【わたしの好きなもの】TO&FRO PACKABLE TOTE BAG

見た目以上に丈夫!軽くてかさばらないエコトートバッグ

おむつやおしりふきシート、赤ちゃん用の服の洗剤などなど・・・子どもの生活必需品の買い物は欠かせないもの。

今はできるだけ子どもを外に連れ出すのを控えているため、お家で妻に子どもの面倒を見てもらっている間に僕が近所のドラッグストアへ車で買い物に行っています。

その買い物へ行く前に、妻愛用のエコバッグ「TO&FRO PACKABLE TOTE BAG」を借りるのですが、これがとても軽くて丈夫でなかなか優秀!




最初に借りたときは、こんなぺらぺらな生地で本当に大丈夫?と疑ってしまったのですが、使ってみてすぐに疑ってごめんねとバッグに謝りました(笑)
5kgの荷物を入れても耐えうる丈夫さで、2Lほどの大きさのペットボトルもすっぽりと余裕で入ります。
ついでに飲み物や除菌シートなど思い付きでいろいろ買っても問題なくバッグに収まりました!



折り畳むとズボンのポケットに入っちゃうくらいのサイズになるのもうれしいポイント。
ハンカチと並べてみましたが、その大きさがわかるかと思います。このサイズならメインのバッグの内ポケットや、車のダッシュボードはもちろんいろんなところに常備しておくことが可能です。



丈夫で薄い生地だからこそ、コンパクトに収まってくれるんですね。
エコバッグってものによっては、折り目でちゃんと折らないとうまく畳めないものもありますが、このバッグはきっちり畳まなくても、それなりに本体の内ポケットに押し込んだらちゃんと収まってくれます。
ちょっと雑な使い方に見えますが、買い物から帰った後、子どものことが気になる親にとっては、ささっとバッグを片付けられるのはうれしいものです。

それにカラーバリエーションも豊富!妻と色違いのものを買って、自分の車に常備しておくのもいいかなぁと思っています。
たまにバッグを借りることを忘れて買い物に行ってしまうことがあるので・・・(笑)

買い物する人をうれしい気持ちにしてくれて、家族みんなの暮らしを支えてくれる。とっても頼もしいエコバッグです。

ちなみにこちらは通常サイズ。少し小さめのSサイズもおすすめです。


編集担当 森田

【わたしの好きなもの】真鍮の靴べら

父にほめられた靴べら


新卒で入社してから早4年。入社前から今も変わらず一番好きな商品が「真鍮の靴べら」です。

採用試験で「好きな商品はありますか?」と聞かれた時も、迷わずこれを答えました。

学生時代、あこがれのブランドの革靴を購入した時、「せっかく大好きなこの靴を履くなら、 一緒に使う靴べらも素敵なものがいいな」と探してたどり着いたのがこの商品。



私がはじめて買った中川政七商店の商品でもあります。

まず気に入ったのは真鍮のたたずまい。
さりげないけど存在感があって、インテリアとしてもばっちり。普段は「真鍮のマグネットフック」を使って玄関ドアにつるしています。

置いておく時も場所を取らず、使うときには十分な長さと大きさ。サイズ感もいいのです。

革靴も真鍮も、経年変化が楽しめる素材。 真鍮は使うごとにアンティークのような色合いに変化していき、どんどん愛着が増していきます。

革靴は長い付き合いですっかり足になじみ、どの靴よりも歩きやすくなりました。
旅行の時でも相棒として履いていて、もちろん靴べらも一緒に持っていきます。 袋付きなのでかさばりません。



あまりにも気に入っているので、贈り物としてもよく選びます。

学生時代の後輩が仕事で成果を上げた時にお祝いとして贈ったところ、「いい靴べらが欲しかったけど、 自分ではなかなか買わないものだから嬉しい!」と喜ばれました。



以前、私の一人暮らしの家に遊びに来た父が「いいものをつかっているね」と褒めてくれたので、 今年は父の日のプレゼントとして贈ろうと思っています。

1日のはじまりに「今日もよろしく」と靴を履き、終わりには「今日もありがとう」と靴を脱ぐ。お気に入りの道具を使うと、背すじがしゃんと伸びるような気持ちになります。
そんな毎日の動作をいとおしく神聖な儀式にしてくれるこの靴べらは、すっかりわたしのお守りです。

エスパル仙台店 白石

郡上おどりに魅せられた職人がつくる、徹夜で踊るための「下駄」

郡上おどりのために生まれた「踊り下駄」

夜の街に揺れる提灯の光と浴衣の影、 手拍子、そして下駄の音‥‥

岐阜県郡上(ぐじょう)市で行われる「郡上おどり」は、日本三大盆踊りの一つ。毎年25万人以上の来場者数を誇る一大夏祭りだ。(2020年は残念ながら中止が決定している)

400年以上にわたる歴史を持つ郡上おどり
400年以上にわたる歴史を持つ郡上おどり

その魅力の一つにもなっているのが、「踊り下駄」。
名前のとおり、「踊るため」に作られた下駄で、ひと晩じゅう踊っても耐えうる強さに加えて、蹴り鳴らされるときの音が他の下駄とひと味ちがう。

踊りに合わせて“カランッ!コロンッ!”と蹴り鳴らされるかん高い下駄の音色が祭りの高揚感をより一層高めてくれるのだ。

その強さと音の違いは、どうやってできるのだろう。郡上おどりの会場内に工房を構える、作り手さんを訪ねた。

全部で10種類ある踊りの中でも、特に「春駒」は下駄を打ち鳴らす動作が多い曲目だ。

踊り下駄の専門店・「郡上木履」

2016年にオープンした、踊り下駄の専門店・「郡上木履(ぐじょうもくり)」。

踊り下駄の専門店・「郡上木履(ぐじょうもくり)」
店は郡上八幡の街中に。徹夜おどりの日は、店の前も踊りの会場になる

職人の諸橋有斗(もろはし ゆうと)さんは郡上おどりに魅了され、若くして下駄職人になった。

郡上木履の諸橋有斗さん
郡上木履の諸橋有斗さん

「愛知県出身で、郡上おどりにはいちファンとして訪れていました。地元の人だけでなく、どんな人でも気軽に踊りに参加し、一緒になって楽しめるのが郡上おどりの魅力です」

店内に並ぶ色とりどりの鼻緒

店内には色とりどりの鼻緒(はなお)が並べられ、まるで雑貨店のよう。シンプルなものから色とりどりの柄まで100種類以上そろう中から、好きなものをセレクトするスタイル。

鼻緒と下駄のサイズを選んだら、その場で仕立ててもらえるのが嬉しい。

カラフルな鼻緒の下駄
カラフルな品々に思わず目を奪われる
ポップなデザインの下駄
浴衣はもちろん、洋服でも合わせやすいポップなデザインが特徴
下駄の試着風景
下駄のサイズは試着して確認。「かかとが少し出るくらいが踊りやすいサイズです」とのこと

踊りやすさと耐久性を追求した独自の製法

踊り下駄と通常の下駄との違いは、下駄の台から地面にかけて“歯”と呼ばれる部分の高さにある。

郡上踊りでは、下駄を豪快に蹴り鳴らすようにして踊る。そのため歯の部分を高くしておかないと、どんどん削れていってしまうのだ。

郡上木履では、すべての下駄の高さを5センチに設定。さらに、歯の部分をあとから接着するのではなく、台とともに1枚のブロック板から削り出す製法をとっている。

製造工程の簡略図。歯と台の部分が一体になっていることで、歯が折れてしまうのを防ぐ
製造工程の簡略図。歯と台の部分が一体になっていることで、歯が折れてしまうのを防ぐ

「手間も材料費もかかってしまいますが、こうすることで耐久性が生まれます。何度も履物屋に足を運んだり踊り好きの人々に話を聞いたりするうちに、音色の美しさだけでなく、耐久性も重要だと実感してこの製法にたどり着きました」

諸橋有斗さんが下駄を製作する風景

こだわりは素材にも。木材は寒い地域で時間をかけて育った地元のヒノキを使用。丈夫で強いだけでなく、密度が濃い分重さがある。その重みによって、蹴った時の音がより美しくなるのだ。

製材所から仕入れた2、3メートルのブロック板
製材所から仕入れた2、3メートルのブロック板を、1足の長さにカット
下駄の製作風景
片足ずつに切り、歯の部分を削り出す
下駄の製作風景
最後にのみで細かな調整を加える

1足ずつ手で加工していくため、一度にたくさんは作れない。1日作業しても、できあがるのは20足ほどだ。

「1足1足、木目の美しさを確認しながらつくっていきます。見た目はもちろんのこと、木の節があると欠けやすくなってしまうんです」

特にヒノキは節が多く、扱いが難しい。それでも、ヒノキを使い続ける姿勢に、職人のこだわりと郡上踊りへの愛を感じる。

下駄の製作風景

踊り下駄を通して街を元気に

諸橋さんが下駄づくりをはじめたのは、地元への想いからだ。

「郡上おどりに参加するうちに、踊り下駄は地元でつくられていないということを知りました。山々に囲まれ、木材に恵まれた土地なのにもったいない、と。

ならば自分で、地元の素材や工芸を取り入れた下駄のブランドを立ち上げたいと思いました」

そのため、郡上木履の下駄には地元の伝統工芸である「シルクスクリーン印刷」や、「郡上本染め」が使われている。

店内に並ぶ色とりどりの鼻緒

郡上の良さを全面的に活かして製品をつくることによって、下駄を通して街の魅力を発信しているのだ。

オープン3年目だが若い人を中心に郡上木履の下駄が浸透し、今では1シーズンに約3000足が売れるほどの人気に。

「郡上おどりの31夜のうち、半分以上に参加するぐらい踊り好きの人を“踊り助平(おどりすけべえ)”っていうんです。

中には連日踊り倒し、歯の部分がほとんど削れてなくなってしまう人も。1シーズンで履きつぶすほど愛用してもらえるのは、職人冥利につきますね」

踊りに参加する時だけでなく、ファッションとしても楽しみたくなるカラフルな踊り下駄。郡上を訪れた際には、ぜひ店に立ち寄ってみたい。

<取材協力>
郡上木履
http://gujomokuri.com

文:関谷知加
写真:ふるさとあやの

*こちらは、2019年6月26日の記事を再編集して公開しました

「ゴロー」の登山靴に世界中から注文が集まる理由。オーダーメイドで仕立てる靴職人の手仕事

雑誌『MONOCLE』で紹介された巣鴨の小さな店

豊島区のホームページに「おばあちゃんの原宿」と紹介されている巣鴨。区が公認するほどお年寄りに人気のこの町に、外国人旅行者がわざわざ訪ねてくる小さなお店がある。

訪問者の国籍は多様だ。イギリス、スウェーデン、ノルウェー、アメリカ、カナダ、メキシコ、ドバイ、ロシア、タイ‥‥。

そのうちのほとんどの人に共通しているのは、世界80カ国超で発売されているイギリスの情報誌『モノクル(MONOCLE)』が2015年に発売した東京のガイドブックを手にしていること。ガイドブックの1ページを割いて巣鴨の小さなお店が掲載されていて、外国人旅行者はその情報を頼りにやってくる。

ゴローを紹介している『モノクル』の誌面
ゴローを紹介している『モノクル』の誌面

ページの冒頭にはこう書かれている。「日本全国の人が、ウォーキングブーツを求めてゴローにくる」

1973年創業の「ゴロー」。登山家やハイカーの間では名を知られた、日本で唯一の登山靴、ウォーキングシューズのオーダーメイドメイカーだ。注文してから靴ができるまで2か月待ちにもかかわらず、今や世界中から靴を求める人がやってくる「ゴロー」の二代目が、この道65年の靴職人、森本勇夫さん。

登山業界では知らぬ人のいないゴローの二代目、森本勇夫さん
登山業界では知らぬ人のいないゴローの二代目、森本勇夫さん

名だたる人たちが、森本さんがつくった靴を履いてきた。

日本を代表する登山家、冒険家で国民栄誉賞を受賞している植村直己さん、2013年に80歳で3度目のエベレスト登頂を果たし、世界最高齢登頂記録を持つプロスキーヤー、冒険家の三浦雄一郎さん、オートバイによる史上初の北極点・南極点到達、エベレスト登攀(6,005m)などの世界記録を持つ冒険家、風間深志さん。南極観測隊や多数の登山家たちの靴も手掛けている。

極地に挑む人たちはみな命懸けで、装備に妥協はない。言い換えれば、ゴローの靴は命を預けるに足る信頼を得ているのだ。

登山靴ゴロー

10歳から修行

「私は不器用なんだけどね」と苦笑する森本さんの腕は、父、森本五郎さんに鍛え上げられた。

「生まれは牛込(新宿区)で、20歳まで過ごしました。親父も靴の職人でね。婦人靴、紳士靴、スポーツで使う靴となんでも作っていたんだけど、小学4年生頃から学校が終わると毎日仕事を手伝わされてたな。遊びに行くこともできなくて、ほんと嫌々でしたよ」

昔ながらの職人気質、武骨で厳しい父親に靴底をボンドで貼る、木やすりで靴底を削るという靴づくりの基礎から叩き込まれた。

父親は親方から仕事を受けて一足ごとの工賃をもらうという仕事をしていたから、完成した靴を浅草にいる親方のもとに届けるのも森本少年の役目だった。小学4年生にして浅草までの定期を持ち、ひとりで都電を乗り継いで何度も浅草と牛込を往復した。

中学に入ってからも、遊ぶ暇なく見習いが続いた。変化といえば、親方が変わって靴の届け先が四谷になり、自転車で通うようになったことと、弟も仕事を手伝うようになったこと、そして腕が上がってきたこと。父親は手縫いの靴を作っていたから、森本少年も靴用の太い針と糸で毎日、毎日、靴を縫った。

父親から受け継いだ繊細な手縫いの技術
父親から受け継いだ繊細な手縫いの技術

家の仕事があるからという理由で、渋々、夜間の高校に進学。昼間に集中して仕事をすることでメキメキと実力をつけ、あっという間に「半人前以上になった」そうで、靴の仕事に専念しようと1学期で中退した。

登山靴店「ゴロー」オープン

それから時が経ち、森本さんが23歳の頃には親方から仕事をもらうのではなく、森本家が作った靴を店に直接卸すようになっていた。

1960年代から70年代にかけて登山とスキーがブームになったこともあり、徐々に登山靴とスキーシューズの割合が増えていった。一家そろって腕の良い職人だったから、卸先は地方にも広がり20店舗ほどになった。

ところがそれから1、2年もするとスキーシューズが一気にプラスチック製に入れ替わり、さっぱり売れなくなる。森本さんが「靴屋、辞めようか」と振り返るほどの危機を救ったのは、登山靴だった。

「それまではあまり営業みたいなことはしてなかったんだけど、東京都内で登山靴を扱っているいろんな店をまわったんですね。そうしたら、面白いように注文が取れたの。うちの靴は値段も安かったんだろうね。それは今も変わらないけど(笑)」

登山ブームの追い風もあり、森本家がつくる登山靴はよく売れた。そうして1973年、父親の名前を冠したオーダーメイドの登山靴店「ゴロー」をオープンする。フィット感をなによりも大事にして、お客さんが納得するまで調整することを売りにした。

森本さんがちょうど30歳の時で、その頃は父、弟、2人の職人の5人で働いていたから、森本家にとっては一国一城の主になったようなものだった。

45年前から変わらぬ店の様子
45年前から変わらぬ店の様子

植村直己さんとの出会い

本格的に山を登る「山屋」の世界は狭い。腕利きの職人が手縫いで作るゴローの登山靴の評判は瞬く間に広がり、著名な登山家からも依頼が入るようになった。

そのうちのひとりが、植村直己さん。植村さんも所属していた明治大学の山岳部OBの間で「ゴローはいい靴を作っている」と評判になり、数人分まとめて靴の製作の依頼が入った。そのなかに植村さんもいたそうだ。

持ち込まれた登山靴を修繕している様子
持ち込まれた登山靴を修繕している様子

1970年に世界初の五大陸最高峰登頂者となった植村さんは、1978年、犬ぞりで人類史上初の北極点単独行、グリーンランド縦断に成功するなど世界的な冒険家として名を轟かせていた。

依頼があったのはちょうどその時期で、1981年の初頭、植村さんが日本隊の隊長として臨むエベレストの厳冬期登頂に向けて靴を作ることになった。

「植村さんは、あんまり細かいこと気にしない人でね。お任せしますよ、なんて言うんです。でも、肝心なことだけはちゃんと伝えてくる。裏を毛皮にしてくれ、とか、緩めにつくってくれ、とか。そういうところはやっぱり自分のノウハウを持ってる人だなと」

死と隣り合わせの極地に向かう人たちから選ばれる。それは、森本さんにとって大きなやりがいであると同時に、失敗の許されないチャレンジでもあった。もし足に合わず登山、下山に支障をきたせば最悪の場合、死につながるからだ。森本さんは登山家、探検家の命を懸けた挑戦を支えるために、靴づくりに心血を注いだ。

ゴローに保管されている植村さんの足型のコピー
ゴローに保管されている植村さんの足型のコピー

植村隊長率いる日本隊は、隊員の事故死や悪天候によって登頂を断念することになったのだが、こういったトラブルを耳にした森本さんの心境を想像すると、その緊張感は並大抵のものではなかっただろう。

厳冬期エベレストの挑戦から3年後、植村さんはマッキンリー冬期単独登頂を果たした後に行方不明になった。そのことを尋ねると、森本さんはそれまでの笑顔を消して、悔しさと悲しさと諦めが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。

「遭難はニュースで聞いて、びっくりしたね。その時はうちの靴じゃない靴を履いていたんですよ。そっちの靴はうちのより軽いからね。軽い靴のほうが良かったんだろうね。だけど遭難しちゃったんだよね。もったいないね、もったいない話ですよ」

極地に挑む靴づくり

余談だが、1981年のエベレストではにわかには信じられないようなことが起きていた。植村隊がエベレストのベースキャンプで使用していた無線を、どういうわけか遠く離れた南極観測隊が傍受。

たまたま植村隊がゴローの登山靴の話をしていたのを南極観測隊員が耳にしたらしく、しばらく後に南極観測隊を派遣している国立極地研究所からゴローに隊員の靴のオーダーが入ったのだ。

「そんなことあるのかと思ったけど、自分は確かにそう聞いたんだ。すごいですよね」

エベレストも南極も、当然ながら森本さんは足を踏み入れたことがないし、似たような環境に身を置いたこともない。どうやって想像もつかない環境下でも圧倒的にフィットする靴を作ってきたのだろうか?

「とにかく足に合わせるために、履く人の意見を聞いて作る。ただそれだけでしたね。科学的な実験なんて一切やらなかった。というよりできないから、いつもぶっつけ本番ですよ。それで、山や南極から戻ってきたら、こういう方が良かったよとか言われて、そのノウハウをどんどんためていきました」

「風間(深志)さんがバイクで北極に行く時は寒いだろうからって羊の毛皮を何枚も使って作ったら、暖か過ぎちゃったみたいでね。その次にオートバイで南極に行ったんだけど、もっと涼しく作ってくれって言われましたよ(笑)」

靴のベースとなる足型には様々な情報が書き込まれている
靴のベースとなる足型には様々な情報が書き込まれている

愛される理由

森本さんにとって、登山家や冒険家と話をしながら靴を作るのは刺激的な時間で、どんどんアイデアが湧いてきた。1983年には、日本で初めて防水透湿性素材のゴアテックスで登山靴を作っている。その数年後には、同じく日本で初めてクライミング用のラバーソールも完成させた。

「私は日本初、世界初が大好きだからね、いろんな靴を作りましたよ。新しいアイデアが浮かぶと、寝ないで靴を作っていましたからね。それが楽しいから夢中になっちゃって、知らない間に夜が明ける」

寝食を忘れて靴作りに没頭してきた森本さんは、その技術力を一般の登山愛好家からのオーダーにも存分に活かした。

しかも、誰であろうと足にフィットするまで根気強く調整してくれるから、山での履き心地の良さは言うまでもない。広告などしなくても、ゴローの靴を求める人は後を絶たなかった。

店を出してから45年。その間に父親からゴローを受け継いだ森本さんも、現在75歳。今なお店頭に立ち、訪ねてくる人たちの足型をとり、靴の好みや悩みを聞き、フィッティングをしている。

靴を作る工房は別の場所にあり、靴を作って50年のベテランから30代の若者まで7人の職人が働く。森本さんは弟子たちにその技術を伝えながら、自らも手を動かす。

森本さんはプロからアマチュアまで山に登る人たち、ハイキングを楽しむ人たちが「あったらいいなあ」と思う靴、「安心して履ける靴」をつくってきた。ゴローにはその魂が今もしっかりと息づいている。それが国境を越えて支持される理由だろう。

ゴローへの手紙

ゴローがいかに特別な存在か、それは、ゴロー宛に届くお客さんからの手紙や葉書からもわかる。森本さんが見せてくれた葉書には、こう書かれていた。

「過日は私の35年間愛用しましたゴロー製チロリアンシューズを見事に補修して下さって、心より感謝し、御礼申し上げます! 入手し、手にとってみますと、愛着がますます深まり、自宅の調度品としてかざり、さすっては眺めてくらしております。ありがとうございました。」

35年間、ゴローの靴を愛用しているユーザーからの葉書
35年間、ゴローの靴を愛用しているユーザーからの葉書(許可を得て掲載)

35年という年月に驚くが、靴を購入した店に感謝の葉書を送ったり、履き古した靴を調度品として飾ったことがあるだろうか? 店内にはほかにもお客さんからの手紙、葉書が貼られている。

海外の山に挑んだユーザーからの葉書も
海外の山に挑んだユーザーからの葉書も

取材中、たまたま来店した白髪の年配の方は、20年以上前にゴローで購入した登山靴を3度目の修理に出していて、それを受け取りに来たところだった。

森本さんが「もうダメになりそうなところは手で縫っておいたからね」と言うと、靴を受け取りながら、ニコニコと思い入れを語ってくれた。

「もうね、なかなかほかの靴は履けないですよ。死ぬ前に靴がだめになるか、俺が先にダメになるかの勝負だね(笑)」

一度購入したら、その後の人生をともに歩む靴。それがゴローなのだろう。

ゴロー

<取材協力>
ゴロー
東京都文京区本駒込6丁目4-2
03-3945-0855

文・写真:川内イオ

※こちらは、2018年10月26日の記事を再編集して公開しました。

豆腐を加えるだけ簡単麻坊丼

ピリ辛ソースに豚肉もたけのこも入っているから豆腐を加えるだけ!

レシピ手順

材料(1人前)

ミニ豆腐(絹ごし、木綿はお好みで)、小ねぎ 適量、素麺のための唐辛子豚タケノコ 1袋

手順

・素麺のための唐辛子豚タケノコを鍋に入れて中弱火で温める。

・一口大に切った豆腐を加えて温める。

・ごはんを盛った器にかけて、小ねぎを散らす。

梅かつおジュレで涼やかぶっかけ素麺

ジュレソースが見た目にも涼やかで、いつもと違った素麺が楽しめます。

レシピ手順

材料(1人前)

素麺 適量、蒸し鶏 適量、大葉 1,2枚、吉野杉桶造淡色醤油めんつゆ 5倍希釈 適量、素麺のためのジュレソース 梅かつお 適量

手順

・茹でた素麺を器に盛り、刻んだ大葉、蒸し鶏をのせる。

・めんつゆを5倍希釈してかける。(素麺のためのジュレソースをかけるので、めんつゆをかけすぎると味が濃くなります)

・素麺のためのジュレソースを適量かける。