髪を綺麗にする京つげ櫛は、独自の「カラクリ」と職人の技で作られる

美しくありたい。様々な道具のつまった化粧台は子供の頃の憧れでもありました。そんな女性の美を支えてきた道具を厳選。「キレイになるための七つ道具」としてその歴史や使い方などを紹介していきます。

今回選んだのはつげ櫛。髪は女の命、と言いますからね。京都で唯一つげ櫛をつくり続ける、十三や工房さんにお邪魔しました。

つげ櫛を求めて、京都へ

「髪の毛って受信機みたいなもので、空気中に飛んでいる電子をキャッチするんです。だから冬には静電気が起こりますね。

電子には埃や匂いがくっついているので、髪の毛は電子を寄せ集めながら毎日、どんどん汚れていきます。木の櫛は、そういう静電気や汚れをとってくれるんです」

木の匂いが立ち込める工房でまず最初に伺ったのは科学のお話。語り手は竹内昭親(たけうち・あきちか)さん。京都で唯一のつげ櫛製造元、十三や工房の5代目です。

十三や工房は1880年(明治13年 )竹内商店として創業。伊勢神宮にも20年に1度の遷宮に合わせてつげ櫛を納める老舗です。

お話を伺った竹内昭親さん

木の櫛の中でも特に優れている「つげ」の櫛

「櫛は汚れを落とす、ということから、ケガレから身を守るものであると考えられてきました。神事でも重要な位置を占めています。

神に捧げる玉串(タマグシ)などの『串』とも同じ語源だと言われていて、櫛は髪に挿すことで霊力を授かったり、魔除けにするような呪術的な意味も込められていたようです」

櫛の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも木櫛が出土されています。身分によって髪型を分ける時代には、櫛は現代のように女性が身だしなみのために使うというより、政治の中心であった男性が、権力の象徴として重用していたとのこと。

位によって髪型を分けるのは、今のお相撲にその名残を見ることができるそうです。

昔から日本人の暮らし、それも神事や政治の世界にも密接につながっていた櫛。中でもあらゆる木櫛の中でもっとも優れている、と昭親さんが語るのが「つげ(漢字では黄楊)」の櫛です。

最大の特長はその粘度。細かな加工をする櫛づくりには割れや欠けは大敵です。独特の粘りのあるつげの木地は加工しやすく、磨くほどつややかな美しい木目になるそうです。

十三や工房ではつげの木の栽培から産地と提携を結んで、材料を仕入れています。

つげはゆったり育つので木目がおおらかで加工がしやすい

「昔は分業制でものづくりが成り立っていましたが、最近では木を切るノコギリの目立て(刃を鋭く切れる状態にすること)ができる職人もいなくなりました。

今ではそうした道具の調整から材料の管理にはじまって櫛の形になるまで、いわば0から10全てを自分たちでまかなっています」

工程をまとめたノート。工程によっては前回やった時から間が空くものもあるので、時々読み返して手順を確認するのだそう
原木から板状に櫛の原型を切り出す工程が記されている

自然のままの木が反りのない丈夫な櫛になるまで

0から10まで。全ての工程が行われる工房内には、一見何に使うかわからない機械がずらり。その合間に、ぶらりと裁断された木材が吊り下がっていました。

産地から届いた原木は、木が成長を止める11月頃から春にかけて裁断する。裁断後はこうして吊るして乾燥させる

「切った板をこうして1ヶ月ほど日陰で干すのですが、どんどん水分が出て反っていきます。それを矯正していく次の工程が、一番重要です」

陰干しした板を輪っか状に束ねていく。反ったものどうしを合わせていき、最後にまっすぐの板を挟み込むのがポイントだそう

矯正された板の束は工房に併設された釜で半日をかけて燻されます。燻すと木の反る向きが変わるので、束の中で板を入れ替えて矯正し、また半日かけて燻す。

これを1週間続けます。燻す時に使うのは、加工で出たつげの木くず。

つげの木クズ。この煙で板を燻して丈夫にする
木クズを集めるため、工房内のあちこちには集塵口が
工房に併設された釜。矯正された板が一度に1000枚は燻されるという

「電気炉だと一気に熱が加わるので急激な乾燥で割れてしまいます。こうしてつげ自体のくずから出た煙で燻すことで、煙の中の水分・成分が板の中に入って割れずに丈夫になる。防虫効果も生まれます。先人の知恵はすごいですね」

老舗が手作りにこだわらない理由

このあと燻された材料は「寝かし」と言って品質を安定させるために板を寝かせる工程に入ります。その期間、最低でもなんと7年!

ものによっては80年、90年と寝かす材料もあるそうです。人の一生をかけても、その完成まで見られない櫛があるとは。

燻蒸(くんじょう)を終え、寝かし中の板。古いものだと、ビニールひもではなくロープや竹皮で束ねてある

「何かを欲しいと思ったら、今すぐ欲しいですよね。欲しいと言っているお客さまを待たせたくはない。ところがどんな櫛でも完成まで7年はかかる。その分コストもかさむ。

だからいかに効率と品質をあげて、お客さまが納得できる価格で作れるかを、ずっと考えています」

品質も効率もあげる。そのために十三や工房では手仕事であることにこだわらず、機械で作った方がいいと判断した工程には、惜しみなく機械を導入しています。

しかもそのほとんどが既成の機械をアレンジした独自のもの。工房全体が、さながらラボのようです。

「『キテレツ大百科』って漫画がありますよね。あれは江戸時代に生きたご先祖様のカラクリを元にキテレツがいろいろな道具を作るわけです。

冷蔵庫や洗濯機や車が今の私たちの生活に欠かせないように、何かをもっとよくしたい時に機械を作ろう、使おうと思うのは、昔から当たり前のことだったんじゃないでしょうか」

歯の均一さが命の歯挽き(はびき)は、型に合わせて自動で動く機械を独自に開発。一定の回数歯を挽いたら、自動で止まるようになっている。一部だけ撮影が許された
あっという間に櫛の歯が現れた
根磨( す )りと言って、髪の通りがいいように歯の間や根元をわずかに削って整える工程。この工程は人の手でやった方が精度がいいそう。工程によって機械と手作業を使い分けている
かつて、やすりや磨きの工程にはこうした天然の素材が使われていた
型に合わせて櫛に丸みが出るよう削る機械。中心の部品が回転して板を削る。櫛を型に固定する道具、機械ともに自作
櫛に磨きをかける工程が機械を変えて続く。泥を回転モーターにつけて磨く
機械が歯挽きをしている間に、こうした別の工程ができる、と昭親さん

この工程は手で、この工程は機械で、と使い分けながら、みるみるうちに櫛が出来上がっていきます。さらに改良した機械も近々導入予定だそうです。

「櫛は芸術品ではなく、毎日使う日用品です。手作りにこだわってお待たせし、価格も高くなるのでは意味がありません。

お客さまは手作りの櫛が欲しいというより、ただ一生使えるいい櫛が欲しい。だから日々、去年よりいいものを、と思って機械も取り入れています。

形は伝統的なものだけれど、中身は日々変わっているんですよ」

いい櫛は、使うことでその人の髪の良さを120%引き出すことができる、とは昭親さんが最後に語られた言葉です。

女の命とまで言われる髪を調える道具は、知るほどに髪と同じくらい神秘的でパワフル。

最低7年以上という果てしない完成までの歳月と日々の絶え間ない技術改良とが、ものの迫力となって現れているのかもしれません。

キレイになるための七つ道具、いかがでしたでしょうか。

人が古来、お守りのように櫛を大切にしてきたように、真摯に作られた道具はその人の身だけでなく心も調えてくれるように思います。

とっておきの七つ道具を揃えて、日常もハレの日も、もっと豊かにキレイに調いますように。

<取材協力>
十三や工房
京都府京都市山科区御陵四丁野町21-21
http://www.jyuusanyakoubou.com/index.html


文・写真:尾島可奈子

※こちらは、2017年7月2日の記事を再編集して公開いたしました

マンションで楽しめるお正月飾り。小ぶりがちょうどいい、現代の縁起もの

今年ももうすぐ12月。

大人になると1年経つのがあっという間で、ここ数年はいつも「もう残り1ヶ月かぁ」と12月を迎えている気がします。

お雑煮とお年玉を楽しみにしていた子どもの頃とは違い、大人の年末年始は大忙し。

年賀状を書き、1年間お世話になった家や会社を掃除して、年末のご挨拶。台所ではせっせとおせちを作り、年越し蕎麦の準備を始めます。

ああ忙しい忙しいと言いながらもワクワクしてしまう、より良い年を迎えるための年末年始の家しごと。

1年を振り返り、これからを考えるこの時節に、日本の暮らしの工芸品を取り入れてみたいと思います。

今日は、日本の春を迎える基本のお正月飾りの中から、マンション住まいでも飾りやすいものを3つご紹介します。

 

手のひらサイズの、鏡餅飾り

中川政七商店のお正月飾り 鏡餅 2019
小さな鏡餅飾り ¥4,104(税込)

手のひらに乗るほどコンパクトな、「小さな鏡餅飾り」です。

白木で作った鏡餅に、伊賀組紐の職人がひとつひとつ組んだ橙(だいだい)と、麻素材の裏白(うらじろ)を添えたシンプルなデザイン。どんなインテリアにも馴染みそうです。

中川政七商店のお正月飾り 鏡餅
よく見るサイズのお飾りと比べてみるとその小ささが分かります

 

鏡餅は年神様へのお供え物として、その年の豊作や、健康と幸福を祈るお飾り。神様が宿るとも言われています。

大小2つ重ねることで陰 (月) ・陽 (日) となり、福徳を重ねるという意味合いもあるのだそう。

お餅の上に乗せる「橙(だいだい)」には「代々栄えますように」という願い、下に敷く緑色の葉っぱ「裏白(うらじろ)」は「後ろ暗いことがないように」という意味が込められています。

そのほかにも「喜ぶ」と掛けた昆布 (こぶ) や、「財産が伸びるように」と熨斗 (のし)を添えるなどして飾ります。

鶴と亀のしめ縄飾り

中川政七商店のお正月飾り 注連縄
「つるかめ注連縄飾り(しめなわかざり)」 ¥3,780(税込)

長寿を意味し、婚礼や結納などおめでたい儀式のモチーフにも用いられる縁起物の代名詞、鶴と亀。

これらにあやかった吉に転ずるおまじない、「つる、かめ、つる、かめ」にちなんだ、しめ縄飾り。おめでたい言葉で悪いことを追い払ってしまう、どこか愛らしいお飾りです。

中川政七商店のお正月飾り 注連縄つるかめ
鶴:縁起のよい「梅」の形をした水引が、日の出に見立てられている/
亀:富士山をイメージした、末広がりの白い水引が合わせられている

対にして並べたり、縦横の向きを変えたり、自由な組み合わせで楽しめそうです。

注連飾り(しめかざり)も、年神様をお迎えするための準備のひとつ。

しめ縄には、神の領域と現世を隔てる結界となり、神様をまつるのにふさわしい神聖な場所であることを示す意味があります。

そもそも注連飾りとは、そのしめ縄に「稲穂」「裏白」「ゆずり葉」「だいだい」「御幣」などの縁起物を付けて作ったお飾りのこと。地域によっても形に違いがあり、現在では様々な注連飾りが作られています。

気軽に楽しめる、ミニタペストリー

中川政七商店のお正月飾り 鏡餅

小さめサイズのタペストリー。お正月らしいおめでたいモチーフが絵付けされています。

中川政七商店のお正月飾り タペストリー鶴
ミニタペストリー 鶴 ¥4,860(税込)
中川政七商店のお正月飾り タペストリー鏡餅
ミニタペストリー鏡餅 ¥4,860(税込)

ベースは上品な麻生地。一枚ずつ手作業で絵付けをした後に、金の糸で刺繍が施されているそうです。絵やポスターの代わりに飾ると、一気にハレの日気分が味わえそうです。

本格的な仕様ながら、玄関やちょっとしたスペースに飾れそうなサイズ感が嬉しいですね。

 

中川政七商店のお正月飾り2019年

まだ少し余裕があるかな、なんて思ってるとあっと言う間に時間が過ぎてしまう師走に入ります。少しずつ道具を揃えていき、毎年、より良い年を迎えていきたいものですね。

 

<掲載商品>
中川政七商店
小さな鏡餅飾り
つるかめ注連縄飾り
ミニタペストリー

この記事は2016年12月の記事を再編集してお届けしました。みなさんお正月の準備はお早めにどうぞ。

「Suicaのペンギンみくじ」はこうして生まれた。郷土おみくじを現代にアレンジ

SNSをながめていたら、写真付きである投稿が流れてきました。「かわいい!」という言葉と共に、そこにはSuicaでお馴染みの「ペンギン」の人形たち。

興味が惹かれ検索してみると、「ころんとしたフォルムがいい」「陶製なのも好き」など、ペンギンファンや鉄道ファンを中心に反響を呼んでいます。さらに、中には「おみくじ」も入っているそうで、買う人の喜びのひとつになっていました。

早速買い求めてみると‥‥手のひらに収まるほどの大きさで、ぽってりした姿が愛くるしい。おみくじを楽しんだ後にも、ちょっとした場所に飾れるのもいい塩梅。

底面のシールを剥がして、赤い紐をひっぱってみると‥‥
おみくじが入っています。

この「Suicaのペンギンみくじ」は、ジェイアール東日本商事と中川政七商店がコラボレーションして作られました。生活雑貨メーカーの中川政七商店といえば、全国の郷土玩具をモチーフにしたガチャガチャなど、古くからあるものを活用したものづくりをしているのも特徴です。

まさに、「Suicaのペンギンみくじ」も、それらの「古き良き」味わいをどこかに感じさせます。さて、この感覚は、正しいものか。コラボレーションの経緯などを、中川政七商店でデザインに携わった村垣利枝さんに尋ねてみました。

全国にある動物をかたどった「おみくじ」がヒントに

──ペンギンみくじのポーズは、もしや招き猫がモチーフですか?

いえいえ、これは「敬礼」している姿です!(笑)

中に込められているおみくじの内容は「おでかけして素敵な一日を!」がテーマなので、Suicaのペンギンが「いってらっしゃい!」と送り出してくれているようなイメージですね。

──失礼しました!それなら、玄関あたりに飾るとぴったりですね。今回の制作が決まった経緯を教えてください。

さいたま市にある鉄道博物館のミュージアムショップがリニューアルするのに伴って、売り場が広くなったんです。そこへ置く新商品の開発を検討されていたジェイアール東日本商事さんからお問い合わせをいただき、そこで私たちから「ふきん」と「おみくじ」を提案したことで、実現に至りました。

Suicaのペンギンはキャラクターとしてもとても人気で、すでにグッズも多くありました。さらにキャラクターの魅力をより活かす方法として、おみくじという立体物への再現がよいのでは、と話が弾んだのです。

しっぽの部分も、ぽってりしてかわいい

──立体物であれば、プラスティックなどを用いることもできたと思いますが、なぜ陶器を選んだのでしょうか。

中川政七商店では「招福干支みくじ」や「だるまみくじ」といった、陶器のおみくじを作っています。

もともと神社仏閣では、その土地にゆかりのある動物、その神社のお使い物である動物、あるいは「招き猫」や「だるま」といった縁起物をかたどった、木や陶器で作ったおみくじが存在しています。その流れから生まれたものなんですね。

中川政七商店の「招福干支みくじ」
「金だるまみくじ 必勝祈願」

──なるほど。これまでも日本にあったものに、現代のアレンジを加えたといえそうです。一つずつ表情が違いますが、絵付けは人の手で行われているのでしょうか?

はい。絵付けは人の手で行われています。おみくじの中身の紙も、一つひとつ手で巻かれています。

一つひとつ手書きのため、表情もわずかに異なる。それもまた楽しみ。

──おみくじの内容もユニークに感じましたが、文面はどのように決めましたか。

Suicaは「スイスイ(とスムーズに)」電車に乗ったり、お買い物ができるICカードということもあり、「運気上昇」や「上手くいく」といった意味合いを込めました。

「何事もスイスイ お出かけ運が急上昇! 行く先々で幸運が訪れるでしょう」

といった言い回しにしました。お出掛けすることで「スイスイな一日になるよ」というお告げと、「素敵な一日になりますように!」という気持ちを込めています。

古くから親しまれてきたものを、現代のキャラクターで

「とってもスイスイ」と言われると、なんだか出掛けに気分がいい

日本で親しまれてきた、動物をかたどったおみくじ。そこに、現代の人気者である「Suicaのペンギン」も仲間に入り、ファンを魅了するアイテムとして生まれたことがわかりました。

最新の技術や、まだ見ぬ新素材も、たしかに心惹かれるものがあります。でも、私たちの身の回りには、昔から愛されてきたものたちがあり、視点を変えてあげれば、こんな活かし方もできるんだ!と気付かされたようでした。

「Suicaのペンギンみくじ」は、前述の鉄道博物館ミュージアムショップ「TRAINIART」のほか、JR東京駅構内の「TRAINIART TOKYO」などでも発売中です。

文・写真:長谷川賢人

パラレルキャリアで伝統工芸に挑む。異色ユニット「仕立屋と職人」に密着

自らを「金髪女とひげロン毛」と称して伝統工芸の世界に挑む、ちょっと変わったユニットがあります。

ユニット名は「仕立屋と職人」。

「金髪女」ことワタナベユカリさんは縫製のプロ。

夏にお会いした時は涼しげな「銀髪」でした
夏にお会いした時は涼しげな「銀髪」でした

「ひげロン毛」こと石井挙之さんはグラフィックデザイナー。

石井さん

「僕らみたいなコンビニの明かりが似合いそうな人間が、伝統工芸の世界を『こんな面白いんだよ』って近い人たちに伝えられたら、すごく強いと思うんです」

関東出身の二人が現在住むのは滋賀県長浜市木之本町。「ある目的」を持って2017年から活動拠点をこの町に移しました。ローカルやナチュラルといった形容詞の真逆を行くようなファッションも、あえて貫いているといいます。

仕立屋と職人

ユニット名を染め抜いた事務所の暖簾をくぐって、そのユニークな取り組みの一端を覗かせてもらいました。

仕立屋と職人

パラレルキャリア×伝統工芸

「仕立屋と職人」は4人のメンバーで構成されています。

右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん
右下から時計回りに石井さん、ユカリさん、堀出さん、古澤さん

工芸産地に住まい、時に職人に弟子入りしてものづくりを担当するユカリさんと、情報整理やデザインを手がける石井さん。

そして東京に拠点を置き、二人の体感知やアイディアを事業に組み立てる古澤さん、出来上がったアイテムの販路を開拓する堀出さん。

実はメンバーの4人とも、フリーランスや会社勤めなど別の仕事を持っています。いわばパラレルキャリアとして「仕立屋と職人」を立ち上げ、伝統工芸の世界に携わっているのです。

お互いが役割分担をしながら今年10月には、取り組み第一弾である福島県郡山市の伝統工芸、三春張子のジュエリーブランド「harico」をリリース。

harico

このharicoをともに制作する「デコ屋敷本家 大黒屋」さんとの出会いこそ、「仕立屋と職人」立ち上げのきっかけでした。

はじまりは福島県郡山市。職人への「弟子入り」

2016年10月。都内のデザイン会社に勤めたあと各地の地域おこしプロジェクトや留学など、自身の活動のあり方を模索してきた石井さんは、福島県郡山市にいました。

目的は、クリエイターが地域に滞在しながら地域の問題解決に取り組むというイベントへの参加。そのホームステイ先が「デコ屋敷本家 大黒屋」 (以下、大黒屋) さんでした。

大黒屋

「デコ屋敷」は、和紙を使った張子のデコ(=人形)を300年以上作り続けてきた集落。中でも21代続く「大黒屋」で1ヶ月、石井さんは職人一家と寝食を共にします。

そこに、石井さんの滞在中の制作を手伝うため旧友のユカリさんが合流。

大黒屋21代目の橋本さんと交流を深めていく中で、「職人として胸を張れるような作業着が欲しかったが、頼み先がわからない」との悩みを耳にします。二人はすぐに「僕たちが作ります」と手をあげました。

「私はもともと縫製の技術は持っていましたが、職人の作業着を作るのは初めてです。

自分の仕事に誇りを持てるような、かっこよく機能的な作業着にしたい。

だから職人の仕事を理解するために、弟子入りさせてもらったんです」

これこそが、現在の活動にも生きる「仕立屋と職人」の特徴のひとつ。職人と至近距離でものづくりを理解すること。

イベント終了後も再び大黒屋に戻り、約4ヶ月間本当に弟子入りして、職人さんたちと一緒に働きました。

完成した作業着は、福島伝統の会津木綿を使用し、用途に合わせて作業用と外着用のリバーシブルに。留め具に洗える張子ボタンを開発したことが、のちのちジュエリーブランドの種となった
完成した作業着は、福島伝統の会津木綿を使用し、用途に合わせて作業用と外着用のリバーシブルに。留め具に洗える張子ボタンを開発したことが、のちのちジュエリーブランドの種となった

夢中になったのは、ネット検索で絶対に引っかからないもの

「一緒に働くほど、聞けば聞くほど、職人さんの話って本当に面白いんですよ。その人まるごと作っているものを好きになるんです」

大黒屋

「そういう『実際のところ』って、ネット検索では絶対に出てこない。これをうまく世の中に伝えていけたら、衰退産業と言われている伝統工芸の世界にもきっとファンが増えます。僕らが好きになったように。

今回は作業着を作るという形での恩返しだったけれど、それでおしまいにしていいんだろうか?

僕らよそ者の視点と、縫製やデザインの技術で、もっともっとできることがあるんじゃないか。作業着を試作しながら、そんな話をするようになりました」

職人の生き様を仕立てる!

この頃から東京で二人の相談に乗っていたのが、石井さんの留学時代の友人、古澤さん。

自身は東京のデザイン会社でサービスデザインの仕事をする傍ら、福島で伝統工芸の世界にのめり込んでいく二人と長い長い議論を何度も重ね、ついに自分たちのやりたいことをピタリと言い当てる言葉を掘り当てました。

「私たちのやりたいことは、職人の生き様を仕立てること」

「仕立屋と職人」というユニット名は、ここから来ています。

「ものを作ることがゴールじゃない。自分たちがものづくりの現場で面白い!と思った職人の生き様を、世の中の人に伝わるカタチに仕立てて届けることが私たちのミッションなんだ」

こうして、作業着を完成させたあとも大黒屋と取り組みを続けていくうちに、商品の販路開拓を得意とする掘出さんも活動に合流。

4人になった「仕立屋と職人」が1年半をかけて完成させたのが、300年以上続く張子に「身につける」というコンセプトを与えた、軽くて立体感のある和紙のジュエリーブランドでした。

haricoの「TSUBOMI」シリーズ。裏表で2配色になっている
haricoの「TSUBOMI」シリーズ。裏表で2配色になっている

「福島×張子」の次は、「滋賀×シルク産業」へ

彼らの活動のもうひとつの特徴が、拠点を移動しながら活動すること。

「伝統工芸の伝道師」を掲げ、haricoの開発を続けながら2017年夏、次なる職人の生き様を仕立てるために新天地に拠点を移します。

仕立屋と職人

取り組み第二弾の場所に選んだのが、滋賀県長浜市。250年続くシルク産業の一大産地です。

郡山での取り組みは偶然の出会いから始まりましたが、第二弾はゼロからのスタート。

縁もゆかりもない土地に、どうやって根付き、どのように地域のものづくりと関わっていくのか。

現在の長浜の事務所の様子
現在の長浜の事務所の様子

「ではこれから、僕たちも取材させてもらった織物工場に行ってみましょう」

拠点を移してからちょうど1年ほど経った2018年夏、彼らが今まさに向き合っている長浜のフィールドに、私もお邪魔してきました。

わざわざ二足のわらじをはいて、なぜ、どうやって伝統工芸の世界に取り組むのか。

その答えはメンバーそれぞれにどうやら違うようです。

作り手でも売り手でも行政でもコンサルでもない「仕立屋と職人」の現在の活動と、その先に4人それぞれが描く展望のお話は、次回に続きます。

<掲載商品>
harico (仕立屋と職人xデコ屋敷本家大黒屋)

<取材協力>
仕立屋と職人
http://shitateya-to-shokunin.jp/

文:尾島可奈子

隈研吾が獺祭のためにつくった「夢のような」照明、発売へ。

建築家、隈研吾。

新国立競技場の設計に携わるなど国内外で活躍する建築家が、ある日本の酒造のために設計した照明が今年、特別に一般販売されます。手がけた建築の照明を販売することは、数々のプロジェクトの中でも初の試みです。

照明の名は「酒吊りライト」。

酒吊りライト

山口県東部、岩国市の「獺祭 (だっさい) ストア 本社蔵」のためにつくられました。

酒吊りライト

ここは、お米を磨き抜いた味わいで一躍、世界的人気となった銘酒「獺祭」の製造元である、旭酒造の本社兼店舗。

獺祭の試飲・購入ができる場所として、2016年に隈研吾建築都市設計事務所 (以下、隈研吾建築事務所) が設計しました。

銘酒「獺祭」の製造元である、旭酒造の本社兼店舗

しかし、わずか2年後の2018年夏、西日本を襲った集中豪雨で被災。

2018年夏、西日本を襲った集中豪雨で被災した旭酒造本社

店舗は一時腰の高さまで浸水し、営業中止を余儀なくされます。

2018年夏、西日本を襲った集中豪雨で被災した旭酒造本社
2018年夏、西日本を襲った集中豪雨で被災した旭酒造本社

「設計した建築が被災するのは、僕にとっても初めての経験でした」

建築家・隈研吾

隈研吾建築事務所は店舗の復旧に全面協力するとともに、製造元である旭酒造にひとつの提案をします。

「酒吊りライトを販売して、その売り上げを義捐金として復興活動に寄付するのはどうでしょうか」

こうして始まった酒吊りライトプロジェクト。

なぜシンプルに義捐金を送るのではなく、ライトの販売を通じた支援の形をとったのか。

支援の象徴として選んだ「酒吊りライト」とは、一体どんなものなのか。

隈研吾さんご本人と、獺祭ストア設計のプロジェクト担当で支援の発起人の一人である隈研吾建築事務所の堀木俊さんに、お話を伺いました。

夢のような家を目指して

まず、もともとの店舗はどのような経緯で作られたのでしょうか。

「獺祭ストアは昔、旭酒造の会長一家のご自宅だった建物です。築100年以上になる古民家で、獺祭の製造工場が隣接しています。

山をずっと登った先にあって、そばをきれいな川が流れていて」

旭酒造本社リニューアル前の様子
リニューアル前の様子

「そういう美しい谷あいにたつ『夢のような家』のイメージがはじめに浮かんで、設計がはじまりました」

清らかな環境の中、米粒を徹底的に磨き上げることで生まれる、今までにない味わいの日本酒。

そんな獺祭の澄んだ世界観を体現するべく、外装は木、内装は和紙という、たった2つの素材だけで構成するストアが誕生しました。

旭酒造 本社兼店舗の外装
旭酒造本社兼店舗の外装
店内の酒吊りライト
獺祭独特のお米の活かし方を表現するため、磨かれた米を漉き込んだ和紙の壁
獺祭独特のお米の活かし方を表現するため、磨かれた米を漉き込んだ和紙の壁

照明は、建築の「ハート」

ストアの中でもひときわ目を引くのが、やわらかに室内を照らす酒吊りライトです。この店舗のためだけに、ゼロから構想して作られました。

店内の様子

そもそも設計する建築の照明まで手がけることは、よくあるのでしょうか。

「そうですね。僕らにとって『光』はその空間の世界観を決定づける、とても大事なものです。

そういう意味で照明は、建築のハートみたいな部分。出来るだけ自分たちで作るようにしています」

建築家・隈研吾

では、どんな思いで獺祭ストアの「ハート」は作られたのか。お話を伺うと、素材、形、技術、3つのポイントが浮かび上がってきました。

【素材:和紙】そこにあるだけで光の質を変えるもの

「酒吊りライト」の素材には内壁と同じく和紙が使われています。手がける建築は常に「形からでなく、マテリアルから発想する」という隈さん。和紙の選択には、どんな狙いがあるのでしょうか。

「和紙は不思議な素材で、ただ乳白な膜というだけではないんですね。

トランスルーセント (半透明) な素材って他にもすりガラスとか色々あるけれども、和紙はなぜかそこに置いただけで、光の質を変える力があります」

建築家・隈研吾

「なぜそういう作用を僕らに及ぼすかと言えば、やっぱり僕らの中に、和紙と暮らしてきた記憶が埋め込まれているからなんじゃないかなと思います。

内側から発光する和紙の壁
内側から発光する和紙の壁

「最初にイメージした夢のような家、その内装を繭のような空間にしたいと思ったときに、和紙はぴったりの素材だったんです」

【形:袋吊り】製造プロセスに宿る、削ぎ落とされたデザイン

もう一つ特徴的なのが、何と言ってもこのしずくのような形状です。

酒吊りライト

「酒吊り」という名前の由来にもなっているこの形は、古い日本酒づくりの工程にヒントを得たそう。

「『袋吊り』という工程で使う、もろみを入れてお酒を絞り出す袋をモチーフにしているのですが、僕らはそうしたものづくりのプロセスに普段からとても興味を持っています」

「例えば何かを貯蔵するための樽や加工のための道具など、プロセスの中にあるデザインってとてもかっこいいんですね。

作っているものの臨場感や、削ぎ落とされたいいデザインがそこに宿っている。これまでの案件でも設計のヒントになったことがありました。

今回もそうした素材がないか調べる中で出会ったのが、この袋吊りです」

酒吊りライトの設計図
酒吊りライトの設計図

「実は特殊な作り方をしているのですが、今見ても、やっぱりすごい技術だなと思いますね。本当にシームレスに作られているもの」

建築家・隈研吾と酒吊りライト

隈さんが改めて感心するように、このライト、照明に詳しい人から見てもとても珍しい構造をしているそうです。

立体を支えるために通常入っているはずの骨組みが、一切使われていないのです。

【技術:立体漉和紙】時代を超えて長生きするものに

酒吊りライトに使われているのは「立体漉和紙」という技術。プロジェクト担当の堀木さんが全国から探し出したそうです。

隈さんのもとで獺祭ストア設計プロジェクトを担当した堀木さん
隈さんのもとで獺祭ストア設計プロジェクトを担当した堀木さん

「設計の初期段階では竹ひごを入れる案も出ていましたが、それだとライトにも空間にも影ができてしまいます」

隈さんのもとで獺祭ストア設計プロジェクトを担当した堀木さん

「骨組みを入れずに作れる方法がないかとあちこちに当たっていったら、偶然にもお隣の鳥取県にあったんですね。しかも隈が以前に仕事で訪れたことのあった、青谷 (あおや) という土地のメーカーさんでした」

全国でも珍しいという「立体漉和紙」の技術を持っていたのは、谷口・青谷和紙さん。

谷口・青谷和紙の工場
谷口・青谷和紙の作業風景

鳥取で1000年以上前から受け継がれる「因州和紙」の産地、青谷町の和紙メーカーです。

「フレームがないほうが和紙の暖かみが一番表せます。三次元のものづくりができる谷口さんの技術が活かせれば、それが実現できる。

谷口さんもとても親身に相談に乗ってくれて、製造できる最大のサイズに挑戦して作ってくれました」

谷口・青谷和紙の作業風景
その立体成形の技法は、門外不出なのだとか

こうした現代の技術を駆使した新しいものづくりを、隈さんは大切にしていると言います。

「和紙はずっと昔からある、いわば人間の友達みたいな素材。そこに現代だからこそのテイストを与えると、そのものは時代を超えて長生きするものになるんじゃないかなと思っています」

建築家・隈研吾

「単にノスタルジックにものを作るのではなく、現代の我々だからこそできることを埋め込みたいという思いはいつも持っていますね」

記憶に残り続ける、復興の明かりに

こうして完成した酒吊りライトの灯る空間はしかし、わずか2年で自然の脅威の前に、失われることに。

被災した建物

なぜ、義捐金を送るのでなく、ライトの売り上げを寄付する、という支援の形をとったのでしょうか。

「もちろんシンプルにお金を渡すという支援の形もできますが、ものを介することで獺祭ストアや今年あった災害のことが、ライトと一緒に世の中の人の記憶に、残り続けるのではないかと考えたからです」

建築家・隈研吾

「思い出すきっかけになれば、例えば今再開している獺祭ストアに、今度行ってみようという人が現れるかもしれない。

あの美しい風景や復興の取組みが、食卓やリビングに灯る酒吊りライトの明かりとともに人の記憶の中に刻印されていけば、それは素晴らしいことだなと思っています。

建築というのはその場の人をハッピーにするだけでなく、遠くの場所や人とも絆が築けたら本懐ですから」

建築家・隈研吾

この取組みを旭酒造も快諾し、支援プロジェクトが始動。ライトは注文が入ってから、谷口・青谷和紙さんが一点ずつ生産することになりました。

流通は、日本の工芸をベースにした生活雑貨メーカーの中川政七商店に依頼。同社のオンラインショップでの限定販売が決まりました。

全国の家々に灯る明かりはたとえ離れていても、被災地域の復興を照らします。

<酒吊りライト 限定販売>

酒吊りライト

■取り扱い:中川政七商店 公式オンラインショップ (サイズ大・小の2種類あり)
サイズ大 商品ページ
サイズ小 商品ページ
*売上金から実費 (ライト制作にかかる材料・加工費とお客様への送料) を引いたものが平成30年7月豪雨災害義援金として赤十字に寄付されます。

<取材協力> *掲載順
隈研吾建築都市設計事務所
http://kkaa.co.jp/

旭酒造株式会社 「獺祭ストア 本社蔵」
山口県岩国市周東町獺越2128
0827-86-0800
https://www.asahishuzo.ne.jp/
※「獺祭ストア 本社蔵」は9月より営業を再開しています。

谷口・青谷和紙株式会社
http://www.aoyawashi.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:mitsugu uehara、Mitsumasa Fujitsuka、隈研吾建築都市設計事務所、谷口・青谷和紙株式会社

縁起担ぎに785段の石段を登ってこんぴらさんへ

「こんぴらさん」の通称で古くから親しまれてきた、讃岐の金刀比羅宮(ことひらぐう)。江戸時代、庶民が「旅」を禁止される中で、唯一許されていたのが神仏への参拝旅でした。

伊勢神宮への参拝「お伊勢参り」に並び、「丸金か京六か」といわれ、一生に一度の夢だったのが四国の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝。どちらも当時は庶民のあこがれの旅先として、一大ブームになったといいます。

今回は香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮へ。「こんぴらさん」をお参りします!

こんぴらさん、こんにちは。

金刀比羅宮は、香川県西部の象頭山(ぞうずさん)の中腹に鎮座しています。島である四国の山の中にあるため、参拝をするには海を越えなければなりませんし、さらには長い長い石段を登らねばなりません。

そうまでしても人々が訪れた「こんぴらさん」参りには一体どんな魅力があるのでしょうか。

琴平駅を降り立つと、「ようこそこんぴらへ」の看板がお出迎え。
琴平駅を降り立つと、「ようこそこんぴらへ」の看板がお出迎え。

本宮まで続く、785段の石段

賑やかなお土産やさんが並ぶ表参道を抜けると、石段がはじまります。ここから御本宮までは785段。記念すべき第1段を踏み出し、スタートです!

第1段め。このときは785段の凄まじさを知る由もありませんでした…。
第1段め。このときは785段の凄まじさを知る由もありませんでした…。
皆さんも、登り始めは軽快です。手に杖を持っている方が多数。
皆さんも、登り始めは軽快です。手に杖を持っている方が多数。
皆さんが手にしているのは、こちらでしょうか?
皆さんが手にしているのは、こちらでしょうか?

石段を登る人々が手にしている杖は、観光案内所や土産物店で貸し出している竹の杖。私も杖を持って臨みたいところですが、今回はカメラを抱えているので断念。

日頃の運動不足からか、ほんの数十段登っただけで息があがってしまいます。石段の両側にはさまざまな土産物店が並んでいるので、休憩しながらゆっくり登ります。

こちらは「石段かご」というもの。これに乗ればこの石段もらくらく、でしょうか。
こちらは「石段かご」というもの。これに乗ればこの石段もらくらく、でしょうか。
そう、修行ではないので、土産物店をのぞきながら一歩一歩進んでいきます。
そう、修行ではないので、土産物店をのぞきながら一歩一歩進んでいきます。
やっと100段!
やっと100段!
100段を過ぎてから、石段が急に。やはり修行のような気がしてきました…。
100段を過ぎてから、石段が急に。やはり修行のような気がしてきました…。
石段の傍に座りこんで休む方もちらほら。私もひざが痛いです…。
石段の傍に座りこんで休む方もちらほら。私もひざが痛いです…。
やっと200段!756段まで、まだまだ1/4を越えたところです。
やっと200段!756段まで、まだまだ1/4を越えたところです。

そうこうしていたら、なんだか軽快な足音が聞こえてきました!私を追い越し、颯爽と石段を登っていくのは「石段かご」。いやはや、お客さんは楽々ですが、かごとお客さんを担ぎながら登る両側のおじさま達は、相当な脚力と気力が必要ですね。

2人で息を合わせてお客さんを運んでくれる「石段かご」。かなりの力仕事です。
2人で息を合わせてお客さんを運んでくれる「石段かご」。かなりの力仕事です。
294段目。ようやく先に大きな建物が見えました。
294段目。ようやく先に大きな建物が見えました。

石段365段目、神域へ。

365段目にある大門をくぐると境内に。かの水戸光圀の兄にあたる松平頼重から寄進されたもので、二層入母屋造(にそういりもやづくり)の瓦葺。ここからは、いよいよ神域に入ります。

大門。ここからぐっと神社らしくなります。
大門。ここからぐっと神社らしくなります。

大門をくぐったところには、平らな石畳「桜馬場」。こちらでは大きな和傘をさして飴を売る「五人百姓」に出会えます。

「五人百姓」は、境内で唯一商いを許された存在なのだそう。4月頃には傘の上に桜の花がみられるでしょうか。

参道の両側に店を構える「五人百姓」。
参道の両側に店を構える「五人百姓」。
一人ひとり、同じ飴を同じように販売しています。
一人ひとり、同じ飴を同じように販売しています。
古くは、神社へのお供えもののお米を使ってつくられていたという「加美代飴(かみよあめ)」。付属の小さなトンカチで割っていただくそう。
古くは、神社へのお供えもののお米を使ってつくられていたという「加美代飴」。付属の小さなトンカチで割っていただくそう。

ちょっと代わりに行ってきて。こんぴら狗の「代参」ものがたり

「こんぴら狗」の銅像。
「こんぴら狗」の銅像。

さらに進んで石段を数十段登ると、右手にキャラクター感のある銅像が。この「こんぴら狗」の銅像はイラストレーターの湯村輝彦さんのデザイン。ではここで「こんぴら狗」のお話を。

冒頭でお話したように、江戸時代「こんぴらさん」へのお参りは庶民のあこがれであり、人生の一大イベントでした。江戸から四国の「こんぴらさん」への旅は海を越え山を越えていく大変なものだったので、当人に代わり、旅慣れた人に代理参拝をお願いすることがあったそうです。これが「代参」。

かつて森石松が、清水次郎長の代わりに「こんぴらさん」へ代参し、預かった刀を奉納したと伝えられています。

この代参、実は人だけではなく、なんと犬が飼い主の代わりに参拝することがあったのだそうで。犬は首に「こんぴら参り」と記した袋を下げて四国を目指します。

袋の中には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っていて、犬は旅人から旅人へと連れられて、街道筋の人々に世話をされながら「こんぴらさん」にたどり着きました。

この、こんぴら参りの代参を務めた犬が「こんぴら狗」と呼ばれていたそうです。当時は飼い犬に代参を頼んでまで「こんぴらさん」にお参りをしたいという強い思いがあったのですね。

御本宮まで、あと少し。

「こんぴら狗」左手の広場にある馬屋。
「こんぴら狗」左手の広場にある馬屋。

金刀比羅宮の馬屋には神さま専用の馬である「神馬(しんめ)」が居ます。神馬は神さまの馬なので、人は乗せてはいけません。これまでも人を乗せていない馬でないと、神馬になれないのだといいます。

白い道産子馬の神馬「月琴号(げっきんごう)」。この日は馬屋で会えましたが、朝早くに付近を散歩していることもあるのだそうです。

白い毛の「月琴号」は現在12歳。人間でいうと、40代半ばなのだとか。
白い毛の「月琴号」は現在12歳。人間でいうと、40代半ばなのだとか。

円山応挙の襖絵が公開されているという「書院」や、日本洋画の開拓者とされる高橋由一の作品を収めた「高橋由一館」など、歴史的な美術品も豊富な金刀比羅宮の境内。

さらに進むと国指定重要文化財の「旭社」が。ここまでで石段628段。ずいぶん登ってきたので、目の前の立派な建物に、「これが御本宮か!」と思ってしまいそうですが、御本宮まではまだもう少しです。

「旭社」は江戸時代天保年間に、金毘羅大権現の金堂として建立されたもので、高さ18メートル、銅板瓦の総檜造二重入母屋造。この時代の腕の良い宮大工が琴平に集められ、鳥獣や草花などの華麗な装飾がほどこされたのだそうです。

「旭社」では、屋根裏や柱などの装飾彫刻を堪能。
「旭社」では、屋根裏や柱などの装飾彫刻を堪能。
「旭社」の扁額は、正二位綾小路有長の筆。
「旭社」の扁額は、正二位綾小路有長の筆。
「旭社」を超えて、あと少し。この急な階段を登りきれば御本宮が!
「旭社」を超えて、あと少し。この急な階段を登りきれば御本宮が!

785段!ついに御本宮へ

つ、着いたー!ようやく785段の石段を登りきり、御本宮です。
つ、着いたー!ようやく785段の石段を登りきり、御本宮です。

「こんぴらさん」のメイン、御本宮にいよいよ到着です。象頭山の中心に鎮座する金刀比羅宮。象頭山は、瀬戸内海を航行する人々の目印でもあったため、金刀比羅宮は海の守護神として、人々に愛されてきました。

この辺りの山々は古くから霊場として知られており、たくさんの寺社がありましたが、江戸時代から金毘羅大権現がひとまとめに統括。ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇で、海の神さまのほかにも、 農業、殖産、医薬などさまざまな神さまとして親しまれています。

主役である御本宮は、江戸時代は朱に彩られ豪華絢爛な装飾があったそうですが、明治以降は現在のような素木造りの社になったのだそうです。

御本宮拝殿は檜皮葺(ひわだぶき)の大社関棟造。全て角材が用いられ、一切弧をなしていないというのが他にない特徴なのだそう。
御本宮拝殿は檜皮葺(ひわだぶき)の大社関棟造。全て角材が用いられ、一切弧をなしていないというのが他にない特徴なのだそう。

「二礼、二拍手、一礼」。決して楽ではない785段の石段を登ってたどり着き、その達成感もあいまってすっきりした気持ちで参拝しました。

金刀比羅宮の「まるこん」

ふと横を見ると、御本宮の傍には大きな提灯が。
ふと横を見ると、御本宮の傍には大きな提灯が。

この「金」の字は、御社紋(ごしゃもん)という、いわゆる神社の紋で「まるこん」と呼ばれて親しまれているそう。「金」の字を隷書体(れいしょたい)で表したものです。

そういえば、参道のお土産やさんで販売されていたうちわにも、○の中に「金」の字が書かれていましたがこの字体ではありませんでした。それもそのはず、本来の「まるこん」は、この御宮と直轄の6社だけが使えるのだそうです。

参道のお土産物やで販売されていたうちわ。まるに「金」の字ですが、御本宮の提灯とは字体がちがいます。
参道のお土産物やで販売されていたうちわ。まるに「金」の字ですが、御本宮の提灯とは字体がちがいます。

香川の伝統工芸品として「丸亀うちわ」がありますが、実はこの「丸亀うちわ」が栄えたのには、江戸時代の庶民のあこがれ「こんぴら参り」のお土産として、「金」の字が入ったうちわをつくったのが始まりだったといいます。

当時は「金」の字の入ったうちわをお土産として持って帰ることも、大きなステータスだったのかもしれません。その土地の伝統工芸として根付かせるぐらいの力があったということから、「こんぴらさん」の相当な人気が伺えますね。

ご利益たっぷり!「幸福の黄色いお守り」と、犬の縁起物

さて、御本宮の隣には神札授与所が。ここで人気なのは「幸福の黄色いお守り」。金刀比羅宮の色である鮮やかな黄色のお守りです。

鬱金(うこん)からとれる染料を使って染められた糸で織られ、ていねいにつくられているお守りだそう。私は「ミニこんぴら狗」とのセットをいただくことに。

神札授与所。お札やさまざまなお守りが並びます。
神札授与所。お札やさまざまなお守りが並びます。
「幸せの黄色いお守り」と「ミニこんぴら狗」のセット。こんぴら狗は磁器製でずっしり。
「幸せの黄色いお守り」と「ミニこんぴら狗」のセット。こんぴら狗は磁器製でずっしり。
「ミニこんぴら狗」を讃岐平野に掲げて。
「ミニこんぴら狗」を讃岐平野に掲げて。
御本宮の北東側は展望台になっており、讃岐平野の彼方に瀬戸大橋や讃岐富士などを望めます。
御本宮の北東側は展望台になっており、讃岐平野の彼方に瀬戸大橋や讃岐富士などを望めます。

ちょっと気になるおみくじを発見。「こんぴら狗の開運みくじ」は、初穂料100円をお賽銭箱か狗の首の袋にいれると、おみくじをいただくことができます。可愛い袋の中には金色の小さな狗のお守りも入っています。

「こんぴら狗」がたくさん。大きな狗の背中におみくじが入っています。
「こんぴら狗」がたくさん。大きな狗の背中におみくじが入っています。
金色の狗のお守りはお財布などに入れて持ち歩くのが良いそう。
金色の狗のお守りはお財布などに入れて持ち歩くのが良いそう。

御本宮の参拝の後、さらに山を登る奥社へも足を運ぶとトータルで1368段の石段を登ることになります。

霊験あらたかな奥社は空気がきりりと引き締まる感じ、山道の静かな樹木の間、石段をただただ無心に登った先には、奥社・厳魂神社が鎮座しています。健脚の方はぜひ。(もちろん私も参拝しました!)

年間に約400万人もの人々が訪れるという金刀比羅宮。長い長い石段は決して楽なものではありませんが、その道中で繰り広げられる大小のエンターテイメントの数々は、石段を登るひざの痛みを和らげ、あがった息をも整えてくれるような気がしました。

長い石段は人生のようなものかもしれません。あわてずに、一段一段。ふとひと息ついて、足元から目線をあげてみると、こころが喜ぶような自然や、「こんぴらさん」のもつ魅力にたくさん出あえそうです。

———と、人生を語るのはまだ私には早かったようで、翌日からひどい筋肉痛の日々ではありましたが、とにもかくにも、まだまだご紹介しきれなかった魅力が満載の、讃岐「こんぴらさん」。一生に一度はぜひお参りを。

<取材協力>
金刀比羅宮
香川県仲多度郡琴平町892-1
0877-75-2121
http://www.konpira.or.jp

文・写真:杉浦葉子

こちらは、2017年4月5日の記事を再編集して公開いたしました