こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
今日は七夕。織姫と彦星、無事に会えるといいですね。織物をする女性がヒロインの七夕伝説ですが、実は日本の神話にも織物をつかさどる「姫」が登場し、今も各地の神社でおまつりされているのをご存知でしょうか。その名も天棚機姫神( あめのたなばたひめのみこと )。
平安時代から天棚機姫神をおまつりする「初生衣( うぶぎぬ )神社 」があり、「遠州織物( えんしゅうおりもの )」という織物の一大産地でもあるのが、静岡県の浜松です。
戦国時代を駆け抜けたおんな城主直虎の舞台、浜松ゆかりのもうひとりの「姫」の物語を訪ねました。
織姫とみかんの里、浜松市三ケ日町へ
新幹線ひかりに乗って浜松駅に到着。ここから東海道線と天竜浜名湖線を乗り継いで三ケ日駅を目指します。
三ケ日は全国でも有数のみかん産地として知られる町です。町中あちこちでみかんを見かけます。
みかん産地らしいゆるやかなアップダウンのある道をしばらく進むと、浜名湖へ注ぐ川向こうにこんもりとした緑と小さな鳥居が見えます。
こちらが今日最初の目的地、初生衣神社。小さな森に囲まれた境内は清らかな空気です。本殿にお参りすると、右側にかやぶきの建物が。
「こちらは織殿( おりどの )と言います。愛知県三河地方で紡がれる赤引( あかひき )の糸を使い、この織殿で生地を織って、伊勢神宮にお供えしたのが初生衣( うぶぎぬ )神社の起源です」
宮司の鈴木さんが迎えてくださいました。
「伊勢神宮がおまつりするのは天照大神( あまてらすおおみかみ )ですね。ここ初生衣神社の神様である天棚機姫神は、天照大神が天の岩戸に隠れた際に、大神にお供えする織物を織った神様なんですよ」
七夕の伝説は中国伝来のものと聞いていましたが、日本の神話にも「織姫」がいらっしゃったとは驚きました。
鈴木さんによると、三ケ日町一帯はもともと浜名神戸(はまなかんべ)という、伊勢神宮へのお供え物を作る神領だったとのこと。中でも神宮に奉納する織物を織っていた場所が、こうして神社として残ったのですね。
1080年には「浜名神戸の岡本郷に織殿あり」との記録が残っているとのこと。歴史は平安時代にまでさかのぼります。
先代まで宮司を務められた神服部( かんはとり )家は全国でもここだけという大変珍しい苗字のご一家。代々神服部家の奥さんが神宮に奉納する生地の機織りをしてきたそうです。まさに実在する織姫様だったわけですね。
「実は、もともとは現在の位置に本殿はなく、織殿の裏にあるお社が本殿でした。そのさらに昔は、織殿の中に神棚のような形で神様をおまつりしていたようです」
初衣神社を象徴する織殿。今回は特別に、その中を見せていただきました。
中は織機と人1人が入ったらいっぱいの、必要最低限のスペース。その奥に「太一御用( たいちごよう )」と掲げられた旗が見えます。
「太一とは最高、最上のものという意味です。年に一度、織物を伊勢神宮へ奉納に向かう隊列に掲げたのがこの旗です。さらに、生地に使われる糸の『赤引』という名も、最高、最上との意味があるそうです。
かつては織殿も年が改まるごとに新しくし、織り手はそばの川で身を清めてから生地を織ったと言います。
神社では『常若( とこわか )』という精神を尊びます。もっとも清らかな素材、場所や状態で作る最高のものを神様にお供えする、という意識の表れですね」
神様に捧げる最上の生地を織り続け、地域で織物の神様として大切にされてきた初生衣神社。
時代を経て、この温暖な土地で綿花の栽培が盛んになり、一帯は江戸から明治にかけて遠州織物と呼ばれる織物の一大産地に成長します。
毎年春に行われる、伊勢神宮へ生地を奉納するための儀式、御衣祭( おんぞまつり )には、必ず遠州織物の関係者が産業の発展を祈願して参列するそうです。
有名アパレルメーカーの社長も、かつて初生衣神社に参拝に来られたことがあるとか、ないとか。
そんな織物の神様が見守る土地で生まれた遠州織物とは、一体どんな織物なのでしょうか。せっかくなので浜松に戻りながら、今の遠州織物に触れられる場所を訪ねてみたいと思います。