こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。
ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、
「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」
という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第5回目。
今回紹介するのは鳴門市文化会館。
所在地:徳島県鳴門市撫養町南浜字東浜24-7
竣工:1982年
設計:増田友也(京都大学増田研究室)
久々に訪れた鳴門文化会館。
撫養川(むやがわ)から望むコンクリート・モダニズム建築の悠然とした佇まい。垂直に長いブリーズソレイユ(ルーバー)が、建物のファサードを形成し、牛の角のように両端がせり上がったのキャノピー(庇)はコルビュジェのラトゥーレットやチャンディガールを彷彿とさせる。
大学三年の時に徳島出身の同級生と四国一周建築旅行の際にこの地に初めて訪れた。
四国には、香川県庁舎(丹下健三設計)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(谷口吉生設計)、牧野富太郎-高知県立牧野植物園(内藤廣設計)、海のギャラリー(林雅子設計)金比羅宮(鈴木了二設計)など名建築が本当にたくさんある。
それらを一気に見て回り、鳴門大橋を渡って大阪に戻る計画を立てた僕に、『おいおい、鳴門の増田友也抜けとるやないか』と横槍を入れる親友の徳島人。『いやいや徳島なんかに何もないやろ』と言い張る大阪人の僕。
『安藤忠雄しか知らん大阪人はこれやから困る。お前に本物のモニズム建築を見せたるわ』というのである。増田友也という建築家を知ったのはこの時である。
鳴門市制の施行35周年を記念して鳴門市文化会館は建てられている。多目的ホールを中心とした文化施設で構造はRC造(鉄筋コンクリート構造)。
周りに高い建物がないせいか、空に届きそうなコンクリートの塊はホール舞台のフライタワーである。
近年のコンクリートの打設は鉄筋を内部に組み、外側にパネル(ベニヤ板)を取り付けて、コンクリートを流し込んで壁を立ち上げていくのだが、鳴門文化会館のコンクリートはパネルに短い杉板を用い、リズミカルにパネル割りを施すことで、のぺっとした面ではなく素材感がより強調され、経年変化による劣化も相まってか巨大なオブジェのような印象を与える。
また塊のように設計されているのはフライタワーだけで、その周りを囲うようにコンクリートとガラスの細かい割り付けで構成された機能が配置され、より塊感を演出する効果を狙ったような設計になっている。
建物の正面は東側。撫養川があることで何も邪魔されることなく建物全体を眺めることができ東西にアプローチの軸線が走る。
訪れた日がたまたま施設が使われていないということもあり、特別に事務所の方にお願いして中に入れていただいた。およそ2.1mの庇の下を抜けると、大空間がドカンと迎えてくれる。
まずその空間の抑揚に驚かされるのだが、内部空間は外部の荒々しいコンクリートの表情とは違い少し女性的な空気がある。
それは、ステンドグラスから溢れる色とりどりな光であったり、トップライトから降り注ぐ柔らかい光、それに家具や壁には曲面が使われているからかもしれない。この感覚もコルビュジェのラツゥーレットで感じたあの感覚。
あれ、これって…。
日本の茶室には写し茶室というものがある。写しとは一般的に灯篭、手水鉢などすべての器物の原型と同様に作ることを表す。
元来、茶室の設計は木割りのような寸法体系が適用されないため、写し茶室は先人の茶精神を継承するものであって、偽作や完全な複製を目的とはしていない。
増田友也が写し茶室の精神があったかは定かではないが、約20年かけて鳴門市に19もの建築を残している。
今回紹介した鳴門市文化会館は増田の遺作であり北西に400mほど行くと鳴門では2作目の鳴門市庁舎・市民会館がある。こちらは家型のような巨大な窓ユニットが連続し、文化会館の質量感とはうって変わって非常に軽い印象である。
コルビュジェの白の時代から晩年の荒々しくそして有機的な作品のように増田友也も鳴門という地で、様々な思考を凝らしたどり着いたカタチが鳴門市文化会館なのではないかと思う。
「風土的」「無名の」「自然発生的」「土着的」「田園的」という5つのキーワードからは今回は少し遠いかもしれないが、35年以上経って鳴門の地で増田友也の建築はアノニマスな建築へと昇華している気がした。
増田 友也(ますだ ともや、1914年 – 1981年)は、元京都大学工学部教授。
京都大学における教育・研究活動において、空間現象に着目し、学位論文「建築的空間の原始的構造」をはじめ、現象学的存在論に依拠する「建築論」を創設するなど、生涯にわたって「建築なるもの」の所在を厳しく問い求めた建築家である。
佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ
ABOUT 代表
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。
文・写真:佛願 忠洋