これは、ある奈良の小さな会社で創業302年目に起きた、13代から14代への社長交代のお話、その後編です。
前編はこちら:「300年企業の社長交代。中川政七商店が考える『いい会社ってなんだろう?』」
2018年2月。
一会社員だったひとりの女性が、300年続く企業の社長に就任するという発表が行われました。
舞台は、株式会社中川政七商店。
1716年に当時の高級麻織物、奈良晒の商いで創業。全国に52店舗を展開する生活雑貨メーカーです。
社員全員を集めてこの発表をしたのは、創業から数えて13代目となる中川政七 (なかがわ・まさしち) 。
「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げての様々な取り組みから、「工芸の再生請負人」と呼ぶ人もいます。
社長就任からちょうど10周年の今年、13代は「これからの10年のために」と、自らは社長を退き、社員の中から新社長を据えることを決断しました。
「社長を交代します。14代は、この人です」
ごくり。
みんなの唾をのむ音が聞こえた、と回想するのは、他でもない14代その人です。
300年にわたり代を継いできた中川家と、血縁関係はありません。
7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきました。
「14代社長は、千石あやさんです」
おおおっとどよめく会場前方、マイクを受け取った一人の女性にその場にいた全員の視線が注がれます。
正面に1枚のスライドが現れました。
「びっくりしたよね。」
その一文にどこかホッとしたような笑い声が起きて、会場は前に立つ女性の、次の言葉を待ちます。
「私も半年くらい前にこの話を言われた時は、その100倍、1000倍はびっくりしたと思います。
私は普通の人間なので、まさか自分の人生で、社長になるようなことがあるとは思ってもみませんでしたし、まさか中川政七のあとを継ぐことになるなんて、思いもしませんでした。
それでも、どうしてここに立っているかというと、13代の判断を信じたこと、上長たちが全員、一緒に頑張りましょうと言ってくれたこと。
そのために自分ができることをやろうという覚悟が、やっとこの数ヶ月で決まったからです。
現時点でみなさんとの違いは、少し先に覚悟をしたこと。唯一ここだけだと思います」
トップダウンからチームワークへ
その「覚悟」を持って、14代はこの交代の意味をこう語りました。
「中川政七からの完全なる卒業です。
13代は、家業に戻ってきてから雑貨部門をブランディングして事業規模を13倍、成長率は15%をキープした素晴らしい社長です。
もしこのまま誰かについて行くなら、この会社で中川政七以外にふさわしい人はいない。私でもないと思います。
それでも、誰かについていく体制では会社の発展に限界がある。だから、一人で背負うよりも全員が成長し続けることに舵を切った。今回の13代の決断を、私はそう受け止めています。
つまり、この社長交代は、トップダウンからチームワークへの変化です」
最強のプロ集団になる
「チームワークって、一緒に助け合っていこうという弱いものの集まりではないです。
強いプロが集まった集合体です。チームで最強にならなければ、変わった意味がないと思っています」
チームとは達成すべき目標のために協力する集合体。
チームワークとは集合体がその目標を達成するために役割を分担し、協働すること。
14代はそう定義した後、こう社員に語りかけました。
「では、私たちは中川政七商店という大きなチームで、何を達成すべきでしょうか。
それは『いいものを作り、世の中に届ける』ことだと考えます」
中川政七商店の考える「いいもの」
いいものとは何か?14代は3つのキーワードを挙げます。
ものとして丁寧であること。
使い手にとって気が利いていること。
作り手が誇りを持てること。
「特に3つめはうちらしい考え方です。
対等な立場で全国の作り手とともにものづくりを行い、自信と期待を込めた適正な価格で世の中に送り出し、適正な利益を得る。
これにより作り手が経済的に自立し、ものづくりに誇りを持つ。そんな状態を目指します。
そして届け方も大事です。
ただものを売りたくて『接客』をするのではなく、相手の心に接し、お客様との間に好感を生む。そんな『接心好感 (せっしんこうかん) 』が、私たちの届け方です。
いいものを作り、それを世の中に届ける。
中川政七商店はこれを続けることで存続し、日本の工芸を元気にします」
——社長として最初に掲げた指針は、「いいものを作り、世の中に届ける」こと。そのために最強のチームになること。
これは何より、14代当人にとっての大きな挑戦でもあります。
300年受け継がれてきたのれんの重み。創業時から続く「家業」からの脱却。
「工芸再生請負人」と呼ばれてきた経営者、中川政七からの後継。
一会社員から従業員数400人弱を束ねる企業トップに。
たった一人で受け取るにはあまりにも重く思えるバトンパスを、14代はどんな「覚悟」で受け止め、社長交代の壇上に立ったのか。
後日当人を訪ねると、社長交代挨拶のキリッとした印象とは、また違う姿がそこにありました。
大爆笑で返した新社長辞令
「何が自分のいいところなのかは、正直わからないんです。この間の13代の記事にあった任命理由も、自分ではコントロールできないところを評価されたんだなって(笑)
自分では強みがわからないから、人から任されたことはきっと合っているのだろうって、これまでは引き受けてきました。
でも、社長就任は、さすがにそれだけでは引き受けかねましたね (笑) 」
2011年、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職。小売課、生産管理部門、経営コンサル案件のアシスタントを経て、13代初の秘書に就任。
身近で仕事をする機会が増えていく中で、13代は千石さんの「コミュニケーション力とバランス感覚」を買っていました。
ここ数年ではテキスタイルブランド「遊 中川」のブランドマネージャーを経験。
そして2017年7月。
東京事務所の会議室で「次の社長をやってほしい」と13代から告げられた時、千石さんは会社のものづくりの全体指針を決める「ブランドマネジメント室」の室長を務めていました。
「最初は大爆笑でした。ないないない、なんの冗談ですかって」
実は13代は少し前から、千石さんをはじめ上長陣にだけ、近いうちの社長交代を予告していたそうです。
「社長の考えることだから、交代自体はもしかしたら必要なのかもしれない。けれどそれは私じゃないし、今変えなくてもいいのではないか」
ブランドマネジメント室を中心にものづくりから販売まで戦略を作り、13代には定例で相談・報告を入れる体制が、整いつつある頃でした。
最初の通達から数週間後、考え直して欲しい、今の体制でいいのではと、こんこんと説得にかかる千石さんに対し、13代はこう返します。
「いい企業文化を育むには、トップダウンじゃなく、一人一人が戦闘能力を上げる必要がある。
それには俺が自分から離れんとダメやねん」
「このまま私が断り続けたらどうするんですか」
「こればっかりは、納得するまで話し合うしかない」
本気なんだ。この時千石さんはようやく、13代が真剣であるとわかったそうです。
「ちょっと、考えさせてください」
そう返してから正式に13代に返事をするまで、実に4か月が経っていました。
2017年12月、千石さんは震えながら、「やってみようと思います」と13代に答えます。
決断までの数ヶ月、一体どんなことを思っていたのでしょうか。
尋ねてみると、人にも言えず悩み続けて、口には口内炎がいくつもできるし、白髪も一気に増えて、と、笑いながら当時を振り返ってくれました。
「でも、もし私がこれで後任を断ったら、そのことを抱えたまま会社に残ることはきっとできない。
継ぐか、辞めるか。
私にはその二択しかないんだとわかった時に、それなら、ずっと一緒に仕事をしてきた13代の決断を信じて、できるかどうかわからないけれど頑張ってみよう、と思ったんです」
夢がありますね
千石さんは社長就任の返事をしたその足で、上長会議に向かいました。製造・販売・管理など全部署の上長を集めて13代が社長交代を告げた会議室は、シンと静まり返っていたそうです。
13代に促されて千石さんが口を開きます。
「まだ、やっと覚悟が決まったという状態ですが、それでもやっていこうということだけは決めました。できれば一緒に、頑張ってほしいと思っています」
今まで一緒にやってきた上長たちに受け入れてもらえるのか。その瞬間は本当に怖かった、声が震えた、と千石さんは回想します。
しばし沈黙のあと。
「夢がありますね」
一人が言葉を返すと、
「夢があるって、『俺にもチャンスがあるかも』ってこと?」
すばやいツッコミに笑いが起きて、場が一気に和やかになりました。
「僕らもほんまに腹くくってやらんと、あかんと思いました」
「そんなこともあるよねって思いました。うちの会社らしい」
最後の一人が
「一緒に頑張っていこうと思います」
と返した言葉にその場の全員がうん、と頷き、会議は解散。
トップダウンからチームワークへ。新社長千石あやが舵をとる、新しい体制が承認された瞬間でした。
雰囲気のいい雑貨屋さん、で終わらせない
いい企業文化を育み、この先10年も会社が発展するために、13代が手渡したバトンパス。
受け取った14代は就任スピーチで、「いいものを作って届ける」ことを掲げました。後日インタビューで、こう振り返ります。
「いいものを作って届ける。当たり前のようですが、いちメーカーとしてこの日々の積み重ねなしに、いい企業文化も何もないと思っています」
「どこに出しても恥ずかしくないものづくりが常にできる、強いチームになる。
自分たちが強くないと、経営コンサルのように他を助けることもできません。13代が今後10年全力を注ぐと宣言した産業観光や産業革命も、自社が優れたものづくりをするメーカーであってこそ、先頭に立って取り組めるものだと思います。
ですが、現状の私たちにはまだ、甘いところがある。中川政七商店といえばこれだよねと言える商品がどれだけあるのか。『雰囲気のいい雑貨屋さん』で終わってはいけないんです」
知らんぷりして理想を語る
「だから最近は、知らんぷりして理想を語ることも、社長の大事な仕事だなと思うようになりました。
手を出したら大変で、できれば避けたいと思っているような選択に対して、何の事情も考慮せずに『それが実現できたら素晴らしい価値だよね』と言える人って、やっぱり社長なんじゃないかなと」
就任してからの半年間をそう振り返る14代ですが、これからトップダウンからチームワークへ変わっていく会社の「トップ」として、自身の社長業をどう捉えているのでしょうか。
一人からみんなに
「就任直後はやっぱり、私が決めなきゃ、みんなをリードしなきゃと変に力んでいたんですが、それでは13代の劣化版にしかならない、と気づきました。
うちの会社はデザイナーや生産管理といったものを『作る』部門、販売や広報などの『届ける』部門、その人達を『支える』物流や管理部門でできています。
一人一人がプロとしてさらに力をつけて、私はみんなの話をよく聞く。その調和をはかってできる限り正しい選択をしていくのが、私に任された重要な仕事だと思っています。
幸い、うちには先代が築いた『日本の工芸を元気にする!』というはっきりしたビジョンがあるので、正しい選択はしやすいかなと思っています」
「今回の社長交代は、中川政七から私にではなく、中川政七からみんなになったことが、一番大きいんです」
変わるからにはよく変わる
家業からの脱却。トップダウンからチームワークへ。その節目に立ち、これからの中川政七商店の羅針を示した14代の就任スピーチは、こう結ばれました。
「早くいきたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行けというアフリカのことわざがあります。
今年、中川政七商店はより早く、より遠くへみんなで行くことを選びました。
変わるからにはよく変わりましょう。
私も、覚悟を決めたからにはできる限り力を尽くそうと思います。
今日のことをきっかけに、自分が仕事に対して持っている覚悟はなんだろう、と考えてみるのもいいと思います。
いい会社にしていきましょう。厳しくても、一人ではありません」
翌日、社員たちはまた自身の持ち場へ戻って行きました。奈良や東京の事務所、全国のお店へ、物流倉庫へ。これから始まっていく、新しい10年の第1日目を踏み出しに。
文:尾島可奈子