大人が着たい「気のいい服」。デザイナーインタビュー

「去年は似合っていたはずなのに、今年着てみると何かが違う」。
歳を重ねることでそんな戸惑いが増えました。

似合わない服が増える一方で、今の自分に似合う服はわからない。
純粋な“好き”を楽しめず、寂しい気持ちになることもしばしばです。

中川政七商店の新作はそんな、大人の女性が抱える装いの悩みに寄り添う一枚。

生活も、体型も、好みも変化したけれど、その変化を楽しく受けとめる。
デザイン・素材に気を配り、気分がいい。気持ちがいい。

気軽に着られてサマになる“大人の定番服”が生まれた背景と、新作のこだわりを、担当デザイナーの星野に取材しました。

「大人の女性があると嬉しい定番服」を作りたい

「大人の女性がきれいに着られる杢Tシャツを作りたい」と、25年の春に発売した「大人の杢Tシャツ」。私たちの想像以上に多くのお客様に手にとっていただき、嬉しいご感想もたくさん頂戴しました。

このシリーズとアイデアの発端を同じくする新作は、シャツ2種とボトムス2種。いずれも「歳を重ねることによる変化を楽しく受け止められるように」と、中川政七商店のデザイナーたち自身が抱える悩みを持ち寄り、デザインに落としていって生まれた服です。

「私もそうですが、大人になると家事や仕事や育児など、ライフステージの変化で少しずつ生活のリズムが変わり、昔とは時間をかけるべきことも変わってきますよね。

体型も変化するし、お洋服を着たときの印象も昔と違って、例えばナチュラルすぎると少し疲れて見えることもあります。でも忙しくてコーディネートに時間をかけられないし、悩みは尽きません。

今回のシリーズは、そんな大人ならではの悩みや変化をポジティブに受け止められる服がつくれたらと企画したもの。目指したのは上質で品があってきれいに見えて、体型の変化も気にならない服です。

時間がない日にも一枚でパッと決まる、コーディネートに手間をかけなくても簡単に着こなせる服にしたいと思いました」(星野)

そうして誕生した新作のコンセプトは「気のいい服」。デザイン・素材に気を配り、気分がいい、気持ちがいい。そんな服を追求して工夫を重ねました。

後ろ姿に自信が持てる「やわらかネルのバックギャザーブラウス」

長く着られるように、飽きのこない「定番の一枚」としてつくったトップスは、秋冬に活躍するネル生地を用いた2種類のシャツ。いずれも背中にたっぷりと入れたギャザーがポイントです。

「背中が少しずつ丸まってきたり、おしり周りのラインが変化したりして、後ろ姿って自信がなくなる部分の一つだよねと、デザイナーたちと話していて。

ギャザーをたっぷり入れることで体型をカバーしつつ華やかにして、後ろ姿に視線が集まってもこわくない、背中をポイントにしたデザインにしています」

丈は、気負わず着られる定番丈と、前後の裾丈に差をつけたロング丈。装いの好みに合わせ、シンプルなものとエッジのきいたものの、二つのデザインから選べるように仕上げました。

「ロング丈のほうはあえて前後差を大きくつけました。より後ろ姿に視線が集まり、おしり周りもきれいにカバーできるかなって。あとは横から見たときのラインも印象的に着ていただけると思います」

また、全体的に身幅をゆったりとって華奢に見えるシルエットを実現しつつ、前部分をフラットにしたことで程よいきちんと感を出したのもこだわった点です。

さらには大人の女性にきれいに着ていただけるよう、生地自体もオリジナルでつくりあげました。色はシンプルな無地と、細く線の入った柄もののふたつ。いずれも大人の女性が品よく着やすい、落ち着いた色味にしています。

「じつは無地と柄もので織機を変えたのもポイントです。無地はドビー織機を用いて、糸の浮き沈みが多く、やわらかさの出る綾織で織り上げています。

一方で柄ものは、複雑な柄を表現するためジャカード織機を使用しました。無地のものよりしっかりとした生地感に仕上がっています。店頭にお越しの際はぜひ、織機の違いによる風合いも触り比べていただけたら」

中川政七商店オリジナルのネルシャツ生地。先染め織物の産地・兵庫県西脇市で、織りから加工までお願いした

なお、通常のネルシャツは綿100%のものが多いため、洗うと硬くなりカジュアルな印象になりがちですが、今回はヨコ糸に綿とキュプラの混紡糸を採用。やわらかさと落ち感が出る生地となっています。

加えて織りあがり後に起毛をかける工程では、表面の毛羽をカットし、ととのえる加工を施すことで、上質な表面感に。毛羽の乱れが押さえられてなめらかな風合いになり、生地のコシも抜けてふわりとした質感に仕上がりました。

体のラインを拾わずすっきり履ける「高密度コットンのボトムス」

一枚で決まるトップスに対し、ボトムスで追求したのは着まわしやすさ。定番の一枚としてオールシーズンで手にとれるようにと検討し、形にしています。

「下半身ってより体型の個性が出るというか、悩みも多い部分だと思うんです。だから、どんな方もラインを気にせず、きれいに履けるシンプルなボトムスがつくれたらと思って企画しました」

「パンツは裾にダーツを入れて立体感を出しました。腰にもタックが入っているので履くと足にくっつかなくて、『本当に履いてるっけ?』ってなるくらい(笑)。生地のハリ感もあるので、まとわりつかなくて体のラインを拾わず、気持ちよく履いていただけます」

「スカートも同じ考え方でラインを拾わないようにしつつ、大きく見えすぎないようにコンパクトなAラインに仕上げました。ふくらはぎをすっぽり隠せる丈にしていますが、ほどよく幅もあるので足さばきよく履いていただけます」

綿100%の生地はいずれも、遠州・浜松で密度を限界まで詰めて織ったもの。きれいめにもカジュアルにも万能に着られるよう、チノパンほどカジュアルではないけれど、頼りがいのある素材感を目指しました。

また生地が織り上がった後、滋賀で「近江晒加工」を施したのも工夫のひとつ。生地にふくらみを出し、自然で細かなシボ感を出しました。表面には「毛焼き加工」を施すことで、毛羽が落ちてつるっとした表面感となり、少し光沢が出るように。これにより、軽やかな印象で着用いただけます。

「ウェザー生地」と呼ばれる今回の生地。高密度に織ることで風も通さず、丈夫でいろんな天候に対応することから「ウェザー」と呼ばれている

「きれいに見えつつラクに履けることにもこだわりたくて、どちらも後ろだけゴム仕様としました。ベルトなしでも着られる気軽さがありますが、トップスをインしてもすっきりとした印象で履いていただけると思います」

着ると、気持ちが外に向く服に

一枚あれば少し気分を上げてくれる“気のいい服”。デザイナーの星野は「着ると、どこかに出かけたくなる」と表現します。

「いつもの場所に行く際にちょっと気分が上がるのもいいなと思いますし、『これを着るなら、いつもより少しおしゃれなスーパーに行こうかな』とか『家で過ごす予定だったけれど、喫茶店に行っちゃおうかな』のような、気持ちが少し晴れやかに、外に向くきっかけの服になればいいなと思います。ぜひ長くご愛用いただけたら嬉しいです」

この一着を手にとるだけで、いつもが少し特別になる。今回のシリーズがそんな服として、皆さまの暮らしに寄り添えますように。

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やわらかネルのバックギャザーブラウス
やわらかネルのバックギャザーロングブラウス
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文:谷尻純子
写真:奥山晴日

【わたしの好きなもの】ギフトにも選びやすい「布ぬのバスクシャツ」の、MLサイズを着比べてみました

まだ日中は暑いけれど、そろそろ秋服が気になる時季。今年、そんな秋の支度にと新しく迎えたのが「布ぬのバスクシャツ」です。

今年で4年目となる布ぬのバスクシャツは、肘のエルボーパッチに日本各地の染織技術を活かした布をあしらった、中川政七商店の定番服。春夏に展開される、布を前見ごろにあしらったTシャツと合わせて「日本の布(ぬの)ぬのシリーズ」と名付けられ、多くの方に手に取っていただいています。

店舗のスタッフに話を聞くと、毎年のリピーターさんやギフトに購入する方も多いそうで、いよいよ気になるな‥‥と思い、今年は私も購入。シンプルで気の利いたシルエットと、ちょっとした遊び心がたちまちお気に入りになりました。

まだちょっと暑いので出番は少ないのですが、秋は一枚で着たり、寒さが進んだら中に薄手のタートルを合わせて着たりと楽しみたいなと思っています。

首回りすっきり、見ごろは程よくワイドで中にも着こめる

エルボーパッチをどの布にするかわくわく選べるのがこのお洋服の醍醐味ですが、それ以外に推したいのがシルエット。

ベースのバスクシャツは無地の生地を使った直線的でシンプルなデザインですが、横に開いたボートネックや肩を落としたラインでさらりと着ても野暮ったくなりません。

またボディ部分はすとんとまっすぐに落ちるパターンで、体のラインを拾わずリラックスできるシルエットでありながら、体と生地との隙間の空き具合が絶妙で、不思議ともたもたした印象にならないのです。

こういったシンプルなトップスは自分にはおしゃれに着こなせる自信がなく、どちらかというと避けていたのですが、実際に着てみると顔周りも体部分もすっきりと見え、どんなボトムスとも合わせやすくて秋のコーディネートに活躍しそうです。

気に入ったお洋服はできるだけ長い季節で着たい派なので、こちらのバスクシャツは程よくワイドなシルエットで中に薄手の服を着こめるのも魅力でした。

私の場合、布ぬのバスクシャツと同じくこの秋気になっていた「しなやか綿の重ね着プルオーバー」と合わせるのがバランスとしてちょうど。重ね着していてもごわつかず、シルエットを損なわないのに暖かさはアップして、この組み合わせの登場回数が今後は増えそうです。

ちなみに生地が厚手でワイドなため「ボトムスへインしにくいかな?」と思っていましたが、デニムのボトムスに裾を入れても、もたつかずに着られました。

綿100%を使ったやや厚手の生地は、冬のはじまり頃まで活躍するしっかりした着心地で、着ていて頼もしさのある安心感。横の席で同じく布ぬのバスクシャツを着ていた同僚と、「着てみると改めて良さがわかるね」なんて話していました。

繊細なお洋服もそれはそれではかなさがあって好きなのですが、こういったがしがし着られて家でお洗濯もできる服は、何だかんだで登場回数が多くなり重宝しています。

エルボーパッチが着ていて楽しく、ギフトにもぴったり

そして、なんといってもエルボーパッチ!今年は3つの産地から8種類の布がラインアップされています。どれにしよう~と迷うのも、着ているときに鏡にちらりと肘の布が映るのも、全部楽しい。単純に、布を見て幸せな気持ちになるのです。

社内で行われた新商品発表会のプレゼンテーションの際、担当デザイナーから、あしらわれた「日本の布ぬの」それぞれの産地や作り手さんの話を聞くのも興味深い時間でした。オンラインショップに各生地の情報があるので、ぜひご覧ください。

布のかわいさと着まわしのきくシンプルなデザインのバランスがちょうどよく、ギフトに選びやすいのもおすすめポイントの一つ。服を贈るときって、個性的すぎると似合うか悩ましいし、反対に地味すぎるとなんだかつまらないしで、毎回難しいのですが、これならどっちもいいバランスで満たしてくれるんじゃないかなと思うのです。

私も自分用の他に、友人にも贈りたいなと思っているところです。

MLサイズ、どちらにする?

迷ったのがサイズ。ユニセックスかつMLサイズで展開されるこちらのバスクシャツは、店舗のスタッフに話を聞いていると、女性でもゆったりシルエットが好みだからとLサイズを購入する方や、男性でも一枚ですっきり着たいとMサイズを手に取る方もいらっしゃるとのこと。

私は会社にあったサンプルで試してサイズを決められましたが、ギフト購入する際や、オンラインショップから購入される方は試着ができないので、サイズ選びが悩ましいですよね。参考になればとそばにいたスタッフに協力してもらい、実際にMLサイズを着比べてみました。

女性スタッフの身長は162cmで、普段はS~Mサイズのお洋服を着ることが多いです。私が着るとMサイズだとぴったり。袖も手首までの丈で作業のじゃまにならない、ちょうどよい長さでした。

Lサイズはかなりゆったりめで、あえてだぼっと着たいときにはいいけれど、Mサイズのほうがコーディネートのバランスがとりやすいかなという印象。袖丈や着丈が長いお洋服がお好みの方はLサイズもいいですね。肘のエルボーパッチの位置は、肘より少し低めに来ています。

左がMサイズ、右がLサイズ(身長162cm)
Lサイズは袖からちらりと手が見える丈感です。(身長162cm)

続いて、身長170cmでやや細身の男性スタッフに着比べてもらいました。Mサイズだと袖は七分丈ほど。裾も腰骨ちょうどくらいでコンパクトなトップスという印象です。エルボーパッチは肘よりやや上めにきていました。タイトなシルエットがお好きな方はMサイズでもいいかもしれません。

Lサイズだとゆったり着られるサイズ感で、エルボーパッチは中央やや下位置くらい。肩はしっかり落として着られます。

左がMサイズ、右がLサイズ(身長170cm)
Mサイズは手首がすっきりとした7分袖になりました。(身長170cm)

ちなみに、身長174cmの男性スタッフにも着比べてもらったのですが、Mサイズだとさすがに小さいなという印象でした。

オンラインショップ上で着用いただいているモデルさんは、女性が身長164cmでMサイズ着用、男性が178cmでLサイズ着用です。ぜひ、これから購入を検討される方は参考になさってください。

左の女性モデルさんは164cm(Mサイズ着用)、右の男性モデルさんは178cm(Lサイズ着用)

「去年買ってよかったから、今年も新しい布を楽しみにしてました!」と嬉しいお声も多い布ぬのバスクシャツ。来年も登場するのか今の時点ではまだ私も知らないのですが、「来年もぜひ!」と期待して、まずは今年迎えた一枚をたくさん着たいと思います。

編集担当:谷尻

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【地産地匠アワード】38センチに広がる宇宙。伝統から紡がれる新しい景色を映した、久留米絣の「KOHABAG -Ikat-」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、福岡県八女市でうまれた「KOHABAG -Ikat-」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

世界の人が魅了され集う、久留米絣の織元

 オランダ、スイス、フランス、ドイツ、スウェーデン。世界各国の人々が惚れ込み、引き寄せられるかのように訪れる場所が、福岡県八女市にあります。1948年創業、久留米絣(くるめがすり)の織元である下川織物。ここでは、約100年前に開発されたシャトル織機を今も大切に使い続け、久留米絣を生み出しています。

福岡県八女市にある下川織物
トヨタグループの創始者である豊田佐吉が100年前に開発した動力織機「Y式織機」も現役で稼働中。糸に必要以上の負荷がかからず、やわらかく風合いのある生地を織り上げることができる

「2016年に日本とオランダの国交400年を記念した『九州オランダプロジェクト』という交流事業があり、そこで大使館からの依頼を受けてオランダのデザイナー4名を約3週間迎え入れたことが、大きな転機になりました」

そう話すのは、3代目である下川強臓さん。

元々、住み込みで働く人を受け入れたり、ホームステイのホストファミリーになったりと、オープンに人を迎える気風があったという下川家。

異国のデザイナーたちと交流を深めた経験をきっかけに、SNS上で工房の様子の発信を始めます。すると徐々に、久留米絣の魅力に興味を持ったアーティストやデザイナーからの関心が集まるようになりました。

いまでは国内外からの見学や研修・インターンシップの依頼が相次ぎ、数日から数週間滞在して久留米絣を学ぶ海外のクリエイターも増えているとのこと。下川織物のウェブサイトやSNSには外国人の写真や英語が並び、国内外問わず、ブランドやデザイナーとのコラボレーションも盛んに行って、久留米絣の新たな魅力を生み出す挑戦を続けています。

下川織物の3代目・下川強臓さん。Tokyo2020聖火ランナー、久留米絣協同組合副理事長。海外のクリエイターとの協業や欧州での講義を通じ、久留米絣の魅力を世界に広めている

こうした下川織物と久留米絣の魅力に惹かれたひとりが、テキスタイルデザイナーの光井花さんでした。知人を通じて工房を訪れたとき、下川さんの話や工房で見たものに感動を覚えたと言います。

「機械を使いながらも手作業がたくさんあって、まるで半分手作りの工芸品。それなのに大量生産ができることに驚きました。下川さんもすごくクリエイティブな方で、伝統的な柄にも工夫をしていてその創造性が素晴らしいなと」(光井さん)

テキスタイルデザイナーの光井花さん。株式会社イッセイミヤケでテキスタイルデザインに携わった経験を活かし、独立後はミラノサローネやDESIGNTIDE TOKYOなど国内外で作品を発表。受賞歴も多数あり、現在は多摩美術大学で非常勤講師も務めている

心から感動し、ものづくりの衝動を呼び覚まされた光井さんは久留米絣の虜に。そして誕生したのが、現代的な感性を取り入れた新しい久留米絣のバッグ「KOHABAG -Ikat-」です。

220年以上続く「ゆらぎ」の美と魅力

久留米絣は、福岡県・筑後地方で織られてきた日本三大絣のひとつ。糸を括って染め分け、その糸を織り込むことで模様を生み出す技法で、藍染めした糸を織りあげる時に生じる“かすれ模様”が最大の特徴です。

下川さんが子どものころから遊び、親しんできた矢部川。この川から北にある筑後川までの一帯が旧久留米藩の領地で、久留米絣が作られてきた

「絣の魅力は“ちりちりちり”とかすれた柄の“ずれ”ですね。職人さんは合わせようとするけれど、どうしても“ずれ”てしまう。その自然なゆらぎが綺麗だなと思って」と光井さんが言うように、整いすぎない温もりが独特の風合いを生み出しています。

久留米絣の図案。小さなマス目の中で糸の濃淡を表現し、深みのある図柄が生まれる
織る前に経糸、緯糸をそれぞれ染め分け、糸が染まった部分、染まっていない部分を合わせたり、ずらしたりすることでさまざまな柄や模様を作り出している。部分的に機械を使うこともあるが、昔ながらの機械のため必ずの人の手を必要とするため、久留米絣の面白みや味わい深さが生まれている

もう一つの魅力が、天然藍による深く鮮やかな藍色。染め重ねるほど美しさを増し、使うほど柔らかく肌になじむようになります。さらに経糸(たていと)の間に緯糸(よこいと)を通すために使われる「杼(ひ/シャトル)」の加減によって布に柔らかさと強さが加わり、素朴ながら品格ある仕上がりとなります。

染め上がったばかりの藍染めの糸。独特の芳醇な香りが漂い、藍の美しさも際立っている
染色工場から仕上がってきた糸は糊付けをし、干して乾燥させる。化学染料では出ない天然の藍染めのグラデーションが、川の流れのように美しさを放つ

その高い技術と独自の美しさから、1957年には木綿織物として初めて国の重要無形文化財に指定されました。今も20社弱の織元が伝統を守り、着物から小物、洋服まで幅広く活かされている技術です。

歴史を感じる動力織機。下川織物では20台が現役で稼働している

久留米絣に惹かれ続ける理由は何なのか。おふたりに尋ねてみました。

「制約の中に広がる可能性があるんですよね。久留米絣は幅38センチの平織りで、経糸と緯糸の染め分けだけで表現するのが特徴で面白い。掘り下げれば無限の方法があり、まるで38センチ幅の“宇宙”のよう。しかもアートでありながら今も普通に使える、実用的な布だという点が魅力です」(光井さん)

「220年以上続いていること自体がすごいなと。時代を越えて当たり前のように作り続けられているのは、生活に自然と溶け込み根付いているから。とても大きな魅力だと思います。

久留米絣は“九州の風土が育んだアート”。江戸時代には井戸端で絣について技法や柄を語り合い、工夫を重ねて進化したそうです。この“当たり前のように生活の中にある風景”を作り続けることを、僕たち織元がしていかなければなりません」(下川さん)

職人の手が生むゆらぎと藍の深み、そして生活に寄り添う実用性。220年以上の歴史を持ちながら、久留米絣は今も日常に息づく“市井の芸術”として暮らしを彩り続けています。

伝統から広がる新しい景色と可能性

久留米絣に魅せられた光井さんが最初に取り組んだのは、「もんぺ」。柄のずれやゆらぎも取り入れたデザインで、絣のことを知らなくても楽しめるものを制作しました。

「図案の描き方も全く知らなかったので、下川さんに何度も相談しました。すると『作りたいものを描いてくれたら、方法は考えるから大丈夫』と言ってくださって。そんな言葉に励まされるうちに、やりたいことが次々と浮かんできました」(光井さん)

「KOHABAG -Ikat-」の経糸。この美しい配色に緯糸が重なることで、不思議な錯視効果が生まれる

 東京から八女へ何度も通い、下川さんから技法を学んだという光井さん。

その熱意と創作意欲に触れた下川さんは、

「何かしら共鳴するものがあると、職人の勘で『これは面白い』と感じる瞬間があります。光井さんの発想にはそれを覚えました」と話します。

ふたりは職人とデザイナーとしてしっかりタッグを組み、海外も見据えたさらなる挑戦へ。

「絣は海外で局所的にとても人気があって、ファンがいます。でもまだ見たことがない人にも見てもらいたい、知ればきっと好きになる人がたくさんいると思ったんです」(光井さん)

そこで生まれたのが「錯視」をテーマにしたデザインの生地。絣のズレに縦横のストライプを重ね、思わず目をこすって見てしまうような、視点がぼやけるような効果を表現しました。

「久留米絣の魅力の一つである柄のゆらぎと、錯視効果に共通性を感じてデザインしました。世界中の人が知っている現象に見立てて作品にすれば、久留米絣の技法も何も知らない人に、その魅力を直感的に伝えられると思ったんです」(光井さん)

平面的な織りの中に柄と色の重なりによっていくつかの階層が生み出され、奥行きを感じさせるこのデザインは、久留米絣を理解しつつ客観的な目線で解釈し、今まで気づかなかった新たな魅力を引き出しています。

「KOHABAG -Ikat-」の特徴を説明する光井さん

この生地の使い道の一つとしてバッグに仕立てたのが、今回のアワードで受賞した「KOHABAG -Ikat-」です。久留米絣の小幅生地である約38センチをそのままを活かして無駄なく折りたたみ、丈夫で長く使える鞄に仕立てました。生地の端である“耳”の部分も、そのままアクセントに活かしています。

「縦横の柄の重なりが、錯視効果を生んでいます。そこは光井さんが配色も含めてちゃんと設計しているから生まれたもの。相性やバランスをしっかり調整してデザインしているのが伝わってきます。光井さんのイメージの中には、きっと限られた図版用紙からはみ出した部分にも物語や連続性がある。織り上げて展開していくと、それが明確に現れていますね」(下川さん)

白い部分を目印に折り返していく緯糸の調整。職人技の繊細な感覚が求められる

昨年別のプロジェクトを通じて地産地匠アワードのことを知っていた光井さん。完成したこのバッグはアワードの趣旨にふさわしいのではと応募し、今回見事に受賞しました。

 北欧ファブリックや古典柄を思わせるデザインは、シンプルでありながら深みを放ちます。

「バッグにしたことで、絣の魅力や性質を手にしながら間近に感じてもらえる。着物の幅まで実感できるプロダクトになったと思います」(光井さん)

伝統に根ざしながら新たな景色を描き出す久留米絣。挑戦を受け止めながら、進化を続けて輝きを増す可能性はまだまだ秘められているようです。

当たり前の風景を、未来へつなぐために

伝統工芸の産地で共通する後継者問題。久留米絣も例外ではありません。生産量のピークも、実は約100年前。年間で240万反、着物約240万着分を、すべて手織りで作った記録があるそうです。そこから生産量は減ったものの、他の絣の産地とは違い、組合による分業体制があったことで産地全体が協力しながら存続してきたのだそう。

「久留米絣の組合があって、そこで産地全体の分業をしているんです。織元はそれぞれですが、括りや染めの作業は共同加工事業として行っていて、産地全体の“みんなで作る”意識が根付いています。そこは強みでもあるけど、今後を真剣に考えないと先がなくなってしまう。機械の老朽化も進んでいて、後継者と設備の両面で、全体でどうしてしていくのか課題があります」(下川さん)

国内外の企業や団体、アーティストとのコラボレーションも多数

先代であるお父様も現役で活躍中ですが、次世代のための準備はすでに始まっています。4代目である息子さんも入社し、「継ぎやすいような環境や体制は整えておきたい」と下川さんは言います。

「柄合わせも、耳の揃え方も、織る人によって特性があるのがわかります。その0.1ミリ単位の感覚を掴むには数十年かかります。僕自身も修行中で、感覚が研ぎ澄まされるまでには長い時間が必要です。織機の前に立つだけで、空気の圧や振動から自分の中に入ってくる感覚で、織りの状態を感じ取ることができるようになるには、最低30年はかかる。これをそのまま息子に伝えて継ぐことが正しいのかどうか、迷いながらも思案しています」(下川さん)

先代の下川富彌さん。メンテナンスを丁寧に行い、機械を大切にしている

技術の継承にAIを取り入れる試みも始まっています。その一つが、久留米工業大学との共同開発です。

「職人の手の0.1ミリ単位の微妙な感覚を、AIで数値化できるかどうか研究しています。大学で作ったメタバースラボの中に、下川織物のラボもあって。ここで僕は生徒に講義をすることができるようになっています。さらに織機に振動センサーをつけて、不具合を検知して知らせるシステムの検証も行っています。AIがどこまで職人の感覚に近づけるかは未知数ですが、次の世代を助けるツールになる可能性はあると思っています。工房にこもって技を磨くだけが職人ではない時代になっているように感じています」(下川さん)

「触れることでしか研ぎ澄まされていかない」と、毎日織機に触れ、今も0.1ミリの感覚へ挑む下川さん
大学と共同開発し、下川さんが講義を行うこともあるメタバース

どこまでも前向きな下川さんの姿勢は、これまでも大きなチャンスを切り拓いてきました。冒頭の国際交流も、そのひとつです。

「これまでに交流のあった人とのご縁も含めて、パリ、ロンドン、ミラノなどで講演会と商談会をする、ワールドツアーもしたいと考えています。国内外のアーティストさんが、うちに滞在しながら職人とより深いコミュニケーションを取ってものづくりをおこなっていますが、そうやってお互い一緒にビジネスパートナーとして新しい取り組みをしていく“深耕型コラボレーション”を大事にしていきたいと考えています。

光井さんとの取り組みもその一つ。活躍される原点に、久留米絣もあると胸をはって言ってもらえるためにも、僕たちは久留米絣を作り続けて行く必要があると考えています。当たり前の風景を当たり前に続けていく。その重要性を感じています」(下川さん)

「私の方こそこの活動はとても励みになっていて。難しく思ったり不安に思ったりしても、期待してくださる方がいるから頑張れる。常に自分なりに結果を残して継続していくことは、このコラボレーションを輝き続けさせるためでもあると、やる気が湧いてきます。他の挑戦も重ねて、“やってよかった”と思ってもらえるよう努力したいです」(光井さん)

お互いを認めて信じ、伝統と技術を現代にふさわしい形に変えて伝え、未来へ受け渡す二人。その視線の先には、久留米絣の新しい可能性が広がっています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

【地産地匠アワード】“おいしさ”にフォーカスした、料理の名脇役。形以上の進化を遂げた「大門箸」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、奈良県下市町でうまれた「大門箸」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

銘木の産地・吉野から生まれる割り箸の現在地

日本の食卓に欠かせない道具のひとつ、お箸。今回はその中でも「割り箸」にまつわるお話をお届けします。

国内には複数の箸の産地がありますが、割り箸の最大生産地は奈良県南部・吉野地方です。

77%が森林というこの地域では、500年以上前から植林が行われ、良質な吉野杉・吉野檜が育まれてきました。製材時に出る端材を有効活用して生まれた「吉野割り箸」は、香りの良さや割れやすさ、滑らかな手触り、まっすぐで年輪が細かい木目の美しさから、高級割り箸の代名詞として知られています。

杉と檜が混在する、吉野の山中。古くから木を密集させてまっすぐに育てるのが特徴。少しずつ間伐を繰り返して密度を調整し、60~100年かけて目が細かく節が無い木を作っていく。

もとは製材時に出る端材を有効活用するために始まった箸づくりですが、その品質の高さから全国の料亭や和食店に広まり、吉野は日本一の割り箸産地へと成長しました。

ところが2000年代以降、安価な輸入品が国内シェアの大半を占めるようになり、技術の継承も危機に直面して、現在吉野の割り箸は厳しい状況に立たされています。

そんな逆風のなかで誕生したのが、今年の地産地匠アワードでグランプリに輝いた「大門箸(だいもんばし)」です。

すらりと美しい、「大門箸」。無塗装で仕上げた木の本来の手触りや香り、木目がやさしさを与える

プロダクトデザイナーの菅野大門さんが監修を手がけ、ご自身の名を冠したもの。地元・吉野の檜を用い、繰り返し使える丈夫さ、すらりと細い形、白木ならではの上質な佇まいを備えており、“使い捨てない、使い捨て箸”という、まったく新しい価値観を持った割り箸として注目されています。

プロダクトデザイナーの菅野大門さん。グッドトイ賞、グッドデザイン賞などの受賞歴もあり、いくつもの人気プロダクトを生み出している

名脇役を目指して昇華した“極細・非対称の美”

「大門箸」を作っているのは、吉野の下市町にある創業約40年の株式会社廣箸。創業者の後を現代表の中磯末紀子さんが継ぎ、吉野杉や檜の端材を使って職人たちが丁寧な手仕事で箸づくりを続けています。

吹き抜ける風も豊かな緑も気持ちがいい、下市にある株式会社廣箸

クリエイターの多い吉野の町で共通の知人もいたことから、なんとなくお互いのことを知っていた菅野さんと中磯さん。とある展示会で挨拶を交わし、お互いの現状を話しているなかで「一度工場へ見学に行ってもいいですか?」と菅野さんが言ったことから、すべては始まりました。

株式会社廣箸の社長・中磯末紀子さん。2代目として父の後を継ぎ、吉野のお箸の新しいブランド「よろしぃおあがり」を立ち上げるなど新しい動きを行っている

「工場を見せてもらうといろんな種類のお箸を作られていて、話を聞けば聞くほど割り箸の市場ってめちゃくちゃ面白いなって思ったんです。そもそもお箸は世界人口の約3割が使っていると言われています。そして吉野では国産の割り箸の約7割を生産している。

本当に大きなポテンシャルがあるし、割り箸ってずっと使われ続ける“最強のサブスク”のようなもので、ビジネスとしても可能性がある。日本文化を映す歴史あるプロダクトなので、今後の価値にも期待できると感じました」(菅野さん)

目が真っ直ぐ美しいのが、吉野材の特徴

さまざまな割り箸を見ていくなかで、菅野さんは「“おいしさ”にフォーカスした割り箸」が無いことに気づきます。

「お箸は料理をおいしく食べるための道具。ならば、主役である料理を邪魔しない“名脇役”を作りたいと思ったんです」

それから廣箸へ通うようになった菅野さん。「こんなのできますか?」と中磯さんに尋ねては「できません」と返される日々。それでも諦めずにオファーし続け、一緒に製造現場にも入りながら素材や形状、細さなどあらゆる試作と試用を重ね、2年ほどの月日をかけて「大門箸」が完成しました。

片方は中太、もう片方は極限まで細くした左右非対称の形は、千利休が考案した「らんちゅう箸(利休箸)」をより持ちやすく進化させたものです。料理の味わいを引き立てる口当たりのよさと、吉野檜ならではの特徴を活かして1膳わずか5gという軽やかさを実現しました。無塗装の白木は品格を備え、晴れの日にも日常にも寄り添って食卓を豊かにしてくれる、まさに“名脇役”です。

6:4の非対称なデザインは所作を美しく見せ、持った時の重心バランスがとてもいいベストなもの。1番太い部分が正方形なのも、持ちやすく揃えやすい工夫ポイント

実際に手にすると、驚くほど軽くて持ちやすい。スッとお箸が抜ける口当たりはとてもやさしく、使うのが嬉しくなるような、温かな佇まいが印象的でした。

「十分な強度があるので、一度使って終わりにするのはもったいない。『使い捨てない、使い捨て箸』『自分のタイミングで使い捨てる使い捨て』という感覚で、寿命がくるまで何度でも使っていただきたいですね」(菅野さん)

「割り箸は、焼却炉で助燃剤のような役割をするそうです。キャンプでも焚き火に入れて活用できるし、子どもの工作や掃除にも使えて、最後の最後まで役に立つんですよ。歯ブラシの替え時と同じように、自分のタイミングで使い切ってもらったらいいと思います」(中磯さん)

さまざまな木材や漆塗装をテストし、さらなる耐久性や美しさのバリエーションも検討中

オリジナルマシンと職人技が支える、唯一無二の造形

廣箸の工場では、先代が独自に設計・改良した機械が今も現役で動いています。箸削り機や角材揃え機、削りくずを利用した乾燥室の装置など、70種類を超えるお箸を美しく、効率的に製作するために、独自の設備を生み出してきました。宮大工もされていたという先代の美意識とこだわりがつまったこれらの機械が連動することが廣箸の技術力につながり、1本1本のお箸がかたちになっていきます。

先代考案の通称「ぶるぶるマシン」。次の工程で切りやすくするため、角材を素早くすき間なくきれいに揃える

「どれも本当によく考えられている機械たちで、感心しました。お箸がきれいに作れるようここまで微調整できる機械なんて、他では見たことがありません。『大門箸』の極細の先端は、まさにこの機械と吉野檜があってこそ。世界でも廣箸にしか作れないお箸だと思います」(菅野さん)

 とはいえ、すべて機械任せで簡単にできあがるわけではありません。

「ただ機械があるだけではなく、職人が図面を見ながらつきっきりでミリ単位の細かい調整をしています。完全オートメーションではない“工芸”とも言える手仕事なんです。どれが欠けても『大門箸』はできなかったでしょうね」(中磯さん)

すべての箸先の削り出しと調整を行い重要な役割を担う水本さん。「調整が本当に大変」と「大門箸」づくりの本音を語る

なかでも要となるのは、箸先を削り出す機械です。円盤状の刃物が回転しながらとても複雑な動きを重ね、角度や当たり方を繊細に調整して仕上げていきます。この調整を担うのは、20年以上の経験を持つベテラン職人の水本さん。

そんな水本さんからしても、「大門箸」は「特に作るのが難しい」と言います。細さはもちろん、非対称なバランスもその要因のひとつ。「硬い檜を細くしなければならないので、どうしても欠けやすいんです。さらに長さと細さが左右非対称なので調子を合わせる工程が二倍になりますし、バランスも悪くなるので、まっすぐなお箸にするのに苦労しています」と教えてくれました。

機械のコンディションによっては1日中調整を続けている日もあるのだとか。

シンプルなようで複雑な動きと調整を経て、極細の「大門箸」が作られる

「外から見ても何をしているのか分からないんです。でも何も言わなくても必ず合わせてくれる、絶対にできるからと信頼しています。気がつくといつの間にか機械が気持ちよく動き出しているんですよね」(中磯さん)

端材をスライスしてから、お箸の原型となる角材へカット

人と、木と、機械と、デザイン。そのすべてが絶妙に重なり合った結果として、「大門箸」は生まれています。

福利厚生の充実や、トイレの整備まで!ものづくり以上、仕組みづくりの重要性

 「お箸の帯のつけ方や帳簿のことなど、聞けば聞くほど労力がかかっていたり整っていなかったりすることが多くて。新商品の生産を始める前にまず会社の基盤を整える必要があると思ったので、自主的に動きました」(菅野さん)

そう菅野さんが振り返るように、当初中磯さんは業務に追われ、何か新しいことや改善案を考える余裕すらない状況でした。そこに、自主的に通ってあれこれ手を付けていく菅野さんの行動力と、それを受け入れる中磯さんの懐の深さが重なり、さまざまな改善が進められていきます。

天日干ししている端材置き場の前で。「何を言ってるのか分からないし宇宙人と思うことにしている」という中磯さんに、すかさず菅野さんがツッコミを入れる感じが絶妙。率直な意見をぶつけ合いながら、よりよい方向へと盛り上げていけるのは、対照的な性格でありながら信頼関係があるからこそ成り立つやり取り

帯巻き作業の機械化に始まり、帳簿・請求書のデジタル化、ネット環境や無線LANの整備、トイレや事務所の改修、ウォーターサーバーの導入、輸送効率の改善、昼食代・交通費補助の制度改正まで。さらに、学生から高齢者まで働ける柔軟な勤務体系も整え、「自分が働くならこうあってほしい」という労働者と経営者の両方の視点で、菅野さんは廣箸の環境を一つひとつ整えていきました。

「働く環境を今のスタンダードにしていかないと、若い人がまず来ないじゃないですか。女性や若い人が働きやすい環境を整えることは、人材確保に直結します。夢を追う若者も、人生を重ねたおじさんも応援する。みんなが気持ちよく働きやすい場所にしたいんです」(菅野さん)

こうした環境面の整備が功を奏し、以前は年配者ばかりだった職場にも、若い人たちが加わりました。手伝いに来てくれていた学生の卒業制作展を見に行ったり、引っ越しを手伝ったり、ともにお風呂で汗を流したり。このような繋がりから新たな仲間が増え、SNSでの発信を通じて遠方から通う人も出てきています。

「一度若い人が集まるとその中で盛り上がるし、環境を整えれば現場から自然にアイデアが出るようになる。それが一番大事だと思っています」(菅野さん)

菅野さんの働きかけで増えてきた、若いスタッフ

社員以上に深い動きを菅野さんは自発的にしたのですが、これらは無報酬で行っていました。

「無報酬というと聞こえが悪いかもしれませんが、夏休みの自由研究みたいなものです。廣箸からすればコストがかからないから、僕は自由に動けますし、誰にも研究の邪魔をされない。今は少しずつ土台ができ、マネタイズしてきました」(菅野さん)

中磯さんはかつて会社の改善を考えてデザイナーやコンサルを探し、講座にも通いましたが、費用の見通しや相性が分からず、依頼に踏みだせませんでした。

「スポットでコンサルや商品開発をして去っていくことを僕はしたくなくて、5年、10年かけて一緒に商品を作り、100年売るくらいのスタンスでいたいなと。それを廣箸さんで実現させてもらっているところですね」(菅野さん)

「一番安い工芸」が秘める、大きな可能性

廣箸では職場環境が整備されていく一方で、もう1つ大きな課題を抱えていました。それは、商品の値付けや生産計画などを自分たちでうまくコントロールできないということ。

「毎日、注文に合わせて作って出荷するだけで精一杯でした。在庫もほとんどなく、やっと家に帰って寝るだけの状態が何年も続いていたんです。自分たちが作ったものがどこでどう使われているのかも分からない状態でした」(中磯さん)

「それなのに作れば作るほど赤字になるような構造になっていたので、『これは仕組み自体を見直さないといけない』と思ったんです」(菅野さん)

そんな問題意識からも、お客さまと直接つながる方法として「大門箸」が生まれました。現在「大門箸」は地道ながら販路を開拓し、小売店や業務用として料亭やレストランでの採用が増えてきているといいます。

成形する前と完成後の2回、厳しい目と素早い手でしっかり検品を行う

「カタログを飲食店に直接送ってみると、ほとんどの方が箸先の細いタイプを選ばれるんです。細いお箸は上品に見えるだけでなく、料理がおいしく感じられるという感覚が本当にあるんだと感じています」(菅野さん)

さらに菅野さんは、割り箸という存在自体の価値も見直してほしいと話します。

「『割り箸』は“日本で一番安い工芸”だと思っています。彼らは工芸として作っている感覚はないですが、機械生産とはいえ、自然のものを扱う以上、その大部分は人の手によって作られるものです。500年続く吉野林業と日本の食文化に根付いている歴史を見てみると、きっと工芸と呼べるものなんじゃないかと思います」

割り箸は、捨てられてしまう丸太の端部分を活用したコロジカルな商品。山を維持するための間伐にも一役買っている

この素材が育まれる森を健全に保つためには、木を伐り、余すところなく使い、再び植える循環が必要です。丈夫な箸を毎日の食事で繰り返し使うことは、環境にとっても大きな意味があります。菅野さんの提案で、今後はお箸づくりからさらに1歩踏み込み、“山”そのものへと視野を広げようとしています。

「将来的には丸太から買って、芯材は建材として販売し、端材を自分たちの箸づくりに活かす。廣箸の3代目となる予定の息子さんには、お箸屋と建材屋を同時にやることも提案しています」(菅野さん)

「実際に丸太を切るところから試したこともありますが、今は端材をもらってきた方がまだ安いんです。ただ、建材側で利益をしっかり出し、その端材でお箸を作る流れができれば、林業にも貢献できると思っています」(中磯さん)

1膳の割り箸が変われば、森も文化もおいしさも変わっていく。

「大門箸」は、その未来への一歩をすでに踏み出しているようです。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

 【地産地匠アワード】常識の先を編み上げる。斜めに寄り添う新発想のユニバーサルニット「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、大阪府泉大津市でうまれた「Spiral MiGU(スパイラルミグ)-インナー・ロングスリーブ-」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

“不良”をあえて味方につけた、逆転のものづくり

ニットには “斜行(しゃこう)” と呼ばれる現象があります。編み目がまっすぐ揃わず斜めに傾いていってしまうもので、ねじれや歪みにつながるため、通常は“不良品”と判断されてしまいます。この“斜行”を逆手にとり、意図的に活かしてみようと考えて生まれたのが、斜めに巻き付くように身体に寄り添うインナー「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」です。

うっすらと見える“斜行”のラインが特徴的な「Spiral MiGU(スパイラルミグ)」。MiGUは、Make it Gentle to Universalの頭文字をとったもの

「現場では『本当に“斜行”でいいんですか?』と何度も確認されました。 普段なら絶対に直すものですから」と笑うのは、株式会社アイソトープの浅田好一さん。大阪 泉大津市のニットメーカーである同社で、営業を担当しています。

これまで、顧客からのあらゆるオーダーに応えてきた浅田さんでしたが、今回は特に異色だったとのこと。

「戸惑いの空気がしばらく続きましたよ。職人さんたちはなかなか納得がいかなくて、どうしてもまっすぐに整え直して完成させようとするので大変でした」と当時を振り返ります。

株式会社アイソトープの浅田好一さん

ことの始まりは、今からおよそ10年前。誰もが豊かなファッションを楽しめる社会を目指す「特定非営利活動法人 ユニバーサルファッション協会(以下、ユニファ)」と、中小企業に技術支援をおこなう「地方独立行政法人東京都立産業技術研究センター(以下、都産技研)」による共同研究会において、からだを包み込むようにフィットする、誰にでも着やすいインナーの開発がスタートします。

同研究会には、今回の開発の中心メンバーである都産技研プロダクトデザイン担当の加藤貴司さん、ユニファ会員でブローニュ株式会社 社長の川村岳彦さんも参加していました。

地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターの加藤貴司さん
特定非営利活動法人ユニバーサルファッション協会/ブローニュ株式会社の川村岳彦さん

「はじめは単純に『斜めだとデザインとしておもしろいよね』という意見からスタートしたんです。それで包帯をイメージして体に巻きつくデザインのカットソーを作ったんですけど、縫い目が肌に当たって違和感がある仕上がりになってしまって。これじゃユニバーサルデザインとは言えないし改善が必要だねとなり再検討しました」(加藤さん)

「そこで、縫い目の当たりが出ない衣料品をもう一度作り直そうということで行き着いたのが、無縫製でニットが編めるホールガーメントという製法でした。僕はもともとニットの会社に勤めてその後独立したので、ホールガーメントの知識も多少は持ち合わせていて。そこは『スパイラルミグ』のものづくりに、少しは役立ったのではと思っています」(川村さん)

 ホールガーメントとは、縫い目のない一体成形で編まれたニット製品やその編み立て技術のことを言います。通常のニットは、前身頃・後ろ身頃・袖などのパーツを別々に編んでから縫い合わせて作られますが、ホールガーメントは最初から丸ごと1着を立体的に編み上げることができます。

数あるホールガーメントが編める工場の中で、川村さんが声をかけたのが前述のアイソトープ。“斜行”という一般常識を覆すアイデアに付き合ってくれる会社は、他にはいないと見込んでのことでした。

縫い目がなくほぼ完成形で出てくる、ホールガーメント

「これまでやっていないことをするので、トライアンドエラーは必ず出ます。アイソトープさんは独自の和紙の糸を開発したり、オリジナル製品を作ったりと常にチャレンジを続けている会社です。新しいものづくりにも根気よく熱心に付き合ってくれると思い、依頼しました」(川村さん)

「お客さんから『作りたい』と言われると、『なんとか作ろう』としてしまいますね。“編めるものは編む”というのが創業者のモットーでもありますので。こちらが諦めてしまうとお客さんも困るじゃないですか。受けた以上は最後までやる。これがその後何かに繋がっていくと思いますし、自分たちの技術も高まるところでもあるので。皆さんと一緒にずっと成長している感じです」(浅田さん)

「スパイラルミグ」の構想から完成まで、約10年。皆が諦めずタッグを組んで乗り越えてきたことで、長く暗い道のりに明るい光が差し込みました。

“斜め”の発想が導いた、ユニバーサルな価値

無縫製ニットのインナー「スパイラルミグ」の最大の特徴は、“斜行”という手法。デザイン性だけでなく、やさしいフィット感を実現した点にあります。

縫い目がないホールガーメントで編み上げている

「布の繊維を斜め45度でカットすると生地が伸びやすくなるんですけど、ニットはさらに伸縮性が高いので、“斜行”で編んだ『スパイラルミグ』は本当によく伸びるんです。女性のSSからLLサイズ、男性のMサイズまで対応できるので、この一枚があれば幅広い人に着ていただけるようになっています」(川村さん)

縫い目がないうえに前後も自由なので、サイズ選びや着る時に迷うことがなく「プレゼントにも向いている」のだとか。

想像以上にやわらかく、気持ちがいいほどよく伸びる

「よく伸びるので、首元を大きく伸ばして下から履くように着てもらうこともできるんですよ。体が不自由な方や腕が上がらない方は袖ぐりが引っかかって洋服を着るのが大変なんですけど、そのような方にも健常者にも“あらゆる人が無理なく自然に着られる”着やすさが大きな特徴です」(加藤さん)

さらりとした優しい肌ざわりで通年着用が可能な「スパイラルミグ」には、さらなる工夫があります。それは“撚り”の違う糸を、部分的に使い分けている点。“撚り”は糸や繊維をねじり合わせることで強度を高めたり、風合いを調整したりする工程のこと。時計回りにひねる“S撚り”、反時計回りにひねる“Z撚り”という2種類があり、どちらかの糸で統一して編むのが通常です。

「“Z撚り”の糸を使って“斜行”で編んだら、着用試験後に『なんかちょっと着づらくない?』となって。よく見ると、片方の腕の肘部分が反対方向へ変に曲がっていたんです。そこを改善するために右袖部分だけ“S撚り”の糸を使って、腕の形がバランスよくなるよう設計しました」(加藤さん)

右腕だけ糸の撚りを変えることで、違和感のない自然な着心地を実現した

「普通は編み地の中で部分的に撚りを変えるなんて、あまりしません。撚りの糸を組み合わせてまで着やすさにこだわったのは、かなりオリジナリティがある部分かなと思います」(川村さん)

ホールガーメント編み機。専用ソフトと編み機を使って縫い目や継ぎ目のない状態で完成させることができる。肌あたりがとてもやさしく、糸や生地の廃棄ロス、縫い合わせる手間のカットができ、注目が高まっている

ニット産地・泉州の底力が現れた、技術と職人の協働

大阪府南部に広がる泉州地域は、日本三大綿織物産地のひとつ。古くは和泉木綿をきっかけに綿織物産業が発展し、タオルや毛布などさまざまな繊維製品を生み出してきました。なかでも特徴的なのは、“織物”と“編み物”の両方が発展を遂げた珍しい産地だということです。

この繊維の産地・泉大津に拠点を置くアイソトープは、糸の企画から製品製造、物流まで一貫して行うトータルニットメーカー。年間およそ800型のオリジナルアイテムを国内で企画・生産し、約50台の編み機を備えている会社は泉州でもそれほど多くありません。

泉大津市にある、アイソトープの工場
ホールガーメントは専用のソフトで設計図を作るところからスタート。同じ図柄でもこの組み方で、編み上がるスピードや傷の出現など仕上がりに違いが出る
糸のセットや機械の調子の確認、メンテナンスまですべて行う

今回の開発においても、アイソトープの技術力と地域の連携が大きな役割を果たしています。


たとえば、今回は綿100%の強撚糸を使っているため、そのままではどうしても“ごわつき”が出てしまいます。そこで浅田さんが編み立て後の縮絨(しゅくじゅう/織物や編み物をお湯・摩擦などで縮ませて目を詰める加工)で風合いを調整する方法を提案。編み立てはアイソトープ、縮絨は近隣の外注職人が担当するチーム体制で、求める風合いを実現しました。


縮絨は単なる洗い作業ではなく、洗い加減や溶剤を細かく調整しながら何度もテストを重ねて理想の状態へ仕上げます。これは日頃から産地内で多様なオーダーに応えてきた経験があるからこそ可能な技術です。


「“少しふわっと”、“シャリ感を残して”と伝えるだけで、その通りに仕上げてくださいます。実際に都産技研の方で風合いの測定試験をおこなってみたところ、ざらつきが減っているデータが出ましたし、電子顕微鏡で拡大すると繊維もふわっとほどけていました」(加藤さん)

ニットは機械調整や糸のゲージ、目の詰め方や洗いの方法がわずかに変わるだけでサイズが変わる繊細なものです。

「糸は“生き物”なので、同じ糸で仕上げてもサンプルのサイズがばらつくことがあるんです」(浅田さん)

失敗したもの、作り直したいものは、糸をほどいて再度編み立てる

「それでもほぼ同じ仕上がりにできるのが、アイソトープさんのすごいところ。同じ機械を持っていても、この精度はなかなか出せません。編み立てから仕上げまで全工程を熟知している、産地ならではの技ですね」(加藤さん)

針の洗浄クリーナー。針に溜まる埃やゴミの掃除を手作業ですると半日かかるところが、数分で完了することができる。この機械を備えているところは少なく、近隣の会社から洗浄を依頼されることも多々ある

一方で泉州のニット産業は、人材不足や後継者問題を抱えています。 

「若い人が製造現場に来ないですし、後継者がいなくて廃業する工場も多い。全国の産地が同じ悩みに直面しています」(川村さん)

「機械化である程度は補えますが、縮絨や仕上げの技術は人の手と経験に頼る部分が大きい。ここが途切れてしまうと、品質維持が難しくなってしまいます。今後どう次世代につないでいくかが、私たちの大きな課題です」(浅田さん)

未来をつなぐ、新しい挑戦と可能性

「今回のプロジェクトのチームメンバー、よく考えたら面白い組み合わせですよね。だって、普通のデザイナーと工場の組み合わせじゃなくて、競合の可能性もあるわけですから」(川村さん)

その言葉どおり、アイソトープと川村さんの会社・ブローニュは、ニットの企画から生産・販売まで行う同業者。そこに、加藤さんが所属する都産技研が地域の枠を超えて参加。さらにコアメンバーの他にも、東京、大阪の多くの人たちの協力がありました。

アイソトープのショールーム

「何度も東京から大阪へ来ていただいて、現場を見ながら本当にたくさんの試作と修正を繰り返しましたね」(浅田さん)

「10年単位のプロジェクトは、民間企業だけではなかなか難しいこと。皆さんと同じ目線で製品開発に深く関わり産地の技術にスポットを当てて、産地をもう一度活性化させて人を呼び込むきっかけをつくりたいという思いもあって向き合い続けられました」(加藤さん)

このロングスパンの開発に関わったメンバーの中には、残念ながら完成を待たずに亡くなった方もいらっしゃるとのこと。

「今回の受賞を墓前に報告しに行きたい」と話す姿から、プロジェクトに込めた思いの深さを感じました。

「NGとされていたものを“むしろ面白い”と捉えて新しい価値にしていく。そこにデザインの可能性があると思っています」(加藤さん)

 「ここで終わりではなく、着やすさや機能性を高めながらさらに発展させていきたい。まだまだ伸びしろがあります」(川村さん)

今後は色や形のバリエーション展開、他のアイテムへの応用も視野に入れているとのこと。

「スパイラルミグ」の静かな挑戦は、単なるニットを超えて、産地の技術と人を未来へつなぐ大きな一歩となり、未来へ向けて動き始めています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ

 【地産地匠アワード】眠っていた糸や生地に息吹を与えて、紡いで。使い続けたくなる、カラフルな「三河軍手」

土地の風土や素材、産地や業界の課題に、真摯に向き合って生まれたプロダクト。

そこには、日本のものづくりの歴史を未来につなぐそれぞれの物語がつまっています。

地産地匠アワード」は、地域に根ざすメーカーとデザイナーとともに、新たな「暮らしの道具」の可能性を考える試みです。

2025年の受賞プロダクトの中から、愛知県西尾市でうまれた「三河軍手」を取り上げます。それぞれの背景にある物語をぜひお楽しみください。

地元の糸と技とデザインで、軍手に新たな価値を吹き込む

「もう一度リベンジしたいと思ったんです」

そう笑いながら話すのは、愛知県西尾市にある石川メリヤスの大宮裕美さん。祖父の代から軍手の製造を営んできた会社で代表を務めています。

大宮さんは、軍手の国内での生産が衰退している現状に悔しさと危機感を抱いていました。

石川メリヤスの社長・大宮裕美さん。三代目として石川メリヤスを受け継ぎ、常時100種以上の軍手、靴下などのニット小物を生産している

そこで新たな顧客層を開拓しようと、軍手にブランドネームタグをつけて個包装にしたギフト商品を展開しましたが、思うような成果は得られず。商品づくりを見つめ直すきっかけにはなりましたが、現状を打破できなかった結果に、もやもやした気持ちが残ったといいます。

転機となったのは、地元の繊維商社から「カラーネップ糸」という色とりどりのデッドストック糸を紹介されたことでした。その糸を見て「軍手に使えば面白いものができる」と直感。軽やかで温かみのある風合いとカラフルな見た目から、大人も子どもも手に取りたくなる新しい軍手のイメージが浮かびました。

カラフルな繊維の粒(ネップ)が入った、「三河軍手」の原料となる特紡糸。ネップが入ることで表情や温かみが加わり、独特な風合いが生まれる

ちょうど地産地匠アワードの募集があり「カラーネップ入りの軍手を作ってリベンジしたい」と考えた大宮さん。しかしデザイナーとの協業方法が分からず諦めかけた時、奇遇にも地元のファッションデザイナー・久保田千絵さんと再会します。


同じ中学校の出身というご縁もあり、以前から面識のあった二人。久保田さんは昨年秋に、自身で展開していたブランド「Rosey Aphrodina (ロジィ アプロディーナ)」でパリファッションウィーク中に開催されたファッションショーへ出展 。帰国後に心境の変化があり「今後は地元の企業をデザインの力で応援して、ものづくりを盛り上げていきたい」と考えていたタイミングでした。

デザイナーの久保田千絵さん。ウェディングドレスや七五三など「ハレの日」の衣裳を主軸に、自身のブランド 「Rosey Aphrodina」を展開している

「パリでのファッションショーという自分史上一番大きな挑戦を終えて、応援してくださったお礼と報告、今後の動きを伝えるために裕美さんを訪ねたんです。そこで地産地匠アワードの話を聞いた時、私が考えていたことと重なっていたので、すぐに『一緒にやってみましょう!』と盛りあがりました」と久保田さんは振り返ります。

早速カラーネップ糸を見せてもらった久保田さんは「この糸の色味や質感は、軍手でこそ映える」と確信。

「糸の魅力と石川メリヤスさんのものづくりの力が、軍手ならきちんと伝わる」と、あえて軍手にこだわりました。

技術とデザインが重なり合い、新しい挑戦がスタート。家族や市のサポートも受けながら、製品はもちろん、アワードのプレゼン資料やロゴデザインを形にしていきました。

全7色の「三河軍手」。使うシーンを思い浮かべながら選ぶのも、楽しみになるカラーバリエーション

こうして生まれたのが、今回優秀賞を受賞した「三河軍手」。カラーネップ入りの特紡糸を活かした、カラフルで軽く、やわらかな肌ざわりが特徴です。手にフィットしてはめるのが嬉しくなるような、地域の技術と思いが詰まった、新しい“あたたかさのかたち”が完成しました。

三河地方で育まれてきた、繊維リサイクルの精神

愛知県東部に位置する三河地方は、かつて日本の繊維産業を支えてきた重要な地域のひとつでした。温暖で日照にも恵まれたこの土地に8世紀末ごろ漂着した崑崙人(こんろんじん/インド人と言われる)が綿の種を持ち込み、日本における綿花栽培がはじまったとされています。特に西尾市の天竹神社周辺はその舞台と伝えられ、「三河木綿」に代表される紡績と織物文化が花開いていきました。

愛知県西尾市にある天竹(てんじく)神社。日本で唯一、綿の神様をお祀りしている
神事に使われる「和綿」。一般的に栽培されている「洋綿」と、葉の形や綿の実の付き方など違いがある
綿を使う全国の会社からも大切にされていて、大宮さんも今回のアワード祈願とお礼でお参りしたそう。久保田さんが主催したイベントでは、ここで育てられた綿を使って糸紡ぎのワークショップが行われた

戦後のガチャマン景気(「織機をガチャンと織れば、万の金が儲かる」という意味)と呼ばれる繊維産業の好況を経て、昭和の高度経済成長期、特に昭和50年ごろには「特紡(特殊紡績)」が盛んになりました。

これは繊維産業の製造工程で出てくる落ちワタや裁断くずのほか、使い古された衣類の繊維を「反毛(はんもう)」という工程によってワタの状態に戻し、再び糸に紡ぐもの。時代の流れとともに綿だけでなく化学繊維も含むようになった「特紡糸」を使って軍手などを作り、三河地方は日本でも有数の繊維リサイクルの中心地となりました。

「この地域ではリサイクルやSDGsが注目されるずっと以前から、捨てるはずのものまで有効活用して無駄を出さない知恵が根付いていたんですよね。資材を繰り返し大切に使い、さらにできあがった製品も長く使えますから」(大宮さん)

「昔から三河の人たちは“もったいない”を自然に実践していたんだと思います」(久保田さん)

石川メリヤス工場周辺。山も海も近く、豊かな自然に囲まれた温暖なこの地域で三河木綿が育まれ、繊維産業が発展した

ところが繊維業の主流が海外生産へと変わってきたことから特紡糸の原料が集まりにくくなり、現在は反毛業者や紡績工場などが年々減少しています。

「昔は岡崎市(※西尾市と隣接)の労働人口の7割が繊維関係だったのに、今では1割もいないかもしれないと聞きました。一般的な軍手にもっとリサイクル原料を使いたくても、糸にできる環境がどんどんなくなってきているんです」 そう言って繊維業界の現状に肩を落とす大宮さん。

この地の人間の知恵と技術で紡がれ続けてきた、特紡糸での「三河軍手」作りに、新たな価値と希望を見出しました。

使い捨てられない、ぬくもりを宿した軍手

「三河軍手」の主役となる特紡糸はリサイクル繊維を独特の風合いに仕上げるため、ひとつとして同じ表情のものはない個性を持っています。

「編みムラや色の混ざり方が異なるのも、この手袋ならではの“味”になります。同じ色でもネップの入り方で印象が大きく変わりますし、クラフト感と温かみのある風合いもそれぞれの表情を生み出していると思います。

カラーバリエーションも7色ご用意したので、選ぶ楽しみが増える。デッドストック糸を使っているので、糸がなくなればその色は生産終了です。自然に限定色となり、次の色に目を向けていただくことになる。そしてまた新たに気に入ってくださる方の元へ届く。その一期一会も、この手袋の魅力だと思っています」(久保田さん)

糸見本からも、そのふっくら感がわかる特紡糸

「三河軍手」の編み立てには、構造が50年前からほとんど変わらない、昔ながらの軍手用の機械が使われています。最新の機械では扱いにくいムラのある糸も、古い機械であれば調整を加えることでうまく編み上げることができるのだとか。

「特紡糸はさまざまな繊維が混ざって繊維の方向もバラバラなので、空気を含んでふっくらやわらかく仕上がります。軍手にすると厚みと軽さで手をやさしく包み、安全性も備わるんですよ」(大宮さん)

石川メリヤスの工場内。140台ほどの編み機が賑やかに稼働して、自動で製品を作る光景は壮観
上部のキャリッジが高速で左右に動き、ニットが編まれていく
編み機の針。1本1本規則的に動く。糸の特性によってはこの針が折れることも。機械と糸の特性を熟知して細かく調整するのは、職人技ともいえる知識や経験が必要とされる

「『手ざわり』と言うように、手にはめれば、特紡糸の魅力である柔らかさや軽さが一番よく伝わります。だからこそ、この糸を活かすには手袋や軍手が最適だと思うんです。シンプルで無駄がなく、それでいてふわふわ。いろんな作業に適しています」(久保田さん)

指先から編み始める軍手。目の数や段数の数値を変えることで、長さや幅が自由に調整可能
手袋の形まで編みあがると、自動販売機のようにスルンと機械下部から出てくる

構造自体は一般的な軍手と同じですが、糸が変わるだけで、“何かが違う”と感じられる存在感がにじんできます。サイズはS・M・Lの3種類。手首部分にサイズによって異なるバイカラーのステッチをあえて目立つ色で施す遊び心のある工夫で、見た目の楽しさと実用性が両立しています。

機械で編み上げた後は、手作業で縫製。手首部分は輪ゴムを入れてロックミシンで縫い付け、仕上げていく

「従来の軍手にも手首のステッチで色分けしているものはありますが、今回はデザインとして昇華されていて嬉しいですね。私たちだけでは、この完成形にはならなかった。久保田さんがここまで軍手の価値を引き上げてくださいました。デザインの力ってすごいなと改めて感じています」(大宮さん)

「この商品では実用性のある軍手らしさを活かしながらも、作業用という枠を超えていきたいと考えていました。通勤や自転車、防寒やDIY、ちょっとした外出やギフトにも使える存在にしたかったんです。

あくまで軍手だけど、デザインの力でスポットを当てて新しい価値に気づいてもらえたらと。リサイクルやSDGsにももちろん意義はあるけど、“素敵だから選ばれる”ことが大前提だと思うので。ただのエコではなく、気づいたら環境にもやさしかった。そんなあり方が理想です」(久保田さん)

編み傷や目の飛びがあれば、手作業で丁寧に修理。とても細かく技のいる作業。どうしても直らない場合は、自社のマルシェでB品として特別価格販売を行う

「弊社は、初代である祖父のころから品質を大事にして『使う人のためのものづくり』をモットーとしています。

繊維商品では、売り物にしていいかどうかのジャッジは最終的に“自分が使いたいかどうか”、“買った人がどう思うか”になるんですよね。反毛屋さんや紡績屋さんをはじめ、最後に検品や出荷する人まで、同じ感覚でものづくりができるのは大切なことなのかなと思っています」(大宮さん)

作り手の思いと工夫が詰まったこの「三河軍手」は、作業にも、日常にも、プレゼントにもなじむ新しい軍手。単なる日用品ではなく、愛着を持って長く付き合いたくなるような “使い捨てられないアイテム”へと進化しています。

価値あるブランドとして、「Bマーク」から広がる未来

東京の大学を卒業後、そのまま一度は東京で商社に勤めていた大宮さん。

高校卒業と同時にファッションを学ぶために上京し、自身のファッションブランドを立ち上げて活動している久保田さん。

二人とも西尾市から外へ一度出たことで、かつて繊維産業で栄えた地元の誇らしいところが見え、産業の状況や大切なものをより感じることができたのかもしれません。

地元である三河地域の歴史や現状について、熱く語る二人

「地場産業を存続させることは、常に大事だと思っています。糸を作っている人や反毛屋さんの仕事をもっと知ってほしいし、岡崎や西三河、西尾が繊維産業から始まったことも広く伝えたいです」(久保田さん)

この思いを、久保田さんはデザインでも表現しました。それはロゴに小さく加えられた、オリジナルの「Bマーク(Ⓡ同様、○の中にBの文字)」という印です。

「Aランクから外れた糸はB格と呼ばれて格下扱いされますが、実は風合いがとてもよい糸なんです。だからロゴへ『Bマーク』を入れて、価値のあるものだという認定印のようにしてみてはどうかなと考えました。 これに関わり働く人へのリスペクトや、働く人自身の誇りにもつながる。お客さまもマークがついている商品を選べば、リサイクルに貢献できた小さな喜びを感じられる。捨てられるかもしれなかった糸が使われていることも伝わりやすいのかなと」(久保田さん)

商標登録を表す「Ⓡ」マークのように、B格の糸を使いながらも価値あるものへと昇華させた商品に付けることを考えて、ロゴに加えた、「Bマーク」。オリジナルで久保田さんが提案する

「残糸や売れ残りもこの『Bマーク』をつければ、価値を見出した商品として届けられるのでは」と大宮さんもうなずきます。 今後は軍手に限らず靴下や帽子など、「Bマーク」ブランドのラインアップ拡大も視野に入れています。

石川メリヤスのオリジナル商品。手袋だけでなく靴下や小物も編むことができるため、「Bマーク」を付けた商品の今後の展開にも期待が高まる

危機を迎えている産業に新たな息吹をもたらし、再起の道を開いて次代へつなぐ。その強い意志とひと針ごとに込められた温もりが、人と町、そして未来を再び結び直し、新たな物語を紡ぎはじめています。

文:安倍真弓
写真:黒田タカシ