お祝いや贈答品に選ばれる能作の「酒器」は、こんな風に作られていました

春は新しい生活が始まる季節でもあり、お祝いごとが多い季節。

お世話になった方や目上の方など、フォーマルなシーンのプレゼントに選ばれている人気のブランドが「能作」です。

真鍮でできた「能作」の文字が目立つエントランス

富山県高岡市の鋳物(いもの)メーカーとして、1916(大正5)年に創業し、茶道具や仏具、花器、テーブルウェアなどさまざまな商品を展開しています。

真鍮 (しんちゅう) の花器
真鍮 (しんちゅう) の花器

2017年には本社工場を移転。製造現場の見学や鋳物製作体験ができるほか、カフェやショップが併設された施設へとさらに規模を拡大させました。

工場見学ツアーの様子はこちら:「来場者は年間10万人以上!たった3人のスタッフから始めた人気ファクトリーツアー成功の舞台裏

えんじ色の巨大な建物が目印
移転した本社工場

人気NO.1アイテムは「酒器」

能作ではさまざまな製品をつくっています。なんとその数は400近く。特に金、銀の次に高価な金属“錫(すず)”を使った「酒器」が人気です。

錫の酒器
錫の片口

「錫はイオンの効果が高く、水を浄化するため、錫の器に入れた水は腐らないと言われているんです。お酒の味も、雑味が抜けて味がまろやかになるので、昔から酒器として使われていたんですよ」

と語るのは、専務取締役の能作千春さん。

産業観光を担う能作千春さん
能作千春さん

新しい素材として採用したのが錫

もともと能作では真鍮の鋳物製品をつくっていましたが、あるとき食器をつくれないかという問い合わせがあったそう。

真鍮の材料となる銅では食品衛生上、食器をつくることができません。そこで生まれたアイデアが、「錫の食器」でした。

通常なら硬度を保つためにほかの金属を加えるところ、能作では純度100%の錫のやわらかさに注目。

特性を生かした曲がる「KAGO」シリーズは大きな話題となり、国内外から注目を集めています。

曲がる器「KAGO」シリーズ
曲がる器「KAGO」シリーズ

錫製品の製造をはじめて15年ほどで、今では生産の7割以上を錫製品が占める、会社の看板商品に。

中でもぐい呑みやタンブラー、片口など、錫ならではの効果が感じられる酒器は、性別問わず広い世代にプレゼントできる贈り物として、春は特に選ぶ人が多いそうです。

そんな錫製品、一体どのようにつくられていると思いますか?実際に現場をのぞいてみましょう。

一秒をあらそう錫の鋳込み

一般の方も見学できる能作の製造現場。日々多くの製品が誕生しています。

独特な雰囲気の鋳物場。上から覗くと人の動きや作業の流れがよくわかります
独特な雰囲気の鋳物場

約60名の職人が鋳造に携わっていますが、中でも「鋳物場」はベテランの職人が担当。真鍮と錫で作業する場所が分けられています。

錫のプレート
鋳物場に掲げられている真鍮製の「錫」のサイン

金属材料を熱して液体にし、型に流し込んで冷やし固める鋳物。能作ではさまざまな製法を使い分けていますが、砂を押しかためて型をつくる「生型鋳造法」がベーシックな方法です。

まずは砂に少量の水分と粘土を混ぜ、製品の木型に鋳型用の枠を乗せてその周りを砂で固めていきます。真鍮と錫で使う砂も異なるそう。

きれいな型
砂と型がくっつかないよう貝殻の粉末をまきます
枠をはめると、まず砂と型がくっつかないよう貝殻の粉末をまきます
ふりかける
どんどん砂をふりかけていき……
体重をかけて砂を押しかためていくと‥‥
型から溢れるくらいまでいっぱいになりました
体重をかける

体重をかけてギュッギュッと砂を押しかため、手早く表面を平らにします。

表面がきれいに均されました
表面がきれいに均されました

木型を抜き取ると、あっという間にご覧のようなきれいな型に。

外側の凹んだ部分は、鈴を流し込む道
外側の凹んだ筋は、錫を流し込む道。この雄型・雌型を合わせて、錫を溶かし入れていきます

いよいよここから金属を溶かし、型に流し込む「鋳込み」を行っていきます。

成分によって溶ける温度が異なる金属。真鍮の場合は1000度以上に熱さなければならず、大きな炉を使って溶かしていきます。

もうもうと煙があがり、迫力満点!
高温で溶かされ、もうもうと煙があがる真鍮

一方、錫の溶解温度は約200度と真鍮よりかなり低い温度。炉は使わず、小さな鍋で溶かしていきます。

鍋で溶かす

まるで料理をつくっているようにも見えますが、これにはちゃんとした理由が。

錫は溶解温度が低い分、1、2度の温度変化によってすぐに固まってしまうため、溶かした後は手早く型に流し込むことが大切。だから小さな鍋を使っているんですね。

錫を型に流し込む様子
型から溢れ出るギリギリまで錫を流し込みます
型から溢れ出るギリギリまで錫を流し込みます

錫を流し込んだあと、冷え固まるまでわずか5分ほど。職人が手早く型から取り出していきます。

5分も経たないうちに次々に型から取り出していきます

型をポンと床に当てると、崩れた砂とともに銀色の錫製品があらわれました。

型から取り出す
型から取り出した錫
錫を流し込んだ道が取っ手のようになっていました

ここから仕上場に運ばれ、バリを取って整えていきます。

ここから加工場へ

金属なのに暖かみのある風合いは、手作業から

鋳込みが終わったあとは、仕上げ加工へ。

加工場のサイン
仕上場のサイン。工程がよくわかります

能作ではすべての製品を、最後は職人の手作業によって仕上げます。特に純度100%の錫はとても柔らかいため、微妙な磨き具合など、人の手による調整が必要。

磨きの作業

錫製品が手になじみ、金属なのにどこか暖かみのある印象なのは、人の手を介しているからなのかもしれません。

酒器をはじめとしたテーブルウェアなど、幅広く展開しています

こうして完成した錫の酒器。

熱伝導率が高いので、冷蔵庫で1〜2分冷やすだけでキンキンに冷えたお酒を楽しむことができます。また、変色しにくいのでお手入れも簡単。使うほど、愛着のある酒器になっていくはずです。

機能面に優れ、自宅にいながら贅沢な味わいを楽しむことができる錫の酒器。

目上の方や大切な人への贈りものにも喜ばれそうなその佇まいは、老舗メーカーのアイデアと、人の手から生まれていました。

文:石原藍
写真:浅見杳太郎

<取材協力>
株式会社能作
富山県高岡市オフィスパーク8-1
www.nousaku.co.jp

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高知の居酒屋 葉牡丹

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宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

 

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家庭料理お茶漬の店 たに志 店内の様子

家庭料理お茶漬の店 たに志

 

地元の人々に愛される、お酒と家庭料理の店

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産地:高知

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気になった記事はありましたか?読み返してみると、また新しい発見があるかもしれません。

それでは、次回もお楽しみに。

鎌倉のhotel aiaoiが、ホテルに居ながら鎌倉の日常を体感できる理由

一大観光地でありながら、住みたい町としても不動の人気を誇る古都・鎌倉。

今日はそんな鎌倉に実際に暮らすご夫婦が「暮らしの延長」として2016年にオープンさせた、看板のない小さなホテルのお話です。

江ノ電に乗って、hotel aiaoiへ

江ノ島電鉄長谷駅。アジサイ寺としても親しまれる長谷寺が有名だが、実は駅から見えないだけで意外なほど海が近い。

駅から海へと向かう途中に、看板のない小さなホテルがある。名前を「hotel aiaoi」(ホテル アイアオイ)。

街道沿いのビルの階段を上っていくと、2階から宿のある3階に上がるところで深い青色の壁が現れる。「静謐(せいひつ)」という言葉が似合うような空間が、そこから始まっていた。

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「aiは『藍』と『会い』。aoiは『青い』。鎌倉は、空と海の藍色と青色でできているんですよ」

穏やかな笑顔で小室剛さん・裕子さんご夫妻が迎えてくれた。

全6部屋の小さな宿 hotel aiaoi

一般の人も利用できるカフェラウンジを過ぎて、宿泊客専用のフロアには靴を脱いで入る。

足裏に床の感触が心地よい。見ると表面が細かな波のように凹凸と波打っている。

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「なぐり床というんですよ」

テキパキとフロアの案内をしてくれるのはご主人の剛さん。

hotel aiaoiは全6室の小さなホテルだ。部屋はどれも、青色が象徴的に使われている。ベッドカバーの青い布は、剣道着と同じ生地だという。

シングル、ツイン、ダブル、ロフト付きとあり、部屋ごとに雰囲気が異なる。どの部屋にするか迷ってしまう。

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ひと通りホテル内を案内いただいてラウンジに戻ると、窓からゆっくりと夕日が差し込んでいた。

キッチンカウンターでお茶をいただきながら裕子さんにお話を伺うと、宿ができるまでの物語の向こうに、表情豊かな鎌倉の町の顔が見えてきた。

鎌倉に暮らして気づいたこと

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「お互い鎌倉が好きで、結婚を決めた場所も鎌倉でした」

プロポーズを受けたその日に泊まった宿で鎌倉在住の女性と懇意になったことが、のちの鎌倉暮らしと、その先の宿オープンの契機になる。

新居を持とうと鎌倉への引越しをその女性に相談し、紹介してもらった不動産屋さんを訪ねると、その日に出たばかりという物件が2人の希望する住まいの条件を全てクリアしていた。強い縁を感じて住み始めた町が、稲村ヶ崎だった。

「はじめは鎌倉であればどこでもいいと思って、こだわりなく住み始めた稲村ヶ崎がとてもよかったんです。

海から歩いて3分。買い物は魚屋さん、お肉屋さん、八百屋さんが隣同士に並んだご近所へ買いに行っていました」

今でも肉を手切りするお肉屋さん。自分の目で直接仕入れたいいものだけを並べる魚屋さん。

作りたい料理に必要な食材を目指して買いに行くのではなく、とりあえずお店に行って、何がいいか相談しながら買うという買い方に、自然となった。

お話好きの魚屋さんとは、ちょっと買い物のつもりが30分話し込んでしまうこともよくあったという。

「そういう経験ってスーパーにちょっと行くだけでは絶対にないことで、買い物という時間の厚みが急に増してきたんです。

友達が遊びに来る時も、家で料理を食べてもらうだけでなく、買い物から一緒に行っていました」

築60年はたつという平屋建ての家での暮らしも、大きな発見があった。よく手入れされた心地よい古民家だったが、やはり古さゆえのすきま風や虫の出入りはある。

「自然があったところに家が建って一番最後に私たちが来ているから、文句が言えないんですよね。寒かったら自分たちが厚着したり、工夫を楽しんでいました。

虫は、蜘蛛だけでもいろんな種類があるんですよ。朝よくこの子いるな、とか梅雨時期にはこの大きい子が出るな、とか。

そういうことと一緒に生活するのが当たり前だと思えたんです」

生活の大事なものの優先順位が、パタパタっと変わっていったという。ただ、その分苦労することもあった。

お互いに職場は東京にあり、仕事が忙しい時には終電で帰って朝7時には家を出る生活。

日に日に好きになる稲村ヶ崎での暮らしと東京での仕事との間で、裕子さんは体が半分ずつに別れていくような感覚があったという。

「私はオン・オフを分けるのが苦手で、全部一緒がいいんです。ちょうど同じ時期、主人は以前からやりたいと言っていた宿を鎌倉で開こう、と考えていたころでした。

私も宿ならオン・オフ分けずに生活に近い仕事ができるかなと思って、『じゃあ、一緒にやろう』となったんです」

鎌倉での暮らしの先に見つけた、宿を開くという選択肢。

そんなスタートだったので、今でも2人には、いわゆる「観光業の中の宿泊施設」をやっているという感覚はないという。目指したのは「暮らしの延長にある宿」だった。

「暮らしの延長というのは、家に来たように寛いでくださいというより、私たちそのままの場所というんでしょうか。

宿をやっているというより、ここで自分たちの表現をしている、という感じが強いですね」

2人の、鎌倉での暮らしの積み重ねを表現する宿作りが始まった。

古いものの良さと、ホテルとしての快適さが両立できる宿へ

ホテルへの入り口
ホテルへの入り口

「このビルの2階にある、kuriyumさんというタイ料理屋さんが好きで、稲村ヶ崎に越してからよく通っていました。当時から3階が空いていることは知っていたんです」

自分たちのままを表すならと、はじめは当時の住まいと同じような古民家での宿を考えていた。

ところが宿にできるような古民家を探すと鎌倉にはそうした物件が意外にも少なかった。一大観光地だからこそ、住民が快適に暮らせるよう飲食店や宿を開ける場所は限られているという。

一方で、実際に泊まってみた他の古民家の宿では、宿泊客同士の声が筒抜けになってしまう、古い住居ならではの不便さが気にかかった。

「サザエさんの家みたいに、人がどこかにいて、それが気配でわかるようなところが古い家の良さです。けれどその良さは一棟貸しでないときっと伝わらない。

ただ窮屈になるだけなら違うな、と考えを改めました」

理想の宿のあり方を模索して、海外にも出かけた。いくつか気になる宿を訪ねる中で、あるホテルの居心地の良さが心に残った。

「雑居ビルに入っていて、入り口もちょっとわかりづらいようなホテルでした。でも中に入るとガラリと印象が変わる。

うちのように部屋に水道はあるけれど、シャワーとお手洗いは部屋の外で共同。朝ごはん付き。それで十分満足だったんですよね。

そのホテルを知って、”古いもののいいところだけを持ってきて、作りはちゃんとプライバシーを守れるような宿”が私たちのやりたい形なんじゃないか、と整理がつきました。

そのヒントになったホテルが、まさにここを思わせるようなビルに入っていたんです」

hotel aiaoi客室の洗面台。ここも部屋ごとにデザインが異なる
hotel aiaoi客室の洗面台。ここも部屋ごとにデザインが異なる
使い込まれた色合いが美しい下駄箱
使い込まれた色合いが美しい下駄箱

こうして、不思議な巡り合わせで宿の場所が決まった。

看板のないホテルの理由

aiaoiという宿名は、すでに構想段階からあったという。

「響きが面白くて、世の中にない言葉がよかった。鎌倉の空と海の藍色と青色を組み合わせて決まりました」

筆記体でつづられるロゴは、鎌倉の海と空の間をぬう波にも見える。美しい宿名だが、ビルにホテル名を掲げる看板はない。

「宿を作っている時から、観光のおまけに、ただ寝に帰るホテルにはしたくないと話していました。

とにかくたくさんの人が来たらいいというのではなく、私たちが鎌倉に暮らしていいなと感じたこと、大事にしたいことを、同じようにいいなと思ってもらえる人に泊まりにきてもらいたい。

それで、あえて看板も出していないんです」

誰かを応援する、hotel aiaoiの朝ごはん

人との縁を大事にする宿の姿勢は、朝食のメニューにも現れている。

大船にある薬局の三代目がブレンドしたオリジナルの漢方茶。地元の漁師さんが直接宿まで届けてくれる海の幸。毎朝土鍋で炊くご飯は、裕子さんのお父さんが育てた無肥料無農薬のお米だ。

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「同じ漢方茶が手に入っても、カクロウくん(薬局の三代目)じゃなかったらやらないし、同じサザエが手に入ってもユウキくん(地元の漁師さん)からじゃなきゃ買わないと思ってやっています。

お金を支払うって応援します、あなたに投票しますっていう意思表示だなと思うんです。サザエを買うのも、サザエの対価として払うというより、あなたを応援したいです、という感じ。

鎌倉に来て、私たちがそういう風にお金を払うことを教えてもらったものが、宿を通してまた発展して行っているという感じがしています」

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素材に合わせて、今日はどの器がいいか。相談しながら朝ごはんの仕度が進む
素材に合わせて、今日はどの器がいいか。相談しながら朝ごはんの仕度が進む
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最後に、宿や鎌倉でのおすすめの過ごし方を尋ねると、意外な話を語ってくれた。

サザエさんの町の過ごし方

「実は稲村ヶ崎の家に住む前、鎌倉に遊びに来てはそのお家を見に行っていました。

ある日もやはり訪ねて行って、もう帰ろうかと道を歩き出したところに、向こうからやってきたおじいさんが『こんにちは』と声をかけてくれたんです。明らかに観光客の格好の私たちに。

その時に主人が、『サザエさんの町だ』と言ったんです」

実は剛さんは大のサザエさん好き。普段はテレビのない生活を送っている2人も、毎週必ずサザエさんは録画するという。

「サザエさんでは何も起こりません。誰かが結婚式に行くとか、海外旅行に行くとか大きな出来事がないのに、あんなに毎日面白いという視点を持っている。『こんにちは』を当たり前に交わし合って楽しく暮らしている。

主人はずっとそんな『サザエさんの町』に住みたい、と言っていました。だからその時のおじいさんの何気ない挨拶に、ここはサザエさんの町だね、と言ったんです。私も本当にそうだね、と返しました。それが、家を決める決め手になりました。

この町には、大きな『驚き』とか『衝撃』じゃないところに面白さがいっぱいあります。そういうところが見つかるような過ごし方をしてもらえると、いいのかな。強制はしないですけど」

ゆっくり裕子さんが笑った。

お話を伺ううち、この後の浜辺の散歩と、明日の朝の献立が、すっかり楽しみになっていた。

宿近くの浜辺の夕方
宿近くの浜辺の夕方

hotel aiaoi
神奈川県鎌倉市長谷2-16-15 サイトウビル3F
0467-22-6789
http://aiaoi.net/


文・写真:尾島可奈子

*こちらは、2017年5月25日の記事を再編集して公開しました。

伊万里で門外不出だった「鍋島焼」とは。窯元と歩く、お殿様が愛したうつわの里

佐賀には日本の磁器発祥の地・有田をはじめ、唐津、伊万里、嬉野、武雄などたくさんの焼き物の里があります。

そのひとつ、伊万里市大川内(おおかわち)にある焼き物をご存知でしょうか。

名前を「鍋島焼 (なべしまやき) 」。

江戸時代、鍋島藩(佐賀藩の別名。当主鍋島氏の名前から)の御用窯が置かれ、将軍家や諸大名への献上品、贈答品として作られていた焼き物です。

色鍋島

お殿様への献上品という性質ゆえに、その器や技術が民間に出回ることは厳しく取り締まられ、産地である大川内は「秘窯の里」とも呼ばれてきました。

山々に囲まれ、30軒の窯元が坂に面して立ち並ぶ風景は水墨画のように美しく、今では観光地としても人気を集めています。

お殿様が愛した鍋島焼とは一体どんな場所で作られ、どんな姿をしているのでしょう。

窯元さんにご案内いただきながら、歴史に秘められた鍋島焼の魅力を訪ねてみましょう。

青磁の原石が採れる山すそ、伊万里市大川内へ

伊万里市街地から車で10分ほどの静かな山あい。

レンガ造りの煙突が建ち、窯元が軒を連ねています。

地図

里の入り口には焼き物でできた大きな地図が。

「大川内に鍋島藩窯ができたのは1675年です。有田から31人の優れた陶工たちを連れてきて作らせたのがはじまりなんですよ」

ご案内いただくのは「鍋島 虎仙窯(こせんがま)」の川副(かわそえ)さんです。

「それまで有田で将軍や老中などに献上する焼き物が作られていましたが、技術の漏えいを防ぐため、険しい地形の大川内に藩窯が移されたんです。

昔は入り口で人やものの出入りを取り締まっていたんですよ」

それがわかる場所にご案内いただきました。

大川内関所跡

関所跡です。

大川内関所跡

「明治時代頃までは、この辺りには牛小屋があって、下は全部田んぼだったようです」

職人さんたちがいる場所とそれ以外に分かれていたんですね。

「陶工たちは管理されていましたが、武士のように優遇もされていたようですね」

窯元が並ぶ坂を登っていくと…

大川内

あぁ、ほんとに水墨画のような風景が。

「この辺りで、みなさん写真を撮ったり、絵を描いたりしています」

焼き物の産地でありながら、この景色を見るために外国人観光客も多く訪れるそうです。

それにしても、なぜこんな運搬も大変な山あいに藩窯が開かれたのでしょうか。

「釉薬に使う青磁の原石がこの山で採れるからとも言われています。今も自分たちで石を採って、釉薬を作っています」

日本で青磁の原石が採れる場所はほかにもありますが、産業として現在も原石を使用してもいるのは大川内だけだそうです。

虎仙窯さんに教わる、鍋島焼3つの見方

「鍋島焼には大きく分けて、色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁の3つがあります」

主に薄い染付輪郭線の内側に赤・淡緑・淡黄の3色だけで上絵付をした「色鍋島」。

色鍋島

色絵は使わずに染付けだけで文様を描きまとめた「鍋島染付」。

鍋島染付

そして大川内山でとれる原石を使った青磁釉を、器の全体にかけて焼きあげた「鍋島青磁」。

鍋島青磁
左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁のコーヒーカップ
左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁のコーヒーカップ

それぞれ表情が違って美しいです。お殿様はこうした違いも楽しんでいたのでしょうね。

鍋島焼も有田焼も、伊万里焼?

ところで、この辺りには唐津焼、伊万里焼、有田焼といろいろな焼き物がありますが、何が違うんでしょうか。

「江戸時代、伊万里の港から出していたものの総称が“伊万里焼”です」

え、港の名前?

「海外から見た時に伊万里の港から輸入されていたので総称で『IMARI』と呼ばれるようになったんです」

海外から逆輸入した呼び名だったとは。知りませんでした。

「もちろん、唐津焼、有田焼、鍋島焼、それぞれの特徴があって、伝えていくべきものがあると思うので、私たちも鍋島焼はこういうものなんだ、というのを伝えていきたいと思っています」

黄色い石から美しい青が生まれる

鍋島焼の中でも虎仙窯さんは代々、鍋島藩窯仕事場で青磁の製作と絵描きをされてきたそうで、今も青磁にこだわったものづくりをしています。

ギャラリーには喫茶スペースもあり、虎仙窯さんの器でお茶を楽しむことができます
ギャラリーには喫茶スペースもあり、虎仙窯さんの器でお茶を楽しむことができます

「これが青磁の石です」

青磁の石

黄色い!青磁の色とはまるで違います。

青磁

「これを細かく砕いて、水に溶かして釉薬状にして、白い磁器にかけて焼くと青磁色になります」

黄色から青磁色に。なんとも不思議です。

青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に
青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に

青磁を主力商品として作っている窯元は3軒ほどだそう。

「青磁は天然のものなので、山の層によって色の出方が違ったりして安定しないんです。粘土と釉薬がマッチしないとボロボロになるし、窯に入れても割れる率がものすごく高い。それを何度も何度も繰り返しながら、青磁が誕生しました」

江戸時代からの技法を忠実に守り続ける鍋島御庭焼

鍋島焼の特徴を知った後は、鍋島焼の歴史を知る上で欠かせないという窯元さんを訪ねます。

鍋島御庭焼

鍋島御庭焼(おにわやき)さんです。

鍋島藩御用窯の唯一の直系の窯元で、今も鍋島家に器を納めているそうです。

お話を伺った鍋島御庭焼五代目の市川光春さん
お話を伺った鍋島御庭焼五代目の市川光春さん

「鍋島藩のお殿様が1675年に、将軍に献上の目的として造られたのが御庭焼です。御庭焼というのは、江戸時代の藩の御用窯のことを指すので、ここは鍋島御庭焼ですね」

当時は大川内全体が藩窯でしたが、廃藩置県後、藩の下絵図の図案帳と杏葉の紋を使うことを許された唯一の窯元が御庭焼さんです。

鍋島家の杏葉の紋
鍋島家の杏葉の紋

「紋所が入るので、いろんなものは作れませんね。昔の技術を磨いて伝えていくことを大切にしています」

鍋島御庭焼さんでは、今も江戸時代からの技法を忠実に守ってものづくりを続けています。

江戸時代からある図案に基づいた絵皿。淡いブルーは、筆跡がわからないようぼかしながら色を配る、高度な技術の賜物
江戸時代からある図案に基づいた絵皿。淡いブルーは、筆跡がわからないようぼかしながら色を配る、高度な技術の賜物
工程の見本。奥の素焼きから線書き、色付けと工程を重ねてようやく完成します
工程の見本。奥の素焼きから線書き、色付けと工程を重ねてようやく完成します

大川内に藩の御用窯がつくられて300年以上。

その受け継がれてきた技術と歴史を感じることができます。

大川内山を向いて立つ880の陶工のお墓

坂を下って、川沿いの遊歩道を歩きます。

川沿いの遊歩道。向こうに見えるのは‥‥
川沿いの遊歩道。向こうに見えるのは‥‥

「夏場はこの辺りで子どもたちが水遊びをしたり、毎年、“ボシ灯ろうまつり”が開かれます。本窯を焚くときに使っていたボシ(焼き物を入れる耐火性の器)に、ろうそくを立てるんです」

火が灯ったボシが並ぶ風景は、想像するだけでもとても幻想的です。

川沿いの橋の欄干も焼き物でできています。

橋

陶片がモザイクになっていて、なんとも美しく贅沢な橋です。

橋

鍋島焼を堪能しながら歩いていくと、

「こちらが陶工無縁塔です。大正初期につくられました」

陶工の墓

点在していた古い陶工たちのお墓を「先人たちを供養しよう」と大川内の人たちがたてたそうです。

石碑

880基ある無縁墓標は全て窯場のある大川内山を向いて立っています。

大川内山を臨む

「毎年11月に、ここで“筆供養”もしています。絵付けには熊野筆を使っているので、広島県から熊野筆の方も来ていただいて、先人に感謝を述べています」

ご案内いただいた虎仙窯の川副 (かわそえ) さん
ご案内いただいた虎仙窯の川副 (かわそえ) さん

無名の陶工たちが技術の粋を尽くして作り上げられた鍋島焼。

先人たちに思いを馳せながら改めて鍋島焼を見ると、その美しさが一層際立つような気がします。

あまり知られていない場所ですが、ぜひ立ち寄りたいスポットです。

釉薬を厚くしないと出せない青磁の色

窯元さんの中には、実際のものづくりを見学できるところもあります。

大川内の里から車で15分ほどのところにある虎仙窯さんの工房へ伺いました。

虎仙窯

器の成形は鋳込みやろくろで行われています。

虎仙窯

こちらは青磁の釉薬掛け。

虎仙窯
青磁の釉薬掛け

やっぱり黄色い!

青磁の釉薬掛け

「焼くと青磁の色になります」

うーん、全然想像がつきませんが、最初にこの原石から青色が生まれると気づいた人は本当にすごいですね。

青磁の器

「青磁の釉薬は厚くしないと色が出せません。だから、たっぷり釉薬をつけています」

その分、乾くのに時間もかかるので、量産が難しいそうです。お殿様への献上品らしい、贅沢な器です。

ツバキの葉を使った転写法

「こちらが絵付室です」

絵付け室の扉

なんだか学校の図工室とか理科室みたいです。

絵付け中

「こちらは薄描きと言って、赤絵を付けるときの補助線みたいなものです」

下の黒い線はなにで描かれているんでしょう?

「桐灰です。桐を炭にして、水を含ませて型紙に筆で描きます。それをツバキの葉でこすると写るんです」

桐灰で線書きされた型紙
桐灰で線書きされた型紙

ツバキの葉で?

「江戸時代からの技法です。今は手でやることが多いですね」

型紙を乗せて手でこすると転写される
型紙を乗せて手でこすると転写される

「ツバキの葉を使うとツバキ油が出て、和紙が丈夫になると言われています。

江戸時代の量産方法ですね。今は転写とかいろいろありますけど、同じものを同じようにたくさん作るために、この方法が使われてきました」

転写の跡

「一度、型紙に桐灰で描くと、50回くらい使えます。先ほど行った御庭焼さんには、江戸時代の型紙が残っていますが、和紙だから残っている。これがもしコピー用紙だったら、たぶん残っていないだろうと言われています」

鍋島焼には、献上品としての品格、風格を保つため、多くの決まりごとがあるそうですが、どれだけ精密に作られているか、よくわかります。

転写された線の上に絵付けが施されていきます
転写された線の上に絵付けが施されていきます

藩の御用窯として発展してきた鍋島焼ですが、廃藩置県後、自分たちで窯を構えるようになると、窯元も職人たちも少なくなっていきます。

「一時は8軒くらいになってしまったようです。今は30軒になりましたが、後継者不足などの問題はどこも抱えています」

鍋島焼をより広く知ってもらうため、虎仙窯さんでは伝統的な3つの技法を生かした新しいブランド「KOSEN」を立ち上げました。

KOSEN

「鍋島焼は将軍家や大名のために贅を尽くして作られてきたので、高価な物が多く、一般市場に出回りませんでした。

これからは、一般にも流通しやすい価格帯で技法やデザインをわかりやすく伝えるなど、鍋島という存在価値をみんなに知ってもらいたいと思っています」

ちょうど絵付け中だった「KOSEN」のゴブレット。ギャラリーで教えてもらった鍋島焼3つの技法を生かしている
ちょうど絵付け中だった「KOSEN」のゴブレット。ギャラリーで教えてもらった鍋島焼3つの技法を生かしている

31名の陶工たちによってはじまった鍋島焼。

その産地である大川内は、2時間もあればぐるりと見どころを見て回れます。お殿様が愛した焼き物の里、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
鍋島 御庭焼
伊万里市大川内町乙1822-1
0955-23-2786

鍋島 虎仙窯
佐賀県伊万里市大川内町乙1823-1 (ギャラリー)
佐賀県伊万里市南波多町府招1555-17 (工房)
0955-24-2137
http://www.imari-kosengama.com/

文 : 坂田未希子
写真 : 菅井俊之

※この記事は、2018年3月26日の記事を再編集して公開しました。

<掲載商品>
鍋島虎仙窯 鍋島青磁 煎茶碗

<関連特集>

お殿様が愛した鍋島焼のハレのうつわ「虎仙窯特集」

仕事が集まる新潟のデザイナー。彼が実践したのは『経営とデザインの幸せな関係』だった

新潟の燕三条をベースに活動するクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナーの堅田佳一さんはいま、佐賀県のある豆腐メーカーと組んで、新しい商品の開発に取り組んでいる。

地方の企業がプロダクトデザイナーやアートディレクターを起用して新たな取り組みをしようとする時、多くは東京で適任者を探すのではないだろうか。

もしくは、地元や近隣の町の在住者に心当たりがあれば、その人に声をかけるという選択肢もあるだろうが、地方の企業がまったく別の地方に住む人材に依頼をするという例は、なかなかないだろう。

佐賀出身でも、在住経験があるわけでもない堅田さんと佐賀の企業がなぜ一緒に仕事をしているのだろうか。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

世界的なデザイン賞を受賞

大学を卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務しながら家電や事務機器、スポーツ用品などのデザイン開発業務を経験した堅田さん。

2008年、素材や工法などモノづくりの原点から学べる場所を求めて、縁もゆかりもない新潟県燕市の包丁メーカー、「藤次郎」に転職した。

藤次郎では現場に入り込みながら、ブランディングや海外の展示会の出展、商品のディレクション、原価構成や製造工程の改善まで担当。

堅田さんがディレクションを担当し、藤次郎の職人と他社の金属プレス加工の職人が組んで開発した包丁「ORIGAMI」は、世界的なデザイン賞「iFデザイン賞」で、プロダクトデザイン賞を受賞した。

「ORIGAMI」シリーズ(藤次郎)
三条市・藤次郎のロゴ
TOJIROの新しいロゴも堅田さんによるデザイン

これをきっかけに他社からの相談が増えたこともあり、2014年に独立してKATATA YOSHIHITO DESIGNを設立。燕三条に拠点を置くさまざまなジャンルのものづくり企業と仕事をしてきた。

堅田さんが藤次郎と高級箸メーカーのマルナオ、洋食器メーカーの山崎金属工業の3社をつなげて生み出したナイフとフォークのシリーズ「脇差」は、これも世界的に評価の高いデザイン賞「red dot design award 2017」で受賞している。

藤次郎のナイフ・フォーク。脇差/ WAKISASHI
「脇差(わきさし)」シリーズ。堅田さんはこの商品の企画から全体のコーディネートした

感じていた課題

これだけの実績を持ちながら、堅田さんは三条市で「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」が開校することを知ると、迷わずに受講を決めた。

それは、自身の足りない部分を自覚していたからだ。

「原価計算して利益の出し方を考えるとこまではやっていました。でも、経営に関する知識はなかったし、販促管理費の扱いや仕入れなども詳しくありませんでした。

一番弱かったのは、お客さんとの接点、導線作りです。新しくていいものを作ったのに、なかなか思ったようにお客様への訴求ができなかった。それが課題だとすごく感じていたので、中川さんからヒントを得たいと思っていました」

堅田さんは、前のめりで受講した。中川が課題図書を挙げればその場でネット書店から購入し、すべてに目を通した。授業で聞いたことはその日のうちに咀嚼するようにした。

さらに、コトミチの教科書『経営とデザインの幸せな関係』を読み込んで、自分の過去のプロジェクトからその時に携わっていたプロジェクトまで、片っ端から中川さんが説く商品開発やブランディングの手法に当てはめた。

「受講料の15万円は小さな金額ではないですよね。でも間違いなく、僕は誰よりも『経営とデザインの幸せな関係』を熟読したし、中川さんから学んだプロセスを使って繰り返し検証をしたり、実際の仕事でも使い倒したので、そう考えると安いものです」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

強みを活かしたアイスクリームを開発

堅田さんが自身の能力を高めること以外にコトミチの効果を実感したのは、講座でチームを組んだ燕市のアイスクリームメーカー、第一食品の山田寛子さんとのやり取り。

コトミチの大きなテーマのひとつが事業者とクリエイティブ人材の間に共通言語を作ることだが、コミュニケーションの前提となる教科書と共通言語があったからこそ、山田さんとのプロジェクトが進んだと振り返る。

それまで食品を手掛けたことがなかった堅田さんは、山田さんと一緒に、講座で学んだフレームに従って業界内での第一食品の位置づけ、強み、弱み、課題などを分析した。

そのうえで、「OEM中心だったのでオリジナル商品を強化したい」という要望を実現するために、大手メーカーにはまねできず、強みを活かした新しいアイスの開発を始めた。

 

「業界を企業規模でABCに分けると、A、B群に入る企業とC群の企業の境目は全国に2万店あるセブンイレブンと取引できる能力があるかどうかなんです。

第一食品はC群のなかでも企業規模は上位で、C群のメーカーとしては珍しく、アイスモナカを作る設備を持っていました。そこで勝負しない手はないという話になりました」

そして、A、B群の企業とC群の下位の企業にはできないアイスを目指した。

「今回は、国産の果実にフィーチャーしました。国産の果実は数が限られているので、A、B群のメーカーは手を出しません。C群の下位のメーカーは生産個数が少ないので、国産の果実を入手できても単価が高くなってしまう。

第一食品さんなら国産の果実を使いながら、ある程度価格も抑えられるんです」

30万個出荷の大ヒット

ここまでを定めるのに時間がかかり、講座を終えてから、本格的な商品作りが始まった。その過程で、ものづくりの現場に詳しい堅田さんの経験が活きた。

全国で売られているモナカの皮を作る金型の98%は、愛知県の豊橋市にある某企業が作っている。そこに依頼したところ、最初はうまく金型ができず、堅田さんも現場に向かって交渉に当たった。

味の開発にも関わった。フルーツそのものの美味しさを活かすために「上白糖じゃなくて、さとうきび糖を使いましょう」と提案。

既存のモナカアイスは男性向けが多いことにも着目。ターゲットを女性に絞って「甘すぎない、優しい味のアイスクリーム」というコンセプトで、パッケージもあえてアイスのビジュアルは出さず、かわいらしさを意識した。

第一食品のモナカアイス みもな

こうして生まれたのが、アイスモナカ「みもな」だ。「みもな」というネーミングは、中川との会話から決まったという。

「中川さんにモナカアイスを作っていると話したら、『どういう歴史でモナカという名称になったかの知ってる?』と聞かれました。

僕は知らなかったのですが、中川さんがその場で調べてくれて、水面に映る満月を詠んだ和歌のなかにある『今宵ぞ秋のもなか(最中)なりけり』という言葉が語源らしいよと教えてくれたんです。それで、水面に映る最中の月から、みもなにしようと決めました」

構想から1年半、2017年2月に発売されたみもなは発売初年度で30万個を出荷する大ヒットを記録。

コトミチと教科書から学んだ「中川メソッド」をフル活用することで手にした成果だった。

 

広がる仕事の幅

みもなのヒットで堅田さんのもとには食品メーカーからの問い合わせが急増した。しかし、堅田さんはほとんどを断っている。「売れる商品を作ってほしい」という依頼が多いからだ。

第一食品の場合は、中川のメソッドに則って課題を解決するために何をすべきかを分析した結果として、みもながある。そういう過程を無視して、売れる商品を作ってと言われても、堅田さんにとっては「わかりません」と答えるしかないのだ。

その一方で、地元のモノづくり企業との仕事の幅はどんどん広がっている。

2017年7月にオープンした藤次郎のオープンファクトリーでは、ロゴや商品のデザインだけでなく、お客さんの見学導線まで設計して空間をデザイン。

また2018年4月に開店したサンドウィッチ専門店「Sandwich Box」や、同年7月に開店した美容室「LIMLESS」では、空間デザイン、店舗での店員のコミュニケーションのデザインも含めて、総合的にプロデュースした。

堅田さんは空間デザインの専門家ではないが、ここでも中川メソッドを使っている。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん
新潟市のサンドウィッチ専門店「Sandwich Box(サンドウィッチボックス)」
燕三条 デザイナー堅田佳人さん
2018年7月 新潟市に開店した美容室「LIMLESS(リムレス)」

「お客さん自身がどうなりたいかという部分から整合性の取れた形で詰めていけば、自ずとどういう空間が必要になるか浮かび上がってきます。

例えばオープンファクトリーの場合、どういうお客さんに、どういうふうに見てもらえば、購入のきっかけになるかを考えて、最適化された見た目にしていくんです」

「そのうえで、お店に立っているひとりひとりの対応次第でブランドの評価が変わってしまうので、コミュニケーションの内容や方法も提案します。これは、中川さんが教えてくれた最後の部分ですね。どういうふうにしたらお客さんに響くのかを考えろ、という」

振り返ってみれば、お客さんとの接点づくり、コミュニケーションこそ、堅田さんがコトミチの受講前に自身の課題に感じていたことだ。コトミチを経て、その部分にも自信を持てるようになったということだろう。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

佐賀では物流もデザイン

今取り組んでいる案件のひとつに、佐賀の豆腐メーカー・平川食品工業さんのコンサルティングがある。もちろんこのメーカーは、第一食品と同じように商品開発ありきではなく、課題をどう解決するか、というところから始まった。

今回、コンサルをしていて立ちはだかったのは、物流の壁だ。豆腐は生もので賞味期限の成約が厳しい。さらに、単価は安いが物自体に重さがあるため、物流コストが高いという現実があった。そこで堅田さんは今回、物流の課題にも取り組んでいる。

もはやクリエイティブディレクターやプロダクトデザイナーの仕事の領域を超えているようにも思えるが、堅田さんは前向きにとらえている。

「あらゆる選択肢を考慮して筋の良い道を選ぶという意味では、経営も物流もデザインなんですよね。僕はもともと、クリエイティブやデザインに関係のなさそうなことはできないし、自分の仕事ではないと思っていたんです。でも、コトミチの受講や中川さんとの出会いを通して、デザインという視点で幅広く応用できる思考の『型』を学びました」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

彌彦神社に宿泊施設を

コトミチをきっかけに、堅田さんは「自分にはできない」「自分の仕事じゃない」という自分でつくった枠を壊すことができた。そうすることで、窮屈に閉じ込められていた自分の能力を解放することができたのだろう。

ものづくりに始まり、食品の開発、空間やコミュニケーションのデザインにまで手掛けている堅田さんは近い将来、宿泊施設を作りたいと語る。

中川がよく口にする「ブランドとは世界観」という言葉を考えた時に、その世界観を表現する手段として、宿泊施設には「すべてが詰まっている」からだ。

「最近、彌彦神社(蒲原郡弥彦村)のまわりに宿泊施設が欲しいと思っているんです。この神社は新潟の人にとってすごく特別な場所で、雰囲気も最高なんですよ。

神社の周辺は寂しい感じになってしまっているけど、あそこにひとつ、旅の目的地になるような素敵な宿泊施設ができたら地域が変わる気がします。もし、僕がなにかしら関われるのであれば、ぜひやりたいですね」

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

大阪のデザイン事務所でいち社員として働いていた頃の堅田さんはきっと、「ホテルを作りたい」と話す今の自分の姿を想像すらできなかっただろう。

思考の「型」を手にした堅田さんは、同時に自由も手に入れたようだ。

<取材協力>
堅田佳一(かたた よしひと)さん

https://katayoshi-design.com
大学卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務。
現場でのものづくりを学ぶためその後、新潟県燕三条でメーカー企画・開発・デザイン部門に勤務。

その後2014年にKATATA YOSHIHITO DESIGNを立上げ。

現在、決算書の読めるクリエイティブとして企業全体のブランディング業務などを中心に、個別のデザイン業務も行なっている。

プロダクトから空間まで「Red dot design award」「iF design award」「Good design award」等、受賞歴多数。

燕三条 デザイナー堅田佳人さん

文:川内イオ
写真:菅井俊之

石畳の町で暮らすように泊まる。「さまのこハウス」にはこんな体験が待っていました

国の重要伝統的建造物群保存地区に泊まれる、高岡の「さまのこハウス」へ

石畳の道の格子造りの家。

高岡さまのこハウス

タイムスリップしたような格子戸の向こうには、昔ながらの町家と現代的な空間が入り混じる、不思議な宿体験が待っていました。

高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス手前の母屋棟
高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス

宿の名前は「さまのこハウス」。

高岡さまのこハウス

国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている古い町家暮らしを、快適に体験できる施設として昨年、オープンしたばかりです。

ものづくりの町・高岡がはじまった町

宿があるのは富山県高岡市金屋町。

全国の生産量の9割以上をしめる高岡の銅器づくりは、この金屋町が発祥です。

近くにある銅像
近くにある銅像

江戸時代からの繁栄を物語る500メートルもの石畳の道と格子造りの古い家並みは、数々の映画やテレビの舞台にもなってきました。

最近お店も増え、そぞろ歩きも楽しめる
最近お店も増え、そぞろ歩きも楽しめる

町の暮らしを体験してもらおうと、町の人たちが中心となって地域の空き家を活用して生まれたのが、さまのこハウスです。

さまのことは、千本格子の意味
さまのことは、千本格子の意味
手前には小さな公園があり、落ち着いた雰囲気
手前には小さな公園があり、落ち着いた雰囲気

どちらを選ぶ?新旧・和洋選べる過ごし方

移住体験ゲストハウスというコンセプトから、建物の中は昔の趣を残しながら快適に過ごせる工夫がこらされています。

もともと一般の民家だったという手前の母屋棟は和室が2部屋。ギャラリーとしての利用も可能だそう
もともと一般の民家だったという手前の母屋棟は和室が2部屋。ギャラリーとしての利用も可能だそう
母屋と新築棟をつなぐ中庭。夏はここでバーベキューもできるそう
母屋と新築棟をつなぐ中庭。夏はここでバーベキューもできるそう
新築棟のリビング。母屋と対照的に現代的な空間
新築棟のリビング。新築棟は母屋と対照的に現代的な空間
新築棟には1人用の洋室が2部屋ある
新築棟には1人用の洋室が2部屋ある
デザイナーズホテルのような浴室
デザイナーズホテルのような浴室
古いもの、新しいもの、和洋が入り混じる
古いもの、新しいもの、和洋が入り混じる

ゲストが自分で食事をつくれるようキッチンも充実。新築棟にはお子さん向けにおもちゃコーナーもあったりと、過ごしていると本当に「宿」というよりは「家」にいるような感覚を覚えます。

広々としたダイニングキッチン
広々としたダイニングキッチン
母屋棟は昔の意匠も見どころ
母屋棟は昔の意匠も見どころ
ほどよく外の気配を感じるすりガラス
ほどよく外の気配を感じるすりガラス
吊られている風鈴は高岡銅器製。地元のものづくりが風景に溶け込んでいる
吊られている風鈴は高岡銅器製。地元のものづくりが風景に溶け込んでいる

料金は部屋によってひとり一泊6500円〜7000円 (素泊まり/税別) 。ひとり旅にも便利ですが、もうひとつ嬉しいのが一棟貸し利用もできること。

家族で、あのメンバーで。季節を変えて。色々な絵が思い浮かびました。

高岡さまのこハウス
高岡さまのこハウス

ふらっと一人で来て泊まっても、大勢でわいわい貸し切っても。高岡の風景と一緒に、よい旅の思い出になりそうです。

<取材協力>
さまのこハウス
富山県高岡市金屋町3-10
0766-75-8128
https://www.facebook.com/samanokohouse/

文:尾島可奈子