たった3枚の布からできた「たっつけパンツ」、普段着にちょうどいい理由

ちょっとした家仕事に動きやすく、
ちょっとそこまで、にもきれいなシルエット。

普段着にちょうどいいかたちを目指して、あたらしい定番パンツが中川政七商店に加わりました。「たっつけパンツ」というちょっと変わった名前は、日本の労働着がルーツになっています。

「たっつけって、元々は武士が狩りに行くときに履いていた立付(たちつけ/たっつけ)という履き物で、だんだん畑仕事をする人たちの間に広まっていったようです」

デザイナーの河田めぐみさんは、今の暮らしにあう新たなパンツづくりのヒントを、日本の労働着の歴史の中に探って行きました。

「中川政七商店には『もんぺパンツ』という日本の労働着をベースにしたパンツがあって、発売以来ずっと人気のロングセラーです」

中川政七商店のもんぺパンツ

「もともと労働着は家仕事や畑仕事での動きを考えて作られているので、足捌きがよかったり、とても機能的なんですね。その使い勝手の良さが支持されているのだと思います。

今回も、単に着心地のいいパンツをつくるだけなら簡単ですが、中川政七商店として手掛けるなら、そういう日本の生活の歴史とつながるようなアイテムにしたいと思っていました」

日本の労働着は大きく4つに分類でき、ひとつが「もんぺ」型、そしてもう一つに今回モチーフにした「たっつけ」型があるそうです。

ロングセラーのもんぺパンツは裾がすぼまってふっくらとしたシルエットですが、たっつけパンツは足先が細くすっきり。

自転車に乗る時などにも動きやすいデザインには、元々の「たっつけ」の歴史が詰まっています。

足捌きがよいので、自転車に乗るときにも動きやすい

「たっつけは元々山に狩りに行く時に履かれていたものなので、腰周りはゆったり、足先はすっきりとしたかたちです。これは少しデザインを整えれば、今の暮らしの中でも快適なパンツになるだろうと考えました」

「服のパーツをとる時のパターンもよく出来ていて、一枚の布をできるだけ使い切って無駄にしないよう、直線をうまく生かしながら型がつくられているんです。

昔の型紙を見ると、すごく考えられたかたちだなと感じます。こうした資源を無駄にしない考え方も受け継ぎたいと思いました」

たっつけパンツはたった3枚のパーツから作られています。元々のたっつけの直線的ならしさを受け継ぐだけでなく、その資源を大事にする考え方も生かした仕様です。

シルエットは、機能性だけでなく「ちょっとそこまで」履いていける見た目のきれいさも意識。素材には一年を通して履きやすい綿麻の生地を採用して、日本の労働着のエッセンスを今の暮らしのなかに生かした「たっつけパンツ」が完成しました。

「今も植木職人、大工さんと職業によって違う履き物のかたちがあるように、歴史の中には日本の風習や文化から生まれた形や素材がたくさん埋もれています。

このたっつけパンツも、そうした暮らしの知恵につながりながら、今の暮らしのなかで心地よく活躍する『定番着』になれたら嬉しいです」


<掲載商品>

たっつけパンツ

歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒

瀬戸内でレモンやオリーブが、青森は大間で活きのいいマグロがとれるように、暮らしの道具にもそのものをつくるのに適した気候風土の土地があり、そこに職、住、文化が集まって、日本各地に様々なものづくりの産地が形成されてきました。岡山のデニムや金沢の金箔などは有名ですね。そんな中でも身にまとう織物は古代から生活に欠かせない必需品。日本を代表する古都・奈良で、そんな土地の気候風土の中ではぐくまれた高級麻織物「奈良晒」を追いました。

ゆったりと鹿が憩う奈良公園や県庁などが隣接する奈良の市街地に、かつて一大産業として栄えた奈良晒の面影を感じられる場所があります。近鉄奈良駅から東大寺へと向かう手前に位置する名勝「依水園」。時代の異なる2つの庭園からなり、そのうちの「前園」は江戸前期、将軍御用達商人・清須美道清(きよすみどうせい)が別邸と共に作ったもの。この清須美が商ったのが、奈良晒でした。

前園
奈良晒を商った清須美による前園

後園
東大寺南大門、若草山などを借景にした贅沢な後園

奈良晒は上質な麻織物。その起源を鎌倉時代にまでさかのぼり、南都寺院の袈裟として使われていたことが記録されています。文献にその名が登場するのは、16世紀後半に清須美源四郎が晒法の改良に成功してから。清須美道清の祖父にあたる人です。17世紀前半には徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、産業として栄えました。主に武士の裃、僧侶の法衣として用いられ、また、千利休がかつて「茶巾は白くて新しいものがよい」と語ったことから、茶巾としての需要もあったようです。

清々しい晒の白
清々しい晒の白

水量豊かな吉城川そばにある依水園は、実はかつて奈良晒の晒場だったところ。園内を歩くと、水車小屋や晒の工程でつかう挽臼を模した飛び石など、当時の面影を感じさせる意匠が。寛政元年の『南都布さらし乃記』には、もしかしたらこのあたりだったろうかと思われる、かつての晒場の様子を見ることができます。

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また、各地の名産・名所を描いた『日本山海名物図会』(1754年刊行)では、奈良晒の質のよさを褒めて、こう評しています。

「麻の最上は南都なり。近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」

こうした質のよさは、どこから来ているのでしょうか。奈良晒の素材は、麻。中でもコシの強い苧麻(ちょま)という種類を用いていました。この苧麻の繊維を績んで糸にし、撚りをかけたタテ糸と撚りをかけないヨコ糸で織り上げます(この織り方を平布といいます)。その工程は、糸を績むだけで1ヶ月、生地を1疋(24メートル)織るのに熟練の織り子さんでも10日はかかるという気の遠くなるような道のりです。

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この、コシの強い苧麻の繊維が「着て身にまとわず」のさらりとした肌あたりをかなえ、撚りのあるタテ糸と撚りのないヨコ糸の組合せが晒しや染めの効果を得やすく(=染めて色よく)して、「麻の最上」とまで評された奈良晒が生み出されました。

このように手間ひまのかかる織物が、17世紀後半から18世紀前半にかけての最盛期には、生産量40万疋にも達したと言われているから驚きです。当時の繁盛は井原西鶴の『世間胸算用』にも登場するほど。そんな黄金期のさなかの享保元年(1716年)、猿沢池にもほど近い元林院町に創業した中川政七商店では、今も江戸の当時と変わらぬ製法で奈良晒が作られています。創業の地に建つ直営店「中川政七商店 奈良本店」で、かつて奈良晒の工程に実際に使われていた道具などを見ることができます。

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よく見ると天井に竹竿…?

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文字が反転しています。ということは…

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趣ある糸車。

天井に掛けられている竹竿はかつて奈良晒の倹反に使われていたもの。生地にキズや汚れが無いか、幅や長さ、織りの細かさなどを見るために、この竹竿に奈良晒を掛けて検査をしていました。店内中央の大きな柱に立てかけられているのは、商品を包むものに押されていたとされる判。逆文字で「奈良曝布」と刻まれています。

最大の供給先であった武士の時代を終え産業が衰退を迎えた大正期にあって、中川政七商店は自社工場を持ち、奈良晒の復興を目指してパリ万博に麻のハンカチーフを出展します。昭和に入ると麻の茶巾を突破口に茶道具としてその需要を確保しました。そうして保たれ続けてきた奈良晒の技術と確かな品質は、今、ポーチやバッグ、洋服など日用の様々な麻生地の品の中に活かされ、お店に並んでいます。

レジカウンター奥には切り売り用の生地が並ぶ。実際に手にとって色柄を選ぶことができる。

カウンター横には、手績み手織りの麻を用いて自分の暮らしや好みに適う麻小物を1点から注文できる「おあつらえ」サービスも。

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入り口の自動ドアにはよく見ると麻の葉模様。他にも店内は麻にまつわる意匠が凝らされている。

敷地内にある布蔵では、事前に予約しておけば、実際に織りの体験を行うことも。

土地が育んだ優れた産品を、残すだけでなく今にあった形で活かす。かつての繁栄を依水園に感じ、お店で実際の麻ものに触れ、「最上」と謳われた南都の名物のあとさきに、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

依水園
〒630-8208 奈良市水門町74
0742-25-0781
http://www.isuien.or.jp/index.html

中川政七商店 奈良本店
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町31-1
0742-22-1322
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shikasarukitsune

文:尾島可奈子
写真:木村正史

【わたしの好きなもの】戸田デザイン研究室 Baby piece

遊び方は無限大!0歳から遊べる木の玩具

「あ~!きでぃんちゃん!」
2歳近くになった子どもが、そう言いながらキリンが描かれた木のピースを手にとって大喜び。
キリンがわかるようになったのねと感動を覚えたり、野菜が描かれたピースだけを集めてる!?もう野菜の種類がわかるようになったの?などなど、日々子どもが成長していくのを感じる玩具に出会いました。
それは戸田デザイン研究所の『Baby piece』。動物・食べ物・乗り物・生活の4つのカテゴリーの愛らしいイラストが1枚1枚に描かれた、天然木の玩具です。

4つのカテゴリーにそれぞれ9種類のイラストがあり、それが2枚ずつ、全部でなんと72枚の木のピースがあります!

ピースの裏側には赤色や青色の点が描かれていて、カテゴリー別に色分けされています。なので、動物たちで集めたり、色分けして遊んだり、子どもの発想次第でいろんな遊び方ができます。

天然木なので、1枚1枚木目が異なります。木目がしっかり出ているもの、つぶつぶした模様が入っているものなどさまざま。
これが、イラストとマッチしていることがあって、見ていると大人でも面白いのです。

例えば、火が灯ったろうそくのイラスト。このピースの木目は左右にしゅっと伸びています。じっと見ていると風が吹いているようで、ゆらゆら火が燃えているように思えます。
三輪車のピースは、木目がつぶつぶしているので、まるで荒々しい砂場を走っているかのよう。
ほら、このお友達は懸命に三輪車を漕いでるよ、頑張れーって言ってみよう!という風に小さな1枚にもいろんなストーリーを想像して、子どもにお話しています。

子どもは小さい間はなんでも口に入れるもの。
このピースは天然木1枚で仕上げてあり、接着剤などは一切使用していません。また、イラストの塗料も日本玩具協会の安全基準(ST)に合格したものを使用しているので、子どもが噛んで遊んでいても安心感があります。

そしてそして、この玩具、雨の日には特に重宝します。
雨が土砂降りでも、子どもにはそんなの関係ありません。
雨でも外に出たがり、だめと言ったらぐずってさあ大変。そんなときはこのピースを出すと、泣いていたことも忘れて遊び出してくれます(笑)

遊び方ガイドもついています

ピースの多さ、イラストの種類の多さが楽しいようで、飽きずに遊んでくれます。
もう少し子どもが大きくなったら、木のピースを積み上げたり、イラストを集めて物語を作ったり、懸命に並べてドミノ倒しをするのもきっと楽しそう。

使わないときは、本棚に置いています。
蓋がアクリル板なので、ピースを好きなように並べると、インテリアとしても愉しめます!
動物だらけ、とかも素敵そうですね。


遊び方が日に日に変わってきて、もしかしてうちの子は天才なのかと親ばかにもなってしまいがちですが、これからも子どもの成長を感じながら大人も一緒に楽しめていけたらと思っています。

<掲載商品>
戸田デザイン研究室 Baby piece


編集担当者
森田

奈良に新しい集いの場を。鹿猿狐ビルヂングの楽しみ方

猿沢の池越しに興福寺の五重塔を望み、少し坂を登れば春日大社。そのほど近く、細い路地が入り組んだ迷路のようなならまち元林院町に、そのお店はあります。

「鹿猿狐 (しかさるきつね) ビルヂング」。

中川政七商店が300余年商いを続けてきた創業の地に、2021年4月にオープンさせる新しい「集いの地」です。

なぜ、鹿猿狐?

それは集うお店にヒントがあります。

3階建ての建物の1、2階には、創業の地に満を持して構える「中川政七商店」の旗艦店。隣接する1階部分には「たった一杯で、幸せになるコーヒー」を掲げるスペシャリティ珈琲専門店「猿田彦珈琲」、東京・代々木上原のミシュラン一つ星掲載店「sio」によるすき焼き店「㐂つね」が軒を連ねます。

つまり、集うのは中川政七商店の「鹿」、猿田彦珈琲の「猿」、㐂(き)つねの「狐」の3匹。だから鹿猿狐ビルヂング。

新しい集いの場への迷い込み方は二通りです。今日は、創業当時の面影を感じさせるこの入口から、鹿猿狐ビルヂングの世界をご案内します。

ならまちをそぞろ歩いて、はじまりの地へ

近鉄奈良駅から南に伸びるもちいどのセンター街の路地を東へ折れると、昔使われていた鹿避けの柵ごしに、ちらちらと覗くディスプレイ。入口の焼板の壁に真鍮であつらえられた看板には、二匹の向かい合う鹿。

ここはおよそ35年前、中川政七商店が初めて直営店をオープンさせた場所です。

もとは創業家である中川家の住まいだった築100余年の建物の中には、季節ごとの洋服やバッグが並び、奥には御座敷で抹茶やお茶菓子が楽しめる、「茶論 (さろん)」の喫茶スペースが設けられています。

二十四節季に合わせてしつらえが変わる盆栽。手掛けるのは奈良の塩津植物研究所

「茶論」茶道体験をテイクアウト

ならまち歩きを楽しむ人たちの喉を潤すのは、中川政七商店から茶道の新しい楽しみ方・学び方を提案する「茶論」のオリジナルメニュー。

テイクアウト用のカウンターでは、目の前でお茶を立ててくれます。

ここから一歩踏み込んで、さらに建物の奥へ進みましょう。小道を抜けると、そのまま鹿猿狐ビルヂングへつながっています。

小さな階段を降りてゆくと右手にはすきやき店「㐂つね」。正面に真っ直ぐ進めば、猿田彦珈琲と中川政七商店 奈良本店が見えてきます。

鹿猿狐ビルヂング まずはこの3匹にご挨拶

遊 中川本店側からビルヂングに渡ってまず目に飛び込んでくるのが、この大きなディスプレイ。

鹿の背中に猿が乗り、2匹を見上げる様に狐がそばにたたずんでいます。「鹿猿狐ビルヂング」を象徴する3匹の動物たちがお出迎えです。

1階で奈良初出店の猿田彦珈琲と奈良の工芸に出会う

愛らしい3匹の表情を眺めていると、右手から珈琲のいい香りが。鹿猿狐ビルヂングの1階には猿田彦珈琲が奈良初出店。その周りを囲む様に、奈良土産と奈良の作家ものがずらりと並びます。

中川政七商店 奈良本店が大切にしているコンセプトのひとつが、創業の地「奈良」を感じてもらうこと。1階にはこの地を訪れた記念となるようなアイテムを展開しています。

こちらが鹿猿狐ビルヂングの正面入り口。道を一本向こうに越えれば、猿沢池が目の前です。


続いて階段を登って2階へ上がってみると‥

2階 3000点のアイテムが並ぶ、中川政七商店 奈良本店の真髄

ずらりと並ぶ暮らしの道具。

その数3000点ほど全てが、中川政七商店オリジナルのアイテムです。

こちらは、中川政七商店を象徴する文様として新たに考案された「政七紋」のシリーズ

鹿猿狐ビルヂング限定アイテムや、大充実の品揃えの「ふきんコーナー」も見逃せません。

中央の企画展ブースでは、オープンに合わせて「奈良であること」を体感してもらうインスタレーションを展示しています。

土・水・火・風の4つをテーマに、ディスプレイするものは社員総出で集めました。

もうひとつの見どころが窓辺のライブラリーコーナー。

「中川政七商店の100」と題して、ブックディレクターの幅允孝さんが選書した奈良や工芸にまつわる100冊が並んでいます。

下段の電光掲示板には、本の一節が時折流れます。どの本のことばか、ゆっくり探してみるのも楽しい時間です。

ライブラリーコーナーのある窓辺は、手績 (う) み手織りの麻生地が光をやわらげます。

(手織り麻ずらり)四季に合わせて色が変わります。春は桃花と紫香
(軒下)窓辺から見える軒下部分。吉野檜でつくられています

この手績み手織りの麻こそ、中川政七商店の商いの原点。お買い物を楽しんだら、この織物に触れ、体感できる「布蔵 (ぬのぐら)」へ行ってみましょう。

来た道を戻って、遊 中川 本店からの小道を左へ折れると‥

布蔵で中川政七商店のルーツ「手績み手織りの麻」のものづくりを体験

江戸時代、武士の裃に重用され江戸幕府の御用達品にも指定された手績 (う) み手織りの高級麻織物「奈良晒」。中川政七商店は1716年、その商いで創業し、以来300余年にわたり、この「手績み手織り麻」のものづくりを守り続けてきました。

布蔵は、本社機能がここにあった頃に、実際に麻生地を保管するために使われてきた蔵です。入口には従業員が出入りするための下足箱が今も残されています。

そんな中川政七商店の「麻」を守ってきた蔵が、鹿猿狐ビルヂングのオープンに伴い、麻のものづくりを体感できる工房にリニューアル。

事前に予約しておけば、麻に関する道具や布、機織り機が展示される蔵の中で、手績み手織り麻の織物がどの様に糸になり、布として織られていくかを学ぶことができます。実際の織り手さんからレクチャーを受けて、織りの体験を行うこともできます。

1疋(約24m)の生地を織るには熟練の織り子さんで10日かかります

体験をされた方には手績み手織り麻のポーチをプレゼント。体験をする前と後では、生地の見え方がガラリと変わっているはずです。

時蔵 これまでの300年とこれからの100年を見据えて

鹿猿狐ビルヂングにはもうひとつの蔵が併設されています。それが時蔵 (ときぐら)。

ここには、中川政七商店の300年分の歴史がアーカイブされています。一見がらんとした蔵の中にどうアーカイブされているかというと、壁一面が創業の1716年から始まる年号別の桐箱になっているのです。

普段は閉ざされている桐箱。中に各年に関わる資料などが大切に保管されている

年号は、創業の1716年から、未来の2137年まで。未来の分も含め400年分以上の桐箱が用意されています。

300年の歴史はどのように繋がり、現在に至ったのか。桐箱の手前では中川政七商店の物語を展示で紐解きながら紹介。

2階に上がると、そこは工芸の未来への展望を感じるような展示スペースに。300周年の際に製作した、新旧の技術を対比させた「二体の鹿」オブジェや、過去から未来へ工芸の変遷を描いたクロニクル屏風が並びます。

創業の地 奈良で工芸を未来へつなぐ。

鹿猿狐ビルヂングの3階には、奈良に魅力的なスモールビジネスを生み出すN.PARK PROJECTの拠点として誕生した、コワーキングスペース「JIRIN」があります。

古きを学び進化し続けてきたこの街で、今の奈良に出会い、今の工芸に触れてもらう。これからの未来を創る。新しい集いの場から、100年先の日本に工芸があることを願って、鹿猿狐ビルヂングも進化を続けていきます。

<店舗情報>
鹿猿狐ビルヂング
奈良県奈良市元林院町22番(近鉄奈良駅より徒歩7分)

手を洗う時間に、佇まいのよい道具を。「美濃焼の詰め替えボトル」

2020年、出かける回数と真逆に圧倒的に増えたのが手洗いの回数でした。ポンプ式のハンドソープやアルコール消毒を使う人も多いかと思います。

「でも市販のボトルはメーカーごとにデザインもまちまちで、洗面台においた時にそこだけ浮いてしまうのが気になっていました」

そう語るのは、今年新たに登場する「美濃焼の詰め替えボトル」を手掛けたデザイナーの岩井美奈さん。

アイテム名の通り、ボトル本体はポンプをハメるくぼみ部分も含めて、全て焼きものでできています。大切にしたのは「佇まいのよさ」だったそうです。

「毎日頻度高く使うものだから、少しでも心穏やかに過ごせるよう、インテリアとしても楽しめるものをつくりたいと思いました」

今日はそんな思いを形にした「美濃焼の詰め替えボトル」のものづくりを探訪します。

うつわのように表情を楽しめるボトルに

岩井さんが「佇まいのよい詰め替えボトル」をつくるにあたって世の中のアイテムを調べてみると、その多くはプラスチック製で、容量もさまざま。デザインも情報を伝えることが優先のものが多く、インテリアとして置きやすいものは少ないことがわかりました。

「私自身、洗剤やハンドソープは詰め替え用を買うことが多いです。ただ見た目や質感まで気に入る容器にはなかなか出会えませんでした。

そこで思いついたのが、焼きもののボトルです」

「これまで私は食器などの企画を手掛けてきて、産地ごとに異なる焼きものの魅力にたくさん出会ってきました。うつわが食卓を引き立てるように、こういう容器もシンプルでいてちょっと揺らぎのある、うつわのような表情のボトルにできないかなと思ったんです。

また、焼きものは重さがある分、中身が減っても安定して使いやすい利点もあります」

こちらはアルコール消毒液・次亜塩素酸水等を入れて使える「美濃焼の詰め替えボトル シャワー用」

焼きもので詰め替えボトルを作る。

言葉にすれば簡単ですが、試作するほど、「世の中にあまりない」理由がわかってきたそうです。

機能と質感の両立を目指して

焼きものは通常、釉薬をかけて焼くことで水分が素地に染み込むのを防ぎ、汁物などを内側に溜めることができます。

その色合いはもちろん、質感もマットなもの、さらり、ツルリ、様々。つくり手はイメージするうつわの機能や表情を目指して、数種類を配合して焼き上げます。

今回岩井さんが選んだのは、均一なきれいさよりも、焼いた表面にわずかな揺らぎを感じさせる釉薬。

「洗面台のように真っ白でツルリと冷たい印象のものよりは、少しアイボリーに近い、温かみや表情のある質感にしたいなと思いました。手を洗う間に、少しでもホッとしてもらえたらいいなと。ただ、そういう釉薬は粘り気があって、溜まるんですよね」

溜まる、とは?

「かけた釉薬が均一に流れずに、例えばポンプをハメる部分の凹凸に溜まってしまうんです。そうすると焼いた後に、ポンプと噛み合わなくなってしまいます」

右側は釉薬が溜まってしまい、ポンプと噛み合わなくなってしまったもの

目指すのは、インテリアとして置きたくなる、佇まいのよいボトル。機能を果たしながら、質感も大切にしたい。

岩井さんが、この難しいチャレンジを共にするパートナーに選んだのが、美濃焼の産地でした。生産量日本一を誇るどんぶりやモザイクタイルをはじめ、多種多様な製品を手掛ける、日本有数の焼きもの産地です。

日本有数の焼きもの産地・美濃焼でつくったうつわ「産地のうつわ きほんの一式」シリーズ

「一番の難関はやはりポンプとのかみ合わせの部分。ここは高度な技術がないとつくれません。幅広いうつわづくりの実績を持つ美濃焼のメーカーさんなら、きっと実現できるんじゃないかと思いました」

美濃焼は、他の多くの焼きもの産地と同じく分業制のものづくりが浸透しています。うつわの型を作る型屋さん、釉薬を配合するメーカーさん、実際に焼き上げる窯元さん、それぞれと共同で試行錯誤が繰り返されました。

「釉薬でいい質感が出ても、ポンプが噛み合わなければ型を微修正。今度はうまくいった、と思っても、ちょっとした釉薬の調合や窯の中での焼き加減で仕上がりにムラが出てしまったり。新しいチャレンジなので、そんな簡単にうまくいくわけもないんですよね」

一進一退の開発の先にようやく、世の中にありそうでなかった焼きものの詰め替えボトルが完成を迎えました。

左から、手洗い石鹼を入れて使える「液体用」「ポンプ用」、アルコール消毒液を入れて使える「シャワー用」。色は「白」「グレー」の2色

ここを褒めて欲しい、というポイントはありますか?と岩井さんに尋ねると、「私はいいです、つくり手のみなさんの技を褒めて欲しい!」と即答。

「今回はコロナの影響で、ほぼ電話だけのやりとりでものづくりをせざるを得ませんでした。それでも、思わしくない焼き上がりになるたび、『もう一回チャレンジしていいですか?』って電話をかけてきてくれるんです」

いつもと勝手の違うものづくりを強いられながら、繰り返し繰り返し、微調整をしてたどりついた「佇まいのよい」詰め替えボトル。

見た目に楽しめるだけでなく、そこには「手を洗う時間が、少しでも心穏やかなものになるように」との願いがたっぷり詰まっています。

<掲載商品>
美濃焼の詰め替えボトル 液体用
美濃焼の詰め替えボトル 泡用
美濃焼の詰め替えボトル シャワー用

文:尾島加奈子

大相撲を支える「土俵」づくりの裏側。間近に見られる「土俵祭」とは?

今日から始まる「大相撲九州場所」。

近年は、若い世代や相撲女子・スー女と呼ばれる女性ファンも増えて注目されていますね。競技としての迫力はもちろんのこと、古式ゆかしい非日常空間に魅了されて通うファンも多いのだとか。

あの土俵は「いつ」つくられている?

相撲になくてはならない土俵。特別なものというイメージがありますが、開催場所ごとに、その都度、新しいものがつくられているんです。

今日は土俵ができるまで、それから本場所初日の前日に行われる神事「土俵祭り」をのぞいてきました。

土俵祭りの様子
土俵祭りの様子。大相撲協会理事長をはじめ、審判部長以下の審判委員と行司、三役以上の力士らが参列します

土の量は40トン!全て手作業で行う「土俵築」

年に6回開催される本場所、さらにはたった1日の巡業であっても土俵は会場ごとに土を運んでつくられます。この土俵づくりのことを「土俵築 (どひょうつき) 」といいます。

神さまを降ろす神聖な場として、また安全に競技が行えるように都度新しくされるのです。

地方では40トンもの土を用いてゼロからつくりあげますが、現在の両国国技館においては、前々場所で使った土俵の表面を20センチメートルほど削り、新しい土を盛ります。この場合でも8トンほどの土が必要となる大仕事。

場所開催前に45名ほどの呼出 (よびだし=取り組み前に力士の名前を呼び上げたり、土俵の上を掃き清めたりする相撲興行の専門職) さんが総出で、およそ3日間かけてつくり上げます。

土俵築きの様子
木製の大タタキ (右手前) は、土を叩いて固める道具。乾燥してできたひび割れなども叩いて補修する。ビール瓶 (左奥)は、土を滑らかに整える仕上げ作業や、俵の形を整える際に重宝する。割れにくい日本のビール瓶は使い勝手が良いため、海外公演の際にも数本持参するのだそう

土俵をつくる際には機械は一切使用せず、すべて人力で行います。トラックで運び込まれた土を一輪車 (台車) で運び、盛り上げて専用の道具で叩いて固めます。そこへ、五寸釘や縄をコンパスのように使って円を描き、土を削り、俵を埋め込み、再度土を叩いて滑らかに整えて完成させます。

土俵づくりの様子
俵の中身は土、砂、玉砂利。これも一つひとつ手作業で詰め、荒縄で縛って仕上げて土俵に埋め込む

土俵の土は「荒木田」という壁土用の土が最適なのだそう。東京都荒川区荒木田原 (現・町屋) の荒川沿岸にあり、きめが細かく粘土質が強いと言われていました。

東京近郊の開発が進んだ現在は、土質が近い関東近郊のものが使用されています。地方での興行の際は、その土地近郊の土俵に適した土が選ばれます。つまり、地域によって土の色も変わるので、場所ごとの土俵の色合いの差に注目してみるのも楽しそうです。

土俵側面の様子
つるりと滑らかに仕上げられた土俵の面

土台中央の白い仕切り線は、エナメルを塗って書きあげられる。取り組み終了後、毎日手入れされ美しく保たれるのだそう
土台中央の白い仕切り線は、エナメルを塗って書きあげられる。取り組み終了後、毎日手入れされ、美しく保たれるのだそう

テレビ放送で見る取組では、お相撲さんの迫力のためか大きさを感じなかった土俵ですが、そばで見る土俵はとても大きく存在感のあるものでした。この土俵を人の手で毎回つくっているなんて!と、とても驚きました。一見の価値あり!です。

神様を土俵に降ろす儀式「土俵祭」

さて、この土俵を間近に見て、国技館の雰囲気を味わえる機会があります。それは、「土俵祭」。本場所の初日前日の午前10時から行われ、予約せずに誰でも無料で見学できます。

土俵祭とは、場所中の安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈願し、神さまを呼ぶ儀式です。立行司 (たてぎょうじ=最高位の行司) が祭主を務め、脇行司を従えて祝詞を奏上し、供物を捧げます。

正装した相撲関係者が土俵を囲む、厳粛な空気の中で進行されます。

土俵祭りの際の土俵のしつらえ
土俵の上には、7本の幣、榊、献酒の瓶子やお清めの塩などが並ぶ

四方を清めます
清め祓い (榊を用いて四方を清める)

祝詞をそうする祭主
祝詞を奏する祭主

祝詞 (のりと) は、「相撲が始まります。お越しください。土俵の内外で何事もなく場所が終わるようお守りください」と神さまにお願いする内容なのだそう。

四方に白幣を立て、お神酒を注ぎます
四方に白幣を立て、お神酒を捧げる

方屋開口、故実言上
軍配を持って行う方屋開口 (かたやかいこう)、故実言上 (こじつごんじょう) の儀式

「方屋」とは土俵のこと、「開口」とは開くこと。土俵を開く、という意味です。「故実」は昔の儀式や習慣のことで、それを申し上げるという意味。土俵の成り立ちについて、どんなふうにできたか、五穀成就のための儀式であったことなどを口伝で受け継いだ通りの言葉で唱えます。土俵開きを奏じるクライマックスです。

土俵の中に供物を鎮める

これまでの写真でお気付きの方も多いかと思いますが、土俵の中央には四角い穴が開けられています。ここに、神さまへの供物を納めます。これを「鎮め物 (しずめもの) 」といいます。

鎮め物
「鎮め物」をして、献酒する祭主。塩、昆布、するめ、勝栗、洗米、かやの実などの縁起物を鎮め、上から土で埋める

「鎮め物」が埋められている土俵の上で行う相撲。かつて相撲が神事であったことを思い出させる儀式ですね。

最後に関係者一同でお神酒を頂く
最後に関係者一同でお神酒を頂く

こうして儀式を終えると最後は、本場所開始を告げる賑々しい触太鼓 (ふれだいこ) が会場に響き渡ります。

触れ太鼓
呼子さんたちによる触れ太鼓。音を響かせながら土俵周りを三周し、本場所の始まりを告げに町に繰り出していく

さあ、今場所はどんなドラマがあるのでしょうか。楽しみですね。

<取材協力>

公益財団法人日本相撲協会

<参考文献>

『相撲大辞典 第四版』 原著・金指基 監修・公益財団法人日本相撲協会 2015年 現代書館

『日本相撲大鑑』 窪寺紘一 1992年 新人物往来社

『力士の世界』 33代 木村庄之助 2007年 文藝春秋

『大相撲と歩んだ行司人生51年―行司に関する用語、規定、番付等の資料付き』 33代 木村庄之助・根間弘海 2006年 英宝社

『[図解]神道としきたり事典』 監修・茂木貞純 2014年 PHP研究所

文・写真:小俣荘子
こちらは、2018年1月12日の記事を再編集して公開いたしました