三十の手習い「茶道編」三、真剣って何ですか?

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇真剣って何ですか?

12月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室3回目。「ゆきごろも」というお干菓子をいただきながら、まずは前回までのおさらいから始まります。

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「お辞儀のお話をしましたね。『お辞儀には心がこもっているのが大事だ』と言いますが、気持ちがあればそれが必ず伝わるというのは、嘘です。やはり、適切な言葉の使い方や必要とされるスキルはある、ということをお伝えしたかったんですね。

劇的にお辞儀をきれいにしようと思ったら、いちばん深く下げたところで1拍止めることです。その技術が備わると、わずか2秒の間に『ありがとうございました』とか『お気をつけて』とか、そういう思いを乗せていくことができる。言葉にならない雰囲気をそこに漂わせることになるんです。

もうひとつは扇子をお見せして、身の回りのちょっとした道具ひとつを選ぶ、考えるということからいろいろと変わってくる、ということをお伝えしたかった。ひいてはそれがお茶でもっとも大事なことにつながっていくのですね。

今日は、ものを扱うことに、真剣味が大事、という話をします。真剣ってなんですか?」

「真摯に、ものごとに取り組む…」

教室内からの応答に、宗慎先生が重ねて問います。

「もっと具体的に。真剣ってなんですか?」

具体的にとなると、つまり…

「切れる刀ですね。迂闊に扱うと手が切れる刀です。茶道具の世界では昔からいい道具を褒める時『手の切れそうな』という褒め方をするんです。あだや疎かに扱うと手が切れてしまいそうなぐらい出来のいい、繊細なものがこれほど長い時間残されているというのが、こわいと思うこと。畏れ敬うという言葉は、『畏れ』と『敬う』というふたつセットになっているのが素晴らしいと思います。ものを敬うということは、いい意味での畏れがないとダメなんです。道具を扱うときに、真剣味を帯びるということは」

と手に取られたのは、柄杓。

「柄杓を『構える』、と言います。柄杓を構えるときに、『刀を持つようにこれを扱え』と言うんです。というわけで、今日は」

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宗慎先生が後ろから取り出されたものに、教室がどよめきました。畳の上に置かれたのは、数種類の日本刀。

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「お茶の稽古で刀を繰り出すとは思っていなかったでしょう。僕はお茶を習う前から刀が好きで、子供の頃から触れていたんです。柄杓を『刀を持つように』と言っても、全然みんなそのように持ちません。それをどうして、と思ったときに『そうか、この人たちは人生の中で刀を持った記憶がないから、刀を持つようにと言われても意味がわからないんだ』と、はと気がついて。それで本物の刀を手に取らせるしかないと思ったわけです」

思ってもみない展開に一同驚きながら、初めて間近に見る刀ひとつひとつの解説に、耳を傾けます。

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「これは江戸時代の初期のものです。葵の御紋が入れてあるでしょう。越前守康継(やすつぐ)、徳川家の御用達の刀鍛冶として認められた刀鍛冶が作った刀です」

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刀を納める鞘には付属の小道具が付いています。この突起のついた道具はなんと、耳かき。取り出すと、反対側は髪をなでつけるための「こうがい」になっています。

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カンザシ(笄)と書いて「こうがい」と読むそうです。花魁の頭をきらびやかに飾っているのも笄です。あれはもともと、耳かきだったのですね。

「先ほどの刀は江戸城に行くときに持っていく刀なので非常にユニフォーム化されています。一方これは『三斎拵(さんさいごしらえ)』と言って、利休に師事した茶人であり武将の細川三斎(細川忠興)好みの小刀。桐の家紋がついています。桃山の武将たちが、自分たちの好みでこしらえていたものなのでよりおしゃれですね」

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「これは今でいうコラボ商品なんです。メインの刀鍛冶に対して、横にいる人がお手伝いの槌を振るう。『相槌を打つ』と言うでしょう。その語源になったものです。合作の刀は完成してから、先輩の名を表に、自分の名前を裏に切ります。刃を左に向けた時が表なので、そこに名前がある人が主槌(おもづち)を打って、刃を裏にした時に書いてある名前の人が相槌を打ったんです」

次第に湧いてくる好奇心でお茶室内が明るい空気になります。すると一振りの刀を、宗慎先生が手に取りました。

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お茶室がシン、となります。

「抜き払うだけで空気が変わるでしょう。どんなに美しくとも人殺しの道具ですから。時代劇みたいに大げさに振りかぶる必要はなくて、首筋に刃がすっと当たったら決着がつきます。勝負はだいたい一瞬です。本来は距離感と、どこに当てて致命傷を与えるかということが肝心なんです。指一本でいいんですよ。利き腕の指一本に傷を入れるだけで、刀を持てなくなりますからね。籠手という技はそこからきています。刃が当たった瞬間に血が出る、その切っ先をどこに当てるのか、という話を聞くと、真剣味を帯びるでしょう」

そうして、一人一人、刀を自分で手に取り、見させていただくことに。

「研いであるところから先は絶対に触ってはいけません。一歩間違えたら大怪我しますから、怖くてもちゃんと持つこと。見る時には刃を下にしてもいけません。わずかなことで欠けます。硬そうに見えて繊細なんです。持ったらしゃべらない。ゆっくり、明かりを刃に落としながら動かして、本物の鉄の色を、鉄の泡の吹いているのを見てください。本物特有の、重さを感じてください」

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息をするのを忘れるほどの緊張感の中で、全員が真剣を手に取り終えました。

「このように柄杓を持ったらかっこいいんです。でも持ったことのない人にはわからないんです。竹の棒やと思うからグラグラ持つんです」

お稽古の始まりに聞いた時よりも何十倍もの重みを持って、宗慎先生の言葉が染み込んでいきます。

「日本刀の美しさとは何かということを、手にとって考えて腹におさめている人が選ぶものは、ちょっと変わってくる場合があると思います。茶道具や、美術工芸のきれいなものだけを見ていたらわからない、日本美術のひとつの頂点というのは刀だと思うんです。しかし刀は、人殺しの道具です。実用のためにこそ作られています。よく切れて、かつ錆びにくく、振りやすいよう華奢なのに簡単に折れない、曲がらない。どれだけ鋭利に人の生身の体を切れるかだけを考えて作ってきたのに、世界で比類なき美しい刀剣を作り上げた。これは世界中の人がみんな等しく認めているところです。柔らかで甘やかで、優しい道具だけを触っていたのでは決してわからない、ものごとの本質はあるのです、これに。

ぜひ、この刀の重さ、固さ、怖さ、なんとも言えない質感というのを、覚えておいてください。『手の切れそうな』というものの褒め言葉を思い返して、道具を大事に扱う、ものを大切に扱うこと。茶碗を持っていても棗(なつめ)を持っていても何を持っていても、刀を持っているつもりで扱えば、おのずから動作はキレイになりますし、念の入った美しい所作になるはずです。刀ならば切れる、ものなら壊れる。仕事で扱われるもの、人の手元に届くもの、包装紙、麻の布切れ一枚が、これは刀だ、あだや疎かに扱ったら手が切れる、自分が扱うことで壊すかもしれぬという思いでものを扱っていられるかどうかが、ことの成否を分けるのではないか、というお話です」

◇花の性分

今回から参加者が毎回一人、お稽古の始まる前にお茶室に花を活けることになっています。活けられた花に、宗慎先生から講評をいただきます。

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「花を活ける時に大事なのは、花材それぞれが持っている性(しょう)をちゃんと生かしてやることです。右に向いて咲いている花がかっこいいからといって左に曲げることは絶対にできないんです。今日の花の場合は、お化けの手が伸びているみたいになっているのがこの花の風情なので、それを生かしてやったほうがいい。わさーっとなっている花はわさーっとなっているのがポジティブなところなんです。だからそのように使ってあげるんです。その上で、花を前に前に活ける。何本入れても一本になっているように見えないとあかんのです。これだと4本入っているように見えていますね」

アドバイスを元に、活け直します。

「霧吹きを打つ前に、水を口いっぱいまであふれんばかりに注ぐ。これで、もうこれ以上花を足しません、という合図です」

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花材はそのままにガラリと表情が変わって、完成です。

◇お菓子をいただく、という所作ひとつ

最後にもう一服、生菓子をいただきながらお茶をいただきます。

「あわゆき」という生菓子。はじめに頂いた「ゆきごろも」はこちらに衣を着せたものだそうです。
「あわゆき」という生菓子。はじめに頂いた「ゆきごろも」はこちらに衣を着せたものだそうです。
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菓子器からお菓子をいただこうとしたところで、宗慎先生から声がかかりました。

「なぜ左から取るの」

器の中に並んだお菓子を、私は何気なく左側から取っていました。ところがそれでは、お箸が触れて右のお菓子を傷つけてしまう恐れがある。

「次の人がとるお菓子の姿を乱さないようにすることも大事なんです」

お菓子ひとつ、大切に扱う。先ほどの刀の話にも通じるところです。もう一度、お菓子を載せる懐紙を取り出すところから、やり直します。すると次なる問題が。出した懐紙が薄い。

お茶席でお菓子を頂く時は、懐紙は一帖、分厚いままで使用します。私は前回のお稽古で枚数の減った懐紙をそのまま持ってきていました。その薄いことに、言われるまで気づかなかったのです。見かねた宗慎先生が新しい懐紙を一帖、与えてくれました。

「扇を選ぶという話の延長線上に、懐紙一帖ちゃんときっちり持ってくるという話はありますよ。都度都度薄いまま持ってこない」

お菓子を器からひとつ取って頂く。文に書けばたった一行の所作すら、そこに向かう意識が欠ければうまく行かない。穴があったら入りたい、と顔が真っ赤になるのを感じながら、2016年最後のお稽古が終わろうとしています。

「『手が切れそうな』という言葉を覚えておいてくださいね。何の道具を持つときにも、軽い麻の布一枚持つときにこそあの刀を思い出して。名刺を、包装紙を、のし紙を持つときこそ。

お疲れ様でした。
あくる年もよろしくお願いします。良いお年を」

数え切れない反省と学びを胸にしまって、お茶室を後にしました。

◇本日のおさらい

一、仕事で扱うもの、人の手元に届くもの。どんな道具も「刀を持つように」扱う

一、花は花の性を生かして活ける


文:尾島可奈子
写真:井上麻那巳
衣装協力:大塚呉服店

オチビサンと巡る四季の鎌倉 〜水仙の花ひらく冬編〜

こんにちは。さんち編集部の井上麻那巳です。
『オチビサン』という漫画をご存知でしょうか。『オチビサン』は『働きマン』などで知られる安野モヨコさんの漫画作品。安野さんが過労に倒れてほとんどの漫画の連載をストップしたとき、唯一連載をやめなかったのが、実はこの『オチビサン』なのです。鎌倉に暮らす安野さんが愛する鎌倉の四季や自然と共に描くオチビサンたち。彼らといっしょに潮風香る古都、鎌倉の街を巡っていきましょう。

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鎌倉時代から受け継がれてきた名刀正宗を訪ねて

『正宗』といえば、鎌倉時代に生まれた最もその名が知られている日本刀のひとつ。実は、刀の名前であると同時に刀匠(とうしょう)の名前でもあります。初代『正宗』から数えて24代目となる刀匠が今でも日本刀をつくっていると聞いて、正宗工芸美術製作所に向かいました。正宗工芸美術製作所は鎌倉駅から歩いて5分ほど。踏み切りを渡ってすぐ、左手に見えてきます。

カンカンという音につられて奥へ行くと…

つくってる!と、そのまま工房へお邪魔して見学させてもらうことに。中で作業していたのはこの工房に来て24年目というお弟子さん。刀鍛冶というと怖そうなおじさんをイメージしてしまいますが、とっても気さくな方で、刀鍛冶のことや刀鍛冶になった経緯についてお話してくれました。刀鍛冶になるには実は「美術刀剣刀匠」という国家資格が必要なこと。アメリカに留学中に刀に興味を持ち日本へ帰って来たものの弟子入りはかんたんではなかったこと。笑いまじりに話しながらも手は作業を止めません。

「ちょっと飛びますからね。危ないですよ」と言われた次の瞬間…

うわあああああ
うわあああああ

火の粉が大きく飛び散り、ヒヤヒヤ。ヤケドしないんですかと聞くと、「もうね、ヤケドとヤケドがくっついちゃって、よくわかんないのよ」と笑います。職人の気概を感じずにはいられませんでした。現在は刀匠の資格を持っている人が300人ほど。でも、そのうち今でも刀をつくってる人は150人いるかいないかだそうです。

鋼のかたまりをカットして、折りたたみ、ミルフィールのように層をつくっていきます。この作業をくり返して、最終的には2万もの層ができあがるのだとか。気の遠くなるような回数です。

こちらは5回目が終わったところだそう
こちらは5回目が終わったところだそう

工房見学もひと段落し、お店で完成した日本刀を見せてもらうことに。ガラスケースから出して実際に目の前にすると、圧倒的な存在感に背筋がピンとのびます。と同時に、美しい刀身に鎌倉時代から続く職人の技を感じました。

刀匠の名が刻まれています
刀匠の名が刻まれています

腹が減っては戦はできぬ。鎌倉野菜たっぷりランチ

工房見学についつい夢中になり、すっかり時間はお昼前。見学中は気がつかなかったけれど、すっかりおなかがなる時間になりました。腹が減っては戦はできぬ。鎌倉の歴史と刀匠を技を感じた後は、腹ごしらえに向かいます。

到着したのはなると屋+典座(なるとやぷらすてんぞ)という一風変わった店名の和食屋さん。典座(てんぞ)というのは、禅宗寺院の役職のひとつで、いわゆる食事係の僧なのですが、食事の調理、喫飯も重要な修行とする禅宗では特に重要な役職とされています。その名前を冠したこちらのお店のお料理は、精進料理をベースにした、野菜だけのメニューが評判とのこと。

店内にはめずらしい野菜もゴロゴロ
店内にはめずらしい野菜もゴロゴロ

ランチメニューは月替わりの定食と葛とじうどんの2種類で、どちらもお魚やお肉ではなく、野菜が中心。どれも冷えた身体にやさしいお味でした。

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1月のごはん。手前のお椀は金時人参のスープ
1月のごはん。手前のお椀は金時人参のスープ
葛とじうどんと旬のお野菜を使った惣菜のセット
葛とじうどんと旬のお野菜を使った惣菜のセット
トロトロで具沢山。あったまります
トロトロで具沢山。あったまります

こだわっているわけではないけれど、鎌倉のお店なので自然と鎌倉野菜が多いとお話してくれたのは、13年前に27歳で独立したという店主のイチカワヨウスケさん。ひとりひとり、毎回異なるもので提供されるうつわは、イチカワさん自らが選び、少しづつ買い集めているそうです。肩ひじはらず、自然体な店主の姿勢が素材のおいしさを引き出すやさしいお料理を生んでいるのかな、と感じました。今年の春頃には野菜をつかったお料理のレシピ本も出版されるとのこと。そちらもたのしみです。

店主のイチカワヨウスケさん

あったかくてやさしいごはんですっかり身体もあたたまり、午後は北鎌倉へと向かいます。

中川政七と鈴木啓太(PRODUCT DESIGN CENTER)が語る「経営とデザインの幸せな関係」

中川政七×鈴木啓太

こんにちは、さんち編集部です。

今回は、『経営とデザインの幸せな関係』(日経BP社)刊行記念として2016年11月に行われた、中川政七とプロダクトデザイナー・鈴木啓太氏のトークイベントの模様をお送りします。

(以下、鈴木啓太氏発言は「鈴木:」、中川政七発言は「中川:」と表記)

経営とデザイン。幸せな関係と不幸せな関係

トークイベントの様子

中川:『経営とデザインの幸せな関係』という本は、会社でなにか事業をする、事業会社を手伝う、コンサル的にかかわるという立場の人が教科書や進行表がわりに使っていただけるようにイメージして作りました。このタイトルなのですが、当然幸せな関係の裏には不幸せな関係がありまして。啓太くんは今まで何か不幸せな関係はありましたか?

鈴木:僕はデザイナーとして、社員5人くらいの小さな会社からいわゆる家電メーカーのような大企業までいろいろなクライアントにデザインを提供していますが、やっぱり不幸せな関係になることはありますね。

中川:例えば?

鈴木:デザインを提出した時に、「全然好きじゃない」と言われたり、デザインのやり直しが発生したり……。互いの認識に何かズレが生じている時は、不幸せな関係を感じます。

中川:そうだよね。あまり詳しくは言えないですけど、僕もデザイナーと仕事し始めた頃、割と痛い目にあってるんです(笑)。「商売を理解してくれないデザイナー」がけっこういました。

鈴木:作家っぽいデザイナー。

中川:そうそう。商業デザインだから、結果についてそれなりの責任と重みを持ってもらいたいんだけど、「それはあなたたちの仕事でしょ」と言われたりして。

互いの言葉を理解できない経営者とデザイナー

中川:振り返れば僕も啓太くんもこれまでの仕事に幸せな関係、不幸せな関係があるんですけど、それを決めるのは何かというと、共通言語だと思うんですよ。

鈴木:僕は「相互理解が深い」と幸せな関係になりやすいと思うのですが、互いに理解を深めるための共通言語ですよね。

中川:そう。同じ日本人で同じ言葉を使っているんですけど、経営者はデザイナー、デザイナーは経営者の言葉を理解できないんですよ。当たり前のように「プロダクトデザイナー」とか「グラフィックデザイナー」とか言いますけど、デザイナーはデザイナーやろうって経営者は思ってるし、そこでまたクリエイティブディレクターなんて出てきたら、なんのこっちゃわからへん。

鈴木:仕事の領域の広さを示してるんですよね。グラフィックデザイナーは平面のデザインをする人、クリエイティブディレクターはもうちょっと包括的な人、のように。

中川:でもグラフィックデザイナーと名乗っているけどクリエイティブディレクターくらいの守備範囲の人もいる。それぞれ、こだわりがあってその肩書きにするわけでしょ?

鈴木:確かに、プロダクトデザイナーとインダストリアルデザイナーのどちらを選択するかは、こだわり以外のなにものでもないですね。

中川:そういう曖昧なものは共通言語にならないんだよね。でも、互いの言葉を理解できないと、仕事もうまくいかない。だから僕は以前から、経営者はデザインのリテラシーを持ちましょう、デザイナーは経営のリテラシーも持ちましょうと言ってきました。

鈴木:今回の中川さんの著書には、まず会社を診断し、次にブランドを作り、商品を作って最後にコミュニケーションを作ると書かれていますよね。最初の会社の診断以外は全てデザイナーがかかわってくる。デザイナーといい関係が作れないといい事業にならないし、いいものが作れない。そのために共通言語を持ちましょうというのがこの本ですよね。

相互のリテラシーの不足がよくない関係を生む

中川政七

中川:一昔前はロジカルにやっていれば商売もうまくいったし、儲かったんだと思うんですよ。それがだんだん変わってきて、クリエイティブの必要性が高くなってきた。でも、企業で上の立場にいる人はロジカルでゴリゴリきているから、クリエイティブとかよくわからん、という人も多い。ここの融合がどうしても必要だよね。

鈴木:そうですね。例えばスティーブ・ジョブズがいた頃のアップルは、まさにロジカルとクリエイティブがうまく融合された企業だと思います。

中川:そうそう。ジョブズをすごくクリエイティブな人だと捉えている人も多いと思うんだけど、多分違う。あの人はロジカルなんだけど、クリエイティブのリテラシーが高い人で、だからこそ、高いレベルでクリエイティブの良し悪しを判断できたと思うんです。

鈴木:同感です。

中川:経営者とデザイナーのよくない関係性として、リテラシーのない経営者が「デザインをお願いします」と“先生”に頼むと、“先生”がよくわからないデザインをする。それが雑誌に取り上げられて、“先生” はさも自分がデザインした商品が売れたかのようにしゃべるんだけど、実際は売れていない、みたいな話が山のようにあるわけです。

鈴木:それ、誰のことですか?(笑)

中川:例えばね、例えば!でもそれがなぜ起こるかといったら、経営サイドのオーダーが通ってないんですよ。これくらいの価格帯のもので、年間に1000万円売れてもらわないと困るんですと具体的にオーダーしていないといけない。お金の話だけじゃなくて、他にもブランドの意図とかいろんなオーダーがあるわけやん。何ができなくて何を助けて欲しいのかということをちゃんと自分の言葉で言える事業者って少ないんですよ。

「たとえ話」で理解を深める

鈴木啓太氏

鈴木:中川さんの話を聞いていて、ドワンゴの川上さんの「日本の教養は週刊少年ジャンプでできている」という言葉を思い出しました。これってドラゴンボールでいうとこういうことだよねとか、週刊少年ジャンプくらいみんなが読んでいるものがあって、伝えたいことをそういうものに例えるとコミュニケーションがしやすい。

中川:まさに共通言語ですね。

鈴木:この「たとえ話」でいうと、僕はクライアントとの共通言語を探る時、それぞれの業界の言葉で置き換えています。例えばガラスメーカーの人と話す時は、他のガラスメーカーを例に挙げる。iittalaという有名な北欧のブランドがあるんですが、iittalaみたいな口の感じにしたいんですよね、という話し方をすると、相互理解が深まりやすくなる。

中川:たとえ話は、相互理解を生むためのひとつのコツだよね。

鈴木:あとは、その人が好きなものに例えてあげる。ファッションが好きだったら、今回のブランドって、ファッションブランドでいくとどのへんのブランドのイメージですよねと言うと、すごく理解してくれますね。

中川:今の話は、坂井直樹さんが書いている『エモーショナルプログラム』(エクシードプレス)と同じだよね。縦軸が精神年齢、横軸が感性、左寄りがコンサバティブで右寄りがアグレッシブという図表を使って、世の中のブランドを二次元にプロットする。例えば自分が新しい雑貨ブランドを始めようという時に、まず自動車でボルボはここ、ベンツはこことプロットして、次は雑誌でプロットする。そうすると、自分が目指すものがどの位置にあるのか視覚化される。これはデザイナーにイメージを伝える時のコミュニケーションツールで、僕は「粋更 kisara」という新ブランドを作る時から使っています。

鈴木:デザイナーはビジュアルで、経営者側はテキストで考えようとしがちだから、具体的なイメージがわかるこの手法は良いですね。以前、雑談で中川さんとどういうタイプの女の子が好みかという話をした時にも、このマッピングの話をしましたよね(笑)。横軸の左寄りが安室奈美恵で右寄りが蒼井優で、どのへんがいいかみたいな。

中川:真ん中が竹内結子で、僕と啓太くんは蒼井優よりなんだけど、「THE」というブランドを一緒にやっている米津さんは左より(笑)。

鈴木:とてもわかりやすい。

ブランド「THE」を立ち上げる

中川:仕事に話を戻すと、僕はエモーショナルプログラムを使いつつ、もう一方でビジュアルのコラージュみたいなものも作りますね。それをデザイナーに見せて、やりたいことはこういうことなんですよ、と提示したりします。

鈴木:百聞は一見に如かずというか、やはりビジュアルの力は大きいですね。

中川:これも、共通言語をもつためのアプローチで。最初からクリエイティブと距離を置いている経営者も多いと思うけど、関係者にリテラシーがあって、それぞれの専門を尊重して、それが噛み合うとうまくいくんです。これは啓太君と僕、クリエイティブディレクターの水野学さん、先ほど話に出た米津さんの4人でやっている「THE」というブランドの話がわかりやすいと思う。

鈴木:もともと富士山グラスというデザインの仕事で一緒になった水野さんと僕が、「自分たちが本当に欲しいもの作ろう」ということで、プロダクトブランドを立ち上げようという話になりました。でも水野さんは以前から、これまで数多くのデザイナーズブランドが生まれては消えていったのは、流通がなかったからじゃないかと指摘していたんです。そこで、流通のプロ、ビジネスのプロを入れようということで、中川さんにお願いした次第です。

鈴木啓太氏デザインの富士山グラス
「Tokyo Midtown Award 2008」のデザインコンペで水野学賞を受賞した鈴木啓太氏デザインの富士山グラス。

中川:僕の力はさておき、水野さん、さすがだなと思うのは、デザイナーという立場でありながら経営のリテラシーがあるから、自分たちでは補えないものがあると理解していたことですよね。ちなみに僕は水野さんと10年来の付き合いで仲もいいんですけど、そういうふうに仲のいい人たちで商売を始めると大体もめるんですよ。それで一瞬迷ったのだけど、啓太君も水野さんも経営リテラシーがあり、僕もそこそこデザインリテラシーあるから、お互いそれぞれの領分を守りながら平和にやれるんじゃないかなと思って。実際4年やってきて、仲良くやってるもんね。

鈴木:立場が明確なので、お互いをリスペクトしながらできていると思います。

中川:もちろん、意見が食い違うこともあるんです。それは売れないよ、いやいや売れると思いますみたいなこともあるんだけど、最後はそのジャンルの専門家の意見を尊重する。

鈴木:よくあるのは、いくらで値付けするかというところで、クリエイティブサイドと経営サイドでもめて。でも最後は中川さんのいう値段でいきましょうとなりますよね。

中川:僕も自分の領域で水野さんと意見が食い違ったらそこは折れずにちゃんと言うし、水野さんもそれで気分を害したりしないし。

鈴木:みんなの立場がうまく機能して、なおかつヒット商品にもなったのが醤油差しですよね。最初、中川さんが世の中にいい醤油差しがないから、醤油差しを作ったら売れるかもといい出した。それで僕は、キレイで絶対に液だれしないガラスの醤油差しをデザインした。そこで水野さんが、コミュニケーションの専門家として、食文化が変わって醤油の消費量も変わってきているし、もう少し小さくすると冷蔵庫の調味料入れに入るよ、とアイデアを出して。それからデザインを小さく直して、最後に社長の米津さんが工場にべったり張り付いて良いものを仕上げていった。

中川:手前味噌だけど、お互いに分担がきれいにできているから、空中分解せずにやれているんだなと僕も思いますね。水野さんや啓太くんもそうですけど、今の時代、売れているデザイナーさんはみんな経営に対するリテラシーはあるような気がします。

液だれしない、「THE 醤油差し」
液だれしない、「THE 醤油差し」

求む、“打率入り”デザイナー名鑑

鈴木:中川さんはいろいろなデザイナーさんとお付き合いしてるじゃないですか。どういう風にデザイナーを選んでいるんですか?

中川:そんなにたくさんの人を知っているわけじゃないので、この案件には誰がはまるんだろう迷った時は、詳しい人に相談しますね。それで3人くらい名前を教えてもらったら、そのデザイナーのウェブサイトをひたすら見て、ピンと来た人に声をかける。だから、紹介をしてくれる人がいないとなかなか難しい……。

鈴木:やっぱりデザイナー選びって、大変なのかな。

中川:決して簡単じゃないんですよ。だから、今出ているものとは違うデザイナー名鑑を出して欲しいですね。得意分野がマッピングされているだけじゃなくて、打率も出して欲しい!オーダーがはっきりしていれば打率が出るわけですよ。1000万円売りたいプロダクトをデザインしました、それが800万だったら達成率80%じゃないですか。その数字を常に出すべきで、その積み上げが打率になる。これは、デザイナー側から経営サイドへの歩み寄りだと思うんですよ。

鈴木:打率(笑)。重要ですよね。

中川:これからは、ロジカルとクリエイティブ、その両輪を回さないと経営できない時代だと思います。だからこそ、経営者とデザイナーが共通言語で互いに理解を深めて、しっかりと役割分担したらリスペクトしあう、「幸せな関係」が増えて欲しいですね。

中川政七と鈴木啓太氏

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<掲載商品>
富士山グラス
THE 醤油差し

構成:川内イオ
写真:古平和弘

【平戸のお土産】牛蒡餅本舗 熊屋本店の「牛蒡餅」

こんにちは、さんち編集部の庄司賢吾です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんへご紹介する “さんちのお土産”。第5回目はかつて南蛮貿易の先駆けとなった、長崎は平戸のお土産です。江戸時代から伝わる、一風変わった名前の郷土菓子をご紹介します。

寛永18年にオランダ商館が長崎出島に移転されるまでの100年間は、平戸が異国との窓口でした。その後鎖国とともに表舞台からは姿を消しますが、異国から受けた影響を元に、食をはじめとした独自の文化を育て続けてきました。その中の一つに「牛蒡餅(ごぼうもち)」があります。中国から製法が伝えられたと言われていて、平戸藩4代目藩主の松浦鎮信公が起こした茶道「鎮信流」の茶菓子として普及します。また町屋の人たちにとっても、慶事・法事の際のお配り菓子として親しまれていた、平戸を代表する銘菓です。

その変わった名前の由来は、黒砂糖だけでつくられた細長い餅の形と色合いが、牛蒡に似ていたというとってもストレートなもの。そのネーミングと同じように、気取らず飾らずまっすぐな、素朴で飽きのこない郷土菓子です。

今回伺ったのは「牛蒡餅本舗 熊屋」。創業240年余りの歴史の中で、当時のままの牛蒡餅の味わいを守り続けている老舗です。厳選したうるち米を挽いて粉にし、蒸してつき、砂糖を加え、仕上げにケシの実を散らします。それを細長い棒状に伸ばして5センチくらいの長さに切ったら、昔ながらの牛蒡餅の出来上がり。淡白で素朴な味付けなのでお米の味をそのまま感じられ、むちっとした食感がクセになります。くどさの無い上品な甘さで、思わず2つ3つと口に運んでしまいそう。最近では桜や抹茶、塩胡麻と、味のバリエーションも楽しめるので、全部の味を試したくなってしまいます。

お茶菓子からお配り菓子まで、平戸の人々の生活に寄り添ってきた牛蒡餅。お店では相性抜群のお抹茶もいただけますので、ぜひ「鎮信流」のお茶席にお呼ばれしたつもりで、平戸の歴史が育てた味わいをお楽しみください。

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ここで買いました

牛蒡餅本舗 熊屋本店
長崎県平戸市魚ノ棚町324
0950-22-2046
http://www.hirado-kumaya.jp

文:庄司賢吾
写真:菅井俊之

私の相棒 〜鍋島・三川内の誇りを支える筆〜

こんにちは。さんち編集部の庄司賢吾です。
工芸を支える職人の愛用品をご紹介する「わたしの相棒」。普段は注目を浴びることが少ない「職人の道具」にスポットを当て、道具への想いやエピソードを伺っていきます。今回お話を伺ったのは、肥前窯業圏の伊万里鍋島焼と三川内焼の職人。この2つの産地は少し似たような歴史的な背景を持ち、どちらも濃淡で立体感や遠近感を出す、日本画のような美しい絵付けを特徴としています。
その絵付けを支えている私の相棒は「筆」。この2つの産地で使う筆は、どうやら同じ産地でつくられているようです。

伊万里鍋島焼と筆

まずお話を伺ったのは、昭和元年創業の畑萬陶苑の代表、畑石眞嗣さんです。

畑萬陶苑は鍋島藩の御用窯があった大川内山で、伊万里鍋島焼を守り続ける窯元です。
畑萬陶苑は鍋島藩の御用窯があった大川内山で、伊万里鍋島焼を守り続ける窯元です。

「当時の肥前国で生産された磁器の積み出し港が伊万里にあったので、海外ではIMARIとして名前が広がりました。このIMARIと呼ばれた焼き物は古伊万里、柿右衛門、鍋島の3つに分けられ、そのうちの鍋島の伝統をここでは継承しているんです」
鍋島は17~19世紀にかけて、鍋島藩直営の御用窯で政治的な献上品としてコスト度外視でつくられていました。だからこそ、精度に言い訳が効かず、抜きん出た材料と技術力を必要とされてきたという背景があります。伊万里鍋島焼きの里である大川内山にある、燃料となる松の木や水、青を作る釉薬(ゆうやく)などの豊かで上質な素材を活かして、献上品としてふさわしい伊万里鍋島焼をつくりあげていったのです。
「伊万里鍋島焼の強みは、門外不出の材料と、やはり技術力ですよ」と、畑石さんも言います。かつては材料や技術を盗まれないよう、献上品として使うもの以外の失敗作は割って散り散りに捨てていたほど。今でも組合により丁寧に管理しているそうです。

「数ある工程の中でも、絵付けの技術では負けられないという思いがありますね」
伊万里鍋島焼は、乳白色の磁器の上に余白を生かした日本独特の花鳥や景色を、赤や青や黄、緑をつかって日本画のように表現します。その作品の主流となる染付(そめつけ)とは、焼成前の生地に焼くと藍色に発色する呉須(ごす)を用いて絵を描く技法です。絵としての独特の「間」を生むため葉っぱ一枚でも葉脈の線をくっつけず、グラデーションもつけて描くといいます。

鍋島の代表作品、青海波墨弾鶺鴒(せきれい)七寸高台皿。基本の青で草木の瑞々しさを表現。©畑萬陶苑
鍋島の代表作品、青海波墨弾鶺鴒(せきれい)七寸高台皿。基本の青で草木の瑞々しさを表現。©畑萬陶苑

「技術を支えるのは良い人材に良い道具。特に筆は命とも言える道具ですね」と、筆入れにたくさん差し込まれた筆を見せてくれました。
そんな伊万里鍋島焼を支えている筆はどこのものかと尋ねると、『熊野の筆』、ということでした。

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三川内焼と筆

次にお話を伺ったのは、400年の歴史を持つ平戸松山の代表、中里月度務さんです。

平戸松山は平戸藩の御用窯として栄えた三川内山で、三川内焼を守り続ける窯元です。
平戸松山は平戸藩の御用窯として栄えた三川内山で、三川内焼を守り続ける窯元です。

「三川内焼は2人の陶工によってはじめられました。平戸藩の領主だった松浦鎮信(しげのぶ)の下で巨関(こせき)が日本に陶工をもたらし、それと同時期に唐津焼の女性陶工である中里氏が陶土を求めて南下してきたんです。その2人が三川内で合流したことで磁器製造の歴史がはじまります」
大川内山と同じく、豊かな自然素材に恵まれた三川内山で、巨関と中里氏により三川内焼の原型がつくられていきます。三川内焼は平戸藩の御用窯として政治的に利用されることとなり、繊細麗美な絵付けや細工の技術の洗練化が使命とされました。
「有田の知名度も波佐見のデザイン性も持たないからこそ、技術力の高さで勝負することが不可欠」と、中里さんは言います。その強みである技術を継いでいくために、すでに明治期には意匠伝習所を設けていたそうです。

「平面の紙に描いていた日本画を立体の器に描く、この技術こそが三川内焼ですよ」
三川内焼は狩野派絵師の原画を起源とし、水墨画のような立体感と奥行きのある絵柄を持っています。また、骨描き(こつがき)という輪郭線を描く作業、また輪郭線の中に絵の具を染み込ませる「濃(だみ)」という技法も特徴です。そして何と言っても正統継承し代表絵柄となっているのが唐子絵。唐子絵自体は元々は中国のものですが、松の絵と唐子を合わせ、器に描きはじめたのは三川内焼です。江戸期から変わらないその構図を今でも守り続けています。

三川内を代表する唐子絵。繊細な輪郭線と濃による濃淡を見ることができます。
三川内を代表する唐子絵。繊細な輪郭線と濃による濃淡を見ることができます。

「三川内焼にとって無くてはならないのが筆。この筆に魂を乗せて線の一本一本を描いていくんです」と、視線を送る先にはたくさんの筆が並べられていました。
そんな三川内焼を支えている筆はどこのものかと尋ねると、伊万里鍋島焼と同じ『熊野の筆』、ということでした。

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産地の相棒、熊野の筆

それぞれ政治的な意図を背景に、献上品としての絵付けの美しさが試され、技術が必要だったという共通点を持つ2つの産地。その産地の職人を支えていた熊野の筆とは、一体どのような筆なのでしょうか。
熊野の筆をつくる広島県熊野町は、江戸時代から180年伝わる筆の製造を産業の中心として「筆の都」として栄えてきました。なんと、全国で使用される筆の約8割を生産していて、町民の10人に1人が筆に関わる仕事をしているそうです。元々は農業が主な生業の町でしたが、出稼ぎに行く時に奈良の筆を買い、帰る途中の町で売っていたということが多くあったそう。そんな筆と近い関係性を背景に、筆づくりの製法が村に持ち帰られることで、熊の筆づくりがはじまりました。今では車に筆を積んで売りに来ることもあって、肥前一帯の多くの職人が熊野の筆を使っています。

伊万里鍋島焼きの畑石さんは、「ナイロンの毛ではすぐに細く描けなくなるんです。動物の毛だからこそ、丈夫でコシがあって繊細な絵付けを可能にしてくれるんです」と、話します。動物の毛をブレンドしてつくられる熊野の筆は、細いものはイタチ、太いものは鹿の毛、他にはシカやヤギなどたくさんの動物の毛でつくられています。
「それと面白いのは、職人が筆の毛をむしって、自分が描きやすい細さにしてから使っているってことですね」と、見せてくれた筆の先は、なるほど毛が抜かれて細く描きやすくなっていました。号数によって同じ太さでつくられた筆を、使う職人ごとに毛の細さを調整して、世界に一つだけの筆をつくって使っています。三川内焼と比べると、どこかヨーロッパ的なモチーフと雰囲気を感じさせる伊万里鍋島焼の絵付けは、動物の筆を職人ごとに毛を抜くことで調整しながら描かれていました。

イタチや鹿の毛など、こんなにたくさんの種類の筆があります。
イタチや鹿の毛など、こんなにたくさんの種類の筆があります。
毛を抜いたり切ったりして、その職人専用に整えられた筆。
毛を抜いたり切ったりして、その職人専用に整えられた筆。

三川内焼の中里さんが、「線の筋や松の絵の部分、唐子の顔の表情などで全て筆を分けています。ほら、こうやって筆に鉛筆で名前を描いて管理してるんです」と指差す場所には「目鼻」と書かれていました。細かな筆の使い分けがされている様子を垣間見た瞬間でした。
「見てください、こんなに太い筆もあるんです。これはダミ筆と言って、濃淡を出す筆です」と、見せてくれたのは他の細い筆とは一線を画す、太くて先の細い筆。表面張力で呉須を引っ張ることでムラ無く塗ることができ、熟練の技でこの太いダミ筆で1mmの細い線を描くこともできるそう。伊万里鍋島焼と比べると、中国に通じるモチーフと雰囲気を感じさせる三川内焼の絵付けは、細いものから太いものまで、適材適所で筆を使い分けることにより描かれていました。

「目鼻」用など、描く絵の部分によって細かく筆を使い分けています。
「目鼻」用など、描く絵の部分によって細かく筆を使い分けています。
ダミ筆で呉須を器に落として広げ、余分なものは筆に吸わせて戻して描いていきます。
ダミ筆で呉須を器に落として広げ、余分なものは筆に吸わせて戻して描いていきます。

インタビューの最後にお2人から出てきた言葉は、筆への感謝の言葉でした。
伊万里鍋島焼きの畑石さんは、あるイベントのお話を通して筆への想いを教えてくれました。「筆あっての鍋島様式だから毎年『筆供養』というものを行っています。使った筆を捨てるときに、お経をあげて供養して焚き上げるんです。感謝の辞を代表が述べて、この筆のおかげでもっと良いものを次に作っていくと志を述べます。それくらい鍋島にとって、熊野の筆は無くてはならない存在です」

三川内焼の中里さんは、来年届く筆への期待を通して筆への想いを教えてくれました。「こういう雰囲気の筆を作ってとオーダーしながら改良してもらっているので毎年どんな筆になるか楽しみです、同じ材質でも去年と今年では使用感がかなり違うので。『線のシャープなイキ、細み』が出せないと三川内焼では無いので、それを支えてくれる熊野の筆は三川内にとってかけがえのない存在です」

肥前の焼き物の絵付けは、たしかに熊野の筆が支えていました。同じ産地からつくられる筆を、使う産地ごと・職人ごとに使い分け、独自の絵付けを施しています。これからも伊万里鍋島と三川内の焼き物は美しく、見る人の心を掴んで離さないはずです。そう、熊野の筆がある限り。

文:庄司賢吾
写真:菅井俊之

1月の梅、2月の木瓜

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。「今の時期のおすすめ植物は?」「わたしでも育てられますか?」など植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

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日本の植物は四季で劇的に変わっていきます。海外に比べると落葉樹がすごく多いから、春になったら花が咲いて、そのとなりで次の季節の植物が芽吹いて。季節を告げる花がたくさんある。だから花園樹斎でも、月ごとに違う植物の「季節鉢」ができるんです。人の手に取ってもらうものだから、選ぶのは育てやすさも考えながら。1月は梅、2月は木瓜(ぼけ)を選びました。

◇1月「梅」

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1月の梅はまさに「松竹梅」、新春のおめでたいイメージです。浮世絵にも、正月に梅を買う女の人が描かれていたりします。梅を愛でる文化は、元々は中国から入ってきたものなんですね。桜にとって変わられるまでは、昔の日本でお花見といえば梅でした。

◇2月「木瓜」

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2月の季節鉢に選んだ木瓜は個人的にすごく好きな植物で、ずっと花園樹斎に入れたいと思っていました。園芸植物に比べて、野性味が強い。いくら切っても新芽が出てきて、生命力が強いんです。剪定に強いので、盆栽の材料にもよく使われてきました。きれいな花をつけるんですが、実を食べられるので、昔から薬用にも重宝されていた植物です。さらには酒にもなる。万能なんです。江戸時代に入ってから爆発的な人気になって、当時200種類ほどの園芸品種が生まれたと伝わっています。外で育てる植物ですが、土質もあまり選ばなくて、管理がしやすいのも特長ですね。

◇わたしでも、育てられますか?

もし、植物をうまく育てられるか心配だったら、枯らしちゃったらかわいそうと思わずに、枯らしてもいいから付き合いたいな、と思うこと。枯らしてしまうことは確かに悲しいことなんですけど、枯らすのが嫌だから付き合わないよりは、付き合ってみて、何で枯れたんだろう、何で今年は花が咲いたんだろうと思うことが、すべての始まりですよね。だから、遠慮しないことですよ。

「育てられるかな、育てられないかな」よりも、枯れてもいいから「自分へのご褒美に買いたい」「プレゼントしてあげたい」「今年は身近で植物を感じてみたい」「ボケなら私でもできるかな」とか、そういう楽な気持ちで付き合っていくのがいいと思います。それじゃあ、また来月に。

(ひとこと)
おれがこの仕事をし始めたのは21歳ぐらいの、ちょうど1月なんです。年始から始まりました。働いた初日、木にのぼって枝を切った時に思ったんです。「これ、一番になれる自信がある」と。その日から今日に至るまで、1ミリもゆるぎなくそれを思ってます。

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<掲載商品>
花園樹斎
植木鉢

鉢皿

・植物(鉢とのセット):以下のお店でお手に取っていただけます。
 中川政七商店全店
 (阪神梅田本店・東京ミッドタウン店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店は除く)
 遊中川 本店 
 遊中川 神戸大丸店
 遊中川 横浜タカシマヤ店
 *商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

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西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋、花宇の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。日々集める植物素材で、国内はもとより海外からの依頼も含め年間2,000件を超える案件に応えている。2012年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、植物を用いたいろいろなプロジェクトを多数の企業・団体などと各地で展開、反響を呼んでいる。著書に『教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント』(徳間書店)、『プラントハンター 命を懸けて花を追う』(徳間書店)、『そらみみ植物園』、『はつみみ植物園』(東京書籍)


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「”お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。


聞き手:尾島可奈子