今年は東京でも見られる!「正倉院宝物」入門をプロに教わる

秋の奈良の風物詩、正倉院展。

正倉院に収蔵され、厳重に管理される「正倉院宝物 (しょうそういんほうもつ) 」が年に一度だけ一般公開され、毎年全国から多くの人が詰めかけます。

その盛況ぶりが毎年ニュースで取り上げられるので、「行ったことはないけれど知っている」という人も多いはず。

特に今年は、御即位記念特別展として東京国立博物館で「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が開催中 (11/24まで) 。東京でも宝物の数々を鑑賞できる貴重な機会として話題になっています。

実は、こうして展示される正倉院宝物は、「世界的にもありえない」ものばかり。

「1200年以上たっているのに、木工品や染織品が朽ちずに姿を留めて、香木 (香料になる香りのよい木) などは未だに香りを残している。これは、ちょっと尋常ではないですね」

そう語るのは東京国立博物館 学芸企画部企画課 特別展室長の猪熊兼樹 (いのくま かねき) さん。

猪熊さん

「正倉院宝物」とは実際どんなもので、どうすごいのか?をプロの視点で解説いただくと、別世界と思っていた宝物の数々が、グッと身近になりました。

正倉院宝物=聖武天皇のご遺愛品、ではない

正倉院宝物の起源は奈良時代。

756年 (天平勝宝八歳) 、東大寺建立を指導した聖武天皇の供養のために、光明皇后が天皇の御遺愛品などを東大寺の本尊盧舎那仏 (大仏) に奉献されたのがはじまりです。

奉献に当たっては品目リストである『東大寺献物帳』が添えられ、そこに記された名称、寸法、材質、由緒などはの宝物と並んで貴重な史料となっています。

その数は600点以上と膨大ですが、実は現在の正倉院宝物の数はさらに多く、なんと約9,000点。種類も古文書などの文書類、服飾品、調度品、楽器など様々です。

平螺鈿背八角鏡 唐時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】
平螺鈿背八角鏡 唐時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】

「光明皇后が奉献された品々は多くが失われ、現存するのは100数十点です。

ここに東大寺の重要な法会に用いられた仏具や、平安時代中頃に東大寺羂索院の倉庫から移された什器類などが加わり、また明治に宝物の範囲が確定されるまでに献上された品などもあって、整理済みのものだけでも9000点にのぼっています」

戦乱のあった時代には宝物の中から武器が実用に持ち出され、そのまま戻ってこなかったケースもあったそう。

正倉院宝物=聖武天皇のご遺愛品というイメージがありましたが、実はもっと幅広いものだったのですね。

他にも、伺うほどに意外な事実が。

実は90%以上が日本製。舶来品のイメージがあるのはなぜ?

現在宝物を管理する宮内庁では、正倉院宝物のことをこう示しています。

「ほとんどのものが奈良時代,8世紀の遺品であり,波濤をこえて大陸から舶載され,あるいは我が国で製作された美術工芸の諸品や文書その他」(宮内庁公式HPより)

実は特別展を鑑賞して気になったのが、出処を「中国・唐または奈良時代 八世紀」のように示した展示品の多さでした。

唐からやってきたものか、日本で作ったものなのかわからない、ということでしょうか?どちらかというと、海を渡ってきた舶来の品々、というイメージが強かったのですが‥‥

「これは正倉院宝物の特徴と言えるかもしれませんね。

実は最近、宮内庁正倉院事務所は、宝物の90%以上が日本製であると発表しているんです。ところが姿かたちは、唐のものか日本で作ったのか、見分けにくいものが多い。

例えば『鳥毛篆書屏風 (とりげてんしょのびょうぶ) 』という宝物は、君主の座右の銘を記した屏風ですが、文は楷書と篆書で交互に配した漢文で、文字は鳥の毛を使って装飾されています」

図録収録の、文字部分のクローズアップ。羽の様子が見て取れる
図録収録の、文字部分のクローズアップ。羽の様子が見て取れる

「唐か日本かといえば、まず唐のものだろうと思わせるような佇まいです。

しかし使われている鳥の毛を分析すると、日本のヤマドリの羽毛が使われていました。他の調査した結果をふまえても、これは日本で作られたものだと特定されたんです。

こうした『唐風』を完全再現したような宝物は、当時の日本の事情をよく表していると言えます。

つまり、国は中国の唐そっくりの文明国になりたかった。その思いが、唐の様式を忠実にコピーした工芸品の数々を生み出しているのです」

「唐になりたい!」日本の時代背景

奈良時代には、例えば織物の見本を全国に配り、同じように作れる職人を募った記録も残っているそうです。

当時の最先端を行く唐に追いつくため、殖産興業の一環として行われていたものと猪熊さんは語ります。

「一方で文明のお手本であった唐も、東西の文化交流の中でペルシアの影響を受けたりしています。ただ、日本の場合と受け止め方が違うんですね。

例えば正倉院宝物のひとつである『漆胡瓶 (しっこへい) 』は、形はササン朝ペルシア風、技法は東アジア独特の漆などの技巧が用いられた、唐時代の製作と思われる水瓶です」

漆胡瓶 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】
漆胡瓶 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】

「ペルシアの文物をただコピーするのではなく、自前の文化の中で昇華させている。そんな唐に日本は憧れ、お手本として様々な文化・様式を忠実に採り入れた。

この宝物を見ると、当時の唐と日本の関係性や他文明の受け止め方の違いがよくわかります。

毎年の正倉院展にも唐時代の宝物がよく出陳されますが、これらは単純にきれいだからと趣味で集められたものではなく、文明国になるための『道具』として国が積極的に海の向こうから集め、時に国内で作らせていたものであるわけですね。

このことを知っておくと、宝物の見え方も変わってくるかもしれません」

圧倒的な数と良好な保存状態の理由

それにしても驚くのは、そうした1200年以上も前の品々が、色彩や技巧の跡がわかる状態で今の時代に残っていること。

紺夾纈絁几褥 奈良時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】
紺夾纈絁几褥 奈良時代・8世紀 正倉院宝物 【後期展示11月6日~24日】

現存する宝物の数は、他の時代よりも奈良時代が突出して多いと猪熊さんは言います。

いったい何故、これほどまでに正倉院宝物は無事が保たれてきたのでしょうか?

「最も重要な点として必ず上がるのが、天皇による勅封 (ちょくふう) です。天皇の許可がなければ、どんな宝物も倉から出すことができません。この制度は今も受け継がれています。

さらに、平城京から平安京へ都が移ったことも影響していると思います。

都市部は建物が密集してどうしても火災が多くなりますが、遷都によってそうした被害を受けるリスクも減りました。

また、現地で宝物を管理し続けた東大寺の存在はとても大きなものです。

1254年には聖武天皇の御遺愛品を収めた正倉院北倉の扉に、雷が直撃する事故がありましたが、衆徒の必死の消火活動で宝物は焼失を免れたといいます。

お寺自体が戦火に見舞われた時にも幸い正倉院に被害が及ぶことはなく、数十年に一度は倉の修繕も行われ、宝物は守り継がれてきました」

正倉院正倉
正倉院正倉

さらに江戸時代に入ると、徳川家康が正倉院の修理を指示。宝物を保管する櫃 (ひつ) を献納するなど、この頃から文化財保護の意識が生まれていると猪熊さんは指摘します。

その後1875年 (明治8年) に正倉院は政府の直轄管理に。のちの正倉院展にもつながる年に一度の宝物点検や、鉄筋コンクリート製の宝庫が導入されました。

正倉院御物修理図 稲垣蘭圃筆 明治22年(1889) 東京国立博物館 【通期展示】。明治の修理の様子が描かれている
正倉院御物修理図 稲垣蘭圃筆 明治22年(1889) 東京国立博物館 【通期展示】。明治の修理の様子が描かれている

「例えば中国で出土している唐時代の文化財は金属のものが多いですが、正倉院宝物のように織物や木工品が原形を留めて現存しているケースは、世界的にもなかなかありません。

宝物のひとつである蘭奢待 (らんじゃたい) という有名な香木も、1000年経っていたら、さすがに香りが揮発して抜けているのが自然ですが、それが21世紀の今になっても香りを残しているというのは、とんでもないことです」

黄熟香(蘭奢待) 東南アジア 正倉院宝物 【通期展示】
黄熟香(蘭奢待) 東南アジア 正倉院宝物 【通期展示】

「今のように正倉院宝物の価値が世間に知られていない時代にあっても、人知れず倉庫を守り続けてきた人たちの努力があってこその宝物だと思います」

模造は「楽器の形をした論文」

宝物は過去の遺産として保護されるだけでなく、今のものづくりに刺激を与える存在でもある、と猪熊さん。それを物語るのが、正倉院宝物の模造です。

「今回の特別展の前期展示に、世界で唯一現存する五絃の琵琶である「螺鈿紫檀五絃琵琶 (らでんしたんのごげんびわ)」とその模造品が展示されました (現在は終了)。

模造品と聞くと、なんだレプリカか、と思うかもしれませんが、あれは楽器の形をした論文、研究成果の発表なんです。

元の姿から素材や技法を読み解き、作った当初の意図を汲んで、蘇らせ今に投げかける。

今回の琵琶に関しては完成まで8年、素材や工具の調達を含めると15年の歳月がかかっています。

長い期間のうちに作り手は腕をさらに研鑽し、手伝う次の代に技術や考え方を継承していく機会にもなる。

1000年も昔に最高峰の技術で作られて今なおハイクオリティな正倉院宝物という存在には、『自分もこういうものにチャレンジしてみたい』と今の工芸作家さんの気持ちを奮い立たせる、何かがあるんだろうと思います」

「事件」ではない、歴史と私の共通点。

最後に、今まであまり正倉院展に縁がなかったというビギナーの人向けにおすすめの見方を、と伺うと、正倉院宝物がぐっと身近になるこんなお話を聞かせてくれました。

「実は私自身、小学校の頃奈良に住んでいて、学校行事で正倉院展に連れて行ってもらった思い出があります。

小学校も高学年になると日本史を習うわけですが、当時は摂関政治とか律令制とか、そういう政治経済の歴史は面白みが全く感じられませんでした。

ところが正倉院展に行って、同じ奈良時代に作られた宝物を見ると、子ども心にもきれいだなと感じる。

今でも使い方がわかるようなものもあるから、昔はこういうものを使った人がいたんだとわかります。

そこに並ぶ品々は教科書に載るような『事件』ではないけれども、昔の人が実際に自分のそばに置いていた、生活感という歴史ですよね。

正倉院宝物は、たからものと書いて「ほうもつ」と読ませていますが、いわゆる金銀財宝をいたずらに見せびらかすのではなく、世界中から集めてきた材料を、上手に調和させながらデザインに仕立てています。

だから見たときに、大人も子どもも素直に美しいと感じるんでしょうね。鳥の毛で文字を飾ったり、琵琶の表面をこんな風に装飾したり、よく思いつくなと思います」

図録に収録されている「紫檀木画槽琵琶」の背面は、象牙や緑に染めた鹿角などで豪華に飾られている
図録に収録されている「紫檀木画槽琵琶」の背面は、象牙や緑に染めた鹿角などで豪華に飾られている

「そうしたデザインをきちんと造形物に仕上げる技術も、はじめは見よう見まねで、少しずつ国内で培ってきたのでしょう。

正倉院宝物は絵画や彫刻ではなく、人が実際に使う工芸品が多いのが特徴のひとつです。

その分、教科書に載る事件や年号よりも生々しい、昔の人と自分が通じあう何かを感じられるのが、大きな魅力じゃないでしょうか」

最高峰の素材や技術が使われているものであっても、本来の姿は日用の道具。

そう思うと、別世界と思っていた宝物の数々が一気に身近になり、それを手に取り使ってきた人の気配まで、そこに感じられるように思いました。

今年、奈良の正倉院展は閉幕しましたが、東京の特別展は11月24日まで開催中。

1200年前のデザイン美を目撃しに、また1200年前に確かにそこにあった生活と出会いに、足を運んでみては。

<取材協力>
東京国立博物館
東京都台東区上野公園13-9
03-5777-8600 (ハローダイヤル)
https://www.tnm.jp/

【2019年11月24日(日)まで開催中】
御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」
https://artexhibition.jp/shosoin-tokyo2019/
*月曜は休館

<参考>
図録『御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」』
宮内庁公式サイト

文:尾島可奈子

茶道の帛紗が正方形でない理由

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。

着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇帛紗 (ふくさ) が正方形でない理由

5月某日。

今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室7回目。床の間には「青山青転青」との掛け軸。

「せいざん あお うたた あおし」と読んで、 (雨の後で) 青山の青がなお一層青い、という意味だそうです。新緑の風がさぁっと吹いてくるようです。

「今日は帛紗のお話をしましょう」

先生が一枚一枚、帛紗を畳の上に並べていきます。一体何が始まるのでしょうか‥‥?

「お茶をするということは、自分なりにお茶事をして、人をもてなすということです。ですが往々にして、お茶のお点前の型 (かた) の習得に努めることが、茶そのものであるかのように思われがちです。

それが嫌で、お点前の煩雑な型には、さほど意味がない、茶の湯の本質ではない‥‥と、ある種のカウンター、聞いた人が茶の湯の他の側面に気づいてもらうための表現として、あえて乱暴に言い切っていた時期もありました。

大切なのは、型通りにお点前をやって満足するのではなく、棗 (なつめ) や茶杓のただ一本、もてなしの場に持ち込まれるツールひとつひとつの取り合わせやお点前のひと手ひと手に、『あなた様のため』という素朴な想いをのせていくということ。

そしてできることなら、のせた想いが全てでなくとも相手になにがしか伝われば嬉しい。そのためであるならば、一見煩雑で面倒なお点前の手順や作法も、意味のある大事なことだと、今では思うようになりました。むしろ、もてなしの表現の本質がある、と。勝手なものですね、われながら。反省しています。

そんな、お点前の意味を象徴するツールが帛紗です。どうぞみなさん前に来て見てみてください」

ずらりと並んだ帛紗を、一枚一枚手に取って見せていただきました。

帛紗は生地の重さによって規格が分かれます。10号、11号と号数が増えていくほど織り込まれている絹糸が撚りの強い、太い糸になり、その分生地も重みを増します。

手に取ってみると、1号違いではさほど違いがわからないものもありますが、確かに号数が離れるほど、その重みの差がはっきりとわかります。

普通のお点前は重たい方が所作が格好よくなるそうですが、細かく帛紗をたたむお点前の場合は薄手のものを選ぶなど、使い分けをされるそうです。

カラフルな染め帛紗。流派によってお点前に使う帛紗の色は定められていますが、紋様の入っているものはお香を置いたり、飾りに用いるそうです

大きさはどれも同じようですが、ここにお点前をする上での大きな意味が込められていました。先生のお話に耳を傾けます。

「お茶席でお点前をする、その最も重要な意味は、人の見ている前でものを清めるということにあります。この器が清まりますように、その器を使う相手も私も美しく保たれますようにという願いが、実は帛紗の寸法にも込められています。

帛紗は一見正方形に見えて、本当は長方形です。寸法は元々『八寸八分の九寸余』と決まっていて、利休の教えを100の歌にまとめたというかつての利休百首にもそのことが書いてあります。

なぜこの寸法になったのか。昔の人は言霊と同じように、数字に力があると信じていました。奇数は『陽』、おめでたい力のある数字。偶数は『陰』、陽に準じる数字。

つまり『九』という数字は、陽の極まる数字というわけです。“苦しむ”につながるから縁起が悪いとするのは、近代になっての語呂合わせなんですよ。昔の人は九は高貴で力のある数字だと考えました。

古くは、皇室に関連する表現に九という数字が大切に扱われていました。御所をあらわす別の表現は九重 (ここのえ) 。別に、本当に御所の屋根が九層というわけではありません。最高に立派な建物、というニュアンスを伝えるのに九が用いられているのです。

さらに御所の宮殿の宮 (キュウ) と九は同じ音でしょう。漢字で音が重なる場合は相通じる意味をもたせてあることが多いんです。究極の究もキュウ。また、9月9日は重陽の節句です。陽の極まった数字が2回重なるから重陽なんです。

だから帛紗一枚の中にも、九という数字を閉じ込めたかった。手に使いやすいハンカチくらいの大きさを保ちながら、九という数字をまたいだ九寸余を寸法に用いることで、高貴な数字の持つ力をこの帛紗の中に閉じ込めようとしたんです。もう一辺は、対になる陰の力の偶数で最も大きい八を2回重ねて、八寸八分に。

こうして最も高貴な数字を閉じ込めた布で清めるからこそものが清まると、昔の人は信じたのです。

これは、帛紗にまつわるひとつの説です。時代や流派や茶人の考え、扱う道具の大きさによってもまちまちであった帛紗の大きさが定められていく時の、ひとつの考え方です。

普段の生活で使うことのないような絹の布一枚を、なぜお点前で大事そうに取り扱うのか。小さな布切れ一枚に、怯えるほどハイコンテクストな世界が広がっているのです。

何事もていねいすぎるのは考えものですが、相手を想ってこその道具、所作ならば、安易にカジュアルにくだけさせることは、その人を軽んじていると思われても仕方のないことです。儀式は、祈りなんです」

お点前に想いを込める、とは所作をていねいにすることかとばかり思っていましたが、道具である帛紗がすでに、祈りを目に見える姿で表していました。

「帛紗は未使用の状態では裏表がありません。ですがお点前の際に一回折ると、跡がついて二度と使用前には戻りません。だから本来はお点前ごとにまっさらの帛紗を下ろします。

茶筅 (ちゃせん) も、未使用の状態だと穂先の中心(泡切り)が閉じていますね。これも一度お湯をくぐらすと穂先が開いて戻らなくなります。一度きり、ということがもてなしの印にもなっているのです。

無垢なるものをお客さんのために使い下ろすということと、器など人間よりもはるかに長生きするものの時間とを交錯させているところが、道具の取り合わせの面白さでもあります」

器のお話に触れたところで、5月らしい菓子器で今日のお菓子が運ばれてきました。

◇今日の日のためのお菓子

兜鉢( かぶとばち )という、伏せると鉄兜の形に見える器で運ばれてきたのは、葛の羊羹ちまき。葛にこし餡を練り込んだものを蒸しあげて作るそうです。

ちまきのガラ入れとして横に添えられていた黒塗りの器は、元は接水器(せっすいき)という、禅寺でお坊さんの食事の際に使われる水入れ。

よく見ると蓋の表面に水滴が見られます。こうした塗り物の器は、5月から10月までの風炉(ふろ)の時期は露を打つのだそうです。

「8月はしっかり水滴がわかるように打ったり、10月はまた量を減らしたり。季節によって量や打ち方を変えるんですよ」

茶会で触れるほんのささいにも思える物事にも、「あなたのために今日のこの日を」という想いが感じられて、改めて嬉しく、ありがたく思います。

ここからは自分たちで二手に分かれてお茶を点て、運ぶところも実践していきます。先ほどその意味を教わった帛紗を、早速腰につけて。

二服目のお茶と一緒にいただいたお菓子は紅蓮屋心月庵の「松島こうれん」というおせんべい。お米そのままのような素朴な甘さです。

お菓子に用いられていた器。江戸時代の茶人が中国の古くからの窯業都市、景徳鎮(けいとくちん)で焼かせたもので、あえて下手に作らせているそう
今日の菓子器をずらりと並べてくださいました。左上が先ほどの兜鉢。いずれも同じ景徳鎮で作られた器だそうですが、時代や発注者によって趣が異なるのが面白い、と先生

◇マンションの一室で開くお茶会

そろそろお稽古もおしまいの時間が近づいてきました。

「時折、ワンルームのマンションでお茶会を開く、というたとえ話をします。

いつも以上に家の掃除をし、コップでもいいから花を一輪生けて、チョコレートでもマカロンでもいい、相手の好みそうなお菓子を用意する。掛け軸がなくても、共通の話題になりそうな画集や雑誌をテーブルにさりげなく置く。

口にするものは、抹茶であれば嬉しいけれど、コーヒーでもいいんですよ。相手の趣味趣向を知っているならば相手の好みそうなコーヒーを用意して、ちょっと上等なカップを用意して、訪(おとな)いを待つ。そうして空間全体に、『あなたのために』とわかる一気通貫のストーリーが敷かれてあれば理想的です。

茶室で、抹茶茶碗を使い、掛け軸が掛けられて花が生けられていれば茶会、とは限りません。お茶会の根本は、相手のために時間をとって用意をし、あれこれ段取りをすることにあるのです。

—-では、今宵はこれぐらいにいたしましょう」

なぜお点前をするのか、なぜ帛紗は正方形ではないのか。その意味をしっかりと心得ていたら、マンションの一室で親しい人とコーヒーを楽しむ時間もひとつのお茶会になる。いつか自分でもできるだろうかと思いながら、今はまず、帛紗さばきの稽古です。

お話の合間に先生が披露してくださった、帛紗のお雛様。お茶が発展する中でこうした遊びも生まれたそう

◇本日のおさらい

一、道具一つひとつにも祈りにも似たもてなしの想いが込められている
一、ただお点前の型を覚えていくのが「お茶」ではない。大切なのはそのひと手ひと手に、相手への想いをのせていくこと


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付協力:大塚呉服店

*こちらは、2017年6月28日の記事を再編集して公開しました。

抹茶碗はご飯茶碗と何が違う?茶人・木村宗慎さんが教える「違い」と「選び方」

木村宗慎と中川政七が語るとっておきの一碗 茶論 特別講座「茶碗がナイト」

中川政七商店グループが、茶道の魅力をより多くの人に知ってほしいと立ち上げた「茶論 (さろん) 」。

新しい茶道の愉しみ方を、稽古・喫茶・見世の三つの切り口から提案しているお店です。

「茶論」について詳しくは、こちらの記事をご覧ください。「テーブルと椅子でする茶道のかたち。なぜ新ブランド「茶論」は立ち上がったか

茶論では通常の稽古プログラムのほかに、不定期で公開講座が開講されています。

茶論 日本橋店
2018年9月にオープンした、茶論 日本橋店

先日、かねてから楽しみにしていた特別講座が開催されました。

その名は「茶碗がナイト」。

茶碗がナイト

「まずは茶碗がないとね」

お茶を点てるには、あれこれ道具を揃えなくてはいけないのでは?なんて不安がよぎりますが、まずは茶碗と茶筅があれば良いのだそう。意外にシンプルです。

私もお茶碗を探してみようかな。「茶碗はどんなものでも良い」なんて言葉も聞くけれど、本当かしら。

お茶に合う茶碗ってどんなものだろう?どんな風に選んだら良いんだろう?そんな疑問が湧いてきました。そんな時に見つけたのがこの講座です。

「茶碗がナイト」は、茶人・木村宗慎 (きむら そうしん) 氏と、中川政七商店十三代・中川政七氏が、茶碗の見方をはじめ、それぞれの茶碗が持つエピソードやその価値をトークショー形式で紹介するイベント。

紹介されたものの中に気になるものがあれば、その茶碗でお茶を一服いただけます。さらには、購入することも可能なのだそう。眺めるだけでなく触れられて、運命の出会いがあれば連れて帰れる‥‥す、すごい。

茶碗がナイト
会場のテーブルの上には、茶碗がずらり

古いものから現代のものまで、多種多様な茶碗が並ぶ会場。参加者の皆さんは、開講前から熱心に茶碗を鑑賞されていました。

奈良の名店、樫舎 (かしや) の「栗のくず焼き」
開講前には、お茶とお菓子の提供も。お菓子は、奈良の名店、樫舎 (かしや) の「栗の葛焼き」

期待が膨らむ中、いよいよトークセッションがスタートです。

飯碗と抹茶碗の違いは「鑑賞に耐えられるかどうか」

茶人・木村宗慎氏 (右) と中川政七商店十三代・中川政七氏 (左)
茶人・木村宗慎氏 (右) と中川政七商店十三代・中川政七氏 (左)

「ところで宗慎さん、飯碗でお茶を飲んでも良いのでしょうか?」

中川氏の問いから、本論が始まりました。

「問題ないですよ。茶筅が振れる器であれば、お茶は点ちますので。ただ‥‥」と、木村氏は続けます。

木村宗慎氏 (以下、「木村」)「高校生の時、お小遣いで萩焼の作家さんの飯碗を買ったことがありました。飯碗は、茶碗より安いんです。同じ作家のものでも茶碗と飯碗で十倍くらい値段に差がある場合があります」

「それで買ってきた飯碗でお茶を点ててみると、やはりなんとなく『違う』んですよね」

中川政七氏 (以下、「中川」)「『なんとなく違う』と高校生の宗慎さんは思った、と」

木村宗慎氏

木村 「ええ、お茶会などで見たことのある萩焼の茶碗とは別物だと感じました。

究極的には、飯碗と抹茶碗の違いは『鑑賞に耐えられるかどうか』だと思います。

飯碗は、ご飯を盛るための日常使いの器。量産できるように土の質や焼き方、フォルムの作られ方が茶碗と異なります。お茶を点てるだけでなく鑑賞される茶碗とは用途が別なので、飯碗の方が粗い作りなんですね。

鑑賞とは『目で見る』だけではありません。茶碗は人間との距離が近い器です。指で触って手でかき抱き、唇で触れます。重さや素材のテクスチャーも含めて、人間のありとあらゆる感覚機能で味わいます。抹茶碗は、そんな愉しみ方ができるものでなくてはなりません。

さらには、裏に返して高台までも鑑賞します」

茶碗を裏返して高台 (茶碗の足部分) を眺める
お茶の世界では、茶碗を裏返して高台 (茶碗の足部分) を眺めて愉しみます

「茶碗は高台が大事」の理由

木村「茶碗は高台が大事とよく言われます。お茶を出された時は器の中に液体が入っているので、裏返して見られるのは飲み終わった後。最後に鑑賞する場所が高台なので、その印象があとに残るのです。だからこそ、大切と考えられています。

また、土の分量自体が多い部分なので、彫刻的・造形的側面に見所となってしまう。言ってしまえば、いろんなことが出来る部分です。」

中川「高台が大事と教わったものの、最初の頃は全然興味も湧かず愉しみ方がわからなかったのですが、いろんな景色のものがありますね。最近は好き嫌いが出てきました」

木村「これは数を見るとわかってくるんですよね」

数をたくさん見る、長い時間見る

中川「本当にそうですね。以前、茶道具の見方を宗慎さんに伺ったら『数をたくさん見る、長い時間見る』と教えていただきました。

なるほどな、と。たくさんの茶碗をじっくりと見るを繰り返す。そうすると段々わかってきて、好みができてきますね」

ひとつの物を長い年月かけて見る

木村「さらには、1つの茶碗を長い年月かけて見る面白さもあります。

例えば、思い切って買った茶碗を大事に箱に入れて、そのままにしていた時。時間がたってふと箱から出したら、印象が変わっていることがあるんですね。

こんなに良かったっけ?と思う時もあれば、がっかりすることもある。物は変わっていないのだけれど、時が経つ間にこちらの心境が変わっている。それによって物との関係性が変わるんです。

また日々使っていると、貫入の中にお茶が沁みて茶碗の景色が変わっていきます。茶碗を育てているように感じて愛しくなることもあります」

中川「美術館で眺める茶碗ではできない愉しみ方ですね」

自分ごとにしない限り、道具は一生わからない

木村「道具の価値は自分ごとにしない限り一生理解できません。痛い思いをして、しんどい思いをして自分で道具を買って使わなければわからないことがあります。

美術館でガラス越しに物を見ているだけでは、物との距離は縮まりません。

茶の湯のような文化を育む日本の工芸や芸術にとって、物というのはただ眺めるのではなくて、手にとって『使う』というのが鑑賞のひとつの手段なのです。眺めて気に入っても、口をつけたら期待したものと違うという体験が茶碗では起こります。

ですから、我が物にするということで色々と視点が変わってきます。ぜひそういう思いで茶碗を見ていただければと思います」

中川「手の収まり具合というか、手取りでも感じるものがある。同じ茶碗でも、見る環境によって全く違う印象になることもありますよね。触って自分で飲んでみなければわからない。これはすごく面白いですね」

古いものから、現代作家の作品まで

茶碗との向き合い方についてのお話の後は、今宵のテーブルに並ぶ茶碗の紹介です。会場からは熱い視線が注がれていました。

ここではそのいくつかを少しだけご紹介します。

「番匠 呉器茶碗 又玅斎箱書」
【番匠 呉器茶碗 又玅斎箱書】 朝鮮から日本にもたらされた高麗茶碗の中でも古い時代からのものとして名高い呉器茶碗。その名は、飲食用の木椀「御器 (ごき) 」と形が似ていたことに由来する。番匠とは大工のこと。他の呉器茶碗と比べるとやや造形が崩れ、詫びた風情が増すことから、大工が日常使いしている碗に似ているというイメージで名付けられた。又玅斎は、明治時代に活躍した、裏千家十二代家元
「斗々屋茶碗 銘 郭公」
【斗々屋茶碗 銘 郭公】 高麗の斗々屋茶碗が備えるべき約束事を見事に兼ね備えた典型的な一碗。日本の茶人たちが、事細かにデザインをディレクションして朝鮮の陶工たちに作らせた。傷を嫌うことで有名な斗々屋茶碗であるが、本碗は全く傷のない完品の状態で伝来した貴重なもの
十四代 今泉今右衛門 「吹き墨 草花紋」
十四代 今泉今右衛門 【吹き墨 草花紋】 鍋島藩の御用窯である色鍋島の技法を今に伝える名門有田焼の窯元。当代は、若くして人間国宝にも選ばれた名工の一人。色鍋島の代表的技法である、吹き墨、墨はじきを用いて草花が美しく描かれている。金属の色がきらめく部分はプラチナが焼き付けられている
二階堂明弘「径」山寺益楽赤茶碗
二階堂明弘【径山寺益楽赤茶碗】 現代の人気作家、二階堂氏は国内だけでなく海外での評価も高い。
「新渡 道光年製 筒茶碗」
【新渡 道光年製 筒茶碗】 江戸時代中期以降に日本から景徳鎮に注文して焼かせた磁器のことを新渡と呼ぶ。内側には瓔珞 (ようらく) 文様、外側には江戸初期の祥瑞の意匠を写した染付けの筒茶碗。茶箱や真冬の点前に向くが、水屋に常備させておく水呑としても良い
安藤雅弘「阿蘭陀 口二色線」
安藤雅弘【阿蘭陀 口二色線】 人気の現代陶芸家安藤氏の得意とする、オランダ デルフト窯に倣った白磁の釉に黄色と呉須のブルーの縞模様と口縁にまわした茶碗。コントラストもかわいらしく、素朴さの中に現代的な趣のある一碗

十数点の茶碗、それぞれが持つ歴史やエピソードがその魅力を一層引き立てます。知ることで愉しめる茶碗の見どころや、かつて茶人たちが行なったクリエイティブディレクションのお話は実に興味深いものでした。

憧れの茶碗の手触りだけでなく、口あたりも鑑賞できる贅沢
この日登場した茶碗で、次々とお茶が点てられていきます。憧れの茶碗の手触りだけでなく、口あたりまで鑑賞できるのも嬉しい

会場から「はじめての茶碗を選ぶ時のポイントは?」という質問があがりました。

1、少ししんどい金額をかける

木村「お稽古道具として売られているものはお勧めしません。『稽古』という言葉は作り手からいろいろなものを奪います。飯茶碗と同じことになってしまうのです。

色々な場所へ見に行って、手にとってください。その中で自分にとって光るものを見つけて買い求めてみてください。

願うべくは、その時の自分にとって『少ししんどい金額』を出すこと。

当然のことかもしれませんが、欲しいな使いたいなと思うものって値段も相応なんですよね。でも、しんどいなと思いつつ買い求めた茶碗は不思議とよく使います。

清水の舞台から飛び降りるつもりで買った茶碗は、それだけのリスクをかけて連れて帰る必然性が自分の中にあるということですから」

2、自分の中の「小さな恋心」を大切にする

木村「とにかく値段のお得感などには惚れず、ものに惚れて買ってみましょう。ちょっとした恋心でもいいので。ご自身が良いなと思えるもの、見どころを感じるものを見つけてください。そして、その好みが3年、5年後に変わることを恐れないでください。

時が経てばどうしても気持ちも好みも移り変わります。それでも、ずっと好きで使い続ける茶碗もあります。好みの移り変わりを見つめるのも面白いですよ」

中川「他の人が良いと言うかどうかとか関係ないですよね。自分が良いと思うものを」

木村「まさにその通りで、『わたくし』の中の小さな好きを大切にしてください」

ずらりと並ぶ茶碗
トークショー後、改めて茶碗を眺め、触れてみます。「恋心」が芽生える茶碗と出会った方もいらっしゃったようです

この日のラインナップの中に、私もひとつ気になる茶碗がありました。ちょっと勇気を出せば手に入れられる金額。

うーむ、どうしようと迷っている間に、その茶碗は他の方の元へお嫁に‥‥。木村氏の「自分で痛い思いをしないと」という言葉が頭をよぎります。

トークセッションでは「茶碗を探すこともお稽古」というお話もありました。たくさんの茶碗に触れて眺めて味わって、今度こそ思いきろう。私の茶碗探しはまだ始まったばかり。

やっぱり、茶碗がナイトね。

お茶の愉しみ方がまたひとつ見つかりました。

 

木村 宗慎
少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。
「茶論」のブランドディレクターも務める。
その一方で、茶の湯を軸に執筆活動や各種媒体、展覧会などの監修も手がける。また国内外のクリエイターとのコラボレートも多く、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。
2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』 (新潮社刊) の編集にも携わる。現在、同誌編集委員。

著書『一日一菓』 (新潮社刊) でグルマン世界料理本大賞 Pastry 部門グランプリを受賞のほか、日本博物館協会や中国・国立茶葉博物館などからも顕彰を受ける。
他の著書に『利休入門』(新潮社)『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』 (ともにCCCメディアハウス) など。
日本ペンクラブ会員。日本文藝家協会会員。

中川 政七
1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。2002年に株式会社中川政七商店に入社し、2008年に十三代社長に就任。2016年に「中川 政七」を襲名し、2018年に会長に就任。
「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。初クライアントである長崎県波佐見町の陶磁器メーカー有限会社マルヒロでは、新ブランド「HASAMI」を立ち上げ空前の大ヒットとなる。
2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持して いる企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。「カンブリア宮殿」などテレビ出演のほか、経営者・デザイナー向けのセミナーや講演歴も多数。

茶論 日本橋店
東京都中央区⽇本橋2-5-1 ⽇本橋店髙島屋S.C.新館4F
https://salon-tea.jp/
営業時間:「稽古」10:30〜21:00、「喫茶」「⾒世」10:30〜20:00
*売り場によって営業時間が異なります
定休⽇:施設の店休⽇に準ずる

文・写真:小俣荘子
茶碗画像提供:道艸舎

*こちらは、2018年12月6日の記事を再編集して公開しました。

職人のありえないコラボから生まれた、燕三条のキッチンウェア「enzo」

キッチンウェア選びの“悩ましさ”

フライパンに鍋、ざるや包丁などの調理器具・キッチンウェア。

一度購入すると長く使うことになるこれらの道具を、こだわって選びたいという人は多いのではないでしょうか。

ただ、一口にキッチンウェアといっても、“焼く”に特化したフライパンと“切る”に特化した包丁とでは役割が異なるように、それぞれの道具に求められる要素は様々です。

役割が違う道具である以上、メーカーやブランドによって得意不得意は出てきてしまうもの。

そのため、使い勝手や機能性を個別に検討していくと、ブランドが分かれてしまいキッチンウェア全体のまとまりがなくなってしまう。逆にブランドを揃えようとすると、アイテムによっては機能性にもの足りない部分が出てくる。

キッチンウェア選びには、こうした悩ましさがつきものでした。

その悩みを解決する、機能性の追求と世界観の統一。この両立を目指したキッチンウェアブランドが、新潟 燕三条の地で生まれました。

日本を代表するキッチン用品の産地で生まれた「enzo」

世界でも有数の金属加工の産地として知られる、新潟県 燕三条エリア。その高い加工技術を背景に、キッチンウェアづくりにおいても国内有数のシェアを誇っています。

金属加工産地である燕三条
金属加工産地である燕三条
金属加工産地である燕三条
様々な加工業がひしめく燕三条
様々な加工業がひしめく燕三条

燕三条の大きな特徴は、工場の垣根を超えた、多素材・多製法のものづくりが行われている地域であるということ。自然環境的に恵まれていたわけではなく、何もない状態から、他産地の技術や多様な素材を取り込み、多素材・多製法のものづくりが混在する珍しい地域へと成長してきました。

「どれか一つ」ではなく「なんでも造れる」。

この強みを最大限にいかし、複数社の強みを掛け合わせることで誕生したブランドが「enzo(エンゾウ)」。

enzo

燕三条で60年以上にわたってキッチンウェアづくりに関わってきた産地問屋、和平フレイズ株式会社が新たに立ち上げた「made in 燕三条」を掲げる総合キッチンウェアブランドです。

和平フレイズ
和平フレイズ

「燕三条のものづくりのノウハウが詰め込まれた商品群で、かつ、ひとつの世界観を持たせるということに挑戦しました」

「enzo」のプロダクトデザインおよびブランドディレクターをつとめた堅田佳一さんはそう話します。

堅田佳一さん。新潟の燕三条をベースに活動するクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナー
堅田佳一さん。新潟の燕三条をベースに活動するクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナー

多素材多製法で文字通り“なんでも”つくってきた燕三条だからこそ可能なキッチンウェアの集合体。それぞれに最適な素材と製法を組み合わせ、使い勝手の良く洗練されたキッチンウェアをつくり出しました。

複数社の強みが交わることで、不可能が可能になる

今回、「enzo」の第一弾商品としてラインアップされたのは、「鉄フライパン」「鉄中華鍋」「ステンレスざる」「ステンレスボール」の4商品。

“焼き調理”に特化した鉄素材のフライパンは、直径20センチから26センチまでの4サイズ展開。いずれのサイズも、焼きムラが起こりにくいように底面を広く取った形状で、底の厚みは実験の結果、もっとも熱効率が良かったという2ミリ厚で統一されており、IHにも対応します。

enzoのフライパン
木のハンドルが印象的な鉄のフライパン
「enzo」の鉄フライパン
おすすめ料理はステーキ

鉄のフライパンでは珍しい木のハンドル(持ち手)が印象的ですが、使い勝手の面でも非常に持ちやすく、また、重さをそこまで感じない重量配分になっています。鉄フライパンに抱きがちな重くて使いづらい印象とは、いい意味で大きくギャップのある商品です。

フライパン

このハンドル部分は「鉄中華鍋」、さらに第二弾商品として発表が予定されている「鍋」とも共通になっています。

「フライパン・中華鍋の皿部分、第二弾発表予定の鍋、そしてそれぞれのハンドル部分は別々の会社にお願いして、会社の垣根を超えたデザインの統一を目指す体制をつくりました。ハンドルはさらに、ワイヤー部分と木の部分でそれぞれ別の専門会社に作ってもらっています。

フライパン・中華鍋・鍋が揃った時、ハンドルが共通であることでひとつの世界観が完成する。そういった狙いがあります」

ワイヤーと木で構成されたハンドル部分。ものづくりに従事する人から見ると、かなり難易度の高い設計
ワイヤーと木で構成されたハンドル部分。ものづくりに従事する人から見ると、かなり難易度の高い設計

堅田さんがそう言うように、何社かのメーカーの良さをクロスさせることで不可能が可能になり、総合キッチンウェアブランドと呼ぶにふさわしい、共通の世界観を持ったラインアップが完成しました。

ちなみに、ワイヤー部分の加工をしたのは、普段キャッチャーマスクなどもつくっている会社。

ワイヤーを複雑に曲げ、視野を広く見せ、かつ強度も保つことが必須な非常に加工条件の厳しいキャッチャーマスク製品を見て、「これは技術力がある!」と感じたそうです。

和平フレイズが問屋として培ってきたノウハウと、燕三条で切磋琢磨してきた各メーカーの高い技術力が合わさって、「enzo」のコンセプトを体現する製品が作り上げられました。

女性にも扱いやすい。軽さを追求した鉄中華鍋

もちろん、意味もなくマニアックで難しい加工をしているわけではなく、きちんと使い手のメリットにもつながることが大前提。

「ものづくりに従事している人たちが見ても納得できて、一般の人が見てもその良さ、特徴が分かるもの。それを心がけています」

様々な料理に使える「鉄中華鍋」は大・中・小の3種類(22センチ、26センチ、28センチ)。サイズに応じて持ち手の角度を調整してつけられていることと、軽さを追求した薄い鉄素材を使っていることで、中華鍋のイメージを一変させるほど軽く、女性でも扱いやすい鍋に。

enzoの中華鍋
女性にも扱いやすい「鉄中華鍋」
「enzo」の中華鍋
ハンドルの角度にまでこだわった

薄い素材ながら、燕三条を代表する槌目(つちめ)模様の加工で強度も担保。底面はフラットな形状にしたことで、こちらもIH調理に対応しています。

機能性と強度を高めた“一生モノ”のステンレスざる

ともすると、100円ショップのものでいいかと、妥協しそうにもなる「ざる」と「ボール」。これらのアイテムに関しても、徹底して使い勝手と道具としての存在感を追求しました。

「ステンレスざる」のコンセプトは“ざる屋さんの末長く使えるざる”。普段、意識することはないかもしれませんが、実は「ざる」には、ざる屋さんがつくったものと、ボール屋(器物屋)さんがつくったものが存在します。

enzoのステンレスざる
一生モノと呼ぶにふさわしい「ステンレスざる」を目指した

ボール屋さんがつくる「ざる」は、ステンレスの板材に丸い穴が均等に空いている、いわゆる“パンチングざる”といわれるもの。こちらのメリットはシンプルなつくりであるため強度が出しやすいことですが、ざる本来の役割である水切りの性能で比べると、ざる屋さんがつくる“メッシュ”タイプのものがやはり優れているんだとか。

そこで「enzo」では、水切り性能に優れたメッシュ素材で、強度をきちんと担保できる「ステンレスざる」を製作しました。

「ざるの課題として、叩いてしまいがちなフチの部分が変形してしまったり、使用していく中で網がガタつき外れてしまったりすることがあります。その辺りの課題を克服できれば、末長く使える一生モノのざるが作れると考えました」

ざる

ざる

フチの部分には通常は入れない“芯材”を巻き込むことで強度を上げ、網自体も太めのステンレス材で強固に仕上げています。

芯材を入れて強度を高めた設計
芯材を入れて強度を高めている

「芯材を入れるというのは、手つきざるの取っ手部分に使う技術なのですが、ヒアリングの中で、それこそが網を固定し、縁部分の強度を高める技術になると発見しました。

そして、その技術をフチ全部に入れてみましょう!ということをメーカーさんに提案し、かなりの試行錯誤を経てなんとか実現できました」

ボール屋さんがつくる「ステンレスボール」とフチ部分のデザインを合わせ、2社が介在していることを意識させない設計です。

ステンレスボール
ステンレスボールと重ねると、別々のメーカーでつくったとは思えない一体感がある
enzoのステンレスボール
深めで膨らみのある形状が特徴の「ステンレスボール」

燕三条の技術を掛け合わせ、さらに拡大していく「enzo」

燕三条という、多種多様な加工技術が集積した稀有な場所で、それぞれの分野の作り手たちが集結した、いわばオールスタープロジェクトとも言える「enzo」。

燕三条の“燕”と“三”を取った「燕三(エンゾウ)」、産地の職人と職人、技術と技術をつなげる“縁”になるものづくり、さらに工場と消費者の“縁”も“造る”という「縁造(エンゾウ)」の意味を重ねて、「enzo」というブランドネームがつくられました。

enzo

「今は6社がenzoの取り組みに参加してくれています。まだまだスタートしたばかり、もっと人と人の繋がり、縁を広げて、成長していきたいと思っています」

と、enzoプロジェクトを立ち上げた、和平フレイズ 代表取締役社長の林田さんは決意を込めて語ってくれました。

和平フレイズの林田社長
和平フレイズの林田社長

「和平フレイズという軸に、燕三条という場所、そして各メーカーさんの持っている技術を組み合わせた時、そのパワーを最大化するとどういったアウトプットになるのか。

そんな風に考えて商品を設計しています。今後3年でサイズ展開も含めて45〜60種類くらいのラインアップに育てていきたいと思っています」

と話す、堅田さん。

今後も作り手、使い手双方の意見を取り入れながら、商品ラインアップを拡充させていく予定です。

<取材協力>
和平フレイズ株式会社
https://www.wahei.co.jp/
「enzo」
https://enzo-tsubamesanjo.jp/
堅田佳一さん
https://katayoshi-design.com/

文:白石雄太
写真:浅見直希、和平フレイズ提供



<掲載商品>

【WEB限定】enzo ステンレスざる 21㎝
【WEB限定】enzo ステンレスボール 21㎝

【わたしの好きなもの】麻ウールのあったか綿入れジャケット

ふかふかで軽くてお布団に包まれてるような心地よさ


冬の防寒といえば、ダウンジャケットを思い浮かべますし、私も持っています。
確かに暖かいのですが、ちょっとカジュアルだなと思う時もあります。
大人っぽい装いで出かける時に似合うアウターとして、今年取り入れたのが「麻ウールのあったか綿入れジャケット」です。

このジャケットは、やさしいふかっとした肌触りがまるでぬくぬくとお布団に包まれているような感覚になるんです。
ダウンジャケットと変わらない軽さは、肩に重さを感じず過ごせます。普通にニットを来ていても、軽く袖を通せて窮屈さもありません。



麻ウールというだけあって、表地はウールだけよりさらっとしていますが、麻だけよりも暖かみを感じる手触りです。
少しシワ感があり自然な風合いが、こなれた感じに見えたります。
麻はもともと繊維の中に含まれる空気が多く冬でも暖かいという特徴がありため、ウールを混ぜてさらに保温効果がアップしています。
中綿も蓄熱効果の高い素材で、膝の上に乗せているだけで、じわっと暖かくなるほど。



袖口や裾は縫い目がなく折り返してあるので、ふわっとやわらかい表情です。
ふかふか、ふわっとしていますが、ダウンのようにもこもことした厚みがないので、
薄いわけではないのに着回しやすい。
車で出かけるときにも、ちょうどいいんです。暖房が効くまでジャケットを着たままでも運転しやすいし、
そのまま着ていれば暖房を効かせすぎなくてもいいのでエコです。



首元は襟が立ち上がっているので、寒さを防いでくれるし、ふかっとやわらかいので巻きものを
巻いたときには邪魔になりません。



肩こりの私は、とにかくこの軽くて暖かくてもこもこ窮屈感がないというのが最高です!
待ってましたのアウターは、毛玉もできにくく毎年永く着ていきたい定番となりました。

編集担当 今井
 

木村宗慎先生に習う、はじめての茶道。「練習でなく、稽古です」

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お茶の作法も、知っておきたいと思いつつ、過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、すっかり忘却の彼方。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第1弾は茶道編。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

茶道編
一、練習でなく、稽古です。

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10月某日。
江戸風情と異国情緒が混ざり合う街、神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。

開かれたのは木村宗慎先生による茶道教室。先生は裏千家、芳心会を主宰される傍ら、茶の湯を中心とした本の執筆、雑誌・テレビへの出演、新たな茶室の監修など、世界を舞台に幅広く活躍されています。

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木村宗慎先生

お稽古には幸運にもお仕事でご縁のある「大塚呉服店」さんのご協力で、着物を着て参加できることに。形から入るとはよく言ったもので、自ずと引き締まった気持ちでお稽古に臨みます。

良い香りのする畳の上で、しかし正座して長時間何かをするというのも久しぶりのこと。はじまりに茶道を習う心構えのお話などを宗慎先生から伺ううち、集中したい気持ちとは裏腹に、早速足がビリビリと‥‥

「今日はみなさんに安心していただきたいのですが、基本的に私たちも足はしびれるものだという想定をしています。

例えばお茶の席で立って何かをしたい時に足がしびれていたら、ホスト側もゲスト側も『すいません、足がしびれまして』と足を直されたらいい。しびれるのは恥ずかしいことではないんですよ」

絶妙のタイミングで柔らかくアドバイスをくださった宗慎先生。場の空気もほっと和らぎます。

「お茶を点てるだけではなく、来た人が自分が大切にされていると感じる事。例えば茶碗一つを大切に扱う事で、それを使う人を大事にする事になります」

とのお話から始まったお稽古は、その言葉の通り、お茶をいただいてその作法を習う以上の、日常から実践できる、様々な学びのあるものでした。

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◇名残の10月

「五感を持って感じられること、
 その場で起きることのすべてに意味がある、というのがお茶です」

とはじめに見せてくださったのが金継ぎのされたお碗。

「10月は名残の月です。11月になると炉開(ろびらき)と言って冬の設えにガラっと変わります。

お茶の世界では、新茶は半年ほど熟成させてから飲んだ方が良いとの考えがあって、口切(くちきり)という行事を行って、この炉開の頃に合わせて新茶を飲み始めていました。

そこでは錦秋紅葉の華やかな風情を演出するので、10月中はわざと寂しく、切ない秋の感じを出します。そういう時に喜ばれるのがこういった、欠けたり継いだりしているもの。

つまり、季節ごとのコントラストを演出して、1年飽きないようにしていたんですね」

意味を知った後でお茶室内を見渡すと、お道具や設えの一つひとつが、特別な意味を持って目に映ります。けれど今はまだ、解説頂かないと気づけないところが、もどかしい。

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忘れないうちに、とにかくメモ、メモ。

後編:今日から変わる、きれいなお辞儀の仕方*こちらは、2016年11月26日の記事を再編集して公開しました。