香りをたのしむ蚊取り線香。使い切りに便利な小さな「蚊とり香」の魅力

カラフルな小さな蚊取り線香、“いい仕事”してくれます

青々とした草木の様子や虫の声など、生き物たちの生命力を感じるこの季節。虫除けの対策もしたくなるところです。

せっかく用意するなら、かわいらしいものはないかしら?と思っていたらこんなものを見つけました。

ほのかに香り漂う小巻タイプの蚊とり線香です。赤は朝顔、緑は西瓜、黄は柑橘系、紫は紫陽花と、色により香りが異なっていて、柔らかく優しい香りで虫を遠ざけてくれます。1巻が約2時間の燃焼時間なので、ちょっとした屋外でのひとときのお供として活躍しそうです。

箱には2色ずつ入っています。線香立てに差した姿もかわいらしいですね
一般的な蚊取り線香と並べてみました。ちょっと目がまわりそう?

先人の知恵と、自然由来の成分を活かして

製造は、紀州に根差した100年企業「紀陽除虫菊 (きようじょちゅうぎく) 株式会社」。

社名にも入っている除虫菊は、虫が嫌う成分が含まれている部位があり、茎を火にくべるだけでも除虫効果を発揮するといわれているそうです。その除虫菊からつくられた粉末を主成分に、昔ながらの製法の蚊とり線香をつくり続けています。

製品の質を決定づける除虫菊の粉末と燃焼を安定させる木粉、粉同士をつなぐための粉などを配合する作業は今でも職人さんが担当し、品質を保っているのだとか。

丁寧につくられている様子が伺えます。そうしてつくり続けてきた蚊とり線香に香りのエッセンスを加えて生まれたのが「蚊とり香」なのだそうです。

小さな桐箱に、カラフルな掛け紙のかかったパッケージ

お出かけのお供としても、ちょっとしたお土産としても喜ばれそうな小さな蚊とり線香。優しい香りで、夏のひとときが楽しめそうです。

<関連商品>
蚊とり香

文・写真:小俣荘子


—— なにもなにも ちひさきものは みなうつくし
清少納言『枕草子』の151段、「うつくしきもの」の一節です。
小さな木の実、ぷにぷにの赤ちゃんの手、ころっころの小犬。
そう、小さいものはなんでもみんな、かわいらしい。

こちらは、日本で丁寧につくられた、小さくてかわいいものを紹介する連載「ちひさきものは、みなうつくし」から、2017年7月3日の記事を再編集して掲載しました。

突然の雨から守ってくれる、超撥水の風呂敷「ながれ」

突然の雨。

しかたなくビニール傘を買いに走る‥‥そんな経験はありませんか?私はもう何度くり返したかわかりません。家にはビニール傘が増える一方。

折りたたみ傘を持っていればよかった!と後悔しつつ、毎日は持ち運びたくないし‥‥。そんな悩みを解決してくれるものに出会いました。

それは、風呂敷。

超撥水風呂敷『ながれ』

一見なんの変哲も無いように見えるこの風呂敷。ただの風呂敷ではありません。強力な撥水力を持っているんです。

超撥水風呂敷『ながれ』
布が水をはじいて、表面をコロコロと転がるほどの撥水力です

その名も、超撥水風呂敷『ながれ』。

超撥水風呂敷『ながれ』
こんな風に広げれば、布の上を水滴が流れて雨から身を守れます
超撥水風呂敷『ながれ』
布バッグなどを包んで水濡れを防ぐことも

小さく折りたためる風呂敷はかさばりません。かばんに1枚入れておけば、急に雨が降っても安心です。

織物の町、桐生市の老舗企業が生んだ「超撥水技術」

この風呂敷を作っているのは、群馬県桐生市のメーカー「朝倉染布」。1892年の創業以来、生地の加工技術で織物の町を支えてきた老舗企業です。

布おむつの全盛期には、赤ちゃんの肌に優しく、撥水力と通気性を兼ね備えたおむつカバーの開発に貢献。近年は、五輪選手も活用する競泳用の素材や、衣料資材の染色加工を行ってきました。

長年培ってきたこの加工技術から生まれた、独自の「超撥水技術」を風呂敷に施しました。

超撥水風呂敷『ながれ』
超撥水性を持たせることで風呂敷そのものの機能性が格段に進歩した点などが高く評価され、グッドデザイン賞 特別賞 (中小企業庁長官賞) も受賞

水が球体になって転がるほどの撥水力

「超撥水」とは、高い撥水性によって「水滴が面に対しておよそ150度を超える接触角で接する現象」のこと。

通常の撥水(接触角:約110度)
通常の撥水(接触角:約110度)
「超撥水」の状態 (接触角:約160度) 。水滴は球体に近くなり、転がりやすくなります
「超撥水」の状態 (接触角:約160度) 。水滴は球体に近くなり、転がりやすくなります

カメラやPCなど、「絶対に濡らしたくない」精密機器などを守るために買い求める人も多いのだとか。

超撥水風呂敷『ながれ』
濡らしたくないものを包めば安心

水が運べる風呂敷

朝倉染布の超撥水加工は、布の表面ではなく、繊維一本ずつに施されています。布を織る繊維そのものが高い撥水性を持っているので、生地の裏表両面が水をはじく上、通気性が保たれています。

そのため、中身を水から守るだけでなく、水を漏らさずに包むこともできるんです。端を結んでバッグ状にすれば、なんと10リットルもの水を運ぶことが可能なのだそう。

バケツ代わりになる風呂敷として、災害などの非常時用にも注目されています
バケツ代わりになる風呂敷として、災害などの非常時用にも注目されています
超撥水風呂敷『ながれ』
布ではなく繊維に加工が施されているので、絞ることで繊維の間から水を出し、シャワーのように使うことも

100回の洗濯でも撥水効果が持続

さらには、耐久性の高さにも驚きます。洗濯を100回以上繰り返しても撥水性能を保持し続けるそう。

汚れたら洗濯できるのは心強いこと。角を結んで水滴のついた食材を運ぶエコバックにしたり、食事がこぼれても良いように子どものいる食卓に敷いたり、レジャーシートとして使ったり、屋外フェスなどアウトドアでも活躍しそうです。

超撥水風呂敷『ながれ』
食事の時に前掛けにすれば、食べこぼしから服を守れます
超撥水風呂敷『ながれ』
通気性がありムレないので、温泉やプールに出かける際に着替えを入れて運ぶのにも最適です

突然の雨や災害時だけでなく、毎日の暮らしでも色々と活用できる風呂敷。お出かけのおともに、かばんに1枚入れておこうと思います。

<取材協力>
朝倉染布株式会社
群馬県桐生市浜松町1丁目13-24
http://www.asakura-senpu.co.jp/

<掲載商品>
超撥水風呂敷『ながれ』

文:小俣荘子

*こちらは、2019年5月29日の記事を再編集して公開しました

無病息災を祈って飾る「黄ぶな」。宇都宮で愛される郷土玩具ができるまで

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台‥‥清々しくておめでたい節目が「ハレ」なのです。

こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどを紹介します。

「無病息災」の祈りを込めた郷土玩具

江戸時代から伝わる、栃木県宇都宮市の郷土玩具「黄ぶな」。ふっくらとして可愛らしい黄色い鮒 (ふな) の張り子人形です。

栃木県宇都宮の郷土玩具・黄鮒(きぶな)

黄ぶなには、こんな言い伝えがあります。

「昔むかし、宇都宮地内に、天然痘が流行して多くの病人が出ました。そこで村人は神に祈り、病気の平癒を願います。ある日、信心深い一人の村人が、病人に与えるために郷土を流れる田川へ魚を釣りに出かけ、鯛のように大きくて変わった黄色い鮒を釣り上げました。これを病人に与えたところ、病気がたちどころに治ったのです。村人たちはこれを神に感謝し、また病気除けとして、この黄鮒を型取り、毎年新年に神に備えるようになりました」

今では、その愛らしい姿から宇都宮土産としても展開されている黄鮒ですが、無病息災を願って玄関先に飾る風習が残っています。

黄ぶなの顔はなぜ赤い?

栃木県宇都宮の郷土玩具・黄鮒(きぶな)

かつては、秋の採り入れ時期が終わってからお正月までの農家の副業として、多くの人が黄ぶな制作をしていました。徐々に作る人が減り、一時は途絶えてしまいましたが、現在は宇都宮の伝統工芸士である小川昌信 (おがわ・まさのぶ) さんが復活させ、技術を継承しています。

小川さんの工房を訪れてお話を伺いました。

小川昌信さん
小川昌信さん

「黄ぶなの顔は真っ赤ですが、なぜ赤いのでしょう?酔っ払っているわけでないのですよ (笑) 。

郷土玩具の世界では、『赤もの』と呼びますが、かつて中国から入ってきた思想で、赤には厄除けや病気除けなどの意味合いがあります。だるまや福島の赤べこなど、各地に赤い縁起物がありますね」と小川さん。

制作に加え、小学校の伝統工芸の授業のゲスト講師として、小学校やご自身の工房、修学旅行生のために日光での体験教室でレクチャーも行う小川さん。この日も、県内の壬生 (みぶ) 町立稲葉小学校の子どもたちが黄ぶな作り体験にやってきました。

カラフルな黄ぶなができるまで

「この黄ぶな、何でできていると思う?」と張り子の解説から始まる体験教室。

子どもたちは「木?」「土?」と声をあげます。

「答えは紙でした。木型に紙を張りつけて1日半ほど乾燥させます。黄ぶなの腹部を切って木型を取り出して切り口に紙を張る。ほら、こんな風に出来上がるよ」小川さんのレクチャーは進みます。

貼り合わせた紙が乾いたら切り込みを入れて、木型を取り出します。
乾いた紙の腹部を切って、木型を取り出すところ
木型通りの形が出来上がります
木型通りの形が出来上がります

「出来上がったものにひれをつけて形を整えたら、膠 (にかわ。動物の皮を煮出してつくられる天然の接着剤) と胡粉 (ごふん。貝殻などをすりつぶした白色の顔料) を塗って白い下地を作ります。乾いたら、この上から色付けをしていきます。今日は、絵の具でみんなで色を付けましょう。まずは黄色から!」と、色付けが始まります。

※実際に販売される黄ぶなは、膠と染料を混ぜて、硬さを熱でコントロールをしながら着色し、艶のある仕上がりにします。

黄鮒に色をつける子どもたち
黄ぶなに色をつける子どもたち

子どもたちは真剣な面持ちで黄色、赤、緑、黒、金と順番に色をつけていきます。

鮮やかな色を重ねていくとなんだか美味しそうに見えてきたりも。「オムライスみたい!」なんて声が上がり、盛り上がりました。先ほど小川さんから教えていただいた「赤もの」の意味や、家での飾り方も習います。

1年間、玄関に飾ることで徐々に色が褪せていく黄ぶな。初詣の際に神社で購入した黄ぶなは、年末にお焚き上げをして、新年にまた新しいものを飾り、改めて1年間の無病息災を願います。

ちょっとおとぼけ顔の愛らしい姿が玄関で見守っていてくれたら、心が和んで、毎日元気付けられそうですね。

<取材協力>

ふくべ洞

宇都宮市大通り2-4-8

028-634-7583

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2017年11月12日の記事を再編集して公開しました

持ち運びできる茶道具セット、竹俣勇壱さんの手のひら「茶箱」で一服を

「持ち運べる道具」と聞くと、なんだかワクワクしませんか?

食卓を飛び出して外で食事が楽しめるお弁当箱、星空の下だって寝室にできるテントや寝袋。ポータブルな道具は、「いつもの場所」から私たちを解き放ってくれます。

いつでもどこでも、抹茶を楽しむ

実は茶の湯の世界にも、そんな道具があります。その名は「茶箱」。

箱の中にお茶を点てる道具が一式入っていて、お湯を用意して箱を開けば茶室でなくてもお茶が気軽に楽しめるのです。千利休の時代から使われていました。

今日は、とりわけ現代のポータブル性を追求して生まれた小さな小さな茶箱をご紹介します。

片手にすっぽり収まる、「手のひらサイズ」

まずはこちらをご覧ください。

茶箱
直径7.5センチメートルほどの缶に入った茶道具。片手で持ててしまいました!

箱の中身を広げてみると‥‥

茶箱から取り出した茶道具
左奥の銀色の器はお湯を沸かすやかんです。道具の後ろにある通常サイズの茶釜と同じ役割を果たします。大きさにして1/10以下!比べると、その小ささが引き立ちます

奥左から、やかん、茶碗をすすいだ湯水を捨てる建水 (けんすい)
手前左から、茶碗、茶入れ、折りたたみ式の茶杓 (ちゃしゃく)、茶筅 (ちゃせん)、茶筅を入れる茶筅筒、茶巾を挟んだ茶巾筒

小さくてもしっかりお茶がたちます
小さくても美味しいお茶が点ちます

手のひらに収まるサイズ感だけでも大興奮してしまいましたが、中にはしっかりと道具が一式入っています。さらには、一般的な茶箱では別添えで用意する必要がある湯沸かし道具まで、茶箱の一部となっいることに驚かされます。

ヤカン
茶箱の蓋に金具を取り付けると、やかんに早変わり!足元の板に旅館の鍋料理などに使われる固形燃料を置いて火をつければお湯が湧きます。出先でお湯を確保することは案外難しい、という経験から加えられた道具です

この一式に、お抹茶と水さえあれば、本当にどこでも、お茶が点てられてしまうのです。

この茶箱を生み出したのは、金沢の金工作家、竹俣勇壱 (たけまた ゆういち) さん。

竹俣さん
金沢のひがし茶屋街にある町家を改装したアトリエ兼ショップ「sayuu」で迎えてくださった竹俣さん

竹俣勇壱さん
1975年金沢生まれ。95年に彫金を学びはじめ、アクセサリーショップを経て2002年に独立。2004年、アトリエ兼ショップ「KiKU」オープン、2007年には生活道具の製作も開始。輪島塗の塗師、赤木明登氏からの依頼をきっかけに茶杓を製作。以来、茶の湯を研究し、茶箱などの茶道具も手がけるように。2011年、金沢東山に2店舗目となるアトリエ兼ショップ「sayuu」オープンし、そこを拠点にしながら、全国での展覧会も積極的に開催している。

「お抹茶は、粉をお湯に混ぜて飲むもの。手順としてはインスタントコーヒーと同じくらい手軽です。

茶の湯の本筋からはそれてしまうかもしれないけれど、気軽に持ち運べて、どこでもお茶が飲めるものがあっても良いなあと考えました。コーヒーが苦手なので抹茶が出先でも飲めたら嬉しいという個人的な好みもあり、自分が欲しいと思える理想の機能とデザインの茶箱を作ってみることにしたんです」

そう語る竹俣さんに、この茶箱の中身を詳しく教えてもらいました。

テクノロジーも活用したものづくり

茶箱に詰め込まれた工夫を見ていきましょう。

茶碗もぴったり
蓋をあけるとパズルのように無駄なく道具が収まっています。持ち運んでいるときに中でカタカタと揺れ動いて壊れないよう、箱に沿う形の茶碗。茶碗の中に入っている茶入れも木製なので、お互いが接触しても割れにくくなっています

茶碗は、竹俣さんディレクションのもと、金沢を拠点にデジタル技術と工芸の伝統技術を掛け合わせたものづくりを行うsecca (セッカ) が製作しました。3Dプリンタで原型を作り、焼成時の伸縮率も算出し、缶にぴったりと合うサイズを作っているのだそう。

さらには、金属製の道具にも工夫が施されています。

茶筅筒や茶巾筒、やかんの金具は、薄い金属で作ることでしなるように設計されています。これがクッションの役割になって衝撃を緩和します
茶筅筒は、茶筅の癖直しとしても活躍する
茶筅筒は、筒の中で閉じてしまった茶筅の穂先を広げて整える、「茶筅くせ直し」としても活躍する優れものになっています。しなるように設計した結果、伸縮で筒のサイズが変わるので2役を担うことになったのだそう

小さくても、美味しさを諦めない

「小さい器だと茶筅を動かせる範囲が狭くなるので、かき混ぜにくくなります。この茶箱に入れる茶碗は沓形 (くつがた=真円を少し歪めた形) にして、茶筅を縦方向に振りやすくお茶を点てやすくしました」

沓形の茶碗
沓形の茶碗。茶筅はお茶を点てるのに必要な穂先を確保した上で、柄の長さを短くすることで茶箱に収まる長さになっています

「抹茶は濃茶 (泡立てずに濃いめに練るように点てる) と、薄茶 (茶筅で泡立てるように点てる) で異なる茶葉を使いますよね。濃茶の茶葉を薄茶で使うとあまり点てなくても美味しいので、僕は濃茶用のお茶を使うようにしています。

コーヒーのエスプレッソショットを楽しむような感覚で味わえます。茶碗のサイズも、これよりも小さくすると飲み足りない感じになるので、ちょうど良い具合になっているなと気に入っています」

茶筅の横の隙間に、板チョコを入れれば、お菓子も茶箱の中に収まる
竹俣さんは、茶筅の横の隙間に個包装の板チョコを入れておくのだそう。菓子器がなくてもアイデア次第でお菓子も中に収められるのですね

気軽にカバンに入れて運びたい

いったいどんなきっかけでこれほど小さな茶箱を作ろうと思ったのでしょう。

ジュエリーデザイナーだった竹俣さんの元に、輪島塗の塗師、赤木明登さんから茶箱用の茶杓の依頼が舞い込んだことで、竹俣さんの茶道具づくりは始まりました。

「初めて茶杓の製作依頼をいただいた当時、茶の湯について知識はほとんどありませんでした。資料を集めて読み込むなどしましたが、依頼されたパーツだけ作っていても使い勝手はよくわからない。それで、自分でも茶箱を作って使ってみることにしたんです」

茶箱の棚
店内には様々な取り合わせの茶箱が並んでいました
sayuu内観
店の奥には、茶室と作業場が設置されています。作ったものは実際に茶室で試して、使い勝手を検証するのだそう

膨大な資料を読み込んだり、お茶のお稽古にも通って道具を観察したり使い勝手を研究したという竹俣さん。実際に使ってみると、様々な気づきが生まれます。

「古いものを色々と見て真似してみました。茶箱は、自分の好みや仕上げたい風情を考えながら、骨董品など古い物の中から探し、さらには箱に入るサイズを苦労して見つけて組み合わせる方が多いんです。相当に神経を使って選び抜いた道具は、一式で100万円を超えてしまうこともしばしば。

運んでいて1つでも壊れたら、せっかく完成させた茶箱がダメになってしまう。そんなことを考えたら、なかなか気軽に持ち運べるものではないですよね (笑) 」

竹俣さん

「そして実際に持ち運んでみると、一般的に小ぶりだというものも案外大きいなと気づきました。他の荷物が入ったカバンには収まらず、手提げなど荷物がもう1つ増える感じです。大名にはお付きの人がいたでしょうし、元々はこんな風にお茶箱を自分で運ぶこと自体、なかったのでしょうね」

たしかに、今でこそ荷物は自分で運ぶものですが、大勢の家来がいたら、荷物が多少かさばるくらい気にならなかったはず。ちょっと視点を変えて、現代風のカジュアルで運びやすい茶箱を考えてみたくなったのだそう。

さらに茶箱の研究は進みます。

壊れにくく、メンテナンスできるものを

「ヨーロッパでの展示会に出かける際、茶箱を持って行ってみることにしました。飛行機に持ち込もうとしたら、手荷物チェックで止められたことがありました。海外の人にとって、お抹茶は馴染みのないもの。不審物と思われてしまったんです。

それで、お茶缶を開けられて、抹茶の粉がブワーッと舞い広がってしまって (笑) 」

なかなかの大惨事ですね‥‥。

竹俣さん

「これはチェックの厳しい手荷物ではなく、スーツケースに入れて預けるべきだったなあと思いました。預ける荷物に入れるなら、多少手荒に扱われても中で壊れてしまわないものを考えなきゃな、と」

こうして生まれたのが、必要なものがコンパクトにまとまっていて持ち運びやすく、壊れにくい茶箱。この茶箱は、竹俣さんと共に旅を重ねていますが、まだ一度も壊れたことがないのだそう。

「もし壊れても、修理したり取り替えられるように設計しているので、また使うことができます」

カジュアルにお茶を楽しむための道具という位置付けで、高価すぎず、交換やメンテナンスが考えられているのも竹俣さんの茶箱ならではです。

竹俣さんといろんな場所に出かけてきた茶箱
竹俣さんといろんな場所に出かけてきた茶箱。一層手に馴染むものになっているように感じました。この茶箱、私たちもお店や展示会で購入できます (一式13万円 税別) 。人気のため売り切れている場合は、製作依頼も可能とのこと

すぐに使えるお気に入りの道具があると、お茶との距離がぐっと近くなりそうです。お茶って、もっと気軽に楽しんで良いもの、身近なものなんだなあと勇気付けられました。

すっかりこのお茶箱に魅了された、わたくし。ドキドキしながら竹俣さんに制作をお願いしてお店を後にしました。

届いたらどこで使おう。オフィスでの休憩時間、旅先で見つけた景色の良い場所、ピクニックのお供に‥‥好きな場所で、自分の道具で点てたお抹茶をいただくひととき。想像を膨らませるだけで心が躍っています。

<取材協力>
sayuu
石川県金沢市東山1丁目8-18
076-255-0183
https://www.kiku-sayuu.com/

文・写真:小俣荘子

*こちらは、2018年5月9日の記事を再編集して公開しました

徳島に伝わる「遊山箱」。お重を抱えて子どもが走る、華やかな春の風景

徳島に伝わる、小さな小さな手提げ重箱。

ご馳走が詰め込まれた遊山箱
太巻き4つで一段がいっぱいに。手のひらに乗せられるくらい小さなお重です

その名は、「遊山箱 (ゆさんばこ) 」。

三段のお重が入った箱には、様々な絵柄が施されています。

手まりに桜
手まりに桜
糸巻き
糸巻き
絵柄も様々。こちらはなんと新幹線!
新幹線が描かれたものまで

この可愛らしい遊山箱。実は、子どもの節句で使われるお弁当箱なのです。

男の子も女の子も、みんな持っていた遊山箱

かつて徳島には、旧暦のおひな様の頃に春の節句がありました。毎年4月3日になると、このお重にご馳走を詰め込んで、子どもたちは野山へ遊びに出かけていきます。男の子も女の子も一人ひとり自分の遊山箱を持っていたのだそう。

「それぞれの家にカラフルな遊山箱がしまってありました。一年に一度、とっておきの時に使うものでした。毎年、私はこの日が楽しみでたまらなかったんです」

そう語るのは、徳島市内で漆器店を営む市川貴子さん。核家族化などが進行し、高度経済成長期の頃から次第に使われなくなっていった遊山箱を復刻し、現在に広める活動をされています。

市川さんと遊山箱
遊山箱復刻の立役者、市川貴子さん。徳島市内で漆器店を営み、遊山箱を販売しています

塗りのお重を持って遊びに出かける子どもたち‥‥、なんとも雅やかな風習です。どんな様子だったのでしょう。市川さんが当時の情景と共に聞かせてくれました。

支度で家が華やぐ、特別なご馳走

「徳島の中でも、街中、海辺、里山と住んでいる地域によって少しずつ習慣は違ったようです。私は山の子だったので、野山でのお話です。

4月3日が近づくと、家の中で少しずつ節句の支度が始まります。採れたもち米を石臼で粉にしたり、小豆をさらしあんにしたり。

ちょっと家の中が華やいでくるんです。いつもは畑仕事で忙しい両親が家にいる、私のためにご馳走を作ってくれている。それがすごく嬉しくって。鮮やかに色付けされた寒天をちぎったりお飾りになる葉っぱを採ってきたりと、私もお手伝いをしていました。

前夜には、ういろうを蒸します。甘い香りが部屋中いっぱいになって幸せでしたね」

日本三大ういろうに数えられる、徳島のういろう。かつては各家庭にせいろがあり、それぞれの「家の味」があったのだそう。特別な日に登場する身近なお菓子だったといいます。

「4月3日の朝が来ると、母が作ってくれたご馳走を遊山箱に詰め込みます。巻き寿司にお煮しめ、ういろう、寒天。それから、ゆで卵に食紅で目を描いて葉っぱで耳を作った『雪うさぎ』もありましたね。普段は構ってくれない親がこの日ばかりは色々としてくれるんです。

ご馳走いっぱいの遊山箱を持って、お友だちと野山を駆け上がっていきました」

ご馳走が詰め込まれた遊山箱
遊山箱の中。下の段には巻き寿司、真ん中には煮しめ、上にはういろうや寒天を入れるのが一般的だったそう

遊山箱片手に春の景色を

「高いところまで登って行って、万国旗を立てて陣地を作るんです。見下ろすと小学校への道が見えて、遠くには徳島港が広がっています。青紅葉、れんげ畑、タンポポ、菜の花と春の色を探したり、草すべりをしたり、野山を駆け回りました。

小さな谷を挟んだ反対側の小山にも同じように遊ぶ子どもたちがいるのを見つけて声を張り上げると、向こうからも反応があるんですよ。楽しかったですね」

市川貴子さん
市川さんの瑞々しい遊山箱の思い出。伺っていてうらやましくなりました。素敵だなぁ

「途中でお重を開いて、ご馳走を食べてはまた遊ぶ。遊山箱は小さいですから、すぐに空っぽになってしまいます。そうすると家に帰ってまたご馳走を詰めて戻ってくるんです。

巻き寿司なんて、普段は食べられないご馳走中のご馳走でしょう。みんな何度行き来していたかわかりません (笑) 」

遊山箱を持って野山を駆け巡ります
小さなせせらぎを渡る時は大事なご馳走を落とさないように、両手で遊山箱を抱えたんだとか

実は、田に神さまを迎えるお祭り

それにしても、ご馳走はたっぷりでも遊山箱は小さい。なぜなのでしょう?

「春の節句は、農業が始まる時期をひかえ、田の神さまを迎えるお祭りだったんです。子供たちが山と里を行ったり来たりすることで、神さまが一緒に里に降りて来ると言われていました。なんだか可愛らしいですよね」

なるほど、田畑を耕す大人たちにとっても大事な日だったのですね。

市川貴子さん

地域の大工さんによる手仕事

この遊山箱のルーツは、江戸時代に使われていた大人数で使う大きな手提げ重箱。徐々にサイズが小さくなり、子どものものとして定着したのは大正期と考えられています。大工さんが端材を使って手頃な価格で販売したこともあり、広く浸透しました。

子どもが生まれたお祝いに、雛人形と一緒に贈るという地域もあったそう。

「地域によっては堺の商人が注文を取りに来ることもあったと聞いています。中には、お飾り用の越前漆器や輪島塗、螺鈿の施された見事なものもありました」

経済成長につれて消えていった遊山箱

各家に子どもの人数分そろっていた遊山箱。その後、高度経済成長期の頃から次第に使われなくなっていきます。

「核家族化が進む中で、兼業農家が増えていきました。お祭りもそうですが、準備に携われる人がいなくなってしまったんですね。遊山箱を作れる職人さんも次第にいなくなり、街の雑貨屋さんで時折見かける遊山箱は、昔の売れ残りばかりとなりました。

コレクターの方にお話を伺うと、建て替えや引っ越しをする古い家に『遊山箱を譲ってもらえないか』と訪ねていくと、快諾してもらえることが多かったそうです。遊山箱は高級な工芸品ではなく、お弁当箱です。思い出が詰まったものではあるけれど身近な存在だったが故に、守らねばという意識が働かなかったのかもしれません」

この遊山箱は、捨てられそうになっていたところを引き取ったもの
この遊山箱は、捨てられそうになっていたところを引き取ったもの

復活への原動力は、幼少期の幸せな記憶

幼い頃の春の思い出がいつも胸にあった市川さん。「いつか遊山箱を復活させたい」と願っていました。嫁ぎ先の漆器店でも「遊山箱はありませんか?」というお客さんの声を耳にします。

「お店が代替わりして、夫が経営を任されることになった時、これまで温めていた思いをぶつけました。今の時代に売れないのでは?という意見もありましたが、なんとかして実現させたかったのです」

市川さんの熱い思いが通じて、復刻への取り組みが動き出します。まず苦心したのは作り手探し。

「昔の遊山箱を集めることはできても、作る技術を持っている人がなかなかいなかったんです。各地の木地師さんや塗師さんに相談して‥‥助けてもらいました」

やっと復活にこぎつけた市川さん。かつてのデザインを元に、その柄も復刻させていきます。

様々な柄の遊山箱
今ではとりどりの柄の遊山箱が店頭に並んでいます

「コレクターの方を見つけて昔のものをお借りしたり、思い入れのある方々の話を聞いてオリジナルの遊山箱を作りました。柄を鮮明に覚えている方も多いんです。それだけ思い出に残っているということなんでしょうね」

ギフトや体験と組み合わせて

願いが実り、復活した遊山箱。現在はどのように使われているのでしょう。

2018年に発足した遊山箱文化保存協会の理事を務める島内陽子さんに伺うと、時代にあった使い方も生まれているようです。

「ギフトや体験との組み合わせで遊山箱に触れてもらえる機会を増やしていければと考えています。

かつての遊山箱も、初節句のお祝いに贈ることがありました。他県に行かれる方への贈り物、お子さんの誕生祝いなど節句に限定しない使い方も提案しています」

もう一つの提案が、体験との組み合わせ。

「ホテルや飲食店と一緒にイベントを開催しています。ひな祭りやクリスマスなど季節ごとの行事で遊山箱を使ってお料理を提供したり、お菓子やお料理の盛り付けワークショップを開いたり、実際に遊山箱の魅力を体験できる場を設けています。3段重を生かしたアフタヌーンティーには、海外からの参加者もいらっしゃいました。

元々は春の節句に使うものですが、調べているといろんな使い方に出会います。お正月に、姉妹3人でそれぞれ自分の遊山箱におせちを詰めてもらって嬉しかったという思い出を持っている方もいらっしゃいました。食事の席が華やぐ器なんですよね。様々な使い方を提案して、興味を持ってもらうきっかけづくりをしています」

遊山箱の活用例
お花を飾った遊山箱
テーブルの上のお花を飾る器として
アフタヌーンティで使われた時の様子
お茶のイベントで使われた時の様子

「遊山箱は単なるお重の名前ではなく、体験も含めた文化のことだと思っています。旅行で訪れた徳島の楽しかった思い出の中に、遊山箱が登場したら嬉しいですね」と市川さん。

遊山箱は、自然と人のおつきあいから生まれた文化。厳格な定義はない自由なものなのだそう。地域によって大きさや細工も様々。でも、共通しているのは、特別な気持ちで食事が楽しめること。

徳島の野山の景色に思いを馳せながら、自分たちの思い出を作っていきたくなりました。




<取材協力>

漆器蔵いちかわ

徳島県徳島市籠屋町1-1

088-652-6657

http://ichikawa.nm.land.to/



遊山箱文化保存協会

徳島県徳島市南昭和町1-39-1(オンザテーブル内)

088-625-3099

https://yusan-bako.info/

参考書籍:「遊山箱もって」 (やまざき じゅんよ 2019年 教育出版センター)

文:小俣荘子

写真:直江泰治

画像提供:テーブルコーディネートスタジオ ON THE TABLE

*こちらは、2019年4月1日の記事を再編集して公開しました

東京の水を支える有田焼。岩尾磁器工業がつくる、浄水に欠かせない素材

江戸時代初期 (1610年代) 、日本で最初の磁器づくりに成功した佐賀県の有田。

実はこの有田の焼きもの技術、私たちの暮らしのそこここで活躍しています。

建物を装飾するタイルやレリーフなどの景観素材、交通機関や商業施設内のベンチ、洗面台などの衛生陶器、さらにはパイプやタンクなどの工業製品、汚水処理や浄水場など環境分野にも使われているのです。

今日は、思いがけないところで使われている有田焼を紹介します。

東京の「おいしい水」を支える有田の磁器技術

日本が誇る「おいしくて安全な水道水」は、高度な浄水技術に支えられています。この浄水処理に、有田の磁器技術が必要不可欠なのだとか。

東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水。美味しさへの自信が表れた商品です
飲み水として優れていることから、東京都が売り出して話題となったペットボトル入り水道水

今でこそ高い水準を保つ東京の水ですが、昭和30年代は水質汚染が大きな問題となっていました。カビ臭やトリハロメタン (発がん性物質) の懸念まである深刻なものでした。

水質を改善するには、強い酸化力をもつオゾンを使って原因物質を分解させる必要がありました。しかし、オゾン化された空気はその強力な酸化力ゆえに、設備そのものが大きなダメージを受けてしまうという問題がありました。

オゾンによる酸化に耐える素材がなんとしても必要だったのです。

そこで用いられたのが、有田の磁器のノウハウ。

昭和初期から、有田泉山陶石 (有田の磁器原料) の耐酸性に着目し、耐酸磁器の製品化を進め、水処理分野で京都大学と共同研究をはじめていた有田磁器の老舗企業がありました。大阪で汚水処理に取り組んでいた有田の岩尾磁器工業に、東京都から相談が舞い込みます。

下水処理施設生物反応タンクの内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています
下水処理施設の内部。四角いパネルが有田の磁器技術を用いて作られた板。浄水設備にも用いられています

開発したのは、磁器のノウハウを用いた「オゾン用セラミックス散気材」。

酸化しにくいだけでなく、オゾンを微細で均一な泡にする素材で、浄水場に取り込まれた水を効率的、安定的に処理できます。

「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子
「オゾン用セラミックス散気材」を使って行われる浄水の様子 (画像は実験時のもの)

この技術によって、現在はすべての都民に全量オゾン処理した水道水の提供が実現しています。

手仕事で作られる、巨大工場の設備

酸化しにくく、熱に強く、耐久性のある磁器。ハードに操業される大規模工場の設備としても多用されています。

使われる環境や目的に応じて生地の粗さや密度を自由自在に調整できる配合ノウハウ、成形、焼成に有田の技術が生きています。

「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの内側の素材としても使われます
「磨耗しにくい」という強みを生かして、パイプの素材としても使われます。(内側の白い部分です)
さまざまな工業製品。すべて磁器製
さまざまな形のパーツ。磁器製ものもは、分厚いものを焼き上げる、薄いものを均一に作るということが難しいのだそう

工場によって、使われる環境、部品のサイズや形は様々。そのため規格品はなく、すべてオーダーメイドで作られています。

直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます
直径1メートル以上の巨大な工業用磁器パーツ。なんと、これもろくろを使って手作業で作られています!粘土の乾燥具合が違う部分があると焼き上がった時に割れてしまうため、均質な厚みと強度で作る腕が求められます
筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています
筒の外側の凹凸も1つひとつ、手作業で削られています
工業用品の工場だが、こうして手作業で細やかな調整をして作られている
工業用品を作る現場ながら、多くの職人の姿があるのが特徴的な工場でした

「有田では、目に見える美しさだけでなく、求められる品質をひたむきに追い続けてきた歴史があります。
目に見えないところこそ真面目に作る。そんなDNAが有田にはあるように思います」

そう語るのは、岩尾磁器工業の社員の方々です。

世界品質のプレッシャーに応えた、有田のものづくり

では、私たちの暮らしを支える有田のものづくり、その歴史を辿ってみましょう。

17世紀初頭に始まった有田の磁器生産。当時作られたものは、形も焼き具合も不安定で、品質の優れた中国製磁器の足元にも及ぶものではありませんでした。

磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であった、り割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (「佐賀県立九州陶磁文化館」展示)
磁器の生産を試みた初期の失敗作。焼成後に釜の脇に捨てられたものが遺跡の調査で出土しました。形が不安定であったり割れてしまったり、表面に凹凸があったりと課題が多くありました (九州陶磁文化館展示)

日本の磁器が産声をあげたばかりの頃、中国が政権交代の内乱期に突入します。早々に中国での磁器生産が不安定になり輸出が激減。それまで中国の磁器製品を輸入していた世界中の国に影響が及びました。

そこで、磁器を作り始めていた有田に白羽の矢が立ちます。国内のみならず、鎖国中に幕府から貿易が許されていた中国船とオランダ船に乗って、有田の磁器が輸出されるようになったのです。

需要が高まったのは良いものの、求められたのは、磁器の大先輩である中国の品質。役人やオランダ東インド会社からかなり厳しい品質指導があったといいます。

中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺える
中央のロゴ「VOC」はオランダ東インド会社のもの。オランダ東インド会社から注文を受けて作られていたことが伺えます。(「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

海外で求められる磁器は多種多様なものでした。大小の碗皿に始まり、ビールジョッキやワインジャグ、コーヒーポット、汚物入れの蓋付鉢など、日本の生活には無い製品も見よう見まねで必死に作り出荷します。

71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) と、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)
海外輸出された当時の製品。71番ブロックの後ろにあるのはワインジャグ (左) 、73番の後ろはビールジョッキ (右) (「蒲原コレクション」 有田町所蔵、九州陶磁文化館展示)

決死の努力が実り、たった30年ほどの間に飛躍的に品質が向上します。1650年代末には「有田の技術は景徳鎮磁器 (世界的に評価の高かった中国の磁器) と遜色ない」と認められる製品を作り、ヨーロッパへの本格的な輸出も始まります。

この輸出景気を経て、高級品から日用品まであらゆる種類の陶磁器製品を作る有田の体制が整えられていきました。そして、有田の磁器生産技術の礎が築かれていくのです。

困った時の有田頼み。近代化を支えた技術

明治維新後、海外から入ってきた文明のひとつ、電信技術の発達にも有田は一役買っています。

電気を通す設備に必要だった絶縁性のある部品「碍子 (がいし) 」。当初は、輸入品のガラス製のものを使っていましたが、高価で壊れやすいものでした。そこで政府からの要請を受けて、磁器製の碍子が作られました。最初に手がけたのは、今も有田焼ブランドとして名をはせる香蘭社 (こうらんしゃ) 。

電線をつなぐ碍子は、苛酷な使用環境におかれます。絶縁性の良さはもちろん、耐熱性、強度、屋外使用に耐える材質の安定性などが必要でしたが、見事生産に成功し、現在では海外でも使われています。

こうして陶磁器技術は、工業製品にも活用されるようになっていきました。

明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)
明治時代に入ると、有田の技術を生かした大型の製品が盛んに作られるように。欧米の万国博覧会へ出品されると高い評価を受けました (九州陶磁文化館展示)

工場で使うタンクや、酸製造装置の部品、化学薬品の容器などにも磁器が用いられます。また、戦時中に金属の供出が始まると、台所のコンロや釜、鍋、服のボタン、磁器製の缶詰、郵便ポストのような大きなものまで代替品が磁器で作られていたと記録が残っています。

岩尾磁器工業の磁器を使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている
岩尾磁器工業の磁器製品パーツを使って作られた床のモザイク模様。九州陶磁器文化館前の広場に使われている

時代ごとに、私たちの生活を支えてきた有田の技術。くらしと共に発展してきたものづくりの世界がそこにありました。

<取材協力>
岩尾磁器工業株式会社
佐賀県西松浦郡有田町外尾町丙1436-2
佐賀県立九州陶磁文化館
佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1
0955-43-3681

<参考資料>
東京都環境局 データ・資料・刊行物
東京水道局 水道ニュース
「西日本文化 特集 有田 火と土と人と」 1996年4月 西日本文化協会
「海を渡った古伊万里 セラミックロード」 監修:大橋康二 2011年 青幻舎
「欧州貴族を魅了した古伊万里」 監修:佐賀県立九州陶磁文化館 2008年 有田教育委員会
「土と炎 -九州陶磁の歴史的展開-」 編集:佐賀県立九州陶磁文化館 2009年

文・写真 : 小俣荘子
写真提供:岩尾磁器工業株式会社

※こちらは、2018年2月28日の記事を再編集して公開いたしました。