掃除が楽しく、快適になる卓上ほうき。Broom Craft「国産棕櫚手帚」【スタッフが使ってみました】

「さんち商店街」で好評をいただいている掃除道具ブランド「Broom Craft」。

目利きによって選び抜かれた棕櫚(しゅろ)で作られる使いやすくて美しい箒は、現代の暮らしにもフィットします。

今回、そんな「Broom Craft」の箒を中川政七商店の店舗スタッフが実際に使用し、その使い心地を体験しました。

使用した商品は「Broom Craft 国産棕櫚手帚 レザー(※WEB限定)」。中川政七商店 ルミネ北千住店の高橋さんによるレポートです。

軽くて使い勝手の良い、美しい卓上ほうき

「Broom Craft 国産棕櫚手帚 レザー」ブラウンとブラックの2色

この手帚を手にしてまず思ったことは、とっても軽い!ということ。「持っていないかのような軽さですね!」と驚きを隠せないスタッフがいたくらい、本当に軽いです。

早速、店舗で使ってみました。

普段、店内の棚は使い捨ての掃除用シートで拭いているのですが、食器類など細かなものが多く、掃除しづらいことが悩みでした。木製の棚のため、シートが引っかかりストレスに感じることも。

そんな中、Broom Craftの手箒を使ってお掃除開始。

使ってみてすぐ、その掃き心地に感動しました。写真では硬そうな印象がありましたが、これが程よくしなるため非常に掃きやすいのです。最初のうちはぽろぽろと抜け毛が気になりましたが、数回使うとおさまり、気にならなくなりました。

また、箒の先端に向かって細くなるような形状のため、隙間や棚の隅っこまですっきり掃けるので、とっても気持ちがいいです。

見た目も美しい箒で引っかかりなくさっさっと掃けるため、とてもテンションが上がります(笑)。掃除することがとても楽しくなりました。

佇まいが良く、店舗の雰囲気にも馴染むので、すぐ手に取れる見えるところに置けて、掃除に取り掛かるハードルも下がります。

楽しく掃除ができ、清潔な店内でお客様をお迎えできる。

素敵な箒に出会えて幸せです。

<掲載商品>

【WEB限定】Broom Craft 国産棕櫚手帚 レザー

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【地産地匠アワード】唯一無二の個性を味わう。暮らしの“支障”となった木から生まれた「わっぱのケース/バスケット」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではそのなかから、静岡県で街の“支障木”から生まれた「わっぱのケース/バスケット」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

暮らしの”支障”となった木から生まれた「わっぱのケース/バスケット」

「支障木(ししょうぼく)」という言葉を聞いたことがありますか?

これは、倒木の危険性があったり、私有地から道路にはみ出していたり、文字通り暮らしの”支障”になっている樹木のことを言います。

突発的な伐採が発生すること、樹種や木の状態がさまざまなことから、これまで木材としてはほとんど流通してきませんでした。
この、伐採せざるを得なくなった支障木を活用して生まれたのが「わっぱのケース/バスケット」。それぞれの木の個性を活かすため、着色をせずに仕上げられています。

「わっぱのケース/わっぱのバスケット」。それぞれの木目や木肌を活かし、着色をせずに仕上げられている

「支障木の特性上、流通させられるだけの材料が確保できる樹種は限られています。

その中で、木肌の様子を見て、個性があって魅力的なものとして桜や樫、楓という3つを選びました」

そう話すのは、静岡県静岡市にある木工・家具工房「iwakagu」の岩﨑翔さん。地元・静岡でものづくりをする中で何か地域に恩返しできることはないかと考え、地域の材料を用いた商品の開発を進めてきました。

「薄い木地のわっぱの入れ物って面白いんじゃないかと思って、サイズ感や形状を試行錯誤しました。弁当箱だけじゃないわっぱの新しい価値が出せればと思っています」

iwakagu 岩﨑翔さん。「木つかい」をコンセプトに、木材の環境や経緯、個性などを尊重してものづくりに取り組んでいる

岩﨑さんと共に商品の企画に携わったのは、同じく静岡を拠点に活動するデザイン事務所「OTHER DESIGN」の西田悠真さん。

「あまり用途を限定してしまうことは避けようと考えて、存在感が極力ニュートラルになるようにデザインしています。

パッと見た時に『これはなんだ?』という反応になる。その方が、支障木という素材に目を向けてくれるのかなと思って作りましたね」(西田さん)
まるで木そのもののような佇まいの、シンプルなケースとバスケット。街の中に生えていた木々それぞれの節目や傷すらも、唯一無二の個性として活かされています。

OTHER DESIGN 西田悠真さん。ものづくりをする職人に惚れ込み、グラフィックやプロダクトデザインだけでなく、企画、コンセプト設計など幅広いサポートをおこなう
自然とその素材感に目が向けられる

木工産地 静岡だからこそ実現した、地元の木を活用するプロジェクト

やむを得ず切られてしまう樹木を有効活用する。

言葉で言うのは簡単ですが、その実現には多くの障壁があり、一筋縄ではいきません。

街中にある樹木の活用には、課題も多く残る

支障木を見つけること、木が生えている土地の所有者や行政との調整、切った木の運搬や集積、保管、そして加工、販売。

ある程度の生産量を確保することも考えると、多くの関係者・専門家との連携が必要不可欠となってきます。

「元々、地元の木材を使ってものづくりしたいという想いがあったのですが、静岡では家具に使用する木があまり育てられておらず、流通もしていなくて半ば諦めていたんです。

支障木の存在も最初は知らなくて。そんな時に、西田さんから地元のきこりの方を紹介してもらって、つながることができました」(岩﨑さん)

地元の木材が使えないという課題を抱えていた中で岩﨑さん達が出会ったのが、玉川きこり社の繁田浩嗣さん。

きこりとして山に入り、建築物の原材料調達をベースに活動しつつ、街中の支障木についても要望があれば伐採に行く繁田さん。その活動の中で、魅力があるにも関わらず活用されていない木について、何かできないかと考えるようになったのだと言います。

玉川きこり社 繁田浩嗣さん。「きこりディレクター」として、山の価値を上げる切り口、提案を日々考えている

「静岡って林業は盛んですが、そのほとんどが建材用の杉や檜といった針葉樹で、家具に使えるような広葉樹はむしろ邪魔だということで間引かれてしまっています。

なので山の中にぽつぽつと生えているだけで、量もまとまらないし、流通には乗っていませんでした。

でも、そういった木を製材してみると木目が凄く面白かったりとか、木の魅力が詰まっているなと感じていたんです。

一方で、街中で切る支障木についても、様々な個性を持っているのに活用できていない。処理にかけられる予算が決まっている中で、ただチップ工場に持っていくしかないという状況で、もったいないなと思っていました」(繁田さん)

そこで始まったのが、地元の身近な材料を活用して家具を届けようというプロジェクト「ヨキカグ」。

きこり・製材所・木工工房・家具屋・デザイナー・研究者など、木にまつわる専門家が集結する、木工産地 静岡だからこそ実現したプロジェクトです。

「そこにお声がけいただいて、僕もデザイナーとして協業しています。

身近な地域材を活用しようというプロジェクトで、特に静岡の広葉樹に注目して取り組んでいこうと始まりました。

その中にも色々な理由でやむなく切られている木があり、そのひとつが今回ピックアップした支障木というものになります」(西田さん)

さまざまな専門家の技術と知恵の連携によって、突発的に発生する支障木を用いた商品の中量生産が、徐々に実現できるようになってきました。

iwakaguの工場

「製材所だったり、工房だったり、どこかひとつでも欠けてしまうとそこで木の流れが止まってしまいます。

これだけ各工程の関係者が集まって、ものづくりができるというのは、静岡だからこそで、奇跡に近いと思っています」(繁田さん)

「めんぱ」職人による曲げ木加工

こうして伐採・集積され、製材された支障木をわっぱケースの形にするのは、静岡の伝統工芸品「めんぱ」職人による曲げ木加工。

担当したのはSHIOZAWA漆工所の塩澤佳英さん。静岡県牧之原市に拠点を構え、木材の曲げから漆塗りまでを一人で手掛けています。

SHIOZAWA漆工所 塩澤佳英さん 分業が基本である曲物業界にあって、木を切る以外はすべて自身でこなす。その制作スタイルは、師匠である細田豊氏ゆずり

「静岡に田町っていう職人の街があって、昔は朝から晩まで何かしらの機械の音が響いてたような場所なんですけど。そこで、18歳くらいの時に師匠に弟子入りして、この世界に入りました」 

元々、塩澤さんのご両親が「めんぱ」の弁当箱を愛用していて、塩澤さん自身も小学生の頃から同じものを持たされていたといいます。そこからものづくりに興味を持ち、弁当箱の作者であった師匠の元で「めんぱ」作りを学んだのだそうです。

お湯で材料を柔らかくして、曲げていく
枠に沿って曲げて、固定する。(写真は、普段の檜によるめんぱ作りの様子)

通常、塩澤さんが「めんぱ」の弁当箱などを作る際には、針葉樹である檜を用います。柾目の材料が取れる檜は曲げやすく、加工しやすいのだとか。

一方で、今回使用した支障木はすべて広葉樹。檜と比べると硬く、筋も複雑で、綺麗に曲げることはかなり難しかったと言います。

「広葉樹を曲げることってあまり無いんです。特にこの筒状のやつみたいに綺麗に丸くするというのは珍しいし、面白そうだなと思って取り組みました。

とにかく硬いし、癖があって。それが良さでもあるんですけど、曲げるのは大変でしたね。伸び縮みもかなり発生するので、安定するまで何度も調整する必要がありました。

木の個性がはっきり出ていて、これまで見たことがないというか、かっこいい商品だと思います」

通常の曲物(左)は木ばさみで固定するが、硬くて反発の強い広葉樹は強力な輪ゴムで固定する必要があった
材の選定、木取り・製材、材の厚み調整などをiwakaguで加工後、塩澤さんが本体を曲げる。再びiwakaguの工房で蓋や持ち手を付けて、研磨や仕上げをしていく

プロジェクトを通じて、全国の産地へ良い影響を与えたい

「作ること以外、すべてお願いしたいというか。商品戦略やデザイン、伝えること。自分ができない、得意ではないことの中にも、やりたいことはあって、その辺りを会話しながら確認し合えるので、とても頼りにしています」

岩﨑さんは、西田さんとの関係をそう話します。

「週に一回、岩﨑さんの工場が始業する前に、朝の時間で戦略会議をやるような関係性で、2020年頃から関わらせてもらっています。

iwakaguの主たる仕事であるオーダー家具の営業方法や、店舗・住宅など設計の方々へのコミュニケーション方法など事業の戦略を考えてきました。

また、オリジナル商品については、最初はカタログラインナップの整理やオンラインストアの整備みたいな部分から始まって、見本市への出展だったり、グッドデザイン賞への応募だったりと色々やってきました。

具体的な販売戦略を考えている中で、今回の地産地匠アワードはいいタイミングだったので挑戦することを決めた感じですね」

と、西田さん。二人のように作り手とデザイナーがつながり、そしてその他の専門家やものづくりに関わる人たちも繋がっていく。そこに地域のものづくりが存在感を保ち、継続していくヒントがあるように感じます。

木工産地の専門家同士がつながり、動き始めた支障木の有効活用。岩﨑さんたちは、これからも継続的に商品開発や情報発信を進めていく予定です。

「一つの商品が爆発的に売れるというよりも、この取り組みをきっかけとして木の商品の良さを知ってもらう、興味をもってもらうことが大切かなと。

そのためにも、認知度を上げながらしっかりと継続していくことが重要です。

26歳の時に静岡で工房をスタートさせて、地域の家具職人さんに色々と教えてもらったり、OEMの仕事をいただいたり、環境に恵まれて育ててもらったと思っています。

今まで地域で仕事をさせてもらっていることに対する恩返しというか、何か貢献したい。

支障木という、切らないといけない木を使う。そこに自分の技術や提案を活かすことに、作り手としては使命を感じています」(岩﨑さん)

「支障木を使ったからこそ、こういった価値が出るということを、結果を積み重ねていって認知してもらう。静岡でその活動を続けることで、何か他産地のヒントになれば嬉しいというか。

物が売れることも大切ですが、他の人たち・ものづくりに良い影響を与えられるのであれば、やる価値があるんじゃないかと思っています」(西田さん)

まだまだ全国的には珍しい支障木活用の成功事例を積み重ね、広く伝えていく。そうやって他の産地にも良い波を広げることで、巡り巡って地元の価値も高まっていく。そんな理想を掲げて、岩﨑さん達の活動は続きます。

地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。

<関連する商品>
わっぱのケース平型
わっぱのケース筒型
わっぱのバスケット

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文:白石雄太
写真:阿部高之

【地産地匠アワード】“種”を埋め込んだうつわから、漆の未来が芽吹いていく。会津漆器の弁当箱「めぶく」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。
そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

「地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。2024年の初開催では、4つのものづくりに賞が贈られました。

今まさに日本各地で芽吹きはじめた、4つの新しいものづくりのかたち。この記事ではそのなかから、福島県 会津若松地方でうまれた漆器のお弁当箱「めぶく」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

“漆の種”を埋め込んだ、タイムカプセルのような漆器

「”漆の種”を埋め込んだうつわを作りたい。という構想は数年前から持っていました」

今回のお弁当箱を企画した「漆とロック株式会社」の貝沼さんは、そう振り返ります。

漆とロック株式会社 代表 貝沼航さん

漆や漆器の面白さ、可能性に惚れ込み、会津地方を中心に約20年にも渡ってその魅力を伝え広げる活動を続けてきた貝沼さん。10年ほど前からは原料である樹液を取るための漆の木を育てることにも取り組み、特にこの2年間は「猪苗代漆林計画(いなわしろ・うるしりんけいかく)」という新しいプロジェクトもスタートさせました。

「育てるところから漆の木と対峙してきた時間の中で、改めて、この命をどうやって繋いでいこうかと考えました。

漆の木というのは、人が手をかけてあげないと育たない木で、何もしないと枯れてしまいます。種を植えて、育てて、樹液を採って、また種を植えて。そういう営みを、日本人が縄文時代から繰り返してきたからこそ、漆の木と漆文化が今も残っている。

この先、漆を植えて育てることをやめてしまえば、いずれ漆文化は途絶えてしまいます。でも種さえ残っていれば、遠い未来の人が発掘して、そこから漆を繋いでくれるかもしれない。

それは、あくまでも自然や時間というものに対する遊び心というか、本当にその種が発芽することを期待しているというよりも、種を埋め込むことで、未来に想いを託す。そんなタイムカプセルのようなうつわを作りたいなと思ったんです」

貝沼さん達が植樹を進めている漆林。樹液が採れるまで、約15年が必要。休耕地になっていた土地を利用し、綺麗に整備することで、集落の獣害対策も兼ねた取り組みにできないかと挑戦している

「信玄弁当」をモチーフにした三段重ねの便利な弁当箱

縄文時代の遺跡から非常にきれいな状態の漆器が出土するほど、漆の保護力は優秀です。その保護力、そして未来へ漆をつなぐための種をタイムカプセルに見立てて、うつわ作りがスタートしていきます。

“漆の種を埋め込んだうつわ”。その実現のために貝沼さんは、猪苗代町在住の塗師 平井岳さんに声を掛けました。

塗師であり、漆掻き職人でもある平井岳さん

「最初はびっくりしました。種を埋めたうつわなんて、一度も作ったことないよって(笑)。

でも、未来へ漆をつないでいくストーリーは凄く面白いし、実現できれば確かにいい。種が綺麗に見えるように塗り方も色々と試行錯誤したりして、なんとか使っていただけるものが作れたのかなと。楽しかったですね」

と、平井さんは笑いながら話します。

「この商品の意図するところ、真意をくみ取って作ってくれるのは、平井さんしかいないと思ったんです。漆塗りの職人でありながら、自分で漆自体を採る漆掻きの職人でもある珍しいタイプの作り手さんで、漆林を作る活動でもご一緒しています」(貝沼さん)

漆掻きの様子。自ら漆を採取する職人は多くない

通常、漆器の仕事は分業制で、木を育てる人、漆を採る人、塗る人がそれぞれ分かれていることが一般的です。特に木を育てるのは、昭和の頃までは、山を持っている人や農家さんが副業的に自分の土地に漆を植えて育てるということをやっていましたが、今はほとんどそういう方が居なくなってしまいました。そのようなこともあり、国産漆の供給は危機的な状況にあり、分業だからと言って何もしなければ、いずれ枯渇してしまいます。

既に、国内流通している漆の大部分は海外産。海外の漆がダメなわけではありませんが、あまりに頼り過ぎていると、万が一供給が止まった時に立ち行かなくなってしまう怖さもありました。

「会津地方はもともと江戸時代には百万本くらい漆の木があった漆液の産地でしたが、今はすごく少なくなっていて、毎年、どこかに漆の木が残っていないかと山の中を探し回って、どうにか漆掻きをしています。なので、いつかは自分で木を植えないとなと思っていて、貝沼さんと出会って、ようやく始められたという感じです。

それと最近、『漆を採ってみたい』という若い人たちが増えてきています。それはすごく嬉しいし、『一緒に福島で頑張ろう!』と答えたいのに肝心の漆の木が無くて、このままだと資源の取り合いみたいなことになってしまう。

自分たちで木を育てて資源を増やせられれば、そういった若い人たちも招き入れられるし、僕も次世代に技術を継承していける。そんな想いは強く持っていますね」(平井さん)

「今回は、お弁当箱のデザインも平井さんと一緒に行いました。

何度か改良を重ねて、洗いやすいように内側の形状を工夫したり、コンパクトにしつつ容量もたっぷり入るようにしたり、純粋に使い勝手もいいものが出来たのかなって思います。
何より、平井さんの木地呂塗(きじろぬり)が本当に綺麗ですよね。モチーフにしたもともとの信玄弁当と比べると、どこか愛らしい、現代に馴染む形になっています」(貝沼さん)

「最初はお椀を作る予定でしたよね。

でも、漆林が成長していく過程を色々な人たちが見守る中で、たとえば皆で集まって食べられるうつわがいいよねっていう話になり、お弁当箱になって。

信玄弁当にすれば、ご飯とおかずと、汁物も楽しめるし、今回のポイントである種も上から見える。

後は、このお弁当箱を持って皆でピクニックに来た時にこんな形であれば可愛いなとか、こんなご飯が食べられれば皆満足してくれるかなとか、そんなことをイメージして作りました」(平井さん)

味噌玉などを作っておいて現地でお湯を沸かして汁を入れれば、ご飯におかずにお汁、一汁一菜のお弁当が楽しめる
砥石や紙やすりを用いて、前回漆を塗った際に入った細かな埃やごみを削っていく
塗りの工程。今回は木目が綺麗に見えることと強度とのバランスを考えて、三回塗り重ねて仕上げている
高台部分の塗りが特に難しいとのこと。漆の種は、漆と小麦を混ぜて作ったパテのようなものに埋めて接着している
漆は湿度によって状態が変化する。想定した仕上がりになるように漆の状態を整えることが、塗ることよりも大変で難しい
湿度と時間で漆の状態がどう変化するのか細かく管理して調整していく

漆器との関係性、長い時間をデザインする

そうして生まれた「めぶく」のお弁当箱。

この、未来への想いが込められた漆器をどんな風に世の中に伝えていくのか。購入してくれた人たちとどんなコミュニケーションを取っていけばよいのか。貝沼さんはそんな問いを抱えていました。

「このお弁当箱をこれから迎えてくださる方たちのことを、お客様というよりむしろ仲間だという風に考えていて。

その仲間たちとどういう風に長い関係性を築いていくのか。時には修理をしたりしながら大切に弁当箱が使われて、最終的には土に還るまでの長い時間のデザインをどう考えていけばいいのか。

その探求だったり、コミュニケーションデザインのようなことだったりを一緒にやってくれる人はいないかなと思っていて、佐藤さんにお願いをしました。

基本はデザイナーさんなんですけど、手を動かすというよりは、人と人の関係とか、世界観を考えるというところを一緒に歩んで下さる。そこが一番魅力的な方だなと思っています」(貝沼さん)

Helvetica Design 佐藤 哲也さん

「嬉しい(笑)。貝沼さんとは2019年頃に、福島県の観光の仕事で取材をさせてもらってからの付き合いになります。

今回、僕はデザイナーとして参加はしているものの、なるべくならデザインしない方がいいと思っているんです。

このお弁当箱のプロジェクトは、今の時代に漆がどうあるべきか、暮らしと漆の距離感はどうなっていくのか、そんなことを考え直すきっかけになると思っていて。

その時に、例えば貝沼さんが漆に惹かれたことや、平井さんが自分で漆を採るようになったこと、そういう自然に生まれてきたことを捻じ曲げたり誇張したりせずに、その等身大がより良く見える状態を考えたい。そんなところにデザインがあった方がいいと思っています。

なので、なるべくならデザインしないで、あまり余計なものを付加しないスタンスで関わりたいなと」

平井さんと貝沼さんのありのままの姿を伝えたいという佐藤さん

実際の商品の形や、機能性といったデザインももちろん大切ですが、それ以上に、使う側の受け取り方、心の在り方をどうやってデザインするのか。

佐藤さんが加わったことで、丁寧に対話を重ねながらその部分の考えを深めていくことができたといいます。

「なんていうか、すごく自我の無いデザイナーさんだなというか。本当に暖かく見守っていただいてますよね。

その上で、本質的なものをきちんと伝えて、世界を作っていくためのデザインを一緒に考えていただける方だと思っています」(貝沼さん)

「それ自体を良いと思えるような社会にしていけるかどうか、というのが、残っていける最大の秘訣です。

漆自体が必要とされれば、作る人も増えてくるし、相談事も増えてくる。そういう風に循環のベクトルを変えるというか、そこにタッチしないといけない。

今、生活の一番の課題は時間がないことだと思っています。時短で便利なものが良しとされている時代に、時間が作れるようにどうやってライフスタイルを過ごしていくのか。そういった視点があると、漆を使う機会も手にすることができるのかなと。

僕自身も、漆器の弁当箱を十分に扱うために、例えばなるべく仕事の時間を減らすとか、人との時間と自分の時間のバランスを調整することが必要だと感じています。それが豊かさにも通じてくるのかなと思って、そこを目指しながら漆を使っていきたいと考えています」(佐藤さん)

そんな中、一つの伝え方の手段として今回の地産地匠アワードへの挑戦を決めたのも、佐藤さんのアドバイスがきっかけだったのだとか。

「このお弁当箱のプロジェクトには、縄文時代から続く漆文化をどうやって未来に受け渡していくのか、それをみんなで考えていきたいということがベースにあります。

なので、自分たちだけでやるんじゃなくて、同じ想いを持ってくださるパートナーを見つけて、一緒により多くの方や社会の中に広げていくのが大事だよねと佐藤さんと話していて、今回のアワードの話もその流れで教えてもらいました。

自分たちだけではできないことも含めて、大きな流れにしていけそうだなと思い、応募を決めました」(貝沼さん)

「後は、アワードだと発見される入口が違うのかなと思っています。どこかのお店に置かれているものを目にして、好き嫌いを判断されるというのではなく、僕たちの考え方や活動をまず発見してもらえるのであれば、すごく意味があることかなと思って、貝沼さんを誘いました。

結果、審査会に向けて急ピッチで色々と進めて、プロジェクトが前に進んだのは良かったですよね」(佐藤さん)

想いに共感したコミュニティが、漆を守り続ける土台になる

漆を未来へつなぐ、タイムカプセルのようなお弁当箱が、いよいよ世の中に送り出されます。

「細部のディテールがすごく仕上がっていて、素地でも可愛い」

と佐藤さんが言うように、その愛らしいデザインは、現代の暮らしにもすっと馴染んでくれるはず。

素地の製作は平井さんと同じ30代の木地職人、畑尾勘太氏が担当している

「漆器って、気軽に触っちゃいけないイメージが強いのかなって思うんですが、そんなことはないので、ぜひ手に取ってもらいたい。

持った時の馴染みやすさや漆の質感を大事にしているので、それを感じていただけると嬉しいです」

このお弁当箱をきっかけに、漆器の魅力に気づく人が増えてほしいと、平井さんは期待を寄せています。

商品が出来て終わりではなく、購入されて終わりでもない。そこから、貝沼さん達の想いに触れて共感した仲間たちとの関係が始まり、それぞれの人と漆との関係も始まっていきます。

「このお弁当箱を皆さんが迎えてくださってからの時間も本当に楽しみなんです。

使っていただいている皆さんで会津に集まれるような機会を作っていきたいと思います。漆の植樹祭イベントをやってみたり。秋にはお弁当箱を持って集まって、漆林の活動を一緒に取り組んでいる地域の農家さんのお米でご飯を食べたり。
はたまた平井さんの工房や漆掻きの様子を見ていただくツアーや製作体験のワークショップとか。会津や漆をさらに知って、楽しんでいただけるといいなと思っています」(貝沼さん)

お弁当箱の売上の一部は「猪苗代漆林計画」の植栽活動にも活用されます。貝沼さん達の計画では、毎年100本ずつ植樹をおこなっていき、将来的には数千本規模の漆林を育てることを目指しているとのこと。

「この漆林があるからこそお弁当箱もつながっていく、このお弁当箱があるから漆林も大きくなっていく。そういう循環がこれから始まり、長く続いていくことを目指しています。
このお弁当箱を持っているということが、漆を残していく仲間の証になる。その仲間たちと僕らがこれからつながっていくことで、コミュニティが生まれていく。そのこと自体が、漆を守っていける確かさになる。そんな風に考えています」(貝沼さん)

地産地匠アワードとは:
「地産地匠」= 地元生産 × 地元意匠。地域に根ざすメーカーとデザイナーがつくる、新たなプロダクトを募集するアワードです。

<関連する商品>
めぶく弁当

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文:白石雄太
写真:阿部高之

【はたらくをはなそう】中川政七商店 妻沼 結子

妻沼 結子
中川政七商店 渋谷店

2021年 中川政七商店 渋谷店 店舗スタッフとしてアルバイト入社
2022年 中川政七商店 渋谷店 エキスパート



「中川政七商店のファンを増やすこと」
それを一番に考えて私はお店に立っています。 

中川政七商店を知ったのは、前職の旅行会社で働いていた頃。陶芸体験ツアーなどを担当し、うつわに興味のあった私は、店頭の素敵なうつわやスタッフさんの穏やかな雰囲気に魅了され、すっかりファンになってしまいました。

どんな会社なんだろう?と調べてみて、衰退する工芸業界を盛り上げる志を持った会社なんだということを知り、自分もその一員になりたいと応募を決めました。

今では旗艦店である渋谷店で売場の一角のリーダーを任され、店長やスタッフの皆さんと話し合いながら「また来たい」と思ってもらえるようなお店づくりに励んでいます。

接客をしていてやりがいを感じるのは、「工芸を生活に取り入れてみよう」とお客様に思っていただけたとき。

これまでうつわ選びにこだわりのなかった若いお客さまが当店で琴線に触れるものと出会い、「これから料理が楽しくなりそうです」と笑顔で帰られたときは、とても嬉しかったです。

中川政七商店のファンを増やすことは、工芸のファンを増やすこと。
当店をきっかけにうつわに興味を持ったお客さまが、現地の陶器市へ行ってみたり、工房で陶芸体験をしてみたり。
そうして地域が潤っていったなら、こんなにやりがいのある仕事はありません。

余談ですが、現在妊娠中のわたしはこれから産休・育休を控えています。
安定しない体調の中で働きやすい環境を整えてくれたり、産後は時短勤務ができたり、子育てをしながら店長になる人もいるとのことで、産後のキャリアについても真摯に向き合ってくれていると感じています。

育休明けの自分がどんな心境か全く想像がつきませんが、少なくとも今のわたしは長くこの仕事を続けたいと思っています。

そしてこれからも中川政七商店のファンを増やし、日本の工芸を元気にしてゆきたいです。

<愛用している商品>

食洗器で洗える漆椀 大
特別なお手入れが必要ないので、初めての漆器におすすめです。サイズは4種類ありますが、「大」は具だくさんの豚汁やミニ海鮮丼をよそうのに丁度よいサイズ感で、日々の食卓を素敵に彩ってくれます。

たっつけパンツ
ここまで腰回りがゆったりで動きやすいパンツにはなかなか出会えないと思います。綿麻素材なので春・夏・秋の3シーズンはもちろん、タイツを履けば冬にも活躍します。

天然毛のヘアブラシ ブナ
猪の毛で作られており、水分と油分が髪にツヤを与えてくれます。静電気が起きにくいのもおすすめポイントで、朝起きてパサパサになった髪もこのブラシでとかすとさらさらにまとまります。もう手放せません!

“しっくりくるお茶”ってなんだろう。お茶の愉しみを広げるワークショップレポート

お気に入りの場所でくつろぎながらお茶を飲む。家族や友人と机を囲み、お茶を淹れ合って過ごす。

お茶の時間は、かしこまった準備や工夫が無くても成立する、とても自由で大らかなものです。

ただ、時には一歩踏み込んで、自分の好きなお茶、好みの茶器といったものに想いを馳せてみると、その時間がより一層、素敵なものになるかもしれません。

先日、そんなお茶の愉しみ方を一段掘り下げるワークショップが開催されました。

講師は、奈良県で「自然栽培」のお茶づくりをおこなっている健一自然農園の伊川健一さん。お好みの湯呑選び、番茶の飲み比べ、そして自分だけのオリジナル番茶づくりまで。お茶の新たな魅力に触れるワークショップの内容をレポートします。

※本ワークショップは、阪急うめだ本店9F祝祭広場で開催の「6日間限りの家政学校 by 中川政七商店」の中でも、11/11(月)に実施予定です。ご予約の詳細はこちらからご覧ください。

気分や味わいを左右する、茶器選び

健一自然農園 伊川健一さん

「お茶は加工方法や飲み方によって千変万化するもので、その愉しみ方も本当に様々です。その中で今日お伝えするのは、“お番茶の愉しみ方”。

産地も形も大きさも違う、個性あふれる9種類の湯呑を用意したので、お好みのものを選んでください。その湯呑でお番茶を飲み比べていただきます」

そんな伊川さんの案内から始まったワークショップ。まずは番茶を味わうための湯呑選びを通じて、自分の感覚に向き合っていきます。

用意された9種類の湯呑。中川政七商店から10月に新発売されたもの
色や形、サイズもさまざま

「色や形などの見た目、手に持った時の感覚など、なんとなくしっくりくるなというものを、ぜひ直観で選んでみて下さい」

そうは言っても、個性豊かな湯呑に目移りしてしまい、なかなか選びきれない参加者の方々。伊川さんがそれぞれの湯呑について解説しつつ、選び方をサポートしていきます。

一つずつ手に取りながら、今日の自分に合った湯呑を選んでいく

「たとえば、少し『ほっこりしたい』という時は、手ですっと包み込めるサイズの、このあたりがおすすめです。この高台がついているものはやや高貴な印象があるというか、逆に『凛としたい』時にいいかもしれません。

これなんかは面白い形で、なにか面白いことや発想を引き出してくれそうですよね」

と、湯呑の違いで心持ちにも影響が出るという話に皆さん興味津々。

さらに、「香りを感じやすいのは、筒形のもの。真上に香りが上がってきます。色味をしっかり見たいときは、下地が白のものが良さそうです」という風に五感への影響も聞いて、本命の湯呑を絞り込んでいきます。

それぞれの湯呑に特徴があり、あれこれ考えて選ぶだけでも楽しくなってくる

自分に“しっくりくる”お茶を見つける「自分番茶探し」

湯呑を選び終えた後は、番茶の飲み比べ。土瓶で淹れた4種類の番茶を味わって、自分に“しっくりくる”お茶はどんなものなのかを探していきます。

「しっくりくるお茶って、日々変わるもので、時間や体調によっても変化します。

今日は、少し集中してお茶と向き合っていただいて、今のご自分に合うお茶というものがなんなのか、問いかけていただければと思います」

直火にかけられる土瓶でお茶を淹れ、南部鉄器のウォーマーで保温。時間が経っても渋くなり過ぎず、長く楽しめるのも番茶ならでは
番茶を飲む前に、瞑想などでも使われる「ティンシャ」という道具を鳴らす趣向。目を閉じて音だけに集中して深呼吸をすると、余計な情報が遮断され、お茶と向き合う準備が整う

今回飲み比べをしたのは、青柳番茶・ほうじ番茶・天日干し番茶・茶の木番茶という4種類。

それぞれの番茶を飲んだ後でどんな気持ちになったか、「美味しい!」という体への浸み込み具合はどうだったか、一杯ずつメモを取りながら自分の気持ちや感覚を整理していきます。

どう感じたかをメモしながら、しっくりくるお茶を探していく

「最初の青柳番茶は秋に摘まれる葉っぱで作ったもので、今日の中では唯一焙煎していないお茶です。緑の風味が強く感じられるかもしれません」

ーー「最初はすっと爽やかな感じで、でも段々と甘くなってきました。なんとなく夏っぽい気もして、秋に摘まれたと聞いて意外な気もします」

「ほうじ番茶は梅雨の頃に葉っぱを摘みます。製茶方法は途中まで青柳番茶と同じで、最後に焙煎して仕上げています」

ーー「美味しいです!なんとなくミルクのような甘さも感じる気がします」

ーー「青柳はすっきりした気持ちになって、これは落ち着くというか、飲んだ後の気分が全然違います」

「茶の木番茶はお茶の木そのものを召し上がっていただいているようなお茶です。3年以上かけて育った茶の木を収穫して、結構太い枝や幹も全部、薪の火で焙煎しています。そこに、玄米や黒豆といった穀物をブレンドしました」

ーー「すごく懐かしい、祖母の家に帰った時の感覚というか。ウエハースのような甘さも感じます。一番深く向き合えたというか、浸み込んできたと思いました」

ーー「私も懐かしくて、毎日飲みたいです。でも、一番癒されたのはほうじ番茶かもしれません」

お茶を飲み、感じたことを言葉にしていく参加者の皆さん。番茶の違いに驚きながら、自分の感覚と向き合っていきます。

好きなお茶と、今の気分で飲みたいお茶が異なっていたり、お茶の味と自分の状態に対する解像度が上がっていく様子が印象的でした。

集中して番茶を味わう
体が求めているお茶を飲むと、すーっと浸み込んでくる感覚がある
すっきりとした「青柳番茶」を午前中、リラックスしたい夜の時間に「茶の木番茶」というように、時間帯で飲み分けるのもおススメだと話す伊川さん

自分だけの「フレーバー番茶作り」

最後は、用意された奈良県由来の香りをブレンドし、自分だけのフレーバー番茶を作るプログラム。プレーンな状態の茶の木番茶に、好みの香りをブレンドしていきます。

用意されたフレーバーは、「ごぼう」「柿の葉」「トゥルシー」「橘」の4種類。すべて奈良で栽培し、加工されたもの
香りや見た目の好みで選んでいく。どのくらいの量を配合するのかも悩みどころ

「基本は一種類ですが、二種類くらいブレンドしても大丈夫です。

トゥルシ―は鮮烈な香りで、癒し効果があるとされています。ごぼうは有機栽培の夏ごぼうを使っていて、お味噌汁に入れたいくらいですね(笑)。

香りづけとしてはごぼうを入れつつ、見た目のあしらいで橘を少し入れる、というのもいいのかなと」

ここまで、番茶の飲み比べを通じて自分の好みや今の状態を確認してきた参加者の方々。4つのフレーバーに悩みつつも、自分が好きな香りはこれだと思う、とワークショップ開始時よりも少し自信に満ちた表情で選んでいきます。

互いに作ったお茶の香りを嗅ぎ合って違いを愉しんだり、お茶がある空間の安心感から、参加者同士も打ち解けた様子が見られました。

彩りも美しい、オリジナルフレーバー番茶
お茶の名前を命名し、茶缶に入れて完成

オリジナル番茶が完成し、いよいよワークショップも終わりの時間へ。

お茶請けのお菓子をいただきながら、お気に入りの番茶をおかわりしつつ、和やかな雰囲気で雑談を交わします。約2時間のワークショップで、お茶を注ぎ合いながら過ごした時間は終始、大らかなものでした。

自分の好みや感覚を見つめることで、お茶を愉しむ時間がさらに豊かになる体験をした参加者の方々。皆さんもぜひ普段の暮らしの中で、少しだけ深く自分のことを見つめ、お茶やお茶の道具に触れてみてほしいと思います。

もっともっとお茶を好きになってくれたら、茶園にも遊びに来てほしいと伊川さんは目を輝かせます。

「お茶って、まず植物を育てる農業の部分があって、加工は職人的というか工芸的な部分で、最後の淹れ方・飲み方のところでは料理の要素もある。

複雑な要素が一体になっているのがお茶なので、いくらやっても奥行きがあって、本当に面白いです。

ぜひ茶園にもお越しいただいて、お茶に関わるもっとたくさんのことを経験していただく機会があれば素敵だなと思います」

文:白石雄太
写真:奥山晴日

※本ワークショップは、阪急うめだ本店9F祝祭広場で開催の「6日間限りの家政学校 by 中川政七商店」の中でも、11/11(月)に実施予定です。ご予約の詳細はこちらからご覧ください。

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小さな人形に込められた技術と想い……埼玉 津田人形の衣裳着雛作り

怪我や病気から守られますように。

幸せな人生を送れますように。

雛人形は、子どものすこやかな成長を願って飾られます。

できればそれは、親から子への想いを紡ぐ媒介として、時代を超えて愛される、いつまでも飾りたくなるものであってほしい。

そんなことを考えて生まれた、「草木染めの衣裳着雛飾り」。

染織ブランド アトリエシムラで染めた草木染の裂(きれ)を用いて衣裳着(いしょうぎ)雛人形を仕立てたのは、江戸節句人形の作り手、「蓬生 津田人形」。

埼玉 川越にある津田人形の工房を訪ねて、人形の制作工程やものづくりについて伺いました。

※「草木染めの衣裳着雛飾り」先行ご予約会はこちら

一枚の裂から着物を作り上げる。衣裳着人形づくりの裏側

人形の土台に彫りこまれた溝(木目)に布を入れ込んでいき、人形のかたちに沿って衣裳を貼り重ねていく「木目込み人形」。それに対して「衣裳着人形」は、縫製した着物を、本当に人間が着るように人形の胴体に着付けて作るお雛様です。

「最初に寸法を取って裁断してね、縫製して、着せてみて、おかしな部分があれば寸法を調整する。そんな試作を何回も繰り返して、イメージ通りのお人形に仕上げていくんです」

そんな風に話してくれたのは、津田人形の二代目 津田有三さん。同じく人形師だったお父様(初代 津田蓬生)の手伝いからこの世界に入り、60年以上も人形作りに携わってきました。

津田有三さん(二代目 津田蓬生)
和紙で作る型紙。新しい人形を作る際には、一から寸法を割り出して、調整しながら作成していく。小さなお人形を作るために、非常に多くのパーツが必要

まずは着物に必要なパーツを割り出し、型紙を作成。次に「袋貼り」と呼ばれる方法で紙の四辺にのり付けをして、裂に貼り付けていきます。

「全体をのり付けすると、人形がこわばっちゃうんでね。特に今回の裂は絹の紬ですよね。それを活かすために、自然なシワが出る方がいいので、うちではこのやり方で貼っています」(有三さん)

型紙の四辺に、木の板のような道具で丁寧にのり付けをして、裂に貼っていく「袋貼り」
できるだけ裂が無駄にならないように。かつ、衣裳にした時にグラデーションや模様がきちんと見えるように、この段階で計算して貼り付けていく。長年の経験のなせる技
よどみない手つきで、すーっと裁断していく

裁断が終わると、裂に裏地をつけていき、そしてミシンで縫製して着物に仕上げていく工程へ。

数多くのパーツを、人形に着せたときの色柄の向き、体とのバランスなども考慮に入れながら縫製していきますが、その設計図は有三さんの頭の中にのみ存在します。

小さい人形の着物、襟の部分が特に難しい
いくつものパーツを縫製し、男雛の衣裳が仕上がっていきます

衣裳着雛の常識にはない、「次郎左衛門」をベースにした手描きの顔

雛人形のお顔ですが、木目込み人形であれば手書き、衣裳着人形の場合にはガラスの入れ目、というのが一般的になっています。

ただ、今回中川政七商店が実現したかったのは、写実的な印象が強いガラス目のタイプではなく、もう少し柔らかで、素朴な表情のお雛様。

そこで、衣裳着人形ではあるものの手描きのお顔での制作を検討し、中でも「次郎左衛門(じろうざえもん)」と呼ばれる、元禄時代に考案されたお雛様のお顔をベースにすることを決めました。

丸っこい輪郭に、細い筆で目や口を描き入れて作られる、柔らかな表情が印象的なお顔です。

頭(カシラ)と呼ばれる人形の頭部に関しては、衣裳づくりとは別に専門の職人さんが存在します。今回、その制作を担当してくれたのは、人形づくりの産地 岩槻にある大生人形。

「カシラのことならなんでもできるように、体制を整えています」

と、大生人形の代表で、自身も伝統工芸士として頭づくりに携わる大豆生田さんは話します。

大生人形 大豆生田 博さん(雅号:大生峰山)

大生人形は元々、手描きではなくガラスなどの入れ目の頭を得意としていた工房でした。しかし、産地である岩槻の中でも、手描きができる職人がどんどん少なくなっていき、このままではいずれ作れる人がいなくなってしまうという状況に。

そこで大豆生田さんは、専門の職人から技術を学び、自社でも手描きのカシラを手がけられる体制を整えました。

薄い墨を少しずつ、塗り重ねて顔を描き入れていく。それによってグラデーションが出て綺麗に仕上がるとのこと

「次郎左衛門をベースにしつつ、さらに表情が柔らかいお顔になっているかなと思います。

柔らかい眉毛にしようか、少しきつめにしようか、とフリーハンドで調整していくので、小さいお顔は特に難しいですね」

一つひとつ手描きで仕上げられ、まったく同じ顔は二つとありません
現在は石膏製のカシラが主流。かつては桐塑(とうそ:桐の粉と糊を練り合わせたもの)のカシラが主流だった

「頭(かしら)づくりは、その中でもさらに分業になっていて、たとえば私は人形の化粧を担当しますし、妻は結髪といって髪を結い上げる工程をやってくれています」

頭のくぼみの部分に絹でできた髪の毛を埋めていく
本当に人間の髪の毛を結っているかのよう

結髪を担当する大豆生田さんの奥様は元々美容師をされていて、その経験から、結髪の職人としての技術も高いのだとか。

「こんな人形を作りたい」と、昔ながらの髪型の要望を受けた場合には、古い写真などを見ながら試行錯誤して再現することもあるのだそうです。

大生人形ではカシラ作りの技術をつないでいくために、職人の雇用と育成を進めています。また、先達の技術や知見をきちんと受け継いでいくと共に、CGソフトや3Dプリンターなどデジタル技術への対応も進めてきました。

「昔の技法と、最新のテクノロジーと。色々なことをやれるようにしておいて、その上で使い分けていきたいと思っています」

自ら3DプリンターやCGソフトの操作を習得したという大豆生田さん。「カシラのことはすべてできるように」その真摯な姿勢に、津田人形さんたち人形屋さんからも信頼が寄せられています

模様の位置、腕の角度、佇まい。あらゆることに注意を払う着付けの工程

舞台は再び津田人形の工房へ戻り、いよいよ人形に衣裳を着せる工程へと進みます。今回、着付けを担当するのは、縫製して衣裳を作った有三さんのご子息で、三代目 蓬生である津田周一さんです。

津田周一さん(三代目 津田蓬生)

「お人形はご覧の通りもの凄く小さいので、たとえば着物のグラデーションなんかも長さにすればほんの僅かに入っているだけだったりします。

それがきちんと綺麗に見えるように、先ほど父がやったように縫製をして、着せる時もそれを意識して丁寧に着せていきます」

人に着せるように着付けるとはいっても、サイズが小さい分、少しのズレで印象がガラッと変わってしまいます。

「ここが気になるなぁ、ちょっとここを調整してみよう」

そう言いながら何度も微調整を繰り返し、少しずつ少しずつ着物を重ねていきます。

桐の木でできた胴体に、糊や釘を用いて着物を留めながら着せていく。藁の束で胴体を作る場合もあるが、雛人形の場合、着物の枚数が多く、しっかり留める必要があるので桐の木の方がやりやすいとのこと
縫製の時と同じく、襟の部分を美しく仕上げることは非常に難しく技量を要する。少しのズレも許されない

「今回のお雛様はしっかり重ねが入っています。小さなお人形にこれだけ別々の生地を重ねて着せているので、伝統的な衣裳の着せ方に基づきつつ、中に入れる綿の量を調整して分厚くなり過ぎないように仕上げたり、色々と工夫しています」(周一さん)

腕の向きなど、何度も微調整して姿勢を決めていく
頭(かしら)は接着せず、中に詰めてあるい草に差し込んで固定する
有三さん曰く、「着せてはじめて人形の衣裳が分かる」とのこと

着物の模様の見せ方だけではなく、ぴったり着せるのか、少しゆとりを持たせるのか。そんな事も考えながら着付けていきます。

常に新しいものを作り続ける、津田人形のDNA

今回のように新しい人形を作る際、完成形のイメージやサイズを聞いてから、実際の人間の体を基準に計算して、寸法を割り出していくのが津田人形のやり方。

「うちの場合、人間の身体ありきで計算して、寸法を割り出していきます。なので、人間が取れるポーズのお人形は、大体どんなものでも作れるんです」

と、周一さんは話します。

効率や速さを求める場合、決まった型紙で同様の人形を作り続ける方が理にかなっています。

そうではなく、いわばフリーハンド的に、寸法の割り出しからおこなう津田人形のスタイルは、有三さんのお父様、初代 津田蓬生から受け継がれているものなのだとか。

「うちの父は関西の人形屋の息子なんです。早くに両親を亡くしてしまったので東京に出てきて、そこで蓬玉(ほうぎょく)さんという方に弟子入りして、筋が良かったので蓬生(ほうせい)という屋号をいただいて独立します。

東京が焼け野原になってしまったので、疎開先を経て埼玉に工房を構えました。

師匠の蓬玉さんもとても器用な方で、創作人形的なものも含めてありとあらゆるものを作っていて、父もその流れを受け継いだんですよね」(有三さん)

「それに加えて、祖父は自分でもっと勉強しなければと思ったらしく、当時上野界隈にいた彫刻家や画家の人たちのもとにも通っていたらしいんです。

それが他の人形師とは違う、ユニークな基礎を作り上げたのかなと。おかげで私たちも今、なんでも作るスタイルでやれているのかなと思います。

祖父も父も、本当に色々なものに興味を持つんですよね。たとえば黒澤映画なんかを観て、『あの奇抜な見た目の武者を作ってみようか』なんてことがよくありました」(周一さん)

そんな津田さん達だからこそ、「こんなものできませんか?」と様々な人形の依頼が日々舞い込んできます。

60年を超えるキャリアを持つ有三さん。まだまだ人形作りへの情熱は衰えていません。

「ある頭(かしら)を見て、この顔にはどんな人形が合うかな、なんて考えて。浮世絵風の顔ならそのようにしてみようかって、息子に相談したりして。時代に合わないよって言われることもあるけど、やっぱり作りたいものを作る。その喜びが無いと。

そして作った人形を皆さんに見ていただいて。そういうのが楽しいですよね。

職人って、決まったものを作ることが多いと思うんだけど、私の場合は違うものを作ってみたいというのがあって。今回も、次郎左衛門の顔で作りたいって聞いて、変わってるなぁと思ったけど(笑)、嬉しかったですね」(有三さん)

そんな有三さんの気概を、周一さんもしっかりと受け継いでいます。

「僕も、なるべく色々なものをやって、技術や経験を蓄積していくのがいいかなと思っています。

この業界も、不況というのもありますが、変化しているタイミングですし、昔と違ってどこにお客さんがいるのか分からない。今回のお話をいただいたように、新しいものを作るチャンスがあるなら、どんどんチャレンジしていきたいと思います」

好奇心にあふれ、新たな挑戦を厭わない二人。その話を聞いているだけで、こちらも前向きな気持ちになることができました。

代々受け継がれてきた人形作りの技術と知恵、そして新しいことに挑戦する姿勢を糧に、津田人形のものづくりはこれからも続きます。

文:白石雄太
写真:奥山晴日

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