7月23日、ふみの日。手紙を彩る小さな芸術品「切手」

こんにちは。ライターの小俣荘子です。
日本では1年365日、毎日がいろいろな記念日として制定されています。国民の祝日や伝統的な年中行事、はたまた、お誕生日や結婚記念日などのパーソナルな記念日まで。数多ある記念日のなかで、こちらでは「もの」につながる記念日をご紹介していきたいと思います。
さて、きょうは何の日?

7月23日、「ふみの日」です

「ふみの日」は、日本の郵政省 (当時) が1979年に制定した記念日です。「手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさを通じて文字文化を継承する一助となるように」という考えのもと生まれました。旧暦で7月は「文月」。23日の「ふみ」の語呂合わせとの掛け合わせなのだとか。

必要事項を伝達する道具としてだけでなく、思いを交わしあったり、感謝の気持ちや季節の挨拶を伝える手段として必要不可欠だった手紙。
電話やインターネットなど新しい技術の登場によって、主要な連絡手段ではなくなった一方で、特別感が増しているようにも感じます。送り主の筆跡とともに受け取るメッセージは、まるで贈りもののよう。送るとき、相手のことを思い浮かべながら、どんなしつらえにしようか思いを巡らせる時間も楽しいものです。そんな手紙に彩りを添える存在が切手です。
郵便料金を証明する金券としての役割を超えて、とりどりのデザインで目を楽しませてくれる切手。「小さな芸術品」「紙の宝石」とも呼ばれます。切手の製造元として、日本の切手の歩みや技術情報をはじめ、国内外の珍しい切手を所蔵、展示している国立印刷局の「お札と切手の博物館」でお話を伺いました。

偽造防止とデザイン性を両立する遊び心

切手は、1840年にイギリスで生まれました。日本で最初の切手は明治4 (1871) 年に発行されています。竜が2匹描かれた「竜文切手」です。

日本で最初の切手。偽造防止のための細かい絵は全て手彫りの版で刷られていました

金券である切手は、偽造防止の意味合いもあり、細かい細工や印刷技術をたくさん盛り込んで作られています。さらにはその技術を活用しながらデザイン性の追求も行われました。

日本で最初の多色凹版印刷切手。細かい1本の画線の途中でまったくずれずに色が変わります。色ごとに版を用意する手法では真似できない色表現。とても手間がかかり再現しにくいことから偽造防止効果が高い印刷技法です (日本 10円 1959年)
カナダ 8ドル 1997年

特に高額切手では、偽造防止の工夫と美しさを両立させる遊び心が伺えることも。こちらはカナダの高額切手。細かい文字の印刷や微細な線で描かれる凹版印刷をはじめ、空や草の印刷には小さな熊のイラストのドット (微小連続模様と呼びます) が用いられ、右足の部分には「8」の文字が隠れています。

細かい文字で描かれたイラスト (日本 90円 1998年)

変わった素材を使った切手も

記念切手など特別な切手では、描かれるものだけでなく、素材が風変わりなものも。布やガラス、貝や金属など様々な素材が使われています。また、四角以外の形のものや、特殊なインキを使い、光ったり香りがするものなど日々新しいアイデアの切手が生まれています。

伊勢志摩サミットの記念切手。シルクに印刷されています (日本 2016年)
布で作られた変形切手にビーズがついた立体的な切手

眺めていると、ついつい色々なデザインの切手が欲しくなってしまいます。集めるのも楽しいですし、使うときに選ぶ楽しさもあります。
暑中見舞いやお中元のお礼状、旅先から大切な方へのお便り。この夏は、お気に入りの切手を選んで、誰かに手紙を出してみませんか?

◆平成29年度 第1回特別展
「切手の国の探検隊~めずらしい切手を求めて~」
会期:2017年 (平成29年) 9月3日 (日) まで
開催時間:9:30~17:00
http://www.npb.go.jp/ja/museum/tenji/tokubetu/index.html

<取材協力>
お札と切手の博物館 (国立印刷局)
東京都北区王子1-6-1
03-5390-5194
http://www.npb.go.jp/ja/museum/index.html

<関連商品>
筆ペン
鹿の家族 革巻きペン
名尾手すき和紙 ちぎり便箋
苗字封筒 (ここかしこ)

文・写真:小俣荘子 (切手資料画像:国立印刷局 お札と切手の博物館 提供)

※こちらは、2017年7月23日の記事を再編集して公開しました。

日本の暮らしの豆知識 文月

こんにちは。中川政七商店のバイヤーの細萱久美です。
連載「日本の暮らしの豆知識」の7月は旧暦で文月のお話です。

文月の由来は、短冊に願い事や詩歌を書いて笹に吊り、書道の上達を祈った七夕の行事にちなみ、「文披(ふみひら)き月」が転じたとする説が有力と言われています。ただ文月は現在の7月下旬から9月上旬頃にあたるので、新暦の七夕は7月7日だから時期が合わないなと思いました。そこは、七夕も旧暦による太陰太陽暦では、今の暦のだいたい1カ月程度遅れの8月くらいに行われていたことで辻褄が合います。旧暦は月の満ち欠けにより月日が決まるので、七夕の日にちも毎年変わっていたとのこと。実際、現在も8月の方が夏空が安定し、織姫星や彦星、天の川もよく見えるそうな。益々、伝統的な日本の行事は旧暦で考える方が理にかなっていると感じます。

さて、新暦に戻って7月の七夕の頃は、二十四節気で小暑にあたり、梅雨が明けてこれから本格的な夏が始まる!という暑さに備える頃です。今年の夏も猛暑の予報が出ており、年々どれだけ暑くなるのかと恐ろしい話ですが、暑さに負けないよう用心したいと思います。と言いつつ、夏の日差しを避けるファッションアイテムの、帽子や日傘はあまり持つ習慣がなく、かさ張らず気軽に持てる「扇子」を少しずつ集めています。よく考えると、とても完成度の高いアイテム。開くと扇げて、閉じると非常にコンパクトになる機能美に加え、小さな世界に様々なデザイン性が凝縮しています。扇骨と呼ばれる骨組みの上に紙や布を貼りますが、色や柄によってイメージが全く変わるので選ぶ楽しさがあります。中国伝来の物事が多い中で、扇子は大凡1200年前の平安時代に京都で誕生したと言われており、現在でも京都で作られる京扇子は国の伝統工芸品指定を受けた確かな品質を誇ります。

私が扇子を選ぶのは、やはり京都にある扇子専門メーカーの「宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)」。創業文政6年と200年近い老舗です。京都市街の中心部にありながら、古き良き京の面影を残す町家そのままの店構え。老舗ならではの風格を感じ、一見敷居が高そうにも見えますが、入ってしまえばゆったりとした雰囲気と、キリッと気持ちの良い接客で迎えていただけます。ずらりと並ぶ扇子は、自由に広げてじっくり色柄を見て選ぶことが出来ますが、種類が余りに多いので迷った時には店員の方に相談してみましょう。高価な扇子もありますが、意外とお手頃な価格の扇子も多いのです。

宮脇賣扇庵の扇子は、熟練の職人さんが一本一本仕上げていますが、一本の扇子を作るのには、何と87回も職人の手を通るとのこと。扇面の多彩なオリジナルの絵の多くは、手描きされています。中には、一番外側の太い骨にも蒔絵などの装飾がある扇子もあって、それを描く職人さんは相当限られるそうです。実用で使うのが勿体無いほど美しく、いつか手に入れたい憧れの扇子です。

ところで私の母方の祖母は、京都生まれ京都育ちの、生粋の京女でした。物や食などを選ぶ上で、京都ブランドを贔屓にしつつ、更に一品につきご贔屓ブランドがひとつ、というような強いこだわりがあったと記憶しています。気に入ったら一筋、逆に品質が落ちたら離れるという厳しさもあったかもしれません。まだまだ優柔不断なモノ選びをしている私としては、見習いたい気もします。そして、その祖母が扇子と言えば、宮脇賣扇庵をご贔屓にしていました。日本舞踊や茶道も嗜んでいたこともあり、常に着物で扇子も必需品だったようです。「久美」と名入りにしてくれた扇子は今でも大切に持っています。

普段使いには、好きで食器や文具などいろいろなアイテムを持っている「鳥獣戯画」を描いた扇子や、ちょっとモダンな幾何学模様の扇子を使っています。ピシャっと気持ちの良い閉まり具合が心地よく、暑い夏も小粋に乗り切りたいと思わせる文月の暮しの道具です。

<掲載商品>
宮脇賣扇庵
鳥獣戯画扇子/名入り別注扇子

<関連特集>

細萱久美 ほそがやくみ
東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

文:細萱久美

※こちらは、2017年6月29日の記事を再編集して公開しました。

暑中見舞いの時期。「文香」でいつもと違う夏の挨拶を贈ってみては。

暑さ厳しい折、いかがお過ごしでしょうか。

ちょうど今頃、二十四節気の小暑 (7月7日頃) から立秋 (8月7日頃) までを暑中と言うそうです。

そんな夏真っ盛りの時期に、「厳しい暑さですがお変わりありませんか」と互いの安否をたずね合うのが暑中見舞い。

定められた記念日がなくとも、季節の移り変わりに合わせて気持ちを形に表して届ける、というのが四季のある日本らしいなと感じます。

そんな夏の挨拶に使ったら喜ばれそうな文房具を、京都で見つけました。

京都の香老舗、薫玉堂が夏限定で販売する、朝顔の文香

白檀をベースに数種類の香りを調合して朝顔の香りを再現した文香。ふっくらとしたシルエットもかわいらしい

文香 (ふみこう) はその名の通り手紙とともに封筒に入れ、相手が開封した瞬間や読んでいる時間に香りを添えるもの。

はがきで送るのが恒例の暑中見舞いですが、今年は夏らしい香りを添えて封書で送ってみるのはいかがでしょう。少し趣を変えるだけで、季節感や気持ちが一層伝わる贈りものになりそうです。

また文香は、手紙以外にもぽち袋に添えたり、手元で名刺入れやお財布、本や手帳にしのばせて淡い移り香を楽しむこともできます。

作り手は、日本最古の御香調進所。

京都は西本願寺前にお店を構える薫玉堂 (くんぎょくどう) は、その創業を安土桃山時代、1594年 (文禄3年) までさかのぼる日本最古の御香調進所。

以前、「きょうは何の日?」のお香の日の回でもご紹介しました。

代々伝わる調香帳 (レシピ) には、長い年月をかけて自然が熟成させた香木をはじめ、薬種として漢方にも使用される植物のことがたくさん記されているそうです (写真:中島光行)

どこか静ひつな雰囲気が漂う、お香の計り売りの様子 (写真:中島光行)

夏らしい香りを添えて、いつもと違う暑中見舞いを

朝顔の文香は、夏だけの限定販売。花言葉は「固い絆」、「愛情」だそうです。

香りは思い出をよみがえらすと言います。同じ香りをわけあって言葉を交わしたら、離れていても、一緒にこの夏を過ごしているような気持ちになれるかもしれませんね。

香りと一緒に封筒に入れるのは、夏らしい絵はがきでも、話したいことがたくさんあれば便せんでも。「お元気ですか?」の思いを言葉と香りにのせて届けたら、それだけでもう、立派な夏の贈りものの完成です。

<掲載商品>
文香 朝顔 (薫玉堂)

文:尾島可奈子
*2017年7月の記事を再編集して掲載しました。今年の夏は特別な暑さが続いています。お互いの息災を確かめ合う暑中見舞い、改めて良い文化だなと思いました。

【工芸の解剖学】最高の履き心地を目指してつくった「ウールカーペットのスリッパ」

スリッパってなかなか「これ」と思えるものがない。

履き心地が良くて、丈夫で、佇まいの良い、置いてある姿にも愛着が湧くようなスリッパが欲しい。できれば、長く使えるものを。

そんな願いを叶えるために、中川政七商店がたどり着いたひとつの答えが「最高級のカーペットでつくったスリッパ」です。

「足裏が喜ぶ」最高の履き心地を目指してつくった、新しいスリッパのかたちを解剖します。

解剖ポイントその1:「足裏が喜ぶ」最高の履き心地

靴を脱いで、素足で過ごすことも多い日本の暮らし。

「足裏の感覚はとても大切なのでは?」という気づきから、足が最高に心地いいスリッパづくりは始まりました。

「最高の履き心地」のヒントにしたのが、高級ホテルのラウンジ。

「あの雲の上を歩くような、ふかふかとしながら足裏をしっかりと支えてくれる安心感や心地よさを、スリッパで再現できないか?」

そんなアイデアから生まれたのが、中敷に本物のカーペットを使用したスリッパでした。

素材には、実際に三つ星ホテルに使われているカーペット10種類以上から繰り返し着用テストを行い、スリッパという日常的に磨耗する環境下でもへたりにくかった2種類の生地をセレクト。

毛足が1本1本立ち上がったカットパイルタイプは、まさに絨毯そのもの。足をふんわりと包み込み、特に保温性に優れます。

フェルト加工した太い糸をループ状に織り込んだループパイルタイプは、接地面が少ないので、よりさらっとした肌ざわりです。

履いてみると、どちらも体重をグッと支えてへたらない、足を包み込むようなフィット感。歩くと柔らかく足についてきて重さを感じません。床の冷たさや固さが足に響かず、履いたそばから足まわりがすっぽりとあたたかです。それでいて足裏への「ふかふか」の伝わり方が全く異なり、2種それぞれの踏み心地を楽しめます。

解剖ポイントその2:堀田さんのカーペットの魅力を引き出す構造

この、「足裏が喜ぶ」履き心地を叶える2種類のカーペットは、どちらも大阪の堀田カーペットさんによるもの。

現在、日本のカーペットの99%は、基布に多数のミシン針で繊維を植毛する「タフテッド」式です。一方、1962年創業の堀田カーペットさんが手がけるのは、経糸と横糸を重ねて織りあげる「ウィルトン」式のウールカーペット。

量産向きのタフテッド式に対して耐久性が高く、多様な柄を表現できるウィルトン式は、その分職人の高い技術が要求され、この「ウールの織物」をつくれるメーカーは、今や日本で希少です。

そんな、ウールの特徴と適性を知り尽くした堀田さんのカーペットの魅力を最大限に生かすべく、スリッパの構造も工夫しました。

高級ホテルのラウンジで使われるカーペットは、クッション材の上にカーペットを敷きこむ「二層構造」になっている

高級ホテルの床がふかふかな理由は、クッション材の上にカーペットを敷き込むという「二層構造」にあります。これをスリッパで再現しようとすると、中敷が厚手になりすぎて、本体に縫い付けることができません。

そこで今回のスリッパでは中敷が取り外せるセパレートタイプを採用。実際のカーペットと同じ二層構造をそのまま再現することに成功しました。

中敷を取り出してスチームアイロンを当てると、ウールの特性でへたったところがふんわり立ち、ふかふかの履き心地が持続します。また、汚れが気になれば外して掃除機で吸い取ると、ウールの遊び毛がホコリや汚れををからめ取ってくれます。これもウールカーペットならでは。スリッパ全体も手洗いで自宅でのお手入れが可能です。

さらに、日本では左右同じ形のスリッパが一般的ですが、今回はあえて左右差のある仕様に。足の形にフィットして、よりカーペットの心地よさを足裏全体で感じられるように仕上げました。

解剖ポイントその3:大事にしたのは、玄関に揃えた時の佇まい

もうひとつ大事にしたのが、履き心地と佇まいの良さの両立。今回のスリッパを堀田カーペットさんとともに手がけたデザイナーの榎本さんは、「スリッパってどこか野暮ったいイメージがあった」と振り返ります。

「これまでの自分の買い方を振り返っても、手に取りやすい価格で、色や機能性を見ながらなんとなく妥協して選ぶことが多い。一方で作家さんの一点もののような、高級なスリッパも世の中にはあります。もっと選択肢があっていいし、家に置くものとして、機能も見た目も愛着を持てるようなものをつくりたいと思いました」

そこで榎本さんが大事にしたのが、玄関に揃えた時の美しさでした。

足を包むアッパー部分は中敷と同じウール素材の生地を採用。履くときに見える内側のフチ部分にもアッパーと同じ生地を縫い付けて、全体に統一感を持たせてあります。

置いてあるときの佇まいに気を配り、内側のフチにアッパーと同じ生地を縫い付けている

「このスリッパは堀田さんのカーペットの心地よさが命です。何気なく置いてある姿や履いた時に、何よりカーペットの質感や素材の良さを感じてもらえるように考えてつくっていきました」

置いた姿は品よく、履けば「足裏が喜ぶ」最高の踏み心地。足元から暮らしの心地よさを見直す、新しいスリッパのかたちです。

<掲載商品>
「ウールカーペットのスリッパ」

<取材協力>
堀田カーペット株式会社

文:尾島可奈子

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メーカーの悩みを全力サポート。中川政七商店もうひとつの顔「産地支援」の仕事とは?

中川政七商店にはいくつかの顔があります。

まず暮らしの道具を「つくる」こと。
つくったものをお店などを通して世の中に「伝える」こと。

そしてもう一つが、全国の工芸メーカーの経営や流通をサポートし「支える」ことです。

せっかくつくった品物でも、必要としている人に届かなければ意味がありません。

そこで中川政七商店が行っているのが、「大日本市」という合同展示会。自社だけでなく全国のつくり手が集い、「日本の“いいもの”と、“いい伝え手”を繋ぐ」場を提供しています。

「でも一体、なぜ他メーカーのサポートを?」

今日はあまり知られていない、全国のメーカーのサポーターとしての中川政七商店の顔を、その理由とともにご紹介します。

出展したいと思える展示会、ないならつくる。

「ついに注文とれました!」そんな声が飛び交うのは、中川政七商店が主催する合同展示会「大日本市」会場。

中川政七商店は「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを掲げていますが、つくり手が元気になるためには、「欲しい」と思う人にしっかり届く、流通の出口が大切です。かつて中川政七商店が販路を開拓しようと考えたとき、出展したいと思える展示会になかなか出会えませんでした。

ないなら、自らつくる。本当の意味で全国の工芸メーカーが自立し、事業を継続していくために、つくり手それぞれが意思をもって売り手や使い手と向き合う場をつくりたい。そんな思いから合同展示会「大日本市(だいにっぽんいち)」をはじめたのは、2011年のことです。

大日本市ってどんな展示会?

大日本市の特徴は、大きく2つあります。

ひとつは地域のものづくりに特化していること。テーマがはっきりしているので、選んで足を運んでくれるバイヤーさんとの商談も弾みます。

自社で初めてブランドを立ち上げたというメーカーの出展も多く、一回一回のバイヤーさんとの会話が真剣勝負。毎朝、前日の売上と来場者による人気投票結果が発表される朝礼では、出展者同士がお互いの結果に一喜一憂し、励まし合う姿が恒例です。

この大日本市がきっかけで大きな飛躍を遂げたのが、中川政七商店が工芸再生支援し、第一回大日本市に出展した長崎県の波佐見焼メーカー、マルヒロでした。

当時倒産寸前まで追い込まれていたマルヒロが大日本市でデビューさせた自社初のオリジナルブランド「HASAMI」は、会場で大手セレクトショップやメディアの目に留まり、そこから徐々に売り上げを伸ばし、今では波佐見焼の名を世に知らしめる存在となっています。

大日本市の特徴、もうひとつは「学びの場」という意識です。

「どう生産管理をしたら良いか?」
「お客さんとのコミュニケーションの取り方は」

扱う品物は違っても、メーカーが抱える悩みには共通のものも多くあります。そこで大日本市では、参加する企業むけに勉強会を企画し、展示会での商品のPRの仕方などを学べる機会を提供しています。

接客勉強会で、バイヤー役とメーカーに分かれてシミュレーションする様子
勉強会での学びを活かし、つくり手が積極的にバイヤーに商品の魅力をプレゼンする姿が会場のそこかしこで見られる

最近では、大日本市に継続して出展するメーカーが先輩として新規デビュー企業に接客のコツを伝授するなど、横のつながりや交流が、大日本市の文化として育ちつつあります。

初めは3社から始まった小さな合同展示会は、回を重ねるごとに接客や展示ディスプレイの内容をアップデート。少しずつ規模を拡げ、昨年からはオンライン展示会もスタートさせました。進化し続ける展示会に、今では日本各地のメーカー約60社が集結し、全国から約3000名のバイヤーが訪れるようになっています。

つくり手のサポートだけでなく、バイヤー向けのトークイベント等も実施

目指すのは、未来の問屋

しかし、メーカー共通の悩みは、まだまだつきません。

「顧客管理が大変でなかなか新商品の開発に手が回らない」
「発送に資材も人も時間もとられて大変」

実はこうした部分は、かつては産地のプロデューサー的存在である、各「産地問屋」が担っていた仕事でした。

市場のニーズをいち早く掴み、つくり手の特徴を熟知して、新商品を企画したり、流通を引き受けたり。つくり手と使い手をつなぐ欠かせない存在であったはずの産地問屋ですが、工芸の衰退にともない少しずつ減っているのが現状です。

問屋不在の中、いちメーカーが商品企画からバイヤーへの商談、在庫管理に発送まで全てを自社で担うのは簡単ではありません。結果として新商品開発に手が回らない、つくっても売り先がない…といった悪循環を、かつては私たちも経験してきました。

この、工芸をめぐる長年の問題を、なんとか解決したい。つくり手と伝え手、どちらの経験も積んできた中川政七商店だからこそできることがあるはず。そんな思いから今、中川政七商店が新たに取り組んでいるのが、全国のメーカーの流通を継続的にサポートする「問屋」事業です。

自らもメーカーとしてつくり手に寄り添いながら、全国約60の直営店と、これまでに築いた全国の小売店とのつながり、そして大日本市という場を生かして、ものづくりの魅力をきちんと世の中に伝えていく問屋を目指します。

大日本市が消滅するとき?

合同展示会の主催に、継続的にメーカーの流通をサポートする問屋事業。

一見、「なぜわざわざ他の企業のサポートを?」と思えることも、中川政七商店にとっては大切な意味があります。

ひとつには、ともにものづくりをする仲間が増えること。

中川政七商店は自社工場を持ちません。協業する全国のつくり手が元気にものづくりを続けてくれていればこそ、私たちは自社のものづくりを行うことができます。

展示会にも出展する堀田カーペットと一緒につくった「ウールカーペットのスリッパ」の開発風景

もうひとつは、展示会や問屋事業を通して全国のいいものが集まれば、流通手段である中川政七商店の直営店の品揃えが充実する、ということ。お店に並ぶものが多様化すれば、日本のものづくりの魅力を知ってもらうきっかけが増えることにつながります。

そうして一つひとつ、一人ひとり、つくり手と使い手がつながってゆけば、きっとその先に「日本の工芸を元気にする!」が達成された未来があるはず。

もし大日本市が幕を閉じる時が来るとしたら、それは日本の工芸が元気になった時。そんなことをスタッフ同士で話しながら、今日も中川政七商店は全国の工芸メーカーのサポーターであり続けます。

「大日本市」の取り組みに興味をもってくださった展示会出展希望のメーカー様、商品お取り扱い希望の小売店様は、下記専用サイトよりお問い合わせください。

現在、中川政七商店公式オンラインショップでも、「大日本市」出展商品を期間限定でご紹介しています。

文:尾島可奈子

織姫が縁をむすぶ織物の町・浜松を訪ねて

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
今日は七夕。織姫と彦星、無事に会えるといいですね。織物をする女性がヒロインの七夕伝説ですが、実は日本の神話にも織物をつかさどる「姫」が登場し、今も各地の神社でおまつりされているのをご存知でしょうか。その名も天棚機姫神( あめのたなばたひめのみこと )。

平安時代から天棚機姫神をおまつりする「初生衣( うぶぎぬ )神社 」があり、「遠州織物( えんしゅうおりもの )」という織物の一大産地でもあるのが、静岡県の浜松です。

戦国時代を駆け抜けたおんな城主直虎の舞台、浜松ゆかりのもうひとりの「姫」の物語を訪ねました。

織姫とみかんの里、浜松市三ケ日町へ

新幹線ひかりに乗って浜松駅に到着。ここから東海道線と天竜浜名湖線を乗り継いで三ケ日駅を目指します。

通称天浜線から見える風景が旅情を誘います

しばらく進むと浜名湖が!三ケ日駅はもうすぐです

レトロな駅名看板も可愛らしい三ケ日駅に到着

三ケ日は全国でも有数のみかん産地として知られる町です。町中あちこちでみかんを見かけます。

みかん産地らしいゆるやかなアップダウンのある道をしばらく進むと、浜名湖へ注ぐ川向こうにこんもりとした緑と小さな鳥居が見えます。

川を挟んで向こうに森が出現

こちらが今日最初の目的地、初生衣神社。小さな森に囲まれた境内は清らかな空気です。本殿にお参りすると、右側にかやぶきの建物が。

清らかな空気の境内。右手にかやぶきの建物がちらりと見えます

「こちらは織殿( おりどの )と言います。愛知県三河地方で紡がれる赤引( あかひき )の糸を使い、この織殿で生地を織って、伊勢神宮にお供えしたのが初生衣( うぶぎぬ )神社の起源です」

宮司の鈴木さんが迎えてくださいました。

「伊勢神宮がおまつりするのは天照大神( あまてらすおおみかみ )ですね。ここ初生衣神社の神様である天棚機姫神は、天照大神が天の岩戸に隠れた際に、大神にお供えする織物を織った神様なんですよ」

七夕の伝説は中国伝来のものと聞いていましたが、日本の神話にも「織姫」がいらっしゃったとは驚きました。

鈴木さんによると、三ケ日町一帯はもともと浜名神戸(はまなかんべ)という、伊勢神宮へのお供え物を作る神領だったとのこと。中でも神宮に奉納する織物を織っていた場所が、こうして神社として残ったのですね。

川を挟んで向かいにある浜名惣社神明宮は、かつて神領内で作られた奉納品を束ねていた神社だそう。国の重要文化財に指定されています

1080年には「浜名神戸の岡本郷に織殿あり」との記録が残っているとのこと。歴史は平安時代にまでさかのぼります。

鈴木さんが自ら大学時代に初生衣神社を調査された論文

先代まで宮司を務められた神服部( かんはとり )家は全国でもここだけという大変珍しい苗字のご一家。代々神服部家の奥さんが神宮に奉納する生地の機織りをしてきたそうです。まさに実在する織姫様だったわけですね。

「実は、もともとは現在の位置に本殿はなく、織殿の裏にあるお社が本殿でした。そのさらに昔は、織殿の中に神棚のような形で神様をおまつりしていたようです」

織殿の奥にあるお社がかつての拝殿だった

初衣神社を象徴する織殿。今回は特別に、その中を見せていただきました。

ドキドキします‥‥

江戸時代まで使われていたという織機。今は市の文化財に指定されている

中は織機と人1人が入ったらいっぱいの、必要最低限のスペース。その奥に「太一御用( たいちごよう )」と掲げられた旗が見えます。

「太一とは最高、最上のものという意味です。年に一度、織物を伊勢神宮へ奉納に向かう隊列に掲げたのがこの旗です。さらに、生地に使われる糸の『赤引』という名も、最高、最上との意味があるそうです。

かつては織殿も年が改まるごとに新しくし、織り手はそばの川で身を清めてから生地を織ったと言います。

神社では『常若( とこわか )』という精神を尊びます。もっとも清らかな素材、場所や状態で作る最高のものを神様にお供えする、という意識の表れですね」

神様に捧げる最上の生地を織り続け、地域で織物の神様として大切にされてきた初生衣神社。

時代を経て、この温暖な土地で綿花の栽培が盛んになり、一帯は江戸から明治にかけて遠州織物と呼ばれる織物の一大産地に成長します。

毎年春に行われる、伊勢神宮へ生地を奉納するための儀式、御衣祭( おんぞまつり )には、必ず遠州織物の関係者が産業の発展を祈願して参列するそうです。

有名アパレルメーカーの社長も、かつて初生衣神社に参拝に来られたことがあるとか、ないとか。

そんな織物の神様が見守る土地で生まれた遠州織物とは、一体どんな織物なのでしょうか。せっかくなので浜松に戻りながら、今の遠州織物に触れられる場所を訪ねてみたいと思います。

お話を伺った宮司の鈴木さん。ありがとうございました