世界が認めたナマハゲ「中の人」インタビュー。「一人前への道のりは衣装作りから」

ナマハゲになるには?50年務める「中の人」に聞きました

新しい年が明けると、次に話題になるのが成人式。

とはいえ式典に出たから大人、というわけでもなく、地域によっては「これができたら一人前」という通過儀礼があったりします。

2018年にユネスコの無形文化遺産に登録された男鹿 (おが) のナマハゲ行事も、実はそのひとつのよう。

ナマハゲがやってきた!
ナマハゲがやってきた!


「ナマハゲ行事って何?」を体験取材した記事がこちら:「体験して、ナマハゲ行事の本当の意味がわかる。男鹿真山伝承館へ行ってきました」

「子どもの頃は本当にこわかった‥‥」と取材した全員が口を揃えたナマハゲ行事ですが、なった人には、違う景色が見えるようです。

ナマハゲ特集、今回はナマハゲ「ご本人」の登場です。

ナマハゲに53年間なってきた人

はじめにお話を伺ったのは「真山 (しんざん) なまはげ伝承会」会長の菅原昇さん。

菅原昇会長
菅原昇会長

ナマハゲ行事を行う集落は男鹿市内に80ほどあり、地区ごとにその出で立ちや振る舞いが違います。

中でも菅原さんが生まれ育った真山は、古い形式が残されているという地域。

男鹿半島の中で「お山」として古くから信仰を集めてきた「真山」のふもとに位置し、ナマハゲは山から降りてきた神様として家々に迎えられます。

「ナマハゲは鬼の化身」とする地区のお面にはツノがあるのに対し、真山地区のお面にはツノがありません。地区によって多様性があるのも面白いところ
「ナマハゲは鬼の化身」とする地区のお面にはツノがあるのに対し、真山地区のお面にはツノがありません。地区によって多様性があるのも面白いところ

その真山地区で菅原さんは50年以上、ナマハゲをつとめてきました。

17歳のナマハゲデビュー

—— 何歳からナマハゲをされていますか?

「17歳のときに初めてナマハゲになりました」

菅原昇さん

「ただ、わたしは20歳で結婚したので、大晦日の行事にナマハゲとして参加できたのは3年だけだったんです」

今はゆるやかになっているそうですが、元々大晦日にナマハゲになれるのは未婚男性のみというしきたり。いわば巫女さんのような存在なのですね。

「それで心残りもあったのかな。伝承会で観光行事などに参加する広報活動を通じて、ナマハゲになってきました」

ナマハゲ

ナマハゲの気持ち

—— ナマハゲになるって、どんな気持ちですか?

「ナマハゲはあらゆる厄を追い払って新しい年に幸せを与えてくれる、とてもありがたい存在。

迎える側は神様が来ているんだという思いで迎えてくれます」

先日取材したナマハゲの実演の様子。とても厳かな雰囲気でした
先日取材したナマハゲの実演の様子。とても厳かな雰囲気でした

「こちらもお面をかぶった瞬間から、自分とは違う神聖な存在になったような気持ちになるんですよ」

—— やはり衣装の中でも、お面は重要ですか。

「お面をかぶって、初めてナマハゲになります。

地区にもよりますが、真山ではお面をかぶったら行事の間、決して外しません。そして行事が終わると、大体はその地区の会長が、大切に保管します。

12月になるとケデづくりとお面の手入れを始めるんですが、それまで1年間、地区の外には絶対に出さないんです。

お面は、神様が宿るものですからね」

ナマハゲもつらいよ

—— 本当にナマハゲは、神聖な存在なんですね。それでも、実際にやるとお子さんが大声で泣いたりして、辛いと思うことはなかったですか?

「それは、あります (笑)

けれど、ナマハゲ行事は子どもを脅かすことが目的ではないからね。

立派に育って、ゆくゆく地域を守ってもらいたいという思いでやっている。

子どものころからちゃんと勉強して親の言うことを聞かなければ、立派な大人に成長しないよと、ナマハゲの姿を借りて伝えます」

勉強はちゃんとしてるか、親の言うこと聞いてるか、と詰め寄ります
勉強はちゃんとしてるか、親の言うこと聞いてるか、と詰め寄ります

「少しはおっかないところがないと効き目がない。でもあまりに怖がる子はちゃんと加減もしますよ」

菅原昇さん

「それに、ナマハゲ行事は子どものためというより、家族全体のための行事なんです」

大晦日の行事には、ナマハゲと家の主人が家族の話をする「問答」が必ずあります
大晦日の行事には、ナマハゲと家の主人が家族の話をする「問答」が必ずあります

「誰かに悪い行いがあればナマハゲは注意する。でも、詰め寄るナマハゲに対して主人が必ず家族をかばう」

菅原昇さん

「それも家族の絆に繋がっていく。そんなところを誇りに思ってます」

ナマハゲは、年に一度家族をまとめ直す重要な役割。

だから地区の青年が年頃を迎えても、すぐになれるわけではないそうです。

「まずはこういうところから行事を覚えていく」という、『ケデ作り』を見せてくれました。

いい笑顔!さて手元にあるのは一体‥‥?
いい笑顔!さて手元にあるのは一体‥‥?

神様を宿す衣装「ケデ」

ケデは、その年に刈りとられた稲ワラで編むナマハゲの衣装。

ナマハゲに欠かせない「ケデ」
ナマハゲに欠かせない「ケデ」

「衣装として身につけることで、神様に捧げるというんですかね。

『今年も豊作で、おかげさまで1年無事に過ごせました』と神様に感謝する思いで、自分たちで作ります」

ナマハゲは激しく動くので、去った後にケデの稲ワラが落ちていることも。ケデから落ちた稲ワラ。体に巻くと病気が治る、子どもの頭に巻くと賢くなるなど、神様が残していった縁起物として大切に扱います
ナマハゲは激しく動くので、去った後にケデの稲ワラが落ちていることも。これを体に巻くと病気が治る、子どもの頭に巻くと賢くなるなど、神様が残していった縁起物として大切に扱います

菅原さんと一緒に実演を見せてくれたのは、ケデ作りの名人と呼ばれる畠山富勝さんです。

ケデ編み名人、畠山富勝さん
ケデ編み名人、畠山富勝さん

一人前への第一歩。ケデ作り

これが神様が宿るという、ケデ
これが神様が宿るという、ケデ
編む前の稲ワラはこんな状態です
編む前の稲ワラはこんな状態です
何本かを束にして‥‥
何本かを束にして‥‥
三つ編みの要領で編み込んで行くそう
三つ編みの要領で編み込んで行くそう

—— 全部自分たちの手で作るんですね!かなり大変なのでは?

「いやいや、作ること自体は大体ひとつ10分、20分くらい。

本番は人数分必要なので、大晦日の1週間くらい前には青年会で集まって、大勢で工程を分担しながら一気に作るんです」

—— そこで作り方を覚えていくんですね。

「代々先輩から後輩に、やりながら教えてね。

地域の先輩から『今年のケデ作り、手伝ってくれないか』とお願いされたりすると、そろそろ自分も地域の若者として認められつつあるんだな、と自覚するんです」

ケデ編み
どんどん長くなっていきます
もう少しで完成です!
もう少しで完成です!
端の方は縄状に
端の方は縄状に
くるくるっと両手を使って縄を綯 (な) っていきます
くるくるっと両手を使って縄を綯 (な) っていきます
余分なところを取り除いたら‥‥
完成!
完成!
こんな風に、上下セットで使います
こんな風に、上下セットで使います
作るのは10分、20分でも、収穫までが一苦労。食用の稲とは使う目的が違うため、肥料のやり方から収穫の仕方まで、初めからケデ用に育てていく必要があるそう。実際の衣装作りは、春から始まっています
作るのは10分、20分でも、収穫までが一苦労。食用の稲とは使う目的が違うため、肥料のやり方から収穫の仕方まで、初めからケデ用に育てていく必要があるそう。実際の衣装作りは、春から始まっています

ナマハゲにとってのナマハゲ行事

—— あっという間に完成!こういう準備段階から覚えて、若者はだんだんナマハゲに「なって」いくんですね。

「大晦日当日も、はじめの数年は巡った家からのご祝儀を預かる役とか、先立 (さきだち) といってナマハゲが行く前に家を廻る役をやったりね。

そうして何年か行事に参加してナマハゲのお面をかぶったときに『あぁ俺は成人として認められたんだな』という実感がわくんです」

—— ナマハゲのお面をかぶってからが一人前。

「そう。すると今度は自分が人を訓戒する立場になるでしょう。

他所の家の子どもとか、必要であればそこの旦那さんにもナマハゲとして『オヤジ最近酒飲みすぎだ』とか『タバコ吸いすぎだ』と言わなきゃいけない」

ナマハゲは1年間の家族それぞれの行いを問いただします
ナマハゲは1年間の家族それぞれの行いを問いただします

「そうやって人を訓戒しながら、さて自分の1年はどうだったのかなと、ナマハゲはナマハゲで、お面の下で自身を振り返るんです」

なまはげ

「一方で、ナマハゲに叱られた子どもは親に渾身の力でしがみつく。なだめてナマハゲを帰す親を尊敬する。

そのうち小学2、3年の頃になると自分から隠れるようになる。兄弟ができると、妹や弟をつれて隠れろと言う。

そうやって自立していくんだ、男鹿の子どもたちは」

一方、今はプライバシー意識や支度の大変さなどで、ナマハゲを招き入れる家が減っているのも事実。

菅原さんたちの伝承会では子どもの頃からナマハゲへの理解を深めてもらおうと、学校への出張授業も行っているそうです。

「やっぱり小さい頃の体験があってこそ、大人になったときの気づきがありますからね」

伝承会では他にも行事の伝統を守るため、他の地区の稲ワラ確保、時にはケデ編みも引き受けているそうです
伝承会では他にも行事の伝統を守るため、他の地区の稲ワラ確保、時にはケデ編みも引き受けているそうです

そんな話をしながらケデ作りは2枚目に突入。

取材もそろそろ終盤という頃、その輪に一人の女性が加わりました。

こちらの女性は‥‥?
こちらの女性は‥‥?

畠山さんを「師匠」と呼ぶ福留純枝さんです。

福留純枝さん
福留純枝さん

ナマハゲが育った場所

実は福留さん、畠山さんにケデ作りを教わって今では他の地域からも製作を頼まれるほどの腕前の持ち主。

普段は先日お面作りを取材した「なまはげ館」そばの「里暮らし体験塾」という施設の運営を仕事にされています
普段は先日お面作りを取材した「なまはげ館」そばの「里暮らし体験塾」という施設の運営を仕事にされています

「ケデというより、ワラ細工を覚えたかったんです。

ここは男鹿の生活文化を伝えていく施設なので、もともと畠山さんには、田んぼや地域のことを色々と教えてもらっていました」

取材場所としても提供いただいた「里暮らし体験塾」
取材場所としても提供いただいた「里暮らし体験塾」
里暮らし体験塾の中

「教わることの中にワラ細工もあって、やっているうちにハマりました (笑) 」

福留純枝さん
壁にも様々なワラ細工が
壁にも様々なワラ細工が

「そのうち、ケデも編んでみれって話になって。大晦日の行事は女の人が基本的に立ち入れないので、イベントごとで依頼があると編む感じですね」

福留さん
「三つ編みの要領なので、結構女性は得意だと思いますよ」とテキパキ手を動かす福留さんと、見守る菅原さん
「三つ編みの要領なので、結構女性は得意だと思いますよ」とテキパキ手を動かす福留さんと、見守る菅原さん
福留さんと菅原さん

「男鹿には独特の編み方をするワラ靴があって、最終目標はそれを編むことなんです。ナマハゲも昔はこのワラ靴を履いていたんですよ」

男鹿独特のワラ靴。ふっくらした形が愛らしい
男鹿独特のワラ靴。ふっくらした形が愛らしい

「普段の暮らしの中に、ワラで何かを作る文化が元々ある。

食べることや暮らすことがみんな繋がっているんですよね」

福留さんたちが地域の人から教わったワラ細工の数々。ワークショップを開催すると、隣の市や、時には県を超えて習いに来る人もあるそう
福留さんたちが地域の人から教わったワラ細工の数々。ワークショップを開催すると、隣の市や、時には県を超えて習いに来る人もあるそう

この福留さんの一言に、取材で見聞きしたことが凝縮されているように感じました。

男鹿の子どもたちはナマハゲ行事を通して家や地域のことを知り、お面をかぶる頃には男鹿の暮らしをよく知る、立派な「一人前」になっているのだろうと思います。

<取材協力>
里暮らし体験塾
男鹿市北浦真山字水喰沢
0185-22-5050
https://www.namahage.co.jp/sato/

最後に3人で1枚
最後に3人で1枚


文:尾島可奈子
写真:船橋陽馬 (根子写真館)

*こちらは、2019年1月10日の記事を再編集して公開しました。

だるまの目はすぐに入れよう!意外と知らないだるまの飾り方

高崎だるま「三代目だるま屋 ましも」の職人に教わる。だるまの目入れ、由来、選び方

みなさんのお家に「だるま」はありますか?

だるまと聞いてすぐに思い浮かぶのは、選挙で当選した議員さんが片目を墨入れする姿。ところが200年続くだるまの産地の職人さんにお話を伺うと、どうやらだるまに対して誤解していることや、暮らしが楽しくなるような活かし方があるようです。

身近なようで意外と知らない、あの赤くて丸い縁起ものの正体に迫ってみましょう。

だるまの一大産地、高崎に行ってきました

東京駅から普通電車で2時間、新幹線「とき」に乗れば1時間ほどで到着。改札を抜けると早速、大きな大きなだるまがお出迎えです。

ここは群馬県高崎市。ターミナル駅である高崎駅に展示されていた巨大だるまは、毎年大変な人出で賑わう「だるま市」のPR用のものでした。

今度の高崎だるま市は1月1・2日に開催です
今度の高崎だるま市は1月1・2日に開催です

高崎市は、年の瀬が近づくと「だるまの生産が最盛期を迎えています」とのニュースが毎年決まって流れる、全国でも有数のだるま生産地。

安定してカラリとした空気のこの一帯は、型に紙を重ね貼りして作る張子(はりこ)のだるま作りに適しており、冬の農閑期の農家の副業として発展しました。

生産量は2011年には年間90万個にものぼり、地域には50以上のだるま屋さんがあるそうです。

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駅から車で10分ほどのところにあるのが、だるま職人 真下輝永(ましも・てるなが)さんの店舗兼工房「三代目だるま屋 ましも」さん。

大小色も様々なだるまが所狭しと並ぶ店内は、そのまま奥の工房と繋がり、タイミングが合えばだるまの絵付けなどの様子を間近で見ることができます。

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お店の奥にはたくさんの特大だるまが。
お店の奥にはたくさんの特大だるまが。
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お邪魔したのはまさにだるま作りの最盛期の頃。ひっきりなしに注文の電話が入り、奥では職人さんが二人がかりで大きなだるまの絵付けをしています。

真下さんも、さっそくご自身の持ち場に戻って、束になった注文書とにらめっこしながら絵付けの筆を取り始めます。

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「人の数だけ、願いがあるからね」

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ボソリと語られた言葉の意味を伺おうとすると、

「12月はお正月に飾るだるまへの名入れの最盛期なんですよ」

とお店の奥から出て来られた女将さんの真下玲子さんが声をかけてくれました。

地域の人は年内のうちにだるまを買っておいて、お正月に飾るのが恒例だそうです。真下さんは筆で、だるまの胴体に注文された方のお名前や祈念する内容をしたためていたのでした。

多い時には1日100個以上名入れすることも
多い時には1日100個以上名入れすることも
使い込まれた絵の具入れ
使い込まれた絵の具入れ

地域によっても違うだるまの種類。顔と文字に注目

だるまの命とも言える「顔描き」は全国の産地によって特徴が異なり、高崎だるまでは、眉は鶴を、ヒゲは亀を表すという縁起づくしのお顔です。真下さんの工房では絵付けを数名の職人さんで分担して行いますが、その仕上げの工程である顔描きと名入れは、真下さんが一手に担います。

文字入りのだるまは全国的にも珍しく、高崎だるまのもうひとつの特徴でもあります。

「職人はヒゲと文字が書けたら一人前です。経験年数より、これはセンスですね」

おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔
おめでたさがぎっしりと詰まっただるまさんの顔
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる
絵付け前の状態。「七転び八起き」を支える台座がよりはっきり見て取れる
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む
こんな小さなだるまにも、サラサラと筆が進む

だるまの目は、初めから入れて飾るが吉

だるまというと、選挙の時に目を入れるのが有名ですね、と言うと、意外なお話を聞かせてくれました。

「駅の大きなだるまは、両目が入っていたでしょう。だるまは『目』にその魔除け力があります。江戸時代に視力を失う病が流行って、大きな目のだるまが人気になりました。ですからその当時は、黒々と両目が入っていたんですよ。

ただ、願掛けのものですから、そのうちに買い求める人から目の入れ方に注文が付くようになった。それでお客さんに自分で目を入れてもらうのがいいだろう、と片目や白目のだるまが出てきたと聞いています。

願いが叶ってからだるまに目を入れるイメージは、テレビの時代に入って強くなりました。選挙選で当選した議員さんが筆で目を入れる姿が印象的だったのでしょうね。本来は仏像と同じように神聖なものですから、両目が入っていた方が何よりパワーが発揮されます。

飾る際も、初めから両目を入れておくのがおすすめですよ」

まさかだるまの目入れのイメージが、テレビの影響だったとは。お客さんの納得がいくように自分で目を入れてもらう、というのも、今の商売にも通じるような発想の転換です。神聖な存在に、少しずつエンターテイメント性が加わってきたものが、今のだるまさんの姿のようです。

ちなみにこれは東日本に多いだるまさんだそうで、西日本では黒目の鉢巻きだるまが多いそうですよ。

女将さんおすすめ だるまの選び方

店内の一角には手のひらサイズから両手でも抱えきれない特大サイズまで、大きさ見本のだるまがずらりと並ぶコーナーがあります。サイズの単位は「丸(まる)」。いちまる、よんまる、と呼んでいるそうです。丸々としただるまさんらしい、愛らしい響き。それぞれどんな人がどんな時に注文するのでしょうか。

下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ
下段が10丸未満のもの、中断は10〜20丸、上段は30〜60丸まで並ぶ

「ご自宅用ですと今はマンション住まいにも合う、2.5丸が人気です。結婚式だと4丸、両親への贈り物だと8丸が多いですね。

選挙だるまは、昔は60丸が多かったのですが、今は20丸くらい。政治家は守りたい人が多いでしょう、願いが大きいと、大きいだるまになるんですね。解決したい悩み事が大きいときには、大きいだるまさんを買って、だんだん小さくしていくのがおすすめです」

酉の市の熊手と同じように、だるまも買い換える毎に大きくするイメージでしたが、なるほど縁起物らしい買い方を伺えました。もうひとつ面白かったのが、群馬県出身のカップルに多いという、結婚式での活用方法。

「結婚式にご招待した方のお名札代わりに、名入れした1丸(手のひらサイズ)のだるまを置くんです。小さいサイズなら名入れしても価格も手頃ですし、そのままお客さまがお土産に持って帰れるので、喜ばれているようです」

店内にはウエディング用のだるまコーナーも
店内にはウエディング用のだるまコーナーも

確かに、参列した人にはこれ以上ない縁起の良い手土産ですね。しかも自分の名前入りというのは嬉しい。

「自分の名前が入るとだるまさんがまた格別な存在になります。うちに名入れを頼まれた方も、取りに来て実物を見ると『まぁ!』と目を輝かされますね。他にもご友人が会社を立ち上げる際に、お祝いに会社のロゴ入りを贈られる方もいらっしゃいます」

いつでも身近に。覚えておきたい、だるまの飾り方

今日1日でだるまさんが一気に身近になりました。ちなみに家での飾り方ってあるのでしょうか?

「だるまさんは魔除けなので、玄関に向けて飾ってください。力が発揮できるように、袋からは出しておいてくださいね。置き場所はどこでも構いません。ただ、自分にとって身近なところに置いて、初めに願を掛けた時のことを時々思い出して欲しいんです。だるまさんは、思いや願いの物質化ですから」

真下さんの「人の数だけ、願いがある」との言葉が思い出されました。

例えば家族そろって、来年もまたいい年になりますようにと願いを込めて。新郎新婦が、自分たちの門出を祝ってくれる人たちへの感謝の印に。難しい試験に挑戦する友人への応援に。大きなチャレンジをするときの、自分の味方として。

人の数だけある願いを、だるまはお腹に秘めています。

「だるまは願いがある限り、生活に欠かせないんだよ」

再びボソリとつぶやかれた真下さんの言葉を頭の中で響かせつつ、工房を後にしました。

三代目だるま屋 ましも
群馬県高崎市八千代町2-4-5
027-386-4332
http://www.mashimo-terunaga.com/index.html

<関連商品>
中川政七商店
富士山だるま

招き猫だるま

幸運の白鹿だるま

<参考>
小学館『日本大百科全書』
群馬県達磨製造協同組合公式サイト(2016/12/23時点)
高崎市公式サイト「高崎だるまの歴史」(2016/12/23時点)

文・写真:尾島可奈子
*こちらは、2016年12月27日の記事を再編集して公開いたしました

1年の締めくくりに、1年の始まりに。“導きの神さま”が鎮座する「和布刈神社」へ

潮が渦を巻いていた。水面は激しく揺れ動き、岩壁にぶち当たっては白い飛沫を上げている。荒々しい海原には無数の貨物船が忙しそうに行き交っていた。

優しくはない潮風に頬を打たれ、見上げれば、長くて大きな関門橋。轟々と音を立てながらこちらからあちらへ、あちらからこちらへと多くの車が走り行く。

そこには目まぐるしく、忙しない時間が流れていた。一方で──。

麓(ふもと)には、雑多な日常からすっぽりと抜け落ちたような場所がある。さまざまなものが動きを止め、息を潜めているような。現代の時間軸とは少し違う流れにあるような、そんな空間が。

北九州の和布刈神社 関門海峡からすぐ
関門海峡側から望む拝殿(撮影:Takumi Ota)

福岡県北九州市。九州の最北端に位置し、関門海峡を目前に望むという圧倒的なロケーションに佇む「和布刈神社(めかりじんじゃ)」である。

和布刈神社の神紋
神紋は八重桜。御祭神が陰の神さまであることから片方だけに印を入れてある

心を清め、整えてくれる場所

「変化の多い現代人にとって、古来より変わらないこの場所が、一つの原点といいますか、見失いがちなご自身に改めて立ち戻り、心をリセットして、また新たな一歩を踏み出せるような、そんな場所でありたいと思っています」

北九州の和布刈神社の高瀬和信さん

そう話すのは第32代目の神主にあたる高瀬和信さんである。

2019年12月。「和布刈神社」は中川政七商店のコンサルティングを受け、新しく生まれ変わった。いや、本来の姿を取り戻したというほうが言い得ているだろうか。

追求したのは“和布刈神社の在るべきすがた”だ。

創建1800年。社伝によると、三韓(現在の朝鮮半島)討伐に向かう神功皇后(じんぐうこうごう/勇敢なる女帝と称される)が、神の教えを受けて勝利を収めたことからこの神社をつくられたとか。

北九州の和布刈神社の古文書

その神というのが、天照大御神の荒魂「瀬織津姫(せおりつひめ)」という月の女神である。月の女神は陰陽において陰の神であるとされ、穢れを払う禊ぎの神さま。

さらに瀬織津姫は、潮の満ち引きを司る“導きの神”として、関門海峡を望み、人々の行く道を照らし続けてきたという歴史をもつ。

敷地の奥に鎮座する大きな磐座(いわくら)は古代よりここにあり、海をわたる船乗りや漁師たちの道標となり、灯台の役割も果たしてきたという。

和布刈神社にある巨大な磐座
海を渡る人々を1800年以上も前から見守り続ける巨大な磐座

和布刈神社とは、日常的に蓄積する穢れを削ぎ落とし、心を清め、自らの気持ちを整えて、また日常に立ち向かうことができる ──そんな“導きの場所”なのだ。

さらに高瀬さんは続ける。

「そもそも神社とは八百万の神々を崇拝する場所です。日本では古来、神は万物に宿ると考えられ、太陽・月・風・雷・山・土・川・海など、この世に在るすべての自然=神ととらえてきました。

自然に感謝し、共存しながら生きることが日本人の原点です。

ところが現代人は利便性ばかりに気をとられ、当たり前のこうした事実を見失いがちになっている。欲望を満たし、暮らしやすさを追求するあまり、逆に生きにくくなっているのではないかと思います」

北九州の和布刈神社の高瀬和信さん

「もっとシンプルでいい。

太陽や月に感謝し、木・火・土・金・水といった自然を大切に生きること。自然を尊ぶ心こそが、人の心を本当の意味で豊かにしてくれる。そんなことをきちんと感じられる場所にすることこそ、和布刈神社の在るべき姿なのかなと思うんです」

「影と光」の授与所

和布刈神社の「授与所」はほかの神社とは、まったく違う。

和布刈神社の授与所
和布刈神社の授与所・外観

授与所とは、御守や縁起物などの授与品をお渡しする場所のこと。一般的にはいわばお店のように販売されているが、「ここでは御守をお渡しする意味を改めて追求した」という。

テーマは「影と光」。

瀬織津姫が陰の神であることに由来する。また天井を低くしたのは「人と人の距離を近くして一体感が生まれるように」するためであり、低い畳の小上がりにしたのも「重心を低くすることでただ流されるのではなく、ここでちゃんと受け賜るといった気持ちになってもらうため」とか。

北九州の和布刈神社の授与所の中

御守を授与する際、単に陳列されたものを渡されるのではなく、同神社では一つの儀式が受けられる。中央に配置された受け岩の上に御守を重ね合わせ、神職が上から鈴振りをしてくれるのだ。

北九州の和布刈神社の授与所の中
「イメージは穴蔵です」と高瀬さん。神職が御守一つ一つに鈴振りをしてくれる
和布刈神社の授与所にある磐座 神さまの御霊を分けていただく
中央にはご神体の一部の「磐座(いわくら)」が置かれている
和布刈神社の授与所
神聖なる鈴の音が授与所に鳴り響く

「ご神体である磐座に御守を置いて、その上から鈴の音が降り注ぐことで、神さまの御霊を分けていただくことができるんです」

御守は単なるモノではない。神の御霊が宿っているという、その重みやありがたみを肌で感じることができる。

人の心を“導く”手助けとなる授与品

御守や縁起物などの授与品も、同神社ならではだ。

和布刈神社のお守りや御朱印帳
左から御朱印帳、五行御守、一年幸ふくみくじ(上・ふぐ)、和布刈神社みくじ、干珠御守(中央下・左)、満珠御守、清め塩、献上わかめ

和布刈神社は太陽が沈む西に面して建つ。西の色は「白」とされ、「再生」や「始まり」を意味することから、授与品はすべて「白」を基調としている。

和布刈神社の蔵版目録
明治20年頃にまとめられた蔵版目録

神紋やマークも新しくつくるのではなく、古い資料を読み起こし、かつて使われていたもの活かして使用した。

北九州の和布刈神社の神紋
八重桜をモチーフとした神紋は、高貴な女性=月の女神を象徴するとか

たとえば「満珠御守/干珠御守」は、和布刈神社の御神宝「満珠」と「干珠」をモチーフにした御守だが、それぞれに役割がある。

「幸運や安産、招福など増やしたいことや叶えたい願いがある場合は満珠御守を、厄除けや病気平癒など減らしたいことや断ち切りたい願いがあるなら干珠御守をお授けしています」

また「五行御守」には木・火・土・金・水と5種類あるが、こちらもそれぞれ意味が違う。木は成長や発展を願う人に、火は良縁や情熱、金は調和や繁栄というように、五行思想に基づき、叶えたい願い、求める導きごとに選ぶことができる。

北九州の和布刈神社のおみくじ
関門海峡名物のふぐに見立てたおみくじも

ほかにも創建より続く和布刈神事にちなんだ「献上わかめ」や、荒々しい海よりいただいた「清め塩」なども用意。

ちなみに“和布刈”とは「わかめを刈る」という意味である。わかめは万物に先駆けて自然に繁茂するという縁起の良いものとされている。

そして和布刈神事は、毎年旧暦の元日(2020年は1月25日)に執り行われる祭事のこと。神功皇后が海の神から授かった「満珠/干珠」を、和布(わかめ)や荒布(あらめ)に見立て、神職が刈り取る儀式であり、福岡県無形民俗文化財に指定されている。

刈り取った和布は万病に効くと伝えられ、朝廷や領主に献上されていたという記録も残る。そんな縁起のいい和布を授与品にしたのが「献上わかめ」なのである。

北九州の和布刈神社

人は海に還り、神となる

また高瀬さんは数年前、古来の日本人の弔い方の一つである「海葬」を改めて取り入れた。

「日本では有史以前からの自然信仰において、祖先の御霊は自然に還ると考えられてきました。つまり亡くなった人は自然に還り、神さまになるということ。その家の守り神となるのです」

和布刈神社の海葬
散骨の際にはお清めの酒と榊を添えて。祈念を込めて海にまく

先ほど西向きは、再生や始まりを意味すると書いたが、散骨をするのも西である。再生やはじまりを意味すると同時に、黄泉の国へ向かうための方角とされているためだ。

導きの神さまが司る、人生最後のお導き。1800年の間、関門海峡を見守り続けてきた和布刈神社ゆえの弔い方である。

和布刈神社の海洋散骨遥拝所
境内には海洋散骨遥拝所があり、いつでも故人を偲ぶことができる

新しいことに挑戦するとき、穢れを払い清めたいときに

和布刈神社の拝殿では、誰もが祈願を受けられるという。

北九州の和布刈神社の神殿
夕陽を浴びる拝殿は、静かで、美しい

たとえば新しいことに挑戦するときや、穢れを払って身を清めたいとき。卒業や入学などの人生の節目や、結婚や転職といったターニングポイントに。

北九州の和布刈神社拝殿
拝殿に座っていると波の音や汽笛が聞こえる

潮に満ち引きがあるように、人生にだって希望に満たされるときもあれば、悩みに埋もれて押し潰されてしまいそうなときもある。

「そんなとき、和布刈神社のことを思い出していただけたら。古来より変わらぬ和布刈神社に来てご自身を見つめ直していただけたら、また新しい一歩を踏み出せるようになるのではないかと思います」

北九州の和布刈神社からの景色

参拝をして振り返ると、水の帯がキラキラと輝いていた。その瞬間だっただろうか。頭の中は空っぽになり、時代を超えてもなお変わることなくそこに在り続ける自然をただただ感じた。

和布刈神社を後にした帰り道、心はなんだかスッとしていた。


和布刈神社

福岡県北九州市門司区門司3492番地
093-321-0749
公式HP


文:葛山あかね
写真:藤本幸一郎

大掃除に使いたい、日本の掃除道具3選

こんにちは。さんち編集部です。

大人になると、1年経つのがあっという間です。ここ数年はいつも「もう今年も残り1ヶ月かぁ」と12月を迎えている気がします。

お雑煮とお年玉を楽しみにしていた子どもの頃とは違い、大人の年末年始は大忙し。年賀状を書き、1年間お世話になった家や会社を掃除して、年末のご挨拶。台所ではせっせとおせちを作り、年越し蕎麦の準備を始めます。

ああ忙しい忙しいと言いながらもワクワクしてしまう、より良い年を迎えるための、年末年始の家しごと。1年を振り返り、これからを考えるこの時節に、日本の暮らしの工芸品を取り入れてみたいと思います。

本日は日本独自の習慣、大掃除に使いたい日本の掃除道具をご紹介します。

1. 和歌山の棕櫚箒 (しゅろほうき)

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自宅で箒を使ったことがありますか?小学生の時に教室の掃除で使ったきり‥‥という方も多いのではないでしょうか。ほうきの中でも美しい道具といえばこの棕櫚箒 (しゅろほうき)。

棕櫚とはヤシ科シュロ属の常緑高木のこと。南九州や四国、和歌山などで栽培され、1877年 (明治10年) 頃より和歌山県野上谷地域でたわしやほうきなどを製造する「棕櫚産業」へと発展しました。

自然素材でありながら丈夫で長持ちな棕櫚を使用した棕櫚箒は「一生に3本あれば足りる」と言われ、大切に使えば15年から20年使えるそうです。

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「たわしにも使う素材」と言うとなんだか硬そうで、床を傷つけてしまいそうですが、私たちが一般的に想像する硬いたわしはパーム素材でできています。棕櫚は当たりがやわらかく、棕櫚でできた箒はフローリングや畳に適していて掃除機よりも床にやさしいそう。

また、棕櫚素材は繊維表面が特殊なため埃や髪の毛を絡め取り、長年かけて磨くことによって畳やフローリングにツヤが出てくるのだとか。毎日床を育てる感覚で使うのも良いですね。

1930年頃より棕櫚製品の加工を始めたという高田耕造商店の棕櫚箒。実用品として使い続けたくなる本物の生活道具を作り続けていきたいと、現在でも一本一本和歌山の自社工房にて作られています。産地に生まれた職人の気概を感じる美しい生活工芸品です。

和紙でできたちりとり「はりみ」。黒塗りは高田耕造商店の別注カラーです
和紙でできたちりとり「はりみ」。黒塗りは高田耕造商店の別注カラーです

大掃除はもちろんのこと、夜遅くでもお隣を気にせずササっとお掃除できるので、普段のお掃除にも便利そうですね。

2. 大阪のトタンバケツ

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日本のお掃除の基本はやはりバケツと雑巾。自分の手を使ってするお掃除は大変だけれど、年に一度の大掃除。1年間お世話になった家への感謝を込めて、自分の手で、普段は手が届かない隅々まできれいにしたいものです。

木の把手が冷えた手にもやさしくかわいい
木の把手が冷えた手にもやさしくかわいい

何の変哲もない絵に描いたようなバケツですが、トタンはサビにも強く、とっても丈夫な素材。それほど広く知られてはいませんが、大阪は大阪金物団地があるなど金属加工の盛んな街。

かつて「天下の台所」と呼ばれ、文化・技術がここに集まっていた背景から、高度な加工技術を持ち、現在でも美術工芸的なものではなく、日常的で身近な製品が多くつくられています。

トタンを使ったタライやバケツもそのひとつ。一見すると大量生産の工業製品のようだけれど、大正12年創業の大阪の町工場で職人の手しごとによって生まれています。無駄のない美しい形と丈夫さは質実剛健そのものです。

3. 奈良の蚊帳生地ふきん

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新年を迎えるにあたって、古くなったものを新調するご家庭は少なくないのではないでしょうか。タオルに歯ブラシ、スポンジや下着などの消耗品を新しく買い換えると、なんだか気持ち良く新しい年をスタートできる気がします。

台所で使うふきんもその中のひとつです。毎日使って少しくたびれてきたふきんはこのタイミングで新調したいもの。でも、このふきん、まだ役目は終えていません。大掃除の道具としてもうひと仕事してもらいましょう。

蚊帳生地ふきんはやわらかいので女性でもしぼりやすく、水切りが良い。繊維も出ないので雑巾としても優秀です。もちろん雑巾用に縫っていただいても構いませんし、丈夫なのでそのままでも。

昔ながらの製法で織り上げられた蚊帳生地は奈良の特産品です。中川政七商店の「花ふきん」は、その蚊帳生地を2枚重ねて縫い合わせた大判で薄手のふきん。

大きく広げたり小さく折ったりと、そのときどきで形を変えながら、料理用から台所用、お掃除用へと長く使える働きものです。使い続けてふわふわのクタクタになった姿はお疲れさまと声をかけたくなる愛おしさ。

仕事を終えたふきんはふわふわで気持ち良い
仕事を終えたふきんはふわふわで気持ち良い

中川政七商店の「花ふきん」は、毎年8月7日に行われる奈良東大寺の大仏さまの「お身拭い (おみぬぐい) 」でも使われ、なんと大仏さまの身体を拭いているのは「花ふきん」だそう。蚊帳生地の品質の高さが伝わってくるエピソードです。大仏さまとお揃いだなんて、お家もよろこんでくれるかも。

工芸と迎える新年、次回は食卓道具へと続きます。

<掲載商品>
しゅろのやさしいほうき 五玉 焼檜柄 短 (高田耕造商店)
はりみちりとり 大 (高田耕造商店)
トタン製バケツ 10型 (土井金属化成株式会社)
花ふきん (中川政七商店)

文・写真:さんち編集部


*この記事は2016年12月5日公開の記事を、再編集して掲載しました。

鏡餅はなぜ丸い?お正月に欠かせない「お餅」の歴史と文化

日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。

こちらでは、そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介します。

もういくつ寝ると、お正月。

あれよあれよと年の瀬を迎えました。1年、ほんとうにあっという間。年越しの準備で慌ただしくなる前に、今日はちょっと美味しいもののお話を。

みなさん、「おもち」はお好きですか? 私は大好きです。今日は、「おもち」のお話です。

『風土記』が伝える、おもち伝説

「おもち」が日本の文献にはじめて登場するのは、和銅6年(713年)元明天皇の命により土地のようすや名産名物、伝説などを記した地誌『風土記』だといわれています。その中の「豊後国風土記」にはこんな伝説があるんです。

稲が余るほど豊かに実るという土地の肥えた地方。ある日の明け方、北から白い鳥が飛んできて「餅」になった。おごりたかぶった人々がその「餅」を的にして矢で射ると、餅はたちまち白い鳥になって南へ飛び去り、豊かだった土地はすぐに荒れはててしまった。

同じような伝説は「山城国風土記」にも。

秦氏の祖先、伊侶具(いろぐ)が、豊かさにおごりたかぶって「餅」を的にして矢を射たところ、「餅」は白い鳥になって飛び去り、山の峰に降り立って稲になった。

これらの話のなかの餅は、霊的なものをあらわしていたといわれています。日本人は古くから、人間と同じように稲には霊魂(稲魂)が宿るという信仰をもっていました。それを形にしたのが、もち米でつくった真っ白で平たい丸餅だったんですね。『風土記』ができた奈良時代中期にはすでに、鏡餅を神さまにお供えして祝う行事があったようです。

ところで、どうしてお供えする「おもち」は丸いのか?これは、人間どうしの円満をあらわし、望みを叶えるために満月(望月)になぞらえたといわれています。その形が、天皇家の三種の神器のひとつである円鏡に似ているところから「鏡餅」と呼ぶんですって。

ハレの日に食べる「おもち」

今でこそ、いつでも食べたい時に食べることができる「おもち」ですが、つい半世紀ほど前まではそう簡単に食べられるものではありませんでした。特にもち米だけでついた白餅は、特別な「ハレの日」のもの。おもちに霊力が備わっていると考えられた名残でもあります。

同じおもちでも、ぼたもちなどは普段食べるものなので「となり知らず」といって、となり近所に関係なく勝手につくることができましたが、白餅はとなり近所や親戚などと一緒について神仏に供え、周りに配るなどして皆でお祝いして食べるものだったそうです。もうすぐやってくるお正月のおもちはまさに「ハレの日」のものですね。

日本全国各地でつくられるおもちは、気候やお水、育まれた土地の違いが、粘りや甘み、コシなどの食感にあらわれます。いろんな土地のおもちを食べてみたい。そんな「おもち好き」たちの願いを叶えてくれるのが、「日本全国もちくらべ」。

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「日本全国もちくらべ」丸餅5種 各30g×2個入り ¥1,404(税込)

全国のおもちの産地から厳選した5種のおもちを詰め込んだこちらは、素朴な味わいが特徴の北海道産「風の子もち」、濃厚な味わいが楽しめる新潟県産「こがねもち」、甘みが感じられる岡山県産「ヒメノモチ」、和菓子のような味わいの京都府産「新羽二重餅」、うまみが広がる佐賀県産「ヒヨクモチ」と、それぞれの丸餅が2個ずつ入っています。汁もの、焼きもち、きなこもち。あんこをのっけるのもいいですよね。ああ、はやく食べたい。

さて、そろそろお正月の準備をはじめましょう。

<掲載商品>
日本全国もちくらべ(中川政七商店)

<参考文献>
奥村彪生(2006)『ふるさとの伝承料理(11)わくわくお正月とおもち』農文協.
笠原秀(2004)『おもちの大研究 日本人とおもちのおいしい関係』PHP研究所.

文:杉浦葉子

*こちらは、2016年12月2日の記事を再編集して公開しました。

除夜の鐘の音はゴーン?ガーン?作り手に教わる梵鐘の秘密

もうすぐ大晦日。年が暮れゆき、新しい1年が幕を開ける頃。近所の寺から毎年恒例のあの音が響いてくる。

テレビから流れてくる音を聞く人もいるだろう。NHK「ゆく年くる年」の中継で全国各地の寺が奏でる厳かな、あの音を。

日本人なら誰もがきっとなじみのある除夜の鐘が日本中で鳴り響く‥‥。

除夜の鐘の音の違い

ところで。

あなたがいつも聞いている除夜の鐘ってどんな音?

ガーンなのか、それともゴーンか。つくられた時代によって音は違う

「いま多くの方が連想されるのは『ゴーン』という音ではないでしょうか。どちらかというと重低音で、長い余韻のある『ゴーン』です」

そう話すのは富山県高岡市にある梵鐘のつくり手「老子(おいご)製造所」の代表取締役・元井秀治さん。

初代老子次右衛門より14代目となる元井さん
初代老子次右衛門より14代目となる元井さん
梵鐘だけでなく、仏像や銅像、カリヨンなども製作している老子製作所
梵鐘だけでなく、仏像や銅像、カリヨンなども製作している

老子製作所は、400年以上の歴史を誇る高岡銅器の生産地において、14代にわたり梵鐘をつくり続けてきた老舗。

驚いたことに同社は国内の鐘づくりの60%以上を占める梵鐘の大手メーカーである。

成田山新勝寺にある梵鐘から、比叡山延暦寺阿弥陀堂、京都の三十三間堂、沖縄平和記念堂にある梵鐘など、これまで納入した鐘は大小合わせて2万口(鐘の数え方は「口(こう)」)にのぼる。

「でも実のところ、昔からこの音だったわけではありません。『ゴーン』という音は、時代の流れのなかで日本人の感性がつくり出した音なんです」

そもそも梵鐘とは仏教法具の一つ。撞木(しゅもく/鐘を打つ棒のこと)で撞き鳴らす釣り鐘のことであり、中国や朝鮮半島を経て日本にもたらされたものだ。

「本家本元の中国の鐘の音はどうかというと、もうね、『バーン』なんです。よく映画などで、中国の場面になると『バーン』とドラのような音がするでしょう。まさにあんなイメージで、求められているのは広がる音です。

実際、中国人にお聞きしたところ長い余韻などは求めていない。大きな音で、『バーン』と広がるように鳴ればそれで良いそうです」

それが日本にもたらされ、すぐに「ゴーン」という音になったのかというと、そうではないらしい。

「京都の妙心寺に、698(文武2)年に製造された、日本最古の鐘と呼ばれるものがあります。

実際にこの鐘の音を聞いたことがありますが、どんな音だと思います?言葉にすると『ゴーン』ではなく『ガーン』という、ちょっと甲高い音なんです」

福岡の観世音寺には妙心寺の鐘との兄弟鐘があるというが、こちらも同じく「ガーン」という甲高い音がするという。

「さらにいうと、鎌倉時代につくられた狂言の一つに釣り鐘をテーマにした題目があるのですが、鐘の音を『ジャーンモンモンモンモンモン』と表現するんです。『ジャーン』といった時点で、もう高い音であることが分かりますよね」

バーンが、ガーンやジャーンになり、ゴーンになってきた‥‥と。

「これは私見ですが、日本にはわびさびの文化があります。世の中のはかなさや無常観といったものに美しさを感じる心があります。

そんな日本人ならではの感性がいつしか『ゴーン』という落ち着きある音を好むようになり、長い余韻のある音を求めていった。

おそらく私たちがいまイメージする『ゴーン』という音に定着したのは、江戸時代くらいではないかと思います」

梵鐘の姿形を見れば音が分かる

江戸時代に「ゴーン」という音に定着したのではないかという元井さんの仮説には、梵鐘をつくる人だからこその裏付けがある。

「先ほどお話しした『ガーン』と甲高い音の鳴る妙心寺の鐘は、撞座(つきざ)の位置が非常に高いんです」

撞座とは撞木で鐘を撞く丸い部分のことである。この位置が上にあるほど高い音が鳴るというが、時代とともにこの位置が下がってきているという。

丸い部分が撞座。妙心寺の梵鐘の撞座はもっと上の位置にある
丸い部分が撞座。妙心寺の梵鐘の撞座はもっと上の位置にある

さらにもう一つ。鐘の一番下にあたる裾部分は駒の爪(こまのつめ)というが、ここにも違いがあるという。

「それまでのものはシュッと下にそのまま落ちていくんですが、江戸時代あたりから駒の爪がポンと突き出すんです。出っ張りをつくる、というのでしょうか。これによって何が起きるかというと、余韻が長くなるんです」

ちなみに「バーン」という音を求める中国では、鐘の裾はびらびらと広がっているそうで「おばけのQ太郎みたいな形をしています」と元井さん。

落ち着いた重低音で、長い余韻があること。さらに日本の梵鐘において重要なのが、

「唸ってくれることです」

うなり、ですか?

「ええ、ほどよい唸りです。うわんうわん言うのはいけませんが、うぉーん、うぉーん‥‥とゆったりとした唸りがあることが大事なポイントで、良い鐘の条件でもあります」

これを再現するために必要なことはほかでもない「手でつくること」にあるという。

「つまりね、きれいな真円にしてしまうと唸らないんです。唸る必要のないカリオンなど西洋の鐘をつくるときには真円にしますが、日本の梵鐘はきれいすぎるとだめ。もちろん下手すると唸りすぎてうるさくなるので、そこには技術が必要です」

音色や響きを左右する200もの作業工程と熟練技

ここで簡単に梵鐘の基本的なつくり方を説明しよう。

まずは原寸大の図面を引く。形や文様、文字などのデザインはもちろん、厚みに至るまで綿密に決めていく。

「なかでも音にとって重要なのは肉厚のバランスです。鐘というのは肉が厚いと音が高くなり、薄いと低くなるんですが、全体が同じ厚みだと遠くまで響かない。なので、上は薄めにして、下にきてぐっと太く厚くなるような設計にしています」

裾部分の厚みがかなりあるのが分かる
裾部分の厚みがかなりあるのが分かる

次は型づくり。鐘の表面となる外側の鋳型と、内側の空洞部分の中子(なかご)をそれぞれ製作。

いずれも金属の高温に耐えるべく、頑丈につくらなければならず、時間と手間、職人の技術と経験が必要になる。

鐘の表面を形づくる外側の鋳型
鐘の表面を形づくる外側の鋳型
中子の材料は厳選した砂や粘土などを練り合わせたもの
中子の材料は厳選した砂や粘土などを練り合わせたもの
煉瓦を組むように中子を製作。このときつくっていたのは2尺8寸の釣り鐘
煉瓦を組むように中子を製作。このときつくっていたのは2尺8寸の釣り鐘

そしていよいよ鋳込み作業だ。中子に鋳型を被せ、そのすき間にそれぞれ溶解した銅と錫の合金をおよそ1200℃に沸かしてから1100℃前後で流し込む。ダイナミックでありながら繊細さを求められる作業である。

金属それぞれの溶解温度や合金の配分、鋳込みの温度、乾燥させる時間などの1つ1つがすべて音に影響するというのだから一切気は抜けない。

形ができたら色づけや、字や模様の彫金などを施していくが、その工程はおよそ200。1つの鐘をつくるために最低でも3カ月はかかる。

ちなみに原型から鋳造、仕上げ、着色、彫金といった工程のすべてを同じ地域でまかなえるのは高岡だけだとか。400年続く高岡銅器の歴史こそが、日本の梵鐘を支えているといっても過言ではないのだ。

日本が誇る3つの名鐘。ロケーションもポイントです

さて、鐘のことを学んだらきっとその形が気になったり、実際に音を聞き比べたくなるのではないだろうか。

たとえば日本には三名鐘と呼ばれる鐘がある。

一つ目は京都「神護寺」にある梵鐘。875(貞観17)年に鋳造された国宝であり、菅原是善(菅原道真の父)による銘文などが刻まれていることから“銘の神護寺”と呼ばれている。

また、見た目の美しさから“姿(形)の平等院”と称されるのが京都「宇治平等院」にある梵鐘。こちらは1053(天喜元)年建立の鳳凰堂と同時期に製造されたものと推測されている。

そして三つ目は滋賀「三井寺(園城寺)」にある梵鐘で、通称“声(音)の園城寺”。その名の通り音に関して名を馳せる。製造は1602(慶長7)年。江戸時代に変わる直前につくられた鐘である。元井さんは言う。

「鐘そのものの音はもちろんですが、三井寺はロケーションも抜群にいいんです。寺の後ろに山があって下には琵琶湖が広がります。

ここで梵鐘を鳴らせば山がレフ板のようになって鐘の音を反射して響かせてくれるんです」

では、元井さん自身がオススメする鐘ベスト3は?

「まずは『広島平和の鐘』です。これはうちがつくりました。広島平和記念式典のセレモニーで黙祷を捧げるときに鳴る鐘で、世界中に流れているんです。

平和記念式典の黙祷時の写真
平和記念式典の黙祷時、広島平和の鐘は鳴り続ける

子どもの頃は8月6日になると正座をさせられてずっと聞かされたものです。夏休みなのに遊びにも行けなくて(笑)

でも、やっぱりうちの会社の誇りですし、平和の鐘、鎮魂の鐘をつくろうという社是の理念にもなっている大事な鐘です。

そういう意味では『釜石復興の鐘』も同じ。東日本大震災があった年の6月に、どうしても年末に除夜の鐘をつきたいと釜石の方がいらして。

釜石復興の鐘
釜石復興の鐘
これまでの作品づくりに思いを馳せる元井さん
これまでの作品づくりに思いを馳せる元井さん

災害後、何もできんなと思っていたところに『つくってください』と言われたことで逆にこっちが助けられたといいますか‥‥。デザインもすべてゼロから考えてつくらせていただきました。

もう一つ挙げるなら、2000年に製造した京都「西本願寺」の鐘でしょうか。

あそこは朝の鐘を絶やしたことがないそうです。戦時中も空襲があっても、毎日鳴らし続けてきた。この鐘を取り替えるにあたって夜9時から朝4時までにやってくださいという注文があったんです。

世界遺産ですから草木一本折ってはいけないという状況のなか、120トンのクレーンでなんとか必死に取り替えた。そんな思い出の詰まった鐘です。もちろん音も良いですからぜひ、聞いていただきたい」

これまでなんとなく聞いていた梵鐘の音。鐘の音に違いがあるなんて考えたこともなかったが、今ではすっかりその音を聞きたくて仕方ない‥‥。

まずは除夜の鐘から──。

我が家の近くにある寺の梵鐘は、一体どんな音色を響かせるだろう。

<取材協力>
老子製作所
富山県高岡市戸出栄町47-1

文:葛山あかね
写真:浅見杳太郎