真っ白じゃない、白い器

こんにちは。さんち編集の西木戸弓佳です。
何年か前、ふと寄ったギャラリーで展示されていた作品に一目惚れをしました。人間っぽい焼き物だなぁと思った記憶があります。ちょっと癖があるけど芯の強く、美しい人。例えるとそんな感じです。それからずっと気になっていた、陶芸家の田淵太郎さん。

田淵さんが作られているものは、“白磁( はくじ )”と呼ばれる白い磁器。磁器とは、陶器と呼ばれる「土物」よりも高温で焼成される「石」を主な原料にした焼き物。コーヒーカップなどのように、白色で滑らかなものが多いです。代表的なものだと、有田焼、伊万里焼、九谷焼などがそれに当たります。ただ、田淵さんの作品は少し様子が違います。白磁、なのに真っ白じゃないし表面はツルツルしていません。

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会いたいとご連絡をしたら、「せっかくなら窯焚き( かまだき )の日に」と何ともありがたいお話を頂いて、実際に作品を焼く工程・窯焚きが行われている日にうかがいしてきました。

100時間の窯焚き

香川県の高松市内から車で約1時間。しばらく山を登った先に、田淵さんの工房があります。
工房に到着したのは、19時頃。まるまる4日間、約100時間続けているという窯焚きがクライマックスを迎えようとしていました。「大くべ」と言われる最後の仕上げの時。窯の中に薪をたくさんくべて、一気に燃やしていきます。窯に近づくだけで、熱い・・・。温度計によると、窯の中の温度は1000度を超えていました。

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煙突から吹き出す炎。蓋の開け具合を調整しながら、圧の調整をするのだそう。
煙突から吹き出す炎。蓋の開け具合を調整しながら、圧の調整をするのだそう。

最後に泥で隙間を埋め密閉して、薪が燃え尽きるまで自然にまかせて燃やします。火入れから約100時間。窯焚きが終了です。

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窯焚きの翌日、改めて工房へうかがいお話をさせていただきました。
窓から見える緑いっぱいの山、目の前を流れる川、いろんな種類の鳥の声がひっきりなしに聞こえます。日本むかし話みたいな世界。

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「陶芸家」として、生きる

陶芸家と呼ばれている方たちは、どういう過程を踏んで「陶芸家」になるのだろうか。想像のつかない人は多いのではないでしょうか。しかも田淵さんの場合、香川県は焼き物の産地でもないし、親族に元々陶芸家がいるわけでもない。そこからなぜ、どうやって今に至ったのか、お尋ねしてみました。

芸大の募集要項を見て、「陶芸家になりたいな」と、漠然と思って受験。陶芸が身近なものでも無かったし、楽しそうだな、轆轤( ろくろ )回すんだろうな、というイメージぐらいだったのだそう。そこから、「土とは?」「造形とは?」「オブジェとは?」と、さまざまな視点から焼き物を学ぶうちに、どんどんはまり込んでいきました。一方で、陶芸家としての人生に迷いもあったようです。

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「大学で学んだことがそれまでの“陶芸”で知ってることの全てだったんだけど、『違うなぁ違うなぁ』とずっと思ってて。たとえば、オブジェを作る授業はいっぱいあるんだけど、『じゃあオブジェで将来どう食べていくんかなぁ』とか、『先生もオブジェ作っとるし格好いいんだけど、先生は先生業だしなぁ』とか。『仕事で、陶芸家として生きていくには、どうしたらいいもんかなぁ』ってモヤモヤ思ってました」。

大学の2、3年生のそんな頃、岐阜の陶芸家・加藤委( かとうつぶさ )さんと出会います。
「すごくかっこよかったんです、生き方が。陶芸家としてのスタイルも。生身で、勝負してる。なんというか、その時に『あぁ、将来はこんな感じで生きていきたいな』というのが明確になりました。“自分が作ってるもので、生きてる”っていう感じ。作品もかっこよかったし。自分がやりたいことを、やってはるなぁって。すごい衝撃でしたね」。

加藤委さんのところで、薪割りをしたり、土を堀りに行ったり、窯焚きを手伝ったりしながら、「陶芸家」としての生き方を間近で見た田淵さん。それまで漠然としていた陶芸家としての像がはっきりし、「陶芸家」という仕事で生きていくことを決めたのだそうです。

薪は近くの山に切りに行って自分で割る
薪は近くの山に切りに行って自分で割る

卒業後、まずはお金を貯めるために陶芸の先生に。決めていた“3年間”を経て、地元・香川へ戻り自分の窯を作ります。
「瀬戸内の景色が好きだったのと、自然の中で作品をつくりたいなぁ、というのがありました。ここが見つかってこの景色見た時に、ここやったらいいものが作れるな、と思ってここに決めました」。
まずは、地面を掘って窯を作るための土台作り。ご自身で設計をしてレンガを積んで、薪窯を作ったのだそう。
「最初の窯焚きは、全然うまくいきませんでした。何百点も作って焼いても、全滅することが何回もありました」。

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薪の窯で焼くということ

田淵さんの窯は、「穴窯(薪窯)」と呼ばれる薪を燃料とする窯。キッチンやお風呂の燃料に置き換えて考えてみると、ガスや電気が主流となっているこの時代に、わざわざ薪で火を起こしているようなもの。( 焼き物の世界でも、今は9割程が電気やガスなのだとか。)なぜ、そもそも薪窯だったのでしょうか。
「僕の中でターニングポイントになった作品なので、まだ持ってるんですけど‥‥」と言って見せてくださった大きな焼き物。

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「(加藤)委さんのところで薪の窯焚きに参加させてもらった時に、せっかくなら自分の作品持っておいでよ、って言ってもらって。その時ちょうど大学の授業で作っていた白い磁器を持って行って一緒に焼いてもらったんです。薪窯に興味はあったけど、大学は電気・ガス窯だけだったので、はじめての薪窯でした」。

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「着色を何もしてないのに、炎だけで表面に表情ができたんです。これは、電気やガスでは絶対にできない表現。土もの( 陶器 )は赤土だったりでちょっと分かりにくいんですけど、粘土が白い( 磁器 )と、その炎の痕跡がリアルに分かる。何というか、今の作品の感じとはまた違うんですけど、この作品が焼けたことで『あぁ将来は、こんな感じでいきたい』ってはっきりと思いました」。
ここで、薪窯で白磁を焼くという方向性が決まったそうです。

「昔は、どこの産地も薪の窯でしか焼けなかった。でも、薪は灰が飛ぶし磁器の相性は良くない。それでも、そのうちサヤという焼き物を守るための容器で覆って、熱だけが伝わるように焼くようになりました。ボディの土も綺麗に不純物を取り除けんかったし、“白く焼くこと”は、とても難しいことだったんです。白く焼く努力をずーっと続けてきた歴史が白磁にはあります」。
田淵さんの白磁は、薪窯でサヤを使わずに焼きます。つまり、炎や灰の影響をダイレクトに受ける状態。ただ、それは改めてプリミティブな手法へ回帰しているのかというと、そうではないようです。

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「今は、電気やガスの窯もあるし、昔と違って綺麗な土も手に入る。“白く焼く”ということがもう難しいことではなくなったんです。そうなると白磁というもの自体の価値というか、感覚が昔とは違いますよね、確実に。その中で敢えて白磁、薪窯でやる意味というのはやっぱり真っ白くすることではなくて、もっと自然により沿ったような違うものを生み出していきたい。僕はこれと出会って、薪の窯で白いものを焼くことで、突きつめてやり続ければ面白い何かができるんじゃないかなって思ったんです。今までになかった新しい価値観というか」。

引っ越してきて、窯も作った。方向性は決まっているのに、なかなかうまくいかない。何年も試行錯誤を続けたのだそう。

「いや、何かもっとあるはずや。この先に、もっともっと違う何かがあると思って‥‥何年かは見えないトンネルの中をぐるぐる回っている感じでした。釉薬の調合や、土の種類を変えたり、焼く温度を変えたりして、色々ちょっとずつちょっとずつ変えていきました。割れてたり、色が汚かったり‥‥の繰り返し。そこで、はじめて白磁の中にピンクっぽいのを見た時に、もう‥しびれました。『おぉおぉおぉ、これやん!』って」。

同じ土、釉薬( ゆうやく )を使っても、焼き方によって表情が異なるのだそう
同じ土、釉薬( ゆうやく )を使っても、焼き方によって表情が異なるのだそう

「今もね、200個ぐらい焼いて成功するのは6、7割。がっかりする作品はいっぱいあるんだけど、その中でも『はー!やってよかった。こんなもの二度と焼かれへんわ』っていうすごくいい作品がたまにあるんです」。

「同じ窯の中で隣に並べて焼いてても、ひとつひとつ表情が違ってて。炎の当たり方や方向で、360度いろんな表情がある。表はちょっとピンクで裏はオレンジだったり。こっちから見たら女性ぽいけど、裏からみたらゴツゴツしてたり。『わー、この子ほんとにどっから見ても美人やなぁ』とか、『こいつあんまりうまくいってないけど、何か憎めんなぁ』みたいなやつとか。そういうのを楽しんでます」。

聞いているこちらもワクワクしてしまう程に、窯から出した時の嬉しさが伝わってきます。少年みたいで、とてもかっこいい。

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年間約6回の窯焚き、そのうちの6、7割が成功という田淵さんが作品として世に出す作品は年間約700点。「作家の中でもむちゃくちゃ少ない」のだそう。
「なかなか生産性の意味で厳しいところはある。焼きあがった作品の中で、表情の少ないものも出していけばいいんだけど、僕がそういうのは好きじゃないんで、売り物にしない。自分の首を締めることになるし売ればいいのに、っていう人もいるけど、何かそれは僕の作品ではないような気がしていて、外してるんです」。

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田淵さんが“外す”作品は、ツルッとしていて表面の揺れが少ないものや、灰の飛び、歪み、割れが見えにくいもの。量産製品で“B品”と判定され外されるものと、基準が逆なところが面白い。次の新しい価値観を追求する田淵さんの作品は、“均一で綺麗なもの”を量産することが比較的簡単になった今の時代に、それだけでは物足りなくなった人たちを惹きつけているのかもしれません。

「こういう表現って自分にしかできないと今は思ってるし、続けて生み出すことが僕の使命だと思ってます。続けることはまぁ大変なんですけど、でもやっぱり窯焚き終わって、いい作品が焼きあがってきてくれるとそれまでにかかる苦労が一気にチャラになる。きれいごとみたいだけどほんとに。一番は自分が感動したいのかもしれません。辞めれないですね」。田淵さんの探求は続きます。

文 : 西木戸弓佳
写真 : 坂口 祐・西木戸弓佳

小さくても本格派、針の老舗「目細八郎兵衛商店」とつくった裁縫箱

こんにちは。さんち編集部の杉浦葉子です。
—— なにもなにも ちひさきものは みなうつくし
清少納言『枕草子』の151段、「うつくしきもの」の一節です。
小さな木の実、ぷにぷにの赤ちゃんの手、ころっころの小犬。
そう、小さいものはなんでもみんな、かわいらしいのです。
日本で丁寧につくられた、小さくてかわいいものをご紹介する連載、第5回目は「裁縫箱」です。

加賀藩主の御用達、糸が通しやすい針

加賀の国・金沢で1575年(天正三年)に創業した「目細八郎兵衛商店」。成形がむずかしいとされる絹針の「目穴・目度」を、初代の八郎兵衛が試行錯誤して工夫し、糸の通しやすい良質な針をつくりあげました。この針が評判になり、加賀藩主から「めぼそ」という針の名前を授かって、針の老舗「目細八郎兵衛商店」としてこれまで430年余りの歴史を歩んできました。

その金沢の「目細八郎兵衛商店」と、 “日本の布ぬの” をコンセプトとするブランド「遊中川」がコラボレートしてつくった「小さな裁縫箱」。鹿の柄が描かれた桐箱の中に、縫い針と綿糸(黒・白)、糸切りはさみ、フェルトの針山が入っています。桐箱は、はさみや針の錆(さび)防止の効果があるといわれており保管にも安心です。

糸切りばさみは、迷子にならないように蓋裏にマグネットでくっつけて収納できます。また、内側にはられた「遊 中川」オリジナルの生地ハギレは、どんな柄がついているかお楽しみ
糸切りばさみは、迷子にならないように蓋裏にマグネットでくっつけて収納できます。また、内側にはられた「遊 中川」オリジナルの生地ハギレは、どんな柄がついているかお楽しみ
一般的なサイズの裁ちばさみと並べてみると、手のひらサイズでこんなに小さな裁縫箱。糸切りばさみも小さい!
一般的なサイズの裁ちばさみと並べてみると、手のひらサイズでこんなに小さな裁縫箱。糸切りばさみも小さい!

小学生の時は手芸クラブだった私ですが、よく出回っている携帯用のソーイングセットはなんだか頼りなくて、あまり持ち歩いたことはありません。もちろん、出先で急にボタンが取れるなんてこともなかなかないのですが、こんな裁縫箱なら持ち歩いて、ちょっとカバンから出して自慢してみたくもなります。なにより、小さくたってやっぱり道具は良いものを使いたいものですよね。気軽にお家で使うお裁縫セットとしてもおすすめの「小さな裁縫箱」でした。

<掲載商品>
小さな裁縫箱(遊中川)

<関連商品>
裁縫箱(中川政七商店)
TO&FRO SEWING SET アソート(TO&FRO)

<取材協力>
目細八郎兵衛商店
石川県金沢市安江町11番35号
076-231-6371
http://www.meboso.co.jp

文・写真:杉浦葉子

独自の視点でものづくりを発信する本、IKUNAS

こんにちは。さんち編集部の西木戸弓佳です。
旅をするなら、よい旅にしたい。じゃあ、よい旅をするコツってなんだろう。その答えのひとつが、地元の人に案内してもらうこと。観光のために用意された場所ではなくて、その土地の中で愛されている場所を訪れること。そんな旅がしてみたくて、全国各地から地元愛をもって発信されているローカルマガジンたちを探すことにしました。第7回目は讃岐( 香川県 )のものづくりを紹介する本、IKUNAS( イクナス )をご紹介します。

地元のものづくりを紹介している本ということで、さんち編集部としてもとても気になっていたIKUNAS。
上質な紙に印刷された約150ページにも及ぶ冊子は、ローカルマガジンとは思えない重量感。見た目に負けず内容も深く、香川のものづくりに携わる人・物・コトが、とても丁寧に詳しく紹介されています。
例えば、2017年の4月発売の最新号は、「香川の漆」にテーマを絞って特集。伝統、製法、教育、技法、普段の使い方など、本当にさまざまな切り口で紹介され、そしてひとつひとつの内容がとても濃い。ひとつのテーマでこんなにも展開できるものか、と熱量を感じる一冊です。

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2006年にスタートしたイクナスは2009年の休刊を経て、2015年に再スタート。半年に1冊のペースで発刊されており、四国を中心とする書店や、IKUNASのオンラインストアで手に入れることができます。

発刊しているのは、香川を拠点にするグラフィックのデザイン会社・株式会社tao.( タオ )さん。グラフィックデザインを本業とする会社でありながら、冊子IKUNASの出版社でもあります。

ものづくりのローカルマガジン、どんな方が作られているのか知りたくて香川へお話を聞きに行ってきました。

お話を伺った株式会社tao.代表取締役/IKUNAS発行人の久保月さん。
お話を伺った株式会社tao.代表取締役/IKUNAS発行人の久保月さん。

伺ったのは、香川県高松市の花園町という場所。駅から少し離れたところにtao.さんの事務所はあります。ここが、冊子IKUNASが作られているデザイン会社の拠点であり、「IKUNAS g ( ギャラリー) 」という名の、冊子IKUNASで掲載した商品を紹介するギャラリーショップでもあります。 

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元、座卓屋の“秘密の花園”

「場所、分かりにくかったでしょう。ここ秘密の花園なんです」。と笑って出迎えて下さったのは、tao.代表でありIKUNAS編集長の久保月さん。この場所にギャラリーショップを作られた経緯を尋ねると、「駅からちょっと離れてるし、人通りも少ない場所。しかも長い階段の2階。表から見て何のお店か分かりにくい。お店としては好立地とは言えない条件ですが、それが逆にデザイナーとしては面白かったんです。そしてね、ここの住所は“花園”っていう町なんですけど、“秘密の花園”みたいな‥‥ちょっと隠れてて、探さないと見つからないような場所というのも気に入りました」。
“秘密の花園”らしく、扉を開けて中に入るとそこには香川の良いものがたくさん広がっています。
「あと、この場所の背景がいいんです。ギャラリーの前は空き物件で、元々は座卓屋さんが入ってたようです。内見に来た時、昔使われてた天板が転がっていたり、ロッカーや古い振り子時計がそのまま残されてるのを見て、これは使えるな。と即決しました。今の什器は、その天板をテーブルに作り変えてもらったり、什器として使ったりして、そのまま使っています」。

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工芸品の見せ方を考える実験

「IKUNAS g」は、冊子IKUNASで紹介した商品を実際に見て、買える場として2009年にスタート。
「取材で出会った物や人の中で、ストーリーに強く共感ができて、これは紹介したい!思うものだけを集めています。香川にはいろんな物産があるけれど、その中でもIKUNASの視点で選んだ、私達が本当にいいと思ったものだけを丁寧に発信していくお店です。それを面白がってくれる人が集まってくれたらいいかなって。媚びずに、自分たちのやり方を大事にしていきたい。元々、“工芸品の見せ方を変えたい”という想いが先にあって、見せ方の実験をしてるような感覚です。あんまりお店としては捉えてないかも( 笑 )ものと人を繋げる方法、見せ方のひとつとしてお店があるようなイメージです」。

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冊子もお店も「繋ぐ」ための媒体

「役割で考えると、ギャラリーも冊子も同じかもしれません。触れれるか、読めるかの違いはあるけれど、やっていることは“繋ぐ”ということ。IKUNASの活動を通してやってることは、ものと人やものともの、人ともの等を“繋ぐ”ための媒体づくりなんだと思います」。

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「IKUNAS」という“ものづくり”をしているから、共通言語で話せること。

「冊子IKUNASは、本というプロダクトを作っている感覚です。IKUNASという、ひとつのクリエイティブ。例えば紙質でいうと、この触感が良くって特別な紙を取り寄せてるんですけど、コストが見合ってないんじゃないか、重すぎるんじゃないかとかいう意見もあって議論したり。これって、例えば漆器というプロダクトを作る過程にも共通することがいっぱいあると思う。だから、工芸のものづくりの課題に向き合う時も、同じ“プロダクトを作っている人間”として話がしやすいなと思うんです。自分たちのものづくりと照らし合わせて話すと、スムーズに話が出来ることが多い気がしています」。

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工芸の現状は、どっち向いても課題だらけ。

「伝統工芸は、過去のものじゃないし、今生きてるもの。生活に根付いた“普通のもの”だったのに、いつの間にか“希少なもの”になってしまいました。身近なものじゃ無くなっちゃって距離があるのが、私的には面白くない。作ってる人たちはすごく面白いし、もっとみんな普通に面白がっていいと思うんです。だから、ここに面白いものがあるよ、いいものがあるよって常に発信をしていきたい。
あと、職人さんが持っている工芸の“技術”を、いろんなところに繋いでいくことをしています。たとえば、完成されたひとつのプロダクトだと確約された受注があるわけでも無いし、安定しない。それだと雇用にも責任が持てなくなるから続いていかない。でもその“技術”を大きな経済圏のあるところに持っていって取り入れることは出来ると思うんです。たとえば、筆を作る人がいたとして、筆そのものでは無く、筆を作る技術を活かすような。他のプロダクトと掛け合わせたりしながら、守っていけるものづくりもあると思うので、IKUNASはそこを繋いでいきたいと思っています。工芸の現状は、どっち向いても課題だらけだけど、だからこそやれることはまだまだたくさんあります。俯瞰して見て、必要なピースを掛け合わせていくような。IKUNASが関わることで、可能性の引き出しを増やしていきたいですね」。

IKUNASは、冊子やお店だけでなく、地域・社会とものづくりを繋ぐ重要な媒体として機能を果たしていました。また、作り手が持つ技術やプロダクトの魅力などの情報を整理した上で変換し、適切な形でアウトプットしていくという作業は、グラフィックデザインの背景を持つIKUNASらしい手法なのだろうと感じました。
読者と香川を深く繋げるIKUNAS、ぜひ手に取って見て頂きたい一冊です。

ここにあります。

IKUNAS g( ギャラリー )、IKUNAS公式オンラインショップ・四国を中心とした全国の書店で販売。※詳しくはIKUNAS HPをご確認ください。

IKUNAS g(ギャラリー)
香川県高松市花園町2丁目1−8 森ビル2F
087-833-1361
11:00~17:00
日祝定休
※ワークショップなどのイベント情報はHPをご確認ください。

全国各地のローカルマガジンを探しています。

旅をもっと楽しむために手に入れたい、全国各地から発信されているローカルマガジンの情報を募集しています。うちの地元にはこんな素敵なローカルマガジンがあるよ、という方、ぜひお問い合わせフォームよりお知らせくださいませ。
※掲載をお約束するものではございません。あらかじめご了承ください。

文・写真:西木戸弓佳

わたしの一皿 うりずんの頃

あたたかくなるころによく使いたくなるうつわがある。食べたい食材や料理からうつわを選ぶときもあれば、こんな風に気候やその日の天気なんかでうつわだけ先に決めることもある。みんげい おくむらの奥村です。

今日使いたいのは沖縄のガラスのうつわ。冬にガラスのうつわを使わないわけじゃないけれど、あたたかくなると手にとる数がとたんに増える。沖縄は、この時期「うりずん」という緑が濃くなる南国の春。強い太陽の光を受けて、キラキラするガラスのうつわを想像するとそれだけでワクワクしてしまう。

沖縄らしいガラス工芸と言えば、再生ガラス(リサイクルガラス)。なにかに使われたガラスを、もう一度とかして使う。たとえば、泡盛に使われる白・茶・緑などの一升ビンが、同じ色のコップや皿に。とかされたガラスがコップに変わるまではものの数分。リズミカルで見飽きない。この再生ガラスというのは世界各地にあるものだけど、戦後物資不足の中で米兵が飲んだコーラやセブンアップのビンを使ったり、と、沖縄にもずいぶん縁が深い。ちなみに、今日のうつわは奥原硝子製造所という老舗ガラス工房のもの。

個人的に特に好きで、沖縄らしいなと思うものは板ガラスから作られるこの青。窓ガラスなどに使われるもので、青いような、緑なような、やわらかい色合いがたまらない。春のやわらかな日ざしが当たるとまたこれが素朴に美しい。手を触れるとガラスにしては厚ぼったいのに驚くかもしれない。再生ガラスは強度が弱まるから、あえて少し厚い。慣れてしまうと、緊張感がなくてかえってよいもんなんです。

うつわの話はキリがないですね。そろそろ料理の話。この時期、近所の八百屋のくだもの売り場が冬にくらべてにぎやかになる。露地のビワの盛りは本当はもう少し先だけど早いものを見つけてしまって我慢ができなかった。

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くだものを料理に取り入れるとなんとなく食卓が華やぐ。昔は酢豚のパイナップルぐらいだったが(これは得意ではない)、和食なら白和え、洋風ならサラダが定番。やってみるとあまり難しいことはなく、いろんなくだものが合う。今日のビワなんかは生ハムで巻いても良いですね。かんたんで。白ワインぐびり、ぐびり。

今日は、ある土地のイタリアンシェフに教えてもらった技。イタリアンは和食に通じる、素材重視な料理だそうで、良いくだものは良いオリーブオイルと塩があればそれだけでおいしいのだそう。それに季節の柑橘でも絞れば、さらに良し。

そのままでもおいしいビワを適当に切って、塩、オリーブオイル、最後に柑橘をぎゅっと。これだけなのになぜかしっかり「料理」な気分になるのです。不思議だなぁ。良質なオリーブオイルはぜひ用意してもらいたい。ぜんぜん違いますよ。

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こんなことが果たして「技」かと言えば、教えてくれたシェフが赤面しそうですが、案外知らない人が多い。はい、僕もそうでした。

くだものを食べようと思うとやれ皮をむくのが面倒だ、とかなりがちなのですが、酒の肴をつくろうと思えば体が動く、すぐやれる。酒飲みの気持ちって不思議なもんですね。ということでこれはあたたかい日の夕方に、ちょいと乾いたのどを白ワインで潤すのにどうぞ。厚手の再生ガラスのうつわは酔っぱらって扱いが荒くなってもなかなか割れないのですよ。ふふふ。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文:奥村 忍
写真:山根 衣理

無限の色を持つ、墨

こんにちは、さんち編集部の井上麻那巳です。
前回の記事で日本の伝統画材のいろはを教えてもらった伝統画材ラボ「PIGMENT」の岩泉さん。今回から3回にわたり、岩泉さんのご案内で伝統画材の製造現場にお邪魔します。第1回目は前回の記事で「無限の色を持つ」と教えてもらった墨。それでは早速行ってみましょう。

奈良で200年余りの歴史を持つ墨運堂へ

向かったのは、奈良市で生まれ200年余りの歴史を持つ墨・書画用品のメーカー、墨運堂。墨運堂は、はじめて墨がつくられてから1300年以上経つという奈良の地で生まれ、現在では液体墨から建築用品や園芸用品まで、幅広く製品開発を行なっています。今回は固形墨の製造を中心に見学させてもらいました。

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墨の原料、スス

「前回のおさらいですが、墨には、大きく分けると2つの種類があります。ひとつは油煙墨(ゆえんぼく)。もうひとつが松煙墨(しょうえんぼく)です。墨のもととなるススの採取方法が違い、油を不完全燃焼させてできたススからは油煙墨、松のチップを燃やしてできたススからつくるのが松煙墨です」。

「こちらが松煙墨をつくるときの原料である松のチップです。3つの種類があり、生木より採取した生松(いきまつ)、伐採後放置された切り株である落松(おちまつ)、伐採後10年から15年経過した松の根を根松(ねまつ)と呼びます」。

落松と根松
落松と根松
生松
生松

「ここではつくられていないのですが、こちらに油煙のデモンストレーションがあります。菜種油などの植物性の油を灯油皿に入れて灯芯(とうしん)に点火し、覆った皿に付着したススを採取します。芯はイ草を用い、芯の太さによっても違った仕上がりのススができます」。

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「余談ですが、みなさんの化粧品に使われるカーボンブラックはこういった油煙や松煙から生まれた植物由来のものです。最近では墨のようななめらかさや濃密な発色をイメージした化粧品も開発されているなんてお話もありますし、そう考えると身近な感じがしてくるでしょう」。

職人による練りは力仕事

練る前のスス
練る前のスス
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「こうして出来上がったススは、膠(にかわ)と練り合わせ、実際の製品の木型に入れていきます。型に入れるのは、大きさにもよりますがおおよそ10分間ぐらい。見ているとわかりますが、墨を練る作業は力仕事。大きな機械を使って練った後で、こうして職人による手や足を使っての仕上げの練りの作業に入ります」。

足も使うんですか!

「そうです。うどんの生地を練るような感じで、棒につかまりながら踏んで練っていきます。それに、墨は冷えると硬くなってしまいますから、型入れの作業中はああやってお尻の下に置いておくんですよ」。

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足を真っ黒にして、一心不乱に作業をしていた職人さんはこの道15年だそう。15年のキャリアがあっても「まだ15年です」と控えめに答えてくれたのが印象的でした。

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実際の練られたてホヤホヤの墨を触らせてもらうと、やわらかくてあったかい。粘土のようなやさしい触り心地でした。

野生の梨の木からつくられる木型

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「木型は主に野生の梨の木でつくられています。梨の木は、木が固くて油が少なくて、木目がきれい。そういったことから梨の木を採用しているのですが、梨の木は植林されていないので、製材屋さんが山に入った時に、見つかったら送ってもらうという契約をしているそうです」。

木型の材料である梨の木
木型の材料である梨の木

「墨運堂さんでは木型も社内でつくられています。細かい図案もひとりの職人さんの手によってひとつひとつ彫られています。そのとき、木目の悪いところは取らず、良いところだけを使う。よく身が詰まった墨ほど、よく見ると木型の木目が移っています。墨の表面は、良い墨を見極めるときのひとつの目安にもなりますね」。

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こんなに細かいものも
こんなに細かいものも

手しごとによる仕上げと乾燥

「一部の墨には釉薬(うわぐすり)を塗って、磨きをかけていきます。ひとつひとつ丁寧に手しごとで仕上げています」。

このブルーの液体が釉薬です
このブルーの液体が釉薬です
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「出来上がった墨の表面の文字や図案に顔料を入れていきます。このように、文字だけのものもあれば細かい絵柄が多く入っているものも多く、その分職人さんの高い技術が求められます」。

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「出来上がった墨はこうして自然乾燥していきます。墨運堂さんには180あまりの種類がありますから、ひとつひとつ棚ごとにラベルをつけて管理されています」。

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1日1組限定、貸し切りの試墨庵

「先ほど180種類と言いましたが、墨はたくさんの種類がありながら、一見しただけでは違いがわかりにくい。そういった使い手のために、墨運堂さんでは試墨(しぼく)するための場所を用意しています。それがこちらの永楽庵です。僕も学生時代は入り浸っていました (笑) 」。

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「この棚の中にひとつひとつ墨が収められ、実際に試してみることができます。紙や硯(すずり)も備えつけていますが、実際には自身の使い慣れた道具を持ち込む人が圧倒的に多い。1日1組限定で貸し切りのため、予約必須ですが、その分ゆっくりじっくりと試墨することができます」。

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ちなみに岩泉さんは墨は何種類ぐらいお持ちなんですか?

「うーん‥‥そうだな、すべてが絵を描くためのものではないけれど、100本くらいかな。やはり、それぞれで色味やにじみ、深みが違うので使い分けています」。

墨だけで100本とはすごいですね。さすがです。やはり墨の世界は奥深いですね。

「墨だけでなく、どの画材も驚くほどの種類があり、手間がかけられています。僕らのお店を通して使い手にしっかり伝えていきたいと思っています」。


次回は三重県にある刷毛の工房へお邪魔します。お楽しみに。

株式会社 墨運堂
奈良市六条 1-5-35
0742-43-0600
boku-undo.co.jp

画材ラボ PIGMENT
東京都品川区東品川2-5-5 TERRADA Harbor Oneビル 1F
03-5781-9550
pigment.tokyo

文・写真:井上麻那巳

墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
「終活」という言葉もある今ですが、実は日本にあるお墓のうち、80%が海外製のものだってご存知でしたか?しかも最近は「墓じまい」と言って、後を継ぐ人がいなくなり処分してしまうお墓も増えているそう。国内の石材屋さんにとってピンチとも言える状況の中、「世界一」とも称される石の産地があると聞いて、香川県高松市を訪ねました。町の名は牟礼町。石の名は庵治石。さて、まず何と読むのでしょうか‥‥?1200年続く石の町をめぐって、お二人の方にお話を伺いました。

「牟礼町(むれちょう)は日本で一番高価な石が採れる産地です」

車の運転席からそう語るのは、今回お話を伺うお一人目、牟礼町で4代続く石材メーカー・中村節朗石材代表の中村卓史さん。向かうのは自社で持つ採石場。車はどんどんと急な山道を登っていきます。

牟礼町は高松市の東部に位置する町。頂に五つの岩峰があることからその名がついた五剣山の麓にあり、山を挟んで隣り合う庵治町とともに、一帯の山から採れる良質の花崗岩(かこうがん)、「庵治石(あじいし)」の産地として発展してきました。

庵治石は日本国内でも牟礼町・庵治町でしか採ることができない特殊な石材です。風化しづらく繊細な細工も可能な細やかな石質のために、古くから墓石材や石灯籠などに利用されてきました。最大の特徴は、磨くと現れる「斑(ふ)」と呼ばれる模様。世界でも庵治石だけに見られる現象だそうで、濃淡のある美しいまだら模様が墓石にも好まれてきました。

ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。
ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。

牟礼町の歴史は古く、採石や加工の記録は平安時代にまでさかのぼるそうです。庵治石を採石する山の麓には自然と石材を加工する職人が住むようになり、日本でも有数の石材加工の産地に発展しました。繊細な庵治石を扱う技術は国内でも評価が高く、現代彫刻家イサム・ノグチが1969年からアトリエと住居を構え、20年ほどの間、ニューヨークと行き来しながら制作活動の拠点とした土地としても知られます。今も、作家やアーティストから作品を加工する協力依頼があるそうです。

車が頂上近くまで登ってきました。長靴着用で外に出ると、眼下にはダイナミックな高松市内の景色が。

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そして振り返ると、今度は空に向かって突き出すような岩山が目に飛び込んできます。

ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。
ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。

ここは「丁場」と言って、各石材メーカーが割り当てられた区域でそれぞれに石材を切り出す場。火薬を使って大きな岩の塊を採り出す、ダイナミックな採石場です。

「実は切り出された庵治石から墓石になるのはたった1%なんです」

庵治石は切り出す丁場に数種の層があり、それらのキズを避けて石材を採っていくと、墓石ほど大きなサイズのものはなかなか採れないそうです。だからこそ希少価値があり、古くから高級石材として取り扱われてきたとも言えます。

加工場にて、キズに赤く線がつけられている。
加工場にて、キズに赤く線がつけられている。

「職人は山の層を見て火薬をどこに、どれだけの量で仕掛けるのかを判断していきます。採れた岩の大きさで職人の腕がわかるわけです」

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切り出された石は麓の加工工場に運び込まれ、墓石をはじめとした様々な形に加工されます。

このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
磨きの工程。
磨きの工程。
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「これが斑(ふ)です。水をかけるとわかりやすいですが、細目、中目と言って目の細かい方が磨くとより青黒くなり、立体的な斑模様になります。目の細かい細目は庵治石の中でも最高品質のもの。だから牟礼町は日本で一番高価な石が採れる町なんです」

水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。

こうした採石や加工の現場は普段なかなかお目にかかれませんが、町なかには石の産地ならではのスポットが点在し、石の町らしい風景を見ることができます。

複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。

そして実は、牟礼町はかの有名な源平の戦い、屋島の合戦の舞台にもなった町。なんと有名な那須与一が矢を放つ際に立ったとの伝説の岩も残されています!

手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。
手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。

他にも源平にまつわる史跡が点在している牟礼町では、そのスポットをめぐる道を灯篭が照らす「石あかりロード」というイベントが毎年夏に開かれます。期間中はおよそ80世帯の家々の前に、200~300点ものあかりが灯されるそうです。全て地域の石材メーカーさんが手がけたもので、気に入ったものがあれば購入することも可能。地域のメーカーさんに一軒一軒声をかけ、このイベントを実現させた仕掛け人が、中村さんでした。

町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。
町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。

「庵治石を知ってもらう、興味を持ってもらうきっかけになればと思って始めました。産地が一番活気があったのはちょうどバブルの頃。60社ほどあった庵治石の採掘業社のうち、今も稼働しているのは20社程度です。石を採り続けて採れにくくなっていることや、後継問題などでお墓を処分してしまう”墓じまい”が増えていること、海外製のお墓の進出が縮小の大きな原因です。今、日本にあるお墓の80%は海外製なんですよ」

海外勢の進出による日本のものづくりの危機、という話はよく耳にしますが、まさかお墓までその状況にあったとは。

「お墓をめぐる状況は最盛期に比べれば厳しいですが、他にも牟礼町では商工会が立ち上げた庵治石の生活雑貨ブランド『AJI PROJECT』が動き出しています。庵治石が世界にも誇れる丈夫で美しい石材であることには昔から変わりありません。今も、お墓に限らずこだわった意匠の建物に庵治石が使われるケースが多いです。いつかお墓や内装などの石材を選ぶ、というときに『庵治石を使ってみたい』と思ってもらえるように、まずは身近に触れてもらえる機会を作っていきたいと思います」

確かにこの取材を終えた後に香川の街を歩くと、庵治石が使われているお店の内装などには自然と気がつくようになりました。

「次に行かれるのは杉山さんの工房ですか?もちろん知っています、ファンなんですよ」

中村さんの案内で、本日お話を伺うお二人目、杉山さんの工房へ向かいます。工房と言っても石の加工ではなく、ガラスの工房です。

Continue reading “墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。”