「日本三大美祭」をご存知だろうか。
京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭、そして岐阜の高山祭は、日本各地に数多ある祭の中でも特に美しいとされる。
そのうちのひとつ、春の高山祭が4月14・15日に開催される。
高山祭
岐阜県高山市で江戸時代から約300年続く。
4月の「山王祭」と10月の「八幡祭」、旧高山城下町の二つの氏神様の例祭を合わせて、「高山祭」と呼ぶ。
「日本三大美祭」および「日本三大曳山祭」のひとつに数えられている。
その見どころは「動く陽明門」と称される豪華絢爛な祭屋台。古くから宮殿や寺院で腕をふるってきた飛騨の匠たちが作り上げた十数台の祭屋台が一同に曳き揃えられる様子は圧巻だ。
これらの祭屋台を守り続ける、美祭の影の立て役者がいる。その名は「高山・祭屋台保存技術協同組合」。高山に限らず、日本全国の祭屋台や山車の修復を請け負う、祭屋台修復専門のプロ集団だ。
春の高山祭の屋台のひとつ「大国台」が修復に入ったと聞き、組合を訪ねた。
全国各地どこへでも。日本唯一!屋台修復のプロ集団
組合の取りまとめをしている八野泰明(はちの・やすあき)さんが出迎えてくれた。
高山・祭屋台保存技術協同組合は、高山祭の屋台に関わる、様々な技術を持った職人たちによって昭和56年に立ち上げられた。他業種の職人が揃って所属する技術者集団は全国的にも珍しく、今では全国各地の祭屋台の修復に携わっている。
現在は埼玉県秩父市、富山県射水市など、全国7か所の祭屋台の修復にあたっているそう。つい先日も日帰りで、350km以上離れた千葉県の佐原へ祭屋台の修復部分を車で取りに行ったというから驚きだ。
「仕事させてもらったら、今度はその隣の地域から『うちでも是非』っていうことで。評価されて次の仕事につながってきています」
美祭「高山祭」と飛騨の匠の技
基本的には祭屋台の修復を請け負う組合だが、依頼されて一から祭屋台を作ったこともあるそうだ。他の地域では失われてしまった祭屋台を作る技術・修復する技術が、なぜ高山では今も受け継がれているのだろうか。
そもそも高山祭の屋台の起源は18世紀初頭に遡る。
19世紀には祭屋台を中心とした「屋台組」で社会生活を営み、大地主や財力のある「旦那」が自らの財をつぎ込んで地元高山の職人たちにその技を競わせるようになった。
このような歴史が高山祭を美祭として育み、飛騨の匠の技を伝承し続けることにつながったのだ。
「屋外で動く」文化財の修復
祭屋台の修復は、一口に文化財といっても建築の修復とは少し様子が異なる。
「祭屋台みたいに動くものは、ただ繕って見栄えを良くするだけでは具合が悪い。安全性のために、新材で作り替えることも必要になる」
安全性の面から言えば、車輪と車軸の修理が一番多いそうだ。
「大国台は、高山祭の祭屋台の中では修理の回数が多いほうだろうな。祭屋台を曳き揃える場所まで一番遠くて、走る距離が長いから」
美観からの修理が多いのは、漆塗りの部分だ。八野さんによれば、漆は紫外線に晒されると50日ほどで退色してしまうそう。
高山祭は2日間にわたって開催されるので、50÷2=25年後には塗り直しが必要になる計算だ。
現存する高山祭の屋台は春が12台、秋が11台の、合わせて23台。
組合では年に1、2台というペースで高山祭の屋台修復をおこなっているそうだ。
ものに合わせて、道具を作る
続いて、八野大工さんの作業場へ案内してもらった。八野大工さんで働く職人さんは7人。それぞれが得意分野を受け持ち、工程を分担している。
「ありがたいことに、社寺建築と祭屋台だけやっているので、大工と言えども住宅はやったことがないです。高山だけじゃなくて全国の祭屋台の仕事をやらせてもらっているおかげですね」
作業場でまず目についたのは、大小様々のカンナだ。
「仕事をしながら、図面というかデザインに合わせて削って作っていく。そういうことをしていくうちに、増えていっちゃうんですよね」
祭屋台の修復に、設計図は存在しない
実際に、祭屋台の修復の様子を見せてもらった。
埼玉県川越市の祭屋台の部品で、古くなったものをまるごと新しいものに作り替えるのだそうだ。
ぴったりと組み立てられていく祭屋台の部品。全体の設計図はあるのだろうか。
「設計図?これですね。原寸の」と八野さんが指さしたのは、修復前の古い部品だ。
「真っ直ぐなものであれば図面で良いんですけど、こういう曲線とかはやっぱり実際の大きさでないと分からないので。これが僕らの図面になっていきます」
祭屋台の修復においては、元の姿、現物が何よりも重要だと八野さんは言う。
「修理で学ぶことも多いので。昔の人の仕事を実際に自分たちが見て学ぶというか。頭の中に完成した姿を描いておいて、それを形にしていく、それは大工も、他の職人さんたちも同じですね」
どう直せばよいのかは、彫刻自身が教えてくれる
八野大工さんを後にし、木彫師の元田木山(げんだ・ぼくざん)さんのお宅へ向かった。
現在修復しているのは、大国台の下段にほどこされた獅子の彫刻だ。
傷や欠けがあるような部分の修復はもちろんのこと、以前の修復の手直しもおこなう。
欠けて無くなってしまった部分は、どのように形を決めて修復するのだろうか。
「例えば、毛の一本一本を見ていると、そこに合った波が見えてくるんです。周りの部分が教えてくれるんですね。ほら、このたてがみの後ろの部分は、だれかが修理して付けたんだと思いますが、ちょっと不自然ですよね」
すべては、元の姿に合わせて
獅子の修復の様子を見せてもらった。
元田さんの作業場には、たくさんの道具が並んでいる。元の彫刻に合わせ、様々な道具を使い分けるのだ。
最後に、こんな変わったものも見せてくれた。
どのように修復していけば良いのかは、向かい合った彫刻自体が教えてくれる。
彫刻を通して、もとの作者や修復者と対話するのは、とても不思議なことのように感じた。
「漆は50日」の修復現場へ
最後に訪ねたのは、塗師の野川俊昭(のがわ・としあき)さん。
何工程にも及ぶ漆塗りの工程全てを、一人でおこなっている。
これほど大きな部品を一人で仕上げる労力はもちろんのこと、修復ならではの塗りの難しさもあるそうだ。
「古い部分と漆の色を合わせて塗らなきゃいけないから、手がかかるんだよね。漆を塗ることより、色合わせのほうが難しいよ」
先ほど八野さんから「漆は50日」との話を聞いたが、いかほどのものなのだろうか。
鏡のように輝く漆が、祭屋台をきらびやかに彩る
野川さんが、漆の仕上げ工程「呂色仕上げ」の様子を見せてくれた。
呂色仕上げ
漆の仕上げのひとつ。
上塗りをしてそのまま完成させるのではなく、その上から水研ぎをし、再び漆を重ね、また研ぎ・・・と何度も重ねることで、漆に鏡のような艶が出る。
呂色仕上げの際の水研ぎを「呂色とり」と呼ぶ。
「塗ってそのままにしておくと、祭屋台のように大きいものはゴミがついて目立つんだよね。そのゴミをなくすために、呂色をとって塗るんだ」
野川さんも、八野さんや元田さん同様、祭屋台の写真を手元に置いて作業している。
「やっぱり一番目立つところに、一番手をかけてやらなきゃいけないから。位置が分からずにやっていると、人の目に触れないところを一生懸命綺麗にしたりとか(笑)」
人目につく部分にこそ力を入れて作業をする。祭屋台ならではのこだわり方が感じられた。
日本全国の祭り屋台は、お祭り文化が連綿と続く高山の職人たちが支えていた。
今回は三人の職人さんの修復作業を見学させてもらったが、口を揃えて「修復は現物がすべて」とおっしゃっていたのが、とても印象に残った。
もうすぐ、春の高山祭。
修復を終えた大国台をはじめ、飛騨の匠が何百年も守り続けるきらびやかな祭屋台たちが、高山の町を巡る。
<取材協力>
高山・祭屋台保存技術協同組合
0577-34-3205
http://www.chuokai-gifu.or.jp/yatai/index.html
文:竹島千遥
撮影:尾島可奈子
写真提供 (春の高山祭) :高山市
※こちらは、2018年4月13日の記事を再編集して公開いたしました。今年ももうすぐ「春の高山祭」がはじまります。