プロ野球選手の求める感覚にフィットする理由。想像した理想をカタチにするグラブづくり。

プロからアマチュアまで、国民的スポーツとして、老若男女に愛されている野球。いよいよ開幕した東京五輪でも日本代表の活躍が期待されている。そんな選手らのプレーを支える道具に注目。選手たちが手の一部のように使いこなすグラブのものづくりの裏には、どんな苦労があるのだろう。
多くのプロ野球選手と契約を結んでいるミズノのグラブ担当クラフトマンに話を伺った。

兵庫県宍粟市波賀町にあるミズノテクニクス波賀工場

46名が働くミズノテクニクス波賀工場の中でも、プロ野球選手のグラブを主に担当するのは3名。話を伺ったのは、そのうちの一人である田中章太クラフトマン。捕手用のキャッチャーミットの製作を手掛けている。捕手用のミットは、ちょっと特殊で専門的な知識、高い技術が必要とされることもあり、ミット一筋でやってきた。

プロ野球選手のミット製作を手掛ける田中章太クラフトマン

「牛の革を使ってつくるのは同じですが、形状も違うし、求められるものが根本的に違うと自分のなかでは捉えています。捕手って、投手の投げる球をどのポジションよりも多く捕らないといけないし、衝撃に耐えられる強さも必要です。それと、気持ちよく投手に投げさせたいからと、音にこだわる選手も多いですね」

投手が投げた球を受ける際に鳴り響く「パァーン!」という高い音。投手はその捕球音を自身の調子を測るバロメーターとしていることがあり、捕手はそんな投手の気持ちを慮ってグラブを要望することも少なくない。音には、材料や形状、受球面の張りやしわの状態が影響するので、張りが弱いと革が沈んで音も吸収されてしまう。つまり、音は革が板のように張っているほど出やすいが、ボールは捕りにくくなる。技術の高い選手は一定の位置だけしかボールを捕らないので、その一部分だけを深く、それ以外はしっかりと張りがあるように設計。音の出やすさと球の捕りやすさのように相反する要望であっても、積み上げてきた経験や知識、技術を駆使して、選手の求めるミットをつくっている。

求められていることを想像し、その思いを形にする

ほぼ全てが手作業で行われる、グラブ製作

グラブ製作は、革の裁断以外、ほぼ全てが手作業で行われている。革を縫い合わせたり、紐を通すといった基本工程に加え、軽くするために革の厚みを調整したり、水分を飛ばしたり、手になじみやすいようオイルを塗ったりと、選手からの要望に応えるため、一つひとつに工夫を凝らしていく。選手それぞれの細かい要望に対応していくのは、どんな苦労があるのだろう。

「人によって考え方も違いますし、求めているものもそれぞれ違うので、大変ではあります。また表現も曖昧なので、その曖昧なニュアンスの中から相手の真意を汲み取って、カタチにしていくのは……つくり手の醍醐味でもあるんでしょうけど。でも、やっぱり難しいと感じます」

グラブの硬さについての要望があったとして、硬さも柔らかさも、人によって感じ方は違う。つくり手の考える硬さが、選手の求める硬さと同じであるとは限らない。そこで大切になるのが、選手とのやり取りで、直接話したり、実際に使っているグラブを見せてもらったり、借りたグラブを分解して革の厚みの数値を測ったり。できることを全てやって、常に自分自身で答えを見つけていく。それは経験を積んでも同じで、慣れることはないという。だが、製作経験が長くなると無意識のくせがグラブに反映されてしまうことがある。グラブに対する思いやこだわりが強くなり、自分がよいと考えるつくり方や使い方が出てしまうのだ。

「グラブはこうじゃなきゃダメなんだとか、こういう形がいいんだよねっていうことを押し付けてしまっていることがあると思っていて。だけど使うのは自分ではないので、最初からつくり手の色に染めるんじゃなくて、選手が自分自身でつくり上げていけるグラブを提供したい。」

グラブはすぐには使えず、自分自身の手になじませていく時間が必要なので、余白を残した状態で納品するのが田中さんのスタンス。相手の求めるポイントを、頭で理解していても、指の動きに完璧に対応させるのは難しい。もちろん使えないと返されることも多い。何がダメなのか具体的な表現であることは少なく、よく言われるのは「なんか違うんだよね」。
もう一度つくり直したり、パーツを変えたりと状況に合わせて対応していく。グラブづくりには、理想をカタチにできる技術力だけでなく、選手の考えていることを想像する力も求められるのだ。

「選手に渡すときは、いつも緊張します。自分のなかでの完成度は50~60%のミットを絶賛していただいたり、逆に自信満々のミットが全然ダメだったり。使ってもらうまで本当に分からない」

今も忘れられないグラブづくりの原点。2年半かかった初めてのプロの世界。

プロ野球選手を担当して15年。数多くのミットを手掛けてきた田中さんの最も印象に残っているのが、現在巨人の二軍監督を務める阿部慎之助選手。初めて担当を任された選手だ。通常、プロ野球選手を担当するまでに5~10年の下積みが必要だが、田中さんは前職で経験があったこともあり、入社3ヵ月での大抜擢。ところが、実際にミットを使ってもらうまでには、2年半もの時間がかかった。

「最初は、ただミットに手を入れるだけ。何のコメントもなく、それで終わり。プロってこういう世界なんだと。いきなり高い壁にぶち当たったと感じ、辞めようかなって思いました。僕じゃあ無理だなって」

自分のつくったものを渡したら何も言わずに立ち去られる状況は、想像するだけで辛い。当時、阿部選手が使用していたのは他社製のミット。そこへアプローチをかけてミズノ製ミットを使ってもらうことが、田中さんに与えられたミッションだった。突き返されてもめげずに通ううちに「こういう革がいいよね」と意見も貰えるようになり、一緒に革を開発したり、形状を調整したりして試行錯誤を重ね、ようやく使ってもらえるミットが完成する。阿部選手の最終的な決め手は何だったのだろう?

「一番は材料開発ですね。阿部選手の求めていたことに材料面で応えられたことが、大きいなって思います」

阿部選手が納得するミットを提供できた理由、それはミズノの誇る革にあった。

ミズノのグラブは「革がいい」と言われる理由

革で6割ほど特性が決まってしまうと言われるほど、グラブづくりにおいて革選びは重要だ。例えば、張りやすさを重視するなら密度の濃い革が良いとされるが、密度の濃淡は見ても分からない。これまでの経験と、触れたときの感触だけを頼りに選ぶのだ。革は一枚一枚に個性があり、「これだ!」と感じるものに出会うまで探し続ける。保管しているストックに選手の要望に応えられる革がないと感じたら、次の入荷を待つこともある。

革の保管庫。オーダー内容に合わせて数ある革の種類から素材を選定

ミズノのグラブには、革製造のメーカーであるタンナーと協同開発したオリジナルの革が使われている。タンナーと独占契約を結び、コンセプトに合った革をつくり込んでいくのは、世界的にみても珍しい取り組み。そのおかげで、グラブの張りに影響する密度の濃さといった細かい要望を伝えるなど、革を加工する段階から関わることができる。現在、プロ野球選手のグラブのほとんどは北米産だが、捕手用のミットには日本産の革が使われている。この「捕手用ミットは国産革」という新しい常識をつくったのが、田中さんと阿部選手だった。

「日本の牛の革は、繊維の絡みが強く、密度が濃くて非常に耐久性に優れています。だからあれだけ強い球の衝撃を受けるポジションでも長く使うことができる」

これまでも一部で国産の革は使われていたが、材料のばらつきや量を確保するなど課題が多かった。それを、田中さんはタンナーと協力して一つひとつクリアしていった。質も数も満足できるものを用意できたことが阿部選手との契約につながり、国産革は捕手用ミットのベースとなった。

終わりのないグラブづくり

グラブは野球選手にとっての生命線であり、商売道具。それぞれ強いこだわりを持っていて、妥協することはない。そんな替えのきかないものづくりに携わり続ける田中さんにかかるプレッシャーは想像もつかない。

「理想通りのミットと言ってもらえたことも、ゲームで長く使ってもらえたこともありますが、つくる上での不安は消えないですね。同じものをイメージしてつくりますが、なかなかたどり着けない。むちゃくちゃプレッシャーを感じますし、いつも不安の中で自分と戦いながらつくっている感じです。」

それでも今後の目標を聞くと、「いい商品を提供し続けたい」という。

田中さんがグラブづくりと出会ったのは、22歳のとき。知人の紹介で入った会社で簡単な作業を手伝いながら、少しずつ基礎を学ぶうちにグラブづくりにのめり込んでいった。それ以来、どんなに評価されても慢心することはない。一人ひとりの要望に合った材料を選び、それぞれの特性を活かしてグラブをつくり上げていく。選手の要望を実現し、安心して使ってもらうためなら、今までにない材料でも手に入れ、どれだけ時間がかかっても何でもやってきた。
そんな妥協しない姿勢が、今日も選手の活躍をそっと支えている。

<取材協力>
ミズノ株式会社
https://www.mizuno.jp/

*お問合せ先
ミズノお客様相談センター 0120-320-799

文:眞茅江里


<関連特集>
スポーツメーカーの老舗「ミズノ」と麻の老舗「中川政七商店」。
業界は違えども「ものづくり」という同じ場所に立ち続けてきた二社がコラボレーションして、機能的で丈夫な野球のグラブ革を暮らしの道具に仕立てました。


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五輪選手の好成績を助ける、日本の職人たちの「道具作り」秘話

東京五輪開幕が開幕し、日々スポーツの話題に熱が帯びていますね。選手を支える大きな存在のひとつが、数々の道具たち。競技に使用するものから、身に着けるものまで、今日はそんな道具たちを手掛ける職人のストーリーを紹介します。

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酷暑に体をいたわる。夏の食卓におすすめの道具たち

梅雨が明けて日々暑さが増していますね。
朝も夜も息つく間もなく暑い。自宅の周辺でもいよいよ蝉の大合唱が聞こえてきて、夏が来たことを実感しています。
急な暑さに体がついていかない、というのを何度か繰り返し、この時期はいつもより少しだけ食卓に気を配るようになりました。
疲労回復によい薬味をたっぷり使ってみる。火照った体を冷やしてくれる夏野菜を選ぶ。目にも涼しい硝子の器を使ってみる。
体が欲しているものに耳を傾けること。当たり前のことかもしれませんが、改めて大切なことなのだと気付かされます。

今日は、夏の食卓にまつわるお話や暮らしの道具たちを紹介します。

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夏の煎茶の一番美味しい飲み方

佇まいが美しい硝子の急須。
中のお茶の色が楽しめたり、茶葉の開く様子を見ながらゆっくりと過ごす時間だったり、硝子だからこその楽しめる良さがありますよね。
ゆっくり煎茶を淹れて冷やして飲む時間は、夏の休日の楽しみでもあります。

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そのまま食卓に出せる「波佐見焼の絞り小皿」

レモンやすだちを絞ったり、しょうがをおろして入れたりと、薬味はほんのひと手間でいつもの食卓を、ちょっとだけ特別なものに変えてくれます。
「なくても困らないけれど、あるとうれしいし、美味しい。そんな薬味を、いつもの食卓にもっと手軽に取り入れることができる道具があったら」
こだわったのは、誰でも扱える使いやすさと、食卓に持って行きたくなる佇まい。
ありそうでなかった、こだわりの「波佐見焼の絞り小皿」をご紹介します。

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DYK ペティナイフ

薬味を切ったり、食卓にもう一品の野菜を切って添えたり。
夏は茹でたり炒めたりせずとも、そのまま食べたい日も多いと思います。
そんな時、気軽に使える取り回しのよいペティナイフが1本あると重宝します。
何本あっても困らない扇子は、夏の贈りものにぴったりの暮らしの道具です。

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夏にこそ使いたい料理道具、土鍋

夏の土鍋の使い方

体力が必要な夏、健康な食事を摂って栄養を蓄えたいものです。
「鍋」料理の印象が強い土鍋。夏の間は出番を無くして棚の奥にしまわれがちですが、それはとても勿体ない。実は夏も、土鍋は大活躍することをご存知でしょうか。
鍋料理以外にも、アイデア次第でさまざまな使い方ができる土鍋。
ステンレスやアルミ製に比べるとちょっと重たいけれど、わざわざ土鍋で調理をしたい理由は、土鍋ならではの特徴にあります。

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夏に食べたい「うなぎのせいろ蒸し」。老舗に聞く、本当に美味しいうなぎの食べ方

柳川 若松屋さんの鰻のせいろ蒸し

うなぎと言えば、「うなぎのせいろ蒸し」。長い間、それは日本全国共通の認識だと思ってました。
だけど、うな重やうな丼は見かけるのに「せいろ蒸し」は見当たらない。地元を出てから初めて、その認識はマイナーであることに気付きました。
こんなに美味しいうなぎのせいろ蒸しをみんなが知らないとはもったいない。と、土用丑の日、本当においしいうなぎの食べ方をご紹介します。

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蒸し暑い日本の夏を心地好く過ごす、暮らしの知恵。
暦を生かして、夏を乗り切りましょう。

【デザイナーが話したくなる】花ふきんのためのふきん掛け

「花ふきんのためのふきん掛け」は、名前のとおり大判の花ふきんを掛けることのできる、ふきん掛けです。
スタッフみんなが使っている花ふきんですが、デザイナーの大久保さんが花ふきんをどうやって乾かしているか調べたところ、既製のふきん掛けに何回か折って干したり、シンクに広げて干している人がほとんどでした。
乾きやすい花ふきんなので、それでも問題なく乾きやすいのですが、中川政七商店のベストセラーとして沢山の方に使っていただいているのだから、花ふきんのためのふきん掛けがあれば、もっと花ふきんの良さを活かせるはず!と、企画が始まりました。

サイズ感は、花ふきんを掛けるためなので、通常よりは大きく感じてしまう。それをキッチンになるべく馴染むようなデザインにしたいという考えからスタートしました。
掛ける部分はステンレス線材を使用しているので、細くするとふきんがくっつくのと、華奢すぎて強度が弱くなってしまう。デザイン的には、通常より大きなサイズ感になる分、すっきりとさせたい思いで試作しながら線材の太さを決めていきました。
→Φ5mmでは、ごてっとした印象
→Φ3mmとΦ4mmで試作
→Φ3mmだと華奢で弱い印象でふきんを掛けた時の隙間もない
→Φ4mmがすっきりとしたデザインと、ふきんを掛けた時の隙間を確保できる
すっきりとさせながらも、安定感のある仕上がりをめざしました。

1mm違うだけで印象が変わるステンレス線材

枠の2本を中央で合わせる軸部分は、天然木のタモを使用していますが、ここにたどり着くまでも何度も試作を繰り返したそうです。
当初、軸もステンレスで試作してみたそうですが、製造工程やデザイン上、いろいろ調整を繰り返していくうちに、天然木にたどり着いたのです。

天然木は、湿気や乾燥によって収縮・膨張が起こります。そのため、試作品を家に持って帰ってお風呂場の多湿から乾燥させる、という実験を繰り返したそうです。
2本のステンレスを差すための穴の距離をミリ単位で試作してもらっては、実験を繰り返す。2つの穴を離すと軸の太さが太くなり、ごてっとした印象になるし、デザイン優先で細くしすぎると木が割れる。四角形や八角形、強度とデザインのベストを探し続けて出来上がったのです。

形、太さ、さまざまな試作品たち
たどり着いたベストなサイズと形

既製のものでは二つ折り、四つ折りして掛けていたり、広げてシンクに掛けると早く乾くけれど場所をとる。
このふきん掛けなら、広げて掛けて干すのと同等の時間で、場所をとらずに乾かすことができます。
大久保さんがいろいろな畳み方で実験したところ、広げたものと二つ折りを干した時間を比べると、乾くまで約2倍の時間がかかりました。
衛生面からも、ふきんがカラッと早く乾くと気持ちがいいものですよね。

使わない時は、掛けておいたり、食器棚の隙間に収納したり出来ます。

何度も大久保さんがふきんを乾かしたり、ヒアリングしたりしているのを見かけていたのですが、一見、単純な仕組みに見えていたので、話を聞くまではその開発の大変さに気づいていませんでした。キッチンでは主役ではないけれど、毎日使うものだから、これからみなさんに花ふきんと共に愛してもらえる商品になったら嬉しいなと応援したくなりました!

<関連商品>
花ふきんのためのふきん掛け

【工芸の解剖学】そのまま食卓に出せる「波佐見焼の絞り小皿」

レモンやすだちを絞ったり、しょうがをおろして入れたりと、薬味はほんのひと手間でいつもの食卓を、ちょっとだけ特別なものに変えてくれます。

「なくても困らないけれど、あるとうれしいし、美味しい。そんな薬味を、いつもの食卓にもっと手軽に取り入れることができる道具があったら」

こだわったのは、誰でも扱える使いやすさと、食卓に持って行きたくなる佇まい。
ありそうでなかった、こだわりの「波佐見焼の絞り小皿」をご紹介します。

解剖ポイントその1:食卓にそのまま持っていきたくなる佇まい

「絞り器って、台所だけで使う“道具”っぽい印象のものが多い。」

調理器具なので機能性を重視したものが多いのは当然ですが、そのまま食卓に出せるような佇まいのものがあれば、もっと気軽に使える道具になるかもしれない。
そんな思いから、うつわのように食卓に馴染む佇まいの絞り器をつくりました。

鉄粉が多く含まれている磁土を使うことで、黒点が現れ、ゆらぎのある表情に。

素材には、鉄粉が混じった磁土を採用。磁器でありながら、土もののように一つひとつ違うゆらぎのある表情が生まれました。シンプルでありながら温かみもあり、日本の食卓にしっくり馴染む佇まいです。

解剖ポイントその2:種落ちや液だれしにくい形

佇まいも大事ですが、あくまで調理道具。機能性との両立は絶対条件です。
絞り器で大事なのは、種落ちしないことと、絞りやすさ。包丁のように毎日必ず使うわけではないけれど、だからこそ、使うのが少しでも億劫に感じる道具は使われなくなってしまいます。

柑橘類を絞る上でストレスに感じるのは、注ぐ際に種落ちしてしまうこと。そこで、機能性の中でも特にこだわったのが、注ぎやすさです。

種落ちを防ぐ為にどんな形にしようか考える中で、
「余分なものを取り除いて、必要な液体だけ注ぐ。そんな道具があったはず」と、ヒントにしたのが急須でした。

急須をベースに、注ぎ口のある形に決定。茶漉しを参考につくった注ぎ口の穴は、小さすぎると果肉が詰まってしまうため、サイズや数、配置を細かく調整していきました。

試作の一部。穴のサイズや数、配置は細かく調整を重ねた

製造は、これまでにもレモン絞り器をつくったことのある波佐見焼のつくり手に依頼。絞り器の経験はあったものの、注ぎ口のあるものは初めてということで、お互いに手探り状態で開発を進めていきました。

型取りした後、一つひとつ手作業で注ぎ口を接着していく

急須のように湯切れのよいものをイメージして試行錯誤。デザイナーが検証した3Dプリンターの型ではうまくいっても、実際に焼いてもらうと穴が小さくなったり、厚みが出て形状が変わってしまったり。これまでにお付き合いのある型師の方にも相談したりして、最終の形に辿り着きました。

少し反り返った形と、口の厚み。絶妙なバランスによって、液だれしにくい形を実現しています。

解剖ポイントその3:絞りやすく気軽に使える、小ぶりなサイズ感

素材の磁器は薄くて硬く繊細なエッジが出せるため、果肉を絞る時にしっかりと捉えることができます。山型のてっぺんの部分まで深い溝が入っているので、すだちやかぼす等の小さな果物にも対応。果肉をきっちり捉えて絞ることができます。

直径約10cmと大きすぎないサイズ感で、食卓に並べても邪魔になりません。小さな手でも押さえやすく、ほどよい重みで安定感もあるので楽に使えます。

受け皿は、レモンを絞っても果汁があふれないくらいのちょうどいい深さ。唐辛子やオリーブオイルなどを加えて、ドレッシングをつくることもできます。

同時発売の「波佐見焼のおろし小皿」とスタッキングしてコンパクトに収納できる

小ぶりなので保管に困らないのもうれしいところ。器のような佇まいで、豆皿などと一緒に食器棚の隙間に置いておけるので、さっと取り出して使うことができます。楽に取り出せる場所に置けることが、気軽に使える道具にも繋がります。

なくても困らないけれど、あるとうれしい。料理を引き立てる彩りや香りを添える薬味。
食卓で過ごす時間を、より美味しく豊かなものにしてくれます。

<掲載商品>
波佐見焼の絞り小皿
波佐見焼のおろし小皿

文:眞茅江里

夏のお出かけに。人気の「かご」はスイカ用でした

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

自然の素材で編んだ「かご」。素材をていねいに準備し、ひと目ひと目編まれたかごはとても魅力的です。かごは大切に手入れして使えば愛着もわき、またそれに応えるかのようにいい味を出してくれます。

「日本全国、かご編みめぐり」は、日本の津々浦々のかご産地を訪ね、そのかごが生まれた土地の風土や文化をご紹介していきます。

岡山県倉敷に「スイカかご」を訪ねます

今回訪ねたのは、岡山県倉敷市。江戸時代に幕府直轄の「天領」として栄えた町です。倉敷川沿いの柳並木に白壁のお屋敷が美しい美観地区は、そぞろ歩きを楽しむ人で年間を通じて賑わいます。

倉敷の美観地区
川沿いの柳並木
白壁の街並み

今日お会いする作り手さんとも、美観地区で待ち合わせ。白壁に反射する太陽光がジリジリと暑く、ああ今こそスイカが食べたい、と思っているうちに集合場所に現れたのは、20代半ばくらいの、一人の青年。

その人こそが今日ご紹介する「スイカかご」を倉敷でただ一人作る、須浪隆貴 (すなみ・りゅうき) さんでした。

倉敷「須浪亨商店」 須浪隆貴さん

スイカかごは、その名の通りスイカを入れるためのかごですが、その見た目の可愛らしさから最近は買い物かごやお出かけ用にアレンジして使う人も多く、本来の使い方とは違ったところで人気を集めているかごです。

作っているのは倉敷にある「須浪亨 (すなみとおる) 商店」。隆貴さんはその5代目として、スイカかごをはじめとする い草を使った倉敷独自のかご「いかご」を作り続けています。

「今も、八百屋さんでビニール紐にくくられたスイカを見かけますよね。うちで作っているスイカかごも、元は八百屋さんでスイカを手渡す時に使っていたものがルーツなんです」

かごを作っている工房へと車で向かいながら、さっそくお話を伺います。

「持ち運びのためだけでなく、持ち帰って井戸や川で冷やす時に、流されないようにするためのカゴだったんですよ。当時のままだとあまりに荒物っぽいので、現在はもう少しデザイン性のある編み方に変えています」

スイカかご以外にも、買い物かごや醤油の一升瓶が入るサイズのびんかごなど。須浪亨商店の商品ラインナップはどれも、かつてはご近所への買い物に当たり前に使われていたものばかりです。

昭和20年~40年頃にかけてごく普通に買い物かごとして使用されていた「いかご」。スイカかごはその変形版と言えます
昭和20年~40年頃にかけてごく普通に買い物かごとして使用されていた「いかご」。スイカかごはその変形版と言えます

もともとお醤油持ち運び用だったビンかごですが、最近はワインなどの贈りものに使う人も

サイズの大小を合わせると全部で10種類ほどの「いかご」の編み方を隆貴さんに教えたのは、お祖母様の栄さんでした。

「うちはもともと畳や花むしろ (染色した い草で編む装飾的な敷物。「花ござ」とも) を作っていたんです。いかごは、畳に使えないようない草の余りを使って作る生活の中の道具で、いわば本業の傍でやるお小遣い稼ぎ。祖母が内職的にやっていたのを、子どもの頃から手伝って、自然と編み方を覚えていきました」

工房で出していただいたお茶のコースターも、近くの花むしろ工房「三宅松三郎商店」さんのもの

隆貴さんの生活に当たり前にい草があったのには、そしていかごが倉敷で生まれたのには、理由があります。

倉敷独自の「いかご」が生まれた理由

岡山は、日本でも有数のい草の産地。中でも隆貴さんの工房からも近い早島というエリアで、い草作りが盛んになりました。

「このあたりは早島 (はやしま) 、児島 (こじま) 、水島と島がつく地名が多いんですが、どこも干拓地なんです。もともと海だった場所なので、塩気が多くてお米はとれません。それで植えたのが、い草と綿です。

児島はそこから繊維産業が発展して、児島デニムが生まれました。クラレやクラボウといった大手企業も倉敷の繊維産業出身なんですよ。一方のい草は、畳や花むしろ、そしていかごになりました。

カゴの素材としては、実際は竹や山ぶどうの方が強度があるんです。けれど、この一帯には山がありません。一番よくとれる素材が、畳作りの余りで出るい草だったんですね。これなら原価もかからないし、縄状にすれば丈夫になります」

そんな倉敷の地で1886年に創業した須浪亨商店も、本業は畳や花むしろの製造。いかごは傍らで副業的に作っていましたが、4代目を継いだ隆貴さんのお父様が若くして急逝。お祖母様の栄さんは自分一人でも作ることのできるいかご作りだけは絶やさず、隆貴さんが20歳の時に、そのバトンを受け継いだのでした。

5代目と呼ばれて

「もともと椅子や焼き物、家具や器が好きで、プロダクトデザインに興味があったんです。彫金の専門学校に通ったり自分でデニムを縫ったりしながら、継ぐ時に役に立つかもしれないなとグラフィックの勉強もしていました」

現在、隆貴さんは24歳。10代には自分の好きなことを吸収しながら家業を継ぐことも意識し、20歳で家業を継いでからはそれまで内職工賃ベースだった商品の値段を見直し。本業としてやっていけるよう基盤を整えます。日々のかご作りはもちろん、全国の卸先さんとの受注やりとりやホームページの開設まで、全てを一人で切り盛りしてきました。

飄々とした語り口でこれまでを語る隆貴さんですが、伺った全てのことを、わずか4年間で、たった一人でやってきたことを思うと、腹におさめている覚悟と結果を出していく行動力に、ただただ驚くばかりです。

一方、案内された工房では若者らしい一面も。各地から自然と集まってきたというかごのコレクション棚にはキャラクターのぬいぐるみなどがちょこちょこと並び、床に積まれた商品のそばにはゲーム機のコントローラーが置いてありました。

旅先などで珍しいものを見つけるたびに増えていくというかごコレクション。本やぬいぐるみと一緒に棚に並んでいます

作り途中のいかごのそばに、ゲーム機のコントローラーが

「スイカかごは季節が限られて工程も他のかごより手間がかかるので、夜寝る前なんかに、ちょっとぼうっとしながら作るんです」

暮らしの延長のようなかご編みの様子を少しだけ、見せていただきました。

かご作りの様子
一番気に入っていると言う椅子に腰掛けてかご作りスタート

かご作りの様子
結び目の位置を確認しながら、紐と紐を合わせて編んでいきます

かご作りの様子
結び目は広げるとこんな感じ

かご作りの様子
するすると結び目が増えていき‥‥

かご作りの様子
あっという間にかごらしくなってきました!

かご作りの様子
あと一息

かご作りの様子
底の部分の紐を切りそろえます

かご作りの様子
最後にくるんとひっくり返して紐端を内側に入れたら完成!

かご作りの様子

紐状のい草がみるみるスイカかごになるまでおよそ30分。前段階の準備の時間を入れて、およそ1個あたり1時間かけて作っていくそうです。い草を紐状にする工程以外は、全て手作業で行われます。

「い草にも質のいい悪いがあって、検品しながら作っていく必要があるんです。その時その時の縄の状態を見分けながら、かご全体でバランスがとれるように編み方を変えたりします」

全体を引っ張りながら、バランスを見ているところ
全体を引っ張りながら、バランスを見ているところ

「だから僕の出来栄えよりも、材料の出来栄えの方が大きいんですよ。材料がよくない時に普通ぐらいにするのが僕の役目です」

倉敷で唯一の「いかご」の作り手

一帯では2・30年前の時点ですでに、いかごを作っているのは須浪亨商店一軒だけだったそうです。つまり、現在いかごの作り手は倉敷に隆貴さんただ一人。

「技術もこれから伝えていかなければと思いますが、あと10年は、修行の期間と思っています。僕個人は、工業製品も好きです。手作りだからいい、ということもないと思うんですけれど、それでも、僕の様子を見て買ってくださる方が少なからずいると思うので、そういう『人くささ』でやっている部分が、あると思います」

言葉を飾らず、時折鼻歌をまじえながら、24歳の青年の手でコツコツと作り上げられるスイカかご。

その雰囲気も手先も飄々と軽やかですが、先のことをたずねたら、

「一生やっていくつもりです」

と頼もしい答えが返ってきました。

<関連商品>
いかごのバッグ

<取材協力>
須浪亨商店
http://maruhyaku-design.com/


文・写真:尾島可奈子


こちらは、2017年8月25日の記事を再編集して掲載いたしました。

夏に食べたい「うなぎのせいろ蒸し」。老舗に聞く、本当に美味しいうなぎの食べ方

全国民に食べてほしい、うなぎのせいろ蒸し

うなぎと言えば、「うなぎのせいろ蒸し」。

長い間、それは日本全国共通の認識だと思ってました。

だけど、うな重やうな丼は見かけるのに「せいろ蒸し」は見当たらない。地元を出てから初めて、その認識はマイナーであることに気付きました。

こんなに美味しいうなぎのせいろ蒸しをみんなが知らないとはもったいない。と、土用丑の日、本当においしいうなぎの食べ方をお伝えしたく、記事を作ります。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

うなぎのせいろ蒸しとは

「うなぎのせいろ蒸し」とは、福岡県の筑後地方で食べられてる郷土料理。私の地元 福岡ではうなぎを食べる、といえばこの食べ方がポピュラーでした。

簡単に説明すると、蒲焼のタレをまぶしたご飯に、うなぎの蒲焼と錦糸玉子を乗せて、せいろで蒸す料理。直火で蒲焼にして香ばしく焼き上がったうなぎをさらに蒸すことによって、うなぎはふっくらと柔らかに。そして、うなぎの旨味と燻香がしっかりと染み込んだほくほくのご飯がとてもおいしいのです。

そんな、うなぎのせいろ蒸しはどうやって作るのか。本場 福岡の柳川で美味しい作り方とその道具について教えてもらいました。

江戸時代から続く、郷土料理

柳川 川下り
お堀を巡る川下りの様子

どんこ舟でお堀をめぐる川下りや北原白秋の生誕の地としても知られる、観光地・柳川。かつてはうなぎがよく獲れ、柳川藩の財源として大切にされてきたそうです。その地でなんと江戸時代から親しまれているという食べ方が「うなぎのせいろ蒸し」。その食文化を受け継いで、柳川市内には今でも30軒ほどのうなぎ屋さんが軒を連ねます。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

今回せいろ蒸しの作り方を教えてくださったのは、200年以上の歴史を持つ老舗うなぎ店、若松屋さん。川下りの船着き場前にある若松屋さんは、お昼には行列のできる地元の人気店。私自身、母方のお墓が近くにあり、小さい頃からよくお世話になってた大好きなお店です。お墓参りに行くと若松屋さんのうなぎが食べれる、とウキウキして出かけていたのを覚えています。

若松屋 店主の本吉伸佳さん
若松屋 店主の本吉伸佳さん。蒲焼のベテラン職人さんで、いつもは焼き場にいらっしゃいます

関東の捌き方、関西の焼き方。合わせ技で作られるせいろ蒸し

まずは開いたうなぎを白焼きにした後、タレをつけて焼いて蒲焼を作ります。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
熱気ある焼き場。換気口から外にまで、蒲焼の香ばしい香りが漂います

興味深いのは、武士が多く暮らす城下町ならではのうなぎの捌き方。武士道の文化から、うなぎを捌くのは必ず背中から。なんでもお腹から開くのは「切腹」を意味するとして好まれなかったことから、背中から開く“背開き(背割り)”になった、という説が有力なのだそうです。武士の多い、江戸から伝わった文化だと言われています。背開きすることで脂が乗っているお腹が中央にくるため、余計な脂が落ちてさっぱりするのが特徴です。

一方、調理法は関東と関西のミックス。

白焼きにしたうなぎを一度蒸すのが関東風、そのままタレを付けて焼くのが関西風と言われていますが、柳川の焼き方は関西風。うなぎの旨味をタレに移しながら、じっくり焼いていきます。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
うなぎの状態によって焼き加減が違うので、手で確認しながらタレの付け方や焼き加減を調整する

焼き上がったうなぎの蒲焼を切って、錦糸卵と一緒にご飯の上へ。そこからさらに「蒸し」の工程が入ります。蒸すことでうなぎはふっくらと柔らかくなり、うなぎの旨味、燻香がご飯へ染み込んでいくのです。工程が多さと手間ひまに驚きますが、こうやって美味しいうなぎのせいろ蒸しはできるのですね。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

熱々に蒸しあげられ、木箱に詰まったせいろ。最後までずっと温かいまま食べることができるため、喜ばれたのだそう。この厚い木枠と、漆塗りの木箱のおかげでしょうか。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋
ごはんとうなぎを入れて蒸す容器を〈中子(なかご)〉、中子の底に敷くものを〈ハゼ〉と呼ぶ

せいろ蒸しの道具

せいろ蒸しと言えば、この容器。柳川から車で約20分ほど離れた、400余年続く家具産業の町 大川市で作られています。若松屋さんの別注品で、ひとつひとつが手作りなのだそうです。

作り手は株式会社船蔵の志岐(しき)さん。元々は家具の職人さんですが別注としてこのようなオリジナル商品づくりも受けているそうです。

毎日何度も使っても木が傷みにくく、長く使えているのは伝統的な技が秘訣。釘を使わずに木組みする建築技術が使われています。また木の素材はモミ系や杉など匂いの少ない白木を使用。地元 大川で採れる家具や建具に使う木材を活かして作られます。

外側の容器は、漆の塗り直しメンテナンスもやってるそうで、何年かに一度、塗り直しながら長年使い続けているのだそうです。

柳川 うなぎのせいろ蒸し老舗 若松屋

せいろ蒸しは、家でもできるのか

こんなに美味しいせいろ蒸し、家でも食べたい!と、若松屋の本吉さんに自宅での作り方を聞いてみたところ、「美味しさの秘訣は、代々受け継がれてきたタレと焼くときに使う炭(樫炭)、そしてうなぎの焼き方によるから同じように作るのは難しいかもしれない」とのこと。

やっぱり本場で食べるのが一番。だけど、せっかくの土用丑の日です。遠く離れた地でも故郷の味を楽しみたいなぁと、今夜は自宅のせいろでも挑戦してみたいと思います。

<取材協力>
若松屋
832-0065 福岡県柳川市沖端町26
0944-72-3163
http://wakamatuya.com/

※ せいろ蒸し、蒲焼は若松屋さんのHPでも注文できるそうです

株式会社船蔵
831-0041 福岡県大川市大字小保835番地1
0944-32-8506
http://funagura.co.jp/

文:西木戸弓佳
写真:藤本幸一郎

*こちらは、2018年7月20日の記事を再編集して公開しました