なぜ鎌倉の鶴岡八幡宮には鳩が多いのか。シンボルになった鳩の秘密

紫陽花のシーズンを迎えた鎌倉。週末に足を運ばれる方も多いのではないでしょうか。今日は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝のゆかりが深く、鎌倉を代表する人気の観光名所、鶴岡八幡宮のお話です。

鶴岡八幡宮は、日本で最も多いとされる八幡神社の中でも特に代表的な八幡宮です。

一体、どのように建てられ、どんな歴史を歩んできたのでしょうか。そして、なぜ鳩が神社の象徴となっているのか‥‥?本宮までの見所と共に調べてきました!

 

いざ、鶴岡八幡宮へ

鶴岡八幡宮は1063年 (康平6年) に源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水(いわしみず)八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりだそうです。

その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、1180年 (治承4年) 鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、1191年(建久2年)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。 (鶴岡八幡宮公式由緒より)

歴史的にも地理的にも鎌倉の中心である鶴岡八幡宮。1年を通じて多くの参拝者がありますが、特にお正月には約250万人もの人が訪れるとか!ご利益は、開運、家内安全、必勝祈願 、仕事運向上など。さらに、おしどり夫婦として知られる源頼朝公と妻・政子にちなみ、縁結びの信仰も集めています。

いざ、鶴岡八幡宮の本宮へ参拝です!

JR鎌倉駅に到着したら東口へ。3分ほど歩くと、赤い大きな鳥居が目の前に現れます。これが、鶴岡八幡宮の二ノ鳥居です。

街中に突如現れる二ノ鳥居。狛犬も立派です
街中に突如現れる二ノ鳥居。狛犬も立派です

てっきりこの鳥居が鶴岡八幡宮へのいちばん最初の入口かと思ったのですが、二ノ鳥居‥‥というからには、一ノ鳥居があります。

一ノ鳥居は、鎌倉駅から由比ヶ浜に向かって7~8分ほど歩いたところ。鳥居は本宮まで3つあり、若宮大路と呼ばれるまっすぐな1本の参道でつながっています。

若宮大路は由比ヶ浜から本宮まで鎌倉の中心をほぼ南北に貫いており、1182年(養和2年)に源頼朝公が妻・政子の安産祈願のために造営させたと伝えられています。鶴岡八幡宮の社前の道をまっすぐにして、由比ヶ浜まで通じさせたとか。

政子への愛の力でしょうか‥‥!京の朱雀大路を模して、源頼朝公が自ら加わって築いたそうです。

 

鳥居にも歴史あり

3つの鳥居は、1180年 (治承4年) に源頼朝によって鶴岡八幡宮が現在地に遷されたときに建てられたものだそうですが、地震や火災により、何度も再建されてきました。一ノ鳥居は、由比ヶ浜のそばにあることから「浜の大鳥居」とも呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。

現在の一ノ鳥居は、木製だったものを江戸幕府第4代将軍、徳川家綱が1668年 (寛文8年) に石製の鳥居に建て替えさせたことに始まります。もともとは、徳川2代将軍秀忠夫人の崇源院(すうげんいん・大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」でおなじみですね)の願いだったそうです。

言い伝えによると、崇源院は、3代将軍家光を懐妊した折、鶴岡八幡宮に安産祈願をを行います。無事出産できた崇源院は、自分の代わりに家光の乳母である春日局を度々参拝させるなど、鶴岡八幡宮への信仰をさらにあつくしました。

そんなある日、崇源院の夢の中に八幡大神が現れ、「備前屋犬島(岡山県)の石を使用して、木製の鳥居を石製に造り替えるように」と告げます。

崇源院はこのお告げを実行するよう、息子の家光に懇願。大工事のうえ、遠方から石を運ばなければならなかったことから、崇源院は鳥居の完成を見ずに亡くなりましたが、孫の家綱の時代にそのお告げが実現されたということです。

1923年 (大正12年) の関東大震災で3つの鳥居は倒壊してしまいますが、1937年 (昭和12年)に再建されます。一ノ鳥居だけが元の姿に復興され、二ノ鳥居と三ノ鳥居はコンクリート製の赤い鳥居として再建されたそうです。

一ノ鳥居にはやはり備前犬島産の花崗岩が使われています。家綱が創設した時代から約270年の時を経ても、崇源院の夢のお告げ通りに備前の石を使用しているあたりが鶴岡八幡宮への信仰の深さを感じられますね。

二ノ鳥居から本宮へ

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二ノ鳥居の入口から、車道から1段高くなった通りが続きます。参道・若宮大路の段葛(だんかずら)と呼ばれる通りです。

段葛という名は、葛石(かずらいし・社寺の建物の壇の先端にある縁とりの石)を積み上げて造られたことから、そう呼ばれるようになったのだそうです。

現在の段葛は2016年3月に修復されました。日本の桜名所100としても知られる段葛。春にも足を運びたいですね。道路の真ん中にあるとは思えない、とても気持ちのいい参道です。

そして、この段葛は知らずに歩くともったいない、秘密があるそうなんです!三ノ鳥居 (三ノ鳥居付近の道幅は2.7メートル) から由比ヶ浜に向かって立つと、同じ幅が続いているように見えます(普通、道は遠近法によって狭まって見えるはず)。これは、将軍が八幡宮の前に立ったときに、道が狭まって見えないようにするためだと言われています。

三ノ鳥居付近からの眺め。見事にまっすぐです
三ノ鳥居付近からの眺め。見事にまっすぐです

二ノ鳥居(二ノ鳥居付近の道幅は4.5メートル)から八幡宮に向かって立つと、道がグッと狭まって見えます。人間の目の錯覚を利用して、敵が攻めてきたときに参道を実際よりも長く見せ、より遠く感じるようにするためだと言われています。

鎌倉に来たら、じっくり見比べてみてください
鎌倉に来たら、じっくり見比べてみてください

段葛の両脇は、高さが違っており、八幡宮に向かって左側(西)が少し高くなっています。敵は西から攻めてくる(朝廷を中心とした旧勢力は西である京が中心だった)からこのような設計になったとか‥‥?!源頼朝公こだわりの道なんですね。

いよいよ本宮へ

三ノ鳥居。元々は石製の鳥居でした
三ノ鳥居。元々は石製の鳥居でした

三ノ鳥居を通って、本宮を目指します。街中から一気に景観が変わります。平日にもかかわらず、なかなかの賑わいです。海外観光客や、修学旅行生の姿も多く見かけます。

こんもりとした木々の奥に本宮が見えます
こんもりとした木々の奥に本宮が見えます

緑豊かな鶴岡八幡宮ですが、4月下旬は、ぼたんが見頃でした。三ノ鳥居を入ってすぐ右の源氏池畔には神苑ぼたん庭園があります。

神苑ぼたん庭園への入口
神苑ぼたん庭園への入口
色とりどりのぼたんが満開でした
色とりどりのぼたんが満開でした
源氏池。見頃には紅白の蓮が咲くそうです
源氏池。見頃には紅白の蓮が咲くそうです

右手に源氏池、左手に平家池を見ながらまっすぐ進むと、心身を清める手水舎 (てみずや) があります。手水でお清めするのを忘れずに。

本宮と同じく美しい朱塗りの手水舎
本宮と同じく美しい朱塗りの手水舎

源義経の側室である静御前が義経を慕い、舞を舞ったといわれる場所に建てられたという舞殿。下拝殿とも呼ばれ、神事や結婚式等を行うそうです。

厳かな雰囲気の舞殿
厳かな雰囲気の舞殿

いよいよ鶴岡八幡宮の中心である本宮のお目見えです!61段の石段を上がります。

あともう少しです
あともう少しです

遠くからでも存在感は伝わっていましたが、側で見ると圧巻の迫力です。思わず足を止めて見惚れてしまいます。朱塗りの本宮と周囲の緑とのコントラストも美しいです。

本宮は国の重要文化財に指定されています
本宮は国の重要文化財に指定されています
細部まで美しい本宮の造り
細部まで美しい本宮の造り

本宮の回廊にある宝物殿では貴重な八幡宮の神宝類 (神輿、武具、工芸品、考古資料等) が陳列されています。毎年お正月には特別展を開催しているそうです。 (拝観料:大人200円、小人100円)

本宮から見た由比ヶ浜方面。舞殿の奥に三ノ鳥居が見えます。目を凝らせば二ノ鳥居も見えるかも?
本宮から見た由比ヶ浜方面。舞殿の奥に三ノ鳥居が見えます。目を凝らせば二ノ鳥居も見えるかも?

本宮の中心に掲げられた「八幡宮」の文字。額の八の字は向かい合った鳩を具象化したものです。

当初は「八幡宮寺」でしたが、明治初年の神仏分離令で寺の字が取られたそうです
当初は「八幡宮寺」でしたが、明治初年の神仏分離令で寺の字が取られたそうです

鳩は神社に多くいるイメージがありますが、特によく見かけるような‥‥。それもそのはず?!

八幡宮は鎌倉をはじめ、大分の「宇佐神宮」や京都府の「石清水八幡宮」など日本に数カ所点在していますが、これらの八幡宮を移動させる際に、鳩が道案内をしたという歴史があるそうなんです。

その後、“八幡さまのお使い”として由比ヶ浜から今の場所に遷した際にも、鳩が道案内をしてくれたのかもしれません。

また、鎌倉幕府時代の武将は、戦での勝運を呼ぶ鳥として鳩の絵柄を家紋に使い、八幡信仰が栄えて全国に広まったとも言われているそう。「源平盛衰記」や「太平記」、「梅松論」などの軍記物には、鳩が出陣に際して勝利の鳥としても数多く記されています。

たくさんの鳩たち。道案内してくれたのかい?
たくさんの鳩たち。道案内してくれたのかい?

そんな象徴とは別の側面に、群れを成す性質から「平和の象徴」としても有名です。私たちの一般的な鳩のイメージとしてはこちらが強いような気がします。特に旧約聖書のノアの箱舟の伝説(オリーブの葉をくわえた鳩)や、西洋の結婚式でも、白い鳩が登場しますよね。

また、鳩という漢字には「安んずる(やすんずる)」という意味があるそうです。昔から東洋・西洋問わず身近な鳥として人々から親しまれていることがわかります。

全国の神社に何気なくいる鳩たちですが、実は八幡さまをはじめとする八百万 (やおよろず) の神様のお使いとして暮らしているのかもしれません。

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鶴岡八幡宮の歴史とみどころ、いかがでしたでしょうか。まだまだここには書ききれない鶴岡八幡宮のみどころはたくさんあり、毎月の祭祀も見逃せません。

ぜひ、足を運んでみてください。食や観光も素晴らしい鎌倉ですが、歴史を含めた視点で訪れてみると、また違った魅力が発見できると思います。

鶴岡八幡宮
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL 0467-22-0315 FAX 0467-22-4667

<アクセス>
「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分
「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分
「横浜横須賀道路・朝比奈I.C.」から5km

 


文・写真:山口綾子


この記事は2017年5月公開の記事を再編集してお送りいたしました。

愛らしさに思わず見とれる「首振り仙台張子」のひつじを求めて

こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載8回目は未年にちなんで「首振り仙台張子の羊」を求め、宮城県仙台市のたかはしはしめ工房を訪ねました。

ワイズベッカーさんのエッセイはこちら

伝統的な仙台張子と十二支の首振り張子

伊達政宗の築いた青葉城のお膝元として栄えた杜の都、仙台。

今回のルーツとなる「仙台張子」は、天保年間(1830~1844年)、伊達藩士の松川豊之進が創始したと伝えられています。庶民の心の拠り所になるようにという願いを込め、下級武士の手内職で作られていましたが、明治以後一部を除いて廃絶。しかし、1921年に復活され、1985年には宮城県の伝統的工芸品にも指定され、現在に至ります。

仙台張子の中でも代表的なのが「松川だるま」。眉は本毛、目にはガラス玉、腹部には福の神や宝船などを描いた豪華な仕立ての青いだるまで、昔から正月の縁起物として人気がありました。

そんな伝統的な仙台張子の作り方を学び、小さな十二支の首振り張子を創作して作り継いでいるのが、今回訪れる「たかはしはしめ工房」。

手のひらに収まるサイズにも関わらず、愛くるしく首を振る張子が、仙台の新しいお土産や贈り物として今や県内外から親しまれる郷土玩具となっています。

たかはしはしめ工房作・十二支の首振り張子
たかはしはしめ工房作・十二支の首振り張子

こけし作家が創り出した十二支の張子人形

先代のたかはしはしめ氏は、戦前に東京で手描友禅の染色を経て、地元の宮城県白石市に戻りこけしの描彩をした後、1953(昭和28)年に「たかはしはしめ工房」を設立。

手作りの創作こけし作家として活躍する傍ら、同業者に仕事を依頼されることも多かったそうで、その経験を活かし、1960(昭和35)年に新しいお土産品を発表します。それが、松川だるまの彩色と堤人形の型抜きのノウハウを融合させて作った、オリジナルの俵牛(現在の干支の丑)の張子でした。

「先代は主婦の仕事をつくるためにと、多い時で10人の内職を雇っていました。そして、1980(昭和55)年にはお客さんからの要望と内職の仕事をきらさないようにという理由で、干支作りも始めたのです。一周目は干支をつくれない年もありましたが、二周目で十二支すべてが揃いました。」

派手な彩色や装飾が多い従来の仙台張子とは異なり、和紙をちぎり絵のように貼っただけの素朴な質感と首のゆれ方がなんとも愛らしい首振り張子は、こうして誕生したました。そして、現在は息子さんで2代目の敏倫さん夫婦が引き継がれています。

たかはしはしめ工房2代目の髙橋敏倫さんと奥さん
たかはしはしめ工房2代目の髙橋敏倫さんと奥さん

首振り張子ができるまで

1)バリ取り
再生紙を整形してつくった原型をグラインダーにかけ、継ぎ目のバリを取り除きます。集塵機は敏倫さん自ら掃除機を改造してつくったお手製なのだそう。

たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
削り取ったバリは掃除機を改造した集塵機で吸い取られます

2)上張り
頭と胴体、それぞれに小さくちぎった和紙を張り付け、乾燥させます。乾燥したら頭に角をつけます。角は針金と紙紐、和紙は粕紙を使用。色付きの和紙は良さを活かすために、一枚一枚染め、色止めをし、ちぎり絵のように丁寧に貼ります。

たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
小さくちぎられた粕紙
たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
粕紙をちぎり絵のように糊付けしていきます
たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
糊が乾くまで乾燥
たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
針金に紙紐を巻いて角をつくります
たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
糊が乾燥したら頭に角をつけます

3)おもり
ひつじの大きさに合わせて、土粘土でおもりを作ります。

4)組み立て
頭に糸を通し、おもりを付けバランスをとります。おもりを付けた部分が見えなくなるように紙で包み込み、頭がきれいに振れる様に頭と胴体を取り付けます。特に、辰・巳・酉は首の振り子調整が難しいのだそう。

たかはしはしめ工房、仙台張子の製作風景
頭と胴体を取り付け、頭がきれいに揺れるかをチェック

5)絵付け
目を描いたら、完成です。

たかはしはしめ工房、仙台張子の羊、完成形
完成した首振り張子の羊

紙貼りを一部内職に頼んでいる以外は、染め・彩色を敏倫さんが担当、その他を夫婦2人で分担しています。

伝統的な仙台張子の作り方と比べると、原型作りが効率的な方法に変わったりもしていますが、逆に和紙の染色や上張り、首振りの調整には手間を惜しまず、ひとつひとつを大事に作り上げられています。年間生産量は十二支全部で約1万個。

「お客さんから修理依頼があれば対応できるようにと、古い和紙の端紙もとっておいてあります。」というのを聞いた時は、その心配りに敬服でした。

仙台・たかはしはしめ工房で以前原型製作に使われていた木型と石膏型
以前原型製作に使われていた木型と石膏型

そんな首振り仙台張子は、頭をちょこんと押すと、ゆらりゆらりと愛らしく頭を動かします。
ちょっとしたプチギフトや新年の縁起物などに、ぜひ。

さて、次回はどんな玩具に出会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第8回は宮城・首振り仙台張子の羊の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第9回「熊本・木の葉猿」に続く。

<取材協力>
たかはしはしめ工房
仙台市青葉区中江2-8-5
電話 022-222-8606

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」5月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

なぜ、ご当地マンホールは生まれた?発祥の地・沖縄の工場で聞いた、匠の技術

旅先で町歩きをしていると、ご当地デザインが施されたマンホールの蓋に出会うことがあります。地域の草花やお城、特産品などが描かれているものを見つけると、つい立ち止まって眺めてしまうことも。

各地のデザインマンホールの鑑賞や関連品の収集が趣味の方もいらっしゃいますね。

各地でデザインは様々。こちらは沖縄県那覇市のもの。鮮やかな色が目を引きます
各地でデザインは様々。こちらは沖縄県那覇市のもの。鮮やかな色が目を引きます

このデザインマンホール、日本ではじめて作られたのは沖縄県那覇市なのだそう。沖縄では、多種多様なものを目にします。

波をモチーフとしたデザイン
波をモチーフとしたデザイン
沖縄といえば、シーサー!「うふ」は沖縄の言葉で「大きい」という意味なのだそう
沖縄といえば、シーサー!「うふ」は沖縄の言葉で「大きい」という意味なのだそう

今では各地で見られるようになり、旅の楽しみの1つともなっている種類豊富なデザインマンホールは、どのようにして生まれたのでしょうか?

デザインマンホールを国内で初めて製品化した「沖縄鋳鉄工業」を訪ねました。

沖縄鋳鉄工業株式会社
沖縄鋳鉄工業株式会社
エントランスには、鮮やかなデザインマンホールが展示されていました
エントランスには、鮮やかなデザインマンホールが展示されていました
社長の眞志喜 実 (ましき みのる) さん
社長の眞志喜 実 (ましき みのる) さん

「1972年の本土復帰を境に、沖縄にはあらゆる県外製品が流入してきました。沖縄の地元企業は、その波に立ち向かわねばなりませんでした。沖縄企業としての生き残りを賭けて市役所と相談しながら対策を考えました」

下水道への関心を高めた魚のデザイン

当時、那覇市にも悩みがありました。環境美化のため、下水道の普及を進めたかった同市。しかし、市民にとって下水道は「汚いもの」というマイナスイメージがあるのみで、環境への意識に繋がるものではありませんでした。そこで考えられたのがデザインマンホール。

「下水道は縁の下の力持ち。工事が終われば目に触れる機会はありません。表に出るのはマンホール蓋だけです。そのマンホール蓋に地元で馴染みあるモチーフも用いることで目に留まるようにし、下水道に関心を持つ一助となることを目指したのです。

それまでマンホールの凹凸は自動車が滑らないようにするための機能にすぎませんでしたが、目で楽しめるものを考えることとなりました」

そうして生まれたのがこちらの小魚モチーフのデザイン。

中央に入っているのは那覇市の市章。「下水道できれいになった水の中で魚たちが喜び、群れて遊ぶ様子」がイメージされているそう
中央に入っているのは那覇市の市章。周りを囲むのは沖縄で親しまれるガーラ (カスミアジ) という魚です。「下水道できれいになった水の中で魚たちが喜び、群れて遊ぶ様子」がイメージされているそう

このデザインマンホールは評判を呼び、市民の関心を高めることに一役買いました。下水道の普及率が向上し、川や海の環境美化が進むきっかけの一つとなったそうです。そして、40年経った今も街中に残るデザインとなっています。

「デザインで差別化する前のマンホール蓋は、大量生産が可能な大手企業との価格競争が避けられない製品でした。しかし、付加価値の高いデザインを施したマンホール蓋を多品種小ロット生産することで価格競争に陥ることなく受注できるようになりました」

沖縄鋳鉄工業では、モチーフの提案から携わります。地域の文化や歴史、伝統品、年中行事などのイメージをすくい上げて考案しているのだそう。

沖縄県那覇市のデザインマンホール
沖縄県那覇市のデザインマンホール

繊細な絵柄をも形にする「糸のこ使い」

この製品を支えるのは鋳型作りの技術。沖縄鋳鉄工業のデザインマンホールは、図案を元に全て手作業で絵柄をアルミ板から切り出し、鋳型を作り、鉄を流し込んで成形します。

こちらがアルミ型を元に作られた鋳型。マンホールの形をした空洞に鉄を流し込んで成形します
こちらがアルミ型を元に作られた鋳型。マンホールの形をした空洞に鉄を流し込んで成形します
小魚モチーフのアルミ型は全て糸のこで切り出しています
小魚モチーフのアルミ型は全て糸のこで切り出しています
魚と魚の間を切り抜く際には、毎回糸のこを通しなおして切り出すという途方も無い作業がされています
魚と魚の間を切り抜く際には、毎回糸のこを通しなおして切り出すという途方も無い作業がされています
型が抜けやすい様に、断面には傾斜が付いています。傾斜をつけるためにはアルミ板を傾けねばならず、ここが腕の見せ所
型が抜けやすい様に、断面には傾斜が付いています。傾斜をつけるためにはアルミ板を傾けねばならず、ここが腕の見せ所

現代の技術では、型は樹脂などを溶かして作る場合と、機械で削り出して作る場合があります。アルミ板を使って手作業で作ると、平均して1つの型ができるまで1日7時間の作業で4日ほどかかります。樹脂型の方が圧倒的に早いですね。

でも、アルミで作った方が鋭角な型が作れるので、より絵柄がはっきりと浮かび上がります。また、細かなデザインも生み出せます。安全面でも、しっかりと深い溝が作れるので滑り止め効果が期待できるんです。そのため、手作業で切り抜くアルミ板を使い続けています」と眞志喜さん。

最初のデザインマンホール型を作ったのは、同社で昨年88歳まで現役で腕をふるっていた神山寛盛 (かみやま かんせい) さん。2003年には「現代の名工」にも選ばれました。細い線や図案を美しく切り抜く神山さんの磨かれた技術が、今も後輩に受け継がれています。

アルミ板を切り抜く糸のこ。神山さんは0.1ミリメートルの精度で調整を行って作っていたそう
アルミ板を切り抜く糸のこ。神山さんは0.1ミリメートルの精度で調整を行って作っていたそう
この繊細なパーツもすべて糸のこで切り抜かれています。デザイン画の時点で、線が細すぎて切り抜きが不可能な場合はデザイナーと相談を重ねるそうですが、この繊細さは実現可能な範囲。驚きでした
この繊細なパーツもすべて糸のこで切り抜かれています。デザイン画の時点で、線が細すぎて切り抜きが不可能な場合はデザイナーと相談を重ねるそうですが、この繊細さは実現可能な範囲。驚きでした

パズルの様にパーツを並べて生まれる絵柄も

小魚モチーフのデザインのように、すべての図案が一体となっているもののほか、シーサーや市の花の図案のように、いくつかのモチーフが絵画の様に円の中に独立して描かれているものも多く存在します。

「モチーフが切り離されているデザインの場合は、全体の配置やバランスを原画の通り作らなければいけないのでパーツを並べるのが大変なんです。

「おすい」の文字の「お」の点も独立していますが、正しい位置に置いて、アルミ針で1つずつ留めているんですよ」

この細かいパーツはそれぞれ切り出した後に並べて1つずつ貼り付けているそう
この細かいパーツはそれぞれ切り出した後に並べて1つずつ貼り付けているそう
おすいの「お」など文字の点も、もちろん別パーツ。途方も無い作業です
おすいの「お」など文字の点も、もちろん別パーツ。途方も無い作業です
こちらはパーツを切り取った後のアルミ板。細かいパーツをはり合わせる場合は、貼り付ける板の上にこちらを乗せてガイドにしながら、位置を確認して貼り付けていくのだそう
こちらはパーツを切り取った後のアルミ板。細かいパーツをはり合わせる場合は、貼り付ける板の上にこちらを乗せてガイドにしながら、位置を確認して貼り付けていくのだそう

デザインマンホールへのこだわりは型だけにとどまりません。

日々車や人が上を通り、強い日差しの下に晒されるマンホール蓋。安全面での強度はもちろんのこと、同社では美しさを維持することも大切にしています。通常の塗料で着色するとすぐに色が褪せてしまうため、試行錯誤が重ねられました。

色落ちしにくさを研究して作られた「色つき樹脂」を流し込んで着色。色分けを細かく指定されることもあるため、すべて手作業で行われます
色落ちしにくさを研究して作られた「色つき樹脂」を流し込んで着色。色分けを細かく指定されることもあるため、すべて手作業で行われます
防火水槽など緊急時に必要なものは、目につきやすいようはっきりとした色を。色落ちしにくいのは重要ですね
防火水槽など緊急時に必要なものは、目につきやすいようはっきりとした色を。色落ちしにくいのは重要ですね

デザインは100種類以上!

これまで、いったいどれくらいの種類のマンホールを作ってきたのでしょうか。眞志喜さんに尋ねると、「あまりに数がありすぎて把握しきれていないけれど、少なくとも100種類以上じゃないかな」とのこと。

壁に貼られた、デザイン画の一部
壁に貼られた、デザイン画の一部

「それぞれの地域の特色を表現するとその街を歩くのが楽しくなります。古い道路には市町村合併によってなくなってしまった地名のデザインマンホールが残っていたりもするんですよ。安全性を考えて新しいものにする必要がある場合もありますが、珍しいので、古いものを探しながら町歩きをされる方もいらっしゃいます。沖縄をそうやって楽しんでもらえるのは嬉しいですね」

デザインマンホールの生みの親である沖縄鋳鉄工業は、今も沖縄県内のデザインマンホールの9割以上を作り続けています。眞志喜さんの言葉には、デザイン性と安全面を考えて製造を続ける同社ならではの、ものづくりへの矜持がありました。

<取材協力>

沖縄鋳鉄工業株式会社

沖縄県中頭郡西原町字小那覇958

098-945-5453

文:小俣荘子

写真:武安弘毅

中川政七商店が浴衣をデザイン。5分で着られる、ワンピースのような浴衣ができるまで

先日、夏を舞台にした日本映画を観たのですが、主人公の女性の浴衣姿が美しく印象的でした。

浴衣着用イメージ
涼しげな浴衣は夏の風物詩

やっぱりいいもんだなぁと思う一方で、着るのが大変、なイメージもある浴衣。

もっと気軽に楽しめないか?と考えたのは生活雑貨メーカーの中川政七商店。

「日常のワードローブの一つとして、ワンピースのように着られる浴衣をつくりたい」

そんな思いに技術で応えたのが「きものやまと」。

今日は、2018年夏に中川政七商店からデビューした、5分で着られる「ワンピースのような浴衣」の魅力に迫ります。2着目を探している人にも、おすすめですよ。

中川政七商店の浴衣

5分で着られる秘密

きものやまとは、1917年創業の着物専門店、株式会社やまとが展開する着物ブランド。

独自に開発した「クイック浴衣」の技法が、今回の「ワンピースのように着られる浴衣」を可能にしました。5分で着られる秘密はその縫い方。

着丈を調整するためのおはしょりが、すでに縫い合わせてあるのです。

このおはしょりの幅を、従来の浴衣では自分で調整していました
このおはしょりの幅を、従来の浴衣では自分で調整していました

調整の手間が省けるので5分とかからず着用でき、着崩れしにくいのが特徴。素早く簡単に、きれいに着られる、というわけです。

サイズはおはしょりで調整する代わりに、S・M・Lと自分にあったサイズを洋服感覚で選べます。

腰紐も縫い付けてあるのでずれる心配がなく、ちょうどワンピースの紐を結ぶように簡単に浴衣の合わせが完成するという仕組みです。これは便利!

羽織って腰紐を結べばOK
羽織って腰紐を結べばOK

気軽に取り入れられるので、すでに一着は持っているという人も、二着目にいいかもしれませんね。

涼しげなデザインに、全国の産地の技術が集結

柄は、縁起のよい日本の伝統模様を取り入れた、中川政七商店オリジナルの3柄。

今回の浴衣のために作られたオリジナルの3柄
今回の浴衣のために作られたオリジナルの3柄

なんとそれぞれの柄の良さを一番引き出せるよう、生地と染めの技法を柄ごとに変えています。

浜松の綿生地×石川の捺染「葡萄唐草」

葡萄唐草

奈良の正倉院宝物に描かれた葡萄唐草をアレンジしたデザイン。葡萄、唐草ともに日本では古くから縁起が良いとされるモチーフです。

綿織物の一大産地、浜松の生地に石川で柄を捺染 (なっせん。プリントのこと) 。糸から染めた生地を使うことで色柄が生地に馴染み、総柄ながら落ち着いた大人っぽい印象です。

浜松の綿生地×宇都宮の宮染「麻の葉」

麻の葉

宇都宮に流れる田川を中心に栄えた染物「宮染 (みやぞめ) 」。裏も表も同様に染め上げる注染 (ちゅうせん) の技法で、大胆な麻の葉柄を色鮮やかに染め上げています。

知多の空羽紅梅生地×京都の手捺染「鹿の子立涌」

鹿の子立涌

水蒸気や雲気が涌き立ちのぼっていく様を表す、涼しげな立涌 (たてわく) 文を、鹿の斑点を模した鹿の子柄で表現。

生地はシャリ感のある綿麻の糸を使い、経糸をあえて規則的に抜き立体的に織り上げる空羽紅梅 (あきはこうばい) 生地を使用しています。

涼感のある生地に柄を手捺染し、光の加減でも見え方が変わるような、繊細ながら華やかな印象です。

こんな風に作られていました。日本にしかない注染の現場へ

生地、技法だけでこんなにいろいろな種類があったとは!

実際にどんな風に作られているのか気になって、染めの現場を覗かせてもらいました。

染に使うじょうろ

伺ったのは麻の葉柄を染める宇都宮で明治38年創業の「中川染工場」。

工場のそばを流れる田川。宇都宮は綿の産地だった同じ栃木県内の真岡の近くだったことから、川沿いに染物産業が発展。一帯の染物は「宮染め」と呼ばれ栄えました
工場のそばを流れる田川。宇都宮は綿の産地だった同じ栃木県内の真岡の近くだったことから、川沿いに染物産業が発展。一帯の染物は「宮染め」と呼ばれ栄えました
中川さんの事務所に掲げられていた「宮染め」の額
中川さんの事務所に掲げられていた「宮染め」の額

用いる「注染」の技法は、昔から手ぬぐいや浴衣の定番の染め方です。

「注染は日本にしかない染め技法です。浴衣に向いているのは、染料が布目を通ることで風通しがよくなるからなんですよ」

そう案内いただいた注染の工程は、折り重ねた生地に染料を上から注いで、同時に下から吸い上げ、一気に裏表を染め上げるというもの。

ちょうど麻の葉柄を染めるところでした
ちょうど麻の葉柄を染めるところでした
長いじょうろのような道具「やかん」を使って、指定の場所に染料を注ぎます
長いじょうろのような道具「やかん」を使って、指定の場所に染料を注ぎます
一見わかりませんが、この下に何十枚と生地が折り重ねてあります
一見わかりませんが、この下に何十枚と生地が折り重ねてあります
周りに色が移らないよう、染めたいところを「土手」で囲んであります
周りに色が移らないよう、染めたいところを「土手」で囲んであります
やかんを使い分け、指定の色に染め分けます
やかんを使い分け、指定の色に染め分けます
足元のペダルを操作して染料を吸引。一気に何十枚と染め上げる
足元のペダルを操作して染料を吸引。一気に何十枚と染め上げる

「色を染めたくないところは、あらかじめ糊を置いて染まるのを防ぎます。柄がきれいに出てくるかどうかは、実はここで決まると言ってもいいくらい重要なんですよ」

染めの前の工程。板場と呼ばれる糊置きの現場
染めの前の工程。板場と呼ばれる糊置きの現場
茶色いところが糊を置いたところ。その上から慎重に生地を折り重ねて‥‥
茶色いところが糊を置いたところ。その上から慎重に生地を折り重ねて‥‥
型紙をはめた木枠を置き、上からヘラで糊をのせていきます
型紙をはめた木枠を置き、上からヘラで糊をのせていきます
緊張の一瞬
緊張の一瞬
持ち上げると‥‥
持ち上げると‥‥
この通り。きれいに糊がのっています
この通り。きれいに糊がのっています

糊が厚いと柄がはっきり出ず、薄いと染料がにじんで汚くしあがってしまうそう。絶妙な力加減が必要です。

生地を12mと長く使う浴衣。対して注染の型は1mほど。

折り重ねた生地を開いたときにも、柄がつながって見えることが大切です。特に今回の麻の葉柄のような大柄は、わずかなズレでも目立ってしまう難しい柄。

中川政七商店の浴衣

この折り目でずれなく柄を繋げられる「型継ぎ」ができるところは、全国でも数えるほどだそうです。

型が途切れないよう、補正しているところ。熟練の技が要されます
型が途切れないよう、補正しているところ。熟練の技が要されます

「大柄をバシッと出すには、ここしかない」と、中川染工場さんが今回の麻の葉柄の染めに大抜てきされました。

工場内の見学を終えて外に出ると、染色後に水洗いで糊を落とされた麻の葉の生地が、広場一面に干されていました。

吹き流しのように生地が干されている
テープのように干されている麻の葉柄

吹き流しのような光景は壮観です。

四代目の中川友輝さん。こことここが型を継いだところですよ、と教えてもらいますが、ほとんど見分けがつきません
四代目の中川友輝さん。こことここが型を継いだところですよ、と教えてもらいますが、ほとんど見分けがつきません

着るのは簡単に、作りは丁寧に

身支度わずか5分で着られる浴衣。

着るのは簡単でも、一着ができるまでには素材から染め、縫製まで、夏を涼やかに楽しむ工夫がぎっしりと詰まっていました。

この夏はお気に入りのワンピースを着るように、ものづくりの粋を尽くした浴衣でお出かけを楽しんでみては。

<掲載商品>
ワンピースのように着られる浴衣 (中川政七商店)

<取材協力>
きものやまと
http://www.kimono-yamato.co.jp/
株式会社中川染工場
http://www.somemono-nakagawa.com/

文:尾島可奈子

金婚式まで一緒にいたい。50年使えるお掃除道具「鹿沼箒」

季節はジューンブライド。週末に結婚式の予定が続く人もいるかもしれませんね。

さて、嫁入り道具と聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?

かつての嫁入り道具といえば、大きな桐のタンス一式に豪華な着物、立派な鏡台、寝具は客用も含めて一式。すべてが収められる食器棚と来客用の食器やカトラリーなどなど。

こうした伝統的な婚姻儀礼としての「嫁入り道具」は、現代のライフスタイルに合いづらくなってきているとはいえ、道具自体を何も用意しないのはなんだか味気ないものです。

一生に一度のことですから頼もしい「嫁入り道具」があれば、新生活もより前向きになれるはず。これを機に“一生もの”といえるようなちょっと憧れの生活工芸品を選んでみてはいかがでしょうか。

儀礼にとらわれず、等身大の目線で、今、あげたい、もらいたい、買いたい嫁入り道具を選びました。

一生もののお掃除道具、鹿沼箒

栃木県鹿沼市が産地の「鹿沼箒(かぬまほうき)」は、1841年頃からつくり始められ嫁入り道具とされてきました。日常で使う道具として重宝されただけでなく、はまぐり型の付け根、麻模様の刺繍がめでたいとされたためです。

子宮を表現しているとも言われる蛤には「子宝に恵まれますように」、ぐんぐんと成長する麻には「子供が健やかに成長しますように」とそれぞれ願いが託されています。

特徴であるぷっくりした蛤型と、麻の模様が二重でめでたい

その独特な形状は、良質なほうき草がとれる水はけのよい鹿沼の土、箒屋千軒と言われるほどたくさんあった箒屋、日光東照宮建設の折に集まった優秀な職人によって育まれたものです。以前は、箒をつくる速さと美しさを競うコンテストも催されていました。

数少ない鹿沼箒の職人、丸山早苗さん

柄の付け根をつくる際には、一般的な箒ではほうき草を「組む」と言いますが、鹿沼箒は草の皮を割いた上でそれを「編む」と言います。編み込まれているため、丈夫で30年50年と使い続けられます。

“心の穢れを掃く”とも言われる箒とともにこれからの毎日を歩み始めれば、仲良く金婚式だって迎えられそうな気がしますね。

ほうき草の皮を割いていく繊細な作業で丈夫な箒ができあがる

長年使い続けると箒が徐々に減って短くなりますが、止め糸を解くだけで箒が半分ほどに減っても使い続けることができます。頑張った証が刻まれていくようで、お掃除にも念が入ります。

鹿沼のおばあちゃんはとても短くなった箒を使っているそう

「美しいこと」を追求した鹿沼箒は、お掃除するとき目に入る箒の“表面”がより美しく見えるように作られています。右手で持った時、三角に飛び出た“ミミ”が上に来るのが表の目印です。毎日のお掃除が楽しみになるようなちょっとした工夫が嬉しいですね。

毎日、美しい編みや柄を見ながらお掃除ができるのが嬉しい

お気に入りの一本を職人さんから買う。よく見て、よく掃く。そんな単純なことで、日々の暮らしが豊かになっていきそうです。これから始まる新しい暮らしが、鹿沼箒でより素敵な毎日になりますように。

<取材協力>
きびがら工房
栃木県鹿沼市村井町229-10
0289-64-7572

文:田中佑実
写真:西木戸弓佳

*2017年11月21日の記事を再編集して掲載しました。蒸し暑い日が続きますが、箒でお掃除をしたら、気分もさっぱり、晴れ晴れしそうですね。

今が見頃!紫陽花と「旅印」を集めてめぐる鎌倉日帰り旅

ちょうど、風物詩の紫陽花が見頃を迎えはじめた鎌倉。

そこで、さんちのアプリ「さんちの手帖」を使いながら、鎌倉の紫陽花名所と編集部おすすめの見どころをめぐってみました。よかったら記事やアプリを旅のおともにしてみてくださいね。私が実際に回ってみたルートはこんな感じです。

 

鎌倉の見どころ

◇ 紫陽花といえばやっぱりここ、長谷寺
江ノ電と紫陽花を一度に楽しめる、隠れた写真スポット
◇ 海をのぞむ鎌倉三大洋館で、肩ひじはらない文学散歩。鎌倉文学館
◇ 由比ヶ浜で美味しいお蕎麦に舌鼓。松原庵
◇ いざ鎌倉へ。お参りとお土産めぐり
鶴岡八幡宮鎌倉八座豊島屋Romi-Unie Confiture(ロミ・ユニ コンフィチュール)
◇ “あじさい寺”として名高い、明月院へ

では、行ってみましょう!


紫陽花といえばやっぱりここ、長谷寺

はじめに向かったのは年間を通して四季折々の花を楽しめる「花の寺」として有名な長谷寺。

特に紫陽花のシーズンは毎年大変な賑わいで、混雑時には紫陽花の咲くエリアまで入場1時間待ちなどの規制がかかることもあるそうです。事前に問合せたところ、紫陽花をゆっくり楽しむなら「朝早くがおすすめ」とのこと。いつもより早起きして行ってみました。

観音山の裾野と中腹に二つの境内を持つ長谷寺。その傾斜地を利用した散策路に、40種類以上約2500株の紫陽花が群生しています。

紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺 見晴台からの景色
見晴台からの景色も見どころのひとつ
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
竹林の奥に紫陽花が群生する丘が覗く
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
取材日はちょうど雨。そこここに傘の花も
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺
紫陽花越しにのぞむ鎌倉の街並みもまた格別
紫陽花が咲く、鎌倉の長谷寺

遠くに鎌倉の街を見晴らしながら紫陽花を愛でる贅沢な時間。やはりみなさんカメラを手に散策を楽しんでいました。

階段の上り下りも多いので、歩きやすい服装がおすすめです。雨の平日でしたが、ゆったり見て戻って来た10時台には散策路に入場待ちの列が。やはり早起きは三文の徳でした。

江ノ電と紫陽花を一度に楽しめる、隠れた写真スポット

長谷でもう一つおすすめしたい紫陽花名所が、長谷寺から徒歩圏内の御霊神社そばにあります。

御霊神社は鳥居の前を江ノ電が横切る風景が数年前にテレビドラマに登場し一躍有名に。実はこの線路沿いには紫陽花が植わっていて、見頃を迎えた紫陽花と江ノ電を一緒に楽しむことができます。

いい写真を撮りたい、と訪れた人がカメラに夢中になってしまうので、訪れた日には安全のために警備員さんが立っていました。

御霊神社そばの写真スポット

平安後期創建という神社の境内は駅近くながらしっとりと清らかな空気。紫陽花を愛でつつ、ゆっくりお参りしたくなります。

海をのぞむ鎌倉三大洋館で、肩ひじはらない文学散歩 「鎌倉文学館」

長谷の紫陽花名所を満喫したら、そのまま帰るのはもったいない。さんちアプリの「さんちの手帖」を使うと地図から近くの読み物やさんちおすすめの見どころを探すことができます。さらにその見どころでオリジナルの「旅印(たびいん)」を集めることができるのも楽しみのひとつ。

位置情報をオンにしてアプリを起動させてみると、近くに「鎌倉文学館」という見どころが見つかりました。早速行ってみましょう!ちなみに旅印は見どころに近づくと通知が来るので、ぜひお見逃しなく。

さんちの手帖の使い方
メイン画面で「近くの読み物」から「地図で見る」を選んで地図を表示させます
さんちの手帖の使い方 鎌倉文学館
青い丸印が自分の現在地。黒丸の吹き出しが見どころの目印。吹き出しをタップすると「鎌倉文学館」と画面下に表示されました。ここから見どころの紹介ページに飛ぶことができます

 

鎌倉文学館
歩いていたら「鎌倉文学館」の旅印通知が来ました!通知をタップして、旅印獲得画面を開きます
鎌倉文学館
文学館の旅印はこんな感じ。見どころの名前を囲むように、その土地のモチーフと季節のスタンプがあしらわれています。旅印をタップすると文学館の詳しい紹介ページに飛びます

鎌倉文学館の紹介ページを読んでみると、鎌倉は川端康成、夏目漱石に芥川龍之介、与謝野晶子など、多くの文学者に愛されてきた土地。

鎌倉文学館ではそんな鎌倉ゆかりの文学者の著書や原稿、愛用品などを展示しているそうです。鎌倉三大洋館にも数えられる歴史ある建築の意匠や湘南の海をのぞむ庭園など、展示と合わせて楽しめる見所もたくさん。紫陽花とはまた違う鎌倉の楽しみ方ができそうです。

鎌倉文学館までの道
趣あるトンネルを抜けていく館までの道も楽しい
鎌倉文学館で取得した旅印
獲得した旅印と記念撮影

文学館は、シーズンには約200の品種のバラが咲くバラの名所でもあります。バラが見頃を迎える5月、紫陽花が見頃となる6月と、毎月花をめぐって鎌倉を訪ねるのも素敵ですね。

>>鎌倉文学館の情報はこちら

由比ヶ浜で美味しいお蕎麦に舌鼓。「松原庵」

「さんちの手帖」の道案内で、紫陽花散策からちょっと寄り道の文学散歩を満喫できました。鎌倉文学館入り口の交差点まで戻ってくると、そのまま江ノ電の由比ヶ浜駅まで徒歩圏内。アプリの地図には美味しそうなお蕎麦屋さんが近くにある表示が。

さんちの手帖の使い方
食事処なので黒丸の吹き出しにはお箸のマークが

早起きしてたくさん歩いて、そろそろお腹が空いてきました。駅からも近い由比ヶ浜の人気店、鎌倉 松原庵で美味しいお蕎麦に舌鼓といきましょう。

松原庵さんは紹介ページに加えて鎌倉での夜の晩酌の場所として取材した読みもの記事もあります。

鎌倉 松原庵への地図
地図で見ると、松原庵さんには「2の読み物」の表示。紹介ページに加えて、夜の晩酌の紹介記事が出てきました。これは夜も来てみなければ!
松原庵で旅印を取得
到着。ここでも旅印を獲得できます!
鎌倉の蕎麦屋 松原庵で旅印を取得
通知音をオンにしておくと、旅印取得の瞬間「ポン!」と小気味良い鼓の音が響きます
松原庵で人気の「すだち鬼おろし蕎麦」
人気のすだち鬼おろしそば。すだちの程よい苦味がつゆによく合う

>>鎌倉 松原庵の情報はこちら
>>産地で晩酌〜鎌倉編〜の記事はこちら

いざ鎌倉へ。お参りとお土産めぐり

お腹も膨らんで力がついたところで、由比ヶ浜から江ノ電に乗って鎌倉へ移動します。本当はもう一箇所、「鎌倉の紫陽花といえば」の名所を目指したいのですが、日中は混雑が予想されるので先に鎌倉の顔とも言える鶴岡八幡宮へご挨拶に。

鎌倉駅についた途端、どどっと旅印の通知が来ました!名前は鎌倉八座、豊島屋、Romi-Unie Confiture( ロミ・ユニ コンフィチュール )。どこもさんちおすすめの鎌倉土産のお店です。せっかくなのでお参りと合わせて寄ってみようと思います。

左が旅印獲得画面。早速「鎌倉八座」の旅印を獲得していたら、「豊島屋」の通知も来ました!

鎌倉のお土産が揃う、小町通りの「鎌倉八座」

まず、小町通りを歩いていて見つけたのが鎌倉八座。地元の工芸や食材などを生かしたお土産ものが並びます。アプリによると八座の「八」の字は、“八百万の神奈川土産と、「八」にかけた末広がりの縁起もの”と出会える場所との意味が込められているのだそうです。

鎌倉八座
鎌倉八座の三浦土人形
鎌倉八座で見つけた「三浦土人形」の波乗りだるま


>>鎌倉八座の情報はこちら
>> 鎌倉八座の読み物 鎌倉観光におすすめの、小町通りにある土産・雑貨店「鎌倉八座」はこちら

鳩サブレーを求めて、豊島屋 本店へ

ここで小町通りを横に抜けて、八幡宮の表参道へ。白壁に鳩サブレーの文字がひときわ目を引く豊島屋 本店に到着です。鎌倉土産といえばやっぱり鳩サブレー。アプリによると本店限定の商品も要チェックとのこと。店先には早々と七夕の笹飾りが置かれていました。

鎌倉土産 鳩サブレーの豊島屋
鎌倉土産 鳩サブレーの豊島屋
本店でしか買えないお土産を探すのも楽しみのひとつ

>>豊島屋の情報はこちら

 

いざ、鎌倉の中心・鶴岡八幡宮へ

いよいよ八幡宮へ。参道を歩いていたら八幡宮の旅印の通知が届きました。目的地に近づいている臨場感が味わえます。

鶴岡八幡宮への行き方
アプリの地図を開いていたら、通知が来ました!
さんちの手帖を鎌倉で使う
早速 獲得画面に進みます
さんちの手帖を鶴岡八幡宮で使う
これからいざお参りへ!

八幡宮も紹介ページだけでなく、歴史や見どころを紐解いた記事が特集されています。創建の際、鳩が道案内をしたという伝説から八幡宮の「八」の字は鳩の形になっているそうです。

鎌倉 八幡宮で使うさんちの手帖

>>鶴岡八幡宮の情報はこちら
>>特集記事「鳩は神様のお使い?鎌倉の中心・鶴岡八幡宮」はこちら

いがらしろみさんのジャム「Romi-Unie Confiture」

お参りの帰りには参道を挟んで豊島屋とほぼ向かい合わせのRomi-Unie Confitureへ。店先が満開の紫陽花で彩られていました。

「お菓子みたいなジャム」がコンセプトのお店で、ジャムはすべて店内にあるアトリエで毎日作られているそうです。

鎌倉 いがらしろみさんのジャム店
鎌倉 いがらしろみさんのジャム店
鎌倉 いがらしろみさんのジャム店

>>Romi-Unie Confitureの情報はこちら

「あじさい寺」として名高い、明月院へ

長谷、鎌倉とたっぷり歩いてきました。ちょっと休憩、という人は鎌倉駅前のイワタ珈琲店で名物ホットケーキというのもいいかもしれません。

まだまだ紫陽花を楽しむぞ、という人は、ぜひ「あじさい寺」として名高い明月院へ。通常は16時までですが、6月は17時まで拝観が可能です。北鎌倉の駅に降り立つと、明月院の方向へ歩く人の姿がずっと続いています。

到着した明月院は、入り口から紫陽花がお出迎え。門をくぐるとそこから上へ上へと散策路が続いています。

紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院

道はどこを歩いても紫陽花の青、青、青。「あじさい寺」と呼ばれる所以がわかったような気がしました。

紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
有名な紫陽花の咲く石段
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
紫陽花が見頃の鎌倉 明月院
お地蔵さまも紫陽花色の装い

長谷寺が斜面を覆うように紫陽花が植わっているのに対して、明月院は人の背丈ほどに伸びたものも多く、紫陽花に囲まれた、小さな森のような空間です。

 


たっぷり歩いて足はクタクタですが、アプリをおともに紫陽花から文学散歩、お参りついでにお土産探しなど、大満足の1日となりました。

自分だけでは気付けなかった見どころもめぐれて、まるで鎌倉に詳しい友達に、ずっと案内してもらっているような気持ちに。まさに旅のおともアプリ、と言ったら褒めすぎでしょうか。

今回は紫陽花名所を午前午後に分けて訪ねましたが、紫陽花をゆっくり見たい、という人は先に紫陽花名所をめぐっておいて、帰りに鎌倉でお土産選び、という回り方もいいかもしれません。

行きたい先のお休みや営業・拝観時間、混雑具合などを前もって確認したら、お天気やご自身のコンディションに合わせて、無理なく散策を楽しんでくださいね。今日は回れなかった他のおすすめ見所も「さんちの手帖」に載せていますので、旅のおともにぜひお忘れなく!

<取材協力>

長谷寺
神奈川県鎌倉市長谷 3-11-2
0467-22-6300
http://www.hasedera.jp/

明月院
神奈川県鎌倉市山ノ内189
0467-24-3437

◇紹介した見どころの情報や旅印機能を丸ごと楽しめる「さんちの手帖」アプリはこちらからダウンロードできます!


文・写真(一部除く):尾島可奈子


こちらは、紫陽花の見頃に合わせて、2017年6月16日公開の記事を再編集して掲載しています。紫陽花めぐり、どうぞお楽しみください!