わたしの一皿 冷やし中華、とっくに始めています

例年思うが、夏を無事に乗り切れるだろうか。夏が厳しくなっているのか、自分が弱っているのか。連日の暑さがこたえます。

先週は5日間連続でカレーを食べた。男子、夏はカレーですから。みんげい おくむらの奥村です。

暑い日々、スパイスでバテを解消したいとカレーもよいですが、どうしても冷たいものが食べたくなる。そうめん、かき氷。おっと、忘れてはいけないのが「冷やし中華」。

冷やし中華、始めました?こちらとっくに始めております。

個人的に、ゴールデンウィークが終わると解禁しちゃう冷やし中華。我が家ではお店で食べるような冷やし中華は食べません。それはお店におまかせで。

お店の冷やし中華、意外と具の種類が多いでしょう。あれを一揃えするのがちょっと面倒なので、具は基本的に2、3種。タレに黒酢を効かせて。

そのときにあるものでちょいちょいと。そして、酒に合うように。ビールもよいですが、冷酒でも、ワインでも、焼酎でも。

今日の冷やし中華はまさにそんな感じ。1人前の半分ほどをつまみ感覚でいただくのが好き。もちろん1人前しっかり食べても美味しいです。

きくらげ

夏はとにかく酢をきかせたい。黒酢のしっかりきいたタレが冷やし中華には合う。

ビシっと氷水で〆た麺にタレと具を絡め、最後に香菜を。今日は白髪ネギを使ったけど、水菜でもよいし、きゅうりでもよい。

今日は肉が見当たらなかったので肉抜きですが、蒸した鶏ムネ肉なんかをちぎって入れてもよし。

きくらげ

きくらげは歯ごたえが大好きなので必ず使う。もどすだけでよい楽ちん食材。

今日の影の主役はきくらげだ。きくらげが食べたいがために冷やし中華にした、と言ってもよいぐらいだ。

冷やし中華の調理工程

最近では国産のきくらげも、生のものや乾燥のものなどいくつか見かけるが、中国・台湾にはもっともっとさまざまな種類がある。出かけた際に買ってきて、常時いくつかの好みの種類をストックしている。

今日は中国の吉林省長白山のあたりのもので、かなり小さめだが厚みがありとにかく食感がよい。プリプリ、コリコリ。プリプリの麺ともなんとも相性がよい。

小谷眞三さんのガラスのうつわに盛り付けた冷やし中華

涼を取るならうつわも涼やかなものを。今日は倉敷ガラス、小谷眞三さんの抹茶碗を小さな麺丼に見立てて。

御年88歳を迎える小谷さん。こちらのうつわは数十年前の作になる。気泡が入った透明のガラスは白みを帯びて、なんとも夏に涼やかなのです。

倉敷ガラスというと小谷ブルーとも言われる青を浮かべる方も多いかもしれませんが、この白もさすがに定番色、抜群に使いやすい。

(ちなみに小谷さんのものづくりについては以前に特集されているものがあるのでこちらも改めて読んでもらいたい。)

手吹きのガラスと機械生産のガラスと、一番のちがいは何だろうか。

簡単に言えば「ぬくもり」だろうか。手吹きのガラスはよい厚みを持たせることができる。

多少雑に扱っても割れなかったりというところも家庭で使うにはよいし、そのぽってり感が何より冬に使っても寒い感じがしない、というのがもっとも好きなところだ。

ガラスは世界中にある工芸だ。もちろん日本で作られたこのガラスのうつわは和食にも似合う。

しかし世界のどんな料理にも似合うのだ。今日は中華だし、小谷さんがコップ作りの基にしたメキシコの料理だってよいだろう。

冷やし中華、ずびずびと食べ進め、頃合いを見てラー油を入れましょう。味に変化を。この黒酢の冷やし中華は辛子にあらず。

ここのとこ、ラー油も様々なものを見かけるし、美味しいものが本当に多い。ラー油を使い分けるだけでまた冷やし中華の雰囲気も変わります。

好みの辛さに仕上げたら、一気にフィニッシュ。爽快に汗をかきたい。

実は去年の7月もガラスのうつわを取り上げた。その時は福岡県の小石原の作り手太田潤さんで、同時に小石原周辺が豪雨で甚大な被害を受けたことを記した。

あれから一年、今回はたまたま倉敷ガラスだ。今月、倉敷も豪雨で甚大な被害を受けている。一刻も早くおだやかな日常が戻ることを願う。

状況が落ち着いたら、岡山・倉敷に行き、当地の民藝、手仕事を買って作り手をますます応援したい。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

夏にこそ使いたい料理道具、土鍋

毎日、暑い日が続きますね。体力が必要な夏、健康な食事を摂って栄養を蓄えたいものです。

今日の記事は、夏の間の土鍋の使い方。身近な食材だけで簡単にできる、夏に食べたい土鍋を使った料理を考えてみました。

わざわざ土鍋を使いたい理由

「鍋」料理の印象が強い土鍋。夏の間は出番を無くして棚の奥にしまわれがちですが、それはとても勿体ない。実は夏も、土鍋は大活躍することをご存知でしょうか。

鍋料理以外にも、アイデア次第でさまざまな使い方ができる土鍋。

ステンレスやアルミ製に比べるとちょっと重たいけれど、わざわざ土鍋で調理をしたい理由は、土鍋ならではの特徴にあります。

 

* * *

<土鍋の特徴 その1> じっくりと熱を通す
他の鍋と大きく違うところは、熱の伝わり方。火の熱をそのまま伝えるのではなく、まずは土鍋自身がじっくり温まってから蓄熱をして、その熱を土鍋全体を通して食材に伝えます。それにより、食材の芯からじっくりと熱を通して、うまみを引き出してくれるという嬉しい効果が。

<土鍋の特徴その2> 蓄熱性が高い
じっくりと熱を通すことから、温まるまでには少し時間がかかりますが、その分蓄熱性が高い土鍋。火から下ろした後も高い温度を保ってくれることも魅力です。また、蓋をしたままだと高い温度での蒸し状態に。ご飯をふっくらと美味しく炊くことができますし、卓上に出した後でも温かい状態を保てるのも嬉しいところです。

<土鍋の特徴その3> 保冷性がある
さらに。夏にお勧めしたい土鍋の使い方は「冷やす」という方法です。意外と知られていませんが、保温効果のある土鍋は、熱いものを熱く保つだけでなく、冷たいものを冷たく保つ効果もあります。

特に、たくさんの気孔を含んでいる「土」が特徴である伊賀の土鍋は、水を含ませて冷やすのがおすすめ。含ませた水分が蒸発する時の気化熱作用によって土鍋の中を冷たく保ってくれます。

その秘密は、土の特性に。昔、琵琶湖の底だったという伊賀の地層から採れる土には、400万年も前に生息していた有機物(植物や生物)がたくさん含まれています。この土を高温で焼くことで、中の有機物が焼けて発泡して、土の中が気孔だらけのような状態になるのだそうです。

* * *

土鍋の特徴を活かして、暑い夏の土鍋の使い方と料理を考えてみました。

冷やして使う

夏はやはり冷たいものが食べたくなるもの。土鍋の保冷効果を活かすと、卓上でも料理を冷たいまま楽しむことができます。

* 野菜盛り
あらかじめ土鍋自体を冷やしておけば、氷も溶けにくく、ずっと冷えたままの野菜をいただけます。

夏の土鍋の使い方

* 夏野菜の和風ジュレ
夏のパーティーに使える、見た目も涼しい夏野菜ジュレ。切った夏野菜と和だしで作ったジュレを土鍋で混ぜて、そのまま冷蔵庫で冷やせば完成です。そのまま食べても、豆腐やそうめん、ハムや海老などにかけてもおいしくいただけます。

* 土鍋のふたで、カルパッチョ
ふたは、優秀な保冷皿として活躍します。蓋に水を含ませて冷やしておくと冷蔵庫から出した後もしばらく冷たい状態に。鯛、カンパチ、スズキなど、夏においしい旬の魚を、お刺身やカルパッチョでどうでしょうか。

夏の土鍋の使い方

オーブンで焼く

* 夏野菜のオーブン焼き
土鍋の種類にもよりますが、耐熱性に優れた土鍋は、そのままオーブンで調理することができるものが多いです。しっかりと野菜を食べて栄養を付けたい夏。夏野菜には、ビタミンやミネラルなど夏に必要な栄養素が多く含まれていると言われています。火の通りにくい根菜などは少し火を通し、夏野菜やお肉・ソーセージなどを詰め、土鍋のままオーブンへ。野菜やお肉の芯へじっくりと熱が伝わり、旨味たっぷりに仕上がります。

夏の土鍋の使い方

蒸し器として使う

* オレンジプリン
土鍋で蒸すと、ふるふるした絶妙な口当たりに仕上がるプリン。夏に食べたい柑橘系の果物を入れ、爽やかな夏のデザート、とろとろのオレンジプリンはいかがでしょうか。ふきんを敷いて蒸すと容器が安定するだけでなく火の当たりが柔らかくなります。

夏の土鍋の使い方

煮て、そのまま冷やす

* りんごのコンポート
深めの土鍋に、砂糖、白ワイン、レモン、お好みでカルダモンやシナモンなどを入れて、煮立てる。沸騰したららりんごを入れて更に5分。あとは何もせず、土鍋の余熱調理に任せます。熱が取れたら、そのまま冷蔵庫へ。
驚くほど簡単ですが、土鍋の力で深い味わいの夏のデザートが完成します。

 

アイデア次第では、まだまだたくさんの活用ができる土鍋。食材を美味しく調理できるだけでなく、保温・保冷の道具としても大活躍します。煮て、焼いて、冷やして。ぜひ、夏の間も使ってみてください。

 

< 使用した土鍋 >
長谷園 ビストロ蒸し鍋
かもしか道具店 ごはんの鍋
・中川政七商店 土鍋 飴釉

2017年6月27日公開の記事を再編集して掲載しています。猛暑が続くこの夏、体力づくりは健康な食事からです。ぜひ、土鍋を取り出して夏にも活用してみてください。

文・写真 : 西木戸弓佳

3年ぶり開催「大地の芸術祭」を先取り取材。「四畳半」アートに世界から28の回答

里山のアートの祭典、開幕。

3年に一度のアートの祭典、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」がいよいよ今週末、7月29日 (日) から開幕します!

大地の芸術祭

新潟県・越後妻有エリアの里山の風景の中に、世界各国のアーティストによる作品が展示される51日間。376点もの作品が、東京23区より広いエリアに一斉に現れます。

近年、街なかや自然の中でアート作品に触れるイベントを国内各地でよく耳にしますが、大地の芸術祭は日本におけるその元祖。

7回目の開催となる今年の見どころのひとつが、企画展「2018年の〈方丈記私記〉」展です。

ドミニク・ペロー作品:フレキシブルだが構造があり、存在と不在、自然と人工的を自由に行き来できる素材″メッシュ″で空間をつくりだす方丈

「さんち」ではひと足早く、制作進行中の現地を独自取材。「工芸と探訪」視点で企画展の見どころや注目の作品をご紹介します!

開催場所は越後妻有里山現代美術館[キナーレ]

JR十日町駅から徒歩10分ほど、企画展が開催される、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]に到着。

入り口に早速アート作品
入り口に早速アート作品

期間中はインフォメーションセンターの役割も担う、芸術祭の中心的な施設です。

館内には芸術祭期間外も楽しめる常設の作品が展示されています。こちらは地元・十日町にゆかりのあるオリジナルの模様を描いた眞田岳彦氏の作品、「大地をつつむ皮膚」 十日町文様 カラムシ唐草'13
館内には芸術祭期間外も楽しめる常設の作品が展示されています。こちらは地元・十日町にゆかりのあるオリジナルの模様を描いた眞田岳彦氏の作品、「大地をつつむ皮膚」 十日町文様 カラムシ唐草’13
十日町の織物産業の道具などを生かしたクワクボリョウタ氏の作品「LOST #6」
十日町の織物産業の道具などを生かしたクワクボリョウタ氏の作品「LOST #6」

「芸術祭が始まると、ここの中庭にレアンドロ・エルリッヒの新作が出現します」

中庭をぐるりと囲むつくりのキナーレ。2階が展示やカフェスペースになっている
中庭をぐるりと囲むつくりのキナーレ。2階が展示やカフェスペースになっている

「今年の春まで東京の森美術館でやっていた個展が大反響だったので、名前を知っている人も多いかもしれませんね。

この作品は1階からではその全容がわかりません。お客さんは階段を上って、2階から中庭の作品の姿を『目撃』するでしょう。

そうすると、中庭を囲む回廊に企画展の作品がびっしりと並んで賑わう様子が、自然と目に飛び込むはずです」

キナーレ回廊

「下に降りて他の作品も見てみよう、と引き寄せられたらなと思っています」

そう会場の「仕掛け」を語るのは大地の芸術祭の運営に携わる、株式会社アートフロントギャラリーの浅川雄太さん。

浅川雄太さん。開催の1年前から現地入りし、展示する作品の選定からアーティストの現地での制作サポートまで、まさに縁の下の力持ちを担っています。写真はキナーレ回廊内に建つ、仮設の事務所にて
浅川雄太さん。開催の1年前から現地入りし、展示する作品の選定からアーティストの現地での制作サポートまで、まさに縁の下の力持ちを担っています。写真はキナーレ回廊内に建つ、仮設の事務所にて

いまはまだがらんとしている、キナーレの回廊部分。

キナーレ回廊部分

ここに、応募総数248点の中から選び抜かれた世界各国28の作品が、あるテーマを元に並びます。

四畳半で何ができるか?28の回答。

企画展タイトルにある「方丈」とは、一丈(約3メートル)四方の空間のこと。

キナーレ内に設置されている実寸大の方丈
キナーレ内に設置されている実寸大の方丈

作品応募にあたり、アーティストに課された課題は、ひとつでした。

「越後妻有を背景に、四畳半の空間でできる人間の営みを提案してください」

その28の「回答」が、企画展で一堂に会します。屋台もあればオフィスに小さな家、スナックもある。様々な機能を持った方丈が並んで、キナーレの回廊がまるでひとつの集落のようになる、という仕掛けです。

開幕前のイベントで展示された模型
開幕前のイベントで展示された模型

さんちは「ものづくり」の視点から4つの作品に注目して浅川さんにインタビュー。アーティストが提出した作品の提案書も見せていただきながら、作品の魅力や制作秘話を伺うことができました。

世界的建築家、ドミニク・ペロー×十日町の織物産業=「DRAPE HOUSE」

アーティストによる説明:フレキシブルだが構造があり、存在と不在、自然と人工的を自由に行き来できる素材″メッシュ″で空間をつくりだす方丈
アーティストによる説明:フレキシブルだが構造があり、存在と不在、自然と人工的を自由に行き来できる素材″メッシュ″で空間をつくりだす方丈

華やかなビジュアルの作品は、フランス国立図書館の設計も手がける世界的建築家、ドミニク・ペローによるもの。

開催地・十日町の織物メーカーとともに作り上げる「DRAPE HOUSE」です。

DRAPE HOUSE模型
DRAPE HOUSE模型

「この枠に下がっている布のようなもの、実は全部金属なんですよ。ドミニク・ペローは、金属メッシュという素材に強い関心を持った建築家です。

作品案をもらった時に、このテキスタイルのような素材が舞台である十日町とうまくリンクするんじゃないかなと思いました」

企画展応募時の提案書
企画展応募時の提案書

越後妻有エリアは、十日町市、津南町という二つの町から成り立ちます。中でも十日町は古くからその名を知られる着物の町。

作品のコンセプトと舞台となる町のエッセンスが自然と結びついたそうです。

とはいえ、伺った際は企画はまだまだ「絶賛調整中」の段階。

地元の織物メーカーとどのように手を組み、実際にどんな姿が完成するのか。見ごたえのある作品になりそうです。

菊地悠子×鍬のスペシャリスト、燕三条の相田合同=「つくも神の家」

アーティストによる説明:「つくも神」と「アニミズム」をテーマとした土まんじゅうと太陽の光による自然のもっとも原理的な形の方丈。鍬の住む家。 協力:株式会社相田合同工場
アーティストによる説明:「つくも神」と「アニミズム」をテーマとした土まんじゅうと太陽の光による自然のもっとも原理的な形の方丈。鍬の住む家。
協力:株式会社相田合同工場

展示作品の中でもひときわ不思議な形をしている「つくも神の家」。外見からは一体なんなのか全く想像がつきません。

菊地悠子さんが作るこの家に「住む」鍬を提供しているのが、新潟・燕三条にある株式会社相田合同工場さん。

昨年「さんち」でも特集した燕三条エリアは、日本有数の金属加工の町。包丁、やかんなど数あるメーカーの中で、相田合同さんは鍬のスペシャリストとして知られます。

「芸術祭の総合ディレクターである北川フラムが、たまたま人から相田さんのことを教えてもらったんですね。

実際に芸術祭の運営スタッフで工場にお邪魔したら、大変面白くて。土地によって土の質が違うから、鍬の形って地域によって全く違ったりするんですよ」

浅川さん。キナーレ内にて

そこに、古いものに命が宿るという付喪神の土着的な信仰をコンセプトにした菊地さんの作品案が届いた。これはぴったりだとすぐに相田さんに協力依頼をしたそうです。

「どう展示するかは考えている最中なんですが、『鍬は土を“切る”ものだから』と、相田さんも展示の安全面を相当考えてくれています」

家の中はどうなっているのでしょう‥‥?
家の中はどうなっているのでしょう‥‥?

さて、鍬は一体どんな姿でつくも神の家に「住む」のでしょうか。楽しみです。

小川次郎×へぎそば=割り箸でつくる、食べられるアート。「そば処 割過亭」

アーティストによる説明:割り箸集成材による蕎麦屋台
アーティストによる説明:割り箸集成材による蕎麦屋台

「屋台が全部、蕎麦を食べる時に使う割り箸でできているんです。もちろん実際に蕎麦も出します。十日町のお蕎麦やさんに協力してもらう予定です」

いわば食べられるアート作品。

十日町の名物といえば「へぎそば」です。つなぎに布海苔(ふのり)という海藻を使ったお蕎麦で、ヘギといわれる器に盛り付けるのが名前の由来です。

へぎそば

「小川さんは以前から十日町の中でも鍬柄沢 (くわがらさわ) という、蕎麦にゆかりの深い集落でアート作品を展開しています」

休耕田に蕎麦を植え、風で揺れる蕎麦の上で休むことができる作品「はさベッド」(2012年制作、小川次郎/日本工業大学小川研究室)
休耕田に蕎麦を植え、風で揺れる蕎麦の上で休むことができる作品「はさベッド」(2012年制作、小川次郎/日本工業大学小川研究室)

「今回の企画展応募に当たっても、『蕎麦文化を紹介したい』と言って作品を考えてくれました」

実はこの「へぎそば」、この地域のものづくりと深いつながりがあるのです。さんちの別の記事でご紹介しているので、よかったら覗いてみてくださいね。

へぎそば記事はこちら:へぎそばの「へぎ」って何?その由来は着物文化にあった

KIGI×津南醸造=酔えるアート「スタンディング酒BAR 酔独楽・よいごま」

アーティストによる説明:酔う=独楽=宇宙を展開する方丈。GINZA SIX内「D-BROS」で限定販売の酔独楽でお酒を提供するバーカウンター 協力:津南醸造株式会社 運営:株式会社エフエムとおかまち
アーティストによる説明:酔う=独楽=宇宙を展開する方丈。GINZA SIX内「D-BROS」で限定販売の酔独楽でお酒を提供するバーカウンター
協力:津南醸造株式会社
運営:株式会社エフエムとおかまち

食があればお酒もあります。

さいころを振って、目の数によって大きさの異なる杯で地酒を提供するという、エンターテイメント要素たっぷりの方丈作品。

発想の元になっているのが、「可杯(べくはい)」という酒器。実は以前「さんち」の高知特集でも紹介していました。

べく杯
べく杯

可杯は、さいころの目によって飲む器が決まり、飲みほすまで下に置いてはいけないルール。器が天狗やおかめの形をしていて、いずれもまっすぐ卓上に置けない形状になっています。

KIGIさんは可杯を元に、独楽の形をした酒器を制作。酔ってクルクル回る「酔独楽 (よいごま) 」と名付けました。

独楽のイメージも描かれた提案書
独楽のイメージも描かれた提案書

さらに、今回は可杯にはないオリジナルの遊び方ルールも。

「飲むお酒の種類も、サイコロをふって決めるんです。人によって小さい器の純米大吟醸、大きい器で吟醸、みたいに。何をどれだけ味わえるかは、その人の運次第なんですよ」

さすが酒どころ新潟、これは盛り上がりそう。

「屋台はサイコロをふるスペースが必要なので、テーブルを広くとってあります。

屋台を作ってくれるところを探していたら、津南醸造さんと付き合いのある工務店さんが、うちで作るよと言ってくれて。本当に地元に根ざした作品になりました」

KIGIの提案書を見ながら
KIGIの提案書を見ながら

訪ねた当日、キナーレ内はまだひっそりとしていましたが、作品づくりは静かに、舞台の外で少しずつ、進んでいるようでした。

ここで、ひとつ気づいたことがあります。

それはアート作品が、応募の時点ではまだ決まっていない要素が多いということ。

例えば織物を題材にするとして、誰に制作を手伝ってもらうか。

蕎麦屋をやるとして、誰に蕎麦を打ってもらうか。

作品の安全面は?

「例えばKIGIさんが日本酒のBARをやることになった時は、実際に幾つかの酒造のお酒を試飲してもらったんです。一番KIGIさんが気に入ったところと組んでもらうのがいいだろうって」

そう、浅川さんら芸術祭の運営事務局こそ、アーティストと地域の間に入って紙の上のプランを本物の造形作品に仕上げる、芸術祭の隠れた要。

アーティストだけで完成しない、アート作品づくりの舞台裏を次回、お届けします。

大地の芸術祭事務局の浅川さん。キナーレ内にて

<取材協力>
大地の芸術祭実行委員会
http://www.echigo-tsumari.jp/

文:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、小俣荘子、廣田達也
作品画像・資料提供:大地の芸術祭実行委員会

日本最前線のクラフトショップは、日本最南端にあった

工芸産地を地元の友人に案内してもらう旅、さんち旅。

もともと東京で、ショップやものづくりのディレクションに関わっていた村上純司さん。沖縄に移住したとは聞いていたものの、〈LIQUID(リキッド)〉という少し変わった、「飲む」という行為に焦点を当てた専門店を始めたというお知らせが、編集部に届きました。

というわけで今回は沖縄、村上さんのお店LIQUIDを訪ねました。


沖縄県宜野湾市のLIQUID
カーナビを頼りに宜野湾市の高台を上がると、コンテンポラリーなグレーに塗られた米軍のフラットハウス。その横にはホワイトのTOYOTA・デリボーイ。
沖縄県宜野湾市のLIQUID
無国籍感と独特の緊張感がある建物の壁に「LIQUID」と記されたプレートを見つけて一安心
沖縄県宜野湾市のLIQUID、オーナーの村上純司さん
オーナーの村上純司さん。東京・江戸川区生まれ。東京のディレクション会社を退職した後、2017年、沖縄宜野湾市に「飲む」という行為に焦点を当てた専門店〈LIQUID〉をオープン

—お店をはじめられる際、場所は沖縄で探されていたんですか?

「決して沖縄にしぼって考えていたわけではないですが40代の生き方を考えなきゃなと2、3年、考えていたんです。そんなとき仕事で沖縄の行政や商業施設の仕事があって、沖縄を知る機会になりました。

そのときに、年間で1000万人に近い観光客がいることや、海外のお客様が200万人を超えていることを知ったんです。去年、ハワイを抜いたんですよ。もはや東アジアの玄関口と言える。それが一番の理由です、沖縄を選んだのは」

村上さんのしゃべり口はいたって無邪気だが、いわゆる都会が嫌になって感情的に「沖縄に移住した人」とは違う。今の思考の根幹を作ったのは、新卒で採用されたシステムエンジニア職だという。

「入社してすぐ2000年対応(*)っていうのをずっとやっていました」

*西暦2000 年になるとコンピューターが誤作動してしまうという、いわゆる西暦 2000年問題における、既存のソフトウェアに対して施されるその対策

「もともと、理系頭なのもあって、良いベースになっている気がしますね」

その後、村上さんは銀座でスタートした、日本文化を現代の生活に繋げるプロジェクトに関わる事で、ものづくりの世界に足を踏み入れる。

ノットアカデミックな、日本文化の表現

代官山や隅田川、新潟や京都。様々な街の夜を彩った玩具花火ブランド「fireworks」
代官山や隅田川、新潟や京都。様々な街の夜を彩った玩具花火ブランド「fireworks」

「どれが正解かって、やってみないとわからないからどんどん立ち上げて。とにかく企画して、可能性があるものは形にしていこうという考えで動いていました」

ただ、日本文化を伝えるとなると、どうしてもアカデミックになってしまう。そのジレンマを解消するため、子どもでもわかるような日本文化の表現として、線香花火をブランディングする事に。

結果そのプロジェクトは、大人達の共感も呼び、のちの〈fireworks〉の活動にも繫がっていく。

日本文化の発信に深く携わりはじめた村上さん。その後、熱海の老舗旅館〈蓬莱(ほうらい)〉での仕事をスタートする。なぜ旅館に?との質問には、少し予想外の答えが返ってきた。

「日本の文化を、全部表現できるのが旅館だなぁと思って」

蓬莱では、館内でのサービスや蓬莱ブランドとしてのものづくりだけでなく、最終的に女将修行まで幅広く経験したという。

「歩幅がでかい!なんて言われて。すいません!みたいな(笑)

女将さんって、いわば旅館のクリエイティブ・ディレクターなんですよ。旅館全体を監修する業務。そこで、日本文化のトータルプロデュースみたいなことを体験しました」

そういった経験の後、山田遊氏率いる〈method(メソッド)〉を経て、自店の開業準備に。

「method時代は、主に監修業務に関わっていました。どんな商品、どんな店が作りたいのかをまとめていく仕事ですね。今もこの店をやりながら、いくつかのブランドの監修業務に関わっているんですが、それはクライアントさんの頭の中を整理整頓して、やりたいことの最大公約数を打ち出していくことだと思っています」

辿り着いたのは「飲む」という行為

沖縄県宜野湾市のLIQUID、オーナーの村上純司さん

「最初は、沖縄のことをぜんぜん知らなくて。偉そうに沖縄俯瞰してみて、編集してやるぜ!ぐらいに思っていたんですよ。そしたら、当然ながら沖縄には沖縄のものがいっぱいあるし、いろいろな方がいろいろなことをやってることを知りました」

「自分はどういう役割で、自分の意思を持ってやろうかなと、ずっと考えてはいたんですけれど。やっぱり、何でもあるライフスタイルショップやセレクトショップではなくて、専門店がいいなというのが、漠然としてあったんです。何かスペシャリティショップというか、何かに特化したものが良いなと」

専門店ということは決めたものの、今までの経験がゼロになってしまう珈琲の専門店のような、自分が未経験のジャンルではなく、今までの経験を活かすことができる、ものを通した何かの専門店。その可能性について、村上さんは思いを巡らせる。

「あるとき“行為の専門性”っておもしろいなと思って、辿り着いたのが“飲む”という行為だったんです。

飲む行為って、人と人との間に必ずありますよね。しかも時間や場所、その相手やその時の飲み物で、全く行為の役割も変わってくる。休憩の為のお茶だったり、仲良くなる為のお酒だったり」

歴史をさかのぼると、世界最古の文明とされるメソポタミアの時代には既にビールやワインが存在し、茶葉は紀元前には既に発見されていたというからなおさら興味深い。

たしかに、日本はもちろん、中国やイギリスの各国々のお茶の歴史や、最近のコーヒーブームもすべて“飲む”という文化に置き換える事もできる。

「これはおもしろいと思って、沖縄を含む日本でうまれた物を中心に、飲むための道具や家具、飲み物を組み立てていった結果が、液体=LIQUIDなんです」

沖縄だから表現できたラインナップ

沖縄県宜野湾市のLIQUID店内
コンバージョンした外人住宅で「飲む」という行為に焦点を当てて展開される、日本最前線のクラフト。都内では見かける事もままならない、ピーター・アイビーのガラス作品も豊富に揃う。

「セレクトの価値基準もいろいろありますよね。
金銭的価値として、産地で量産して低価格なものの中にも良いものはある。作家さんの手仕事からうまれる情緒的価値もあるし。あとは、単純に美しいねという美的価値もあります。主にはこの三つの価値基準で選んでいて、金額的にも三段階で調整しています。

「大前提として、日本の最前線が見れたり体験できるということは、意識しています。沖縄や東アジアの方が、わざわざ個展や産地に行かなくても、ちゃんと体験できる場というのがあったほうが良いという自分の勝手な思いです。

あと心のどこかで、東京などの都市部の方がいらしても、何かしらの刺激を与えることができるような店‥‥沖縄じゃないとできないことをやろうというのは、どこかでありますね。都市部でこの店をやろうと思っても、おそらくいろいろな問題でできないと思います」

沖縄県宜野湾市のLIQUID店内
店の奥行きを広げる書籍は、店名に因んだラインナップ。選書は〈BACH〉幅允孝に依頼。
沖縄県宜野湾市のLIQUID店内。〈上出長右衛門窯〉には、シーサーの「笛吹」を別注
全国的に人気の〈上出長右衛門窯〉には、シーサーの「笛吹」を別注した。1周年記念として新たなシリーズも展開中
ペルシャブルーで知られる沖縄のレジェンド・大嶺實清氏に、敢えて“黒”でオーダーした碗
独特の深い青、”ペルシャブルー”で知られる沖縄のレジェンド・大嶺實清氏に、敢えて“黒”でオーダーした碗。唯一無二の存在感。
大嶺氏の碗を納めるのは、和紙職人・ハタノワタル氏製作による和紙の箱。
大嶺氏の碗を納めるのは、和紙職人・ハタノワタル氏製作による和紙の箱。他では考えられない、村上さんが生んだ奇跡のコラボレーション。
石川県輪島市から沖縄に移り住んだ、渡慶次夫婦による工房〈木漆工とけし〉
石川県輪島市から沖縄に移り住んだ、渡慶次夫婦による工房〈木漆工とけし〉。彼らにオーダーした「飲む」ための箱ものは、琉球王国の宮廷料理に使われた東道盆(トゥンダーブン)へのオマージュ。
以前関わったプロジェクトでセレクトし、結果的に村上さんの沖縄移住のきっかけにもなった〈木漆工とけし〉の漆のスプーン
以前関わったプロジェクトでセレクトし、結果的に村上さんの沖縄移住のきっかけにもなった〈木漆工とけし〉の漆のスプーン。思い入れ深い一品。

あらためて店内のセレクトを見渡すと、ここが沖縄、日本であることも忘れてしまう無国籍感が漂う。それはそれぞれのディテールやテクスチャー、そしてその村上さんのセレクトが本物であることであることに他ならない。時折個々で見かける事はあっても、同じ空間で見るのは奇跡に近い品々。

そんな日本最前線のクラフトを介し「飲む」という行為にフォーカスした結果、LIQUIDではカレーの展開も視野に入れている。

「カレーは飲み物だよね。ってところでオチをつけておかないと、スカしすぎてるなと思って」と村上さんは笑う。


この空間の中でカレーというだけでも驚いてしまいますが、そのLIQUIDの「飲む」という表現の場は、なんと別棟での酒屋の開店へと続いていました。

LIQUID

沖縄県宜野湾市のLIQUID

LIQUID: 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-17 No.030
LABO LIQUID: 沖縄県宜野湾市嘉数1-20-7 宗像発酵研究所内
098-894-8118
営業時間:10:00〜18:00
定休日:火・水・木・金曜日
HP:http://www.liquid.okinawa/
Facebook:https://www.facebook.com/LIQUID2017/
Instagram:https://www.instagram.com/liquid_okinawa

文:馬場拓見
写真:清水隆司

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沖縄の新しい酒屋が仕掛ける、フードカルチャーの最前線

沖縄 LIQUID

着物づくりの工程、全て見せます。新潟十日町・青柳の工房見学へ行ってみた

新潟県十日町市。今年の夏は、3年に一度の「大地の芸術祭」が開催され、多くの観光客で賑わいます。

この十日町には、もうひとつ、毎年夏を中心に全国から人がやってくる場所があります。

着物の一貫生産を行う「青柳」の工房見学。

美大生や職人としての就職を考えている学生、着物好きが高じて制作現場を見たいという人などから、熱いまなざしを向けられています。

ここでの見学をきっかけに、着物づくりの道へ一歩踏み出す人もいるのだとか。

人が集まる理由は何か、ぜひ行って確かめてみたい!と、工房を訪ねました。

1938 (昭和13年) 創業、株式会社青柳

着物づくりの全行程を間近に

着物の産地として1300年にも及ぶ長い歴史を持つ十日町。この地域の着物づくりの特色の一つが、設計から最終工程までをすべて自社一貫で行っていることです。

着物づくりは染、絞り、手描き、箔、刺繍‥‥と、工程ごとに細かく分業されているのが一般的。

しかし十日町は日本有数の豪雪地帯。冬の資材運搬が困難だったことから一貫生産の仕組みが出来上がりました。

染め上がった生地をほぐし、洗い、乾燥させます。仕上げ工程もすべて手作業です。

全ての技術を持っていることが新商品開発の力となり、一大産地として発展を遂げていったのです。

1938 (昭和13年) 創業の青柳も、創案から完成までの全工程を自社で行なっています。普段目にすることのできない技術の数々を一度に見られる工房見学。着物の専門知識がなくても、見ごたえたっぷりです。

安土桃山時代から続く染色技法「桶絞り」

まずはじめに圧倒されたのが「桶絞 (おけしぼ) り」。安土桃山時代から続く染色技法です。

桶絞り

染めたい部分だけを外に出し、あとの生地は桶の中にしまって染色液の中へ。重さ25キログラムもの桶を液の中で上下・左右に動かしながら手早く染めていきます。習得に何年もかかる技術なのだそう。

樽を使って染めたい部分だけを樽の外に出し、染色液に浸けていきます
樽の中は布と空気。浮力で水面に持ち上げられる樽を何度も両腕で染色液へ押し込みます
樽の中は布と空気。浮力で水面に浮き上がる樽を何度も両腕で染色液へ沈めます
生地が徐々に染まり始めます
作業中、職人さんのゴム手袋の中から大量の水が!染色液は85~90度とかなりの高温。火傷しないようにゴム手袋を2重にはめて、その中に水を入れて作業します

ザバッザバッという音とともに、染色液から上がる熱い湯気をあびながら力強く進む染色作業。この迫力ある様子に憧れて、青柳への就職を考えたという社員の方もいたとか。

染色が終わると、きつく締められた桶を開きます
染色が終わると、きつく締められた桶を開きます
桶染めの蓋を開けたところ
蓋を開けると‥‥
しっかりと閉じられていた桶の中からは、染まらない部分が出てきます
しっかりと閉じられていた桶の中には、一切染色液が侵入していません。白の美しさに格別のものを感じます
染める色ごとにこの工程を繰り返して生まれるのがこの見事な生地です
さっき染めていたのはこの赤い部分。染める色ごとにこの工程を繰り返し、ようやく1着分の生地が染め上がります。この生地は振袖になるのだそう

桶染めは手間がかかりますが、染料を上から塗るのではなく染色液にどっぷりと浸けることでダイナミックで濃厚な色合いが生まれるそうです。

無限の色を生み出す染料の調合

青柳では、イメージされた色を忠実に再現するために、独自の調合を行い染料も自社で作り出しています。部屋中に所狭しと並ぶ多種多様な染料から、精緻な色づくりへの熱い思いを感じました。

ずらりと並ぶ染料。これらを調合して色を作っていくのだそう
調合された染料がずらり

また、デザイナーさんは職人さんに相談して新作の染色方法や色を決めることもあるそう。現場の声を直に商品づくりに活かせるのも、自社一貫生産の強みになっているようでした。

創案工程で、柄の色を指定しているところ。色味だけでなく、ぼかし方なども全て原寸大で描き出します
今回特別に、創案工程で柄の色を指定しているところも見せていただきました。色味だけでなく、ぼかし方なども全て原寸大で描き出します

刷毛で色を描く「引き染め」

今度は刷毛で生地を染める「引き染め」の現場へ。吊るした生地に、染料を手早くムラなく伸ばしていきます。素早く刷毛を操る熟練の技が求められます。

刷毛で染める工程。織りにより立体感のある生地は特に技術が必要なのだそう
刷毛で染める工程。表面に凹凸のある生地を染めるには特に技術が必要なのだそう。この日はストールを染めていました
刷毛と染料
壁にはたくさんの刷毛が並びます
壁にはたくさんの刷毛が並びます

型紙を300枚も使って1つの着物を染めることも

こちらは「型友禅」の技法で生地を染める場所。板場と呼ばれているそうです。

長い板の上に乗せられた白生地に型を当て、1色ずつ染め上げていきます
長い板の上に乗せられた白生地に型を当て、1色ずつ染めていきます

型友禅は、型紙を生地の上に乗せて染めていく技法。
振袖などの型友禅を構成する型紙は250枚から300枚に及ぶことも!一反を完成させるのに1週間ほどかかることもあるそうです。

型染めの様子
型染めの様子
型染め途中の友禅
型染め途中の友禅

一口に「染め」といっても、こんなにたくさんの技法があるのですね。染めの工程の先の、箔加工、手刺繍、金泥描きなど細かな装飾の工程も、タイミングが合えば見学することができます。

見ているだけで、面白い。美大生や着物好きの方が夢中になるのもうなずけます。

染めや絵付けの体験も

同社では、見学に加え、染めの体験も行なっています。見学の興奮そのままに、自分でもトライできるのは嬉しい。

染め体験で作れる座布団。柄の色付けを自分で行うことができます
染め体験で作れる座布団。柄の色付けを自分の手で

次世代へとつなぐ十日町の着物づくり

数々の貴重な技術を間近で見られる工房見学。十日町でも、全てオープンにしているのは珍しいと言います。案内してくださった青柳蔵人 (あおやぎ くらんど) さんに、その理由を伺いました。

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ・くらんど) さん
株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人さん

「かつて職人の世界は、一子相伝など技を秘めておくことに価値がありました。ですが現代では、作る過程をオープンに伝えることが、お客様との信頼関係にも繋がっていくのかなと思っています。

また、着物がお好きな方にはものづくりに興味のある方が多いようなんです。そういったお客様に喜んでいただけたらとはじめました。

3年ほど前から本格的にはじめて、今では学校の課外授業や市の観光事業としても広がりをみせています。夏休みなどを使って訪ねてきてくれる学生さんも多くなりました」

株式会社青柳の代表取締役専務 青柳蔵人 (あおやぎ くらんど) さん

「着物を仕事にしたいという方にもたくさん出会いました。職人さんが分業制で着物づくりをしている地域や個人の工房では、就職の受け入れが難しいこともあるようです。着物づくりに携わりたくても、現場を見る機会や就職先がないと悩んでいるんです。

そういう人にとって着物との接点を作る機会になっているのは嬉しいですね」

友禅染

どうしても着物づくりがしたい。でも、受け入れ先がない。

実は、実際にそうした悩みを持って、ついに青柳さんと出会い、東京の会社勤めから着物の世界へ飛び込んだ女性がいます。

次回は、Iターンで青柳に就職し、未経験から着物のデザインをはじめた女性にお話を伺います。

<取材協力>
株式会社 青柳本店
新潟県十日町市栄町26-6
025-757-2171
https://kimono-aoyagi.jp/
*見学、体験ともに予約制 (有料) です。

文:小俣荘子
写真:廣田達也

トップダウンから最強のチームワークへ。14代千石社長と中川政七商店302年目の挑戦

これは、ある奈良の小さな会社で創業302年目に起きた、13代から14代への社長交代のお話、その後編です。

前編はこちら:「300年企業の社長交代。中川政七商店が考える『いい会社ってなんだろう?』」

2018年2月。

一会社員だったひとりの女性が、300年続く企業の社長に就任するという発表が行われました。

舞台は、株式会社中川政七商店。
1716年に当時の高級麻織物、奈良晒の商いで創業。全国に52店舗を展開する生活雑貨メーカーです。

企業名を冠したブランド「中川政七商店」は2010年デビュー
企業名を冠したブランド「中川政七商店」他、全国に50店舗以上を展開

社員全員を集めてこの発表をしたのは、創業から数えて13代目となる中川政七 (なかがわ・まさしち) 。

13代 中川政七。工芸界初のSPA業態を確立し、そのノウハウを生かして業界特化型の経営コンサルティングを全国16社手がける。2015年に会社としてポーター賞、2016年に日本イノベーター大賞優秀賞を受賞
13代 中川政七。工芸界初のSPA業態を確立し、そのノウハウを生かして業界特化型の経営コンサルティングを全国16社手がける。2015年に会社としてポーター賞、2016年に日本イノベーター大賞優秀賞を受賞

「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げての様々な取り組みから、「工芸の再生請負人」と呼ぶ人もいます。

社長就任からちょうど10周年の今年、13代は「これからの10年のために」と、自らは社長を退き、社員の中から新社長を据えることを決断しました。

「社長を交代します。14代は、この人です」

ごくり。

みんなの唾をのむ音が聞こえた、と回想するのは、他でもない14代その人です。

300年にわたり代を継いできた中川家と、血縁関係はありません。

7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきました。

「14代社長は、千石あやさんです」

おおおっとどよめく会場前方、マイクを受け取った一人の女性にその場にいた全員の視線が注がれます。

正面に1枚のスライドが現れました。

「びっくりしたよね。」

その一文にどこかホッとしたような笑い声が起きて、会場は前に立つ女性の、次の言葉を待ちます。

中川政七商店奈良本社の食堂
会場となった奈良本社の食堂

「私も半年くらい前にこの話を言われた時は、その100倍、1000倍はびっくりしたと思います。

私は普通の人間なので、まさか自分の人生で、社長になるようなことがあるとは思ってもみませんでしたし、まさか中川政七のあとを継ぐことになるなんて、思いもしませんでした。

それでも、どうしてここに立っているかというと、13代の判断を信じたこと、上長たちが全員、一緒に頑張りましょうと言ってくれたこと。

そのために自分ができることをやろうという覚悟が、やっとこの数ヶ月で決まったからです。

現時点でみなさんとの違いは、少し先に覚悟をしたこと。唯一ここだけだと思います」

トップダウンからチームワークへ

その「覚悟」を持って、14代はこの交代の意味をこう語りました。

「中川政七からの完全なる卒業です。

13代は、家業に戻ってきてから雑貨部門をブランディングして事業規模を13倍、成長率は15%をキープした素晴らしい社長です。

もしこのまま誰かについて行くなら、この会社で中川政七以外にふさわしい人はいない。私でもないと思います。

それでも、誰かについていく体制では会社の発展に限界がある。だから、一人で背負うよりも全員が成長し続けることに舵を切った。今回の13代の決断を、私はそう受け止めています。

つまり、この社長交代は、トップダウンからチームワークへの変化です」

最強のプロ集団になる

「チームワークって、一緒に助け合っていこうという弱いものの集まりではないです。

強いプロが集まった集合体です。チームで最強にならなければ、変わった意味がないと思っています」

チームとは達成すべき目標のために協力する集合体。

チームワークとは集合体がその目標を達成するために役割を分担し、協働すること。

14代はそう定義した後、こう社員に語りかけました。

「では、私たちは中川政七商店という大きなチームで、何を達成すべきでしょうか。

それは『いいものを作り、世の中に届ける』ことだと考えます」

中川政七商店の考える「いいもの」

いいものとは何か?14代は3つのキーワードを挙げます。

ものとして丁寧であること。

使い手にとって気が利いていること。

作り手が誇りを持てること。

「特に3つめはうちらしい考え方です。

対等な立場で全国の作り手とともにものづくりを行い、自信と期待を込めた適正な価格で世の中に送り出し、適正な利益を得る。

これにより作り手が経済的に自立し、ものづくりに誇りを持つ。そんな状態を目指します。

そして届け方も大事です。

ただものを売りたくて『接客』をするのではなく、相手の心に接し、お客様との間に好感を生む。そんな『接心好感 (せっしんこうかん) 』が、私たちの届け方です。

いいものを作り、それを世の中に届ける。

中川政七商店はこれを続けることで存続し、日本の工芸を元気にします」

——社長として最初に掲げた指針は、「いいものを作り、世の中に届ける」こと。そのために最強のチームになること。

これは何より、14代当人にとっての大きな挑戦でもあります。

300年受け継がれてきたのれんの重み。創業時から続く「家業」からの脱却。

「工芸再生請負人」と呼ばれてきた経営者、中川政七からの後継。

一会社員から従業員数400人弱を束ねる企業トップに。

たった一人で受け取るにはあまりにも重く思えるバトンパスを、14代はどんな「覚悟」で受け止め、社長交代の壇上に立ったのか。

後日当人を訪ねると、社長交代挨拶のキリッとした印象とは、また違う姿がそこにありました。

大爆笑で返した新社長辞令

「何が自分のいいところなのかは、正直わからないんです。この間の13代の記事にあった任命理由も、自分ではコントロールできないところを評価されたんだなって(笑)

自分では強みがわからないから、人から任されたことはきっと合っているのだろうって、これまでは引き受けてきました。

でも、社長就任は、さすがにそれだけでは引き受けかねましたね (笑) 」

14代 千石あや
14代 千石あや

2011年、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職。小売課、生産管理部門、経営コンサル案件のアシスタントを経て、13代初の秘書に就任。

身近で仕事をする機会が増えていく中で、13代は千石さんの「コミュニケーション力とバランス感覚」を買っていました。

ここ数年ではテキスタイルブランド「遊 中川」のブランドマネージャーを経験。

遊 中川 本店の様子
遊 中川 本店の様子

そして2017年7月。

東京事務所の会議室で「次の社長をやってほしい」と13代から告げられた時、千石さんは会社のものづくりの全体指針を決める「ブランドマネジメント室」の室長を務めていました。

「最初は大爆笑でした。ないないない、なんの冗談ですかって」

実は13代は少し前から、千石さんをはじめ上長陣にだけ、近いうちの社長交代を予告していたそうです。

「社長の考えることだから、交代自体はもしかしたら必要なのかもしれない。けれどそれは私じゃないし、今変えなくてもいいのではないか」

ブランドマネジメント室を中心にものづくりから販売まで戦略を作り、13代には定例で相談・報告を入れる体制が、整いつつある頃でした。

最初の通達から数週間後、考え直して欲しい、今の体制でいいのではと、こんこんと説得にかかる千石さんに対し、13代はこう返します。

「いい企業文化を育むには、トップダウンじゃなく、一人一人が戦闘能力を上げる必要がある。

それには俺が自分から離れんとダメやねん」

「このまま私が断り続けたらどうするんですか」

「こればっかりは、納得するまで話し合うしかない」

本気なんだ。この時千石さんはようやく、13代が真剣であるとわかったそうです。

「ちょっと、考えさせてください」

そう返してから正式に13代に返事をするまで、実に4か月が経っていました。

2017年12月、千石さんは震えながら、「やってみようと思います」と13代に答えます。

決断までの数ヶ月、一体どんなことを思っていたのでしょうか。

尋ねてみると、人にも言えず悩み続けて、口には口内炎がいくつもできるし、白髪も一気に増えて、と、笑いながら当時を振り返ってくれました。

「でも、もし私がこれで後任を断ったら、そのことを抱えたまま会社に残ることはきっとできない。

継ぐか、辞めるか。

私にはその二択しかないんだとわかった時に、それなら、ずっと一緒に仕事をしてきた13代の決断を信じて、できるかどうかわからないけれど頑張ってみよう、と思ったんです」

夢がありますね

千石さんは社長就任の返事をしたその足で、上長会議に向かいました。製造・販売・管理など全部署の上長を集めて13代が社長交代を告げた会議室は、シンと静まり返っていたそうです。

13代に促されて千石さんが口を開きます。

「まだ、やっと覚悟が決まったという状態ですが、それでもやっていこうということだけは決めました。できれば一緒に、頑張ってほしいと思っています」

今まで一緒にやってきた上長たちに受け入れてもらえるのか。その瞬間は本当に怖かった、声が震えた、と千石さんは回想します。

千石さん

しばし沈黙のあと。

「夢がありますね」

一人が言葉を返すと、

「夢があるって、『俺にもチャンスがあるかも』ってこと?」

すばやいツッコミに笑いが起きて、場が一気に和やかになりました。

「僕らもほんまに腹くくってやらんと、あかんと思いました」

「そんなこともあるよねって思いました。うちの会社らしい」

最後の一人が

「一緒に頑張っていこうと思います」

と返した言葉にその場の全員がうん、と頷き、会議は解散。

トップダウンからチームワークへ。新社長千石あやが舵をとる、新しい体制が承認された瞬間でした。

雰囲気のいい雑貨屋さん、で終わらせない

いい企業文化を育み、この先10年も会社が発展するために、13代が手渡したバトンパス。

受け取った14代は就任スピーチで、「いいものを作って届ける」ことを掲げました。後日インタビューで、こう振り返ります。

「いいものを作って届ける。当たり前のようですが、いちメーカーとしてこの日々の積み重ねなしに、いい企業文化も何もないと思っています」

中川政七商店のアイテム

「どこに出しても恥ずかしくないものづくりが常にできる、強いチームになる。

自分たちが強くないと、経営コンサルのように他を助けることもできません。13代が今後10年全力を注ぐと宣言した産業観光や産業革命も、自社が優れたものづくりをするメーカーであってこそ、先頭に立って取り組めるものだと思います。

ですが、現状の私たちにはまだ、甘いところがある。中川政七商店といえばこれだよねと言える商品がどれだけあるのか。『雰囲気のいい雑貨屋さん』で終わってはいけないんです」

ロングセラー商品、花ふきんを手に。「こういう長く愛される、うちらしい商品をもっと増やしたいです」
ロングセラー商品、花ふきんを手に。「こういう長く愛される、うちらしい商品をもっと増やしたいです」

知らんぷりして理想を語る

「だから最近は、知らんぷりして理想を語ることも、社長の大事な仕事だなと思うようになりました。

手を出したら大変で、できれば避けたいと思っているような選択に対して、何の事情も考慮せずに『それが実現できたら素晴らしい価値だよね』と言える人って、やっぱり社長なんじゃないかなと」

就任してからの半年間をそう振り返る14代ですが、これからトップダウンからチームワークへ変わっていく会社の「トップ」として、自身の社長業をどう捉えているのでしょうか。

インタビュー中に偶然やってきた13代との雑談シーン
インタビュー中に偶然やってきた13代との雑談シーン

一人からみんなに

「就任直後はやっぱり、私が決めなきゃ、みんなをリードしなきゃと変に力んでいたんですが、それでは13代の劣化版にしかならない、と気づきました。

うちの会社はデザイナーや生産管理といったものを『作る』部門、販売や広報などの『届ける』部門、その人達を『支える』物流や管理部門でできています。

一人一人がプロとしてさらに力をつけて、私はみんなの話をよく聞く。その調和をはかってできる限り正しい選択をしていくのが、私に任された重要な仕事だと思っています。

幸い、うちには先代が築いた『日本の工芸を元気にする!』というはっきりしたビジョンがあるので、正しい選択はしやすいかなと思っています」

会議の様子

「今回の社長交代は、中川政七から私にではなく、中川政七からみんなになったことが、一番大きいんです」

変わるからにはよく変わる

家業からの脱却。トップダウンからチームワークへ。その節目に立ち、これからの中川政七商店の羅針を示した14代の就任スピーチは、こう結ばれました。

「早くいきたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行けというアフリカのことわざがあります。

今年、中川政七商店はより早く、より遠くへみんなで行くことを選びました。

変わるからにはよく変わりましょう。

私も、覚悟を決めたからにはできる限り力を尽くそうと思います。

今日のことをきっかけに、自分が仕事に対して持っている覚悟はなんだろう、と考えてみるのもいいと思います。

いい会社にしていきましょう。厳しくても、一人ではありません」

翌日、社員たちはまた自身の持ち場へ戻って行きました。奈良や東京の事務所、全国のお店へ、物流倉庫へ。これから始まっていく、新しい10年の第1日目を踏み出しに。

文:尾島可奈子