご
山ぶどうのセカンドバッグ
こちらは山ぶどうの蔓の皮を使ったセカンドバッグ。よく使うものであれば2年ほどでもツヤが増すそう

こんな素敵な経年変化が楽しめると聞いたら、俄然、自分のあけびかごを育てたくなります。「欲しい!」と思った瞬間でした。

あけびかごバッグ 選び方のコツ

これほど一堂にあけびかごが揃うのを目にする機会はなかなかないもの。選び放題といえば選び放題なのですが、かえって迷ってしまうことも。

そこで、思い切って武田さんに、いいあけびかごの選び方を聞いてみました。

「一つには、蔓がきちんと揃えられているもの。それと、隙間なくしっかり編まれていて、編み目がねじれていないのが、いいかごですね。上手に編まれているかごにはひっかかりがありません。あとは持ち手がきれいかどうかもポイントです。

弘前のスタンダードなあけびかごは、持ち手が固定されずに可動するのが特徴でもあるんですが、そういうものはスムーズに動くかどうか手にとって見てみるといいですよ」

あけびかご
こちらが弘前のスタンダードなあけびかごバッグ
あけびかご
可動式の持ち手はとても緻密な作業で作るのが難しいのだそう

武田さんのアドバイスとお財布事情を参考に、迷うこと30分以上。

「これだ!」というものを見つけました。

あけびかご
絶賛育成中のマイあけびかご。横編みのものが多い中、本体中央が縦編みになっているところとコロンとしたフォルムに惹かれました

あけびかごのお手入れ方法

一生モノを手に入れたからには、末永く大切に使いたいところ。

どうすれば、きれいに使えるのでしょうか。

「湿度には注意してください。シーズンオフには紙袋や布袋などの通気性のいい袋に入れて保存を。ビニール袋だとカビが生えてしまいます。

汚れてしまったらタワシなどで洗います。日焼けしてしまうので、乾かす際は風通しのよい所で陰干ししてください」

武田さんに教えてもらったお手入れ方法をしっかりと頭に叩き込み、帰路へ。

あけびかごとの出会いは一期一会。心から満足いく買い物ができました。

この夏は、どこへ行くにもあけびかごを選んでしまいそうです。

<取材協力>

宮本工芸

青森県弘前市南横町7

TEL:0172-32-0796

文:岩本恵美

写真:船橋陽馬、岩本恵美

*こちらは、2019年6月21日の記事を再編集して公開しました。

京都の紅葉は小さな美術館が穴場。混雑を避けて楽しむ、12月の賢い巡り方

京都の紅葉。そう聞いて、あたり一面真っ赤に染まる風光明媚な景色とともに、人混みを思い浮かべる人も多いのでは。

例年、京都の紅葉は11月の勤労感謝の日前後から見頃を迎え、第3、第4土日は尋常ではない数の人で街中が溢れかえります。

紅葉の狙い目は、12月第1週の東山界隈

実は、京都でも屈指の紅葉の名所・南禅寺と永観堂を擁する東山一帯は、12月第1週ともなれば観光客もひと段落する時期。

例年京都の紅葉が見ごろを迎えるのは11月下旬~12月上旬ですが、年によっては12月の第1週のところもあり、多くの寺院が12月の第1日曜~第2日曜あたりまでライトアップをしています。

バラつきがあるため時期の断言はできませんが、ゆっくりと楽しみたい方にはおすすめです。

そして紅葉の名所がひしめく東山は、小さいけれど秀逸な美術館の宝庫。しかもそのほとんどが王道の紅葉狩りルートに点在しています。

今回は、紅葉の名所と共に、美術館を巡る東山黄金ルートの紹介です。

真如堂の紅葉

名所の間に点在する小さな美術館を楽しむ

東山散策の起点といえば、「南禅寺」や「無鄰菴」に近い地下鉄蹴上駅が候補にあがりますが、ひと駅手前の東山駅での下車がおすすめです。

山県有朋旧邸・無鄰菴の庭はあまりにも有名ですが、ここにも、あの名手が手がけたお庭を持つ小さな美術館があります。

並河靖之七宝記念館(なみかわやすゆきしっぽうきねんかん)

三条通りから平安神宮へ抜ける白川沿いにある、七宝家・並河靖之の自宅兼工房を開放した美術館。

明治から大正期に活躍した並河は生涯をかけて七宝を探求し、有線七宝の技法を用いてさまざまな作品を生み出しました。

並河が七宝で描く季節の花や鳥などの優美な図柄や、多彩な釉薬の色味、独創的な形状は国内外で高く評価され、内国勧業博覧会や万国博覧会などでも多くの賞を受賞しています。

館内では並河の作品を春季と秋季の2回に分けて企画毎に展示しているので、季節を変えてまた訪れるのもおすすめです。

建物も見どころが多く、表屋・主屋・旧工房・旧窯場は国の登録有形文化財、京都市景観重要建造物および歴史的風致形成建造物に指定されています。

並河靖之七宝記念館の植治の庭

さらに忘れてはならないのが、七代目小川治兵衛(植治)の庭。あの円山公園や平安神宮、無鄰菴の庭を手掛けた名作庭師の庭が、この小さな美術館で鑑賞できることはあまり知られていません。

ここなら、植治の庭を思う存分楽しめるのではないでしょうか。

南禅寺で紅葉を楽しむ

並河靖之七宝記念館を出て南禅寺へ。縄張りの名手・藤堂高虎(とうどう たかとら)が手がけた、高さ22メートルの「三門」が現れます。

歌舞伎の演目『楼門五三桐』の中の石川五右衛門の名台詞、「絶景かな、絶景かな」でも有名な三門。その周囲を赤や黄色の紅葉が彩る光景は見事です。

南禅寺の紅葉を堪能した後は、永観堂方面へ向かいます。すると、ここにも小さいながら見応えのある美術館が。

野村美術館

野村美術館

こちらは野村財閥を築きあげた野村得庵のコレクションをもとに開館した野村美術館。茶の湯と能に深く傾倒した得庵のコレクションは、重要文化財7件、重要美術品9件を含む約1700点にのぼります。

中でも茶碗のコレクションは素晴らしく、『練上志野茶碗 銘 猛虎』や中国産の大天目、朝鮮王朝時代の『三島茶碗 銘 土井三島』など名品揃い。茶道関係者も多く訪れるそうです。

練上志野茶碗 銘 猛虎
練上志野茶碗 銘 猛虎
中国の大天目
中国の大天目
三島茶碗 銘 土井三島
三島茶碗 銘 土井三島

また、入り口右手には立礼茶席があり、茶席のみの利用も可能。間近で茶道具を鑑賞しながら、実際に所蔵されている現代作家の茶碗でお抹茶と生菓子が楽しめます。

茶碗を実際に手にするのとしないのでは、やはり印象の残り方が違います。鑑賞した後は、茶碗の魅力を肌で感じてみてください。

こちらは南禅寺と永観堂の中間というゴールデンルートに位置しており、東山の紅葉狩りとなれば、ほぼ確実に通り過ぎるルート。足早に通り過ぎるにはあまりにももったいないほど見応えのある美術館です。

野村美術館を出発して、まっすぐ7分ほど。右手に深紅に染まる永観堂の紅葉を横目に、鹿ヶ谷通りを進みます。

泉屋博古館(せんおくはくこかん)

野村美術館と同じ鹿ヶ谷通り沿いには、全国屈指の青銅器コレクションを展示する泉屋博古館があります。

泉屋博古館

紀元前11世紀の中国ものと伝わる青銅製の太鼓、大きな虎が人間を抱きかかえている酒器、精緻な文様が刻まれた鏡鑑の数々など、見たこともない古代中国のデザインやモチーフには思わず感嘆の声が漏れるほど。

夔神鼓(きじんこ)商時代後期 前12~前11世紀 正面に人面を刻んだ青銅製の太鼓
夔神鼓(きじんこ)商時代後期 前12~前11世紀 正面に人面を刻んだ青銅製の太鼓
商時代後期 前11世紀 虎が人間を抱きかかえる青銅製の酒器
商時代後期 前11世紀 虎が人間を抱きかかえる青銅製の酒器

青銅器の概念が覆されるだけでなく、その膨大なコレクションにも圧倒されるばかりです。

休憩スペースが紅葉の穴場

そして素晴らしいのは休憩スペースからの眺め。東山が迫る広々とした庭園が大きなガラス張りの窓いっぱいに望め、赤や黄色に染まる晩秋の東山との対比が見事。

休憩室から見た中庭の風景

広い館内を存分に楽しんだ後は、鹿ヶ谷の雅な風景を眺めてひと息。本当は秘密にしておきたい穴場スポットのひとつです。

泉屋博古館から少し東へ逸れて哲学の道へ。春は世界中からの観光客で賑わうこの場所は、秋になれば人もまばらでひっそりとした静寂が訪れます。哲学者・西田幾多郎が思索にふけって歩いた道は、こんな雰囲気だったかもしれません。

再び鹿ヶ谷通りへ向かい、さらに白川通りを渡って吉田山方面へ進みます。

真如堂

哲学の道から徒歩10分ほどの吉田山の麓にあるのは、京都屈指の紅葉名所・真如堂。色とりどりの景色の中に三重塔がそびえる様は目を見張るほど美しく、本堂をぐるりと一周囲むように真っ赤な紅葉が燃え広がります。

真如堂の紅葉

どこを見渡しても紅葉・紅葉・紅葉。

何層にも紅葉の葉が重なっており、先に色づいた上層の葉が落ち、それによって下層の葉が日に当たって紅くなるので、時期によっては、上も下も紅一色の世界に染まる幻想的な景色が見られます。

真如堂の紅葉

そして驚くべきは、これだけ豪勢な景色が無料で楽しめること。ここまで贅沢な紅葉狩りは、京都の街中ではなかなかできない体験です。

真如堂の紅葉

真如堂の門の正面にある宗忠神社の入口から吉田山に入り、宗忠神社の境内を経て竹中稲荷神社へ。

吉田山一帯

参道に並ぶ赤い鳥居や本殿と紅葉のコントラストは息を飲むほど美しく、観光客の滅多に来ない穴場の紅葉スポットです。真如堂から徒歩5分とは思えない静寂に包まれます。

竹中稲荷神社から徒歩5分ほどの山頂にあるのが、吉田山の名店・茂庵。2階の客席では東に大文字山、西に京都市街を眺めながら、美味しいコーヒーや手づくりのケーキなどがいただけます。

吉田山の名店・茂庵

重要文化財に指定されている木造建築の空間も素敵です。

茂庵から吉田山の反対側へ下り、吉田神社の境内を通って重森三玲庭園美術館へ。

重森三玲庭園美術館

こちらは東福寺本坊庭園や光明院の庭を手掛けた作庭家・重森三玲の旧宅で、吉田神社界隈で残る本格的な社家の唯一の遺構。

寺院の庭と違い、住宅建築に適合した三玲の庭が京都で見られるのはここだけです。

重森三玲庭園美術館

モダンな市松模様で波を表現した襖絵など、桂離宮にも見られるような、歴史的建築と現代的なデザインとの融合も新鮮です。

重森三玲庭園美術館

見学は午前・午後それぞれ1回ずつの予約制。重森家の親族の方の解説を聞きながら見学できます。

ご紹介したすべての行程は距離にして5キロほど。各スポット間の移動所要時間は長くて徒歩10分程度です。

由緒ある名所・旧跡が一堂に会し、紅葉と同時に世界中から人々が押し寄せる東山エリア。人混みに負けず王道を行くのも京都の秋の風物詩ながら、たまには少し横道へ逸れて、京都の持つ数々の「美」を楽しむ紅葉散策はいかがでしょうか。

<取材協力>

並河靖之七宝記念館
京都市東山区三条通北裏白川筋東入ル堀池町388-2
075-752-3277
10:00~16:30(入館/16:00)
休館日/月・木曜(祝日の場合は翌日)
※夏季・冬季長期休館有
http://www.kyoto-namikawa.jp

野村美術館
京都市左京区南禅寺下河原町61
075-751-0374
10:00~16:30(入館/16:00)
休館日/月曜(祝日の場合は翌日)
※夏季(6月下旬-8月下旬)、冬季(12月下旬-2月下旬)は休館
http://nomura-museum.or.jp

泉屋博古館
京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
075-771-6411
10:00~17:00(入館/16:30)
休館日/月曜(祝日の場合は翌日)
https://www.sen-oku.or.jp

真如堂(真正極楽寺)
京都市左京区浄土寺真如町82
075-771-0915
9:00~16:00
https://shin-nyo-do.jp/

重森三玲庭園美術館
京都市左京区吉田上大路町34
075-761-8776
予約観覧制
電話またはメール(shigemori@est.hi-ho.ne.jp)にて予約
http://www.est.hi-ho.ne.jp/shigemori/association-jp.html

文:佐藤桂子