旅先で出会う風景や街並み。
いつもとちょっと目線を変えると見えてくるものがあります。
たとえば、壁。
土壁、塗壁、漆喰、石壁、板壁。
あらゆる壁には、その土地に合った素材、職人の技、刻まれた歴史を見ることができます。
何も言わず、どっしりと構えている「壁」ですが、その土地の歴史をしずかに物語っているのです。
いざ、さんちの「壁」に目を向けてみるとしましょう。
今回のテーマは、京都の「竹垣」
お寺の庭園や店先など、京都の景観に欠かせない「竹垣」
竹は、筍を食べるだけでなく、縄文時代から建築資材、農具や猟具、調理器具などの道具として使われてきた日本人の生活には欠かせない植物です。
竹の産地でもある京都では、古くから竹の文化が発達してきました。
その竹垣の歴史や見所について、京都を中心に全国で活躍する造園家、猪鼻一帆さんにご案内いただきました。
猪鼻一帆(いのはな かずほ)さん ・いのはな夢創園 代表 ・1980年京都生まれ
高校卒業後、熊本県在住の庭師・中野和文に造園学、自然学を学ぶため弟子入り。京都に帰り、父であり師である猪鼻昌司と共に「いのはな夢創園」で庭創りを始める。2014年「ハウステンボス ガーデニングワールドカップ」金賞、最優秀施工賞、ピープルズ・チョイス賞受賞。2016年「シンガポール ガーデニンフェスティバル」金賞受賞
京都の竹がなかったら電気はなかったかもしれない
京都の街中でよく目にする雨除けの「駒寄せ」も竹垣の一種
「実はエジソンが電球の発明に使ったのも、京都の竹なんですよ」
様々な材料で長持ちする電球を研究したエジソンは、日本製の扇子の骨(竹)が最適であることを発見。数々の竹を試した中、京都の男山周辺の真竹が1000時間以上も光り続けたことから、長く京都の竹が使われていたそうです。
京都の竹がなければ電気はなかった、と言っても過言ではないかもしれません。
竹垣のスタンダード、建仁寺垣
最初に案内していただいたのは東山区にある「建仁寺(けんにんじ)」です。
竹垣には「銀閣寺垣」「金閣寺垣」「龍安寺垣」など、京都のお寺の名前がついたものが多くありますが、「建仁寺垣」もそのひとつ。
建仁寺で最初に造られたためその名がついたと言われていますが、はっきりしたことはわかっていないそうです。
花見小路通から門を入ったすぐのところに竹垣を発見。
「これが建仁寺垣です。竹垣といえば、建仁寺垣を思い浮かべるほどスタンダードなものですね」
四つ割りの竹が縦に並び、横に4段組まれたものを押縁(おしぶち)、上部の竹を玉縁(たまぶち)と呼ぶ
お店の入り口などでもよく見かける竹垣です。
「横ラインの竹が等間隔に付いていますが、一番上だけ間隔が広くなっています。こうすることによって、力が上にすっと抜けるようになってるんです」
力が抜けるようにとは?
「竹垣を軽く見せるというのかな。押縁をただただ均等に割り付けてしまうと、すごく不細工になってしまうので」
微妙な工夫が美しさを生む。竹垣、なんとも奥深そうです。
庶民の生活の中で洗練されていった竹垣
建仁寺の本坊を入り、庭園を歩いていくと、茶室「東陽坊」の茶庭にも建仁寺垣を見ることができます。
「建仁寺垣は、一般的には外から中が見えないようにする遮蔽垣(しゃへいがき)として使われていますが、茶庭の中ではパーテーションのようにも使われています」
屏風のような役割ですね。
とてもシンプルな形の竹垣。なぜこれがスタンダードになったのでしょうか。
「建仁寺垣は、“土壁”に代わるものだと考えています。
土壁は構造的にある程度の幅がないと造れませんが、建仁寺垣は薄いので幅を取りません。土地の狭い京都では、土壁よりも建仁寺垣の方が家と家の間を仕切るのに重宝したんだと思います」
京都には材料となる竹も多く、土壁よりも簡単に安く造ることができたこともあり、建仁寺垣が一般的になっていったようです。
「庶民の生活の中で洗練されていった竹垣と言ってもいいかもしれませんね」
武家屋敷では、武器になった
東陽坊の茶庭には、他にも竹垣を見ることができます。
「これは四ツ目垣(よつめがき)。ごく簡単な竹垣ですが、竹の長さが刀と同じくらいの長さになっています」
「昔、武家屋敷では、敵が攻めてきたときにすぐに戦えるよう、竹垣には武器としての用途も備えてありました」
なんと、竹垣が武器にもなったとは驚きです。
「四ツ目垣は、“かいづる”という結び方で縄を結びます。それは縄を切りやすい結び方なので、竹垣の竹をパッと手にとって戦える。竹垣一つとっても、もともとの始まりを知ると、もうひとつ庭が面白くなります」
これからは竹垣を見るたびに時代劇の戦いのシーンを思い浮かべて、ニマニマしてしまいそうです。
東陽坊の入り口にある鉄砲垣。昔、戦さ場で鉄砲を立てかけていた形からその名がついたと言われている
造園屋の呪文?木七竹八塀十郎
竹垣に使うのは日本原産の「真竹(まだけ)」。真っ直ぐ伸びて節間が長く、肉厚が薄く、丈夫で腐りにくいことなどから竹垣に向いているといいます。
「竹垣は真っ直ぐな方が使いやすい。そうすると山で育った竹よりも川の側に生えている川竹がいい。でも、丈夫なのは山の竹なので、用途によって使い分けています。竹の割り方も、使う場所によって変わります」
同じ真竹でも生えている場所でずいぶん違うんですね。
「竹を切る時期、何時の材料を使うかというのも大事です。“木七竹八塀十郎(きしちたけはちへいじゅうろう)”と言って、木は旧暦の7月、竹は8月が最適で、壁は10月に塗るのがよいとされています」
壁とは土塀のことで、空気が乾燥した十月に土を塗ると長持ちすると言われているそうです。
「竹垣は青竹で作ります。青竹が次第に黄色くなって、その後白くなって、皮がむけて茶色くなる。それを磨くと赤黒くなる。名古屋の方では磨くのがよしとされていますが、京都では朽ちて変化するのをよしとするところがありますね」
建仁寺近くにあるお寺の塀。朽ちた竹の色が味わい深い
竹垣の歴史を変えた、光悦寺垣
日本において、竹垣は奈良時代、平安時代の頃より造られていましたが、かつては柵としての要素が強いものでした。竹垣が発達してきたのは安土桃山時代の頃だと言います。
発達した竹垣を見に続いて向かったのは、北区鷹峯にある光悦寺(こうえつじ)。
光悦寺
江戸初期に当時活躍していた文化人・本阿弥光悦が築いた工芸集落のあった場所で、光悦の墓碑があるお寺です。
ここに、「光悦寺垣」があります。
「光悦寺垣は、竹垣の中でもちょっと珍しい形なんです」
光悦寺垣。光悦垣、また牛が寝ている姿に似ていることから臥牛垣(がぎゅうがき)とも呼ばれる
おぉー、これはカッコイイ!なんとも美しく、凛々しい竹垣です。
「これは竹垣を柵としてだけではなく、柵をすることによって、むこう側の景色をよりよく見せる透かし垣(すかしがき)です」
「垣の奥を見せんでもいいんだけども、あえて透かして見せることで、奥の景色が変わって見える。隠さないことで空間がすごく広く見えるのも光悦寺垣の面白いところですね。隠してしまうとそこで景色が止まってしまうので」
誰がデザインを考えたのでしょうか?
「光悦が考えたと言われています。それまでの竹垣にはなかった曲線が特徴です」
曲線を作るため、割竹を2枚合わせた格子組みにし、上の部分は太い竹ではなく、小割りにした竹が束ねられています(いる)
上部は縄のところで竹を継いでいる。継ぎ目が見えないのでまるで1本の竹からできているような不思議な感じがする
「直線でしか表せなかったものが、竹を割ることによってしならせることができ、格子にすることでそのアールについていけるようになる。竹をもっと細くすればもっと丸められたり、いろんな形に曲げられます」
光悦寺垣は竹の可能性、竹垣の可能性を広げたと言います。
「竹垣に武器や防御の用途だけでなく、デザインを取り入れ、新たな魅力を生み出した。光悦寺垣は竹垣の歴史の中のひとつのターニングポイントですね」
竹垣そのものも美しく、景色も美しく見せる竹垣。見れば見るほど面白いです。
終わりを見せないことで想像力を掻き立てる
それにしても、とても長い竹垣。どこまで続いてるのでしょうか?
「行ってみましょう」
歩いていくと竹垣がカーブを描きながら低くなっていきます。
全長18mほどある
あら?気づいたら景色が変わっていて、どこが最後だったのでしょう?
「終わりを見せないことで、イマジネーションをかきたてられます。どこで終わってんの?どこまで続いてんの?と想像させる、そこが光悦垣の面白さですね」
「高さをだんだん低くすることで他の草木が目に入り、景色も変わっていく。何かが発展していくような景色を作っています」
この辺りが最後。決して探してはいけません
枝折戸(しおりど)は職人の技の見せ所
光悦寺垣ができた頃から、美意識が優先されるようになってきたという竹垣。
見栄え良く飾り結び(男結び)で整える
節もきれいに並んでいると美しい。並び方でリズムを出す
京都で竹垣が発展した理由の一つには、茶の湯の文化があったからとも言われています。
竹垣は庭の風景を作り出すだけでなく、茶の湯の精神である仕切りの目的もあることから、茶庭に欠かせないものになっていきました。
これは茶庭の入り口にある竹の扉
「枝折戸(しおりど)です。竹垣を作るには、竹を切る、割る、裂く、曲げる、編むといった要素がありますが、枝折戸には全ての要素が含まれています」
ちいさな扉ですが、よく見ると細やかな細工を見ることができます
美しさのためには、しっかり作ることが大事だといいます。
「足元に節を持ってくると頑丈になったり、釘を打つ前にきれいにくり貫いておくと割れないとか、ノコ跡が見えないようにするとか。枝折戸を見れば、職人の腕前、力量がわかるし、庭の美しさもわかります」
扉一つにも美しさを求め、細工を施す。職人の心意気が感じられる扉です。
時代時代で自分なりの答えを乗せて造っていくのが庭
光悦寺垣がそれまでの竹垣のイメージを変えたように、今も新しい竹垣は造られているんでしょうか?
「もちろん。例えば、光悦寺垣のように、四ツ目垣でも高さをどんどん低くしていくものがあります。同じ高さにすると野暮ったいので、傾斜を付けてすっと力を抜く。庭が広がるというか、柔らかな印象になります。
これは昔からある技法ではなくて、昭和になって、京都の橋本春光園っていう造園屋の親方たちがはじめたものと伝えられています」
それが「いいね」となり、他の場所でも使われていく。自分たちが考えたものだから他は使うな、とはならないのでしょうか。
「なかなかないですね。流動的なものだし、技術といっても何かと何かの組み合わせでしかないから、オリジナルとは言い切れないし」
「ただ、真似する方はそれ以上のもの、さらに自分の色をつけなくちゃダメですね」
光悦寺垣をアレンジした猪鼻さん作の袖垣(そでがき)
そうやって技術が受け継がれ、発展してきた。
「僕たちが終わりでもないし、僕たちがやっていることを次の世代の人たちが自分なりの答えを乗せて造っていくのが庭」だと猪鼻さんは言います。
「庭は植物相手なので、この庭も最初に造った時のコンセプトとは違っているはずです。木も太くないし、通路も整備されていないし。だから、その時代時代で答えを出していく必要がありますね」
京都にはこの釘を作っている職人がまだ居るという誇り
これは茶室の窓の部分。ポイントは釘です。
“階折(かいおれ)”という名前の和釘。
今、普通の釘は落としたら拾う手間より新しく買う方が安いっていうくらいの値段だけど、和釘はほとんど作られてないので高価です。」
1本260円する釘もあるほど。昔の釘はいい鉄を使っているため、100年経っても叩けばまた使えるのだそう。神社仏閣など古い建物を修理復元する時などにも使われています。
階折釘
「今も和釘を使うところがありますが、それは施主のお寺さんの方が、“京都にはこの釘を作っている職人がまだ居る、あなたたちが文化を守っていってほしい”という想いを込めて使っていたりします。
竹垣も庭も、そうやってプレゼンする人がいないと残っていかない文化でもあります。僕たちはいろんな人たちに支えられてる業界なので」
来客を大切に思う気持ちを青い竹に込める
竹垣のスタンダード「建仁寺垣」、竹垣の歴史を変えた「光悦寺垣」。
竹垣にも様々な表現があることを知りました。
「今日みたのは竹の茎(竹稈)を使った竹垣でしたが、竹の枝を使う“穂垣(ほがき)”もあります」
穂垣は枝を1本、1本編んで作る、手間のかかるものなので、竹垣の中でも最上とされているそうです。
竹垣の最高級と言われる桂垣(穂垣の一種)を使った庭(猪鼻さん作)
ごく一部の紹介となりましたが、京都の竹垣、いかがでしたでしょうか。
猪鼻さん自身も竹垣を見にいくのは久しぶりだったそうです。
「改めて見て、とても面白かったです。造園家として駆け出しのころ見た景色と違って、沢山の納得がありました。10年後はまた全然違う景色に見えているかもしれません」
朽ちていく竹垣にこそ魅力があると言う猪鼻さん。
「竹垣は青竹で作りますが、青々としているのは長くて2カ月。夏場などは1週間で青みが抜けて白くなります。京都では四季が移ろうような美しさを朽ちていく竹垣に感じます。
だからこそ青い竹の竹垣を見るとより清潔に見え、朽ちた竹垣を見ると時間と刹那を感じるのだと思います」
京都ではまだまだ家の庭に竹垣があるところも多いそうです。
「例えば、娘の結婚相手のご両親が家に来られるとか、お茶の初釜、お正月とか、そんな時に竹垣は新しく青々としたものに変えられます。来客を大切に思う気持ちを青い竹に込める、来客も青い竹を見て歓迎の気持ちを汲み取る。竹を使うがゆえ生まれた、気持ちの手渡し方を感じて頂けると嬉しいです」
竹垣に見る京都ならではのおもてなしの心。
京都の旅がまたひとつ楽しくなりそうです。
<取材協力>いのはな 夢創園
文 : 坂田未希子 写真 : 太田未来子