秋の奈良の風物詩、正倉院展。
正倉院に収蔵され、厳重に管理される「正倉院宝物 (しょうそういんほうもつ) 」が年に一度だけ一般公開され、毎年全国から多くの人が詰めかけます。
その盛況ぶりが毎年ニュースで取り上げられるので、「行ったことはないけれど知っている」という人も多いはず。
特に今年は、御即位記念特別展として東京国立博物館で「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が開催中 (11/24まで) 。東京でも宝物の数々を鑑賞できる貴重な機会として話題になっています。
実は、こうして展示される正倉院宝物は、「世界的にもありえない」ものばかり。
「1200年以上たっているのに、木工品や染織品が朽ちずに姿を留めて、香木 (香料になる香りのよい木) などは未だに香りを残している。これは、ちょっと尋常ではないですね」
そう語るのは東京国立博物館 学芸企画部企画課 特別展室長の猪熊兼樹 (いのくま かねき) さん。
「正倉院宝物」とは実際どんなもので、どうすごいのか?をプロの視点で解説いただくと、別世界と思っていた宝物の数々が、グッと身近になりました。
正倉院宝物=聖武天皇のご遺愛品、ではない
正倉院宝物の起源は奈良時代。
756年 (天平勝宝八歳) 、東大寺建立を指導した聖武天皇の供養のために、光明皇后が天皇の御遺愛品などを東大寺の本尊盧舎那仏 (大仏) に奉献されたのがはじまりです。
奉献に当たっては品目リストである『東大寺献物帳』が添えられ、そこに記された名称、寸法、材質、由緒などはの宝物と並んで貴重な史料となっています。
その数は600点以上と膨大ですが、実は現在の正倉院宝物の数はさらに多く、なんと約9,000点。種類も古文書などの文書類、服飾品、調度品、楽器など様々です。
「光明皇后が奉献された品々は多くが失われ、現存するのは100数十点です。
ここに東大寺の重要な法会に用いられた仏具や、平安時代中頃に東大寺羂索院の倉庫から移された什器類などが加わり、また明治に宝物の範囲が確定されるまでに献上された品などもあって、整理済みのものだけでも9000点にのぼっています」
戦乱のあった時代には宝物の中から武器が実用に持ち出され、そのまま戻ってこなかったケースもあったそう。
正倉院宝物=聖武天皇のご遺愛品というイメージがありましたが、実はもっと幅広いものだったのですね。
他にも、伺うほどに意外な事実が。
実は90%以上が日本製。舶来品のイメージがあるのはなぜ?
現在宝物を管理する宮内庁では、正倉院宝物のことをこう示しています。
「ほとんどのものが奈良時代,8世紀の遺品であり,波濤をこえて大陸から舶載され,あるいは我が国で製作された美術工芸の諸品や文書その他」(宮内庁公式HPより)
実は特別展を鑑賞して気になったのが、出処を「中国・唐または奈良時代 八世紀」のように示した展示品の多さでした。
唐からやってきたものか、日本で作ったものなのかわからない、ということでしょうか?どちらかというと、海を渡ってきた舶来の品々、というイメージが強かったのですが‥‥
「これは正倉院宝物の特徴と言えるかもしれませんね。
実は最近、宮内庁正倉院事務所は、宝物の90%以上が日本製であると発表しているんです。ところが姿かたちは、唐のものか日本で作ったのか、見分けにくいものが多い。
例えば『鳥毛篆書屏風 (とりげてんしょのびょうぶ) 』という宝物は、君主の座右の銘を記した屏風ですが、文は楷書と篆書で交互に配した漢文で、文字は鳥の毛を使って装飾されています」
「唐か日本かといえば、まず唐のものだろうと思わせるような佇まいです。
しかし使われている鳥の毛を分析すると、日本のヤマドリの羽毛が使われていました。他の調査した結果をふまえても、これは日本で作られたものだと特定されたんです。
こうした『唐風』を完全再現したような宝物は、当時の日本の事情をよく表していると言えます。
つまり、国は中国の唐そっくりの文明国になりたかった。その思いが、唐の様式を忠実にコピーした工芸品の数々を生み出しているのです」
「唐になりたい!」日本の時代背景
奈良時代には、例えば織物の見本を全国に配り、同じように作れる職人を募った記録も残っているそうです。
当時の最先端を行く唐に追いつくため、殖産興業の一環として行われていたものと猪熊さんは語ります。
「一方で文明のお手本であった唐も、東西の文化交流の中でペルシアの影響を受けたりしています。ただ、日本の場合と受け止め方が違うんですね。
例えば正倉院宝物のひとつである『漆胡瓶 (しっこへい) 』は、形はササン朝ペルシア風、技法は東アジア独特の漆などの技巧が用いられた、唐時代の製作と思われる水瓶です」
「ペルシアの文物をただコピーするのではなく、自前の文化の中で昇華させている。そんな唐に日本は憧れ、お手本として様々な文化・様式を忠実に採り入れた。
この宝物を見ると、当時の唐と日本の関係性や他文明の受け止め方の違いがよくわかります。
毎年の正倉院展にも唐時代の宝物がよく出陳されますが、これらは単純にきれいだからと趣味で集められたものではなく、文明国になるための『道具』として国が積極的に海の向こうから集め、時に国内で作らせていたものであるわけですね。
このことを知っておくと、宝物の見え方も変わってくるかもしれません」
圧倒的な数と良好な保存状態の理由
それにしても驚くのは、そうした1200年以上も前の品々が、色彩や技巧の跡がわかる状態で今の時代に残っていること。
現存する宝物の数は、他の時代よりも奈良時代が突出して多いと猪熊さんは言います。
いったい何故、これほどまでに正倉院宝物は無事が保たれてきたのでしょうか?
「最も重要な点として必ず上がるのが、天皇による勅封 (ちょくふう) です。天皇の許可がなければ、どんな宝物も倉から出すことができません。この制度は今も受け継がれています。
さらに、平城京から平安京へ都が移ったことも影響していると思います。
都市部は建物が密集してどうしても火災が多くなりますが、遷都によってそうした被害を受けるリスクも減りました。
また、現地で宝物を管理し続けた東大寺の存在はとても大きなものです。
1254年には聖武天皇の御遺愛品を収めた正倉院北倉の扉に、雷が直撃する事故がありましたが、衆徒の必死の消火活動で宝物は焼失を免れたといいます。
お寺自体が戦火に見舞われた時にも幸い正倉院に被害が及ぶことはなく、数十年に一度は倉の修繕も行われ、宝物は守り継がれてきました」
さらに江戸時代に入ると、徳川家康が正倉院の修理を指示。宝物を保管する櫃 (ひつ) を献納するなど、この頃から文化財保護の意識が生まれていると猪熊さんは指摘します。
その後1875年 (明治8年) に正倉院は政府の直轄管理に。のちの正倉院展にもつながる年に一度の宝物点検や、鉄筋コンクリート製の宝庫が導入されました。
「例えば中国で出土している唐時代の文化財は金属のものが多いですが、正倉院宝物のように織物や木工品が原形を留めて現存しているケースは、世界的にもなかなかありません。
宝物のひとつである蘭奢待 (らんじゃたい) という有名な香木も、1000年経っていたら、さすがに香りが揮発して抜けているのが自然ですが、それが21世紀の今になっても香りを残しているというのは、とんでもないことです」
「今のように正倉院宝物の価値が世間に知られていない時代にあっても、人知れず倉庫を守り続けてきた人たちの努力があってこその宝物だと思います」
模造は「楽器の形をした論文」
宝物は過去の遺産として保護されるだけでなく、今のものづくりに刺激を与える存在でもある、と猪熊さん。それを物語るのが、正倉院宝物の模造です。
「今回の特別展の前期展示に、世界で唯一現存する五絃の琵琶である「螺鈿紫檀五絃琵琶 (らでんしたんのごげんびわ)」とその模造品が展示されました (現在は終了)。
模造品と聞くと、なんだレプリカか、と思うかもしれませんが、あれは楽器の形をした論文、研究成果の発表なんです。
元の姿から素材や技法を読み解き、作った当初の意図を汲んで、蘇らせ今に投げかける。
今回の琵琶に関しては完成まで8年、素材や工具の調達を含めると15年の歳月がかかっています。
長い期間のうちに作り手は腕をさらに研鑽し、手伝う次の代に技術や考え方を継承していく機会にもなる。
1000年も昔に最高峰の技術で作られて今なおハイクオリティな正倉院宝物という存在には、『自分もこういうものにチャレンジしてみたい』と今の工芸作家さんの気持ちを奮い立たせる、何かがあるんだろうと思います」
「事件」ではない、歴史と私の共通点。
最後に、今まであまり正倉院展に縁がなかったというビギナーの人向けにおすすめの見方を、と伺うと、正倉院宝物がぐっと身近になるこんなお話を聞かせてくれました。
「実は私自身、小学校の頃奈良に住んでいて、学校行事で正倉院展に連れて行ってもらった思い出があります。
小学校も高学年になると日本史を習うわけですが、当時は摂関政治とか律令制とか、そういう政治経済の歴史は面白みが全く感じられませんでした。
ところが正倉院展に行って、同じ奈良時代に作られた宝物を見ると、子ども心にもきれいだなと感じる。
今でも使い方がわかるようなものもあるから、昔はこういうものを使った人がいたんだとわかります。
そこに並ぶ品々は教科書に載るような『事件』ではないけれども、昔の人が実際に自分のそばに置いていた、生活感という歴史ですよね。
正倉院宝物は、たからものと書いて「ほうもつ」と読ませていますが、いわゆる金銀財宝をいたずらに見せびらかすのではなく、世界中から集めてきた材料を、上手に調和させながらデザインに仕立てています。
だから見たときに、大人も子どもも素直に美しいと感じるんでしょうね。鳥の毛で文字を飾ったり、琵琶の表面をこんな風に装飾したり、よく思いつくなと思います」
「そうしたデザインをきちんと造形物に仕上げる技術も、はじめは見よう見まねで、少しずつ国内で培ってきたのでしょう。
正倉院宝物は絵画や彫刻ではなく、人が実際に使う工芸品が多いのが特徴のひとつです。
その分、教科書に載る事件や年号よりも生々しい、昔の人と自分が通じあう何かを感じられるのが、大きな魅力じゃないでしょうか」
最高峰の素材や技術が使われているものであっても、本来の姿は日用の道具。
そう思うと、別世界と思っていた宝物の数々が一気に身近になり、それを手に取り使ってきた人の気配まで、そこに感じられるように思いました。
今年、奈良の正倉院展は閉幕しましたが、東京の特別展は11月24日まで開催中。
1200年前のデザイン美を目撃しに、また1200年前に確かにそこにあった生活と出会いに、足を運んでみては。
<取材協力>
東京国立博物館
東京都台東区上野公園13-9
03-5777-8600 (ハローダイヤル)
https://www.tnm.jp/
【2019年11月24日(日)まで開催中】
御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」
https://artexhibition.jp/shosoin-tokyo2019/
*月曜は休館
<参考>
図録『御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」』
宮内庁公式サイト
文:尾島可奈子