見て、触れて、食べられる工芸品。金沢・ひがし茶屋街で金箔尽くしの旅

九谷焼や漆器と並び、金沢を代表する工芸、金箔。

金と微量の銀や銅などを混ぜ合わせ、薄さ1万分の1ミリほどまで打ち伸ばしたものです。国内で生産される金箔のうち、なんと99%は金沢産のものだといいます。

茶屋が軒を連ね、情緒溢れるひがし茶屋街には、金沢の中でも金箔をさまざまな形で楽しめるスポットがたくさん。仏像や仏壇といったイメージとはひと味違う金箔を探しに、ひがし茶屋街を歩いてみることにしましょう。

金沢・ひがし茶屋街
ひがし茶屋街の一角

金箔を制するには、金箔を知ることから

まずは、金箔のことを学べる金沢市立安江金箔工芸館へ。

金沢市立安江金箔工芸館
金沢市立安江金箔工芸館
金沢市立安江金箔工芸館
看板も金箔仕様

金箔職人であった故・安江孝明氏が「金箔職人の誇りとその証」を後世に残したいとの思いから、金箔にまつわる道具や美術品を収集して設立した同館。その後、市に寄贈され、国内で唯一の金箔の博物館となっています。

常設展示室に入ると、金箔が出来上がるまでのいくつもの細かい工程に驚かされます。

特に意外なのが、金箔づくりにおける和紙の存在。箔打ちの際に金箔1枚ずつの間に入れられる箔打ち紙の出来で、金箔の仕上がりも左右されるのだとか。そのため、この和紙の仕込みも箔職人が担います。

金沢市立安江金箔工芸館
金沢市立安江金箔工芸館

工程の解説や道具類の展示のほか、科学的な視点から金箔を紹介するコーナーも。

金箔をマイクロスコープで観察してみたり、光に透かすと金箔がどんな色になるのかを見てみたりなど、理科の授業のようで好奇心をくすぐられます。

金を取り入れて運気アップ

金箔の知識を深めたら、頭を使ったことですし、甘いもので糖分チャージしましょう。

元祖金箔ソフトクリームが食べられる「箔一」東山店へ。

箔一 東山店

店内には、金箔コスメや金箔コーヒー、工芸品など金箔を使ったさまざまな商品が並んでいます。

箔一 東山店

入ってすぐのカウンターでソフトクリームをオーダー。店員さんが慣れた手つきでサッと1枚の金箔をソフトクリームにのせていきます。

箔一の金箔ソフトクリーム

豪華なソフトクリームを目の前に、食べるのがもったいないと思いつつも、思い切って一口パクリ。金箔入りのスイーツやお酒はありますが、どれも金箔は細かいもの。約10cm角の金箔は、薄くて少し口に触れただけで唇にふわりとくっつきます。
お味はというと無味無臭。食材の味をそのまま楽しめるようです。

金箔は体内で吸収されることはなく、人体には影響はないそう。見た目の華やかさはもちろん、金を体内に取り入れることは縁起がよいことから、食されるようになったのだとか。

箔一では工芸品に金箔を自分で貼る「箔貼り体験」もできます。今回訪れた東山店から徒歩2分ほどの「かなざわ 美かざり あさの」、または箔一の「本店 箔巧館」で楽しめます。良い旅のお土産になりますね。

金の美しい輝きに眼福

さらなる運気アップを狙って、次にやってきたのが箔座ひかり藏。ここにはなんと、「黄金の蔵」があるんです。

築100年以上の茶屋建築を改装した風情漂う店舗の奥へと進むと、中庭に眩いばかりの金の土蔵が見えます。

箔座ひかり蔵の「黄金の蔵」外観
「黄金の蔵」は左官技能士・挾土秀平さんとのコラボレーションによるもの
箔座ひかり蔵の「黄金の蔵」の内側
蔵の内壁は、もともとの壁の土に沖縄の泥藍を合わせ、その上から金箔を押して仕上げたそう。外壁と見比べると、地によって金箔の表情が異なるのがよくわかります

薄さ1万分の1ミリの金箔を外壁、内壁合わせて約2万枚使用。15年ほど経つ今まで一度も手を入れることなく、その輝きは衰えていないというから驚きです。

箔座ひかり蔵の「黄金の蔵」
蔵の傍らには、こんな金色の石を発見。「金は金を呼ぶ」との言葉があるように、触ると金運アップのご利益があるとか、ないとか

職人の手技の素晴らしさを体感

運気を上げたところで、箔押体験に挑戦してみましょう。

ここ、箔座ひかり藏では、事前に予約をすれば箔押体験ができます(予約の受付は体験希望日の前日まで。定員になり次第受付終了)。

箸やミニ色紙など、数あるメニューの中から今回選んだのは、つつみ香。お香を包む紙に金箔を施します。

箔押し体験「つつみ香」のスタンプ
箔押し体験「つつみ香」
好きな柄のスタンプを選び、インクの代わりに糊をつけて紙に押します
箔押し体験「つつみ香」
その上に金箔をオン!思わず手は震え、吹き飛ばしてはいけないと息が止まってしまいます

金箔を無事にのせたら、上から綿でポンポンと押さえて、紙に金箔を定着させます。

ここからが箔押体験の一番の醍醐味。筆で優しく金箔を払っていくと…

箔押し体験「つつみ香」
模様が綺麗に浮き出てきました。細かい模様がしっかりと出てくるので、快感です
箔押し体験「つつみ香」
出来上がったものは、旅の記念としてお土産に

実際に金箔を扱ってみると、その繊細さに驚くと同時に、職人の技のすごさを改めて実感します。

そして、金箔と一口にいっても、金属の配合具合によって色味が異なることも意外と知られていないのでは? どれも同じ金色でないのも、金箔の奥深さを物語っているようです。

金箔一覧表

金箔とともに茶屋文化に触れる

箔押体験で集中力を使ったので、ひと休みしましょう。

せっかくひがし茶屋街に来たのだから、金沢の茶屋文化も垣間見たいところ。

というわけで、箔座ひかり藏の目の前にある懐華楼 (かいかろう) へ。

懐華楼は、ひがし茶屋街で最も大きな茶屋建築。夜は「一見さんお断り」であるものの、昼間は一般公開されています。

懐華楼

まずは、併設のカフェでリラックス。

囲炉裏のある間から、「木虫籠 (きむすこ) 」と呼ばれる茶屋建築特有の格子越しに外を眺めていると、時間の流れがゆっくりになったような気がするから不思議です。

懐華楼

こちらのカフェでいただけるのが、金箔を使ったくずきり。その名も「黄金くずきり」です。

懐華楼カフェの「黄金くずきり」

自家製黒蜜の上にピンと敷かれた金箔を崩してしまうのに躊躇してしまいますが、金箔が細かくなっても、花吹雪ならぬ金吹雪のようになって綺麗なのでご安心を。

懐華楼カフェの「黄金くずきり」
懐華楼カフェの「黄金くずきり」

カフェだけの利用も可能ですが、見学を申し込むと、茶屋建築の奥まで見て回ることができます。

懐華楼
朱塗りの階段は、輪島塗。芸妓さんと並んで階段を上がれるよう、幅広の造りとなっています
懐華楼
階段を上がると、大座敷・朱の間があります
懐華楼
その先には、群青の間。身分の高い人しか入れないお座敷だったそう
懐華楼
芸妓さんの控室

特にここでしか見られないのが、1階にある金箔畳の茶室。

懐華楼
茶釜にも水差しにも金箔が施されています

金色の畳は、金箔を巻いた水引をい草の代わりに使って織りあげたもの。何とも贅沢な茶室です。

懐華楼

いつもの暮らしに金箔を

金箔畳とまではいかなくとも、金箔を暮らしに取り入れたら、ちょっと贅沢な気分が味わえそう。そんな思いを胸に、引き続き、ひがし茶屋街を歩いていると、素敵なお店を見つけました。

箔座長町
箔座長町

箔座長町では、「箔と共にある、暮らし。GO WITH GOLD LEAF」をコンセプトに、現代のライフスタイルにもなじむ金箔を使ったアイテムを提案。どちらかというと伝統工芸や和のイメージが強い金箔ですが、こんな雑貨やアクセサリーなら取り入れやすそうです。

箔座長町
箔座長町

見て、食べて、触れて楽しめる金箔。これほど幅広い楽しみ方ができる工芸品は珍しいのではないでしょうか。今回取り上げた場所以外にも金沢にはたくさんの金箔スポットがあります。ぜひ金沢で思い思いの金箔巡りを楽しんでみてください。

<取材協力>

金沢市立安江金箔工芸館

http://www.kanazawa-museum.jp/kinpaku/



箔一

http://www.hakuichi.co.jp/



箔座

https://www.hakuza.co.jp/



懐華楼

http://www.kaikaro.jp/

文:岩本恵美

写真:金沢市立安江金箔工芸館提供、岩本恵美

京友禅の職人が作ったメガネ拭き ヒットの裏側。かわいい顔した、ほんまもん。

今、新たな京土産として注目を集めている、メガネ拭きをご存知ですか。

京友禅に携わる若き経営者4人が、会社を越えて立ち上げたブランド、SOO(ソマル)が手がけるメガネ拭きは、京都でしか手に入りません。その名も、「おふき」。

注目の京土産、京友禅のメガネ拭き「おふき」
注目の京土産、京友禅のメガネ拭き「おふき」

手のひらサイズのかわいらしい布には、京友禅を更に発展させていこうとする熱い想いが込められていました。

「おふき」誕生の経緯やこれからの取組みを、SOOの皆さんに伺います。

SOOの(左から)関谷さん、日根野さん、田辺さん、安藤さん。京都友禅協同組合・青年部のメンバーで立ち上げました
SOOの(左から)関谷さん、日根野さん、田辺さん、安藤さん。京都友禅青年会議所のメンバー4人で立ち上げました

京都を代表する工芸品、京友禅の今

京友禅は、国が指定する「経済産業大臣指定伝統的工芸品」の一つ。

真っ白な正絹の生地の上に、手描きや型を使って鮮やかな模様を染め上げていく京友禅は、図案の制作から仕上げまで20以上もの工程を必要とし、各工程はそれぞれ専門の職人が分業で進めていきます。

型を使って着物の柄を染める「型染め」の様子。型の上から染料をこすりつけるようにして染めていきます
型を使って着物の柄を染める「型染め」の様子。型の上から染料をこすりつけるようにして染めていきます
型を外すと、黄色の花柄があらわれました。これを一旦乾かした後、違う型を使って違う色の染料を重ねていきます
型を外すと、黄色の花柄があらわれました。これを一旦乾かした後、違う型を使って違う色の染料を重ねていきます
色ごとに何枚もの型を重ねて染めることで、色鮮やかな柄を作り上げる型友禅。型染めの後もいくつもの工程が続き、それぞれ専門の工房が分業で仕上げていきます
色ごとに何枚もの型を重ねて染めることで、色鮮やかな柄を作り上げる型友禅。型染めの後もいくつもの工程が続き、それぞれ専門の工房が分業で仕上げていきます

鮮やかな美しさで全国的にも名高い京友禅ですが、着物の流通量の減少にともなって需要は低下しています。

販売開始からわずか一年で、引く手あまたの人気商品に

京友禅の事業者による「京都友禅協同組合」の青年部、「京都友禅青年会議所」は、この状況を打破すべく、京友禅の技法を活かした商品の開発に長年取り組み続けてきました。

帽子や靴、皿など、様々な製品を試作したものの、いずれも商品化までは至らなかったそう。

そこで日根野さんら4人が立ち上げたのが、京友禅の新ブランド、SOO(ソマル)です。「染める」・「染屋」から連想した「そまる」を、染屋の屋号としてよく使われていた「一文字を丸(○)で囲んだロゴマーク」に置き換え、現代風にアレンジを加えて「SO(ソ)O(マル)」と名付けられました。

染屋の屋号をイメージした、「そ」を丸(○)で囲んだロゴマーク
染屋の屋号をイメージした、「そ」を丸(○)で囲んだロゴマーク

「京友禅を手軽に持って帰ってもらいたい」との思いから、SOO第一弾の商品として、京友禅のメガネ拭き「おふき」は誕生したのです。

「おふき」の柄はSOOの4人がそれぞれデザインしています
「おふき」の柄はSOOの4人がそれぞれデザインしています

「おふき」は2017年夏に百貨店のポップアップショップにて販売を開始。「京都のもの」というブランディングの一環で、ネット店舗を含め、京都市内以外では一切販売をおこなっていません。

本物の京友禅を1500円(税抜)という手軽な価格で購入でき、しかも京都市内でしか購入できない珍しさから、人気は徐々に高まっていきました。現在では京都市内30店舗で取扱われるまでに。

期間限定のポップアップショップから始まったSOO。今では京都以外の店からも問い合わせがくるほどの人気
期間限定のポップアップショップから始まったSOO。今では京都以外の店から問い合わせがくるほどの人気

京友禅というと高級なイメージがありますが、一体どうやって手頃な価格を実現しているのでしょうか。

「『おふき』だけを別に染めると、コストが掛かってしまいます。普段の仕事の延長線上での商品作りをコンセプトに、着物を染める工程からいかに外れずに作るかを考えました」

SOOメンバーの一人、安藤さんが経営する安藤染工へお邪魔し、「おふき」作りの様子を見学させていただきました。

ほんまもんの京友禅「おふき」が染められる工場へ

「『おふき』は、着物を染める各工程の職人さんに、普段と同じことをしてもらいながら作っています。

着物用の生地と一緒に『おふき』用の下地を染め、その生地を使っているのです。こうすることで価格も抑えられます。

小さくても、手頃な価格でも、着物と全く同じ材料・工程で作った『本物』を手にとってもらいたい、という思いでやっています」

たくさんの染料が並んでいます。理想の色に染め上がるよう、丁寧に色合わせをおこないます
たくさんの染料が並んでいます。理想の色に染め上がるよう、丁寧に色合わせをおこないます
色合わせをした染料は、米糠が主原料の「友禅糊」と混ぜ合わせて使います。蒸すと生地に染料が染み込み、定着します。染め上がると更に鮮やかに発色するのだそう
色合わせをした染料は、米糠が主原料の「友禅糊」と混ぜ合わせて使います。蒸すと生地に染料が染み込み、定着します。染め上がると更に鮮やかに発色するのだそう
「おふき」用の型。透明に見える部分には細かな穴があいており、その穴を通って生地に染料が付着します
「おふき」用の型。透明に見える部分には細かな穴があいており、その穴を通って生地に染料が付着します
「おふき」も着物と同じように型染めされます。こちらの職人さんは40年のベテランです
「おふき」も着物と同じように型染めされます。こちらの職人さんは40年のベテランです
同じ柄で染めていても、下地となる着物の柄が異なるため、全く同じ製品は2つとありません
同じ柄で染めていても、下地となる着物の柄が異なるため、全く同じ製品は2つとありません
型染めは「友禅板」と呼ばれる全長7mの板に正絹をぴったりと貼り付けておこなわれます。一色染めるごとに友禅板を工房の天井で乾かすのですが、重さ約7kgもの板を上げ下げするのは大変な重労働です
型染めは「友禅板」と呼ばれる全長7mの板に正絹をぴったりと貼り付けておこなわれます。一色染めるごとに友禅板を工房の天井で乾かすのですが、重さ約7kgもの板を上げ下げするのは大変な重労働です
蒸して染料を生地に定着させる「蒸し」や、余分な染料を洗い落とす「水元」など、更に複数の工程を経て染め上がった「おふきmini」の生地。これを着物用のはさみでカットして製品に仕上げます
蒸して染料を生地に定着させる「蒸し」や、余分な染料を洗い落とす「水元」など、更に複数の工程を経て染め上がった「おふきmini」の生地。これを着物用のはさみでカットして製品に仕上げます
ピンキングはさみを使い、一枚一枚手作業でカットしていく

「染め」の工程だけでも、これほど手がかかっているとは。「おふき」には長年培われた技術が詰め込まれているのだと実感しました。

逆境から生まれた、究極の京土産

「『おふき』は京友禅の生地をカットしただけの『布』です。ある意味、京友禅が主役となる究極の形といえます。

絹は目が細かいため、メガネを拭くのに適していますし、天然繊維で静電気が起きにくく、ホコリがつきにくい。生地の特長も最大限生かした商品ができました」

今年の4月からは新作として、スマホ拭きの「おふきmini」も登場。こちらはコンビニの店頭でも販売されるなど、売れ行きは更に好調さを増しています。

「おふきmini」は全15柄。京都の観光名所が染められ、お土産にぴったり
「おふきmini」は全15柄。京都の観光名所が染められ、お土産にぴったり
「手描き友禅」による一点物のオーダー「おふき」も。きらびやかで繊細な柄は、思わずため息が出るほどの美しさです
「手描き友禅」による一点物のオーダー「おふき」も。きらびやかで繊細な柄は、思わずため息が出るほどの美しさです

世界一の技術を知ってもらいたい。SOOの思い

しかし、SOOの目標は「おふき」の販売売上を上げることではない、と代表の日根野さんは語ります。

お客さんとの接点を生み出し、「おふき」を通じて京友禅そのものに興味を持ってもらえるよう、積極的に働きかけているのです。

「まずは『こうやって手をかけて染めているのか』と、京友禅の価値を知っていただく。その上で、着物などにも興味を持ってもらえたら嬉しいです」

SOOでは、オリジナルの「おふき」を染められるワークショップを開催。京友禅の染めの工程などを伝えています
SOOでは、オリジナルの「おふき」を染められるワークショップを開催。京友禅の染めの工程などを伝えています

また、SOOは日本国内だけでなく、世界展開も見据えています。今年の秋には台湾の展示会への出展も予定しているとのこと。

「正絹生地を染めることにおいては、京友禅が世界一だと思います。これだけの技術があるのだから、着物以外にも利用価値は必ずあるはずです」

需要減という逆境から生まれた「おふき」そしてSOOは、逆境に立ち向かうだけでなく、世界にまで京友禅の可能性を広げようとしていました。

熟練の職人さんたちの技術や手間が込められた「おふき」。皆さんも京都を訪れた際には、ぜひ手にとってみてください。

きっと、その色合いや手触りに、ほんまもんへの作り手の思いが感じられるはずです。

<取材協力>
SOO(ソマル)
京都市上京区元誓願寺通東堀川東入西町454 (株)日根野勝治郎商店内
075-417-0131
https://soo-kyoto-soo.amebaownd.com/

安藤染工
京都市右京区西院西寿町21-3
075-311-0210

「おふき」取扱店
https://soo-kyoto-soo.amebaownd.com/pages/1334237/page_201710100047

文・写真:竹島千遥
写真提供:SOO

エジソンが電気の発明に使った京都の竹は、食べ物にも武器にもなる

旅先で出会う風景や街並み。

いつもとちょっと目線を変えると見えてくるものがあります。

たとえば、壁。

土壁、塗壁、漆喰、石壁、板壁。

あらゆる壁には、その土地に合った素材、職人の技、刻まれた歴史を見ることができます。

何も言わず、どっしりと構えている「壁」ですが、その土地の歴史をしずかに物語っているのです。

いざ、さんちの「壁」に目を向けてみるとしましょう。

今回のテーマは、京都の「竹垣」

お寺の庭園や店先など、京都の景観に欠かせない「竹垣」
お寺の庭園や店先など、京都の景観に欠かせない「竹垣」

竹は、筍を食べるだけでなく、縄文時代から建築資材、農具や猟具、調理器具などの道具として使われてきた日本人の生活には欠かせない植物です。

竹の産地でもある京都では、古くから竹の文化が発達してきました。

その竹垣の歴史や見所について、京都を中心に全国で活躍する造園家、猪鼻一帆さんにご案内いただきました。

猪鼻一帆


猪鼻一帆(いのはな かずほ)さん
・いのはな夢創園 代表
・1980年京都生まれ

高校卒業後、熊本県在住の庭師・中野和文に造園学、自然学を学ぶため弟子入り。京都に帰り、父であり師である猪鼻昌司と共に「いのはな夢創園」で庭創りを始める。2014年「ハウステンボス ガーデニングワールドカップ」金賞、最優秀施工賞、ピープルズ・チョイス賞受賞。2016年「シンガポール ガーデニンフェスティバル」金賞受賞

京都の竹がなかったら電気はなかったかもしれない

京都の竹垣・駒寄せ
京都の街中でよく目にする雨除けの「駒寄せ」も竹垣の一種

「実はエジソンが電球の発明に使ったのも、京都の竹なんですよ」

様々な材料で長持ちする電球を研究したエジソンは、日本製の扇子の骨(竹)が最適であることを発見。数々の竹を試した中、京都の男山周辺の真竹が1000時間以上も光り続けたことから、長く京都の竹が使われていたそうです。

京都の竹がなければ電気はなかった、と言っても過言ではないかもしれません。

竹垣のスタンダード、建仁寺垣

最初に案内していただいたのは東山区にある「建仁寺(けんにんじ)」です。

建仁寺

竹垣には「銀閣寺垣」「金閣寺垣」「龍安寺垣」など、京都のお寺の名前がついたものが多くありますが、「建仁寺垣」もそのひとつ。

建仁寺で最初に造られたためその名がついたと言われていますが、はっきりしたことはわかっていないそうです。

花見小路通から門を入ったすぐのところに竹垣を発見。

「これが建仁寺垣です。竹垣といえば、建仁寺垣を思い浮かべるほどスタンダードなものですね」

四つ割りの竹が縦に並び、横に4段組まれたものを押縁(おしぶち)、上部の竹を玉縁(たまぶち)と呼ぶ
四つ割りの竹が縦に並び、横に4段組まれたものを押縁(おしぶち)、上部の竹を玉縁(たまぶち)と呼ぶ

お店の入り口などでもよく見かける竹垣です。

建仁寺垣

「横ラインの竹が等間隔に付いていますが、一番上だけ間隔が広くなっています。こうすることによって、力が上にすっと抜けるようになってるんです」

力が抜けるようにとは?

「竹垣を軽く見せるというのかな。押縁をただただ均等に割り付けてしまうと、すごく不細工になってしまうので」

微妙な工夫が美しさを生む。竹垣、なんとも奥深そうです。

庶民の生活の中で洗練されていった竹垣

建仁寺の本坊を入り、庭園を歩いていくと、茶室「東陽坊」の茶庭にも建仁寺垣を見ることができます。

「建仁寺垣は、一般的には外から中が見えないようにする遮蔽垣(しゃへいがき)として使われていますが、茶庭の中ではパーテーションのようにも使われています」

屏風のような役割ですね。

建仁寺垣

とてもシンプルな形の竹垣。なぜこれがスタンダードになったのでしょうか。

「建仁寺垣は、“土壁”に代わるものだと考えています。

土壁は構造的にある程度の幅がないと造れませんが、建仁寺垣は薄いので幅を取りません。土地の狭い京都では、土壁よりも建仁寺垣の方が家と家の間を仕切るのに重宝したんだと思います」

建仁寺垣

京都には材料となる竹も多く、土壁よりも簡単に安く造ることができたこともあり、建仁寺垣が一般的になっていったようです。

「庶民の生活の中で洗練されていった竹垣と言ってもいいかもしれませんね」

武家屋敷では、武器になった

東陽坊の茶庭には、他にも竹垣を見ることができます。

「これは四ツ目垣(よつめがき)。ごく簡単な竹垣ですが、竹の長さが刀と同じくらいの長さになっています」

四目垣

「昔、武家屋敷では、敵が攻めてきたときにすぐに戦えるよう、竹垣には武器としての用途も備えてありました」

なんと、竹垣が武器にもなったとは驚きです。

「四ツ目垣は、“かいづる”という結び方で縄を結びます。それは縄を切りやすい結び方なので、竹垣の竹をパッと手にとって戦える。竹垣一つとっても、もともとの始まりを知ると、もうひとつ庭が面白くなります」

これからは竹垣を見るたびに時代劇の戦いのシーンを思い浮かべて、ニマニマしてしまいそうです。

東陽坊の入り口にある鉄砲垣。昔、戦さ場で鉄砲を立てかけていた形からその名がついたと言われている
東陽坊の入り口にある鉄砲垣。昔、戦さ場で鉄砲を立てかけていた形からその名がついたと言われている

造園屋の呪文?木七竹八塀十郎

竹垣に使うのは日本原産の「真竹(まだけ)」。真っ直ぐ伸びて節間が長く、肉厚が薄く、丈夫で腐りにくいことなどから竹垣に向いているといいます。

「竹垣は真っ直ぐな方が使いやすい。そうすると山で育った竹よりも川の側に生えている川竹がいい。でも、丈夫なのは山の竹なので、用途によって使い分けています。竹の割り方も、使う場所によって変わります」

竹垣

同じ真竹でも生えている場所でずいぶん違うんですね。

「竹を切る時期、何時の材料を使うかというのも大事です。“木七竹八塀十郎(きしちたけはちへいじゅうろう)”と言って、木は旧暦の7月、竹は8月が最適で、壁は10月に塗るのがよいとされています」

壁とは土塀のことで、空気が乾燥した十月に土を塗ると長持ちすると言われているそうです。

「竹垣は青竹で作ります。青竹が次第に黄色くなって、その後白くなって、皮がむけて茶色くなる。それを磨くと赤黒くなる。名古屋の方では磨くのがよしとされていますが、京都では朽ちて変化するのをよしとするところがありますね」

建仁寺近くにあるお寺の塀。朽ちた竹の色が味わい深い
建仁寺近くにあるお寺の塀。朽ちた竹の色が味わい深い

竹垣の歴史を変えた、光悦寺垣

日本において、竹垣は奈良時代、平安時代の頃より造られていましたが、かつては柵としての要素が強いものでした。竹垣が発達してきたのは安土桃山時代の頃だと言います。

発達した竹垣を見に続いて向かったのは、北区鷹峯にある光悦寺(こうえつじ)。

光悦寺
光悦寺

江戸初期に当時活躍していた文化人・本阿弥光悦が築いた工芸集落のあった場所で、光悦の墓碑があるお寺です。

ここに、「光悦寺垣」があります。

「光悦寺垣は、竹垣の中でもちょっと珍しい形なんです」

光悦寺垣。光悦垣、また牛が寝ている姿に似ていることから臥牛垣(がぎゅうがき)とも呼ばれる
光悦寺垣。光悦垣、また牛が寝ている姿に似ていることから臥牛垣(がぎゅうがき)とも呼ばれる

おぉー、これはカッコイイ!なんとも美しく、凛々しい竹垣です。

「これは竹垣を柵としてだけではなく、柵をすることによって、むこう側の景色をよりよく見せる透かし垣(すかしがき)です」

光悦寺垣

「垣の奥を見せんでもいいんだけども、あえて透かして見せることで、奥の景色が変わって見える。隠さないことで空間がすごく広く見えるのも光悦寺垣の面白いところですね。隠してしまうとそこで景色が止まってしまうので」

誰がデザインを考えたのでしょうか?

「光悦が考えたと言われています。それまでの竹垣にはなかった曲線が特徴です」

光悦寺垣
曲線を作るため、割竹を2枚合わせた格子組みにし、上の部分は太い竹ではなく、小割りにした竹が束ねられています(いる)
光悦寺垣
上部は縄のところで竹を継いでいる。継ぎ目が見えないのでまるで1本の竹からできているような不思議な感じがする

「直線でしか表せなかったものが、竹を割ることによってしならせることができ、格子にすることでそのアールについていけるようになる。竹をもっと細くすればもっと丸められたり、いろんな形に曲げられます」

光悦寺垣

光悦寺垣は竹の可能性、竹垣の可能性を広げたと言います。

「竹垣に武器や防御の用途だけでなく、デザインを取り入れ、新たな魅力を生み出した。光悦寺垣は竹垣の歴史の中のひとつのターニングポイントですね」

竹垣そのものも美しく、景色も美しく見せる竹垣。見れば見るほど面白いです。

終わりを見せないことで想像力を掻き立てる

それにしても、とても長い竹垣。どこまで続いてるのでしょうか?

「行ってみましょう」

光悦寺垣
歩いていくと竹垣がカーブを描きながら低くなっていきます。
光悦寺垣
全長18mほどある
光悦寺枝折戸

あら?気づいたら景色が変わっていて、どこが最後だったのでしょう?

「終わりを見せないことで、イマジネーションをかきたてられます。どこで終わってんの?どこまで続いてんの?と想像させる、そこが光悦垣の面白さですね」

「高さをだんだん低くすることで他の草木が目に入り、景色も変わっていく。何かが発展していくような景色を作っています」

光悦寺垣
この辺りが最後。決して探してはいけません

枝折戸(しおりど)は職人の技の見せ所

光悦寺垣ができた頃から、美意識が優先されるようになってきたという竹垣。

光悦寺垣
見栄え良く飾り結び(男結び)で整える
光悦寺垣
節もきれいに並んでいると美しい。並び方でリズムを出す

京都で竹垣が発展した理由の一つには、茶の湯の文化があったからとも言われています。

竹垣は庭の風景を作り出すだけでなく、茶の湯の精神である仕切りの目的もあることから、茶庭に欠かせないものになっていきました。

光悦寺枝折戸
これは茶庭の入り口にある竹の扉

「枝折戸(しおりど)です。竹垣を作るには、竹を切る、割る、裂く、曲げる、編むといった要素がありますが、枝折戸には全ての要素が含まれています」

光悦寺・枝折戸
ちいさな扉ですが、よく見ると細やかな細工を見ることができます
光悦寺・枝折戸

美しさのためには、しっかり作ることが大事だといいます。

「足元に節を持ってくると頑丈になったり、釘を打つ前にきれいにくり貫いておくと割れないとか、ノコ跡が見えないようにするとか。枝折戸を見れば、職人の腕前、力量がわかるし、庭の美しさもわかります」

扉一つにも美しさを求め、細工を施す。職人の心意気が感じられる扉です。

時代時代で自分なりの答えを乗せて造っていくのが庭

光悦寺垣がそれまでの竹垣のイメージを変えたように、今も新しい竹垣は造られているんでしょうか?

「もちろん。例えば、光悦寺垣のように、四ツ目垣でも高さをどんどん低くしていくものがあります。同じ高さにすると野暮ったいので、傾斜を付けてすっと力を抜く。庭が広がるというか、柔らかな印象になります。

これは昔からある技法ではなくて、昭和になって、京都の橋本春光園っていう造園屋の親方たちがはじめたものと伝えられています」

それが「いいね」となり、他の場所でも使われていく。自分たちが考えたものだから他は使うな、とはならないのでしょうか。

「なかなかないですね。流動的なものだし、技術といっても何かと何かの組み合わせでしかないから、オリジナルとは言い切れないし」

「ただ、真似する方はそれ以上のもの、さらに自分の色をつけなくちゃダメですね」

光悦寺垣をアレンジした猪鼻さん作の袖垣(そでがき)
光悦寺垣をアレンジした猪鼻さん作の袖垣(そでがき)

そうやって技術が受け継がれ、発展してきた。

「僕たちが終わりでもないし、僕たちがやっていることを次の世代の人たちが自分なりの答えを乗せて造っていくのが庭」だと猪鼻さんは言います。

「庭は植物相手なので、この庭も最初に造った時のコンセプトとは違っているはずです。木も太くないし、通路も整備されていないし。だから、その時代時代で答えを出していく必要がありますね」

 

京都にはこの釘を作っている職人がまだ居るという誇り

これは茶室の窓の部分。ポイントは釘です。

和釘

“階折(かいおれ)”という名前の和釘。

今、普通の釘は落としたら拾う手間より新しく買う方が安いっていうくらいの値段だけど、和釘はほとんど作られてないので高価です。」

1本260円する釘もあるほど。昔の釘はいい鉄を使っているため、100年経っても叩けばまた使えるのだそう。神社仏閣など古い建物を修理復元する時などにも使われています。

階折釘
階折釘

「今も和釘を使うところがありますが、それは施主のお寺さんの方が、“京都にはこの釘を作っている職人がまだ居る、あなたたちが文化を守っていってほしい”という想いを込めて使っていたりします。

竹垣も庭も、そうやってプレゼンする人がいないと残っていかない文化でもあります。僕たちはいろんな人たちに支えられてる業界なので」

来客を大切に思う気持ちを青い竹に込める

竹垣のスタンダード「建仁寺垣」、竹垣の歴史を変えた「光悦寺垣」。

竹垣にも様々な表現があることを知りました。

「今日みたのは竹の茎(竹稈)を使った竹垣でしたが、竹の枝を使う“穂垣(ほがき)”もあります」

穂垣は枝を1本、1本編んで作る、手間のかかるものなので、竹垣の中でも最上とされているそうです。

竹垣の最高級と言われる桂垣(穂垣の一種)を使った庭(猪鼻さん作)
竹垣の最高級と言われる桂垣(穂垣の一種)を使った庭(猪鼻さん作)

ごく一部の紹介となりましたが、京都の竹垣、いかがでしたでしょうか。

猪鼻さん自身も竹垣を見にいくのは久しぶりだったそうです。

「改めて見て、とても面白かったです。造園家として駆け出しのころ見た景色と違って、沢山の納得がありました。10年後はまた全然違う景色に見えているかもしれません」

猪鼻一帆

朽ちていく竹垣にこそ魅力があると言う猪鼻さん。

 

「竹垣は青竹で作りますが、青々としているのは長くて2カ月。夏場などは1週間で青みが抜けて白くなります。京都では四季が移ろうような美しさを朽ちていく竹垣に感じます。

だからこそ青い竹の竹垣を見るとより清潔に見え、朽ちた竹垣を見ると時間と刹那を感じるのだと思います」

京都ではまだまだ家の庭に竹垣があるところも多いそうです。

「例えば、娘の結婚相手のご両親が家に来られるとか、お茶の初釜、お正月とか、そんな時に竹垣は新しく青々としたものに変えられます。来客を大切に思う気持ちを青い竹に込める、来客も青い竹を見て歓迎の気持ちを汲み取る。竹を使うがゆえ生まれた、気持ちの手渡し方を感じて頂けると嬉しいです」

竹垣に見る京都ならではのおもてなしの心。

京都の旅がまたひとつ楽しくなりそうです。

 

<取材協力>
いのはな 夢創園

文 : 坂田未希子
写真 : 太田未来子

はじめての「金継ぎ教室」体験レポート。修復専門家 河井菜摘さんに習う

以前の記事「漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと」にてお話を伺った修復専門家、河井菜摘さん。インタビューのなかで「日用品はそれぞれが自分でなおせる方が良い」と話してくれた河井さんの教室で、実際に金継ぎに挑戦してみました。

東京都内で行われる金継ぎ教室

ある月曜の朝、通勤ラッシュの地下鉄で押しつぶされそうになりながら向かったのは清澄白河。下町の情緒が色濃く残りつつも、アートの街として、最近はコーヒーの街としても知られています。

駅から歩いて10分ほどのところにあるマンションの一室で、金継ぎ教室は行われています。教室へ入ると、大きなテーブルに作業用の席が10席ほど用意されています。それぞれの席にビニール製のマットが敷かれ、テーブルの中心には漆のしごとに使う道具がたくさん並んでいました。

金継ぎ教室に持参した器

持ってきた器は4つ。口が欠けてしまったカップが3つと、割れてしまった大きなお皿がひとつです。どれも大切に使っていたものの、いつからか割れたり欠けたりしてしまいました。

金継ぎ教室に持参した器
金継ぎ教室に持参した器

金継ぎキットを確認

器を先生にみてもらったら、金継ぎキットの中身を確認します。必要な道具は思っていたよりも少なく、意外と身近なものが多い。このほかに、自分でカッターとはさみ、エプロンを用意します。

この道具たちで金継ぎができるのかとワクワクすると同時に、教室オリジナルの金継ぎノートがかわいらしく、「大丈夫!難しくないよ!」と言ってくれているようで勇気がわいてきました。必要な道具が揃っていることを確認し、いよいよ金継ぎの作業スタート。

金継ぎキット

金継ぎは、漆の技法のひとつ

早速、主役である漆の登場です。漆は肌につくとかぶれてしまうため、作業中は薄いゴムの手袋を着用します。

「金継ぎ」という名前から、金で継いでいると勘違いされることも多いのですが、金継ぎは漆の技法のひとつです。漆が接着剤になって割れた器をくっつけて、破損した部分は漆で埋めて復元する。金はその上から蒔いているだけで、お化粧のようなものです。

金の代わりに銀を蒔いたりそのまま漆で仕上げることもあるそうですが、金はどんな器にも合うため、河井さんははじめての方には金をおすすめすることが多いのだとか。

当たり前に漆、漆とくり返していますが、私たちが漆と呼んでいるものはウルシ科の漆の木の樹液です。漆の木に傷をつけて、出てくる樹液を採集したものがこの生漆。チューブから出した直後はベージュ色ですが、空気に触れることですぐに濃い茶色に変色します。

漆

漆は水分があるところで乾きます。よく乾くのに必要な条件は温度が25度以上で、湿度が65%以上。乾くというよりは硬化するといったイメージなのですが、ジメジメした時期はよく乾き、逆に空気が乾燥し、気温の低い冬は必ず保管用の室(むろ)に入れないと乾かないそうです。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

材料は、漆とお餅と土と木

次に登場したのは和菓子に使うお餅の粉です。和菓子に使うものなので、口に入れてももちろん大丈夫。なんとお餅と漆を混ぜることで、糊漆(のりうるし)という天然の接着剤になるのです。割れをくっつける作業は、この糊漆を使って進めていきます。

パズルのように組み合わせていきます
パズルのように組み合わせていきます

次は欠けを埋める作業です。使うのはケヤキの木の粉と土の粉。先ほどの糊漆に木の粉を混ぜると欠けを埋める天然のペーストになり、これを刻苧(こくそ)と呼びます。もうひとつ、土の粉とお水を混ぜたものに漆を加えると錆漆(さびうるし)に。

錆といっても金属ではなくて、土とお水と樹液といったすべて天然の材料からできています。ちなみに今回使う土の粉は京都の稲荷山の土だそうです。金継ぎは器にも人にもやさしいと聞いたことがありますが、環境にもやさしいのかもしれません。

ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます
ガラスの板の上で、刻苧や錆漆をつくっていきます

欠けの大きさや形状によってこのふたつを使い分け、欠けてしまった部分を復元していきます。

はじめての金継ぎ教室

根気強く、なめらかに

糊漆と錆漆でベースができたら、錆漆をデザインカッターや3種類の紙やすりを使い分けながら削って、研いで、形を整えなめらかにしていきます。

はじめての金継ぎ教室

その上に弁柄漆(べんがらうるし)と呼ばれる赤い漆を錆漆をなぞるように塗っていきます。それをまたなめらかに紙やすりで研いで、もう一度。錆漆の上に漆を塗ることで防水性を出していきます。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

弁柄漆とは、顔料の入った色のついた漆の1種。こういった色のついた漆は、生漆を精製して有色透明な茶色に仕上げた透漆(すきうるし)をベースに顔料を入れたもので、総称して色漆(いろうるし)と呼ばれています。

私たちになじみ深い漆の色は赤色ですが、青や緑のものもあるそう。白漆には白い顔料を入れているけれど、もともと茶色の透漆に対して白を足しているので仕上がりは薄いベージュになる。それが漆らしい色で持ち味なのだと河井さんは教えてくれました。

はじめての金継ぎ教室

数ある色漆の中で、なぜ金継ぎでは弁柄漆を使うのか。ひとつの理由として、金を蒔いた時に下に赤色があると金の発色が良く見えるそうです。言われてみれば、油絵の色の塗り方だったり、私たちの普段のお化粧だったり、同じようなことはよくありますね。

根気強く、表面をなめらかに仕上げたら、いよいよ最後の弁柄漆。この漆が金粉の接着剤になるので、金の形を決めることになります。慎重に慎重に。いつの間にか表情も真剣に。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室

金継ぎのクライマックス「金蒔き」

ほぼ全ての工程を終えて、残すは金粉を蒔くのみ。今回使うのは金粉の中でもいちばん細かいもので、肉眼で見ても消えるように細かい。

金の値段は年々変わっているそうで、10年前は1g当たり3,200円くらいだったものが、今は2倍以上の金額だとか。ただ、この金粉は細かいので思っているよりもたくさんの面積に蒔くことができるそうです。

はじめての金継ぎ教室

使う道具は毛棒と真綿。まず毛棒に金粉を含ませて、弁柄漆めがけて金粉を落としていき、フワフワの真綿を使って磨いていきます。やさしくやさしく。

はじめての金継ぎ教室
はじめての金継ぎ教室
完成です!
完成です!

それまでの苦労が嘘だったかのように、最後の金蒔きの作業はあっという間。それでも、教室内でちょっとした歓声があがるぐらい、金を蒔いた器たちは美しく、新品の器にはない魅力に溢れていました。

はじめての金継ぎ教室

2時間半の教室を3日間、少し急ぎ足ではあったものの小さな欠けの2点は仕上げることができました。

実際に自分が手を動かしてみることで、自分が使うもの、壊したものを自分でなおすことは、当たり前のようで普段できていないことだということ。河井さんの話してくれた変幻自在の漆のおもしろさ。すべて自然の材料を使っていること。たくさんの発見に満ちた3日間でした。

河井さんの教室はキャンセル待ちも多いようですが、金継ぎは市販で本やキットも販売され、教室も多くあるようです。お宅に眠る欠けてしまった器たち、ぜひなおして救ってあげてくださいね。

河井菜摘さんのインタビュー記事
漆を使って器をなおす、修復専門家のしごと


河井菜摘(かわいなつみ)

鳥取、京都、東京の3拠点で生活をし「共直し」と漆を主軸とした修復専門家として活動。陶磁器、漆器、竹製品、木製品など日常使いの器から古美術品まで600点以上の修復を行う。修理の仕事の他に各スタジオでは漆と金継ぎの教室を開講し、漆作家としても活動している。
kawainatsumi.com

文:井上麻那巳
写真:伊藤ひかり・中村ナリコ

こちらは、2017年2月9日の記事を再編集して公開しました

フィリップ・ワイズベッカーが旅する 唯一の職人がつくる「赤坂人形の戌」を求めて

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載11回目は戌年にちなんで「赤坂人形の戌」を求め、福岡県筑後市の赤坂飴本舗を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイを、どうぞ。

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福岡県筑後市の赤坂飴本舗

福岡市の郊外、戌の笛人形をつくる野口さんのところに着いた。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

今回の取材も驚きが待っているに違いない。
ガレージが制作の場となって、私たちを待っていてくれた。

舞台は整った。もうすぐスペクタクルが始まる。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

クッションに腰かけ、素朴な道具に囲まれている後ろ姿は、まるでモロッコのスーク(市場)での光景のようだ。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

前から見ても、やっぱりそうだ。

ダンボール紙の上につつましく構えた彼の前には、粘りけがあり良い具合の土の塊がある。
楽しくなりそうだ。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

道具自らが語る。イメージ通りなのだ。
意表をつき、親しみやすく、感じがいい。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

彼の脇には、記憶に満たされた木箱がある。
野口さんが父親から引き継いだ型たちが、休息している。

型がひとつでも壊れたら、残念ながらその型の人形は滅びてしまう。
いつか、この小さな戌の型が壊れるときもくるだろう。

手遅れになる前に、急がねば!

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

型から出たばかり。
余分な端がまだ残っている。きれいに整えてもらうときを待っているのだ。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

これで今日の作業は終了。一度に五個しかつくることができない。
何度も抜いて型が湿ってしまうと、土を外せなくなるからだ。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

この制作ペースでは、家業として生活費を稼ぐには程遠い。
だから、同じく父親から受け継いだ機械で、飴をつくっている。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

百メートル先の販売店では、飴も玩具もガラスケースに一緒に並んでいる。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

野口さんが「戌の笛」を出してくれる。
想像していた通りだった。

のんびりして、陽気で、まだらの戌。大好きだ。

福岡県筑後市の赤坂飴本舗

お店を出る時、写真を撮らずにはいられなかった‥‥。面白い!

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文・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
写真:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子

Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。

京都の近代美術工芸「泰山タイル」をめぐる

京都の街のあちこちに見られる、色とりどりのタイル。

老舗の喫茶店や繁華街のカフェ、美術館や歴史ある花街の建物など、京都の街のふとしたところで目にする色とりどりの「タイル」の装飾。実はこのタイル、国内の歴史的建造物にも多く用いられた、京都が誇る美術工芸品のひとつでした。

1200年の歴史で、見落とされがちな近代の工芸。

歴史の中で、京都はあらゆる日本文化のルーツを育んできましたが、明治維新以後の美術史や文化史において、近代の京都が語られることはそう多くはありませんでした。

東京遷都以降「狐狸の棲家」とも揶揄されるくらい気力をなくしていた京都は、殖産興業で街に活気を取り戻そうと、あらゆる政策を打ち出します。

琵琶湖疏水の建設、それにより生まれた日本初の水力発電と路面電車、製紙場の開業、フランス式ジャカード機による西陣織の技術革新、ドイツから伝えられた七宝焼の誕生、それらの技術が一堂に会し、初めて来場者が100万人を突破した1895年の第4回内国勧業博覧会の開催。

明治以後の京都は、次々と技術的な革新を図り、近代の工芸や美術、産業の発展に尽力してきました。

そんな明治から大正期にかけて興隆を見せた美術工芸の中で、その面影を今に伝えているのが「泰山タイル」と呼ばれる建築装飾です。

工業製品ではなく、手工芸としての建築装飾。

大正6年(1917)に池田泰山により南区・東九条に設立された「泰山製陶所」。

明治期から昭和期にかけて最盛期を迎えた洋風建築の需要にともない、大量生産が可能な工業製品としてのタイルが多く生み出されるなかで、同所の「泰山タイル」は一枚ずつ表情の異なる建築用装飾タイルの製造技術を追求し、美術工芸品としての地位を確立していきました。

愛知の常滑に生まれた池田泰山は、京都市陶磁器試験所の伝習生として入所。常滑に戻り、テラコッタの技術を学んだあと、再び京都で泰山製陶所を設立します。

近代の建築を「総合的な立体美の結合」と考えた泰山は、単なる建築材料としてのタイルではなく、「自然の窯変美」を備えた美術工芸品としてのタイルを追求し、手工芸としてのタイルを生み出しました。

京都、そして日本を代表する近代建築に見られる泰山タイル。

高い技術とその美しさで注目を集めた泰山タイルは、秩父宮邸、那須御用邸などの宮内庁の格式高い建築、東京国立博物館や東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、大大阪時代を象徴する綿業会館、甲子園ホテルなど、国内を代表する多くの近代建物に用いられています。

とりわけ製陶所のあった京都では、京都国立博物館などの名建築はもちろん、喫茶店や銭湯など、市民が日常的に集まる憩いの場にも多く取り入れられました。

現在でも泰山タイルは京都の街の片隅でひっそりとその歴史を伝えています。

今回は、京都市内で実際に見られる泰山タイルの一部をご紹介します。

きんせ旅館

こちらは京都最古の花街・島原にある旅館兼カフェ&バー。現オーナーの安達さんが、曾祖母の営んでいた旅館を受け継いだそう。

元々は江戸時代後期から揚屋として使われていた建物で、築推定250年。さまざまな歴史が交錯する空間です。

佇まいも然ることながら、扉をひとつ開ければそこは別世界。壮麗なステンドグラスに圧倒されます。

そして壁の中腰部分や足元に、青・黄色・緑と色とりどりの配色と形状で組み合わされたタイル。これが近代日本の美術工芸を代表する泰山タイルです。

1階は大正から昭和期にかけて洋風に改装され、泰山タイルはその時に取り入れられたと考えられています。

表面に艶があり、釉薬を分厚く重ねた窯変タイルと、さまざまな表情が見られる布目タイルの組み合わせ。これぞ泰山タイル、という典型を見ることができます。

京都市内でも、きんせ旅館は玄関、壁、縁側、トイレと多くの箇所に泰山タイルが使われており、状態もよく見応えがあります。

深みのあるワインレッドと、目の覚めるような青と言った色合いはどこか妖艶な空気を醸し出しています。

ダンスホールとして使用されていた中央の部屋は、格式ある寺院と同じ様式の折上格天井、シャンデリア、ビロードの椅子、重厚な家具など、想像以上の絢爛さ。飴色の空間に思わずため息がこぼれます。

今はここで音楽ライブも開催。なんとも素敵なイベントですよね。

きんせ旅館は建物自体の見応えも抜群です。

風格ある佇まいと控えめの看板に気後れしてしまいそうですが、中はもちろん誰でも利用できるカフェ。コーヒーやケーキ、お酒などを気軽に楽しめます。

「うちは駅からも遠いので、金曜日の夜でも比較的ゆったり過ごせます」とのこと。わざわざ足を伸ばして行く価値ありの空間です。

2階は創建時の趣が色濃く残る1日1組限定の宿として営業。置屋から島原太夫を迎え入れて来た揚屋としての歴史を肌で感じることができます。

CAFÉ INDÉPENDANTS

カフェ、ギャラリー、イベントホールなどが一体となった「1928ビル」。京都市役所を手掛けた武田五一の設計で、昭和3年(1928年)に毎日新聞社京都支局として竣工されました。

現在地下1階に入るのが「CAFÉ INDÉPENDANTS(カフェ アンデパンダン)」です。

ランチからディナーまでの通し営業で、しっかりごはんや昼飲み、午後のお茶、夜のバー使いと、一日中頼れる心強い存在。

そんなカフェへ向かう階段を降りようとすると、目に飛び込んでくるのが不揃いのタイルを組み合わせた鮮やかな装飾。

実はこの様式、従来の泰山タイルとは少し趣が異なり、泰山製陶所のものと断定することはできません。

ただ、泰山製陶所は昭和8年(1933年)に形式の異なるタイル片を組み合わせる「集成モザイク」の特許申請を行っていた記録があり、実際、同年に建てられた東京国立博物館の休憩室の壁面には集成モザイクの技術を見ることができます。

もしかすると、この1928ビルが集成モザイクの先駆けになっていたのかもしれません。

そして店内へ入ると、壁一面に施されたふっくら艶のあるタイル。こちらは泰山タイルの特徴をよく表しています。

客席の壁にぐるりと施されているタイルの装飾。きんせ旅館に比べ、少しくすんだような色合いがアンダーグラウンドな空間によく似合っています。

アンデパンダンには泰山タイルのほか、床一面にはモザイクタイルが施され、表情豊かなタイルを一度に見ることができます。

先斗町歌舞練場

京都五花街のひとつ・先斗町の北側にある先斗町歌舞練場。その名の通り、芸妓・舞妓が歌や踊りの鍛錬を積む場であり、毎年5月に開催される「鴨川をどり」の時期はとりわけ多くの人で賑わいます。

大阪松竹座や東京劇場などを手掛けた劇場建築の名手・木村得三郎の設計により昭和2年(1927年)に完成。鉄筋コンクリート造り、地上四階、地下一階の建物は創建当時「東洋趣味を加味した近代建築」と称賛されました。

そんな一大建築の壁面に抜擢されたのが、泰山タイルです。

前述の2ヶ所とは違い、艶も色彩も持たない表面の荒々しいタイル。これは大正末期から昭和初期に掛けて流行した「スクラッチタイル」という様式で、「引っ掻く」を意味する通り、焼成前に櫛などの道具を使って模様を描いたものです。

色・様式ともに酷似したスクラッチタイルが神戸女学院大学の壁面にも使用されています。

外壁下部は蔵造りの建物に多く見られる「なまこ壁」をイメージさせるような装飾で、まさに「東洋趣味」を取り入れた花街らしいデザインです。

泰山タイルは、周囲の環境や建物の持つ空気感に合わせて表情を変えるランドスケープデザインの役割を果たしていたのかもしれません。

進々堂京大北門前

昭和5年(1930年)に創業した「進々堂京大北門前」。現在4代目となる店主・川口さんの曾祖父にあたる続木斉さんが、パンの修業のために渡ったパリのカフェを再現したいと開いたパン屋さんが始まり。

現在、建物に向かって左側がパンの販売スペース、右側が喫茶スペースとなっています。

創業当初は、左側の部屋のみでスタート。のちに「パンを食べられる場所を」と喫茶スペースを増設したそうです。

そんな進々堂京大北門前は、さまざまな様式の泰山タイルを一挙に見ることができます。

まず、目に留まるのは外観足元に鮮やかに散りばめられた「集成タイル」。こちらはタイルの形状、色合い、そして店内にも多数の泰山タイルが使用されている観点から、泰山製陶所が制作した集成タイルと見ることができます。

もしかしたら、前述のカフェ アンデパンダンの「集成モザイク」を探る手掛かりになるかもしれませんね。

そして扉を開けると、目に飛び込んでくるいかにもヨーロッパ風のしつらえ。この鮮やかなワインレッドとブルーの組み合わせは、きんせ旅館のトイレの入り口に見られるタイルの色合いと酷似しています。

この不思議なデザインの正体は、なんと手洗器。以前は蛇口から、実際に井戸水が出ていたそう。

左手の部屋は、ヨーロッパの建築をそのまま移築したかのような洗練された空間。異国の空気を忠実に再現したいと奮闘した続木さんの想いが手に取るように伝わってきます。

パンの入ったガラスのショーケースの台座には「学問は自己を超越する」という意のフランス語、ケースを支える柱にはキリスト教の聖書の一部が刻まれています。

熱心なクリスチャンだったという続木さんが、日本の学生に投げかけたメッセージです。

当時、続木さんがどのような経緯で泰山製陶所に装飾を依頼するに至ったかはわかりませんが、川口さんは「泰山タイルは当時の曾祖父のイメージに叶うものだったのでは」と話します。

店内にある半月型のランプや、人間国宝となった木工芸師・黒木辰秋氏によるテーブル、窓に使用された一枚ガラスも、創業当時のものです。

創業から80余年の歳月が過ぎた今、それらは日々修復が必要。それでも川口さんは、新しいものを加えるのではなく、修復を繰り返しながら当時の姿を守り続けています。

学生時代から数十年通っている常連も多く、時にはお客さんから昔のお店のことを聞くこともあるのだそう。

多くの学生が集うパリのカフェに感銘を受け、そんな場所をこの京都にも作りたいと奮闘した創業者の想いは、川口さんや地域の人たちによって脈々と受け継がれているのです。

ご紹介した建物の年代を比べてみると、いずれも同時代に建てられたり、改修されていることがわかります。

ほかにも、京都には大正~昭和期に建てられた近代建築が多く見られます。名建築ばかりではなく、街中の小さな喫茶店や民家の一角など、思わぬところにも泰山タイルが隠れているかも。

そんな視点を持って京都の街を歩いてみれば、いつもとはひと味違う「近代」の京都の姿が見えてくるかもしれません。

<取材協力>
きんせ旅館
京都市下京区西新屋敷太夫町79
075-351-4781

CAFÉ INDÉPENDANTS
京都市中京区三条通り御幸町東入ル弁慶石町56 1928ビルB1F
075-255-4312

先斗町歌舞練場
京都市中京区先斗町通三条下ル橋下町130
075-221-2025(代表)

進々堂 京大北門前
京都市左京区北白川追分町88
075-701-4121

文:佐藤桂子
写真:桂秀也、高見尊裕