ニットの虫食いも引っ掛けも直せる。体からインテリアまで包むニットブランド「226 (つつむ) 」

みなさん、日本一のニット生産高を誇る産地がどこか、ご存知でしょうか。

答えは、新潟県のほぼ中央、新潟市の南東に位置する、五泉市 (ごせんし) 。

豊富な水資源を活用して古くから絹織物の産地として知られており、戦後はニット産業へと転換して、現在に至るのだそう。

そんな日本一のニット産地から、新しいニットブランドが誕生しました。

その名も「226 (つつむ) 」。

おなかをつつんだり、首をつつんだり、おしりをつつんだり‥‥。

「ヒトと暮らしをニットでつつんで、心地よくユーモアあふれる毎日へと導くこと」がブランドのコンセプトです。

糸、色、柄、形‥‥多彩な表現ができるニット

手がけたのは、五泉市でニットづくりを続けて57年の老舗メーカー・有限会社サイフク。「226」は、ニットポンチョブランド「mino」に続く、同社のオリジナルブランドです。

「『226』は、ニットの魅力や可能性がいろいろあるということを伝えたくて立ち上げました。ブランド名を『226』として幅を持たせることで、様々な「つつむ」製品を展開しています」とサイフクの斉藤佳奈子さん。

サイフク・斉藤佳奈子さん
サイフクの斉藤佳奈子さん

ひとくちに「つつむ」といっても本当に様々です。

サイフク「226」
「かたをつつむ」サイドにスリットが入っているので動きやすいケープ
サイフク「226」
「おしりをつつむ」子ども用パンツは楽に着脱できるよう、伸縮性が抜群
サイフク「226」
「くびをつつむ」80cm、30cm、20cmと、長さの異なるニット編み地をボタンでつなぎ合わせてオリジナルのスヌードが作れます

中でもイチオシは、「おなかをつつむ」、こちらのパンツ。

サイフク「226」
形はワイドタイプとレギンスタイプの2種

斉藤さん曰く「まるではいていないようなはき心地」というほどラクチンなのだそう。

糸はオーガニックコットンで、ゆるめに撚りをかけた芯糸に超長綿を巻いて二重構造にすることで、軽くて肌ざわりのよい仕上がりに。おなかの部分はよく伸びるので、妊婦さんも楽に着られるといいます。

しかも、このニットパンツは、ネットに入れて自宅の洗濯機で洗えるという、お手入れまでもラクチンなアイテムです。

ファクトリーブランドならではのアフターケア

「『お手入れが大変』『ひっかけたらどうしよう』など、お客さんの心のハードルをできるだけ下げたいと考えています」と斉藤さん。

サイフク・斉藤佳奈子さん

そんな思いから、サイフクではアフターケアにも力を入れて取り組んでいます。

虫食い穴や引っ掛けてできてしまった引きつれなど、可能な限り対応してもらえるとのこと。

中には、虫食い穴が10箇所以上あるものや、原形をとどめなくてもいいから何とかしてほしいといった依頼もあるのだとか。

こんな相談ができるのも、自社工場を抱えるファクトリーブランドだからこそ。思い入れのあるものを大事にしていける体制が整っているのは心強いところです。

ニットに秘められた可能性は想像以上

今は体をつつむものを中心に展開している「226」。今後はどんなモノをつつんでいくのでしょうか。

「『これもニットなの!?』というものを作っていきたいです。植木鉢カバーやランプシェードなどのインテリアにも広げていきたい。

それと、ニットには人を癒す効果があるのかなと思っていて、実用的なものでなくとも人の気持ちをほっこりさせてくれるものが作れたらいいですね」

サイフク「226」
試作段階の植木鉢カバー

ニットづくりに長年向かい合ってきたメーカーだからこそ知っている、ニットの長所や魅力。

私たちが知らないニットの楽しみ方は、まだまだありそうです。

<取材協力>

有限会社サイフク

新潟県五泉市寺沢1-6-37

0250-43-3129

サイフクHP

226-knit 公式HP

ニットのアフターケアについて

文:岩本恵美

写真:中里楓



<関連商品>
226おなかをつつむ見せるハラマキ

ちそう菰野で、美しい日本庭園と三重のフルコースを味わう休日

ギャラリー・レストラン「ちそう菰野」へ

※現在閉業されております

三重県菰野町で、未来の文化遺産を見つけました。

その場所は、世界的に有名な作庭家、重森三玲(しげもり みれい)が手がけた日本庭園。私邸にあり、今まで家主の親族や近しい友人など以外は、目にすることはできませんでした。

そんな貴重な場所が一般に開かれることとなったのが、2017年9月。

重森氏が手がけた表庭・裏庭に挟まれた邸宅に、新たな息吹をもたらし、「ちそう菰野」というギャラリー・レストランをつくったのが、現代アーティスト田代裕基さん、理恵さん夫妻です。

三重にあるちそう菰野のレストラン。田代夫妻
ドイツから戻ってきた田代さん夫妻。裕基さんは彫刻家、理恵さんは料理家。「ちそう菰野」は夫妻2人で運営しています

五感で感じる、空間と料理

近鉄湯の山線「中菰野駅」からほど近く。自然が広がり、住宅が点在する路地を歩いた先にひっそりと佇む、日本家屋の立派な門構え。ここに「ちそう菰野」があります。

三重にあるちそう菰野
三重にあるちそう菰野の重森三玲が作った庭

「僕たちにとって、ここは表現の場所でもあるんです」

裕基さんの言葉は、室内の奥へと足を踏み入れるごとに実感を増します。
入口すぐの空間は“香りの間”。春夏秋冬、四季の香りにより、1歩1歩、非日常の世界へと誘います。

三重にあるちそう菰野のレストラン
香りを手がけるのは、調香師の沙里さん。自然の植物から採れた天然香料100%にこだわり、「ちそう菰野」のために仕上げた香りは、この敷地内で採取した素材も取り入れています

その先、あえて窓を閉ざし、光を落とした廊下を歩いていると目の前に開けるのが、美しい日本庭園に挟まれたレストランスペース。

耳を澄ますと涼やかな虫の音が聞こえ、嗅覚、視覚、聴覚‥‥と、五感が1つずつ開放されていくような感覚です。

三重県菰野 ちそう菰野

ここで日本庭園の景色とともに味わえるのが、理恵さんの料理。「食材を使ったアーティスト」と裕基さんが称する理恵さんの料理は、素材に手を加えすぎず、その季節の1番おいしい素材を、自然に近しい姿でコース仕立てに。それでいて、突飛な素材同士を見事に融合させるのも、理恵さんの手腕です。

「食材が豊かな菰野町は、贅沢な環境。料理に使うのは、地元で採れたての野菜や、近くで摘んできた山菜やハーブ、県内の漁港で直接仕入れる魚。

お客さまからは、『ここのコース料理は、三重県の縮図みたいだね』って言われることもあるんです」と理恵さんは話します。

三重県菰野 ちそう菰野のキッチン
「四季や時間が移り変わるように、料理も自然な流れに沿って変化させていきたい」と理恵さん

三重にあるちそう菰野のレストランの料理
ランチコース3,500円・4,500円、ディナーコース10,000円(ともに予約制)。旬の素材を使い、料理内容は週替わりどころか、週中でも変わることも!

田代夫妻が、菰野を拠点に選んだ理由

物心ついた頃からものづくりが好きだったという裕基さんは、芸大在学中からギャラリーからのオファーで作品を展示したり、海外のアート展に出展したりなど、実力の持ち主。

卒業後、彫刻家として活動していく中で、文化庁海外派遣制度でドイツのデュッセルドルフ市に渡り、3年半研修したり個展を開いたりと、活躍の場を広げました。

ドイツから帰国後に、理恵さんとともに「ちそう菰野」をオープン。隣の建物で、彫刻制作も行なっています。

三重にあるちそう菰野の田代さん
動物をモチーフにした彫刻作品をつくることが多いという裕基さん。作品からは不思議と包み込まれるような温かさを感じます

三重にあるちそう菰野のギャラリー
ギャラリーは、アーティストの個展を開催していないときは、裕基さんが海外で買い付けたアンティークが並びます。中央には裕基さんの彫刻作品がお出迎え

ドイツから帰国した田代夫妻が、なぜ菰野町を活動拠点に選んだのか?

理恵さんの実家が隣接する四日市市と近いこともあり、また、何より山が近くにあり、田園風景が広がる菰野町の自然が、裕基さんのフィーリングに合ったのだといいます。

「大学で東京にでて、在学中には1年のうち3〜4ヶ月はバックパッカーで世界中を旅して、ドイツに行く前は中国にも住んでいたことも。自分の居場所をずっと探してきました。

自分のまわりの友人たちを見ていて、“自然”と近しい暮らしをしている人ほど、生きることに深く向き合う人が多いなと感じてます。だから自然の多い環境へと、自分のベクトルが向いたのかな。

生き方が、その人の表現につながる。そこで僕たちは、この町を選びました」と裕基さん。

三重にあるちそう菰野のギャラリー
縁があって「ちそう菰野」の花を生けてくれている世界的花匠の佐々木直喜さんや、理恵さんが大好きな酒造メーカーの早川酒造が菰野町にあるなど、住むほどにこの町の魅力が増しているといいます

「ちそう菰野」の「ちそう」は、「地に沿う」ことや、さまざまなクリエイティブが生まれることを願って「千の創造」だったり、新しいものだけでなく古いものから得る知恵も大事にしていることから「知恵の層」だったり。いろんな意味が込められています。

ギター1本で多重演奏をする、日本でも著名な音楽家TAIKIさんを招いてライブイベントを企画したり、理恵さんが働いていたこともある東京のフレンチレストランのシェフを招いて本格的なフレンチを提供する日を設けたり。

理恵さんの四季により移ろう料理だけでなく、「ちそう菰野」としての空間も進化していきます。

「自分たちの表現だけでなく、ほかの誰かの表現に、ここの料理を融合したり。

『ちそう菰野』は、ひとつのイメージだけではおもしろくないので、常に変化しながら訪れる人の心に残る場でありたいと思っています」とおふたりは話してくれました。

三重にあるちそう菰野のレストラン。田代夫妻

この場所に受け継がれる歴史や自然を尊重しながら、新しいエッセンスを加えていく。

田代さん夫妻が織りなす空間は、訪れる人が自然と五感を開放できる場所でした。

<取材協力>
※現在閉業されております
ちそう菰野
三重県三重郡菰野町大字菰野2657
059-390-1951
http://chisoukomono.com/home/

< 関連記事 >
重森三玲がつくった、枯山水とモダンな庭。ふたつの景色が楽しめる「ちそう菰野」

重盛三玲の庭が楽しめる三重のちそう菰野
ちそう菰野で楽しめる2つの庭をもっと楽しむための見方や作られた背景について、お話をうかがいました

文:広瀬良子
写真:西澤智子

*こちらは、2018年10月3日公開の記事を再編集して掲載しました。

「いい毛布」は何が違うのか?国産毛布の9割を作る泉大津で聞いた、毛布の歴史

国産毛布のシェア90パーセントを占める一大産地、泉大津市

サウナに入っているような蒸し暑い夏が終わり、涼やかな秋の気配が漂ってくると恋しくなってくる、優しい毛布の手触り。ヒンヤリとしたベッドや布団に横になり、フワッとした毛布に身をくるむ瞬間を思い浮かべると、なんとも幸せな気分になる。

綿、ウール、キャメル、カシミアなど毛布にもいろいろな素材のものがあるが、お気に入りはあるだろうか?

実はどんな素材でも、国産毛布のほとんどは同じ地域で作られている。国内で生産される毛布のシェア90パーセントを占める、大阪の泉大津市だ。

今新毛織の三代目、今井基樹さん
今新毛織株式会社 代表取締役 社長 今井基樹さん

「泉大津市って非常に小さい町で、人口が約7万5,000人、12キロ平米ぐらいしかないんですよ。50年ぐらい前は、この狭い地域で年間3300万枚作っていました。その頃は日本の人口が1億人ぐらいだったと思うから、3人にひとりが毛布を買っていた計算ですね」

1950年創業、泉大津市にオフィスと工場を構える今新毛織の三代目、今井基樹さんが教えてくれた。3人にひとりとは、とてつもない数である。なぜ、この小さな町が毛布の一大産地になったのだろうか。

歴史を振り返ると、もともと大阪平野の南部にあたる河内泉州は、海が近く、稲作に適していなかったこともあり、室町時代から綿花の栽培が盛んな土地だった。

その起源は、平安時代に弘法大師・空海が遣唐使として唐から持ち帰った綿の種をこの地で蒔いたのがきっかけと言われている。

最初の毛布は、牛の毛でトライ

綿ができれば、織物が生まれる。江戸時代には、良質な和泉産の綿花を紡いだ綿織物「和泉木綿」や、戦国武将の真田幸村が開発したと言われる「真田紐」の生産地だった。

その「織物」の技術を生かして毛布を作り始めたのは、海外から毛布が伝わった1886年頃と言われている。

「海外から伝わった毛布は羊毛だったんですが、その当時、日本には羊がいなかった。それで牛の皮から毛を取って毛布を作りました。

それがもう臭いし硬くて、むしろのような感じで、なかなか最初はうまいこといかなかったんです」

硬くて臭い牛の毛布は使いたくないが、その試行錯誤は無駄にならなかった。日本が開国し、海外と貿易をおこなうようになって羊毛が輸入されるようになると、間もなくして泉大津が生産の中心になっていく。

「もともと織物の技術がありましたし、綿織物でも毛布でも、たくさん作ろうと思うとかなりの水が必要になるんです。このあたりは泉州と言うぐらいで湧水が豊富だし、紀ノ川、大和川もあって水が豊富やったちゅうのも、毛布産業が発達した要因ですね」

明治から昭和初期にかけては軍需もあって一気に毛布の生産量が増大し、戦後の復興と経済成長がさらに需要を増した。

時代に逆行する、初代の大勝負

大量に生産するためには、分業が効率的だ。泉大津市では製糸、機織り、染色、縫製、贈答品の箱詰めなど、細かな分業化が進んでいった。

その流れに逆行するように、1955年(昭和30年)、糸から織り上げ、染色して毛布に仕上げる一貫体制を築いたのが今新毛織だった。

今新毛織
集落のように広い今新毛織の工場。ここで様々な工程が行われている
今新毛織
織りの工程
国産毛布の生産 今新毛織の工場
染色の工程

「その頃は今年100枚売れたら、来年は150枚みたいな時代だったんです。それはほかの会社も同じだから、染色整理の工場の取り合いになるんですよね。それで初代にあたる祖父が、こんなんしてたらあかんわ、と染色整理の子会社を立ち上げたんです」

今井さんによると、染色整理の工場は、工業用水が必要になる。これは年間契約になるため、稼働日ゼロでも毎月同じ金額が差し引かれる。ボイラーなどの設備を含めて大きな投資だったが、これが後になって活きた。

毛布には織毛布(おりもうふ)とマイヤー毛布の2種類がある。

織毛布はトラディショナルな方法で織られるもので、特にウール、カシミア、シルクなど動物の毛を使った毛布はこの方法で作られる。今新毛織は、織毛布のメーカーだ。

今新毛織の織り機

一方50年程前に、織毛布よりもスピードアップし、コストを下げるために登場したのが主にポリエステルやアクリルの繊維で作られるマイヤー毛布。泉大津でも、大量生産するためにマイヤー毛布の業者が増えた。

動物の毛を使った織毛布とアクリルのマイヤー毛布、どちらも国産ながら、大きな違いがあるという。

「動物の繊維は、天然の吸湿発熱があるんですよ。暖かくなって汗をかいたら、その湿気を吸って発散してくれる。蒸れないようになっているわけです。

化学繊維の場合は、蒸れてくるんですよね。あと、織毛布は耐用年数も長くて10年から15年は使えます」

手間と時間がかかって高価な織毛布と、量産に適した手ごろな価格のマイヤー毛布。当時はどちらも売れに売れたが、1970年代をピークに泉大津市の毛布の生産枚数はがくんと落ち始める。

海外から安い毛布が入ってきたのだ。特に、価格勝負をせざるをえなくなったマイヤー毛布の業者は大打撃を受けた。

1社で国産毛布の1/7を生産

現在、泉大津で作られている毛布は年間およそ140万枚。最盛期の20分の1ほどに落ち込んでしまった。今井さんによると、現在、市販されている毛布のうち、国産のものは20パーセント程度しかないそうだ。

今新毛織

需要の低迷に加えて、高齢化、後継者不足で廃業が相次ぎ、泉大津の分業体制も弱くなってしまった。東日本大震災の時、自衛隊用の毛布15万枚の注文が入ったそうだが、泉大津の毛布産業に関わる企業だけで対応することができなかったという。

そのなかで、織毛布をつくる業者のなかでは日本で唯一の一貫体制を持ち、それを維持してきた今新毛織は、安定した生産能力と仕事の質の高さが評価され、寝具問屋で一番大きな某企業と提携している。

そのため、国産毛布市場が低迷するなか、現在も年間20万枚を生産する。1社で全体の生産量の7分の1を担っているのだ。

今新毛織
ウール、カシミア、シルクなど様々な種類の織毛布を生産する

初代の先見の明の賜物ともいえるが、同時に、こんな風に考えることもできるのではないだろうか。

睡眠は、誰にとっても最大の休息だ。その大切な時間を心地好く過ごすために、人はきっと意識的にも、無意識でも、肌触りがよく、快適な織毛布を選ぶのだ。そして一度手にしたら、もう手放せなくなるのだろう。

なぜそう考えたのかというと、今井さんが見せてくれた1枚100万円のカシミアの毛布の触り心地が、これまでに感じたことがないほど気持ちよかったから。

中国の新疆ウイグル自治区で年間200、300キロしか取れない最高級のカシミアを使っているそうで、触れた瞬間に「今すぐこれにくるまりたい!」と思える繊細で優しい温もりがあった。もし自宅にこの毛布があったら、毎晩、眠りに就くのが楽しみだろうなと思ったのだ。

キャリア60年の起毛師

上質の寝心地を追求するために、素材の良さに頼らず、毛布自体も進化させている。

「いま、羽毛布団を使っている人も多いと思うんですけど、羽毛布団は非常に軽いじゃないですか。それと合わせて毛布を使ってもらうために、どんどん軽くなっています。

毛布は横140センチ、縦200センチの2.8平米なんですね。僕が高校生の頃はそれでだいたい1.8キロ程あったんですよ。今はもう1キロを切りますからね」

同じ大きさの毛布を軽くするために、どうするのか。使う糸を細くするそうだ。最近の毛布は、服を作るのと同じぐらいの細さの毛糸を使っているという。糸が細くなるということは縫う回数が多くなるため、以前より時間がかかるようになった。

それだけではない。毛布の独特の肌触りは、針の上に毛布地を通して毛羽立たせることで生まれる。細い糸は強度も低いため、切れやすい。

その繊細な仕事を担うのが「起毛師」という職人だ。今新毛織には起毛師歴60年のベテランがいて、起毛に関しては生き字引だという。

起毛師歴60年のベテラン職人

「機械を回してばあっと毛羽立たすだけやったら、3、4年すりゃ一人前になるんやけども、動物の毛なんで、ウールにしてもカシミアにしても、同じように見えてもやっぱり違ってくるわけですよね。

それに合わせて機械を調整したり、小さな異変に気付いたりというのは、彼に聞かなきゃわからんこともある。技術顧問みたいな存在やね」

70代半ばにして、現場に立ち続ける起毛師。どうやって変化を見抜くのかを聞いたら、「だいたい手触りやな」。

このシンプルな言葉の裏側にはきっと、何百万枚にも達する「手触り」のデータが蓄積されているのだろう。

起毛師歴60年のベテラン職人

今新毛織の挑戦

今新毛織で作る毛布はすべて、寝具問屋を通して全国に卸されているが、新しい試みも始めている。例えば、アパレルメーカーと組んで洋服の生地を作っていて、その生地を使った服はパリコレでお披露目された。

<pまた、工芸メーカー中川政七商店と組んで、片面はウォッシャブルのウール、片面は綿という裏表異なる素材を使ったブランケットも作った。これも抜群の肌触りで、冷房の効いたオフィスで使用する女性から好評だという。

毛布を作って69年。今新毛織の毛布で眠りについた人はどれぐらいいるだろう。

今年も、もうすぐ気温が下がり始める。今年はちょっといい毛布を買ってみようかな。今井さんに見せてもらった夢見心地になる毛布の手触りを思い出しながら、そう思った。

今新毛織

<取材協力>
今新毛織株式会社
大阪府泉大津市清水町10-67

 

<関連商品>

中川政七商店の泉大津の毛布でつくったふんわりあたたかアイテム
中川政七商店 特集ページ
中川政七商店・泉大津の毛布で作ったかいまき
泉大津の毛布でつくったかいまきウェア(中川政七商店 ECサイト)
中川政七商店の泉大津の毛布で作ったルームシューズ
泉大津の毛布でつくったルームシューズ(中川政七商店 ECサイト)
中川政七商店の泉大津で作った毛布
泉大津の2重織毛布(中川政七商店 ECサイト)

 

文:川内イオ
写真:中村ナリコ、TOP写真:中川政七商店

中川政七商店が残したいものづくり #02金物

中川政七商店が残したいものづくり
#02 金物「フック画鋲」


商品三課 岩井 美奈


恩師からいただいた宝物の葉書、お気に入りのドライ植物、我が家の壁に飾ろうと思った時に使う道具は、決まっていつも虫ピンかマスキングテープでした。
特に虫ピンは、その長い針は引っ掛けるのに丁度よく、華奢な頭は飾るものの邪魔をせず、静かに引き立ててくれるところが、わたしのお気に入りでした。
ただ飾ったときの様は申し分ないのですが、抜き差しには道具が必要で、少し重いかな?というものは、耐えられません。

静かな気配がちょうどよい虫ピンの要素はそのままに、もう少しきちんと使えるたのもしい道具があるといいのになぁ。そんなある日の小さな想いからうまれたのがフック画鋲でした。

静かな気配をもつたのもしい道具。
それは、存在感をいかになくして、本来あるべきモノとしての存在感を出せるかということ。 使われてはじめて、モノに力が生まれるような…。
そんなことを考えながら、小さき道具と向き合う旅がはじまりました。




旅の途中、茶室で使われていたという「役釘」と出会ったのは、近所のお寺で毎月行われている骨董市に出かけたときのこと。
黒衣のような静けさと凛とした美しいかたちをみたときに、大きな手掛かりをいただきました。

たかが釘、されど釘。
茶室のような余計なものを一切取り除いた空間では、釘一本さえとっても目につきやすいものです。
釘自体が主張するのではなく、花入や掛物、空間にうまく調和したものをと考えつくされてうまれたかたちから、作り手の使い手に対する繊細な心づかいが伝わってくる気がしました。

改めて先人の優れたお仕事ほど、素晴らしい教えはないと思い知らされます。
深い敬意をいだきながら、現代版の役釘を追い求めました。
家の中に前からあったかのようにすっと馴染む、留めていることを忘れるぐらいの心地よい道具になればうれしいなと思っています。
商品名:フック画鋲
工芸:金工
産地:大阪府大阪市
一緒にものづくりした産地のメーカー:株式会社ケントク
商品企画:商品三課 岩井 美奈



<掲載商品>
フック画鋲

日本の“ハンマー”が世界のアスリートから支持される理由

東京五輪がいよいよ来年にせまってきた。各国を代表するトップアスリートたちは、今大会でどのような活躍を見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

身体を極限まで鍛え抜いたアスリートたちが競い合う一方で、各競技に使われているスポーツ用品の世界にも“匠の技”というべき技術が活きていることをご存知だろうか。

ハンマー投げという競技

陸上競技用器具の世界で、国内トップシェアを誇る株式会社ニシ・スポーツ。

様々な用器具を手がける中で、特に投てき競技用のハンマーや砲丸において、世界でも高い評価を得ている企業だ。

ニシスポーツハンマー
ニシスポーツ
ニシ・スポーツの円盤

今回は、特にハンマー投げで使用されるハンマーについて。シンプルに見える形状の裏側にある開発の工夫や用具の重要性を聞いた。

ニシ・スポーツの用具
競技で使われている「用具」に着目すると、スポーツの見方が変わる

ハンマー投げはアイルランド発祥のスポーツで、投てきしたハンマーの到達距離を競い合う。もともとは金槌(ハンマー)に紐をつけて振り回して投げていたことから、いまでもハンマー投げと呼ばれている。

現在の国際大会決勝では3回の試技で上位8名が決定する。さらに3回の試技を行い、合計6投の記録で勝敗を決める。

ハンマー投げというと、ぐるぐると回転する選手の姿を思い浮かべる方も多いことだろう。投てきの際に回転する回数は選手の自由で、3回転か4回転で投げる選手が多い。

ちなみに日本の陸上界を牽引してきた室伏広治さんは4回転で投げる選手だった。室伏さんが28歳で迎えた、2003年6月のプラハ国際陸上で投げた記録は84m86。これは現在も陸上男子ハンマー投げの日本記録となっている。

選手は、自分のハンマーが使えない。競技会で発生する“ハンマー待ち”

ところで、投てきで使われるハンマーは誰が用意しているのだろう。実は選手たちは、個人で所有するハンマーを本番の競技会で使うことができない。

「国際陸上競技連盟(IAAF)の認証を取得したメーカーのハンマーが数種類並べられ、選手は試技ごとにそこから選んで投げる形式をとっています」

ニシ・スポーツでハンマーや砲丸をはじめ様々な用具の開発を担当する第一開発部 木村裕次氏はそう話す。

ニシスポーツ
株式会社ニシ・スポーツ 第一事業部 第一開発部 アシスタントマネージャーの木村裕次氏

その日の展開によっては、記録が伸びた選手が使ったハンマーをみんなが使い始め、そのハンマーが戻ってくるまで投てきしない、という“ハンマー待ち”の現象が起きることもあるそうだ。

同じ承認を取得したハンマーの中でもこのように人気に偏りが生じる現場で、トップアスリートたちの支持を得ているのが、日本のニシ・スポーツのハンマーだという。

ニシ・スポーツは、昭和26年創業の陸上競技用品メーカー。投てき競技における用具(ハンマー、砲丸など)について、1999年に国内で初めてIAAF承認器具に認定された。

トップアスリートたちの支持を得ているニシ・スポーツのハンマー
トップアスリートたちの支持を得ているニシ・スポーツのハンマー

この業界では「有名選手に選ばれ」「良い記録が出る」と国際的な知名度がグンと上がる。

砲丸投げにおいても、複数のメーカーの砲丸から選ぶ形式が取られており、アトランタ五輪(1996年)においてアメリカのランディー・バーンズ選手がニシ・スポーツの砲丸を投げて金メダルを獲得したため、世界中に「ニシ・スポーツ」の名が広まった背景がある。

ニシスポーツ
ニシ・スポーツの砲丸

ハンマー製造の難しさ

同社はこれまで、試行錯誤しながらスポーツ用品の開発・製造を続け、グローバルで評価を獲得してきた。

陸上競技の用具づくりにおいて、ルール(競技規則)への対応がまず難しいと、木村氏は言う。

「IAAFが定めるルールが頻繁に変わるので、そこにアジャストしながら開発しています」

投てき競技のルールが頻繁に変わる、ということ自体、あまり一般的には知られていないかもしれない。

近年で特に苦労したのが、ハンマーの持ち手(ハンドル)の強度に関する改正だったという。2000年頃から始まった改正ではまず、12キロニュートンという基準が設けられた。

ハンマーのハンドル部分
ハンマーのハンドル部分

「12キロニュートンというと、ざっくりですが1200kg以上の力に耐えられる設計にしなければなりません。

ハンマーを投げるときにかかる力は、諸説ありますが、トップ選手の場合で約350kgと言われています。

つまりIAAFでは、かなりの余裕を持たせて用具を製造させているわけです」

ハンマーは、ハンマーヘッド、ワイヤー、ハンドルから構成され、その総重量が決められている。男子なら7.26キログラム、女子なら4キログラム。ハンマーの全長は男子で1.215メートル、女子で1.195メートル。

ハンマー

回転して投てきをするハンマー投競技では、ハンマーヘッドが重い方が有利だということは分かっており、いかにそれ以外の部分を軽くできるかというのが開発のひとつのテーマになってくる。

ハンドルの強度を追求すると、通常はどうしても重たくなってしまう。いかに、重さを変えずに、12キロニュートンという指定に応えるか、必死でアイデアを出し合い、テストを重ねて開発した。

ところが、それが数年後には、10キロニュートンで良いとなり、現在は8キロニュートンで一旦決着している。こうしてルールにある種振り回されながらも、その時の最善を目指して開発を続けるところに難しさがある。

ハンマー
実際に手に持ってみると想像以上に重い

では、ハンマーヘッドの部分ではどのように特色を出しているのだろうか。

ニシ・スポーツでは、ハンマーヘッドに3種類の金属(鉛、タングステン、ダクタイル鋳鉄)を採用した。ここに競合製品との差別化要素が生まれる。

「タングステンは非常に硬くて重いレアメタル。ハンマーヘッド自体を最小化できるメリットがあります」

ハンマーヘッドが小さくなれば、その分だけワイヤーを長くできる。ワイヤーが長ければ遠心力が大きくなり、より遠くに投げられるという理屈だ。このほかワイヤーはピアノ線で、ハンドルはアルミ合金で製造している。

ハンマーはどうやって造られている?若い社員が支えるハンマー製造

同社のハンマーは現在、船橋の工場で2人の若い社員によって製造されている。両名とも30代半ばで大のスポーツ好き。ともに18歳の頃から、先輩たちにハンマーづくりのノウハウを叩き込まれてきたという。

ニシ・スポーツのハンマー製造を支える2人
ニシ・スポーツのハンマー製造を支える2人

「製品の品質を上げるため、何ができるかということを自分たちで考えることができる社員です」(木村氏)

製造工程を簡単にたどってみよう。材料となるのは、国内の鋳物工場で製造された球状のダクタイル鋳鉄で、中は空洞。NC旋盤を使用し、材料の中心出し「芯出し」を行う。次に材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに切削していく。

そして約300度に熱した鉛とタングステンを中に注入する。重心位置の調整が重要となるが、その手法は企業秘密だという。最後に、ハンマーヘッドとワイヤーをつなぐ吊管をネジで埋め込んで仕上げる。

球状のダクタイル鋳鉄がハンマーヘッドの原型
球状のダクタイル鋳鉄がハンマーヘッドの原型

完成したハンマーは、競技規則にある「球形の中心から6mm以内」の位置に重心があることを検査で確認できたら、国内の工場で塗装。色は、重量や種類ごとに決まっている。ハンドル、ワイヤーをつけて組み立てたものが出荷される。

材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する
材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する
材料を高速回転させて、鋭利な刃で規定の大きさに加工する

「工場ではコンマ数ミリ単位の高精度な調整を手作業でシビアに行っています」と木村氏。

現役選手の意見を取り入れながら、緻密な計算を繰り返して開発していると話す。そんなエピソードからも、精巧な技でこそ追求できるスポーツ用品の世界があることがうかがい知れる。

ハンマー

ただ、木村氏は「弊社はあくまで用具を提供するだけですから」と控えめに笑う。

「常に根底にあるのは、競技者へのリスペクトです。競技のお手伝いというところを自覚しつつ、少しでも記録に貢献できるようにこれからも励んでいく気持ちです」

木村氏自身も、若い頃はアスリートを目指していた人物。ニシ・スポーツでは、そんな社員が珍しくないようだ。だからこそ、選手に寄り添ったモノづくりが行えるのだろう。

ハンマー

ハンマー投げの見方が変わる

最後に、「ここを見れば面白い!」という『ハンマー投げの楽しみ方』について聞いてみた。

ハンマーを選ぶ段階で、すでに試合がはじまっていると木村氏。

「世界ランクトップの選手は、どのハンマーを使うのか?それに対して自分はどのハンマーを使うべきか?

まずは選手同士、お互いの出方を探ります。心理戦ですね」

例えば、3投目までにトップ8に残る記録を出せた選手が、4投目になり突然ハンマーを変える、というケースもあるのだとか。

「これは陽動作戦かも知れないし、単純に『違うものを投げてみようか』くらいの軽い気持ちかも知れない。

それに引きずられて、自分も違うものを投げはじめる選手もいます。

それを知ってか知らずか、最初の選手は5投目でお気に入りのハンマーに戻して、あっという間に記録を更新する。毎試合、そんな駆け引きがあります。

私としては、ベンチをずっと映すカメラが欲しいくらいです。テレビでは映らない部分も、競技会にいくと楽しめる。だから、競技場に足繁く通ってしまいます」

東京五輪に向けて、意気込みを聞くと「ニシ・スポーツでは、常にハンマーの改良を進めています。いずれ、ニシ・スポーツのハンマーで世界記録が出ると嬉しいですね」

ハンマー

過去には、こんなことがあった。女子ハンマー投げで、タチアナ・ルイセンコ選手(ロシア)がニシ・スポーツのハンマーを投げてオリンピック記録を出した。

大喜びする木村氏だったが、次の投てきでライバルのベティ・ハイドラー選手(ドイツ)がポーランドの競合メーカーのハンマーを投げて記録を塗り替えてしまったという。

アスリートがしのぎを削る舞台裏で、メーカーによる真剣勝負も熱を増している。

<取材協力>
株式会社ニシ・スポーツ
http://www.nishi.com/

文・写真:近藤謙太郎

【わたしの好きなもの】THE Cardigan

コットンカシミアの1年中使えるカーディガン


シャツの上にさっと羽織れる上質なカーディガン。
夏でもクーラーで冷える場所用に、冬はジャケットの中に1枚着ていると、とても便利。
シャツやジャケットのように、主役じゃないけどシンプルがゆえに大切な脇役。
おかげでシャツがきれいに見えたりすると、ありがたい存在。



目立たないように袖や身頃にふんわりとダーツが入っているので、身体に添うような立体的なデザインになっています。
これのおかげで、窮屈な感じがなくシャツももたつきません。



目が詰まっていて美しい網目は、薄手で軽くて肌触りがよい生地に仕上げてくれています。
さらっとししていて、編み物とは思えない軽さ。持ってもらうとみんな「軽い!」と思わず声に出るほどです。
半袖に重ね着しても、素肌に嫌な感じは全くなく、コットンとカシミアという上質な素材は、さらさらと逆に気持ちがいい。



襟の網目の切り替え部分のラインも、ぼこぼこせずに1本の繊細なラインも美しくて気に入っているところ。
Vの開き具合も詰まりすぎず、中のシャツとのバランスが丁度いい。
シンプルなものなので、細部にこだわって丁寧にデザインされているから、ずっと着ていたいと思わされる。



かばんの中に気軽に入れておけるボリュームで、持ち歩くことも億劫にならない。軽くて薄手だからジャケットを重ねても、もたつかない。長すぎず短すぎず、どこをとっても定番として文句なしの1枚。
シャツにはもちろん、ボーダーなどカジュアルなTシャツにも合わせやすい。着回しの名脇役としておすすめです。




編集担当 梅本