「幻の薩摩ボタン」を復活させた、ただ一人の作家・室田志保さんを訪ねて

薩摩ボタンとは?

色鮮やかな花や鳥、羽音が聞こえてきそうな蜂、丸くて可愛いてんとう虫。

薩摩ボタン
「パリ万博150周年記念古薩摩写 花に文鳥の絵」パリ万博の頃のものと思われるデザインの古薩摩写し
薩摩ボタン
「女王蜂金冠紋」「近衛兵蜂銀冠紋」「働き蜂」
薩摩ボタン
「てんとう虫」

これ、なんだと思いますか?

答えは全て「ボタン」です。

直径わずか0.8cm〜5cmほどの小さなキャンバスに、微細に描かれた文様。
ため息が出るような美しさにうっとりしてしまいます。

100年の伝統をもつ幻のボタン

これは「薩摩ボタン」といい、鹿児島の伝統工芸品「白薩摩」に薩摩焼の技法を駆使して絵付けをしたもの。江戸時代末期、ジャポニズム文化の一つとして欧米の人々を魅了しましたが、その後、繊細な技法のため作り手が途絶え、幻のボタンともいわれてきました。

そんな薩摩ボタンを現代に蘇らせたのが、日本で唯一の薩摩ボタン作家、室田志保さんです。

こんな素敵な作品を作る室田さんはどんな方なのでしょうか。
鹿児島県垂水市にあるアトリエ「絵付舎・薩摩志史(えつけしゃ・さつましし)」に会いに行きました。

人よりも動物が多い

絵付舎・薩摩志史

山々に囲まれた、のどかな集落。室田さんが「愛している」というこの地には、お母様の実家があり、子どもの頃から慣れ親しんだところだそうです。

絵付舎・薩摩志史の制作現場
愛猫「ろぶ」が出迎えてくれました

「人よりも動物が多いんです。ほかにウサギ、犬が5匹、ヤギもいます」

牛の飼育をするご主人の人柄もあり、近所の人がいろんな動物を預けにくるそう。

室田さんの描く動植物が生き生きとしているのは、豊かな自然と動物たちに囲まれた暮らしがあるからなのかもしれません。

薩摩ボタン作家・室田志保さん
お話がとても楽しい室田さん

もともと薩摩焼の茶道具を作る窯元で絵付けをしていたという室田さん。

「丁稚(でっち)になりたかったんです。父が船の機関士だったこともあって、これからの時代は手に職をと言われていたので、丁稚がいいなと。はじめは薩摩焼のお茶道具を作っている窯元に入りました」

荷造りなど雑用から始まり、次第に絵付けもするように。

「メインはお師匠さん、私がまわりの紋様を描いて。今でも紋様を描くほうが楽しいですね。繰り返し、繰り返しのパターンが好きです。子どもの頃から集中力があったので、途切れることなくできますね」

薩摩焼の絵付け
香炉の絵付け作業。「細かい作業は訓練の積み重ね。10年もすれば慣れで描けるようになります」と室田さんはいいますが…

薩摩ボタンに出会ったのは仕事をはじめて8年が経った頃。

鹿児島の地域情報誌に掲載されていた「復刻された薩摩ボタン」の特集記事でした。

「初めて見ました。戦後くらいまでは、私のお師匠さんたちも作っていたそうですが、薩摩焼の業界にいたのに、薩摩ボタンの存在自体を知りませんでした」

鹿児島・薩摩ボタン
「オニヤンマ」(帯留)トンボは前にしか進まないことから、勝ち虫として戦国武将の鎧兜などの意匠にもなっている

ヨーロッパの人々を魅了した薩摩ボタン

薩摩焼は江戸末期、当時の薩摩藩主・島津氏が朝鮮から連れ帰った李朝の陶工たちによってはじめられました。1867年(慶応3年)、島津藩がパリ万博に出品した薩摩焼がヨーロッパの人々を魅了。薩摩ボタンは、薩摩藩が倒幕運動などに必要な外資を得るための軍資金になったとも言われているそうです。

そんな薩摩ボタンに惚れ込み、独立。

ところが、いざ独立をしたものの、一度は途絶えた技術のため資料などは残っておらず、ボタンの形や絵付けをするための道具も何もかもが分からない状況から始めることに。

「ボタンの生地を作ってくれる職人さんを探すのも大変でした。なかなか見つからなくて、ようやく透かし彫りの職人さんが作ってくれるようになりました。その職人さんが香炉を作っているので、たまに香炉の絵付けもしています」

薩摩焼絵付け
香炉ひとつの絵付けに1ヶ月かかるという。「ボタンに比べると描く面積が広いため、描いても描いても終わらない病がありますね(笑)」

モリキン(盛金)にスナゴ(砂子)

薩摩焼には白薩摩と黒薩摩があり、薩摩ボタンは白薩摩がベースになっています。

「白薩摩の生地をボタンの形にしたものに、白薩摩の絵付けを施したものが薩摩ボタンです。決まった技法もないので、お師匠さんから教えてもらった技法でボタンに描いています。薩摩焼らしさを大事にしたいので、「ドクロ」など現代的なデザインのものを描くときにも、金が盛り上がるモリキン(盛金)や、点々で立体感を出すスナゴ(砂子)といった薩摩焼の技法をどこかに入れ込むようにしています」

薩摩ボタンここほったよワンワン
「平成30戌年ここほったよワンワン♪」花咲か爺さんの犬をデザインした干支ボタン。背景には桜島が。背景に砂子を入れることで、奥行きが出る

まずは、デザインを決めて、極細水性ペンで下書き。そこに極細のイタチ毛の筆を使い、マット金(金または白金と、油を混ぜた液)で輪郭を取ります。

次に陶磁器用の絵の具で色入れと焼成を繰り返した後、細かい金彩色や盛金を施し、再び窯へ。最後に金を磨いて完成となります。

薩摩ボタン絵の具
下書きがあるものもあれば、無いものも。絵の具を入れる順番も決まっていないので、何から載せていくかはその時々で変わるそう

完成までに窯入れは5回。10個ほどを同時並行で作っていくそうですが、デザインが決まってから出来上がるまで2〜3週間かかるそうです。

小さいとはいえ薩摩焼。手間と時間がかかります。

中でも一番大変なのはデザインだそう。

「オーダーをされる方が多いですね。還暦のお祝いや特別な贈り物をしたいときに、その方の好きなお花や動物などをモチーフにしてほしいとか。さらさらさらっとデザインが決まることもあれば、延々と頭のすみっこにあって、納期ギリギリになって、わーっとしていたら出来上がる、みたいなもこともあります」

薩摩ボタンめで鯛
直径8㎜の中に鯛が勢いよく描かれた「目出鯛波頭紋」。身につけるものなので、縁起の良いデザインが多いそう
薩摩ボタン
「てんとう虫」四つ葉のクローバーにてんとう虫(ほぼ実寸)がまっているデザイン

「たまに、びっくりするような注文が入ったりします。こんな小さなところにクジラを描いてほしいとか。さらにはダイナミックに!なんて言われたり(笑)」

デザインは気分で変わるので、同じモチーフでも毎回違うものに。

薩摩ボタン道具
絵を入れるときにボタンを固定する道具。水道管のパイプを利用。道具も無かったので全部手作り!

新しいデザインで伝統を受け継ぐ

作品の華やかさから、すごく派手な作業をしているように言われることもあるそうですが、「すっごく地味でごめんなさい」と笑う室田さん。

「のびのびと自分の好きなように、やりやすいように、創意工夫をしてやっていますね。前に道がないって悪くないんですよね。昔の人もそうやって作ってきたんじゃないかな」

室田さんの作品には、「伝統」という堅苦しさはなく、ワクワクするような軽やかさがあります。

それは、現代風のデザインであるからだけでなく、室田さんの人柄や「とにかく描くのが好きで、楽しい」という思いが作品にあふれているからだと感じました。

意表をついたデザインの注文にも「そうきたか!」と笑いながら挑んでいるような。

伝統のいいところを受け継ぎながら、新しい作品が生まれていく。

そうやって技術が受け継がれていくというのもいいものです。

薩摩ボタンという小さな芸術。

みなさんも身につけてみてはいかがですか。

薩摩ボタン
さんちの運営会社、中川政七商店が三百周年記念に作っていただいた薩摩ボタン。ブランドロゴの鹿の図柄が盛金になっている

 

<取材協力>
薩摩志史(さつましし)
室田志保さん
HP

 

文 : 坂田未希子
写真 : 菅井俊之

*こちらは、2018年1月25日の記事を再編集して公開しました

絵本専門店「クレヨンハウス」店員さんがすすめる「美しい絵本」5選

クレヨンハウスのスタッフが選ぶ工芸に触れる絵本

子どもたちに「もっともっと、いろんな絵本に触れてほしい。絵本をきっかけに工芸やものづくりの魅力を知ってもらいたい」。

そんな思いからご紹介した『絵本で読む「ものづくり」。クレヨンハウスのスタッフが選ぶ工芸の本5選』

前回は、手作りの生活雑貨、伝統工芸品がモチーフとして描かれているなど、その内容が「ものづくり・工芸」に関連している絵本を紹介しました。

今回は、絵本自体が美しく、工芸品としてひとつの作品といえるもの、また、装丁や使われている素材からものづくりの技術に触れることができる絵本をご紹介します。

選んでくれたのは、前回同様、東京・青山にある、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」、子どもの本売り場の馬場里菜(ばば りな)さんです。

工芸の絵本

またまたどんな絵本が登場するのか楽しみです。

インド発、ハンドメイド絵本の傑作「水の生きもの」

「最初にご紹介したいのは、インドの絵本『水の生きもの』です」

工芸の絵本
『水の生きもの』作:ランバロス・ジャー、訳:市川恵里、河出書房新社

インド東部ビハール州に伝わる民族絵画の一種、ミティラー画の絵本。水の生きものたちが色鮮やかに描かれた美しい絵本です。

「手漉きの紙を使って、1枚、1枚、シルクスクリーンで印刷しています。製本も含めて、全て手作りの絵本です」

工芸の絵本

作っているのはインドの出版社「タラブックス」。ハンドメイド本も手がける会社として世界的にも有名です。

「最初に注目されたのはインドではなくヨーロッパでした。印刷・製本技術の高さはもちろんですが、オリエンタルな雰囲気が工芸としての本の魅力と相まって、世界に広がっていったのかなと思います」

本を開いて最初に感じられるのは匂い。

工芸の絵本

「インクの匂いも魅力ですね。読むだけではなく、紙に触れた感じや匂い、五感で楽しめる絵本だと思います」

インドのインクの匂い‥‥そんな想像をするのも楽しいです。

紙はコットン古布を使った手漉きの紙を使っています。

工芸の絵本
手漉きならではのザラザラとした風合いも触れて感じることができる

「版を重ねる度に紙を漉くところからはじめるので、完成までに時間もかかります」

一度品切れになると、本が届くのに半年、1年かかることもあるそう。

「製本も主に手作業でおこなわれていますが、以前、ページが上下逆さまに閉じられていた本が届いたことがありました」

職人さんが手作りしているからこその体験ですが、以来、店頭に並べる前に1冊、1冊チェックしているんだとか。

工芸の絵本
版を重ねるごとに表紙の色を変えているのも面白い。手前が初版のもの、奥が6刷
工芸の絵本
手製本のため、シリアルナンバーも入っている

「タラブックスは、伝統的な製本技術を使いながら、新しい作家やアーティストと一緒に本を作っています」

なかには、日本人の作家さんが手がけた本も。

ひとつひとつ、心を込めて作られる絵本に、世界中のアーティストが魅了されるのもわかるような気がします。

「絵本」という芸術に触れられる、子どもだけでなく、大人へのプレゼントにもおすすめの一冊です。

紙で表現する四季の移ろい「Little Tree」

「次にご紹介するのは『Little Tree』です」

工芸の絵本
『Little Tree』(作:駒形克己、ONE STROKE)

本を開くと1本の木が現れ、ページをめくるごとに、季節が変わり、木も大きくなっていきます。

工芸の絵本
工芸の絵本

「造本作家の駒形克己さんの作品です。ページごとに紙を変えていて、木も1本、1本、手作業でつけられています。

あかりによって影の形が変わったり、紙の色や質感、模様などで四季を感じることができると思います」

駒形さんはいくつも絵本を出していますが、それぞれ造形が違うそう。

工芸の絵本
『BLUE TO BLUE』(作:駒形克己、ONE STROKE)の表紙。丸い穴から色の違う紙で表現された波が見える

「ページによって微妙に形を変えているものは、職人さんが1冊、1冊、ルーペで重なり具合を確認しながら製本しているそうです。

どの本もとても手が込んでいて、開く度に『次は何が出てくるのだろう』とワクワク感があります」

紙だけで、これだけいろんなことが表現できるんですね。

「ここまで紙にこだわっている絵本は少ないです。もちろん、どの絵本も作家さんが紙の質感など確認していると思いますが、コストの問題もあるので、選ぶ紙の選択肢は限られてくると思います」

紙の可能性が感じられる、美しい絵本。手元に置いておきたくなる1冊です。

作家と編集者の思いが詰まった絵本「しろねこくろねこ」

コストとの兼ね合いで、大量生産の絵本が主流の中、手製ではないものの、ひとつの作品としての価値を高めるため、あえてコストのかかった製本をしているのが『しろねこくろねこ』です。

工芸の絵本
『しろねこくろねこ』(作:きくちちき、学研(Gakken))

いつも一緒のしろねことくろねこ。

しろねこはくろのねこの毛の色が、くろねこもしろねこの毛の色が好き。でも、しろねこは草むらや泥んこ遊びで色を変えるのに、くろねこはくろのまま…。

工芸の絵本

互いの違いを認め合い、自分自身を好きになる。物語はシンプルながら、迫力のある筆使いと鮮やかな色彩で目と心を奪われます。

「絵本作家きくちちきさんのデビュー作です。もともと、きくちさんが自費出版していた手製本があって、その世界観を失わないように改めて作った絵本です」

一見、普通の絵本と変わらないように見えます。

「そうですね。でも、函(はこ)入りで布製本というのは珍しいですし、紙も厚めで、普通のものとはだいぶ違います」

工芸の絵本
絵本では珍しい函入り
工芸の絵本
背表紙にタイトルと作家名が箔押しされているのも珍しい。デビュー前に製作した手製本も美しく、絵本の編集者の間で話題になっていたのだそう

有名な作家のものではなく、デビュー作というのが驚きました。

「一般流通させるために妥協した部分もあるかもしれませんが、出版社としても挑戦だったのではないかと思います」

工芸の絵本
原画は、和紙に墨と水彩で描かれている。色のにじみ具合、乾いたときの発色など、1つの場面を納得がいくまで何十枚も描く

絵本としての素晴らしさが認められ、2013年、世界的に有名なブラティスラヴァ世界絵本原画展で「金のりんご賞」を受賞しました。

「作家はもちろんですが、作品に対する編集者さんの強い想いも感じられます。これだけこだわり抜いた絵本はなかなか出てこないと思います」

好きなところから塗るか、最初から全部塗るか「ぬりえほん①ねこ」

次にご紹介するのは『ぬりえほん①ねこ』。

工芸の絵本
『ぬりえほん①ねこ』(え:あべしんじ、NEUTRAL COLORS)

「塗り絵をしながら物語をつないでいくという絵本です」

1枚、1枚、違う紙に描かれた100匹のねこ。頁数222ページと、なかなか塗りごたえのある絵本です。

工芸の絵本

「大人は、この本をどんなふうに使ったらいいんだろうと考えてしまいそうですが、子どもは自由に楽しめる絵本だと思います」

好きなところから塗るか、最初から全部塗るか、性格も出そうですね。

「質感や色の違う10種類の紙を使っているので、紙によって画材を変えるのも楽しそうです」

工芸の絵本
工芸の絵本
作例(写真提供:NEUTRAL COLORS)
工芸の絵本
作例(写真提供:NEUTRAL COLORS)

「ところどころにある物語を読みながら、その中で感じたことを膨らませて色をつけていく楽しみもあります」

最後には自分だけのオリジナル絵本ができあがる。

ページを簡単に切り離すことができるので、描いたものを飾ることができるというのも嬉しい絵本です。

伝統技術と新しい技術で進化する絵本の世界「360BOOK 地球と月」

「最後に紹介するのもちょっと変わった絵本『360BOOK 地球と月』です」

本を開くと、立体に世界が広がります。

工芸の絵本
『360°BOOK 地球と月』(作:大野友資、青幻舎)

「一級建築士でもある大野友資(おおの ゆうすけ)さんが手がけた絵本で、シリーズになっています」

建築士さんが作るだけあって、構造がきれいです。いつまででも眺めていられそう。

「製本工程の後に、手作業で各ページを糸で繋いでいます」

工芸の絵本
同じ形のページはなく、ひとつひとつ、糸で繋いでいく

「小さな宇宙が手のひらに乗っているみたいな楽しさがあります。インテリアにもおすすめですね」

それにしても、いろんな絵本がありますね。

「“本”とは何だろうって思います(笑)」

工芸の絵本

デザイナーさんや、建築士さんなど、いろんな分野の方が手がけているのも面白いです。

「自分たちでこだわって本を出している版元さんも増えている印象があります」

『ぬりえほん①ねこ』を出版するNEUTRAL COLORSさんは、企画、編集、製作、印刷、製本、営業までほぼ一人で行なっているんだそう。

「種類の違う紙をこんなにたくさん使って1冊作るというのは、なかなかできないことです。お一人だからできることもあるだろうと思います」

工芸の絵本
手製本だからできるこだわりを尊重した『しろねこくろねこ』

「新しいことに挑戦する面白い出版社が増えることで、本の幅も広がっているように感じます」という馬場さん。

それは絵本だからできることでもあるのでしょうか。

「そうですね。絵本は読むだけでなく、触れたり、視覚的に楽しめたりできるので、作家の表現したいことによって、いろんな方法を用いることができると思います」

工芸の絵本

「材質にこだわったものや独特の製本技術を使った本など、紙の絵本には電子書籍では味わえない魅力がたくさんあります。そんなことを感じながら、本への興味を深めていただけるとうれしいです」

職人さんの伝統技術が施されたものから、新しい製本技術が使われているものまで、技術の進歩で絵本の世界も進化している。

これから先、どんな絵本が出てくるのか楽しみです。

「新しい表現方法に挑戦してくれる絵本作家さんも出てくるとうれしいなと思います」

工芸の絵本

読むものに五感で刺激を与えてくれる美しい絵本たち。

みなさんも手に取ってみてはいかがですか。

<紹介した絵本>
『水の生きもの』
『Little Tree』
『しろねこくろねこ』
『360°BOOK 地球と月』
『ぬりえほん①ねこ』

<取材協力>
クレヨンハウス東京店
東京都港区北青山3-8-15
03-3406-6308(代表)
03-3406-6492(子どもの本売場直通)
営業時間:平日11:00~19:00 土・日・祝日10:30~19:00
定休日:年中無休 (年末年始を除く)

文 : 坂田未希子
写真 : カワベミサキ

*こちらは、2019年11月26日の記事を再編集して公開いたしました。

思い出の絵本を「修理」して娘と読み継ぐ。製本工房リーブルで見た、匠の技

我が家には古い絵本がたくさんあります。
その多くは夫が実家から持ってきたもの。

「いつか子どもが生まれたら一緒に読みたい」と、自分が子どもの頃に読んでいたものを大事にとっておいたそうです。

念願叶って、親子で絵本の時間を楽しんでいます。

最近は1人で読めるようにもなり、好きな絵本を繰り返し読んでいます。

『ぐりとぐら』もそのひとつ。最後に大きな卵のカラで作る車が出てくるところがお気に入りなのだとか。

製本工房リーブル

でも、年季の入った絵本なので、傷みもあります。背表紙の部分が破れて、ボロボロに。

製本工房リーブル

大好きな『おおきなかぶ』も、

製本工房リーブル
製本工房リーブル

背表紙が剥がれてしまっています。このまま読み続けると、絵本がバラバラになってしまいそう。

今も人気の定番絵本なので、買い直すのは簡単ですが、大切に読んできた絵本を捨てるのも忍びない。

できれば修理をして、この先も娘に、そのまた娘にと読み継いでもらいたい。そうすることで、ものを大切にする心も育つように思います。

調べてみると、本の修理をしている工房があるとのこと。早速、訪ねてみました。

日本唯一の製本資材専門会社が営む「製本工房リーブル」へ

東京、水道橋にある「製本工房リーブル」。

製本工房リーブル

製本教室、受注製本、製本用品の販売などを手がける工房です。

日本で唯一の製本資材専門会社「伊藤信男商店」の手製本部門として、1980年に設立されました。

「もともと機械製本用に大容量の材料を扱っていたんですが、40年前に東急ハンズさんから手製本用にも材料を卸してほしいと頼まれたのがきっかけで、手製本部門を作ることになりました」

そう話すのは、工房の代表で、製本家の岡野暢夫(おかの のぶお)さん。

製本工房リーブル

「最初の頃は、材料をひとつひとつ手作業で小分けしていました」

当時、「手製本」は馴染みのない工芸でしたが、東急ハンズで製本教室も開かれ、次第に材料も売れるように。

製本工房リーブル

工房でも製本教室を始め、地方からも生徒さんが通うようになりました。

「今、教室の生徒は120人くらいいます」

目的もいろいろで、好きな布地を使って文庫本を製本する人や、自分史を作ることを最終目的にしている人、30年以上通ってる人もいるのだそう。

「製本教室は全国にありますが、日本の伝統的な技術を継承しているのはリーブルだけだと思います。

販売している道具には、昔から日本の職人さんが使っているものが多くあります」

製本工房リーブル
様々な用途に使うプレス機

同じようで同じではない本の修理

工房では、製本教室のほか、製本や修理の依頼も受けています。

「これは、おばあさんの戦時中の日記を製本した時の表紙です。お孫さんの依頼で、おばあさんが着ていた襦袢を表紙にしました」

製本工房リーブル

「製本の場合、単なる本づくりに限らず、紙の破れなどの修理が必要なこともあります。本の修理を手掛けるところがあまりないので、口コミで広がって、修理の依頼も増えてきました。辞書や聖書などが多いですね」

工房は岡野さんひとりでやっているため、修理にも時間がかかり、今は1年待ちの状態。

そんな中、今回は特別にお願いし、修理作業を見せていただけることになりました。

まずは、『ぐりとぐら』から。

背の部分が外れていますが、欠損はありません。

製本工房リーブル

「どう直すか。解体して閉じ直しをするのが本を長持ちさせるのには一番いいんですけど、それには時間もお金もかかります。

これは、背の部分が残っているので、ここだけ直すのでよければ、すぐできます。やってみましょう」

破れの部分をボンドで接着します。

製本工房リーブル

紙をあて、クリップでとめて、くっつくように固定します。

製本工房リーブル

「これで完了。様子をみて、つかなければ他の方法を考えます」

この本はボンドでの修理が可能でしたが、できないものもあるそうです。

「今の本は、合成樹脂系の接着剤を使っているものが多く、単にボンドをつけるだけでは修理できません。

図書館の本のように、フィルムが貼ってあると接着剤が付かないので修理ができないこともあります。フィルムを貼ると汚れはつきにくいかもしれませんが、修理のことを考えると貼らない方がいいですね」

続いて、『おおきなかぶ』。これは、背が破けてなくなっています。

製本工房リーブル

「先ほどと同じようですが壊れ方が違います。これは、表紙を外さないと直せません。中はどうかな」

製本工房リーブル

糸が少し切れているものの、閉じ直しをするほどでもないと判断。

「それでは、ちょっとやってみましょう」

表紙の裏の見返し紙に切り込みを入れ、特製のヘラで表紙と中身を外していきます。

製本工房リーブル

「昔はこの直し方はやらなかったんです。切り込みが入るのを嫌がる人もいるので。それでもいいという人には、この方が早いのでこれで。直ったときはさほどわかりません」

表紙と中身が分解されました!

製本工房リーブル

次に、背表紙の芯になっているボール紙を外していきます。

製本工房リーブル

解体完了です。

製本工房リーブル

次に、欠けてしまった部分に紙をついでいきます。

「さて、どんな色の紙を使うか。あえて分かりやすい色の紙を足して、修理の跡がわかるようにするのもひとつの方法。もしくは、表紙と同じような質感の紙を選んで、色を塗ってわからなくする方法もあります。

でも、手間も時間もかかる作業なので、今回は、表紙と同じような白い紙で直しましょう」

取り出して来たのは包装紙。

「これは、和紙の包装紙の切れ端です。使うのはほんの少しなので、ここにはいろんな切れ端もとってあるんです」

和紙を必要な大きさにカットします。

製本工房リーブル

ここにも、修理のポイントがあります。

「和紙の場合、貼り合わせる部分は手でちぎります。切り口に繊維が出て、貼り合わせたところに段差ができません。

細かく気を使って修理をすることで、仕上がりに違いが出てきますね」

背表紙に筆で水を塗り、シワになっているところを伸ばした後、紙を足す部分に、水で薄めたボンドを塗ります。

製本工房リーブル

その上に、先ほどカットした和紙を貼り付けます。

製本工房リーブル

欠けた部分に紙が足され、破けがなくなりました。

製本工房リーブル

次に、背表紙に新しい芯をボンドでつけます。

製本工房リーブル

そして、表紙に切り離した中身をつけていきます。

製本工房リーブル

ずれないように、隙間がないようにぴったり‥‥

製本工房リーブル

剥がれないように、へらでこすります。

製本工房リーブル

最後に、表紙と背表紙の間の溝を銀杏鏝(いちょうごて)でつけた後、

製本工房リーブル

鏝を機械化したもので、プレスして仕上げます。

製本工房リーブル

きれいにくっついているか確認して完成です!

製本工房リーブル
製本工房リーブル
製本工房リーブル
製本工房リーブル
製本工房リーブル

すごい!どちらも背表紙がしっかりして、まるで本が生き返えったかのよう!

ありがとうございました!

本の構造を知らないと修理はできない

今回、本が解体されていくのを見て、初めて本の構造を知ることができました。

「修理は、本がどのようにできているか知らないとできません。例えば、背表紙と表紙の間の“溝空き”は、角背の場合9ミリです」

製本工房リーブル
表紙のボール紙と背表紙のボール紙の間の「溝空き」の幅は、ボール紙の厚さによって幅が決まってくる

「もし、9ミリより少なくすると、表紙が広く開かない本になってしまう。基本的な構造を知らないと修理はできません。だから、私は修理だけというのも教えていません。本を作る技術を学んで、その技術を活かして修理するので」

製本工房リーブル

「最近、ネットなどで本の修理の様子を見かけることが多くなりましたが、安易な修理で済まされているものが少なくありません。それでは、またすぐに壊れてしまう。本の作り方をよく勉強してから修理を手掛けてほしいですね」

製本工房リーブル
閉じ直しをしているもの

修理の依頼は様々。漫画や、人から借りて破いてしまった本の修理もあるそうです。

「以前、蒲鉾屋の包装紙がかけてある本を持ってきた方がいました。

外した包装紙を“捨ててもいいですね?”と聞いたら、“それが大事なんです”って。それも含めて直してほしいと。大切に思うものは人それぞれなんだと痛切に感じました」

製本工房リーブル
表紙を貼る時にこすって使う「竹指輪」や、ヘラなど。和裁用のヘラの先を薄くした自作の道具もある

修理の方法も依頼主によって変わります。

「オリジナルを完全に残す方法、部分的に変えてしまう方法。ここで受ける場合は、直接お会いしてどう直すか確認するようにしています。

例えば表紙がボロボロの場合、全部新しくするのは簡単ですが、残したい部分があると、どう残すかが肝心です」

製本工房リーブル

製本の仕事は天職だと言う岡野さん。

「休みの日も、あの本はこんな風に製本したいな、修理したいなと思うと仕事に行きたくなります。修理することで、ボロボロになっていたものがきれいになるという達成感、お客さんが喜んでくれる嬉しさもありますね。

中には、もう読まないから形が整えばいいという方もいますが、また壊れてしまうような修理はしたくない。この先、何回開け閉めしても壊れない修理を心がけています」

修理を通して知る製本の魅力

修理された絵本を娘に渡しました。

製本工房リーブル

「わぁ、びっくり!すごい!」娘が喜ぶ顔をみて、夫も満足そう。

この先も大切に、たくさんたくさん読んでほしいと思います。

製本工房リーブル

今回、修理を通して製本の技術を知ることができ、製本自体にもとても興味を持ちました。

今度は製本教室に通って、自分でも修理ができるようになりたいと思います。

<取材協力>
製本工房リーブル
東京都文京区本郷1-4-7協和ビル3F
03-3814-6069
営業時間: 10:00~17:30(土曜日~13:00)
休業日: 日曜日/祝日/第2・第5土曜日

文 : 坂田未希子
写真 : 中村ナリコ、坂田未希子

絵本で読む「ものづくり」。クレヨンハウスのスタッフが選ぶ工芸の本5選

『ぐりとぐら』『おばけのバーバパパ』『だるまちゃんとてんぐちゃん』『おおきなかぶ』‥‥

「絵本」は、いつの時代も子どもたちの心を育んでくれます。

子どもの本専門店のスタッフが選ぶ、「工芸」に触れられる5冊の絵本

我が家の4歳になる娘も絵本が大好き。絵本の中で絵や文字に触れることで、彼女の世界観にも広がりが出てきたように感じます。

「もっともっと、いろんな絵本に触れてほしい」そんな思いから、今日は、書店員さんがおすすめする「工芸」に触れられる作品を紹介したいと思います。

訪れたのは東京・青山にある、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」。

子どもの本の専門店「クレヨンハウス」

1976年創業の子どもの本の専門店です。

「工芸に関わる絵本というひとつのジャンルを見つめ直す、とてもいいきっかけになりました」

そう話すのは、子どもの本売り場の馬場里菜(ばば りな)さん。

クレヨンハウスの馬場さん

いつもはお店のスタッフとしてお客様の選書のお手伝いもしているそうです。

どんな絵本が登場するのか楽しみです。

染色の世界を楽しむ『せんねん まんねん』

「最初にご紹介したいのは、『せんねん まんねん』です」

『せんねんまんねん』詩:まど・みちお、絵:柚木沙弥郎、理論社
『せんねんまんねん』詩:まど・みちお、絵:柚木沙弥郎、理論社

「工芸に携わる方の絵本と考えた時に、真っ先に染色家の柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)さんが手がけた本をご紹介しないわけにはいかないと思いました。

柚木さんは民芸をアートに昇華させた第一人者でもありますが、絵本を出されたのは70才を過ぎてから。あかちゃん向きの絵本から、大人もたのしめる詩の絵本まで、全部で10冊ほど手がけています」

『せんねんまんねん』詩:まど・みちお、絵:柚木沙弥郎、理論社
『せんねんまんねん』詩:まど・みちお、絵:柚木沙弥郎、理論社

「本作は命のつながりや、万物の時の流れを感じられる絵本で、子どもたちに伝えていきたいテーマだと思い、選びました」

 いつかのっぽのヤシの木になるために
 そのヤシのみが地べたに落ちる

世の中のあらゆるものごとは、繋がり合い、連動している。まどさんの詩の世界の中で、柚木さんの絵がたゆたい、踊っているようにも見えます。

「言葉と絵が響き合っている作品です。柚木さんの絵がほんとに素晴らしくて、色使いや、色彩のにじみかたも含めて、柚木さんの染色家であられるところが存分に出ている作品ではないでしょうか」

リアルなわにの存在感は木版画の力『わにわにのおふろ』

2冊目は、子どもたちに大人気の「わにわにのえほん」シリーズ。

『わにわにのおふろ』(文:小風さち、絵:山口マオ、福音館書店)
『わにわにのおふろ』(文:小風さち、絵:山口マオ、福音館書店)

お風呂が大好きなわにわにがお湯をため、湯ぶねにつかり、おもちゃで遊んだり、あぶくをとばしたり、歌をうたったりする楽しい絵本です。

「版画家で絵本作家の山口マオさんが手がけた作品で、木版画で描かれています。

木版ならではの無骨さが、わにのゴツゴツした肌感にぴったりだなと思います」

『わにわにのおふろ』(文:小風さち、絵:山口マオ、福音館書店)
『わにわにのおふろ』(文:小風さち、絵:山口マオ、福音館書店)

「文章の小風さんから、可愛らしいワニではなく、ワニらしいワニを描いてほしいと言われて、ワニ園に行って研究されたそうです」

確かに、本物のワニみたいです。

「わにわにの姿がパッと目に飛び込んでくるのは、木版画で刷りを重ねているからこその、立体感かなと思います」

子どもたちに大人気のシリーズですが、実は刊行当初、親御さんたちの評判があまりよくなかったのだとか。

伝統工芸の絵本

「身体も洗わずに湯ぶねにつかっちゃうし、タオルの上に横になってからだを拭いちゃう(笑)。でも、子どもはお風呂が楽しくなるようですね」

うちの娘もわにわにが大好き。特に好きなのは「洗面器をかぶって歌うところ」なのだとか。

きっと、自分も同じようなことをしているので親しみがわくのでしょう。

作家さんのこだわりや想いは、作品を通してきちんと子どもたちに伝わっているのだと感じられました。

絵本は、工芸やアートに触れられるひとつのメディア

柚木さんの染色にしても、山口さんの木版にしても、美術館に行かなければ見られないような工芸作品に、知らず知らずのうちに出会えるのが絵本の魅力でもあります。

クレヨンハウスの馬場さん

「絵本は、小さなお子さんから大人まで、工芸やアートに身近に触れられるひとつのメディア」だと馬場さんは言います。

「美術館でなければ見られないようなアート作品や文学に、0歳の頃から触れられて、それを好きな時に読めるというのは、実はすごいことなんじゃないかと思うんです。

日々目にしている絵本を通じて、知らず知らずのうちに小さい頃から読書体験を重ねることで、目を養い、心を育てることにも繋がるのではないかなと思います」

手作りの道具の温かみを感じられる人気シリーズ『14ひきのこもりうた』

3冊目はこちら。

『14ひきのこもりうた』(作:いわむらかずお、童心社)。里山に暮らす14匹の野ネズミの家族の生活を描いた作品
『14ひきのこもりうた』(作:いわむらかずお、童心社)。里山に暮らす14匹の野ネズミの家族の生活を描いた作品

30年以上に渡る人気シリーズなので、読んだことがある方も多いのではないでしょうか。

「絵本に描かれている木の器やかごといった道具類は、すべて手作りの工芸品。ぜひご紹介したいと思いました。

私も子どもの頃にこの絵本を読んでいて、14ひきのかぞくが入浴している薪で炊くお風呂がすごく気持ちよさそうで、憧れていたことを今でも思い出します」

『14ひきのこもりうた』(作:いわむらかずお、童心社)
『14ひきのこもりうた』(作:いわむらかずお、童心社)

確かに、実際に使ったことがないものや見たことがないものもたくさん描かれていますが、どこか懐かしい感じがします。

「描かれているのは、いわむらさんのご出身である栃木県の里山の風景です。生活に密着した風景を丁寧に描いています。

ねずみの家族が使っている生活雑貨は手作りならではの温かみがあって、それが自然と作品の魅力にもつながっているんだと思います」

伝統工芸の絵本
娘も大好きなシリーズ。ねずみの兄妹たちの様子に一喜一憂しながら、絵本の世界に入り込んで楽しんでいます

文章は少なく、ページいっぱいにねずみの家族の生活が生き生きと描かれ、見ているだけで楽しくなります。

「子どもたちはページのすみずみまで絵をよく見ていて、文章に書かれていないことも読み取っています。

大人が気づかないようなささやかなこと、例えば登場人物のしていることや部屋の間取り、ものの配置にも気が付いているんですよ」

道具を大切に使う想い『ひまなこなべ』

4冊目は、アイヌに伝わる儀礼「熊送り(イオマンテ)」をテーマにした昔話を描いた『ひまなこなべ』。

『ひまなこなべ』(文:萱野茂、絵:どいかや、あすなろ書房)。大きな宴会では出番がない小鍋。いつも大切に使ってくれていることへの感謝を込めて、人となって踊るというお話
『ひまなこなべ』(文:萱野茂、絵:どいかや、あすなろ書房)。大きな宴会では出番がない小鍋。いつも大切に使ってくれていることへの感謝を込めて、人となって踊るというお話

「絵本作家のどいかやさんが実際にアイヌ地方に足を運んで、語り継がれてきた物語の聞き取りをしながら描かれた作品です。

主人公たちが着ている民族衣装や、飾り絵として描かれている文様などからも、アイヌ地方の伝統工芸に触れることができると思います」

『ひまなこなべ』(文:萱野茂、絵:どいかや、あすなろ書房)
『ひまなこなべ』(文:萱野茂、絵:どいかや、あすなろ書房)

可愛らしい絵が物語の世界観と調和しています。

アイヌでは、自然と共に暮らす中で、すべてのものに命があると考えられています。

「道具にも命が宿っているということを語り継いできたアイヌの民話は、ものを大切に使うひとびとの心に繋がっています。

アイヌの文化や工芸に触れながら、自然とともに暮らす知恵も一緒に学びたいですね」

作り手にも読んでほしい一冊『満月をまって』

最後にご紹介いただいたのは、かご職人の父親と息子の物語『満月をまって』。

『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)
『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)

「作り手の想いが、どのように次の世代へ繋がっていくのか。時代の流れの中で失われ、それでも変わらないものは何なのか、読むたびに深い作品だなと思います」

 もうすぐ満月になる。
 とうさんがつくるかごみたいに、まんまるい満月に。

そんな冒頭の一文が大好きだと言う馬場さん。

「お父さんが作るかごへの憧れと、喜びと誇りが感じられて、ぐっときます」

『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)
『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)

今から100年ほど前のアメリカ合衆国の実話がもとになったお話。

満月になると、手作りのかごを売りに行く、父。9歳になって、はじめて一緒に出かけることを許された、少年。

ところが、初めて見る都会はまぶしく、父さんの作るかごもどこか古ぼけて見えてしまう‥‥。

読んでいて胸がいっぱいになりました。

「父親と同じかご職人を目指す息子の視点で語られた物語から、手作りのものに対する愛情と情熱を感じます。

時代の移り変わりの中で、手作りのかごがプラスチックやビニールに代わっていく。そんな時代の流れも写しとった作品です」

『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)
『満月をまって』(文:メアリー・リン・レイ、絵:バーバラ・クーニー、訳:掛川恭子、あすなろ書房)

「森の恵みから生まれてくる、ひとつの“かご”が丁寧に描かれていて、職人たちの自然との対話や、ものづくりへの情熱を感じられる本だと思います」

作り手にも染み入る本ですね。

「工芸品を作る職人さんだからこそ、通じることがあるかもしれません。読む人によって感じ方が違うのも、絵本の魅力だと思います」

親子三代にわたって親しまれる本屋に

2018年12月に創業43年を迎えたクレヨンハウス。

作家の落合恵子さんが、文化放送アナウンサー時代、海外で目にした書店に憧れ、日本にも座り読みのできる本屋さんを作りたいという思いから始まりました。

現在は本だけでなく、オーガニック食材をつかったレストランや野菜市場、安心安全な木製玩具のフロアや、オーガニックコスメやコットンを扱うミズ・クレヨンハウスなどもあり、子どもや女性の視点から文化を発信しています。

クレヨンハウス

親子三世代にわたってお店を訪れる方も多いそうです。

「子どもの頃に読んだ本に再会される方や、お子さんに読んであげていた絵本をお孫さんに買っていかれるお客さまなど、日々、絵本が世代を超えて読み継がれている様子を感じます」

創業当時から使われているテーブル。子どもたちが絵本を読んで楽しむ姿を見つめてきた
創業当時から使われているテーブル。子どもたちが絵本を読んで楽しむ姿を見つめてきた

常備している子どもの本はなんと5万冊。どのように選定しているんでしょうか?

「毎月、スタッフ全員で、その月に出版された新刊絵本を読む“新刊会議”をしています。子どもの本だけでも毎月300冊ぐらい新刊が出版されていますが、全部をスタッフが読み込んで、その中から、お店に置く本を選んでいます」

毎月300冊!大変な作業ですね。

「子どもが読んで、純粋に心踊るもの、面白いなと感じられるもの、大人の目にも耐えうるような文学性やアート性の高いものを選んでいます。

クレヨンハウス

長く読み継がれている本もたくさんありますが、新しい作家さんが生まれてこないと、子どもの本の文化は育っていかないと思っているので、新しい作品や作家に出会える“新刊会議”は楽しみでもありますね」

大切なのは親子で楽しむ時間

「絵本に年齢制限はありません」と言う馬場さん。

「1冊の絵本でも、その時々によって絵本の感じ方が違うと思うので、子どもも大人も、年齢にとらわれず、お気に入りの絵本に何度も触れて読んでいただきたいなと思います」

クレヨンハウス

読み聞かせのポイントはあるのでしょうか?

「子どもにとっておはなしの内容はもちろんですが、 “読んでもらった”体験を積み重ねることが大切なので、上手に読もうとか肩肘を張らずに、一緒にその時間を楽しむことが一番だと思います」

伝統工芸の絵本

お店でも、表紙を見て「この本、小さい頃に読んでた!」という、大人の方の声をよく聞くといいます。

「それは、誰かに“覚えておいてね”と言われたわけではなくて、大切な人に読んでもらって、小さな心が動いたからこそ、表紙を見ただけで記憶が蘇るんだと思います」

「どう思った?」などと答えを求めないことも大切。

「子どもの絵本の楽しみ方は、大人が考えるよりずっと自由だと思うんです。その子自身が何かしら感じているものがあると思うので、余韻を残してあげるといいですね。

どんなことが、その子の人生や心の糧になるかわからないので、長い目で見ていただけたらいいのかなと思います」

「子どもは絵本で体験したことと、自分の体験が重なりながら、心が育っていきます。感受性を耕すものの一つが絵本なのかなと思います」

クレヨンハウス

工芸のもつ温かみや、作る人の想いを感じることができる。

絵本を通して工芸に触れてみたら、また違った世界が広がっていきました。

みなさんも一冊、手に取ってみてはいかがでしょうか。

<紹介した絵本>
『せんねんまんねん』
『わにわにのおふろ』
『14ひきのこもりうた』
『ひまなこなべ』
『満月をまって』

<取材協力>
クレヨンハウス東京店
東京都港区北青山3-8-15
03-3406-6308(子どもの本売場直通)
営業時間:平日11:00~19:00 土・日・祝日10:30~19:00
定休日:年中無休 (年末年始を除く) 

文 : 坂田未希子
写真 : カワベミサキ

※こちらは、2019年5月15日の記事を再編集して公開しました。

世界が愛する「コーノ式」コーヒーサイフォンが生まれた背景とは

みなさん、コーヒーはお好きですか?

ミルで豆を挽いたり、ハンドドリップで淹れたり、こだわりをもってコーヒーを楽しんでいる方も多いのではないでしょうか。

ペーパードリップ、ネルドリップ、コーヒーマシーン‥‥様々なコーヒー抽出機がありますが、今日はこちら。

「コーノ式」のコーヒーサイフォン

コーヒーサイフォンのお話です。

フラスコでお湯が沸騰するポコポコという音。お湯が上がっていったと思ったら落ちてくる様子。

まるで実験器具のようでもあり、見ているだけで楽しくなります。

サイフォン式でコーヒーを抽出の様子

今から90年以上前に、一人の青年が国産初のサイフォン抽出器を開発。それを「コーヒーサイフォン」と名付けました。

いったいどんな方が開発したのか。

「美味しいコーヒーを飲みたい」

1人の青年の熱い想いから生まれたコーヒー器具の物語です。

「もっと美味しくなるんじゃないか」

巣鴨駅から徒歩3分ほど。住宅街を歩いていると、コーヒーのいい香りがしてきます。

創業94年、珈琲サイフォン株式会社さん。

巣鴨駅から徒歩3分の珈琲サイフォン株式会社

コーヒー器具の製造・販売、豆の焙煎・販売を行なっています。

巣鴨駅から徒歩3分の珈琲サイフォン株式会社

「コーヒーサイフォンを開発したのは私の祖父、河野彬(こうの あきら)です」

そう話すのは、珈琲サイフォン株式会社代表の河野雅信(こうの まさのぶ)さん。

珈琲サイフォン株式会社代表の河野雅信(こうの まさのぶ)さん

開発者の名前から「コーノ式」として世界に知られるこのコーヒーサイフォンは、どのようにして生まれたのでしょうか。

1919年(大正8年)、九州帝国大学医学部助手だった彬さんは、外務省嘱託の大使館付医務官としてシンガポールに渡りました。

「どうやら、シンガポールで飲んだコーヒーの味が気に入らなかったようで‥‥お酒も飲まない人だったので、味覚もクリアだったんだと思います」

当時のシンガポールのコーヒーは、インドネシア産の低級品の豆を真っ黒に炒り、棒でたたいて潰したものを布に入れて、大鍋で煮出すといったもの。そこにお砂糖とミルクを入れたものが一般的でした。

「もっと美味しくなるんじゃないか」

そう思ったのがきっかけでした。

開発の元となったのは医療器具だった

日本にコーヒーが伝わったのは江戸時代の頃。彬さんがシンガポールに渡った当時は、ネルドリップで淹れる本格コーヒーが人気になっていました。

焙煎されるコーヒー豆

日本ですでにコーヒーを嗜んでいた彬さん。どうやったら現地で美味しいコーヒーを抽出できるのか研究をはじめます。

「当時、シンガポールはイギリス領だったため、海外のコーヒー器具が輸入されていました。それを集めて、いろいろ試してみたようです」

ヒントになったのは、イギリス人のロバート・ナピアがサイフォン原理を使って発明したコーヒー抽出機でした。

ナピア式は、粉を入れるロートとお湯を入れるフラスコ部分が左右に分かれていて、お湯が沸くと粉の方に移動し、冷めると戻るという仕組み。

フラスコとロートが上下になった「コーノ式」のコーヒーサイフォン
コーノ式はフラスコとロートが上下になっている

「ナピア式にはいくつか欠点がありました。まず、使われていたフィルターは、金属に穴を開けただけのものだったため、お湯と一緒に粉も戻ってきてしまう。また、密閉されているので撹拌もできない。

それらを改善するために、身近にあった道具を使っていろいろ工夫したようです」

身近な道具?

「医療器具です。祖父は、医療用品の輸出ビジネスも行なっていたので、身の回りに様々な器具が揃っていました」

なるほど!コーヒーサイフォンがどことなく実験器具のように見えるのは、実際に医療器具が開発の元になったからだったんですね。

1921年、帰国した彬さんはその後も開発を続け、1925年(大正14年)、ガラス製コーヒー器具「河野式茶琲サイフオン」が販売されました。

コーヒーサイフォンを開発した河野彬さんらの写真
1928年(昭和3年)、自宅でコーヒーパーティーをしている時の様子。右から2番目が彬さん

「コーヒーの持ち味を素直に抽出する」をモットーに

彬さんが開発したサイフォンの最大の特徴は透明な「ガラス製」であること。

「ガラスにすることで、抽出されている状態が見えるというのがポイントです」

コーヒーサイフォンの器具一式
コーヒーサイフォンの器具一式。右・アルコールランプとフラスコ、中・ロート、左・竹べら
コーヒーサイフォンでの抽出
蒸気によってお湯が上部のロートへ上がっていく
コーヒーサイフォンでの抽出
空気が混ざっているとお湯と粉が馴染まないので、木ベラで攪拌してあげる
コーヒーサイフォンでの抽出
上から泡(灰汁)、コーヒーの粉、液体と、綺麗に3層に分かれます
コーヒーサイフォンでの抽出
アルコールランプを外すと、お湯が冷めて下に液体が戻って完成です

「開発当時は硬質ガラス(耐熱ガラス)ではなく、並ガラス(耐熱ではないもの)を使っていたので、耐熱温度差で割れてしまうことがあったようです。

帰国後、日本で作られ始めていた耐熱ガラスを使うようになって完成しました」

彬さんがこだわったのは「コーヒーの持ち味を素直に抽出する」こと。

その後、その思想を受け継いだ2代目の河野敏夫(こうの としお)さんも改良に改良を重ねます。

「うちは濾過器(フィルター)も他のメーカーのものとは全く違います。コーヒーがフラスコに落ちてくる時に、灰汁が一緒に入らないようになっています」

コーヒーサイフォンでの抽出
ロートの上部に灰汁が残る

余計な雑味が入らないように改良を重ねたフィルター部分。その仕組みは‥‥企業秘密です。

喫茶店ブームに乗って広がったコーヒーサイフォン

1970〜80年代にかけて、日本では喫茶店ブームが起こり、一番多い時で18万軒ほどあったそう。

それまでネルドリップが主流だった喫茶店に、コーヒーサイフォンが並ぶようになりました。

コーノ式のコーヒーサイフォン
最盛期、コーノ式コーヒーサイフォンのシェア率は70%だったそう

「ドリップの場合、抽出時にお湯をゆっくり注ぎ続けなければなりません。たとえば、お客さんが4人来て、ブレンド、モカ、ブラジル、コロンビアと別々のコーヒーを注文されると、1杯淹れるのに5分、全員分淹れるのに20分もかかってしまい、同時提供ができません」

そのため、効率を考えてブレンド1種類しか提供しないお店もあったとか。

「サイフォンの場合、器具さえ用意して複数並べておけば、同時に淹れることが可能です。抽出中はフラスコをずっと加熱しているのでドリップよりも熱い温度で仕上がり、カップを温めておかなくても大丈夫です」

サイフォンは味も安定していると言います。

「ドリップで安定した味を出すには、1日100杯淹れる練習をして5年はかかります。そのぐらいやらないとダメ。それでも淹れる人によって味が変わります。

うちのサイフォンだったら、20時間ぐらい学べば安定した味になるし、淹れる人によってのバラつきもありません」

そうした機能性の高さから、コーヒーサイフォンは一気に喫茶店で広まっていきました。

コーヒーを上手に淹れる秘訣

大切なのは道具の使い方だと雅信さんは言います。

珈琲サイフォン株式会社代表の河野雅信さん

「この器具を使うには、どうやったら美味しく淹れられるのか。器具の構造には全て意味があります。

例えば、ドリップの場合、コーヒーの粉さんとお湯さんがお話ししなくちゃいけないんです」

お話しというと?

「時間をかけて淹れる。早く淹れるとお湯がさんが“こんにちは”“さようなら”で通過するだけなんです。それでは、ローストした豆の表面の色が流れ出ただけの黒いお湯になってしまいます」

あ、なるほど!すごくわかりやすい。

コーヒーサイフォン
円すい型のペーパードリッパー「ドリップ名人」。1968年よりドリッパーの開発も続けている

「コーヒーの粒子にお湯さんが遊びに行って、“あんたどうしてたの?元気してる?”みたいな長話をする間がなくちゃいけない。その間にエキスが出るわけだから」

エキスで少し濃くなったお湯さんがまた隣の家へ、そのまた隣の家へ‥‥

「遊びに行ってお煎餅食べたり、ケーキ食べたりしながら落ちてくる必要があるから、ドリップはゆっくり淹れる。それさえわかれば、ものすごく上手に淹れられます」

サイフォンの場合は、途中の攪拌で仲良くさせてあげられるので、安定した味になるのだそう。

3代にわたる開発の歴史。いまだ尽きないコーヒーへの探究心

世界的にも古く、日本では大正時代から続く唯一のコーヒー器具メーカーである珈琲サイフォン株式会社。

コーヒー器具を作って販売するには、焙煎のこと、淹れ方のこともぜんぶ知っていなくてはいけないと、日々研究し、開発を続けています。

珈琲サイフォン株式会社代表の河野雅信さん

「創業90周年(2015年)の時に、新しいドリッパーを作りました。“ペーパーでネルドリップと同じくらいの味わいを出したい”という2代目の想いに、47年かかってようやくたどり着きました」

珈琲サイフォン株式会社のブレンドコーヒー
開発当時の写真はコーヒー豆のパッケージにも使われている。当時の味を再現したブレンドも販売中

「よく、これまで飲んだ中で一番美味しいコーヒーは?って聞かれますが、そんなの無い。だって、満足したらそこで終わっちゃうじゃないですか。

いつも、次は何?もっとないの?という探究心があるから続けられるんです」

珈琲サイフォン株式会社代表の河野雅信さん

数年前から、沖縄でコーヒー農園をはじめた雅信さん。

「去年、収穫できそう!って言ってたら、台風でやられました」

ゆくゆくは、農園のコーヒーで、泡盛メーカーさんと一緒にコーヒー泡盛を作りたいと思っているのだとか。

コーヒーへの飽くなき探究心はまだまだ続きそうです。

取材後、自宅でコーヒーの粉さんとお湯さんのおしゃべりを意識しながら淹れてみたところ、驚くほど味が変わりました。

もちろん、プロの腕前には程遠いですが、ものには理屈があり、道具は正しく使わなくてはいけないのだと実感しました。

受け継いだのは技術だけではなく、「美味しいコーヒーを飲みたい」という熱い想い。

道具に込められた作り手の想いが伝わってきました。

<取材協力>
珈琲サイフォン株式会社
東京都文京区千石 4-29-13
03-3946-5481

文:坂田未希子
写真:中村ナリコ

※こちらは、2019年5月7日の記事を再編集して公開いたしました。

雪かきに欠かせない!クマ武「スノーダンプ」は最強の除雪道具だ

雪国で生まれた「最強」の除雪道具

あっという間に年の瀬。そろそろ初雪の便りが聞こえてくる季節となりました。

みなさん、雪かきの準備はできましたか?

雪の多い地域にとって除雪は命に関わる切実な問題です。

世界有数の豪雪地帯と言われる新潟県十日町市。

平均して一冬に累計10メートルあまり雪が降り積もるそうです。

クマ武スノーダンプ
写真提供:十日町市役所

厳しい環境で鍛え抜かれた除雪隊の仕事ぶりが、以前テレビ番組で紹介されたこともありました。

クマ武スノーダンプ
写真提供:十日町市役所

そんな雪国十日町で生まれた「最強」の除雪道具があります。

その名も「クマ武スノーダンプ」。

クマ武スノーダンプ

スノーダンプは、除雪した雪を乗せて運ぶ道具のこと。

「クマ武」とはなんとも勇ましい感じがしますが、いったいどう「最強」なのか。製造現場を訪ねました。

鉄工所から引き継がれた技術

伺ったのは JR十日町駅から歩いて20分ほどのところにある「山田屋商店」です。

クマ武スノーダンプ

一見、よくある街の金物店ですが、こちらで最強のスノーダンプが作られています。

クマ武スノーダンプ

「創業は明治32年。初めは金物と食料品を扱うお店でした」と話すのは、山田屋商店でスノーダンプの製造を担当している太田功さん。

街の雑貨屋さんから始まった山田屋商店さんですが、現在は家庭金物のほか、セメント、コンクリート二次製品、建築土木資材の販売、ガス工事や水道工事、ガソリンスタンド経営まで手がける、街の大きな雑貨屋さんです。

以前はお店で販売するだけだったスノーダンプを製造することになったのは、今から30数年前のこと。

「もとは、十日町の新座にあった樋熊鉄工所の樋熊武(ひぐま たけし)さんが試行錯誤して考えついたものです」

樋熊 武さんが作ったから「クマ武」。

「特許をとって、作り始めた頃に残念ながら亡くなられまして、弊社が引き継ぐことになりました」

雪国の家庭には、一家に1台スノーダンプ

そもそも、スノーダンプとはどんなものなのでしょうか。

「スノーダンプは道具の名前で、他の会社でも使っています。ダンプカーのように雪を乗せて、運んで降ろせるということだと思います」

クマ武スノーダンプ
写真提供:十日町市役所

雪国の生活では、建物を雪から守り、人や車が通る道を作るための除雪が欠かせません。

昔は「こしき」という木製のスコップなどで屋根の雪おろしなどをしていました。

クマ武スノーダンプ
昔の雪下ろしの様子。木製ではないがスコップをつかっている(写真提供:十日町市役所)

昭和30年代に鉄製のスノーダンプが登場。

その後、軽量のプラスチック製、アルミ製ができるなど、スノーダンプは雪国の生活を支えてきました。

「昔と比べて雪は少なくなりました。私が子どもの頃は家の2階からでも外に出られないぐらい積もっていましたが、今は消雪パイプ(道路に埋め込んだパイプから地下水を流して除雪したり路面凍結防止をするもの)や除雪車もあるので、除雪も楽になりました」

それでも雪の多い年は1シーズンに10回くらい屋根の雪下ろしをすることもあるそう。

「スノーダンプは雪下ろしだけでなく、家の前や道に積もった雪も片付けなくてはいけないので、どこの家庭にもあると思います」

クマ武スノーダンプ
家の前などに溜まった雪は、定期的に流雪溝(りゅうせつこう・水を利用して、雪を流す側溝)に捨てる。運ぶときもスノーダンプが必須

作業を少しでも楽にしたいという切実な思いを形に

ではクマ武スノーダンプはどんなものなのでしょうか。

「こちらがクマ武スノーダンプです」

クマ武スノーダンプ

‥‥失礼ながら大きなチリトリのようにしか見えず、あまり最強さが感じられません。どこが他のものと違うのでしょうか。

「一般的なスノーダンプは一枚板で作りますが、クマ武は先端部分と鍋の部分(雪を乗せる部分)が分かれています」

クマ武スノーダンプ

「先端の板は他よりも厚いので、雪が切りやすくなっています」

「雪を切る」とは?

「積もった雪にダンプを刺し込むと、すっと切れるというか。プラスチックは硬い雪だと刺さりにくいし、鉄の一枚板は、使ううちに先端が削れてしまいます」

クマ武スノーダンプ
高く降り積もった雪にダンプを差し込んで切る
クマ武スノーダンプ
切った雪をすくう

クマ武はステンレスなので鉄よりも硬く、しかも先端部分を厚くしているので削れにくく、長持ちするそうです。

また、ステンレスは滑りもいいといいます。

クマ武スノーダンプ

「乗せた雪を運ぶ時も滑りがいいので簡単に押すことができますし、捨てるのもスッと捨てられる。雪離れがいいのも特徴ですね」

特に雪下ろしには、この「雪離れ」が重要だと言います。

「屋根に上がるのは危険ですので、落ちないよう、滑らないように気をつけなければいけません。スノーダンプの雪離れが悪いと、雪を捨てた時に体ごと持っていかれそうになるので危ない。だから雪離れがいいことが重要になります」

クマ武スノーダンプ

雪下ろしはどのくらい積もるとするものなのでしょうか?

「1〜1.5メートルぐらいですかね。この辺りは水を含んだ雪で積もるほど重たくなるので、早めに下ろす人もいます」

クマ武は、この水っぽい雪にも向いているそうです。

「ステンレスは氷点下になるような地域では、雪が凍りついてくっついてしまうので向いてないと思います」

経験のない者には想像もつかないエピソードばかりです。

作業を少しでも安全に楽にしたい。そんな切実な思いを形にしたクマ武スノーダンプ。その最強さがわかってきたような気がします。

一生物の除雪道具

クマ武スノーダンプ

オールステンレス製のクマ武は錆びにくいのも特徴。

「使い方にもよりますが、最近、発売当初のものと思われるものを修理に来た方がいます。上手に使えば一生ものとして使えますね」

サイズは屋根用と中サイズ、大サイズの3種類。

「先端部分の長さが違います」

クマ武スノーダンプ

鍋の大きさは全部同じで、先端部分が2センチずつ大きくなっていきます。

「少しでも軽いのが欲しい人は屋根用。力があれば大きい方が一度にたくさん雪を運べます」

厚さにもひと工夫が。

「鍋に対して先端部分だけコンマ数ミリ厚くしてあるんです。全部を厚くすると重くなってしまうので」

重さは屋根用が4.7キロ、一番大きいサイズは5.5キロ。

持ってみるとスノーダンプ自体、かなりの重さ。これに雪が入ると思うと、少しでも軽い方がいいのがよくわかります。

樋熊さんが亡くなったことで、開発の経緯など詳しいことはわかっていないそうです。

「いろいろ苦労して考えたんだと思います。試作品を見たことがありますが、形が違ったりしていました」

鍋の後ろの部分を曲げてあるのにも意味があるそう。

クマ武スノーダンプ
鍋の端がコの字に曲げられている

「おそらく、雪を乗せて持ち上げる時にここに足をかけるので、踏んだ時に痛くないようにしているんだと思います」

心憎い配慮がされているところもまた、クマ武を最強と言わしめる所以なのかもしれません。

山田屋商店さんが引き継いだ経緯はなにかあるのでしょうか?

「どういうんでしょうね。特別知り合いだったわけでもないようですが、お話をいただいて、いい品物ですので、引き継がなければと思ったのではないでしょうか」

山田屋商店さんが引き継がなければ存在しなかったかもしれない「クマ武スノーダンプ」。

実は、製造方法にも「最強ポイント」が隠されているんです。

迷いなく作業ができる最強の溶接道具

クマ武が作られている現場を見せていただきました。

クマ武スノーダンプ

「最初は樋熊鉄工所にこちらの従業員が行って作っていましたが、今は工場を弊社の倉庫に移して、3人で作っています」

作業場にはパーツが並んでいます。

クマ武スノーダンプ
先端部分のパーツ

「部材は燕三条の会社で作ったものを仕入れて、ここでは溶接して組み立てるだけになっています」

新潟県の燕三条といえば日本を代表する金物の産地。パーツにも最強さが伺えます。

部材の発注も、樋熊さんが始めた時のまま変わっていないそうです。

「作り方は残っていた従業員の方に教えてもらいました」

クマ武スノーダンプ

実は、溶接するための道具もクマ武専用、樋熊さんのオリジナルです。

クマ武スノーダンプ
持ち手のパーツを組み立てて溶接する道具

「パーツを置けばすぐに溶接ができるように、置く角度も全て決まっています」

クマ武スノーダンプ
クマ武スノーダンプ

「よく考えてあるなと感心します。これがなければパーツを合わせるのも大変なので」

迷いなく作業ができる。

「そうですね。私どもはただ組み立てて溶接すればいいだけですから。ここまで考えた樋熊さんは本当にすごいなと思います」

スノーダンプ自体も改良はほとんどしていないと言います。

「鍋と持ち手のつなぎ部分を3点で止めていたところを、より丈夫にするために4点にしているぐらいです」

クマ武スノーダンプ

それだけ優れているもの?

「そうですね。ただ、昔と比べて体格の大きい方もいるので、もう少し持ち手を長くして欲しいとか要望はあるので、後々は考えていきたいと思っています」

クマ武という名前は?

「これも初めからできていました」

クマ武スノーダンプ

あぁ、本当に作る準備も全て整って、さぁ、これから作り出そう!という矢先だった。

名前がしっかり残って、きっと喜んでいるでしょうね。

「こんなに有名になるとは思ってなかったでしょうしね」

雪と仲良く暮らしてきたからこそ生まれた商品

山田屋商店さんではメンテナンスもしていただけるそうです。

クマ武スノーダンプ
倉庫に並んだクマ武スノーダンプ

「私どもではプレス加工ができないので、曲がってしまったものをきれいに直すのは難しいのですが、溶接であればいくらでも直してあげられます」

いいものなので、長く使って欲しいですね。

「そうですね。みなさん、使ってみるとやっぱりこれがいいなと言われます。安いものではありませんが、先端が減りづらいので長持ちすると思います」

十日町市の人口は5万人以上。豪雪地帯にこれほど多くの人々が暮らしている地域は世界的にも珍しいそうです。

それだけ、人々が上手に向き合いながら暮らしてきたと言えるのかもしれません。

クマ武スノーダンプ

雪のことをよく知る十日町だからこそ生まれた、クマ武スノーダンプ。

みなさんも冬の準備に求めてみてはいかがでしょうか。

新潟・十日町にある山田屋商店の雪かき道具・クマ武スノーダンプ
写真提供:十日町市役所

<取材協力>
山田屋商店
新潟県十日町市山本町五丁目866番地6
025-752-3105

文・写真 : 坂田未希子

※こちらは、2018年12月4日の記事を再編集して公開いたしました。