「さんち」の入りぐち ご挨拶にかえて

こんにちは。あなたの“旅のおともメディア”こと「さんち ~工芸と探訪~」です。

さんちは、暮らしの道具である「工芸」と、その「産地」にまつわるメディアです。実際にわたしたちが現地を訪れ、住む人にお話を聞き、その体験を持ち帰っては、あなたへ一通、一通とお手紙を贈るように読みものをつくっています。それから、各分野の目利きによる連載も見どころのひとつです。

さんち〜工芸と探訪〜_さんちの入口

工芸にながれる物語、産地にきらめく一瞬が、あなたのまだ知らぬ発見を後押しできたら。そして、あなたが旅先でさんちのアプリを開いてくれたら。そんな想いを胸に、2016年11月1日から今日まで続けてきました。

ここでは、1年間にわたってお届けした読みものから、わたしたちを知ってもらうのにぴったりのものを選んでみました。まずはひとつ、興味のドアを押してみてもらえたらうれしいです。

たとえば、こんな読みものをつくってきました

工芸カテゴリー/さんち〜工芸と探訪〜

世界にたった2人の職人がつくる、花から生まれた伝統コスメ

さんち〜工芸と探訪〜 伊勢半本店の紅

24歳の職人が作る、倉敷のスイカかご

さんち〜工芸と探訪〜すいか籠・かご
探訪カテゴリー/さんち〜工芸と探訪〜

将棋駒という闘いの道具に隠された物語
映画「3月のライオン」の将棋駒を追って

さんち〜工芸と探訪〜映画「3月のライオン」の将棋駒を追って

燕のメディアを目指す、ツバメコーヒー

さんち〜工芸と探訪〜燕三条 ツバメコーヒー
人カテゴリー/さんち〜工芸と探訪〜

ルーヴル美術館にも和紙を納める人間国宝・岩野市兵衛の尽きせぬ情熱

人間国宝・越前和紙の岩野市兵衛

「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

鯖江・漆琳堂の塗師・嶋田希望さん/さんち〜工芸と探訪〜
食カテゴリー/さんち〜工芸と探訪〜

宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

宍道湖七珍、最高のシジミ汁で〆る松江の夜

日本全国雑煮くらべ
ご当地のお椀でご当地のお雑煮をいただく、をやってみました

日本全国雑煮くらべ ご当地のお椀でご当地のお雑煮をいただく、をやってみました
連載カテゴリー/さんち〜工芸と探訪〜

デザインのゼロ地点「スウェット」
米津雄介
(プロダクトマネージャー/THE代表取締役)

デザインのゼロ地点 第9回:スウェット

わたしの一皿「実りの秋に実らぬ土地もある」
奥村忍
(株式会社奥村商店 みんげいおくむら 代表)

みんげいおくむらの奥村さんによる連載 わたしの一皿・やちむん恩納村の照屋窯のうつわ

気ままな旅に、本「伊賀で目にうつる全てのことはメッセージ」
幅允孝
(有限会社 バッハ代表・ブックディレクター)

ブックディレクター・BACH 幅允孝( はばよしたか )による連載・気ままな旅に、本/さんち〜工芸と探訪〜

さんちのリズムは朝10時

さんちは毎日10時に新しいコンテンツをお届けします。 それから毎月、どこかの地域を特集します。工芸、探訪、食、宿、商い、人‥‥といったジャンルを扱います。

旅のおともにさんちのアプリを

さんちはウェブとアプリでお楽しみいただけます。アプリでは、気に入った記事や産地をお気に入りできる「栞」や、あなたにあった読みものをおすすめする機能付き。さらに、現在地にまつわる情報を探せたり、見どころスポットを訪ねるとオリジナルの「旅印」がもらえたりと、使うほどに“自分だけの手帖”に育つ、旅のおともアプリです。

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「さんち」に込めた想いがあります

このメディアでは「産地」と「さんち」、二つの言葉が登場します。

「産地」とは、ある工芸が、その土地の産業として発展してきた場所を指します。わたしたちは、その場所が外からもっと人を招き入れるところになってほしいという願いを込め、あたらしい価値を輝かせるために「さんち」と呼んでいます。

「さんち」では、工芸の作り手だけでなく、ものの使い手/伝え手が集い、交流します(三智)。ものが生まれるところに買う・食べる・泊まるところが寄り添います(三地)。「○○さんち」にお邪魔して感じるような、その土地にしかない個性を感じられます。

全国の産地が「さんち」になり、そのまわりでみんなが豊かな暮らしを実らせてゆく。わたしたちはそんな少し先の未来を思い描きながら、このメディアをつくっています。

愛着の持てる道具と、それをつかって暮らす毎日につながる、発見にみちた産地旅のおともに。さんちは日本全国の工芸と産地の魅力をお届けします。

どうぞ、ご期待ください。そして一緒に、旅をしましょう。

怪談は負の遺産?小泉凡さんに聞く、城下町とゴーストのいい関係

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

明日はハロウィン。東京・渋谷のスクランブル交差点には、すでに土日から気の早いお化けたちが姿を現しているようです。

実はこのハロウィン、もともとアイルランドの「お盆」にあたる行事だったこと、ご存知でしょうか。

妖精の国とも称されるアイルランドでは、その日に人はお墓参りをしてご先祖の霊を迎え、妖精たちは住処替えをするとされていたそうです。

「異界に繋がる扉が開いて、自由に行き来するという日なんですよ」

このことを教えてくれたのは、民俗学者の小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。

ひいおじい様は幼少期をアイルランドで過ごし、40代で日本に移住して「耳なし芳一」などの民間伝承をまとめた『怪談』の著者、ラフガディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。
小泉凡 (こいずみ・ぼん) さん。島根県立大学短期大学部教授、小泉八雲記念館館長、焼津小泉八雲記念館名誉館長でもいらっしゃいます。専攻は民俗学。主な著書に『怪談四代記 八雲のいたずら』 (講談社) ほか多数。

現在は小泉八雲が暮らした「怪談のふるさと」こと島根県・松江で大学教授を務められています。松江で人気の観光プログラム「松江ゴーストツアー」の生みの親でもあると聞いて、八雲が日本の“ゴースト”に見出した魅力について、お話を伺ってきました。

小泉八雲が愛した地で生まれた、「松江ゴーストツアー」とは?

訪ねたのは松江市にある島根県立大学短期大学部のキャンパス。凡さんの研究室にお邪魔して、まず先日体験の様子を記事でもご紹介した「松江ゴーストツアー」について伺います。

松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺
松江ゴーストツアーで訪ねる月照寺

——夜の時間帯に市内の「怪談スポット」を巡るツアーというのは、とてもユニークですね。どんなきっかけで始まったのでしょうか?

「2005年に松江でご縁のある方をご案内して、八雲が幼少期を過ごしたアイルランドを旅したんですね。

その時に訪れた首都のダブリンで、おばけのラッピングをしたバスが走っているのを見かけたんです。それがゴーストツアーのバスでした。


<アイルランド大使館の公式Twitterで紹介されているゴーストツアーのバスの様子>


気になって、次の日の夜にはチケットを手に入れて乗車しました。そうしたら語り部が俳優みたいに“それらしい”衣装を身につけて、夜20時から22時までの2時間、『取り憑かれた大聖堂』なんてスポットを次々に案内するんです。

『形のないものを訪ねる』という発想が非常に魅力的で、演出も面白いものでした。訪ねた先で語り部のお話を聞くんですが、怖いだけではなくて学びもある。

ダブリンって文学の宝庫なんです。『ドラキュラ』の筆者であるブラム・ストーカーもダブリンに住んでいた時期があって、ツアーで旧ストーカー宅の前も通ります。

2時間の間にいろいろな話を聞いて、帰る頃にはダブリンゆかりの文学にすっかり詳しくなるという内容でした。

非常に感銘を受けてふと松江のことを思い返してみたら、城下町ということもあって多くの怪談話があるぞということに気づいたんです」

土地の物語をツーリズムに活かす

「たとえば、北東の鬼門の方角には『怪談』に『小豆とぎ橋』の話が収録されている普門院、北西の方角には『動く唐金の鹿』という伝説が残る春日神社があります。

西には小泉八雲の随筆『知られざる日本の面影』に登場する、月照寺の大亀や芸者松風の幽霊話が残る清光院。南西の隅には八雲が大好きだった『子育て幽霊』の大雄寺。

月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
月照寺の大亀。夜中に動き出して悪さをしたという
清光院
木の門の向こうに古い墓地が続く清光院

松江城には人柱伝説や、盆踊りをすると大地が揺れたという言い伝えもあります。

こうした物語をツーリズムに活かすことは、ダブリンでゴーストツアーに出会うまで、全く考えてもみなかったんです。

帰国してからすぐに松江にある『NPO法人松江ツーリズム研究会』に話して、ぜひやろうとあっという間にまとまっていきました。

——それだけ特定の地域に怪談が集中しているというのも面白いですね。さすが「怪談のふるさと」!

「だいたい城下の四隅や水陸の境目など、まちの重要な境界地点に怪談が伝わっているんですね。

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

『怪談のふるさと』というキャッチフレーズは、『新耳袋』シリーズで有名な怪異蒐集家の木原浩勝 (きはら・ひろかつ)さんと毎年やっている『松江怪談談義』という対談イベントの中で生まれたんです。

今から5年ほど前に、木原さんが『鳥取の境港は“妖怪のふるさと”、出雲は“神々のふるさと”、雲南は“神話のふるさと”と呼ばれているのに、松江に何もないのはおかしい。“怪談のふるさと”と、胸を張って言える町にしましょう』と発言されたのがきっかけでした」

怪談は、耳に届ける

——小泉八雲は、奥さんのセツに知っている言い伝えを語ってもらい、記録していったそうですね。八雲が耳で集めた話が一度は文字になって、またツアーの中で語り部さんの声で語られる、というのも面白いなと思いました。

民話や伝説など、人の口から口へと語り継がれてきた文学を口承文芸と言います。怪談の多くもそうして伝え残されてきたんですね。

だからゴーストツアーで語られる怪談も、耳に届けるということが一番大切なんじゃないかなと思っています。

ツアーの開始時刻は日没の10分前です。巡るうちにどんどん夜になっていくので、訪ねた先の様子がはっきりと見えません。

日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。
日没10分前に集合して、最初に訪ねる松江城。

見て楽しむ、というものではないんですね。耳で聞く。

松江は夜が暗い街で、例えば月照寺の森の中は、ツアーで訪ねる時間には真っ暗です。参加した方には本当の『闇』を体感することができます。

本来は闇って怖いもの、畏怖の念を覚えるものなんですね。そういう中で突然聞こえてくる音にゾッとしたりする。

電気のなかった時代の人たちが感じた『怖さ』を、ぜひ追体験していただきたいと思っています。

また、怖がって楽しむだけでなく、ダブリンのツアーで得たような、土地にまつわる知識も持って帰ってもらいたいですね」

ゴーストツアー人気の秘密

——そうすると、語り部さんの役割がとても重要になりますね。

「肝試しになってしまうと、一過性のもので終わってしまいます。ツアーづくりで一番大事にしたのが、語り部の養成でした。

これはボランティアガイドさんではない、プロの仕事でなければ意味がない、と感じていました。海外のゴーストツアーも、語り部の方はそれを本業にしています。

当初ガイドには20名以上の応募がありましたが、選考や研修を経て、最後に残ったのは今もガイドをやってくれている3名です。

語り部さん
無念の死を遂げた芸者の幽霊話を語る語り部・引野さん

研修では小泉八雲の最新の研究成果もふまえた知識や、松江の地域の歴史、特に訪問する場所の歴史についてしっかりと学んでいただきました。

さらに怪談が口承文芸全体の中でどういう位置づけにあるのかという口承文芸学や、観光事業ですからホスピタリティ研修も。

そうなるとガイドさんも自分でどんどん勉強していって、自分なりのガイドをするようになっていくんです。

価格も手頃で申し込みも直前まで対応できることもあって、幸い堅調に人を集めていまして、着地型観光としては長続きしている極めて珍しい例だと言われています」

海外のゴーストツアー事情

——先ほど『海外のゴーストツアー』というお話がありましたが、アイルランド以外でもこうしたツアーはあるのでしょうか?

「ゴーストツアー自体は、イギリス、アメリカなど欧米各国ではメジャーな観光プログラムなんですよ。

たとえばアメリカのニューオーリンズではゴーストツアーが目的別に複数用意されています。
怪談を聞くゴーストツアーや吸血鬼伝承を訪ねるヴァンパイアツアーとかね。ゴーストツアー専門の会社も数社あるくらいです」

——ゴーストツアー専門会社!地域の資源を上手に活用しているんですね。

「今まで日本では、怪談や妖怪といったものを『負の遺産』と考えるケースが多かったんです。記録として話を残しても、それを観光に活かすという手法は、あまり取られてこなかったんですね。

そんな中で海外で出会ったゴーストツアーは、墓地やジメジメした沼地といった『負の遺産』をプラスに活かすものでした」

小泉八雲が示した、怪談の中の「真理」

「八雲は、超自然の物語には真理がある、という言葉を残しています。お化けや幽霊が信じられないという時代が来ても、怪談は廃れないと予言しているんですね。

有名なエピソードが松江にある大雄寺の子育て幽霊の話です。八雲は『怪談』の中でこの伝承に触れて、『母の愛は死よりも強い』と語っています。

長く伝え残されているということは、それだけの普遍的な何かがある。八雲は耳にした数々の不思議な話の中に『真理』を見出し、大切にしていたのだと思います。

実際に、小泉八雲が日本各地の言い伝えを綴った『怪談』は、今では各国語に翻訳されて世界中で読まれています。

松江のゴーストツアーにもわざわざ参加のために首都圏からお越しいただく方がいます。私が教えている『妖怪学』の授業も、多く若い学生が学んでいます。

そうした様子を見ていると、これが八雲の語った怪談の真理なのかな、時空を超えて変わらないとはこういうことか、と実感します」

——ゴーストツアーも、「怖い」以上の何かがあるからこその人気なのですね。最後にツアーのこれからの展望をお聞かせください。

「ゴーストツアーというネーミングは各国共通です。

日本でもゴーストという言葉は普及していますし、将来的には松江のツアーにも海外のお客さんが参加してくれるだろうと考えて、松江のツアー名もそれにならいました。

海外のゴーストツアーでは、コースの途中で古いパブに立ち寄って休憩することがよくあります。

そのパブにも怪談があったりして、ゴーストツアー専用のカクテルや幽霊の名前がついた飲み物を飲みながら話を聞いてひと息つくんです。

松江にもコースの途中にそういうお店があったらいいなと思っています」

——「雪女」みたいな日本酒を出してくれたらきっと楽しいですね。

「バスツアーもやってみたいですし、怪談にまつわるお土産の開発も進めようとしています。

うちの学生たちが『ゴーストみやげ研究所』というものを立ち上げて、商品開発に取り組んでいるんです。第一弾は『ほういちの耳まんぢう』ですよ (笑)

こんな風に、文学には文化の創造やまちづくりにも活かせるポテンシャルがあると最近感じてきています。

アイルランドには2015年に、八雲の生涯を庭で表現した『小泉八雲庭園』が誕生しています。新しい文化資源としての出し方として、とても面白いですよね。

場所やものに宿るストーリーが、非常に大事だと思っています。小さな声にも耳を傾けて、親しむことができるかどうか、ですね」

——ありがとうございました。

小泉八雲が記し、今再び松江から世界に向けて発信される「怖い話」。「怖い」の向こう側にある物語に触れると、ハロウィンも怪談も、より一層豊かな体験になりそうです。


松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み:NPO法人松江ツーリズム研究会

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、築島渉

福島の郷土玩具 「野沢民芸」会津張子の赤べこを訪ねて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介していただきます。

連載2回目は丑年にちなんで「会津張子の赤べこ」を求め、福島県西会津町にある「野沢民芸」の工房と店舗を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。

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小さい牛に会うために、郡山駅で電車を乗り換えた。駅のあらゆる壁面に牛がいる。この地方でとても人気があるのを知って安心した。

会津若松駅に到着。私たちを待ってくれていた。

お利口だ!ボタンを押すと、頭まで下げてくれるのだ。駅の出口にて。

本当にどこにでもいる。たとえば、道の駅のパーキングの入り口にも。

はたまた、小売店の前でガーデニングをしたり。

そして、もちろん円蔵寺にも。先祖の牛の横に赤毛の牛がいる。

小さな牛はピノキオのように、職人の巧みで器用な手から生まれてくる。

現代アートに見えてくる。これは、紙のペーストで小さな体をつくるのに必要な型の外側。

太陽の光を避ける日本人のように、日陰で、仲間と一緒に乾かされる。

専門家の手によって、はじめの身だしなみをしてもらう。余分な部分を切り落とし、研磨してもらうのだ。

仲間と一緒に、赤くて美しい衣装を纏うのを、楽しみに待っている。

しかしその前に、下塗りは不可欠だ。

頭と全身が揃った。藁の束に刺され、キャンディのように仕上げを待っている。

色々な入れ墨を描く前に、全身を赤くする。勇敢な祖先の毛並みの色だ。

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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

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進化を遂げた会津の「赤べこ」づくりの裏側を追ってみる。

ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、ワイズベッカーさんと共に訪ねた野沢民芸や会津張子の歴史、そして進化を遂げた赤べこづくりの裏側について、解説したいと思います。

こんにちは。中川政七商店の日本市ブランドマネージャー、吉岡聖貴です。

郷土玩具は主に江戸時代以降に寺社の授与品やお土産、節句のお祝いとして誕生しました。

自然や動物などの形には子どもの成長や商売繁盛、五穀豊穣などを願う当時の人たちの想いが託されています。作られた地域や時代、職人によるわずかな違いも味であり魅力の一つでしょう。

今回訪れたのは、東北地方の中でも「郷土玩具の宝庫」といわれる福島県。

郡山駅で新幹線を降り、磐梯山や猪苗代湖を眺めながらJR磐越西線で向かったのは、会津若松です。「会津張子」が伝わる街で、最も有名なのが赤べこ。

ワイズベッカーさんの写真の通り、赤べこのオブジェやイラストが目に入らない場所はないのではと思うほど、会津地方のアイコンとして愛されています。

赤べこの歴史と伝説

東北最古といわれるほどに会津張子の歴史は古く、400年前の安土桃山時代まで遡ります。
豊臣秀吉に仕えていた蒲生氏郷 (がもう・うじさと) が会津の領主として国替を命じられた際、下級武士たちの糧になるようにと京都から人形師を招き、その技術を習得させたのが会津張子の始まりとされます。

昔は張子づくりに反古紙 (書き損じなどで使えない紙) を利用したため、会津のようにそれが大量に発生した城下町でつくられることが多かったそうです。

会津若松から車で30分ほどのところにある日本三大虚空蔵尊の一つ、圓藏寺。

圓藏寺のなで牛
赤べこ
なで牛の隣には立派な赤べこが (ちゃんと首も揺れます)

約1200年前に建創されたこのお寺が、赤べこ伝説の発祥の地といわれています。

その伝説は、こんなふう。今から400年ほど前の大地震がきっかけで、現在の巌上に本堂を再建することになりました。その際、再建に使う資材を岩の上に運ぶのに困り果てていたところ、どこからともなく現れたのが赤毛の牛の群れ。

赤毛の群れは運搬に苦労していた黒毛の牛たちを助けるも、本堂が完成する前になぜかぱったりと姿を消したといいます。

以来、一生懸命に手伝った赤毛の牛を、会津地方の方言で「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さの象徴、さらには福を運ぶ赤べことして多くの人々に親しまれるようになりました。

会津張子の赤べこも、この伝説にあやかった玩具として生まれたと考えられています。

市場シェア7割の赤べこの産地

赤べこをつくる会津張子の工房は50年前には30軒ほどありましたが、現在は作り手の高齢化が進み、片手で数えるほどになっているそうです。

その中でも、伝統的な型と手法でつくっている作り手の方とは対照的に、技術革新を進め、張子の大量生産を実現したのが野沢民芸。赤べこの市場シェアを尋ねると、なんと約7割が野沢民芸製なのだそうです。

創業者である伊藤豊さんは、学校卒業後こけし職人を志し、こけし製作に7年間携わり、より自由度の高い表現ができる張子の魅力に惹かれ、昭和37年に創業地の名を冠した「野沢民芸」を設立。

従業員が最も多い時期は60~70名ほどいたそうですが、今では絵付担当が約10人、内職を含む組立て担当が約15人、成形担当が2人とほかをあわせて約40人。82歳になる伊藤さんは成形をされ、娘さんおふたりも、それぞれ絵付と広報・事務を担当されています。

創業者の伊藤豊さん (右) と娘さんで絵付師の早川美奈子さん (左)

変わり続けることで会津張子の伝統をつなぐ

創業当初、野沢民芸では、木型を用いた伝統的な張子づくりの手法を用いていました。まず木型に濡らした紙を張り重ねていき、乾燥したら切れ目を入れて木型を取り出す。

そして、切れ目を紙でつなぎ合わせた後、胡粉を塗ってから絵付けをして完成。

しかし、この方法で製造効率を上げるようとすると、木型の数とそれを使って成形する内職さんの数を増やすしかありません。木型に切れ目を入れるため、傷んだ型の交換もしばしば発生します。

また、経営的にも工場のある野沢での直売だけでは売上に限界があったことから、会津若松のような観光地の土産もの屋で販売を拡大する戦略に切り替えたそうです。

そうなると、採算をとるために本格的な量産体制を整える必要があります。そこで、約40年前に伊藤さんが開発したのが、「真空成形法」といわれる張子の製法です。

真空成形法の装置。水槽には原料となる再生紙の溶液が入っている
真空成形後の型枠。溶液に溶けた再生紙の繊維が型枠に張り付き、成形されている
左から伝統的な木型、真空成形法に用いる金型、金型で成形された張子

真空成形法では、再生紙を水と混合した溶液を原料とします。溶液を貯めた水槽に型枠を沈め、ホースで一気に型枠の内水を抜いて真空にすることで、水に溶けた再生紙の繊維が型枠の内側に張り付き成形されるという製法です。

これを思いついたきっかけは、和紙の紙漉き製法からなのだといいます。紙漉きの場合は簀桁を用いて重力で繊維を重ねていきますが、真空成形法では金網を張った金型を用いて強制的に吸引することで繊維を重ねているわけです。

原理を聞くと簡単なようですが、これを思いつき形にする伊藤さんはまさに発明家。木型でつくると一日7体しかつくれなかった張子が、真空成形法だと一日500体もつくれます。

一方で、成形後の工程は、昔とまったく変わらないまま。乾燥したら余分な部分を削り、糊づけ・下塗り・上塗り・絵付けを経て、最後に首を取り付けて完成です。

針と糸で赤べこの首を縫い付ける

「首の角度や揺れ方をみながらバランスをとるのが難しい」と言いながら、目の前でなんなく首を縫い付けていかれる職人さんの手際の良さ。

赤べこの最大の特徴、ゆらゆらと首を振るユーモラスな動きはこうした手仕事により生まれているわけです。

真空成形法による張子生地の量産化は、郷土玩具界の産業革命であったと思います。現在の年間生産数は約15万体、赤べこのみでも約5万体にのぼるそう。

そして、昨年購入した3Dプリンタを使って新たな原形づくりに取り組まれるなど、今もとどまることなく、進歩し続けようとする伊藤さん。

木型を使ってつくられた伝統的な張子は言うまでもなく味があって良いものですが、後継者不足という会津張子の現状に対して伊藤さんが選んだ道は、変わり続けることで会社を未来へと繋げることでした。

赤べこのつくり手としては後発であった野沢民芸が、市場シェア7割を獲得した理由がここにあるような気がします。

赤べこが首を振っているのはクサを食べている様子?

愛らしい表情を浮かべ、ゆらゆらと首を振る会津張子の赤べこですが、昔のものを見てみると、今とはちょっと違った雰囲気であったことがわかります。

戦前は引いて遊べるような台車がついたもの、戦後には千両箱や打ち出の小槌を背負ったものなど、変わった赤べこがつくられていたそうです。

400年の伝統がある会津張子ですが、時代や作者によって創作や変化が加えられていることは、郷土玩具では珍しいことではありません。

昔からの思想や歴史を受け継ぎつつも、時代に合わせて柔軟にアップデートしていくというものづくりのセオリーが、彼らには息づいていたのかもしれません。

上が昭和初期~30年代の赤べこ、下が昭和30年~40年代の赤べこ(日本玩具博物館蔵)

そしてこの赤べこ、何とも鮮やかな真っ赤。あれっと思った方もいたのではないでしょうか。伝説にあった「赤牛」からイメージする牛の色は、実際には茶色に近いでしょう。

単にデフォルメしたと捉えることもできますが、これには理由があると考えられます。

達磨や鯛、獅子などの赤色を基調に彩色されている人形は、「赤もの」と呼ばれます。その昔、赤ものは疱瘡(天然痘) など悪性の疫病除けのまじないや子育ての縁起物とされていました。

病気を引き起こす疱瘡神 (ほうそうがみ) が赤を好むとされたことから、赤で神をもてなし、病を軽く済ませてもらうためです。また、高熱の後、全身に広がる発疹を「クサ」と言うことから、草をはむ牛ならば、天然痘のクサも食べてくれると、赤べこは子どもの守り神としても慕われていました。 (うまいですね!)

風土に合わせた形や素材で作られ、さまざまな祈りが捧げられてきた郷土玩具。色や名前にも、人々の想いが託されているものです。

次回はどんないわれのある玩具に会えるでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第2回は福島・会津張子の赤べこの工房を訪ねました。それではまた来月。

第3回「東京・江戸趣味小玩具のずぼんぼの寅」に続く。

<取材協力>
野沢民芸
福島県耶麻郡西会津町野沢上原下乙2704-2
電話 0241-45-3129

罫線以下、文・写真:吉岡聖貴

芸術新潮」11月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

10月27日、読書の日。洋服のように季節で選ぶ「ブックカバー」

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、「もの」につながる記念日を紹介していまいります。

さて、きょうは何の日?

10月27日、「読書の日」です

戦後間もない1947年。「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、マスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。

その反響は大きく、翌年の第2回からは10月27日~11月9日 (文化の日を中心とした2週間) と定められ、全国に拡がっていきました。現在では、読書週間の初日となる10月27日が「読書の日」と呼ばれています。

感触もよく、心地よい読書

お出かけするにも、本を読むにも心地よい季節、秋。そうそう、せっかく旅に出るのなら、本も1冊連れて行きたい。そんなとき、本が傷つかないようにしたり、表紙が見えないようにしたりと、ブックカバーが活躍します。

手織り麻の単行本カバー

そばに置くからこそ、素材やデザインにもこだわりたいもの。今日は、中川政七商店と京都の染め屋「染コモリ」さんが一緒に作ったブックカバー「季節の小紋」を紹介します。

「季節の小紋」シリーズは、伝統文様と季節のモチーフがかけ合わさったデザイン。使いやすく愛着が湧くように素材にもこだわりました。

素材は、手績み手織りの麻生地。独特なシャリ感があり、薄手で軽くかさばらず、使うほどに柔らかくなり手に馴染みます。織りによる凸凹が手にかかり、紙製のブックカバーよりも滑りにくいというのも特長です。

繊細に調合された染料で染める季節の柄

『きんぎん木犀霞文』 霞がかった月夜に広がる金木犀、銀木犀。香りで秋を知らせてくれる花です
『きんぎん木犀霞文』 香りで秋を知らせてくれる花、金木犀、銀木犀。霞がかった月夜に広がっているよう

染コモリさんの染めの技法は、「手捺染 (てなっせん) 」。柄を染めるため、1色につき1枚ずつ型を作り、ずれないように色の数だけ染色を重ねる、手間と技術が必要な方法です。

もっとも難しいのは、染料の作成なのだそう。その日の気温や湿度によって変化する色の仕上がりを見越して、0.01グラム単位で染料の配合を微調整するところに職人の腕が求められます。調合して、布にのせた段階では仕上がりの色はわかりません。その後、蒸して色を定着させる際に色が変化します。その仕上がりの色を想像しながら配合を決めて行きます。

さんきらい亀甲文
『さんきらい亀甲文』 朱色に色づく「さんきらい」で描かれた亀甲紋に小鳥が舞っています
 『ききょう菱文』 ききょうは、万葉集にも歌われる秋の七草のひとつ
『ききょう菱文』 ききょうは、万葉集にも歌われる秋の七草のひとつ

季節に合わせて洋服を選ぶように、ブックカバーも用意してみる。カバンに忍ばせた1冊の魅力が増して、より愛着がわきそうです。

<掲載商品>
ブックカバー 秋の小紋 (中川政七商店)

<関連商品>
手織り麻の単行本カバー (中川政七商店)
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文:小俣荘子

手のひらにすっぽり収まる物語、ページをめくる“もどかしさ”も愛しい「豆本」

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

—— なにもなにも ちひさきものは みなうつくし

清少納言『枕草子』の151段、「うつくしきもの」の一節です。

小さな木の実、ぷにぷにの赤ちゃんの手、ころっころの小犬。

そう、小さいものはなんでもみんな、かわいらしいのです。

日本で丁寧につくられた、小さくてかわいいものを紹介する連載、第10回はブックアーティストの赤井都(あかい・みやこ)さんがつくる「豆本」です。

三省堂書店 神保町本店での展示販売を訪れて、赤井さんご本人にお話を伺いながら豆本を手に取ってみました。

「小瓶の中に入る本」というテーマで作られた、わずか縦1.2センチメートルほどの豆本『恋ぞ積もりて』
「小瓶の中に入る本」というテーマで作られた、わずか天地1.5センチメートルの豆本『恋ぞ積もりて』。通常サイズと同じ手法で和綴じ製本されています。細かい!

小さいけれど、ちゃんと読めるんです

「豆本」という言葉を聞いたとき、みなさんはどんなものを思い浮かべますか?

ドールハウスなどのミニチュア空間に飾るもの、本を模したフォルムの小物、私はそんなイメージを持っていました。

しかし、実は、豆本は歴とした「読み物」なのです。

多くの豆本作家は「“本”と呼ぶからには、拡大鏡なしの肉眼で物語が読めるものを」という考えを持って制作をしているのだそう。見た目が本の形をしているだけでなく、読み物として成立している。ページをめくっていて、読めることに喜びを感じます。

アメニモマケズ挿絵も入っています
天地7.6センチメートルの『雨ニモ負ケズ』。挿絵も入っています

一般的なサイズの本と並べた、豆本の『恋ぞ積もりて』と『雨ニモ負ケズ』
一般的なサイズの本と並べた、豆本の『恋ぞ積もりて』と『雨ニモ負ケズ』

展開にドキドキしながら、ページをめくる喜び

豆本の魅力を赤井さんに尋ねてみました。

「たとえば、稲垣足穂 (いながき・たるほ) さんの『一千一秒物語』 (月と星を主な題材とした、数行からなる童話風の短い散文集) 。普段手に取る文庫本に印刷すると、物語を読み始める時にすでに結末も視界に映ってしまっているんですね。

一方、豆本にすると1つのお話が1ページに収まらず、数ページにわたって印刷されます。つまり、展開にドキドキしながらページをめくることができる。そんな風に、短い文章の味わい方が普段と変わるのも豆本の面白みだと思います」と赤井さん。

めくって読む楽しみ

豆本は、その小ささゆえにページをめくるのにも時間がかかります。そのため、同じ内容でも、一般的なサイズの書籍で読むのと比べて、同じかそれ以上の時間をかけて読むことになるのだそう。

『恋ぞ積もりて』の中身は、百人一首にも登場する恋の歌です。淡い恋心が次第につのり、深い愛になっていったというラブレター。絹糸で閉じられたピンク色の雁皮紙のふんわりとした感触も楽しみながら、ゆっくりと読み進めると、子供の頃の丸暗記百人一首とは打って変って、情景を想像しながら味わえたように思います。

実際に読んでみると、「すぐにめくれないもどかしさ」も愛おしい、そんな読書体験がありました。

製本も印刷も物語に合わせて様々な技法が用いられる。『恋ぞ積もりて』は素朴な風合いが魅力の活版印刷
製本も印刷も物語に合わせて様々な技法が用いられる。『恋ぞ積もりて』は素朴な風合いが魅力の活版印刷

「感触を味わいながらゆっくりと物語を味わえるのが豆本です。デジタルの時代に紙の本を作る意義は、豆本にあるのかもしれない。そんなことを思いながら作っています」と赤井さん。

「読書の秋」とも言いますが、自宅でゆっくりとくつろぎながら、豆本を通じて物語の世界に出かける。そんな秋の夜長も良いかもしれません。

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豆本 赤い鳥2号『恋ぞ積もりて』

『雨ニモ負ケズ』

赤井都 (あかい・みやこ)

ブックアーティスト。自分で書いた物語をそれにふさわしい本の形にしたいという思いから、独学で初めて作ったハードカバー豆本が、2006年ミニチュアブックソサエティ(本拠地アメリカ)の国際的な豆本コンクールで、日本人初のグランプリを受賞し、2007年連続受賞。さらに、2016年にも同賞受賞。著書に『豆本づくりのいろは』(河出書房新社)、『そのまま豆本』(河出書房新社)、『楽しい豆本の作りかた』(学研パブリッシング)がある。2006年より個展、グループ展、ワークショップ講師、豆本がちゃぽん主催など活動を広げる。オリジナルの物語を、その世界観を現す装丁で手作りする。小さなアーティストブックの作り手として、また講師として活動中。

文・写真:小俣荘子

小泉八雲が愛した松江の「異界」を訪ねて。「松江ゴーストツアー」体験記

こんばんは。ライターの築島渉です。

風光明媚な松江城。歴史情緒ある武家屋敷や、数々の神社仏閣。風情ある日本の風景をそのままに残した美しい城下町、島根県松江市。

実は「怪談のふるさと」でもあるのをご存知でしょうか?最近では夜の松江で怪談スポットを巡る「ゴーストツアー」が人気を呼んでいます。

きっかけは19世紀から20世紀へと時代が移り変わるころ、松江に魅せられたひとりの外国人ジャーナリストの存在。耳なし芳一などの民間伝承をまとめた『怪談』の筆者、ラフカディオ・ハーン、のちの小泉八雲です。

今日は小泉八雲が愛した松江の、ちょっと怖いお話を。

ラフカディオ・ハーン 孤独な少年時代

イギリス国籍のハーンですが、父親はアイルランド人、母親はギリシャ人のギリシャ領生まれ。家族はダブリンへ移住するも、アイルランドでの暮らしに馴染めなかった母親は、ハーンが4歳のときに離婚。二度とハーンとは会うことがなかったといいます。

両親の離婚後も、事故による左目の失明や、引き取られた先の大叔母の破産など不遇の青年時代を送ったハーンでしたが、その後ジャーナリストとして自立、アメリカでの記者時代を経て日本へ渡ります。英語教師として松江で働くことに決めたのは40歳のときでした。

世界中を転々としたハーンが、やっと静かに腰を落ち着けた土地、松江。「ヘルンさん」と地元の人に親しまれる穏やかな暮らしの中で、日本人女性小泉セツを伴侶としたハーンが、日々の中で見聞きしたり、セツから伝え聞いた不思議な話しを文学として綴った怪奇文学作品集『怪談』は、今も日本人の心を描いた名作として読み継がれています。

小泉八雲が愛した松江の「異界」をめぐる「ゴーストツアー」

『怪談』執筆のきっかけとなり、ハーンが人力車を走らせて社寺を巡り御札を集めたというほど神秘的な歴史町、松江。そんな松江の「夜」を語り部とともに歩いて巡る散策ツアー「松江ゴーストツアー」があると聞いて、参加して来ました。

出発は「日没時刻10分前」の松江城。夜の帳とともにあたりが異界へと変貌を遂げるこの時間から、徒歩とタクシーを使って市内の怪談スポットを巡ります。主宰する松江ツーリズム研究会から、ベテラン語り部の引野さん、ガイドの畑山さんを案内役に出発しました。

ギリギリ井戸
語り部の引野さん

「松江にはいろいろな不思議な話がありまして‥‥この松江城、なにせ400年も前のことですから、石を積むだけでも相当大変だったんです」

だんだんと日が暮れていく城内のしっとりとした雰囲気を肌に感じながら、向かったのは「ギリギリ井戸」。語り部・引野さんによれば、松江城築城には積んだ石がすぐに崩れてしまうなど様々な苦労があったのだという。

そのため、この土地、亀田山(神多山)にお祓いをせずに工事を行っている祟りだという噂が後をたたず、崩れた場所を掘り返してみるとなんと髑髏の山が。

お祓い後水が湧き出て、覗き込むとその様子が「つむじ」 (出雲弁の「ギリ」) に似ていたことからついた名前が「ギリギリ井戸」だったのだそう。その他にも町娘が人柱になったという悲しい言い伝えなど、松江城にまつわる不思議なお話が次々。日中の荘厳な松江城とは、まるで別の場所に来たようです。

石の大亀が町中を歩き回った?

松江藩の廟所が並ぶ月照寺

松江城から次の目的地、月照寺まではタクシーで。松江藩主を務めた松平家代々の廟が納められている菩提寺です。松江を治めたお殿様たちの廟、つまりお墓が広々とした敷地の各所に置かれるこのお寺の中を、それぞれの逸話を伺いながらゆっくりと。

名主といわれる第7代松江藩主・不昧公 (ふまいこう) の廟ももちろんこのお寺の中。松江は京都、金沢と並んで茶処や菓子処として知られていますが、その文化をつくったのが大名茶人として知られたこの不昧公だったといいます。

さて、ゴーストツアーの行き先は、第六代宗衍 (むねのぶ) 公の廟所。ここに、ハーンの随筆『知られざる日本の面影』に登場する、大きな石碑を背負った「亀趺」 (きふ) の像があります。

亀趺は亀そっくりに見えますが耳があり、伝説の妖獣なのだそう。

亀趺の石像
亀趺の石像

「宗衍の廟の前に置かれた大亀の石像。ところが、夜になるとこの大亀がドーン、ドーンと寺の中を動き回り、あろうことか寺を出て町でも悪さをするようになったのです‥‥」

大杉に囲まれた神聖な場所で伺う語り部さんのお話は、そんなこともあるかもしれない、と思えてくるほど。大きな石像を前に、お寺のひんやりとした空気を感じながら思わず息を潜めて聞き入ります。

当時は藩の家来たちが城下で幅をきかせ、人々が苦しんでいた時代だと言います。そのうっぷんがこんな怪談話になったのかもしれない、と歴史的な背景も伺うことができました。

芸者松風の霊が今もさまよう清光院

次の目的地までは夜の松江をちょっとだけ散策です。「この辺は真っ暗になりますからね」とガイドさん。

実は今回は、写真撮影のため日没より少し早く松江城を出発したのですが、このあたりですでに周囲はだんだんと薄暗く、まさに「異界」に足を踏み入れつつある雰囲気に。

まるでタイムスリップしたかのようなお寺、清光院に到着です。

清光院
門の向こうに古い墓地が続く清光院

小高い丘にある清光院へは、長い石段を上がっていきます。門の向こうにぼんやりと見える塔やお墓は、ゴーストツアーのムード満点というところでしょうか。

清光院には、人気芸者と知られていた松風の話が残っています。

相撲取りと恋仲になっていた松風に、並々ならぬ恋心を燃やしていた武士がいました。ある日、武士は道端で偶然に松風と出会い、無理やり自分のものにしようと迫ります。その武士の手を逃れるように松風が逃げ込んだのが、この清光院だったとか。

「どうにか位牌堂の前まで逃げて来た松風でしたが、ついには武士に追いつかれ、『俺のものにならぬなら、いっそ!』、バサッ!武士に斬りつけられ、命を落としてしまったのです。そしてほら、その階段のところに血がベッタリと‥‥」

語り部さん
松風が切られたという階段の前で語る語り部・引野さん

今上がってきたばかりの階段を息を切らし逃げたという松風にすっかり感情移入していた私。

引野さんの臨場感あふれる語りで、まるでその場面が目の前に見えるようです。その後松風の幽霊が町の人に噂されるようになり、階段の血は洗っても洗っても落ちなかったという言い伝えのあるこの清光院。

夜には本当に真っ暗になるため、足元を懐中電灯で照らしながらの移動になるのだとのこと。怖すぎる‥‥。

ハーンが描いた母の愛「飴を買う女」の大雄寺

大雄寺
城下の西端、水と陸の境にある大雄寺

城下町らしい町並みに江戸情緒を味わいつつ最後に向かったのは、ハーンの収集した怪談のうち、『飴を買う女』の舞台となった墓地がある、大雄寺。すぐそばを小川が流れる、由緒あるお寺です。

「怪談の舞台っていうのは、西の端と、水と陸の境目の場所が不思議と多いんです。ここも松江城下の西の端で、水際ですね」

民俗学的な視点からも怪談について教えてくれる語り部さん。石垣と白壁の立派な門を抜け、古い古い墓石が立ち並ぶ大雄寺に足を踏み入れます。

「水飴を売っているお店に、毎晩器を持って水飴を買いに来る青白い顔の女がおりました。毎晩毎晩やってくるので、何か事情があるのかと聞いても答えません。

ある日女の帰りをそっとつけてみると、女が水飴を大事そうにかかえて、大雄寺に入っていくのが見えました‥‥」

女の姿はある墓地の前で消えてしまいます。かわりに、遠くから赤ちゃんの泣き声が。驚いて墓を掘ってみると、水飴の入った器の横に、女の亡骸と赤ちゃんがいた‥‥というこのお話は、松江だけでなく、日本にはいくつか似たお話もあるのだとか。

大雄寺
「飴を買う女」が消えたという墓地

到着した時には怖いと感じた大雄寺の墓地ですが、愛する我が子のために死んでもなお幽霊になって子どもを育てようとしたこの愛情深い物語を聞くと、「怖い」というよりも「哀しい」という思いがこみ上げてきます。

ハーンはこの物語を特に好んでいたと言われ、『怪談』で「母の愛は死よりも強い」とこの物語が結ばれていることは、幼いころに母親と引き裂かれたハーンの心情が垣間見えるようです。

ラフカディオ・ハーンが愛した不思議の町 松江

そんなハーンが愛する妻を得て、やっと心安く暮らすことができたのが、ここ松江の町。しっとりとした情緒あふれる松江の地で、妻から聞く不思議な物語、そして町に伝わる様々な伝説が、ハーンの知的探究心と、文学者としての繊細な感受性を刺激したのだろうと想像します。

「松江ゴーストツアー」は約2時間、最後は松江城前までタクシーで移動してのお別れとなります。帰りのタクシーの中で、ガイドさんがこんな話をしてくれました。

「お客さんは一回しかツアーに参加しないけど、私たちは何回もゴーストツアーに同行してるでしょう。そしたら、『こんな場所でこんな音しないはずだけど』ってことが、時々あるんです。

お客さんは『わぁ、すご〜い、どんな仕掛け?』とか笑ってるんですけど、もう、私たちのほうは『仕掛けじゃないよ、本当だよ!怖いよ!』って!」

終了時にはお清めの塩もいただけるこの「松江ゴーストツアー」。昼とはまた違った顔を見せる松江の夜を、覗きに行ってみませんか。

松江ゴーストツアー

・参加費:一人1,700円(税込)

・詳細・申し込み・お問い合わせ:NPO法人松江ツーリズム研究会「松江ゴーストツアー」

文・写真:築島渉