産地のうつわを気負わず毎日。「きほんの一式」の楽しみ方 <信楽焼・有田焼編>

 


益子、美濃、信楽、有田…日本はせまいながらも焼き物の宝庫。 
そんな全国の産地と、暮らしの中で気負わず使えるシリーズを作りました。
その名も「きほんの一式」。



産地ごとに、飯碗・中鉢・平皿・湯呑みもしくはマグカップをラインナップ。

一揃えあれば和洋問わずさまざまな料理に合い、朝・昼・晩と1日の食事に活躍します。




今回一緒にものづくりをしたのは、益子、美濃、信楽、有田の4産地。

それぞれどんな特徴や楽しみ方があるのか、「ここが◎◎焼ならでは!」「こういう使い方がおすすめ」などなど、作り手の皆さんに伺った産地横断インタビューを前後編に分けてご紹介します!

前編では益子焼と美濃焼をお届けしました。今回は後編、信楽焼と有田焼編をお届けします!


「素朴でありながら表情豊かなうつわ」信楽焼


▼信楽焼の「きほんの一式」とは
信楽焼の一式は、江戸時代に幕府に茶壺を献上して以来、茶壺をつくり続けてきた明山窯と制作。明山窯オリジナルの粗土ながら上品な表情の「明山土」を用いて、ざっくりとした風合いところんとした丸みある形のうつわが完成しました。

色は「並白」「黄はだ」「鉄茶」の3種類。信楽焼の雰囲気を残すため、 焼き上がりによって色や質感に様々な表情が生まれる釉薬を採用しています。使うほどに釉薬の表面の細かなひび(貫入)に色が入り、いい味わいに育っていきます。




このアイテムに注目!「信楽焼の飯碗」


「昔からの生活用具としての信楽焼らしさは、飯碗によく表れていると思います。

信楽では茶道のお茶碗も作られていて、『利休信楽』という利休好みの茶碗も有名です。

利休も愛した信楽焼の侘び寂びのある風流な味わいを、お楽しみいただけたら嬉しいです。

飯碗の小は、子どもの手にも馴染む大きさなので、小学校低学年ぐらいのお子様にも扱いやすいサイズですよ」




作り手おすすめの楽しみ方

うつわを楽しむポイントは、釉薬のあるところ、ないところの「差」だそう。


▲底や高台は釉薬をかけず、焼くと赤い「火色」が出る信楽の土味をいかしました

「無釉部分は信楽焼特有のザラっとした質感があり、その部分を程よく残すことで独特の『景色』を表現しています。

はじめはザラッとしているこの部分も使うほどに、表面がしっとりとしてくるのも愛着のわくところ。無釉部分は吸収しやすく汚れがつきやすいこともありますが、そのシミも味わいと捉えて楽しまれる方が多いです」

また信楽焼は、焼くタイミングなどによって個体差が出るのも特徴。

「私達の窯は特に個体差が出る『還元焼成』という焼き方を多く採用しています。

まるで昔の薪窯で焼いたような表情を残せて、同じものがないため、その個体差を店頭でお楽しみいただいて、自分だけの『ひとつ』を是非見つけていただきたいです」


うつわの色いろ

今回のきほんの一式シリーズでひときわ目を引くのが、信楽焼の明るい「黄はだ」色。その使い方についても、明山窯さんからアドバイスが。



「『黄はだ』は一見鮮やかではありますが、味のある渋めの色なので、どんなお料理にもしっくりと馴染みます。

朝食などにお使いいただくと、一日を明るい気分で過ごせる、そんな色ですね」

とのこと。うつわから元気をもらうというのも素敵なアイデアですね。




「印判絵柄のゆらぎが楽しいうつわ」有田焼


▼有田焼の「きほんの一式」とは

多様な絵付けの磁器で発展した、有田の高い印判技術をいかしました。江戸時代に庶民が愛した印判のうつわは印刷ならではのかすれやにじみが味わい深く、料理を明るく彩り引き立てます。

印判とは、焼成前のうつわに判や型紙、転写紙を用いて模様を写し取る絵付けの技法。この技術により絵付けにかかる時間が大幅に圧縮され、それまで高級品だった有田の染付磁器を庶民も手にすることができるようになりました。



転写とはいえ、ひとつひとつに現れるかすれやにじみが味わい深く、その表情は豊か。そんな印判のうつわに描かれるのは、子孫繁栄・長寿の意味を持つ「微塵唐草」、福を絡めとる「網目」、長寿を象徴する「菊花」。縁起のよい3つの絵柄が採用されています。

このアイテムに注目!「有田焼の飯碗」


「高台にこだわる産地としては、やはり飯碗に有田焼の特徴がよく出ていると思います」

と語るのは、有田焼のきほんの一式を手がけた金善窯さん。

「成形の工程で、一度型から抜いて削り込んで鋭角にすることで、一手間かかった美しいシルエットになりました」

薄作りの品のいい佇まいが魅力的です。



作り手おすすめの楽しみ方

「呉須と釉薬のコントラストは有田焼らしい魅力です」



「特に今回は、工業製品のような均質なイメージではなく、素材の持つ温かみを表現するために、あえて精製を抑えた陶土を使用しています。

磁器素材のもつ強度や扱いやすさは保ちながら、どこか懐かしい雰囲気のあるうつわに仕上げました。

特に微塵唐草は、和の雰囲気がありながら今の暮らしに合うデザインで、和食も洋食もどちらを盛ってもお料理が美味しく際立つと思います」



作り手も自信をのぞかせる仕上がり。確かにどこか北欧のような雰囲気も感じられます。

~~

産地を横断して眺めてみると、こんなに個性豊か。

作り手のみなさんの視点や思いに触れると、うつわへの眼差しもガラリと変わります。

店頭では実際にうつわが「産地横断」して揃い踏みしているので、ぜひ手にとってその違いを発見しながら、「私はこれ!」という出会いを楽しんでみてくださいね。

産地のうつわを気負わず毎日。「きほんの一式」の楽しみ方 <益子焼・美濃焼編>

 

益子、美濃、信楽、有田…日本はせまいながらも焼き物の宝庫。 そんな全国の産地のうつわを、暮らしの中で気負わず使えるシリーズができました。

その名も「きほんの一式」。



各地の窯元とともに産地ならではの味わいを大切にしながら、現代の食卓で活躍する「基本のうつわ」を制作。

産地ごとに、飯碗・中鉢・平皿・湯呑みもしくはマグカップを揃えました。

一揃えあれば和洋問わずさまざまな料理に合い、朝・昼・晩と1日の食事に活躍する使いやすいデザイン。



同じ産地で統一したり、違う産地で取り合わせたりと思い思いに楽しめます。







今回一緒にものづくりをしたのは、益子、美濃、信楽、有田の4産地。

それぞれどんな特徴や楽しみ方があるのか、「ここが◎◎焼ならでは!」「こういう使い方がおすすめ」などなど、作り手の皆さんに伺った産地横断インタビューを前後編に分けてご紹介します!

今回は前編、益子と美濃焼編です。


「ぽってりとした温かな手触りのうつわ」益子焼


▼益子焼の「きほんの一式」とは

益子の土をいかした、ぽってりとした愛らしい表情のうつわ。益子の伝統的な釉薬から3色を選び、玉縁 (たまぶち) と呼ばれる丸みのある縁を設けました。



手がけた和田窯さんは、できる限り地元の材料を使い、伝統的な益子焼を制作している窯元です。益子の土を使い、益子焼の伝統にならった釉薬を用いたうつわは、土地に根ざした健康的な美しさが魅力。

今回のきほんの一式にも、5種類の伝統釉のうち、糠白(ぬかじろ)、青磁(せいじ)、本黒(ほんぐろ)を採用しています。


このアイテムに注目!「益子焼の平皿」


食パンが1枚しっかり置けるぐらいの使いやすいサイズ感。汁気のあるカレーやパスタ、煮魚なども盛り付けられるよう、立ち上がりのある壁を周囲に付けました。

8寸の平皿は、和田窯さんが40年作りつづけているお皿。



窯の前身である合田陶器研究所の合田先生が韓国の窯を指導に行ったのをきっかけに、韓国のオンギ (キムチ壷) の蓋の形からヒントを得て生まれたプレートです。

デビューした当初は和食器が主流だったため高台は小さく鉢型だったものを、ナイフとフォークにも対応できる安定感のあるプレートにリデザイン。



海を渡り、また時代とともに進化を遂げたアイテムです。


作り手おすすめの楽しみ方

益子焼の特徴といえば何と言ってもその「ぽってり」とした佇まい。



実は、土を生かすというより、もともと土が良質でなかった為に釉薬をたっぷりかける特徴があり、そこから益子焼の代名詞とも言えるぽってりとした大らかさが生まれたのだとか。



今回は玉縁と呼ばれる丸みのある縁をつけたことで、「益々ぽってりとして愛らしい形になった」と和田窯さんがコメントを寄せてくれました。




「渋みのあるシャープなうつわ」美濃焼


美濃焼の「きほんの一式」とは

釉薬の流れやいびつな形を表情として楽しむ、日本独自・茶人好みの焼き物文化を生み出してきた美濃焼。その特徴をいかし、きほんの一式では粗目の土味と茶人の愛した釉薬の妙技を感じるうつわが揃いました。

美濃の風土に根ざしながらも現代の感覚を軽やかにとり入れる、作山窯さんが手がけています。

このアイテムに注目!「美濃焼の中鉢」



作山窯さんにお話を伺うと、きほんの一式シリーズの中で一番「お茶道具としての美濃焼」らしい形をしているのが中鉢とのこと。



シリアルやサラダ、フルーツ、スープ、煮物等、多用途に使える、ちょうど良い深さの「中鉢」。内壁の立ち上がりをゆるやかなカーブにしているので、スプーンでもすくいやすく、洗いやすいのが特徴です

「抹茶碗に近い大きさで、程よい重さと厚みが手に馴染み、料理にも扱いやすい形状に仕上げています」



また、その「色」も注目ポイントだそうです。

うつわの色いろ



「千利休とともに茶の湯を大成した古田織部の指導でつくられたのが、美濃焼独特の『青織部』の緑色です」



「釉薬が縮れて粒状になった「かいらぎ」は、茶人たちも愛したうつわの色。「土灰」は古くからうつわに使われてきた釉薬で土の質感と色味が特徴です」



「青織部はこれ以上濃くなると、和食以外が使いにくくなりますし、かいらぎも、真っ白ではない微妙な白であることで、どんなお料理も映える色合いになっています」

わずかな色味の加減に、料理の和洋を問わずに今の食卓にうつわを活かす、作り手の心遣いを感じます。


前編はここまで。次回は信楽焼と有田焼をお届けします!



<掲載商品>
益子焼の飯碗
美濃焼の中鉢

隆太窯のうつわが愛される理由。クラシックが流れる作陶場を見学

唐津へ行くならまずここへ、と必ず名の挙がる場所があります。

隆太窯 (りゅうたがま) 。

焼き物の里、唐津を代表する窯のひとつです。開いたのは唐津焼の名門、中里太郎右衛門十二代の五男として唐津に生まれた中里隆 (なかざと・たかし) さん。現在は息子の太亀 (たき) さんとともに器づくりを続けています。

不思議だったのは、聞いた人誰もが器を「買ったほうがいい」ではなく「まず、行ったほうがいい」という薦め方をすること。

なにか、器だけでない魅力がありそうです。早速行ってみました。

JR唐津駅から車でおよそ15分。日本海に向かって町が開けている唐津ですが、そんな海の気配は微塵も感じられない山中をどんどんのぼっていったところに、隆太窯の看板が見えてきます。

立派な石の門標と登り窯が入口で迎えてくれる
立派な石の門標と登り窯が入口で迎えてくれる

道なりに進むと、急に景色が開けました。

山の斜面を下りたところに、材木置き場や工房と思われる建物が点々と建っています。木々の間から瓦屋根がのぞき、窯元にきたというより、まるで小さな集落にやってきたような気分です。

隆太窯
登り窯用の薪置き場の手前を小川が流れる
登り窯用の薪置き場の手前を小川が流れる

道を下ってまずギャラリーへ。思わず歓声をあげました。

ギャラリー

照明を抑えめにした室内に、立派なステンドグラスを通して光が差し込んできます。空間をぐるりと囲むように、器が静かに並んでいます。

こちらは太亀さんの器

後で聞いたところによると、はじめからギャラリーにはステンドグラスを入れるつもりで、逆光を生かせるように隆さんが建物のつくりを考えたそう。

1974年にこの見借 (みるかし) という地に窯を開くまで、そして今も、国内にとどまらず海外でも作陶をされている隆さん。その経験もあってか、どこか空間に日本離れした雰囲気があります。

ステンドグラス

来たお客さんも心地よさそうに、静かにゆっくり器選びを楽しんでいます。

日本でないような雰囲気は、ギャラリーだけではありません。

おとなりの工房に入ると、高い天井に、壁いっぱいにとった窓。隆さんが好きだというバロック音楽が流れる中で、太亀さんと隆さんが親子揃って作陶中でした。お二人の姿がなければ、どこかのコテージのような趣さえあります。

例年ならこの時期、隆さんはアメリカで作陶されているそう。お二人が揃うことは滅多にないとのこと。これはラッキーです!
例年ならこの時期、隆さんはアメリカで作陶されているそう。お二人が揃うことは滅多にないとのこと。これはラッキーです!
中里隆さん
中里隆さん
中里太亀さん
中里太亀さん

「若い頃の工房は、だいたい暗かったんですね。明るくしたいなと思って、こういう工房にしました。

場所は、何日間と窯を焚いて煙を出しても、ご近所の迷惑にならないようなところで選びました。見学OKにしている理由ですか?まぁ、見られても減るもんじゃないからね」

答えてくれたのは隆さん。ろくろ台に座る向きも、周りの人と会話がしやすいように、あえて内側を向いているそう。

ろくろ台は人の体の大きさに合わせて高さを設定されています。ここがお二人の定位置です。
ろくろ台は人の体の大きさに合わせて高さを設定されています。ここがお二人の定位置です。

開放的な空間に、土をこねる音、ろくろをまわす音、そして時折、ふたりの会話が響きます。

顔を見合わせる二人

今日の土の具合、お互いのインタビューへの補足。手は休まず動かし続けながら、会話は自然体。ゆったりと時間が流れます。

土は、山から取ってきたものを、ブレンドせずに単味で使う。土に合わせて作りかたを変えていくそう
土は、山から取ってきたものを、ブレンドせずに単味で使う。土に合わせて作りかたを変えていくそう

太亀さんに今作られているものを伺いました。その日、作っていたのは小鉢。

「例えば、ほうれん草のおひたしを盛り付けたり。この後、白化粧して白い器にしようと思っているんです」

太亀さんの頭の中には、白い器にパッと映える緑がはっきり描かれているようでした。

「いつも、食べること、飲むことしか考えていないですね (笑) だから作る時も、どういうものを盛ったらいいかな、と考えます。食べている時に、こういう器があったらいいねとアイディアが出ることもありますね」

実は隆さん、太亀さんとも料理好き、お酒好きで有名。

だんだん、旅の前に誰もが「行った方がいい」と薦めてくれた理由がわかってきました。あのギャラリーを見て、この工房の空気を知って、お二人の人柄に触れて、自分も隆太窯の器を暮らしの中で使ってみたい、との思いが湧いてきます。

太亀さんの作陶を見守る隆さん

そんな隆太窯の器をこよなく愛し、ぴったりの料理と組み合わせる名手が、地元唐津にいらっしゃいます。

今度は唐津の町なかで活きる隆太窯の器を訪ねてみましょう。

<取材協力>
隆太窯
佐賀県唐津市見借4333-1
0955-74-3503
http://www.ryutagama.com/

文:尾島可奈子
写真:菅井俊之

床も天井も漆塗り。100年経っても色あせない「漆の家」

こんにちは。ライターの川内イオです。

今回は越前漆器の職人さんのご自宅を訪問。驚きの「漆塗りの家」をご覧ください。

艶やかな漆塗りの家へ。まずは拭き漆の床と天井に注目

「おじゃまします」と玄関に足を踏み入れた瞬間に、思わず「おお!」と声が出た。上がり框から家の奥まで続く板の間が、柱が、天井が、柔らかな光沢を放っている。

福井県は鯖江市の東端、「漆の里」と呼ばれる地域に、この家はある。1793年の創業以来、越前漆器の製造販売を生業とする漆琳堂 (しつりんどう) の7代目、内田清治(うちだ・せいじ)さんと奥さんの美知子さん、その息子で8代目の内田徹(うちだ・とおる)さんのご家族がともに暮らす、築45年の自宅だ。床、柱、天井の見事な艶の理由は、「漆」だった。

玄関をくぐって真正面から見た内田さんの自宅。 (撮影:上田順子)
玄関をくぐって真正面から見た内田さんの自宅 (撮影:上田順子)

いらっしゃい、と温かく迎え入れてくれた美知子さんが、床と天井で使われている漆について説明してくれた。

「これは拭き漆 (ふきうるし) という方法でね。床を張る前の板の状態の時に、生漆(きうるし)を吸い込ませて拭き取って研ぐ、ということを5、6回ほどしたんよ。天井の板も、床と一緒の仕事がしてあるんです」

家が建てられた45年前に漆が塗られた天井 (撮影:片岡杏子)
家が建てられた45年前に漆が塗られた天井 (撮影:片岡杏子)

ひとつの漆器ですら、いくつもの手順を踏んで作られるのに、床と天井に使うたくさんの板を一枚、一枚、漆で塗るという作業にどれだけの労力と時間を要するのか想像がつかない。しかし、床と天井は漆の見本市のほんの入り口に過ぎなかった。玄関の正面に位置する、10畳の和室が隣り合う広々とした部屋は、漆の多様性を表す展示会場のようだった。

自宅が漆の見本市

まず、まるで鏡面のように輝く床の間が目に入る。これは「蝋色(ろいろ)」と呼ばれ、漆塗りの最高峰の仕上げとされている。のぞきこむと、自分の顔が映るほどだが、漆を塗ってから45年経っていると聞いて、目を疑った。徹さんが、説明してくれた。

蝋色で仕上げられた床の間 (撮影:上田順子)
蝋色で仕上げられた床の間 (撮影:上田順子)

「これはケヤキの木地なんですけど、一度、下地として錆漆 (さびうるし) を塗って、真っ黒の状態にするんです。それを全部落とすと、木目のひとつひとつに錆が埋まっているので木地がフラットな状態になる。そこに蜂蜜色の透漆を何度も塗り重ねて研ぐと、鏡面のようになります。それが蝋色で、磨けば磨くほどきれいになるんですよ」

部屋の中央に置かれた黒い座卓も、全体が漆塗り。表面には、鑿(のみ)で漆面に文様を彫り、その彫り痕に金箔や金粉を埋める「沈金 (ちんきん) 」という手法で立派な松が描かれている。座卓の足は、錆漆による「錆地 (さびじ) 」仕上げだ。

繊細な手仕事が光る座卓 (撮影:上田順子)
繊細な手仕事が光る座卓 (撮影:上田順子)

和室の引き戸にも漆が塗られている。この引き戸は「帯桟 (おびせん) 」という木枠を持つ「帯戸 (おびど) 」と呼ばれるもので、美知子さんの「もう100年ぐらい経っているんですよ」という言葉を聞いて、徹さんも「そうなの!?知らなかった」と驚きの声をあげていた。木目が鮮やかで、まるで古さを感じさせない。

徹さんの祖父が現在の場所に引っ越す際に前の家から持ってきたという帯戸 (撮影:上田順子)
徹さんの祖父が現在の場所に引っ越す際に前の家から持ってきたという帯戸 (撮影:上田順子)

100年後が完成形

部屋のなかのいたるところに、さまざまな手法で漆が用いられている「漆塗りの家」。まるで漆の博物館のようですね、と言うと、美知子さんは「以前、うちにいらした方から、伝統工芸の塊と言われたこともあるんです。でも、漆の仕事をしてるから、私たちにとっては普通のこと。生活空間ですよ」と朗らかに笑った。実際、生活するうえでのメリットも大きいという。

「私がやっているのは、濡れ雑巾で拭く、これだけなんです。漆を塗ると傷もつきにくくなるので、特にほかに手入れはしていません」

美知子さんの言葉に、徹さんも頷く。

「漆と他の塗料との違いですね。漆は水拭きするだけでピカピカになって、50年後とか100年後が完成形と言われていますから」

漆を使うと水拭きするだけで50年、100年と長持ちすることはあまり知られていないことだろう。また漆は傷がついたり、古くなった時に、塗り直しもできる。

100年経っているとは思えない帯戸も、美知子さんは「これまでに何度か拭き漆をやり直していると思う」と話す。漆を塗り直すことで、その艶を200年、300年と保つことができるのだ。広島の厳島神社や京都の金閣寺にも漆が用いられていることからも、その耐久性がわかるだろう。

部屋の至るところに漆が用いられている (撮影:上田順子)
部屋の至るところに漆が用いられている (撮影:上田順子)

一般的に漆といえば高級品だが、日々手入れをしながら住むほどに美しく磨かれていき、「伝統工芸の塊」とまで評される家に暮らす。そんな豊かさの形もある。

1500年を超える歴史

「漆の里」では内田さんの家のほかにも、漆がふんだんに使われている家があるという。それは、職人がたくさんいて漆のメリットが知れ渡っているから、というだけでなく、鯖江市の歴史にも関係しているようだ。

そもそも、なぜ鯖江市の一部が「漆の里」と呼ばれるほど漆器の産地として栄えたのか。その歴史は、奈良時代まで遡る。

日本の第26代天皇、継体(けいたい)天皇が男大迹王 (をほどのおおきみ) として越の国(福井県)を治めていたとされる頃、男大迹王が壊れた冠の修理を片山集落 (現在の福井県鯖江市片山町) の職人に命じた。

その職人は、冠を漆で修理し、漆塗りの黒いお椀も一緒に献上したところ、男大迹王はその光沢と出来栄えに感銘を受け、当地での漆器づくりを奨励したという伝承が残されているのだ。

漆は湿度がないと固まらないという特性を持つ。鯖江市の東側は山に囲まれた盆地のような地形で、川が流れ、田んぼも多く、もともと湿度が高い地域で漆器づくりに向いていた。そこに男大迹王からの奨励も加わって、越前漆器が生まれた。

鯖江市街から車で20分ほど走ると豊かな自然が広がる (撮影:川内イオ)
鯖江市街から車で20分ほど走ると豊かな自然が広がる (撮影:川内イオ)

徹さんによると、地域の子どもたちはこの伝承を、小学生の頃に教わるという。まさに漆とともに1500年を超える時間を過ごしてきた町だからこそ、漆が生活にも入り込み、馴染んでいるのだろう。

例えば和裁士が自分の着物を仕立てるように、漆を扱う職人やその家族が自宅に漆を塗るのは自然なことなのかもしれない。

「ここらには漆が塗れる人がたくさんいるから、自分で塗る人もいるし、隣の職人さんに任せることもあります。床の漆は、2004年に私と主人のふたりで塗ったんですよ。福井の大雨で床上浸水してしまったので」

何気ない様子で振り返る美知子さんを見て、そう感じずにはいられなかった。

美知子さんが、「わたしらが他界しても、この家だけは残すといいわ」と言うと、徹さんも苦笑しながら頷いていた。

7代目、内田清治さんと美和子さんがふたりで漆を塗った床 (撮影:片岡杏子)
7代目、内田清治さんと美和子さんがふたりで漆を塗った床 (撮影:片岡杏子)

<取材協力>
漆琳堂
福井県鯖江市西袋町701
0778-65-0630
http://shitsurindo.com/

文:川内イオ
写真:上田順子、片岡杏子、川内イオ

*こちらは2017年9月10日の記事を再編集して公開しました。

自分のお店を持つという人生の選択。3つの人気ローカルショップ店主の場合

三者三様の店づくりから、人気店のヒントをつかむ

旅の目的地になるような、わざわざ行きたいお店が今、地方都市に増えています。

9月某日、その人気店を集めたトークイベントが行われ、開催の数日前には「立ち見も満員」で受付をストップするほどの人気ぶりに。

localshop

生活雑貨メーカーの中川政七商店が主催する合同展示会「大日本市」で行われたそのイベントのタイトルは‥‥

司会:「この時間のテーマは『人が集まるLocal Shopのつくりかた』としています」

司会を務めた中川政七商店の高倉泰
司会を務めた中川政七商店の高倉泰

司会:「それでは、スピーカーの皆さんに拍手をお願いします。

登壇いただいている3人は、皆さん地方都市で魅力的なショップを展開する方々なんですが、それぞれ、立場は異なっています。

『ataW (アタウ)』関坂さんは、福井県の鯖江出身で、300年以上続く漆器メーカーの跡継ぎとしてUターンしました。

『archipelago (アーキペラゴ) 』小菅さんは、縁もゆかりもない丹波篠山に移住して、お店を開かれています。

『吉嗣 (よしつぐ) 商店』の吉嗣さんは、チェーン展開をする蔦屋書店の六本松店の中にお店があるというユニークな業態で、地元福岡で、地域に根ざした独自のお店づくりをされています。

今日はこの三者三様の店づくりから、人気店のヒントをつかんでいきたいと思います」

福井県鯖江の「ataW (アタウ) 」、兵庫県丹波篠山の「archipelago (アーキペラゴ) 」、福岡県六本松の「吉嗣商店」。

どのお店も、セレクトの審美眼や空間の心地よさ、ここにしかない体験ができる場所として人気を呼び、まさに「人が集まるLocal Shop」となっています。

以前さんちでも取材したataW (アタウ)
archipelago
archipelago (アーキペラゴ)
localshop 吉嗣商店
吉嗣 (よしつぐ) 商店

都市部にはない暮らし方、働き方。自分のお店を持つという人生の選択肢。

3店はそれぞれ、どのようなきっかけで始まり、人気店に至ったのでしょうか。

司会:「それでは、早速はじめていきましょう」

Local Shopの魅力がたっぷり詰まったお話、第1話は「きっかけ編」をお届けします!

お店を始めたきっかけは、こんなところから

まずは自己紹介を兼ねて、お店を持つことになった経緯のお話からスタート。

3人への事前アンケートを元に、それぞれのエピソードにはこんなキャッチコピーが付いていました。

「嫌々ながら」「植生があった」「お客さんが上司」。

司会:「まず、『嫌々ながら』の方から聞いてみたいんですが」

「はい、僕です(笑) 」

と手を挙げたのはataWの関坂さん。

ataW関坂さん

「実は、おふたりとは違って純粋に、お店をやりたくてスタートしたというのでは、正直ないんですが‥‥」

とちょっと話にくそうです。

ataW関坂さんの場合:「嫌々ながら」Uターン

関坂:「改めまして、福井県の鯖江市というところからきました、関坂達弘と申します。

本業は、鯖江で1701年から続いている家業の漆器業をやっています。本業とは別にやっているのが、ataWというお店です。

もともと僕自身はデザインの勉強をしてきて、仕事もデザイン事務所で、主にグラフィックデザイナーとして広告とか雑誌のデザインをしていました。

でもずっと、親からは『帰ってこい、帰ってこい』と言われていて。最初は『嫌々ながら』2014年に会社を継ぐために戻ってきたんです。

実はお店自体は元々、別の名前で、親が運営していました。でも、僕が好きな感じじゃなかったし、お店の売り上げもそんなに良くなかった。

だったら、しばらく鯖江を離れていた自分の視点で、何か地域の中で面白いお店が作れないかと思って、任せてもらったのが始まりです。

その場所をataWという名前でリニューアルしてオープンさせたのが、2015年ですね」

鯖江市河和田地区の玄関口に位置するataW
鯖江市河和田地区の玄関口に位置するataW

はじめは「嫌々ながら」家業を継ぎ、それと同時に未経験からお店を持つことになった関坂さん。

ちょうどその頃、店舗運営の経験をしっかり積んだ上で、自身のお店を立ち上げようとしていたのが、archipelagoの小菅さんです。

archipelago小菅さんの場合:「植生が合った」場所へ移住

「植生が合った」のが開店のきっかけ、と答えたのは、archipelagoの小菅さん。

小菅:「初めまして。丹波篠山で、アーキペラゴというお店をやっております。小菅庸喜 (こすげのぶゆき)と申します」

archipelagoの小菅さん
archipelagoの小菅さん

「もともと丹波篠山自体には、縁もゆかりもなく、出身は埼玉です。武蔵野と呼ばれるような緑の多いエリアで高校まで過ごしました。

その後、京都の美術大学に行って、2007年に卒業と同時にセレクトショップを展開するアパレル会社に入社しました」

主にはブランドのあるべき姿や発信の仕方を考える、ブランディングプランナーという立場で店舗運営に携わり、ちょうど関坂さんのataWがオープンした2015年に独立。自分でお店を開くことに。

archipelago

自分のお店をと考えた時、小菅さんの頭にあったのは「商売をする場所」というよりも、「自分が妻や子どもと、どういう場所にベースを置いていくのか」という思いだったそうです。

小菅:「幼少期、今でいう自然教育寄りの幼稚園に行っていまして。自然に対して感じる美しさみたいなものは、原体験として持っていたんですね。

そういう視点で、長野の松本や安曇野のあたりとか、山梨のあたり、瀬戸内も穏やかで良いねって、妻といろいろな土地を探しました。

前職の本社が大阪にあったので、関西圏ならどこかと考えた時に、大阪から1時間ほどの距離にある丹波篠山という場所が目にとまったんです。

訪れてみると、もともと城下町だった町ならではの文化度の高さがあって、そういう土台の上に、我々より10歳くらい上の世代の先輩たちが、新しいお店を始めたりしていました。

昔からのものと新しいものがうまく混じりあって、少しずつ町が動き出しそうな気配を感じたので、思い切って移り住んで、店を始めた、という経緯です」

Uターン、移住。

暮らす場所を変えてお店を開いたataWの関坂さんやarchipelagoの小菅さんとは対照的に、「吉嗣商店」吉嗣さんは、もともと馴染みのある土地でお店を開いています。

しかもきっかけは不思議な「縁」から。

六本松 蔦屋書店「吉嗣商店」吉嗣さんの場合:「お客さんが上司」になって新店オープン

吉嗣:「初めまして。「吉嗣 (よしつぐ) 商店」を運営しています、吉嗣直恭と申します。よろしくお願いします」

「吉嗣 (よしつぐ) 商店」の吉嗣さん
「吉嗣 (よしつぐ) 商店」の吉嗣さん

「私は、もともと福岡の太宰府出身で、18歳くらいのときに上京しましてインポートセレクトショップに務めていました。

そのあと福岡に戻ってヴィンテージショップでマネージャー、バイヤーとして働いて、10年ほど、ウェア・家具等、アメリカ全土を回って買い付けをしていたんですね。

その途中、29歳の時に自分でお店を立ち上げました。

お店は10年ほど営業したあと締めて、全く違う仕事に携わったりしていたのですが、ちょうど3年くらい前にご縁があって今の九州TSUTAYAに入社して、「六本松 蔦屋書店」の中に、生活雑貨やアパレルを中心にしたお店を開いています。

localshop 吉嗣商店

この「3年くらい前の縁」こそが、先ほどのキーワードにつながるよう。きっかけは10年続けられていたご自身のお店での出会いだったそうです。

吉嗣:「私が以前、福岡市内で自分の店をやっていた時に、よく通ってくれていた方がいまして。その方が、ツタヤの方だったんです。

本当に洋服が好きで、いつもこだわりを持って着てくれていて。何かで、ちょっとお茶する機会があったときに『実は、今度ツタヤで新しい形のお店を出すから、そのときに、何かヒントをくれないか』という相談を受けたんですね。

最初はアドバイザー的な役割という話だったんですが、ちょうど自分も、何か新しいことをしてみたいなという思いがあって。

いろいろ話し合った結果、そのまま、入社して、今のお店を持つことになりました。今はそのお客さんが、直属の上司なんです」

吉嗣さん

そうして六本松 蔦屋書店の中に吉嗣商店がオープンしたのは2017年。

3店ともここ数年でスタートしたお店ですが、きっかけも動機も、本当に三者三様です。

きっかけがあって始めたとしても、そこからお店を自分の力で「続けていく」ことは、簡単なことではないはず。

話はここからお店づくりにぐっと踏み込んで、人気店を支える重要なテーマに入っていきます。

司会:「ここからは『人が集まるお店をつくるには』、続いて『ローカルショップって儲かるの?』というテーマで話を伺っていきたいと思います」

序盤はここまで。次回、まず「人が集まるお店をつくるには」のお話から始まります!

<お店紹介> *アイウエオ順

archipelago
兵庫県篠山市古市193-1
079-595-1071
http://archipelago.me/

ataW
福井県越前市赤坂町 3-22-1
0778-43-0009
https://ata-w.jp/

六本松 蔦屋書店 吉嗣商店
福岡県福岡市中央区六本松 4-2-1 六本松421 2F
092-731-7760
https://store.tsite.jp/ropponmatsu/floor/shop/tsutaya-stationery/


文:尾島可奈子
会場写真:中里楓

三重の御在所ロープウエイが「白い東京タワー」である理由。日本一の鉄塔を見学

三重県・菰野町(こものちょう)。県の北部に位置するこのまちには、“白い東京タワー”なるものがあるのだとか。

そう聞いたら見に行かないわけにはいきません。噂のタワーを目指し、菰野町にやってきました。

名古屋から1時間、自然豊かなまち「菰野町」

菰野町の由来にもなった真菰の畑
菰野町の由来にもなった真菰(まこも)の畑 ©️菰野町観光協会

菰野町といえば、よく知られるのは登山の名所である「御在所岳」。国の特別天然記念物に指定されるニホンカモシカの生息地にもなっています。御在所岳の麓には、古くは1300年前に開湯したという「湯の山温泉」の旅館街が。さらに、一帯にはキャンプ場やゴルフ場といったレジャースポットが豊富。

三重県の中心都市である四日市市に隣接しており、さらに名古屋からも車で1時間ほど。山々に囲まれた自然豊かな土地でありながら、日帰りで行ける利便性も兼ね備えたまちです。

御在所岳にそびえる白鉄塔
遠くの山になにやら白い建造物が

車を走らせると、山の中に見える白い姿、気づきましたか?この距離でも認識できるということは、近づいたらかなりの大きさなのでは。

御在所ロープウエイの“日本一の白鉄塔”

御在所岳にかかる、全長2161mのロープウエイ
御在所岳にかかる、全長2161mのロープウェイ

辿り着いたのは、湯の山温泉から御在所岳山頂までを結ぶ「御在所ロープウエイ」。実は、2018年7月にリニューアルオープンしたばかり。新型ゴンドラが導入され、山頂の展望レストランも新設されたそうです。

御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅
御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅 ©️中島信
山麓にオープンしたモンベルルーム
山麓にオープンしたモンベルルーム

ちなみに、山麗の「モンベルルーム」では、御在所店でしか手に入らないオリジナル商品も。お土産にするのはもちろん、登山グッズをここで買い足すこともできます。

どうやら、“白い東京タワー”の正体はロープウエイの鉄塔。

御在所ロープウエイの木原さん
御在所ロープウエイの木原さん

「あれは日本一の鉄塔なんですよ」

迎えてくれたのは、御在所ロープウエイの木原さん。企画広報部に、今年新卒で入社したばかりです。菰野町生まれ・菰野町育ち、ロープウェイにも子どもの頃から馴染みがあったといい、鉄塔についても当時の資料をもとに語ってくれました。

標高943mの場所に立つ鉄塔の名は「6号支柱」。ロープウェイを支える鉄塔は全部で4本あり、その中でも一段と高くそびえます。高さ61m、ロープウェイの鉄塔としては日本一の高さを誇ります。建設当時は、なんと世界一だったのだとか。

なぜ日本一の高さに?高低差が作り出す、ダイナミックな景色の変化

急こう配の山肌にそびえ立つ6号鉄塔 
©️御在所ロープウエイ株式会社

それにしても、なぜ6号支柱だけが日本一もの高さになったのでしょうか?

「6号支柱が建つのは、急こう配の山肌なんです。深い谷の中に建てられたことから、61mもの高さになりました」

急こう配の山肌にそびえ立つ6号鉄塔
急こう配の山肌にそびえ立つ6号支柱 ©️御在所ロープウエイ株式会社

その結果“日本一の鉄塔”が誕生したのですね。

建設当時の鉄塔は緑色だったといいますが、日本一の高さを誇るシンボルとして、より目立つように白く塗り替えられました。

手前に見える鉄塔は緑色をしています
手前に見える鉄塔は緑色をしています ©️中島信

「ロープウェイはかせ」中島信さんに聞く、御在所ロープウエイの魅力

「絶景!日本全国 ロープウェイ・ゴンドラ コンプリートガイド」(扶桑社)の著者で、“ロープウェイはかせ”とも呼ばれる中島信(なかじま まこと)さんによれば、「(白鉄塔は)天気が良ければ20kmほど離れた近鉄四日市の駅からも確認できます」とのこと。

日本一の高さの鉄塔が必要なほど、急こう配に作られている御在所ロープウエイ。その魅力について中島さんに聞いてみました。

「御在所だけの特徴、というわけではありませんが、高低差が非常にあるので麓と山頂とで景色が変わります。紅葉の時期を例にとれば、麓が真っ盛りのときに山頂はすでに終わっていたり、山頂が色づきはじめても下はまだ全然だったりするわけです。

劇的な景色の変化が楽しめるところが、鉄道には無い魅力だと感じます」

なるほど。山にぶつかるとトンネルに入ってしまう鉄道と比べて、ダイナミックな景色の変化を楽しめるのは確かにロープウェイならではです。

“白い東京タワー”の所以はリベット接合

そして、“白い東京タワー”の所以は、リベット接合と呼ばれる丈夫な工法。「リベット」とは、棒鋼の片側に頭をつくった鋲(びょう)のこと。リベットの作業には高度な技能が必要だったそうです。

現在ではボルト締めが一般的になっていますが、当時の鋼構造物はほとんどがリベット接合。ボルトが普及する前に建てられた御在所ロープウエイの「6号支柱」、そして「東京タワー」も同じリベット接合なのです。

地上でリベットを熱し、接合部に差し込んだら、反対側はハンマーで打つことで頭を潰して固定。真っ赤に熱したリベットを放り投げて、空中で受け渡しをする作業は、まるで曲芸だったといいます。

他の鉄塔は1週間前後で完成しているのに対し、冬には吹雪の悪条件も重なったことで、6号支柱の組み立てには3ヶ月もの期間を要しました。

こうして見事完成した6号支柱。

「今なお、遜色なくロープウェイを支え続けてくれています」(木原さん)

御在所ロープウエイの白鉄塔
御在所ロープウエイの白鉄塔 ©️中島信

リニューアルされたゴンドラから、鉄塔を間近に

「ロープウェイのゴンドラの中から、鉄塔を間近に見ることができますよ」

“白い東京タワー”に近づくため、山麗駅から早速ゴンドラに乗りこみます。

御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅
御在所ロープウエイ 湯の山温泉駅

全部で36両のゴンドラのうち、リニューアルされた新型のゴンドラは10両。通常4分に1台、新型のゴンドラがやってきます。窓はよりワイドに、床面にも展望窓が設置されました。

新設されたゴンドラ
新設されたゴンドラ

眼下には、御在所岳の雄大な自然が広がります。稀に、ニホンカモシカが姿を現すことも。ゴンドラが山頂に近づけば、目を奪うのは伊勢湾が一望できるパノラマビューの絶景。

御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
御在所ロープウエイ 新調されたゴンドラの内部
足元にも展望窓が設置されました

晴れた日には白い鉄塔がよく見えますが、雲がかかった日もまた幻想的。ロープウェイから見える景色は、気候や四季によって刻々と表情を変えます。

御在所ロープウエイの眺望
御在所ロープウエイ
訪れた日はあいにくの空模様でしたが、それもまた趣がありました
間近に見る白鉄塔
間近に見る6号支柱。打ち込まれたリベットの様子がよくわかります

山頂には「ロープウエイ博物館」

山頂には、貴重な資料が並ぶ「ロープウエイ博物館」が。階段の手すりにはゴンドラをつるロープが使われ、博物館へ向かう道のりにも工夫が見られます。

ロープウエイ博物館

写真や映像での展示のほか、ロープウェイに用いられる風速計、そして、小さな白鉄塔も。竹串を使って1/200の大きさで再現されています。

ロープウエイ博物館
ロープウエイ博物館

日本一の白鉄塔。「東京タワーと同じと言われるのは、やっぱり誇らしいですね」と微笑む木原さん。

これから、秋が深まるにつれ、色づく山々が最も美しい季節。ゴンドラに乗って、紅葉を眺めながらの空中散歩が楽しめます。

秋の御在所ロープウエイ
秋の御在所ロープウエイ ©️菰野町観光協会
秋の御在所ロープウエイ
秋の御在所ロープウエイ ©️菰野町観光協会

赤・黄色の紅葉、針葉樹の緑が織りなす自然の絵画。その絵の中にたたずむ、“白い東京タワー”。四季の変化と、人間の技術の結晶による光景は必見です。

<取材協力>
御在所ロープウエイ株式会社
http://www.gozaisho.co.jp/

中島 信(なかじま まこと)
江戸川区小松川・医療法人社団皓信会 矢口歯科医院院長。鉄道に関する記事を雑誌等で多数執筆。2017年に、「絶景!日本のロープウェイ・ゴンドラ コンプリートガイド」(扶桑社)を出版

文:齊藤美幸

写真:西澤智子

画像提供:中島信、菰野町観光協会、御在所ロープウエイ株式会社

こもガク祭2019 開催中!

ちそう菰野のある三重県菰野町では9月29日まで「こもガク祭2019」を開催中!
9月28・29日には、ワークショップやこもガク祭限定の特別メニューも楽しめる「こもがくマルシェ」も行われます。ぜひ足を運んでみては。

イベントの詳細はこちら:http://komogaku.jp/

*こちらは、2018年9月28日公開の記事を再編集して掲載しました。