愛しの純喫茶 ~函館宝来町編~ 茶房 ひし伊

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
旅の途中でちょっと一息つきたい時、みなさんはどこに行きますか?私が選ぶのは、どんな地方にも必ずある老舗の喫茶店。お店の中だけ時間が止まったようなレトロな店内に、煙草がもくもく。懐かしのメニューと味のある店主が迎えてくれる純喫茶は密かな旅の楽しみです。旅の途中で訪れた、思わず愛おしくなってしまう純喫茶を紹介する「愛しの純喫茶」。第5回目は、1982年創業の喫茶&アンティークショップ、函館市宝来町の「茶房 ひし伊」です。

茶房 ひし伊の外観。右隣はアンティークショップ「古きものなどなど」を経営されています
茶房 ひし伊の外観。右隣はアンティークショップ「古きものなどなど」を経営されています

「茶房 ひし伊」は、函館西部地区の蓬莱町停車場すぐ近くにあります。明治38年に建てられた質蔵を改装した2階建ての建物です。当時、質店だった土蔵に質に置く品物が入りきらなくなったため、大正10年に建て増しされました。函館では珍しいとされる黒漆喰の外壁に、弁柄色(べんがらいろ・暗い赤みを帯びた茶色)の扉。元々が質屋なだけあって、鉄の扉があり重厚な作りですが、どこかエレガントな雰囲気に包まれているように感じます。質屋時代には歌人・石川啄木の妻である節子ともご縁があったそうです。

窓ガラスの地模様も美しい
窓ガラスの地模様も美しい

中に入ると、コーヒーの香ばしい香りが漂います。1階はカウンター席と、テーブル席が4卓あり、洋アンティーク風なしつらえです。

2階の吹き抜け部分から見たカウンター席
2階の吹き抜け部分から見たカウンター席

2階部分は吹き抜けになっており、ロフトのような造り。2階の小上がりになった座敷は4席ほど、質蔵らしい梁が露出した和風な雰囲気です。骨董品と思われる家具や調度品が置かれ、一度座ると、居心地よく長時間過ごしてしまいそうです。

天井部分は質蔵そのままの梁を生かした造り
天井部分は質蔵そのままの梁を生かした造り
趣のある調度品が並びます
趣のある調度品が並びます

和洋の雰囲気が混在するのは函館ならではでしょうか。メニューにも和のあんみつやお抹茶、洋のロールケーキやパフェが並びます。トーストやサラダなどの軽食もあり、スーツ姿の男性客も来られるのだとか。今日は、お抹茶と和菓子のセットをいただきます!

お抹茶と和菓子のセット
お抹茶と和菓子のセット

口当たりの良いお抹茶のほろ苦さは大人の味。小豆の和菓子もしっとりとしてちょうどいい甘さです。お店には、外国人観光客のお客様もよく来られるとか。函館元町のお散歩途中に、目にも舌にも嬉しい和洋文化に浸ってみてはいかがでしょうか。

茶房ひし伊
函館市宝来町9-4
0138-27-3300
10:00~18:00(L.O.17:30)

文:山口綾子
写真:菅井俊之

染めもの屋さん 加賀谷流のお雑煮

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
今日は美味しいものの話でも。取材やものづくりで訪れる、産地のお店やメーカーさん。そこで、大概「およばれ」に預かります。お茶とお茶うけ。地元の銘菓や駄菓子、そのお家のお母さんが作ったお漬物だったりと、頂くものはいろいろですが、これがまた、とても美味しいのです。普通の旅ではなかなか見つけられない、地元の日常をさんち編集部よりお届けします。

1月15日は小正月

昨日ご紹介した加賀谷旗店さんからお話を伺ったあとに「今日は小正月だから、うちではいつもお雑煮を食べるんですよ。よかったら召し上がっていってください」奥様がそうおっしゃってくださいました。それはもう、いただきます!

ここで小正月のお話を少し。
小正月とは、正月1月15日の行事を指すそうです。時期としては、14日から16日までの3日間ともされ、他にも諸説ありますが、元日から七日までを「大正月」と呼ぶのに対して、「小正月」と呼ばれるようです。この「小正月」までで門松などの正月飾りは片付けられ、お正月の行事は終わりとされています。また別名として、「女正月」(お正月に忙しく働いた女性たちにを休ませるため)「花正月」(餅花という柳の枝に餅を小さく丸めてつける習慣から)などとも呼ばれます。年神様や祖霊を迎える行事の多い大正月に対して、小正月には豊作祈願などの農業に関する行事や、家庭的なものが中心になっているようです。

さて、およばれに戻りましょう。
お正月にふさわしい、華やかなお椀が運ばれてきました。気持ちと身体が前のめりです。お椀の蓋を開けると、ふんわりと柚子の香りが広がり、編集部一同、わぁ…という感嘆の声が漏れます。昆布と鰹節で出汁を取った透明なおつゆの中には、にんじん、ダイコン、鶏肉、エビ、シイタケ、なるとかまぼこ、三つ葉。そして忘れてはいけないお餅!たっぷり具だくさんな内容です。本当に美味しそう。

では温かいうちに、いただきます!…あぁ、冷えた身体に染み渡る美味しさ。お出汁の優しさと、ちょうどよく煮込まれた具材が相まって、コクがありつつも上品なお味。函館に来てから、何をいただいても美味しいものばかり。北海道の昆布の力と奥様の料理の腕ですね。とっても美味しかったです。ごちそうさまでした!

文:山口綾子
写真:菅井俊之

加賀谷旗店・大漁旗から“のれん”の表札まで 形を変えても変わらない技術

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
港に集まる漁船に掲げられた色鮮やかな大漁旗(たいりょうばた)を見たことはありますか?大漁旗とは、漁船が大漁で帰港する際に船上に掲げる旗で、丘で待つ仲間や家族に大漁を知らせるため、または獲れすぎた海産物を他の船に載せてもらう要請の合図でもありました。
掲げられるようなったのは江戸時代からと言われていますが、海上からでも目立つように派手な色彩や大胆な構図で描かれ、大漁を願い、縁起を担ぐ意味合いが出てきたのは戦後からと言われています。

大漁旗を掲げた船の様子
大漁旗を掲げた船の様子

そんな大漁旗を作られている染めもの屋さんが、函館市の大手町にある明治30年創業の「加賀谷旗店」です。創業時は着物や半纏などの労働着や手ぬぐいの染めを行っていました。今では、大漁旗の他に神社ののぼり、タペストリー、のれんに至るまで様々な染めを続けられています。今日は3代目である加賀谷聰徳(かがや・としのり)さんに、先代から今に至るお仕事と、近年にお引き受けされたお仕事についてお話を伺うことができました。

加賀谷旗店の外観。石炭ストーブのための長い煙突が目立ちます
加賀谷旗店の外観。石炭ストーブのための長い煙突が目立ちます

小さな頃の遊び場が仕事場に

横浜港や長崎港とともに日本で初めて貿易港として開かれた函館港は、最盛期にはニシン漁やイカ漁で栄え、色とりどりの大漁旗で彩られていました。大漁旗を制作する染めもの屋さんは最盛期には50軒ほどあったそうですが、今では加賀谷旗店を含めて1~2軒を残すのみ、とのこと。加賀谷さんは、お父様から染めの仕事を受け継いで50年ほどになるそうです。仕事場である工場は小さい頃から遊び場のようだったとおっしゃいます。

加賀谷聰徳さん
加賀谷聰徳さん

「小さい頃からずっと父の仕事を見ていたので、跡を継ぐことは自然の流れでしたね。藍甕の藍を撹拌(かくはん)したものがブクブクと泡立っていたり(藍の華と呼ばれる)、真っ白な生地が藍につけたあとに化学反応で緑色から藍色に変色したり、染めものっておもしろいなあと思っていました」

そして20代の頃 「染料を深く学ぶには、質が高いものがたくさん集まっている京都で勉強をするのが良いらしい」ということで、地元の染料屋さんの紹介で京都の染めもの屋さんに2年ほど修行に行きます。お世話になった染めもの屋さんの大将は、新しいことが好きな方だったらしく、当時では珍しい化学染料の研究をよくされていたそうです。また、大将のご友人である人間国宝の方の仕事を見せていただいたり、染料の研究を行っている大きな会社の試験場で色見本のサンプルをいただくなど、期間としては短いものでしたがこの京都時代に染料の基礎を学ばれたそうです。

工房にある道具たち。制作用の刷毛が鮮やかです
工房にある道具たち。制作用の刷毛が鮮やかです

「そのときの経験はいまだに役に立っています。レベルの高いものをたくさん見て、物を見る目が養われましたね」

函館に帰って来てからは、デパートの呉服部に出入りをすることが多かったそうです。
京都で修行を積んだ職人として重宝され、とても励みになったとのこと。その後、着物の染めの扱いは減っていきました。大漁旗の制作は続けていましたが、200海里問題で漁獲高が減り、大漁旗の制作は式典や祝賀用としての需要に特化していきます。今でも進水式という新造船舶を初めて水につける式典や、3月下旬に海の流氷が沿岸から離れ、春漁が行われる海明けのお祝いに使用されることが多いそうです。

工房で乾燥中の大漁旗
工房で乾燥中の大漁旗

加賀谷さんが使用する染めの方法は「引き染め」という技法で、刷毛で手描きをして染めるやり方です。下描きには紅花色素を使い、染料を乗せない部分に糊付けし、その後染料で色を付け、糊の部分だけ水で流して乾燥させる、という工程です。函館の澄んだ水は糊を洗い流すのにぴったりなのだそうです。また、乾燥させるために湿気は禁物のため、水蒸気が出ない石炭のストーブを使っています。

制作中のタペストリー。右の白い部分が糊を置いていたところ
制作中のタペストリー。右の白い部分が糊を置いていたところ
ストーブ燃料の石炭がたくさん
ストーブ燃料の石炭がたくさん

「函と館」から突然の訪問

2013年のある日、函館空港ビルデング株式会社の佐藤拓郎さんが加賀屋旗店をアポなしで訪問されます。

「函館空港に新しくオープンするお店で販売する商品を作ってほしいと言われたんですよ。最初は佐藤さんのことを訪問販売のセールスマンか何かかと思いました(笑)。お話を聞いてから、地元のつながりもあるしせっかくなので協力したいと思いました」

お店の名前は「函と館」。北海道の道南地域の工芸や食品を集め、函館の魅力を再編集したコンセプトショップです。佐藤さんを含む函館空港ビルデング株式会社の中堅若手社員が中心となり、中川政七商店の協力を得ながら2015年12月1日にオープンしました。「函と館」は、地元メーカーとともに地域の文化・物産を発信するための函館らしい土産ものづくりを行っています。1本の電話から、加賀谷さんが大漁旗を染め上げる技法と同様の「引き染め」を用いて、船同士の通信に使われる世界共通の旗、国際信号旗をモチーフにした国際信号旗フラットバッグとハンカチーフが生まれました。

国際信号旗 フラットバッグ
国際信号旗 フラットバッグ
国際信号旗 ハンカチーフ
国際信号旗 ハンカチーフ

染め上がった生地は、近くで見ると染めた跡が程よいムラになっていて、手作りの温もりを感じます。日本で初めて国際的に開かれた開港五港の一つである函館港も、昔は国際信号旗でメッセージを伝え合う沢山の船で賑わったそうです。

「函館港は古くから開けた街で、外国船や飛鳥Ⅱ(外航クルーズ客船)なんかが入港するときに国際信号旗を掲げているのシチュエーションをよく見かけましたよ。それもあって国際信号旗の存在はもちろん知っていましたけど、船舶用のロープを持ち手にしたりとか、よくそんなアイデアが浮かぶなあって感心しましたね。気付かないところにヒントがあるのはおもしろいなあと思いました。新聞にも取り上げていただいて、とても良い出会いでしたね」

大漁旗から家の表札まで

加賀谷さんの染めもの作品は大漁旗やバッグだけには留まらず、最近ではなんと“のれん”を一般のご家庭の表札として制作されたそうです。のれんの表札を依頼された松浦さんのご自宅へ、加賀谷さんに案内していただきました。

のれんの表札がかけられた松浦さんのご自宅。2階部分が洋風、1階部分が和風という函館特有の和洋建築造り
のれんの表札がかけられた松浦さんのご自宅。2階部分が洋風、1階部分が和風という函館特有の和洋建築造り

松浦さんのご自宅は、函館山を背景にした坂の上にありました。家主である松浦恭祐さんは、ご出身地でもある札幌や、
函館の街を中心に眼科医として勤務されています。札幌市民の方の多くは、歴史ある函館が憧れの街なのだそうです。松浦さんもやはり憧れの地である函館にご自宅を建てられました。ご自宅が完成に近付く中で、なかなか決まらないことがひとつ。この函館特有の和洋建築の家に合う表札になかなか巡り会うことができませんでした。

そんな中、松浦さんの奥様が“のれんを表札代わりにする”ということを提案されます。というのも、奥様のご実家は福島にあるお料理屋さん。福島のお店では、店先にのれんをかける文化があり、奥様も小さな頃からのれんに親しみがありました。さらにご実家のお店用ののれんを加賀谷さんにお願いしたことを思い出して、加賀谷さんに相談してみようと思われたそうです。“のれんは表札代わりになりますか?”と。最初は少し戸惑われた加賀谷さんでしたが、実際に松浦さんのご自宅を訪れ、このお家ならのれんの表札がとっても映えることは間違いない!と確信されたそうです。

加賀谷さんはのれんのデザインに、ご自宅に生える立派な2本の松の木からヒントを得ました。お名前の“松”とも合ってぴったりです。この凛とした縁起の良いのれんは、お正月やお祝いの時期用で、普段は松浦家の家紋が大きくデザインされたのれんをかけてあるそうです。松ののれんとはまた雰囲気が違い、藍色と本麻の生成り色の組み合わせがシックで美しいです。お正月用と共に、世界にひとつだけの表札を松浦さんはたいへん気に入っておられるそうです。

家紋ののれんは普段は玄関の中にかけられています
家紋ののれんは普段は玄関の中にかけられています

松浦さんののれんは地元のテレビや新聞でも紹介されたそうです。それから、のれん表札の注文が結構来るようになったとか。

「今の時代、オートの機械で染めるものもあるんですよ。でも、昔からやっている手染め、和染めがいいとおっしゃるお客様もたくさんおられますね。やっぱり、機械には出せない味というか、人の手からじゃないと出ないものがあると思います。最近では、物を買う側も、多少高価だろうときちんとした技法の物を求める方が増えている気がします」

そう加賀谷さんは、おっしゃいます。
大漁旗からバッグ、そして表札ののれん。形は変われども人の手で作るからこそ、縁起を願い、気持ちを込めることができるのだと思います。
松浦家のお子さんたちが大きくなられて家族を持ち、自分の家を建てることになったそのとき。坂の上にはためく特別なのれんを思い出されるでしょう。加賀谷さんの技術とご家族の幸せを願う気持ちは、形を変え、末永く続いていくのだろうと思いました。

加賀谷さんと松浦さんご家族
加賀谷さんと松浦さんご家族

国際信号旗フラットバッグ
国際信号旗ハンカチーフ

文:山口綾子
写真:菅井俊之
photo AC

三十の手習い 「茶道編」五、体の中にあるもの

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇鬼の念仏

2月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室5回目。お茶室に入ると、まず床の間の飾りを拝見するのが習慣になってきました。

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「床に掛けた軸は『大津絵』というものです。昔の漫画・イラストのようなものです。鉢鐘を叩きながら念仏を唱えるお坊さんが、鬼の姿で描かれている。鬼なのに聖(ひじり)。可笑しいでしょう。昔の人の洒落っ気です。お坊さんは功徳を説いて回って、お寺を建てるための募金活動をしているところですが、庶民からすれば『お坊さんが来たらお金が要る』という非常にシビアな風刺も込められているようです」

傍らには魔除けの柊。節分の取り合わせです。

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「節分にちなんで大津絵の鬼を見てもらいました。この絵を見ると、いつも思うことがあります。日常のマナーに関しての大事なヒントです。

例えばある人のことを評して『ものすごい大酒飲みだけどよく働くからね』というとこれはポジティブキャンペーン。一方で『よく働くけど、あのひと大酒飲みだよね』と口にするのはネガティブキャンペーンになってしまう。同じことを言っているのに話す順序で意味が変わってくる。そのことをよく考えておかないといけません。人の話をするときはまず、ポジティブキャンペーンになるような会話の仕方をしておく方が幸せですよね。逆にネガティブにはる時は、よほどの覚悟がなければ、ということです。この『鬼の念仏』を掛けると、いつもそんなことを思います」

掛け軸のそばに、もうひとつ不思議な飾りものが。これは一体なんでしょうか。

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「これは香枕(こうまくら)。昔のひとが、髪にお香の香りを焚きしめるために用いた枕です。お正月や、旧暦で1年の節目である節分の夜に、いい夢を見ることが出来ますようにと宝船の絵を枕元におく習慣があります。ただの枕では、座敷の飾りにはなりません。ただ、こうした優雅な香枕であれば話は別。節分の取り合わせに、ちょっとした遊び心です」

一番上の白い奉書が、日本で最古という版木で刷られた宝船。京都の五條天神社というお宮さんに伝えられているものだそうです。

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「今年の節分に五條天神社のおさがりをいただいたものです。豪華な絵ではなく、小さな船に稲穂がひと束乗っているだけのものですが、日本は豊芦原瑞穂(とよあしはらのみずほ)の国。シンプルな意匠に、稲穂の実りで支えられてきた日本人の、いっそ切実な祈りが込められているように思います」

◇手が切れそうな道具に触れる

「今日のお稽古でお話ししたいのは、なぜ茶の湯のような文化があるのか、ということの一端です。先日の稽古で刀を見せたのは、何を手にしても、抜き身の真剣を持ったときの恐れと怯えをわすれないように…ということを、実感として理解していただきたかったからでした。『手が切れる』というもののほめ方の話もしましたが、今日はその話をさらに進めていきたいと思います」

そうして大事そうに幾つかの包みを取り出されました。

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「茶の湯にお点前などの“型”は、なくたっていい。かつてそう言ってきたこともあります。お茶一服なんて、すぐに点てられます。別に煩雑な所作は必要ない。一見合理ですが、あまりに短絡的で、誤りです。今はそうは思いません。やはり、お点前は、ていねいに茶碗ひとつを扱う所作はあってもいい。道具を大切に扱うことが、ひとつ一つの所作をていねいに行うことが、それを手にとってお茶を飲む人を大事にするということにつながるからです」

ゆっくりと一つひとつ、包みがほどかれていきます。

「海外の美術館へ行くと、コレクションはそのモノだけが、いわば裸にして置いてあります。額縁などの例外を除けば、保管するためのケースは展示の対象、美術作品の一部とは見なされていません。海外の某有名美術館で、付属品は、箱も袋も全部捨てられて、茶入本体だけが寒々しく飾られていた、という笑えない話があります。ところが日本では道具を、とくに茶の湯の道具はものだけでなく、入れ物である箱や、袋といった付属する品々にも重きをおいて、守り伝えてきました。

中身より、箱、つまり立派にみせる権威づけが大切にされている、と茶の道具が批判されるときの理由に真っ先にあげられる点ですね。でも、ただ批判するだけの人は、ことの本質をわかっていない。箱や、付属品、添えられた小さな紙切れの一片までも大切にする行為には、お茶になぜ点前や型があるのか、という問いかけにも似た答えが、あります」

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「これは近衛予楽院(このえよらくいん)という、お茶が好きな江戸時代のお公家さんが所有していたものです。舶来ものの裂地なども好んだ人で、ヨーロッパの裂(きれ)を使った華やかな表具(さまざまな布・紙を組み合わせて、掛け軸を仕立て上げること)などでも有名な人ですね。

この茶入の挽家(ひきや:茶入を保管するための筒状のうつわ)の袋も『N』のアルファベットが文様に織り出された裂を使っています。近衛与楽院という人のハイカラ心がよくわかりますよね。古びきって、開けるたびにもろもろになってしまうので、茶入を取り出すのも数年ぶりです」

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「茶入れの蓋は表が象牙で裏には金箔があしらわれています。これは象牙も金も、毒に反応して色が変わると信じられたためと言われます。一方で、金も象牙も最高級の素材です。位のある人が飲む最高のお茶を大事に扱わんがために、蓋の素材も最高のものを、ということが、まず先にあるのではと思います」

もうひとつ別の茶入の箱も、解かれていきます。息をするのも忘れるほどそうっとそうっと茶入れを手に取り、拝見します。

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「こちらは古田織部好みと言われる、瀬戸焼の茶入です。ふたつ添えられた仕覆(しふく。袋のこと)のうち、ひとつを見て下さい。辛うじて姿をとどめているだけのボロボロの状態です。それでもこの袋を捨てたりはしない。小さな茶入が、長い時間どれほど大切にされてきたかを物語る、モノ言わぬ証人です」

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「こうして見せられたら、絶対に大事にするでしょう。乱暴に扱わないでしょう。もう補修もできない。あとちょっとひどくなったら紙に裏打ちして貼るしかできなくなります。捨てないんです。こうなっても。『手が切れそうな』というのは、シャープで美しい、というだけのことではありません。手が触れるのも怖い…ものを大事にする素直で敬虔な気持ちを表現した言葉です。そうした謙虚さで、かつてこれを愛した人の思いを受け取り大事にして、使い、更に次の世代に伝えていく。

ちっぽけな、布切れ1枚のあつかいに宿る日本人の美意識を、所作や立ち居振る舞いで表すのがお茶ではないかと思うんです。

自分なりに大事にしています、は無意味です。一人称の小さな世界観では、理解できない大きな日本人の知恵です。ものを大切にしていることが自他ともに伝わるようにする。その厳しさが、ひとつの道具を大事に受け継いできた人々の思いを受け取り、あとの時代につなぐということになるはずです。

商品の包装も同じです。中身勝負で外装は関係ない、ということではないんですよ。 外包みの仕立てがおしゃれでかっこいいと、開けるのがもったいないと思います。その結果、中身までも大事にしようと思うものです。もちろん見せかけ倒れでは、元も子もないでしょうが。ただ、時に、中身よりも、包みに込められた想いの方が大切なこともあるのでは」

誰かに贈りものをするときのことを思いました。包装紙にシワが寄っていないか、折れたりしていないか、ラッピングにも心を配ります。また自分が何かをもらうときにも、美しく包装されたものには相手の心遣いを感じて嬉しくなります。

「こうした付属品は、茶会自体には直接関係のないものです。本来は全てバックヤードの水屋、もしくは出し入れするときしか見えないものです。求められれば、一部をお客の前で披露することはありますが、全部をあからさまにすることはありません。そんな振る舞いは野暮の骨頂です。過剰包装の極致だと言われそうでも、道具を大事にする想いの現れがここにあると思うので、今日はお見せしました。

考えてみれば、茶の湯がもてはやされた当時は、打ち続く戦乱で、大事なものを箱に入れて必死になって抱えて逃げて、命をつなぐという時代でした。そういうことを繰り返し面倒くさがらずにする、いえ、せざるをえない切実な環境だったんだろうと思うんです。そう思ってみるとこう箱がいっぱいあるのも、悪くはない。これだけ幾重にも包まれて箱にしまわれているということだけ、どうぞ知っておいてください」

再び一つひとつ、ゆっくりと仕舞われていきます。

「茶の湯はものを扱う文化なんです。それもていねいに大事に、熱心に扱う。それは当たり前のことなのかもしれません。往々にして道具ひとつの方が人間より長生きなのですから」

イカの街・函館に100年続く、木樽仕込の味わい

こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
3月の地域特集「函館」の記事も、いよいよ半分を過ぎてきました。
函館と言えば、夜景も北島三郎さんも大切ですが、絶対に忘れてはいけないのが“イカ”なんです!函館は正真正銘の“イカの街”。市民の皆さんは必ず踊れる?!という、“イカ踊り”なるものがあるほど。函館以外の都道府県在住の皆さんはご存知でしたでしょうか。私は函館を訪れるまで知りませんでした…。(函館の皆さんすみません。)
イカの美味しい食べ方はバラエティに富んでいます。生でも、焼いても、煮ても、揚げても美味しい。
中でも、イカの美味しさを凝縮した発酵食品「イカの塩辛」が今日の主役となります!函館で創業103年、小田島水産食品の小田島隆社長にお話を伺いました。

父である二代目・喜一郎さんから始まった塩辛作り

小田島水産は1914年(大正3年)創業の老舗水産食品会社です。創業者で隆社長の祖父・長治さんは新潟出身で、今の函館市役所の向かいの大手町高砂通りでスルメの素干しや缶詰を扱う食料品店「小田島商店」を開店しました。
創業当初はまだイカの塩辛を作っておらず、二代目の喜一郎さん(隆社長の父親)がイカの塩辛作りを始めます。
きっかけは、終戦後に喜一郎さんが親戚の営む「北産食品」という竹輪製造工場で働き、食品製造の知識を学んだことからでした。さらに北産食品の社長は喜一郎さんの働きぶりを評価し、塩辛づくりの夢を語っていた喜一郎さんに報酬の代わりとして、塩を分けてくれたのです。当時、塩はたいへん貴重な専売品でした。そして現在の函館市弁天町で1947年(昭和22年)、小田島水産食品(当時は小田島喜一郎商店)のイカの塩辛が誕生します。

写真が趣味だった二代目・喜一郎さんのデザインしたポスター
写真が趣味だった二代目・喜一郎さんのデザインしたポスター

当時函館の塩辛作りはどこの加工場でも木樽を使っていました。最初に使った木樽は東北地方で味噌作りに使われていた秋田の杉樽「コガ」でした。(おそらく「木香(きが)」が訛って「コガ」になったのではないか…とは隆社長談。)小田島喜一郎商店では、ロシアの樽と合わせて200本の木樽を所有していました。(現在は50本ほどを所有。)冷蔵庫が無い時代の塩辛は木樽に2週間ほど寝かせて作る保存食だったので、塩分が20%、常温で1年間も日持ちする食品でした。ちなみに今作っている塩辛は塩分が5%だそうです。一樽に500kgの塩辛を作り、そこから小さめの木樽に分け、計200~300本の樽を馬車に乗せて函館駅まで運んでいました。そして、貨車で東京方面に出荷していたそうです。

木樽じゃないとうちの塩辛にならない

その後、現在の三代目社長・隆さんは東京の大学を卒業。そのまま東京で就職します。それから4年後の1978年(昭和53年)に函館に戻り、小田島喜一郎商店に入社。その頃は、どこの家庭でも冷蔵庫が使われるようになり、塩辛は保存食からおかずとして食卓に並ぶようになりました。そして昭和の終わりから平成にかけてお客様の要望もあり、時代にあった「低塩の塩辛」作りが普及していきます。また、様々な調味料の登場で、味付けをしてから2~3日で仕上げるという手法が全国的な主流になっていきました。木樽で塩辛作りをするとなると、1週間寝かせることが必須なのです。この簡略化の流れを受けて、この時期の函館の加工場では木樽を廃棄して、プラスチック製の樽に移行していきます。

例外なく、小田島喜一郎商店でも塩辛作りを木樽から移行するべく、プラスチック樽を30本ほど購入しました。先代である喜一郎さんの絶対命令ではありましたが、隆さんは何かの勘が働いたのか、良い木樽をいくつか残しておいたそうです。そして、プラスチック樽で塩辛を漬け込んでみて、隆さんは驚きます。

「1週間経っても、10日間経っても塩辛にならない。熟成しないんです」

木樽で作る塩辛は、まろやかな旨味があり、着色料を使わなくてもきれいな桜色に仕上がります。プラスチック樽で作った塩辛は、塩漬けしたそのままのイカのようで、パサパサとした旨味がないものでした。さらに10日間ほど漬け込んでも、味は良くなりませんでした。

木樽に住む旨味作りの生き物

木樽とプラスチック樽では何が違うのか?当時、函館に『北海道立工業技術センター』(益財団法人函館地域産業振興財団)ができた頃で、そこにいらっしゃる発酵の先生に、隆さんは相談に行くことにしました。

「木樽には、長年の熟成で発酵菌が住んでいます。プラスチック樽は表面がツルツルしているので、発酵菌の住む場所ができません。イカのゴロ(肝臓)を加えると、ゴロに含まれるタンパク質分解酵素の効果で、ある程度は熟成された塩辛風になることは期待できますが、木樽とはレベルが違います」

先生の回答に隆さんは驚きました。あの独特なまろやかな旨味は、木樽に住む発酵菌のおかげだったのです!

プラスチックの樽もありますが、熟成は必ず木樽を使用されているとのこと
プラスチックの樽もありますが、熟成は必ず木樽を使用されているとのこと

それから、今日まで小田島水産食品の塩辛作りは、全て木樽で続けられています。さばいたイカの内臓を取って洗い、金属探知機で万が一の異物がないか、入念にチェック。1日塩漬けにされたあと、木樽で1週間熟成させます。さらに発酵菌の活動を助けるために、1日1回、突き棒で空気の入れ替えの攪拌(かくはん)を行います。毎日の手間がかかる上に、木樽は、雨が続けばカビが生えたり、乾燥しすぎると樽に隙間ができるそうです。それでも木樽と発酵菌なくしては小田島水産食品の美味しい塩辛はできません。

冷凍された真イカが並ぶ
冷凍された真イカが並ぶ
 500kgの塩辛が入る木樽1つには、およそ3000匹のイカが入っています
500kgの塩辛が入る木樽1つには、およそ3000匹のイカが入っています
6尺の樫の棒で毎日5分ほど攪拌します
6尺の樫の棒で毎日5分ほど攪拌します

一目瞭然、ならぬ一口瞭然?!

工場内の見学を終えると、隆社長がさらに奥の部屋に案内してくだることに。部屋中に、じゃがいものやわらかな香りが漂っています。実際に食べてみるのがいちばんですよと、奥様がふかしてくださったじゃがいもに、イカの塩辛とバターをのせて勧めてくださいました!熱々のじゃがいもに塩辛と少しのバターを合わせてパクリ。実は、私は生まれて初めて食べた塩辛が小田島水産食品さんの塩辛だったのですが、こんなに美味しいものだったとは…!人生を少し損していた気分です。全く生臭くなく、コクがあって口当たりまろやか。きれいな桜色は自然に生まれるもので、着色料は一切使用していないそうです。ここに日本酒があったなら…と仕事を忘れてしまいそうになりました。

北海道のじゃがいもと、小田島水産食品の塩辛の組み合わせは絶品でした
北海道のじゃがいもと、小田島水産食品の塩辛の組み合わせは絶品でした

隆社長おすすめの酒の肴は、カマンベールチーズの上に塩辛をのせる、というもの。

「うちの塩辛は発酵が強いので、チーズの味が2倍にも3倍にも広がって美味しく食べられますよ」

ご飯やふかしたじゃがいもはもちろんのこと、

・焼いたチーズに塩辛をのせて
・タコ焼きのタコの代わりに(イカ焼き?)
・パスタの具に
・クラッカーの上にクリームチーズと塩辛をのせて、ブラックペッパーを一振り

日本酒や焼酎だけではなく、ビールやワイン幅広いお酒にも合うそうです。これはぜひとも試してみなくては…。

そして、2014年から発売している「かんずり入りいか塩辛」。ちょうどいい辛味が塩辛の旨味とぴったりで美味しいんです!特に女性に人気だそうです。
かんずりは、塩漬けにしたトウガラシを雪にさらしてあくを抜き、麹や柚子を加えて発酵させた辛味調味料です。この「かんずり入りいか塩辛」が生まれたのは、隆社長が2013年にNPO法人発酵文化推進機構(小泉武夫理事長)の設立記念大会に参加された際のこと。新潟県妙高市の食品製造販売会社「かんずり」の東條邦昭社長から、かんずりを使った塩辛作りを提案されたことがきっかけでした。かんずりも塩辛もどちらも発酵食品ということで相性がいいのでは?と話が進み、商品化に向けて試行錯誤の末、3ヵ月ほど掛けて完成となったのでした。

3代目の小田島隆社長
3代目の小田島隆社長

隆社長は、塩辛を食べる私たちの反応に比例して、どんどんお皿に塩辛を入れてくださいました…。(隆社長、たくさんいただいてしまって、すみません。)自らが作る塩辛を、美味しい美味しいと食べる人たちを見つめる隆社長の顔は満面の笑みでいっぱいでした。
先代から、毎日毎日、1日も休むことなく作る小田島水産食品のイカの塩辛。発酵菌が住む木樽でしか生まれない風味は、この小田島隆社長の手からでなければ生まれない味なんだと、文字通り嚙み締めて工場を後にしました。

103年目の手仕事は小田島隆社長の手から生まれます
103年目の手仕事は小田島隆社長の手から生まれます

<取材協力>
小田島水産食品株式会社
小田島水産食品直販サイト
※TOP画像の商品は函館空港の「函と館」限定品です。
函館にお出かけの際はぜひお立ち寄りください!

文:山口綾子
写真:菅井俊之

さんち必訪の店 先人の心と建物の歴史を受け継ぐ、はこだて工芸舎

こんにちは、さんち編集部の山口綾子です。
「さんち必訪の店」。産地のものや工芸品を扱い、地元に暮らす人が営むその土地の色を感じられるお店のこと。
必訪(ひっぽう)はさんち編集部の造語です。産地を旅する中で、みなさんにぜひ訪れていただきたいお店をご紹介していきます。

今日は、地元で作られた陶器・ガラス・木工品を中心に、服飾品、家具、雑貨を扱う「はこだて工芸舎」を訪ねました。
はこだて工芸舎は、函館駅から車で約7分、函館市電・十字街電停の手前にあります。函館は古くからの建物が多く残る街ですが、はこだて工芸舎の建物はゆるやかな曲線が印象的な外観で、ひときわ目を引きます。その場所だけ、昔懐かしい映画の街並みのようです。

はこだて工芸舎の入り口。左側は壁面のカーブに合わせてアーチ窓になっています
はこだて工芸舎の入り口。左側は壁面のカーブに合わせてアーチ窓になっています

碧色ののれんをくぐり、木枠のガラス引き戸を開けて中にお邪魔します。旧い内装と、現在の装飾が絶妙に組み合わされています。
オーナー夫人の堂前邦子(どうまえ・くにこ)さんにお話を伺いました。

オーナー夫人の堂前邦子さん
オーナー夫人の堂前邦子さん

建物の歴史ごと引き受ける

26年前、堂前さんは愛知県の瀬戸から陶芸作家でもあるご主人とお子さんと函館にやってきました。当時は様々な土地を旅行して、各地の工芸品を見ることが好きだったという堂前さん。中でも函館は工芸品の作り手がいるにも関わらず、工芸品を扱うお店がほとんどなかったことがはこだて工芸舎を立ち上げるきっかけになります。

「どこの馬の骨ともわからない私たちに、作り手の方を始め、たくさんの方が手を貸してくれました」

20年前に函館市宝来町でスタートしたお店は、当初14人の作家が協力して始められたそうです。それから、同じ函館市内の元町、そして2014年、ここ末広町へ移転しました。紆余曲折あり、堂前ご夫妻が引き継いで今に至ります。

「この建物は梅津福次郎さんという、食料品やお酒の問屋業をされていた方が1890年(明治23年)に梅津商店として創設されたものなんです」

明治23年 末広町進出当初の店舗
明治23年 末広町進出当初の店舗

梅津福次郎は茨城県の出身で、1880年(明治13年)に函館へやってきました。当時の函館は北海道の商業の中心として、販路は東北・北海道・千島・樺太まで広がっていたそうです。福次郎は類まれなる商才で、巨万の富を得ます。函館は「火事は函館の名物」と呼ばれるほど火事が多く、梅津商店も現在の場所に移ってから3度も火事に遭ったそうです。しかし、災厄に遭っても常に備え、より良い策を考えてすぐに実行に移した福次郎は、その都度再建していきます。現在のこの建物は1934年(昭和9年)の大火後の建築だそうです。

明治後期の店舗(大正10年の大火により焼失)
明治後期の店舗(大正10年の大火により焼失)

「梅津さんは、一般的にはあまり有名ではありませんが、学校の建設費全額を寄付したり、函館だけではなく各地に多大な貢献をされた方なんです。一代で財を成したそうですが、跡取りができず、時代の流れと共に商売も衰退していったそうです。私たちがここの存在を知ったときも、いつ壊されてもおかしくない状態でした。でも、何度も火事を乗り越えた建物と、梅津さんのやってこられたことを聞いて、建物の歴史ごと引き受けたいと思いました」

2階は建築当時の面影を残す応接間や所蔵室があります。福次郎が寄付した建物の記念碑の拓本や、梅津商店の古い帳簿などが展示されており、見学可能となっています。

「たくさんの資料があるわけではなく、ここが昔問屋だったことがほんの少しわかるくらいのものではありますが、大切に残していきたいですね」

2階の廊下の様子。広間は貸し出しも行っているそう
2階の廊下の様子。広間は貸し出しも行っているそう

「この建物は、放っておくとすぐボロ家になっちゃう(笑)。特に気をつけているのは日々の小さな積み重ねの掃除ですね。木が古いので、あっちこっちがすぐにカサカサになるんです。ガラスも1週間ほど掃除をしないでおくと曇ってきてしまう。あからさまにきれいに掃除した、ではなく、何もしていないようでいて、片付いていることを理想にしています。
あとは、建物ができた時代に使われていたかもしれない物と、今私たちが手を加える物のバランスを大切にしないといけない。古い木を使わないと雰囲気が合わないので、建物の昔の姿に戻すように手入れしていく感じですね」

地元客と観光客に向けた商品

はこだて工芸舎のお客さまは、地元の方がほとんどだそうです。お店にお伺いしたときには、地元のお客さまが“食器はここで買うって決めているの”と堂前さんにお話されていました。

「地元のお客さまは観光のお客さまと違って、来られる頻度が多くなります。なので、季節や時候を考えて、なるべく新しい商品を置くようにしています。買うことを目的とせずに、ふらっと偶然入ったお店で素敵な商品に出会うこともありますよね。うちの商品がそういうきっかけになるといいなと思って選んでいます」

店内には北海道で活躍する作家を中心に、全国各地の作家の作品が並んでいます
店内には北海道で活躍する作家を中心に、全国各地の作家の作品が並んでいます

観光のお客さまもいらっしゃいますか?

「ここ数年は観光のお客さまも増えてきています。うちは北海道の作家の作品をメインで置いているんですが、ある日、沖縄の作家さんの作品も一緒に置いていたんですね。観光のお客さまからしたら、“どうして北海道に沖縄の作家さんの作品があるんですか?”と聞かれました。そりゃあそう思いますよね(笑)。それは地元のお客さまに向けて置いているんです、ということをお話しました。地元のお客さまは、函館や北海道以外の土地の作品もご覧になりたいでしょうし、日本各地の作家さんの作品を扱うようにしています。半分は函館、半分は違う土地というように、混在しているのはうちの店としては必要不可欠なことなんです」

堂前さんが函館に来てから26年。最近気になっていることは、人口が少なくなっていること。元々は人口30万人都市と言われていましたが、今は27万人ほどに。毎年3000人ずつくらいの人口が減っているようです。

「人口の減少は食い止めようがないのかなとも思いますけど、函館は環境的には本当に恵まれている良い街なんですよね。ふるさとにするにはもって来いですよ。足は電車、空港、フェリーがあるし、見どころは函館山、大沼、湯の川、五稜郭、トラピスト…。食べ物も美味しいですしね。これを当たり前だと思わず、コツコツと守っていきたいですね。パッと見の派手さはなくても、沸々と熱いものがこの地域には流れているぞっていうことを若い人にも知ってほしいです」

“函館は恵まれた街”。暮らしている人が自信を持ってそう言えることは、本当に素晴らしい街なのだと思います。実際に訪れた私も、景色・食・人、あらゆる点で函館の魅力を知る日々でした。はこだて工芸舎は、梅津福次郎さんから建物と共に“函館の土地と人に貢献する”という意思を受け継がれているような気がしました。

はこだて工芸舎
函館市末広町8-8
0138-22-7706
営業時間:10:00〜18:00(冬期)
駐車場(6台)有あり

文:山口綾子
写真:菅井俊之