生ものが一番難しい。手仕事で仕上げる「食品サンプル」作りの裏側

食品サンプルはどこで作られている?

今や、海外観光客のお土産としても人気の食品サンプル。

最近ではスマホケースや文房具、アクセサリーなどの雑貨になっていたり、店頭で使われるサンプルの枠を超えて個人で購入できるアイテムも多く展開されています。

ほんものさながらのミニホットケーキの食品サンプル
本物さながらのミニホットケーキが出来上がりました

子どもから大人にまで注目される、本物さながらの食品サンプル。どのようにして作られているのでしょうか?その最先端の現場へお邪魔してまいりました!

イワサキ・ビーアイの食品サンプル

食品サンプルのパイオニア「イワサキ・ビーアイ」

1932年 (昭和7年) 創業の食品サンプルのリーディングカンパニー・株式会社 岩崎。「イワサキ・ビーアイ」のブランド名で親しまれ、日本国内だけでなく海外からも絶大な評価を得て長きにわたり業界シェア1位を堅持し続けています。

その実績と技術で、博物館で展示される化石や植物などのレプリカや、学校や病院での教材や資料、演劇などの小道具の製作など、食品サンプルの枠を超えた数々の製品・作品を生み出している会社です。

イワサキ・ビーアイの食品サンプル
2016年社内コンクールの作品。技術とユーモアが光るユニークさが衝撃です

TwitterをはじめとしたSNSでの反響をきっかけに、様々なメディアで話題となった同社の個性的な社内コンクール作品でイワサキ・ビーアイの名前を知った方もきっとたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

イワサキ・ビーアイの食品サンプル「爆発するトマト」
爆発するトマト

コンテスト作品では、発想のインパクトが大きいものも多いですが、本物そっくりのリアルさがあってこそユーモアや独自の視点が光ります。その技術によって私たちの驚きと興奮を呼んでいるように感じました。職人さんたちは日々どのようにお仕事をされているのでしょうか。

世界一の工場、ものづくりの現場を体験!

イワサキ・ビーアイの日本最大級の工場を訪ね、職人さんの製作現場を実際に見せていただきました。

案内してくださったのは、広報の黒川友太 (くろかわ・ゆうた) さん。にこやかに迎えていただき、まずはご挨拶に名刺を交換させていただこうとすると‥‥。すごいものが現れました!

イワサキ・ビーアイ広報さんの美味しそうな名刺入れ
広報の黒川さんの美味しそうな名刺入れ

社内の職人さんにお願いして、オリジナルで作ってもらったのだそう。お腹が空いている時に見ると辛くなりそうなくらいリアル。さっそくユーモアたっぷりです。そして、工場エントランスに並ぶ作品にも数々の遊び心が。

イワサキ・ビーアイのユニークな作品「ビーフサンダル」
ビーフサンダル?!
イワサキ・ビーアイのユニークな作品
たい焼き‥‥ですね

工場内に入るまでにも見所が多く、なかなか前に進みません。食品サンプルは店頭でお客さまを惹きつけて店内へと誘うきっかけを作りますが、私も思いっきり惹きつけられてしまいました。ひとしきり拝見したところで、いざ工場内へ!

ここは厨房?料理しているかのように作られる食品サンプル

広々としたフロアには、型を作るセクション、型にビニール樹脂を流し込んで固めるセクション、色付けをするセクション、盛り付けをするセクションなどが並びます。台の上には仕上げ途中の様々な料理やスイーツが並んでいて、さながら巨大な厨房のようです。

イワサキ・ビーアイの食品サンプル工場
型に流し込んだ樹脂を固めるためのオーブンがずらりと並ぶ
イワサキ・ビーアイの食品サンプル工場
引き出しの中には食材がたくさん!不思議な光景です

本物を使う!究極のリアルを追求した型作り

まずはじめの工程として、料理のパーツの型を起こします。飲食店のお客さまからの発注をもとに、営業さんがスケッチを描き、写真を撮影し、見せたいところなどをヒアリングした資料を作成します。

それを元に製作‥‥とはならず、驚くべきことに、実際の料理を工場へ持ち帰り、実物そのものにシリコンをかけて固めて型を取っていくのです。

お店で提供している料理と同じになるようにとリアリティを追求した結果、このやり方に行きついたのだとか。溶けてしまう素材や、麺類など汎用性のある素材以外は全て細かく型を起こしていきます。

この日は唐揚げを型入れしていました (本物の唐揚げです!) 。少しずつシリコンをかけて固めます
こちらは飾り切りされた野菜を型入れしているところ
出来上がったシリコン型。ここに樹脂を流し込みます

「生もの」は本当に難しい。“らしさ”を追求する色付けの世界

型が出来上がると、次は型にビニール樹脂を流し込んで、サンプルの形を作っていきます。

この後、出来上がったものに塗料を吹き付けて着色するのですが、固まる前の樹脂にベースの色を付けておくと、より本物に近い雰囲気を作り上げられるのだとか。樹脂にベースとなる色を混ぜ込んでからオーブンで熱を加え、硬化させます。

様々な食材の色の顔料が作られ、ストックされています。お魚屋さんの札を見ているような気分になりました
こちらはローストビーフの色。意外とピンク色なのですね

オーブンで熱を加えることで固まるビニール樹脂。加熱後に色味が少し変化するので、仕上がりの状態を予測しながら色を混ぜています。1つのパーツに複数の色を付けたい場合は、部分的に型に流し込んでは加熱する工程を繰り返して仕上げていきます。

数回に分けて色の異なる樹脂を固めていきます。例えば手前のエビは足の部分に流し込んだ樹脂を加熱してから白い体の部分の樹脂を型に流し込んで加熱して出来上がります

形が出来上がった樹脂に色をつけて、本物に近づけていきます。

着色前の状態。実際のパンから型を取っているので表面のざらつきなどが精巧に再現されています
エアブラシで色を吹き付けていきます
イワサキ・ビーアイの食品サンプル「フランスパン」
着色が終わると、この通り本物さながらの姿に!

着色を担当する職人さんにお話を伺うと、大根の煮物など、味が染み込んでいる様子を再現するのが難しいとのこと。透明感を残した奥行き感と醤油や出汁などが染み込んだ美味しそうな雰囲気を出すには、樹脂を固める時の色付けと、後から吹き付ける着色作業との連携が重要と解説していただきました。

イワサキ・ビーアイの食品サンプル「おでん」
難しい技術が必要な煮た大根
焼き色を付けるのはさほどに難しくないとのことでしたが‥‥いやはや職人さんの技ですね

そして何より一番難しいのは、「神様が作ったもの」なのだそう。生魚など人間が手を加えていないものの「らしさ」追求は腕の見せ所。ウロコの色合いや質感を再現するには観察力と感性を磨く必要があるとのことでした。

イワサキ・ビーアイの食品サンプル「お刺身」
お刺身など自然そのままのもの
微妙な色合いを出していくために様々な塗料が並ぶ。魚のウロコ色なんていうものも!

本物にしか見えないタマゴサンド!料理の工程が参考になることも

こうして出来上がった各パーツをお皿の上に盛り付けたり、組み合わせて料理を仕上げていきます。

お米のようなこちらは「ごはん」の素パーツ
艶のある糊と合わせることで炊き上がったごはんの姿に

お米が炊き上がったご飯に変身するように、実際の調理の工程に近い形で仕上がっていくものが様々あり、とても興味深いものでした。中でも印象的だったのが、サンドイッチの製作工程でしたので、ご紹介させてください。

具沢山のサンドイッチ

こちらのサンドイッチは、焼き色を付けた白いパンに、カットした具材パーツをはさんで糊付けしています。さて、中心のタマゴペーストの部分はどのように作られていると思いますか?

粘剤に黄色の塗料を加えて混ぜます。自家製マヨネーズのようです!

まずは粘剤を作り、そこに細かく刻まれたゆで卵のような樹脂を合わせて混ぜ込んでいきます。

粘剤に黄色と白の細かい樹脂を混ぜ合わせるともうタマゴサンドの具にしか見えません!!

自宅でタマゴサンドを作る時にそっくりで驚きました。製作する際に、実際のお料理の工程を思い浮かべて、よりリアルな仕上がりで作業効率の良い製作方法を考えていくこともあるのだとか。

仕上げ工程での難しさを伺ったところ、意外なお返事がありました。

苦心するのは、出来上がったサンドイッチを箱などに詰め合わせるところなのだそう。本物を詰めるときは具材の柔らかさを利用してギュウギュウと詰めることができます。

一方で、このふわふわに見えるパンはカチカチ (うっかり失念してしまいそうですがビニール樹脂ですので) 。そのまま詰めようとしても縮んではくれないので、形が崩れない程度に少しずつ削ってパズルのようにはめていくのだそうです。

ふわふわのパンに見えますが実際には硬い樹脂でできています!

3Dプリンタでは表現しきれない、「美味しそう」の感性

工場内を見学させていただいた後、工場長の寺島貞喜 (てらしま・さだき) さんのお話を伺うことができました。

工場長の寺島さん

「新人の頃は、毎日スーパーや飲食店で食材を眺めていました。食事する時も、どんな風にチーズを伸ばしたら一番美味しそうか?とか、寿司のネタの透明感ってどんなものか?とか、ずっと考えて研究していました。職人は『美味しそうに描く』センスや表現力を培うことが求められます」

美味しそうに見えるようにタレの茶色の濃度を何度も調整しながら塗っていました

「実物や写真を見たままに写す、ただただそのまま作ると『モノマネのサンプル』になってしまって本物の魅力が伝えきれません。一度頭に取り込んで美味しそうな要素を引き立て演出します。3Dプリンタなどで機械的に作ったものより、こうして職人が手で作ったものの方が、魅力や温度感が表現されて、不思議と美味しそうにで映るんですよね。

例えば、シューマイの皮から透けて見える肉の感じ。これを美味そうだなと思うのはどんなところなのか、そこを追求して作っていきます。腕の見せ所です。塗るところ、塗らないところのメリハリや全てを描ききらないでスッキリさせる勇気が必要です。

そうして、クライアントのみなさんの期待や実物以上のものを届けられるようにしています」

シロップのしたたる様子も1つ1つ時間をかけて作り上げていきます

工場で働くみなさんの、どうやったらもっと美味しそうに見えるか?と、創意工夫し続ける姿が印象的でした。

社内コンクール作品の展覧会や、食品サンプル作り体験も実施

イワサキ・ビーアイでは、普段の仕事で培った技術や感性を思いっきり使って自由な創作ができる、腕試しの機会として年に1度の社内コンクールが開催されています。

2016年のコンクール出展示作品

普段のクラアントワークではできないような自由な創作ができる機会。職人さんモチベーションの高さには、そうした気持ちを大切にする風土や環境作りが大きく影響しているようにも感じました。にこやかで雰囲気の良い場で日々生み出されるクリエイティブ。

社内コンクール作品は、「おいしさのアート展」として毎年夏に一般公開されています。子どもから大人まで魅了する食品サンプルの世界。タイミングが合えば、ぜひ訪れてみてください。最新情報は公式サイトから。

2016年のコンクール出展作品

食品サンプル作り体験
同社の消費者向けブランド「元祖食品サンプル屋」では、一般客向けの食品サンプルや、食品サンプル製作キット「さんぷるん」の販売、昔ながらのロウを使った食品サンプル製作体験も行なっています。大人も子どもも参加可能です。

「元祖食品サンプル屋」合羽橋店で実施されている食品サンプル製作体験の様子。楽しそうです

<取材協力>
株式会社岩崎 (イワサキ・ビーアイ)

文・写真:小俣荘子(一部写真:イワサキ・ビーアイ提供)

こちらは、2017年8月13日の記事を再編集して公開いたしました。

「一杯のコーヒーができること」を考え抜いた喫茶店──京都・市川屋珈琲が伝える工芸の魅力

かつて清水焼の工房が軒を連ね、陶芸家・河井寛次郎も暮らした五条坂界隈。

三十三間堂や清水寺、高台寺などの名だたる観光名所に囲まれながら、街角には小さな和菓子屋さんや銭湯、お豆腐屋さんが残り、昔と変わらぬ人々の普段の暮らしが息づいている。

そんな閑静な一角で、2015年に暖簾を掲げたのが「市川屋珈琲」だ。

清水焼の家系に生まれた、コーヒー好きの青年。

店主の市川陽介さんは、お祖父さんとお父さんが清水焼の職人という家系に生まれ、幼いころから工芸の世界に慣れ親しんで育った。しかし、自身が志したのは陶芸家ではなくコーヒーの世界だった。

店主の市川さん。「イノダコーヒ」で経験を積み、2015 年に独立

「元々コーヒーが好きで、学生の頃から趣味で焙煎をしていました。自分で焙煎したコーヒーをいろんな人に飲んでもらって、“美味しいやん”なんて言ってもらえるのがうれしくて」

本格的にコーヒーの道へ進むことを考えた市川さんは、「どうせやるなら歴史のあるコーヒー店で」と、京都屈指の老舗「イノダコーヒ」の門を叩いた。

そこで18年間、コーヒーについて多くのことを学んだ市川さん。ただ、いつかは店を持ちたいと思ってはいたものの、この場所でコーヒー店を開くことは一切考えていなかったという。

取り壊し寸前だった、清水焼の工房。

店の建物は、市川さんのお祖父さんが清水焼の工房として使っていたもので、8年ほど前までは市川さんが実際に暮らしていた。しかし中心地にある町家よりも大型で管理が難しく、このまま残すか、取り壊すかをずっと迷っていたそう。

「売ろうと思っても、売れるような物件じゃない。3人兄弟のうち私以外は、建物を壊すことで合意していました」

太い梁が残る土間の空間。
太い梁が残る土間の空間。近代的な焙煎機との組み合わせが新鮮

とあるきっかけは、雨漏りの修理を大工さんに依頼した時のこと。建物の痛みがひどく、屋根だけの修理は不可能だと言われた。それならすべて改装し、かねてからやろうと思っていた喫茶店をここで開こうと市川さんは決心する。

開店への道は険しく、改装費は新築の物件を建てる時の約4倍もかかった。それでも、この場所を残したいという想いが勝っていた。

改装は、町家建築のエキスパート集団「京町家作事組」が担当。市川さんが思い描く喫茶店の形を忠実に再現してくれたという。

構想から丸2年、工事期間1年の歳月を経て、清水焼の工房は見事に生まれ変わった。

「街中ではないので、雰囲気が見える店にしたいと思って。道行く人がちらっと中を見た時に、カウンターがあって、コーヒーを淹れている人間がいて、コーヒーを飲んでいる人の向こうに緑が見える、そんな風景が一瞬で視界に飛び込んでくるような空間を作りたかったんです」

坂を下る途中、「市」の字を表すモダンな看板が目に留まり、窓をのぞけばそこがコーヒー店であると気づく。そうやって一人、また一人とお客さんが訪れるようになった。

席は道の往来を眺められる窓際、巨大な焙煎機が置かれた天井の高い土間、店内を見渡せる テーブル、そしてコーヒーを淹れる所作に釘付けになるカウンターと、それぞれに趣があり、訪れる度に新しい風景に出合うことができる。

「どこに座っても楽しめるように」という市川さんの想いが店の隅々にまで行き届いている。

一杯のコーヒーが、工芸への入り口に。

コーヒーに使用するのは、市川さんのお父さんとお兄さんが手掛けた清水焼の器だ。

定番の「市川屋ブレンド」と「青磁ブレンド」はお兄さん、深煎りの「馬町ブレンド」はお父さんの作品で提供する。

右から、市川屋ブレンド、馬町ブレンド、青磁ブレンドに使用するカップ
右から、市川屋ブレンド、馬町ブレンド、青磁ブレンドに使用するカップ

職人としてのこだわりに加え、市川さんの想いも反映させたオリジナルだ。

市川屋ブレンドの器は飲みやすさや持ちやすさ、冷めにくさを追求。飲み口を薄めに仕上げ、器の下部は分厚くして熱が逃げないよう工夫されている。

青磁ブレンドの器は香りを楽しんでもらうために口を広めに仕上げており、馬町ブレンドの器は、深煎りの量に適した少し小ぶりなカップを用いている。

京焼・清水焼は経済産業大臣指定の伝統工芸品だ。ルーツは江戸時代までさかのぼり、野々村仁清、尾形乾山、尾形光琳など、日本史に名を刻む天才芸術家たちによって脈々と受け継がれてきた。

そんな長い歴史を秘めた工芸品片手に、女子大生が楽しそうにおしゃべりしている。

「うちは工芸に関して、比較的間口が広いと思います。コーヒーを飲む時にきれいな器だな、と思ってもらえたら、それが清水焼に興味を持つ最初のきっかけになりますから」

世代を問わず、日常的に営む「喫茶」という行為を通じて、誰もがごく自然に工芸に触れることができる。

そこで手に馴染む感覚を覚え、美しい色合いに心を奪われる。それが工芸の世界へ足を踏み入れる最初の一歩となるかもしれない。

市川屋ブレンドで使用する器は、品の良いツヤや佇まいが高級感を生み出しながらも、淡い青磁の色合いがどこかモダンな印象を与えている。軽過ぎず、重過ぎず、手に持った時の馴染みの良さが、いかに日常のための器であるかということを実感させてくれるだろう。

日常を少しだけ特別なものにしてくれる清水焼のカップ。店では購入も可能
日常を少しだけ特別なものにしてくれる清水焼のカップ。店では購入も可能

コーヒーカップなら、日常にすぐに取り入れられ、明日からでも使うことができる。日常に清水焼のある風景を想像しながら、まずはコーヒーを堪能したい。

工芸はもちろん、コーヒーへの入り口に。

コーヒーは、一杯ずつネルドリップで時間をかけて淹れる。「イノダコーヒ」で長く学んできた市川さんの真骨頂だ。

抽出に時間を要するネルドリップは、一杯一杯の提供が根気のいる作業となる。それでも今の方法にこだわるのは、「喫茶店として、長くゆっくり過ごしてもらうにはネルドリップが一番」という想いがあるから。

ペーパーに比べ、とろんとした甘さが特徴で、時間が経ってもあまり味が変わらない。

本を読んだり、友人とのおしゃべりに夢中になっても、ひと口目の感動を最後まで味わうことができる。

また、豆はすべて自家焙煎。季節や毎日の気候によって少しずつ焙煎や抽出法を変え、常に理想の味を提供できるよう日々神経を研ぎ澄ます。

そしてメニューに並ぶのは、バランスの取れた3種類のブレンドのみだ。

3種のブレンドはそれぞれ購入も可能。100gと200gを用意
3種のブレンドはそれぞれ購入も可能。100gと200gを用意

最近のコーヒーの傾向と言えば、シングルオリジンで産地の特徴を楽しむのが主流になっているといえるだろう。

しかし、普段コーヒーに馴染みのない人が「ブラジル」や「グァテマラ」といった産地だけでコーヒーを選ぶのはかなり難易度が高い。

一方ここで選ぶのは、甘み、酸味、苦味のみ。これなら初心者でも選びやすく、どんなコーヒーなのか想像もしやすいだろう。そして口に含んだ瞬間、想像もしていなかったような角のない口当たりに誰もが驚かずにはいられない。

普段コーヒーに親しんでいる人にさえ、新たなコーヒーの世界への扉が開かれていくようだ。

「うちは比較的やわらかいコーヒーを楽しみたいというお客さんに向いています」と市川さん。深煎りの馬町ブレンドも、一般的な深煎りコーヒーよりあっさりとした印象を持つ人も多いはず。

実際、普段はミルクと砂糖を必ず入れるという年配客も、「ここのコーヒーはミルクなしでも飲める」と最後までブラックで楽しんでいるそう。

ここは工芸とコーヒー、どちらの入門編にもピッタリの場所なのだ。

「飽きさせない」という、喫茶店としての役割。

「しっかりとした店構えはお客さんを和ませ、飽きさせない」ということをイノダコーヒで学んだという市川さん。

ピカピカに磨かれた民芸調の家具、季節ごとにしつらえを変える床の間など、店内は隅々にまで美意識が行き届き、懐かしい雰囲気の中で特別な時間を過ごすことができる。

「最終的に、お客さんが気持ちよく帰ってもらうにはどうすればいいかをいつも考えてやっています」

店の雰囲気、器、コーヒー。すべてが合わさってひとつの「味」になる。そして店を出るころには、何とも言えない充実感がこみ上げてくる。

そこには五感に訴えかける心地よさがあり、この店が「また来たい」と思わせる魅力に溢れているからだろう。

何度でも足を運びたくなる理由が、この店にはたくさんある。

絶大な人気を誇る季節のフルーツサンド
絶大な人気を誇る季節のフルーツサンド。果物の一番良い時期を見極め提供する

コーヒーだからできる、工芸の魅力発信。

清水焼の職人としての祖父と父、そして兄を持ちながら、コーヒーの道へすすんだ市川さん。しかし今、受け継がれた伝統の魅力を誰よりも伝えたいという想いがある。

「ここでは清水焼の器をまず手に取っていただき、それが使用される時の美しさ、心地よさを体験してもらえたら」

直接伝統を受け継がなくても、伝統を守ることができる。未来へ受け継ぐことができる。そんなことを、一人のコーヒー店主に教えてもらった。

<取材協力>
市川屋珈琲
京都市東山区渋谷通東大路西入ル鐘鋳町396-2
075-748-1354

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

技術があればこそ自由自在。知るほどにおもしろい、萬古焼の世界

旅に出たら、その土地のことをもっと知りたくなるもの。旅先にあるミュージアムは、そんな思いを叶えてくれます。

今日は、三重県四日市市で出会った「BANKO archive design museum」を紹介します。

キューピー
輸出用に作られた陶製のキューピー人形は、世界中のコレクター垂涎の品。このキューピーを見るために来館する人もいるのだとか

土鍋、急須だけじゃない、多種多様な「萬古焼」

ここは、萬古焼を産業とデザインの面から紹介する小さなミュージアム。2015年にオープンしました。

ロゴのデザインは、三重県す出身のイラストレーターで村上春樹の装幀などでも知られる大橋歩
ロゴのデザインは、イラストレーターの大橋歩さん。村上春樹作品の装丁などでも知られる大橋さんは、三重県の出身。地域にゆかりのある方なのです

立ち上げたのは、食器から巨大モニュメントまで幅広い作品を作り出す人気陶芸家の内田鋼一さん。萬古焼の常設展のほか、年に2回の企画展が行われています。

展示品の中心は、古萬古や有節萬古とよばれる古いものではなく、明治時代から戦後にかけて発達した産業遺産としての萬古焼。

「骨董であれば多くの人が勉強するし、すでにコレクションを展示している場所があります。でもこの時代の萬古焼は全然知られていないし、資料館もありません。

萬古焼は面白いものがたくさんあるのに、もったいない。作る人も伝える人も減ってきた今、アーカイブとして残すことが重要なんじゃないかと考えたんです」と、内田さん。

館長の内田鋼一さん
館長の内田鋼一さん

萬古焼というと、土鍋や急須が有名です。しかし、江戸時代に始まった萬古焼にはそれだけでない多様な技術と様々な製品がありました。時代に合わせて、新しいものを取り入れ自由自在に変化してきたのだそう。

統制陶器、代替陶器の萬古焼

内田さんに案内していただきながら、知られざる萬古焼の世界をのぞいてきました。

本物そっくりに作られた、代用陶器

7つのテーマに分かれた展示室。特に興味深かったのは、代用陶器と呼ばれる戦時中に作られたもの。

太平洋戦争中に金属が徴集されたことで、これまで金属製だった品を陶器でつくる代用陶器が生まれました。各地で様々なものが作られましたが、萬古焼でつくられたものは、一見焼き物には見えない「本物そっくり」であることに驚かされます。

どちらが琺瑯か迷うほど似せて造られた洗面器
縁の青いラインまで再現された陶製洗面器
本物そっくりに造られたガス台
金属のガスバーナー、ガスコンロを模した代用陶器。細かいディティールまでそっくり
鉄瓶を模した陶製やかん。表面に凹凸をつけ、鉄瓶の質感も表現されていました
鉄瓶を模した陶製やかん。表面に凹凸をつけ、鉄瓶の質感も表現されていました

様々な制約がある戦時中、こうしたデザインの代用陶器の存在は人々の暮らしを励ましてくれるものだったかもしれません。

「製品の形を完全にコピーした意図は不明ですが、ここまで再現できたのは技術があったからこそ。四日市は、瀬戸、美濃、常滑、信楽、京都といった大きな窯場に囲まれた場所です。

良質な土にも恵まれなかった土地で、試行錯誤をしながら技術を磨いて生き残ってきた歴史があります。その結果として、こうしたものが生まれているのは興味深いですね」

萬古焼の印として「万」が記され番号が付いている
昭和15年 (1940年) から終戦後しばらくの間、全国の各窯場では生産数が管理され、すべてのやきものには生産者や生産数などの照合ができる管理番号がつけられていました。萬古焼には「万」と記され番号が付いています

ポップでキッチュな貯金箱

こんな色鮮やかで可愛らしいアイテムもありました。

大黒様と恵比寿様の貯金箱
大黒様と恵比寿様の貯金箱
戦車の形をした貯金箱。色使いがかわいらしい
戦車の形をした貯金箱

戦前から戦中にかけ国の政策として国民に貯金を推奨したため、貯金箱が大量に作られました。人気の娯楽や人々にとって親しみのあるモチーフを使ってデザインされていたようです。

いち早く、海外需要にも対応

有名窯元では作らないような、どんな注文にも対応する融通性があった萬古焼。東海道に位置し、明治時代に入ると四日市港の開港や鉄道の開通など、交通網が発達したことが追い風となり、いち早く輸出も始まりました。明治から昭和にかけては色鮮やかな玩具や輸出向けの人形も多数手がけています。

逆境が生んだ、鮮やかな色

焼き物に適した良質の土が取れなかった四日市。高温の焼き締めに不向きな土であることを逆手に取る工夫がありました。

「釉薬は、高温になるほど色が濁るので、窯の温度が低い方が鮮やかに仕上がります。その技術を高めて豊富なカラーバリエーションを展開していったのが萬古焼の職人でした。

赤絵、青磁、腥臙脂釉 (しょうえんじゆう) など様々な技法を取り入れる傾向は、すでに江戸時代の古萬古や有節萬古からありましたが、その後も鮮やかな色彩の焼き物を多く生み出し続けてきました」

色合いの美しいモダンなうつわは、現代においても新鮮に映ります
色合いの美しいモダンなうつわは、現代においても新鮮に映ります
鮮やかなグリーンの器

北欧食器を作っていた、萬古焼の陶工

時代の空気を取り入れながら、創意工夫を繰り返してきた萬古焼の職人たち。実は、北欧のテーブルウエアを支えていたのも四日市の陶工でした。

北欧のテーブルウエアとして広く普及しているストーンウエア。遠く離れた日本で製作していたのが松岡製陶所でした。惜しまれながら廃業した松岡製陶所の食器が見られるのも、このミュージアムならではです。

ストーンウエア
鮮やかな色彩と光沢感が美しい日本のストーンウエアは、1970年代に萬古の地で生まれました
1970年代のデンマーク陶器メーカー「ストーゴ社」の食器。これらは松岡製陶所でつくられていた
1970年代のデンマーク陶器メーカー「ストーゴ社」の食器。松岡製陶所が生産していました

こうした萬古焼の展示のほか、道具や人にスポットを当てた展示も。

量産に向かない「贅沢な」木型

江戸時代に「新しいものを作り出したい」という熱意から生まれた急須の木型は複雑な作り。型の周りに土を貼り付けて成形したのち、中心の棒を抜いてパズルのような細かなパーツをばらして取り出します。手間がかかるため「複製はできるけれど量産には不向き」という贅沢な木型なのだとか。

急須の内側に柄ができるものなども。複製はできるが、複雑なため量産には不向きという贅沢な木型
内側に型押しがされるように柄が彫られたものも
急須の道具
複雑にこまかく別れる急須の木型

萬古焼を愛でた人、影響を与えた人

北大路魯山人の経営する美食サロン「星岡茶寮」の支配人を務めた、美術評論家の秦秀雄。骨董を極めた彼は晩年になって、それまで誰も評価していなかった、近辺の雑記に目を向けるようになりました。そのなかでも特に愛したのが萬古急須だったのだそう。

秦秀雄の部屋
秦秀雄ゆかりの品と、同氏が高く評価した萬古焼作家の笹岡春山の作品が並ぶ展示室

こちらは陶磁器デザイナーの日根野作三の仕事にスポットを当てた展示。

陶磁器デザイナーの日根野作三の仕事

同氏は、四日市を始め日本各地の焼き物産地でデザイン指導を行い、戦後日本の陶磁器デザインの道筋を作ったと言われる第一人者です。手がけたデザインから、萬古焼へ与えた影響が伺い知れます。

日根野作三のデザイン帖。かの濱田庄司は「戦後日本の陶磁器デザインの80%は日根野作三によるもの」と語っていたといいます
日根野作三のデザイン帖。かの濱田庄司は「戦後日本の陶磁器デザインの80%は日根野作三によるもの」と語っていたといいます

知るほどに面白い萬古焼

人気作家の内田さんが作ったということもあり、オープン当時から注目されたこのミュージアム。展示内容に魅せられた人々から評判が広がり、今や県外や海外からも多くの人が訪れるようになっているそう。

「ここをきっかけに萬古焼のことを知ってもらって、魅力が伝わればいいなと思っています」

そう語る内田さんは、もともとは萬古焼と強い結びつきがあった方ではありません。どうしてミュージアムを作ることになったのでしょう。

萬古焼作家ではないし、出身は名古屋という内田さん。「まさか自分で作ることになるとは‥‥」と漏らしながらミュージアムを作った経緯をお話ししてくださいました
萬古焼作家ではないし、出身は名古屋という内田さん。「まさか自分で作ることになるとは‥‥」と漏らしながらミュージアムを作った経緯をお話ししてくださいました

「三重県の依頼で地域産業のアドバイザーや萬古焼のブランディングに関わる中で、地元の人たちが萬古焼についてあまり知らず関心が低いこと、自信がないことが気になっていました。私が蒐集していた陶器の中には萬古焼もたくさんあって、面白いものだと思っていたので。

会議の中で何度も資料館を作ろうという話も出ましたが、そういった状況もあり、なかなか形にならなかった。それで自分でやることになってしまったのですが。 (笑)

オープンして、外部の人が萬古焼に注目していると知ることで、地元の人たちの意識も少しずつ変わっているようです。今年は萬古焼300周年の節目。いま萬古焼に携わる人が、次の時代の萬古焼を切り開いていってくれたらいいですよね」

いちから内田さんが作り上げた「BANKO archive design museum」。有名窯元以外にもこんなに魅力的な焼き物がある、ということを驚きとともに教えてくれる場所でした。

エントランスからの通路はショップになっている
展示室を出た後は、のんびりショップを眺めたり、併設のカフェで余韻に浸りながら過ごすのも楽しそう。ショップには萬古焼のほか、内田さんがセレクトした国内外の古いものや、オリジナルの手ぬぐいも

見ごたえたっぷりの展示を鑑賞し終える頃には、私もすっかり萬古焼の技術や色彩に魅了されていました。

<取材協力>

BANKO archive design museum

三重県四日市市京町2-13-1F

059-324-7956

http://banko-a-d-museum.com

文:小俣荘子

写真:白石雄太

東京で楽しめる日本旅行。全国の土産ものに出会える〈日本橋 日本市〉が本日オープン

店内に入ると、祭り囃子が聞こえてきた。

 

リズミカルで力強い和太鼓に、軽快な笛の音。懐かしいような、わくわくするような。その旋律は人々が江戸の町を笑顔で闊歩する、賑やかで楽しげな雰囲気を連想させた。

9月25日。東京・日本橋「日本橋高島屋S.C.」に、中川政七商店が「日本の土産もの」をコンセプトに展開するブランド「日本市」の東京初の旗艦店がお目見え。

店の中を見わたせば、北海道・室蘭の懐かしき豆菓子から、軽妙洒脱なパッケージが目を惹く長崎・五島列島のうどん、職人の伝統技が生み出す岩手の鉄器など、全国津々浦々の土産ものが楽しそうに並んでいる。

日本市 日本橋 高島屋SC店

テーマは、「日本を旅するように、ご当地の土産ものに出会える店」である。

江戸時代、五街道の起点として栄えた日本橋

「そもそも日本橋は五街道の起点として江戸時代に栄えた地であり、文化の集合地となった場所。全国各地の名産品が集まり、多くの商売人とお客さんで賑わった町です」

そう話すのは、企画担当者の池原由以さん。

五街道とは、江戸と地方を結ぶために江戸幕府が整備した主要街道のこと。東海道、甲州街道、奥州街道、日光街道、中山道を指す。そして日本橋へと続く五街道は、いつしか諸国の商人たちの有益な旅路となり、日本橋は人や文化が行き交う町へと発展していくことになる。

「そんな日本橋にちなんだ土産もの屋として、“街道みやげ”をテーマに全国各地のいいものをご用意しました」

総アイテム数は1200点以上。さて、どんな出会いが待ち構えているのだろうか。

北海道から沖縄まで、18街道の“いいもの”ずらり

まず目についたのが、街道別の土産ものたち。

日本橋高島屋 SC 中川政七商店が運営する日本市
その土地の魅力がギュッと詰まったいいものばかり

それにしても、驚いたのはその街道数。五街道以外にも室蘭街道、薩摩街道、真珠道という街道まで…知らなかった。街道って、こんなにあるんだ。

日本橋タカシマヤ 日本市
店内に飾られている日本全国街道分布図

「実は、まだまだあります。調べ始めたらきりがないほど!今回はその中から18の街道に着目して、それぞれにまつわる土産ものをセレクトしました」と池原さん。

瀬戸内で育った柑橘ゼリーや青森の紅玉りんごを加えた玉羊羹、山形で栽培されたりんごを搾ったジュースなどの定番商品から、焼き団子味やぬた味など珍しい七種の味が楽しめる山形の煎餅といった、現地ならではのレアものまで。

「商品には、味やデザインはもちろん、そのものができた歴史や背景、作り手の熱い思いを聞きながら、その土地の魅力が凝縮されたものを選びます。実際に旅先で見つけた商品も多いんですよ」

北から南へ。東から西へ。店内をぐるりと一周すれば、全国の街道を旅するような気分で買い物を楽しむことができる。

楽しみ方は人それぞれだ。たとえば、故郷の土産ものを見つけて懐かしさを覚えたり、初めての出会いにわくわくしたり。ときには故郷のものであるにも関わらず「知らなかった」と衝撃を受けることや、新しい土産ものとの出会いが、次の旅先を決めることになるかもしれない。

中川政七商店の日本市・日本橋店
お目にかかったことのない品々がずらりと並ぶ

スタッフが商品にまつわる物語を丁寧に話してくれるのも嬉しい。「宮城のあられは、自分たちでお米を栽培することから始まります。化学調味料も保存料も着色料も使ってなく量産はできませんが、その代わり、小さなお子様も食べれるようなもち米100%の「赤ちゃんあられ」が作れます」とか、島根県の生姜糖について聞けば「ジブリ映画に出てくるような大きな釜でグルグルとかき回しながら煮ているんですよ」というふうに。

「土産話といいますが、商品と一緒に物語を添えることができたら最高ですよね」と池原さん。

江戸の伝統技を生かした、日本橋店だけの逸品も

また、日本橋店だけのオリジナル商品にも注目だ。

中川政七商店の日本市 日本橋店
ディスプレイにはかつての日本橋、木造でつくられた太鼓橋をイメージ
中川政七商店の日本市 日本橋店
日本橋の上を多くの人々が行き交う様子が描かれている

グラフィックアイテムに使用されているのは江戸時代の日本橋の、活気ある様子を描いた日本橋モチーフ(デザイン事務所10inc.[柿木原政広さんと西川友美さん])だ。太鼓橋を渡る人々の陽気な姿や、猫や犬といった動物たち、そして川の両側には、かつて問屋が多く栄えていたことを物語る、白壁の土蔵が建ち並ぶ風景も描かれている。

日本市・日本橋店オリジナルの手ぬぐい
魚を加えた猫の姿も

この日本橋モチーフは軒先ののれんをはじめ、手捺染手ぬぐいや花ふきん、千代布といったテキスタイル商品から、スチームクリームや茶店のだんごもなかのパッケージにも登場。訪れる人々に江戸時代の日本橋の風景を連想させてくれる。

中川政七商店 日本市・日本橋のオリジナル商品
日本橋をモチーフにしたグラフィックアイテムを使用した商品多数

さらに江戸切子や江戸唐木箸などの伝統的な技法を生かし、老舗企業の職人とともに作ったオリジナル商品や、旅の安全とご縁を祈願する旅守りや脚の疲れを防ぐため脚絆にヒントを得た靴下など、良い旅のためのグッズも用意している。

江戸時代から200年にわたり作られてきた東京・利島の「つばき油」
江戸時代から200年にわたり作られてきた東京・利島の「つばき油」
日本市 日本橋店限定 御守箒
江戸箒の老舗・白木屋伝兵衛と一緒に作った「御守箒」。厄をはらい、福を集める意味をもつ
旅守り
江戸組紐を用いた「旅守り」は東京・浅草桐生堂によるもの
カネ十農園のお茶
静岡・牧ノ原台地の茶農園・カネ十農園が手がけたこだわりの煎茶「静岡茶」
梅ぼ志飴 中川政七商店
日本橋の老舗・榮太樓總本舗の「梅ぼ志飴」を麻の老舗である中川政七商店の巾着に詰めて
東京ミッドタウンデザインアワードを受賞した「東京はしおき」
東京ミッドタウンデザインアワードを受賞した「東京はしおき」
江戸唐木箸「日本箸」
日本橋に工房と店を構える川上商店と作った江戸唐木箸「日本箸」
東京・堀口硝子「江戸切子の丸板皿」
東京・堀口硝子とともに日本の伝統文様を合わせた「江戸切子の丸板皿」
膝栗毛の旅くつした
江戸時代の旅人が脚の疲れを防ぐためにつけた脚絆にヒントを得た「膝栗毛の旅くつした」
MERI「布草履」には日本橋店 限定カラー
布製ルームシューズ・MERI「布草履」には日本橋店だけの限定カラーを用意
八王子の大原織物と日本市のジャガード
東京・八王子の大原織物と作った「まめ巾着 八王子ジャガード」

江戸という町を、旅人に楽しんでもらおうとするかのような、粋なラインナップだ。

「宿場町」をなぞらえた期間限定ブースを用意

同店にはもう一つの目玉がある。各街道や都市、自治体、企業などを2週間ごとに特集するPRスペースだ。イメージは街道沿いに栄えた「宿場町」だという。

日本市のPRスペース
店内に5坪ほどのスペースを設けている

「かつて日本全国の商人が文化を発信するために訪れた江戸の宿場町のように、店内にポップアップブースを設け、定期的に全国各地の産地の一品が集まるイベントを実施しています」

ちなみに現在、開催されているのは東海道にまつわる土産ものを揃えた「東海市」。次回は、越前のものづくりを紹介する「福井市」の開催も決まっているのだそう。

「特集する産地ごとにこのスペースのテーマは変わります。その土地のみなさんからじっくり話を聞きながら、どのような企画展にするのか、産地の方々と一緒に作り上げていきたい」と、語る。

土産ものを通して、産地を元気にする

日本市は、中川政七商店が「土産もので地方を元気にする」ことを目的に、進めているプロジェクト。その土地で産まれた工芸やモチーフを何より大切に考え、ときには地元の作り手と土産屋もサポートしながら、地産地消の土産もの作りに取り組み続けてきた。すべては産地を元気にするために。

「日本橋 日本市」は、「日本市」に込められたそうした思いが大きな結晶となった場所。

池原さんは言う。「私自身、旅が好きで。観光地に行くとどんな土産ものがあるのか、いつも楽しみに拝見するのですが、手に取ったものがその土地で作られたものではないことがあって、がっかりしたことがあります。ましてや、日本産ですらないこともある。それはやはり寂しいことです。

もちろん産地に元気がなければ、地産地消でものづくりを続けていくことは難しいのも現実。

だからこそ、たとえ遠い地にいても、産地ならではの一品を選んだり、その土地の人々が懸命に守り育んでくれているものを買うことができれば、それはきっと、その土地の〝元気〟に繋がっていくのだと思います」

日本市日本橋店

日本の首都であり、国際都市である東京で、いつ来ても、日本中の旬の土産ものに出会える──ここは、そんな場所だ。

 

日本市 日本橋高島屋S.C.店

東京都中央区日本橋 2-5-1
日本橋髙島屋S.C. 新館1階

03-5542-1131

営業時間:10:30-20:00
定休日:館に準ずる 

 

文:葛山あかね

間取りを選ばない“変形畳”が、フローリングに和室をつくる

日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多あるなかで、ここでは「もの」につながる記念日を紹介しています。

さて、きょうは何の日?

9月24日は「畳の日」です

「環境衛生週間」の始まりの日であり「清掃の日」であった9月24日。畳替えのタイミングと考えられるこの日を「畳の日」として、全国畳産業振興会が制定しました。住宅材・敷物としての畳の利点をPRする日となっています。

フローリングにも敷ける?新しい畳

生活スタイルの変化に伴い、和室のある家は少なくなりました。い草の香りやゴロゴロと横たわった時の心地よい畳の感触、たまに恋しくなります。

「新たに和室を作るのは難しいけれど、畳のある暮らしを取り入れたい」

そんな願いを叶えてくれるちょっと変わった畳に出会いました。部屋の形やサイズに制限なく、まるでパズルのように自由自在に敷ける変形畳「XT (エクスティー) 」です。

ゲストハウス晴
XTが使われているゲストハウス「晴」の一室。変形畳はモダンなコンクリート壁ともなじんでいます。海外旅行客からの問い合わせも多い、一番人気の部屋なのだそう
フローリングの上に部分的に敷くことも
希望の面積、形に合わせて自由自在に敷けます。フローリングの上に部分的に敷くこともできるので、マンション暮らしでも和室スペースが作れるのです
XT畳
畳1枚あたりのサイズが小さいので、1人で運ぶことも可能。ちょっと片付けておきたい時や、たまの陰干しの際にも気軽に移動できます

通常の畳は長方形。畳ができた奈良時代から1300年の間、ほぼ同じ形のままです。い草や藁などの天然素材が使われている畳の特性上、形を変えることは難しいと言われていました。

この難しさを克服し、新しい畳を生み出したのが、宮城県石巻市の「草新舎」。

宮城県石巻市にある草新舎

この変形畳はどのようにして生まれたのでしょうか。3代目の高橋寿さんにお話を伺いました。

国宝、重要文化財の神社仏閣や旅館の経験が生んだ技

「これまで、特注畳の依頼を数多く経験してきました。例えばお寺では、畳の部屋に大きな丸い柱が立っていたり、曲がり角のある廊下にまで畳が敷き詰められていることがあります。

畳は並べた時に隙間ができてしまったら失敗です。時にはミリ単位の調整をします。美しく敷き詰めるためには、正確な採寸技術や割付技術が求められました。加えて、一般的な形の畳だけでは敷き詰められないので、形を変える必要に迫られることがしばしばありました」

多くの日本家屋での施工を行ってきたそう
草新舎の手がけてきた畳は多岐にわたり、国宝、重要文化財の神社仏閣や旅館では、特殊な形を求められることも多かったそう

「い草を編んで作る畳表は、縦横を直角に折り込むことはできますが、斜めに折ろうとすると毛羽立ってしまったり、傷めてしまうことになります。求められる形が作れるよう素材の研究や加工技術を磨いているうちに、角度のついたもの、縁のないものなど自由なデザインの畳が作れるようになっていました」

空間の形に合わせて敷きつけ方を設計する技術もさることながら、畳づくりそのものに職人の高い技術が必要でした
空間の形に合わせて敷きつめ方を設計する技術もさることながら、畳づくりそのものに職人の高い技術が必要でした。中には、特許を取得している技術も

光の角度によって変わる陰影美

こうして生まれた変形畳。敷いてみると、もう1つ魅力が見つかります。それは、陰影の美しさ。

この畳はすべて同じ素材、降り方で作られたものですが、ものによって色が違って見えます
この畳はすべて同じ素材、織り方で作られたものですが、ものによって色が違って見えます

「光が反射する角度によって畳の濃淡が変わることに気づきました。色彩すら感じます。畳を回転させて使うことで、変化をつけることができました」

太陽の光が入る空間では、時の移ろいとともに畳も表情を変えていくのだそう。

弾力性、調湿性。天然素材で作ることの魅力

人工素材を使った畳風床材には様々な形のものがすでにあったといいます。それでも高橋さんはあえて天然素材を使うことに挑戦し続けてきました。

「歴史を紐解くと、畳文化がはじまった奈良時代の畳は寝具として使われていたそうです。私にとっては、寝心地の良さが畳の条件です。

草の香りに包まれる心地良さは、今でも体に染み付いています。それが天然素材の畳にこだわる大きな理由にもなっています」

心地よい空間を作る畳

「機能面でも天然素材ならではの魅力があります。

弾力のある稲藁を畳の中身に使うことで、座布団いらずの座り心地が生まれ、歩くショックを吸収することから足腰への負担を減らすとも言われます。もちろん、寝心地も抜群です。

また、わら畳床は湿気を吸収する性質があります。部屋の湿度を調整してくれるので、さらりとした肌触りと心地よい空間を作ってくれるのです。室内から吸収した湿気は、日中の乾燥と通気によって、自然に放湿され、その機能は継続的に発揮されます」

知らず識らずのうちに感じていた畳の心地よさは、藁やい草の性質によるものだったのですね。

世界からも注目される、サステナブルな床材

国内外問わず法人、個人いずれの相談も受け付ける草新舎の変形畳は、様々な場所で注目されています。

「国内では、一般住宅のほか、ホテルやジムなどでもXTシリーズの畳を使っていただいています。

フランスには『タタミゼ (タタミーゼとも) 』という日本のことが好きな方々を指す言葉もありましたが、このXTを発表してから、ヨーロッパやアメリカ、ドバイ、インドなどから問い合わせが来るようになりました。

機能性とデザインを兼ね備えた畳が求められているのを感じています。天然素材で環境に負担のないサステナブルなものであることも魅力の1つのようです。

昔ながらの和室でなくとも、畳の心地よさを味わっていただけたらこれほど嬉しいことはありません。現代の暮らしに合った畳をこれからも提案していけたらと思います」

高橋さんお話を伺い、変形畳に触れてみて、その魅力を実感しました。新しい畳の登場によって、和室の可能性が広がっています。

<取材協力>

株式会社 草新舎

宮城県石巻市桃生町神取字屋敷69番地

0120-07-3060

http://soushinsha.co.jp/



ゲストハウス 晴

東京都台東区西浅草2-27-10 豚八ビル3F

http://hostel-haru.com/

文・写真:小俣荘子

画像提供:草新舎・ゲストハウス 晴

日本刀の原料は人にしか作れない。超高純度の鋼「玉鋼」の製法とは

舞台化やアニメ化もされた大人気オンラインゲーム『刀剣乱舞』の影響もあってか、日本の名刀の名前を知る人も増えていると言います。

かつての戦いの道具でありながら、刃物の機能性と美しさを併せ持つ日本刀。現在も美術品として作り続けられています。

日本刀

今日は、日本刀に欠かせない原料「玉鋼 (たまはがね) 」をめぐる、熱き話をお届けします。

(※関連記事)
日本刀の原料となる玉鋼とは?
天才刀匠を衝き動かす探求心と反骨心〜日本職人巡歴〜

原料が作れない!日本刀を襲った危機

今でこそ重要無形文化財として保護され、受け継がれる日本刀とその制作技術ですが、戦後、存続の危機に陥ったことがありました。

日本刀を作るには「玉鋼 (たまはがね) 」という純度の高い鋼が必要不可欠です。玉鋼は日本古来の「たたら製鉄」の技術でのみ製造できるもの。

この技術は、古墳時代以降、1000年以の年月をかけて研究され江戸時代に「近世たたら」として完成されたと言われています。

明治期以降、近代工業化が進む中で大量生産の技術に押され、大正期にあえなく途絶えます。その後、戦時中に軍刀を造るために復活しますが、終戦時には完全に廃業。蓄えていた玉鋼も底をついてしまったのです。

新しい科学技術で代替原料を作ろうと、当時の通産省や大手企業が取り組みますが、同等の品質をもつ原料は生み出せませんでした。

たたらに再び炎をともす

そこで立ち上がったのが、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 (日刀保) 。

日立金属株式会社の技術協力を得て、戦時中に操業した「靖国たたら」の地下構造を利用して、1972年、島根県奥出雲町大呂 (おおろ) で「日刀保たたら」の名でたたら操業を復活させる取り組みが始まりました。

たたら場の入り口。しめ縄がされ、奥には製鉄の神様「金屋子神 (かなやごかみ) 」さまが祀られている
たたら場の入り口。しめ縄がされ、奥には製鉄の神様「金屋子神 (かなやごかみ) 」さまが祀られている

「たたら場」と聞くと、映画「もののけ姫」を思い出す方も多いのではないでしょうか。実際のたたら場も、映画のシーンと同じく炎の燃え盛る炉を前にして直接砂鉄を加えたり、ハードな環境で精錬状況を判断しながら人の力で操業します。

設備だけでなく、炎や原料の反応をコントロールする技術なくして、たたらは操業できません。

ここで大きな役割を担ったのが、松江藩の鉄師を勤めた卜蔵家で働き、戦時中は靖国たたらで技師長である「村下 (むらげ) 」を勤めた名匠、故・安部由蔵 (あべ・よしぞう) さんと、故・久村歓治 (くむら・かんじ) さん。

それまでは一子相伝で伝えられてきた村下の秘技を、日刀保たたら復活のために惜しみなく提供しました。そして1977年、遂に日刀保たたらでの操業を成功させ、玉鋼を生み出すことに成功します。

この時すでに70代半ばであった安部村下。その後も90歳までたたら場で先頭に立ち、玉鋼作りと次世代の村下養成に尽力されました。

「日刀保たたら」を訪ねて奥出雲へ!

復活と同時に、文化財保護法の選定保存技術にも選定された、たたら製鉄。現在も、刀匠に玉鋼を安定供給すると同時に、玉鋼の製造と伝統技術の伝承、技術者の養成を日刀保たたらが担っています。

現在は、先代の技術と思いを受け継いだ木原明 (きはら・あきら) 村下、渡部勝彦 (わたなべ・かつひこ) 村下の2名と、全国から選ばれた村下養成員12名が技術を支えています。

これはぜひお話を伺いたい!と、奥出雲の日刀保たたらを訪れ、村下の木原さんにお話を伺ってまいりました。

1976年から日刀保たたらの操業に携わり、1986年、国の選定保存技術者に認定され村下となった木原さん。41年間たたら場に立ち続け、現在も先頭で操業を取り仕切り、技術者の養成も担っています
1976年から日刀保たたらの操業に携わり、1986年、国の選定保存技術者に認定され村下となった木原さん。41年間たたら場に立ち続け、現在も先頭で操業を取り仕切り、技術者の養成も担っています

『折れず、曲がらず、よく切れる』。日本刀は「玉鋼」でなければ作れない?

灼熱の炎が燃え盛る高温の部屋の中で、三日三晩不眠不休で続けるたたら操業。

土でできた炉も化学反応を起こす材料であり、最後は壊して中身を取り出すため、たたら操業は一度始めると途中で止めたり、やり直したりができません。肉体的な疲労はもちろんのこと、全身の神経を集中させて炎や原料の状態を的確に判断し、対応し続ける精神力を保つことは相当過酷なこと。想像するだけでもクラクラとして倒れそうです。

科学技術が発達した今なお、この方法でしか玉鋼を作ることはできないといいます。現代の技術をしのぐ精錬技術、そして玉鋼の品質とはどんなものなのでしょうか。過去の検証データを拝見しながら、木原さんに直接教えていただきました。

——— 日本刀は玉鋼でなければ作れないと伺いました。玉鋼と他の素材の違い、優れている点について教えてください。

「日本刀は『折れず、曲がらず、よく切れる』ことが求められます。この強靭な刀身を作るには、鋼に含まれる成分のバランスが重要です。多すぎても、少なすぎてもいけません。

たとえば、高級な茶の湯の釜などに使われる和銑 (わずく) は、4パーセントほどの炭素含有量。低い温度で溶けるので鋳造に向いています。一方で、玉鋼の炭素含有量は1.2パーセント前後。

これは、高温で鍛錬 (たんれん。叩いて伸ばしては折り曲げて重ね合わせ、叩いて1枚にするを繰り返して金属を打ち鍛える工程) して炭素量を減少させながら作りあげる日本刀に適しています。日本刀は、熱した玉鋼の両面を交互に15回ほど鍛錬し、3万ほどの層が重なりあった状態に仕上げていきます。

繰り返し鍛錬すると次第に炭素量が下っていき、仕上がり時は0.7パーセント前後の炭素量となっています。データを取る技術のなかった過去の時代の日本刀を分析しても近い数値が現れます。長年認められ続けているベストな状態ということですね。

この炭素量に整うと、先ほどの『折れず、曲がらず、よく切れる』を備えた刀身となっています。また、地肌の文様などの美しさにおいても優れた状態となります」

——— 成分のバランスのコントロール。素人考えなのですが、現代の技術で機械化して作れないものなのでしょうか?

「実は、これまでに先端技術を取り入れようと様々な実験が行われましたが、実現されていません。特殊鋼の研究をしている日立金属では、以前『新玉鋼』というものを開発しました。成分量が玉鋼と同じになるように調整されたものです。

これを使って日本刀を作ってみましたが、残念ながら鍛錬に耐えることができず途中で折れてしまったり、炭素量が足りず脆い仕上がりとなってしまいました。

たたら製鉄の玉鋼は半溶融 (はんようゆ) という、炭素が均一に溶けきっていない状態になっています。炭素の量が不均一であることが、鍛錬に耐えて美しく仕上がる理由であると現代の研究でわかっています。機械では、この絶妙なムラのある状態を作ることができません」

一度の操業でできる鉧 (けら。粗鋼の塊) の中に3分の2程度含まれる玉鋼
一度の操業でできる鉧 (けら。粗鋼の塊) の中に3分の2程度含まれる玉鋼

純度を高めながら精錬される「玉鋼」

「また、一般的な製鉄とたたらとでは精錬方法が違うために、鋼の純度が異なり品質に影響しています。

たたらでは、砂鉄と木炭を使って低い温度でゆっくりと時間をかけて砂鉄を還元して鉄を作ります。その間に不純物が溶けて出ていくので自ずと純度が高くなるのです」

炉の中から不純物の塊「鉄滓」を掻き出しているところ
炉の中でできた不純物の塊を掻き出しているところ

「一方、現代の溶鉱炉では、鉄鉱石とコークス (石炭の炭素部分だけを残した燃料) を使って高温で一気に鉄を作ります。

鉄鉱石や石炭には、鉄を弱くする不純物が多く含まれているので、出来上がった鉄を再精錬する必要があります。最終的に仕上がった素材同士を比較しても、玉鋼のほうが純度が高いという結果が出ています。

機械で作る場合に対して、一度に作れる玉鋼の量はかなり少なく手間もかかります。それでも、日本刀には玉鋼のほうが適しているんです」

——— 「低温でじっくりと純度を高めながら作る玉鋼の製法」と、「高温で一気に作り、あとから不純物を取り除く現代の製鉄」という違いがあるのですね。

「生き物」を育てるように。玉鋼はこうして生まれる

——— VTRでたたら操業の様子を拝見したのですが、生き物を扱うような向き合い方をされているように感じました。手間がかかるというお話もありましたが、機械では作れない玉鋼づくりの様子、もう少し詳しく教えていただけますか。

「たたらの操業は湿度の低い冬の間ですが、それ以外の季節に原料を吟味します。自分たちで責任を持って準備をして操業を迎えます。

『一土、二風、三村下』という、土と風の重要性をといた言葉があります。炉づくりと釜土の選定がたたらの成否を握っていると言われます。

炉の土には、砂鉄と反応して不純物の塊を作り外に出す、そうして溶けてでき空間に鋼を生長させていく、という重要な役割があります。そして火力を上げて温度を高めるための送風も重要です。

熱くなった木炭の入った炉に、上から砂鉄を投入して反応させていき、炉の底に精錬された鉄の塊である鉧 (けら。玉鋼を含む鋼の塊) を生み出します。

量やタイミング、入れる位置までも見極めながら砂鉄を投入する木原村下
量やタイミング、入れる位置までも見極めながら砂鉄を投入する木原村下

砂鉄の約3分の2ほどを鉧にして、あとの約3分の1は砂鉄のまま下に落として釜土と反応させる。このバランスを取らないと鉧は生長していきません。1時間に数ミリずつ炉壁を侵食しながら広がる鉧は、最終的に幅1.2メートルほどまでになります。

生き物を育てるように、少しずつ炉壁を侵食しながら形が変わるものを作り上げて行くところにたたらの難しさがあります」

砂鉄の声、『しじれる』音に耳をすます

——— 鉧を育てるために、炭や砂鉄を投入したり、風を送ったり。そのタイミングや量は、どんなところを見て判断されているのでしょう。

「まずは、変化する炎の色を見ています。外から見える色だけでなく、ホドと呼ばれる空気を送り込む穴が炉の両側に40本ついています。このホドそれぞれが別の溶鉱炉と思い覗き込み、細かく状態を確認します」

——— 穴から炎を間近に覗き込む‥‥。とても熱そうです。

「もちろんすごく熱いですよ (笑) でも、しっかり確認して状態を把握しないと良い玉鋼は作れません。

また、ホドから鉄の棒を入れて鉧に触れて感触から大きさや状態を確かめたり、炉内に入る風の音、砂鉄の音に耳をすませます。砂鉄の反応する音を『しじれる』と私たちは呼びます。ジジジという音の状態も判断材料です。

炉内の場所によって状態も異なるので各所で起こっている複雑な製鋼反応を把握し、各所に必要な送風や砂鉄の量などを判断します。全身で集中して、感覚を研ぎ澄ませて向き合っています」

窯崩し
最後は釜を崩し、鉧を取り出します
出来上がった巨大な鉧を引き出します
出来上がった巨大な鉧を引き出します

「誠実は美鋼を生む」村下に必要な精神性

——— 全身の感覚を研ぎ澄まして、繊細な変化に注意を払い対応する。人間の細やかさが必要なのですね。三日三晩を通して作業を続け、集中し続けるのは並大抵のことではないと思います。

「五感を働かせるための集中力が重要です。私たちにこの技術を継承してくださった、安部村下には『最後は根性でやりきれ』と教わりました」

——— まさに、根性!ですね。たたら操業に携わり始めた頃、それまでのお仕事とは異なる世界に戸惑いやギャップは感じなかったのでしょうか。

「とにかく当時は、たたらを復活させるんだ!という使命感に燃えていました。期待に答えたいという気持ちもありました。だから苦しいとか辛いとか、ギャップを感じる事はなかったですね。

そして何より、先代の村下である、安部さんの存在が大きかった。その頃すでに75歳だった安部村下が、三昼夜通して一睡もせずやり遂げる姿に圧倒されました。

安部村下はハードな操業の真っ最中ですら、素人同然の私たちの質問に答え、丁寧に技術を伝えてくださいました。ご自分が教えられるうちに一刻も早く後継者を養成しようという思いがひしひしと伝わってきました。

後継者を育てる立場になった今、安部村下から教わったことを忠実に伝えていけるよう受け継いだものを操業に生かし、次の世代に届けていくことが私たちの使命だと思っています」

自分に厳しく、心身を鍛えねばと、毎朝上半身裸で走り、バーベルを上げ、たたらの神様である「金屋子神 (かなやごかみ) 」さまにお参りをしたという木原さん。取材時には、時間をかけて丁寧に質問に答えてくださり、その実直で誠実なお人柄が伺えました。

現在も、朝夕のお参りは欠かさない木原さん
現在も、朝夕のお参りは欠かさない木原さん

「『誠実は美鋼を生む』という言葉があるのですが、私はこの言葉がとても好きです。誠実さあってこその美しい鋼。たたら操業で玉鋼と向き合うときも、上司や仲間との関係性においても大切にしたいことです」

1000年を超える歳月をかけて研究され、受け継がれてきた日本のたたら技術。今も出雲の地で、熱い想いとともに現役の技術として生き続けています。

<取材協力>
公益財団法人 日本美術刀剣保存協会

文・写真:小俣荘子
(たたら操業写真提供:公益財団法人 日本美術刀剣保存協会)

※こちらは、2017年10月29日の記事を再編集して公開しました