【地産地匠アワード】38センチに広がる宇宙。伝統から広がる新しい景色を映した、久留米絣の「KOHABAG -Ikat-」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、福岡県八女市でうまれた「KOHABAG -Ikat-」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

世界の人が魅了され集う、久留米絣の織元

 オランダ、スイス、フランス、ドイツ、スウェーデン。世界各国の人々が惚れ込み、引き寄せられるかのように訪れる場所が、福岡県八女市にあります。1948年創業、久留米絣(くるめがすり)の織元である下川織物。ここでは、約100年前に開発されたシャトル織機を今も大切に使い続け、久留米絣を生み出しています。

福岡県八女市にある下川織物
トヨタグループの創始者である豊田佐吉が100年前に開発した動力織機「Y式織機」も現役で稼働中。糸に必要以上の負荷がかからず、やわらかく風合いのある生地を織り上げることができる

「2016年に日本とオランダの国交400年を記念した『九州オランダプロジェクト』という交流事業があり、そこで大使館からの依頼を受けてオランダのデザイナー4名を約3週間迎え入れたことが、大きな転機になりました」

そう話すのは、3代目である下川強臓さん。

元々、住み込みで働く人を受け入れたり、ホームステイのホストファミリーになったりと、オープンに人を迎える気風があったという下川家。

異国のデザイナーたちと交流を深めた経験をきっかけに、SNS上で工房の様子の発信を始めます。すると徐々に、久留米絣の魅力に興味を持ったアーティストやデザイナーからの関心が集まるようになりました。

いまでは国内外からの見学や研修・インターンシップの依頼が相次ぎ、数日から数週間滞在して久留米絣を学ぶ海外のクリエイターも増えているとのこと。下川織物のウェブサイトやSNSには外国人の写真や英語が並び、国内外問わず、ブランドやデザイナーとのコラボレーションも盛んに行って、久留米絣の新たな魅力を生み出す挑戦を続けています。

下川織物の3代目・下川強臓さん。Tokyo2020聖火ランナー、久留米絣協同組合副理事長。海外のクリエイターとの協業や欧州での講義を通じ、久留米絣の魅力を世界に広めている

こうした下川織物と久留米絣の魅力に惹かれたひとりが、テキスタイルデザイナーの光井花さんでした。知人を通じて工房を訪れたとき、下川さんの話や工房で見たものに感動を覚えたと言います。

「機械を使いながらも手作業がたくさんあって、まるで半分手作りの工芸品。それなのに大量生産ができることに驚きました。下川さんもすごくクリエイティブな方で、伝統的な柄にも工夫をしていてその創造性が素晴らしいなと」(光井さん)

テキスタイルデザイナーの光井花さん。株式会社イッセイミヤケでテキスタイルデザインに携わった経験を活かし、独立後はミラノサローネやDESIGNTIDE TOKYOなど国内外で作品を発表。受賞歴も多数あり、現在は多摩美術大学で非常勤講師も務めている

心から感動し、ものづくりの衝動を呼び覚まされた光井さんは久留米絣の虜に。そして誕生したのが、現代的な感性を取り入れた新しい久留米絣のバッグ「KOHABAG -Ikat-」です。

220年以上続く「ゆらぎ」の美と魅力

久留米絣は、福岡県・筑後地方で織られてきた日本三大絣のひとつ。糸を括って染め分け、その糸を織り込むことで模様を生み出す技法で、藍染めした糸を織りあげる時に生じる“かすれ模様”が最大の特徴です。

下川さんが子どものころから遊び、親しんできた矢部川。この川から北にある筑後川までの一帯が旧久留米藩の領地で、久留米絣が作られてきた

「絣の魅力は“ちりちりちり”とかすれた柄の“ずれ”ですね。職人さんは合わせようとするけれど、どうしても“ずれ”てしまう。その自然なゆらぎが綺麗だなと思って」と光井さんが言うように、整いすぎない温もりが独特の風合いを生み出しています。

久留米絣の図案。小さなマス目の中で糸の濃淡を表現し、深みのある図柄が生まれる
織る前に経糸、緯糸をそれぞれ染め分け、糸が染まった部分、染まっていない部分を合わせたり、ずらしたりすることでさまざまな柄や模様を作り出している。部分的に機械を使うこともあるが、昔ながらの機械のため必ずの人の手を必要とするため、久留米絣の面白みや味わい深さが生まれている

もう一つの魅力が、天然藍による深く鮮やかな藍色。染め重ねるほど美しさを増し、使うほど柔らかく肌になじむようになります。さらに経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通すために使われる「杼(ひ/シャトル)」の加減によって布に柔らかさと強さが加わり、素朴ながら品格ある仕上がりとなります。

染め上がったばかりの藍染めの糸。独特の芳醇な香りが漂い、藍の美しさも際立っている
染色工場から仕上がってきた糸は糊付けをし、干して乾燥させる。化学染料では出ない天然の藍染めのグラデーションが、川の流れのように美しさを放つ

その高い技術と独自の美しさから、1957年には木綿織物として初めて国の重要無形文化財に指定されました。今も20社弱の織元が伝統を守り、着物から小物、洋服まで幅広く活かされている技術です。

歴史を感じる動力織機。下川織物では20台が現役で稼働している

久留米絣に惹かれ続ける理由は何なのか。おふたりに尋ねてみました。

「制約の中に広がる可能性があるんですよね。久留米絣は幅38センチの平織りで、経糸と緯糸の染め分けだけで表現するのが特徴で面白い。掘り下げれば無限の方法があり、まるで38センチ幅の“宇宙”のよう。しかもアートでありながら今も普通に使える、実用的な布だという点が魅力です」(光井さん)

「220年以上続いていること自体がすごいなと。時代を越えて当たり前のように作り続けられているのは、生活に自然と溶け込み根付いているから。とても大きな魅力だと思います。

久留米絣は“九州の風土が育んだアート”。江戸時代には井戸端で絣について技法や柄を語り合い、工夫を重ねて進化したそうです。この“当たり前のように生活の中にある風景”を作り続けることを、僕たち織元がしていかなければなりません」(下川さん)

職人の手が生むゆらぎと藍の深み、そして生活に寄り添う実用性。220年以上の歴史を持ちながら、久留米絣は今も日常に息づく“市井の芸術”として暮らしを彩り続けています。

伝統から広がる新しい景色と可能性

久留米絣に魅せられた光井さんが最初に取り組んだのは、「もんぺ」。柄のずれやゆらぎも取り入れたデザインで、絣のことを知らなくても楽しめるものを制作しました。

「図案の描き方も全く知らなかったので、下川さんに何度も相談しました。すると『作りたいものを描いてくれたら、方法は考えるから大丈夫』と言ってくださって。そんな言葉に励まされるうちに、やりたいことが次々と浮かんできました」(光井さん)

「KOHABAG -Ikat-」の経糸。この美しい配色に緯糸が重なることで、不思議な錯視効果が生まれる

 東京から八女へ何度も通い、下川さんから技法を学んだという光井さん。

その熱意と創作意欲に触れた下川さんは、

「何かしら共鳴するものがあると、職人の勘で『これは面白い』と感じる瞬間があります。光井さんの発想にはそれを覚えました」と話します。

ふたりは職人とデザイナーとしてしっかりタッグを組み、海外も見据えたさらなる挑戦へ。

「絣は海外で局所的にとても人気があって、ファンがいます。でもまだ見たことがない人にも見てもらいたい、知ればきっと好きになる人がたくさんいると思ったんです」(光井さん)

そこで生まれたのが「錯視」をテーマにしたデザインの生地。絣のズレに縦横のストライプを重ね、思わず目をこすって見てしまうような、視点がぼやけるような効果を表現しました。

「久留米絣の魅力の一つである柄のゆらぎと、錯視効果に共通性を感じてデザインしました。世界中の人が知っている現象に見立てて作品にすれば、久留米絣の技法も何も知らない人に、その魅力を直感的に伝えられると思ったんです」(光井さん)

平面的な織りの中に柄と色の重なりによっていくつかの階層が生み出され、奥行きを感じさせるこのデザインは、久留米絣を理解しつつ客観的な目線で解釈し、今まで気づかなかった新たな魅力を引き出しています。

「KOHABAG -Ikat-」の特徴を説明する光井さん

この生地の使い道の一つとしてバッグに仕立てたのが、今回のアワードで受賞した「KOHABAG -Ikat-」です。久留米絣の小幅生地である約38センチをそのままを活かして無駄なく折りたたみ、丈夫で長く使える鞄に仕立てました。生地の端である“耳”の部分も、そのままアクセントに活かしています。

「縦横の柄の重なりが、錯視効果を生んでいます。そこは光井さんが配色も含めてちゃんと設計しているから生まれたもの。相性やバランスをしっかり調整してデザインしているのが伝わってきます。光井さんのイメージの中には、きっと限られた図版用紙からはみ出した部分にも物語や連続性がある。織り上げて展開していくと、それが明確に現れていますね」(下川さん)

白い部分を目印に折り返していく緯糸の調整。職人技の繊細な感覚が求められる

昨年別のプロジェクトを通じて地産地匠アワードのことを知っていた光井さん。完成したこのバッグはアワードの趣旨にふさわしいのではと応募し、今回見事に受賞しました。

 北欧ファブリックや古典柄を思わせるデザインは、シンプルでありながら深みを放ちます。

「バッグにしたことで、絣の魅力や性質を手にしながら間近に感じてもらえる。着物の幅まで実感できるプロダクトになったと思います」(光井さん)

伝統に根ざしながら新たな景色を描き出す久留米絣。挑戦を受け止めながら、進化を続けて輝きを増す可能性はまだまだ秘められているようです。

当たり前の風景を、未来へつなぐために

伝統工芸の産地で共通する後継者問題。久留米絣も例外ではありません。生産量のピークも、実は約100年前。年間で240万反、着物約240万着分を、すべて手織りで作った記録があるそうです。そこから生産量は減ったものの、他の絣の産地とは違い、組合による分業体制があったことで産地全体が協力しながら存続してきたのだそう。

「久留米絣の組合があって、そこで産地全体の分業をしているんです。織元はそれぞれですが、括りや染めの作業は共同加工事業として行っていて、産地全体の“みんなで作る”意識が根付いています。そこは強みでもあるけど、今後を真剣に考えないと先がなくなってしまう。機械の老朽化も進んでいて、後継者と設備の両面で、全体でどうしてしていくのか課題があります」(下川さん)

国内外の企業や団体、アーティストとのコラボレーションも多数

先代であるお父様も現役で活躍中ですが、次世代のための準備はすでに始まっています。4代目である息子さんも入社し、「継ぎやすいような環境や体制は整えておきたい」と下川さんは言います。

「柄合わせも、耳の揃え方も、織る人によって特性があるのがわかります。その0.1ミリ単位の感覚を掴むには数十年かかります。僕自身も修行中で、感覚が研ぎ澄まされるまでには長い時間が必要です。織機の前に立つだけで、空気の圧や振動から自分の中に入ってくる感覚で、織りの状態を感じ取ることができるようになるには、最低30年はかかる。これをそのまま息子に伝えて継ぐことが正しいのかどうか、迷いながらも思案しています」(下川さん)

先代の下川富彌さん。メンテナンスを丁寧に行い、機械を大切にしている

技術の継承にAIを取り入れる試みも始まっています。その一つが、久留米工業大学との共同開発です。

「職人の手の0.1ミリ単位の微妙な感覚を、AIで数値化できるかどうか研究しています。大学で作ったメタバースラボの中に、下川織物のラボもあって。ここで僕は生徒に講義をすることができるようになっています。さらに織機に振動センサーをつけて、不具合を検知して知らせるシステムの検証も行っています。AIがどこまで職人の感覚に近づけるかは未知数ですが、次の世代を助けるツールになる可能性はあると思っています。工房にこもって技を磨くだけが職人ではない時代になっているように感じています」(下川さん)

「触れることでしか研ぎ澄まされていかない」と、毎日織機に触れ、今も0.1ミリの感覚へ挑む下川さん
大学と共同開発し、下川さんが講義を行うこともあるメタバース

どこまでも前向きな下川さんの姿勢は、これまでも大きなチャンスを切り拓いてきました。冒頭の国際交流も、そのひとつです。

「これまでに交流のあった人とのご縁も含めて、パリ、ロンドン、ミラノなどで講演会と商談会をする、ワールドツアーもしたいと考えています。国内外のアーティストさんが、うちに滞在しながら職人とより深いコミュニケーションを取ってものづくりをおこなっていますが、そうやってお互い一緒にビジネスパートナーとして新しい取り組みをしていく“深耕型コラボレーション”を大事にしていきたいと考えています。

光井さんとの取り組みもその一つ。活躍される原点に、久留米絣もあると胸をはって言ってもらえるためにも、僕たちは久留米絣を作り続けて行く必要があると考えています。当たり前の風景を当たり前に続けていく。その重要性を感じています」(下川さん)

「私の方こそこの活動はとても励みになっていて。難しく思ったり不安に思ったりしても、期待してくださる方がいるから頑張れる。常に自分なりに結果を残して継続していくことは、このコラボレーションを輝き続けさせるためでもあると、やる気が湧いてきます。他の挑戦も重ねて、“やってよかった”と思ってもらえるよう努力したいです」(光井さん)

お互いを認めて信じ、伝統と技術を現代にふさわしい形に変えて伝え、未来へ受け渡す二人。その視線の先には、久留米絣の新しい可能性が広がっています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

【地産地匠アワード】“おいしさ”にフォーカスした、料理の名脇役。形以上の進化を遂げた「大門箸」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、奈良県下市町でうまれた「大門箸」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

銘木の産地・吉野から生まれる割り箸の現在地

日本の食卓に欠かせない道具のひとつ、お箸。今回はその中でも「割り箸」にまつわるお話をお届けします。

国内には複数の箸の産地がありますが、割り箸の最大生産地は奈良県南部・吉野地方です。

77%が森林というこの地域では、500年以上前から植林が行われ、良質な吉野杉・吉野檜が育まれてきました。製材時に出る端材を有効活用して生まれた「吉野割り箸」は、香りの良さや割れやすさ、滑らかな手触り、まっすぐで年輪が細かい木目の美しさから、高級割り箸の代名詞として知られています。

杉と檜が混在する、吉野の山中。古くから木を密集させてまっすぐに育てるのが特徴。少しずつ間伐を繰り返して密度を調整し、60~100年かけて目が細かく節が無い木を作っていく。

もとは製材時に出る端材を有効活用するために始まった箸づくりですが、その品質の高さから全国の料亭や和食店に広まり、吉野は日本一の割り箸産地へと成長しました。

ところが2000年代以降、安価な輸入品が国内シェアの大半を占めるようになり、技術の継承も危機に直面して、現在吉野の割り箸は厳しい状況に立たされています。

そんな逆風のなかで誕生したのが、今年の地産地匠アワードでグランプリに輝いた「大門箸(だいもんばし)」です。

すらりと美しい、「大門箸」。無塗装で仕上げた木の本来の手触りや香り、木目がやさしさを与える

プロダクトデザイナーの菅野大門さんが監修を手がけ、ご自身の名を冠したもの。地元・吉野の檜を用い、繰り返し使える丈夫さ、すらりと細い形、白木ならではの上質な佇まいを備えており、“使い捨てない、使い捨て箸”という、まったく新しい価値観を持った割り箸として注目されています。

プロダクトデザイナーの菅野大門さん。グッドトイ賞、グッドデザイン賞などの受賞歴もあり、いくつもの人気プロダクトを生み出している

名脇役を目指して昇華した“極細・非対称の美”

「大門箸」を作っているのは、吉野の下市町にある創業約40年の株式会社廣箸。創業者の後を現代表の中磯末紀子さんが継ぎ、吉野杉や檜の端材を使って職人たちが丁寧な手仕事で箸づくりを続けています。

吹き抜ける風も豊かな緑も気持ちがいい、下市にある株式会社廣箸

クリエイターの多い吉野の町で共通の知人もいたことから、なんとなくお互いのことを知っていた菅野さんと中磯さん。とある展示会で挨拶を交わし、お互いの現状を話しているなかで「一度工場へ見学に行ってもいいですか?」と菅野さんが言ったことから、すべては始まりました。

株式会社廣箸の社長・中磯末紀子さん。2代目として父の後を継ぎ、吉野のお箸の新しいブランド「よろしぃおあがり」を立ち上げるなど新しい動きを行っている

「工場を見せてもらうといろんな種類のお箸を作られていて、話を聞けば聞くほど割り箸の市場ってめちゃくちゃ面白いなって思ったんです。そもそもお箸は世界人口の約3割が使っていると言われています。そして吉野では国産の割り箸の約7割を生産している。

本当に大きなポテンシャルがあるし、割り箸ってずっと使われ続ける“最強のサブスク”のようなもので、ビジネスとしても可能性がある。日本文化を映す歴史あるプロダクトなので、今後の価値にも期待できると感じました」(菅野さん)

目が真っ直ぐ美しいのが、吉野材の特徴

さまざまな割り箸を見ていくなかで、菅野さんは「“おいしさ”にフォーカスした割り箸」が無いことに気づきます。

「お箸は料理をおいしく食べるための道具。ならば、主役である料理を邪魔しない“名脇役”を作りたいと思ったんです」

それから廣箸へ通うようになった菅野さん。「こんなのできますか?」と中磯さんに尋ねては「できません」と返される日々。それでも諦めずにオファーし続け、一緒に製造現場にも入りながら素材や形状、細さなどあらゆる試作と試用を重ね、2年ほどの月日をかけて「大門箸」が完成しました。

片方は中太、もう片方は極限まで細くした左右非対称の形は、千利休が考案した「らんちゅう箸(利休箸)」をより持ちやすく進化させたものです。料理の味わいを引き立てる口当たりのよさと、吉野檜ならではの特徴を活かして1膳わずか5gという軽やかさを実現しました。無塗装の白木は品格を備え、晴れの日にも日常にも寄り添って食卓を豊かにしてくれる、まさに“名脇役”です。

6:4の非対称なデザインは所作を美しく見せ、持った時の重心バランスがとてもいいベストなもの。1番太い部分が正方形なのも、持ちやすく揃えやすい工夫ポイント

実際に手にすると、驚くほど軽くて持ちやすい。スッとお箸が抜ける口当たりはとてもやさしく、使うのが嬉しくなるような、温かな佇まいが印象的でした。

「十分な強度があるので、一度使って終わりにするのはもったいない。『使い捨てない、使い捨て箸』『自分のタイミングで使い捨てる使い捨て』という感覚で、寿命がくるまで何度でも使っていただきたいですね」(菅野さん)

「割り箸は、焼却炉で助燃剤のような役割をするそうです。キャンプでも焚き火に入れて活用できるし、子どもの工作や掃除にも使えて、最後の最後まで役に立つんですよ。歯ブラシの替え時と同じように、自分のタイミングで使い切ってもらったらいいと思います」(中磯さん)

さまざまな木材や漆塗装をテストし、さらなる耐久性や美しさのバリエーションも検討中

オリジナルマシンと職人技が支える、唯一無二の造形

廣箸の工場では、先代が独自に設計・改良した機械が今も現役で動いています。箸削り機や角材揃え機、削りくずを利用した乾燥室の装置など、70種類を超えるお箸を美しく、効率的に製作するために、独自の設備を生み出してきました。宮大工もされていたという先代の美意識とこだわりがつまったこれらの機械が連動することが廣箸の技術力につながり、1本1本のお箸がかたちになっていきます。

先代考案の通称「ぶるぶるマシン」。次の工程で切りやすくするため、角材を素早くすき間なくきれいに揃える

「どれも本当によく考えられている機械たちで、感心しました。お箸がきれいに作れるようここまで微調整できる機械なんて、他では見たことがありません。『大門箸』の極細の先端は、まさにこの機械と吉野檜があってこそ。世界でも廣箸にしか作れないお箸だと思います」(菅野さん)

 とはいえ、すべて機械任せで簡単にできあがるわけではありません。

「ただ機械があるだけではなく、職人が図面を見ながらつきっきりでミリ単位の細かい調整をしています。完全オートメーションではない“工芸”とも言える手仕事なんです。どれが欠けても『大門箸』はできなかったでしょうね」(中磯さん)

すべての箸先の削り出しと調整を行い重要な役割を担う水本さん。「調整が本当に大変」と「大門箸」づくりの本音を語る

なかでも要となるのは、箸先を削り出す機械です。円盤状の刃物が回転しながらとても複雑な動きを重ね、角度や当たり方を繊細に調整して仕上げていきます。この調整を担うのは、20年以上の経験を持つベテラン職人の水本さん。

そんな水本さんからしても、「大門箸」は「特に作るのが難しい」と言います。細さはもちろん、非対称なバランスもその要因のひとつ。「硬い檜を細くしなければならないので、どうしても欠けやすいんです。さらに長さと細さが左右非対称なので調子を合わせる工程が二倍になりますし、バランスも悪くなるので、まっすぐなお箸にするのに苦労しています」と教えてくれました。

機械のコンディションによっては1日中調整を続けている日もあるのだとか。

シンプルなようで複雑な動きと調整を経て、極細の「大門箸」が作られる

「外から見ても何をしているのか分からないんです。でも何も言わなくても必ず合わせてくれる、絶対にできるからと信頼しています。気がつくといつの間にか機械が気持ちよく動き出しているんですよね」(中磯さん)

端材をスライスしてから、お箸の原型となる角材へカット

人と、木と、機械と、デザイン。そのすべてが絶妙に重なり合った結果として、「大門箸」は生まれています。

福利厚生の充実や、トイレの整備まで!ものづくり以上、仕組みづくりの重要性

 「お箸の帯のつけ方や帳簿のことなど、聞けば聞くほど労力がかかっていたり整っていなかったりすることが多くて。新商品の生産を始める前にまず会社の基盤を整える必要があると思ったので、自主的に動きました」(菅野さん)

そう菅野さんが振り返るように、当初中磯さんは業務に追われ、何か新しいことや改善案を考える余裕すらない状況でした。そこに、自主的に通ってあれこれ手を付けていく菅野さんの行動力と、それを受け入れる中磯さんの懐の深さが重なり、さまざまな改善が進められていきます。

天日干ししている端材置き場の前で。「何を言ってるのか分からないし宇宙人と思うことにしている」という中磯さんに、すかさず菅野さんがツッコミを入れる感じが絶妙。率直な意見をぶつけ合いながら、よりよい方向へと盛り上げていけるのは、対照的な性格でありながら信頼関係があるからこそ成り立つやり取り

帯巻き作業の機械化に始まり、帳簿・請求書のデジタル化、ネット環境や無線LANの整備、トイレや事務所の改修、ウォーターサーバーの導入、輸送効率の改善、昼食代・交通費補助の制度改正まで。さらに、学生から高齢者まで働ける柔軟な勤務体系も整え、「自分が働くならこうあってほしい」という労働者と経営者の両方の視点で、菅野さんは廣箸の環境を一つひとつ整えていきました。

「働く環境を今のスタンダードにしていかないと、若い人がまず来ないじゃないですか。女性や若い人が働きやすい環境を整えることは、人材確保に直結します。夢を追う若者も、人生を重ねたおじさんも応援する。みんなが気持ちよく働きやすい場所にしたいんです」(菅野さん)

こうした環境面の整備が功を奏し、以前は年配者ばかりだった職場にも、若い人たちが加わりました。手伝いに来てくれていた学生の卒業制作展を見に行ったり、引っ越しを手伝ったり、ともにお風呂で汗を流したり。このような繋がりから新たな仲間が増え、SNSでの発信を通じて遠方から通う人も出てきています。

「一度若い人が集まるとその中で盛り上がるし、環境を整えれば現場から自然にアイデアが出るようになる。それが一番大事だと思っています」(菅野さん)

菅野さんの働きかけで増えてきた、若いスタッフ

社員以上に深い動きを菅野さんは自発的にしたのですが、これらは無報酬で行っていました。

「無報酬というと聞こえが悪いかもしれませんが、夏休みの自由研究みたいなものです。廣箸からすればコストがかからないから、僕は自由に動けますし、誰にも研究の邪魔をされない。今は少しずつ土台ができ、マネタイズしてきました」(菅野さん)

中磯さんはかつて会社の改善を考えてデザイナーやコンサルを探し、講座にも通いましたが、費用の見通しや相性が分からず、依頼に踏みだせませんでした。

「スポットでコンサルや商品開発をして去っていくことを僕はしたくなくて、5年、10年かけて一緒に商品を作り、100年売るくらいのスタンスでいたいなと。それを廣箸さんで実現させてもらっているところですね」(菅野さん)

「一番安い工芸」が秘める、大きな可能性

廣箸では職場環境が整備されていく一方で、もう1つ大きな課題を抱えていました。それは、商品の値付けや生産計画などを自分たちでうまくコントロールできないということ。

「毎日、注文に合わせて作って出荷するだけで精一杯でした。在庫もほとんどなく、やっと家に帰って寝るだけの状態が何年も続いていたんです。自分たちが作ったものがどこでどう使われているのかも分からない状態でした」(中磯さん)

「それなのに作れば作るほど赤字になるような構造になっていたので、『これは仕組み自体を見直さないといけない』と思ったんです」(菅野さん)

そんな問題意識からも、お客さまと直接つながる方法として「大門箸」が生まれました。現在「大門箸」は地道ながら販路を開拓し、小売店や業務用として料亭やレストランでの採用が増えてきているといいます。

成形する前と完成後の2回、厳しい目と素早い手でしっかり検品を行う

「カタログを飲食店に直接送ってみると、ほとんどの方が箸先の細いタイプを選ばれるんです。細いお箸は上品に見えるだけでなく、料理がおいしく感じられるという感覚が本当にあるんだと感じています」(菅野さん)

さらに菅野さんは、割り箸という存在自体の価値も見直してほしいと話します。

「『割り箸』は“日本で一番安い工芸”だと思っています。彼らは工芸として作っている感覚はないですが、機械生産とはいえ、自然のものを扱う以上、その大部分は人の手によって作られるものです。500年続く吉野林業と日本の食文化に根付いている歴史を見てみると、きっと工芸と呼べるものなんじゃないかと思います」

割り箸は、捨てられてしまう丸太の端部分を活用したコロジカルな商品。山を維持するための間伐にも一役買っている

この素材が育まれる森を健全に保つためには、木を伐り、余すところなく使い、再び植える循環が必要です。丈夫な箸を毎日の食事で繰り返し使うことは、環境にとっても大きな意味があります。菅野さんの提案で、今後はお箸づくりからさらに1歩踏み込み、“山”そのものへと視野を広げようとしています。

「将来的には丸太から買って、芯材は建材として販売し、端材を自分たちの箸づくりに活かす。廣箸の3代目となる予定の息子さんには、お箸屋と建材屋を同時にやることも提案しています」(菅野さん)

「実際に丸太を切るところから試したこともありますが、今は端材をもらってきた方がまだ安いんです。ただ、建材側で利益をしっかり出し、その端材でお箸を作る流れができれば、林業にも貢献できると思っています」(中磯さん)

1膳の割り箸が変われば、森も文化もおいしさも変わっていく。

「大門箸」は、その未来への一歩をすでに踏み出しているようです。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

 【地産地匠アワード】常識の先を編み上げる。斜めに寄り添う新発想のユニバーサルニット「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、大阪府泉大津市でうまれた「Spiral MiGU(スパイラルミグ)-インナー・ロングスリーブ-」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

“不良”をあえて味方につけた、逆転のものづくり

ニットには “斜行(しゃこう)” と呼ばれる現象があります。編み目がまっすぐ揃わず斜めに傾いていってしまうもので、ねじれや歪みにつながるため、通常は“不良品”と判断されてしまいます。この“斜行”を逆手にとり、意図的に活かしてみようと考えて生まれたのが、斜めに巻き付くように身体に寄り添うインナー「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」です。

うっすらと見える“斜行”のラインが特徴的な「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」。MiGUは、Make it Gentle to Universalの頭文字をとったもの

「現場では『本当に“斜行”でいいんですか?』と何度も確認されました。 普段なら絶対に直すものですから」と笑うのは、株式会社アイソトープの浅田好一さん。大阪 泉大津市のニットメーカーである同社で、営業を担当しています。

これまで、顧客からのあらゆるオーダーに応えてきた浅田さんでしたが、今回は特に異色だったとのこと。

「戸惑いの空気がしばらく続きましたよ。職人さんたちはなかなか納得がいかなくて、どうしてもまっすぐに整え直して完成させようとするので大変でした」と当時を振り返ります。

株式会社アイソトープの浅田好一さん

ことの始まりは、今からおよそ10年前。誰もが豊かなファッションを楽しめる社会を目指す「特定非営利活動法人 ユニバーサルファッション協会(以下、ユニファ)」と、中小企業に技術支援をおこなう「地方独立行政法人東京都立産業技術研究センター(以下、都産技研)」による共同研究会において、からだを包み込むようにフィットする、誰にでも着やすいインナーの開発がスタートします。

同研究会には、今回の開発の中心メンバーである都産技研プロダクトデザイン担当の加藤貴司さん、ユニファ会員でブローニュ株式会社 社長の川村岳彦さんも参加していました。

地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターの加藤貴司さん
特定非営利活動法人ユニバーサルファッション協会/ブローニュ株式会社の川村岳彦さん

「はじめは単純に『斜めだとデザインとしておもしろいよね』という意見からスタートしたんです。それで包帯をイメージして体に巻きつくデザインのカットソーを作ったんですけど、縫い目が肌に当たって違和感がある仕上がりになってしまって。これじゃユニバーサルデザインとは言えないし改善が必要だねとなり再検討しました」(加藤さん)

「そこで、縫い目の当たりが出ない衣料品をもう一度作り直そうということで行き着いたのが、無縫製でニットが編めるホールガーメントという製法でした。僕はもともとニットの会社に勤めてその後独立したので、ホールガーメントの知識も多少は持ち合わせていて。そこは『スパイラルミグ』のものづくりに、少しは役立ったのではと思っています」(川村さん)

 ホールガーメントとは、縫い目のない一体成形で編まれたニット製品やその編み立て技術のことを言います。通常のニットは、前身頃・後ろ身頃・袖などのパーツを別々に編んでから縫い合わせて作られますが、ホールガーメントは最初から丸ごと1着を立体的に編み上げることができます。

数あるホールガーメントが編める工場の中で、川村さんが声をかけたのが前述のアイソトープ。“斜行”という一般常識を覆すアイデアに付き合ってくれる会社は、他にはいないと見込んでのことでした。

縫い目がなくほぼ完成形で出てくる、ホールガーメント

「これまでやっていないことをするので、トライアンドエラーは必ず出ます。アイソトープさんは独自の和紙の糸を開発したり、オリジナル製品を作ったりと常にチャレンジを続けている会社です。新しいものづくりにも根気よく熱心に付き合ってくれると思い、依頼しました」(川村さん)

「お客さんから『作りたい』と言われると、『なんとか作ろう』としてしまいますね。“編めるものは編む”というのが創業者のモットーでもありますので。こちらが諦めてしまうとお客さんも困るじゃないですか。受けた以上は最後までやる。これがその後何かに繋がっていくと思いますし、自分たちの技術も高まるところでもあるので。皆さんと一緒にずっと成長している感じです」(浅田さん)

「スパイラルミグ」の構想から完成まで、約10年。皆が諦めずタッグを組んで乗り越えてきたことで、長く暗い道のりに明るい光が差し込みました。

“斜め”の発想が導いた、ユニバーサルな価値

無縫製ニットのインナー「スパイラルミグ」の最大の特徴は、“斜行”という手法。デザイン性だけでなく、やさしいフィット感を実現した点にあります。

縫い目がないホールガーメントで編み上げている

「布の繊維を斜め45度でカットすると生地が伸びやすくなるんですけど、ニットはさらに伸縮性が高いので、“斜行”で編んだ『スパイラルミグ』は本当によく伸びるんです。女性のSSからLLサイズ、男性のMサイズまで対応できるので、この一枚があれば幅広い人に着ていただけるようになっています」(川村さん)

縫い目がないうえに前後も自由なので、サイズ選びや着る時に迷うことがなく「プレゼントにも向いている」のだとか。

想像以上にやわらかく、気持ちがいいほどよく伸びる

「よく伸びるので、首元を大きく伸ばして下から履くように着てもらうこともできるんですよ。体が不自由な方や腕が上がらない方は袖ぐりが引っかかって洋服を着るのが大変なんですけど、そのような方にも健常者にも“あらゆる人が無理なく自然に着られる”着やすさが大きな特徴です」(加藤さん)

さらりとした優しい肌ざわりで通年着用が可能な「スパイラルミグ」には、さらなる工夫があります。それは“撚り”の違う糸を、部分的に使い分けている点。“撚り”は糸や繊維をねじり合わせることで強度を高めたり、風合いを調整したりする工程のこと。時計回りにひねる“S撚り”、反時計回りにひねる“Z撚り”という2種類があり、どちらかの糸で統一して編むのが通常です。

「“Z撚り”の糸を使って“斜行”で編んだら、着用試験後に『なんかちょっと着づらくない?』となって。よく見ると、片方の腕の肘部分が反対方向へ変に曲がっていたんです。そこを改善するために右袖部分だけ“S撚り”の糸を使って、腕の形がバランスよくなるよう設計しました」(加藤さん)

右腕だけ糸の撚りを変えることで、違和感のない自然な着心地を実現した

「普通は編み地の中で部分的に撚りを変えるなんて、あまりしません。撚りの糸を組み合わせてまで着やすさにこだわったのは、かなりオリジナリティがある部分かなと思います」(川村さん)

ホールガーメント編み機。専用ソフトと編み機を使って縫い目や継ぎ目のない状態で完成させることができる。肌あたりがとてもやさしく、糸や生地の廃棄ロス、縫い合わせる手間のカットができ、注目が高まっている

ニット産地・泉州の底力が現れた、技術と職人の協働

大阪府南部に広がる泉州地域は、日本三大綿織物産地のひとつ。古くは和泉木綿をきっかけに綿織物産業が発展し、タオルや毛布などさまざまな繊維製品を生み出してきました。なかでも特徴的なのは、“織物”と“編み物”の両方が発展を遂げた珍しい産地だということです。

この繊維の産地・泉大津に拠点を置くアイソトープは、糸の企画から製品製造、物流まで一貫して行うトータルニットメーカー。年間およそ800型のオリジナルアイテムを国内で企画・生産し、約50台の編み機を備えている会社は泉州でもそれほど多くありません。

泉大津市にある、アイソトープの工場
ホールガーメントは専用のソフトで設計図を作るところからスタート。同じ図柄でもこの組み方で、編み上がるスピードや傷の出現など仕上がりに違いが出る
糸のセットや機械の調子の確認、メンテナンスまですべて行う

今回の開発においても、アイソトープの技術力と地域の連携が大きな役割を果たしています。


たとえば、今回は綿100%の強撚糸を使っているため、そのままではどうしても“ごわつき”が出てしまいます。そこで浅田さんが編み立て後の縮絨(しゅくじゅう/織物や編み物をお湯・摩擦などで縮ませて目を詰める加工)で風合いを調整する方法を提案。編み立てはアイソトープ、縮絨は近隣の外注職人が担当するチーム体制で、求める風合いを実現しました。


縮絨は単なる洗い作業ではなく、洗い加減や溶剤を細かく調整しながら何度もテストを重ねて理想の状態へ仕上げます。これは日頃から産地内で多様なオーダーに応えてきた経験があるからこそ可能な技術です。


「“少しふわっと”、“シャリ感を残して”と伝えるだけで、その通りに仕上げてくださいます。実際に都産技研の方で風合いの測定試験をおこなってみたところ、ざらつきが減っているデータが出ましたし、電子顕微鏡で拡大すると繊維もふわっとほどけていました」(加藤さん)

ニットは機械調整や糸のゲージ、目の詰め方や洗いの方法がわずかに変わるだけでサイズが変わる繊細なものです。

「糸は“生き物”なので、同じ糸で仕上げてもサンプルのサイズがばらつくことがあるんです」(浅田さん)

失敗したもの、作り直したいものは、糸をほどいて再度編み立てる

「それでもほぼ同じ仕上がりにできるのが、アイソトープさんのすごいところ。同じ機械を持っていても、この精度はなかなか出せません。編み立てから仕上げまで全工程を熟知している、産地ならではの技ですね」(加藤さん)

針の洗浄クリーナー。針に溜まる埃やゴミの掃除を手作業ですると半日かかるところが、数分で完了することができる。この機械を備えているところは少なく、近隣の会社から洗浄を依頼されることも多々ある

一方で泉州のニット産業は、人材不足や後継者問題を抱えています。 

「若い人が製造現場に来ないですし、後継者がいなくて廃業する工場も多い。全国の産地が同じ悩みに直面しています」(川村さん)

「機械化である程度は補えますが、縮絨や仕上げの技術は人の手と経験に頼る部分が大きい。ここが途切れてしまうと、品質維持が難しくなってしまいます。今後どう次世代につないでいくかが、私たちの大きな課題です」(浅田さん)

未来をつなぐ、新しい挑戦と可能性

「今回のプロジェクトのチームメンバー、よく考えたら面白い組み合わせですよね。だって、普通のデザイナーと工場の組み合わせじゃなくて、競合の可能性もあるわけですから」(川村さん)

その言葉どおり、アイソトープと川村さんの会社・ブローニュは、ニットの企画から生産・販売まで行う同業者。そこに、加藤さんが所属する都産技研が地域の枠を超えて参加。さらにコアメンバーの他にも、東京、大阪の多くの人たちの協力がありました。

アイソトープのショールーム

「何度も東京から大阪へ来ていただいて、現場を見ながら本当にたくさんの試作と修正を繰り返しましたね」(浅田さん)

「10年単位のプロジェクトは、民間企業だけではなかなか難しいこと。皆さんと同じ目線で製品開発に深く関わり産地の技術にスポットを当てて、産地をもう一度活性化させて人を呼び込むきっかけをつくりたいという思いもあって向き合い続けられました」(加藤さん)

このロングスパンの開発に関わったメンバーの中には、残念ながら完成を待たずに亡くなった方もいらっしゃるとのこと。

「今回の受賞を墓前に報告しに行きたい」と話す姿から、プロジェクトに込めた思いの深さを感じました。

「NGとされていたものを“むしろ面白い”と捉えて新しい価値にしていく。そこにデザインの可能性があると思っています」(加藤さん)

 「ここで終わりではなく、着やすさや機能性を高めながらさらに発展させていきたい。まだまだ伸びしろがあります」(川村さん)

今後は色や形のバリエーション展開、他のアイテムへの応用も視野に入れているとのこと。

「スパイラルミグ」の静かな挑戦は、単なるニットを超えて、産地の技術と人を未来へつなぐ大きな一歩となり、未来へ向けて動き始めています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

 【地産地匠アワード】眠っていた糸や生地に息吹を与えて、紡いで。使い続けたくなる、カラフルな「三河軍手」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、愛知県西尾市でうまれた「三河軍手」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

地元の糸と技とデザインで、軍手に新たな価値を吹き込む

「もう一度リベンジしたいと思ったんです」

そう笑いながら話すのは、愛知県西尾市にある石川メリヤスの大宮裕美さん。祖父の代から軍手の製造を営んできた会社で代表を務めています。

大宮さんは、軍手の国内での生産が衰退している現状に悔しさと危機感を抱いていました。

石川メリヤスの社長・大宮裕美さん。三代目として石川メリヤスを受け継ぎ、常時100種以上の軍手、靴下などのニット小物を生産している

そこで新たな顧客層を開拓しようと、軍手にブランドネームタグをつけて個包装にしたギフト商品を展開しましたが、思うような成果は得られず。商品づくりを見つめ直すきっかけにはなりましたが、現状を打破できなかった結果に、もやもやした気持ちが残ったといいます。

転機となったのは、地元の繊維商社から「カラーネップ糸」という色とりどりのデッドストック糸を紹介されたことでした。その糸を見て「軍手に使えば面白いものができる」と直感。軽やかで温かみのある風合いとカラフルな見た目から、大人も子どもも手に取りたくなる新しい軍手のイメージが浮かびました。

カラフルな繊維の粒(ネップ)が入った、「三河軍手」の原料となる特紡糸。ネップが入ることで表情や温かみが加わり、独特な風合いが生まれる

ちょうど地産地匠アワードの募集があり「カラーネップ入りの軍手を作ってリベンジしたい」と考えた大宮さん。しかしデザイナーとの協業方法が分からず諦めかけた時、奇遇にも地元のファッションデザイナー・久保田千絵さんと再会します。


同じ中学校の出身というご縁もあり、以前から面識のあった二人。久保田さんは昨年秋に、自身で展開していたブランド「Rosey Aphrodina (ロジィ アプロディーナ)」でパリファッションウィーク中に開催されたファッションショーへ出展 。帰国後に心境の変化があり「今後は地元の企業をデザインの力で応援して、ものづくりを盛り上げていきたい」と考えていたタイミングでした。

デザイナーの久保田千絵さん。ウェディングドレスや七五三など「ハレの日」の衣裳を主軸に、自身のブランド 「Rosey Aphrodina」を展開している

「パリでのファッションショーという自分史上一番大きな挑戦を終えて、応援してくださったお礼と報告、今後の動きを伝えるために裕美さんを訪ねたんです。そこで地産地匠アワードの話を聞いた時、私が考えていたことと重なっていたので、すぐに『一緒にやってみましょう!』と盛りあがりました」と久保田さんは振り返ります。

早速カラーネップ糸を見せてもらった久保田さんは「この糸の色味や質感は、軍手でこそ映える」と確信。

「糸の魅力と石川メリヤスさんのものづくりの力が、軍手ならきちんと伝わる」と、あえて軍手にこだわりました。

技術とデザインが重なり合い、新しい挑戦がスタート。家族や市のサポートも受けながら、製品はもちろん、アワードのプレゼン資料やロゴデザインを形にしていきました。

全7色の「三河軍手」。使うシーンを思い浮かべながら選ぶのも、楽しみになるカラーバリエーション

こうして生まれたのが、今回優秀賞を受賞した「三河軍手」。カラーネップ入りの特紡糸を活かした、カラフルで軽く、やわらかな肌ざわりが特徴です。手にフィットしてはめるのが嬉しくなるような、地域の技術と思いが詰まった、新しい“あたたかさのかたち”が完成しました。

三河地方で育まれてきた、繊維リサイクルの精神

愛知県東部に位置する三河地方は、かつて日本の繊維産業を支えてきた重要な地域のひとつでした。温暖で日照にも恵まれたこの土地に8世紀末ごろ漂着した崑崙人(こんろんじん/インド人と言われる)が綿の種を持ち込み、日本における綿花栽培がはじまったとされています。特に西尾市の天竹神社周辺はその舞台と伝えられ、「三河木綿」に代表される紡績と織物文化が花開いていきました。

愛知県西尾市にある天竹(てんじく)神社。日本で唯一、綿の神様をお祀りしている
神事に使われる「和綿」。一般的に栽培されている「洋綿」と、葉の形や綿の実の付き方など違いがある
綿を使う全国の会社からも大切にされていて、大宮さんも今回のアワード祈願とお礼でお参りしたそう。久保田さんが主催したイベントでは、ここで育てられた綿を使って糸紡ぎのワークショップが行われた

戦後のガチャマン景気(「織機をガチャンと織れば、万の金が儲かる」という意味)と呼ばれる繊維産業の好況を経て、昭和の高度経済成長期、特に昭和50年ごろには「特紡(特殊紡績)」が盛んになりました。

これは繊維産業の製造工程で出てくる落ちワタや裁断くずのほか、使い古された衣類の繊維を「反毛(はんもう)」という工程によってワタの状態に戻し、再び糸に紡ぐもの。時代の流れとともに綿だけでなく化学繊維も含むようになった「特紡糸」を使って軍手などを作り、三河地方は日本でも有数の繊維リサイクルの中心地となりました。

「この地域ではリサイクルやSDGsが注目されるずっと以前から、捨てるはずのものまで有効活用して無駄を出さない知恵が根付いていたんですよね。資材を繰り返し大切に使い、さらにできあがった製品も長く使えますから」(大宮さん)

「昔から三河の人たちは“もったいない”を自然に実践していたんだと思います」(久保田さん)

石川メリヤス工場周辺。山も海も近く、豊かな自然に囲まれた温暖なこの地域で三河木綿が育まれ、繊維産業が発展した

ところが繊維業の主流が海外生産へと変わってきたことから特紡糸の原料が集まりにくくなり、現在は反毛業者や紡績工場などが年々減少しています。

「昔は岡崎市(※西尾市と隣接)の労働人口の7割が繊維関係だったのに、今では1割もいないかもしれないと聞きました。一般的な軍手にもっとリサイクル原料を使いたくても、糸にできる環境がどんどんなくなってきているんです」 そう言って繊維業界の現状に肩を落とす大宮さん。

この地の人間の知恵と技術で紡がれ続けてきた、特紡糸での「三河軍手」作りに、新たな価値と希望を見出しました。

使い捨てられない、ぬくもりを宿した軍手

「三河軍手」の主役となる特紡糸はリサイクル繊維を独特の風合いに仕上げるため、ひとつとして同じ表情のものはない個性を持っています。

「編みムラや色の混ざり方が異なるのも、この手袋ならではの“味”になります。同じ色でもネップの入り方で印象が大きく変わりますし、クラフト感と温かみのある風合いもそれぞれの表情を生み出していると思います。

カラーバリエーションも7色ご用意したので、選ぶ楽しみが増える。デッドストック糸を使っているので、糸がなくなればその色は生産終了です。自然に限定色となり、次の色に目を向けていただくことになる。そしてまた新たに気に入ってくださる方の元へ届く。その一期一会も、この手袋の魅力だと思っています」(久保田さん)

糸見本からも、そのふっくら感がわかる特紡糸

「三河軍手」の編み立てには、構造が50年前からほとんど変わらない、昔ながらの軍手用の機械が使われています。最新の機械では扱いにくいムラのある糸も、古い機械であれば調整を加えることでうまく編み上げることができるのだとか。

「特紡糸はさまざまな繊維が混ざって繊維の方向もバラバラなので、空気を含んでふっくらやわらかく仕上がります。軍手にすると厚みと軽さで手をやさしく包み、安全性も備わるんですよ」(大宮さん)

石川メリヤスの工場内。140台ほどの編み機が賑やかに稼働して、自動で製品を作る光景は壮観
上部のキャリッジが高速で左右に動き、ニットが編まれていく
編み機の針。1本1本規則的に動く。糸の特性によってはこの針が折れることも。機械と糸の特性を熟知して細かく調整するのは、職人技ともいえる知識や経験が必要とされる

「『手ざわり』と言うように、手にはめれば、特紡糸の魅力である柔らかさや軽さが一番よく伝わります。だからこそ、この糸を活かすには手袋や軍手が最適だと思うんです。シンプルで無駄がなく、それでいてふわふわ。いろんな作業に適しています」(久保田さん)

指先から編み始める軍手。目の数や段数の数値を変えることで、長さや幅が自由に調整可能
手袋の形まで編みあがると、自動販売機のようにスルンと機械下部から出てくる

構造自体は一般的な軍手と同じですが、糸が変わるだけで、“何かが違う”と感じられる存在感がにじんできます。サイズはS・M・Lの3種類。手首部分にサイズによって異なるバイカラーのステッチをあえて目立つ色で施す遊び心のある工夫で、見た目の楽しさと実用性が両立しています。

機械で編み上げた後は、手作業で縫製。手首部分は輪ゴムを入れてロックミシンで縫い付け、仕上げていく

「従来の軍手にも手首のステッチで色分けしているものはありますが、今回はデザインとして昇華されていて嬉しいですね。私たちだけでは、この完成形にはならなかった。久保田さんがここまで軍手の価値を引き上げてくださいました。デザインの力ってすごいなと改めて感じています」(大宮さん)

「この商品では実用性のある軍手らしさを活かしながらも、作業用という枠を超えていきたいと考えていました。通勤や自転車、防寒やDIY、ちょっとした外出やギフトにも使える存在にしたかったんです。

あくまで軍手だけど、デザインの力でスポットを当てて新しい価値に気づいてもらえたらと。リサイクルやSDGsにももちろん意義はあるけど、“素敵だから選ばれる”ことが大前提だと思うので。ただのエコではなく、気づいたら環境にもやさしかった。そんなあり方が理想です」(久保田さん)

編み傷や目の飛びがあれば、手作業で丁寧に修理。とても細かく技のいる作業。どうしても直らない場合は、自社のマルシェでB品として特別価格販売を行う

「弊社は、初代である祖父のころから品質を大事にして『使う人のためのものづくり』をモットーとしています。

繊維商品では、売り物にしていいかどうかのジャッジは最終的に“自分が使いたいかどうか”、“買った人がどう思うか”になるんですよね。反毛屋さんや紡績屋さんをはじめ、最後に検品や出荷する人まで、同じ感覚でものづくりができるのは大切なことなのかなと思っています」(大宮さん)

作り手の思いと工夫が詰まったこの「三河軍手」は、作業にも、日常にも、プレゼントにもなじむ新しい軍手。単なる日用品ではなく、愛着を持って長く付き合いたくなるような “使い捨てられないアイテム”へと進化しています。

価値あるブランドとして、「Bマーク」から広がる未来

東京の大学を卒業後、そのまま一度は東京で商社に勤めていた大宮さん。

高校卒業と同時にファッションを学ぶために上京し、自身のファッションブランドを立ち上げて活動している久保田さん。

二人とも西尾市から外へ一度出たことで、かつて繊維産業で栄えた地元の誇らしいところが見え、産業の状況や大切なものをより感じることができたのかもしれません。

地元である三河地域の歴史や現状について、熱く語る二人

「地場産業を存続させることは、常に大事だと思っています。糸を作っている人や反毛屋さんの仕事をもっと知ってほしいし、岡崎や西三河、西尾が繊維産業から始まったことも広く伝えたいです」(久保田さん)

この思いを、久保田さんはデザインでも表現しました。それはロゴに小さく加えられた、オリジナルの「Bマーク(Ⓡ同様、○の中にBの文字)」という印です。

「Aランクから外れた糸はB格と呼ばれて格下扱いされますが、実は風合いがとてもよい糸なんです。だからロゴへ『Bマーク』を入れて、価値のあるものだという認定印のようにしてみてはどうかなと考えました。 これに関わり働く人へのリスペクトや、働く人自身の誇りにもつながる。お客さまもマークがついている商品を選べば、リサイクルに貢献できた小さな喜びを感じられる。捨てられるかもしれなかった糸が使われていることも伝わりやすいのかなと」(久保田さん)

商標登録を表す「Ⓡ」マークのように、B格の糸を使いながらも価値あるものへと昇華させた商品に付けることを考えて、ロゴに加えた、「Bマーク」。オリジナルで久保田さんが提案する

「残糸や売れ残りもこの『Bマーク』をつければ、価値を見出した商品として届けられるのでは」と大宮さんもうなずきます。 今後は軍手に限らず靴下や帽子など、「Bマーク」ブランドのラインアップ拡大も視野に入れています。

石川メリヤスのオリジナル商品。手袋だけでなく靴下や小物も編むことができるため、「Bマーク」を付けた商品の今後の展開にも期待が高まる

危機を迎えている産業に新たな息吹をもたらし、再起の道を開いて次代へつなぐ。その強い意志とひと針ごとに込められた温もりが、人と町、そして未来を再び結び直し、新たな物語を紡ぎはじめています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

120年変わらない「渦巻」に込められた技と想い……金鳥が大切にする「日本のものづくり」

年々長くなっている、日本の夏。

はやばやと6月には猛暑日が訪れて、9月や10月に入っても蒸し暑い日が続いていく。

だんだんと暑い時期が長くなるにつれて、昔から夏に活躍してきたさまざまな暮らしの道具の存在感が高まっているように感じます。

たとえば、澄んだ音色で風の訪れを知らせる風鈴。見た目にも涼やかなガラスのうつわ。通気性や吸水性にすぐれた天然素材の敷物や衣類などの、涼をとるための道具たち。

そして、長らく日本の夏の風物詩として親しまれ、頼りにされてきた、蚊取り線香「金鳥の渦巻」もそんな道具のひとつです。

実は、蚊取り線香は日本で誕生し、日本で大きく発展した商品。製造元である金鳥(大日本除虫菊株式会社)は今も国内の自社工場で、徹底した品質管理のもと「金鳥の渦巻(防除用医薬部外品)」を作り続けています。

同じように「日本のものづくり」をつなぐ企業として、中川政七商店は金鳥に深く共鳴し、2018年からはご縁があって毎年コラボレーションを実施してきました。

2018年に初めてコラボレーションした際に作った金鳥柄のふきん

今回は、金鳥が大切にしているものづくりや中川政七商店とのコラボレーションについて改めてお話を伺うべく、大日本除虫菊株式会社 商品企画担当の中野千恵さん、広報担当の加原朋子さんを訪ねました。

左から、大日本除虫菊株式会社 中野千恵さん/加原朋子さん

100年以上続く金鳥のシンボル「ニワトリ」マークと工芸の出会い

「私たちにとってこの“ニワトリ”の意匠はとても大切なものなので、そのデザインを色々なアイテムに落とし込むということは、過去にはほとんどやってきませんでした。

それがここまで長く続くというのは、当初は想像していなかったですね」

2018年の第一弾以来、中川政七商店とのコラボレーションを担当されている中野さんはそんな風に振り返ります。

コラボがスタートしたばかりの頃は、社内承認を得るのにドキドキしていたと話す中野さん

ひと目見れば誰しもが「金鳥の蚊取り線香!」と思い浮かべるほど、そのイメージが浸透しているニワトリのマーク。

1910年に商標登録されて以降、細かい表現の修正はありつつも、ニワトリ自体を変えることはなく100年以上使用され続けてきた、まさに金鳥のブランディングの根幹とも言えるものです。本来の商品以外での利用に慎重だったという話も頷けます。

それが、気づけば今年でコラボレーションも8年目。作ってきたアイテムは30種類を優に超える人気シリーズになりました。

歴代のコラボ商品の一部

「弊社のマークやデザインを、本当に細かい部分まで丁寧に再現していただいていますし、新たなモチーフを検討する際も、金鳥の歴史や過去の資料を深く読み込んでいただいて、社員よりも詳しいのでは?と思うくらいです(笑)。

データが存在しない過去のパッケージなどは、現物や写真を見ながら新たに描き起こしてもらうこともありました。そしてそれがさまざまな工芸の品に落とし込まれていて、もはやアートの域に入っているというか。御社だからこそなのかなと感じています」(中野さん)

長い歴史の中でさまざまな広告にも使われてきた「ニワトリ」マーク

金鳥のマークやパッケージデザインに敬意を持ちながら、単なるグッズではなくしっかりと工芸のものづくりの面白さも感じられるように。その都度デザインや技法を検討し、丁寧にコラボ商品を作ってきたことで、金鳥社内での評価も固まっていったのだそう。

大きなチャレンジとなった、有田焼でつくる「金鳥の渦巻蓋物」(左)、右が本家本元の「金鳥の渦巻 ミニサイズ(缶)」
蚊取り線香も焼き物で表現。取り組み自体はユニークだが、使用した工芸の技術や素材は本気そのもの

「気づけば社内でも当たり前のものとして毎年楽しみにされていて、社用のギフトや個人用に買っている人も多いですね。自分たちの会社のロゴやデザインのものが普段とは違うお店で売られているというのは、誇らしくもあり、とても嬉しいことだと感じています」(加原さん)

天然成分にこだわり続ける、金鳥のものづくり

金鳥の正式な会社名である大日本除虫菊株式会社。ここにある“除虫菊”とは、殺虫剤の原料として世界各地で栽培されているキク科の植物のこと。

金鳥の創業者である上山英一郎氏が縁あってアメリカの植物会社の人物から種子を譲り受け、日本国内での生産がスタート。そしてその除虫菊を原料として、世界初の蚊取り線香を開発しました。今でも、金鳥の渦巻には除虫菊が用いられ続けています。

「通常の『金鳥の渦巻』にももちろん使用していますし、さらに殺虫成分として100%天然除虫菊にこだわった『天然除虫菊 金鳥の渦巻』という商品も展開しています。

蚊取り線香を発明した会社として、天然成分だけを使っても、蚊に対してきちんとした殺虫効力があるものを作ることができる、という自負もありますね」と、加原さん。

もともと研究所に所属しており、蚊のことや線香の成分についても非常に詳しい加原さん

普段、当たり前のものとして接している渦巻型の蚊取り線香ですが、実はその成形には職人による高度な技術を要するのだそう。確かに言われてみると、絶妙な硬さ、細さで綺麗にくるくると渦巻状になっていて、効き目が長持ちする。無駄のない機能美を感じます。

さまざまなバリエーションがある「金鳥の渦巻」。寝ている間も効果が持続するように、長持ちする形状として渦巻が発明された

「粉状にした除虫菊を、タブノキから取れる糊成分などと混ぜ合わせて固めていくのですが、すべて天然成分なので、毎回状態が微妙に違ってきます。それを、担当者の手の感覚でこねる時間や塩梅を調整して、安定した品質に仕上げているんです。まさに職人技だなと。

渦巻状の蚊取り線香になって120年以上経ちますが、基本的な作り方、形状はずっと変わっていません。最初にどうやって思いついたのかと不思議なくらいです」(加原さん)

調整に失敗すると燃え方に影響が出たり、成分の出方が変わったりしてしまうとのこと。防除用医薬部外品として、一定の成分がしっかり出ることを担保する必要があるため、非常にシビアな調整をおこなっているそうです。

また、金鳥が天然の成分にこだわる背景には、殺虫剤を販売するメーカーではあるものの「むやみやたらに使うのはよろしくない」という考えがあるのだとか。

「必要な時に必要なだけ効くように。虫を全滅させるのではなく、生活空間から除ける、というスタンスで商品を作っています。その方が私たち自身や環境にも安心ですし、ひいては殺虫剤への抵抗性を発達させないことにもつながると考えています」

除虫菊を大切にする意味を込めて、パッケージをリニューアル

自然(虫)に対抗するには自然の力を使おうと、天然成分にこだわっている金鳥。改めて除虫菊をもっと大切にしていく姿勢を打ち出す意味もあり、「天然除虫菊 金鳥の渦巻」のパッケージリニューアルを敢行。そのデザイン監修を担当したのは、なんと中川政七商店でした。

右がリニューアルした「天然除虫菊 金鳥の渦巻」のパッケージ。四隅には、除虫菊をはじめとして、配合されている天然原料のイラストが添えられている。左は、この商品のイメージに合うように菊柄をあしらったコラボアイテムのひとつ「瀬戸焼の線香皿」

「パッケージをどうしようかという話の中で、『中川さんにやってもらうのはどうや?』という声が自然にあがってきたんです。

そもそも、パッケージのデザインというものを受けてもらえるのだろうか?と半信半疑のままお願いしてみたところ、快く引き受けていただけました」(中野さん)

デザイン事務所ではないところにパッケージを依頼するのは初めてとのこと

「『レギュラーの蚊取り線香のパッケージをベースにしましょう』という提案をいただいて、除虫菊やタブノキのイラストも描き起こしてもらって。

コンセプトも伝わるし、100年前からあったような、金鳥らしい自然なデザインに仕上げていただけたと思っています」(中野さん)

「日本のものづくりをつなぐ」企業同士として始まった両社のコラボレーション。取り組みを重ねる内に、思っていたよりも深く共通する部分があり、当初は想像していなかったチャレンジもできる関係となりました。

「今回イラストにも起こしていただいた『タブノキ』という糊の原料も、だんだんと需要が少なくなってきているので、弊社が使い続けることで残っていって欲しいと思っています。

タブノキは、八丈島に伝わる絹織物『黄八丈』の樺色の染料にもなる素材でもあって。そういったものを守る助けにもなれば、御社が取り組む工芸との共通点もより深くなるのではと、そんなことも考えていますね」(加原さん)

「個人的には、最近のコラボのデザインに関して、中川さん独自の解釈を入れていただいている割合が増えてきていると思っています。

除虫菊に合わせて菊染めのてぬぐいを作ってくださったり、原料の絵をオリジナルで起こしていただいたり。そういったことがコラボの醍醐味かなとも思っているので、今後もそういったご提案を楽しみにしています。

結果として、工芸についてももっと若い人たちが興味を持つような、そんな入口になっていけると嬉しいですね」(中野さん)

来年は9年目、そしてその翌年にはいよいよ節目の10年目を迎える金鳥と中川政七商店のコラボレーション。120年変わらぬ渦巻と、次はどんな工芸が出会うのか。これからも両社の取り組みにぜひご期待ください。

<関連商品>
金鳥の夏日本の夏 天然除虫菊 金鳥の渦巻レギュラーサイズ10巻と瀬戸焼の線香皿セット

文:白石雄太
写真:直江泰司

それぞれの関わり方で、しなやかに藍染めをつなぐ。藍産地 徳島のいとなみ【すすむ つなぐ ものづくり展】

私たちの暮らしを支えてきた、日本各地の様々なものづくり。

それらがさらに百年先も続いていくために、何を活かし、何を変化させていくべきなのか。ものづくりの軸にある「素材や技術」に改めて着目し、その可能性を探るため、中川政七商店がスタートさせた試みが「すすむ つなぐ ものづくり展」です。

今回のテーマは「藍」のものづくり。

植物を発酵させることでできる、生きた染料の藍。

日本には江戸時代に広まり庶民の暮らしに根付いて以降、めぐる季節と共に、そして人々のいとなみと共に藍のものづくりはありました。

土からはじまり、また土に戻る。

素朴な自然から生まれた色だからこそ、私たちは心惹かれるのかもしれません。

かつて「ジャパンブルー」と称されたほど各地で親しまれていた藍染めですが、今では暮らしの変化とともに伝統的な植物染料での染めは減りゆき、化学染料を用いた染めが主流となりました。

そんななかでも、過去から続く藍染めの技や産地の景色を未来へつなぐ作り手たちがいます。

挑戦を重ねて”すすむ”ものづくりの現場を取材し、百年先へ藍を”つなぐ”ためのヒントを伺いました。

“生き物”である藍と、人の支援とのつながり

今回訪れたのは、藍染めの染料である「スクモ」の産地として名高い徳島県。高品質な徳島産のスクモは「阿波藍(あわあい)」として全国に知られ、江戸時代以降、日本の藍染め文化を支えてきました。

徳島を東西に流れる吉野川。かつて、吉野川の氾濫が藍の栽培に適した土壌を生み出し、藍の産地として発展した

徳島では今なお、伝統を受け継ぐ藍師(スクモ作りをおこなう職人)や染師、新進気鋭の作り手、地元企業など、様々な人たちが藍に関わり、ものづくりを続けています。

そんな中、障がいのある方たちの「働きたい」という想いを支えながら、徳島ならではの藍を用いたものづくりに取り組んでいるのが、県内の就労支援施設などでつくる特定非営利活動法人「とくしま障がい者就労支援協議会」。

就労支援施設は、障がいのある方が支援を受けながら働く場所で、就労に必要な知識や技能向上のための訓練もおこなわれます。一般的な軽作業などに加えて、同協議会が力を入れているのが藍にまつわる業務や商品の製造です。藍染めや藍染め商品の製造をおこなういくつかの施設に話を聞きました。

指定障がい福祉サービス事業所「ひまわり園」。

「ここは、今は藍染めがメインの施設です。昔は委託の軽作業がほとんどでしたが、協議会が運営する研修会に参加したり、以前の職員から教わったり、文献を参考にしたりして、藍染めについて学びながらスタートしました」

そう話すのは、就労支援協議会に加盟する「ひまわり園」の園長 森洋志さん。委託される作業にはどうしても波があり、安定して施設の利用者の方に仕事をお願いできるように、藍染めによる自主商品の割合を増やしていったとのこと。

「ひまわり園」森洋志さん。「とにかくものづくりが大好き」と言い、その情熱を持って藍染めの商品作りをスタートした

協議会では徳島県からの事業委託を受け、こうした施設に藍染めの技術を学ぶ機会を提供したり、共同受注窓口として藍関連の仕事を受注したりといった活動をしています。

職業指導員の港祐樹さん。「利用者の方と一緒にものづくりができることは楽しい」と話す
藍甕に灰汁を足して染料のph値を調整する。藍の状態が悪く、思うように染められないときは、文献などにあたりながら試行錯誤し、何度も調整を繰り返す
県内の藍師から購入している「スクモ」。藍の葉を発酵させて作られる。近年は需要に対してスクモの生産量が追い付いておらず、藍染めにおける大きな課題のひとつになっている
スクモが納品される袋

「阿波藍というと、濃いブルーをイメージされる方が多いんですが、うちではそこにこだわらず、多様な色味を表現していきたいと考えています。色んな青が出せるんだよって言いたいんです。

藍は生き物だと言われますが、発酵して日々状態が変化する藍と向き合っていると、人の支援にもつながる部分があると感じます。さまざまな色、それぞれの良さを出していくということなのかなと」(森さん)

染めの作業を担当している利用者さん
それぞれの得意なことを活かしてものづくりを進めている
藍染めで表現できるさまざまな”青”

ひまわり園では、分業でおこなわれる藍染めを、個々の利用者さんの個性を活かしながら施設内で完結させられるようにと考えています。比較的、一人で集中して何かに取り組むことが得意な利用者さんが多く、染めの技術も習熟してきているとのことでした。

「青色って、副交感神経に作用してリラックスする色とも言われていて、それも皆が落ち着いて作業できている要因なのかなって思うこともあります。ここは海も近いし、空も、藍染めもあって、青色に囲まれている施設。やっぱり、心が落ち着きますね」(森さん)

福祉の枠を超えて、ブランド力をつける

同じく、協議会に加盟している「グッドジョブセンター(GJC)かのん」の髙橋早苗さんは、自分たちがやっていること、得意なことを発信するように心がけていると話します。

「グッドジョブセンター (GJC)かのん」髙橋早苗さん
「グッドジョブセンター(GJC)かのん」の染め場

同施設は、20年以上前から藍染めの仕事をおこなっている、県内の藍染めをおこなう施設の中では最古参のひとつ。

初期の頃は県内企業からの受託で染めの作業をおこなっており、そこから段々と自社商品を作ろうという機運が高まって、最近では利用者さんの絵を用いたオリジナル商品なども作成しています。

「うちにしかできないものづくりというか。そういったものを発信していって、それを見て『ぜひ作って欲しい』とリクエストをもらえれば対応して。小さい規模の中でうまく続けていければいいなと思っています」(髙橋さん)

利用者の方が描いたイラストから生まれた藍染めのハンカチ
藍染めの生地から部分的に色を落とす「抜染(ばっせん)」という技法で作られています
「グッドジョブセンター(GJC)かのん」の藍甕。こちらも、県内の藍師さんからスクモを購入している
イラストを描いてくれた利用者さん。とにかく猫が大好きで、猫を中心に自分が好きなものを描いているのだとか

「作品を発信して、人気が出て、作家として利用者さんが東京や色々な場所に呼ばれるようになって欲しい。そうすればインプットも増えて、またクリエイティブがどんどん広がっていく。そんな野望を抱いているんです」

と、髙橋さん。障がいの有無は関係なく、その人だからできるデザイン、表現に価値がある。その可能性が藍染めとともに広がる未来を創造するとわくわくしてきます。

協議会 事務局担当として各施設と連携する瀬部さんも、

「福祉の商品という枠を超えて、ブランド化していきたい」

と話します。

「とくしま障がい者就労支援協議会」 瀬部礼子さん

協議会ではそのために、販売会の企画や販売サイトの整備をおこなったり、商品の開発力やクオリティを上げていけるように専門家の指導を仰いだりと、さまざまな取り組みをおこなっているとのこと。

徳島の文化である藍の振興と絡めながら、各施設と協力し、利用者の方々の「働きたい」想いを支え、かつ工賃を向上させることを目指しています。

こちらも、藍染めの商品作りをおこなっている施設のひとつ「ゆいたび」
「ゆいたび」管理者の榎本真大さん。藍染めならではの、価値を感じて選んでもらえる商品作りが大切と話す
ミシンを使った作業ができることが「ゆいたび」の強みのひとつ

一から藍を育て、染めて、販売する。オンリーワンの教育

もうひとつ、藍をつなぐ人々の営みとして紹介したいのが、徳島県立城西高等学校の取り組み。

同校には藍の産地ならではの「阿波藍専攻(植物活用科)」が存在し、藍の栽培から染料(すくも)づくり、染色、そして完成品の販売までを実践しながら藍染めについて学び、広める活動を行っています。

徳島県立城西高等学校

「うちは農業高校なので、自分たちで藍を育てて、すくもを作るところからやっているのが大きな特徴です。100%城西高校産のすくもを使って、染め、加工、販売まで一貫しておこなっています」

城西高等学校で阿波藍を担当する岡本佳晃さんはそんな風に話します。

阿波藍担当 教諭の岡本佳晃さん

現在、城西高校では、水田だった場所を使用して、スクモ用に約6100株の藍を栽培中。乾燥した状態で400kgほどの収穫を目標としています。藍は肥料と水をたくさん必要とする作物のため、土壌のバランスを考えて輪作でやっていく予定とのこと。(毎年藍を植えるのではなく、別の作物と交互に栽培していく)

城西高校でスクモ用に育てている藍。藍染めに適している白花小上粉という品種。この他に、食用として別種の藍も栽培中

阿波藍担当として着任して4年目になる岡本さん。藍染めの経験がある実習助手の方がサポートでつくものの、まったくの門外漢からのスタートで、最初はとにかく見様見真似、必死に文献やインターネットを調べて指導していったと言います。

実習助手の東龍成さんと2人態勢で阿波藍専攻を受け持つ
実習室。「天然灰汁発酵建本藍染」の文字が掲げられている

著名な藍師である同校の卒業生から話を聞いたり、地域おこし協力隊とコラボしたりと、教育機関であることを活かして専門家たちの協力を得ながら、生徒たちとともに藍染めについて実践し、学んできました。

「阿波藍専攻ができて今が16年目くらいで、僕が担当して4年。まだまだ藍について理解できていない部分も多いですが、自分たちで作ることに重きを置いて、なんとかやってこれました。

藍染めという徳島の文化を学んで、継承する。ここだけのオンリーワンの教育になっているのかなと思います」

この日、授業を受けていたのは、阿波藍専攻の3年生たち。植物活用科として2年間を過ごし、専攻として「阿波藍」を選んだ理由を尋ねてみました。

「もともと農業には興味がありました。その中で特に藍が面白かったのが決め手です」

生徒の一人はそんな風に話し、

「染めている時がとにかく楽しくて、染め方・染める人によって世界に一つの柄になるところが、いいなって思います」

と、染めの楽しさについて強調。染めの楽しさを話してくれる生徒は他にも数名いて、自分の手を動かすこと自体の楽しさが、手仕事の大きな魅力のひとつだと再認識できました。

そのほかには、

「藍染めをやっている高校というのは知っていて、やってみたいと思って入学しました」

「入学前は藍染めのことはぜんぜん知らなくて。本当に気軽に、楽しそうだなと思って選びました」

「マルシェでの販売ができるので、人とのコミュニケーションをそこで学びたかった」

という声も。伝統文化だからと構え過ぎず、いい意味で肩の力を抜いて藍作りや販売を楽しんでいる様子がうかがえました。

卒業後の進路について聞いてみると、

「進学して藍をさらに学びたい」「理学療法士の専門学校へ」「歯科衛生士になることが夢なので、コミュニケーション能力をそこで活かしたい」

と、さまざまな答えが。

自分の進路や経験のためのひとつのツールとして、フラットに阿波藍専攻を選択している印象を受け、人それぞれ、多様な藍との関わり方があるんだなと、その柔軟さが頼もしくも感じられました。

生徒たちが染めた作品。さまざまなデザインが楽しい

藍作りや藍染めを専門とし、生業としている作り手たち。そうしたプロフェッショナルとは違った形で、就労支援施設や学校など、地域の中で藍のものづくりに携わっている人たちもいます。

それぞれのタイミングで藍や藍染めと出会い、それぞれの立場で学び、ものづくりを進める。そしてその活動がまた誰かの目にとまり、藍を知る人、関わる人が増えていく。

そんな、藍との関わり方の多様さ、しなやかさに、産地としての底力、藍のものづくりをつなぐヒントがあると感じました。

<関連する特集>

<徳島の人たちが染めた商品>
・藍染ハンカチ
・藍染守り
※藍染め守りには、城西高校の皆さんが収穫した藍の種が封入されています。

<取材協力>
特定非営利活動法人 とくしま障がい者就労支援協議会
徳島県立城西高等学校

文:白石雄太
写真:奥山晴日