江戸の火事から越後の鍛冶へ

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
どの時代に暮らしてみたい?という会話を友人としたことのある人は意外と多いと思いますが、中でも人気だったなぁと記憶しているのが江戸時代。粋に着物を着こなして、ちょいと覗きに行く貸本屋や歌舞伎見物。顔を合わせればすぐ始まる長屋の井戸端会議。情に厚くてケンカっぱやい江戸っ子気質は、「火事とケンカは江戸の華」なんて謳われていました。実は、この江戸の華と言われた「火事」が、はるか遠くのある街のものづくりを支えていた、らしいのです。教科書からちょっと寄り道して、気軽な歴史探検に出かけてみましょう。

当時世界でも有数の人口を抱えていた江戸の町は、木造の家屋がひしめき合って、ひとたび火が起こればあっという間に大火事に。1657年(明暦3年)の大火は,江戸城の天守閣をはじめ町地の6割を焼きつくしたと言います。街を火から守る「火消し」は浮世絵にも描かれる花形職業でしたし、逆に火の不始末やましてや放火は、重い罪に処せられました。「八百屋お七」の話は有名ですね。

絵の題材にもなった江戸の火事や火消し。
絵の題材にもなった江戸の火事や火消し。

江戸の火消しは、かなり派手です。木造の家屋が立ち並ぶ街では、1度ついてしまった火はいかに早く燃え広がるのを防ぐかが命。延焼を少しでも防ぐため、火の先にある家はうち壊してしまいます。

後にはただ更地が広がるばかり。江戸では火事が起こるたびに、建物を再建していたわけですね。ここが、今回のお話のポイント。材木同士をくみ上げる時、釘を使います。日本の釘の歴史は古く、正倉院文書にもその記録が見られます。形は今私たちが一般的に使っている釘と、似ているようで少し異なります。現代の一般的な釘は洋釘と言って、丸い軸を持つ釘。対して日本に昔からあった釘は和釘と言い、太く角張った軸を持っています。洋釘は喰いこむ力が弱い分打ち直しなどの調整がしやすい一方、和釘は一度打ち込んだらしっかり材木に食い込んで、抜けにくいのが特徴です。

東京には今も江東区深川や木場のあたりにかつての材木場の名残がありますが、街の再建の度に多くの材木と、そして和釘が必要とされました。和釘は金属を熱して打ち鍛える「鍛冶」によって作られます。この大量に必要となった和釘の生産で栄えたのが、鍛冶の街、越後三条でした。

ここで心強い水先案内人をご紹介しましょう。市史を全巻読破されたという三条市役所の、澁谷さん。今や日本有数の鍛冶の街として名を馳せる三条の、その土台となった歴史物語を伺います。

「三条の街は、14世紀には、信濃川の水運を利用した市場が開かれ、都市が形成されていました。武士が活躍した時代には、軍事上も重要な拠点でした。17世紀に入り、平和な時代が訪れると、三条城は江戸幕府により取り壊され、武士は街を去ります。
武器に代わり、田畑を開く農具や江戸の度重なる大火により、膨大な和釘の需要を受け、鍛冶を専業とする職人が生まれ、集落を形成しました。また、河川を利用して全国に製品を届けた商人たちが、各地で発見した製品やニーズを持ち帰り、鍛冶職人に提案を行うことで、庖丁や鋏などさまざまな刃物を作るようになりました。三条は職人と商人たちが長い間、街を支えてきたのです」

信濃川と五十嵐川に挟まれた肥沃な新潟平野の一角に位置する現・三条市は、江戸よりはるか昔、なんと弥生時代の遺跡からも、農業が盛んだったこの土地で必要な道具を自ら作っていたと思われる、庖丁、砥石、鉄滓(てっさい)、鞴(ふいご)の羽口が出土されているそうです。そして興味深いことに鍛冶という職能について土地の文献に明記されるのが、先ほどの江戸の6割を焼いたという明暦の大火の頃と重なります。

「はっきりと鍛冶について記述されてくるのは明暦年間(1655年〜)以降です。明暦年間には領主・松平和守直矩の命令で18軒の鍛冶が集団移転し、三条に鍛冶町という地名が発生しました。万治元年(1658年)の万治検地町には鍛冶町の記載があります。またこの時代、農家は農閑期に和釘を作り、家計の一助としていたことが、三条の鍛冶は和釘が始まりと言われる所以です」

今では包丁から鉈、鍬や爪切りまで、日用や業務用の様々な刃物が作られている三条市。その産業としての鍛冶の起こりは、実はこの和釘作りから始まったとされるのが通説です。となると、江戸の火事が鍛冶の街三条を作ったとも、言える?

歴史の教科書ではほんの数行で、あるいは違うページで別々に語られていたかもしれないふたつの街のお話。ですが、江戸からはるか離れた地で、ある風土がひとつのものづくりを育み、それを商う人が現れ、水運を生かして全国を行脚する。一方で世界有数の人口過密都市になった江戸で、人口に追いつくように木造の建物が急増し、風物詩になるほど火事が起き、街を作り直す度に材料が各地から運ばれてくる。供給元の一つははるか北、越後三条に遡り、商人が持ち帰ってくる追加追加の注文に、やれ忙しくなってきたと鍛冶町が出来てくる。農家の農閑期の手仕事ができる。そんな物語が、ふたつの街の間に確かに存在していたようです。

あくまで「と言われている」「と思われる」のが歴史物語のお約束。三条の鍛冶の起源についても、和釘以外にも諸説あります。それでも。この間また火事があったばかりの江戸の街で、大工さんが急ピッチでトンテンカンテン和釘を打ち付けている。その脇を、先ほど無事品物を納めてきたばかりの三条の商人がさっと通り過ぎて、ちょっと蕎麦でもすすって帰路につく。そんな風景もきっとあったのかなぁと思うと、江戸の火事が越後の鍛冶を支えた、なんてうまいこと言おうとするのも、ちょっとは大目に見てもらえるような気がしてくるのです。


文:尾島可奈子

函館バウハウス工房から生まれた、親子二人三脚のものづくり

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
昨日の「さんちのお土産」でご紹介した、「函と館(はことたて)」と「函館バウハウス工房」製作の「五稜郭(陶器製)鍋敷き」。さんち編集部内でも自分用にほしい!という声が続出した人気商品です。この鍋敷きが誕生したきっかけは、母親を想う息子さんの気持ちからでした。3月の地域特集“函館”最後の記事は、親子二人三脚の商品開発秘話をお届けします!

函館バウハウス工房へ

函館取材で、たいへんお世話になった函館ビルデングの佐藤拓郎さん。佐藤さんは函館空港にある土産ものを扱うコンセプトショップ「函と館」の生みの親の1人でもあります。私が取材で「函と館」を訪れた際に一番に目に付いた商品が、五稜郭の鍋敷きでした。すると佐藤さんが、

「それ、うちの母親が作ってるんですよ」

とおっしゃったのです。え、お母様は一体何者ですか?取材させてもらえますか?とどんどん話が進み、佐藤さんのお母様である佐藤留利子さんが運営する「函館バウハウス工房」を訪ねさせていただくことになりました。

工房内の様子
工房内の様子

佐藤留利子さんは函館市生まれ。五稜郭にご縁があるのか、幼少期は五稜郭タワーのすぐ近くで過ごされたのだそうです。その後、東京の大学で陶芸を専攻、そのまま作家活動を始められます。そして専門学校、高校、大学などで陶芸・美術の講師を長年務め、2002年に「函館バウハウス工房」を設立されました。きっかけは近所の人が「陶芸を習いたい!」とおっしゃったことから。「教室を始めます」というよりは、知り合いや友人がどんどん集まって始まったのだそうです。

生徒さんも使用する様々な道具が並びます
生徒さんも使用する様々な道具が並びます

「函館バウハウス工房」は函館市山の手の閑静な住宅街にあります。留利子さんが20世紀初頭のドイツで誕生した美術学校「バウハウス」のデザインが好きなことから、この工房名を付けられたそうです。“モノづくりと人の繋がりを通じて「函館らしさ」を創造していくこと”を目指し、老若男女問わずたくさんの生徒さんが日々、作陶を中心としたモノづくりに励んでいます。

———今日は佐藤留利子さん、拓郎さん親子にインタビューをさせていただきます。まずは、この鍋敷きが生まれるきっかけを教えてください

佐藤拓郎さん
佐藤拓郎さん

拓郎さん:そんなにドラマチックな話はないんですよ…。中川政七商店さんのコンサルを受けて、商品開発をすることになって。商品作りを試す場所として、母の陶芸教室でできるものありきでずっと考えていたんです。他の作家さんだったら、いろいろお願いしすぎて失礼になるかもしれないから、身内にお願いしようと(笑)。
函館を象徴する形として五稜郭という案が出て、社内で検討した結果、鍋敷きの企画ができたんです。そこから中川さん流の組み立てで「四季によって様々な表情をみせる、五稜郭に観光に来たときの状況を持って帰ってください」という気持ちを込めて「春の桜」、「夏の深緑」、「秋の紅葉」、「冬の白銀」、「ライトアップされた夜景」という5色展開で製作することになりました。

五稜郭(陶器製)鍋敷きの「冬の白銀」と「ライトアップされた夜景」
五稜郭(陶器製)鍋敷きの「冬の白銀」と「ライトアップされた夜景」

———細部のデザイン・作りは留利子さんによるものですか?

佐藤留利子さん
佐藤留利子さん

拓郎さん:形状は僕の同僚の友人のデザイナーさんが担当してくださったんですが、ほとんど五稜郭そのまんまなんです。ほぼ縮小版ですね。

留利子さん:五稜郭にある細かい溝もそのままで、すごく忠実にできているんです。使いやすくひっかけれるように穴を開けるのを加えたくらいですね。

———鍋敷きは具体的にどうやって製作されているのでしょうか

留利子さん:簡単に言うと、陶芸の粘土を板状にしてカットして、型から外しやすいように片栗粉を付けて型に埋めていきます。陶器はざっくりとした形は楽なんですが、きちっと細かいものを作るのはあまり向いていない素材なんです。最初はなかなか苦戦しましたね。
1人では量産できないので、お手伝いをしてくれる方がいるんです。もちろん技術はある方なのですが、工程の中でも型起こしに苦戦しています。型からたい焼きのように外して、歪まないように乾かしてから、星型の角の細かいところまでしっかりとやすりをかけて素焼きをして、釉薬をかけて本焼き。でき上がってからは裏側にゴムの滑り止めを付けます。結構手間がかかっているんですよね(笑)。随分と試作も作りました。完成形になるまで3~4ヶ月はかかったかな…。

星型の溝の細かい部分にもていねいにやすりをかける必要があります。(奥のマグカップは留利子さんの作品)
星型の溝の細かい部分にもていねいにやすりをかける必要があります。(奥のマグカップは留利子さんの作品)

拓郎さん:最初に材質をどうするかという話もありました。鍋敷きに決まって、参考商品を集めてると木工の鍋敷きが多くて。最初は木でいいかなと思っていたんですけど、母の工房で製作することを考えてやっぱり陶器がいいのでは、となりました。鍋敷きを陶器で作るにはどうすればいいか、周囲の人に相談していると「ゴム樹脂の型がいいんじゃないか」という意見が出てきました。そこからゴム樹脂の型を作れる人を探さないと…と思っていたら、母の昔の生徒さんにたまたまゴム樹脂の型を作れる人がいたんです。あれはびっくりしましたね。その鋳造用木型職人の上野山さんには、「函と館」で扱っている五稜郭のジンギスカン鍋も作っていただいています。

留利子さん:ゴム樹脂の型ができる前の試作品は、粘土を薄く伸ばして板状にして、ざっくり星型を作って上からなぞったりしたんですけど…なかなかうまくいかない。昔は型と言えば石膏型を使っていましが、石膏だと粘土の水を吸って湿っちゃうんですよね。湿っていると使えないから、1つの型を乾かしている期間が必要になる。すると、型がたくさん必要になってしまうんです。さらに石膏は劣化がすごい。だけどゴム樹脂の場合だと、水を吸わないからすぐに2つ目に取り掛かれるんですよ。とても丈夫だし、細かいところまで表現できるんですよね。

ゴム樹脂の型を使って説明してくださいました
ゴム樹脂の型を使って説明してくださいました

拓郎さん:母が決めたことってあんまりないんです(笑)。展開する5色もこっちで決めて、その色を母に言って作ってもらって。母は「この色あんまり好きじゃない」とか途中で言いだしたりしました(笑)。

留利子さん:やれって言うからやったんですけど(笑)。焼いたものが縮んじゃったりすると、調合をやり直したり…。春の桜のピンク色も今まで使っていた材料屋さんが廃業しちゃって、違う材料屋さんにお願いしたら色が薄くなってしまったりして。色も本当に難しいですね。一つひとつの商品全てを完璧に同じ色にはできないんですけど、それが良さでもあるのかな。売れ行きを見てると、春の桜が好きで買っていく方が多いです。やっぱり春だったら春の色、秋だったら秋の色と、その季節を表す色が売れていきますね。

工房にある様々な色の色見本。素地の粘土によっても発色が変わります
工房にある様々な色の色見本。素地の粘土によっても発色が変わります

———留利子さんが陶芸をされていたから完成したしたようなものですね…!拓郎さんから商品製作の相談をされた時はどう思われましたか

留利子さん:私に振らないで~って(笑)。私は職人じゃないから、同じものをたくさん作るのは苦手なんです。ひとつひとつ違うものはたくさんできるんですけど…。個人的な好みを出すなって言われました。商品として考えてって。

拓郎さん:頼んだ5色とは全然違う色を出してきたりするんですよ!勝手に模様とか付けてアレンジしだして…。

留利子さん:怒られる(笑)。

———それだけ苦労されて作った商品が売られていることについてはどうですか

留利子さん:そりゃあ嬉しいですよ!今までは作りたいものを作るというか、コーヒーカップや器を中心に作ってお店に出したりはしていましたけど、同じものをたくさん作ったことはなかったんです。自分の色というか、個性が出ていないのにちゃんとしなきゃいけない。経験したことのない新たな難しさでしたね。息子がお店(函と館)を作っている苦労の過程も聞いていたので、商品としてちゃんとしなきゃいけないなと。で、ありがたいことに売れ行きが良いらしくて「来週までに何十個納品してくれ」とか言うんですよ! そんな急に無理!って(笑)。

拓郎さん:意外と売れてるんです。

留利子さん:うちの生徒さんもほしいって言ってくださるんですけど、教室では売買はしないで、ちゃんと「函と館」に行って買ってくださいね、と話しています。

———いい話ですね…!でも、家業ではなく、親子で商品開発なんてなかなかできないですよね。拓郎さんはものづくりにご興味はなかったんですか?

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留利子さん:そうですね…。息子が小さい頃から、私は家族のお茶碗を作っているんですね。そしたら、学校の同級生に「お前のお母さんはどんなお茶碗を作るんだ」って聞いていたらしいんです!(笑)。どこの家のお母さんもお茶碗を作るものだと思っていたそうです。小さい頃から息子の周りにはいろいろな職業の私の友人がいたので、多少は影響を受けているとは思いますよ。今、経理をやっているのが意外なくらいです(笑)。

———またお2人で新作を作っていただきたいです…!

拓郎さん:一緒に作った感じはそんなに無いです(笑)。でも、やっぱりプロなんだな、と初めて思いました
ね。この粘土と釉薬を混ぜるとこういう色になるとか、専門的なところはさすがだなと。

留利子さん:(笑)。

———今後、函館バウハウス工房ではどんなことをされたいですか

留利子さん:今は生徒さんと鍋をやったり、蕎麦打ちの人やお茶の先生に来てもらって、蕎麦やお茶の器を作ったりしています。なんだかイベント屋みたいですよね(笑)。みんなには陶器だけじゃなく、いろいろなことを見つけてほしいんです。みんなで畑作りもやってますよ!

函館バウハウス工房併設のギャラリー
函館バウハウス工房併設のギャラリー

拓郎さん:もう、何言ってるかわけわかんないでしょ?(笑)。きれいな言い方をすると、文化を作りたいんだよね?(留利子さん頷く)教室を通じて、陶器を作る前に野菜から作るとか、シーンを作るような。母は昔からスローライフ的な考えを持っていたと思います。

留利子さん:最終的には暮らしを豊かにしたいんですよね。楽しくないと、美味しくないし。器を作る人って、やっぱり食べ物に興味がある人が多いみたいです。教室で作った自分の器に持ち寄りの料理を盛って、食事会を開くこともあります。また、みんな料理上手なんですよ~!そして、自分の器が使われている様子を見るのって嬉しいんですよね。本当にいろいろな人が来てくれて、絶対にここでじゃないと出会えない人たちと出会えている気がします。あと、みんなには自分らしいものを追及して欲しい。あまり私が「こうしなさい、ああしなさい」って押し付けないようにしています。その人らしさを出すようにしたい。一言で言うと、まあ、楽しくやろうじゃないのってことです(笑)。

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———明るく天真爛漫な留利子さんに、冷静な拓郎さんが照れつつもしっかりと補足をする…。見事な二人三脚の掛け合いに、本当に幸せな気持ちになりました。留利子さん、拓郎さん、ありがとうございました。

後日、拓郎さんから1通のメールをいただきました。メールには、この日には話せなかった拓郎さんの本心が綴られていました。

【函館のお土産】函館バウハウスの「五稜郭の鍋敷き」

こんにちは、さんち編集部の山口綾子です。
わたしたちが全国各地で出会った “ちょっといいもの” を読者の皆さんにご紹介する “さんちのお土産”。第7回目は函館の「五稜郭(陶器製)鍋敷き」です。

函館の観光名所として有名な五稜郭。函館山から約6km離れた函館市のほぼ中央にあります。徳川幕府の命を受けた武田斐三郎(たけだ・あやさぶろう)が設計を手掛け、1864年(元治元年)に完成した日本初のフランス築城方式の星型要塞です。稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり、象徴的な星形の5角形をしています。

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この五稜郭をモチーフにした陶器製の鍋敷きが今日のお土産です!ひとつひとつ手作業で作られており、色味も絶妙に違うので2つとして同じものはありません。こちらは「函館バウハウス工房」と、函館の文化・物産を発信するための土産ものづくりを行うコンセプトショップ 「函と館(はことたて)」のオリジナル商品です。パターンは春の桜、夏の深緑、秋の紅葉、冬の白銀、ライトアップされた夜景など、四季によって様々な表情をみせる五稜郭の景観を表現した5パターンを展開しています。

左から「冬の白銀」、「秋の紅葉」、「夏の深緑」、「ライトアップされた夜景」1,500円(税別)
左から「冬の白銀」、「秋の紅葉」、「夏の深緑」、「ライトアップされた夜景」1,500円(税別)
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五稜郭を訪れた季節に合った鍋敷きを購入してみてはいかがでしょうか。使うたびに函館の思い出がよみがえって来るかもしれませんね。

ここで買いました。

函と館
北海道函館市高松町 511 函館空港 国内線旅客ターミナルビル2F
0138-57-8884

文:山口綾子
写真:函と館
photo AC
山口綾子

90年の歴史を持つ登り窯、鎌倉其中窯

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
鎌倉を拠点に活動されている陶芸作家・河村喜史(かわむら・きふみ)さん。過去には芸術家・北大路魯山人が使用していたという「其中窯(きちゅうよう)」と呼ばれる登り窯を扱って、精力的に作品づくりをされています。今回は貴重な“窯入れ”(かまいれ)の制作現場を詳細にレポートさせていただくことができました。さらに、ものづくりの考えまでたっぷりとお話を聞かせていただきます!

明け方近くまで行う窯入れ

2月某日の21:00。鎌倉にある喜史さんのご自宅を訪ねました。今日は喜史さんの作品たちの窯入れの日です。
窯入れとは、陶磁器を制作する(作陶)工程のクライマックス、本焼きの部分にあたります。大まかな工程としては、
(1)土作り (2)成型 (3)乾燥 (4)素焼き (5)絵付け、釉薬(うわぐすり)をかける
(6)本焼き (7)完成、となります。
喜史さんの窯入れは年に1~2回のみ。仕事のある合間に上記の工程をお1人で担当し、さらに数百点の作品を制作するとなると1~2回が限度なのだそうです。窯入れは、今日の夜明けと共に始めていらっしゃるとのこと。(すでに15時間!)張り詰めた空気…というよりは活気付いている雰囲気で、たくさんの見物客の方々が集まっています。喜史さんと少数のお弟子さん…という状況を想像していましたが、少し意外な状況です。

窯入れのスタッフ、見物客の方々
窯入れのスタッフ、見物客の方々

喜史さんが扱う窯の種類は「其中窯」と名付けられた登り窯(のぼりがま)という種類の窯です。登り窯とは「陶磁器を大量に制作するために窯をいくつかの各間に仕切り、斜面などの地形を利用して第一室の燃焼の余熱を各間に利用する窯の形態」を言います。
「其中窯」は京都式の登り窯で、特徴としては煙突がなく、“くれ”という土か泥のような材質でできています。(土くれのくれから来ているのでは?と河村さん談。)魯山人が京都から職人を連れて来て作らせたのではないか、と言われています。なだらかな傾斜の上に立つ荒々しい土の塊は、かなりの迫力です。

坂の上から見た其中窯
坂の上から見た其中窯

窯は1の間、2の間と呼ばれる部屋ごとに20~30cm四方の穴が空いており、時折その穴から真っ赤な炎が噴出します。喜史さんご本人を窯の中心でお見かけするも、とても話しかけれる雰囲気ではありません。喜史さんは、炎の噴出する穴の中心を目を逸らすことなくじっと見つめています。赤く噴出した炎が収まり、しばらくすると「はい!」という大きな掛け声で喜史さんが反対側に立つスタッフに合図を送ります。喜史さんの合図と共に、向かい合わせの両穴から薪が入れられます。

このときの窯の温度は1000度近く
このときの窯の温度は1000度近く

登り窯は、人の手でつきっきりで温度調節をする必要があります。向かい合わせの両側から薪を入れるのは、1箇所の穴では奥まで均一に炎が渡らないからです。1番下の1の間から上の部屋へ、下の部屋の熱を利用して上の部屋が温まります。この登り窯は5の間までありますが、今は大体2、3の間まで使用することが多いそうです。この窯をほぼ丸1日かけて、徐々に温めていきます。

薪の準備も喜史さんが行います
薪の準備も喜史さんが行います

薪を入れるタイミングと薪の量は火を見つめる喜史さんの体感によるものです。スタッフが数名いらっしゃるので、時には交代で進めますが、今日は喜史さんが窯の前に出ずっぱりでした。窯の中を少し覗かせていただくと、もう、とてつもなく熱いです。中を覗き込むのは私には不可能です…!中は1000度を超す炎が渦巻いており、土の窯なので直に熱さが伝わってきます。喜史さんが近くで見ていらっしゃるのが信じられません。

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これも長年の制作の中で慣れてしまうものだとか。中で対流している火の流れを見極め、薪のタイミングを計ります。窯が大きいので上下左右の温度・酸素量が均一ではなく、コントロールになかなか苦労されるそうです。窯の上に温度計を差してありますが、中の温度は一定ではないので差してある1つの地点の温度がわかるだけ、あくまで目安なのだそうです。

窯の上にある温度計
窯の上にある温度計

喜史さんの肉眼以外にも、目安となるものが中に入れてあります。ガラスの材質でできた「色見」と呼ばれる三角柱の器具です。作品の隣に置き、熱による三角柱の曲がり具合を見て温度を確認し、作品の焼き具合を見る温度計のようなものなのだそう。ただ、これも目安でしかなく、大切なのは窯の炎の色なんだそうです。

色見は東北で生産されていましたが、震災で作ることができなくなった為、最近は輸入ものが多いそうです
色見は東北で生産されていましたが、震災で作ることができなくなった為、最近は輸入ものが多いそうです
窯の中の色見はこう見える
窯の中の色見はこう見える

陶芸家仲間が窯入れを見に来ると「色見は何を使ってるのか」とか「何度で焼いてるんだ」とか気にする方もいらっしゃるのだとか…!
また、窯入れは夏よりも冬の方がうまくいくそうです。暑さだけではなく、気温が低い方が空気(酸素)の密度が高いので早めに温度が上がるとのこと。

窯入れの説明をしてくださったのは奥様とスタッフのお1人…と思いきや、なんと喜史さんの作品に惚れ込んだのをきっかけに窯入れのお手伝いをするご縁になったお客様なんだそうです!(失礼しました…。)せっかくなので、お客様、根本さんに河村さんと出会われたきっかけをお聞きしました。

根本さんは薪を入れるタイミングの計測を担当されていました
根本さんは薪を入れるタイミングの計測を担当されていました

「西麻布にある創作日本料理のお店にお邪魔したときに、食後に出されたお茶の湯のみがすごく素敵で。どこの湯のみですか、と聞いて喜史先生の作品ということを知ったんです。ちょうど展示をされていたところにお伺いしたら、窯を見においでと言っていただいてからもう3~4年ですね、窯入れから手伝わせてもらっています。喜史先生のように窯入れを公開されているのはかなり稀で、他の陶芸家の先生は窯入れには他人を近づけないことがほとんどです。集中したいのと同時に、作品の命運がかかっている神聖な場所でもあるんですね。喜史先生の場合は、どういう過程で作品が出来上がっているかを見てもらった上で、作品を手にとっていただきたい…という考えを持っておられるので、窯入れにはいつもたくさんのお客様が来られているんです」

神聖な場なので、塩とお神酒が置いてありました
神聖な場なので、塩とお神酒が置いてありました

だからたくさんの見物客の方々がいらっしゃったんですね。謎が解けました。作品を好きになってもらえたことがきっかけで、こんなご縁に。「作家にとったらこんなに幸せなことはないですよね!」と奥様は朗らかに笑っておられます。喜史さんのお父様も陶芸家ですが、お父様は真逆で窯入れには人を寄せ付けず、喜史さんと弟さんのみが手伝っていたそうです。

奥様の加代子さん
奥様の加代子さん

昔からのご近所の方たちは、登り窯からうっすらと立ち上る煙を見て「ああ、河村さんの窯入れだね」と気づかれるのだとか。今日の取材はこのあたりにさせていただき、次回の窯出しにまたお邪魔します…!

わたしの一皿 春のまねごと

カツオ、と聞くとむずむず、そわそわ。マグロは毎日食べたいとは思わないけど、カツオは毎日でも食べられる気がする。みんげい おくむらの奥村です。春と秋は、カツオを見て見ぬフリはできません。思い返せば、世界のあちこちでカツオを食べてきた。台湾では薬味たっぷりの台湾版カツオのタタキに思わずほっぺたを落とし、中東のイエメンでは、アフリカまで海を挟んであと数十キロという沿岸部でスパイスのきいた巨大カツオのグリルにこれまたほっぺたを落とした。スリランカでは、スリランカ版かつおぶしを使ったカレーの奥深さにむせび泣き、いよいよ落とすほっぺたが無かった。

世界中どこで食べてもおいしいカツオなんですが、やはり日本人の記憶に残るカツオは日本のものなのか。ある春の夜に高知で出会ってしまったのです。

友人に誘われ、春のよさこいを見にいったことがあって、美しい演舞のその興奮に身をまかせ、路地に迷い込みふらっと入ったある小料理屋。時期はちょうど3月。「お父さん、カツオをお願いします」とお願いしたら、「時期がまだ早いよ。でも、悪くはないからね」と出されたカツオがうまかった。とにかくうまかった。時期になったら高知のカツオはどんなものなのか…。くやしくてそこから数年、なんとか春に高知に行く仕事をつくろうとしていたのはよい思い出。さっぱりとしてもっちりとした初鰹が脂のノった戻り鰹よりも好きになったのもこの日からでした。

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それからというもの、初鰹の時期にはこのお店のまねごとをするのがおきまり。刺身ではない。冒頭にいかにもおいしそうな刺身の写真があるけれど、まだ完成ではない。タタキでもない。もっちりとして、まさに赤身、という色をした美しい初鰹をポン酢と薬味で美しくもりあわせ、和製カルパッチョのような一皿に仕上げる。かの店が自家製ポン酢だから、うちも冬のうちに仕込んだ自家製ポン酢をつかって。

今日のカツオは宮崎から。いつもの市場で、一本釣りの5キロ超えのものを半身で買ってきた。初鰹だから脂ノリが弱い、といってもこの感じ。脂のオーロラ、見えるでしょ。その身を、カツオの刺身にしてはやや薄めに切ってうつわに並べ、薬味を添え、ポン酢でひたひたに。ポイントは、薄めとひたひた。これだけなのだけど、うまい。そのお店では、鰹を食べ終わるころに新玉ねぎのスライスをくれて、うつわに残ったポン酢でそれを食べるのですが、これまたうまい。だから、ひたひたなんですよ。

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カツオにあわせたうつわは、「せともの」の瀬戸から。愛知県です。小春花窯(こしゅんかがま)という窯の、瀬戸伝統のしごと「麦藁手(むぎわらて・むぎわらで)」のうつわ。瀬戸は古くから日常食器を作ってきた、やきものの一大産地ですが、伝統のしごとは意外にもあまり残っていない。

この伝統のうつわとカツオは相性がまことによい。なんでかな、と思っていたらふと思い出した。着物や生地が好きな方なら「鰹縞」と呼ばれる縞模様をご存知かもしれない。鰹の体の青のグラデーションを模して、濃い青から薄い青へとグラデーションをつけた縞模様のこと。このうつわ、青の線が皿の外側から始まり、内側にかけてどんどんと薄くなっているんです。これ自体が染付けの職人のくりかえしくりかえしの仕事の美なんですが、これぞまさに陶芸界の鰹縞じゃありませんか。相性がよいわけだ。

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江戸っ子が共に愛した初鰹と鰹縞。平成の世は、日本のどこにいたってそれが手に入るんだから、ありがたいもんです。さて、そろそろ鰹縞のうつわを泳ぐ初鰹をがぶりといきますか。さっぱりとして、いくらでも食べられるような気がするこの料理。この春はあと何回味わうのかな。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

4月のオリーブ

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
日本の歳時記には植物が欠かせません。新年の門松、春のお花見、梅雨のアジサイ、秋の紅葉狩り。見るだけでなく、もっとそばで、自分で気に入った植物を上手に育てられたら。そんな思いから、世界を舞台に活躍する目利きのプラントハンター、西畠清順さんを訪ねました。インタビューは、清順さん監修の植物ブランド「花園樹斎」の、月替わりの「季節鉢」をはなしのタネに。植物と暮らすための具体的なアドバイスから、古今東西の植物のはなし、プラントハンターとしての日々の舞台裏まで、清順さんならではの植物トークを月替わりでお届けします。

4月はオリーブ。常緑樹であるオリーブはどの季節でも楽しめますが、「今改めて見直されるべき植物」と清順さんは語ります。さて、今月はどんなお話を伺えるでしょうか。

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◇4月「オリーブ」

4月って、植物を植えたり買ったりするには一番いい季節だと思っています。オリーブは常緑樹なのでいつ育ててもいいですが、十分に育ったオリーブは、5・6月になると花をつけます。今回花園樹斎の鉢に選んだオリーブはまだ若い木なので花はすぐには咲きませんが、花のシーズンに合わせて4月の季節鉢に選びました。これから頑張って育てたら、数年後に花をつけるかもしれませんよ。

オリーブは、いろんな植物を扱う中でも思い入れの強い植物です。平和と繁栄の象徴として国連のシンボルにもなっています。実のなる木としては世界で一番長生きで、縁起もいい。圧倒的なカリスマ性がありながら、屋外管理をする同じサイズの日本の果樹より圧倒的に育てやすいんです。光がある方が喜びますが、ある程度の日陰にも耐えるし、乾燥にも強い。

それと、古代オリンピックの勝者にオリーブの冠が贈られていたという話は有名ですね。今、日本は2020年のオリンピック開催に向けてスポーツの気運が高まっていますが、こういうことをきっかけに、もっと注目されていい植物じゃないかなと思います。育てやすくて縁起のいい植物だから、贈りものにしたっていい。新生活を始める人や、スポーツをする子に贈ったりね。水泳をやっている女の子から野球をやっている男の子へ贈ったりしてもいいかもしれない。

それじゃあ、また来月に。

<掲載商品>
花園樹斎
植木鉢・鉢皿

・植物(鉢とのセット):以下のお店でお手に取っていただけます。
中川政七商店全店
(阪神梅田本店・ジェイアール名古屋タカシマヤ店は除く)
遊 中川 本店
遊 中川 神戸大丸店
遊 中川 横浜タカシマヤ店
*商品の在庫は各店舗へお問い合わせください

——


西畠 清順
プラントハンター/そら植物園 代表
花園樹斎 植物監修
http://from-sora.com/

幕末より150年続く花と植木の卸問屋「花宇」の五代目。
日本全国、世界数十カ国を旅し、収集している植物は数千種類。

2012 年、ひとの心に植物を植える活動「そら植物園」をスタートさせ、国内外含め、多数の企業、団体、行政機関、プロの植物業者等からの依頼に答え、さまざまなプロジェクトを各地で展開、反響を呼んでいる。
著書に「教えてくれたのは、植物でした 人生を花やかにするヒント」(徳間書店)、 「そらみみ植物園」(東京書籍)、「はつみみ植物園」(東京書籍)など。


花園樹斎
http://kaenjusai.jp/

「“お持ち帰り”したい、日本の園芸」がコンセプトの植物ブランド。目利きのプラントハンター西畠清順が見出す極上の植物と創業三百年の老舗 中川政七商店のプロデュースする工芸が出会い、日本の園芸文化の楽しさの再構築を目指す。日本の四季や日本を感じさせる植物。植物を丁寧に育てるための道具、美しく飾るための道具。持ち帰りや贈り物に適したパッケージ。忘れられていた日本の園芸文化を新しいかたちで発信する。


聞き手:尾島可奈子