香道を京都で体験。日本三大芸能のひとつ「香りを聞く」習い事の魅力に迫る

様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」。今回は茶道、華道と並ぶ日本の三大伝統芸能「三道」のひとつ、「香道」の体験レポートをお届けします。

香道とは?日本最古の御香調進所「薫玉堂」で学ぶ

JR京都駅から北へ徒歩15分ほど。浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺前に本日体験にお邪魔する薫玉堂 (くんぎょくどう) さんがあります。

お店に入った瞬間から全身を包むやわらかなお香の香り。

お香のいい香りが立ち込める店内

桃山時代にあたる1594年創業の薫玉堂さんは、本願寺をはじめ全国の寺院へお香を納める京都の「香老舗」です。

お店の様子

店内には刻みの香木 (こうぼく) やお線香、匂袋をはじめ、お寺でのお勤めに使う品物まで、ありとあらゆる種類の「香りもの」が並びます。

お店の様子2

そもそも「香道」とは、室町時代の東山文化のもとで花開いた茶道や華道と並ぶ日本の三大伝統芸能のひとつ。薫玉堂さんでは香道を気軽に親しめるようにと、定期的に体験教室を開かれています。

教室はまず座学からスタート。お店の方が直接講師になって、お香の種類や歴史を学ぶことができます。

お香の歴史は4000年前のエジプトから?

伺ったお話によると、お香のもっとも古い記録は4000〜5000年前のエジプト文明までさかのぼります。出土した当時のお墓の中に、遺体の保存状態をよくするためのお香が敷き詰められていたそうです。

現代ほど入浴の文化も設備もなかった時代には、香りはいわばエチケット。香木 (こうぼく。芳香成分を持つ樹木) を粉末にしたものを体に塗る習慣もあったそうです。仏教が広まると、その修行やお勤めの中で用いられるようになりました。

日本で初めて文献に登場するのは、なんと日本書紀。590年代、推古天皇の時代に淡路島に流れ着いた香木が聖徳太子に献上された記録が残されています。

そもそも、香木とは?

一般的に言う「香料」には、植物の花、実、根、葉、樹を用いるものからじゃ香 (ムスク) など動物由来のものまで幅広い種類があります。

香木の見本

中でも樹木から採れる「香木」は原産地が限られ、古くから珍重されてきました。

白檀 (びゃくだん) や沈香 (じんこう) という名前を聞いたことがある人は多いかもしれませんが、どちらも香木の種類を指します。

沈香はジンチョウゲ科の木が熟成されたものですが、特定の地域にのみ繁殖するバクテリアが偶然に作用して初めて香木になるため、白檀も沈香も、日本では産出されないそうです。

沈香の中でも有名な伽羅 (きゃら) は、なんとベトナムでしか採れないのだとか。現代でも価格が金よりも高いと聞いて驚きました。

現存する日本最古の香木、蘭奢待 (らんじゃたい) は現在も奈良・東大寺の正倉院に保存され、国宝を超える宝として「御物(ぎょぶつ)」とも呼ばれています。実物には織田信長や明治天皇が一部を切り取った跡が残されているそうです。

なぜ香りは「聞く」のか?

座学の最後に講師の方から伺ったのが、なぜ香りを「聞く」というのか、というお話です。

「香道では香料の中でも香木の香りを聞きます。聞香 (もんこう) とも言います。

『聞く』という言葉には、身体感覚を研ぎ澄まして微妙な変化を感じ取る、聞き『分ける』という意味合いがあります。心を沈めて、瞑想し、思考する。そうして香りを楽しみます。

今日体験されるのは香りを聞きくらべる『組香 (くみこう) 』のうち、3種の香りを比べる『三種香』です。

3種類の香木をそれぞれ3つずつ用意して打ち混ぜて、取り出した3つの香りがそれぞれ同じものか違うものか、当てていただきます。

聞香を行う部屋を香室 (こうしつ) と言います。部屋に入ったら心を落ち着けて、聞いた香りを頭の中で具体的にイメージに起こすことが大事ですよ。『ああ、一昨日食べたプリンに似ているな』とかね (笑)

こうしたゲーム的な要素を持っているのは、三大芸能の中でも香道の特徴です」

最後には楽しみ方のアドバイスもいただいて、いよいよ体験に向かいます。

三種香の体験へ

体験が行われるのは1階のお店の奥にある「香室」。

体験の場所、養老亭

「この部屋は『養老亭』という名がついています。お茶室には小間、広間と種類がありますが、香室は10畳と決まっているんですよ」

部屋はなんと江戸時代から200年以上現存しているものだそうです。体験全体の案内をしてくださるのは薫玉堂ブランドマネージャーの負野千早 (おうの・ちはや) さん。その隣にお手前をする2名の方が並び、参加者は壁に沿ってコの字型に並んで座ります。

「お手前は2人でします。1人は香元 (こうもと) と言ってお香を出す人、もう1人が執筆といって皆さんの出された答えを書く、いわば記録係です」

今回の体験教室は略盆席と言って、四角い「四方盆」を使うお手前でしたが、飾り棚にはまた違う形式のお手前に使われるお道具も飾ってありました。

こちらが体験で使われる四方盆のお道具。左奥の「志野袋」の中に、聞香に使う香木が入っています
こちらが体験で使われる四方盆のお道具。左奥の「志野袋」の中に、聞香に使う香木が入っています
また違った形式のお手前に使われるお道具「乱れ箱」
また違った形式のお手前に使われるお道具「乱れ箱」
火道具と呼ばれる香を立てるための道具も美しいです
火道具と呼ばれる香を立てるための道具も美しいです
飾り棚の掛け軸にも、聞香の様子が描かれています
飾り棚の掛け軸にも、聞香の様子が描かれています

それぞれの参加者の前には硯が置かれています。

「体験でははじめに答えを記入する記紙 (きがみ) にお名前をお書きください。女性で名前に『子』とつく方は、『子』を抜いて、濁点のある方は濁点をとってひらがなで書いていただきます」

小さな紙に名前を書く様子

筆を取ることも硯をすることも普段なかなかなく、やや緊張しながら名前を記していきます。

「書き終えたら筆は硯箱にかけておいてください。あとで3つの香炉が全て回ってきたら、再び筆をとって答えをお書き下さいね」

「では、総礼いたします」

全員で礼をした後、香炉が香室内をめぐっていきます。香元さんから向かって左の角に座っている人がその会でもっとも格式の高いお客さん、お正客 (しょうきゃく) 。香炉は必ずお正客から順に回っていきます。

三種香では3種の香木を各3つ、合計9つを打ち交ぜた中から選ばれた3つの香木で香炉が用意されます。

答えの組合せは、3つとも同じ香り、ひとつ目とふたつ目が同じ香り‥‥という具合に全部で5通り。香元さんも、香木が入っていた包みの端を最後に開けるまでは、どの香木が選ばれたかわからない仕組みになっています。

香炉を出す際には「出香(しゅっこう)」という声がかかります。「出題ですよ」の合図です。

香炉が自分のところに回ってきたら、香炉の正面を避け、しっかりと器の足に指をかけ、香りを集めるように手で覆います。

1つの香炉につき、3回ほど、息を吸うように香を聞きます
1つの香炉につき、3回ほど、息を吸うように香を聞きます

「香りはわずかなものですので、しっかり香炉の上から蓋をするように手で覆って、隙間から香りを聞いてください」

香炉が回るにつれ、室内が静かになっていきます。意識を香りだけに集中していく様子がひしひしと伝わってきます。

いよいよ自分の番。鼻先の小さな空間で、そっと香りを確かめます。かすかなのにとても濃厚。何かを思い出すような、初めて知った香りのような。

線を景色に見立てる「香之図」

3回聞き終えると、いよいよ答えを書きます。その答えの書き方がとても素敵です。

「香之図」と言って、三種香なら3本の縦線を右から順に書き、それぞれに同じ香りだと思うものの線の頭を横線でつなげます。組合せてできた図には「隣家の梅」「琴の音」など美しい名前がついています。

こちらは琴の音の図。下に図の名前を続けて書きます。
こちらは琴の音の図。下に図の名前を続けて書きます。

5種の香木で行う「源氏香」では、それぞれ5つ、合計25の中から5つを聞きます。答えの数は52通り。源氏物語54帖に見立てて、桐壷と夢浮橋を除く52の帖の名が答えにつくそうです。

源氏香の香之図
源氏香の香之図

「いかがでしたか?今日は私の席でははっきり聞こえました」

負野さんが嬉しそうに語られます。

「季節やお天気によって、香りが立ちやすい日、立たない日があるんです。ちょっと曇っている日や雨がしとしと降っている日は、よく香りが聞こえますね」

伺うと、席によっても香りが変化していくそうです。お正客が聞くのは香りとしてはまだ立ち始めの、一番フレッシュな香り。はじめの頃しか聞けない香りだそうです。香炉が次の方へと回るうちに、より濃厚な、はっきりした香りになっていくのだとか。

「ですから席ごとにお答えが2、3人まとまって同じ、ということがよくあるんですよ。どこかでフッと香りが変わる瞬間があるのですね。今回は、たくさんの方が正解されていらっしゃいますね」

そうして見せてくださったのは、全員の答えを写し取り、答え合わせをした記録紙。

披露された記録の紙

3つとも合っている人には、答えが叶ったということで一番下に「叶」の文字が記されています。

私は残念ながら外れてしまいましたが、隣同士であれはどうだった、最初はこう思った、と言葉を交わすのも楽しい時間。

全体に得点が高い場合は、記録はその中で1番高い席の方に渡されます。とても素敵な記念ですね。

最後にはお茶とお菓子と、可愛らしい香袋のお土産もいただいて本日の体験も終了。目の前の香りに向き合い、隣の人と体験を分け合い、自分の記憶と格闘し、名前を書く手が震え、頭も体もフル回転させて楽しんだ時間でした。

秋は空気も澄んで聞香にはちょうど良い季節。一度やってみると、次は5種で、今度は季節を変えて、書道も上手くなりたいな、と次の楽しみを思い浮かべる帰路でした。

<取材協力>
薫玉堂
京都市下京区堀川通西本願寺前
075-371-0162
https://www.kungyokudo.co.jp/

文:尾島可奈子
写真:平井孝子
着付け協力:大塚呉服店

*こちらは、2017年11月4日の記事を再編集して公開しました。

京都で買える好みのお箸。御箸司 市原平兵衞商店の「みやこ箸」

京都へお箸を探しに

こんにちは。細萱久美です。

ここ最近は仕事の関係で関西と東京を行き来しています。先日久々に銀座の中央通りを歩いていたら、団体観光バスが次から次へと。

平日でも非常に賑わいがあり、来年の東京はどんな人口密度になるのだろう‥‥と楽しみとドキドキを感じました。

関西では、住まいの奈良を拠点に大阪・京都を日常的に訪れます。どちらも言わずと知れた観光地で、場所によっては銀座に劣らぬ賑わいです。

観光目的では無いですが、奈良から近いこともあり休みの日に一番頻繁に行くのは京都です。

京都は母の出身地で、小さい頃から毎年行っていたので第二の故郷でもあります。小さな頃は、おばあちゃんちのある場所、大学生の頃は人の多さにもめげずに桜や紅葉を愛でたりのまさに観光地。

そして今は美味しいものを食べたり、ギャラリーやセレクトショップなどを巡る刺激的な街という感じで親しんでいます。定期的に開催されている骨董市もほぼ欠かさず訪れており、食とモノの街として、毎月のように訪れています。

モノと言えば、京都はかつて日本の都であったことから、日本らしい多様な伝統文化、伝統芸能、伝統行事、食文化などが生まれ、それらを支える形で産業も発展しました。

伝統の継承には難しさもあると想像しますが、今の暮らしに合わせてうまく変化、発展されるのが上手な産地とも感じます。

例えば、包丁の「有次」は、観光客の絶えない錦市場にありながら、専門的な品揃えときめ細かいサービスで、「アリツグ」の名で世界的に有名なブランドとなっています。私はまだ持っていませんが、名入れ包丁は憧れの1本です。

他にも伝統の技を継承し、クラシックなアイテムも守りながら、新しいアイテムや見せ方に発展させ、海外も視野に活躍している京都ブランドは「金網つじ」「開花堂」「唐長」などはよく知られています。

今回ご紹介する京都ブランドは、むしろ知る人ぞ知るローカル感の強いお箸の小売店「御箸司 市川平兵衛商店」です。

400種以上を揃えるお箸の専門店、「御箸司 市川平兵衛商店」

御箸司 市川平兵衛商店

四条烏丸駅から程近く、市内の真ん中にありながら、脇道に存在するので目指して行かないと辿り着かないかもしれません。

こちらは、創業明和元年(1764年)の老舗お箸の専門店。禁裏御用(今で言う宮内庁御用達)御箸司として今に至ります。

決して広くは無い店内に、お箸がぎっしりと並びます。食事用をはじめ、料理用や、京都ならではの茶懐石用など、あらゆる用途に最適な箸を揃え、その数は実に400種。言ってみれば2本の棒というシンプルな造形の箸の奥深さを感じます。

京都の専門店というと若干緊張しますが、親切な接客と、どの箸にも見本があり、持って感触を確かめることが出来るのでじっくりお気に入りを選ぶことができます。

他産地で作られた塗りのお箸も充実していますが、ここで買うならおすすめは京都で作られている竹の箸。

京都は竹の産地でもあり、茶道具なども作る腕の良い職人が多いのです。その中でも私が指名買いして愛用しているのは、こちらの看板商品である「みやこ箸」です。

御箸司 市川平兵衛商店のみやこ箸

その特徴は、まず「すす竹」を使っていること。

すす竹とは天井裏などに使用されていた竹が、囲炉裏やかまどの煙でいぶされ、約150年の年月が経て、頑丈で丈夫に経年変化したものです。古い建物が減少すると共に取れなくなるので、今では大変貴重な素材と言えます。

食卓を引き立てる美しい「みやこ箸」

姿形は細身で、とりわけ箸先は細く手削りされているため小さいものもつまみやすいのです。愛用の箸は塗り箸も含め何膳かありますが、このみやこ箸を使うと、食事の所作も不思議と上品に見える気がします。

御箸司 市川平兵衛商店のみやこ箸

箸自体キリッと美しく、食事用以外に、取り分け箸にも。おばんざいでもちょっと美味しそうに見えるのは気のせいでしょうか。和菓子の取り箸にも良さそうで、京都の生菓子に合わせたくなります。

使いやすさで選ばれるお箸は色々あると思いますが、食事の気分すら変えてくれるお箸との出会いはあまり多くないかもしれません。

御箸司 市川平兵衛商店のみやこ箸

すす竹は一膳一膳個体差があり、中には節のあるものも。カタログは存在しないので、好みの一膳と出会えるのは実際の店舗のみです。

クラシカルなパッケージ好きの私としておまけに嬉しいのは、購入の際入れてもらえる袋が可愛いこと。ギフト用にも同様な袋が用意されています。

御箸司 市川平兵衛商店のみやこ箸

京のみやこで自分のため、人のために丁寧にお箸を選ぶなんて、ちょっと大人の旅はいかがでしょうか?

<紹介したお店>
御箸司 市原平兵衞商店
京都府京都市下京区小石町118-1
075-341-3831
https://ichiharaheibei.com/

細萱久美 ほそがやくみ

元中川政七商店バイヤー
2018年独立

東京出身。お茶の商社を経て、工芸の業界に。
お茶も工芸も、好きがきっかけです。
好きで言えば、旅先で地元のものづくり、美味しい食事、
美味しいパン屋、猫に出会えると幸せです。
断捨離をしつつ、買物もする今日この頃。
素敵な工芸を紹介したいと思います。

Instagram

文・写真:細萱久美

*こちらは、2019年8月6日の記事を再編集して公開しました。

桐生「ひもかわうどん」はなぜ平たい?老舗「藤屋本店」で知るご当地うどんの楽しみ方

群馬県桐生市。桐生川を中心に、機織りや縫製などの繊維産業が栄えた「織物の町」だ。

和装の帯も多く作ってきたこの町に、まるで帯のように平たいうどんがある。

「ひもかわうどん」と呼ばれるその名称は「帯が川で洗われる様子から」という説もあれば、愛知県刈谷市の名物だった平うどん「芋川うどん」から伝わったとの話もある。

真相は未だにわからないが、ここ数年で県外にも知られるようになり、人気店には平日でも行列ができる。

ひもかわうどんの麺
お店によって幅の広さは違うそうだ

そんな桐生市の郷土料理、ひもかわうどんを食べるならと地元の人に教えてもらったのが明治20年 (1887年) から6代続く老舗「藤屋本店」だ。

6代目店主の藤掛 将之さんに、織物産地らしい誕生の由来や、おすすめの楽しみ方を聞いた。

地元の人々で賑わう老舗「藤屋本店」で食べる、ひもかわうどん

桐生川にもほど近い、町の中心に藤屋本店はある。お昼時に到着すると、店舗の横にある駐車場はすでにいっぱい。趣のある大きな建物の入り口にかかる暖簾は、老舗の雰囲気はありながらも気軽に入りやすい。

藤屋本店の外観

店内に入ると、地元の人たちで賑わっていた。同じくご当地メニューとして人気のソースカツ丼とのセットを黙々と食べるサラリーマンや、仲間内でおしゃべりしながらうどんをすする女性客など、客層はさまざまだ。

先代が好きで集めたというお酒がずらりと並ぶ光景は、うどん屋としてイメージしていたものと少し違った。カウンターには早くも天ぷらで日本酒を楽しむご婦人も。

藤屋本店の店内

人々が集まってうどんを楽しむ中で自分も注文するのは、なんだか地元の一員になったようで嬉しくなる。

藤屋本店の店内

メニューには、かけうどん、鶏せいろつけめんなど、20種類近くが載っていた。季節のうどんや丼とのセットメニューなどのボリュームのあるものも人気なようだ。どれも麺を、蕎麦、うどん、ひもかわうどんの中から選ぶことができる。

鶏せいろつけめんひもかわ
「鶏せいろつけめんひもかわ」。丁寧に折りたたまれて出てくるので量が少なく見えるが、意外とボリュームがある
ひもかわかけうどん
寒い日に温まるなら、「ひもかわかけうどん」もおすすめ

なるべく地元のものを使いたいという将之さんの意向で、うどんの粉は地元のものをブレンド。県内を流れるきれいな水を使って作られた麺は、つるっとなめらかで、もちっと噛みごたえがあった。うどんを「すする」というより、「噛む」という感覚は、不思議なものだった。

中でも人気なのは「カレーせいろひもかわ」。つるっとすすれる一般的なカレーうどんと一味違う、ひもかわうどんのカレーつけめんだ。

カレーせいろひもかわうどん

「ひもかわうどんって表面がなめらかなので、カレーのようにとろみがあるつけ汁が麺に絡んで相性がいいのでは、と10年ほど前から提供し始めました」

将之さんが言うとおり、つるつるの麺にとろりとカレーが絡む。口に入れると出汁がしっかりと利いていた。

6代目店主、藤掛将之さん
将之さんが好きなうどんを聞くと、「シンプルにたぬきうどんです」とのこと

人気になったのは、忙しい女性の味方だったから

群馬県では昔から小麦粉が多く栽培されてきた。うどんに限らず、お好み焼き、焼きそばなどの粉物文化が根付いているという。群馬県高崎市は「パスタの街」と呼ばれることでも有名だ。

「自宅に麺棒がある人が多い」という将之さんの話からは、桐生の人たちにとってうどんが身近な食事であることが伺える。普段から家族で食べるのはもちろん、冠婚葬祭などのハレの日にも振る舞われてきた。

「4代目も、結婚式などの場には出前に行っていたと聞いています」

ひもかわうどんの始まりは明治からと言われているが、実は正確なことはわからないのだという。自治体の調べでも発祥は明らかにならず、明治初期から代々続く藤屋本店でも、はっきりとした起源は伝わっていない。

発祥はわからないが、この平たい麺が桐生で広まった背景には、織物産地ならではの台所事情があるらしい。

「機屋さんで働いている女性たちの間で人気になったと聞いています。

薄く伸ばして幅が広く切ってあるひもかわうどんは、通常のうどんに比べて茹で時間が短いんです。働く忙しい女性たちに、すぐに提供できるものとして好まれていたようです」

6代目店主、藤掛将之さん

その頃は、うどん屋で食べるよりも、「一玉」単位で茹でたものを買って帰るお客さんが多かったそうだ。忙しい時間の合間を縫ってうどんを取りに来るお客様を、少しでも待たせないために広まったのが、ひもかわうどんだったのだ。

また「おきりこみ (おっきりこみ) 」という郷土料理が、同じく群馬にある。平たいうどんのような形状は似ているものの、小麦粉と水を練ったすいとんのようなおきりこみは、鍋に入れて煮込んで食べるものだ。

「ひもかわうどんは先に茹でてあるので、あとから鍋に入れてもいいし、味噌汁に入れてもいい。そういう手間が省ける部分も含めて、たくさんの人に親しまれてきた料理ですね」

自由に楽しむ、ひもかわうどん

もともとの食べ方は、煮込んだり汁物に入れたりするのが主流。本来は、冬の食べ物だった。

ひもかわかけうどん

それを藤屋本店では、将之さんのお父さんで、5代目の勇さんが通年メニューとして出すように。ちょうど10年前の2009年、カレーひもかわうどんや、つけめんスタイルなどが新メニューに登場する。

実は現在の店舗も、そのときに勇さんが新しくオープンさせたもの。昭和初期に建てられた旧店舗は、お店のすぐ近くでギャラリーとして保存されている。

「もともと桐生市のうどん屋のスタイルは『お店に行って食べよう』ではなく、『出前を取って食べよう』というもの。それを先代が『たくさんの人に来てもらえるお店を』と一念発起して、旧店よりゆったり広い、この店を作りました」

今でも出前がメインのうどん屋もあるが、リニューアルを機に藤屋本店では出前はできなくなってしまった。その代わり、お店には地元の人々や、ひもかわうどんに興味を持って訪れた人が、県内外から多く集まる。

昼過ぎには、店の外まで行列ができる一方、最近では「地元の料理を食べてほしい」と、夜に接待で利用する地元のお客さんも増えてきたそうだ。

「家族で食べに来たり、知り合いと飲みに来たり、おもてなしにご利用いただいたり。いろいろなお客様が足を運んでくれて嬉しいです」

家でうどんを楽しんできた桐生の人たちが、今ではそれぞれの目的で、打ち立てのうどんを食べにお店に足を運ぶ。

お酒と天ぷらをつつきながらお店の雰囲気を楽しみ、シメにひもかわうどん。そんなうどん屋の楽しみ方があってもいい、と将之さんは言う。

6代目店主、藤掛将之さん

「今日は、ひもかわにしようか」と地元の人たちが訪れるように、桐生に来たらお店の暖簾をくぐってみてはどうだろう。

<取材協力>

「藤屋本店」

群馬県桐生市本町1丁目6-35

0277-44-3791
https://fujiya-honten.net/index.html

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

持ち歩くアート。京都の老舗染物屋の新ブランド「ケイコロール」の魅力

楽しげな印象を与えてくれる、カラフルなテキスタイル小物たち。これらのデザインを構成しているのは、90年以上前から受け継がれてきた「伝統柄」だ。

手ぬぐい生地を使った「あずまトート」
手ぬぐい生地を使った「あずまトート」。裏地を付けていないトロンとした生地感と、コンパクトに折りたたんで持ち運べる手軽さが魅力
底がコロンと愛らしい形の「まるトート」
底がコロンと愛らしい形の「まるトート」。本体はもちろん、持ち手の部分も手染めしているこだわりよう。A4ノートや書類も入るサイズ感が人気
手ぬぐい生地を使ったポーチ
S、M、Lの3サイズを展開するポーチは、手ぬぐい生地を使ったやわらかさが特徴。コロンと丸く、角がないので入れるものを選ばない

他にも、ヘアターバンやインテリアとしても使える定番の手ぬぐい、好みの長さにカットしてくれるロール、おにぎりがピッタリ2つ入る「おにぎり袋」など、日常を楽しくするような素敵なアイテムを届けている。

ケイコロールのカラフルなテキスタイルたち

これらを手掛けるのは、京都・壬生(みぶ)に工房を構える、創業90年目の山元染工場(やまもとせんこうじょう)。創業時から舞台衣裳を専門に手掛けてきたこの工房には、なんと10万枚にも上る衣裳用の型紙が残っている。

初代から受け継がれてきた舞台衣裳専門の型紙
初代から受け継がれてきた舞台衣裳専門の型紙

90年以上前のデザインと、現代美術の出会い

そんな型紙を用いてオリジナルのテキスタイルブランドを展開するのが「ケイコロール」。主宰の山元桂子さんは京都造形芸術大学大学院で現代美術を専攻し、2009年に山元染工場へ嫁いだ。

「ケイコロール」主宰の山元桂子さん

時代ものや舞台など、衣裳に用いられる柄はユニークな古典柄も多い。創業当時、初代が衣裳用のデザインを専門に手掛ける絵師を出入りさせ、オリジナルの型紙を制作させたという。

そして代々大切に受け継がれた独自のデザインは、桂子さんの感性によりまた違った表情を見せる。

柿渋紙で作られた創業当初の型紙。左は当時から受け継がれた柄の見本帖
柿渋紙で作られた創業当初の型紙。左は当時から受け継がれた柄の見本帖
柿渋紙で作られた創業当初の型紙

山元染工場に蓄積された膨大な型紙を駆使して次々に新しいデザインを生み出していく桂子さん。見るものを晴れやかな気持ちにさせてくれるような、明るく大胆な色使いが特徴だ。

世界に一つしかないテキスタイルを生み出す

染める時は一切下絵を描かないぶっつけ本番。柄の組み合わせも配色も、すべて頭の中で組み立てながら染めていくのだそう。

感覚だけで組み合わせるので、同じ柄を用いてもまったく同じデザインは二度と作れない。

染めていく作業風景
柄と柄の間隔や配置もその場で計算しながら染めていく

型をずらしたり、かすれを残したり、本来なら「タブーのかたまり」と言われるような手法もあえて用いる。そうすることで、手仕事ならではの温かみある風合いを表現し、独自の柄を生み出しているのだ。

生地に対して型を斜めにずらし、あえてランダムな配置に
生地に対して型を斜めにずらし、あえてランダムな配置に

桂子さんが一番大切にしているのが「色」。工房には、歴史ある「京都の染物屋」というイメージとはかけ離れた、ポップで鮮やかな染物が並んでいる。

柄の組み合わせ同様、色の組み合わせも桂子さんの感覚によるもの。赤と黄色、緑と紫など、原色同士の組み合わせも心地よく晴れやかな印象だ。独特の配色からは、大学・大学院で染色を学んだという桂子さんの「美術作家」としての一面がうかがえる。

様々な色の生地

自分のペースで、丁寧に届ける

「本当に営業が苦手で」と笑う桂子さんは、制作に追われることもあり、ケイコロールの営業活動をしたことはほとんどないという。

それでも、20018年には「BEAMS JAPAN」のバイヤーがケイコロールに興味を持ち、コラボレーションが実現。オリジナルの手ぬぐいも大好評だった。

一つひとつが手作業のため安定した生産が難しく、常時商品を取り扱う店は「アーバンリサーチ京都」、左京区「ホホホ座」などごく一部だが、2019年8月には京都の人気カフェ「うめぞのカフェ&ギャラリー」での展覧会、ホホホ座での展示販売を開催するなど、着実に活動の幅を広げている。

今後はネット販売にも力を入れていきたいと、桂子さんは意気込みを見せる。

「ケイコロール」主宰の山元桂子さん

明るく、いつも前向きな桂子さん。そんな人柄を映し出したかのように色鮮やかな作品を手にすると、こちらまで気持ちが明るくなれるようだ。

<取材協力>
ケイコロール(山元染工場)
京都市中京区壬生松原町9-6
075-802-0555

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

こぎん刺しはなぜ愛されるのか。「弘前こぎん研究所」で知る図案の美と作る楽しさ

弘前こぎん研究所に行って来ました

青森県津軽地方に伝わる、こぎん刺し。

南部菱刺し、庄内刺しと並び、「日本三大刺し子」の一つに数えられ、緻密で美しい幾何学模様を生み出す刺し子技法です。

こぎん刺し

そんなこぎん刺しの「研究所」があると聞きつけてやってきたのが、弘前こぎん研究所。

弘前こぎん研究所
弘前こぎん研究所。建物は日本を代表する建築家・前川國男によるもの

こぎん刺しを“研究する”とは、いったい、どんなことをしているのでしょうか。

弘前こぎん研究所の三浦佐知子さんに、こぎん刺しについて伺いながら研究所を案内してもらいました。

津軽女性の花嫁修行の一つだったこぎん刺し

江戸時代後期、津軽地方の農村で生活の知恵として生まれたのが、こぎん刺しです。

当時は厳しい寒さのために綿を栽培することができず、藩令によって農民が綿布の着物を着ることが禁じられていたとのこと。そのため、農民たちの着物は自ら織った麻布を藍染めして仕立てたものでした。

麻布といえば、織り目も荒く、通気性のよい生地です。寒い地方の着物の生地には、正直向いていません。
そこで、何とか少しでも寒さをしのごうと、着物の身ごろ部分に刺し子をするようになったといいます。

「当時の農村の娘たちは、5、6歳になったら、刺し子の手ほどきを受けていたそうです。お嫁に行くまでに刺し子を入れた2枚1組の布地を完成させて、嫁入り道具の一つとして持って行く風習があったといいます」と三浦さん。

弘前こぎん研究所の三浦佐知子さん
弘前こぎん研究所の三浦佐知子さん

制約から生まれた図案の美

こぎん刺しの模様は、「モドコ」と呼ばれる菱形の基礎模様を組み合わせて作成されます。代表的なモドコだけでも30種類ほどあり、その組み合わせは無限大。今でも新たな模様が生み出されるほど、数え切れないものなんだとか。

こぎん刺し
モドコの一部。名前もなく伝わっているものもあるのだそう

それにしても、「防寒」という当初の目的から、どうしてこれほどまでにたくさんの模様ができたのでしょうか。

「色で表現できなかったからこそ、美しい模様がたくさん生まれたんだと思います」

そう三浦さんが語る背景には、江戸時代、津軽藩による厳しい藩政がありました。

津軽藩では、贅沢を禁ずる倹約令が発令され、農民の衣食住に関する制約は大変厳しいものだったそうです。

農民には綿布だけでなく、高価な色染めの着物を着用することも禁止されていたため、着物は藍染めのみ。当初は貴重な木綿糸が手に入らず、刺し子の糸も麻糸だったといいます。

その後、徐々に農民にも木綿糸が行き届くようになり、藍染めの生地に白い木綿糸という、こぎん刺しの定番スタイルができあがったのだそうです。

南部菱刺し
同じ青森でも、八戸がある南部藩で作られていた「南部菱刺し」はとてもカラフル。目数を数えながら横にだけ針を進めるという刺し方は似ていても、出来上がるものは全く別物です

模様に垣間見られる津軽の風土

「所変われば品変わる」という言葉どおり、同じ津軽のこぎん刺しも地域によってその模様に特徴があるといいます。

「弘前城を中心に3つのエリアに分けられます。

お城の東は、平野部の比較的豊かな土地。その余裕もあってか、ここで作られた『東こぎん』には、じっくり取り組むような大柄の模様が多く見られます。

こぎん刺し
大きな模様が特徴の東こぎん

一方、「西こぎん」が作られた弘前城の西は白神山地が広がる山間部。山に入って薪などの重い荷物を背負うことから、擦り切れやすい肩部分には複雑な模様ではなく、簡単に直しができる縞模様が採用されています。

また、肩の縞模様の下に魔除けの意味を込めて「逆さこぶ」という模様が施されているのも特徴です。

西こぎんは、模様が細かく、たくさんの種類の模様を組み合わせて刺しているので、こぎん刺しの中で最も緻密で複雑なものになっています。

こぎん刺し
西こぎんの緻密な美しさは「嫁をもらうなら西からもらえ」と言われたほど

最後の一つは、弘前から離れた津軽地方北部の「三縞こぎん」。3本の大きな縞が特徴です。このあたりは平野部でも風が強く、冷害や凶作で生活も苦しい地域。じっくりとこぎん刺しに取り組むことができなかったのか、残っているものがあまりありません」

こぎん刺し
3本の縞模様が目印。今では貴重な三縞こぎん

ものづくりのハブとしての「弘前こぎん研究所」

こぎん刺しのことがひと通りわかったところで、研究所内の作業場へ。

「研究所」という言葉から、何か文献や資料を紐解いているのかと思いきや、そこでは数名の女性たちが手織り機を動かしたり、麻布をカットしていたり。

弘前こぎん研究所
弘前こぎん研究所

ちょっと想像とは違っていました。

「資料は、初代の横島直道所長が古いものも含めてかなりの数を集めていて、すでにたくさん残っています。今は『研究』というよりは、こぎん刺しを続けていくための商品づくりがメインなんです」と三浦さん。

こぎん刺し
かつては着物に施されたこぎん刺しも今では小物がメイン。これらは弘前こぎん研究所で購入できます
こぎん刺し
くるみボタンも人気。他にもがま口やコースターなど

弘前こぎん研究所では、商品づくりを全て分業で行なっています。

こちらの作業場は、メイン商品である小物類に使う麻の布と木綿糸、図案をセットにする場所。時には帯など特別なものは生地を手織りすることもあるのだそう。

こぎん刺し
刺し手さんに配られるこぎん刺しセット

材料セットは内職の刺し手の方々に届けられ、それぞれのペースで刺し進めてもらいます。

こぎん刺し
刺し手さんからあがってきた生地

刺し終わったら、次は袋物を縫う担当へと渡され、商品としての形に。

現在、およそ100人はいるという刺し手ですが、高齢化で人手が足りなくなると、研究所で講習会を開催。刺し方や模様のつくりをレクチャーした上で、材料の提供までを行なっています。

弘前こぎん研究所は、黙々とこぎん刺しを研究するところではなく、こぎん刺しと地域の人々をつなぐ拠点、いわばハブなのでした。

三浦さんも研究所というハブを通じてこぎん刺しを始めたといいます。

「母親が研究所の下請けで袋ものを縫う仕事をしていたんです。手伝ううちに自分も好きになって、学生のうちに刺し手になっていました」

こぎん刺しはお家での楽しみ

こぎん刺しの道40年という三浦さん。こぎん刺しのどこに惹かれたのでしょうか。

「『伝統を守るぞ』というよりも、手を動かして無心になれるのが好きでやっているんですよね。きっと他の刺し手の人もそうなんじゃないかなと思います。こぎん刺しが地域の人たちの内職で成り立っているのは、お家での楽しみがあるから」

弘前こぎん研究所では、事前に問い合わせ・予約をすれば、グループでのこぎん刺し体験も受け付けているそう。

三浦さんの言葉を聞いたら、私もこぎん刺しをやってみたくなってきました。

<取材協力>

弘前こぎん研究所

住所:青森県弘前市在府町61

TEL:0172-32-0595

営業時間:9:00〜16:30

定休日:土・日・祝祭日

http://tsugaru-kogin.jp/

三浦さんに弘前のおすすめスポットを伺うと、研究所よりもっと古い資料がたくさんあるという私設の「佐藤陽子こぎん展示館」や、弘前の工芸品に触れられる「クラフト&和カフェ 匠館」、こぎん刺しのソファがある「スターバックス 弘前公園前店」を教えてもらいました。こぎん刺し尽くしの弘前の旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

文・写真:岩本恵美

*こちらは、2019年5月30日の記事を再編集して公開しました。
(三浦さんは2023年現在、弘前こぎん研究所の職員ではなくなっています)

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図案としても活用できるこぎん刺し着物の写真集発売。古作こぎんの写真を200点以上掲載

こぎん刺し

青森県の文化財に指定されている「古作こぎん」を多数掲載した、こぎん刺し着物の写真集「コギン<1>」が発売されました。

青森市が所蔵するこぎん刺しの着物を、その布目が見えるほどの拡大写真で多数掲載。着物のオモテとウラを同時に比較できる分冊仕様となっています。私用・商用問わず、図案として活用も可能とのことです。

→記事を見る

わたしの一皿 つるつるぽってりの優しいうつわ

秋の花粉症なのか、鼻水が止まらない。晩秋、11月半ばからのアメリカ・サンフランシスコでの展示会も迫ってきました。鼻水垂らしながらただいま準備中。日本の今の手仕事をたんまりと持っていきます。みんげい おくむらの奥村です。

どうしてなのかうまく言葉では説明できないけれど、子供の頃からバターがそれほど好きではない。

バターの香りを嗅ぐとたまらない、という人が多いそうだが、個人的には全然なのだ。牛乳もチーズも大好きなのに。

鹹蛋(シェンタン)という中華圏を中心に見られる食材。アヒルの卵を塩漬けしたもの

ところが、バターに似たような食材は好んで使っている。鹹蛋(シェンタン)という中華圏を中心に見られる食材。

アヒルの卵を塩漬けしたもので、黄身はバターのようなコク。白身はよい感じの塩加減。

これ一つで旨味も塩気も決まるという万能の食材。台湾や香港では朝粥のお供としてもこれをよく食べる。

黄身と白身がそれぞれまるで違う調味料のようなので、簡単な料理でもなかなか複雑味が出る。さっと素材と炒め合わせればよいだけなので、時間がない日に重宝します。冷めても美味しいのでお弁当にもどうぞ。

今日選んだのはエリンギ。この組み合わせは台湾でよく食べられている定番料理だ。

エリンギの鹹蛋炒め。エリンギ四本ぐらいで鹹蛋一つ。あとは彩りに小ねぎでもあればもう十分。

調理風景

コロコロの一口大に切ったエリンギを油で炒めて焼き目をつけて取り出しておく。その鍋に油を再度入れて鹹蛋の黄身を潰すように油と合わせる。

火は弱め。じゅくじゅくっと黄色い泡が立ってくると、それがバターのような香りになる。焦がさないように気を付けて。

調理風景

そしたらエリンギを鍋に戻し、このバター的なものをからめつつ、細かく刻んでおいた白身を合わせ、小ねぎもパラパラ。ざっと炒め合わせて、好みで黒胡椒をふってください。これだけ。

今日のうつわはちょっと遊び心。木のうつわにしてみた。料理が味も雰囲気もやわらかいから、うつわもやわらかく。鹿児島の木工作家の盛永省治さんの定番のプレートだ。

鹿児島の木工作家の盛永省治さんの定番の木製プレート

盛永さんは家具からうつわから花器、アート的なもの。作るものの幅が広い。

ものづくりの根底にあるのは木という素材が持っている美しさをどう表現できるのか、とそういうことなのだと思う。

どの作品も彼の手がきちんと加わっているのになんだかいやらしさがなくて、自然な雰囲気がする。

このうつわは厚みがよい。この厚み、ぼってり感が出せるのは木という素材ならでは。この全体の雰囲気のやわらかさは厚みあってのことなのだと思う。

このうつわはいくつか違う種類の木で作ってもらっているので、同じ大きさや厚みでも材によって重さがぜんぜん違うのがおもしろい。

あるとき盛永さんと話していたら、うつわや家具についてはものすごく職人気質に、正確さとスピードとを大事にしていることを教えてくれた。

職人と芸術家を行ったり来たりするような感覚がある作り手。でも、どちらも中途半端でない。

この作り手の場合、木目が生きたうつわを手にしたら、ぜひその次は木そのものの形や動きが感じられるウッドボウルやウッドベースを手にしてもらいたい。

誰の身近にもある木という素材があらためてものすごく可能性に満ちたものなんだと感じられるはず。

一人の作り手から生まれるこの幅。それこそが盛永さんの魅力だろう。

エリンギと鹹蛋(シェンタン)の炒め物

つるつるぽってりのうつわに料理をのせました。料理もうつわも優しさがある、という感じが伝わるのでしょう。

エリンギの食感の良さは残りつつ、塩気も旨味もたっぷりでご飯にもお酒にもいい。

鹹蛋のこのコクは日本酒だって合うと思う。ぬる燗でこんなのやったら最高。今年ももうそんな季節になってきましたね。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍