わたしの一皿 小代焼の深海を泳ぐ

たどりついた感がある。

毎年、好きだなとは思っているけれど、季節の終わりには正直なところ「またか」と思ってしまう野菜、苦瓜。

しかし、去年からこの料理を家で作りはじめて、苦瓜消費量は激増。季節の終わりも苦にならなくなったのだ。日本語で言うならば苦瓜の煮干し炒め、か。台湾の料理である。そして苦瓜料理の決定版、と言わせてもらおう。

素材としては主役は苦瓜なのだけど、安い時に買っておくでもいいし、グリーンカーテンをして苦瓜ができすぎている人からもらえればなお良し。ちなみに苦瓜は緑のものでも、白のものでもかまわない。

みんげい おくむらの奥村忍による「わたしの一皿」瑞穂窯

その他そろえておきたい脇役たちをご紹介しよう。まずは小さな煮干し。5cmほどのもの。続いて豆豉(トウチ)。中華食材店で買うことができる。僕はいつも行く台湾で買ってくる。そして唐辛子。

豆豉なんて、使うかなあと思うでしょう。大丈夫。いつもの麻婆豆腐に入れればコクが出るし、炒め物だって同じ。あれば使う。使えるようになる。どうぞご用意ください。

これらを苦瓜を下ゆでしたものと炒める。苦瓜は、苦味が強いのが好きならば厚め、苦味が苦手ならばできるだけ薄めに切ってゆでておく。刻んだにんにく、しょうが、ねぎを炒め、そこに苦瓜、煮干し、豆豉と唐辛子。そして味付けに酒、醤油、砂糖。下ゆでしているので、味が全体に馴染めばOKだ。

この料理は台湾でよく食べる。暑い夏の台湾でこの料理を見かけると、ついつい頼んでしまう。食堂のようなところでは作り置きのものが小皿で出されるが、この料理は常温でもとても美味しい。豆豉の塩気と味の深みがたまらない。

みんげい おくむらの奥村忍による「わたしの一皿」瑞穂窯

苦瓜をよく食べるけど、ゴーヤチャンプルーや、おひたしばかりでバリエーションがない、という人はぜひ試してもらいたい。冷めても美味しいのでたくさん作っておきたい。お弁当のおかずにだって良いですね。

まだまだ暑いこの時期はうつわも少し涼やかにいきたいもの。我が家は青のうつわが多い。なので夏はうつわに困らない。とはいえ青にも色々ある。

今日は熊本の小代焼(しょうだいやき)、小代瑞穂窯の青だ。青と黒のせめぎ合い、といった雰囲気のこの楕円の鉢。鉢の形が使いやすいものなので、実際のところ年中使っているのだが、夏はこの青をできるだけ見せて、少しでも涼やかに感じたいところ。

白・黄・青と大きく3つの色に別れる小代焼にあって、この青。瑞穂窯の青は色がなかなか出にくい。ほぼ黒に振れる時もあれば、白味の強い青に振れる時も
あり、今回のものは黒に振り切れるほんの少し前、と言った感じの雰囲気で、まるで深海をのぞき込んでいるかのような雰囲気がある。

みんげい おくむらの奥村忍による「わたしの一皿」瑞穂窯

今日はこの深海を小魚(煮干し)に混じって苦瓜(それも切り身)が泳いでいるのだ。などと見立てるのはどうかと思うが、食材の色も映えて、なかなか良いでしょう。

もうひとつ。この料理は大きなうつわに入れれば入れただけ食べてしまうので、このくらいのサイズにしておこうという自制心を込めてのうつわ選びでもある。

中華やイタリアン、フレンチなんかはどうにも白い磁器の皿のイメージがあるが、そんなの誰が決めたルールでもない。白い皿とは違った映え方もあるし、面白みがある。今日だって、中国で生まれた発酵調味料の豆豉が、台湾の家庭料理になり、それを日本で作っているのだ。料理だって自由だ。うつわ選びだって、ますます自由であれ。

知り合いの画家は、子供の頃から母に食事のたびにうつわ選びを任されたそうだ。それが彼女にとっての色合わせの原点だったそう。うつわ選びから人生が変わるかもしれない。ずいぶん素敵な話じゃないですか。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

着物づくりを諦められなかった彼女は、新潟・十日町で夢を叶えた。若き移住系デザイナーの胸のうち

「成人式で撮った振袖姿の写真を見せたら、海外の友人にものすごく感動されたんです。

日本人だけじゃなくて、海外の方も綺麗だなと思ってくれるというのが嬉しくって。そこから、着物づくりに携われたらと考えるようになりました」

赤石 真実さん

そう語るのは、赤石 真実 (あかいし まみ) さん。

着物の一大産地である新潟県十日町市に移住し、着物メーカー「青柳」に就職。未経験から着物デザインの仕事に向き合う日々を送っています。

未経験で移住、一筋縄ではいかなそうな進路です。学生時代からの夢が実現するまで赤石さんが乗り越えてきたこと、十日町だからこそ叶えられたこと、お話を伺いました。

工房を訪ね歩く、20代の日々

1986年生まれの赤石さんが就職したのはリーマンショックの翌々年でした。ただでさえ求人の少ない着物の制作現場。赤石さんが思い描く就職先は見つかりません。

「大学卒業後は東京の印刷会社に就職し、製版用の原稿制作の仕事をしていました。でも着物のことを諦めきれなくて‥‥。少しでも着物に関する仕事ができればと振袖レンタルなどを行う貸衣装屋さんの営業職に転職しました」

転職先で着物の勉強をしながら、職人として働ける就職先があればと工房巡りを始めた赤石さん。

はけで染める工程。青柳独特の降り方の生地で染めに立体感が生まれています

「着物に関わる仕事の中でも、着物づくりに携わる分野で働きたいと思っていました。

そのためには現場を知りたい。そう思って、直接職人さんたちに会いに行こうと主に京都の工房を訪ねました。見学していて『ここで働きたい!』と感動する工房にも出会い、ご相談させていただくこともありましたが、断られるばかりでしたね。

京都の着物づくりは分業制。ご家族で経営されている小さな工房がほとんどです。後継者は必要だけれど、美大卒でもなく未経験の若者を受け入れるのはなかなか難しかったようです」

諦めきれずに翌年に再度訪ねた工房はすでに廃業していたということもあったそう。3年が経ったころ、転機が訪れます。

29歳、移住者イベントに飛び込んだ

「20代最後の年を迎えた時に『やっぱり諦められない!』と思いました。もう一踏ん張りしてみよう、と移住者イベントに出かけてみたんです」

青柳にIターン就職した赤石真実さん

2016年の冬、赤石さんが訪れたのは東京の有楽町駅近くにある交通会館内で行われた移住者支援イベント。相談先は、新潟県十日町市でした。

「学生の頃は、着物というと京都や金沢のイメージしかありませんでしたが、貸衣装屋さんで働くようになって十日町が着物の一大産地であることを知りました。

イベントは、着物の仕事をしたい人に特化したものではなかったのですが、何かきっかけがつかめればと思っていたんです。運良く、着物を広めたいという方と出会えて、その方にお話を伺いました。

みなさんフレンドリーで、十日町の食事をご馳走になったり、市役所の方がその年の『雪まつり』に誘ってくださったり。十日町が一気に身近になったようでした」

移住したい人に勇気を与えてくれる場所、十日町

新潟県十日町市は、地域おこし協力隊の受け入れやその後の定住サポート、イベント開催をきっかけとした移住者支援などを積極的に行なっている地域。そのことに、赤石さんも勇気づけられたといいます。

「移住者イベントの後、誘っていただいた『十日町雪まつり』にその時に出会ったメンバーと出かけたんです。

十日町はとにかく雪がすごい!と聞いていたので、移住するにしてもまずは知っておきたいなと思っていて。といっても、この年は過去40年間で一番雪が少ない年だったそうで、参考にできなかったのですけれど (笑) 。

でも、行ってよかったです。地域の雰囲気を体感できました。ゲストハウスに若い方も多くいて活気がありました。よその人が入っていっても大丈夫と思える、オープンな印象です。

宿泊したゲストハウスは、その名も『ギルドハウス』というところ。若い移住者のための場所で、ほぼ無料で泊まらせてもらえて、職人さんの工房を見学させていただきました。

ここに住んで、服を作ったり制作活動している方もいました。家賃が払えなかったら家事をしてお返しするなんていう仕組みもあって、移住者を受け入れる土台があることが心強かったです」

赤石さん

市役所のサポートがすごい

「市役所の方が親身になって支援してくださったことで、夢が一気に現実に近づきました。

私の着物への関心や、営業職ではなく職人さんのそばで着物づくりに携わりたいという希望を踏まえて、すぐに就職先を紹介してくれたんです」

こうして赤石さんが出会ったのが株式会社青柳でした。その後、青柳の工房見学、面接を経てあっという間に就職先が決まります。2017年の春には、十日町での新生活がスタートしていました。

十日町の一貫生産制だからこそ、できること

「十日町の着物づくりの大きな特色は、一貫生産制。全ての工程を自社で行うので組織として規模があり、未経験の若手を受け入れてくれる土壌がありました。

さらには、青柳は特に手仕事を大切にしている会社でした。社内にはたくさんの職人さんがいて、見学させていただいた時にお仕事姿に圧倒されましたね。まさに、私が働きたい場所がここにありました。こんな風にめぐり合わせてもらえるなんて、ありがたいことです」

生地が徐々に染まり始めます
赤石さんも感激したという染色技術「桶絞り」の様子。作業中、職人さんのゴム手袋の中から大量の水が飛び出します。高温の染色液で火傷しないようにゴム手袋を2重にはめて、その中に水を入れて作業しているのだそう

※青柳では、工房見学を一般公開しています。さんちではその様子を取材しました。こちらからご覧ください。
https://sunchi.jp/sunchilist/echigotsumari/66318

「自分としては、美大出身でもないのに大丈夫かな?ということが心配でした。

就職前の面接では、これまでのキャリアや希望をお話して、適性を考えていただきました。私の経験を考えると、職人さんの選択肢もあるけれど、設計室 (デザインを行う部署) が良いのではないか?と専務がおっしゃったんです。

十日町の着物づくりを総合的に見てこられて、色々な経験をされてきた方の言葉でしたから、信じてやってみようと思いました」

Iターン就職した赤石真実さんの仕事の様子
設計室での赤石さんのお仕事の様子

「今は、デザイナーの先輩方の補助をして勉強させてもらっています。図案の色付けをしたり、図案を縮小した雛形をPCで作ったり。デザイン関連のソフトは、印刷会社時代に使っていました。まさかその経験がここで生きるなんて、不思議なものですね。

まだ就職して1年経ったばかりですが、実は先日、デザインもさせてもらったんです。面倒を見ていただきながら、チャレンジさせていただけるのが本当にありがたいです。もっと経験を積んで、先輩方のようにいろんなデザインを提案していけたらと思います」

赤石さんの1作目
赤石さんの1作目。紫陽花の花をイメージした夏の着物

これからやりたいこと

「先日、一般向けの見学イベントを工房で開いたんですが、それを見てお客様が感激してくださったんです。これからは、外に対して着物のことを広めて行く活動も少しずつしたいなと思っています。地元の方、県外の方、海外の方にもっと見ていただく機会が作れたらいいな、と。

着物の市場は縮小していますが、知っていただくことで変わることもあると思うんです。お客さまだけでなく、就職先という意味でもそう思います。
例えば私が感動した『桶染め』も、次世代に引き継いでくれる人がいないと残していけないものですよね。私のように、着物づくりに携わりたいけれど、働き先が見つけられないという方に、存在を伝えていけたらなと思います」

およそ10年の時をかけ着物の仕事に就いた赤石さん。これからを語る目は、キラキラとしていました。

赤石さんのお仕事道具

赤石さんを採用した、専務の青柳さんにもお話を伺うことができました。

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ・くらんど) さん
株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (くらんど) さん

「やりたいことがあって見知らぬ土地に行くって、なかなかできないことですよね。だから応援したいという気持ちがありました。赤石さんから見て、弊社に魅力的な部分があったなら嬉しいことです。

赤石さんは、着物に対して熱意があって、志の高い方でした。

志を持って仕事についてくれる人の方がこちらも育てがいがあります。いろんな工程の仕事があるので、人によってはいくつかの現場で経験を積んでもらって適性を見ることもあります。向いている仕事で活躍してもらえるのがお互いにとって良いことですから。

赤石さんに関しては、外に向けて視野を広げられる方だったので、職人として1つの技術を追求していくより、幅広い活動ができる仕事が合っているように思えたんです。それで設計室を提案しました。

あとはこの地域に馴染めるかだけですね。とにかく雪が凄いので、暮らしの部分でも助けあっていけたらと思います」

お互いにとって良い形を一緒に探してくれる青柳さん。赤石さんから伺った今後の展望と職種も合っていそう。素敵な上司だなぁと、あたたかい気持ちになりました。

雪かき、ではなく雪掘り!

青柳さんのお話にもありましたが、十日町は日本有数の豪雪地帯です。

降雪量の少ない茨城県出身の赤石さん。移住の際に唯一気がかりだったのが、雪のことでした。ご家族も心配していたのだそう。実際暮らしてみて、どうだったのでしょうか?

「想像を超える量の雪で、思わず笑ってしまいました。

雪の季節の前から周りの方が心配してくださって、必要な道具や雪かきの仕方だとか教えていただきました。あと、スコップは車に積んでおいた方が良いよとか。大変だけれど、不思議と辛くはなかったです。

十日町は新潟県内でも除雪技術が高いそうで、ひどい雪の日でも道路を走れなくなることはないのですが、駐車場では車のタイヤが雪に埋もれます。

こっちの人は『雪かき』じゃなくて『雪掘り』っていうんですよ!雪で敷地から出られないという状況で、30分くらい雪掘りをしてから通勤します。みんなで助け合いながら、雪を掘って順番に車を出していく。そういうのが面白かったです」

「やりたいこと」は口に出してこそ

「雪のこともそうですが、あっという間に決まった移住だったので深く思い悩む暇もなくやって来ました。ここまで、とにかく人との縁がありがたかったですね。いろんな人に助けていただきました。

振り返ってみると、周りの方にその思いを伝えていくことが大事だったのかなと思っています。

移住者イベントに出かけるまでは、思いはあれど語ることをしてきませんでした。それが自分から伝えるようになって以来、あっという間に進みました」

やりたいことは口に出してこそ。これからも「やりたいこと」を発信して十日町の着物づくりを盛り上げていく赤石さんの笑顔が目に浮かびました。

青柳にIターン就職した明石真実さん

赤石 真実 (あかいし まみ) さん / 1986年生まれ。茨城県出身

2017年4月末に青柳へ入社。現在、デザイナーとして見習い中。

「十日町はとにかくお米が美味しい!日本酒が飲めるようになりました。休日は車で長野に行くことも。少しずつ運転も好きになりました」と、仕事だけでなく十日町暮らしも充実させていました。

<取材協力>

株式会社 青柳本店

新潟県十日町市栄町26-6

025-757-2171

https://kimono-aoyagi.jp/

※工房見学の様子はこちら
https://sunchi.jp/sunchilist/echigotsumari/66318

文:小俣荘子

写真:廣田達也

「孫に作品を残したい」想いから生まれる 宮城・挽物玩具の酉を訪ねて

こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載10回目は酉年にちなんで「挽物玩具の酉」を求め、宮城県白石市の鎌田こけしやを訪ねました。(ワイズベッカーさんのエッセイはこちら

弥次郎系・鎌田こけしや

こけしの宝庫、宮城県。

構造、形、描彩が師弟関係や産地別の特徴を持つ伝統こけしが、それぞれに系統を作っていて、こけしの世界は調べれば調べるほど奥深いものです。
県内各地では今も、鳴子系、遠刈田系、弥治郎系、作並系、肘折系などの系統が作られています。

今回訪れたのは、弥治郎系こけしの生まれ故郷白石市。

湯治湯として有名な鎌先温泉や小原温泉で、昔からこけしが売られてきました。
太い直胴もしくは、中程が括れた胴に、描彩は黄色に塗られた下地に菊花や石竹、もみじが描かれており、首は差し込み式になっているのが特徴です。

鎌先温泉の旅館に並ぶ弥次郎こけし
鎌先温泉の旅館に並ぶ弥次郎こけし

そんな弥治郎系こけしの系統を継ぐ「鎌田こけしや」が今回の目的地です。

宮城県白石市の鎌田こけしや
鎌田こけしや

鎌田こけしやの創業は、関東大震災の直後。
創始者である鎌田文市さんは、1900年にこの地方の絹糸商家に生まれました。

幼少期の怪我のせいで正座ができなかったため、腰掛けてできるこけしの木地職人の道へ。
弟子入りしたのは、弥治郎系こけしの職人・佐藤勘内さん。

しかし、弟子離れしてからもなかなか食えず東京に出稼ぎに行ったが、関東大震災で仕事が続けられなくなったのを機に地元白石に戻り、独立開業。
現在は孫である孝志さんが、3代目を継いでいます。

鎌田こけしや3代目鎌田孝志さん
鎌田こけしや3代目鎌田孝志さん

伝統こけし3代目がつくるユニークな創作玩具

孝志さんは高校卒業後、横須賀で鉄道の車輪を作る仕事をしていましたが、粉塵により肺を悪くしてしまいます。

地元に戻り、祖父からの勧めもあり家業を継ぐことを決断。最初は刃物の使い方から教わり、生卵で顔を書く練習を経て、3年後に一人前に木地を挽けるようになって初めて、こけしの顔を描かせてもらえたそうです。

孝志さんは伝統的なこけしだけでなく、挽物で作るユニークな独楽や玩具も魅力。独楽を回すと、クスッと笑いたくなる予想外の動きに目が離せません。

警泥、鬼退治などをモチーフにした独楽を回すと動き出す玩具
警泥、鬼退治などをモチーフにした独楽を回すと動き出す玩具

「今まで作ってきたのは約100種類。日の目を見なかったものまで含めるともっと多い。」

こういった独楽や玩具を作れるようになるため、若い頃、仙台で江戸独楽を作っていた木地屋の広井道顕さんのもとに、週に一度学びに通ったそうです。

現在、組合で弟子の養成にも携わっているそうですが、工房では弟子を取らず、制作はおひとり。今でも年間約1000個をつくられる原動力は、「孫に祖父のような作品を残したい」からだといいます。

親鳥のお腹から、ひよこの独楽

今回のお目当ては鎌田さんの「酉」。頭部が開く蓋物になっています。

まるい胴体の中には1センチくらいのひよこが描かれた独楽が3つ。
親鶏の前でくるくるとよく回る独楽を見ていると、思わず顔が緩みます。

蓋物になっている酉
蓋物になっている酉
開くとお腹の中には独楽のひよこが3匹
開くとお腹の中には独楽のひよこが3匹

作品を見せてもらった後、自宅の裏にある工房を案内してもらいました。

鎌田さんの作るこけし、独楽、その他の玩具は、ロクロと鉋を用いて形を削り出したり細工をしたりする技法で、一般に挽物(ひきもの)といわれます。

ロクロは、現在はモーター式が使用されていますが、旧式のロクロは一人が縄をひいてロクロを回し、一人が細工をする二人挽きのものでした。技術の進化とともに、一人挽きになり、ペダルを回す足踏み、水力(戦前)、モーター(戦後)と動力が変化してきたとのこと。

現在使用されているモーター式のロクロ
現在使用されているモーター式のロクロ

挽く方法は、予め頭部と胴部に木取りしたものをロクロにかけ、数種類の鉋を使って別々に挽き、最後に頭と胴体を噛み合わせます。

鉋などの道具も昔はたくさんあったそうですが、今は作る人がいなくなり、古いものを修理しながら使ったり、自分で加工して道具を作ったりしているそうです。

ロクロ挽き
ロクロ挽き
鎌田こけしやの道具
整頓された鉋などの道具は修理しながら使い続けられている

彩色は、ロクロを回し、筆の先を軽く当てて模様をつけるロクロ描きと、手に持って描く手描きの2つの方法を使い分けます。墨と紅、黄、藍、青、紫など5色の食品添加物を使って、特色ある描彩が施されます。

「祖父の真似をしようとしてもできなかった。早々に自分の顔を書こうと決めた。」

描彩をする職人の筆さばきで、顔に個性が出るといいます。

ロクロ描き
ロクロ描き(描いているのはワイズベッカーさん)

材料に使用しているのはミズキという木。
水分が多くて柔らかく挽きやすい、そして木肌が白く年輪が目立たない、といった条件が揃っているのだそう。

材料のミズキ
材料のミズキ

近頃は木材の入手に苦労が絶えないという。

「宮城県内に山師がいなくなり、木材は福島県の会津若松から仕入れていました。しかし、東日本大震災後、放射能汚染の有無に関わらず、県外への持ち出しが難しくなった。山師を辞めて収入の高い除染作業に行く人も多い。今は昔のつてを辿って、群馬の業者から仕入れています。」

原発事故の影響は、こけし作りにも及んでいました。

こけしの起源は、おしゃぶり、お守り、祭礼の道具、ままごと用の人形などまちまち。
決定的なものはなく、木地師がたまたま挽いた人形で、元々玩具として発生したという見方もあります。

そういった伝統的なこけしの歴史や技術を踏まえて作られる鎌田さんの作品は、驚きを与えてくれる「仕掛け」や「動き」が魅力的。子どもも大人も、見て、触って、楽しめる創作玩具です。



さて、次回はどんないわれのある玩具に出会えるでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第10回は宮城・挽物玩具の酉の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第11回「福岡・赤坂人形の犬」に続く。

<取材協力>

鎌田こけしや

宮城県白石市字堂場前27

電話 0224-26-2971

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」7月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

300年続く照れ隠し。顔を見せないことで洗練された伝統の踊り

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

最近は朝晩にすっと秋の気配を感じますが、富山ではあるお祭りが、秋の合図だそうです。お祭りの名は「越中八尾 (えっちゅうやつお) おわら風の盆」。毎年9月1日〜3日にかけて富山市八尾町一帯の町まちで繰り広げられる郷土芸能です。

その幻想的とも言われる「おわら」の風景を見たくて、一足早く前夜祭へ行ってきました。

北陸新幹線に乗って、いざ富山へ!
北陸新幹線に乗って、いざ富山へ!
到着した富山駅の近くで、早速「おわら」の気配。
到着した富山駅の近くで、早速「おわら」の気配。

歴史は300年以上!おわら風の盆とは?

「おわら風の盆」が開かれるのは、富山県の八尾町。なだらかな坂沿いに昔ながらの家々が連なる情緒ある町並みが人気です。

道沿いのぼんぼりがお祭り気分を盛り上げる
道沿いのぼんぼりがお祭り気分を盛り上げる

「おわら風の盆」では、八尾町にある11の町それぞれに、編みがさを目深にかぶった若者たちが男女に分かれ、そろいの浴衣で民謡『越中おわら節』にあわせて町内を踊り歩きます。

その歴史は300年以上。発祥の起源は定かでないそうですが、江戸の元禄時代、町衆がお祝い事に三日三晩歌い踊り町を練り歩いたのが始まりと言われます。

もとは春に始まったお祭りは、次第に孟蘭盆会(うらぼんえ。旧暦7月15日)とも結びつき、やがて二百十日の風の厄日(ちょうど台風の多い季節)に風神鎮魂を願う「風の盆」という名の祭りに変化していきました。

ちなみに「おわら」という言葉の起源も諸説あり、芸達者な人が唄の中に「おわらひ(大笑い)」という言葉を差しはさんで踊ったからとか、その年の豊作を祈念した「おおわら(大藁)」説なども。

踊り子さん直伝で「おわら」をマスター。まずは曳山展示館へ

本番の3日間では11ある町会を巡りながら、町ごとに異なる衣装や唄の節回しなどの風情を楽しめます。前夜祭は混雑緩和のために始まったもので、11日前から各町が日替わりで踊りを披露し、本番さながらの雰囲気を味わえるようになっています。

富山駅から在来線で最寄りのJR越中八尾駅に着き、まず向かったのが「曳山 (ひきやま) 展示館」。ここでは期間中、実際の踊り手さんによる踊りの解説や、ステージ上での演舞を楽しむことができるので、予習にぴったりです。

曳山とは飾りものを据えた山車のこと。展示館正面の大扉が、曳山の大きさを物語ります
曳山とは飾りものを据えた山車のこと。展示館正面の大扉が、曳山の大きさを物語ります
「おわら」の他に、5月の曳山祭も有名な越中八尾地域。展示館内に保存されている曳山も豪華絢爛です
「おわら」の他に、5月の曳山祭も有名な越中八尾地域。展示館内に保存されている曳山も豪華絢爛です
基本の踊りを解説中。男女で踊り方が少しずつ異なります
基本の踊りを解説中。男女で踊り方が少しずつ異なります
力強くキレのある男踊り
力強くキレのある男踊り
たおやかで美しい女踊り
たおやかで美しい女踊り
豊作を祈願する芸能らしく、これは稲を刈っている姿を表すそう
豊作を祈願する芸能らしく、これは稲を刈っている姿を表すそう

夢中になって見ていると、風の盆が「幻想的」と称される理由が少しずつわかってくるような気がしてきました。

踊りに哀愁を添える胡弓 (こきゅう)の音色

地元の人たちが中心となって組まれる「地方衆」の登場です。本番に向け1年前から練習を始めるそう
地元の人たちが中心となって組まれる「地方衆」の登場です。本番に向け1年前から練習を始めるそう

風の盆の音楽は、踊り子のバックにつく地方 (じかた) と呼ばれる人たちが担います。曲の主旋律を弾く三味線に太鼓、高温で遠くへ響かすような唄い手と唄を支える囃子方、そして胡弓です。

踊り手のバックに地方衆。ご近所のおじちゃん、おばちゃんが唄や三味線を当たり前にできるって、なんてかっこいいんでしょう!
踊り手のバックに地方衆。ご近所のおじちゃん、おばちゃんが唄や三味線を当たり前にできるって、なんてかっこいいんでしょう!
哀愁を帯びた胡弓の音色が耳に残ります
哀愁を帯びた胡弓の音色が耳に残ります

胡弓は日本ではほぼ唯一とされる弓奏弦楽器。唄と楽器が溶け合うように旋律をつくる「おわら節」の中で、そのつややかな音色は独特の哀愁があります。元々のおわら節には使われていなかった楽器だそうで、1900年頃に輪島塗の旅職人が八尾にもたらしたものだとか。今では「おわら節」の象徴的な存在です。

顔の見えない編みがさ

一体どんな表情で踊っているのか。想像を掻き立てられます
一体どんな表情で踊っているのか。想像を掻き立てられます

かつて踊り子さんは気恥ずかしさから手ぬぐいをかぶって踊っていたそう。それが時代を重ねて、今や風の盆を象徴する編みがさに形を変えてきました。

前が見えているのかな?と不安になるくらい目深にかぶった編みがさで、踊り子さんの顔はほとんど見えません。その分、時おりチラリと覗くあごのラインや口元が印象強く残ります。

無表情、無言の踊り

地方衆の奏でる調べに乗る踊り子は、声を発しません。時おり編みがさから覗く横顔も、終始無表情のまま。

独特の調べが切れ目なく鳴り響く中、そろいの浴衣、無表情、無言で繰り返される同じ型の動き。否が応でも私の意識は、踊りの一挙手一投足に集中していきました。

表情が見えない分、女性らしい仕草が際立つ
表情が見えない分、女性らしい仕草が際立つ

踊り手の個性が全く打ち消されることで、時代をかけて洗練されてきた踊りの美しさにだけ、のめり込んでいくようです。気づくと、目頭が熱くなっていました。

いざ、町なかへ、踊りの舞台へ!

夢から醒めたようにステージを見終えると、外はすっかり夜。いよいよ町で踊りが始まります!ステージ上であれだけ人を夢中にさせる踊り、町の景色の中では一体どれほどの風情になるでしょう。期待を高めながら、いざ、今日の踊りの舞台、天満町 (てんまんちょう) へ。

ぼんぼりが町の夜をいろどります
ぼんぼりが町の夜をいろどります
細い路地にもオレンジの灯り
細い路地にもオレンジの灯り

踊りのメインステージは町によって異なるのですが、天満町は町内のお宮さんである天満宮前。臨時バスで駆けつけると、すでに大変な賑わいです!

老若男女、ひしめき合うように今か今かと踊りの始まりを待ちます
老若男女、ひしめき合うように今か今かと踊りの始まりを待ちます

本番前の踊り子さんたちの姿もちらほら見えて、ますます期待が高まります。

本番前の踊り子さんの姿も

お隣の公民館から三味線の音色などが聞こえ、さあいよいよ、と意気込んだところで、ポツポツと雨。次第に雨脚が強まり、なんと野外での踊りは中止となってしまいました‥‥!

まさかの雨、それでも‥‥

三味線や太鼓などの楽器は湿気に弱く、また踊り手さんも高価な衣装をまとっているために、風の盆は雨の中での開催はできません。急きょ公民館へ会場を変えて、踊りが始まります。

落胆したのもつかの間、支度の様子から間近で見ることで、個人が「名前のない踊り子」に変わっていく瞬間に立ち会うことができました。

どこかあどけなさも残る、開演前の踊り子さん。
どこかあどけなさも残る、開演前の踊り子さん。
ひとり、またひとりと編みがさをかぶってゆき‥‥
ひとり、またひとりと編みがさをかぶってゆき‥‥
演奏が始まりました
演奏が始まりました
黄色い浴衣は中学生の踊り子さん。静かに踊り出しを待ちます
黄色い浴衣は中学生の踊り子さん。静かに踊り出しを待ちます
唄が始まれば、先ほどのあどけなさはどこへやら
唄が始まれば、先ほどのあどけなさはどこへやら
女踊りはどこまでもしなやかに
女踊りはどこまでもしなやかに
見えそうで見えない素顔
見えそうで見えない素顔
男踊りはどこまでも力強く
男踊りはどこまでも力強く
踊りの終盤、男女合わせての踊りになります
踊りの終盤、男女合わせての踊りになります
決めのポーズでは、拍手が
決めのポーズでは、拍手が

おわら風の盆の始まりは、町をあげてのお祝い事に、町衆が三日三晩唄い踊り明かしたことといいます。踊り子は、踊っている間だけは普段の暮らしも名前も忘れて、ただ「嬉しい」「楽しい」といった感情にとっぷりと没入できるのだと思います。

切れ間なく続く唄、そろいの浴衣、目深な編みがさ、繰り返される踊りのパターンは、いわば「非日常スイッチ」。

積極的に型にはまっていくことで、誰もがあっという間に我を忘れていく。おわら風の盆は、踊る側も見る側も、非日常の世界へと誘ってくれます。

大人をお手本に、子供達の踊りの様子。こうして何世代もおわらは受け継がれていきます
大人をお手本に、子供達の踊りの様子。こうして何世代もおわらは受け継がれていきます

本番の3日間では深夜になり観光客がまばらになったあとも、興奮冷めやらぬ町の各所で自然と人の輪ができ、空が白むまで踊る姿がそこここに見られるそうです。

最終日の夜が明けた朝、始発列車で帰って行くお客さんを踊り子さんが見送る光景は実に美しく、涙する人もいるそう。

風の盆を終えた翌朝の風物詩、始発電車の見送り舞台となる越中八尾駅
風の盆を終えた翌朝の風物詩、始発電車の見送り舞台となる越中八尾駅

1年にたった3日間の、おわら風の盆。終われば富山に秋がやってきます。期間は毎年9月1日から3日まで。思い立ったらぜひ、我を忘れる幻想の世界へ、行ってみてくださいね。

<取材協力>
越中八尾観光協会
http://www.yatsuo.net/kankou/

こちらは、2017年9月2日の記事を再編集して掲載いたしました

【はたらくをはなそう】EC課 杉村 健太

杉村 健太

2016年 入社
EC課 WEBデザイナー・同課 課長代理

奈良生まれ、奈良育ちだからなのか、
もともと古い道具や神社仏閣めぐりが好きでした。

そんな「好き」が高じて郷土玩具の収集を趣味としていたある日、
地元奈良で販売されている「五色鹿」という郷土玩具を探して
民芸品店を訪ね歩いていたのですが、どうにも見つからない。

そこで民芸品店の店員の方に話を聞いたところ、
「もう今は作られていないんじゃないかな」と。
(あとでよく調べると実はまだ作られていたのですが笑)
“廃絶した”と聞いてとてもいたたまれない気持ちになったのを
いまでもよく覚えています。

郷土玩具のガチャガチャというトガった商品を展開していた、
中川政七商店の求人をたまたま目にしたのは、そのすぐ後のことでした。
いろいろ調べていくうちに、
この会社なら本当に、多くの郷土玩具が残る世界に自分を導いて行けるのではと思い、
あっという間に採用選考への応募を完了していました。

結果、運良くここで働けることになり、
今は郷土玩具に限らず、ありとあらゆる商品を扱うオンラインショップの担当者に。
Webを通して、商品の魅力やストーリーを伝える仕事をしています。
会社の中で自分はあくまでWeb屋であり、
郷土玩具の作家でもなく、商品デザイナーでもないし、
仕事上それを作り上げる工程に直接関わる機会は、ほぼありません。

しかし「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げた
この会社にいる限りは、
なんてことのない作業の一つ一つさえ
この世界の片隅に自分の「好き」を残すことにつながり、
またそれが紛れもなく「自分事」であるということに、
日々確信を持って、業務に取り組めています。

Webはめまぐるしく進化しつづけていて、古い知識や技術はどんどん使えなくなり、
郷土玩具だけでなく自分にとっても過ごしにくい時代になったなぁと
年寄りみたいなことを言いたい気持ちは往々にしてありますが、
これからもこの「好き」という気持ちだけは、
なくさないようにしていきたいなと思っています。

※ちなみに「五色鹿」、めちゃくちゃ可愛い民芸品なので、
興味ある方は奈良へGOです。

ハズレなし。着物が生んだ居酒屋激選区、十日町で一杯

十日町の居酒屋は、どこに入ってもハズレがない。

大地の芸術祭の取材で新潟県十日町市を訪れた時、はじめに教わったのがこのことでした。

なんでも十日町は着物産業で栄えたために接待や宴席の需要が多く、自然と町全体のお店のレベルがあがってきたのだとか。

はけで染める工程。青柳独特の降り方の生地で染めに立体感が生まれています
着物メンテナンスの手元

ちょっと前まで人口に対する飲み屋さんの割合が日本一だったというレジェンドも耳にしました。

そんな美味しい噂を聞いたら、確かめないわけにはいきません。

夏でも日が暮れるとぐっと涼しくなる、この町独特の夜風に背中を押され、今日の晩酌は十日町で、地元民オススメの3軒をはしご酒。

「ALE beer&pizza」 地域おこし協力隊出身のクラフトビールとピザのお店

ALEのシカゴピザ

スタートから早々にイメージを打ち砕かれました。

着物の町と聞いて勝手に日本料理店が多いのだろうと思っていたのですが、1軒目の名前は英語で「ALE (エール) beer&pizza」。お店も洋の雰囲気です。

暗闇に浮かび上がるALEの看板
暗闇に浮かび上がるALEの看板
ALE店内
ALE店内、壁のポスター

「十日町って、飲食店の激戦区なんですよ。数も多いし、レベルも高い。そばやブランド豚、野菜など食材も豊富です。

だからそうした素材を、地元の人が普段しない食べ方で楽しめるお店にしたいなと思って」

そう語るのはお店の立ち上げに携わった高木千歩さん。

高木千歩さん

ご両親の出身地である十日町に2011年から地域おこし協力隊で滞在。任期満了と共に仲間と一緒に「地産地消をテーマにしたレストランを」とこのお店を開きました。

「地元食材の、地元の人が普段しない食べ方」として提案するのが、「クラフトビールとシカゴピザ」。もともとどちらも高木さんが好きだったものです。

シカゴピザは、キッシュのように分厚く、中にチーズと具材がたっぷりと入っているのが特徴。

本場にも赴いて研究したというピザは、シカゴからやって来たお客さんも太鼓判を押したそうです
本場にも赴いて研究したというピザは、シカゴからやって来たお客さんも太鼓判を押したそうです

ALEで提供するピザの具材には、地域おこし協力隊でお世話になった地域の野菜や、ブランド豚として名高い越後妻有ポークなど、地元の食材がふんだんに使われています。

「妻有ポーク」はスペアリブでも楽しめます
「妻有ポーク」はスペアリブでも楽しめます

あつあつのうちに頬張ると、具材の味、食感が口の中で次々に変化してどっしりと食べ応えがあります。1枚、もう1枚と手が伸びるうちに、ビールが進む、進む。

クラフトビールを注いでいるところ

合わせるクラフトビールは、はじめは他所から仕入れていたそうですが、「十日町のビールはないの?」とのお客さんの一声がきっかけで、ついに昨年、高木さんは自分で醸造所を立ち上げてしまいました。

十日町名物のそばを生かした「そばエール」など、この土地でしか味わえないクラフトビールブランド「妻有ビール」がお店をきっかけに誕生したのです。

他にも豪雪ペールエールなど、雪国の十日町らしいネーミングのクラフトビールが
他にも豪雪ペールエールなど、雪国の十日町らしいネーミングのクラフトビールが

「はじめはピザを食べに来てくれるお客さんが多かったのですが、今は少しずつ、クラフトビールを目当てに来てくれる方も増えて来ていて、嬉しいです」

使用するホップも今栽培に取り組んでいるとのこと。

協力隊を卒業しても、高木さんたちの地域おこしはずっと続いているのだと感じました。

高木さん

素敵な話も聞けて、1軒目からいい食事になったなぁ。この勢いで、次のお店へ向かいます。

「たか橋」 帰りの一杯から大所帯の宴会まで、十日町の日常に寄り添う店

住宅街に、明かりを発見。

たか橋の看板

カラリと扉を開けると、ワイワイと弾んだ声が聞こえてきます。声の感じは、家族連れや職場の宴会。地元の人たちで賑わっているようです。

入ってすぐ、のれんで仕切られたカウンターに席を確保。

たか橋のカウンター席

宴もたけなわの座敷席は廊下を挟んで少し離れているので、一人でやってきてものんびりくつろげそうです。さっそくオーダーを。

何かこの土地らしいものをいただきたいのですが‥‥

「土地らしい料理ですか?

そうですね、今日でしたら刺身はアジもメバルも甘エビも佐渡のものがありますよ」

お刺身

「野菜はお隣の津南町でとれたアスパラとズッキーニがあるので、フライにしましょうか。あと、妻有ポークのソテーにおろしポン酢をかけて」

地野菜のフライ
地野菜のフライ
妻有ポークのソテーに、おろしポン酢をたっぷりをかけて
妻有ポークのソテーに、おろしポン酢をたっぷりをかけて

「お酒は、地元の松乃井酒造さんがうちの定番ですね。このメニューなら吟醸生がいいかな。飲み口がいいから、飲みすぎないよう注意ですけど」

2軒目の晩酌セットが完成です!
2軒目の晩酌セットが完成です!

ポンポンと美味しそうなラインナップを提案してくれたのは「たか橋」2代目の高橋優介さん。

高橋優介さん。お隣津南町や東京の飲食店経験後、10年前から「たか橋」で日々腕をふるっています
高橋優介さん。お隣津南町や東京の飲食店経験後、10年前から「たか橋」で日々腕をふるっています
実は高橋さん、十日町市史上初、甲子園出場を果たした十日町高校の野球部キャプテンという経歴の持ち主
実は高橋さん、十日町市史上初、甲子園出場を果たした十日町高校の野球部キャプテンという経歴の持ち主

もちろん用意されたお品書きもあるけれど、相談すると今日仕入れた食材で、メニューをアレンジしてくれるのが嬉しい。

たか橋にて、料理中の手元

「うちは宴会に使っていただくことが多いですが、意外とこのカウンター席も落ち着くみたいで、一人でふらっと来るお客さんも男女問わず結構いらっしゃいますね」

たか橋2代目、髙橋優介さん

仕事帰りの一杯から家族連れの食事、職場の宴会、保護者会の打ち上げまで、お客さんの使い方も様々。集まりに応じて部屋の仕切りも動かせるようにしているのだとか。

料理も内装も、相手に応じてベストなものを提供する柔軟さは、町のお得意さんに鍛えられてきたものだと言います。

「十日町は織物産業が盛んだったので、着物を扱う機屋 (はたや) さんが、遠方から買い付けに来たお客さんを接待するのにこういうお店を使ったんですね。

自然と、お店に求めるレベルも高くなる。今でも目の厳しいお客さんが多いように感じます」

親子二代で厨房に立ちます
親子二代で厨房に立ちます

「それと、実は十日町ではお店同士の横のつながりが厚いんです。

居酒屋激戦区というとお店同士がライバルのように聞こえるかもしれませんが、市場で会うとお互いレシピのアイディアや仕入れの良し悪しを情報交換しあったり」

なんと先日取材したAbuzakaの弓削さんとも仲がいいそう。

そばとごったく
Abuzakaはそばと郷土料理をビュッフェスタイルで楽しめるお店として以前さんちで紹介しました

「飲食店同士が、ライバルというより仲間なんですよね。お店終わりにそういう店主仲間と『ゲンカイ』に行くと、うちにさっき来てくれていたお客さんと会ったり (笑) 」

高橋さんから自然と名前の出た「ゲンカイ」こそが、このはしご酒の最後を飾るお店。

日本酒でほどよく体も温まったところで、十日町市民がシメに必ず寄るという「焼肉 玄海」に向かいます。

「焼肉 玄海」 十日町っ子のお約束、はしご酒の最後はここで

暗闇に浮かぶネオンは、今までの2軒とはまた違う「夜」の雰囲気。

焼肉 玄海の看板
ネオンに誘われるように、お店のある2階へ階段を登って行きます
ネオンに誘われるように、お店のある2階へ階段を登って行きます

「このお店は0時を回ってから混んで来るんですよ」

そう聞いていた言葉通り、23時前に入った店内はまだ落ち着いた雰囲気。これが0時を回ると満席になることも珍しくないというから驚きです。

みなさんシメに頼むのがカルビクッパ。

焼肉 玄海のカルビクッパ

もうお腹いっぱいのはずなのに、辛い、辛いと言いながら箸が進みます。ピリ辛のスープとご飯が、体の中のアルコール分を和らげてくれるような。これはありがたい、とまたビールをゴクゴク。

気づけば、器もジョッキも空っぽ。満腹のお腹を抱えながら、今日食べてきた料理の数々を思い返します。

ピザにクラフトビール、地酒に創作和食、シメにカルビクッパ。

確かに何を食べても、美味しい。

十日町の居酒屋にハズレなし。噂は確かに、本当のようです。なぜなら舌の肥えたお客さんと店主同士の横のつながりが、美味しさを支え続けているから。

<取材協力> *掲載順
ALE beer&pizza
025-755-5550
新潟県十日町市宮下町西267-1
http://alebeerpizza.com/

たか橋
025-752-2426
新潟県十日町市本町5丁目35-3

焼肉 玄海
025-757-8681
新潟県十日町市本町5丁目

文:尾島可奈子
写真:廣田達也