柚木沙弥郎デザインが生きるコーヒー専門店。民芸愛の詰まった鹿児島の可否館へ

旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。今回は、コーヒー好きにも民芸好きにもおすすめしたい鹿児島のコーヒー専門店「可否館 (こーひーかん) 」です。

柚木沙弥郎さんデザインの看板がお出迎え

鹿児島のターミナル駅、鹿児島中央駅から市営バスに乗って15分ほど。護国神社前のバス停から歩いて5分ほどのところに、可否館はあります。

この看板が目印
店名が染め抜かれた暖簾をくぐると‥‥
たっぷりと光の差し込む明るい店内

窓際の席に腰掛けると、入り口の看板と同じデザインのメニューが。

日本を代表する染織家、柚木沙弥郎(ゆのき・さみろう)さんが手掛けたもの。マスターがぜひにと頼んでオリジナルでデザインしてもらったそうです。

タペストリーもありました

注文したのは、はちみつシナモントーストセット。

可否館のはちみつシナモントーストセット

ほろ苦いコーヒーとはちみつがじゅわっと染み込んだシナモントーストは好相性間違いなしですが、一層美味しく感じさせるのがこの器です。

伺うと、はちみつシナモントーストには、必ず熊本の小代焼のお皿を合わせるのだとか。マスターの永田幸一郎 (ながた・こういちろう) さん自ら、窯元に頼んでつくってもらったものです。

黄金色のはちみつシナモントーストに、サイズも色もぴったり合った小代焼のお皿
自家焙煎のネルドリップコーヒーが注がれたカップも、やわらかな黄色が素敵です

これが、コーヒー専門店である可否館のもうひとつの魅力。店内を見渡すと、焼きものやガラスの器が、まるで民芸店のように並んでいます。

可否館
民芸品

お店が、好きな器を飾れるキャンバスに

マスターの永田さんは若いころから絵画や民芸に興味を持ち、自身でものづくりも行なっていたそう。

はじめは家業の材木屋さんを手伝っていましたが、32年ほど前のある日、決心して喫茶店をオープンさせました。

「もともとコーヒーも好きだったので。それに空間があれば、そこに好きな器を飾れるでしょう。お店が私にとってのキャンバスになるんです」

はじめにお店を開いた鹿児島の中心街、天文館で20年。現在の地に移転されて約12年。オープン以来32年ずっと、永田さんが目利きされた民芸の品々が、店内を飾っています。

四季に合わせて並べる品も変えているそう。実際に手にとって購入もできます
四季に合わせて並べる品も変えているそう。実際に手にとって購入もできます

揃える器は地元・鹿児島や九州のものに限らず、日本全国、さらには世界各地のものまで。できるだけ窯元に出向いて、直接購入しているといいます。

「民芸品は、使いやすくないといけません。自分で実際に手にとって使い心地が良く、なおかつ美しいもの、この空間やコーヒーに合うものを選んでいます」

永田さんの「好きなもの」への愛情がつまった可否館。

あと1本、バスを見送ってもう少し休んでいこうかな。そう思わせてくれる居心地のよさでした。

熊本の民芸の名店、魚座民芸店から特別に譲ってもらったという郷土玩具「きじ車」を見せてくださった永田さん。笑顔が素敵です
熊本の民芸の名店、魚座民芸店から特別に譲ってもらったという郷土玩具「きじ車」を見せてくださった永田さん。笑顔が素敵です

可否館
鹿児島県鹿児島市永吉2-30-10
TEL:099-286-0678
http://coffee-kan.com/
営業時間:10:00〜20:00
定休日:第1・第3・第5水曜日
駐車場:あり

写真:尾島可奈子

沖縄のおいしいが大集合。まーさんマルシェには沖縄の食の未来がある

こんにちは。沖縄在住で、テレビのフリーディレクターをしている土江真樹子です。

番組制作だけでなく、工芸やファッションブランドのディレクションも手がけていますが、沖縄は今、食が熱い。

おいしさだけでなく、食の安心や土地のことを想う作り手、お店が続々と現れています。そんな「おいしい」のうねりは、沖縄の作家さんが作るうつわにも影響を与えているように思えます。

今回は、そんな沖縄の食の「今」がわかる「まーさんマルシェ」をご紹介します。

沖縄にしかない食イベント、まーさんマルシェとは?

那覇市の中心、久茂地にあるデパートリウボウ (パレット久茂地) の1階広場で不定期に開かれる無農薬、遺伝子組み替えなし、無添加の食材と食のマルシェ。沖縄ならではの食材や野菜もたくさん並ぶユニークなイベントが、「まーさんマルシェ」です。

開催地であるデパートリウボウがあるのは、人通りも多い那覇市の中心地
開催地であるデパートリウボウがあるのは、人通りも多い那覇市の中心地
沖縄、まーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄、まーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ

「まーさん」とは沖縄の言葉で「おいしい」。

その名の通り、イベントにはおいしくて体に良いものが満載です。今回は生産者さんと店舗、30軒が参加していました。

沖縄のまーさんマルシェ

うりずんの恵みをいただきに

今回の開催はうりずん(初夏の爽やかな季節)の季節。まさにうりずんの恵みをいただくちょうどいい機会です。

まずは大好きな「島バナナ」。小ぶりでちょっと甘酸っぱい島バナナは熟れて皮が薄くなると甘さが増すんです。ハルサー(農家)さんオススメ、濃厚な南国の味!

沖縄のまーさんマルシェ、島バナナ
沖縄のまーさんマルシェ、島バナナ
手に持つとこんなに小ぶり

そのそばで、次々と買い物客が買っていくジャムを見つけました!沖縄本島の北端、国頭村の森岡いちご農園のジャムです。

沖縄のまーさんマルシェ、国頭村の森岡いちご農園のジャム

「露地栽培で無農薬です。生で食べる季節は過ぎたからジャムで楽しんでもらおうと思って」

試食させてもらうとジューシーでまろやかな甘さで、飛ぶように売れていくのも納得です。

さて、うりずんの季節といえど気温はうなぎのぼり。

こんな日にはきび糖と黒糖のやさしい甘さ、しかもカロリー控えめが魅力の「うるまジェラート」に直行です。

沖縄のまーさんマルシェ、うるまジェラート
味は10種類以上。どれもおいしそうで悩んでしまいます

選んだのは沖縄産の紅茶ジェラート。沖縄紅茶に濃いめの県産牛乳、両者を引き立てるのはミネラル豊富なうるま市の天然塩なんだそう。しっかりした紅茶の香りと味、食物本来のおいしさが口の中に広がります。

沖縄のまーさんマルシェ、うるまジェラート

喉が渇いたら、ぜひコーヒーを。

実は最近沖縄ではコーヒーがすごいんです。コーヒー栽培には向かないと言われていた沖縄で、厳しい亜熱帯の気候に寄り添い、闘いながらのコーヒー栽培が行われています。

中には国際審査で日本初のスペシャルティコーヒーに認定された生産者さんもいるほど。残念ながらまだどこも生産量が少ないのですが、将来100%沖縄産のコーヒーが店頭に並ぶ日も近いはずです。

沖縄のまーさんマルシェ、KIZAHA COFFEE
KIZAHA COFFEE

土地の食材を、新しい料理に、手土産に

ちょっと珍しいサンドイッチを発見。その名も「タピオカサンドイッチ」。

沖縄のまーさんマルシェ、タピオカサンドイッチ

タピオカのサンドイッチって?と不思議そうにしていると、「リマタピオカサンド店」のリマ・セイジさんが「タピオカはキャッサバ芋のデンプン。水を少し加えた粉を焼いて生地を作るからグルテンフリーでさっぱりしてるでしょ」と教えてくれました。

沖縄のまーさんマルシェ、タピオカフムスサンドイッチ

カリカリとした生地の中にレタスなど野菜がいっぱい。そこにひよこ豆のペーストがもっちりとした弾力で、初めての食感と味は驚きがいっぱいです。

まだまだあります。次は、ぜひ持ち帰りたい手土産を。

沖縄のまーさんマルシェ、「特産離島便」

ずらりと並ぶ小さなガラスの容器は、「特産離島便」。沖縄の特産食材を使った手作りのおいしい加工品が瓶詰めされています。

石垣島などの離島には独自の食材を使ったものが色々あるのですが、輸送コストがかかる上に生産者が個人の場合が多く、販路拡大という課題を抱えています。そんなおいしい良いものをひとつのブランドとして売り出したのが「特産離島便」です。

沖縄のまーさんマルシェ、「特産離島便」
アーサつくだ煮、かちゅー汁の素など、同じパッケージで違う味が楽しめます

お土産として手渡すと「これ何?どうやって使うの?」と話も盛り上がり、リピーターになる人続出という、わたしの愛用お土産のひとつなんです。「次もシークヮーサーこしょうお願いね」「今度は生七味で」と、プレゼントした人から嬉しいリクエストも。

まーさんマルシェの立役者、浮島ガーデン

そしてまーさんマルシェを語るのに欠かせないお店があります。沖縄でヴィーガンといえば、の「浮島ガーデン」。

沖縄県産の有機無農薬野菜にこだわった食事で「ヴィーガン、オーガニックはおいしくない」というイメージを見事に覆した人気店です。オーナーの中曽根勇一郎さんオススメは「高キビバーガー」。

一見シンプルなバーガーに見えますが‥‥
一見シンプルなバーガーに見えますが‥‥

畑のひき肉と呼ばれる高キビは食感も味もお肉そのもの。ヴィーガンならずとも納得のおいしさに人気なのだとか。

実は、島である沖縄は食物自給率が低く、昔から栽培されていた穀物も今では忘れ去られようとしています。高キビもそのひとつ。

そこで浮島ガーデンでは8年前から穀物栽培に乗り出し、絶滅寸前の穀物復活と普及に力を入れています。

全て自分たちでやっているため相当な労力と時間がかかりますが、それでも安心安全、心も体も喜ぶ食を目指す姿勢が、料理の一品一品によく現れています。

沖縄のまーさんマルシェ
浮島ガーデンのテント

「ハルサーさんたちは不便な地域で生産している場合が多い。そんなハルサーさんたちのおいしく高品質な農作物を知ってもらうことで、食のあり方も変わっていくはず」と中曽根さんは話していました。

浮島ガーデンオーナーの中曽根勇一郎さん
オーナーの中曽根勇一郎さん

実は、そんな思いから浮島ガーデンが毎月店内で始めた「ハルサーマーケット」が、まーさんマルシェの始まり。

そこにフードディレクターの小川弘純さんが加わり、デパートリウボウのコンセプトの1つである「からだに良いもの」を体現しようとマルシェをプロデュース。

浮島ガーデンの中曽根勇一郎さん、直子さん夫婦がハルサーさんたちのオーガナイザーを引き受けて始まったのが「まーさんマルシェ」です。

まーさんマルシェプロデューサーの小川弘純さん
まーさんマルシェプロデューサーの小川弘純さん

「沖縄にはおいしいものや体にいいものがたくさんあるんです。けれど小規模であるためにその良さがなかなか発信できない。その点と点を繋いで線にしてブランド化して紹介していく。それがまーさんマルシェの役割でもあるんですね」と、小川さん。

特産離島便を説明してくれる小川さん

小川さんや中曽根さんの熱い思いが「まーさんマルシェ」を作り上げてきました。

食から沖縄を見る、まーさんマルシェ

ここは、出店するハルサーさんたちに野菜のことを尋ねたり、食べ物を紹介してもらったりする「生産者との会話」の場。

沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ
沖縄のまーさんマルシェ

多くのハルサーさんやお店がやんばるなど都市部から遠いこともあり、沖縄在住のわたしでもなかなか足を運ぶことができないため、このように一堂に揃うマルシェは心踊る場。見たことがない野菜や果物、食事にワクワク幸せを感じる時間です。

沖縄ってこんなに食が豊かなんだと感じられるマルシェ。

次回は7月14日 (土) に開催が決まったそうです。真夏の開催とあって、涼しくなるような食べ物やメニューが満載とのこと。チャンスのある方はぜひ足を運んでみてください。

食材や食から沖縄をみる、感じる体験ができるはずです。

<取材協力>
まーさんマルシェ
沖縄県那覇市久茂地1−1−1 パレット久茂地1階広場
https://masan-marche.com
*次回開催:7月14日 (土)11:00〜18:00

土江真樹子 (つちえ・まきこ)
沖縄に住んで気づくと30年近く。元・琉球朝日放送報道部記者。放送ウーマン賞2002年。2006年からフリーランスディレクター。
「告発」、「メディアの敗北」 (QAB) 、「カンブリア宮殿〜一澤信三郎帆布〜」 (テレビ東京) など多数。
京都の唐紙の老舗「唐長」と沖縄のアロハブランド「PAIKAJI」のコラボシャツなどのディレクションも手がける。

文:土江真樹子
写真:武安弘毅

スニーカーでもパンプスでも「脱げない」フットカバー。プロサッカー選手も認める靴下メーカーの挑戦

季節は初夏。これからスニーカーやパンプスと合わせて活躍するのがフットカバーです。

ところがこの小さな靴下、足に合わないとすぐ靴の中で脱げてしまいます。駆け出した瞬間にするん、と外れてしまった苦い経験を持つ人も多いはず。

今日はそんな「脱げやすい」フットカバーを「脱げにくく」した、その名も「ぬげにくいくつした」の開発秘話です。

一体どのあたりが「ぬげにくい」のか?その秘密に迫ります
一体どのあたりが「ぬげにくい」のか?その秘密に迫ります

プロのサッカー選手も密かに愛用する靴下メーカー、キタイさんへ

脱げにくいフットカバー作りに挑んだのは、日本一の靴下産地・奈良に本社を構える株式会社キタイさん。

世界的なスポーツブランドの靴下も手がけ、日本のプロサッカー選手にもファンがいるというスポーツソックスのスペシャリストです。

「ぬげにくいくつした」開発のきっかけは、一緒に商品を開発した奈良の靴下ブランド「2&9 (にときゅう) 」デザイナーのある一言でした。キタイ代表の喜夛(きた)さんにお話を伺います。

フットカバーは、すぐ脱げる?

「うちのメインの商品は、スポーツ競技をする方が履くような運動用の靴下です。

サッカーから野球、ゴルフ、バトミントンまで、いろいろな企業さんのオーダーを受けて、競技タイプに合わせた靴下を作っています。

そうした中でフットカバーは、作る技術こそ持っていましたが、商品としては未だ開拓していなかったアイテムでした」

世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるキタイさんの製造現場。整然と機械が並ぶ。
世界的なスポーツブランドの靴下も手がけるキタイさんの製造現場。整然と機械が並ぶ。

「2&9」のデザイナーさんに、ある日ほとんど縫い目のないフットカバーを作れる技術を紹介したんです。

興味を持ってくれたのですが、その時彼女が『フットカバーっていつもかかとが脱げてしまうんですよね』とお話されて。それじゃあ、もっと立体にしましょうか、と提案したんです」

ことも無げに語る喜夛さんですが、「もっと立体」とは一体、どういうことなのでしょうか?

ぬげにくさの秘密1:足の形にフィットさせる「超」立体成形

「一般的な靴下は、機械で筒状に生地を編んだ後、つま先部分を縫い合わせて靴下の形にします」

実際に工場で製造中だった靴下。つま先を綴じる前の状態
実際に工場で製造中だった靴下。つま先を綴じる前の状態
一般的な靴下は、こうしてつま先部分を別の機械で縫い合わせて完成する
一般的な靴下は、こうしてつま先部分を別の機械で縫い合わせて完成する

「それが最近は、縫わなくても立体的な靴下を作ることができる機械が登場しているんです。ちょうど手編みのように、ロボットが生地を袋状にしてくれるんですよ」

機械に糸とプログラムをセットするだけで、ほとんど完成した状態の靴下が出来上がる、ということですね!あんなこみ入った形をしているのに、不思議です。

「自動成形という技術なんですが、ちょうどその機械を導入して間もない頃でした。『ぬげにくいくつした』はその技術を活用した最初の商品開発だったんです」

これがほぼ完成形の靴下まで一台で作れる、自動成形の編み機。見るからに複雑な作り
これがほぼ完成形の靴下まで一台で作れる、自動成形の編み機。見るからに複雑な作り

この機械をいかに使いこなすかが、「ぬげにくいくつした」開発の最初の鍵でした。

靴下はこうやって作られる

「編み立ての機械って筒状になっていて、ちょうど洗濯機のように筒の部分が左右に回転することで、生地が編まれていきます」

機械を上から覗いたところ。中心の筒部分で靴下が編まれていく
機械を上から覗いたところ。中心の筒部分で靴下が編まれていく
筒の内側をよく見ると、針がびっしりと並んでいる。針の上下の動きと筒の左右の回転が連動して、生地が編まれていく仕組み。とても複雑です!
筒の内側をよく見ると、針がびっしりと並んでいる。針の上下の動きと筒の左右の回転が連動して、生地が編まれていく仕組み。とても複雑です!

「ただ1周ぐるっと編むだけでは、生地は寸胴な筒状にしかなりません。そこでプログラムを組んで、つま先やかかとなどの形に合わせて回転の幅を制御していくんです」

ここがキタイさんの腕の見せ所。人の足の形にどれだけフィットできるかは、プログラムの設計にかかっています。

図にして解説してくださる喜夛さん
図にして解説してくださる喜夛さん
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編み立て機の操作盤に差し込まれていたUSB。この中の設計図を読み取って靴下が編まれる
編み立て機の操作盤に差し込まれていたUSB。この中の設計図を読み取って靴下が編まれる
「ぬげにくいくつした」のプログラム画面。向かって左にパイル編みの図、右には機械への指示が細かく組まれている
「ぬげにくいくつした」のプログラム画面。向かって左にパイル編みの図、右には機械への指示が細かく組まれている

「このプログラムによって、足の凹凸にうまくフィットする靴下が出来上がります。かかとはちょうど、ゴルフボールのような形をイメージして作りました」

ぷくっと立体的なかかと部分。本当にゴルフボールが入りそうです
ぷくっと立体的なかかと部分。本当にゴルフボールが入りそうです

「『ぬげにくいくつした』は生地が足にしっかりフィットするよう機械の動きがとても複雑です。

1枚成形するのに普通の靴下では平均5分で済むところを、この靴下は15分かかります。非能率極まりない (笑) 。でも、そうすることで足の形にぴったり合う靴下になるんです」

ところが、これだけではまだ『ぬげにくいくつした』にはなりませんでした。

フットカバーが脱げてしまう原因が、他にもあると喜夛さんは言います。

ぬげにくさの秘密2:靴に負けないシリコンプリント

「全体に足を包むようなフィット感は作れました。けれど、それだけでは動いた時にかかと部分がはずれてしまう問題は解消しなかったんです」

動いた時に?一体なぜなのでしょう。

ぬげにくいくつした

「一般的に靴の中敷きは、足の動きについていけるよう滑りにくく作られています。

そうすると足を動かした時に、靴下はより滑りにくい靴の方にくっついて、肌から離れてしまう。これがフットカバーが脱げてしまう大きな原因のひとつです。

肌と靴下のフィット感が、靴下と靴のフィット感に負けてしまうんです」

なるほど!一歩歩いた瞬間に脱げてしまう原因がわかったような気がします。

「この問題を解決するために、靴下の内側にシリコンのプリントをおいてみました。

よく、スポーツソックスなどで足底に滑り止めのプリントがされているものがありますよね。あれを靴下の内側に施したんです。

そうすることで、肌にぴったりと吸いつくようなずれにくさが生まれました」

一般的な、外側に滑り止めのついたスポーツソックス
一般的な、外側に滑り止めのついたスポーツソックス
「ぬげにくいくつした」のかかと部分に施されたシリコンプリント。この部分が肌に密着し、靴の中でぬげてしまうのを防ぐ。
「ぬげにくいくつした」のかかと部分に施されたシリコンプリント。この部分が肌に密着し、靴の中でぬげてしまうのを防ぐ

長年のスポーツソックス作りのノウハウを生かした、まさにキタイさんらしい工夫です。

「内側にプリントするのは初めての試みでした。

外側の滑り止めは靴下が完成した後に表側にプリントすればいいのですが、内側に加工するには完成した靴下を一度ひっくり返して中にプリントしなければならない。

それをまた表に返さないといけないので、効率は正直よくありません。ですが、試着してもらったらこれが大好評だったんです。ふた手間増やすことで“動くと脱げる”問題を大きく解消できたんですね」

ぬげにくさの秘密3:タオルのような肌当たりの「部分パイル」

まだまだ尽きない、キタイさんの探究心と高い技術力。こんなところにも「ぬげにくい」工夫がされていました。

「女性はスニーカーだけでなく、パンプスなど底の硬い靴にもフットカバーを履きますよね。そこで衝撃を和らげるために、必要な部分だけタオルのようにパイル状にしました」

編まれているのは黒い靴下。右上部分をよく見ると、表面がフワフワのパイル状に切り替わっている。プログラムにより、微妙な針の上げ下げでパイル地が編まれていく
編まれているのは黒い靴下。右上部分をよく見ると、表面がフワフワのパイル状に切り替わっている。プログラムにより、微妙な針の上げ下げでパイル地が編まれていく

「全部をパイルにすると、生地が厚くなって靴下のサイズが変わってしまいますからね。ここにも、編み立て機のコンピュータ制御を駆使しています」

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「ぬげにくいくつした」誕生秘話

ここまで工夫をされていたら、思い切って「ぬげないくつした」と言ってしまってもいいような気もするのですが、控えめな商品名にはプロらしい理由がありました。

「実は最初、商品名として『ぬげないくつした』が候補に挙がっていたんです。

ですが、脱げにくさは靴と靴下と足のサイズがあっているかどうかもポイントです。大きめの靴下を履かれる方はどうしても脱げやすくなります。

一計を案じた結果『ぬげにくいくつした』という奥ゆかしい名前になりました (笑) 」

スポーツソックスを極めてきたキタイさんだからこそ誕生した「ぬげにくいくつした」。

小さな布に駆使されている様々な技術は、「もっと脱げにくくできないか?」というプロの飽くなき探究心によって支えられていました。

実は「ぬげにくいくつした」、改良を重ねてシリーズ1(右)からさらに進化した2(左)にアップデートされています。裏返すと、構造がより複雑になっているのがわかります
実は「ぬげにくいくつした」、改良を重ねてシリーズ1(右)からさらに進化した2(左)にアップデートされています。裏返すと、構造がより複雑になっているのがわかります

「いろいろ技術的なことをお話ししましたが、やはり、シンプルに製品を気に入って履いていただけたら、それで十分です」

そう語る喜夛さんの言葉に、静かな製品への誇りを感じました。

<掲載商品>
ぬげにくいくつした(2&9)

<取材協力>
株式会社キタイ


文・写真:尾島可奈子


*2017年4月の記事を再編集して掲載しました。私はもともと「ぬげにくいくつした」を持っていたのですが、今回のインタビューでますます愛用の靴下になりました。

300年企業の社長交代。中川政七商店が考える「いい会社ってなんだろう?」

「工芸の再生請負人」が、300年続く家業の社長を辞めた日。

これは、ある奈良の小さな会社で創業302年目に起きた、13代から14代への社長交代のお話です。

2018年2月13日午後。

年度末を前に、あるメーカーで社員全員を集めた集会が行われていました。

舞台は、株式会社中川政七商店、本社。

1716年に当時の高級麻織物、奈良晒の商いで創業。現在では全国に51店舗を展開する生活雑貨メーカーの本社は、奈良にあります。

中川政七商店奈良本社

会場となった食堂には、奈良本社の社員はもちろん、近隣に独立した事務所を構えるお茶道具部門、東京事務所社員、全国の店舗の店長までが一堂に会し、前に立つ一人の男性の話に耳を傾けていました。

中川政七商店奈良本社の食堂
普段は社員が昼食や打合せに利用する食堂

壇上に立つのは、株式会社中川政七商店13代、中川政七 (なかがわ・まさしち) 。

中川政七

「工芸の再生請負人」と呼ぶ人もいます。

江戸時代から続く家業を継いでのち、製造から小売まで一貫して自社で行う工芸業界初のSPA業態を確立。そのノウハウを生かして2009年より業界特化型の経営コンサルティングを開始。全国の企業やブランドの経営再建を手がけてきました。

企業名を冠したブランド「中川政七商店」は2010年デビュー
企業名を冠したブランド「中川政七商店」は2010年デビュー
単品ブランドのハンカチ
単品ブランドの立ち上げや
コンサル第1号となった長崎県の陶磁器メーカー、マルヒロの「HASAMI」
コンサル第1号となった長崎県の陶磁器メーカー、マルヒロの「HASAMI」
コンサルティング先など志を同じくする全国の工芸メーカーとともに開催した合同展示会「大日本市」
コンサルティング先など志を同じくする全国の工芸メーカーとともに合同展示会「大日本市」を開催

2015年に会社としてポーター賞、2016年には日本イノベーター大賞優秀賞を受賞。その取り組みが世間に知られるとともに、いつしかついた呼び名は「工芸の再生請負人」。

そんな「再生請負人」が家業を継ぎ、13代社長に就任したのは2008年のことでした。

「誰も言ってくれへんかったけど、今年で社長就任10周年やねん」

その日、珍しく入社してからの十数年の振り返りからスピーチを始めた13代がふと思い出したようにそう語ると、静かだった会場に和やかな笑いと拍手が起こりました。

この時まだ、社員はこのスピーチの結末を知りません。

なぜ、例年なら決算後に行われるはずの全体集会がこのタイミングで行われているのか。

なぜ、例年になく十年来の思い出話に、社長が花を咲かせるのか。

「工芸の再生請負人」が歩んだ16年

「売り上げでいうと、入社当時の16年前は4億だったのが、今は52億。

激動と言ってもいいような時代でした。大きな成長であり、成功でもある16年だったかなと思います」

13代個人の歴史を振り返れば、2000年、新卒で富士通に入社。2年後の2002年、家業である株式会社中川政七商店に入社。

当時不振だった生活雑貨部門の立て直しに関わる中で、衰退し続ける工芸業界の現状に危機感を抱き、2007年「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを発表。翌年、社長就任。

次々と直営店を全国に出店し、新たなブランドを立ち上げ、手がけたコンサルの数は今では全国16社にのぼります。

「300年という歴史からすればわずかな期間ではあるけれど、いろいろな変化を乗り越え、時には自ら変化を生み出してなんとかやってこれたのは、このビジョンがあったからだと思います。

では2018年は、これからの10年はどうしていくのか。それを考えた時に」

そう切り出した社長は幾つかの話をし、最後をこう結びました。

「ではどうするか。変えるしかないよね。

そこで、

社長を交代します。14代は」

その瞬間を、ある人は

「みんなのゴクリ。と唾をのむ音が聞こえた」

と回想します。みんなが唾をのんだのには、突然の発表というほかに、幾つか理由がありました。

奈良の小さな会社の社長交代が持つ意味

まず、中川政七商店は江戸の創業より代々、中川家が家業として経営を担っています。しかし13代は以前から「14代は中川家以外の人間に継いでもらう」と公言していました。

今日、誰に引き継いだとしても、それは中川政七商店が300年続く同族経営からシフトすることを意味していました。

そして固唾をのむ理由がもう一つ。

中川政七商店は2016年に300周年を迎えました。13代はその節目に、中川政七の名を襲名したばかり。

片山正通さん・水野学さんを後見人に奈良で執り行われた襲名披露の様子
片山正通さん・水野学さんを後見人に奈良で執り行われた襲名披露の様子

襲名からわずか2年。年齢も43歳と経営から退くには早すぎる、という人もあるはずです。なぜ、このタイミングで。

誰が14代を引き継いだのか、という話の続きは少し先に置いておいて、まずは社長交代という決断の背景を後日、13代本人に伺いました。

2015年に開設した東京事務所のテラスにて
2015年に開設した東京事務所のテラスにて

入社当時から決めていた、「中川商店」からの脱却

まず、同族経営でない選択をしたことについて、迷いはなかったのでしょうか。

「入社した時から14代は中川ではない人間になってもらいたいと思っていました。

当時はまだ『中川商店』という感じで、家の用事が業務に紛れ込んでいるようなこともありました。

それは嫌だったし、何より中小企業は借金があると、社長が個人保証をしない限り銀行はお金を貸してくれません。それでは同族で代を継承していくしかない」

中川政七

「中川家以外の人に引き継げる状態というのは、つまりは個人保証のいらない経営状態になるということ。財務的によくするという意味も含めて、『ちゃんとした会社にしたい』と思っていました」

社長就任より前、入社当時からすでに心に決めていたという同族経営からの脱却。

軽やかに変化を決断した13代ですが、バトンを受け継ぐ側にすれば、そののれんの重みは計り知れないものです。

のれんの重み

徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、千利休も茶事に愛用したという高級麻織物、奈良晒の商いで1716年に創業。生地は武士の裃や僧侶の法衣に重用されていました。

江戸時代の店先の様子
江戸時代の店先の様子

最大の需要である武士を失った明治にあっても品質を守り、新たに開発した汗取りは皇室御用達の栄誉を受けます。

大正14年には、パリ万博に繊細な麻のハンカチーフを出展。

麻のハンカチーフ

昭和に入ってお茶道具業界への参入、現在の小売業の礎となる「遊 中川 本店」を開店。

オープン当時の遊 中川 本店
オープン当時の遊 中川 本店

そして平成に入り、13代がバトンが受け継いで迎えた300周年。

300周年の節目に全国5箇所で開催した大日本市博覧会
300周年の節目に全国5箇所で開催した大日本市博覧会

この江戸から脈々と守り継がれてきたのれんを託すのに、一体どんな人がふさわしいと考えていたのでしょうか。

社長の条件

中川政七商店奈良本社内での打合せの様子
社内での打合せの様子

「次期社長に必要だと考えていたのは、人望とバランス感覚です。

社長に限らず人の上に立つ人は人望がなきゃいけない。自分の経験の中でも、それは痛いほどよくわかります。

ここ数年で会社も直営店数が50店を超え、社員もどんどん増えてきました。

バランス感覚というのはそういう、会社の規模がある程度大きくなってきた時に、とても重要な力です。ではバランス感覚とは何かと聞かれると、ちょっと言い換えるのが難しいのですが」

中川政七

「組織の規模が大きくなるほど、全ての分野に対して自身がスペシャリストとして精通しているという状況は難しくなる。そういう時に求められる力です」

ピークでの交代

それでは、なぜこのタイミングだったのでしょうか。300周年を迎え、ビジネス界で権威ある賞も連続して受賞。まさに経営者として「脂が乗った」このタイミングで。

「人間も年を重ねれば体力的、精神的限界が出てきます。だからピークの時に交代しなきゃいけないと思っていました。経営者としてベストの状態で引き継げるように。

と言っても個人の能力的には、まだ伸ばしていけるかなと思っているけれど (笑) 」

今回の社長交代宣言。

実は13代がこれから全力をあげて取り組むと語る「もう一つの宣言」と、対になっていました。

話は、13代が社員全員にトップ交代を告げる数分前、「これからの10年をどうするのか」と切り出したところに遡ります。

『産業観光』と『産業革命』

「これからの10年をどうするのか。『産業観光』と『産業革命』が、今後の工芸業界のキーになってくると思います」

「産業観光」とは、人がものづくりの現場を旅して、産地の食や文化丸ごと工芸の魅力に触れる新しい観光のかたち。

福井県鯖江市の工場見学イベントRENEWの様子
福井県鯖江市の工場見学イベントRENEWの様子
土地の器(隆太窯)でいただく料理
土地の器でいただく料理

「産業革命」とは、分業制が常だったものづくりの工程を産地全体で統合し、最新の技術も取り入れながら製造の革新を図っていこうというもの。

従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」
従来の木型でなく、3Dプリンターで型をつくった新郷土玩具「鹿コロコロ」

どちらも300周年の節目から、13代が掲げてきたスローガンです。

「新しい伝え方と作り方。その両方がないと、日本の工芸は生き残っていけないんじゃないかと思います。

中川政七商店がこの一大ムーブメントを起こしていくべき場所はまず、本拠地である奈良です」

奈良の鹿

世界に響き渡る、奈良ブランディングのために

「全国の工芸メーカーに対して経営コンサルができてきたのも、自社が立ち直って、それをモデルケースにできたから。それと同じです。

何をするにもまず自分でやってみる。

それを誰よりもうまくやる。

それを見て、他の人たちがそれに続くんです」

実は2年前の「中川政七」襲名披露の壇上で、13代は「今後10年、地元・奈良に力を注いでいくこと」を宣言していました。

「言ったからには、想像を超えていく奈良ブランティングをやる。

20年前は誰も知らなかったポートランドが、今や世界的に有名な都市になったように、世界にその名が響き渡るほどの圧倒的な奈良を見せなければいけないと思っています」

ここから、話はいよいよもう一つの本題へと向かっていきました。

いい会社とは何か?

「わざわざ人が来たくなるには、土地にいいコンテンツが必要です。

いいコンテンツを作るには、行政ではできないことを成し遂げていく、いい会社がたくさん必要です」

ではいい会社とは何か?

「いい会社は、100年もつ会社です。100年もつために何が必要か。それはいいビジョンといい企業文化だと思います」

ビジョンとは向かうべき遠くの目標、そこに向けてどうやって歩んでくのかが、企業文化だろうと13代は語ります。

「その視点で見ると、中川政七商店には自分たちが熱くなれる、人に喜んでもらえるいいビジョンが確かにある。では企業文化はどうか?

言い切るのは難しいところですが、礎は作ってこれたのかなと。

一つには変化に適応する力。

もう一つには適応するために学び続ける姿勢。

ただ、まだまだ足りないと思うところもあります」

「日本の工芸を元気にする!」というビジョン達成のためにあるべき、企業の姿、社員の姿。

描く理想はあり、社内に発破はかけながらも、商品開発やブランド収支など現場の運営から離れていたここ数年は、手詰まりを感じていたといいます。

「どうするか。変えるしかないよね。

一番嫌なのは、うまくいかないことを愚痴っぽく言っているだけの状態です。

うまくいかないことは変える。

で、新社長はこの人にやってもらおうと思います。交代です」

軽やかに新社長の名前を13代が読み上げ始めると、おおおっという声が会場全体を包みました。

名前を呼ばれたのは、7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきた、ひとりの女性。

次回、マイクを手渡されたその人に、話の続きを伺います。

後編はこちら:「トップダウンから最強のチームワークへ。中川政七商店302年目の挑戦」

文:尾島可奈子

泡盛マイスターに聞く、美味しい飲み方のススメ

沖縄の代表的なお酒「泡盛」。空港やお土産屋さんにもたくさんのボトルが並んでいます。

泡盛といえば、独特の香りがあり、個性の強いお酒というイメージを持っていました。しかし、「泡盛は知れば飲みやすいお酒」と地元の方に聞き、俄然興味が湧きました。

さらには、飲まずに寝かせておくと、デザートのように甘くまろやかな古酒 (クース) に変化し、違った味わいが楽しめるのだそう。とりわけ、沖縄の焼物である「やちむん」に入れておくと、美味しくなるのだとか。

やちむんの甕に入った泡盛
沖縄のやちむん「荒焼 (あらやち) 」の甕に入った古酒

もしや、泡盛とやちむんを買って帰ったら、最高の沖縄土産が作れるのでは?‥‥と思いつきまして、さっそく詳しい方にお話を伺ってみることに。

訪ねたのは、沖縄県那覇市で人気の「古酒BAR&琉球DINING カラカラとちぶぐゎー」店主で、泡盛マイスターの長嶺哲成(ながみね てつなり)さん。古酒づくりのお話に加え、泡盛を美味しく飲む方法も教えてくださいました。

店主の長嶺さん
泡盛にまつわる古文書や科学的データに基づく知識も豊富な長嶺さん。沖縄県酒造組合からの信頼も篤い、泡盛界の有名人です
店名の「カラカラ」は、泡盛を入れる酒器、「ちぶぐゎ~」は古酒を飲むための小さなおちょこのこと
店名の「カラカラ」は泡盛を入れる酒器、「ちぶぐゎ~」は古酒を飲むための小さなおちょこのこと

本当は飲みやすい?美味しい飲み方のススメ

「泡盛はきつい香りがする、アルコールが強い、といって苦手に思われる方もいらっしゃいますが、適切な方法で飲むと、きっとその美味しさに気づかれると思います。

かつての泡盛は、古酒にするためのアルコール40度以上のものばかりでした。現代では、アルコール度数30度ほどで、さらりとした口当たりのものが一般的で、水割りにして飲むのがおすすめです。水で半分に薄めることで15度前後、つまり日本酒やワインと同じくらいのアルコール度数にすると食事とよく合うんです」

水で割ると、食事との相性も良くなります。冷やしすぎると香りと甘みが消えてしまうので、氷の量で調整を。冬はお湯割も美味しい。
水で割ると、食事との相性も良くなります。冷やしすぎると香りと甘みが消えてしまうので、氷の量で調整を。冬はお湯割も美味しい

たしかに沖縄のお店では、多くの方が水割りの泡盛を楽しんでいました。お酒が得意ではない私も「あ、これは飲める!さっぱりしていて美味しい!」と、料理とともに味わえました。古酒への気持ちもさらに高まります。

「古酒は本来、ウイスキーと同じく香りを楽しみながら舐めるように味わうものなんです。料理と合わせるよりも、チョコレートや黒糖、洋梨、マンゴスチンといったまったりとした甘みのあるフルーツがよく合いますよ」

水で薄めずにストレートで、おちょこなどに少量注ぎます
古酒は、水で薄めずにストレートで。おちょこなどに少量注ぎ、ほんの少しずつ時間をかけて味わい、鼻に抜ける香りを楽しみます。飲んでいて、うっとりするような、そんなお酒です

「荒焼の甕」が美味しさを育てる

「40度以上の泡盛は、置いておくだけで成分が変化し、古酒化が進みます。どんな容器でも変化しますが、釉薬を塗らずにじっくりと焼き締めた荒焼 (あらやち) の甕が特に向いています。

甕に含まれるミネラル分が、高級脂肪酸とアルコールの化学変化による古酒化を促します。また、甕の中の空気量が十分なので、適度に酸化も進んで味が変化するとも言われています。沖縄工業技術センターの調べでは、ステンレス容器やガラス瓶に比べて、甕は古酒化が1.5倍早まったというデータもあるんですよ。

なるべく大きな甕で育てたいところですが、家庭で作るのなら始めやすいサイズのもので問題ありません。部屋の広さやご家族の声も聞いてちょうど良いものを選びましょう。沖縄県酒造組合の基準では、3年以上寝かせたものを古酒と呼びます」

目利きが実践、良い甕は「音」と「色」で選ぶ

「よく焼き締められた甕は、指で叩くとカンカン、キンキンと高い音がします。見た目では、レンガのような色のものより、全体が黒く焼きが入っているものを選ぶと良いです。液漏れが心配なので、表面に凹凸がなく、傷が入っていないものを選びましょう」

同店では、県内全48酒造所の主要銘柄をそろえており、その数100種類以上。飲みやすい新酒から希少性の高い古酒、マニアックな銘柄まで網羅しており、毎晩お酒好きで賑わいます
同店では、県内全48酒造所の主要銘柄をそろえており、その数100種類以上。飲みやすい新酒から希少性の高い古酒、マニアックな銘柄まで網羅しており、毎晩お酒好きで賑わいます

「とはいえ、液漏れに関しては、50年以上古酒づくりをしている名人に聞いても、どんな甕でもお酒を入れてみないと実際にはわからないそうです。

酒造所で販売しているものは、まず水を入れて液漏れをチェックしています。それでも水よりアルコールの方が漏れやすいので、実際に使うと漏れることも。中には、液漏れの1年保証がついたものなどもありますよ。

長い年月をかけて育てるものなので、好きな作家さんの窯元を訪ねて買うというこだわりを持つ方もいらっしゃいます」

定期的に中身をチェック、変化の過程も愛おしい

「古酒でも、特有の甘い香りが出始めるのは10年目くらいになってから。それまでも、1年に1回ほど定期的に中身を確認します。液漏れてしていないか、味見をして甕から土の匂いが移っていないか、などをチェックします。

5年目くらいからは、『仕次ぎ (しつぎ) 』という継ぎ足しも始めます。全体の10%ほどの量のお酒を新しいものに入れ替えるのです。

寝かせていると、泡盛の中にある変化する成分が徐々に使い切られていきます。また、長い年月のなかでアルコール度数が下がることもあるので、それらを新しいお酒で補うのです。この時、優しく混ぜて空気に触れさせることで反応を促す効果もあると言われます。やり過ぎてもいけないので、愛情を込めて丁寧に扱うことが大事です」

甕と蓋の間、蓋の上にセルファンを使って、揮発を防ぐという技もあります
甕と蓋の間、蓋の上にセルファンを使って、揮発を防ぐという技もあります

家宝であり、もてなしに使われた古酒

「一説には泡盛の歴史は約600年と言われますが、琉球王朝時代からお酒は酒造所が作り、そのお酒を育てるのは家庭でした。

現在の価格を見ても、販売されている古酒は50年ものが四合瓶で50万円ほど。なかなか手が出ませんよね。

泡盛は購入して育て始めたところから酒造所の酒ではなくなる、各家庭で異なる味わいになっていく面白みがあります。育てれば育てるほど、その家の味になるのです。

戦前のことが書かれた『泡盛醸造視察記 (昭和元年 大崎 正雄) 』を読むと、泡盛は200年を最高とし、100年、50年のものは稀にあらず、とあります。家庭で100年を超えるお酒を作っていたんです。古酒は、代々受け継いで、子孫に残すものでしたから」

「名家では100年以上のものを家宝として育て、大切なお客さんに振る舞っていたそうです。客人は、主人が出してくれた古酒をありがたくいただく。自分が賓客として良いものを出してもらえるようになったことを喜び、さらに自分を戒めて謙虚にお酒をいただくというのがマナーでした。もちろんお代わりなんてご法度です。

沖縄では『人間関係を大切にしなさい。人として人格を磨きなさい。そうすれば良いお酒に巡り会えますよ』と言われるんですよ (笑) 」

短い時間で泡盛を美味しくする方法

古酒づくりは長い年月をかけて行うものでしたが、最後に長嶺さんから短時間で泡盛の味をまろやかに美味しくする方法を教えていただきました。

30度ほどのアルコール度数の低い泡盛を水割りにして、荒焼の器に入れて冷蔵庫に入れておきます。期間は、1週間ほどがおすすめ。まろやかになり、さらに甘さを感じるそう。その理由は「クラスター化」。

ピリピリと舌を刺激するアルコールの分子を水の分子が包み込む現象によって、お酒の口当たりが変わってくるといいます。

荒焼の器
荒焼の器にいれて冷蔵庫へ

戦前に作られていた古酒や、その資料はすべて消失してしまったと言われています。現代の古酒づくりが始まったのは、1950年頃から。まだまだ数十年ものの段階です。

継承されていない技術もあり、科学的な検証もしながら試行錯誤を続けて新しい古酒が作られています。

「今から育っていく、これからの時代の古酒がとても楽しみなんです」

そう語る長嶺さんの目は、未来 (とグラス) に向けられていました。

<取材協力>
古酒BAR&琉球DINING カラカラ と ちぶぐゎー
沖縄県那覇市久茂地3丁目15-15 やまこ第2ビル1F
098-861-1194
営業時間:18:00~24:00 (L.O.23:00)
定休日:日曜日
http://b-kara.com/

文:小俣荘子
写真:武安弘毅

沖縄の旬のうつわに出会える楽園「GARB DOMINGO」

産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられる、「さんち必訪の店」。

“必訪 (ひっぽう)” はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

沖縄、GARB DOMINGOへ

今日訪ねたのは、沖縄の台所・牧志第一公設市場のほど近く、壺屋街にあるGARB DOMINGO(ガーブ・ドミンゴ) 。

陶器、漆器、紅型、織物やガラスなど、沖縄の旬の作家ものが並ぶセレクトショップです。

GARB DOMINGO

選ぶのは、作家の人となりが見える作品

壺屋街には沖縄の伝統的な焼き物「やちむん」の店が軒を連ねていますが、GARB DOMINGOには、伝統にとらわれない作家さんの作品が置かれています。

GARB DOMINGO
GARB DOMINGO
GARB DOMINGO

「伝統には過去から現在への流れがありますが、僕が出会う沖縄の作家にはそういう長れを持たない、自分ひとりのものを作ってる人が多いですね」と語るのは、オーナーの藤田俊次さん。

もともと東京で建築の仕事をしていましたが、将来子どもを育てる環境を考えて奥さんの実家がある沖縄に移住。2009年、ご夫婦でGARB DOMINGOを開きました。

オーナーの藤田さん

現在20数名の作家さんの作品を扱っています。

「ちょっと自分の好みと違うなと思っても、個人が『見える』作品だったら、選んでみるようにしています」

個人が見える?

「なんとなく、その作家の人となりが作品から見えるような人を選んでいるのかもしれないですね。今は形が出来上がっていなくても、自分が作りたいなと思ったものがゆっくりと、10年20年後に出来上がるかもしれないなって感じさせる人」

沖縄を感じられるうつわ

作品から沖縄を感じられることも大切にしているそうです。

「修業した先が沖縄だったり、沖縄が好きでしょっちゅう来てる人だったり。沖縄に住んでいなくても、作品から沖縄のエッセンスが感じ取れればいいなと思っています」

藤田さんに、取り扱っている代表的な作家さんを紹介していただきました。

ミスマッチを楽しむ「木漆工とけし」のうつわ

木漆工とけし

こちらは木工職人の渡慶次弘幸(とけしひろゆき)さんと奥さんで塗師の渡慶次愛(とけしあい)さんの工房「木漆工とけし」のうつわ。

共に沖縄出身で、輪島で漆を学び、現在は名護市で作品を作っています。

一瞬金属を思わせるうつわは、持ってみると、とても軽い。

木漆工とけし

「沖縄県の木、デイゴを使ってます。沖縄の木は、木自体が軽いものが多くて、本当にスカスカしてもろいんですけど、漆を塗ると硬度が出る。それが質感でも表現されていて、重たそうで軽い、そのミスマッチ感が面白い作品です。

沖縄の木じゃないと出ない軽さですね」

歪んでいるのに、美しい。藤本健さんのうつわ

藤本健さんのうつわ

木工作家・藤本健さんのうつわもアカギやホルトノキ、ガジュマルなど、沖縄の木が使われています。

穴が空いていたり、欠けていたり、歪んでいるのに、なんとも美しいうつわです。

アカギを使ったうつわ。アカギは名前の通り切ると赤く、日に当たるうちにタンニンが出て茶色っぽくなってくる。時間ともに色が変化していく

作家の藤本さんは地元で倒され処分される運命だった木を引き取り、うつわに蘇らせているそうです。

「割れとかひびを、その木が持っている個性として出しているのが面白いですね。穴が空いているなら水物を入れなければいい、とうつわに言われているようで、確かにそうだな、とこちらもすんなり受け入れられる。

素材の形と作家の作りたい形がうまくマッチしているように思います」

うつわにとって居心地のいい場所づくり

GARB DOMINGOのディスプレイは、1日のうちに何度も変わります。

「直射日光は入らないんですけど、日の入り具合で店の雰囲気が変わるんです。それで、“今はここに置いたらよさそうだな”って所にうつわを置いています」

GARB DOMINGO

配置換えをすると、不思議とお客さんが何度も手に取ったり、変えた直後に買われて行くこともあるそうです。

瞬間、瞬間で、うつわにとって居心地のいい場所を感覚で捉えていく藤田さん。

訪れるお客さんに対しても、大切にしていることがあります。

「僕はあんまり置いているものの説明をしないんです。持って帰る方の、それぞれの家庭があるので。お客さんが“何を盛ろうかな”とか家で使うイメージをしてる時に話しかけちゃうと集中できないと思うので」

GARB DOMINGO

ゆったりとくつろいだ気分で作品を見ることができるGARB DOMINGO。

お店の前の並木越しにゆらゆらと光の入る2階
お店の前の並木越しにゆらゆらと光の入る2階

ここに住みたいというお客さんもいたそうですが、なんだか納得できます。お店の外から聞こえる話し声まで心地よく感じます。

「そうなんですよね。ここを決めた時、朝方だったかな。道を箒で掃く音が聞こえたんですよ、シャッシャッって。その音と混ざってバイクが市場に向かう音が聞こえてきて、それが妙に『旅感』があった。

何でだろうと思って2階から外を見たら、前の通りが一方通行だったんですね。一方に音が抜けていくところに時間の流れを感じて、“あ、ここだな”と直感的に決めました」

お店づくりは、街づくりの視点で

並ぶうつわもお店の場所も、お話を伺っていると藤田さんは感性で選んでいるように思えます。

しかし、お店をこの場所に決めたのには建築をやってきた藤田さんらしい、大きな「戦略」がありました。

「もともとお店は、中心地からちょっと外れた、観光客と地元の人が行き交うようなところに作りたいなと思っていました。

重視したのが、自分たちのお店のまわりに次の店舗が入れる余地があるかどうか、です。シャッターが全部開いているのではなく、空き店舗も所々あるような」

お店の前の通り

旅先でも出来上がっている場所ではなく、これから発展していきそうな所の方が面白いものが見られると藤田さんは言います。

余地を残すことで、どんな「面白い」ことを目指しているのでしょうか?

楽園へ

店名の「DOMINGO」は、スペイン語で「日曜日」という意味だそうです。では、GARBは?

「実は、この近くの市場の下を流れてる川の名前が“ガーブ川”なんです。あまりきれいな川でなく、子どもたちが通る時は鼻をつまんで走ったりしていました。

ガーブは沖縄の言葉で“湿地”という意味もあるらしいと知って、以前、旅先で見た風景と結びついたんです。のどかな日曜日、湿地帯にフラミンゴが居る。

ガーブ川にそんな楽園的なイメージが付いたらいいなと思いました。人がのんびりやって来て、顔見知りの何軒かのお店に顔を出して休日を楽しむような」

架空のオーナーGARBおじさん
架空のオーナーGARBおじさん

お店が市場に近いというのも考えてのこと。

「市場は生活の下支えになっているものなので、うつわともリンクしやすいかなと。生活に近いところで、うつわから影響を与えるといいなと思って」

影響というと?

「伝統的な沖縄の食文化はどんどん廃れているんです。昔はお盆になると手作りしていたご馳走も、今はスーパーで買うようになって。

プラスチックケースに入ったオードブルではやっぱり味気ないんですよね。それを、自分で気に入って選んだうつわに盛るようにしたら、食卓から文化が息づいてくるんじゃないかと思うんです」

実際、お盆の時期に「今日は親戚が来るから」と、市場の買い物帰りにうつわを買いに寄ってくれる地元のお客さんもいるそうです。

「うれしいですね」

GARB DOMINGO

藤田さんの人となりを表しているかのようなGARB DOMINGO。

作品の中に「人」を見つけるように、藤田さんはその街が本来持っている魅力や心地よさを感覚的に見つけて、このお店から発信しているのかもしれません。

みなさんも沖縄の旬のうつわと藤田さんの生み出す心地よい空間に触れ合いに、楽園に出かけてみては。

<取材協力>
GARB DOMINGO
沖縄県那覇市壺屋1-6-3
098-988-0244
http://www.garbdomingo.com/

文 : 坂田未希子
写真 : 武安弘毅