軽くて割れない黒のうつわ。町工場発の新ブランド、「96 -KURO」のデビュー秘話

「ステンレスの黒染め」で新商品を

「メーカーになりたい」

三条市に工場を構えるテーエムの三代目、渡辺竜海さんは長年、この思いを抱えてきた。同社は、小規模な金属加工企業が集積する新潟県の三条市で、黒染めとパーカライジング処理を専門として1960年に創業された。

株式会社テーエム 工場の様子

パーカライジングとは「燐酸塩化成皮膜処理」のことを指すが、平たく言えば金属のさび止め処理のこと。黒染めも鉄・鋼製品のさび止めや光の反射を抑えるなどの効果がある。どちらも、金属加工ではニーズが高い工程だ。

株式会社テーエム 工場の様子
株式会社テーエム 工場の様子

さらに同社は「ステンレスの黒染め」という特殊な技術を持っている。ステンレスは耐食性・耐熱性に優れた金属で、さまざまな商品に使用されている。

ステンレス製のキッチンを思い浮かべるとわかりやすいが、見た目はシルバー。これに色を付ける手段としては、塗装するのが一般的な方法だ。しかし、時間がたてば剥げるものや人体に有害なものも多く、なかなか食器に使うのは難しい。

そこで有効なのが「ステンレスの黒染め」だ。特殊な技術で表面に酸化被膜をつくる染色技術なので、何年たっても剥げないし、人体にも無害。

テーエムの主な仕事は金属の表面処理や加工の下請けだったが、渡辺さんは、全国的にも珍しいこの技術を使っていつか自社製品を作りたいと思っていた。

株式会社テーエム 代表取締役渡辺 竜海さん
株式会社テーエム 代表取締役渡辺 竜海さん

しかし、自社で商品を企画したことも、開発したこともなく、なにをどうしたらいいのかわからない。商品開発をテーマにした単発のセミナーに参加したこともあったが、2時間程度、話を聞いて「なんとなくわかったような感じ」で終わってしまうことが続いた。

どうにかしたいけど、どうしようと長い間もどかしい思いを抱えているところに、三条市から届いたのが「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」開校の知らせ。中小企業の経営コンサルも手がけてきた中川政七商店13代の中川政七が塾長をつとめるという。

内容を確認した渡辺さんは、迷うことなく受講を決めた。

「中川さんは幅広く活躍されている方なので、存在は知っていました。そういう方に月一回、商品開発やブランディングについてイチから教えてもらえる。

私は商品開発の知識がほぼゼロだったので、それを学べると考えたら受講意義はとても高いんじゃないかと感じました」

コトミチ1期生と2期生でタッグ

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日にプレゼンするという流れだ。渡辺さんは受講を始めてからレベルの高さに驚いたと振り返る。

「正直、私にとって初めてのことばかりだったので、難しい部分も多かったですね。でも、単発の講座と違って商品ってこういうふうに作っていくんだという流れをしっかり学べました。

うちと同じような中小企業の方もいたり、デザイナーやアートディレクターの方もいて、そういう方のアイデアを聞いて刺激にもなりましたね」

渡辺さんにとって一番の収穫は、三条市で企業の広告制作、ブランディング、セールスプロモーションなどを手掛けているアートディレクター、「NISHIMURA DESIGN」の西村隆行さんとタッグを組めたことだった。

NISHIMURA DESIGNの西村さん
NISHIMURA DESIGNの西村さん

ふたりはもともと顔見知りだったのだが、第1期を終えてしばらく経った頃、渡辺さんがたまたま西村さんにコトミチの話をしたところから、事態が動き始める。その時、西村さんは第2期に参加中だった。

「仕事のメインはグラフィックデザインですけど、例えばチラシ製作の依頼があった時に、今、チラシを作ることが正解なのか、もっと違うアプローチをした方がいいんじゃないかと思うこともありますよね。

もちろん、お客さんにはその話をするんですけど、説得力のある説明がなかなかできなくて、課題に感じていたんです。コトミチに参加したらヒントが得られるかもしれないと思って受講しました」

西村さんは、渡辺さんが第1期に参加していたことを知らなかったので驚いたそうだ。パートナーを探していた渡辺さんは、すぐに「一緒にやりませんか?」と声をかけた。

「コトミチはすごく勉強になったんですけど、会社を経営しながらひとりで新しいものを作れるのかというと、かなりハードルを感じていたので、パートナーが欲しいと思っていたんです。

コトミチで学んだことをベースに同じ目線で話せて、いい意味でなんでも言い合える人と考えた時に、西村さんしか思い浮かばなかったですね」

これは、西村さんにとっても嬉しいオファーだったと振り返る。

「話を頂いた時は、やった! と思いましたね。まだコトミチの途中で、これが終わったらコトミチで学んだことを活かした活動をしていきたいと思っていたんです。

まだ受講中のタイミングで、いつかやってみたいと思っていたプロダクト開発に誘ってもらって、ほんとにいいんですか?と思いました(笑)」

NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん
NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん(右)

商品開発で一番悩んだことは?

とんとん拍子でタッグを組んだふたりの新たな挑戦が始まった。渡辺さんたっての希望で、ステンレスの黒染め技術を使うのはテーブルウェアに決まった。

「理由のひとつ、三条市の隣に、ステンレスの食器やタンブラーの開発に力を入れている燕市があったことです。もうひとつは、塗装やメッキと違って、黒染めは表面処理のなかで知名度が低いので、食事という生活習慣のなかで身近に触れていただけたらなと思っていました」

ふたりはだいたい週に1、2回のペースで顔を合わせ、その間もメッセンジャーなどでやり取りしながら商品開発を進めた。

わからないことがあった時、迷った時は、コトミチの教科書でもある『経営とデザインの幸せな関係』を読み返した。そうして1年をかけて完成したのが、テーブルウェアの新ブランド「96(クロ)」だ。

黒染めブランド96のパンフレット

ユニークなのは、この食器を製造するにあたり、廃盤になって日の目を見ることなく眠っていた「型」を使ったこと。イチから食器の型を作るとなると、渡辺さんと西村さんの専門外なのでアドバイザーを呼ぶ必要があるし、もちろんコストもかかる。

さてどうしようかと考えた時に浮かんだのが、廃盤になった型のリユースだった。黒染めは自然由来で環境に優しい。だからこそ製品づくりも環境への配慮を意識するなかで、資源を有効活用するという視点からもベストなアイデアに思えた。

96(KURO)のパンフレット

そこで、三条市と燕市に工場を構えている食器メーカーに「使われていない型を再利用させてくれませんか?」と頼みに行くと、意外なほど快く協力してくれたたそうだ。

96(KURO)のテーブルウェア

食器の「型」が決まれば、黒染めする技術はある。ふたりが最も苦労したのは、価格設定だったという。

「いたずらに高くもしたくないけど、こだわって作っていくと原価もかさんでいく。正解がないなかで、いろいろな人に相談して、自分たちの想いも織り交ぜながら決めました」(渡辺さん)

「お互いに商品を作るのが初めてなので、いろいろ情報を集めました。特にタンブラーは作業工程が複雑でかなりコストがかかっているので、それを反映すると最終的な価格が高くなってしまう。さすがにその金額じゃ売れないだろうということで、コストを抑える方法を探したり、本当に試行錯誤でしたね」(西村さん)

NISHIMURA DESIGNの西村さん(左)とテーエムの渡辺さん

忘れられない言葉

「96(クロ)」のロゴは、渡辺さんが書いた無数の「96」のなかから西村さんが「これだ!」というひとつを選んでデザイン。

96(KURO)ブランドロゴ

商品からロゴまですべてが揃ったのは、初めて出展した合同展示会「大日本市」(2018年8月開催)の直前だった。

環境への配慮から、商品のパッケージもすぐに捨てられてしまう紙の箱ではなく、布を採用。ランチョンマットなどに再利用してもらえれば、と思いを込めた。

念願の自社商品を手にした渡辺さんは「感無量でした」と笑顔で振り返る。

「自分の会社の商品があるということが、もう嬉しくて、嬉しくて。可愛くてしかたなかったですね」

三条市 ステンレス黒染め 96 KURO
96の商品
三条市 ステンレス黒染め 96 KURO
三条市 ステンレス黒染め 96 KURO

「大日本市」では、塾長の中川政七に苦労した価格設定についてアドバイスをもらい、「なるほどな」と納得したという。
そして、懇親会の席では中川政七商店の千石あや社長とも話をした。ふたりは、その時にかけられた言葉が今も忘れられないという。

「自分たちですごくいいものを作ったと思っても、いきなり最初から売れるということはまずないんです、と言われました。

今すごく有名なブランドになっている人たちも継続して、課題をクリアして、今がある。そういう気構えでモノづくりをしていくのが大事ですと励まされて、泣きそうになりましたね」(渡辺さん)

「三条市には新ブランドを作って成功している企業もあるのでどうしても気になっちゃうんです(笑)。

でも、千石社長に、あきらめないで、めげないでやってくださいと言われて、やっぱり地道に、着実に継続してやっていくのが強いよなと思いました」(西村さん)

nishimura design西村さん

講座を修了したらそれで終わりではなく、中川政七や中川政七商店とつながりができるのもコトミチの魅力だろう。

「96(クロ)」のテーブルウェアは自社ホームページだけでなく、三条市にある羽生紙文具店pippiなど取扱店も増えており、少しずつ売れ始めている。

初年度に予定した売り上げにはまだ達していないが、新製品の告知、販路の開拓、カトラリーの開発などやるべきこととやりたいことは尽きない。ひとつひとつ課題を解決しながら、ふたりは二人三脚で前進していく。

NISHIMURA DESIGNの西村さんとテーエムの渡辺さん
三条市テーエムの工場
製作現場の様子

<取材協力>
株式会社テーエム
代表取締役社長 渡辺竜海さん
http://tm-tm.net/

NISHIMURA DESIGN
西村隆行さん
https://www.nishimuradesign.com

96 -KURO ブランドページ
http://96bst.com/

文:川内イオ
写真:菅井俊之

食卓に小さな「違和感」を。瀬戸本業窯の豆皿が新生活におすすめな理由

「この日は脂の乗ったキンキの煮付けが馬の目皿に盛られて出てきた。馬の目皿と煮魚というこの組み合わせは本当に美しい。



あっさり炊かれた身をほぐして、煮汁に浸し、木の芽と共にいただく。春が駆け抜ける」

みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より
みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より

おいしそうな文と写真に、唾をのみ込んでから約1年後。

春と呼ぶにはまだ少し早い瀬戸で、この立派な「馬の目皿」の、小さな小さなミニチュア版が誕生する瞬間に、立ち会いました。

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

料理家・土井善晴さんも愛用する「瀬戸本業窯」のうつわとは

うつわの作り手は日本を代表するやきもの産地・愛知県瀬戸市にある「瀬戸本業窯」さん。

瀬戸本業窯

平安からの歴史を持つ瀬戸の伝統的な陶器「本業焼」の系譜を、瀬戸で唯一、代々守り継いでいる窯元さんです。

うつわを実際に手に取って見ることが出来る併設のギャラリー
うつわを実際に手に取って見ることが出来る併設のギャラリー

「馬の目みたいだから馬の目皿。別名煮しめ皿とも言われるので、こんな風に煮付けしたら王道ですよね。でもカレーライスを盛り付けてもいいし、和でも洋でも何でも合うんです。

最近は料理家の土井善晴先生がよく使ってくださって、ありがたいですね」

そう話すのは瀬戸本業窯8代目の後継者、水野雄介さん。

水野雄介さん
水野雄介さん

家庭料理の第一人者からの信頼も厚い瀬戸本業窯のうつわ。その特徴は、800年もの時間が磨き上げてきた「丈夫さ」と「料理が映えるデザイン」です。

窯運営のカフェに並ぶ本業窯のうつわ
窯運営のカフェに並ぶ本業窯のうつわ

「鎌倉時代、日本でいち早く、釉薬をかけた陶器を作ったのが瀬戸です。

釉薬はガラス質です。土の表面そのままの無釉の焼きものに対して、釉薬が膜の役割を果たして、耐水性が生まれます。

これで、水を溜めたり、汁気のあるものも盛り付けられる。色の違う釉薬を合わせれば、美しい模様も描ける」

瀬戸本業窯 窯横カフェ

「まだ全国的に無釉のうつわしかなかった時代に、これは日本人の暮らしを変える大きな出来事だったと思います」

なぜいち早く瀬戸が、それを実現できたのか。

そのヒントが、昭和まで活躍していた瀬戸本業窯さんの登り窯にありました。窯の内壁は、なぜかたっぷり釉薬をかけたようにツルツルしています。

瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて複数の窯元で使っていた共同窯の一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました
瀬戸市の指定文化財になっている登り窯。かつて複数の窯元で使っていた共同窯の一部を移築したもので、昭和まで現役で動いていました
ツルツルの内壁
ツルツルの内壁

「これが日本初の施釉陶器を生んだ原点ですね。

瀬戸の土にはガラス分が多く含まれています。その養分を吸った赤松がこの一帯にはよく生えていて、やきものを焼く薪に使われてきました」

窯の温度を上げるために、薪を途中投入するための口。1250°という高温で焼くことで、丈夫なうつわになる
窯の温度を上げるために、薪を途中投入するための口。1250°という高温で焼くことで、丈夫なうつわになる

「灰になった薪のガラス分が、うつわや内壁に付いてツルリとなっていることに、昔の職人が気づいたんでしょう」

赤松の薪とツルツルの壁
赤松の薪とツルツルの壁

やがてうつわ先進国の中国朝鮮に本格的なノウハウを学びに行く職人も現れ、小さな発見が大きな産地の発展へと結びついていきました。

瀬戸本業窯では灰や籾殻を調合し釉薬を自分たちで手づくりする。灰を調合して作る灰釉から生まれるのは、瀬戸を代表する淡い黄色の「黄瀬戸」
瀬戸本業窯では灰や籾殻を調合し釉薬を自分たちで手づくりする。灰を調合して作る灰釉から生まれるのは、瀬戸を代表する淡い黄色の「黄瀬戸」
赤く見える釉薬は、灰釉に鉄を加えた鉄釉。うつわの茶色い部分のような色味になる。灰釉に銅を加えると、緑釉に。こうして色数が増えていった
赤く見える釉薬は、灰釉に鉄を加えた鉄釉。うつわの茶色い部分のような色味になる。灰釉に銅を加えると、緑釉に。こうして色数が増えていった

釉薬の種類が増えると、デザインも多彩に。冒頭の馬の目皿も、誕生の理由は日本の食卓を支えてきた一大産地らしいものでした。

もともと東海道沿いの宿やご飯どころ、庶民の家まで幅広く使われていたうつわだそう
もともと東海道沿いの宿やご飯どころ、庶民の家まで幅広く使われていたうつわだそう

プロダクトデザイナーがいない時代に、デザインはどうやって生まれたか?

「このデザインが残ってきたのは、早く描けるから。瀬戸は実用品を作ってきた産地なので、一個一個に手間をかけすぎるのはよくないんです。

描き始めたら最後までリズムよく描き切る。馬の目の絵付けをする職人は生涯、馬の目だけを描き続けます」

絵付けの現場にあった馬の目皿
絵付けの現場にあった馬の目皿

何百、何千、何万と作り続けるうちに洗練された職人の手さばきから、どんな料理にも馴染む、瀬戸独自のデザインが生まれてきました。

瀬戸本業窯の器とキンキの煮付け
みんげいおくむら 奥村忍さん連載「わたしの一皿 瀬戸焼の本業を知る」より

「でもこんなに小さい馬の目皿は、初めて作りましたね」

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

瀬戸の伝統的なうつわ作りを継ぐ瀬戸本業窯の、250年の歴史で初めて誕生したのが、この小さな小さな豆皿サイズの馬の目皿です。

豆皿で、食卓に小さな「違和感」が生まれる

「今って食事の時にテーブルに並ぶうつわの数は、減ってきています。

一番ミニマムにしようと思えばワンプレートや丼もので完結できますよね。

そんな中で豆皿みたいな小さいうつわの役割といえば、醤油や薬味を入れたり、お漬物を載せたり。盛り付けられるものは、ちょっとです」

お漬物や、梅干しを添えたり
お漬物や、梅干しを添えたり

「でも、シンプルな食卓にこういう『ちょっと違うもの』を置くと、それだけで食卓の表情が変わります。うつわの高さや彩りに変化が出るので、目で楽しめるんです」

瀬戸本業窯の豆皿「馬の目皿」

「そういうものがひとつ入ってくると、場に『違和感』が出てくるんですよ。

そのひとつに合うように周りも変えていくと、だんだん食卓や部屋まるごと、変わっていくんです。

もし暮らしを変えたいと思っている人がいたら、こういう小さなものから始めていくと、いいと思いますよ」

瀬戸本業窯の豆皿

豆皿は、やきもの業界の尺度でいうと「3寸皿」。うつわの規格としては最小サイズの、直径わずか9センチです。

そんな「暮らしの小さな起爆剤」を、瀬戸本業窯さんは今年3種類、新たに手がけています。

先ほどの「馬の目皿」と、同じく瀬戸のやきものを語るには欠かせない「三彩」「黄瀬戸」です。

右から時計回りに「馬の目皿」「三彩」「黄瀬戸」
右から時計回りに「馬の目皿」「三彩」「黄瀬戸」

技術の高さの証「三彩」

瀬戸本業窯の豆皿「三彩」
瀬戸本業窯の豆皿「三彩」

「『三彩』は中国の『唐三彩』のうつわを元に生まれたデザインです。

もともとは低温で焼いて美しい色彩を出していたので、日常使いするほどの強度がない。

そこを瀬戸の職人が試行錯誤して生まれたのが、きれいな発色を保ちながら日常使いできる、丈夫な『三彩』のうつわです」

瀬戸本業窯の豆皿「三彩」

ごまかしが効かない「黄瀬戸」

最終的にはここに行き着くかな、と水野さんが語ったのが、無地の「黄瀬戸」。

瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」

「やっぱり職人としては、無地が極上、という気持ちがあります。

絶対にごまかしが効きませんからね。無地で『これは』と思うものができると、技術としてはある程度高いところまで、到達できているんだと思います」

瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」
瀬戸本業窯の豆皿「黄瀬戸」

もうひとつ無地で面白いのが、うつわの育ち具合がよくわかること。実際に30年の変化がわかるお皿を見せていただくと、その差は歴然でした。

右上から時計回りに、30年使い込む中での風合いの変化を表した見本
右上から時計回りに、30年使い込む中での風合いの変化を表した見本
新品と30年もの。その違いがよくわかります
新品と30年もの。その違いがよくわかります

「こういう小さなものをきっかけに、好きなうつわで大皿料理をわいわい囲むような食卓が増えていくのが、わたしの夢です」

と、水野さんが今回新たに豆皿づくりに取り組んだ想いを、明かしてくれました。

再び冒頭の記事から奥村さんのことばを借りれば、瀬戸本業窯のうつわは「育つうつわ」。

「家なら、家族の時間がそこにどんどん積み重ねられていく。こんなすてきなことはないだろう」

大きな変化も、暮らしの風景も、はじめは些細なことから生まれているのかもしれません。

春、新しい生活のスタートを、小さなうつわから始めてみては。

瀬戸本業窯の豆皿

<掲載商品>
瀬戸焼の豆皿 3寸 黄瀬戸
瀬戸焼の豆皿 3寸 馬の目
瀬戸焼の豆皿 3寸 三彩

<取材協力>
瀬戸本業窯
愛知県瀬戸市東町1-6
http://www.seto-hongyo.jp/

文:尾島可奈子
写真:奥村忍、尾島可奈子

「3月のライオン」に登場する将棋駒は退会駒?道具の秘密を追って

「ハチミツとクローバー」で知られる羽海野チカさんによる人気漫画『3月のライオン』。

2017年には実写版映画が公開され話題となりました。若き天才ともてはやされる17歳のプロ棋士を描いたこの作品。ストーリーはもちろんですが、やっぱりさんち読者の工芸ファンの方々は、対局のシーンで使われている美しい将棋駒が気になったのではないでしょうか。

どこで、どんな風に生まれ、どんな物語が隠されているのか。劇中で登場する美しい将棋駒について、映画の装飾を担当された渡辺さんにお話を聞いてきました。

©2017映画「3月のライオン」製作委員会
©2017映画「3月のライオン」製作委員会

-映画で使われている駒は、シーンによって使い分けられているのですか?

「ほとんどの対局のシーンで将棋連盟のものや実際の棋士の先生がお持ちのものをお借りしましたが、その中で3つ、特別なものを用意しています。

映画前編(映画は前後編の二本立て)の冒頭・名人戦の対局時、映画後編のラストの対局時、そして神木隆之介さん演じる主人公の桐山零くんが自宅で使っている駒の3つです。

どのシーンも映画で非常に重要なシーンだったり、想いの込もる道具なので、きちんと選んで用意したものを使いたいなと思っていました」

主人公の将棋駒に隠された秘密

©2017映画「3月のライオン」製作委員会
©2017映画「3月のライオン」製作委員会

-主人公が自宅で使っている駒は、物語の中でも重要な役割がありますよね。

「桐山零くんの駒は実際に使ったものが今ありますよ。ちょっと待ってくださいね」

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「こちらです。映画本編ではほぼわからないのですが、この桐山零くんの駒には実は僕から監督に提案した隠れた設定がありまして。

将棋界には奨励会(正式名称は新進棋士奨励会)という、プロ棋士を目指す方々が所属する研修機関があるんですね。そこで四段に昇段できた、ごく限られた人間だけがプロ棋士になれる。いわば虎の穴みたいなところ。

その奨励会を退会する時に奨励会から将棋駒を贈られる「退会駒」というシステムがあるんです。

原作者の羽海野先生から、主人公の桐山零くんの実のお父さんが将棋をしていたと聞いていたので、お父さんの将棋時代の親友であり、将棋の父である幸田を通じてこれを彼に持たせようと思ったんです。それで、道具としても物語が作れるなと」

箱には桐山零くんのお父さんの名前が。
箱には桐山零くんのお父さんの名前が。

「何十年と使ってきた駒ってどんな風に経年変化するんだろうと思って、実際に色々と見せていただきました。そうすると、つげの飴色がすごくきれいで。みんなの努力の跡ですよね。

今回で言えば桐山親子の努力の跡。その重みを再現しなければと2ヶ月間かけて駒を育てました。

普通に将棋連盟の1階で販売されている比較的安価な駒なのですが、それを日焼けさせたり油を塗り込んだりしてつくっていきました」

袋もくったりと良い感じにくたびれています。
袋もくったりと良い感じにくたびれています。

良い駒を求めて向かった天童で出会った駒師

「冒頭の対局シーンでは天童の掬水(きくすい)さんの駒をお借りしました。掬水さんは将棋駒の伝統工芸士で、息子さんの淘水(とうすい)さんと親子2代にわたって将棋駒をつくられています。

掬水さんのことは商工会の方から紹介してもらって。最初、当たって砕けろで会いに行ったのが出会いです。どんな怖い方が出てくるのかと思っていたら、とってもやわらかい印象で驚いたことを覚えています。

その時は後継者育成講座も見学させていただいたのですが、『王の文字の横文字1本にどういう意味があるか考えてください』なんて授業をされていました。

一筆に対する意味を教えている。これは好きじゃないとできない仕事だなと。その場で今回の映画へのご協力を快く受け入れていただき、今回の撮影が実現しました」

画像提供/掬水
画像提供/掬水

「掬水さんの駒はすべて受注生産のフルオーダーなので、撮影では掬水さんの駒をお持ちの顧客の方にお借りすることになりました。

実際の駒を目にすると、美しさに本当にうっとりしてしまいました。指してみると、映画のシーンでも何度かクローズアップされていたように、指に“チュン”と吸い付く感覚がするんですよね。

棋士の方々は、やはり良い駒はすぐにわかるようです。現場でも『良いの用意できましたね!』なんて言われたりして。主演の神木隆之介さんも“違う”と言ってくれました。やっぱり良い道具を用意すると俳優さんたちも喜んでくれるんですよ」

冒頭の名人戦の撮影風景  ©2017映画「3月のライオン」製作委員会
冒頭の名人戦の撮影風景 
©2017映画「3月のライオン」製作委員会

ラストシーンでは実際の名人戦でも使われた駒を

「後編のラストシーンでは掬水さんの息子さん、淘水さんの駒を使わせていただきました。

お借りしていた掬水さんの駒を返却しに行った日に、ちょうど名人戦が天童で行われていたんですよ。そこでね、迎えにきてくださった掬水さんから『今日の名人戦では息子の駒が使われているんですよ』なんて話を聞いて。

おめでとうございますと言いながら、なかなか技術が継承されなかったり後継者の問題がある中で、この美しい駒を2世代で作っているのがすごいなと改めて思ったんです。

そこで、ラストシーンの駒はもう他のものを用意していたのですが、息子さんの淘水さんの駒をラストシーンのためにお借りできないかってお願いしてみました。その時もダメもとだったのですが、是非にと言っていただいて。

でもまた受注生産なので、どうしようと思ったら『今日名人戦で使っているものをどうぞ』と。もうね、持って帰るのも緊張ですよ。実は掬水さんの駒の時もそうだったのですが、新幹線の中でずーっと膝の上に置いて、トイレにも行けない(笑)

その日の名人戦では佐藤天彦(あまひこ)さんが羽生善治さんに勝ってタイトルを奪取した。まさに時代を変えた駒です。そんな駒を大切なラストシーンに用意することができて、本当におふたりには感謝しています。是非天童にも行かれると良い。おふたりの駒は本当に美しいですよ」

-ありがとうございました。行ってきます!


将棋駒と温泉のまち、天童へ

渡辺さんのお話を聞いて、映画の裏にもこんな物語があったとは、と驚きも冷めやらぬまま天童へ。東京駅から新幹線で3時間、車窓からはまだ残る雪景色を見ることができました。

さくらんぼの木に囲まれた、天童駅からほど近い工房にお邪魔すると、渡辺さんの言っていた通り、とても穏やかな空気で掬水さん、淘水さんのおふたりが出迎えてくれました。

穏やかな笑顔で語る掬水さん。

どうぞ、と早速見せていただいたのは淘水さんの駒。先の名人戦と映画後編のラストシーンで使われた作品です。まさにうっとりするような美しさで、そっと触れるだけで緊張してしまいます。

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将棋駒は製作方法によってスタンプ駒、書き駒、彫り駒、彫り埋め駒、盛り上げ駒と名称が異なります。

スタンプ駒と書き駒はその名の通り、木地に直接文字をスタンプ、もしくは書いたものです。彫り駒は文字を彫って漆をいれたもの。彫り埋め駒は、彫った文字の部分に漆を塗り込み、研いで平滑に仕上げたもの。

盛り上げ駒はその上にさらに文字を漆で盛り上げた最高級品で、タイトル戦で使われるのは盛り上げ駒。掬水さんと淘水さんが作られているのもこの盛り上げ駒です。

それぞれの工程ごとの駒。
左が彫り埋め駒、右が盛り上げ駒。

お話だけではわからないでしょう、と実際の作業も見せていただきました。居心地の良いあたたかい作業場で、現在は掬水さんの娘さんも含めて3人で作業を行なっているそう。とは言っても分担や流れ作業ではなく、ひとりがひとつの駒を担当し、最初から最後まで作っていくのだとか。

製作途中の彫り駒。

駒の木地は伊豆七島のひとつ、御蔵島(みくらしま)のツゲを5年ぐらい乾燥させて使っています。もともとかたく、密度の高いツゲの木地を、陶器の道具で艶出しと木の導管をつぶしてなめらかにしていきます。

そのほかにも山形の刃物、自身で調整して使う蒔絵用の細筆など、ひとつひとつ大切に手入れされている道具を見せていただきました。

この筆を職人さんが自身で調整して使うのだそう。

盛り上げの作業は1枚あたり15分ほど。蒔絵用の細い筆を使って、慎重に慎重に文字を描いていきます。まさに職人技です。

完成した美しい盛り上げ駒。

駒の美しさはもちろん、掬水さん、淘水さんのやわらかいお人柄にも魅せられて、工房を出て帰路につく頃にはすっかり盛り上げ駒の虜になってしまいました。まだ映画を観ていない方は、ぜひちいさな将棋駒たちにも注目してみてください。


3月のライオン

【前編】公開終了
【後編】公開終了

監督:大友啓史
出演:神木隆之介 有村架純 倉科カナ 染谷将太 清原果耶 佐々木蔵之介 加瀬亮 伊勢谷友介 前田吟 高橋一生 岩松了 斉木しげる 中村倫也 尾上寛之 奥野瑛太 甲本雅裕 新津ちせ 板谷由夏 伊藤英明 豊川悦司
原作:羽海野チカ「3月のライオン」(白泉社刊・ヤングアニマル連載)
配給:東宝=アスミック・エース

映画公式サイト 3lion-movie.com

掬水さんのブログ
http://kikusuinokoma.blog.fc2.com

文/井上麻那巳
※こちらは、2017年3月31日の記事を再編集して公開しました。

こんぴら歌舞伎に欠かせない風物詩。春限定で町を埋めつくす「のぼり」の制作現場へ

香川県仲多度郡琴平町。「こんぴら参り」で知られる金刀比羅宮のあるお山のふもとに、現存する日本最古の芝居小屋が存在します。その名も「旧金比羅大芝居」、通称「金丸座」。

こちらでは昭和60年から毎年4月に「こんぴら歌舞伎大芝居」が約2週間にわたって開催され、四国に春を告げる風物詩になっているのだそうです。

そして、この時期に琴平の町のあちこちに掲げられるのが、のぼり。色とりどりののぼりが歌舞伎役者たちや全国の歌舞伎ファンたちをこの町に迎え入れ、ムードを盛り上げます。

こののぼり、聞くところによると琴平町の染屋さんが毎年手作業で染めているのだとか。「こんぴら歌舞伎大芝居」が始まる前の3月、のぼりの製作現場を訪ねてみました。

香川の伝統工芸「讃岐のり染」の工房へ

訪ねたのは香川県の伝統工芸である、讃岐のり染の工房「染匠 吉野屋」。若き4代目の大野篤彦(おおの・あつひこ)さんが迎えてくれました。

「うちは明治の終わり頃、ひいじいちゃんの時代から始まって100年以上讃岐のり染をやってます。

元々は着物の仕事が多くて、洗い張りだとか染め替え、紋付の紋を入れるような仕事をしてたらしいけど、徐々に大漁旗とか祭りの半被(はっぴ)や、神社ののぼりだとかの仕事が多くなって。

春は歌舞伎ののぼりを毎日染めてる感じかな」

と、篤彦さん。

背中に虎を描き染めた半被。力づよく色鮮やかです
背中に虎を描き染めた半被。力づよく色鮮やかです

伺った3月は、まさに歌舞伎ののぼりを染めている真っ只中。

「歌舞伎ののぼりは、年が明けてから3月の末頃までずっと染めています。昔は700本ぐらいののぼりを染めたこともあって、琴平の道という道、路地裏にまで所狭しとのぼりが並んでいました。

風でのぼりがパタパタして夜眠れないなんていう苦情も出たぐらいすごかった。最近では少なくなって100本もないぐらいかな」

と教えてくださったのは、篤彦さんのお父さま、3代目の大野等(おおの・ひとし)さん。讃岐のり染の伝統工芸士です。

工房で頭上を見あげると、のぼりが。染めたものを乾かしているところ
工房で頭上を見あげると、のぼりが。染めたものを乾かしているところ
乾かしているのぼりを見上げる、「染匠 吉野屋」3代目の大野等さん
乾かしているのぼりを見上げる、「染匠 吉野屋」3代目の大野等さん

700本!それは確かに町中がのぼりで埋め尽くされますね。でも最近はずいぶん少なくなったんですね‥‥。

「役者さんの名前を入れるものは毎年染め変えるけど、『金毘羅大芝居』と入れるものは、破れるまでずっと同じものを立てることが多いんですよ。

外に立てるから雨ざらし。色落ちしないようにしっかり染めているから、なかなか色あせないし新しい注文が来ない!

でも、色落ちなんかしたら染め屋としての評判が落ちるし、ここはしっかり染めておかんとあかんやろ(笑)」

のぼりは一枚一枚手染めだといいます。役者名ののぼりには役者の紋を、のぼりの下部にはスポンサーの名前が入りますが、これも紋やロゴを写し取ってやはり手染めです。

700本染めた年は、夜も昼もなくいくつかの染屋で手分けしてのぼりを染めたそうですが、今ではこんぴら歌舞伎ののぼりを染めるのは「染匠 吉野屋」たった1軒になりました。

役者さんの紋を写した型紙。カッターで切り抜いたもの
役者さんの紋を写した型紙。カッターで切り抜いたもの

布の上にこの型紙をおき、のりを置く。のりがついた部分は染まらないので、染料をのせてもこの部分はきれいに染抜かれます。

のりは、もち米を粉にして石灰と塩、ぬかなどを混ぜたもの。とはいえ、この配合は染屋さんにもよるそうで、例えば着物の細かい模様を染めているような染屋さんはもっと細やかなのりを使うといいます。

のりの元になる、もち米を粉にしたもの
のりの元になる、もち米を粉にしたもの
水加減を調整して炊きあげ、のりができあがる
水加減を調整して炊きあげ、のりができあがる

讃岐のり染の特徴として、「筒描き」という技法があります。渋紙の筒袋である「筒」を使ってのりを絞り出して描く技法で、職人の手で自由に描くことができるため、いきいきとした線が染め抜かれます。

歌舞伎ののぼりに関しては、背景の「熨斗(のし)」模様を染めるために、色と色との境目に土手をつくる感じでのりを引きます。

「筒描き」で、色の境目にのりを引く
「筒描き」で、色の境目にのりを引く

父と息子の共同作業「どうぞ、どうぞ」。

のりがしっかり乾いたら、染めの作業です。では、染めている様子を見せてもらえますか?

4代目「伝統工芸士の父が染めます、どうぞ。」
3代目「いま話題の若い4代目が染めます、どうぞ。」

ええと、1つののぼりはやっぱり1人で染めるものなんでしょうか?

3代目「みんなで寄ってたかって染めたら早いんやけど。」
4代目「一緒に染めたら揺れるねん!はみ出るから嫌や!」

言い合いしつつもそれぞれ刷毛を手にし、のぼりを染めに。

手前が4代目篤彦さん、若き職人さんです
手前が4代目篤彦さん、若き職人さんです
染料がはみ出ないように、のりが土手の役目を果たす
染料がはみ出ないように、のりが土手の役目を果たす

‥‥。
‥‥‥‥。
ええと、何か歌ったりとか、2人で話したりとかしないんですか?

3代目「歌は歌わんなぁ。ラジオかな。」
4代目「話すとしたら、次にどこに釣りに行くかかな。」

父親と息子というのは、こういうものなのかもしれません。多くは語らず黙々と。そうこうしている間に、のぼりをくるりと裏向けに。生地をピンと張るための道具、竹の伸子が上にきます。

「のぼりは裏からも見られるものやから、裏から見たときもきれいに見えるように染めるんですわ」

と等さんは裏側にも刷毛をはしらせます。ん?篤彦さんの手元は、刷毛からナイフに変わっています。

生地の裏を、ナイフでなでつけています‥‥
生地の裏を、ナイフでなでつけています‥‥

「これは、生地の微妙な毛羽立ちを抑える作業。乾いたらムラが目立つからていねいにせんと」

と篤彦さん。ずっと家族でやってきているから、道具も手法も自分たちで考えてきたものを受け継いできているとのだといいます。

「次は濃い緑色かな」。色はそのときの感覚で考えるのだそう
「次は濃い緑色かな」。色はそのときの感覚で考えるのだそう
歌舞伎らしい鮮やかな色合いに。「のし」の柄がうかびます
歌舞伎らしい鮮やかな色合いに。「のし」の柄がうかびます
大切な道具、刷毛。この刷毛も今ではつくるひとが少なくなってきています
大切な道具、刷毛。この刷毛も今ではつくるひとが少なくなってきています

これまで、代々世襲でやってきた「染匠 吉野屋」。

「小さい時から近くで親父が染めてるのを見ていて、休みがないのを知ってたから染物屋だけにはなりたくないと思ってたんやけど、いつのまにか染物をやることになって。見よう見まねでやってきて、気づいたら40年経ってたわ(笑)」

と、等さん。篤彦さんも、そんな等さんの背中を見て染物屋になったのでしょうか。

さてのぼりの方はというと、染めたのぼりはしっかりと乾かし、染料を定着させた後、水洗いしてのりを落とします。のぼりとして使えるように縫製まで。縫製は等さんの奥さま(篤彦さんのお母さま)や、お手伝いのスタッフさんでされるのだそうです。

外で水をかけ、のりをおとす。「もち米でできているのりが地面におちると、スズメが食べてお腹いっぱいになりよるんよ。」
外で水をかけ、のりをおとす。「もち米でできているのりが地面におちると、スズメが食べてお腹いっぱいになりよるんよ。」

一枚一枚、色を変えながら親子で染めるのぼり。こんな風につくっているところを見ると、のぼりのハレ舞台を見ずにはいられません。琴平再訪を心に決めました!

こんぴら歌舞伎大芝居。のぼり、ずらり!

4月。ついにこんぴら歌舞伎大芝居の日がやってきました!

胸を躍らせて琴平駅の改札を出ると、早速のぼりが迎えてくれました。

琴平駅の前。鳥居の両側に早速のぼりが!
琴平駅の前。鳥居の両側に早速のぼりが!
金刀比羅宮の参道にも、のぼり
金刀比羅宮の参道にも、のぼり
こんぴら歌舞伎の芝居小屋が近づくと、さらにのぼりが賑やかに!
こんぴら歌舞伎の芝居小屋が近づくと、さらにのぼりが賑やかに!
埋め尽くされるのぼり、圧巻です!
埋め尽くされるのぼり、圧巻です!
ちょうど桜の美しい時期、役者さんの名前も桜をバックにはためいています
ちょうど桜の美しい時期、役者さんの名前も桜をバックにはためいています
こちらは特別バージョン。出産や結婚の記念にのぼりをつくる方もいらっしゃるのだそう
こちらは特別バージョン。出産や結婚の記念にのぼりをつくる方もいらっしゃるのだそう

たくさんののぼりを見上げながら、「旧金比羅歌舞伎大芝居(通称金丸座)」に到着!すでに多くの人々が開演を待ちながら、その情緒ある雰囲気を楽しんでいるようす。

こちらでは江戸時代の中期からさまざまなお芝居が行われており、昭和45年に国の重要文化財として指定されました。一時は建物存続の危機があったものの、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されるようになってからは、春のこの時期には小さな琴平の町に多くの人々が集っているのだそうです。

江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気
江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気
出店もありとても賑やか!4代目の篤彦さんが考案した、歌舞伎ののぼりでつくった鞄の販売も。すべて1点もの
出店もありとても賑やか!4代目の篤彦さんが考案した、歌舞伎ののぼりでつくった鞄の販売も。すべて1点もの
中に入ると靴を脱いで席にもちこみます。ざわざわした活気、わくわくします
中に入ると靴を脱いで席にもちこみます。ざわざわした活気、わくわくします
花道のすぐ脇から。枡席は、座布団に座るスタイルです
花道のすぐ脇から。枡席は、座布団に座るスタイルです

天井に吊るされているのは「顔見せ提灯(ちょうちん)」というもので、出演する役者さんたちの紋が記されており、興行の際に役者の番付の代わりをしています。また、「ブドウ棚」と呼ばれる天井は、ここから花吹雪を振らせることができるもの。竹で編まれた格子状で、約500本の竹をつかっているのだそう。

回転させることができる「廻り舞台」や、床から妖怪などがせり上がる「すっぽん」という穴、役者などが宙吊りになりながら演じることができる「かけすじ」も健在だとのこと。そして驚きなのが、これらすべてを、なんと今でも人力で動かしているのだそうです!

実は、染め職人の篤彦さんも地元の青年団の関係で毎年「こんぴら歌舞伎」の裏方も務めているとのこと。のぼりを染めるだけでも大変ですが、約2週間にわたる公演のサポートは、琴平愛があってこそ。

歌舞伎のようすは残念ながら撮影ができませんでしたが、枡席に身を寄せ合って座り、役者さんの表情がすぐ目の前に見られるというなんとも贅沢な舞台!休憩時間にお弁当やおまんじゅうなんかを食べながら観る歌舞伎、もうほんとうに良い時間を過ごすことができました。

金丸座、普段は一般に開放もしており、奈落や楽屋など、舞台の裏側まで見学ができるので、春以外の季節もぜひおすすめです。

公演がおわり、皆さん満足そうに感想を語りながら帰途につきます
公演がおわり、皆さん満足そうに感想を語りながら帰途につきます

「染匠 吉野屋」の大野親子が染めたのぼりが琴平の町中に掲げられ、いつもの風景とはまた違う春の琴平町を演出する。琴平町に足を踏み入れてから「こんぴら歌舞伎」の芝居小屋に到着するまで、ほんの少しの道のりではありますが、のぼりに彩られた町並がどんどん気分を盛り上げてくれるようでした。

「うちは芸術品や工芸品をつくってきたわけじゃなくて、ただ地元の人たちが必要とするような日常のものをつくり続けてきただけや」

のぼりを染めながらおっしゃっていた等さん。この地で古くから愛されてきた文化に寄り添いながら、讃岐のり染の技術も空気のようにあたり前に町の中に溶け込んでいました。もちろん、職人さんの日常も。

また来年、桜の咲く頃にこの風景に出あえますように。

p3133087

<取材協力>
染匠 吉野屋
香川県仲多度郡琴平町旭町286
0877-75-2628
http://www.somesyou-yoshinoya.com

文・写真:杉浦葉子

※こちらは、2017年4月25日の記事を再編集して公開しました。

老舗の八百屋がつくったドレッシング。新ブランド「半吾兵衛」の誕生秘話

漬物屋さんの危機感

新潟で生まれた甘みたっぷりのイチゴ「越後姫」、雪の下で越冬して甘みを増した魚沼産のにんじん、新潟ですべて消費されて県外に出回らない梅「越の梅」‥‥。

厳選した新潟県産の野菜と果物を惜しみなく使用した「八百屋のドレッシング」は、素材本来の味を保つために化学調味料、合成保存料、合成着色料無添加で、非加熱製法を採用している。

野島食品「八百屋のドレッシング」

フレッシュでジューシーな野菜と果物の風味そのままに、赤ちゃんからお年寄りまで楽しめる安心、安全なドレッシングを実現したのは、新潟県三条市の野島食品。

創業は江戸時代の1811年(文化8年)。200年以上の歴史を持つ老舗の漬物屋さんだ。なぜ漬物屋さんが、ドレッシング?そこには危機感があったと社長の野島謙輔さん。

野島食品 社長の野島謙輔さん
野島食品 野島謙輔社長

「漬物は、トレンド的には右肩下がりの状態です。将来的にどうしようかというところで、弟と何度も会議をしていましたが答えが見えず、七転八倒していました」

実は野島食品では一度、新規事業としてドレッシングをつくったことがあった。「八百屋のドレッシング」でも使っている「越の梅」と魚沼産の雪の下にんじんを素材にして、合成保存料、合成着色料無添加で、油は身体にいい紅花オイルを使用。

これに乳酸菌を添加した「乳酸菌ドレッシング」として500円の値段をつけた。これを売りに出したものの、手ごたえがなかった。それで、地元銀行の支店の社員に試食してもらい、アンケートをとったところ散々な結果が出た。

「返ってきたアンケートを見て驚愕したのは、何も伝わっていないというところでした。美味しかったという声は多かったんですが、アンケートのなかで7割、8割を超えていたのは、乳酸菌が伝わらない、雪下ニンジンが伝わらない、こだわりが伝わらない、ということでした。ショックでしたね」(謙輔さん)

「商品を作るのではなくてブランドを作る」

漬物だけじゃ、先行き不安。新商品で勝負したいけど、手ごたえなし。これからどうしたものかと悩んでいたところ、相談に乗ってもらっていた銀行員から「面白いから読んでみてください」と書籍を2冊、渡された。

それは、中川政七商店 代表の中川政七の著書だったが、当初は「いいことばかり書いてあるけど本当かな?銀行から借りたらコメントもしないといけないし、面倒くさいな」と思っていたという。

野島食品 社員インタビュー風景

しかし、しばらくして三条市から「コト・ミチ人材育成スクール 第2期」開校の知らせが届いた。そこに、塾長として中川政七の名前があることに気づいた謙輔さんは、三条市役所の知り合いに問い合わせた。

そこで太鼓判を押されたので、弟の優輔さんとふたりで説明会に参加。第1期の卒業生のケーススタディなどをみた後で、優輔さんが参加を決めた。

「僕も中川さんの本を読みましたが、頭では理解したつもりでも、いざ行動に移すとなると少し引いてしまうところがありました。こういった機会がないと、日々の仕事をしながらではなかなか取り組めないと感じていたので、参加してみようと思ったんです。

中川さんの本に『商品を作るのではなくてブランドを作る』と書いてあって、そのあたりをしっかり学びたいと思いました」

野島食品 社員インタビュー風景
弟の野島優輔さん

スクールの2期生は16名で、半数は地元企業の社長や社員、半数はデザイナーやクリエイティブディレクターだった。食品会社から参加しているのは優輔さんのみ。知り合いもいなかったが、授業後の飲み会に顔を出して少しずつ言葉を交わすようになっていった。

必死で考えた強みと弱み

講義は全6回。1回目「会社を診断する」、2回目「ブランドを作る(1)」、3回目「ブランドを作る(2)」、4回目「商品を作る」、5回目「コミュニケーションを考える」、6回目「成果発表会」と続く。

実際に地元企業の参加者とクリエイティブディレクター、デザイナーがタッグを組んで新商品、新サービスを開発し、最終日に成果を発表するという流れだ。

野島食品では、優輔さんが講座で学んできたことを毎回、幹部会議でアウトプット。宿題にも共に取り組んだ。謙輔さんは「自社の弱みや強みを考えることがつらかった」と振り返る。

「弱みは山のように出てきますが、強みがなかなか見当たらないんですよね。弱みも悲しくなるようなものばかりで(苦笑)。普段の生活では全 く意識できていませんし、やれと言われないとできないことですよね」

野島食品 分析資料

現実を見つめなくては、新しいことをスタートできない。ふたりは頭を悩ませながらも、自社の分析を進めた。そうすることで、「1811年創業の歴史」「漬物業で培った野菜の仕入れルート」が強みだと自覚できた。

さらに「野菜の生産者と一緒に頑張って、みんなで喜びあえるような商品をつくりたい」という想いも明確になった。そうして、新潟ならではの野菜に焦点を当てて、こだわりの味を消費者に届けるというコンセプトができ上がった。

野島食品のHP
野島食品のHPには、地元の生産者さん達の声が載っている

新ブランド「八百屋 半吾兵衛」立ち上げ

この時、ふたりの頭にあったのは、試食した人の7、8割から「良さが伝わらない」と酷評されてお蔵入りになったドレッシングだった。そこで優輔さんは、講座でチームを組んだ女性デザイナーに相談。やはり以前のドレッシングは情報を詰め込みすぎていると指摘を受けて、チームでいちからブランディング、デザインを進めることになった。

野島食品 インタビュー風景

「私はもともと、三条市にデザイナーがいるということすら知らなかったんですよ。いつもは印刷会社にデザインもお願いしていたんですが、特にコンセプトを伝えることもなく、でき上がってきたいくつかのデザインのなかから選んでいました。今回は事前にコンセプトを共有したことで、内容を理解したうえでデザインしていただけたと思います」

野島食品 八百屋のドレッシング チラシ

最も強調したかったのは「老舗の八百屋がつくった」という点。ほかに、野菜や果物の鮮やかな色が際立つこと、スーパーだけじゃなくおしゃれな雑貨屋などでも扱ってもらいたいという希望などを伝えたうえで、デザイナーと何度もやり取りを重ねた。

こうして初めてのデザイナーとの共同作業で完成したのが新ブランド「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」。

「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

冒頭に記したいちご、にんじん、梅のほかに、枝豆、わさび、西洋梨の「ル・レクチェ」の計6種類だ。パッケージだけでなく、ロゴやホームページも新調した。ホームページでは、生産者のもとで取材と撮影をして、思いやこだわりを伝えている。これもデザイナーがいたからこそのアイデアだ。

「デザイナーの意見とぶつかることもあって、すり合わせをしていく作業は正直、大変でした。でも最終的に出来上がったデザインは、ロゴも含めて落ち着きがあっていいなと。本当に気に入っています」(謙輔さん)

野島食品 半吾兵衛 ホームページ
野島食品 半吾兵衛 ロゴのエプロン

社内に起きた変化

野島食品では、この新作ドレッシングの売り上げ目標を6,000本に設定。非加熱製法で要冷蔵のため、現在の販路は新潟県内の高速道路のサービスエリア、空港、JRの一部、雑貨屋と限られるなか、発売から1年ほどで目標を達成した。

優輔さんは「目標が低すぎた」と謙遜するが、漬物屋さんが新ブランドで大手ひしめくドレッシング市場に参入して、1本540円と800円という高価格帯で6,000本を売り上げたのは立派な数字だろう。講座に参加したことで、社内にも変化が現れているという。

「中川会長がよく共通言語と言っていますが、彼(優輔さん)が講座で学んできたことを社内でアウトプットしたことで、物事を順序立てて、論理的に考えるような仕組みが少しずつでき上がっている気がします。

あと、ドレッシングの販促でおしゃれな商品が集まる展示会に出展するようになって、女子社員がいきいきしています」(謙輔さん)

さらに、新事業を始めたのがきっかけで、社内の人材発掘にもつながった。野島食品では漬物やドレッシングに使う野菜を確保するために自社農場を始めたのだが、カメラが趣味でセミプロレベルの腕前を持つ男性の営業マンが農作業の様子や商品の撮影をして、フォトショップを扱える事務の女性社員がレイアウトするようになったそうだ。外注せずにすむからコストダウンにつながるし、なにより社員ふたりの表情が変わったという。

野島食品 社内で制作したチラシ

謙輔さん、優輔さんも変化した。なにかをやらなければと焦って会議ばかりしていた頃が嘘のように、今はアイデアが尽きず、新商品の開発にも積極的だ。

「新潟の野菜を美味しく食べるというコンセプトで、素材にこだわったぬか漬けの素をつくりました。地元の野菜や果物を使ったジャムやご当地グミもつくりたいですね」

コト・ミチ人材育成スクールで、塾長の中川政七が説いていることのひとつは「頭でいくら考えても仕方ない。とにかくやってみることが大切」。老舗の伝統、生産者との信頼関係を強みにした野島食品の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

野島謙輔さん、優輔さん
野島食品 社員のみなさん
「八百屋 半吾兵衛」の「八百屋のドレッシング」

<取材協力>
野島食品
新潟県三条市興野1-2-46
http://hangobei.jp/

文:川内イオ
写真:菅井俊之

東京駅には「試作品」があった。専門家と歩く東京の「壁」

東京駅の「試作品」があったのをご存知ですか?

なんでも東京駅の「習作」、つまり練習として造られた建築が今も残っているというので出かけてきました。

やってきたのは、神田川にかかる万世橋。

「向こうに見えるのが1912年(明治45年)にできた、万世橋高架橋です。実は昔、あの高架橋の上に駅があったんですよ」

高架橋
橋の向こうに見える赤煉瓦が高架橋
高架橋

そう話すのは、本日ご案内いただく小野田滋さん。駅、橋梁、トンネル、そして今見えているような高架橋などを専門とする、鉄道技術史研究の第一人者です。

高架橋
小野田滋 (おのだ しげる) さん 鉄道総合技術研究所勤務。工学博士、土木学会フェロー。1957年愛知県生まれ。日本大学文理学部応用地学科卒業。日本国有鉄道勤務を経て現職。著書に『高架鉄道と東京駅 (上・下) 』(交通新聞社)、『東京鉄道遺産「鉄道技術の歴史」をめぐる』(講談社)など。NHK「ブラタモリ」にも出演

ということは、ここが東京駅の「試作品」だった駅ですか!?

「それは後ほどご説明しますが、高架橋の上にプラットホームがありました。万世橋駅です。

1889年(明治22年)に開業した甲武鉄道 (私鉄) の終着駅でした。最初は飯田橋が終点でしたが、鉄道国有化によって国鉄の中央線になり、明治45年にここまで線を伸ばしたんです。

当時はあらゆる路線が、東京を目指していました」

万世橋の辺りは、路面電車が集まるターミナルになっていたとのこと。

万世橋駅前を走る市電の様子
当時の様子。正面奥が万世橋駅。駅前を市電が走っている(写真提供:小野田滋さん)

「今の大手町駅のように、いろいろな路線の市電が万世橋に集中して、かなり賑わっていたようです。

中央線も飯田橋からまっすぐ東京駅に行けば楽なのに、遠回りをしたのは、ターミナル駅である万世橋を通りたかったんでしょう」

その後、東京駅、神田駅、秋葉原駅ができ、地下には銀座線が開通。乗り換え客が減少したことから、昭和18年に万世橋駅は廃止になりました。

「高架橋は今も使われていて、中央線が走っています。数年前に高架下が再開発され、かつての駅の面影をたどれるようになりました。行ってみましょう」

電車好きにはたまらないスポット発見

万世橋を渡って、高架橋の裏側に回ると、何やらガラス扉の向こうに階段があります。

高架橋

「1935年に造られた階段です」

階段や空間そのものが展示品のようになっています。

高架橋
高架橋

階段を上って行くと‥‥

高架橋
高架橋

ガラス張りの、見晴らしのいいところに出ました。

「ここは駅が開業した当時のプラットホームで、今は展望デッキになっています」

え!?ここが!

高架橋
高架橋

すごい!デッキの両側を電車が通過していきます。

高架橋

「駅が廃止される頃は草ぼうぼうだったのを、きれいに整備しました。昔は、反対側にもう一つプラットホームがあったんですよ」

これはもう、電車好きにはたまらないスポットです。

高架橋
デッキに続く別の階段 (1912階段) は、開業時に造られたもの。昔の階段によく見られた蹴込み(けこみ)がある

懐かしくて新しい空間

さらに、高架下のスペースには、こんな空間が広がっていました。

高架橋
高架橋
通路の両側には店舗がずらり。穴ぐらを探検しているようでワクワクしてきます

「壁にコンクリートを巻いて補強していますが、そのほかは昔の高架橋の姿のままです」

高架橋
白い部分が補強したところ。グリーンの線路の桁も見える

小野田さんは専門家としてレンガの補強方法などをアドバイスしていたそうです。

高架橋

通路の天井部分が三角形でかわいらしいですね。

「これも最初からこの形で、連絡通路として使われていました」

高架橋
高架橋
線路の下に、こんなくつろぎの空間。ついつい長居してしまいそう
高架橋
神田川に面したオープンデッキは、施設開業時にできたもの

幻の駅のレンガに触れる

どこか懐かしくて新しい、おしゃれな空間に生まれ変わった万世橋高架橋を堪能し、再び外へ。

高架橋の前に広場があります。

高架橋

「ここに万世橋駅の駅舎がありました」

写真パネルで当時の駅舎を見ることができます。

高架橋
駅前の広場には日露戦争の英雄である広瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた
高架橋
高架橋の上にあった昔のプラットホーム。左側にかつての駅舎が見える

2階建ての駅舎は、当時としては大きな建物だったそうです。

現在はビルが建っていますが、周辺に駅の面影を見ることができます。

ひとつはこちら。地面にあるガラス板を覗いてみると…

高架橋
高架橋

「新しくビルを建てる時に、駅の基礎部分が出てきたので、そのまま残しています」

高架橋

こちらの壁には、駅に使われていたレンガの破片が埋め込まれています。

高架橋
高架橋
高架橋
まるで有田のトンバイ塀のよう!

万世橋駅は東京駅の「試作品」だった

それではいよいよ核心へ。なぜここが東京駅の「試作品」なのでしょうか?

「実は万世橋駅を設計したのは、東京駅を設計した辰野金吾さんなんです」

え、そうなんですか!

万世橋駅の様子
万世橋駅の様子。東京駅の雰囲気とよく似ている(写真提供:小野田滋さん)

「万世橋駅は1912年(明治45年)、東京駅は1914(大正3年)に開業したので、両方掛け持ちでやっていたようです。

万世橋駅は、駅としては初めて鉄骨とレンガを組み合わせた構造が使われていますが、“これでできる”と確信して東京駅も同じ構造で造ったようです」

なんと、万世橋駅は東京駅の練習もかねて造られていた。

歴史的にも貴重な建物と言えますが、残念ながら関東大震災で焼失。幻の駅となりました。

水辺の景観を考えた高架橋

駅舎が再建された後、昭和11年には交通博物館が併設され、再び観光客の訪れる人気スポットに。

高架橋
交通博物館があった頃。懐かしく思う人もいるのでは

高架下は博物館の展示スペースとバックヤードとして利用されていました。

2006年に博物館閉館(大宮の鉄道博物館が後継施設)された後、高架橋は先ほど探索したマーチエキュート神田万世橋に生まれ変わりました。

高架橋

最後に万世橋の西側にある昌平橋から、万世橋高架橋の全景を見てみることに。

高架橋
昌平橋から見る万世橋高架橋。レンガ部分は高架下に土が埋められている。黒く見えるのは赤レンガの壁を保護するためのネット

「ドイツのベルリンにある高架橋がモデルになっています」

高架橋

赤レンガがきれいですね。

「神田川の水に映るのがポイントです」

ポイントとは?

「例えば、レンガの橋脚の隅にある白い石。レンガは強度が弱く角が欠けやすいので、隅に石を入れて強くしているのですが、高架橋の反対側には入っていないんです」

高架橋

水辺の景観を考えたということですか?

「おそらくそうではないかと」

確かに、石の入れ方もデザインされています。

「ところどころに装飾があるのも、ただの壁では寂しいから。ヨーロッパの古典建築から引用していると思います」

高架橋
高架橋
高架橋
反対側の柱には隅石がない

装飾を施すことで華やかになる。高架橋を見ることで、かつて万世橋駅がターミナル駅として栄えていたことがよくわかりました。

高架橋

「この辺り、実は高架橋の宝庫なんですよ。他にも特徴的な橋がいくつもあります」

高架橋の宝庫!?

いったいどんな高架橋があるのでしょうか。次回へ続きます!

<取材協力>
小野田茂さん
マーチエキュート神田万世橋

文 : 坂田未希子
写真 : 尾島可奈子

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