ケルビムのフレームビルダーが抱く野望。「自転車の歴史を変える」挑戦

こんにちは。ライターの川内イオです。
今回は自転車の世界的なフレームビルダーのある挑戦についてお届けします。

ある日の午後、神宮前を歩いていたら独特のフォルムの自転車が目に入って、思わず立ち止まった。滑らかな弧を描くフレームがハンドルから後輪へ流れ、そのフレームの上にサドル (座る場所) がちょこんと収まっている。自転車の素人の僕にはまるで乗り心地を想像できないけれど、ショーウインドー越しに見ているだけで未来を感じさせる、ワクワクしてくるようなデザインだった。

レトロ感と未来感が同居する不思議なフォルムの自転車 (写真提供/CHERUBIM)

「Humming Bird」と名付けられたこのユニークな自転車のブランドは、その名を「CHERUBIM(以下ケルビム)」という。1965年、日本の自転車フレームビルダーのパイオニアとして知られる今野仁さんが創業。世田谷区にアトリエを構え、競技用フレームの制作を始めたのがその成り立ちだ。1968年のメキシコ五輪の際には、日本代表選手に競技用自転車を提供し、日本新記録と6位入賞という快挙を陰で支えた。

町田の本店に展示されている1968年のメキシコ五輪モデル

そして現在、父からケルビムを受け継いでいるのが、2代目の今野真一さん。神宮前にあるケルビムのショップで僕が見惚れた「Humming Bird」を生み出した男である。今野さんは、生涯獲得賞金が27億円を超え、「走るレジェンド」と呼ばれる神山雄一郎選手など多数の現役競輪選手たちのフレームを製作していることでも知られる。競輪選手の自転車は、1ミリ単位での調整が求められる精密マシンだ。

類まれな独創性と圧倒的な技術力を兼ね備える今野さんの原点を知りたくて、東京・町田にある本店を訪ねた。

工場が遊び場だった子ども時代

今野さんが生まれたのは、メキシコ五輪から4年後の1972年。「見渡せば自転車ばかり」という家で「工場 (こうば) が遊び場だった」。物心ついたときには、自分で自分の自転車をカスタマイズするようになっていた。

「雑誌もいっぱいあったから、参考にしながらタイヤを変えたり、チェーンを変えたり。性能がいい、悪いはわかんないから、小学生ながらにもブランド志向で、当時、かっこいいと思っていたイタリアのパーツとかシマノのパーツを工場でかき集めていましたね。誰かに教えてもらってというよりは、自分でやってみて、わかんないことは聞きにいって」

真剣に取り組む、というよりは、毎日の生活の延長線上で自転車について学んでいった今野さん。中高時代は若者らしくバイク、サーフィン、音楽などほかの遊びに夢中になりながらも、自転車に乗り続けていた。高校卒業後は「自転車の設計にも役立つかな」とパソコンのプログラミング関係の専門学校に進学。卒業後、20歳の頃には実家のアトリエで働き始めた。

「子どもの頃から、ずっと、いずれはこの仕事を継ぐんだろうなと思っていましたから。そのとき、親父とふたりの職人さんで仕事をしていたんだけど、職人さんのひとりが辞めるというタイミングも重なって」

ショップと工房を備える町田本店
工房では今野さんから自転車づくりを学ぼうと大勢の若者が働いている

自転車の販売に注力するも‥‥

自転車のフレームビルダーの仕事は、多岐にわたる。設計に始まり、旋盤などを使った機械加工、溶接、仕上げまで自転車にまつわるすべての作業をひとりでできるようになって一人前だ。
当時、自転車の素材として安価で軽量なカーボンやアルミのフレームが主流となり、炭素鋼 (鉄) にクロムとモリブデンを加えた合金「クロモリ」を使うケルビムのオーダーメイドの自転車フレームをつくる事業は下火になっていた。メーカーの下請け仕事もあったが、生産の拠点が中国や台湾に移っていく時期で、売り上げは下降線をたどっていた。

経営者の父・仁さんにとっては苦しい時期だっただろうが、工房のスケジュールにも余裕があるなかで、今野さんは先輩の職人さんからじっくり技術を学ぶことができたと振り返る。すべての工程の技術を一通り身に着けるまでに、だいたい5年間。その間に、ケルビムの方向性も徐々に変わっていった。それは、「パーツを組んだりばらしたりするのが得意だった」という今野さんの存在が影響している。

「父親はフレーム作ってそれを売るという対プロの仕事がメインでした。要するに、自分で組み付けできる人にしか売らなった。でも、僕が入社してからは完成車の状態で渡せるようになったので、一般のユーザーにも売れるようになったんです。それで、一般の方への販売にも力を入れていこうって」

「クロモリ」のフレームに磨きをかける今野さん

今野さんが30歳になる頃には先輩職人も工房を離れ、ケルビムは今野さんが組んだ低価格帯の自転車や、初心者向けの自転車、輸入自転車を仕入れて店頭で売る、プロスポーツショップに舵を切っていた。この決断によって一般ユーザーのお客さんが増えて経営は持ち直したが、今野さんは次第に、「何か違う」と思うようになっていった。

「全部がイヤになって」一大決心

量販店ではない小規模のショップでブランドものの自転車を売るというビジネスには、ノルマなどさまざまな制約があった。他のショップとの値引き合戦や価格勝負も性に合わなかった。なによりもストレスだったのは、10万円で自転車を仕入れても、新しいモデルが出ると「型落ち」扱いになり、仕入れ値より低い価格で売らざるを得なかったということ。自分で自転車を作ってきた今野さんにとって、自動的に短期間で価値が落ちる自転車を売ることは「寂しかった」という。

この時期、今野さんは父・仁さんと頻繁に衝突していたそうだが、それは恐らく、ショップ事業に対する不満や「このままでいいのか」という不安、疑問が互いの胸中に渦巻いていたからではないだろうか。そのうち、「全部がイヤ」になってしまった今野さんは、腹をくくった。

「僕がずっとやりたかったのは、ケルビムで最高のフレームを作ること。車だったら、多分、フェラーリに乗っている人って車を持っている人の1%にも満たないでしょう。でも、1%でもいいから、そこをターゲットにやっていきたいという思いがありましたし、作ることに関して妥協したくなかった。だから、ショップじゃなくて、自分のブランドだけでやってこうと決めたんです」

「ひとりでフレームと向き合う仕事が好き」と語る今野さん

この決意は、低迷期を乗り越えて築き上げたショップ事業の縮小につながる。さらにいえば、軽量で安価な自転車の量販化と海外生産が進むなかで、高度な溶接技術を要し、重くて高価な「クロモリ」を使った自転車が売れなくなり、職人もどんどん引退しているという状況で、今野さんいわく「時代に逆行しているのは確かだった」。それを父・仁さんがどう感じたのかいまとなってはわからないが、ふたりの言い争いはさらに激化し、険悪な雰囲気が立ち込めていたという。

転機をもたらした奥さんの一言

それも、ケルビムブランドの一新を目指す今野さんを押しとどめる理由にはならなかった。今野さんが素材や塗装などにこだわり抜いて組んだフレームが売れ始めたのだ。

「だんだん、僕のフレームを欲しいというお客さんが増えていったんです。いま思えば僕がやっていることを面白がってくれていたんだと思うけど、そのときは『お客さんもわかってくれるんだ』って前向きに勘違いしてたから (笑) 、手応えを感じましたね」

父・仁さんとの冷戦状態は続いていたが、そんなことはお構いなしに、今野さんは「会社の人は誰も手伝ってくれないから」とひとりで展示会への出展を始めた。すると、日本を代表するハンドメイドビルダーが集う「ハンドメイドバイシクル展」などでも高い評価を得るようになり、ますます自信を深めていった。

独自のセンスを持つフレームビルダーとして頭角を現すようになった今野さんに大きな転機をもたらしたのは、奥さんの一言だった。2006年頃から毎年、今野さんのもとに英語で手紙が届くようになっていた。今野さんはそれが招待状らしきものとはわかっていたものの、「面倒だなー、うさんくさいなー」と思って無視していた。

ちょうど同じ頃、日本の自転車愛好家の間ではアメリカで開催される世界最大の自転車の祭典、北米ハンドメイドバイクショー「NAHBS」の話題が出るようになっていた。あれ、と思って手紙を確認すると、その招待状は「NAHBS」からのものだった。そのとき、今野さんは「まずは、見に行ってみるか」と思ったそうだが、その話を奥さんにすると、奥さんはこう言った。

「見にいくなら、出したほうがいいんじゃない?」

確かに!とひざを打った今野さんは、アメリカに向かう直前の2週間で繊細な曲線を持つ細身のシルバーフレームの自転車を作りあげ、「PISTA」と名付けて出品した。2009年、37歳のときのことである。

わずか2週間で作りあげた「PISTA」。シンプルな美しさを放つ (写真提供/CHERUBIM)

「NAHBS」から拡がった可能性

インディアナポリスで開催された「NAHBS」の会場についてみると、出展している日本人は自分ひとりしかいなかった。右も左もわからず不安もあったが、それよりも会場の雰囲気に胸が躍った。来場者の多くが自分で自転車を作っていたり、作ろうとしている人たちで、ビルダー向けの講座が開催されていたり、道具も販売されていて熱気に満ちていた。

「PISTA」に興味を示す人も多く、マニアックな質問を次々と投げかけられた。「これはすごい!」とテンションが上がった今野さんも、面白い自転車を見つけるとビルダーに話しかけて情報交換をしたり、気になる部品を購入した。3日間の会期をすっかり満喫した今野さんだが、最終日にさらなるサプライズが待ち受けていた。

「NAHBS」ではグランプリにあたる「The Best of Show」などさまざまな賞が参加ビルダーたちに授与されるのだが、今野さんの「PISTA」が「Best Track Frame」と「プレジデンツチョイス賞」の2冠に輝いたのだ。初出品での2冠によって、今野さんは気鋭のフレームビルダーとして国内外で注目を集めるようになった。その追い風に乗って、今野さんの活躍のフィールドは広がった。

2012年には、イギリスに拠点を置く世界的デザイン集団「TOMATO」を主宰するSimon Taylorとのコラボレーションから生まれた自転車「Humming Bird」が、NAHBSでグランプリ「The Best of Show」と「プレジデンツチョイス賞」の2冠を獲得。

グランプリを獲得した「Humming Bird」 (写真提供/CHERUBIM)

昨年は、イタリアの老舗チューブ (鋼管) メーカー「コロンバス」によって5大陸を代表するビルダーのひとりに選ばれ、今野さんが同社のチューブで作ったフレームがミラノで開催された国際美術博覧会「トリエンナーレ・デル・デザイン」に展示された。

「トリエンナーレ・デル・デザイン」に展示されたフレーム (写真提供/CHERUBIM)

「和」の感性を磨くために

NAHBSではこれまでに計7回受賞し、いまや海外での売り上げが3~4割に及ぶ。子どもの頃、工場で遊びながら自分の自転車をカスタマイズしていた少年は、世界にその名を知られるビルダーになった。だが、探求心は尽きることを知らない。

「海外に行くと、僕のフレームはすごく日本的だと言われるんです。『和』の要素はまったく意識していなかったんですけどね。日本に戻ってから何が日本的なのかと探るようになって、僕の自転車の特徴であるゆるやかな曲線やシンプルなブランドマークの張り方が、禅とかミニマリズムに通じる欧米のビルダーにはない感覚だと気付いたんです。僕はデザインの勉強なんてしたこともないから、これはきっと日本人が昔ながら持っているDNAなんでしょう。だから、もっと『和』の感性を磨きたくなって、いまはお茶を習っているんですよ (笑) 」

ケルビムのブランドマーク

世界広しと言えども、茶道を学ぶフレームビルダーはほかにいないだろう。まだ、奥深き茶道の世界の一端に触れたに過ぎないが、それでも新たな気づきがあったという。

「茶道って決まりごとが多すぎるんですけど (笑) 、それをマスターしてからの自由があるらしいんですよ。型があるからこそ、そのなかで際立つ自由を楽しむ文化がある。それを知って、僕は修行時代に父親から型を習ってたんだなって思ったんです。

修業時代は、お客さんがオーダーしてきた歴史あるフレームをひたすら作っていました。自転車って200年以上前からある道具だから、デザインや部品全てに意味と理由があるんです。そのフレームを作りながら、なんでこうなってるんだろう、ここの処理はどうなってるんだろうってひたすら考えながらやっていた。自転車の型にどっぷり浸かった時期があるから、いま自由に作るなかで個性を出せるのだと思います」

祖母が授けた天使の羽

今野さんのいう茶道の教えとは「守破離」だろう。型を守って習得し、修行を積むなかでより自分に合った道を求めて師匠の型を破ることで、もとの型から離れて自在になるという。確かにこれまでの歩みに重なるものであり、今野さんのこれからにも通じていく。

稀代のフレームビルダーが抱く野望。それは「いまある自転車の型を超えること」。その挑戦の軌跡が、「NAHBS」での数々の栄誉につながっている。もちろん、今野さんは自転車の歴史に名を刻むような斬新なアイデアがそうそう浮かんでくるとは思っていない。しかし、考え続けなくては、何も生まれない。

「これをやってみたいとか、ああしたいとうのはエンドレス。それでいつか『型』を超えたいし、型の素晴らしさもさらに理解したい。そこがやっぱり面白いから」

取材を終えてから、ふと今野さんから聞いた「ケルビム」という社名の由来が頭に浮かんだ。「CHERUBIM」という綴りはヘブライ語で、聖書に出てくる天使の名前。仁さんが兄弟と一緒に起業する際に、もともとクリスチャンだった今野さんの祖母が命名したという。

ブランドマークにも天使が描かれている

帰り道、ケルビムがどんな天使か気になって検索すると、「その中には4つの生き物の姿があった。 (中略) 生き物のかたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで、それによってこの生き物はどの方向にも速やかに移動することができた」という記述を見つけた。

「天使に乗るってどうなの、と言われることもあるんですけどね (笑) 」と今野さんは苦笑していたが、僕は、あ、と思った。今野さんのおばあさんはきっと、「車輪でどの方向にも速やかに移動することができた」という天使の羽を息子たちに授けたのだ。その羽を受け継ぐ今野さんなら、自転車の歴史という揺るぎない壁を越えられるのかもしれない。

<取材協力>
CHERUBIM ケルビム 今野製作所
町田本店:東京都町田市根岸 2-33-14
042-791-3477

文・写真:川内イオ

*こちらは、2017年8月15日の記事を再編集して公開しました。

キッチンばさみ「とりあえず」から乗り換えるなら、この一本

こんにちは。細萱久美です。

家にいる日は台所に立たない日はありませんが、手にする頻度が一番多い台所道具は、キッチンばさみかもしれません。

使用時間にしたら短いですが、使用回数が多いのと、毎日必ず使っている気がします。無いと困る調理道具の一つです。

ただし調理と言えるのは海苔や昆布を切る程度で、大かた袋を切ることに使っています。現代では袋に入っている食材が相当多いこともあり、昔に比べてどこの家庭でも必需品になっているかもしれません。

手で切れる袋もありますが、乾物など使い切らない場合は綺麗に切ってゴムなどで留めるのがささやかなこだわり。

またレトルトやラーメンのスープ、最近よく使う素材では、缶ではない紙箱入りのホールトマトやホールコーンなど、液体が跳ねる可能性がある包装資材はハサミで切ります。

そうすると自ずとハサミが汚れるので、洗うことになります。頻繁に洗われるというのが、文具や裁縫など他の用途ばさみと違う特徴でしょうか。

キッチンばさみ

一度買ったらあまり買い換えない印象のキッチンばさみ。私の実家のハサミも恐らく40年くらい使い続けている気がします。

それも使い勝手が良い証拠。使いやすいハサミを選べば、よほどヘビーに使わない限り半永久的に使えるのではないでしょうか。

キッチンばさみを選ぶ主なポイントは、

切れ味
手入れのしやすさ
握りやすさ

の三点です。

素材は、主にステンレス製とセラミック製があります。ステンレスは金属なので丈夫で切れ味が良く、刃先が分厚ければカニの殻など固いものもカットできます。

オールステンレスなら洗浄や消毒もしやすく衛生面も安心。ただし金属なので、やはり濡れたまま長時間放置は避けたいところ。

セラミックは陶器の一種で錆びることなく、ステンレスに比べて軽いので、長時間使用しても疲れにくいのが特徴です。ただあまり硬い食材をカットするのには向きません。

切れ味だけで選ぶならステンレスに軍配かもしれませんが、何をどんな頻度で切るのかを考慮して選ぶのが良いのでは。

手入れのしやすさとは、洗いやすく乾かしやすいこと。衛生的に使いたいのでこの点はマストと言えます。

ネジ部分に汚れや水が溜まりやすいので、ネジを外して両方の刃を分解できるタイプは優れもの。

私は食洗機は使いませんが、最近は食洗機対応も選ばれやすい重要ポイントとなっています。

握りやすさは、使いやすさに直結するので、手に馴染むか必ずチェックします。食材を切るのにキッチンばさみを長時間使う方は特にグリップのフィット感を確かめましょう。

ものによって、グリップの中心にギザギザのくぼみがありますが、キャップオープナーや栓抜きとして使うことができ、グリップに突起がついていれば、栓抜きや缶開けに役立ちます。

アウトドアでも便利なタイプかと思います。実家のはさみもこのタイプで、信州に親戚が多いせいか、子供の頃はよくクルミの殻剥きの手伝いに使っていた記憶があります。

私がここ数年愛用しているのは、「鳥部製作所」のキッチンスパッターというハサミです。

こちらは、金属と刃物の産地として有名な新潟県三条市のメーカーです。業界でもいち早くステンレス製の鋏の製造を始め、キッチンスパッターはメーカーを代表する製品です。

「鳥部製作所」のキッチンスパッター

燕三条は、年に1回工場の見学や体験ができる「燕三条 工場の祭典」が今年で7回目を数えすっかり恒例行事になっていますが、イベントとリンクした産地紹介書籍「燕三条の刃物と金物」(中川政七商店編 平凡社出版)の編集に携わった関係で、鳥部製作所さんにも訪問する機会がありました。

「燕三条の刃物と金物」(中川政七商店編 平凡社出版)

それが、以前から気になっていたキッチンスパッターを入手したきっかけとなりました。

このキッチンばさみは、オールステンレス。ネジ部で簡単に取り外しが出来るので、確実な洗浄と完全に乾かすことが可能で、食洗機にも対応しています。

熟練の職人が一つ一つ調整をして仕上げるので切れ味も文句なし。硬い甲羅も滑らず、さらに繊細な野菜も滑らかに切ることができる絶妙な波刃の設計です。

「鳥部製作所」のキッチンスパッター
「鳥部製作所」のキッチンスパッター

グリップも持ちやすくて重さも程よく、機能的に優れているのはもちろんのこと、機能から生まれたデザインも美しいのです。

グリップ部には棒材を使用するなど、実は製造工程の効率も重視された作りになっているのが、結果的に機能や美しさにも繋がっているという点も、産地の専門メーカーならでは。

製造背景を含めてトータル的にお気に入りの定番調理道具です。


鳥部製作所・キッチンスパッター

鳥部製作所・キッチンスパッター

株式会社鳥部製作所
新潟県三条市田島1-17-11
鳥部製作所 HP


細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

【わたしの好きなもの】麻之実油のスキンケア

繊維から実に至るまで、無駄のない「麻」


中川政七商店と言えば「花ふきん」や麻生地製品などの雑貨が看板商品ですが、
知る人ぞ知る優れもの「麻之実油」を使用したスキンケア用品をご紹介いたします。 
私もその実力を知ったのはつい最近の事、 店頭サンプルの香りにハマったのがきっかけでした。 
何とも表現し難い、清々しくも甘い香り。 
即座にハンドクリームとリップクリームを愛用品に追加致しました。




ハンドクリームは手のひらで伸ばしながらよく温めると、何とも言えないあの香りがふんわり漂います。
その後丁寧に手の甲や手首、指先まで塗り込んでいくと、香りもさる事ながら潤いも満ちてきます。
至福のひとときです。
しかしハンドクリームにありがちなベタつき感は全くなく、潤いは保たれたままつるりとした仕上がりに感激!
此れはもう、手放せません。




リップクリームは保存料・着色料無添加、麻之実油配合で、唇に乗せると体温で優しく溶けて、
こっくりとした潤いをもたらしてくれます。
ドライリップの方は何度か重ね塗りをして頂くと、より麻之実油の濃厚さを実感して頂けます。
重すぎず軽すぎず、程よい心地よさにうっとり。


侮る事なかれ、麻之実油。 
繊維から実に至るまで「無駄のない完璧さ」は、 まるで芸術品並みの出来映えです。 
ハンドクリームもリップクリームも、特にこれからの季節の必需品。老若男女問わずお使い頂ける逸品です。
使って頂くときっと解る麻之実油の良さ。みなさまの「欠かせない物」になるはずです!


中川政七商店 渋谷スクランブルスクエア店 工藤
 

スゴい工場見学。富山「能作」に年間10万人が集まる人気の秘密とは

鋳物の町・高岡を代表するメーカー能作で工場見学

社屋移転からわずか2年、たった3人のスタッフからはじまったツアーが、今や全国から年間10万人を動員する大人気観光スポットに。

1000度の熱気を感じる大迫力の鋳造場。
職人の手作業による鋳物の加工技術。
語られる鋳物の町・高岡の歴史。

たった60分で子どもから大人まで魅了する、すごい工場見学があるという噂を聞きつけ、富山県高岡市へ向かいます。

北陸新幹線・新高岡駅から車で約15分。さまざまな企業が集まる「オフィスパーク」の一角にある、「株式会社能作(のうさく)」に到着しました。

えんじ色の建物が目印
えんじ色の建物が目印

高岡市は江戸時代から続く鋳物の産地。能作は大正5(1916)年に仏具を製造する鋳物メーカーとして創業し、その後、茶道具や花器、酒器などさまざまな商品を展開しています。

真鍮 (しんちゅう) の花器
真鍮 (しんちゅう) の花器
酒器をはじめとしたテーブルウェアなど、幅広く展開しています
酒器をはじめとしたテーブルウェアなど、幅広く展開しています

なかでも、金・銀についで高価な錫(すず)を使った曲がる器「KAGO」シリーズは、大きな反響を呼び、今や高岡を代表とする鋳物メーカーとして全国から注目を集めています。

曲がる器「KAGO」シリーズ
曲がる器「KAGO」シリーズ

2017年に本社工場を移転し、規模を拡大した能作。約4000坪の敷地内には、オフィスや工場はもちろん、ショップやカフェ、体験工房まで備えています。

開催しているファクトリーツアーはなんと毎日5回行われ、無料で参加可能。動員数は年間10万人以上にのぼります。

真鍮でできた「能作」の文字が目立つエントランス
真鍮でできた「能作」の文字が目立ちます

「木型」が待ち受けるエントランス

エントランスに入ると、まず飛び込んでくるのが、能作の製品づくりに欠かせない「木型」。こちらはディスプレイではなく、実際に木型の倉庫として、職人たちが普段から利用しています。

能作の製品づくりに欠かせない「木型」

壁一面にずらりと並ぶ木型は約2500種類!カラフルなのは演出ではなく、木型のメーカーごとに色分けされているから、職人は色ですぐに必要な木型を見分けることができます。

能作の製品づくりに欠かせない「木型」
真鍮でつくった大きな日本地図のプレートも存在感があります
真鍮でつくった大きな日本地図のプレートも存在感があります

ここだけで、すでに期待が高まってきました。

大満足の60分!鋳造の現場に潜入

能作ファクトリーツアーの様子

ファクトリーツアーは約60分。アテンドをするスタッフの説明を聞きながら、まず向かったのは加工の現場へ。

すぐそばでは職人さんが実際に作業をしていて、機械で磨く音やろくろで削る音、溶接で飛び散る火花など、ものづくりの臨場感を感じられます。

能作の職人たち
職人の平均年齢は32歳。まったくの異業種から職人になった人も多いそう
能作の職人
べテランの職人が担当するろくろ。長年の経験で、寸分の狂いもないかたちに仕上げていきます
能作の職人(女性)
約60名の職人のうち、女性は5名。小さい頃に訪れた能作の工場見学がきっかけで
入社を決めたという人も

作業の内容はもちろん、高岡の歴史や文化なども踏まえて案内してくださる能作のスタッフ。

小さな子どもや「鋳造」という言葉にはじめて出会った人でもとてもわかりやすい内容で、ものづくりの世界に誘ってくれます。

アテンドは外部に任せず、すべて社員で行い、どの部署の社員でも案内ができるようになっているそうです。

小さな子どもには紙芝居形式で紹介したり、電車ごっこをしながら工場内をめぐったりすることもあるそうで、こちらも社員からの自発的なアイデアだったとか。

60分間のツアーのなかでも、スタッフ同士の連携の強さやホスピタリティの高さを感じるシーンが何度もありました。

能作ファクトリーツアーの様子
多い時には1人で100名近い見学客を案内することもあるそう

ツアーで一番の見どころ。大迫力の鋳込みシーン

ツアーの中でも、大迫力の鋳造シーンを見学できると人気なのが、金属を流し込む鋳物場。

真鍮、錫と金属によって工程が分けられ、見学者は2階からも作業の様子を見学できます。

独特な雰囲気の鋳物場。上から覗くと人の動きや作業の流れがよくわかります
独特な雰囲気の鋳物場。上から覗くと人の動きや作業の流れがよくわかります

能作の鋳物は真鍮・錫・青銅を使った3種類。

先ほどエントランスにあった木型に鋳型用の枠を乗せ、その周りを砂で固め、再び木型を外すことで鋳型をつくる「生型鋳造」という製法を見ることができます。

いよいよ今度は1階に降りて、間近で見学です!

砂と型がくっつかないよう貝殻の粉末をまきます
砂と型がくっつかないよう貝殻の粉末をまきます
体重をかけて砂を押しかためていくと‥‥
体重をかけて砂を押しかためていくと‥‥
きれいな型の完成!
きれいな型の完成!

鋳型が完成したら、早速金属を流し込む「鋳込み」の工程です。

鋳物場の中央にある炉に注目!

作業工程がわかりやすいよう真鍮製のサインが掲げられています
作業工程がわかりやすいよう真鍮製のサインが掲げられています

真鍮の材料である銅と亜鉛が溶かされた炉では、職人がぐつぐつと液状になった金属をゆっくりとかき混ぜています。炉の温度は1000度以上。しかも、液体状の金属はとても重いため、かなりの重労働なのだそう。

2メートル近い棒で炉のなかをかき混ぜています
2メートル近い棒で炉のなかをかき混ぜています

炉で溶かした金属をバケツ型の容器に移し、型に流し込んでいきます。職人たちが数人がかりで行う大事な作業なので、緊張感が漂います。

もうもうと煙があがり、迫力満点!
もうもうと煙があがり、迫力満点!
鋳込みはベテランの職人たちが担当
鋳込みはベテランの職人たちが担当

金属を慎重に流し込んでいきます。ほんのり緑色の光を放つ真鍮。あっという間に温度が下がっていくため、スピーディーな作業が求められます。

鋳型から溢れ出る直前まで流し込むのがポイント
鋳型から溢れ出る直前まで流し込むのがポイント

1000度以上の温度で溶ける真鍮に比べ、錫の溶解温度は200度程度と少し低め。コンロで溶かした錫をこちらもゆっくりと型に流し込みます。

錫を型に流し込む様子

真鍮とつくり方はまったく同じですが、異なるのは冷めるまでの速さ。錫は流し込んだそばから固まっていくので、数分後には型から取り出すことが可能です。

一つひとつリズミカルに型から外していく職人。崩れた砂のなかから、銀色に輝く錫の製品があらわれました。

5分も経たないうちに次々に型から取り出していきます
5分も経たないうちに次々に型から取り出していきます
型から取り出した錫

ここから加工場に運ばれ、バリを取って縁をなめらかに磨いて整えていくと製品の完成。

温度とスピード、そして仕上げの細かさ、1つひとつの工程はシンプルですが、常に緊張感のある作業に思わず見入ってしまいました。

能作の工場見学おさらい

・工場見学は要予約(無料)。
・時間は9時30分~、11時~、13時~、14時30分~の4回。
・日曜・祝日の工場見学はお休みです。

あるお母さんの一言からはじまった本気の工場見学

鋳造の現場をしっかり堪能して工場見学は終了。熱気とホスピタリティに満ちたあっという間の60分間でした。

それにしても、どうしてここまで工場見学に力を入れるようになったのでしょうか。

能作の「産業観光」を担う、専務取締役の能作千春さんに話を伺いました。

能作千春さん
能作千春さん

「この建物は2017年に移転してできたものですが、工場見学は旧工場の頃から受け入れていました。工場見学にここまで力を入れるきっかけになったのは、お子さんと製造現場の見学に来てくださっていた、あるお母さんの言葉でした。

『ちゃんと勉強しないと、将来こんな仕事をする人になってしまうのよ』

お子さんに言った何気ない一言を聞いて、社長は、産業の素晴らしさを伝え、職人の地位を高めていかなければと決意したそうです。

それが生きたものづくりの現場を見に来てもらう『産業観光』という発信の仕方に結びついていきました」

ものづくりの現場を見てもらって、ひとつのものが生まれるまでの「こと」や「こころ」に触れてもらいたい。

社屋の移転に向けて「産業観光」に力を入れるため、千春さんに産業観光部立ち上げの白羽の矢が立ちました。

準備期間わずか半年。産業観光を支える5つの柱は見学ツアー、体験、カフェ、ショップ、観光案内

産業観光部が立ち上がったのは、実は移転のわずか半年前のこと。当初のメンバーは第二子を産んだばかりの千春さんと、経理担当、物流担当だった社員の計3名。

3人とも観光のことは全くの門外漢でしたが、アイディアをブラッシュアップさせながら、少しずつ方向性を定めていきました。

ただの観光ではなく、背景にあるものづくりをさまざまな世代のお客様に伝えるにはどうすればいいか。

千春さんたちは、「産業観光」を実現するために、ファクトリーツアーを含めた5つの柱を考え出しました。

まず、最優先で計画したのが、「体験工房」。実際に錫製品の製作を体験してもらうことで、ファクトリーツアーで見たものへの理解がより深まるはず、と考えたそうです。

能作の体験教室

こちらは有料ですが、ファクトリーツアーと体験をセットで利用するお客さんはとても多く、満足度も高いと大評判。体験といえど、職人と同じ作り方でつくるため、難しさや大変さもより理解できます。

ペーパーウェイトや箸置き、ぐい呑みもつくれます
ペーパーウェイトや箸置き、ぐい呑みもつくれます

さらに、製品の良さを知ってもらおうと、能作でつくられている錫の食器を使ったカフェも新設。

「IMONO(鋳物)KITCHEN」
その名も「IMONO(鋳物)KITCHEN」

熱伝導率の高い錫のカップで冷たい水を飲むと、カップもキンキンに冷えるだけでなく、錫が持つイオンの効果で味がまろやかになるのだとか。

並べられた錫のコップ

おいしさはもちろん、思わず写真におさめたくなるような、見た目にも楽しいメニューが揃います。

▲ベーグルやタルトはもちろん、社長考案のベーコンが自慢の「職人カレー」も密かな人気
ベーグルやタルトはもちろん、社長考案のベーコンが自慢の「職人カレー」も密かな人気

そしてファクトリーショップ。見学ツアーでものづくりの現場を知り、体験工房で実際につくり、カフェで使い心地を試す。能作の製品の価値を理解したからこそ、手に入れたくなるのもわかります。

能作ファクトリーショップ

「観光案内」にも力を入れました。

高岡まで来ていただいたなら、その後の過ごし方も提案したい‥‥と、能作の社員がおすすめする富山の観光情報をオリジナルのカードにして並べたコーナーを新設。

能作がおすすめする富山の観光情報「TOYAMA DOORS」
能作がおすすめする富山の観光情報「TOYAMA DOORS」
▲カードなので一目瞭然。千春さんをはじめ、産業観光部のみなさんが実際に取材して制作してます
カードなので一目瞭然。千春さんをはじめ、産業観光部のみなさんが実際に取材して制作しています

マルシェ、ツアー企画、錫婚‥‥新しい企画は常に「サザエさん」一家をイメージ

5つの分野を柱に、「産業観光」という方向に大きく舵を切った能作。移転から2年経ち、どんな変化があったのでしょうか。

「単なる売り上げよりも、目に見えない効果がすごく大きいと思いました。毎日さまざまなお客様に来ていただけることで、今までにはない出会いがありますし、職人たちの意識も変化し、日々の仕事を超えてスタッフ同士の結束もより強くなりました。

ただ、年々求められるレベルが高くなっているのも事実。たとえ無料の工場見学であっても、サービスは徹底しなければ、と今もどんどんテコ入れしています」

産業観光を担う能作千春さん

2018年は来場者が10万人を超え、2019年は12万人を目指す能作。マルシェやコンサートを開いたり、ぐい呑みを作って富山の酒蔵を回るツアーを企画したりなど、千春さんの頭のなかでは常に新しい企画がどんどん生まれています。

「新しい企画を考えるときは、常に『サザエさん』をターゲットにしているんです。子どもがいて、おじいちゃんやおばあちゃんもいる。そんなサザエさん世代の人たちに楽しんでもらえたら、子どもから大人まで幅広く愛されるような場所になるはず」と、ご自身も子育て世代である千春さんは言います。

次なる一手はありますか?と伺うと「あります!」と千春さんが即答したのが、ブライダル。

現在、能作で新しく進めている企画の1つが『錫婚』です。

「実は以前から工場見学に来られたご夫婦のなかに『結婚10年目の錫婚の記念に来た』という方が多かったんです。それならここで錫婚式や結婚式ができるのではと思って」

鋳物場で挙式、ほかにはない思い出深い1日になりそうです
鋳物場で挙式、ほかにはない思い出深い1日になりそうです

工場見学といえば、小学生の時に課外授業で行ったきり、という方もいるかもしれません。

それが今や、子どもが将来の夢を見つけたり、大人の節目を祝う場にも。

ひとつのメーカーの挑戦が生んだ新しい工場見学のかたち。その熱気はぜひ、現場で体感してみてくださいね。

文:石原藍
写真:浅見杳太郎

<取材協力>
株式会社能作
富山県高岡市オフィスパーク8-1
www.nousaku.co.jp

*こちらは、2019年3月15日の記事を再編集して公開しました。ものづくりの現場を間近に感じられる工場見学は、旅の思い出づくりにもおすすめです!

いま大牟田が面白い。「IN THE PAST」で感じた、魅力的な街に必要なもの

人は「そこでしかできない体験」を求めて旅をする。

たとえば、ローカルショップでの買い物やその土地の食材をを楽しむ食事。豊かな自然や歴史ある文化遺産巡り。

でも、それは本当に「そこでしかできない」ことなのだろうか。

各地の郷土料理を出す店は東京にもあるし、土地ならではの特産品はネット上で簡単に買える。

その場所でしか買えない、食べられない、見られないものは、どんどん少なくなっている。もちろん、どんな場所に住んでいても欲しいものが入手できたりするわけで、それ自体悪いことではない。ただ少し、世界が狭くなってしまったような寂しさを覚えてしまう。

そんな折、取材で訪れた福岡県の大牟田という街で、旅に出ること、ある場所に「もの」や「人」が集うことの価値や可能性を再認識する機会に恵まれた。

“食”を扱う「PERMANENT」と、“もの”を扱う「みんげい おくむら」

「僕がここで展示会をやりたいと思えたのは、定松さん夫妻のやってきた『PERMANENT(パーマネント)』が前提にあったからなんです」

そう話すのは、世界中の民藝や手仕事の器、生活道具などを扱うwebショップ「みんげい おくむら」の店主、奥村忍さん。今年8月、大牟田市内で企画展「民藝奥村“Unknown”展」を開催した。

in the past

会場となったのは、2017年に誕生したばかりの多目的スタジオ「IN THE PAST(イン ザ パスト)」。リトルプレス「PERMANENT」の発行などをおこなうグラフィックデザイン事務所「THIS DESIGN」の定松伸治さん、千歌さん夫妻が運営する空間だ。

基本的には「THIS DESIGN」のオフィス兼お二人の自宅でありつつ、今回のような企画展やポップアップストア、トークショーなどのイベントも開催している。

「PERMANENTは、“食”が取り上げられている雑誌で、とても興味深く読んでいました。一方で僕は食の周辺にある“もの”を集める活動をしている。

たとえば『PERMANENT』を読んでいる方が会場に来た時に、その考えが増幅されるような展示にしたいなと思いました」

おくむらさん
奥村忍さん

「PERMANENT」は、“つくる、たべる、かんがえる”を掲げる季刊誌。生きる上で最も根源的な営みの一つである「食べること」について考え、発信する媒体として、丁寧な取材に基づいた記事で構成されている。

リトルプレス「PERMANENT」
リトルプレス「PERMANENT」

同紙のステイトメントには、“「食べること」への認識を肥やす”とある。すぐに答えを出すのではなく、考え続け、肥やしていく姿勢が印象的だ。

養鶏場での鶏捌きの生々しいレポートや、子連れで入れるレストランがなぜ少ないのかといった社会的課題への取り組みなど、様々なテーマに真摯に向き合う。読者も自分の頭で考え、肥やすことが求められるが、そこには前向きに行動するヒントが散りばめられていて、背筋が伸びる。

「用」がないものを集めた“Unknown”な品々

そんな「PERMANENT」を通じた定松さん夫妻の活動が前提にある今回の展示。

「いろんな意味で、ほかの展示会ではやらないことをやっています。特に用途がないものを持ってきたりとか。

『用』がないものってやっぱりあるわけなんです。『用』はないけれど、家に置いておきたくなるような、ただ、美しいもの。

暮らしの中で『用』があるものだけになるとちょっと窮屈に感じる部分もあって、それを和らげてくれる気もします。

そういった観点で、いつもより枠を広げて持ってきました」

in the past

定松さんは今回の展示会について、告知の中で以下のように説明している。

表題の「Unkown」は不明、不詳、名も無い…という意。また、「Unkown」には、日本語の「安穏(あんのん)」という〝音〟が隠れていると考えました。安穏とは〝…心静かに落ち着いていること。また、そのさま。平穏無事…〟これも今回の企画展のテーマであり、今の時代、重要なキーワードだと思います。作者や年代が不詳なもの。用途が不明なもの。だけど、ただただ美しい…。そういう『もの』を観ることで、『もの』の価値や、『もの』の本質の在り処を探して頂きたい。

何か答えを提示するのではなく、「もの」の本質の在り処を探して欲しいとする姿勢。「PERMANENT」にあった“認識を肥やす”という言葉がここにも通ずる。

サダマツシンジさん
定松伸治さん

「奥村さんが言っていたように、『PERMANENT』は“食”なんです。

暮らしを構成する衣食住をどう扱おうかと考えたときに、その中で本当に無理なく続けていける“食”が残りました。

でも、それだけを大事にしているわけじゃなくて、暮らしにまつわる他のことも付随してきます。

考え方のベースは『PERMANENT』に置きつつ、そこではできないことを、『IN THE PAST』でできれば」

と千歌さんは話す。

定松千歌さん
定松千歌さん

「IN THE PAST」は、“過去には”という意味を持つ。

定松さんたちは「過去」を、様々な“出来事と経験”が集積した時間と捉える。その「過去」を現在に呼び出し、“出来事と経験”を集った人たちとともに“肥やす”。そんな時間をこの場所で持ちたいという。

 in the past
「IN THE PAST」とはどのような場所なのか

そこに今回展示された「用」にしばられない「もの」たち。

たとえば何に使うのか分からないハンマーのような「もの」は、「PERMANENT」を通じて暮らしを真剣に考えている人たちの目に、どんな風にうつるのか。

in the past

「食べること」や暮らしについて普段から考えている人たちだからこそ、肩の力を抜いて「用」のないものたちを楽しめるのかもしれない。

実際に手に取り、定松さんたちと話したり、奥村さんから直接説明を聞いたりすると、Webで情報を見るだけでは得られない、体感に紐づいた知識の習得もできる。

様々な文脈を持った「もの」や「人」が「IN THE PAST」に集まり、「そこでしかできない」経験がうまれ、肥やされていく。

in the past

なぜ大牟田なのか

大牟田に人々が集える場所をつくった定松さん夫妻。

二人はもともと福岡市内で活動していたが、やがて、千歌さんの故郷でもある大牟田にやってきた。「IN THE PAST」の建物自体も、実は千歌さんのご両親がかつて調理器具の専門店と生活雑貨店を営んでいた場所だ。

ルーツがある。それもひとつの判断材料になった。加えて、二人のやりたいことを実現できる環境を探した結果、たどり着いたのがこの場所だった。

in the past
商店街入り口、白い扉の建物に「IN THE PAST」は入っている

千歌さん曰く、アクセスがしやすい場所であることが、大牟田の持つポテンシャルのひとつなんだとか。

「福岡や熊本の中心部に電車一本で行けるし、佐賀空港も使えるし、バスも出ている。意外と交通の便がいいと気づいたんです。

自分が外に出やすいということは、人も来やすいってことかなと思って、サダマツに相談したら『確かにね』って」

人口でみると福岡市の10分の1にも満たない大牟田市だが、実は人の行き来が起こりやすく、福岡や熊本へ1時間程度で出られるため、ベッドタウンとしての可能性も秘めている。

変わりゆく大牟田の街

「IN THE PAST」のようなパブリックな特性も持った場所を運営していると、いわゆる「地方創生、まちづくり」といった文脈の相談もやってくる。筆者も、ローカルで活動している人たちに話を聞くとき、そういった質問をしてしまうことが多い。

しかし定松さん夫妻はそういった考えはまったく持たず、あくまで自然体だ。

「まちづくりとか、考えてはないですね。自分たちが住む街で、いかに二人で楽しく過ごすか。それだけです」と、千歌さん。

「やりたいことがある人たちが街に来て、やりたいことをやって、元気に過ごす。そのうちに色々とコミュニティができて、気づいたら10年後、街ができていた。

それが、持続するまちづくりだと思うんです」

やりたいことの実現がまず最初にあるので、たとえこの場所が福岡であってもどこであっても、基本的には変わらない。我が道を行く二人ではあるが、「IN THE PAST」ができる少し前から、大牟田の街自体も少しずつ変わってきていたという。

「それまでも、近くの窯元との付き合いがあってこの辺りには来ていたんですが、寄りたいと思える場所があまりなくて、滞在せずに通りすぎてしまう街でした。

取引先の窯元のご実家が元々やっていた『博多屋』というビアガーデンがあって、そこは本当に素晴らしい場所なんだけど、夏しかやっていないし。

そんな中、美味しいイタリアンのお店『nido(ニド)』がオープンし、その後、同じ並びに『IN THE PAST』もできた。

『nido』が食材を仕入れている生産者さんたちと、たまたま定松さんたちも『PERMANENT』で繋がっていたりして、俄然面白くなってきました」

と、奥村さん。

大牟田駅の近くには、「taramu(タラム)」というモーニングも提供するユニークな本屋さんができて、朝の時間を有意義に過ごせるようにもなったのだとか。

taramu
大牟田駅近くにある「taramu books & cafe」。本・雑貨の販売に、カフェスペースも併設されている

「『nido』の食材にしても、『taramu』で朝出てくるローカル新聞(有明新報)にしても、ほかの街では体験できないことなんです」

taramu
taramuで本棚を物色する奥村さん

「本当に(大牟田は)変わったと思う。Facebookとか、SNSの影響も大きいです」と、定松さんも話す。

情報格差が薄まって、東京が文化の発信地だと特に意識しない世代が増えてきたとも感じている。SNSの情報が思いがけず拡散し、それを見た人が足を運ぶ。

千歌さんは、「Webですべて見れてしまう、完結してしまう場合もあると思います。でも、今回の奥村さんの商品とか、やっぱり直接見るとより感じる部分があるし、在廊してもらって直接お客さんに説明しているのを聞いていて『へー』っていう面白さはすごくある。

そこまでの経験をSNSではなかなか伝えられないんじゃないかな」と、リアルな場所で「もの」や「人」と接する意義を実感している。

in the past

意識はするが、依存はしない。ゆるやかな共存

大牟田に来てからの2年間、実感としてはどうだったのか。

「『PERMANENT』をやっていたから、たとえば『nido』の人たちと距離が縮まるのも早かった。生産者さんのところに一緒に行ったりとか、好きなワインも似ているので分けてもらったりとか(笑)。

他にも面白い人たちが点在していて、ラッキーでしたね。

あとは、今回のような展示会をやると福岡からも友達が来てくれるし、僕たちはあまり大牟田から出なくなりました。人に来てもらえるのかどうかは、ずっと続く課題ですけど、今は上手くバランスがとれているような気がします」

と、定松さん。

in the past
「時々可否」と銘打たれた期間限定のカフェもオープン。定松さんが自ら焙煎し、淹れてくれるコーヒーはとにかく飲みやすく美味しいの一言

「nidoの田中くんも、taramuの村田さんも、博多屋のるいさん(※奥村さんの取引先でもある、小代焼 瑞穂窯の福田るいさん)も、みんな切磋琢磨してるとは思うけど、依存しあっているわけではなくて。

世代もばらばらで幅があるけど仲が良く、でも、べたべたしているわけじゃない。ちょうど良い感じで、ゆるやかに共存しているんだと思います」

in the past

街から街を訪ね、新たな“出来事と経験”を運ぶ奥村さん。“出来事と経験”を共有し、肥やす場をつくった定松さん夫妻。

運ぶことと肥やすこと。この循環が心地よい空間を生み、街自体の魅力にもつながっている。

東京に戻ってからも、千歌さんが言う「ゆるやかな共存」がしばらく頭から離れなかった。すぐにでもまた大牟田に行きたい。

それは、「博多屋」のハーフ&ハーフビールがあまりに美味しかったからか。それとも食べ逃した「taramu」のモーニングが気になっているからか。いつの間にか自分も「ゆるやかな共存」の輪の中に入ったような、そんな気分になっているからなのかもしれない。

<取材協力>
「IN THE PAST」
https://inthepast.jp/
「みんげい おくむら」
http://www.mingei-okumura.com/

文:白石雄太
写真:中村ナリコ

3年待ちのパン屋「HIYORI BROT」に全国から食材が集まる理由

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)の周辺の景色

リクルート社員からパン職人に

兵庫県丹波市の山間に、周囲を水田に囲まれた小さなパン工房がある。そこには、日本全国から個性的な食材が届く。

ある日は、青森のリンゴ農家さんが作ったライ麦。またある日は、八ヶ岳の標高1000メートルの畑で獲れた無農薬栽培の巨大なビーツ。つい最近は、台風で停電になり、冷蔵庫が使えなくなった千葉の農家から、ニンジン10キロ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)へ千葉から届いた人参
千葉から届いた人参

頭をひねり、あの手この手で、これらの食材を使ったパンを創作するのは、塚本久美さん。2016年、丹波市に通販専門のパン屋「HIYORI BROT(ヒヨリブロート)」を立ち上げた、パン職人だ。ちなみに、現在はパンの注文ができない。すでにこの先3年分の注文で埋まっている大人気店なのである。

それにしても、なぜ、塚本さんのところに食材が集まってくるのか? あるいは、集めているのか? これは「パン作りは、材料ありき」「パンはひとつのメディア」と話す、ちょっと変わったパン屋さんの物語である。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん
HIYORI BROT 塚本久美さん

塚本さんの歩みは、ユニークだ。明治大学卒業後の2005年、リクルートに入社。そこでは、転職情報誌の商品企画をしていた。企業が求人広告を出したくなる、人を採用できそうな企画を考えるのが仕事だった。

ハードワークだったが、土日はこっそりパン屋さんで、販売のアルバイトをした。学生時代のパンを愛する友人と一緒にパン屋巡りをしているうちに、パンの表現の幅広さと、それを作るパン職人の仕事に興味を持ち、「私もパン職人になりたい」と思ってのことだった。

小学生の頃からNHKの番組『手仕事にっぽん』が好きだったというから、もともと職人気質だったのかもしれない。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

カリスマシェフのもとで修業

リクルートを3年で辞めた塚本さんは、縁あって東京の世田谷区にあるパン屋「シニフィアン シニフィエ」で修業を始めた。このお店のオーナーは、志賀勝栄シェフ。今日のパンブームの先駆け的存在で、パン業界では知らぬ人のいない、カリスマ職人だ。

師匠のパン作りへの姿勢が、塚本さんの原点になっている。志賀シェフは、常に新しいパンを構想していて、様々な食材を試していた。そのアイデアを形にするのが、現場の職人の仕事。塚本さんも、志賀シェフの自由な発想に翻弄されながら、見たことも聞いたこともないパンを作る日々を楽しんだ。

ちなみに、パンは焼き立てが一番!という印象があるなかで、塚本さんが通販専門という道を選んだのも、志賀シェフのもとで修業を積んだからこその決断だった。

師匠は、パンを急速冷凍させることで焼き立ての風味や食感を失わない手法を使い、取引先に冷凍パンを卸していた。そのパンは、店頭に置かれてしばらくすると劣化するパンよりも、明らかに風味が豊かで美味しかった。塚本さんは、「この方法なら店舗は必要ないし、結婚しても、出産しても、子育てしながらでも続けられる!」と閃いたのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)のパン

もうひとつ、現在の塚本さんのパン作りを方向づけたのは、ドイツでの出会いだった。2011年、師匠から1カ月の休みをもらった塚本さんは、ベルリンを目指した。そこには、学生時代に友人とドイツを旅行した際、一度だけ訪ねたことがあるパン屋さんがあった。

「石臼で小麦を挽いているのを初めて見て、衝撃を受けたんです。今は日本でも石臼で挽いているパン屋さんが少しずつ増えていますけど、当時は日本で見たことがなかったから。しかも、すっごくおいしかったんですよ」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん
塚本さんの工房にも石臼があった

ドイツでの衝撃

社会人になってからもこのパン屋さんのことが忘れられなかった塚本さんは、いつしか、ここで修業がしたいと思うようになった。そこで、ベルリンに向かう前に問い合わせのメールをしたものの、返信がない。そこで、アポなしでお店に飛び込んだ。

「この街に一カ月いる予定だから、働かせてくれませんか?」

そのパン屋さんも、驚いたことだろう。ドイツ語もままならない、日本人女性がいきなり働かせてほしいと訪ねてきたのだから。実際問題、労働ビザがなければ就労は不可能なのだが、突撃訪問に並々ならぬやる気を感じたのか、3日間の見学が許された。

そのパン屋さんは、ドイツのオーガニック認証「デメター」の最も厳しい基準をクリアしていた。食器を洗う洗剤でさえ、科学的なものは使えないというハードルの高い認証だ。使う小麦もすべて無農薬、無化学肥料で、天体の運行などによって種を播く時期や収穫時期を決めるバイオダイナミック農法で作られているものに限られていた。

近くの農家から直接仕入れた小麦は、製粉されたものではなく、袋詰めされた麦粒が届く。それを石臼で挽いて粉にする。無農薬栽培なので、袋のなかには虫が紛れ込んでいる。それが飛ぶと、巨大な掃除機で吸い込んでいく。「シニフィアン シニフィエ」でもいわゆる「小麦粉」しか使ったことのなかった塚本さんにとって、すべてが新鮮だった。

後日、ほかのパン屋さんの経営者と雑談をしている時に、日本のパンはなんでそんなに高いの? と聞かれた。「日本は、麦を作るのはあまり適さなくて、材料のほとんどを輸入に頼ってるから」と答えると、驚いた経営者はこう言った。

「うちは、だいたい50キロ圏内で取れたもので作ってると思うよ。みんな知ってる農家のものだし。だって、誰が作ったからわからないものを使うのは、怖いじゃない」

塚本さんの胸には、この言葉がずっと残り続けた。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)の工房

石見銀山での発見

それから少し時が流れ、「シニフィアン シニフィエ」を辞めて、独立に動き始めた2015年。島根県の石見銀山にあるパン屋さんのオープンに合わせて、3カ月ほど手伝いに行った。その間に、塚本さんあての食材が届くようになった。きっかけは、島根に出向く前に会った、蕎麦屋の友人との会話だった。

「久美ちゃんちょっとさ、この小麦、使ってみてくんない?」

「え?」

「うちで使っている蕎麦の農家さんが裏作で小麦を作ってるんだけど、売り先がないのよ。農協に卸すとびっくりするぐらいの安値でしか買ってもらえなくて、牛の餌になるのが関の山じゃないかって気がするの。けっこう真面目に作ってるのにそれは寂しいから、パン焼いてみて」

はい、とおもむろに渡された小麦を持ち帰った塚本さんは、それでパンを作ってみた。それが思いのほかおいしく、「開業した際にはぜひ使わせて欲しいです!」と連絡をしたところ、その農家さんもよほど嬉しかったのか、手伝い先に小麦を送ってきたのだ。その小包のなかには、小麦を作っている畑のちかくになっていたという柚子も入っていた。

そこで、今度は柚子を使ったパンを作り、友人に送り返した。それにまた大喜びした農家さんは、次に近所中から集めて、たくさんの柚子を送ってきた。手伝い先のシェフも面白がって、一緒に小麦や柚子を使ったパンを焼いた。その時に、ふとドイツでの出来事を思い出した。

「あ、ドイツのおじちゃんが言ってたあの言葉って、こういう感覚かな?」

この時、塚本さんは心に決めた。

「なるべく顔が見える生産者さんのものを使おう!」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本さんのところに届いたブルーベリー
近所の農家さんのブルーベリーをドライに

値段交渉はしない

2016年10月、ヒヨリブロートがオープンすると、塚本さんは小麦からパンに使う食材まで、できる限り、知り合いが作ったものを仕入れるようにした。それをフェイスブックやインスタグラムで発信すると、そのうちに別の生産者から「これ使ってみてくれない?」と連絡が来るようになった。

塚本さんと生産者とのつながりは、友人知人からの紹介がほとんどで、だいたいは、メインで育てているものとは別に、趣味で、あるいは実験的にユニークな作物をこじんまりと作っている人が多かった。ただ、せっかく作ったはいいけど、売り先も使ってくれる人もいないという場合がほとんどだった。

「私に連絡をくれるのは、他の作物をしっかり作っている人が多いんです。だからポイントをつかんでいるんだと思うんですけど、たいがいすごく美味しいんですよ。それに、パン屋の中でもうちが作っている量は少ないので、少量でちょうどいいんですよね」

食材の仕入れに関して、塚本さんにはひとつルールがある。一度テストしてみて、おいしい、もっと欲しいと思った時に、安くしてほしいという交渉はしないということだ。質の高いものは、それに見合った価格で買い取る。その素材を使ってパンを作り、発信することで、生産者側の意識も変わっていった。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

冒頭に記した、青森のリンゴ農家さんは「遊びでライ麦を植えてみたんだけど」と、最初に獲れた10キロを送ってきた。国産のライ麦は少ないうえに、届いたライ麦でパンを作るとおいしかった。

その感想を伝えて、「次はきちんと購入します」と言ったところ、そのリンゴ農家さんは「買ってくれるんだったら、真面目にやるわ」と作付面積を増やしたそうだ。塚本さんがSNSでこのライ麦を紹介したところ、欲しいという人も現れて、今では塚本さんの友人も購入している。

実験の日々

時には、どうやって使えばいいんだろう? と頭を悩ませる作物も届く。しかしもともと好奇心旺盛で、志賀シェフのもとで7年間修業した塚本さんにとって、むしろ、望むところである。

例えば、八ヶ岳から届いた、無農薬栽培のビーツ。鮮やかな赤紫色が特徴の野菜で、恐らく、パンの素材として使われているのを目にしたことがある人は少ないだろう。塚本さんは、これもしっかりパンにした。

「窯で皮ごと包んで焼いて、それを生地に練り込んでみたら、すごい色になりました。ビーツは砂糖大根の一種なので、甘みがあるんですよ。だから砂糖を入れないで作ったんですけど、すごく美味しくできました」

ほかにも、ヒヨリブロートの工房には普通のパン屋さんでは見ないような食材がたくさん保管されている。

岡山にある気鋭のワイナリー「ドメーヌテッタ」から送られてきた摘果ブドウは、冷蔵庫で冷やされていた。朝イチで近所の農家さんから受け取ってきたというブルーベリーもあったし、無農薬栽培のミカンの皮、いわゆる陳皮も干されていた。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)にあった「ドメーヌテッタ」のブドウ

これらを使ってどんなパンを作るのか、工房では、日々、実験が行われているのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)のパンに使われる陳皮
HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

参加型パン屋さん

実験だから、失敗することもある。麹を入れた食パンを作った時には、数日後、耳以外の部分、あの白くてふわふわしたところが溶け落ちるという事態に直面した。

塚本さんは原因がわからず、起きたことありのままをフェイスブックに投稿した。すると、ヒヨリブロートのファンのなかで、麹に詳しい人たちがどんどんコメントを寄せ始めて、ヒヨリブロートのコメント欄は麹の謎についての意見交換会の様相を呈した。

「あれは面白かったですね。私はぜんぶ理解できたわけじゃないけど、味噌麹の熱耐性はすごいなということは覚えておきます(笑)。私は、誰かの役に立つかもしれないし、と思っていつも失敗をオープンにするんですが、そうするとみんなの知恵が集まるんですよね。うちは店舗がないから、フェイスブックページが店舗みたいな感じで、すごく、うまく使わしてもらっている気がします」

ここで、「なるほどそういうことね」で終わらないのが塚本さん。なんと、溶けた食パンを買った人たち全員に連絡を取り、どう保存していたのか、溶けたのか、溶けなかったのか、ヒアリング。さらに、日本酒麹に変えた食パンを送って、全員から溶けていないかどうか、毎日、報告をもらったそうだ。

「全員に実験に参加してもらう感じで、『うちのは今日も大丈夫です』みたいに連絡を取り合いました。そうやって協力してもらいながら、麹を入れた食パンを完成させました」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

もし、僕が自分で購入したパンが溶け落ちて食べられなくなったら、一言クレームを入れたくなる。しかし、そのパンを作った職人さんから原因を探りたいと直接連絡が来て、改善するための実験に巻き込まれると、いつの間にか「一緒に答えを探そう」という気持ちに変わる気がする。そして気づけば、塚本さんのファンになっているのだろう。

ヒヨリブロートを真似してほしい

今や、ヒヨリブロートのSNSは、影響力を持ち始めている。ある日、佐賀のチーズ屋さんがホエーを使って作ったチーズをSNSにアップした。ホエーとはチーズやバターを作る段階に出る液体で、通常だと廃棄されるもので、その試みと美味しさに感嘆しての投稿だった。すると、そのチーズの生産者のもとに続々と注文が入ったという。

その逆のパターンもある。例えば、台風が来ると、生産者は事前に作物を収穫する。台風による被害を避けるためなのだが、そうすると、市場に野菜が溢れかえり、引き取ってもらえなくなる。野菜の鮮度は落ちていく一方だから、最終的には二束三文で買いたたかれるか、廃棄処分をすることになる。

そこで、台風が来ると、塚本さんは予め「うちが定価で引き取ります」とSNSに投稿する。それを見た生産者が、市場に持っていけない作物を塚本さんのもとまで届けに来る。塚本さんはそれを適正価格で買い取り、乾燥させたり、漬け込んだり、ソースにして保存する。ヒヨリブロートは、丹波近隣の小さな経済圏のひとつの中枢になっているのだ。

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

「今って、大きいサイクルより、小さなサイクルがいっぱい、いろいろなとこにあるほうが良いような気がしていて。だから、私がやることを真似してくれる人がどんどん出てきて、ライバル店がいっぱいできたらいいなぁと思うんです。

私は丹波の物を使う機会が多いけど、各地にできたら、それぞれの地元の食材を引き受けられるじゃないですか」

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

今、塚本さんのような活動をしているパン職人はほかにいないだろう。しかし、少しずつでも増えていけば、それだけ日の目を見る食材も多くなる。

未来のパン職人は、地元の生産者と二人三脚になり、いずれは、ドイツのように50キロ圏内で取れた食材だけを使うパン屋さんが生まれるかもしれない。その小さな経済圏のなかでもずっと、塚本さんは実験を繰り返しているのだろう。

HIYORI BROT(ヒヨリ ブロート)

HIYORI BROT(ヒヨリブロート)塚本久美さん

兵庫県丹波市氷上町
HP:http://hiyoribrot.com/

文:川内イオ
写真:木村正史