二〇一七 神無月の豆知識

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱です。

連載「日本の暮らしの豆知識」の10月は、旧暦で「神無月」のお話です。

神様はどこへ消えた?

その語源には諸説あり、「無」は「の」という意味で、神を祭る月から「神の月→神無月」という説が有力のようです。

また、10月には全国の八百万の神様が、一部の留守神様を残して島根県の出雲大社へ会議に出かけてしまうので、ほかの地域に神様がいなくなることから「神 (の) 無 (い) 月」になったという説もあり、反対に出雲の国では神様がたくさんいらっしゃるので「神在月 (かみありづき) 」と言います。

俗説ですが、後者の説が面白く、なるほどなと腑に落ちます。

島根県立古代出雲歴史博物館には、八百万の神様が大集合した『大社縁結図』が展示されています。出雲大社に集まった神様たちが木の札に男女の名前を書き、相談しながら「縁結び」しているところを描いてあり、なにやら神様を身近に感じられるので、出雲に行った際はぜひご覧いただくことをおすすめします。

そして、神無月は晩秋から初冬。お鍋の、季節です。

神無月は、新暦では10月20日~11月20日頃にあたります。

季節の変わり目で気温差の激しいこともあるので、服装は重ね着で徐々に冬の到来に備える時期ですね。また、食卓にはお鍋の登場が増えてくるのではないでしょうか?

簡単で栄養バランスも良く、身体も芯から温まるので我が家も鍋が大活躍し始めます。中でも土鍋が好きで、いくつか持っていますが、今回ご紹介するのはスープなど煮込みに似合う深鍋タイプの土鍋です。

土鍋

作り手は、京丹波の山の麓で作陶をされいてる石井直人さん。大学卒業後の1980年頃、倉敷民芸館のバーナード・リーチ作の染付を見たのがきっかけで陶芸の道を志したそう。京丹波の原野を開墾し、ご自身で築かれた登り窯で作陶をされています。作品全体からは力強くも生活に馴染む民芸の流れをどことなく感じます。

縁あって手に入れた深鍋は、厚みと重みもしっかりありますが、比較的柔らかい土でつくられたようで欠けやすさに気も使います。でも、その存在感に惹かれてキッチンでも常に見えるところに置いています。コトコトと煮込む時間や土鍋から感じる滋味深さが好きで、秋冬の使用頻度は高まります。

金属でなく、土鍋ならではの良さもある。

土鍋は金属に比べると熱伝導が悪く、温まるのには時間が掛かりますが、蓋をしておけばしばらくは熱々が続くほど保温力が高いのです。お味噌汁やスープなど食卓でおかわりをするメニューにはぴったり。沸かしなおす手間もなく嬉しいものです。

特に石井直人さんのこの鍋は深さがあるせいか、「まだこんなに熱いの?」と驚くほどの保温力。

土鍋で作るとなぜか美味しく感じるので、その理由を探ったところ、やはり温度がゆっくり上がる点が大きいようです。根菜は酵素が働きやすくなって甘みが増したり、煮崩れを起こすことなく余熱でも味が染みます。

お米も根菜同様に、ゆっくり火が回ると甘みは増すことがとある実験でもわかっています。また、火あたりがやさしいので、火があたっている部分とそうでない部分の温度差が少なく、炊きムラもできません。そういえば初めて土鍋でご飯を炊いた時の美味しさには感激した覚えがあります。

土鍋のふち。美しい釉薬が見える

石井直人さんは、最近はあまり個展もされないそうで、京丹後のご自宅に隣接したギャラリーで展示販売をされています。奥様の石井すみ子さんは、「暮らしのデザイン室」というコンセプトのギャラリー店舗を別棟で営まれており、ご自身でデザインされた台所用品や洋服、家具などの暮らしの道具を販売されています。お二人の作られる器や道具は、まさに生活から生まれ、お二人の人生さえも感じられる存在感があります。

教えたいような秘密にしておきたいようなギャラリーですが、ちょっと人里離れた場所にひっそりと佇むので、ご興味のある方は行かれる前にご連絡されることをおすすめします。

美しく、愛すべき土鍋があることで、ささやかな幸せを感じることが出来る神無月の暮らしの道具です。

<掲載情報>
石井直人 独華陶邑

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、
美味しい食事、美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美
写真:杉浦葉子

来たれ、ものづくりのまちへ。1泊2日で楽しむ鯖江の旅

こんにちは。さんち編集部です。

9月の「さんち〜工芸と探訪〜」は福井県の鯖江特集。鯖江のあちこちへお邪魔しながら、たくさんの魅力を発見中です。今日は、いよいよ10月12日から鯖江で開かれる「RENEW×大日本市鯖江博覧会」に向け、さんち編集部おすすめの、1泊2日で鯖江を楽しむプランをご紹介します。お祭りより一足先に、見どころを巡ってみましょう!


今回はこんなプランを考えてみました

1日目:ものづくりと移住のまちで漆器に親しむ

・ヨーロッパ軒:福井名物ソースカツ丼の元祖
・うるしの里会館:漆器のことを学ぶならまずここで
・漆琳堂:生まれ変わった老舗漆器工房でワークショップも楽しめる
・ataW:独時のセンスが光るセレクトショップ
・くめちゃん:移住者たちも足繁く通う河和田の社交場
・福井ゲストハウス SAMMIE’S:旅人とまちをつなぐ場所

2日目:めがねのまちと紙の神様がいる里をめぐる

・迦毘羅:84歳のマスターが腕を振るう絶品カレー
・めがねミュージアム:めがねショップで自分のぴったりのめがね探し
・味見屋:110年以上続く、なつかしくて美味しい老舗食堂
・大瀧神社:日本でも珍しい紙の神様を祀る神社
・和紙の里:越前和紙のすべてを知ることができる

では、早速行ってみましょう!


1日目:ものづくりと移住のまちで漆器に親しむ

1泊2日の鯖江旅は、JR北陸線・福井駅からスタート。1日目は越前漆器の産地、10月のイベントのメイン会場でもある鯖江市河和田 (かわだ) 地区をめぐます。河和田ではここ数年で、ものづくりを志す移住者も増えているそうですよ。

【昼】福井名物ソースカツ丼の元祖
ヨーロッパ軒

JR北陸線の福井駅に到着したら、まずは鯖江方面に向かう前に腹ごしらえ。旅先ではやっぱりその土地の名物を食べたい!というわけで向かったのは、福井駅から車で約5分の場所にある「ヨーロッパ軒」です。ここでは福井県の有名なB級グルメ、ソースカツ丼をいただくことができます。

地元の人にとっては「ソースカツ丼といえばヨーロッパ軒!」というほどおなじみの味。薄くカットした上質なモモ肉とロース肉に、100年以上前にドイツで料理の修行を重ねた初代が発案したという秘伝のタレとの相性は抜群です!おなかもいっぱいになったところで、鯖江市・河和田地区に向かいましょう!

総本店は福井駅からもアクセス良好
愛らしい牛のキャラクター。創業当時は日本で豚肉を食べる習慣があまりなく、牛肉のカツから始まりました

ヨーロッパ軒の情報はこちら

【午後】漆器のことを学ぶならまずここで
うるしの里会館

車を走らせ、到着したのは「うるしの里会館」。約1500年の歴史を持つ越前漆器の里、河和田地区の中心部にあります。館内では越前漆器の歴史や製造工程などが学べる回廊型展示スペースや、約1300点の越前漆器を展示販売するミュージアムショップ、漆をふんだんに使用した茶室「漆黒庵」、地元職人による蒔絵のパネルをはめ込んだ格天井の和室など、見所がたくさん!職人さんが実際に作業をしている様子を見学することもできます。

今回は車で向かいましたが、「RENEW×大日本市鯖江博覧会」の期間中である2017年10月14日(土)、15日(日)は、JR鯖江駅とうるしの里会館をつなぐ無料シャトルバスが運行します。JR鯖江駅は福井駅から在来線で15分ほどの距離なので、電車と組み合わせて使えば効率的に見どころを回ることができそうです。移動は電車派、の方はぜひ利用されてみては。

ミュージアムショップには様々な用途で用いられる1300点の漆器が並ぶ
ミュージアムショップには様々な用途で用いられる1300点の漆器が並ぶ
茶室「漆黒庵」。実際に利用することもできる (要問合せ)
茶室「漆黒庵」。実際に利用することもできる (要問合せ)

うるしの里会館の情報はこちら

【午後】生まれ変わった老舗漆器工房でワークショップも楽しめる
漆琳堂 (しつりんどう)

「うるしの里会館」から徒歩3分ほどの場所にあるのが、1793年の老舗、漆琳堂 (しつりんどう) の直営店。もともと顧客向けの展示場だった店舗を2016年7月、「ショップ」、「ショールーム」、「ワークショップ」、「工房見学」の機能を持つ空間にリニューアルしました。

なかではポップな色合いの漆を用いたオリジナルブランド「aisomo cosomo (アイソモ コソモ) 」、「お椀や うちだ」をはじめとした商品の販売や約1000種以上の漆器の展示のほか、「お椀の拭き漆」体験や「金継ぎ教室」も楽しめます。「RENEW×大日本市鯖江博覧会」期間中もワークショップが開催されますのでお楽しみに。

ポップなカラーが特徴のオリジナルブランド「aisomo cosomo」と「お椀や うちだ」のお椀
ポップなカラーが特徴のオリジナルブランド「aisomo cosomo」と「お椀や うちだ」のお椀
漆琳堂の女性職人が作る漆を使ったアクセサリー。今後、広く販売を予定
漆琳堂の女性職人が作る漆を使ったアクセサリー。今後、広く販売を予定

漆琳堂の情報はこちら

【午後】独時のセンスが光るセレクトショップ
ataW (アタウ)

旅の楽しみの一つが買い物、という方も多いのではないでしょうか。河和田地区の玄関口に位置するataWでは、福井でつくられたものはもちろん、国内外の作家による食器や洋服、日用品、家具、アクセサリー、デザインプロダクトなど、幅広い商品を扱っています。

見た目の美しさや機能だけでなく、作家のものづくりの考え方や手法、ストーリーなどを重視してセレクトしている商品は、普段使いできるものから、これはどんな使い方をするのだろうと想像力をかき立てるものも。一つひとつ商品を手にとってじっくり眺めたくなる、そんなお店です。

関坂漆器独自のプロダクトも。イギリスのデザイナーIndustrial Facility (インダストリアル・ファシリティ) と協働で作られた「STORE (ストア) 」は、業務用漆器の技術を活かした多目的容器

ataWの情報はこちら
>>>>関連記事 :デザインとアートの間を行き来する「ataW」

【夜】移住者たちも足繁く通う河和田の社交場
やきとり&ホルモン ファミリー居酒屋 くめちゃん

夜は地元の人たちが集う居酒屋「くめちゃん」へ。ここは地元の社交場のような場所で、河和田に移住した人たちもよく通うそうです。焼き鳥やホルモンをつつきながら座敷席で打ち上げや宴会で盛り上がるもよし、1人でカウンターに座って隣の人と語らうもよし。気さくな大将や地域の人々と言葉を交わしていると、初めて訪れても昔馴染みのような居心地の良さを感じられるはず。楽しい河和田の夜を過ごすのにぴったりのお店です。

開店早々から賑わうカウンター
開店早々から賑わうカウンター

やきとり&ホルモン ファミリー居酒屋 くめちゃんの情報はこちら

【宿】旅人とまちをつなぐ場所
福井ゲストハウス SAMMIE’S

エントランスの看板

たっぷり河和田エリアをめぐった1日目。再びJR福井駅方面へ向かいます。本日のお宿は2015年8月にオープンした「福井ゲストハウス SAMMIE’S」です。DIYでモダンに改装された空間は、初めて訪れてもどこか懐かしさが漂う雰囲気。オーナーの咲子さんに今日あった出来事を話したり、福井のおすすめ情報を聞いたりしながら、翌日の行き先を決める人も多いそうです。オーナーの人柄とまるでおばあちゃんの家に来たかのような居心地の良さに、次回もまた泊まりたくなること必至です。

宿泊者が集うリビング
宿泊者が集うリビング
福井の観光情報が豊富に揃う
福井の観光情報が豊富に揃う

福井ゲストハウスSAMMIE’Sの情報はこちら


2日目:めがねのまちと紙の神様がいる里をめぐる

【朝】84歳のマスターが腕を振るう絶品カレー
迦毘羅(かびら)

福井で朝を迎えたのならぜひ訪れてほしいのが、創業56年の歴史を持つ老舗喫茶「迦毘羅」。福井の歓楽街「片町」の入り口、大通りを1本入った路地にあり、現在84歳のマスターが半世紀以上にわたって自慢のカレーライスとコーヒーを振る舞っています。お店は朝9時から営業しているので、朝食にもぴったり。マスターがつくる「スペシャルカレー」の味に魅了され、福井県民はもとより、県外からも多くのリピーターが訪れるのだそうです。

訪問時には必ず食べたい「スペシャルカレー」 (1100円・税込) 。

【午前】めがねショップで自分のぴったりのめがね探し
めがねミュージアム

メガネオブジェ

カレーで元気をつけたら、鯖江市街地へ。鯖江ではまちのあちらこちらにめがねを見ることができます。なかでも「めがねミュージアム」はめがねショップ、体験工房、めがね博物館からなるめがね尽くしの施設。これは訪れないわけにはいきません。

ミュージアム内のめがねショップでは、福井県内のメーカー約40社が製造する3,000本以上の最新・人気フレームを展示販売。眼鏡士によるめがね選びや、視力検査、めがねのクリーニング・フィッティング・調整など、快適にめがねをかけるためのサポートが受けられます。これを機に自分にぴったりのめがねを探してみてはいかがでしょうか。

めがねミュージアムの入り口

めがねミュージアムの情報はこちら

>>>>>関連記事 :「めがね尽くしの街!鯖江にいると何から何までめがねに見える」

【お昼】110年以上続く、なつかしくて美味しい老舗食堂
味見屋

2日目のお昼は、鯖江市民に「地元のおすすめのお店」を聞くと必ず名前が挙がる「味見屋」に行ってみましょう。明治30年代から110年以上続く老舗の店内では、中華そば、オムライス、しょうゆカツ丼など定番メニューが約80種類!どれを注文しようか迷ってしまうかもしれません。なかでも毎朝手打ちされるという自家製の麺を使った中華そばにはファンも多く、お昼の時間帯には行列ができるほどの人気ぶりです。

しょうゆカツ丼(730円)も人気メニューの一つ

【午後】紙の神様が祀られる神社へ
岡太(おかもと)神社・大瀧神社

ここからは越前エリアに足を伸ばします。やってきたのは越前和紙の産地、今立地区にある岡太神社・大瀧神社。ここには越前和紙発祥のきっかけとなったお姫様、川上御前が「紙の神様」として祀られているのです。国の重要文化財にも指定されている社殿の荘厳な佇まいは、見るものを圧倒するほど素晴らしく、細かな彫刻もぜひ目を凝らして眺めたいところです。

境内入り口には大きな杉の木がそびえ立っています
緻密な彫刻は永平寺の勅使門を作り上げた宮大工、大久保勘左衛門によるもの

岡太神社・大瀧神社の情報はこちら

【午後】越前和紙のすべてを知ることができる
越前和紙の里

1泊2日の旅もいよいよ終盤です。最後に訪れたのは岡太神社・大瀧神社から車で5分ほどの場所にある「越前和紙の里」。ここでは、「和紙の里通り」を中心に、昔ながらの和紙づくりを見学できる「卯立(うだつ)の工芸館」や越前和紙の歴史を学ぶことができる「紙の文化博物館」、紙漉き体験ができる「パピルス館」など越前和紙の魅力を体感できる施設が点在しています。

3つの施設をじっくり回るためにも、ぜひ時間に余裕を持って訪れたいところ。歴史ある越前和紙に詳しくなって、旅の最後を締めくくるのはいかがでしょうか。

伝統工芸士が紙を漉く様子を見学することもできます。
パピルス館内の和紙ショップではさまざまな和紙の商品を購入することができます

和紙の里の情報はこちら
>>>>>関連記事 :「紙の神様に会いに行く。越前和紙の里でまち歩き」

旅の最後にもう一箇所立ち寄りたい方には「猫寺」で有名な御誕生寺(ごたんじょうじ)もおすすめです

越前漆器、めがね、和紙をはじめさまざまなものづくりの産地が集積している鯖江・越前エリア。今年10月に行われる「RENEW×大日本市鯖江博覧会」は、普段は公開されていない工場もその門戸をあけ、実際のものづくりの現場を見学・体験できる、まさに特別なイベントです。 (10月12日 (木) ~15日 (日) 開催) 。

ものづくりの今に触れる、驚きと発見に満ちた産地旅へ。ぜひこの機会に鯖江を訪れてみてはいかがでしょうか。

さんち 鯖江ページはこちら

撮影:石原藍、いつか床子、上田順子、小俣荘子、川内イオ
写真提供:ataW

RENEW×大日本市鯖江博覧会

RENEW×大日本市鯖江博覧会

10月12日 (木) ~15日 (日) に福井県鯖江市で「RENEW×大日本市鯖江博覧会」が開催されます。

期間中「さんち〜工芸と探訪〜」のスマートフォンアプリ「さんちの手帖」は、
「RENEW×大日本市鯖江博覧会」の公式アプリとして見どころや近くのイベント情報を配信します。

また、すべての見どころで「旅印」を集めると「漆琳堂」×「tokyobike」の自転車がもらえる企画も実施します。

多彩なコンテンツで“工芸と遊び、体感できる”イベントです。ぜひお越しください!

【開催概要】

開催名「RENEW×大日本市鯖江博覧会」
開催期間:10月12日 (木) ~15日 (日)
開場:福井県鯖江市河和田地区・その他
主催:RENEW×大日本市鯖江博覧会実行委員会

オフィシャルレセプション:10月12日 (木) 19:00~@鯖江市河和田地区内 PARK

 

公式サイト
公式Facebookページ
公式ガイドアプリ(さんちの手帖)
その他のイベントチケット購入はこちら

「己を封じることから生まれる創造性」6歳から能面を打つ、若き職人の話

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

みなさんは古典芸能に触れたことはありますか?

気になるけれどハードルが高い、でもせっかく日本にいるのならその楽しみ方を知りたい!そんな悩ましき古典芸能の入り口として、「古典芸能入門」を企画しました。そっとその世界を覗いてみて、楽しみ方や魅力を見つけてお届けします。

今月は2回に分けて、「能面」の世界を探っています。

前編では、能面の役割と、硬い木でできた面から伝わってくる豊かな表情の秘密に迫りました。後編となる本日は、幼くして面の魅力に引き込まれ、名だたる能楽師からも注目を集める若き職人の元を訪ねました。

仮面に魅入られた職人を訪ねて

仮面に魅入られた若き職人、新井 達矢 (あらい・たつや)さん、34歳。

新井さんは面をつくる「面打 (めんうち) 」です。能面をはじめ、狂言面や舞楽面などの制作もされています。面との出会いは3歳の頃。地元神社の祭り囃子で、ひょっとこのお面に興味を持ち、自分でボール紙で作ってみたら面白かったことが原体験だといいます。5歳の頃、無形文化財選定保存技術保持者の能面師・長澤氏春氏(ながさわ・うじはる 2003年没)の出演するテレビ番組を見て、父親と長澤氏の個展会場へ。

翌年も個展へ出かけて能面に見入っていたら「遊びにおいで」と長澤夫人から声を掛けられ、長澤氏との交流が始まります。古い能面や資料などの膨大な所蔵品に惹かれて指導を受けるように。基本の作り方は独学。本を読んで作り方を学び、自己流で彫った面を、年に数回ほど師の元へ持参してアドバイスを受け、手を入れてもらいます。

新井さんの本棚。能や能面に関する書籍がずらりと並ぶ
新井さんの本棚。能や能面に関する書籍がずらりと並ぶ
面を打つ新井さん
面を打つ新井さん

長澤氏を介して出会ったシテ方観世流の梅若万紀夫氏 (現 万三郎) から「任せるから彫ってごらん」と、初めての注文を受けたのが中学1年生のとき。自作の面を最初に本舞台で使ってくれたのは梅若研能会の水野泰志氏 (現 梅若) 。新井さんは高校1年生でした。

面について語る新井さんのお話を伺っていると、いかに面がお好きか、真摯に向き合ってこられたかが伺えますが、その情熱や才能はすでに10代の頃から注目されていたのですね。

21歳の時には、観世流能楽師の中所宜夫 (なかしょ・のぶお) 氏がその力強い面に感動して舞台で使ってくれることに。その制作から本舞台までの様子はドキュメンタリー映画『面打 / men-uchi』 (三宅流監督) となって公開されました。東京造形大学に在学中、「新作能面公募展」で、文部科学大臣賞奨励賞を最年少で受賞。現在も本舞台で使われる面の制作、古面の修復や写し、実演や講演など面と向き合い続けています。

牡蠣や蛤の貝殻を風化させて粉砕し精製される白色の顔料「胡粉 (ごふん) 」。面の彩色に使われます
牡蠣や蛤の貝殻を風化させて粉砕し精製される白色の顔料「胡粉 (ごふん) 」。面の彩色に使われます

子どもの頃から人生の多くの時間を面と向き合ってきた新井さん。その魅力を尋ねると「面の多様な表情」「古面を写すことの創造性」という答えが返ってきました。200種類以上もあると言われる能面には、老若男女、人だけでなく神様、鬼など様々なものがあり、まずはその造形に惹かれたと言います。

次第に形だけではなく、舞台上で本来の美しさを発揮し、芸能の中で生きる存在として面を捉える意識が強くなったそうです。

能楽師の各家では、所蔵する能面を代々使い続けています。中には600年以上も昔、室町時代から伝わっているものも。そうした面の修復や、貴重な古面を写すことも面打の仕事です。20代のころはゼロから作る創作面に傾倒した時期もあった新井さんですが、今は古面と向き合うことが何より面白いと言います。

長い歴史の中で使い続けられてきた面が内包する凄みや、人の手で作られたとは思えない人知を超えた面に出会い向き合うことに面白みを感じるのだそう。

古面を写す際には、手作業で図面を起こし型紙をとります。細かくデータを取る様はCTスキャンのようですね
古面を写す際には、手作業で図面を起こし型紙をとります。細かくデータを取る様はCTスキャンのようですね
サイズを測るために使われる定規
サイズを測るために使われる定規
型紙にピタリと合うまで何度も調整されます
型紙にピタリと合うまで何度も調整されます

「これだけ細かく型紙を取ったからといって間違いなく写せるというわけではなく、なかなか本面と同じにならないものです。まずは古面を眺めて、その魅力や生命感、背負ってきた歴史を感じ取るようにしています。また、彩色についても江戸時代から伝わっている技術が存在していると思われている方も多いのですが、必ずしも技術は伝えられていません。古面を見ながら、どうしたら同じ色、質感になるのかを考え、挑戦する。それをひたすら繰り返し考え抜く創造的な仕事だと思っています。写すことによる発見は多く、日々勉強させられることばかりです」

輪郭などの下絵も描いては彫り、描いては彫りという作業を繰り返し作り上げていく
輪郭などの下絵も描いては彫り、描いては彫りという作業を繰り返し作り上げていく
白い面に陰影をつけたり古みを出す古色(こしょく)。布につけてポンポンと塗布することで風合いを出す。舞台上での表情の移ろいを生む効果もあるという
白い面に陰影をつけたり古みを出す古色(こしょく)。布につけてポンポンと塗布することで風合いを出す。舞台上での表情の移ろいを生む効果もあるという

制作する上で一番大切にしていることを伺うと、思いがけない言葉が返ってきました。

「自分を出さない努力をしています。能は過去の物語に入っていくものですので、現代の匂いを極力なくしていくようにしています。そうした中でもどうしても自分が出てしまう部分もあります。そのせめぎあいの中で、実際に舞台で使われた時に生きる面を作り出したいと思っています」

現代の私たちは、何かを作る際、オリジナリティを追求する傾向にあります。一方で、自分をいかに抑えるかを考えて作られる能面。そこには、静の中にたぎる情熱を抱えた能の演目同様に、抑え込む中に生まれる創造性を感じました。

◆新井 達矢さん作品展「八人展 工燈-コウトウ-」
仏教美術 木彫 能面 神楽面
期間:2017年11月10日 (金) ~14日 (火)
時間:11:00〜18:00
作家:新井 達矢、梶浦 洋平、黒住 和隆、田中 俊成、新井田 慈英、林 円優、宮本 裕太、杉本 一成
会場:「高岩寺会館」とげぬき地蔵尊 高岩寺
   東京都豊島区巣鴨3丁目35-2
問い合わせ:080-6660-7297(代表 黒住)

出品予定の一面「曲見 (しゃくみ) 」
出品予定の一面「曲見 (しゃくみ) 」 写真提供:新井達矢

文・写真:小俣荘子

わたしの一皿 道南の海を描く

食べ放題の北海道を旅してきました。みんげい おくむらの奥村です。9月上旬。まだすばらしい緑色の大地。あと一ヶ月もすれば紅葉の景色が楽しめるでしょうか。食欲が止まらない季節の入り口に、美味しい空気。

あまりイメージがないかもしれないけど、北海道にも焼き物ってあるんです。ここでいう焼き物は食べ物じゃない、うつわのこと。冬が寒い北海道は土が凍ってしまうので、焼き物をするのは簡単ではない。しかし、江戸末期から明治にかけて北海道でも焼き物の文化が生まれ、今やたくさんの作り手がいます。

廃校が工房に。景色の中で産まれるうつわ。

その一つが今回のうつわを作っている、ソロソロ窯。窯主の臼田さんは東京に生まれ、焼き物を沖縄に学び、奥様のご縁で10年ほど前に北海道の南部、厚沢部町 (あっさぶちょう) に窯を築きました。

窯へは函館の中心部から車でのんびり1時間半ほど。函館の町を抜けるとどんどん山の風景が広がってきます。北海道らしい深い森や、広大な畑、黄金色の田んぼ。ワクワクする風景。

ソロソロ窯は集落の廃校を工房にしています。学校と言っても、もともと大人数がいたような学校ではなく、小中学校が一緒になった、平屋のこじんまりとしたもの。元職員室だという、ろくろ場、その窓から広がる景色のすばらしさ。

校庭だった場所には薪窯や薪置き場、敷地の外にはかぼちゃやそばの畑。奥には山。こんな景色を眺めながらする仕事はどんなものだろうか、とうらやましすぎてクラクラする。四季折々の景色をできれば眺めてみたいもの。ここらへんでは、窯を焚いても煙を誰も気にしないんだそう。みんな薪ストーブの生活だから、薪や煙はあたりまえの景色。なんとも北海道らしい話です。

こちらの焼き物はとてもシンプルで、おだやかな印象。鉄分の多い、黒っぽい土の上にベースの白、あるいは呉須 (ごす) という藍のような青。薪の窯で焼くと灰がかぶったり、窯の中で置かれていた位置によって火のあたり方が違ったりで、ベースはシンプルなのにそれぞれにおだやかな個性が加わります。

さて、今日はうつわと食材がご近所さん。ソロソロ窯から東に海を目指す一本道のゴールは木彫りの熊で有名な八雲町の1つの集落である落部 (おとしべ) 。ここは噴火湾に面していて、ボタンエビ漁の盛んな港町。ボタンエビのシーズンは春と秋。今は秋漁が始まったばかり。

バットにいっぱいのボタンエビ

今日のボタンエビはの特におおぶりで、水揚げから数時間のうちに送ってもらい (到着はさすがに翌日だけど) 、新鮮なうちに刺身に。この時期のメスはふっくらした体。そしてお腹にパンパンに卵をもっているので、それもしっかりいただきます (あ、ボタンエビの頭は忘れずにお味噌汁に。ダシ、最高ですから) 。

ボタンエビを処理しているところ

写真じゃ伝わりにくいけど、うつわは呉須の深い青がうつくしい鉢。ボタンエビの卵のあざやかな青ときれいなグラデーション。ぷりっぷりのエビの身にカボスを少々しぼって。あとは塩か醤油か、お好みで。

身の甘み、卵から感じるかすかな塩気。口に含めば思わず笑ってしまう。うはははは。月並みな言い方かもしれないけど、目を閉じればボタンエビの漁場である噴火湾の景色が広がります。北海道、おそるべしだな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

給食にも越前漆器。食育の町、鯖江で気づいた「物育」の可能性

こんにちは。ライターの小俣荘子です。

ここ数年で広く知られるようになった「食育」という考え方。実はこの言葉、福井県出身のお医者さんが考案したものだとご存知でしょうか?初めて使われたのは明治時代、福井県出身の医師・石塚左玄 (いしづか・さげん) の発表した「科学的食養長寿論」の中でのことでした。

石塚左玄医師のふるさとである福井県では、2005年に食育基本法が定められた当時から全国に先駆けて食育推進計画をつくり、食育の大切さを伝える事業に取り組んできました。

栄養にまつわる教育にとどまらず、地産地消、地場産業で作られる食器や地域の伝統料理を伝えるイベントの開催など、食文化全体の教育を目指した施策がとられています。

中でも、1500年の歴史を持つ越前漆器の産地である鯖江市では、なんと給食用の食器として漆器が使われているのです。漆器でいただく給食、子どもたちはどんな様子で食事をしているのでしょうか。鯖江市河和田 (かわだ) 小学校を訪ねました。

鯖江私立河和田小学校

学校生活に溶け込む伝統工芸

正面玄関から校内に入ると、目の前に大きな蒔絵 (まきえ) 作品が現れて目を奪われます。毎年行われる蒔絵教室の作品で作られた衝立 (ついたて) なのだそう。

蒔絵教室で生徒が描いた作品を使って作られた衝立
「蒔絵」は、漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金属粉を「蒔く」ことで器面に定着させる技法です
蒔絵の衝立のアップ画像

越前漆器の里である河和田地区に位置し、ものづくり教育にも力を入れている河和田小学校。地域の作家さんから寄贈された作品や、伝統技術を使って作られた備品などが校内の各所にあるとのこと。これは、ぜひ拝見したい!と、給食が始まるまでの間、上木 (うえき) 教頭先生に校内を案内していただきました。

河和田地区の伝統工芸士作品も寄贈されています
河和田地区の伝統工芸士作品も寄贈されています
精巧な蒔絵が美しいお重
精巧な細工が美しいお重
保護者の方々から寄贈された作品も
保護者の方々から寄贈された作品も

こうした作品が校内のあちこちに展示されているほか、パネルや教室の表示板、ネームプレートなどにも蒔絵や沈金 (ちんきん) 技術が施されていることにも驚きます。

各教室やスペースの表示板も漆塗りです
各教室やスペースの表示板も漆塗りです
ネームプレートも漆塗り。河和田地区がかたどられています。こちらは校長先生のプレート
ネームプレートも漆塗り。河和田地区がかたどられています。こちらは校長先生のプレート
保護者の方々によって手作りされた蒔絵フレームの時計は、各教室に合わせたオリジナルデザイン。こちらは図工室で、絵の具のパレットがモチーフ
保護者の方々によって手作りされた蒔絵フレームの時計は、各教室に合わせたオリジナルデザイン。こちらは図工室で、絵の具のパレットがモチーフ
家庭科室の時計は、水道の蛇口デザインでした
家庭科室の時計は、水道の蛇口デザインでした

こうして子どもたちのために用意された作品を見ていると、高級なイメージのある漆が、とても身近なものに思えました。日々の学校生活の中で地域の伝統技術に触れられる機会を通して、地場産業への理解や愛着も育まれるように感じます。食を通じた学びを食育と呼ぶように、ものを通じて豊かな心を育むことは、『物育 (ぶついく) 』とも呼べるかもしれません。

自分たちで作った野菜で給食を

そろそろ給食の時間が近づいてきました。せっかくなので、給食室にもお邪魔します。

給食室の前には、食べ物にまつわる子どもたちの蒔絵作品が並んでいました。中には漆器を描いたものも。

給食室前の蒔絵。給食の絵には漆器が描かれていますね

そして給食室前の廊下には、たくさんの立派なかぼちゃが!なんと、すべて学校の畑で獲れたものなのだそう。

ゴロゴロと並んだ大きなかぼちゃ。まるで市場のよう!
ゴロゴロと並んだ大きなかぼちゃ。まるで市場のよう!

食育の一環として、河和田小学校では、校庭の横に畑を作り、全校児童で野菜を育てています。うまく育ったものは給食や調理実習にも使われます。さすが食育の本場です!

豊かに実った畑の様子。今年の河和田小学校の畑はとても順調で、すでにたくさんの収穫ができているそう。「畑仕事が上手な先生がいてくれると心強いんですよ」と上木先生がにっこりと教えてくださいました
豊かに実った畑の様子。今年の河和田小学校の畑はとても順調で、すでにたくさんの収穫ができているそう。「畑仕事が上手な先生がいてくれると心強いんですよ」と上木先生がにっこりと教えてくださいました

畑を見せていただくと、かぼちゃやさつまいもなどのほか、福井の伝統野菜で鯖江の特産品の「吉川なす」も育てられていました。収穫量が使う分量に満たない場合は、鯖江市の全面バックアップによって地域の農家さんから仕入れることができます。地域一体となって、地元の食材に触れる機会が作られていました。

こちらは、学校の向かいにある田んぼ。前日に、学生ボランティアと一緒に4年生が稲刈りを行ったばかりでした
こちらは、学校の向かいにある田んぼ。前日に、4年生が学生ボランティアと一緒に稲刈りを行ったばかりでした

いよいよ登場!漆器でいただく学校給食

さて、教室からは給食の美味しそうな香りが漂ってきました。ツヤツヤの漆器たちも一緒に登場です。

漆器に乗せられた給食

飯碗と汁椀は木製の漆器、お盆とおかず用のお皿は樹脂製の漆器となっています。これまで、木製漆器は食器洗浄器に向かないとされていましたが、越前漆器協同組合の研究開発により「食器洗浄器でも洗える」画期的な漆器が誕生しました。給食での漆器利用のために技術開発まで行う様子に、地域の人々の熱意を感じます。

樹脂に漆を塗る技術も鯖江が長く培ってきたものです。お盆には滑り止め加工が施され、子どもたちが扱いやすいよう配慮されています。
学校側でも、漆器に傷がつきにくいようにと、運搬用のカゴやおたまは樹脂製のものを使い、食洗機の温度やスピードを調整するなど細やかな工夫がされていました。

漆器を傷つけないよう配慮された配膳セット
漆器を傷つけないよう配慮された配膳セット
おたまも樹脂製です
おたまも樹脂製です

この日お邪魔したのは5年生の教室。1年生からずっと漆器で給食を食べてきた子どもたち。扱いはお手の物です。

私の小学生時代の給食といえば、ガチャガチャとした音の立つ騒がしい時間でした。一方で、ここでは食器の扱いが自然と丁寧になるのか、音はほとんど立ちません。
大人たちの配慮によって傷がつきにくい環境が作られているのは確かですが、それだけではない、器を大切に扱う子どもたちの様子が印象的でした。

器をしっかりと持ち、丁寧によそい、お盆にそっと置く
器をしっかりと持ち、丁寧によそい、お盆にそっと置く
食材や料理名を学ぶため、挨拶の前に当番制でその日のメニューを読み上げます。そして、「いただきます!」
食材や料理名を学ぶため、挨拶の前に当番制でその日のメニューを読み上げます。そして、「いただきます!」

この日は、「地域の方とのコラボ献立」の日。地元で採れた、ごはん、先ほど畑で見た吉川なすのケチャップマーボー、もやしときゅうりのナムル、冷凍みかん、牛乳が並びます。

学校の畑で獲れた野菜も使われています
学校の畑で獲れた野菜も使われています

「自ら使い手・作り手になってみる」その先にあるもの

配膳後、給食台の片隅に置かれたご飯粒の付いたおしゃもじを席に持ち帰った男の子がいました。いただきますの挨拶が済むと、まずはそのおしゃもじのご飯粒をきれいに取り、自分の給食と一緒に食べていました。ごはん1粒でも無駄にしない、大切にいただく。当たり前のことではあるのですが、その当たり前が自然となされている様子に胸を打たれました。

給食の時間、食育について案内してくださった栄養教諭の宮澤美智子先生にこのことを伝えると「食育の授業や農業体験、地域や家庭での食を通じた交流から自然と養われた食べ物を大切にいただく習慣なのでしょうね」とおっしゃっていました。

片付けの時間に子どもたちに話を聞くと、家庭でも漆器を使っている、授業で習ったこと (ご飯を炊くなど) を家庭でもお手伝いでやっているといった誇らしげな声がたくさんあがりました。

印象的だったのは、子どもたちが単に「教わる」だけでなく、「使う」「作ってみる」機会が多く存在すること。

地場産業に触れる蒔絵教室、漆塗りのネームプレートや学校備品、福井県から小学1年生全員に贈られる越前塗のお箸、季節ごとの野菜づくり、——そのほかにも、「食育チャレンジ」と称して家庭で料理などを手伝うワークを実践したり、プロの料理人を講師に招いて調理実習を行い、高級漆器でいただく会も開催されます。

福井県で独自に作られた「食育チャレンジ」プログラム。学習状況に合わせて栄養教諭の先生方が活用し、子どもたちの実践機会がつくられている
福井県で独自に作られた「食育チャレンジ」プログラム。学習状況に合わせて栄養教諭の先生方が活用し、子どもたちの実践機会がつくられている

地場の越前漆器も生かした河和田小学校の食育には、ただ教わるのではなく、そこに数々の実践の仕組みや、地域の方々との交流の場が豊かに設けられていました。子どもたちは自ら使い手・作り手になってみることで、普段当たり前に触れている食事や食器の向こうにある、ものづくりの大変さや魅力まで、体験することができます。

2009年から行われている鯖江市の農林政策課による年別調査では、漆器を使う、漆器の良さに気づいた、この地域に生まれてよかった、という人が増加しており、また、学校独自のアンケートでも、「自分が好きだ」と思える子どもが増えたといった結果が出ているそうです。「自分で作ってみる、お手伝いをしてみることで達成感が生まれ自信につながっているようですよ」と宮澤先生もおっしゃっていました。

「食」や「もの」を通じて、心が豊かになっていく。河和田小学校の取り組みは、「食育」だけでなく、土地のものづくりを生かした「物育」の実践の現場とも言えそうです。

文・写真:小俣荘子

移住の町、鯖江市河和田。暮らしてみて実際どうですか。

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。

突然ですがみなさんは、「移住」を考えたことがありますか?

私が今回取材をしたのは、全国でも珍しく人口が増え続けている地域、福井県鯖江市。その東部に位置する人口4200人ほどの小さな町、河和田(かわだ)地区に、近年多くの若者が移り住んでいるそうです。

移住目的の多くは、この地域の産業。河和田地区は漆器、めがねの一大産地であり、周辺地域を含めると和紙、刃物、たんす、焼き物など、様々な工芸品が作られているものづくりの町です。その産業に惹かれ、県外から人が集まっていることから「移住の町」として注目を集めています。

河和田地区

ところで、「移住」にどんなイメージをお持ちでしょうか。最近よくメディアで取り上げられるその言葉は、“スローライフ”、“田舎暮らし”といったニュアンスで伝えられることが多いような気がします。
だけど、河和田で出会う人たちはそのイメージとは少し違いました。毎日頭をフル回転させながら、時には深夜、休日まで時間を惜しんで働く人たち。

「この町を変えたいと思ってる」
「田舎も都会も、自分で仕事をつくりだすのは同じ」
「今の環境が本当に楽しい」

と、いきいきと話す若者が集まるパワフルでエネルギッシュな小さな田舎町。もしかすると、都会のように簡単に情報が入ってきにくい地方だからこそ、感度が高く自ら動く行動力を持った人たちが集まっているのかもしれないと思いました。

彼らはなぜこの町に移住したのか?不安はなかったのか?住んでみて実際どうなのか?
生活のこと、仕事のこと、移住をした若者たちに今の様子を聞いてみました。

町を変えた、1人目の移住者

新山「僕が河和田に来た頃、ひとりも知り合いがいなかったんです。まずは出会いを求めて、地元の人に若者が集まる繁華街を聞いて行ってみたら‥‥ただのショッピングセンターでした(笑)」

TSUGIの新山直広さん。2009年に河和田に移住
TSUGI代表の新山直広さん。2009年に河和田に移住

新山直広(にいやま・なおひろ)さん
・クリエイティブカンパニーTSUGI 代表
・1985年大阪生まれ
・2009年に移住

学生の頃から参加していた「河和田アートキャンプ」の事務局立ち上げを機に福井県鯖江市へ移住。事務局、市役所を経て、河和田のものづくりに特化したクリエイティブカンパニー「TSUGI」を立ち上げ。地元の産業に携わるグラフィック、イベントなどのクリエイティブを行う。

そう笑うのは、河和田でクリエイティブカンパニーを運営するTSUGIの新山さん。河和田地区に移住した最初の若者です。この方が移住者を増やしたと言っても過言ではないキーマンです。

河和田アートキャンプとは

2004年の河和田豪雨をきっかけに、株式会社応用芸術研究所の片木孝治さんが始められた「地域づくりプロジェクト」。福井県鯖江市の「河和田地区」に全国から学生たちが集まり2ヶ月ほど暮らしながら、地域の課題と向き合い解決していく試み。2017年で12年目を迎える。
(以下、アートキャンプと記載)

新山「これからは地方の時代だ!と、大学を卒業してすぐに鼻息荒く移住しました」

新山さんが移住をしたのは2009年。私もちょうどその年に大学を卒業して社会に出ましたが、その頃はリーマンショックで大不況。「リストラ」「内定切り」など暗いニュースが流れ、これから出ていく社会は大変なのかもしれない、と不安を覚えました。

だけど、それと同時にそんな状況の中、新社会人になる私たちには「この社会は変えていかないといけない」という、青臭く、勢いだけの決意のようなものがあったように思います。

新山「建築を学んでいたこともあって、危機感もありました。着工数は2008年で頭打ち。これからは新しく建てることより、今あるものを活かした場づくりや地域づくりが大切だと思ったんです。『この町を変える』と決意してひとりで河和田へ移住しました」

新山さんが卒業する頃、アートキャンプの拠点を河和田につくるという話が持ちあがり、片木さんが代表を勤める応用芸術研究所の社員として現地へ移住ことが決まりました。今でいう地域起こし協力隊のようなかたちで、市の委託事業として産業の調査研究をしたり、アートキャンプの窓口を行われていた新山さん。地元の一大産業である漆器の現状を知るうちに想像していた以上に深刻なことが分かりました。

新山「せっかくいい物を作ってるのに、売り場で物の良さが伝わらず売れてなかったんです」

越前漆器の売上は落ちていく一方。売上はピーク時の3分の1にまで落ち込んでいました。問題を目の当たりにして「自分はただ調査をしてるだけで、何もやれていない」と、日々悶々としていたそうです。

新山「ずっと仲間が欲しかった。『仲間さえいればやれることがもっといっぱいあるのに』ってずっと思ってました。そこにみつきが来てくれて、一緒になんかやろうぜって『TSUGI』を始めたんです」

2013年、クリエイティブカンパニー「TSUGI」を結成。そこから、移住者によってこの町は変わっていきます。


地域の産業が、人を集める

河和田移住者でありヤマト工芸で働く永富三基(ながとみ・みつき)さん
みつきこと、ヤマト工芸で木工職人として働く永富三基(ながとみ・みつき)さん

永富三基(ながとみ・みつき)さん
・木製インテリア・雑貨のヤマト工芸 木工職人
・クリエイティブカンパニーTSUGI メンバー
・1989年 大阪生まれ
・2012年移住

学生時代参加した河和田アートキャンプをきっかけに福井の地場産業に憧れ、大学卒業と同時に鯖江市に移住。株式会社ヤマト工芸で職人として働く傍ら、「TSUGI」の創立や新ブランドの什器設計、多目的スペース「PARK」の立ち上げなど多方面に参加。

永富「僕は、木工職人になりたかったんです。そして、設計図だけ作ってあとは人に任せるんじゃなくって自分で手を動かしたかった。場所はどこでも良かったので、岐阜や京都も考えたんですけど、人の多い都市圏には住みたくないなというのはありました。それで、木工職人 × 田舎という視点で、選んだのが河和田です。僕もアートキャンプに参加していたので、新山くんのことも、この土地のことは元々よく知ってました」

新山 : 「この町はそういう、土地の産業に惹かれて移住してくる人が多い気がします。“チャーリー”もそうだよね。めがねが好きすぎて移住してきた」

"チャーリー"こと、永山恭平さん
“チャーリー”こと、永山恭平さん

永山恭平(ながやま・きょうへい)さん
・めがねメーカー・谷口眼鏡 営業/企画
・1986年 福岡生まれ 兵庫育ち
・メガネが好きすぎて、2015年移住

大学ではプロダクトデザインを学び、卒業後は6年間、大手の広告関連会社で営業として勤務。
めがねフェスをきっかけに移住。翌年、谷口眼鏡に入社。

永山「僕、とにかくめがねが好きで‥‥その日のファッションに合わせて毎日めがねを変えるぐらい好きなんですけど、仕事は広告関連でめがねとは関係なかったんです。それはそれで楽しかったし、やりがいもありました。そのままいたら、いわゆる出世も見えていた。でもやっぱりめがねのことが忘れられなくって‥‥もう鯖江へ行っちゃえ!と移住しました」

— なぜ、鯖江だったんですか?

永山「販売じゃなくて、製造してるところが良かったんです。元々プロダクトデザインを学んでたこともあって、めがねの製造から携わりたかった。鯖江がめがねの産地なのはもちろん知ってたので、この業界をめがけてやってきました」

新山「谷口眼鏡に入って1年ぐらい経った?働いてみてどう?」

永山「いやー、いいですよ。毎日忙しくしてるとついつい忘れそうになるんですけど、むちゃくちゃ充実してます。入ってすぐの頃に、めがねの雑誌を会社で見てて怒られないことにまずびっくりした(笑) 。前の会社の時は、パソコンで画面を小さくしてコソコソ見てましたからね」

嶋田「私も、ずっと漆の仕事がしたくて仕方なかったんですけど、今は漆で心が満たされてる(笑)」

嶋田希望さん・漆琳堂で塗師として働く
嶋田希望さん・漆琳堂で塗師として働く

嶋田希望(しまだ・のぞみ)さん
・漆器メーカー 漆琳堂(しつりんどう)・塗師(漆を塗る職人)
・1992年 東京生まれ
・2015年移住

漆の専門学校を卒業後、理想の仕事がなく地元の書店で働く。セレクトショップで漆琳堂の漆器を見かけたのをきっかけに「ここで働きたい」と漆琳堂へ。

関連記事:「この漆器がつくれるなら、どこへでも。」移住して1年。職人の世界と、産地での暮らしを聞きました。

嶋田「漆の仕事をやってない時も、離れるのが嫌だったから家で漆を塗ったりしてたんです。でも今は仕事で漆が塗れる。それが本当に幸せで仕方ないなと日々思ってます」

仕事も嫁も。出会いは現地。

新山「働くところってどうやって探すの?福井のメーカーさんはあんまり求人サイトに載せてないし、探す手段が都会に比べて限られてるよね」

嶋田「私は直接、電話しました。人、募集してないですか?って。求人はだしてなかったけど、タイミングよく漆琳堂も人を入れようかと思っていた時期で、すぐに入社が決まりました」

永山「僕は、半年ぐらいはその時住んでいた大阪で、ネットで探してました。だけど、その半年の情報よりこっちに実際に来て短期間で探した時の情報のほうが全然濃かった。人づてに紹介してもらったりして、2、3ヶ月ぐらいで仕事が決まりました」

— 元々福井に友だちがいたんですか?

永山「まったく。縁もゆかりもない土地です。こっちへ来て、知り合い0人の状態から就活をはじめたんですけど、早い段階で新山くんと知り合って、そこから一気に友だちが増えました」

新山「はじめて会ったのは“めがねフェス”だっけ?」

永山「そう。就活期間中にめがねフェスをやってて遊び半分、就活半分でこっちに来た。それが8月ぐらいで、就職が決まって福井に引っ越したのが10月。2ヶ月ぐらいですね。その間にいろんな人に出会いました」

新山「仕事も嫁もゲットして‥‥今年のめがねフェスのポスター、チャーリーの結婚式だよね(笑)」

めがねフェス2017
「めがねフェス」で永山さんと奥さんが出会い結婚されたことに因み、2017年のキービジュアルにはお二人の結婚式の写真が使われた(design:GOOD MORNING)

実際、食べていけますか?

— ちょっと突っ込んだ話になりますが、都会から転職して移住となると実際食べていけるのか?といった不安はなかったですか?

永山「来る前に求人サイトで給料を見てた時は正直不安もありましたし、実際に前職と比べると個人での収入は減りましたね。ただ、就活でこっちへ来て人に会ってみると、それでもいいかもなぁと思えたんです。
『本当に自分の好きなことを仕事にしたら辛くなるから辞めとけ』とか言う人もいたけど、そうじゃないと思う。こっちに来て思ったのは、やりたいことやってる人って、むちゃくちゃしんどそうやけど、すごく充実してる人が多かった。今やりたいことやれてるし、やった分だけ評価もしてもらえてるなぁと感じてます。めがね業界に憧れてただけのあの頃には、もう戻りたくない。」

何でもやる。満たされる度合いが増えていく。

永富「こっちの仕事の充実感って、小さい会社が多いというのも関係してるかもしれないですね。例えば、僕は木工職人だけど今は営業もする。実は、始める前は営業とは一線を引いてたんです。『よく喋るし向いてるんじゃないか』って誘われてたんだけど『職人だけをやりたいから』って、かたくなに。だけど、伝えることの大事さに気付かされて自分から寄り添ってみたら、営業も楽しいしみんなが求めてるところと一致したんです。自分が作ってるものとお客さんの顔が繋がって、満たされる度合いがどんどん増えていきました。これしかやらない、できないと思ってる人にも、いろんなところに可能性を見出してぽんと放り込んでくれる許容がこの町にはあるんかなぁと思います」

— 嶋田さんも職人だけれど、展示会に立ったりワークショップしたり、いろんなことをされてますよね。

嶋田「漆器業界の中でも、つくることだけをやってる作家性の高い職人さんが集まってるところもあるけど、河和田はつくる以外の商売だったりブランドづくりだったりの知識を持ってる職人が多いと思います。そういったいろんなスキルを持ってる人が集まってるし、教えてもらえる。そしてやりたいって言ったことを受け入れてもらえる環境があるなと感じてます。いろんな産地の中でも、新しいことをやれるポテンシャルを一番持ってる場所だと思う」

漆琳堂嶋田
漆琳堂に就職して2年足らず。やりたかった漆を使ったアクセサリーブランドを立ち上げた

変化にポジティブな田舎

新山「移住者に対してもそうだけど、この町は変化を受け入れる土壌があるよね。それはものづくりのバックグラウンドとして、美術工芸じゃなく生活工芸をつくりつづけてた背景があるからな気がする。この土地は昔からその時代時代に必要とされるものを作ってきたし、デザインも変えてきた。そこから魅力的なものが生まれた実績も持ってるし、変化に対して寛大なのかもしれないですね」

— なるほど。これからこの産地に必要な人ってどんな人なんでしょう。

新山「ものづくりをする人ももちろんそうだけど、これからのホットワードだなぁと思ってるのが『じゃない人』。僕らみたいなクリエイターや、職人じゃない人です。作り手と使い手の間にいる人たちはもっと、多種多様でもあっていいと思うし、そういう人たちをこの産地は求めてると思うんです」

作り手と使い手の間の「じゃない人」の役割

永山「僕もそうだけど、ものづくりの町だからこそ、作り手と使い手の間に入る人は必要だと本当に感じてます。求人情報だけ見ると職人や製造しかないんだけど、いいもの作ってるのに伝える力を持ってないメーカーって多いし、僕の場合はそういう役割が必要だと勝手に思い込んでました。

つくる以外にも、ものづくりを支えるための「職能」みたいなことっていくらでもあるし、これまでそういう人の方が少なかったから逆に来て欲しいんですよ。営業も広報も、資格も免許もいらないし、誰にでもやれる。いくらでも仕事はあります」

谷口眼鏡・turning
永山さんが働く谷口眼鏡さんは、綿花やパルプなどの天然素材を原料とする「アセテート」をフレームに利用。1996年に立ち上げた自社ブランド「TURNING」も人気

新山「つくるという段階の次の世界が、今やっと見えてきた気がする。いろんな産地がある中で、そういう作り手と使い手の間の人が入る環境や土台が、鯖江は整っている場所かなぁと思う」

嶋田「うちのファクトリーショップ店長をやってくれている楳原さんがまさしくそう。彼女の場合、結婚をきっかけに大阪から河和田に越してきて、仕事をしてないって聞いたから店長枠で誘ってみたんです。『何か力になれるんだったら』って入ってくれたんですけど、外への対応も事務も、スキルが高かった。店長業務以外にもどんどん任せることが広がって、今ではもし入ってくれてなかったら、どうなってたんだろうって状態。抜けられたら困るし、みんなが頼りにしてます」

自分で場所をつくるのは、田舎も都会もおなじ

永山「そういえば、僕らは“移住”って言われるけど、都会に越すのは移住って言わへんのかなぁ。もしかすると都会はシステム化されててやりやすいかもしれないですけど、自分の場所や仕事をつくりだすのって結局は一緒じゃないですか。自分自身で動くという点ではあまり変わらないんじゃないかな」

新山「職能より、パーソナリティが結構大事だよね。アートキャンプの学生さんじゃないけど、何もできないけど、何でもやりますぐらいの感じがいいんじゃないかな」

— そう思うと、そんなに気負わなくても移り住めるのかもしれませんね

永富「ちょっとかじったことありますぐらいの方がいいのかもしれない。やって失敗しても大丈夫だし、周りと一緒に徐々に成長していくのがこの町らしいのかなと思います。大企業で決まった道をステップアップしていくみたいなのはないけど、発展途上の会社ばっかりだからこそ、いろんなところで化学反応が起こって、やるべきことができていくみたいな」

永山「温室よりもこっちに来て野ざらしの中で動く方がスキルアップのスピードとしても早いんじゃないかな」

みんなでつくる河和田の未来

新山「この町でよかったと思うのが、そういう『何かをやりたい』という人が多いこと。いろんな条件が揃って、連鎖反応でいろんなことが動き出してる。今、人口4200人のこの小さいエリアだけで移住者が67人。僕が来たばかりの昔とは全然違う、もう何でもやれる気がしてます」

— そうですね。これから、どんな町にしていきたいですか?

新山「ここに来たらいわゆる“田舎”や”地方の産業”の価値観が変わるみたいな場所でいられるといいですね。田舎だけど、作ってるものはかっこいいし、やってる人たちもおもしろい。そしてきちんと産業として儲かってることも大事です。
町としては、地元の物を買えるショップがあったり、気軽に泊まれる宿があったりして、それが網目のように町全体で繋がってるみたいな風景をつくりたい。河和田は、次の新しい地方のかたちをつくれるポテンシャルもあると思うし、行くなら早くいきたい。だからもっといろんな人が必要だし、もっと仲間が増えるといいなと思ってます」

最後に「楽しそうですね」と言うと、「大変ですけどね。いや、やっぱり楽しいですね」と、返ってきた。たくさん、苦労はあるのだろうけれど、やっぱり自分の好きなことをやってる人たちはとてもいきいきしてるし、なにより本当に楽しそうでした。きっとこれからも、そんな移住者がどんどん増えて、この町は変わっていくのだろうなと感じたインタビューでした。

河和田移住EXPO

河和田移住EXPO

今回お話を聞いた方たちによるトークセッションを開催します。またトーク後には直接話を聞ける交流会も。ぜひご参加ください!

10月14日(土)18:00~
詳細はこちら:http://renew-fukui.com/iju.html

文:西木戸弓佳
写真:上田順子、林直美、谷口眼鏡(提供)