通天閣、太陽の塔など大阪名物はいろいろありますが、食い倒れの街・道頓堀といえば「立体看板」。
足を動かす巨大なカニをはじめ、フグやら餃子やら寿司やらが道頓堀の空を所狭しと埋め尽くしております。
こちらはラーメン屋さんの看板。
ラーメン鉢を手にした龍が、あまりのおいしさでしょうか、看板を突き破って飛び出しています
よく見ると、尻尾の近くにプレートがあります。
龍を作った会社のようです。
いったいどんな会社なのでしょうか。
キャラクターが出迎える、楽しそうな仕事場に見えますが
八尾市にあるポップ工芸さんを訪ねました。
入り口や倉庫の中には、所狭しとキャラクターたちが並んでいます。「どうぞ」と案内された先には、なんとお菓子の家!
「応接室代わりに小屋を作ったら、スタッフの女の子が飾ってくれて」と話すのはポップ工芸代表の中村雅英さん。
なんだかとっても楽しそうな仕事場に見えます。
「いやいや、結構キツイ仕事ですよ。発泡スチロールまみれになるし」
ポップ工芸さんでは「FRP造形」といって、発泡スチロールで原型を作ったものに、軽くて強度の高いFRP(強化プラスチック)加工を施した立体造形物を製作しています。
2mのゴジラより、2mのゴジラの「手だけ」を作る
道頓堀では、先ほどの龍をはじめ、多くの立体看板を手がけています。
「立体いうのは子供からお年寄り、どこの国の人にもすぐわかる看板。別にぜんぜん新しいことないんですよ。江戸時代には履物屋さんが大きな草履をぶら下げたり、キセル屋さんは大きなキセルぶら下げたり」
昔は文字が読めない人も多かったことから、誰でもわかる造形看板が主流だったそうです。
こちらは餃子屋さんの看板。
焼き目がリアルで美味しそうです!
看板の下側に、ひとつだけ大きい餃子があります。
「お皿から落ちてきたみたいな感じにしたくて。下から見ると迫力ありますよ!」
こちらは回転寿司のお店。寿司を握った手がぬっと飛び出すという、斬新な看板です。
「大きさは3mくらい。寿司だけで2mあるかな」
当初は、ネタがのったお皿を6枚並べるという依頼だったそうですが、この形に。
「6個作るよりも、大きいの1個だけドンと作った方がインパクトありますよいうて、場所も道頓堀いうから、それやったら手をつけた方が面白いよと、これになったんですわ。
看板は、例えば2mのゴジラを作るより、2mのゴジラの手だけの方が絶対迫力あるいうのが信条です。見えない部分はお客さんが想像してくれはるから」
薬屋から看板屋へ転身。看板の材料もわからないままスタート
会社の創業は1986年。中村さんは、それまで製薬会社で働いていたそうです。
「働くのが嫌いなんです(笑)。サラリーマンは毎朝、出ていかなあきませんやん、それが嫌で嫌でたまらんで。自分でなんかしたいなと思ってたら、たまたま新聞広告で看板屋さんが人手を募集してはって、そこに入りました。看板屋さんやったら、すぐ独立できるなという軽い気持ちで」
勤めたのは道具屋筋にある看板屋さん。
「字も何も書けなかったけど、1年ぐらいやったらそれなりにできるやろ思って、1年で独立しました」
「10坪のガレージで、一人ではじめました。月の半分働いて半分遊びたいと思ってたから、一人でないと。家族が食っていけたらええわいうことで」
下請けとして、あちこちの看板屋さんから仕事を受けていたところ、10年ほどして立体看板の注文が。
「お得意さんから道頓堀に龍を作れいわれて。彫刻の勉強もしたことないし、できないって断っててんけど、得意先やから、もうしょうがなしに。ほな、なんとかやりますわいうて」
やると言ったものの、何で作るか材料もわからなかったそうです。
「FRPという樹脂がええらしいと人に聞いて、材料屋さんを教えてもらって。最初は本当にわからなくて、発泡スチロールに直接FRPつけたら溶けるんですわ。せっかく作ったものが、みんな溶けてしまって」
試行錯誤しながら金網に樹脂をつけるという方法を編み出し、見事に龍を作り上げました。
こちらが初めて作った龍。今もそのまま飾られています。
さすがに一人では作れず、奥さんに手伝ってもらったそうです。
龍の体が壁から突き出しているのは、やはり想像させるためでしょうか?
「いや、初めて作ったときやったから、1体作るのも難しいな思うて。どっちみちトラック積んだりできへんから、ぶった切った方がええかなと。それやったら壁から出した方がええわいうことで」
苦肉の策が高じて、目を引く看板を誕生させました。
「初めは図面も何もなくて、行き当たりばったりですわ」
以来、年に1、2個、立体看板を作るようになります。
発泡スチロールの削り方は「テレビを見て勉強」
「別に看板屋になりたかったわけでもなく、他の業種で募集してたら別の仕事をしていたかもしれない。看板屋になったのも立体を始めたのも、みんな成り行きです」
という中村さんですが、2008年には「TVチャンピオン 発泡スチロール王選手権」に出場し優勝した、実力の持ち主です。
「出るからには優勝しようと思って攻めただけで、技術的には他の選手と変わらなかったと思います。僕、TVチャンピオン見て、発泡スチロールの削り方を覚えたんですよ」
え!そうなんですか?
「教えてくれる人がいないから自分なりにやってたけど、テレビ見て、自分と同じことやってはるって。行き着くとこは一緒ですね」
2013年からは立体造形物を専門に、5人ほどの従業員と一緒に今も看板を作っています。
「今も月半分はないけど、休ませてもらってます。それがないと続けられない。初心を貫こうと思って。従業員に怒られることもありますけどね(笑)」
作業場は「白い世界」だった
作業場を見せていただきました。
こちらで作っているのは、道頓堀に新しくできる歌舞伎のミュージアムの看板。
畳一枚分の大きさの発泡スチロールを削りながら、原型を作っていきます。
設計図はほとんどなく、正面だけのデザイン画から、側面や背面を想像しながら、職人の勘でガシガシと削っていきます。
道具は包丁、ナイフ、ワイヤーブラシなど、いたってシンプルなもの。
形ができあがったら、FRP加工を施します。
これはガラス繊維。
これをできあがった原型に乗せ、上から液体のプラスチック樹脂を塗り、固めていきます。
固まったものを磨くとピカピカ、ツルツルに。
中身が発泡スチロールとは思えない質感になります。
最後に塗装。色を変える度にマスキングをするため、色が多いと手間もかかります。
「塗装が一番大変やね」
ひとつの看板を作るのに1ヶ月ほどかかります。
実は、完成された看板の多くがどこに設置されているかわからないそうです。
「大阪以外が多いですね。うちは作ったらここで渡してしまいますからね、どこにあるかわからない。僕、休みにあちこち旅行行くから、行った先で“これうちの作ったやつだな”とか、そんなときちょっと感動しますね」
職人として手を抜くわけにはいかない
以前は看板屋さんからの仕事がほとんどでしたが、最近は広告代理店からの注文が増えたことで、作り方も変わってきたといいます。
「看板いうのは高いところに上がったら細かいところはわからんから、そこまでこだわらんでもいいとは思うんだけどね。前はどんなものでも2週間以内で作ってたけど、広告代理店からの依頼は成果もシビアだから、倍の納期をかけてますね」
特に、誰もが知っている有名キャラクターを作る時は、職人として手を抜くわけにはいかない。正確に作る必要があるときは、型を取ってから作っています。
「でも、うちにきてる子はね、みんな小ちゃい時からプラモデルとかそんなん作るのが好きやね。そういう子の方がよう続くみたい」
好きだからこそこだわる。これで終わりというのがないから、いくらでも手をかけられる。
「そうそう。こだわったらきりがないから、僕はみんなに“手を抜け、手抜をけ”っていうんだけど、彼らは絶対抜けへん(笑)」
10年以上働いているというスタッフの守屋さんも、子どもの頃はプラモデル作りが好きだったと言います。
「こういう仕事がしたいと思いながら、どこにあるのかも知らないし、モヤモヤしながら別の仕事を長くしてたんですけど、ある日、テレビでこの会社のことを知って、すぐに見学に行って、それからですね」
思い入れがあるのは「せんとくん」。
「はじめて3年目ぐらいの時ですかね。技術的にまだまだでしたが、大きな仕事だったので気合い入れてやりました。その後も、有名キャラクターの仕事をやらせてもらってますが、やりがいも緊張感もありますね」
食品サンプルのお化けから妖怪まで
キャラクターものや、リアルな造形物を得意とするポップ工芸さん。
民俗学者・柳田國男の出身地で、妖怪の住む町としても知られる、兵庫県福崎町。町に点在する妖怪たちもポップ工芸さんが手がけたもの。
スタッフも力を入れる渾身の作品です。
これからはどんなものを作っていきたいですか?と聞くと「僕はもう隠居したい(笑)」という中村さん。
「まぁでも、この商売もあと5年くらいだと思いますよ。これからはコンピューターが全部削ります」
あ、3Dプリンター!
「そういう時代になってくると思うな。看板で文字を書いてた時、一生懸命練習して書いてやってたけども、5年も経たないうちに、コンピューターがプリントとかカッティングとかやってしまうようになって、字書きさん仕事あらへんもん」
「うちらも一緒ですよ。彼らみたいに技術がなくても、コンピューター入れて、機械入れたら十分できるようになると思うんです。だから、あの子らにも3Dの勉強ぐらいはしときやって」
もちろん、これまでの技術が生かせないわけではないといいます。
「コンピュータで作るにしても全然彫れない子と、ちゃんと彫れる子が作るのはぜんぜん違うからね」
塗装など手作業でなくてはできない部分も多くあります。
コンピューターや機械でできることが多くなればなるほど、それを支える職人技術の大切さを感じられるのかもしれません。
大阪の文化として増やしていきたい
20年前、ポップ工芸さんが初めて「龍」の看板を作った時、道頓堀の立体看板は「カニ」だけだったそうです。
今では外国人観光客が訪れるほど名物となりました。
「たまに僕らも道頓堀行って、端から端まで歩きますわ。どんなの増えてるかないう感じで」
中村さんは、もっと看板を増やしていきたいと言います。
「僕は大阪の文化だと思ってますから。どこにもないからね。みんな止まって写真撮ってくれはる。立体ものは面白いからね」
訪れる人を楽しませてくれる立体看板。
次はどんなものができているのか、行く度にワクワクする道頓堀です。
<取材協力>
ポップ工芸
大阪府八尾市高安町南6丁目2
072-928-0444
文 : 坂田未希子
写真 : 太田未来子