刺繍のアクセサリー「000 (トリプル・オゥ) 」の誕生秘話。150年の老舗が挑戦する常識破りの新技法

かつて石田三成討伐に向かう徳川家康勢に旗作りを依頼され、2300という途方も無い枚数を、たったの1日で届けた「織物の町」がある。

「西の西陣、東の桐生」とも謳われる、群馬県桐生市。品質の高い桐生の織物を江戸へ届けるために、越後屋が初めての支店を高崎市に置いたという。

そんな桐生市で明治10年 (1877年) に創業し、時代の変化に合わせて織物から刺繍へと業態を変えながら、桐生でのものづくりに取り組んできたのが株式会社笠盛だ。

笠盛の外観

刺繍屋である笠盛が、次のステップとして立ち上げたアクセサリーブランドが注目を集めている。

「000 (トリプル・オゥ) 」と名付けられたブランドのアイテムは、刺繍糸だけで作られており、金属にはない質感とデザイン性が特徴だ。軽くて金属アレルギーの人でも身につけられる。

刺繍の概念も、アクセサリーのイメージも覆す、刺繍屋の新たな扉を開くものだった。

トリプル・オゥの商品
「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

自分たちから、変わっていかなければ

「織機をガチャンと動かすたびに、万の金が儲かる」と言われた「ガチャマン景気」が、戦後の織物業界に訪れた。

当時、機屋だった笠盛は『笠盛献上』という連続的に流れる模様の帯を生み出し、それが「手頃な値段でおしゃれができる」と人々のあいだでヒットした。桐生における織物の出荷額の3割を、笠盛グループが占めるほどだったという。

ところが1957年 (昭和32年) 頃から「鍋底景気」と呼ばれる不景気に。代表取締役会長の笠原 康利さんは、こう語る。

「生き残るために何か他のことをやらなくちゃって、やり始めたのが刺繍だったんです」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん
株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

まずは靴下などのワンポイントの刺繍から始めた笠盛。機屋の頃からの縁もあり、和装の刺繍なども手掛けるようになった。

1990年代になり、多くのブランドの生産拠点が海外へ移る流れに乗って、2001年にはインドネシアに生産拠点を設ける。しかし4年後、今度は日本のものづくりを海外へ、という思いが強くなり、拠点を桐生へと戻した。

小さな点がひろがる町、桐生と出会ったデザイナー

そんな笠盛に2005年、一人のデザイナーが入社する。のちにトリプル・オゥを立ち上げる片倉 洋一さん。2004年までヨーロッパで活動し、テキスタイルや刺繍のデザインに携わってきたデザイナーだ。

片倉さんが桐生を知ったのは、テキスタイル・デザイナーの新井淳一さんを訪ねてきたとき。さまざまな染屋さんやプリーツ屋さん、繊維工業試験所などの施設に足を運んでいくなかで「桐生っておもしろい」と思うようになったそうだ。

デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん
デザインを担当する、トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

「例えば毛織物産地として有名な愛知県の尾州 (びしゅう) などに比べて、桐生は企業の規模がすごく小さいんです。染めだけでも『絹はここ、綿はこっち』と染屋さんが分かれていたりして、ひとつの会社ですべて作るのではなく、全部が分業制になっている。もともと着物で栄えた町だからなんでしょうね。

そういう小さな点と点が新しいつながりを持つことで、新しいものづくりが生まれるのではないか、と感じていましたね」

新たな戦力を迎え入れ、よりパワーアップした笠盛が向かったのは、パリだった。

「生地のいらない刺繍」は、世界で認められるか

2007年、パリ。

笠盛はMod’Amont(モーダモン)と呼ばれるテキスタイルの展示会に出展していた。

展示したのは「笠盛レース」と名付けた服飾パーツ。すでに出来上がっている洋服などに後付けできる装飾品だ。

笠盛レース
本社併設のショップの壁に飾られている、さまざまな種類の「笠盛レース」

「通常の刺繍の仕事では、必要な生地をアパレルブランドからお預かりして、刺繍を施してお返しします。でも海外に売り込みたいと思ったときに、それだと物理的な壁が高いと感じていました」

そこで生み出されたのが「生地に刺繍をしない刺繍」だ。水溶性の生地に刺繍をしてお湯に溶かすことで刺繍のみが残り、装飾品として付けられる刺繍を生み出した。

「笠盛レース」で特に大切にしたのが手作り感。まるで手で編み込んでいるような質感の刺繍は、機械と職人の手で作る笠盛が得意とするものだった。

笠盛レース

何百という会社が出展したなかでも、笠盛レースのような商品は他になく、注目を集めた。展示会で行われたコンテストでは、ユニークな製品に贈られるVIPプロダクトを受賞。

「この手法をもっと極めていけば、世界的に受け入れられる可能性があるのかな、と希望が持てた瞬間でしたね」

あとは、自分たちが得意とするものを、何に活かせるか。この模索が、のちのアクセサリーブランド立ち上げに繋がっていく。

糸で作る、自分たちらしいアクセサリー

「笠盛レース」の技術を活用し、ボタン、レース、リボンなどのさまざまな形で活かし方を模索するなかで、転機が訪れたのは2009年。

試しにネックレスを作ってみると、国内のアパレルブランドから「これを、このまま仕入れたい」と連絡が入った。

アクセサリーとして存在感がありながら、糸という素材の強みを活かした軽さや手触りのよさ。金属アレルギーの人でも心地良くつけられるというのも魅力だった。

「糸の強みが活かせる、自分たちらしいアイテムが作れるかもしれない」

長年培ってきた刺繍の技術、厳選した素材、今までにないデザイン。この3つを組み合わせ、ゼロから新しい価値を生み出そうと名付けた「000 (トリプル・オゥ) 」。

トリプル・オゥのロゴ

すでに世の中に溢れている「アクセサリー」に、桐生から糸を使って新たな価値を生み出すブランドが誕生した。

トリプル・オゥから初めて発売された商品が「ディ・エヌ・エイ」だ。直線と丸だけを組み合わせたシンプルな構造でありながら、複雑にも見えるデザイン。

ディ・エヌ・エイ
ゴールド・シルバー・ブラックの三色展開。色違いで持っているお客様もいるそうだ

触ってみてようやく「これ、糸?」と思う光沢のある素材には、純銀が入っているのだという。金属のような輝きを持ちながらも、軽い上に折りたたむこともできる。

初めての商品「ディ・エヌ・エイ」
初めての商品「ディ・エヌ・エイ」

「ブランドのデビュー作だったので、『これが糸でできているんだ!』っていう驚きを作りたかったんです。

つけ方も、首にかけたり、スカーフのように巻いたり、半分に折ったり、さまざまです。今までのアクセサリーにないものを追い求めたところから始まりました」

機屋から刺繍屋になり、アクセサリーブランドへ。新しい挑戦へ前向きな印象の笠盛だが、トリプル・オゥを始めた当初、一番苦労したのは社内から理解を得ることだったという。

「できない」という壁への不安

「長く刺繍に携わっている人たちに、アクセサリーを作るんだと話しても『立体なんて、できないよね』と、厳しい反応でした。これまで積み重ねてきた経験って、自信でもあり、自分たちの今を支えるベースなんですよね。トリプル・オゥでやろうとしていたのは、それをひっくり返そうということだったので」

片倉さんがひとりでアクセサリーを作り始めたところに、右腕として新井 大樹さんが加わった。当時の様子を、新井さんは振り返る。

「繁忙期になると、クライアントの刺繍の仕事だけで工房は大忙しなんです。機械も納期に向けてギリギリにスケジュールが組まれているなかで『すいません、ちょっと夜の間だけ機械貸してください』みたいにお願いをして」

営業課長の新井 大樹さん
営業課長の新井 大樹さん

片倉さんも、頷きながら言葉をつないだ。

「最初は不良率が高かったり、針が折れてしまったりして。なかなか安定して量産することもできなくて、利益を出していないお荷物部署、みたいな感じでしたね」

トリプル・オゥを作る機械

自分たちの刺繍の技術に、誇りと自信を持っていたからこそ、まったく新しいものを作ることには勇気がいる、と新井さんは言う。

「普段とやることがあまりにも違いすぎて、ギャップに戸惑っていたと思います。クライアントからの要望は『もう少し、こうできないか』という、今より少し上を目指すものが多いんですね。

でもトリプル・オゥで求められるのは、少し上ではなくゼロからチャレンジすること。ずっとやってきた刺繍に『できない』という壁が現れて、不安だったんだろうなと今、振り返ると思いますね」

作り手と使い手のコミュニケーション

不安のなかでアクセサリーづくりに取り組んでいた社内を動かしたのは、お客様の「欲しい」という声だった。徐々に注文が増えてきたことで、作り手として誇らしい気持ちも芽生えていったという。

「僕が何を言おうが関係なくて、こんなにも世の中に欲しいと思ってくれる人がいるんだというのが一番強いですね。これ作って良かったねって。最近は、社員が自社製品を購入することも増えてきました。

同時に、自分たちにできることも少しずつ増えてきて、もともと持っていた『なんとかみんなでクリアしよう』という団結力がまた強まっていくのを感じました」

本社併設の直営ショップをオープンしたり、展示会に出展したり。お客様と直接、話す機会が増えると、原動力はさらに増していった。

ショップ店内
会社の敷地内にあるショップは、第三金曜日と土曜日に営業

「『金属アレルギーだけど使えて嬉しい』とか『軽くて着けているのを忘れて顔洗っちゃった』とか、そういう感想をいただけるたびに新鮮だったし、嬉しいですよね」

伊勢丹新宿店のリニューアル時の企画展に「ディ・エヌ・エイ」が選ばれたことを皮切りに、ブランドとしても注目されるようになっていった。

現在では、日本全国のさまざまなお店で販売されている他、ロンドンの国立美術館を運営するテート・ギャラリーで取り扱われたり、他の企業とコラボレーションするなど、新しい販路を広げている。

「地域の一番星」になることで恩返しする

現在、200種類ほどの商品があるトリプル・オゥ。それは笠盛だけで作れるものではなく、数え切れないほどの職人の手によって作られている。

「桐生にいる職人さんたちと、素材から新しいものを作り出したりもしています。

例えばアクセサリーのために開発した『シルクリネン』という素材は、フレンチリネンとシルクを合わせたオリジナルの紡績糸を、桐生の染工場で染色しました。紡績、染それぞれ、桐生の糸商さんにつないでもらって完成した素材です。

組み立てて、形にするのは笠盛でも、それまでに見えていない作り手の人たちがたくさんいるんですよね」

シルクリネンを持つ片倉さん
求める素材が見つからなければ、糸から試行錯誤して作ることもある

まさに片倉さんが桐生を訪れたときに抱いた思いのとおり、小さな点と点が繋がって、この街で新しいものづくりが生まれている。その小さな点を維持していくための取り組みも、笠盛は見据えている。

「養蚕農家さんや撚糸屋さんと話していると、どこも高齢で、後継ぎがいない問題があります。僕たちにどんなに技術があっても、欲しいと言ってくれるお客さんがいても、糸を作る人がいなくなったら、もうこのアクセサリーは作れない。

一緒にものづくりしてる人たちも、きちんと経済的にも成り立っていける環境づくりができたらいいなと考えています」

今、笠盛が目指しているのは「地域の一番星になること」だ。

「地域活性化っていろいろな方法があると思うんですけど、僕たちがまず桐生の名を全国にPRできるような、輝く存在になれたらと思っています。

みんなで一緒に何かをやることも大事だけど、時には勢いよく突っ走ることも必要。まずは笠盛が桐生の一番星メーカーになって、地域に還元できるようになりたいですね」

ショップ店内

最後に今後について聞くと、会長が話してくれたのは笠盛らしい答えだった。

「『伝統は革新の連続』という言葉があるように、変わり続けることが笠盛の変わらないところです。市場がどんどん変わっていくなかで、変化していかなければ会社として生き残っていかれない。でも、変わっていくなかでも桐生という地域とお客さんを大事にすること。これだけは、これからも変わらないですね」

株式会社笠盛 代表取締役会長の笠原 康利さん

機屋、刺繍屋、アクセサリーブランドと形を変えてきた笠盛だが、根底にあるものは140年のあいだ、ずっと変わっていないのかもしれない。

挑戦で殻を破って成長し続ける技術。桐生の小さな点と点から生まれる素材。使い手の生活に寄り添う新しいアイディア。これらの組み合わせ次第で、トリプル・オゥから生まれる商品の可能性は無限大だ。

後編では、実際にトリプル・オゥのアクセサリーがどのように作られているのか、技術とアイデアが結集する工房の様子をお伝えする。

<取材協力>

株式会社 笠盛

群馬県桐生市三吉町1丁目3番3号

0277-44-3358
https://www.000-triple.com/ja/

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

*こちらは、2019年11月25日の記事を再編集して公開いたしました

桐生に泊まるなら、宿坊 観音院へ。美しき中庭と桐生にしかない「職人技」ダイニングは必見

世界中にファンを持つファッションブランド「リップル洋品店」に、常識破りの刺繍アクセサリー「000 (トリプル ・オゥ)」の株式会社 笠盛。

今月さんちで紹介した両者は同じ町にある。「織物の町」として栄え、現在も多くのものづくりの拠点となっている群馬県桐生市だ。

そんな桐生らしさがぎゅっと詰まった宿が2019年10月にオープンした。JR桐生駅から徒歩15分。入り口に大きな提灯がある「観音院」だ。

そう、おすすめしたい宿はお寺。お寺や神社が宿泊施設として開く「宿坊」だ。元来は僧侶や参拝者のみに特化したものだったが、最近では一般の観光客にも開かれているところが多い。

観音院
その昔、大きな機屋の主人の夢まくらにお地蔵様が現れたことから建てられたという観音院

1644年 (正保元年) からの長い歴史をもつ観音院が開いた、桐生で初となる宿坊の魅力を伺いに、オープンしたばかりの宿を訪れた。

中庭の両側にある美しい個室

静かなお寺の境内を進んでいくと、本堂のすぐ横に新しい建物が見えてきた。少し緊張しながら扉を開ける。明るく広い玄関で、広報を担当する月門 海 (つきかど うみ) さんが出迎えてくれた。

宿坊内を案内してくれた、広報の月門 海さん
宿坊内を案内してくれた、広報の月門 海さん

「この宿坊のテーマのひとつに『水』があります。お寺に入ったら水で手を清めるように、ここに来れば体も心も浄化できるような場所にしたいと思っています」

宿坊と廊下で繋がる本堂から案内してもらった。希望すればここで「朝のお勤め」や写経、真言宗に伝わる「阿字観」という瞑想などを体験することができるという。

廊下を進むと、大きな中庭が現れた。宿坊はこの庭を囲んでコの字型に部屋が配されている。

中庭

美しい日本庭園は見ているだけで心が落ち着いてくる。夜はライトアップされ、また違う雰囲気が味わえるそうだ。

建物のどこにいても見える大きな中庭
建物のどこにいても見える大きな中庭

個室は『織の間』『染の間』の2部屋。

まず『織の間』を見せてもらうと、部屋に入った途端に木の良い香りがして、思わず深呼吸。

織の間
織の間
和紙製の畳を導入。変色せず、撥水などの効果もあるそうだ
露天風呂
部屋のすぐ横にある石庭には、『織の間』専用の露天風呂がついている
シャワールーム
シャワールームも完備。使い勝手に合わせて和洋がほどよく入り交じる

続いて『染の間』へ。

染の間

中庭に面した廊下部分から個室として使用できる、贅沢な造りになっている。

染の間、廊下
廊下の先の扉から鍵をかけ、中庭の景色を独り占めすることができる。『織の間』とは中庭を挟んで対角線上にあり、お互いを気にせずゆったりとくつろげる
染の間
織の間とは雰囲気の違うベッドタイプ。テーブルなどはお寺にもともとあったものを活用しているそう
シャワールーム
こちらの部屋は露天風呂の代わりに、広いシャワールームが完備されている

部屋はこの2室のみ。大人数であれば、中庭が望める広間も活用して宿坊全体を貸し切ることもできる。16名まで泊まれるそうだ。

桐生らしさを詰め込んだ空間

『織の間』『染の間』という名前だけでも織物の町である桐生が感じられるが、観音院では宿の空間に「桐生らしさ」を取り入れることを意識した。

宿坊を開くための増築は、宮大工の技術がある有限会社 宮島工務店が担当。

中でも桐生ならではの空間となっているのが、宿泊者が自炊や歓談に集うダイニングキッチンだ。

ダイニングキッチン

内装やインテリアのコーディネートを、地元・桐生で繊維や建築に関わる3人のユニット「small」が担当した。

株式会社 笠盛で刺繍糸のアクセサリーブランド「000 (トリプル・オゥ) 」を開発する片倉 洋一さんと、建築家の飯山 千里さん、藤本 常雄さんが、デザインやアートを通して「小さいからこその魅力」をテーマに活動をしている。

建築家の飯山 千里さん
建築家の飯山 千里さん

今回、smallとして初めて宿坊の内装をコーディネートするにあたり、3名は桐生市の作り手にアイテム作りを依頼した。

ダイニングテーブルと椅子は、桐生で家具職人kirikaとして活動する四辻 勇介さんに依頼。

座布団やクッションカバー、スタッフが着用する作務衣は、さんちでも取材した桐生発のファッションブランド、リップル洋品店が手がけた。

クッション

「ものづくりの中心地であるこの地域に来てくださる方には、桐生のものを見ていただきたい。ここに泊まって『これ、いいね』と思った人が、地元のお店に行くような流れになってくれたらいいなと思っています」

ダイニングキッチンのテーブルと椅子は、smallとkirikaが協働し製作したもの。実は一般的なテーブルよりも、10cmほど低く設計したという。

「中庭がすごく素敵で、本当は正座して雰囲気を楽しんでいただきたいけれど、それはなかなか難しい。だから、普通の椅子よりも低い姿勢で見ていただけるよう、低い椅子を提案しました」

ダイニングテーブル
椅子は、あえて座布団が収まる大きさで設計し、和洋が入り交じる空間を体験できるようにした

さらに、テーブルのデザインにもこだわりがある。

「明るく過ごしやすい、生活の延長のような感じにしつつ、お寺の緊張感は残したいと思っていたんです。そのバランスを見ながら、少し直線的なデザインを意識しました」

ダイニングキッチン
明るいダイニングキッチンは洋風過ぎず、和風すぎない空間

kirikaの四辻さんが手掛けた天板は、国産のヒノキの合板。手に入りやすい素材を活かしながら、職人さんの手仕事で美しさを表現できるのではないか、というチャレンジだったそう。

また、リップル洋品店が製作した座布団・クッションカバーに、同じ柄はひとつもない。

クッション
染めの間のソファにもリップル洋品店のクッションがあった

それぞれ全部違う表情で作ってもらうことで、多様性を尊重する観音院を表現した。

smallの3名とkirikaの四辻さん
smallの3名とkirikaの四辻さん

宿坊を通して見えてきたもの

「桐生には歴史も文化もあるのに、せっかく来てくれた人にそれを感じてもらえる宿がなかったんですね。宿坊だったら、それができるんじゃないか、と」

宿坊を始めた思いを話してくれたのは、住職の月門 快憲 (つきかど かいけん) さんと、広報の月門 海さん。

「人が集まるお寺にしたい」という思いから、毎月の縁日なども開催している観音院。株式会社シェアウィングが運営する「お寺ステイ」というサービスを利用し、準備の末、10月に宿坊をオープンした。

観音院看板

宿坊の準備を進めるなかでも、smallやkirikaなど桐生の人々との出会いがあった。また清掃などをお願いした、地元の人々と新たな交流が生まれていったという。

「私自身、若いときからまちのことに積極的に取り組んで来たので、桐生の人間は結構知っていると思っていました。でも、宿坊を始めたら『へえ、桐生にこんな人がいるんだ』って驚くことばかり。今まで交わることのなかった人たちが来てくれるんです」

そのような町の人たちとの交流は、宿泊客も体験できる。月に2回の練習会でお茶の体験をしたり、月に一度の縁日で子どもたちと「曼荼羅ぬりえ」を楽しんだり。観音院では食事の提供がないので、地元のお店へ行って交流することもあるだろう。

住職の月門 快憲さん
「縁日や御朱印に続いて宿坊で、お寺という場を多くの人に楽しんでもらえたら」と住職の月門 快憲さん

これから宿坊でやってみたいこと聞くと、桐生の町らしい体験のアイデアが次々と挙がった。

「桐生市はものづくりの町ですから、染め物体験など専門的なプログラムを提供できる。刀鍛冶屋さんではナイフ作り、うどん屋さんではうどん打ち体験。それぞれ『やってみよう』とすでに話が出ているものもあるので、これから具体的に企画していくつもりです」

ゆくゆくはお寺のまわりに飲食店やお土産屋さん、ゲストハウスなどが立ち並ぶ、門前町のような賑わいを作りたい、とも。

「地域の人たちと一緒に桐生全体を盛り上げていきたいですね」

作り手やお店を目当てに桐生を訪ねて、実際に宿で使ってみる。他にも気になったアイテムがあれば、翌日にまた足を運んでみる。

せっかくものづくりの町を訪れるならそんな滞在の仕方はいかがだろうか。

<取材協力>

「宿坊 観音院」

群馬県桐生市東2丁目13-18

0277-45-0066
https://oterastay.com/kannon-in/

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

空気のように軽い「000」のアクセサリーを生み出す刺繍工房の内部を見学

「刺繍糸で作られたアクセサリー」がある。

人の手で丁寧に巻かれたような玉状のネックレスや、かぎ針編みのように複雑に編み込まれたブローチなど、「一体、どうやって作っているんだろう‥‥」と思うものばかり。

スフィア・プラス80
スフィア・プラス80。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより
レース ホイールネックレス
レース ホイールネックレス。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

引き寄せられるように手に持ってみると「これは糸でできている」と実感するほどに軽い。着けているのを忘れてしまう軽さは、身軽に、しかしおしゃれを楽しみたい多くの人たちの心を掴んでいる。

ショップ店内

手作り感のある繊細な商品の数々に、作っているのは器用なハンドメイド作家さんだろうかと想像していた。しかし、作り手を知ってびっくり。これらを作っているのは140年の歴史を持つ刺繍屋なのだ。大きなミシンが絶え間なく動く老舗工場だった。

「ミシンで、どうやって立体の刺繍を? 」

洋服などに施される平面の刺繍のイメージから、立体のアクセサリーがどうやって作られているのか、ますます不思議に思えてくる。

美しい糸のアクセサリーが生まれる場所を訪ねて、群馬県桐生市に向かった。

ブランド誕生秘話を伺ったインタビューはこちら:「素材は糸だけ。常識破りのアクセサリー『000 (トリプル・オゥ) 』を老舗の刺繍屋が作れた理由」

刺繍工房の心臓部へ

1877年 (明治10年) 、機屋として創業した株式会社 笠盛。時代の変化に合わせて刺繍業を始め、靴下のワンポイント刺繍や和服、アパレルブランドの生地まで多くの刺繍を手掛けてきた。

アクセサリーブランド「000 (トリプル・オゥ) 」を立ち上げたのは、2010年のこと。「笠盛レース」と名付けた装飾品を作るなかで、アクセサリーに活路を見出した。

早速、製造工程を見せてもらうため、工場の中へ。最初に通されたのはパソコン作業をしている事務所だ。ここが、トリプル・オゥの心臓部に当たるという。

「パソコンで、ミシンの針がどのように動くのかを指示したデータを作ります。同じプログラムでも素材によってできあがりが変わってくるので、いくつも試作をしながら最適なデータを作り、それを元にミシンで量産するんです」

素材とデザインができあがったものを、最終的に数値化し、図面にする。洋服でいうところの、パタンナーに近い業務だ。

デザインを勉強する前は工学的なバックグラウンドを持つ片倉さんが描くデザインは建築的な物が多く、エンジニアの側面が強い刺繍の商品と相性が良い。

PC-98
1980年代中盤から90年代序盤が全盛期だったPC-98は、今も生地刺繍で大活躍

「カーブする部分は気をつけなきゃいけないとか、どちらの方向にミシンが進むかによっても条件が変わったりします。刺繍ならではの縮みや、個々のミシンや糸の調子まで考えてプログラムしなければならない。忍耐力がいる仕事です」

この仕事を、25年以上担当してきた岡田さん。トリプル・オゥが立ち上がってからは、片倉さんと二人三脚で試作を続けてきた。

岡田さん
アナログの製図台の頃から仕事を始め、世代の違うさまざまなパソコンを使いこなしてきた岡田さん

「試作してイメージと違ったり崩れたりするたびに『こうしたらできるんじゃないか』ってふたりで話して。プログラムを改良して、また縫ってみて、の繰り返しです」

ブランド立ち上げから10年が経とうとしている今でも、片倉さんが新しいデザインや素材を持ってくるたびに「縫ってみたら全部切れちゃったよ」「どうすればいいんだろう」というやりとりをしているという。

「片倉の発想がなければ、今まではできないと思っていたものばかり。『これ、やってください!』って持ってくるから、少しずつできることが増えていきました。今はできない形も、作れるようになりたいですね」

機械、だけど手仕事

トリプル・オゥの商品は、「多頭機」と呼ばれるミシン3台を用いて製造されている。1台につき10の刺繍機がついた機械で、同じ刺繍を10個同時に量産できる。

多頭機ミシン
この10の頭すべてでミシン「一台」と数える
ミシンの様子
先程のデータで見たとおり、指定されたところに針が落ちていくのは、見ていて心地良い

アクセサリーを縫い付けている布を見せてもらった。レースなどにも使われる「水溶性の不織布」という特殊な布は、その名のとおり水に溶ける。

これが、刺繍で作られたアクセサリーの秘密だ。

「薬品なども使わず、お湯だけできれいに溶かすことができます。最終的にすべて溶けてしまうので、玉の中にも何も残りません」

土台となっている水溶性の不織布を、半分まで溶かしたもの
土台となっている水溶性の不織布を、半分まで溶かしたもの

同時に、これがミシン担当者の苦労するところでもある。

「この水溶性、とにかく水分に弱いんです。空気中の湿気にまで影響されて、伸びてしまいます。たるんでしまうと、きれいに縫えないので、全部貼り直すこともありますね。雨の日や梅雨の時期など、周りの条件によって変わるのが大変なところです」

広報の野村さん
工場内の説明をしてくれた広報の野村さん。トリプル・オゥがきっかけで笠盛を知り、Uターンを機に入社したそう

3台のミシンには、それぞれオペレーション担当がつく。同じデータを使っても、ミシンの癖によってズレが生じたり、できあがりが変わってくるため、ミシンの担当者からデータを作る岡田さんに提案に行くこともあるそうだ。

一番新しいミシンを担当する大井さんに話を聞いた。

ミシン担当
大井さんも、同じくUターンで就職したそうだ

「素材や糸の太さによっても、縫い上がりが全然違うのでミシンを調整します。針の太さも重要で、頭によって変えることもあるんです。『こっちの頭は10番の針で縫えたけど、こっちは11番の針じゃないと縫えない』ということもあります」

見た目ではほとんど差がわからない、太さの違う針
見た目ではほとんど差がわからない、太さの違う針を使い分ける

その日の天気、ミシンの個性、糸の素材や太さ、作るアクセサリーの種類。考えなければならないことが、本当にたくさんある。

機械、だけど手仕事なのだ。

地道な手作業で、アクセサリーを送り出す

水溶性の不織布に縫われた刺繍は、いよいよ溶かしの工程へ。洗浄の機械があるのかと思いきや、ひとつひとつが手洗い。社外秘の洗いレシピに基づいて時間や温度が厳密に管理されているという。

「お湯に入れた瞬間に、不織布は溶け始めます。でも、それだけでは糊っぽさが残ってしまうので、しっかりと手で洗います」

お湯につけたとき
お湯につけると
一瞬で消えてしまった
一瞬で消えてしまった。作る工程でこんなふうに洗っているのなら、使う人が手洗いできるのも納得だ

洗うところを見せてくれた須藤さんの手は、真っ赤だった。手袋をしてはいけないのか聞くと「糊のヌルヌルがなくなっているか確認しなければいけないから」とのこと。

しっかりと洗ったら、脱水、乾燥、そして仕上げへ。

検品も兼ねた最後の仕上げは、ひとつずつ丁寧に手作業で行われる。糸が何らかの要因ではみ出していたり、形が崩れてしまっていたりするものを全部、手作業で直していくのだ。

仕上げの工程
ここで仕上げ作業をしているのはすべてトリプル・オゥの商品。6人ほどで多いときは1日100個もの商品を確認する

トリプル・オゥが始まった10年前から仕上げ作業をしている大川さんの手元を見せてもらうと、あまりに細かい作業に驚いた。最後に少しだけ飛び出た糸先を針に通し、1本ずつ玉の中に入れ込んでいくのだ。

「切ると解けてしまうので、しっかり中に入れます。せっかく縫ったのに商品として出せないのはもったいないですからね」

大川さんの手元

糸だからできた「優しいアクセサリー」

どうやって作られているのか不思議だった刺繍のアクセサリー。その工程はシンプルでありながら、そのひとつひとつが奥深く職人技だ。

「自分たちが持っている技術と、お客様に喜んでもらえるものの結びつきの部分がアクセサリーなのかもしれない。そのような思いから、ブランドを立ち上げました」

トリプル・オゥを立ち上げ、デザインを担当する片倉 洋一さんは語る。

トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん
トリプル・オゥ事業部マネージャーの片倉 洋一さん

片倉さんの考えは正しかった。刺繍技術を駆使した糸で作られたアクセサリーには、多くのお客様から喜びの声が届いたのだ。

誰もが驚く、その軽さ。今まで手に取ったアクセサリーの中で、一番軽いのではないかと思う。ここまで軽ければ、肩こりの心配もない。

また糸で作られているため、金属アレルギーの人でも問題なく着けることができる。実際にお客様からも「私でも着けられた!」と嬉しい報告があったそうだ。

マイクロ・スフィア 260
マイクロ・スフィア 260。「000 (トリプル・オゥ) 」HPより

「立ち上げ当初から、糸の強みを活かした『使い手に優しい商品』が作りたいと考えていました。これまでのアクセサリーにはなかった部分で、喜んでもらえるのは嬉しいですね」

使い手に優しいと言えば、トリプル・オゥのアクセサリーは水に濡れても大丈夫。着けているのを忘れて、そのまま顔を洗ってしまったお客様もいるそう。

どのくらい濡れても大丈夫かと言えば、自分で水洗いができるほどだ。以前は「洗えます」と口頭で伝えるだけだったが、1年ほど前から簡単な手洗い手順を書いた紙を商品に同封し始めた。

手洗いの説明書
「アクセサリーを自分で手洗いする」という発想がある人がどのくらいいるだろう

「濡れてもいいということが、作り手の私たちにとっては当たり前すぎて、伝えられていなかったですね」

この他にも、作り手すらも気が付いていない良さが、トリプル・オゥのアクセサリーにはまだ隠されていそうだ。

糸からつくる素材へのこだわり

トリプル・オゥが大切にしている要素のひとつが「“らしさ”があること」。

笠盛で働く今のメンバーだからこそ作れる「笠盛らしさ」。そして笠盛が拠点とする群馬県桐生市でしか作ることができない「桐生らしさ」だ。

「特に素材はこだわっていますね。もしかしたらお客様にとっては一番重要なところかもしれないなと思っていて」

素材で“らしさ”を表現するために、トリプル・オゥが取り組んだのは「糸から作る」という挑戦だった。刺繍メーカーが自分たちで糸から作ることは、これまでほとんどなかったという。

「クライアントさんの刺繍の仕事は、メーカーの糸を選んで仕入れるのが基本です。でもアクセサリーを作り始めたら、イメージしている糸がないこともあって」

例えば、アクセサリーとして輝きを求めるお客様のために、純銀を混ぜ込んだ金属のような糸を作った。キラキラとして光沢はありつつも、糸ならではの良さはそのままだ。

ディ・エヌ・エイ
ブランド第一号アイテム「ディ・エヌ・エイ」。光沢がありながら、軽く、折りたたむこともできる

また、片倉さんが見せてくれたのは「シルクリネン」と呼ばれる糸。シルク6割、リネン4割を撚 (よ) り合わせたオリジナルだ。

シルクリネン
動物性繊維のシルクと植物性繊維リネンを、染料でわざと染め分けをしているこだわり様

糸は、素材や染め方、撚りの強さによって、その印象が大きく変わる。

「撚糸の職人さんと『撚りを入れすぎると、固くて着け心地が悪くなっちゃうね』とか『輝きが減っちゃったから今度はこうしてみよう』とか、相談しながら。

撚りがたくさん入っているほうが製造の現場としては刺繍しやすい糸になるんですが、見え方や着け心地などを考えて試行錯誤しています」

糸

糸作りで意識しているのは、「織物の町」として栄えてきた桐生だからできること。染めや撚糸など桐生の職人さんたちと一緒に素材を作ることで、新たな「桐生らしさ」を生み出そうとしている。

桐生で、トリプル・オゥの世界観に触れられる場所を作りたい

素材を作る桐生の人々、各工程に携わる笠盛の社員。多くの人の手を渡ってこのアクセサリーは作られている。話を聞きながら工場を回ることで、そのことを実感した。

「来年で、トリプル・オゥはちょうど10周年。お客様が工場を見学できたり、作り手と交流できるイベントを企画したいですね」

ひとつずつ丁寧に作られたアクセサリーは、全国の取扱店やオンラインだけでなく、笠盛の本社に併設された唯一の直営ショップでも購入することができる。お客様のなかには、ショップに来るためだけに桐生にやってくる人もいるそうだ。

ショップの店内

「せっかくここに来てくれる方には、桐生という地域も紹介できたらいいなと考えています」

10周年に向けて、ショップのリニューアルを企画するなどさまざまな仕掛けを計画しているという。

片倉さんを始め、笠盛のみなさん自身がそれを楽しみにしている姿が印象的だった。刺繍屋の作るアクセサリーと笠盛を取り巻く環境が、これからどのように進化していくのか楽しみだ。

<取材協力>

株式会社 笠盛

群馬県桐生市三吉町1丁目3番3号

0277-44-3358
https://www.000-triple.com/ja/

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

桐生「ひもかわうどん」はなぜ平たい?老舗「藤屋本店」で知るご当地うどんの楽しみ方

群馬県桐生市。桐生川を中心に、機織りや縫製などの繊維産業が栄えた「織物の町」だ。

和装の帯も多く作ってきたこの町に、まるで帯のように平たいうどんがある。

「ひもかわうどん」と呼ばれるその名称は「帯が川で洗われる様子から」という説もあれば、愛知県刈谷市の名物だった平うどん「芋川うどん」から伝わったとの話もある。

真相は未だにわからないが、ここ数年で県外にも知られるようになり、人気店には平日でも行列ができる。

ひもかわうどんの麺
お店によって幅の広さは違うそうだ

そんな桐生市の郷土料理、ひもかわうどんを食べるならと地元の人に教えてもらったのが明治20年 (1887年) から6代続く老舗「藤屋本店」だ。

6代目店主の藤掛 将之さんに、織物産地らしい誕生の由来や、おすすめの楽しみ方を聞いた。

地元の人々で賑わう老舗「藤屋本店」で食べる、ひもかわうどん

桐生川にもほど近い、町の中心に藤屋本店はある。お昼時に到着すると、店舗の横にある駐車場はすでにいっぱい。趣のある大きな建物の入り口にかかる暖簾は、老舗の雰囲気はありながらも気軽に入りやすい。

藤屋本店の外観

店内に入ると、地元の人たちで賑わっていた。同じくご当地メニューとして人気のソースカツ丼とのセットを黙々と食べるサラリーマンや、仲間内でおしゃべりしながらうどんをすする女性客など、客層はさまざまだ。

先代が好きで集めたというお酒がずらりと並ぶ光景は、うどん屋としてイメージしていたものと少し違った。カウンターには早くも天ぷらで日本酒を楽しむご婦人も。

藤屋本店の店内

人々が集まってうどんを楽しむ中で自分も注文するのは、なんだか地元の一員になったようで嬉しくなる。

藤屋本店の店内

メニューには、かけうどん、鶏せいろつけめんなど、20種類近くが載っていた。季節のうどんや丼とのセットメニューなどのボリュームのあるものも人気なようだ。どれも麺を、蕎麦、うどん、ひもかわうどんの中から選ぶことができる。

鶏せいろつけめんひもかわ
「鶏せいろつけめんひもかわ」。丁寧に折りたたまれて出てくるので量が少なく見えるが、意外とボリュームがある
ひもかわかけうどん
寒い日に温まるなら、「ひもかわかけうどん」もおすすめ

なるべく地元のものを使いたいという将之さんの意向で、うどんの粉は地元のものをブレンド。県内を流れるきれいな水を使って作られた麺は、つるっとなめらかで、もちっと噛みごたえがあった。うどんを「すする」というより、「噛む」という感覚は、不思議なものだった。

中でも人気なのは「カレーせいろひもかわ」。つるっとすすれる一般的なカレーうどんと一味違う、ひもかわうどんのカレーつけめんだ。

カレーせいろひもかわうどん

「ひもかわうどんって表面がなめらかなので、カレーのようにとろみがあるつけ汁が麺に絡んで相性がいいのでは、と10年ほど前から提供し始めました」

将之さんが言うとおり、つるつるの麺にとろりとカレーが絡む。口に入れると出汁がしっかりと利いていた。

6代目店主、藤掛将之さん
将之さんが好きなうどんを聞くと、「シンプルにたぬきうどんです」とのこと

人気になったのは、忙しい女性の味方だったから

群馬県では昔から小麦粉が多く栽培されてきた。うどんに限らず、お好み焼き、焼きそばなどの粉物文化が根付いているという。群馬県高崎市は「パスタの街」と呼ばれることでも有名だ。

「自宅に麺棒がある人が多い」という将之さんの話からは、桐生の人たちにとってうどんが身近な食事であることが伺える。普段から家族で食べるのはもちろん、冠婚葬祭などのハレの日にも振る舞われてきた。

「4代目も、結婚式などの場には出前に行っていたと聞いています」

ひもかわうどんの始まりは明治からと言われているが、実は正確なことはわからないのだという。自治体の調べでも発祥は明らかにならず、明治初期から代々続く藤屋本店でも、はっきりとした起源は伝わっていない。

発祥はわからないが、この平たい麺が桐生で広まった背景には、織物産地ならではの台所事情があるらしい。

「機屋さんで働いている女性たちの間で人気になったと聞いています。

薄く伸ばして幅が広く切ってあるひもかわうどんは、通常のうどんに比べて茹で時間が短いんです。働く忙しい女性たちに、すぐに提供できるものとして好まれていたようです」

6代目店主、藤掛将之さん

その頃は、うどん屋で食べるよりも、「一玉」単位で茹でたものを買って帰るお客さんが多かったそうだ。忙しい時間の合間を縫ってうどんを取りに来るお客様を、少しでも待たせないために広まったのが、ひもかわうどんだったのだ。

また「おきりこみ (おっきりこみ) 」という郷土料理が、同じく群馬にある。平たいうどんのような形状は似ているものの、小麦粉と水を練ったすいとんのようなおきりこみは、鍋に入れて煮込んで食べるものだ。

「ひもかわうどんは先に茹でてあるので、あとから鍋に入れてもいいし、味噌汁に入れてもいい。そういう手間が省ける部分も含めて、たくさんの人に親しまれてきた料理ですね」

自由に楽しむ、ひもかわうどん

もともとの食べ方は、煮込んだり汁物に入れたりするのが主流。本来は、冬の食べ物だった。

ひもかわかけうどん

それを藤屋本店では、将之さんのお父さんで、5代目の勇さんが通年メニューとして出すように。ちょうど10年前の2009年、カレーひもかわうどんや、つけめんスタイルなどが新メニューに登場する。

実は現在の店舗も、そのときに勇さんが新しくオープンさせたもの。昭和初期に建てられた旧店舗は、お店のすぐ近くでギャラリーとして保存されている。

「もともと桐生市のうどん屋のスタイルは『お店に行って食べよう』ではなく、『出前を取って食べよう』というもの。それを先代が『たくさんの人に来てもらえるお店を』と一念発起して、旧店よりゆったり広い、この店を作りました」

今でも出前がメインのうどん屋もあるが、リニューアルを機に藤屋本店では出前はできなくなってしまった。その代わり、お店には地元の人々や、ひもかわうどんに興味を持って訪れた人が、県内外から多く集まる。

昼過ぎには、店の外まで行列ができる一方、最近では「地元の料理を食べてほしい」と、夜に接待で利用する地元のお客さんも増えてきたそうだ。

「家族で食べに来たり、知り合いと飲みに来たり、おもてなしにご利用いただいたり。いろいろなお客様が足を運んでくれて嬉しいです」

家でうどんを楽しんできた桐生の人たちが、今ではそれぞれの目的で、打ち立てのうどんを食べにお店に足を運ぶ。

お酒と天ぷらをつつきながらお店の雰囲気を楽しみ、シメにひもかわうどん。そんなうどん屋の楽しみ方があってもいい、と将之さんは言う。

6代目店主、藤掛将之さん

「今日は、ひもかわにしようか」と地元の人たちが訪れるように、桐生に来たらお店の暖簾をくぐってみてはどうだろう。

<取材協力>

「藤屋本店」

群馬県桐生市本町1丁目6-35

0277-44-3791
https://fujiya-honten.net/index.html

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

自分と家族のための服が、世界に愛されるブランドへ。「リップル洋品店」岩野夫妻が、趣味を仕事にして思うこと

仕事から帰り、息をつく間もなく“ある”作業に入る。没頭するうちに、気がつけば明け方の4時だ。眠い目をこすりながら、今日もまた会社に向かう。

「どうして、できないんだろう」

でも、面白くてやめられない。今まで、何でもそつなくこなすタイプだった岩野開人 (はるひと) さんを虜にしたのは、『服を染めること』だ。どうすれば思い描いたとおりに染まる?何を変えれば欲しい色になる?そんな試行錯誤が楽しくて、仕事終わりの染色作業は1年以上続いた。

染色された洋服のアップ

その姿を見ていた妻の久美子さんは「これだけ失敗しても、まだやり続けられるなら仕事にできるんじゃないかと思っていましたね」と思い出して笑った。

開人さんが染めていたのは、久美子さんが作った洋服。自分たちが着るための、世界でたった一着の洋服だ。

染め始めたきっかけは「ちょうど欲しい色がなかったから」。

「以前から天然素材、特にリネンが好きでした。でもリネンって、生成りか明るい赤や黄色しかなくて。その中間の好みの色が欲しくて、自分で染めてみよう、と。でも、びっくりするくらい、うまく染まらなかったんです (笑) 」

妻の久美子さんがデザインと縫製を手がけ、夫の開人さんが染めた服は今、ふたりが立ち上げた「RIPPLE YōHINTEN (リップル洋品店) 」で買うことができる。服を作り続けて10年、店頭には世界中の色を集めたかのような色とりどりの洋服が並ぶ。

リップル洋品店に並ぶカラフルな洋服
リップル洋品店に並ぶカラフルな洋服

夫婦ふたりが「自分と家族のため」に始めた服作りは、今や世界中にファンを持つ人気ブランドとなった。

個展やコレクションの発表を国内外で行ない、群馬県桐生市にあるお店には国籍を問わず多くの人々が訪れるという。

「まさか、こんなふうになるとは、服作りを始めた当初は想像もしていませんでしたね。ただ楽しい趣味として、服を作っていましたから」

趣味で始めた服作り。それを仕事にしたことでふたりの人生は大きく変わった。夫婦で駆け抜けてきた10年の「服作りが導いてきた道」を聞いた。

家族で楽しめる趣味、ものづくり

昔から、ものづくりが好きだったという岩野夫妻。3人の息子さんを育てるなかで「家族みんなで楽しめること」として、暮らしの道具を手作りし始めた。

「木を削ってスプーンを作ったり、粘土でお皿を作ってみたり。子どもたちも一緒にできたし、自分たちの身の回りの物を作ることが楽しかったんですよね」

そのうちのひとつが、洋服。

もともと布や洋服が好きだったふたりが、自分たちの洋服を作り始めたのは自然な流れだった。久美子さんが思い描いたものをミシンで縫って、開人さんが染めるという、今のリップル洋品店の原型となるものだ。

自宅アトリエに立つふたり
自宅のアトリエ。ここでリップル洋品店の服は生まれる

自分たちの好きな服を、自分たちで作って着る。趣味の世界を突き詰めていったふたりに、小さな転機が訪れる。久美子さんが着ていた洋服を気に入った人のお店に洋服を置かせてもらうことになったのだ。そこから徐々に声をかけられることが増え、オーガニックマルシェなどに出展するようになっていった。

「楽しかったですねえ。週末になると作った洋服を車に積んで、息子たちを連れていろんなところに出展して、そのまま家族でキャンプや温泉に行ったり。家族みんなで作って売って。それがとにかく楽しくて」

笑っている久美子さん

思い出している久美子さんの笑顔を見るだけで、それが家族にとっていかに幸せな時間だったかがわかるようだった。この頃、息子さんが「おかあさんの仕事は何?」と聞いてきたことがあったそうだ。

「洋服作りだよって言ったら『これ、仕事だったの?』って驚いていました」

趣味から「仕事」へ

開人さんは当時、会社員をしながら週末や仕事終わりに作業をする生活だった。しかし、それでは製作が間に合わなくなり、ついに会社員を辞めて、ものづくりで生きていく決意を固めた。

「これだけで食べていくんだから、もうプロなんだって。このときに認識が変わった気がします。まあ実際まだまだだったんですけどね」

話している開人さん

規模を広げず、趣味で続けていく選択肢もあったはず。それでも、「仕事として」の服作りは、ふたりにとってどのような意味があったのだろうか。

「服には私たちが考える以上にたくさんの側面があって、想像もつかなかった人たちとつながることができる。

趣味で作っていたときは、同じ興味を持った人とつながることができて楽しかったけれど、仕事になったら自分たちが考えもしなかった範囲の人たちまで、縁が広がっていったんですよね。

だって、私たちが服を作っていなかったら、こうやって取材するみなさんにもお会いできなかった。こういうことが嬉しくて、本当に楽しい。私たちは服作りを通して、社会とつながっているんです」

「服作り自体は内観にぴったり」とふたりは言う。作業をしながら自分の内側と向き合うことができる。

そして、売るときには気持ちが外を向く。視線を上げて、初めて出会う人たちがいる。それは服作りを仕事にしたからこそ、見つけられた世界だったのだろう。

改めて出会った「織物の町」桐生の人たち

リップル洋品店のものづくりは、3km以内の範囲で完結する。

ふたりが住む群馬県桐生市は「織物の町」として有名な、機織りや縫製、刺繍などの職人が多い場所だ。

「ふたりとも桐生出身なんですけど、『織物の町』って小さい頃から当たり前すぎて意識していなかったんですよね。

自分たちが服を作るようになって初めて、世界的なハイブランドの製品も手掛けるようなプロが周りにたくさんいるとわかりました」

現在、リップル洋品店の縫製を手伝ってくれている縫い子さんは6人。てんやわんやに忙しくなっていく久美子さんを見かねて手伝ってくれるようになったミシンの先生や、開人さんが電話帳で探しだした、小さな縫製工場をやっていた方もいる。

「ある人は縫製工場が廃業になり、違う仕事についていたのですが、ミシンを踏む仕事がしたいと話していました。

技術があるのにもったいないと思って、ぜひうちの商品を縫ってほしいってお願いしました」

自宅アトリエの試作品

定期的に縫い子さんの家を回り、次の依頼分を渡して完成品を受け取る。なんと納品を催促するのは年に1回の繁忙期だけで、普段は納期を指定しない。縫い子さんたちが自主的に進めてくれるそうだ。

さらに久美子さんは、縫い子さん一人ひとりが縫いやすいよう、縫い代の幅など細かいところの仕様を人によって変えているというから驚きだ。ボタン付けの大変さも自分で知っておきたいからと、専用のミシンも買った。

「みんな家族みたいな人たちだから、お互いに働きやすいようにしたい。

距離が近くて、直接顔を合わせてコミュニケーションが取れる環境はとても助かっているんです。仕様書ではなかなか伝わらないニュアンスも、直接会いにいって一緒に作ることでわかります」

自宅アトリエに立つ久美子さん

どんなに人気が出ても、世界へ出ても、ものづくりの拠点は桐生で、と言い切るふたり。

「すごいブランドのものを作っている職人さんでも、私たちにとっては身近にいるおじちゃんやおばちゃん。

それは相手にとっての私たちも同じだと思うんです。等身大の私たちを受け入れてくれて、一緒に服を作ってきた桐生の人たちと、これからもずっと一緒に服作りがしたい」

私たちは、何も知らないから

縫い子さんに限らず、織りや編みを依頼する業者さんにも、ふたりは意見を聞く。今、一緒に仕事をしている人はみんな、ただ言われたとおりに作るだけではなく、プロの視点から「もっとこうしたほうがいいのでは」と提案やアドバイスをくれる人ばかりだそうだ。

服飾学校で学んだり、会社でものづくりを経験したわけではないふたりにとって、洋服作りは常にわからないことばかり。だから周りの意見には必ず耳を傾ける。

「私たちは、アパレルや服飾のこと、本当に何も知らないからね」とふたりは繰り返した。

リップル洋品店の商品を取り扱う卸先のお店にも基準や条件を決めていないという。

ナチュラル系のお店に卸すこともあれば、モードなお店に置いてあることもある。また日本の手仕事という側面で紹介したいと言われれば、もちろん快諾する。

「周りからは『どうして、こんなにも違う雰囲気のお店に卸すのか』と言われますが、お店のオーナーさんが、自分のお店に私たちの服が合うと思ってくれたなら、それでいいと思ってるんです」

リップル洋品店の商品

ふたりは卸先での展示の仕方にも一切、口を出さない。もっと言えば、洋服自体にはブランド名のネームタグすらついていないのだ。

「それぞれのお店には、オーナーさんがいいと思って選んだものが並び、それをお客様が買いに来る。

そこを私たちの服が彩ることができるなら、こちらから何か指定することはないかな、と。ネームタグを付けていないのも、リップル洋品店として有名になるより『仕入れてくれたお店の服』や『買ってくれたお客様の服』になればいいなと思ったんです」

そう話すふたりの服作りに対する姿勢は、自然体だ。見栄を張ったり、無理して大きく見せることをしない。

「ファッションブランドを作る」と聞くと、いかに拡大するかを考えてしまいそうだけれど、ふたりは「自分たちの好きな服を作って、それを着たいと思ってくれる人に届ける」という当初の姿をそのまま残しているように思える。そんなふたりに惹かれて手伝ってくれるのが、縫製や織り、販売などの「プロたち」なのだ。

やりたい方向へ、でも何が起こるかはわからない

リップル洋品店の「リップル」は、日本語で「波紋」の意味だ。その名前のとおり、ふたりの世界は少しずつ、波を打つように広がっていった。

そのひとつが、昨年からスタートした海外向けのブランド『HAMON』。香港、バンクーバー、そしてニューヨークで行われたファッションコレクションにも参加し、これまでのリップル洋品店とは少し違った側面で服作りに取り組んでいる。

「コレクションは半年かけてみんなで作ったものを披露する、たった15分の世界。モデル、メイク、照明の方々と一緒になって作り上げるのは、まるで演劇みたいで楽しい」

リップル洋品店の店内を整える久美子さん

コレクションごとにテーマを決め、洋服を作品として発表する。モデルたちが着ているHAMONの服は、リップル洋品店の要素はありながら、もっとアートや表現の要素が強いように感じる。

「HAMONの洋服はアートで、とても普段の生活では着られないと思うけど、ふと『もっとここをこうしたら着られるんじゃないか』と考えることでリップル洋品店の新商品ができることもあります。『リップル』と『HAMON』は違う言葉で同じ意味を表す、対のようなものですね」

自宅アトリエの試作品

リップル洋品店として洋服を作り始めてから10年。これからの10年の展望を聞くと、ふたりの目の前には、洋服作りが開いてくれた道が何本も広がっていた。

「やりたいことは、たくさんあるんです。だけど実際に何が起きるかはわからない。やってみたい方向に進もうとしながら、あとは縁がどうつながるのか楽しんでいきたいですね」

そんな縁のつながりから、ふたりは活動拠点のひとつを地中海沿岸の国、モナコにも持つことになった。家族全員で移住するのかと思いきや、久美子さんは少しのあいだ日本に残るのだという。

「実は表参道に、桐生に続く2号店のオープンが決まったんです。桐生まで来るのが大変だった人にも、東京で会いやすくなるといいなと思っています」

お店のオープンは12月。長男の響さんのコーヒーショップと共に、東京でリップル洋品店の洋服を楽しむことができる。久美子さんは桐生と東京で世界中のファンを受け入れる拠点をつくり、開人さんはモナコを拠点に世界中を飛び回り、さらなる縁を広げていく。

服作りが連れて行ってくれる場所を楽しみに

常に目の前にある洋服作り、桐生のお店運営、海外コレクション、モナコ移住、そして表参道の開店準備。

目が回るほど忙しいはずなのに、ふたりからはそのすべてが楽しいということばかり伝わってくる。

大好きな服作りが、自分たちをたくさんの人に出会わせ、知らない世界に連れて行ってくれるわくわく感は、ふたりの原動力なのだろう。

店内に立つふたり

久美子さんにはもうひとつ、やりたいことがある。ご縁で繋がったネパールの学校で、縫い物教室を作ることだ。

職業訓練のような服作り学校ではなく、リップル洋品店の服作りで出たハギレなどを使って、自分や家族のための服作りを楽しむ時間を作りたいという。それはまさにリップル洋品店の原点だ。

「今、学校の勉強って音楽や美術などの科目がどんどん減らされているそうなんです。それこそが人生を豊かにするものなのに。

四角い布を縫い合わせて、簡単なスカートを作る。それだけで気持ちは変わるし、人生は豊かになることを感じてほしいなと思います。私自身が、そうでしたから」

笑って話す久美子さん

趣味であれ、仕事であれ、ものづくりと生きていく道の答えは決してひとつではない。自分や家族、一緒に働く人たちが楽しく生きるために、久美子さんと開人さんが作り出した答え。

それが「リップル洋品店」という生き方だ。

これからリップル洋品店が行く先は、ふたりにもわからない。服作りが連れて行ってくれる新しい世界を、ふたりは楽しみながら波紋のように広げていくのだろう。

<取材協力>

「RIPPLE YōHINTEN (リップル洋品店) 」

群馬県桐生市小曾根町4-45
https://www.ripple-garden.com/

文:ウィルソン麻菜

写真:田村靜絵

毎月7日間だけ開くリップル洋品店に、 世界中から人が服を買いに来る理由

群馬県桐生市。織物で有名なこの町を訪れるなら、ぜひ月初の「7日間」をお勧めしたい。

なぜなら「RIPPLE YōHINTEN (リップル洋品店) 」が開いている、貴重な1週間だから。

リップル洋品店

緑が生い茂る山道を登ったところに、お店はある。店内の窓からは、桐生の町が一望でき、空気の澄んだ日には東京スカイツリーまで見えるという。

リップル洋品店の店内
窓の外に見える桜の木が、季節を感じさせる

セーター、ワンピース、ストール、靴下。カラフルな洋服がずらりと並ぶ店内は、お店というよりギャラリー。まるで部屋全体がグラデーションをまとった、ひとつのアート作品のようだ。

リップル洋品店
リップル洋品店

ここには、色、素材、形が同じ洋服は、ひとつとして存在しない。一着一着が手作りの洋服たちは、店主夫婦の手で生み出されてすぐに店頭に並ぶ。

そしてお客さんの手に取られ旅立っていくと、その空いた場所にまた別の新しい一着が加わる。そうやって小部屋のなかのアート作品は、常にグラデーションを変えているのだ。

リップル洋品店の店内
色とりどりの洋服が並ぶ店内は、見回すだけで楽しい

「気持ち、かな」

変化し続ける店内の色は、季節や流行も関係ない。一体、何によって変わるのか。尋ねると、デザインと縫製をする岩野久美子さんはそう答えた。夫で、染色を担当する開人 (はるひと) さんも横で頷く。

RIPPLE YōHINTEN(リップル洋品店)の岩野開人さん(左)と久美子さん(右)
RIPPLE YōHINTEN(リップル洋品店)の岩野開人さん(左)と久美子さん(右)

カナダやニューヨークでもコレクションを行う彼らの洋服は海外からの人気も高いが、オンラインで買うことはできない。だからこそ、7日間のオープン時には世界中から人々が駆けつける。

グラデーションを生み出す服作り

車庫を改装した白塗りの店内は、カラフルな洋服と相反するように、いたってシンプル。そこにはブランドの説明もなければ、洋服にはブランドネームのタグすらついていない。

リップル洋品店

「他の洋服と何が違うのかを知ってもらうため、しおりやPOP、ブランドネームなど多くの情報を商品につけることもできると思います。

でも僕たちは、まず『この色、きれいだな』とか『この形が好きだな』とか、そういう直感で服を見てもらえたら嬉しいなと思って」

リップル洋品店の洋服はすべて、久美子さんがデザインし、開人さんが染めたものだ。もともと、暮らしの道具を手作りするのが好きだったふたり。洋服作りもそのひとつだった。

リップル洋品店

自分たちが着るために作り始めた洋服は、着て外を歩くたびに評判を呼ぶように。知人に誘われて週末のマーケットなどで販売を始めると、瞬く間に人気になった。

*10年前、「趣味を仕事に」したきっかけと、これからの10年のお話はこちら:「自分と家族のための服が、世界に愛されるブランドへ。『リップル洋品店』岩野夫妻が、趣味を仕事にして思うこと」

リップル洋品店の店内

なぜ一着も同じ服がないのかと言えば、ふたりのそのときの気持ちによって、デザインも素材も色も変わるからだ。

「服の形や染める色、作るものの順番などは、特に計画を立てていないですね」

一般的にアパレルブランドでは、発表したいシーズンやテーマに向けて生産計画を立て、逆算しながら洋服を作っていく。

しかし、リップル洋品店にはシーズンもテーマもない。ふたりが普段の生活や旅先で感じたことや、「こんなものを作ってみたい」という気持ち、すべてがそのときに作られる洋服に表れるのだ。

まず、久美子さんがイメージをデザインし、近所の縫い子さんたちとともに縫い上げる。そうして形になったものを開人さんが染める。あえて素材の違う服どうしを、一緒に染め上げるという。

「同じ染料で染めても、素材が違えば出る色はまったく違うんですよ」

岩野開人さん
草木染めなど様々な染色技法を、一から独学したそうだ

開人さんから生み出される、色名すら付いていないような繊細な色は、久美子さんのデザインした服の印象を大きく左右する。染色に関して、久美子さんから何かを提案したり指示することはないのかと尋ねると、ふたり揃って首を横に振った。

「そこは全然、口出ししないです。それでも、今まで一度も『ええ、それ変だよ』みたいなことにはなってないですね」

ふたりの合作で生み出される洋服。店頭に並べば、それぞれの色や形が目に留まった人たちの元へと買われていく。

リップル洋品店

「色も形もバラバラだけど、人間と同じです。人それぞれでいいと思っています」

揺れ動く気持ちがそのままお店のグラデーションになって、お店を訪れた人の個性にフィットするのだろう。洋服を選ぶ間が、「自分」という個と向き合う時間になれば、とふたりは語る。

「みんなに会える」7日間

すぐにでも買いに行きたくなるリップル洋品店だが、営業しているのは、毎月1日から7日までの1週間のみ。

「最初は週に1日だったのですが、人によっては仕事を休めない曜日もある。月初めの1週間ずっと開いていれば、どの曜日が休みの人でも1日くらいは来られるかな、と」

毎月の月初7日間が、1ヶ月かけて作り溜めた洋服のお披露目の場となる。それらを求めて、日本中、世界中から人々が桐生の山の上にやってくるのだ。

リップル洋品店横の階段
急な上り坂が続く山道。徒歩でもお店に行くことはできるという

お正月休みや連休ともなれば1000人にも上る来客を相手にしながら、そのあいだもふたりは洋服を作り続け、売れていく側から追加していくという。

リップル洋品店

「7日に来てくださった人にも楽しんでいただきたいので。最終日に新作を出したりもするんです」

7日間のうちにも入り続ける新商品を見るために、複数回に渡って訪れる人も。「お客さんに『こういう色ない?』って言われて『そういえば、昨日染めたかも!』って持ってくることもありますね」

時には染めたばかりの、まだ乾ききっていないものまで「その服が欲しい」と買われていったこともあったそうだ。

RIPPLE YōHINTEN(リップル洋品店)の岩野開人さん(左)と久美子さん(右)
お店が開く7日間の話を聞くと、楽しいエピソードがたくさん

そう言って笑うふたりからは、お客さんとの距離の近さが伺える。洋服作りと店頭で、目が回るくらい忙しいはずの7日間のことを、ふたりは本当に楽しそうに話す。

あまりの忙しさを見かねて、お客さんだった人が手伝ってくれるようになったこと。

飲食店が閉まるお正月には知り合いのお弁当屋さんを呼んで、お客さんが桐生らしい食事ができるようにしたこと。

「おやつ係と称して、いつもお菓子を持ってきてくれるお客さんまでいるんですよ」

久美子さんの言葉に、開人さんも思い出したように笑った。この7日間は、ふたりにとって作品の発表の場であるのと同時に、洋服を通じてつながった多くの人たちと出会い、再会できる時間なのだ。

顔が浮かぶほど、心に留めて

リップル洋品店のグラデーションが変わっていくのには、もうひとつ要因がある。それは前の月の7日間に出会った人やお客さんからの言葉だ。

「『こんな色がほしい』とか『こういうものはないの?』とお客さんに言われたことを、翌月のオープンまでに取り入れることも多いですね。言われたものを作ろうとしているというよりは、そこから受け取ったイメージが、意識に残るんだと思います」

デザイナーや作り手に「もっとこうしてほしい」という要望を使い手から伝えるのは、少し勇気がいる気がする。しかしリップル洋品店では、岩野夫妻のオープンな姿勢がそれを可能にしている。

「僕自身はグレーや茶色の渋い色が好きなのですが、やっぱり女性のお客様だと顔周りが明るく見える色も欲しいって言われたりして、それはお客様と話さなければわからなかったですね。

ものづくりをしていると『自分がいいと思うもの』を突き詰めたくなるんだけど、それが『ほかの人にとってもいいもの』なのかはわからない、と常に思っています」

リップル洋品店の洋服

お客さんとコミュニケーションが取れる7日間、ふたりは洋服を作り続けながらも交代で店頭に立つ。そして見聞きしたお客さんの反応を「あの色、素敵だって言われた」「もっとこんな形があればいいのにって言ってたよ」などとお互いに伝え合うという。

「不思議なもので、7日間のうちに黄色を探している人が何人も続けて現れたりするんです。そうすると『あ、次は黄色なのかな』って、翌月に反映したり」

お客さんの声を聞いて、少しずつ新しい形や色の服ができていく。それはきっと、お客さんの声が、ふたりの心にしっかりと届いている証拠なのだろう。

「服ができあがると、着るお客さんの顔が浮かぶんですよね、『あ、あの人に似合いそうだな』って」

久美子さんが不思議そうに、でもしっかりと言う。

「それは、その人に買ってほしいというわけじゃなくて。一人ひとりの声を聞いて、服に反映する。そういう関係の中で服を作りたいなと思っています」

リップル洋品店の外観
来月の店内は、どんな色になっているんだろうか

月始めの7日間、桐生の山の上に並ぶグラデーションは、その日、そのときだけのものだ。

明日はどんな服があるだろう、来月の小部屋の色合いはどうなっているだろう。それが楽しみで、新しい自分だけの一着に会いたくて、人々はまたこのリップル洋品店に舞い戻ってくる。

<取材協力>
「RIPPLE YōHINTEN (リップル洋品店) 」
群馬県桐生市小曾根町4-45
https://www.ripple-garden.com/

文:ウィルソン麻菜
写真:田村靜絵